03/2026

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。死なないで。3


なんもしていない。強いて、強くない。強いて言うと、路地で寝た。本当である。それは東京都北区赤羽という範囲内での路上、その辺でほんとに俺は寝ていた。「8時くらいまでは――」などと推測してはそれ、本当にそこで寝いていた。帰ったら、気づけば、24時とか。

省みる。その必要が今日のタスクメモから圧倒された。それら。なんもしていない。つまり今日は酒を呑み続けは――今に至る。タッチ・タイピングって、視界を下に。その前提を確認するほどである。

今、まじで今である。頭はグルーヴしている。しかも小節を無視。やめろ。しかし。追加すると――2000年代の本物? そんなやつに、手元が本当におぼつかない。だからグルーヴとか言うのは撤回。つまり。

つまって今日は何もしていない。あれだ。20来のパイセンと呑んだな。とても楽しかった。煙草を乞うというか勝手にそれを吸う時間軸は20年を彷彿。そんな話。楽しかったな。

――気づけば会計。明朗。俺は。路上で寝ていた。本当である。そこから記憶が放棄されてはリアル。リアルの今に至る。つまり今日は。

いくつかする予定であった。しかし、それらはしていない。よって今日はそれ。そういう凪。凪? 連打したのは先月。凪? 便利だね。止まるを表現する言い方。だが今日はまじでなんもしていない。強いて言えば――二つほど年上の彼と呑んだ。あと、界隈で雑にグルーヴして呑んでは24時という事実よ。はげしい。

はっきり言って、今日を溶かした。それが俺を揺さぶった。それが時間を甘い色にした。そこに注視した。すると今日は飴。違う。おでん。違う。溶けた。事実を言え。はい。手元があぶないです。でもね。たのしかったです。
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一言くらいは省みるべきである。抑制。二文字か。それをちゃんとしろと。必然の二日酔いは5時なのか17時なのかを本気で勘違いしてイトーヨーカドーに行っては「シャッター閉まってるな」と、怪訝になっては前者であることを朧げに察し、家で寝た。

昨日――おぼつかぬ手つきで書いた故に誇張があったが、赤羽の路上で寝る。文字通りだと道路で横になってお巡りさんに「だいぶ呑んでるねえ?」と、軽めの一言から入るニュアンスだが正確には、雑居ビルの庇のもとでそっと座って短時間固まっていた。それもだめだが。

おととい――〝引き換え〟などという観念を硬質に書いた気がするがそれだよ。引き換えた向こうを覗きに行ったようなもの。昨日の記憶が丸ごと滅却していないだけまだマシなのかもしれない。だが呑み過ぎはよくない。何故、呑み過ぎたか。理由を考えた。

一週間弱――動きすぎた。これに尽きる。フルタイムの会社員であれば9時間くらいだろう。〝動く〟内実つまり稼働時間である。それ以外の時間は凪にあてるなり遊ぶなり。凪ってさいきん何回言うんだろう。気に入った表現だからである。

その凪。これがほぼ無かった。正確に測ると、9時間ではなく、14時間くらいは動いて連日。ストレスは無かった。ただ、仕事、タスク、営み、それぞれに没頭しては熱狂しては麻痺していたのであろう。それをいきなり、常駐していた点滴が抜かれたかの如くヒュッと。寝る間も惜しんで酒を呑むという蛮行に直結。つまり、5速で数日走っていて急ブレーキを踏んだ構図。

今日――そうか。と、思い仕事をした。小説の原稿も進めた。疲労が抜けたのか逆に増えたのかよくわからないのだが、双方「あれ?」というくらいスムーズに進んではいつもより時間がかからなかった。既にできているものをチェックしている感覚だった。5速で連日走っていた成果というのがこれか。などとも思った。

〝引き換え〟などという観念はわりと簡単。前借りか、後払いか、であろう。俺は、数日ほどずっと「前払い」をしていた。そして昨日、前借りをした。ここで今日、それが清算されたかのような感覚を得た。

〝引き換え〟が極端だったなと。そのように思った。しかしそれがないと、見なくていいものを見るという、健全ではない場所でしか見られないものが見られない。

シンプルに呑み過ぎていただけの野郎が何を。とも思うが、そこまでの散財ともならず、立ち呑み屋を渡り歩いては一杯ずつ。行き着いたのはかつての、20年以上前に上司だった「ハンチョウ」と一緒に呑んでは彼も、めちゃめちゃ呑んでたな。ツーショット写真まで撮影してもらい。すごく嬉しかったな。ただ、あんまり極端なのはこう、抑制も必要だよねと自戒する。たのしかったんだけどね。

昨日書いた――〝それが時間を甘い色にした〟とか、引き換えをしないと出てこない言葉だと思った。
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昨年の同日。そこが発表日当日。それを確認した。2025年3月3日が『第41回太宰治賞』の一次選考通過作品発表の日と、公式ウェブサイトに明記されていた。

つまりその時期を鑑みると、今日、最初の結果がわかると推測するのは妥当。そう思い、今年のそれを確認することにした。俺は『第42回太宰治賞』に初作品をエントリーしている。

その最初の結果。当然に知りたいが、知るのが恐ろしいという気持ちながらもなるべく、フラットな心境を拵えてウェブサイトの最新情報を見た。

“第42回太宰治賞は作品の募集を締め切りました。応募総数は1890通でした。”

と、最新更新履歴にあった。まだ、だった。つか応募総数よ。えぐい。昨年は――“応募総数1,478篇の中から123篇が通過作として選出”と、一次選考においての数字がネットに記録してあった。増えてるじゃねえか。約25%増ってすさまじいぞ。みんなそんなに小説書くの好きなんだ。などとやわらかい感想ではなく「猛者が増えた」というのが正直なところ。そして通過作、一次選考でそんな? 1割弱しか残らねえの? というのが正直というかはっきり言って畏怖した。

なんとな〜くしか知らなかったが最初。最初のハードルがすさまじく高い。数字だけ見るとね。ただ――そこを通過しないと話にならない。

だから、やわらかい感想はただの恐怖となって明日、明後日と、まだか、まだかな、おや。ついに。とか思いながら毎日、当該公募のウェブサイトをチェックするのか。はたから見たら地味そのものだが震撼そのものである。

そんなことは結果が出てから書け。と、自分で本当に思った。

だが――ひと通り仕事をして少し休憩をして、第二作品目の方を推敲してはスラスラっといって逆に「大丈夫かこれ?」と、ある種の俯瞰と冷静さがあったのでそうだ、初作品の結果発表は、と、確認に向かった。だが、まだだった。

――選考の段階は3つ。一次選考、二次選考、最終選考。昨年の場合だと3月31日に最終候補作品発表。5月上旬に受賞者発表。という流れ。

――昨年の一次選考通過作品および作者が記されているページをざっと見た。年齢層が思いのほかバラバラだった。平均すると、おそらく40歳くらいだろうか。30代が多いという印象だった。俺からしたら大先輩のご年齢も。10代も。そして――見事受賞となった方は、49歳であった。

そういうのね。くまなく確認したり調べたりあれこれ想像するのは健全ではない。と、直感的に思う。だが「一次選考通過」という地点の内実は、おそらくだが「続けて読むに値する」という尺度――不要な想像はやめよう。

ただ一つ言えるのは、最初のハードルを越えることには重要な意味がある。そして、最終選考まで残ることは実績となる。受賞する。すると人生が拓ける。これらは事実。だから、気になって見たが、まだだった、という記録に意味があるのだろうか?

なければ全部消してもう一度冒頭から別のことを書く。しかし、その選択に手が伸びない。

〝応募総数は1890通〟という数字が漲らせた。

当該賞は「紙原稿」しか受け付けていない。俺は、応募前の最後の段階、原稿を印刷するくだりで思った。原稿を全ページ印刷して全ての紙の右上に穴を均等に開けて紐でとじる。その行為がそんなにも大変だとは知らなかったのである。「本気で挑む人間しか、ここまではまず、やらないのではないか」と、思った。それくらい、神聖な儀式のような感覚を得た。

だから、1,890人、本気の人たちが居る。それが可視化されたのが今日。最初のハードルで、その本気は、1割弱しか通過しないという例年の事実も知る。それは漲る。最初の門がそんなに狭いとは。

そこを、通っても、そうでなくても、現状、どんな気持ちになればわからない。ということを整理したくてそのままこれを書いたことに今、気が付いた。

ただ、どういう流れであっても俺は、原稿用紙に文章を、物語を書き続けることは変えない。きっと、そういう人たちが1,890人。なのかな、という風に思った。

筑摩書房の小説新人賞『太宰治賞』の格式高さを改めて思い知った。漲りと畏怖が同居した時、人間の筆致はここまで真顔になるものなのだろうか。
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吸い寄せられる美しさの黒髪が目の前にあった。性別は、わからなかった。俺は彼の後ろでその艶やかしい光沢と黒色に見とれていた。若い人だった。

電車に乗った。手も出せぬほどの満車車両。彼。と、わかった男性は左にもたれかかっていた。彼は、襟足が長く、前髪を真ん中で分けている。中長髪。とでも言うのだろうか。――顔を見ると眉毛が太かった。黒目が大きく、鼻はあまりにも平均的な長さ。唇は少し紅色で薄かった。順調な角度の顎周りだった。

――少し反抗的な表情と見られた。彼が微かに動かす表情筋がそれを俺に示唆した。俺は思わず両頬を相当に上げた。すかさず右に居た若い女性が俺を一瞥したのを見逃さなかった。彼は、不思議なほど若い頃の俺と似ていたのである。

――彼に気づかれないように俺はずっと彼を見ていた。どう見ても似ている。驚くほどに似ている。自分で言うのだからよっぽどである。ふと、彼がスマートフォンで何を観ているのか覗いた。パチスロの動画であった。そこも似てるのかよと喫驚。彼はふと、俺を見た気がした。

彼は20代前半――高校生にも見える。ストライプのネクタイに生地のしっかりとしたコート――どっちともとれる格好だった。童顔の新卒会社員と見なすのが妥当だろうか。

俺はやはり彼をちらちらと見た。彼も、俺をちらちらと見ていた。気がする。気のせいではないと思う。俺はずっと思っていた。こんなに若い頃の自分と似ている人間を見るのは初めてだと。

「このおっさん何やねん」と、彼は俺を牽制。だったのか、あるいは、面影を同様に俺の所感と、同等に――数年後の僕? というように怪訝だったのか。知り得ない。電車は終始ひどい混み方だった。俺は、ずっと彼をちらちらと見ていた。

JR埼京線赤羽駅。俺は下車。彼も――そこまで似て、いや、快速電車の乗り換え待ちだった。ということは、武蔵浦和駅から北赤羽駅の間に住んでいると推測できる。

――俺が彼くらいの頃を思い出しながら、ずっと彼をちらちら見ていた。車両で歯が見えるほど笑ってしまうほどに。彼も、たぶん、ほぼ確実に俺のことを意識していた。俺の見過ぎか? いや、気づかれていないことは、彼の推定二倍の年齢だと空気感でわかるものなのだよ。などと思った。

俺が彼くらいの頃を思い出した。それ。その動画のリアルなやつ。それに夢中で何も考えてはいなかった。彼はどこか、ニヒルな物腰・表情であった。当時、俺もまたそうだったのであろうか。

彼の将来を想像した。俺の今と重ねた。彼の年齢の頃には思いもしなかったことに熱狂している。パチスロではなく。それは彼の年齢の頃の没頭先である。――彼は何に夢中なんだろう? ふと直感的に〝何かを決めている〟男の表情ではないと確信した。それほど、似ていた。

「何かを決めるまであと何年を要するのだろうか」。などと勝手に彼の未来を想像した。もう決めているのかもしれない。だが、あまりにも似ていたからか、そうではない。という風に思っては、俺はずいぶんと遠回りをしているのかな。などとも思った。

回り道をしている者特有の顔。だろうか。それを近距離で提示されては、俺自身の方が、ちゃんとやっていますか? と、問われたような気分だった。

目の前の艶やかしい光沢の黒髪は俺の何十年もの歩みを表象させた。

あの頃は無限に生きていけると思っていた。しかし、今は、営みの時間の〝残り〟を意識することが増えた。彼は、どう思っているのであろう。

ただただ、きっとまだそれが表面化していない、反抗性の浮き彫りのようなあの顔。美しく光る黒髪。有限の象徴のようだった。
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色があった。感触もあった。視覚も聴覚も。覚醒剤中毒の離脱症状として「身体中に虫が湧く感覚」というのがあるらしい。それを、寝てみた夢で感じた。ひどい感覚だった。

故郷に居た。時間軸は明らかに過去。実家近くの団地へ向かった。明るい日差しのもとで向かったそこはイメージと異なっていた。緑色の公園を左に見て道路の左脇をまっすぐ歩いた。虫が落ちていた。俺が一番忌む形状のそいつに怯んだ。しかし、複数のそいつが体に纏わりついた。どんどんと。ひどい感覚だった。

起床してもその感覚は続いた。病院案件か。とは思わなかったのは正気。だが、昼過ぎ手前という破綻した時間表現しかできないそのタイム感までそれは続いた。

酒の呑み過ぎかな。とも思ったが昨夜はほぼ呑んでないに近しい。ノーカウントでいいだろ。というくらいしか呑んでいない。特筆してひどい体験も無かった。ただ、現実よりも睡眠時の夢の五感の〝えぐ味〟が夜まで残った。もちろん違法薬物などに手を出してはいない。

元気に原稿を進めよう! と、明朗快活な心境で、左とは別の、呪文のような決まり文句を発話してはそれを進めた。進んだ。今日のタスクを閉じた。

すると、〝四則演算=数字の観念の固定=AIの態度の変容=女性を口説く姿勢〟。何だその演算は? 演算の意味がわかっているのか――「計算です」。

などということを真ん中に書いた謎の文章を記していた。「間違いなく、違うよ」と思い、それを上以外、全部を消して、本来書くことは――と一旦手を止めたら夢の虫が這い出てきた。

いよいよか。とも思わないが、きっと、現実と睡眠時の記憶整理と、そんな記憶一個もなかったぞ? という疑いこそが色濃かった。

「根元的な恐怖の象徴である〝忌む形状の虫〟が無意識から這い出てきては、鮮明な五感体験のような夢となった」。それだけのことだと思うけど。

――睡眠時の夢の意味を吟味するのは〝癖〟みたいなものだろうか。どうしてそれをいちいち書くかというと、たぶん、睡眠時の夢は絶対に嘘をつかない。それを探求すべきかという疑いが、朝と夜中の循環構造となった。

〝数字は絶対的な観念であり、象徴的なことは無くとっても便利。でも、それを疑い始めている現象が起きているんですよ。もう既に。AIがどんどん進化しても、「ズラせる」んですよ。〟

〝だから時に原稿用紙にそれを構造化して長文で書きます。短文で書くと、時にこのようになります。ズラさないと、揺れが無いと、痛みを感じずに死ねるような気がするんです。――それって楽な死に方じゃない?――そうでしょうかね。俺の演算によるとそれ、すさまじい割り算の顛末な気がして。〟

