04/2022

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
その時刻を俺が読み上げる
。4月。


理解してもらうことの尊さについて考えた。

人は、「本当の自身」を理解してもらえない時、甚だしく苦悩する気がする。少なくとも、手前はそうである。

一方で、その点を、芯から理解してもらえた時、人は、大規模な幸福感が押し寄せるのではないだろうか。

偽りの自身を、自覚しながらも、「いや、こうじゃないんだけどな……」と、本来の自身との乖離に対し葛藤し続けると、人によっては具合が悪くなる場合もあるかもしれない。少なくとも、手前はそうである。一概に、「偽りの自身」がよろしくない、というわけではないという考えも併せてあることが前提だが。

俺あたりは、本流を理解してもらえると至極ご機嫌。客観的には、たいした事とも捉えられないのかもしれないが、今日あたり、新事業の依頼を受け、依頼者に「完全にこのサービスの本質を理解してもらえた」という感触を得た。

気取って言うと、手前で始めたビジネスの本質を理解してもらうこと。それは、俺自身の行動を肯定してくれる事とけっこう等しい。だから、俺はとても嬉しかった。こういった感じをもっと増やして、みんなでハッピーになりたいのである。

どこかで破滅欲につきまとわれていた時期とは別軸の人格である。とはいえ、博奕の業火で破滅スレスレの、あのドラッギーな高揚に浸りたいという人格も、「本当の自身」に含まれているのである。

だが、手前の中のそいつは、完全に社会不適合者なので、そいつの求める行動には思い切り制限をかける。

「お前は本当に危ないから、裏で引っ込んでいてくれ。ただ、そのエネルギーは見上げたものだから、別の方法で、いつでもこっちの俺を支えてくれ」という感じで、決して全面的に非難はせず、うまい具合に受容し、これまたカッコつけて表現すると“昇華”の方向の源泉として頼もしく認める。

あれこれと面倒な話ではあるが、要は、人によっては、「本当の自身」に向き合って、自身がまず、自身を理解しないことには、ほかの方に「理解してもらう」というのは難しいのではないかと、つむつむと考えていたということである。

俺がどの程度、自身を理解しているかは、正直、はたから見たら「いやお前はそうじゃない」というレベルかもしれない。しかし、時に、自分のアクションなどを、本当の意味で理解してくれると実感すると、「ああよかったな」と、シンプルに喜べるのである。

「共感」とはまた異なる「理解」。それは、相手を、相手自身として認め、受け入れ、時に共存したりすることであり、それを愛と呼ぶのではないのかなという飛躍した思考にまで及ぶ。

とはいえ、「なるほど! 博奕中毒でアルコール依存症一歩二歩手前で、やっとここ数年あたりから真面目風に過ごしているのが平吉さんて人なんですね!」などと、一言でまとめられると、すばやい理解もいかがなものかと怪訝にもなる。それはそれで、嬉しいことなのかもしれないが。
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案件で六本木ヒルズへ。この界隈はいちいちビルが高い。そして歩く人々は皆おしゃれ。散歩している犬すらフッカフカである。なんだかシュッとした、俺よりもIQの高そうな犬種もヒタヒタと闊歩している。

現場でご担当の方と会う。コロナのせいで「2年ほど前は、あの件でお会いして……」と、先方が切り出すほど久しぶりである。そう、こういった現地での、ご担当の方とのやりとりなどが好きである。

なんにせよ、4月跨ぎあたりからだんだんと案件や依頼などが増えてきてまずまずいい感じになってきたなと、バイオリズムや運気や星の動き、スピリチュアルな何らか等の「流れ」や「周期」のようなものはやっぱあるものなのかなと、目には見えない何かを実感するような。

帰宅して原稿を書く。なんだか良いペースと質で進められる。楽器の練習などをしっかりとして24時。最近、いくら寝ても眠いので早めに休もうと思っていた予定通りに事が進行すると気分がいい。一方で、そういった日はあっという間に過ぎていく感覚もある。日や時間や時期や周期の流れを、なんとなく如実に感じる春の真ん中。
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急な寒の戻りは勘弁してほしいなと、震えながら営業をする。そして最近3日に1回は食べてる気がする紅生姜天蕎麦をすすって帰宅。昨日の原稿を書いて提出する。

その後は夕方過ぎまで楽器の練習などをして過ごすが完全に疲労蓄積を感じてソファで休憩する。

小一時間休んでもなんだかへとへとなので、22時あたりでもう今日は〆にしようかと思うが、制作も進めないとなんだか歯がゆいなとDAWを開く。

着手中の曲が2つあり、1つは完成が近いのだが曲調的に鬱っ気がリアルにすごいので今日あたりは置いておき、2月にメモって全然進めていなかったポップな方を久々に開いて聴く。

すると、手前で思っていたよりもいい感じの草案だったため、ちょっと進める。クランチトーンのメインギターフレーズがめちゃめちゃ難しかったのでそのおさらいで終わる。

今日あたりはもうよくやった方だと満足し、あとは湯にでも浸かって2杯くらい酒呑んで眠ろうと思う。自律神経を整えるには、40度くらいのぬるめの湯にゆっくり浸るのが良いらしい。

