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■タナトスという一貫したコンセプトのサウンド化
ブラックサバスは、ハードロックの要素にタナトス(恐怖や破滅に対する欲求)という一貫したコンセプトのサウンド化、具現化した事で、ハードロックバンドとして同時期に界隈で大活躍した「Deep Purple 」や「レッド・ツェッペリン」らとは一線を画した存在だった。それは、ブラックサバスはハードロックを「ヘヴィロック」「メタル」へと分岐させたという事が最大の理由だろう。
その要因は、ジャズやブルースなど、ロック以外のネイティヴな音楽の要素やその演奏技術をロックに取り入れた事に加え、「人間そのものの根源的な要素」のサウンド化に重点を置いた事、それが結果「ヘヴィメタル」という新たな音楽を産み出した事に繋がったのではないだろうか。
Deep Purple やレッド・ツェッペリンがクラシック音楽やケルト音楽などをブルース、カントリー、の要素と共にロックと融合させ、ハードロックとして進化させたひとつの軸と、ブラックサバスが暗黒世界観を表現してハードロックを進化させた、また違うひとつの軸と、それぞれ別軸で次世代ロックミュージックの発展を繫げたという点は非常に興味深いところだ。
■ブラックサバス後のオジーオズボーン
1970年に発表された「黒い安息日」に次ぐ2nd「パラノイド」。ブラックサバスのこの作品は歴史的名盤として、“ヘヴィメタルのマスターピース”として現在も語り継がれている。その後も、ヘヴィなギターリフのオーバーダビングやドラマチックなメロディ展開、惜しみなく重低音を前面に出力するベース、タメのグルーヴを牽引するドラムプレイなど、ヘヴィメタルの基礎を築いたと言える数々の作品をリリースした。
しかし、1978年にオジーオズボーンはブラックサバスを脱退(ドラッグ問題等の理由により解雇)。この時代のオジーは酒や薬物にドップリと溺れ、肉親との死別も重なり、その様は本人曰く「この頃の記憶がほとんどない」というレベルの、正に「暗黒時代」だったという。
1979年、オジーはソロへの転向を余儀なくされ、相棒となるギタリストを発掘すべく、ギタリストのオーディションを展開した。次から次へと腕を振るう新人ギタリスト達。しかし、一人たりともオジーの琴線に触れる「適合者」は現れなかった。
そこに訪れた「ランディ・ローズ」という若きギタリスト。彼こそ、オジーが表現する暗黒世界に自ら地で行ってしまった時期に光を照らした人物。オジーを次なるステージへと導く、希望の塊の様な人物との出会いであった。