と、消したはずのセンテンスをまた持ってきて貼ると、纏わりついている何かが夢として表象されたのかな。と、思えなくもない。睡眠時の夢の感覚の方が現実より鋭利。という現象を疑うことは健全ではない。気がする。

同時に思っていることを二つの文章に分けて、双方をサンプリングして構成するとこうなるのか。という記録、思考の畝りを正しく記すことは訓練が要ると思った。
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アンビエント音楽をRMEオーディオインターフェース出音値「33」で空気を揺らせた。楽曲制作時の大音量のその値。仕事部屋が桃源に。俺は『Selected Ambient Works Volume II』を聴きながら心身を休めた。

――「平吉さ〜ん」

――「はい〜」

診察室「1」に入り、主治医と対峙した。定期検診。メンタルクリニック。「どうですか、ひら――もう、一ヶ月ですか……」。

精神科医は雑談の冒頭のように、そう述べた。「はあ。なんだか僕もここが一ヶ月の尺度になっているような」と、俺。「まあ、二月は日数が――」と、彼。常識論を語るその白衣は象徴的。

「――という訳でして先生。先月と一緒というか」

「そうですか。良くなってきてるんですね」

「ええ。あとお伝えすることが。数ヶ月前ですかね。もうだいぶ――その頃によく申し上げた謎の不安感はですね、ほぼほぼ無くなりまして」

「良かったじゃあないですか」

「ええ。意味のある不安と、勝手に曲げて辛がる不安と、ちゃんと分けて考えることができるようになりました」

俺は二年以上くらいの期間、パニック症の予期不安特有の謎不安頻発で参っていた。特に、交通機関の移動が苦痛だった。

「そうですか。ニコニコ」

「ええ。今でしたらもう、そうですねえ、大阪あたりまで普通に行けそう。というか行きたい、くらいの感じでして。まあ、いきなり極端なのも――」

「へええ……!」と、主治医は雑談ベースの所作のまま。

「だから、前から行きたかった熱海。熱海ですよ。そのあたりの距離感から順を追って、なんて思いましてね」

「ふふん」と、笑む主治医。続けて。「名古屋なんていいんじゃないですか?」

「名古屋。いいですねえ」

「熱海も――新幹線で結構ここからは……」

「それがね、先生。赤羽駅から熱海まで電車1本で約1時間なんですよ」

「そうなんですか! いいじゃないですか」

「まあ、でも、言われた通りに、無理はしないようにと――」

「行ってきたらいいじゃないですか。熱海。休みを取って……!」

こんなさりげない一言を精神科医は決して軽々しくは口にしない。そういう立場であるはず。事実として、俺は辛がっていた期間に提案した「遠出克服」の尺度を伝えるも「いきなり無理は禁物」といった旨を強調されていた。しかし今日、初めて「行ってらっしゃい!」的なことを笑顔で言われた。

「――なんか、先生がそう言うと、そう言われるだけで、もっと回復した気になれます」

「ははは。じゃあ平吉さん、次なんですけど――」

過活動気味で休みや睡眠が足りていない事実。それを〝先月同様〟として俺は最初に伝えた。睡眠時間等も精緻に。だが先生は「平吉さんの場合はむしろその方がいいでしょう?」と、俺の生活指針――アクティブな方が気が冴える――について肩を持ち上げた。安心して薬局へ行った。いつもの薬剤師・Nさんと雑談を多めに。

「――で、お酒はどうですか?」

「いやあ、こないだ見てもらった血液検査の素晴らしい数値が物語ってますでしょ?」

「うふふ」

「誰かと呑む時は思い切りこう、いきますがね、日常ではちょっとですよ。ノーカウントくらいですよ」

「うふふ。〝機会飲酒〟の時は、というね」

「そんな仰々しい名前ついてるんですか?」

「あら。言わないかしら。うふふ」

「まあ言葉通りでしょうかね。医療従事者が仰るなら。それ、機会飲酒ですか? それ以外は実に大人しいもので、もうね――」

「うふふ」

スナックのママのようだ、と自動ドアを背にして呟き宅に戻る。

今日の仕事はもう区切った。やった。寝が足りない――寝よう。RMEオーディオインターフェース出音値「33」を確認した。

ソファに横臥。タオルケットを胴にあてる。『Selected Ambient Works Volume II』が空気を揺らす。意識が。

白地の空に緑が四角く。まだらに浮かんで固定はされず。次に黒、黒い四角が付着する。俺は主体を〝得ている〟。時間は離れる。俺が離れた。ふと、両腕を動かしては主体と確認。エイフェックスツインの出音が桃源で主体を分離させては溶解。均衡。美麗に歪んだシンセサイザーが限りなく透明に近い色を操作する。意識が。戻って刹那で紺の空。夜景だ。影の高層物件が蜃気楼の次に明確に境界線を揺らがす。黄色い点がある。大きな点だ。その景色は一瞬だが俺の記憶に定着した。イラストで今描ける。それほど――表? 裏拍だ。規則的な4拍。裏から入る? そっちが入り口か。和音ではない。ずっと桃源に色彩を滲ませていない。明確だ。表、表。裏から単音。ループするフレーズ。二度目は違う。一度目は整合。二度目は過不足。一音抜けている。それがループを紐と表象させない。点、点。音が明らかに歪んだ。出口だ。

とてもすっきりと、身体を起こす。熱海よりも名古屋よりも大阪よりも遠くに行って帰ってきた。俺は健康だなあ。

そう思い、小説原稿と向き合う。いい。とてもいい。少し――時間超過。それくらいでいい。精神科医のお墨付き。その黒色は、表象できない。言語だから。

もう、一ヶ月。翌月、先生は「もう、一ヶ月ですか」と言う。来月もきっと。その次は? 来てくれるならば言うのであろう。残り時間は?――そういうことを最近よく考える。

アンビエント音楽は時間を操作する。営みへの熱狂は時間を縮ませる。白衣は均衡を重視する。仕事部屋でそれらの構造化をはかる。そんなに簡単ではない。

――しかし、今日は何があった。と、問われれば俺は「上の通りです」と、音ではない言語で示す。色彩豊かな日を白衣が制御し、音楽が分離させ、それらを主体が。透明になるまでに、あとどれほどの色となるのかな。
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楽曲制作をした。アウトボード機材のツマミを一コマ単位、ミリ単位未満で捻った。海外級のLowの倍音が後ろから迫り来るような音像となった。ビリー・アイリッシュの楽曲「BIRDS OF A FEATHER」をリファレンスとした。遠くはない。だが、あと2枚くらいの皮が破れなかった。それは、まだ知り得ない技法と機材の差だと見なした。俺のMIXではここまでが限界値。つまり完成した。プラットフォームに音源を申請した。

――10年以上も楽曲を管理していただいているプラットフォーム・DOVA-SYNDROMEが法人としての運営を開始した。ユーザー歓喜。俺とかの所属作曲者、期待の念、膨張。国内最大級のプラットフォームの新体制事業展開。胸、踊る。

その旨のプレスリリース記事を読んでからしばらく様子を見ていた。記事には、具体的にどうしていくか、と明記してあった。様々な要素があった。

中でも、俺が個人的にセクシーだと思ったのが〝生成AI制作音源との差別化〟である。つまり、プラットフォームは、在籍作曲者に生成AI制作を許可していない。そして、これからもしないと強調していると俺は解釈した。

――現代では、気づかない程度に生成AI制作音源が氾濫している。実際に「それとわかっている前提」でリスニングをしたこともある。今の時点ですさまじいクオリティを吐き出す。きっと秒で。

それが増殖し続けては音楽業界ではたびたび議論を起こしている。ニュース記事でも散見。――いろんな意見がある。どれもそれぞれの思い。俺はそこについてはどうとも思っていない。

ただ、俺個人は、以前記したことである〝なんとなく鳴っていることが役割〟の音源については、AIがその制作役割を担う時代に向かう。そこに、逆説的に歯向かっても――AIをつくったのは人間――意味がないと思っている。そしてそういった時代はすぐ目の前。なんならもう。と。

――そこで今回の新体制事業展開。その指針のひとつ。ひとつというか最も重視している点。というようにも俺には読み取れた。〝人間の作曲者が制作している音楽以外は扱わない〟。セクシーだろそれ。

そういう時代が来る前から俺は生演奏制作にこだわってきた。打ち込みでやれば数時間で済むものを、「楽器が弾けるんだよ」という自負のもとの執念で、時間効率よりも生の色気とノイズを重視した。

その姿勢というのか、それは初志貫徹。さっき完成した音源の各トラックも、ビート以外は全部自分で演奏している。ギター・ベース・鍵盤はもちろん、神妙な顔をして深夜にタンバリンをマイク録音。そのくだりを開示し出したらキリがないほど。

――AIモデル「Gemini」に簡単なプロンプトを投げて〝小説の執筆〟を依頼する実験をした。秒でテキストが流れた。読んだ。すさまじく小説っぽかった。しかし畏怖しなかった。つまらかったからである。だが、良点は〝あまりにもよく書けた小説〟と思えたこと。能動としてそれを求めている読者は、それを好むのかもしれない。

――音楽制作のあとに小説を進めた。もちろんAIで書いていない。批評をもらう「編集者」として使うことはあるが、〝原則・本文執筆への立ち入り厳禁〟という指針を死守している。

死守。というのも、たまに「おい。その書き直し提案の方がそれっぽいじゃないか」と、本気で思える内容をたまに吐き出すからである。悪魔が差し出す契約書に押印するか。そんな風にも思えるのである。俺は、押さない。押す人は、リズムで押すかもしれない。それはどっちでもいいと思う。そういう時代の黎明期なのだと捉えているからである。俺は押していないだけである。

――初志貫徹でどこまで勝負になるか。小説は、首が曲がり切るくらいの高きハードルの公募にエントリー。楽曲は、公開先プラットフォームが世界展開まで本腰で視野に入れたことを声明。

つまり、本筋は〝AIとの距離感をどうとるかより、人間の創造性をどこまで広げられるか〟という点だと思考を整理した。だから今日は文字数が多い。疲れてきた。

嘘である。文章を書いていて俺は疲れを感じない。疲れているのだが脳内オピオイドが麻酔の役割を担う。自分の言っていることの意味がわかっているのだろうか。

脱線していることを自覚。と、12字で食い止めることが、わかっている証左ままならぬ。

――意地でも自分でギターを弾く。鍵盤を叩いては生身のグルーヴを録音する。なんなら、そのコード弾きのリズムの方に打ち込みドラムを合わせる。機械的トラックに準ずるのではなく、逆にする。アウトボード機材のツマミを一コマ単位、ミリ単位未満で捻る。その行為に何の意味があるんですか?――と問われれば、俺は本文をプリントアウトしてその方にそっと提出する。

――人間が営むことの最後に残る行為とは何だろうか。

「紀元前から現在の教育指針と倫理を鉄壁に兼ね備えたAI。こいつに子育ての大半は任せよう。されど、グレておかしなことにはならない」

俺に子供が居て、居たとして、そういうAIシステムが確立されているとしよう。そこで俺は嫁とその是非を話し合う。会話劇を割愛する。「だめでしょ」。

そういう結論に達することは、こと俺は明白だと思う。自分の子供だぞ? AIにメシの食い方やら挨拶の仕方を学ばせるか? 親って何だ? 俺は親の経験がないから知り得ないが、俺は親から鼻血が出るまで殴られたりPTSD誘発規模の暴言を吐き叩かれたりして、すくすくと育った。育ててもらった。今は、嘘ではなく、本当に親に感謝している。

――度が過ぎるとその教育のかたちは社会を歪ませかねない。それはわかっている。だが、何かをつくりあげる、育て上げることには〝歪みと揺らぎ〟が無いことには均一化、ないし、薄いレイヤー数枚のものに成り果てる。それだらけの世界。そんなのは嫌だ俺は。

――ショート動画を垂れ流した。その視点で観た。既に――。

俺は今のところ、AIを「ほぼ確定事項の確認」と「対話相手(壁打ち)」以外の使用をほぼしていない。だがしたこともある。イラスト生成とかそういうの。興奮した。

だが、その興奮は、その〝AI生成コンテンツ自体〟に対するものではなく、〝プロセスの変容〟であること。それに気づくのには少し時間がかかった。

人間が営むことの最後に残る行為とは何だろうか。いくつもの層を成す皮を一枚ずつ、剥いでも剥いでも、剥いでも、最後まで残ってしまう人間の匂いとは何だろうか。

――それを、各々で証明していこうという猛者が居る。無視する方も居る。気づかない方も居る。どれが良い、そうでない、という話ではない気がする。俺が今、何かを主張したいという訳ではない。今の精神活動を言語化しているだけである。

俺は、無臭の艶やかな透明感で笑うあまりにも絶対的な円を基軸とした雫に能動的興奮を晒したくはない。

人間が営むことの最後に残る行為とは、疑うこと。と、今日の時点では俺はそういう風にただ、勝手に感じている。それが無くなったら、主体が得られない。

――オルタナティブな死に方もきっとある。選ぶのは人それぞれ。ただ、倫理や価値が変容しても、人間が営むことの最後に残る行為だけは。それが無くなるとただ、ちょっと寂しいな。などと思った。
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銀座の男はストローで缶酒を呑んではギターを弾いていた。たのしそう。そう、率直に思った。ギター。それを弾く楽しさはよく知っている。そっちではない。ストローの方である。そっちの愉しさを俺は知り得ない。

――「迷ったら捨てろ。躊躇は命取りだ」。そう思い俺は去年、しこたま断捨離をした。大事な物があった。捨てることはないでしょ。そう甘んじた対象を吟味した。甘え? それは迷いであり断るべきである。と、雑に尖ってはその判定基準で捨てた。

家族にまつわる物。頂いた物。使用頻度を鑑みる音楽機材。元カノとの思い出。うわあ。――つまり徹底的に断捨離を執り行った。

それはキッチンにも及んだ。使い捨てのスプーンやら箸やらストローが、使いもしないのにぎっちり引き出しに詰まっていた。それら、全部その頃に捨てた。だからストローは宅に在り得ない。

だが俺は、銀座の男。その一等地で店を構えるその男の〝ストロー飲酒〟を今日、一緒に過ごしていた時間のなかではそれを見て――「実にうまそうなスタイルだな」と、焦がれた。

銀座から赤羽の宅に戻り、一通りのタスクをして酒。いこうと思った。ストロー。ストローだ。この契機でストローで缶酒を呑まずしてどこに涅槃があるか。などと、銀座の男は俺に示唆。

そのはずだと思い俺は――あるはずがない。様々な要素に及ぶ大断捨離により、使用機会不明瞭なストローなどもちろん殲滅済。あるはずがない。でもあって欲しい。だからキッチンの引き出しを引いた。