しかし俺は、43度オーバーの激アツ湯にサッと入って「あぶないところだった」くらいの状態に仕上げるのが好きなのだが、それは体に良くないのだろうか。意外とシェアされない風呂による個々の整い加減。
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久しぶりに確かな熟睡を感じてシャキリと覚醒。宅で原稿を書きつつ、依頼の電話が1本鳴り、依頼者のもとに出向く。

このような流れが絶対量的にもっと増えればけっこういけるなと、1、2月あたりは「ダメかもしれん」と思っていたのが「これはじわじわときている」という感触に変わる。

なんにせよ、仕事がぼちぼち、時にいそいそと、休む時はしっかりと、というのが最も精神衛生上健やかになれる。

夜は制作をする。普通のチューニングで土台を作った曲なのだが、なぜかウワモノ(中音域〜高音域を担うパート)のシンセサイザーを「A=440Hz」という通常のチューニングよりも高くするとめちゃめちゃ恍惚となれる。

以前、Mr.Childrenの「抱きしめたい」という楽曲は「A=445Hz」という、普通よりも微妙に高いチューニングであることに気がついた。手前の耳での判断なので、実際のところはミスチルとプロデューサーの小林武史さんのみぞ知るところだろうが。

「A=445Hz」は、曲によっては、人がより気持ちよく感じるためのチューニングなのかなという仮説のもと、それから俺もちょいちょい「A=445Hz」で楽曲を作ることがあった。

客観的な結果として、全パート「A=445Hz」で制作した「After All Human」というほっこり口笛ソングは、公開するとわりと優秀な数字を示した。たいへんありがたいことである。

やはりこれは、「A=445Hz」には魔力があるのかなと、そう思いつつ、シンセサイザーを「A=445Hz」にチューニングしてパートを作る。すると手前でも「おおこれは」というほど気持ち良く馴染む。厳密には、ほんのちょっとピッチが上にズレているのだが、こっちの方がなんか悦に浸れるのである。

言わなければわからないくらい、微妙に高いだけでこんなにも違うのかと改めて実感する。そういえば、エイフェックス・ツインの楽曲にも、いくつかチューニングがノーマルよりも高い楽曲がわりとある。確実に、意図的と思われる。

人間の体や心も、「A=445Hz」くらいにちょっと高めにスッとチューニングできて気持ちよくなれたらな、などと思う。それにはまず、早寝早起き、運動、良質な食事に適度な人との触れ合い、不摂生は程々に、といったところだろうか。これがなかなか難しい。
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気がつけばソファに積んである漫画をマクラにして寝ており、朝8時に目が覚める。久々に酒の呑み過ぎである。

当然あまり感心しないが、たまにだったら若干の逸脱はむしろ必要なところかななどと手前を甘やかす。二日酔いにはならず。日中、営業やら制作やらと、通常運転でわりと良い気分で過ごす。

そろそろ会社員を辞めて、まる3年が経つなと、ふと思う。逆に、3年前は、電車に乗って新宿まで通勤していたのだなと考えると、ものすごく昔のことに感じる。ここ3年と現在とでは、手前の生活やらは激変と言えるほどである。

さらに逆に想像すると、3年後はもっと違うのかなと、わりと今の感じをキープしつつなのかなと、思いのほかいい感じなのかなと、3年という月日の長さと貴重さたるやと改めて考える。

3年ちょいくらい前だったろうか、まだバキバキの博奕中毒リアルカイジだったころ、記録を作ったことを思い出した。

12時間くらいの長い勤務時間の日に終業して会社を出て、そこから2連休に入ったということもあり、その足で行きつけのフリー雀荘へ行き、約22時間ノンストップで打ち続けたのである。都合、まる2日くらいぶっ続けで活動していた計算になる。

夕日に照らされながらゾンビのような面での帰路、「ああ、俺は一体なにをやっているんだ。本当に時間がもったいない」と、心の底から思い、その後しばらくして、完全に賭場から去ることにした。

非常に悪い例かもしれないが、何事も「やりすぎだ」というほど徹底的にやると、ある種のなにかが明らかになるのだなという体験。

3年前はあんなにクレイジーなことを日常的にやっていたのだなと回顧するとやや震えもするが、その時があって今があると、前向きに捉える。

どんなに勝っても負けてもトントンでも、常に不完全燃焼な気分がズルズルと残る点こそが、博奕においての最も性質の悪い点だと俺は言い切れる。人にもよるだろうが。ほどほどギャンブルを嗜める人がうらやましい。
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北区十条の商店街を彷徨っていると、ひとりのうら若き美人風の女性が声をかけてくる。「ちょっといいですか?」と。

