ランディー・ローズとの出会い

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■ランディー・ローズとの出会い
オジーのオーディションに当時まだ無名だったランディ・ローズが挑み、「さあこれから本意気で弾くぞ」というその前に、オジーはインスピレーションでランディを「即決」したという。

オジーが若きランディ・ローズに感じたインスピレーション、その内容。一体何がオジーのツボだったのか。それは1stアルバム「ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説 (BLIZZARD OF OZZ)」にて克明にサウンド化されている。

※参照映像
【Crazy Train:Ozzy Osbourne(LIVE:Randy Rhoads)】

オジーの「ザラついた金属」と「唱歌の様な透明感」を併せ持つ類稀なヴォーカルと、ランディの叙情的に咆哮するギターサウンドのマリアージュは特筆すべき組み合わせだった。

悪魔崇拝的でヤンチャな悪戯暴れん坊・オジーと、物静かで学術肌の優しいイケメン秀才オーラのランディ・ローズ。真逆の魅力を持ったオジー、ランディ双方のアンビバレントな対比は正に悪魔と天使。その融合はあまりにも見事に音楽で昇華された。

ランディ・ローズのクラシカルな旋律をロックギターに融合する手法は、以降のヘヴィロックシーンに多大な影響を与えた。メロディを作り込み明確に奏でる様式美のプレイスタイルは、以降のハードロック、メタルのギタープレイには欠かせないものとなり、それはランディ・ローズが確立させたスタイルといっても過言ではないだろう。今でこそ聴くと荒削りとも感じるかもしれないが、当時は非常に斬新なものだった。





ランディ・ローズはオジーにとってベストなサウンドを奏でるバンドメンバー、というよりかは、心通じ合う友人と出会えた事に心底喜び、彼と共に音楽を楽しんでいる、そう当時の映像や楽曲から感じ取る事が出来る。

ランディとプレイをしたこの時代のオジーは、彼のキャリアの中で最も活き活きと嬉しそうにプレイしている様に窺える。ライヴでランディを抱えて無邪気な笑顔を魅せる様や、ギターソロを奏でている姿を横目にするオジーの嬉しそうな表情はとても印象的だ。

しかしランディ・ローズは1982年3月19日、飛行機事故によりその短い生涯を終える。「彼が生きていたら間違い無くロック史は変わっていた」と嘆くロックミュージシャンは数多くいる。それほど、彼の存在とその才能は、ヘヴィメタルのみならずロック界において多大な財産であった。

相棒であったランディを突如失ったオジーは悲しみの果てに、再び、ドラッグやアルコールに手を染める。その悲しみの深さ、ランディ・ローズという友人を失ったという悲劇の衝撃は計り知れない。オジーは現在まで毎年、ランディの命日には必ず墓前に花を添えるという。
ランディ・ローズ 享年25歳。

 

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