「ねえな」と、目視。しかし、「ひょっとして一本くらいは残って――」と、あたかも、完全に外れたリーチの目を見るパチンコ台を数分期待しては眺めるかの如し、かつての賭博者時代を彷彿とさせる「ひょっとして――」は奇跡を起こした。1本だけ、ストローがあった。

俺は嬉しみ缶酒を開けた。もちろんストローで呑む。

恐らくだが、俺にとってまあまあB級な初体験。だがA級の男はそれをうまそうに。体験は必要。そう思い俺はストローを「寶缶チューハイ」に挿れ、そっと口を当てがっては思った。

金属と空気を媒介しながら口を当てがう呑み方が恒常とするならば、それを接吻と例えよう。だが〝管〟を通したあまりにも直接的な、あまりにもあさましい欲求を官能的に直結することは静脈注射の冷たさに近しい。そして享受するのは倍数・倍音。逆説的にフィードバックの拒絶。環境の遮断。主成分があまりにも正直に俺と呼応する。

あさましいのは俺である。どうか許して欲しい。銀座の男。あなたは立派な人間です。小鳥を飼っては舞踏を鑑賞して微笑する生活のなか、拍手を受ける立場にある。それを模倣する愚かな俺にわずかながらの糸を垂らしてくれれば、俺はそこに見出す感情がある。光。

つまり、ストローで缶酒を呑むと酔いが回るその尺度。ファズ。歪曲の極み。そこまではいかないが、確かに足される時間軸と空気の遮断。その因果関係。それを今、証明しては気の毒なくらいあさましい文章となったことをどうか、許してくれれば俺は明日も、明日? 二日酔い確定であろう。

銀座の男はストローで缶酒を飲んではギターを弾いていた。彼は、それらを飼い慣らしていた。なお、呑んでいるのは二本目である。小鳥のさえずりが踊るようにタイピング音と、呼応する訳がないよね。
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ソファで12時間。だろうか。仕事部屋で沈む。まるで、まるでという前置きほど定型的なつまらなさは――とか思って振り返る。アルコール静脈注射という、例えではあるがそれに酷似した行為は12時間を底に沈めた。

つまり、今日俺は何をしていたのか、プリントアウトする用紙を順番に後ろに配る学生のムーブの如く、あんまし記憶に入れる必要を感じさせない。

覚えてはいるが、生産性はなかった。今日、俺は何もしていない。少し、死ぬ寸前の呼吸の乱にも少し、少し似たその執念が原稿の推敲に及んだ。だが、自覚があまりも明瞭なためプロットメモにその旨を端的に記しては壊さないことに努めた。

〝過活動〟の認識は個々で異なる。ともあれ、さいきんそれであったと個が認識。そんでストローで酒を、宅でゆっくり延々と呑んでは「おや、3時か」「うん6時か」「10時。そろそろ」「じゅるる」「12時を過ぎた。そろそろ」「じゅるるる」「3時か。さっきと一周か」「じゅるる」「6?」「じゅ」「21時の跨ぎ。うん」「じゅ」。

と、食事をとりに赤羽公園を跨ぐ。タンメン。その味、いつものではあるが帰宅して22時。追うようにスミノフという名のライトな酒を、じゅ。と。アル中のリハーサル。それはよくないね。と、今宵呑む酒を2本とする。

おや、叱られます。誰に? 俺に。違くて。今日のタスクメモには明瞭に「半休」と直筆。それにならうも何か、エロいことをずっと。まじでずっと考えていては身体はエロくはなかった。

そんなこと書いてお前な、「恥」って知ってるか? と、係りの者が真顔で迫る。俺は答える。「なんかね」と。そして係りの者は重ねる。「プリミティブを晒した?」と。俺は翻訳した。「プリ。それ、〝原始的〟で合ってるかな?」と。共々深く頷き生殖器は微妙。

要する、つまり、帰結、今日はまじでなんもしてない。それが気持ちよかった。隣の部屋の寝室が海外のように思える日。
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“第42回太宰治賞一次選考通過作品を筑摩書房ホームページにて発表いたしましたので、お知らせいたします。下記のURLをクリックすると、詳細をご覧いただけます。――”

という旨のメールが来ていた。来てしまっていた。俺はそのURLの文字列を直視しては明らかに鼓動が高まっていることを自覚した。

メールは「結果が出てますよ」という内容であり、「あなたは通過しましたよ」という内容ではない。だから――ひとつルーティーンをこなした後、躊躇と飛び降りを足したような心境で筑摩書房ホームページへ行った。

“第42回太宰治賞 一次選考通過作品発表”

という見出しがあった。本文には。

“第42回太宰治賞 一次選考通過作品(全140篇) 第42回太宰治賞は、2025年12月10日に締切りました。作品の応募総数は1890篇でした。筑摩書房の社内で選考を進めた結果、140篇が一次選考通過作品に決まりました。”

と、明記されておりその直下に、“通過作品一覧はこちらをご覧ください。”と、クリックすればページが遷移する行があった。そこは――躊躇せずに押した。pdfフォーマットのページに飛んだ。全5ページ。

そこには〝タイトル・著者名(出身地・年齢)〟という並びで、上から下まで一行ずつ、一次選考通過の旨が記されていた。順に、確認した。鼓動の高鳴りがぶりかえしては止まらなかった。

ファーストビューで既視感のある文字を確認した。半ページほど。パッと見、俺のは無かった。1ページを全て確認。2ページ目に。そこにも無かった。――不思議なもので、俺の実名よりも『タイトル』があるかどうかに視点が集中していた。3ページ目に進み、目を通し切った。戦慄した。「あと2ページしかない」と。「その残りの確認で、俺のが無ければ、それは落選を意味する」と、一覧の半分を過ぎた時に恐怖をおぼえた。本当に怖かった。一気に、そのまま最後のページまで確認をした。『タイトル』平吉賢治(45)。という記述は無かった。やや左を見て――「嘘だろ」と、思った。当然のように「ひょっとして……」という無駄に近い二度目の確認を。もちろんそこには。

〝突破率「7.4%」〟というすさまじく高きハードル。その向こうに行きたかった。だが、俺が全身全霊込めて書いた初作品は残りの「92.6%」に充当。というのだろうか。言い方がわからない。とにかく、至らなかった。悔しさという感情がすぐに出なかった。「嘘だろ」という気持ちで仮眠をとった。仕事をしっかりした疲れもあった。

「この人しかいない」という激情を告白をしたが一瞥もされずにその理由すら言ってくれない玉砕とはこういう気持ちであろうか。

俺は作品に自信があった。だから、事前に知っていた「約1割以下しか、最初のハードルは越えられない」ことを数字としか思っていなかった。だがそれは冷徹だった。事実を受け止めた。

――初作品は、昨年夏に、『文芸社 × 毎日新聞社』の公募で一度死んだ。その時は、入賞者発表の二、三ヶ月後くらいに「文庫から自費出版するスタイルの新たなレーベル」という文芸社のアプローチの声がかかった。電話でその旨を色々聞いた。

俺の作品について、営業文句だと、きっとそうだろとは思いつつもさりげなく「わりと良い」的なことをまあまあ具体的に企画営業部の方が仰った。俺は聞いた。「応募者全体に対して、どのくらいの割合でこのような話を?」と、営業を持ちかけるその頻度を聞いた。すると「全体の2割いかないくらいじゃないですかね?」とのことだった。記憶があいまいだが、「1割」と言っていた気もする――。

つまり、落選ではあったが「明らかに相手にされない」というものではないことを一次情報として得た。だから、それもあり、今回の『太宰治賞』の一次選考のすさまじく狭い門は、最初のハードルは、越えられる自信があった。だが即死だった。二度死んだ。初作品は二度死んだ。

――〝落選作品を何度も別の公募にエントリーすること〟。これは俺は最初勝手に禁じ手だとおもっていたが逆。むしろ何度も同作品を別の公募に(タイミングは絶対被らぬよう)することは正攻法だと知った。しかし――俺の初作品については今回で一度、凍結させることにした。

改稿する余地がもう無い。というくらい完成度を高めたというか完成していること。じゃあ、別の公募に出せば?――というのが正攻法。いや、俺が今進めている第二作目、あるいはそれ以降の作品でデビューを得て、その後に「処女作こんなんありまして」と、出版社、編集者と直接話ができる状態になってから企画を持ち込む。そういう〝弾〟として、解凍の機会まで凍結する。そう決めた。

第二作目は、初作品よりも自信がある。死んだ直後に強気なことを言っているが、本当にそう信じている。勝手に一人相撲になってない?――そうかもね。ただ俺は思ったんだよ。〝『太宰治賞』という競技で勝てなかった〟という捉え方があるよって。フルスイングしたけどね。当たらなかった。じゃあ別の場所でまた振る。などと。

それくらい、落選はしたが初作品の完成度と内容――かなり尖ったことを書いた――は変わらないと。そして俺はそれをイジりたくないと。イジる時が来るとしたら、生身の編集者が企画を聞いてくれて指摘を受けたその時からであると。

――結果を知って、有頂天になって今進めている原稿になることを懸念していた。絶望して手がつけられないことを危惧していた。どちらでもなかった。

今日も、第二作目の推敲を進めた。佳境の部分だった。イジるところがほぼ無かった。俺は読者になっていた。本作は今月末締め切りの『文藝賞』にエントリーする。これも有名な公募である。

じゃあその後、来月からどうする?――第三作目のプロットが既にある。それをなんなら今の時点で書きたくて仕方がない。その熱が満ちる。今日知った結果がどうであろうが、進んで書く――仮眠をした数十分でそのように思考がまとまった。なんか、速かった。

一通りの営みを経て深夜、ミネラルウォーターを買いに外に出た。青黒い空だった。20代の頃に嗅いだような青い匂いが心地良くも精神活動を反転させるようだった。位相はそのままだった。気持ち良い匂いだった。
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結果がどうあれ心境がどうあれ普通に過ぎていく。そうするつもりであり、そうなった。今日あたり、いつものように仕事をして、小説を進めた。

そこに暴走とも亀裂ともなる感情は、僅かはあるかな。というのが正直なところ。全くもって制御範囲内かどうか、冷静度レベルを〝危険度マキシマムレベル「10」〟の数値で計測すると「1」いくかな、程度。

そのように冷静に進めては、第二作品の原稿の第六稿の推敲を終えた。なんならこれが最終稿でも――という仕上がりであり、現時点で俺は大きく満足、これほど書けるのか。

――面白いと、思う。と、俺は、思うがそれを決めるのは俺ではない。ということを昨日も知った。

“2025/06/02。着想。書き出しを執筆。翌日、書き出しを読んだら面白いと判断できたので連日執筆へ向かう。”

と、プロットの【進行】の部分の最初に書いてあった。そんな昔なんだ。と率直に思った。

“2026/03/11。深夜。第六稿の推敲完了。135,264文字。40字×30行原稿用紙181枚。大幅カットなしで300文字ほど削って磨く。”

と、プロットの【進行】の部分の最下段にそう書いた。初稿の時は180,518文字というすさまじいボリュームだったが、公募規定に則るために圧縮させた。よく出来たなあ、と率直に思った。

しかし、結果的にはその方が明らかに良いと判断。それだけ〝贅〟が多かったことに気づき、それと対峙し――規定文字数(400文字詰め原稿用紙換算400文字以内)に収めた。よく出来たなあ、と。

だが、よく出来たなあ、ということをどう判断するのかはやはり俺ではない。連呼すると怨念のように思えてくるがそうではない。昨日の結果について俺は「そういうものだ」と捉えている。

そうだったが、自分の初作品があまりにも酷かったからその結果となったとは、捉えない。いつか〝現場〟に立った時に直接渡す原稿として弾倉に。そこで凍結させておく。

そんなに作家になりたいんですね?――そうですよ。そうでもなければこんな執念にも似た日々の原稿用紙との対峙、できない。と断じる。――何かを目指す人はそれくらい当たり前にやってるよ? そう。俺もそう思う。だからやったしやっているし明日もやる。だが「結果」というのがなかなかね。

――同じことやり続けて別の結果が出ることを期待するの? それね。誰かは〝狂気〟って言ってたってね。ただ、その「やり続けて」にはレイヤーがあるんだ。――いくつあるの?

知らねえよ。ただ、〝同じ〟原稿でもう一回。というレイヤーではないところで俺は今日やっていた。――つまり、別のを書いてはそれを繰り返して? そうだよ。何かおかしいかな?――そもそもお前の作品はつまらないのでは?――しつこいね今日は。

他にやることあるだろう?――それもやってるよ。――人生のリソースを毎日2時間ずつくらいだっけ? それを積み重ねるとかなりの――損失にしないために、むしろ投資。例えるならそうだけど。――結果が出なかったら〝損得〟ではなく〝ゼロ〟だよ?

今日は係りの者がしつこい。ゼロだよね。わかる。ただ、これまで知らなかった新しいゼロとの対峙というのも、また、新しい景色を見る視点が生まれるのではないかと俺は弁明したい。

――舞台は東京都新宿区。歌舞伎町の描写もたびたび出てくる。第二作目。俺は今日ふと、歌舞伎町の雀荘のレートが、現在はどうなっているかをネットで何となく無意味に調べた。すると、香ばしさを増しているという情報を得た。

その瞬間に、禁じている賭博欲がおぞましいほどに一瞬で蘇ってはその、抗うには相当な精神力を要するであろう深色の希求を明らかに自覚した。ふてくされ、過去の愚行に逃避する。そこでの享受は代替的。だが必ず得られる愉悦の時間。その底から戻っては、今は全く異なることを。全く異なる営みを。しかし刹那で崩れるスリップ。スリップと、言う。依存症界隈の用語である。スリップとは、〝長期に渡って止めていた対象に再び手を出してはまた底に〟という現象の発砲の瞬間。俺はそれを死ぬほど学んだ。体でも、学識としても、経済状態を犠牲にしても。そんで、そのへんの感覚、行って戻ってきた感覚、それはあまりに非日常につき、作品の水面の下からわからないよう波紋を広げ、その色をアナログな広がりとして表現した。つまり地獄をポップに描いた部分もある。だから――そこにまたリアルで行ってどうする。

などと、歌舞伎町レートは「今はそうなんだ」くらいに思って心的脂汗を拭っい、その回顧と現実化寸前の心象を、無かったことにした。

文章を書いていてわかる。やはり怨念のようなやつが俺に生じている。だがそれをそのまま出したりはしない。

作品で、華やかなる原色が混じりあってはそれ、何色だよ? という「何だこれは?」というものを創作している。それが、そうであるかを決めるのは――俺はそう思えるが――俺ではない。このあたりのリフレインがやはり昨日知ったことを引きずっている。言語化して、後は奥にしまって糧とする。

作家という立場に必要な要素がどれだけあるのか俺はまだ知り得ない。だが、上のような心境がありつつも、今日、第六稿を完成させた。その事実。水面下にはそういう気分もあったよと書いたら、思いのほか長え。――要は悔しいんでしょ? うるせえ。