俺は即座に前後左右を確認した。どうせユーチューバーのしょうもないドッキリ企画か何かだろうとタカをくくったのである。しかし、それらしき姿の者はいなかった。

「なんでしょうか」

「はい。今、独身の男性の結婚についての調査をしておりまして……」

一見して俺を「独身」と判断して声をかけたのだろうか。平日の夕方に「私服です」みたいな恰好をしてウロついていたことがその判断材料となったのだろうか。

「アンケートとかですか? いいですよ」

「ありがとうございます!」

「撮影とかじゃないですよね……?」

「え? 私一人ですが……?」

「ですよね。それで……?」

女性に手渡されたアンケート用紙には、結婚の動機やらなんやらに関する質問項が連なっていた。

「いつごろに結婚を、とお考えで?」

「いやあ、考えたこともないのです」

「だいたいでも……今おいくつですか?」

「41歳です」

「見えないですね!」

「はは。どうもありがとうございます」

「なんか、美意識高そうですし。メンズエステとか行ってます?」

「はは。どうもありがとうございます。メンズエステは行ったことないのです」

見えないですね、と、若めに見積もられて嬉しむあたりはアラフォーあるあるなのかもしれない。いずれにせよ気を良くし、「結婚」にまつわる各質問に真面目に答えてみる。

「じゃあ、来年くらいにしときますか。42歳、と……」

「次に、プロポーズの言葉はどのようなものをお考えで?」

「どのように、というかやはり考えたことも……まあ、やはり漢らしくストレートな感じがいいですかね」

「結婚指輪を選ぶ際は、お一人で、お二人で、知人と、などで言いますと?」

「えええ。どうでしょうねえ……まあ、場面で……たぶん一人? かな?」

などと、手前でも驚くほどに結婚にまつわることは抽象的な回答しか出てこない。どれだけ俺が「結婚」についてぼんやりとしか考えていなかったかということについて、これでもかというくらい具体的に表面化された気持ちを引っさげてブックオフへ。

『偽装不倫』という、東村アキコ先生著の面白い漫画があった。「そうだよね。『結婚』の次にはそういったものもあったりね……」などと、完全に「結婚」という概念は他人事のような方向へ流れつつある。

『ぼくらの☆ひかりクラブ』という、古屋兎丸先生著の作品を読む。大好きな作家の一人なのだが、このシリーズはチェックしていなかったなとパラパラと読んだら面白すぎて一気に上下巻と読んでしまう。買えばよかった。

しかし、確か『ライチ☆光クラブ』という作品もあり、そっちも読んでいないなと、それは購入しようと、楽しみが増えてよかったとホクホクしつつ帰宅。

今日はお休みである。作業的なことはいっさい休み、日光浴や散歩やらで日中をまったり過ごした。ちょっと制作をしようかなとも思ったが、ここは徹底的にと、ソファでゆるりと過ごす。

「結婚」について再び考えようとしたが2秒くらいでその思考はどこかに行き微睡む。やはり、結婚について真面目に考えると思考が乖離しがち。
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案件の打ち合わせで都内某所へ。到着してしばらくし、父親が入院中の病院から入電。

「そろそろやばいかも」という旨の、入院中の父親についての一報であった。小一時間かけて板橋区の病院へ。

到着すると、親父はなかなか、逼迫とまでは感じなかったが、しんどそうというか「やばいかも」という連絡が来たのは納得、という印象であった。親父の意識は、ほぼなかった。

「やばいんですか?」

「ええ……何度かこういった感じはありましたが、一度来て頂いて、またこういったご連絡を差し上げることがある、ということをご認識頂ければと……」

「なるほど」

ということで、「危篤」までいくか、いかないか、という状態であることを把握する。

「コロナ的に見守りも難しいというか、そういったこともあり、今日は一旦お帰り頂いて、またご連絡をしたら……」とのことであった。

えも言えぬ心境で蕎麦食って帰宅。ソファで仮眠をする。4度ほど、意識が不思議な感覚を得る。

ああ、疲れているのかなと目を覚まし、「なにしよかな。今日は打ち合わせ以外は休み設定だし」などと、宙ぶらりんな心境でなんとなく楽器練習をし始めた刹那、再び病院より入電。

察する。赤羽からタクシーで向かう。乗った瞬間、同級生の友人より着信。

「急ぎかい? ごめんね、今さ、親父が危篤なんよ」

「まじか……」

ということで病院に再度到着。病室へ。

まずは看護師の方が側にいたので聞いてみた。「生きてます?」と。

すると彼女はこう答えた。「その、生きているのと、そうでない状態の判断は、難しいものがありまして……」と。

正直、どういうことかマジでわからなかったが、「そうですよね。確かに!」とか返し、一瞬考える。なるほど、その判断を言葉にできる人は、ここでは限られているのだなと。

「おう親父! いけるのか!」

と、俺はわりとフランクに声をかけた。

「うん。いけない感じかな!」

と、続けた。昼間来た時にはゆっくりと、確かにしていた呼吸は、止まっているようにも感じた。

「お姉さん、これ、息してなくないですか?」

「今、先生がいらっしゃいますので……」

「よう! 聞こえるか! ケンジだよ!」

声が届いていないかどうか、判断しかねたが、目の前にいる親父が生きているかどうか、正直、本当にわからなかった。

「息子さんいらっしゃいましたね」

「あ、先生。お久しぶりでございます」

「お父様、ここまで、すごく頑張りました」

「おう、頑張ったっておっしゃってくれてるぞ!」

このへんで俺は理解した。

「お父様の呼吸は、先ほどから、止まっています」

「はい」

「いま、血圧などの数値を示すものを……ガラガラ」

先生は、親父の血圧、脈拍、呼吸など、あらゆるバイタルサインを可視化させる機器をもって俺に親父の現状を教えてくれた。

「これは……」

「ご連絡を差し上げた数分後までは呼吸もありまして……」

「ということは、電話を受けてから、いくら僕が急いでも『その時』には間に合わなかったと?」

「はい。何か、時間がわかるものを……」

俺はスマホを取り出した。

「これでいいですか?」

「はい。では、今日のその時刻が――」

俺は、フォーマルなトーンかつ、大きすぎない声の張り方で、こう発声した。

「4月7日、21時10分。永眠」と。

ベッドに集まった先生をはじめとする数人は、深々と礼をしてくださった。

「よう親父、最後の方、あんま苦しくなさそうだったな」

「あれだな…なんというか……ありがとうな」

率直に、思ったことを、親父の右耳に向かって、俺なりに温かく身体に寄り添い、触れながらそう伝えた。

「いやあ、親父はねえ――」

「そうですか……」

「散々なこともあったりしましてねえ――」

「そうですか……」

「あとね、親父の家庭環境はもう、けっこう――」

「そうですか……」

「でもね、いろいろなことを教えてくれましたよ! 元気な時はわりとイケメンでして!」

「そうですよ……お父様、今でもイケメンですよ……」

「はは! おい、最期にイケメンって褒められてるぞほら! よかったなあ……!」

「息子さんも……」

「まあ、親父のせがれですからね!」

などと、びっくりするくらい、いつものトーンで、どちらかというと明るめに、俺は周りの方々と、親父の人物像などについて話をした。

「……おい。おいよ。本当に死んでるねえ……」

親父の体を軽く、ユサユサと揺さぶりながら、声をかけた。温かくも、冷たくもなかった。

「親父の息子でよかったよ。俺は」

と、伝えた。終始、俺は、きさくな表情と声のトーンで、最期の言葉を、想いを、出てくる限りの全てをかけ続けた。その間、ずっと涙が止まらず流れ続け、マスクはびしゃびしゃになっていた。

「あの世とかで、全盛期の姿で、親父とお母さんが会えればいいな……」

先生が親父の瞼を開け、光を当てる。親父の瞳は、綺麗だった。死に顔も、綺麗だった。

「では、こちらへ……」

と、促された。俺は別室に行くまでの間、ロビーでの待機となった。しかし、身体が、病室を離れたくないという。

幼い子供が、親と離れたくないような、そのような丸裸の所作を、手前がしていることを自覚した。

「あの、もうちょい見てていいですか?」と、看護師に確認をし、数分くらいだったか、俺は親父のそばを行ったり来たり、体をさわったり、同じことを何度も何度も伝えたりと、親父にまとわりついていた。

主治医の先生は最後に、俺にこう言ってくれた。「賢治さんは、息子さんの役割を、ちゃんと、全うしたのです」と。

だとしたら、親父の死に顔くらい綺麗な心境でいていいのかなという気持ちになった。最後に、「これでさよならだね」と、伝えた。

なんか、ひとつ、終わったなと、そういった心境で帰路につく。悲しいが、虚しくはない。悔しくもない。時期によって濃かった、親父との関係性の酷さ起因の、親父に対する悪感情は、1つ残らず、いっさい無くなった。

最期は、親父は、ひどく苦しまなかった。綺麗だった。それは、俺にとって、救いだった。

タクシーに乗った瞬間に入電があった友人に報告した。

彼は、俺が歩いている場所にすぐ来れる状態だったようで、速攻で来てくれ、一通り話を聞いてもらった後、「ラーメンでも食うか」と誘われる。

赤羽に着き、時間的にラーメン屋はやっていなかったので、よく行く界隈の居酒屋で色々話をして、ありとあらゆる美味しいものを食べては酒も呑む(おごってもらう)。

帰り道、彼に礼を言う。「あれだね。こういう時、一人でいない方がいいんだね」と。

友達は、数々のイケメンっぷりを魅せてくれ、颯爽と帰宅した。

親父の晩年の5年ほどにわたる、介護や、身の回りの世話、病院や施設の移動や各種手続き、面会、様々な対応など、それらは、今日をもってして終わった。

親父は、「2歳の頃に母親に捨てられて――」と、よく言っていた。親父の逸脱したパーソナリティと行動等が、それが事実であることを物語っている。親父は、それもあってか、「ずっとひとりぼっち」という心境が生涯まとわりついていたのかもしれない。

その反面、「俺は一人がいい」と、よく言っていた。どういうことなのかは、親父にしかわからないだろうが、俺から見たら、そうは言うが、ずっと、寂しくて仕方がなかったのではないかという気がしてならない。