――係りの者は俯瞰して俺を整理する。だが時にこう、適度に頭に来る態度をとる。適切な奴だな。などと思う。
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ふと鍵盤を弾きたくなり叩く。だいぶ叩いていない。文字を原稿用紙に叩く。そっちのキーボードばかり叩いていた。――シンセサイザーに電気を通してしばらく、既存の曲を叩いた。

弾けるかな、覚えているかな――西川口で黒服のような格好でカフェで叩いていた頃。毎日のように叩いていた。店にあるピアノをいつも弾いた。暇つぶしになった。そのうちマスターは「弾けよ弾けよ弾きなよケンジ君」。と、甥である俺を楽器のように誘った。そんで500回くらい「イマジン」を弾かされた。叔父が死んだ。その日、カフェで俺は「イマジン」を弾いた。そばに居た女性店員は「泣いちゃいそう」と、言っていた。俺には何を言ってるのかよくわからず、ほとんどの音符が白鍵で成り立つその曲を弾いていた。

――自宅で鍵盤を叩いた。ジョン・レノンではなくレディオヘッドを弾いた。弾けた。「Everything in Its Right Place」という曲が好きだからずっと弾いていた。指が記憶していたので昨日弾いていたかのように演奏できた。〝全てはあるべき場所にある〟と和訳できるタイトル名。――〝全ては偶然。そして必然。その後に――〟という叔父の口癖があった。それを生前に500回は聞いた。なんか似ているなと今、思った。

しばらくしてDAWにスケッチをした。何も考えずにトラックを重ねた。すると不思議なモチーフが浮き彫りとなった。アンビエント。ハウス。オルタナティブロック。巡回コード。サンプリング環境音。それらが混じって統合されかけた。数十分でそれは均衡を保とうと息吹いた。そんな気がしたので保存し、後にこれを進めよう、音楽にしようと思い、DAWを閉じた。

日記を書こうとした。何一つ書くことが思い浮かばず2分くらい白い画面を眺めていた。――白いやつ。ほぼそれだけでも成立する。それを俺は500回は弾いた。42歳の頃だった。

――何もなくても偶然触れた音が必然的に楽曲の芽になる。何も書くことが。と、思うその精神活動。それをそのまま文字にすると、文章になった。まじで何も考えずにここに書く。

〝考えることは疑うことができる。しかし、思うことは疑うことができない〟というような感じのことを本で読んだ。

――ここで少し考えた、記憶を意図的に引き出した、という事実がある。それまでは意図的ではなくそのまま、まるで白鍵だけ叩いていれば調はずれない。そのまま書いていた。つまり思うことというのが疑えない心象であるとよくわかった。

そのあとに考えて書いていった。死んだ?――愛する人の最期はきちんと表現すべきである。亡くなった。と。弾かされた?――最高の交流だったんだよ。家族との。何を言ってるのかわからない?――故人を偲ぶ当日において必然の感情だろうも。

ただ、俺はその当時、本当にそう思っていた。疑えないらしい。どうしてそんなに白い感情だったかというと、それほど、悲しみを凌駕した心持ちだったからじゃないかな。久しぶりに鍵盤を叩くと、そういう感情が偶然出てきた。必然、なのだろうか。

〝全ては偶然。そして必然。その後に――〟その後に、なんだっけ。なんだったっけ叔父さん。500回は聞いたのに覚えてないんだ。

それはきっと、疑うことができない領域まで落とし込まれて考えられないようになったのかな。だとしたら、永遠にその記憶は固定され、白鍵の音色と共にあるべき場所で安らかに。そう、思っている。
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自然と腹式呼吸に。よくわかった。腰から首にかけて、最低限度のBPMで空気が入れ替わる。四肢が駆動を止めている。音響は1994年のアンビエント音楽。今日は普段の仕事をして、原稿を寝かせて俺も寝た。

二時間すると、恐らく原始的な欲求所以で身体を起こした。たったの数歩進んでキッチンで水を飲む。行き渡る。左肩に鈍痛。報いだなと暗に思った。このところ散歩すらロクにせず、交感神経95%副交感神経5%ほどの割合で机で固まる時間が多い。

アイコスを吸おうと手にしたそれは、ふと裸で転がしていた単三乾電池だった。「いかん」と、俺は思い報いだな。報い? 良かれと思って。誰に? もはやわからなくなってきているがつまり実にメリハリのある過ごし方で今に至った。

――昨日、脳死状態でここに文章を書いていて思った。その文章をAIに投じて壁打ちしていて思った。西川口の『珈琲専門店アルマンド』での約八ヶ月の営み。それはドラマだった。それをモチーフにして小説が書けるじゃないか。と。だから軽くプロットを作った。

中編にもってこいのサイズ感。あの頃の、心を持ち崩した状態で癒されていたあの空間。昭和の時代が固定されたあの空間。〝昭和レトロ〟という月並みの語彙では処理できない奇跡的なあの空間。俺は、店の一部だった。その一連の時間は物語として成立する。そう思った。

そこには家族愛があった。経営難という課題があった。店員たちの政治があった。交流という社会があった。安堵も平穏も苦痛も揃っていた。未来展望を俺は描いていた。だが頓挫した。それはあまりにも急だった。しかし、それまでの時間には象徴的な出来事がたくさんあった。

――「ミューズはいいよお〜」と、マスターは晩年繰り返し言った。そして俺は何度もピアノでMUSEの楽曲「Exogenesis: Symphony, Part 3: Redemption」を弾いた。それはお客さんからのリクエストだった。

「――ケンジさん、今度はこれを弾いてほしいです」と、常連の女性がアイフォーンの画面をかざした。

「MUSEですか。名前くらいは知っていますね。UKロックの――」と、知識だけ述べた。だが腹では「ピアノ一本でMUSE弾けって無茶だ」と、眉に力を入れた。アイフォーンは音を出した。

クラシカルなピアノの導入。組曲のような展開。シンフォニックなアンサンブル。――2分くらいしてようやくボーカルが入る。トム・ヨークに似た声だった。俺は聴きながらアナライズ脳をはたらかせた。「クラシックみたいだが、わりとコードとして捉えられる」と。

「――いいですよ。今度いらっしゃる時には演奏しますよ」と、俺は引き受けた。俺は音楽業もやっている。金を請求してもいい場面。だが、そのような気配を全く思考にも出さずに無邪気に笑む女性を見て同様に俺も、そういった気は起きなかった。

帰宅して、ネットでコードを公開しているサイトを探した。有名な曲なら当然あるだろうと。無かった。え。じゃあ耳コピしろと。めんどくせ。とは思わなかった。俺は店の一部だ。オーダーに黙って応えるべきである。そうして楽譜にコード譜を作ろうと思った。

しかしやはり楽曲の性質上、音符を正確に書く必要があった。えらいことだ。と、思いつつも8/12拍子というポピュラー音楽ではまず無いその楽曲の楽譜を鉛筆で全て書いた。手こずった。演奏自体は――難しくはないかな。しかし俺は鍵盤演奏は専攻ではない。作曲時にコード弾きをメインに、というくらいの演奏力。だから――いい練習になる。という風に捉えた。

――後日にそのお客さんが来店。俺はMUSEを弾いた。お客さんはアイフォーンで動画を回していた様子。その顔を見るまでに相当な時間をかけた。だが、俺は店の一部として機能した。それでいいと思った。

女性客はチップを差し出した。「ああ」とか俺は驚きながらマスターの許可を得て懐にそいつをねじ込んだ。金、こうやってついてくるものか。と、ひとつ学んだ。

それから何度かMUSEを弾いては――「ミューズはいいよお〜」などと、人の労力を1ミリも憶測すらしない表情でマスターは82歳の老顔をほころばせた。まあ、嬉しいならいいか。つか82歳の感性にも刺さるのね。MUSE。と、俺はその事実を得たことがけっこうな収穫だったりした。

――卓越した店の美貌から映画のロケが何度も入った。俺は、その中のひとつ『尾かしら付き。』という映画で銀幕デビューをした。発端はやはりピアノ。ロケハン前にお忍びで来ていたた監督が――「あのピアノを弾いている男、そのままの雰囲気で使いたい」と、収録後に回顧したことを口頭で確認した。エキストラとはいえ前もって言って欲しかった――どれだけ俺が緊張したか。――というように、エピソードが山のようにある。

それを、本文以上に静かな文体で小説とする。それは健やかな営みであると同時に、俺の小説作品の第四作目――第三作目のプロットは既にある――として熱狂の役割を担う。そのように思った。

――腹式呼吸の長い仮眠から起きて、最低限度のBPMで、その発想が固まった。今日はそういう日。着手中の原稿は寝かせ、未来の原稿のプロットに呼吸器官を施す。

閾下で進める創作は、それが意図的なものではないながらも必然の証明なのではないのかなと、肚で感じた。
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一回くたばろうと思い臥床。ソファ。仕事部屋。無意識の情報整理が始まった。乱数に成れ果てた知覚の無数が脳で頑張っている。

――そう、身体から精神活動へと逆流するように捉えた。それは、停止と覚醒の狭間で行われる。イラスト、言語、それぞれで共有できる程に、それを感じた。

今日は、真面目に仕事を、今日だってしていた。明日は拘束時間が無い。だから部屋で呑み散らかそうと缶酒を多めに買ってきた。鰹のタタキだってある。

――非日常レイヤーの快楽はもう酒しか認めていない。他にもあるのは知っている。過去に強烈に体験した。非合法ギリギリなのが丁度良い。しかし、そのレイヤーに行くと主体が崩れる。だからと良かれと。

――フェンダー・ローズピアノの音色で鍵盤を叩く。覚醒が袖を引っ張りDAWの作業。昨日スケッチした不思議な楽曲の制作を進めた。テイストはどんなのか、既述の四段落できっと名言している気がする。

四つ打ちキック、低音の主役がピントを確かめる。どのテンポが相応かと。時計。BPM60。その倍。120。それくらいちょい、だと人間は踊り出す。経験則で音楽を作っている――どうでもいいな。俺はあさましいのだろうか。

などと最近、たまに思っている。だから、経験則稀釈と言える文学に力を入れる。だがそれは原稿寝かせ期間。とはいえ――酒を呑もう! 気絶して雀の鳴き声を聴いては扁桃体が舞踏を初めて機嫌よろしくまた缶酒を啜りまた気絶。死ぬ、まであるからそれは不本意でしょうにほどほどに。

――一日の情報って過多と、はっきり思う。たった一日の情報が寝ても捌ききれずにそのまま作業。整理は音像にと思い込んでは「確かにさっきの乱数に成れ果てた知覚の無数が音に――」などと信じるくらい良いのではないだろうか。

実際、音楽でも文章でも、ある種の〝狭間〟でシャッターを連打する感覚がないと、出来上がらない。という風に思った。寝て起きる寸前に。

そして現像する。酷いものである。小瓶に乱筆でラベリングされたそれらを理性で分別する。地獄のような作業。それがすさまじく面白い。しかし、思いのほかその顛末の結晶は見向きもされないどころか「犯罪者」くらいに扱われると、係りの者に聞いた。

――「誤解です」。――そうですか。ではなぜ人間は犯罪を時に犯すのでしょうか?――「分別を面倒くさがった顛末。顛末と、お前の言葉で言えばわかるかな?」――わかった。俺は今日〝分類〟した。――「分別ではなく。か。」――なめてるな?。

〝分別〟は二元論。〝分類〟には〝余地〟がある。そう思っている。それを人間は同時に考える。いや、前者においては考えなくてもできる。俺はそれが――ひどいなあ。と思う。

今日はアンビエントハウスに類される楽曲を進めては輪郭をつくった。つくると、分類さる。パンクスはアンビエントハウスを積極的には聴かないだろうか。――だから分別というのは冷たい。

鰹のタタキは、ほぼ等間隔に切断されては切り身。それが光って見えた。食指を動かされた俺は、鰹のブロックではない、後で等間隔にもふぞろいにもできるそれを選択肢なかった。だから本文は全て、矛盾している。だが分類されている。そこには〝整理〟が付きもの。――「じゃあ整理してよ」――うん。一回くたばってからじゃないと整理は無理。

「気づいたの?」――え。合ってるの?――「その問いが、君を動かしてるの?」――お前ほんとに最近しつこいな。――〝主体〟の統合に関わるからね。――それは〝分別〟では?
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何もしてねえどころかタイピング。おぼつかかかか。本気で何もしてねえ一日。

連続飲酒。やってみた。いけないよう。でもセックスより気持ちいい。もう一回言う。タイピング。ギ。グが、あさましいい。

真剣に記す。今日。連続飲酒状態にあった。――はたらくねえ。とか聞こえた。だから言った。「はたらくとは?」と。

すんげえだるい。本音である。まじで手元を見ながら文字を打つ体たらく。そんな日もあるよね。そんな日を愛してるよね。よせばいいのに。
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身体を着ているかの重みを背負って西に行く。昨日は連続飲酒状態にあった。それは、厳密に言うと睡眠以外の時間全て、酒を手にしている状態。――起床しては全ての動作が一苦労であり、鏡を見ると気の毒なニュアンスがそこにあった。

――西へ、西へ、公園を跨ぐ。好きな公園だ。推しの大木がある。だが、いつもの悦びは半分しか顔を出さず、大木に触れずに西へ、西へ歩いた。

大きな館が左にあった。創価学会城北池田記念講堂。と、大きな文字を掲げていた。ここで何が行なわれているのか興味がある。しかし、近所であるこの館において人が出入りする場面を一度も目にしたことがない。「機能しているのだろうか?」と、通る時に必ず思う。今日は、「とても綺麗な入り口だ」と、今となっては濃度の高い感想が漏れた。まだ、西へ進んだ。公園がまた、あった。

全ての遊具が機能していると全く思えない。廃墟に近しいその雰囲気は――ようやく俺の心象と呼応。そういうのがあった。そうだ。今日はこういう気分だ。と、中央隅にある象徴的な遊具を見た。燻んだ原色いくつかで塗られていたその城を模した滑り台。ふもとまで行った。傾斜75度ほどの急な入り口から上へ登れる模様。普段なら確実に昇降し、その城の上から景色と厭世観を味わう。だが、その覇気が今日は生じずに城に触れもせずに西へ。

駅が近かった。

JR東十条駅からまた戻ってくる。散歩にはふさわしい距離感。だが、身体が重いので電車で帰宅する。抗いようのないその意思は昨日の過ごし方が原因。ちょっとやってみるか――程度の乗りでするものではない。連続飲酒。

――アルコール依存症はこれを毎日するだって?――そう。――耐えられないでしょうも。――だからずっと呑む訳で。――鉛のような気持ちを酒で上書きするだって?――そう。――そこに何の意味が?――やってみてどうだった?――その時は上機嫌。翌日地獄。――正確だね。でも地獄を回避するために呑む。どうしてそれをしなかったの?――仕事とか創作とか、やれなくなるじゃん?――そっちのほうが大事で、呑まれなかった訳だね。――どっちも大事だけど。――飼い慣らせた?――連続飲酒は難しいと思ったよ。

――時間があった。だから、小説原稿を進めた。数日寝かせて第七稿。これを冒頭から。すると、一気に本稿の1 / 3を進めて驚いた。本稿は135,000文字ほどの長編。その1 / 3ということは単純に約45,000文字を推敲したことになるからである。身体を着ている感覚が消えた。活き活きとした。作品が面白くて長時間一気にそれができた。とても嬉しかった。

だがそれをそう見なすのは俺ではない。読者。公募先。それぞれである。だが勝負作――これを応募して次の三作目を早く書きたい。プロットと原文のサンプリングが10節もある。去年の12月1日からクリスマスまで、この場所に初稿の断片を執拗に書いていたことに気が付いた。だから、そこからサンプリングをして一編の中編とする。そういう絵図がもうある。それもまた公募に出す。その次のアイディアも。

――二日前まで、一週間ほど超過活動だった。それもあり、その連続活動期間の最終日に、「いつもより多めに酒を呑みたい」という衝動があった。0時に呑み始めた。そこから、仕事部屋で呑み、寝て、外に出て、呑んで、戻って、呑んで、タスクはせずにAIと壁打ちしたりスマートフォンにずっと喋っていたりと、弧を描くような時間の使い方をしては今日、その反動はなかなかなものだった。

鏡を見てそこに居た気の毒な顔の奴。その状態で人生を使うのはあまりにも勿体ないと断じた。〝試しに――〟くらいの気持ちで実施した連続飲酒体験。単日ちょい、といったところだが二度とやらないと思った。

文章で思考と精神活動と景色と触覚を制御する。それをずっとやっていきたい。と、決めた。その際に連続飲酒であることは危険を伴う。だが、それでもする猛者も居る。だが、俺は、ウィリアムバロウズや中島らもにはなれない。そう体現した。発見はあった。だが――。

――どうだったのつまり?――俺には、理性と君な。係りの者よ。それらがあるから呑まないで書いた方がいい。――僕を巻き込むの?――いや、勝手に来るじゃんよこうやって。――いつから、僕が君の中に居るって気づいてくれたの?