なんとなく俺は、「親父は、俺が見捨てたら完全に一人だ」と、よく思っていた。

だから、投げ出したくなる親父の様々な世話などを、放棄することができなかった。

結果、今日、最期に、俺は親父と一緒に居られて、幸せだった。

素直に出てきた、「親父の息子でよかった。ありがとう」という言葉が、親父に届いているだろうか。これは、心の底から出てきた言葉である。

なんだか寂しいけど、さようなら親父。ありがとう。
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不謹慎なほどに晴れ晴れとした気分で起床。若干寝不足だが元気いっぱいで営業に出る。今日あたりは少々暑いくらいである。

1件、依頼を受けて業務をする。よしよし、なかなか、じわじわとではあるが、新業務も伸びる色を見せてきてくれているぞと前向きな心境になる。

夕方過ぎ頃、「休める時に休んでください」と、仲間から優しいLINEメッセージを賜ったので「わかりました! 今から昼寝します!」ということでがっつりとソファを抱くこと1時間。その後はせっせと制作を進めて過ごす。

あとは、夕飯調達のついでに買ったポテチを食いつつ酒でも呑んで寝るだけだなという、たいへん和やかで平和な1日。

いつもの茶トラのネコも、今日あたりはテンション高めで謎のムーブを見せつつ楽しげな姿を見せる。愛でる。撫でる。ガブリと噛まれる。様々な面から察するに、ようやく、春が訪れたのかもしれない。
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わりと体調がよいのだが謎に眠い。どれくらい眠いかというと、ちょっと小休憩と思って仮眠したら2時間半経つほどである。しかもそれでもまだ眠いという体たらく。

これはスピリチュアル的なあれか、とも思うが気にせずいつものように暮らす。今日は営業をして、着々と制作を進める。

自覚なしに疲れているのもあるかもねと、手前をねぎらうように、なんとなくタイミング的にも、数日は比較的ゆっくり目に過ごそうかと考える。

メンタルヘルス系の資格を取った時の試験問題にも出てきた、「心理的負荷評価表」を思い出した。

自分に起きた出来事に対する心理的な負荷を、段階別に分別したその評価表によると、「親兄弟の死亡」は、マックスレベルの負荷である。

そこまでいってないけどな、という感覚な気もするが、やはり、「自覚していない・自分が気づいていない自分」というのもあるようなので、しばらくは少しライトなモードでいたほうがいいのかもしれない。とはいえ、ライトなモードというのがどういったものなのか、まあまあわからん。
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わりと久々に当サイトのBGMページを更新する。まだここで公開していない楽曲もたくさんあるが、なんかこう、小出しにしようかと全部は上げず。

打ち合わせで都内も都内、めっぽう東京らしい土地へ。仲間と色々と過ごし、やはりみんなでわちゃわちゃ過ごすのは実に快活なテイストでよろしいなとほっこり。

夜帰宅し、やはりどうも眠いなとソファに吸い込まれる。やはりスピリチュアル的な何かかとも思うが、シンプルに温かくなってきたからであろうか。

なんにせよ、フィジカル的にもメンタル的にもまずまず健康的な1日。それが何より。ようやく実感できてきたぽかぽかする春も半ば。
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ここ数日、目覚めがわりと良い。健やかでいいじゃないかと、シュッと動く。タイミング的に、向こう数日くらいはライトなモードで過ごそうというコンセプトを掲げつつも、わりと普段通りに過ごす。

変わったことがあったかと言ったら、夜めしに中華屋さんでチャーハンをオーダーしたが間違えて大盛りが到着したことくらいである。

「あいや、大盛りではないです……」と伝えたところ「すみません作り直します!」とのことだったので、それはもったいないと思い、そのままたいらげたことくらいだろうか。

「いっぱい食っとけ」ということかなと解釈し、たくさん栄養を摂る。なんなら大盛りでちょうど良かったなというくらい確かな満足を得たのでむしろ感謝する。

とはいえ深夜現在、若干まだ腹に残っとるなとふと感ずるあたりは少々の切なさを禁じ得ない。
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油モノのもたれには、大根おろしとポン酢のアテで酒を流し込む。これで胃腸はすっきりである。いくら寝ても眠い昨今だが、起きんわけにもいかないので昼前に起床。はりきって外を回って営業をする。

最近やたらと飛行機が飛んでいるなとふと思う。むしろ、コロナ的に絶対数で言ったら減っているはずである。手前がぼんやりと空を見上げる回数が増えただけであると気がつく。

そのようなフワフワとした心境でライトに過ごす。今日あたりは楽器練習や制作はちょいちょいと。夕方、編集部の村上氏から入電。お、案件かな、と思うが、手前の親父が死んだ件について「どうだ。落ちていないか?」という、心配の声かけであった。手厚い。

「はあ。不謹慎なほどに元気であります」と返し、世間話をする。インタビュー案件百戦錬磨で経験豊富なエディター・ライター村上氏の傾聴力は激高である。色々とお話を聞いて頂いてほっこりとする。