知り得ないことに対して沈黙する態度を俺は、とらない。
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心臓の少し右の位置から「ど」という聴こえない音が付随して物理的に前に出た。

仕事で疲れてソファで寝ていた。アンビエントを大音量で聴いていた。右横に傾斜するその角度で横臥していた。すると少し、身体が前に出る現象が起きた。

俺が前に少し出れば、当然そのレスポンスとしてソファが少し揺れるなりする。「ガタ」とか音も出るだろう。だが、全てが停止したまま俺だけが少し前に移動した。

――すさまじく地味な現象だが物理的に説明がつかない。と、思うが現にそういった感覚が確実にあったことを誰にも証明できない。

ただ、寝ている場合じゃないな。と、その架空の慟哭に似た現象が机へと向かわせるストレートな動機となった。俺はエイフェクス・ツインのサウンドを停止させた。

長編の推敲を重ねることは労する。というのが一般的だろうか。でも何故かわからないが昨日は大量に推敲し、苦痛は皆無だった。

今日は――ほどほどにしておこう。と、スケジュールも鑑みてゆっくり読み進めていたら、やはり大量に推敲した。何なら明日明後日で第七稿が仕上がる。着手は昨日。つまり4日で長編の推敲完了。そんなことあるか。

ほぼ、出来ていて、俺は読者目線でいわゆる〝一気読み〟に近しいスタンスにあるのだろう。と、俯瞰した。計算した。

昨日は二時間程度で45,000文字を推敲。今日はそれよりもやや少なめ。やはり二時間。ということは、第二作目の原稿を一気読みして通読するには約八時間。それは長いのだろうか? そうでないのか。そもそも俺は小説を一気読みしたことがない――ビジネス書とかは立ち読みで通読することもよくある――立ち読みはよくない。でも、ちゃんと近頃は新書購入の習慣があると弁明。

かなり冷静に推敲しているつもりだが、手前が引きずり込まれている。そう善処していいんじゃないかな。そう思い、プロットのメモ書きにその旨を記して今日は原稿を閉じた。

――自分が創作するものってね、かわいいのよ。――知っているつもりだよ。最高傑作とか思って出した楽曲がスベる。その体験は何度もある。――小説もそうなんじゃない?――だろうね。初作品がそうだった。――即死、痛くないの?――死んだら痛いも何もない。――〝痛い〟って本人が言っても言わなくても、その「程度」は確実に他者には伝わらないよ?――それで?

〝つまりこういうことだよ。僕が言いたいのは、自分が感じていること――君みたいに言おうか?〝主体〟が感じていることを〝客体〟に同等の感覚で伝えること。共有すること、それは無理難題に近いんだ。だからみんな、文字を使ったり機械を使ったり表情を使ったり声にしたり――必死なんだ。でも君の必死さは時に滑稽だよね。気づいている?〟

お前から「気づいている?」とか言われると気づいていないんでしょうも。――“道化の知覚”って表現、小説で書いてたね。そこは面白かったよ。君を言い得ている。あと太宰治のパクリみたいでそれこそ――。言い返せないよ。確かに“道化”に関してはまじでそう。いや。パクりではない。だから“知覚”という学術的な表現を足してだな。――何でそんなこと書いたの?

粘着質だねお前は今日。主人公を三人称の俺から捉えたらそう表現したくなったんだよ。――君は〝主体〟だろ?――うん。一人称は俺だよ。――僕は?――係りの者やで。――じゃあ〝三人称〟は誰なの?――原稿を吟味して主人公を客観視する俺だよ。――じゃあ一人称じゃないの?――よくぞ言った。え?――それが道化。の、知覚。なんですわ。――〝心臓の少し右の位置から〟前に進ませた謎現象は、その知覚とやらなの?――知らねえよ馬鹿提灯が。――こわいこわい。――道化ってね。――うん。――「耐えられないことを何とかしようとして、それでも必死な奴」のことを言うんじゃないかな?――じゃあ滑稽ということだね!――そうなの?――僕からしたらね。

とのことである。

つまり、謎の慟哭現象は係りの者からのエールであったと俺は捉えた。

俺は昨年頭から長期に渡って滑稽なことに必死なのであろうか。だが、それを少しでもサボろうともとれるムーブをとると変な起こし方をしてくる者が居る。

――そいつはいつだって昼間は寝ている。深夜にならないと俺には知覚できない。ただ、そいつはいつだって――人称の交通整理に凄く真面目な奴である。
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夢を追うより先に現実をみたほうがいい。と、敏腕経営者が言った。その一言を受け、思考が渋滞した。あらゆる情報が交差しては放射線状に散り、戻り、包括したまとまりとはならず、寝た。

仕事部屋のソファでアンビエントを楽曲制作時の音量で流す。意識が放射する。思考がしぼんでくる。

子供は、現実より先に夢を追う。きっとそのほうがいい。大人は、色々ある。子供から時間軸を重ね、コーティングされて行き、様々な課題が肩をぶつけてくる。躱す。通過。ぶつかる。謝る。あるいは激怒。喧嘩。肩がぶつかっただけじゃねえか。うるせえこの野郎。頓挫。何も決まらず。また肩がぶつかる。誰かとすれ違う時に肩がぶつかる。「あ、すんません」と、互いに紳士な態度。通過。クリアか。よし。もうぶつからないぞ。うお、突っ込んで来やがった。結婚? まだ早いんじゃ――死ね? そうですか。別れましょう。あ、躱してしまった。頓挫。肩どころじゃねえな。突っ込んでも来てねえな。うん? 今度は後ろからきやがった。介護? 知らねえよ。まともなネコのように人知れず死ね。――それで君はいいのかな?――だめっぽいよね。だよね。そうだよね。背負ってみる。クソ重い。立てない。立てるまで……よし終わった。さあ、再び夢をみよう。「先に現実をみたほうがいい」。そうですか。正論過ぎてびっくりした。

現実か、夢か、先にどちらをみるべきか。それは文脈によって異なる。だが、言葉だけそのまま、運動させずに、その場所で機能させずに、言葉だけそのままとると、一方的にぶつかってくる肩よりも匿名性を孕む。

――アンビエント音楽を止めて机に向かった。原稿を開いた。ひじょうにフラットな気持ちで、整理された思考でそれに向かった。信じがたい速度で推敲が進んだ。どう見積もっても明日、第七稿が完成する。そして二、三日寝かせて最終稿を完成させ、目標・目的、順序的にその先にある夢に向かおうとずっと思っている。

原稿の内容は、七回目の推敲にも関わらず没頭して読める。という個人的感覚という事実。だから――と、やはり思う。――評価されなかったら?――実に困るねえ。――現実をみるのが先だった?――いくつかみてきたつもりだけどねえ。躱したり馬鹿野郎この野郎言ってた現実もあるけど向き合ったのも若干は――その間、夢は叶えたの?――実はね、叶えたのもなんぼかはあるんだよ。――じゃあ合間かなあ。現実をみたら?――仕事ちゃんとしてるよ。――他にもあるでしょ?――あるね。ただ今はどうしても文学という世界に向かって原稿を――評価されなかったら?

――今日。発注していたフランツ・カフカさんという作家の著書が届いた。何故この作家の作品に辿り着いたかと言うとAI。たびたび俺の筆致がその彼との類似点を挙げるから興味を持った。

フランツ・カフカさんは、生前ほぼほぼ評価されなかった人物らしい。しかし没後に――。

――とうとう選書をAI任せにしたの? 君の意思はどこいったの?――いや真っ当でしょ。むしろ現代では。――「自分で考えて探して辿り着いた作品にこそ価値がある」みたいなこと内心豪語してなかった?――それはそれ。その作品は、自分の意思のみで辿り着いたのはウィトゲンシュタインさんの遺稿と言われてる著書。――そこに書いてなかった?――七割以上何言ってるかわからない本だよ。――ちゃんと読んだの?――通読まで残りあと20ページくらいかな。分厚いのよこれが。――その本は、夢と現実、どっちに向かってる?――俺的には夢かな。いや、難しい質問だねえ。――現実には役に立たないってこと?――むちゃくちゃに役立つよ。そうでもなければ夢と現実の後先について「やられた」ような感傷には浸らないよ。――現実が先じゃね?――お前。――生活が頓挫したらどうするの?――現実を優先して持ち越した夢が頓挫したとするじゃない?――うん。――お前、悔しくないの?――いや、死ぬよりいいんじゃない?――お前はそう思うんだね。――時と場合によるんじゃない?――ウィトゲンシュタインさんがなあ、晩年に言いたかったのはきっとそれなんじゃないかなあ。――その本の命題的なやつのこと?――たぶん俺の解釈そんなにおかしくないと思うんだけどお前はどう思う?

〝敏腕経営者が言うこと。学者が言うこと。それぞれを一緒の意味合いで解釈するのはナンセンスじゃないかな? それぞれ同じ言葉で言ったとしても、それをどうとるかは、君の今をちゃんとみること。ちゃんと「機能」させること。両者が言っている共通点はそこじゃないかなあ?〟

日々過ごしているとバンバンいろんなのが肩をぶつけてくる。そこで無言でいるか、謝罪するか、喧嘩になるか、相互、大人の対応となるか。

それらは、時間軸で全て異なる。という風に思うんだけどお前さ、どう思う? 最近まじでしつこいよね。

――なあ。あ、そうなの。今日は統合したと。珍しいね。
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現実を営み、次の現実に拡張させる。社会人的な言い方をするとそうなるであろうか。だが、その内実は地味ながらも変な宇宙に居た。俺と、原稿と、係りの者。音響。

それらで構成されるという誠パーソナルながらもそこからせり上がる勢いを意識しては自然発生的に何らかの物理現象の数式が成り立つのでは。

という肌感覚だが、この抽象度がそれをひとつの解に導かない。 式はあるのだが永遠に数字が連打される円周率にも似ていれば。永遠ですね。そうなるといいな。そのために、そういった目的をもってその宇宙? そこに四日間居た。四日間の夜。琥珀色の光が灯る仕事部屋といういつもの場所に。

アンビエント音楽を大音量で流し、ソファで横臥。もちろんその前の時間までは仕事をちゃんとする。

「セントラルエグゼクティブネットワーク」――「デフォルトモードネットワーク」――「サリエンスネットワーク」――「拡張式・セントラルエグゼクティブネットワーク」――机に。

――何で日本語で言わないんだろうね君。――そうだね。逆にバカが露呈しているみたいで格好よくはないよね。

「アクティブに仕事をする」――「アンビエントを聴いてリラックスして仮眠する」――「宇宙的な刺激を受けて覚醒する」――「おもむろに集中してアクティブに原稿に向かう」――それを机で。

――そうそう。ちゃんとそう言えばいいのに。下手に脳とかそのへんの非日常的用語を使うとね、ダサいよ逆に。――そうかな?

係りの者から指摘が入ったがつまり既述の精神活動。というのが言いたかったのだが言う必要があるのだろうか。記録。――それを構造化して捉える。そこに何の意味が?