ライトなモードで過ごすのもたまにはいいなと、のんびりした精神状態で時間が過ぎる。

なんとなく、手前の根源あたりの心境に、若干、言い表せない変化があるなという自覚をおぼえた。はたから見たらおそらくわからないであろうというほどの、抽象的な感じである。

20年ほど前、似たような感覚があった。それは、母親が死んだ数日後に自覚した。それまでは全く眼中にもなかった道端の鳩や、草木や花を見ては「かわいいな」「綺麗だな」「美しいな」という感覚が、自分でも驚くほど顕著に生じるようになったということである。

それは、動物や植物がすごく大好きだった母親の美的感性が、見えないかたちで俺に寄り添ったのではないかと想定した。そう考えると、とても腑に落ちるのである。

そうなってくると、今度は、父親の感性も俺に寄り添うのだろうか。父親の特色でもあった感性や気質。尖った凶暴性と衝動性、振り切った自己肯定感と喧嘩腰のオラついたパワフルさが、いい意味で、いい形で俺に宿るとしたら、頼もしいことこの上ない。

死後の魂やらがどうなるのかを証明し、明言できる者はいるのだろうか。俺はできんが、なんとなく、前述のように、よいかたちで寄り添ってくれることがあるということは、感覚的にわかる。

「信じるか信じないかはあなた次第――」などという言い方はわりと一般的に浸透しているようである。しかし、俺あたりは、信じるも信じないも、感じるか感じないか、ではないかという方がしっくりくる。
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お休みの日なのでスニーカーでも買いに行こうかと奮い立ち起床。しかし、明日は葬式なので先に遺品整理と共に、棺桶に入れる物品等を選別する。

押入れに封印していた、親父関連の品々が詰め込まれたダンボール数箱分を漁る。シンプルにめんどい。

すると、出てくるわ出てくるわ、たいへんな情報量であった。俺と兄が幼い頃からの家族(飼いネコたち含む)写真や晩年の日記などが主であった。

写真はいくつか棺桶に入れてやろうと、親父的にこれは気にいるだろうと思わしきショットを50枚くらいセレクトする。この工程に3時間はかかる。ガチで1,000枚以上は軽くあったのである。

晩年の親父日記に目を通してみる。「ああ、やたらと記録する習性は親父の血か」などと思いながら。

2015年あたりから、脳内がわけわからないことになって文章が破綻する時期までの数冊、ササと読んでみた。

どうやら、わりと早い段階から自分が認知症であることを悟っていたもようであった。入院手前の日記の一節には、「2歳の頃に母親に捨てられて――」の続きが記してあったのが印象的であった。

幼少期、親父は、継母とその界隈の人間から虐待を受けていたようだった。詳細は、俺には書けない。「不遇な家庭環境」というよりも遥かに酷い「虐待を受けていた」という事実を認識した。俺がそうであるように、彼もまた、自分の日記に嘘は書かないであろう。

そして、なにかと納得した。そうでもなければ、あれほど激しいヤクザのような人格にはなりずらいであろうと。

人間の発達課題や精神医学、メンタルヘルスの知識がやたらあると自負している俺からすると、父親は、「双極性障害(躁鬱病。たぶん双極性I型(躁状態の時の程度が激しく、逸脱した行動をする時期がある)の方)」、「反社会性パーソナリティ障害」、「ADHD(注意欠如・多動症)」のうち全て、あるいは必ずどれかが該当すると断言できる。手前は医師ではないのでもちろん診断等はできないが。

それでも、彼なりに頑張って家族を養い、俺をも育てて仕上げてくれたのだなと思うとなかなか感慨深い。家族旅行の時のたのしげな写真などを眺めてはそう感じた。たいしたもんだと。

遺品整理は思いのほか時間がかかり、一仕事であった。その間、どうやら血縁関係の“血の争い”である、相続等に関する過去の裁判沙汰の記録や、謎すぎた平吉家父親方の家系の詳細も判明した。

いつだったか、取り寄せて閲覧した戸籍名簿に記してあった「早田」というやつがどういった関係性だったのかも何となくわかった。とはいえ、正直もはやどうでもいいやと思って深く考えず。「グチャグチャのドロドロ過ぎる」などと寝室で呟きながら。

とりあえず、だいぶ連絡を取っていない方の叔父のケータイ番号がわかったので、電話で死亡した旨を伝える。この点は報せられてよかったなと思った。

あとはもう一律くたびれてしまったので今日は生産的なことはほぼしていない。楽器練習をして、夜には、業務用の広告媒体をちょっとテコ入れして追加発注したくらいである。

しばらくは「ライトなモードで過ごそう」というコンセプトもあるのでむしろよくやった方だと手前をねぎらう。ねぎらいついでに酒買ってこよう。明日はバカみたいに集合時間が早いのだが、なんなら酔っ払ったまま行ってやろうかとも思う。

いや、こういった事例の場合は、世間一般的なムーブでいくべきであろう。だから酒は2本まで。いや、親父のぶんをもう1杯、奴が好きだったキリン・ラガービールも追加しておこうか。
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朝8時半現地集合という俺からしたら地獄のようなタイム感。昨夜は謎に呑みすぎて何時に寝たか覚えていない、というかがっつり寝坊してやや遅刻。葬式に遅刻。

行ってみると「まあ、まあ……」と、ねぎらってくれるようなテイストでほぼほぼ不問。謝罪しつつ、事を済ませる。

その後の段取りなどはまだまだあるもよう。なんだかわりとやること多いなと、そもそも何故に俺一人が指揮をとって全部執り行うのかと、完全に不安を通り越し、だんだん怒りにも似た感情が出てきそうなってきたのでとりあえず寝る。

数時間寝て起き、ちょっと元気になったので普通に楽器練習や制作を長尺でやる。フェンダージャガーでシューゲーザー的なトラックをシュゴォと録音する。没頭している時は幸せである。

3月末あたりから、なんやかんやといろんな事が駆け巡る。いつもの倍以上のペースで時が流れていくような感覚である。

なんでも、全体的にそういった流れの時期であると、YouTubeのなんかのチャンネル複数で観たが、俺はなんか実感している。そして、その流れに乗ってどんどん飛躍すると信じる。しかない。
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どうすれば新規のお客さんがたくさん増えるかな、とか考えながら外回りをする雨天の中。夕方はリピーター様の依頼を受けて赴く。

こういったお客さんさんがあと何人増えたら次の局面に行けて夢が広がるぜ、とか考えながら帰宅。アコースティック・ギターの弦交換をする。

PA(音響)に通す場面を想定し、アコギ用のわりといいやつのプリアンプを通してサウンドチェックするも、なんらかの不具合でよく鳴らず。

まさかプリアンプが逝ったか、はたまたピックアップが逝ったかと、共に安くねえぞと狼狽しつつ原因を1つづつ絞る。結局、アコギに増設したピックアップの電池が切れかかっていたと判明し、「SR44」という特殊なボタン型電池を新たに変えたら完璧にサウンドが出力される。

胸を撫で下ろしつつ、PA出力環境でアコギを鳴らすとなかなか気持ちがよいなとテンションもいい感じになる。あとは昼寝などをしてライトに過ごす。

不思議なもので、「FISHMAN」というブランドのアコースティックギター用ピックアップにおいて、電池は「LR44」および百円ショップで売っている「SR44」ではちゃんと機能しない場合があり、Panasonic製の1つ500〜600円の「SR44」だと確実に機能する、というスーパーマニアックな豆知識を一応残しておく。
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フレーミング・リップスの2020年のアルバムを聴きつつ、今日あたりはデスクワークを主に過ごす。 オルタナティブロックはいつ聴いても波長が合う。

遺産相続について、いろいろと調べる。遺産とは、故人の資産、すなわち、財産も借金も、それにあたるのである。父親の遺産はというと、アホほどマイナスなので俺は相続放棄することにする。

手前は超絶クソ野郎なのかもしれない。「親父に代わって返済をしたい、するべきである」という気持ちが1ミリもないのである。

それは、オルタナ過ぎた俺と父親との関係性、そして、あらゆる面での、彼へのネガティブな感情がそうさせると捉えられる。現在は、さすがにもう、恨みつらみの感情はいっさい無いが。

そして、晩年まで、俺はわりと、彼に対してやることやり切ったと、これ以上は出来ませんよ、というほど、相当なリソースを割いたということもある。

その詳細は、2015年から記録し始め、2022年4月7日に完結した「介護記録.docx」というドキュメントに記してある。それは、端的な文面ではあるが3万字以上の情報量および内容のグロテスクさで、読み返したらガチでちょっとキモかった。

できる事ならば、同じような境遇の人のご参考になればと、どこかに公開したいくらいである。

相続の対象である負債については、なんせ額が額。といったところなので、相続放棄の手続きをペロペロと調べる。

自分であらゆる謄本やらを取り寄せたり裁判所に赴いたりと、なんやかんやして行なう方法、司法書士や弁護士などに依頼する方法、これら2つが一般的なもよう。

絶対にミスれない事案につき、俺は後者を選択することにした。費用として数万円はかかるのだが、ここはプロの腕をお借りするのが賢明と判断。事は、来週から着手する流れをとる。

そんなこんなしているうちに日が暮れる。栄養たっぷりの具だくさんカレーうどんを作って食う。ちょっと休む。やっぱり思いのほか寝てしまう。

わりと濃いことを連日しているせいか、疲れが溜まっているのだろうか。しかし、適量の酒を流し込んで本気寝すれば俺は復活して元気になれる。

華奢な見た目とは裏腹に意外と頑丈な体をくれた点について、俺は心底、親に感謝している。とはいえ借金肩代わりは、無理。
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案件で埼玉県川口へ。住まいと別の都道府県とはいえ赤羽から電車で3分。アーティストのSPALの企画イベントでみなさんと楽しく過ごす。