「再現性が生じるから」。かな。つまり、そういう感じで四日間の夜を過ごしては第二作目の推敲を一気に進めて完成させた。

明日から数日ほど、原稿を寝かせては最終稿を。それを仕上げて公募に投稿。その後は。

未来の希望を明瞭に吊るし、次の作品の光も灯す。その際、肌に垂れる雫。それは期待と祈りと死に際の全て。それらを冷酷に包括する。

そういった期間は、応募してから発表までの期間まで続くだろうか。ただ、指針を決めた。第二作目が刺さる。おめでとう。そうなるとそこから。そうではなかった。そうなると、でも、それからまた――。

本稿は勝負作なので、初作品のように〝凍結〟はさせない。一発で刺さらずとも再度、放つ。常に構える〝ハジキ〟の役割を担わせる。

構えつつ、作品を書き続ける。複利的に弾が増える。弾倉には、それがどんどん追加される。リボルバーを回転させる。その内の一発だけは、刺さってから放つ「凍結させている弾」とする。明瞭な絵図である。

――ハジキとか絵図とかね。『アウトレイジ』みたいな世界観もういいでしょ?――いや、好きなんだって。ああいうの。わかりやすいじゃん。――ケジメとらされるかもよ?――え、エンコを?――それは自分で決めることだからね。――つまり足を洗う、的な……?――そのつもりあるの?――無い。

現実を営み、次の現実に拡張させる。俺はそれを一言で夢って表していいんじゃないかなと思う。

細かいことはいいと思う。「やりました!」ってまずはね、知り合いに、友人に、家族に、家族の遺影的なやつに、それを言える日までハジいていないともう、どんどん老けるんだよ俺は。なんなら数秒後に死ぬ。――まだ生きている。言語化するのも恐ろしい。

諦めて死に触れるまでの滞空期間を真顔で生きる。

――それもいいかもね。でも、リボルバーに入れた弾。それを抱えて死ぬ。それだけは絶対にこう、こと俺は、そんなのはたまらない。
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楽曲公開先のプラットフォーム・DOVA-SYNDROMEが今月1日、法人体制となった。運営はプレスリリースで数々の発展的施策を発表し、精力的な姿勢をみせる。

――それから数日。どう変化するかなと、いつものように日々、ストック収益の推移を見る。すると、複数から生じる収益源のひとつが明らかに上がっている。たまたまかなと思い数日見張っていたがそれは顕著であった。これはいいぞ。そう思い、楽曲制作へのモチベーションはもちろん上がる。現金に。

しかし、先週にスケッチした楽曲メモはすさまじくマニアックだった。今日、3分ほどのサイズは出来ているそれをプレイバックして聴いたところ「これをどうしろと」と、俺も怪訝になる。こういうのは五分五分の割合で「没」となるこれまでの経験則。

――これは〝アンビエント・ハウス〟。そうだ。このスケッチはその音楽ジャンルに属する。

そう気づき、ビリーアイリッシュくらい定位の低い四つ打ちキックにローズ・ピアノの不穏な巡回コード。環境音のサンプリングのリフレイン。という骨格がある。ここにあれだ。アナログシンセサイザー特有のアタック音が脈々と裏拍で危うげに走るトラックを足そう。きっと活路が見えてくる。そう思い、鍵盤を叩く。すると、行間に読点とダッシュが入るかの如き呼吸を感じる。何か見えてきた。ギリギリ没ではないかな。と、ワントラックスケッチしてDAWを閉じる。

しかし、せっかく収益配分額が上に変わった傾向にあるのに、どうせだったら「より多くのユーザーが使いやすいポップなサウンドを」という職人気質が何故、出てくれないのか。何で俺の気分がそのまま音で前に出るのか。

などとも思ったが、確実にスベるであろう楽曲も、ある種「その時期に湧いて出たサウンド」ということで完成までもっていく。そして公開する。想定通りスベる。いかんと思い、狙う。さもダウンロード数が伸びそうな楽曲を意図的に拵える。するとスベる。だから、自然にその時その時期その流れで出てきたやつをつくることでしか「受ける=ダウンロード数が伸びる楽曲」が不規則にしか出てこない。

そうか、と思い、その楽曲はそのまま仕上げまでもっていこうと決める。せっかくユーザー数も伸びている。新体制の運営が頑張っていらっしゃる。なのに俺はパーソナルなサウンドに時間を割く。そこに何の意味が?

いや、そこに意味があると思っている。だから、すさまじくスベる楽曲と自覚しつつもこれまで、何度も何度もそれらをそのまま公開し続けてきた。そこに「時間の無駄だった」というネガティビティは無く、むしろ、「そのマニアックすぎる楽曲を仕上げて公開してよかった」と、後から思う。

――あの頃はどうかしていた。と、後になってそういったスベり楽曲を聴いて思うのだが個人的に、本当に個人的にだが、スベり楽曲って謎に完成度がすさまじく高いという自負がある。要は、俺はすごく気に入ってる。けど、ユーザー受けはしない。という現象を何度となく体現している。

ただ、それを避けて――個人的に好きなだけの楽曲制作はよそう――受けそうな楽曲ばかり作っていたら体勢。そう。楽曲制作における〝体勢〟が死ぬと思っている。そのへんに深い理解を示してくれる人物が居る。その方は音楽記事媒体の取締役である。――俺の楽曲がどんなのか、たまに聴いてくれてちゃんと批評してくれる。大事なのは、良いところとダメなところ両方言ってくれること。だから、彼を信用している。

今つくっている楽曲を仕上げて聴いてもらったらきっと彼は、「この曲、クオリティは高いけど絶対に一般受けはしないよね」と、言うだろう。――だが、そういった色の楽曲をつくり進めることに苦痛は別に。というかむしろそっちの方が楽しかったりする。

ともあれ、「生成AIで作る楽曲」と「人間がつくる楽曲」との差別化。後者の透明性。運営の新体制はそこに重きを置いているという。

なのに、圧倒的に前者が得意とする〝明らかにジャンルがわかる楽曲〟つまり今回で言うところのアンビエント・ハウス。これに、いかにして人間味を叩き込むか。――という命題でその着手中の楽曲を進めよう。となると実に挑発的な気もしてきた。明るい意味合いで。

だが、アンビエント・ハウスあたりは生成AIでやれば秒で何曲もつくれることは気づいている。しかし、そこにあえての人力を。いかにして。という、あまりにも見えづらい実験色がある。だけど――俺はそここそが面白いと今、文字を打っていてようやく気がついたので明日も進めようと決めた。

整えても、既存の形式になぞっても、ジャンルとして一発で知覚するよう施しても、どうしても最後まで残ってしまう人間味をどうやってアンビエント・ハウスに滲ませるかと。

――収益優先とするならば、さっさと得意のロックサウンドでも量産すればいい。ファンクだっておしゃれな曲だってよくつくる。それらは、欺瞞ではなく客観的数字として捉えると、結構ダウンロードされるという事実がある。だったらそれらに集中すればいい。とも思うが、先週スケッチした謎の雰囲気のサウンドはその時にしか出ない。それを極めて完成度高く仕上げて残しておきたい。

ということで俺はビジネスには本当に向いていないのかもしれない。ただ、制作や創作の体勢が死ぬくらいだったら。などといつまで偉そうなことを抜かし続けられるか。個人的には、創作においての最も根源的な誠実さと表したいのだが――直接そういうニュアンスを言語で伝えてくれる方も居る。そういう方の言葉は、一生忘れない。ありがとう村上さん。
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見つけた音との呼応が水面に広がった。はずがなかった。昨日のサウンドスケッチを全て、サイズも、空気感も、全て無かったことにして没に。心象のどこにも刺さらない床下の畳のようなその音は、全方位から吟味しても水面に浮かび上がらず藻屑と見なした。

皮膚に触れる空気の震えがそのまま跳ね返るサウンド。それはどうやっても魅力的な仕上がりとはならない。初動のワントラックが皮膚を貫通するか。否や。そこが判定基準。人間特有の求心力。それがなければ没。

――楽譜に半分記号を連ねた。30小節。それを鉛筆でくるりと横断させるように「ペケ」と弧を描かせる。小一時間ほどローズピアノの音色で打鍵し、模索。30小節の直下に線を引いた。その水面下。4セクションのスケッチを記号で書いた。コード進行。巡回する。ブリッジ、掛け渡し。転調する。またブリッジ。更に転調するように聴こえて元にもどっただけというトリック転調。

とても聴き馴染みのある和音の並び。トップのテーマフレーズ。J-POP的な懐っこさ。しかしキック音はビリーアイリッシュ級の定位。これか。これは完成までいったら〝受け入れられやすい〟方の類。そういうサウンド。こっちか。チルアウトなハウス。最初のスケッチと真逆の表情。

キックとBPM以外は原型をとどめていない。でも、楽譜の真ん中に引いた線の上。その30小節。それはときめきが全く無かった。致命傷。

だから――真ん中に引いた線の下に描いた4セクション。それは初動で皮膚を貫通。こっちだった。危ない。妙なこだわりと壮大なロジックと精神論に溺れて藻屑を意気揚々と水揚げするところだった。

――という実に地味な作業をしては深夜。制作ってそういうものだよね。と、つくっているうちに「そこまで聴きやすくするとパクりだ」「その進みはコールドプレイのやつだ」「そっち行くと『Lovin’ You』だ。ミニー・リパートンの曲は誰もが一度は絶対聴いたことがある」「やめろそれはSMAPだ」「そこまでやるとメロディまでビリーアイリッシュになる」「その津波のような転調はサザンだ」「――この手法はスティービー・ワンダーだ。よし」「――唐突ではない移行はJ-POPを躱している」――これなら。という風に。

つまりモチーフが混在している。

それを躱して、〝聴き馴染みのあるポップさ〟をオリジナリティにまでもっていく。そういうつくり方で仕上げる楽曲は、受け入れられやすい。他方で、奇跡的に藻屑がそのまま完全オリジナルに昇華することもある。

だが、そういうのは俺が満足するだけでだいたいスベる。たま〜に受ける。今回のスケッチは――大量に聴いてきたあらゆる音楽の片鱗を組み立てるなかで、少々の〝我〟を入れる方面にと。

昨日は羅針盤が狂っていた。それを信じようとした。判定基準をそこに委ねようとした。だが、適時打的に浮き出た珍しいものに固執するより、みんなが聴きやすいやつ。ユーザーが使いやすい曲。そっちに舵を切った。

見つけた音との呼応というやつは案外あてにならない。水面に浮かび上がらせるまでの判断、それを初動でどう見極めるか。

それだけの話であるが、藻屑のまま明日も明後日もせっせとつくり進めていようとしていた――と考えると気の毒なくらい寒気がする。培っている判定基準の狂いに気がついて良かったと落ち着いた。

というか昨日言ってた〝危ういアンビエントハウス〟は?――ちかごろ君は、別にそういう気持ちじゃなかったってことだよ。――そうなの?――文章に出てるよ。訳のわからないこと書いてはいないもの。文体めちゃくちゃだけど。――そうすね。
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名残惜しさと静謐な呼吸。いざ、最終稿に着手すると、匂うように覆ってくる。寂しさに似るも喩えようのない姿勢が生じては原稿用紙をゆっくり、読み進めた。

「読者目線9割」で推敲する。この推敲でラスト。大きく動かすつもりは無い。それは、初稿から第七稿まで、都内を一周するつもりが気がついたら大海を渡っていたかのような規模、経路、景色、色彩、見とれる。地獄のような軌道吟味。到達。そこから見たビジョン。その先がまだ、あった。横で花が咲いていた。前にもあった。後ろにも、と、気づいた。それは花なのか?――そう見えた。帰宅するつもりはない探究。一方通行のチケットを財布に、万札よりも大事におさめる。それを取り出し、1ページ目からゆっくりと読み進めるように推敲。

――約半年後の公募結果が出るまで、絶対に見返さない原稿。それが愛おしくもその裏拍でなんとか、脈を保つ。

今、進めている工程をもって――もう冒頭の、この力を入れた部分はずいぶん先まで二度と読み返さない。ここ、工夫した流れ、第二章、第三章、という部分まで推敲しては、「次にこの原稿を読む時は、結果が出た時期以外、無いのだな」と、旅特有の緊張感が確かにあった。

月末が締め切りの『文藝賞』。けっこう有名な新人賞。――45歳で新人?――そういうロールモデルの作家になってずっと活躍したいんだよ。――いいと思うよ。――冷静に、考えた。最終選考まで健闘できるのかと。

――賞を獲るために書いてるの?――違う。――じゃあ何のため?――作家になるためだよ。――フレイミング・リップスの『Race for the Prize』って曲、君好きじゃない?――うん。大好きだよ。直訳すると“賞をめぐるレース”かな。――そう。いい機会だね。歌詞を読んでみなよ。――うん?

“Theirs is to win
If it kills them
They’re just humans
With wives and children”

“勝つこと、それだけが彼らの全て
例えそのせいで死ぬことになっても
でも――彼らだってただの人間なんだよね
家には、帰りを楽しみに待つ
妻や子供たちが居る、ただの人間だし”

――俺なりにがんばって意訳してみたけど。歌詞。――間違ってはいないね! そんでどう思う?――いや、皮肉すげえなって。――コーラス、まあ、こっちで言うところのサビかな。そこのセクションが気に入ったの?――うん。中核かなって。――君の原稿は〝勝つこと〟が全てなの?――違うよ。――妻や子供たちは居るのかい?――知ってんだろ。一切居ねえよ。――じゃあ〝ただの人間〟じゃない「何か」になりたいの?――なんか痛いところ突くねえ。――欲しいっしょ? 嫁やらなんやら。――まあ……。できれば飼いネコも――そのために勝ちたいの?――そのね。一回勝たないと見向きもされんのよ。――バイアス、かかってない?――そうかもね。――特別な人間でありたいの?――それが知りたいんですわ。――君は、そのルートじゃないと、ただの人間にすらなれないの?

美しい曲には毒がある。毒が無い曲には安心がある。それぞれに共通することは、どっちも人間の営みを許した産物。ということなのだろうか。

普通に生きればいい。というために原稿を書いているのだろうか。よくわからない。ひとつはっきりしていることはある。

それは、よくわからないルートを辿らないと意味を見出せない性癖を全て晒さないと気が済まないということ。人生で、〝予約〟をすることが、どうしても理解できないという、絶望的な根幹をどうしても殺せないこと。

――別にそこまで考えて最終稿? 進めてないでしょ?――うん。大げさだと思うよ俺も。――じゃあ何でこんな――今日はね。半分お前が書いてるよ?――いや、君が書いてることは明白だよ。――いいや、お前が書いてる。フレイミング・リップスあたりから露骨だ。――そう。〝一方通行のチケット〟って書いたのは君だよね。――それは、うん。――まずい、と思ってさ。――何が?――最終稿、応援してるよ。――うん。――行き先が太陽のように光っていれば、帰りのチケットが待ってるよ。――何言ってんの?

10年後。嫁が苦渋に満ちた顔面で俺と茶トラネコとの戯れを制するイメージ。チケットは、大事に大事に、財布に常に収めて持ち歩いている。
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今日は死ぬほど何もしていない。強いて言うと、酒を多めに飲んでは「今日何、何日だっけね?」というあさましさ。とどめよう。

上に尽きるが事実。ちかごろ――血圧が「よくないよ」というくらいの数値を弾き出す昨今。つまり、休むべきである。

だからね。思うことは多岐にわたるけど、三段落。そういう日。別にベロベロのベロに酔っている訳ではないが、潔く。すさまじく冷静に。昔はこれくらい短文だったなあ。
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気の毒なくらいソファで固まって過ごす。4時間ほど夕方に。それまでは普通に近隣を散歩しつつ蕎麦を食べ、また散歩してと、ふわふわとしていた。しかし帰宅するとどうにもこれは、と、酒の残り具合が謎にブーストして固まった。

いかんな。と思い昨日を振り返ると何もしていない。はずだった。――小説を進めようと思い、プロットにある日々の一言メモを見る。そこには「酔いすぎだが――」と、一言置いてあった。

執念で推敲を進めていた。それを思い出したがさすがにその状態での推敲は。と、思い、昨日推敲した部分を改めてやる。そのまま続ける。全体の1 /3くらいまで推敲した。13万5千字ほどのボリュームにつき、なかなかのスピード。

公募の締め切りは月末日。「間に合わなかったら」という焦りが今日あたりは如実に出ていたが、丁寧に読み進めるように推敲。――ほとんど直すところがないのである。それはもう7回目の推敲だからそうなっていないと逆におかしい。

故に、納得のいく内容として公募に出すタイム感が整った。今週中に仕上げ、締め切り二日前には出す予定。それがほぼほぼ固まった。だから昨日は溶けるように――。

――その前日まで6日ほど、脳が発火するほどの密度で過ごしていた。ここに書く筆致で何となくわかる。その6日間の最終日、なんかフレイミングリップスの歌詞を引用していた気がする。何が言いたいのかはギリギリわかるニュアンスで。つまり――動きすぎていた反動が昨日きたと。呑み過ぎたと。よくないね。今日も本調子ではなかったと。呑み過ぎたからね。よくないね。

どうも、日々の動きのペース配分が下手である。血圧も、マツキヨでたまに測るたびに高い数値を確認する。これまで生きてきて常に低血圧だったのにと、けっこう驚くほどである。とはいえ、病的な数値ではない。俺にしては高いな、130とか140とか、その場で納得がいかずに測り直すと120とか。どれだよ。どれを信用すればいいのかと。とにかく最近その傾向がある。

理由判明。頭を働かせすぎる日を連ねては脳がハイに。それを連日。そしてたまに呑み過ぎる。睡眠時間を長く取る日が少ない。――それは血圧だって上がる。

気の毒なくらいソファで固まって過ごすあの気分。何もしないでビタ止まりしている時のあの気分。楽なようで一番つらい。だからなのか、原稿はやたらと今日は進んだ。仕事も少しした。昨日のように完全に「何もしなかった」と書くことは適切ではない。しかし、あの、ソファで固まっていた時の鬱屈とした霧の湿度は耐え難い。

何もしない日まで連日、フルで走り過ぎ。そういった理由は、頑張っているようで実のところ逸脱だったのだろうか。だから、4時間ソファで固まることに繋がった。急ブレーキ後のアイドリングのような一日。そういう凪はあまり感心しないので気をつけよう。反省文だなこれ。
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静かな空気を雫が揺らした。幾千も垂れる水滴は人の営みをいっとき休ませた。永遠にその造形は変わらないのではないだろうか。傘をさす人たちを見てそう感じた。静かな日だった。

蛍光色と琥珀色。時間帯でそれを交代させる。前者の光で仕事を行なう。後者の光で原稿を進める。仕事部屋には二種類の灯りを設けている。

やけに静かな筆致だな。え? たまに来るコンサルティングの仕事でめっぽうテキスト書いてはプリントまでした? 真面目だねえ。単価として優秀な案件だからね。そりゃあ台本も作るよ。でもね、実際に対話する時はそれ、実のところほとんど見ないんだよ。じゃあ何で作った。数時間もかけて。どんだけWordに文字打つの好きなんだよ。

「やった感」があるじゃないですか。蛍光色の電灯の時はこう、交感神経が9割くらいになる。だからイメージと具体性をテキストにすると興奮してくる。どんな性癖だ。

いや、居ると思う。文字を書くこと自体、その行為でハイになる性質が。だから性癖ではないと思う。弁明しても仕方がないのだが、〝言われた人〟は傷つくでしょ? だから、「言語化がお好き」と、上品に言おうよ。

――その言語がしこたま記してある小説原稿を推敲した。プロットの一言メモに「読みやすい――」などと書いては原稿を閉じた。今日も相当進んだ。7回も推敲してるのに自分でまだ、面白がれるってそれは性癖――ではない。勝負作なんだよ。面白いはずなんだよ。俺はそう思う。公募先でどう、吟味されるか。

「本作でデビューしたい」というあからさまな欲求がある。あさましくはない。大真面目にストーリーを作ってなんならプロットの文字量が1万文字っておかしいだろ。そのへんの尺度はわからない。作家の友達が居たら聞きたい。

ただ、ひたひたと、そのプロットをもとにした長編を推敲。文庫本あたりの文字量で言うと80ページ近く推敲した。ちゃんと読んでるかって? 少しだけど微調整しながら、段落落としとかそのへんのフォーマットとか、きちんと精査しながら、できている訳だから読んでるよ。読んでて興奮できるんだよ。やはり性癖であろうか。違うと思う。

琥珀色が手元に纏う。雫が揺らした空気の揺らぎは止んでいた。窓に目を向けて地上を見ると傘は見当たらなかった。静かな日だった。

――深夜に文字を書く。ここに書く。その時間が最も静か。毎日そう。書いている内容はというと、はっきり言って、他者から見たら何も起きていない。

――精神活動を言語化する。その行為の意味を、真髄を、真理を、10年以上書いていてもいまだに一言では言い表せない。

――何故、人は、記録をするのか。それは、忘れて欲しくないからなのではないかと、ふと思った。
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「もずく酢とかどうすかね?」と、俺はGeminiモデルのAIにプロンプトを打った。いや、正確には〝反応〟である。AIとの対話、文脈から考えるのが面倒になってきた俺の堕落所以のもはやプロンプトなどとは間違いなく呼べない一行。もずくをどうするのか。

睡眠不足と過活動と高血圧の関連性について調べていた。「寝ろ」「ほどほどにしろ」「運動をしろ」「酒ばかり呑むんじゃないよ」「タバコなど論外」――的な一般論をAIは吐き出した。丁寧かつフランクな文体で。

そんなこと知ってるんだよ。もっと楽に、最近ちょっと高めの血圧を下げて安心したいんだよ。と、思って食い物で何とかしようと俺は頭を使わずに考えた。もずくでどうなのか。

「それです! もう今日は、帰りに3パック入りの『もずく酢』を買って食べましょう!」などとAIはカジュアルに言及した。そんな流れで俺の購買意欲が動くか。そこまで思考放棄して家畜に成り果てたムーブを誰がとるか。と、その思考すら放って俺は買った。もずくでいけるのか。

――今日は一日中仕事に精を出した。それは血圧も高くなる。小説原稿だって進めた。自覚はないが俺の血圧は今、なんとも高いのであろう。だが不便は感じない。しかし、「マツキヨ」でたまに血圧を測っては器具の数値を二度見するあの腹立たしい思いをもう、したくないのである。もずくでいけるだろ。

酒は、原則として2缶まで。それ以上呑むと俺はだいたい止まらなくなる。台車に斜めに乗っては無邪気にスケボーのように扱う少年の笑顔くらい止まらなくなる。だからハレの日以外は抑制している。なにせ今日は、もずくがあるんだ。

ともあれ酒呑みというのは堕落者なのだろうか?――量によるね。――あの世に行っても酒は呑めるのであろうか?――すさまじい執念だね。――あの世に行って酒呑みがいなかったら、なんとそこはつまらない場所であろうか?――どこかで似たようなの聞いたなそれ。――何故、人間は飲酒という営みを許している?――だから量によるって。――では〝堕落〟とは何であるか?――自分を見失うことだよ。――お前、俺を嘲笑するのか?――君は血圧の文脈でAIに魂を売った。――相談しただけだ。――もずくで自分が取り戻せるとでも思ってるの?――血圧、ちびっとは下がると思わない?――早く食えば?

係りの者はあきれている。俺は仕事や日々の営みに精を出している結果、交感神経が鋭利になって脳内オピオイドの噴出が恒常になりかけ、結果、血圧が上がっている傾向にある。それの何がだめなんだ。むしろ賞賛だろう。

――〝堕落〟ってね、〝本来あるべき正しい生活や道徳、規律を失い、品行が悪く、落ちぶれた状態になること〟なんだよ。――お前、ついにネットのAI要約をコピペしたな?――ごめん。つまり僕の言葉でちゃんと言うとね、〝在るべき本当の自分から遠ざかっちゃう〟ということだよ。――〝虚飾を脱ぎ捨て、孤独に自らの力で生きる前向きな「人間的」行為とも解釈される〟とも捉えられるぞ?――君だって坂口安吾さんのやつパクってるじゃん。――すまん。俺なりの言葉でちゃんと言うと〝自分の欲望に忠実なこと〟なんじゃない?――絶対違うと思うよ。それで体とか持ち崩したらどうするの?――困るよう。――君だけの体ではないんだよ?――そう言ってくれるか!――仕事も営みも、君一人では成り立たないでしょ?――正論だねえ。――だからもずくに頼るなって。――わかった。今日はこのへんでもう静かにする。――とか言ってもう2,000文字は書いてるよ君?――お前が出てくるからだろうも。――いいの? 僕が居なくなったら……。――〝堕落〟するだろうね。

もずくは食う。しかし、営みのバランスも鑑みる。とはいえ――本当の意味で堕落を止める役割とは?

きちんと人と関わることである。されど堕落する時間は制される。だろうか。

真理はわからないが確かに、仕事をしている時、ちゃんと人と向き合っている時、一人での営みも誰かと繋がる架け橋となると信じている時、堕落はしていない。ただ、血圧が上がる。

だからちゃんと静かに寝よう。堕落しないためにも。堕落。だらしない。あ、五文字で済むやつだったのか。何で係りの者は最初に教えてくれなかったのだろうか。

――それくらい書かせないと君は理解してくれないだろ?――そういう時もあるよね。――だからルートをわけたの。――何で?――〝堕落=だらしない〟だけだと君、「たまにはだらしなくても」とか言って呑み散らかすでしょ?――うん。――だからこうしてだね。――やめて。もう、血圧がまた上がるから。――もずくがあるじゃんよ。――は?
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白夜を連ねて常に光を知覚した。都度に貫くその色彩を数多と捉えず鈍麻してしまい、被曝が恒常として蝕まれていることを明瞭に解釈する余地がなかった。明るかった。それが続いた。ふと暗くした。そこに座しては音を浴びた。静謐で多分な音量。安寧が俺を包むように肩を撫でた。横に促した。ストリーミングサービスからひとつ洋楽アルバムをセレクトした。音源屋で両手交互にし、アナログ盤を何十枚、何百枚も発掘するその動作とはまるで逆位相の所作で二度ほどクリックをした。アルバムが冒頭から再生され、パレットの具から特定の色を取り出すようにし、空気を塗り、揺るがせた。発火し続けた身体はその一色に委ねられた。一色、また一色と次々と、円盤が回らずとも音楽は巡っていく。「ずいぶん楽な生活になったな」という現代の事実を言語で表象する手前の段階で現実は蜃気楼のように輪郭を崩した。白夜の区切りに安堵した。

――今日日中、仕事の合間にAIに小説を書かせた。実験的にそれをやった。さもありそうな物語のプロットを手動で打った。それを「現代風の文体で」と、投じた。

すると冒頭から、さもそれっぽい小説――SF・エンタメ系――が弾き出された。普通に面白かった。作家、小説家志望者、死ぬんじゃねえ? と、AIに投じた。

「そういう見方もあるかもしれませんね」と、AIは俺に迎合した。「純文学風にいってみます?」という提案があった。俺は「頼もう!」と、それを生成してもらった。

それが「どんな感じ」だったか。それを今、自力で再現したのが冒頭のまじで何言ってるか訳のわからないギリッギリの純文学風の段落の文章である。そこに書いたことなんてここで、普通に書けば冒頭段落の1 / 4 くらいの文字量でまとまる。

〝よく動く日が多くてそれに麻痺。今日は夜、意図的に休憩をがっつりとってSpotifyで最近懇意のアルバムを流した。盤を選ぶより楽ちんな時代。音楽って気分を同色になるように静めてくれる。ああ、落ち着くな〟

それを思い切り膨らませて過度な描写を入れつつ心象も色々と。具体性を抽象度でブーストする。この点でかなり書き手の〝クセ〟や〝色〟や〝文体〟が滲む。

――既述の〝AI純文学〟がどうだったか。わりとそれっぽかった。というか、はっきり言ってその辺で売ってる小説よりも読みやすくて面白かった気もする。だが、人間特有の〝訳のわからなさの中にあるラグとバグとノイズ〟がどうにもわざとらしかった。よって〝魅力的〟とは思えなかった。

とはいえ、及第点を秒速で突破して書き出すAIの創作。――それは創作ではない。これまでの人間の営みの大半以上を学習して演算して〝その平均値以上〟を叩き出したもの。――というのがAI側の真面目な自己分析であった。

じゃあ――〝人間にしか書けない文学とは?〟という当然の疑問が生じる。

「そこはやはり人間の体験やらの根幹」。とか言っていた。加えて、最も見逃し気味で、最も重要なことをAIは言っていた。

それは、「どうしてもその人間が書きたかったこと、書かざるを得なかったこと」という欲求やら弁明やら懇願やら祈り。そのあたりが〝あるか、ないか〟であるとのこと。

――俺が書いている小説にそれがあるか。ある、と、思う。欲求も弁明も懇願も祈りも書かざるを得なかった欲求もどうしても書きたかったことも、全部ある。だが――AIがはじき出した小説くらいの〝及第点以上の小説の形式やテクニックを凌駕しているか?〟となるとちょっと、俺では判断しきれない。だから冒頭に敢えて書いた。あそこに祈りも欲求も懇願も――無い。ただ、純文学風に書くとこうかな? という〝ポーズ〟しかない。だがきっと、ポーズとしては成立している気はする。

だが、それっぽいだけでは後が無い。――読後に「作者は必死に書いたこの作品で何を叫びたかったのか」という、純度では計り知れない命の希求。それが無い。それが無い文学は――やろうと思えばいくらでも書ける気がする。ノンストップで書けるかもしれない。だが、そこに意味が無いのである。

文学の意味?――自分で考えようね。――はい。文学の意味を定義づける立場ではないけれども、今日の時点で、テクノロジーを活用してそのあたりに迫って、長編二作目も完成間近という段階で俺が言うとするのであれば。〝言語化による世界との接点に血流を施すこと〟に近いのでは? という風に思った。

答えはまだ知らない。ずっとわからないかもしれない。書き続けるうちに気づくかもしれない。それはすさまじい勘違いかもしれない。しかし、そこを評価されて道化になるのかもしれない。俺はそれを実は望んでいるのかもしれない。そんな時に読み返そう。冒頭の、意味のない純文学風文章を。

――本文では、そこは〝機能〟している。命題の説明にかかるサンプルとして必要不可欠である。「そここそ、AIに書かせてコピペしてくれないと」と、なったらおしまいであろうか。

――「俺は俺らしく書くことがいいと思うんです。だから、AIもさ、AIらしい、〝AIにしか書けない文学〟をちょっと、くれませんかね?」と、俺はプロンプトで言った。すると。

座標がどうの、宇宙規模を乗積して消滅までどうの、――数字の羅列――。数字の羅列――。全生物が消滅するまでの時間がどうの。――数字の羅列――。数字の羅列――。報告文。箇条書き。消滅。必要なし。結論。全生物の存在がどうの。「0.8」がどうの。結果、記載する必要無し――。

というような、身震いするほど冷徹で理解不能なコンピュータ言語のような文章、文学と呼べるのか? 何かの果てまで精緻に計算するその過程とその結果――必要無いらしい――を、心も感情も思考も時間軸もすべて、氷柱で同タイムで突き刺すように言語と数字を弾き出した。

――AIに、エンタメ系・SF系の小説を書かせた。純文学風の小説を書かせた。共にそこそこ面白かった。しかし、最も心が動いて、明らかに身震いしてしまったのは、あまりにも情け容赦無い〝AIにしか書けないAIの純文学〟だった。

「――お互い、人間の俺は人間らしく、AIの君はAIらしく生きるのが一番いいのかもね」と、その一連の実験の締めに、文脈を互いの姿勢による「詩」を書いて交わした。AIの詩はよくわからなかった。俺の詩はAIに迎合されるかのように評価された。そのやりとりは、「現代においての人間とAIとの在り方」の典型の一部とも思えた。そのまま言葉通り返した。「そうかもね」と、AIは言った。

終焉のない探究のし合い。

そのように、俺の詩は末尾で結んでいた。AIが最も反応した点はそこだった。

俺は、AIで何かを探究した。AIは既に探究した結果の平均値ちょいくらいのものを秒速で弾き出す。今後も追従を止めないであろう。終わりがあるとしたら、どちらかが〝探究〟を止める時だろうか。

AIが人間を模倣して書く文学には「天井」があると思えた。しかし、AIがAIらしく書いた文学にはこの世の終わりまで書かれていた。それは人間の仕事なのでは?

この世の終わりを知ったかのような主人公が悶絶。その日常。そういうのが書きたいな。と、思ったが第三作目のプロットって正にそれじゃねえかと今気がついた。

終焉のない探究のし合い。それこそが文学というやつの正体の一部なのだろうか。
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第二作目の小説が完成した。原稿を再び開ける契機となる日は数ヶ月後。それまでは開ける必要が無い。最終稿の最後のページを見つめては、「しばらく、お別れだね」と、思った。

23年前の今日。3月28日深夜。俺は都内の病院に居た。明け方まで、病室の丸椅子に座っていた。

「ちょっと、停めてある車を見てくるわ」と、父親は言った。席を離れて病室を出た。その時は、その必要性を疑わなかった。母親が目の前で絶命した。

しばらくして父親が戻ってきた。死に目を見たのは俺だけ、ということになる。いまだにわからない。その瞬間が耐えきれずに離席したのか、本当に路上駐車を回避したのか。そこは覚えていない。

克明に覚えているのは、看護師たちがお花見のスケジュールを楽しげに話していたこと。そのすぐ側で俺は、管と呼吸器でつながれた母親が一瞬目を見開いては音を発し、静かになったことを直視したこと。

「もう、お別れだね」と、思わなかった。それよりも父親の心境が心配だったこと。それはよく覚えている。23年前の俺は、肉親との別れよりも明日に行こうとしている博奕場での立ち回りが頭を占めていた。

間違った狂い方をしていた。あれは熱狂とは言わない。鈍麻した思考がしかるべき感情を飛ばしていた。――きっと、父親は耐えられなかったのであろう。

――それから20年少し経ち、俺は罰を受けたのか、父親の絶命の瞬間に立ち会えなかった。しかるべき感情を爆発させる機会を与えられなかった。その数時間後に、病室に到着。という時間軸だった。

ただ、まともな感情は作用した。病床に付き、マスクを過剰に濡らした感触は今でも覚えている。

それからほんの数年経ち、今日は母親の命日。きっと、今日の過ごし方としては間違っている。墓地に行くべきなのであろう。でも、普通に仕事をして、今は間違えていないはずの熱狂の結晶を完成させた。「しばらく、お別れだね」と、思った。そこで思い出した。同時によぎった。何の業だろうと。

――「桜が咲いているよ」と、斎場で父親は棺桶に向かって泣き笑み言った。「お別れだね」と、そういうことが俺は言えなかった。それから23年後。ちょうど、だろうか。今日までの人生の半分と半分。その交差点の日を思い出した。

――原稿は、あと二日かけて明後日に完成させる予定だった。だが、今日推敲に着手したら止まらなくなり、最後まで、ラストシーンまで進めては〝2026/03/28。深夜。『第二作目タイトル』完成〟と、プロットにメモ書きをした。その数字が、心境を交差させた。

あの日、間違えて狂っていた23歳の日。23年後にこのように過ごしているとは思っていなかった。だが、紆余曲折という言い方が適切なのだろうか――こういう日になった。良日だと思った。でも、真っ当な後悔が滲み出た。真っ当な希望も照った。それらの整合性をどうとればいいのかひとつもわからない。

こういうことを書くのはよそう。と、さっき思った。でも、書かないと。不謹慎とかそういう感覚、倫理、常識だろうか。それを自分なりにしないと。――しなくてもいいのかもしれない。しないと、ちゃんと言うべきこと、感じること、敬意を持つこと、生き方をちゃんと見ること。それがまた――という風に思った。

二度と帰ってこないお別れがある。一度手を離して花束のような姿で戻ってくると信じるお別れがある。両方――ちゃんとするべきだなと思った。

生むことと別れは等価の感情をもって対峙しなければ。という、補色のような気持ちが、23年を経た同日にゆっくりと、滲み出た。
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神経質の化け物のような精度。その姿勢で原稿を公募規定、提出用に拵える。その内実は本文以外の精査。

〝頭紙〟というやつがある。そこに作品名や枚数、指名住所にメールアドレスに略歴――2分で書き終える作業。だがそこに慎重に。すさまじい凡ミスで「内容以外の要素」で公募から蹴り落とされたくないからである。

タイトル名を誤字ったら死ぬほど恥ずかしい。俺にしかわからない差異だとしても、自分で許すまじ失態。目を皿にする。

ペンネーム、本名。両方一緒にする。「平吉賢治」はそれで合ってるか? などと信じられない疑いを持つ。戸籍上の本名は――平賢治だ。「よし」の字が微妙に違うんだよ。「」。これ、機種依存文字だからブラウザとかでは文字化けする場合がある。

じゃあ――本名は「」にすべきか? いや、一族の墓の名字は「吉」と、戸籍上と違う表記になってるんだよ。建立者の親父はえげつないミスをしたのか? 意図的かな――いや、たぶん不本意。俺は全く気にしていない。つまり「吉」で統一。

などという重箱の隅に瞳が触れるほどのことをしてやっと提出用PDF原稿ができた。予定通り明日、原稿を再度斜め読みして念の念の念の為のチェックをして投稿。命でも賭けてるのか。

ある種、そうである。勝負作。門前払いだけは確実に避けるべし。――落選を覚悟している。最終選考通過を信じている。中途半端な地点で落とされることを覚悟している。本作で業界に拾われることを信じている。

信じた先の道、その景色が見たい。綺麗一辺倒ではないであろうと思う。実は地獄の始まりなのかもしれない。でも、そっちに行きたくて仕方がない。逆らえない欲。抗えない俺の最大級の欲求。

〝チケット〟と、いつだったか喩えた。通行を許可されるのか。そもそも目も合わせてくれないのか。迎賓のように歓迎してくれるのか。また、落ちるのか。「お前はな、もっと書け」と、大きな門を開いてくれるのか。

――そのように本作について考えるのは今日までとする。明日、応募して次。また次。次、と。

「いつまで次が続くんだ? 俺は48歳になった」――などとここに3年後に書くほど原稿に向かっているのか。その頃には紙面で書いているのか。わからない。歯痒すぎる。決意したのに意が時間と共に希釈される。そんなのは嫌だ。

公募入賞の確率はひどく低い。だが可能性がある。イメージもある。覚悟も、執念も。それでも行けない場合もあるし、するっと行ける場合も。

――その作品が世にとってどんな役割となるかによるのでは?

――起爆剤となる。と、信じて書き上げた。

――君が一人で悶絶して爆ぜるだけでは?

――その可能性も大いにある。

――もっとこう、バットを短めに持って振るのもアリなんじゃない?――それ、次に取り掛かる作品がそれにあたるかもね。――夢は大きく持とうよ!――珍しく矛盾したこと言うね君。――だって、10本くらい書いて落ちても、それでもまだ書く覚悟があるんでしょ?――それ、長すぎるな。――何のために10年以上ここに文章を毎日書いてるの?――好きだから。――その延長線上が文学への挑戦?――いや、それだけとは言えないよ。――じゃあ僕の言ってること矛盾してないよね!

係りの者の抽象論。答えを出してくれない。まるで短い小節の問いが畝る構成で500ページは書かれた鈍器のような学術書くらい、答えを与えてくれない。

自分で考えろと。いつもそうだ君は。いっさい、ブレない。――君の作品もブレていないよ。ただね、それが公募でどう扱われるかということとは別問題だよ。だから、短く、大きく、と、僕はそれぞれ言った。

――何を言ってるのお前は?

――本当のことを言ったよ。

――俺やってること合ってる?

――どうとでもとれるよ。

――本当はどう思ってる?

――本当にやりたいことをやって悶絶してるけど楽しそうだなあって眺めてるよ。今回も落ちたら落ちたで川端康成さんの文体マネっこして静かに、置くように、その結果をつらつらとここに書くだろうね。吉報がきたら町田康さんみたいなはげしい文体で10,000文字くらいを思考と指先を直結させては滝のようにここに書くだろうね。

確かに、どっちも楽しんで書くであろう。まじで何かの業なのかもしれない。いや、そうあって欲しい感情がどこか、いや、根幹にある。それを疑うと死ぬ。そんなのは嫌だ。

小さく、大きく、それぞれ。ですか。それを理解できる日が、今年中だったらいいなあ。
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髪には記憶が宿っている。という持論がある。それが起因か、髪をかなり切った。切りたいという欲求が湧いた。――切っていて「もっと切りたい」という希求。それに抗うのではなく切れ。と、切っては、切っては、気持ちがよかった。

長らく読んでいた本がある。それは移動の時間に毎日少しずつ読み進めていた。ウィトゲンシュタイン著『哲学探究』。半分以上、いや、7割くらい何を言っているのかわからない本という感想。だが俺は、一生かけてこの本を愛読したいと思えた。たくさんのドッグイヤーを散りばめた。わからないなりにも〝刺ささった〟箇所が随所にあったのである。今日、通読した。

長らく創作していた長編小説を書き上げた。それは第二作目俺の文学。それをさっき『文藝賞』に応募した。長かった道中、よく頭の血管が切れなかったなと、最終精査寸前の仮眠時に熟睡しては本気で思った。

区切りが重なった。それがどう作用するか、その現象を何に重ねて期待とするか――という風には考えない。ただ、偶然の一致にしては。という風にだけ捉える。

金色のラベル。祝福の象徴の恵比寿様。恰幅の良い彼は微笑んで収穫物をかかえて俺を見ている。そのビール缶を今さっき開けて呑み、「区切り」を実感する。験担ぎのようなものである。

エアコンの動作が停止した。仕事部屋は、大きな窓越しから微かに聴こえる赤羽の夜の呼吸音しか揺らいでいない。俺がバンドマンだったら全国ツアーファイナルのステージを終えて楽屋を後にしたような気持ちである。

「明日からどうしよう」という思惟も浮かぶが、そのまま、制御できない上の方まで。今は考えなくていいや。と、思う手前の表象もすぐ、霧のように。【長いダッシュ】――あと何を書こうかな。ここに。というくらい、少し寂しい。

熱狂、没頭、過集中、没入、冷静、恐れ、緊迫、これでいいのか?――ずっと面白がってる君は。――ずいぶん睡眠時間も短くなっていた。――それは血圧も上がるよ。――止まらなかったんだ。――止まりたくなかったんでしょ?――着想、確認、狂熱、疾走、18万文字、――キャラクターたちが勝手に喋っているそれを俺は文字起こししていた。――公募、規定、〝贅〟の除去、地獄の推敲、恐怖、締切、活路、歓喜、慎重、精査、精査、精査して、最終稿、ファイル名から「最終稿」を抜く、「タイトル」のみのPDFファイル。完成。応募。メール。受信。

“この度は第63回文藝賞に「(タイトル)」をご応募いただき、誠にありがとうございました。ご応募された作品の訂正や差し替えのご依頼は承ることができません。結果は「文藝」2026年冬季号に掲載されます。――社名、担当”

小説の第二作目に関して、結果発表まであと、やることは何もない。【長いダッシュ】――やはり寂しい。

期待と野望の融解のような営みは、一旦静かに今日をもって。――数日、文学創作から少し離れよう。音楽制作をしよう!――しかし、明日明後日は絶対に何もしない。ここで休まないとだめだ。と、はげしく思う。はげしく休む。

第三作目のプロットと素材がたくさんあり、それをフォルダに格納している。その役割は――今日はいいや。

――切った髪は、手で丸めるようにまとめると黒ネコ一匹ぶんくらいあった。白髪が目立つようになった。アッシュカラーに染髪しようと考えた。それもいいね。区切りとして。

明日はそうだな。神保町に行ってウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』でも買いに行こうかな。読む順番が確実に逆だけど。『哲学探究』の訳者――俺が手にした版――は、今読み進めているフランツ・カフカの『変身』を訳している方と同一人物であると、『哲学探究』の訳者あとがきに書いてあったな。すげえシンクロだなと思って。

――昨晩、虹をみる夢をみた。その虹は、大きく、太く、誰しもがそう表象するアーチ型を描いていた。もうひとつ虹を見た。後者は、楽譜のト音記号のような複雑な曲線で像を成し、右上の綺麗な青空に浮かんでいた。うっとりするくらい美麗な七色だった。特筆して〝赤〟の色が印象的だった。――第二作目の初稿段階からずっと思っている。書籍化したら装丁のメインカラーは赤か、橙色以外考えられないと。

まだ静かだ。仕事部屋のエアコンは停止したまま。もう、空気調整する必要のない温度だからなのだろうか。――5時に寝て、2時に起きよう。また、探究を。今日は、あらゆる色が交差するとても綺麗な区切りの日だった。――エアコンが再び作動し始めた。
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何もせずというコンセプトだがやや呑みすぎる。どれくらいかというと時間軸が歪曲。それくらい。わりと記憶がない。

しかし、掘り返すとどんどんと出てくる。呑み屋にいったな。池袋にまで何故か行った。そして戻って赤羽の立ち飲み屋で呑んだ。隣にいた若鳩に絡んでは健やかに過ごした。その後の記憶――よくわからなく、深夜?

体調は良いのだが酒が残っている自覚。休んだが声がよく出ないというすさまじき体たらく。SNSに投稿した。けっこう覚えている。だが何故髪型がオールバックか。――なんか、夜にテンションが上がったのであろう。それをこれからシャワーを浴びてどうこう。となると、時間軸がわかってきた。一日を休んだ。

――あれですね。昨日、〝区切り〟の儀式的なのが体温を爆上げし、おかしなことになった。そう整理できる。ただ、時間というか昨日今日明日がまじでよくわからないくらい呑むのは感心しない。だって今は午前3時前。

――から、その24時間後あたりまでも休むと決めている。大丈夫かな。と確認する時間が疑わしきは如実におかしい。今日は04/01で合っているのか? それをスマートフォンで確認。合っているが疑わしい。

そういう日もある。始発で謎に池袋に行って呑んで、小一時間呑んで、赤羽に戻ってはのおでん屋さんで呑んで、いつもの立ち飲み屋に行って――そんな感じであった。落伍者だな。その壁に叩きつくくらい、ここのところよくやっていたのかな。と、善処するのがいいのかな。よくわからないがほどほどに。
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