先月あたり、この件でSPALのヨディーさんから「1ステージやってくれませんか?」と、打診を受けた時はビビり過ぎて震えつつも承諾し、今日に至る。

なにせ、手前がフロントでボーカルギターで1ステージというのは初の体験のため、慄きは禁じ得なかった。

しかし、新たなチャレンジは必要と思っていることに加え、なにより、ヨディーさんからの「お願いします……!」を断ることなどしたくなかった。というわけで自分なりに本番までの日々、人生で最もしたのではというほど歌の練習に励む。

本番前はかなり緊張し、本番中はものすごく楽しく、本番後は、「疲れてちょっとやつれてますやん」と、楽屋でよしおさんに言われたほどであった。みなさまが楽しんでくれていたかどうかが一番大切な点。

俺はトップバッターであり、その後の出演者方のパフォーマンスは全てとても素晴らしく、企画は大成功という空気感でほっこり。足立くんとよしおさんにおごってもらった酒は甘露の一言。

喫煙所などで、お客様に直接、「さっきのあの曲、よかったです」という風に言って頂いたり、「またやってください」と、笑顔を頂けたこともあり、手前は心底、楽しんでいて頂いたお客様がいて、本当によかったなと思った。

一緒に演奏してくださったヨディーさんやよしおさん、そして、出演者の素敵な皆様とプロデューサー、スタッフさん、お客様、全員のおかげで、今年イチであろう楽しい日となった。

信じられないくらいつらいこともあれば、想像以上の至高の楽しみを得られることもあると、しみじみと感じた春の佳日。
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日本の昔のパンク・ロックを浴びるように聴く。過激に大暴れしたい欲求でも溜まっているのかと危惧するが、なんとなく、である。

「豚の臓物を客席に投げつける」「ステージで自慰行為をする」「公然で全裸になって逮捕」「収録中にテレビカメラに唾を吐きつける」「素行が極めてけしからんので様々なライブハウス等で出禁」など、今では唖然となるであろうアクションの逸話が盛りだくさんの80年代パンク。色々と映像を見たりサブスクで聴いたりして和む。

単に好みなのかもしれないが、特に、ザ・スターリンやINUというバンドは別格な気がする。リアルタイムで通ってきてはいないが、今聴いてもキュンとくるものがある。

パンクやオルタナティブロックが、最も聴いていて心地よく、波長がピタリと合うような気持ちになれるのだが、最近はそういったテイストの音楽を世間的に耳にする事は少ない。時代の流れであろうか。

オルタナあたりは、そろそろリバイバル的にまた流行すると読んでいるのだが見当違いかもしれない。そんなことを考えながら、オルタナ的なチルアウト楽曲の制作をする。まあまあ進む。

持論だが、パンクやオルタナは、これまでの常識を覆しつつ、新たな道をガツンと切り開くスタイルだと解釈している。生き方を反映している音楽性だと。そのへんが、とても大好き。手前目線ではあるが、尖っているが、どこか、すごく苦しんでいるようにも見えるあたりがズブリと刺さる。

今、めちゃめちゃ尖ったパンクバンドが精力的に活動しているとしたら、俺は直接観に行きたい。気に入ったら推したい。しかし、見つからない。

いないなら手前がやればいい、という案もあるが、「これからパンクバンドやることにしたわ」という流れになったら、きっと周りに心配される気がするので棄却。余興でもいいからもう一度やりたい。尖りに尖ったパンクバンド。
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どうしたのだろうというくらい今日もパンクばかり聴く。今月の、激流のように様々な出来事があったことが起因で過激な情念の受容体がクパアと拡張されたのか、ストレートに猛る感情が暴発しているパンクロックがバキバキに手前に沁み入る。シンプルに心地よい。

辛抱たまらんので夜はパンクを作る。これはさすがにスタジオでドラムを叩いて生録音したい。しかし、レコーディング機材の持ち込みやらの関係でちと手間がかかりすぎる。

というか、この個人的パンク・ブームが去る前に、すぐにでも落とし込みたいので打ち込みを手打ち(リアルタイムで鍵盤やパッドを叩いてDAWに反映させる打ち込み手法)で行ない、ドラムをまず生っぽくする。

曲のサイズやギターのフレーズ、全体像などはすぐに出来る。やはり、具体的な感情が乗っている時は実に捗る。

セックス・ピストルズや、ザ・クラッシュ、バズコックスやらの70年代テイストのブリティッシュ・パンクサウンドがモチーフなのでとてもわかりやすい。聴く人によっては、「ああ、こういうやつね」と、即、パンク味をご理解頂ける最終形が理想である。

ラフをDAWにメモったので本録音は明日、立って頭でも振りながら弾いて生々しくやってやろうと今夜のところは〆る。

ここまでくるとロンドンパンク・ファッションでありがちな、ズタズタのガーゼシャツが欲しくなってきた。なんなら安全ピンとかもジャラジャラと付けようか。

そういったデザインの服を着ることになんら抵抗もないどころか普通に着たいなと、パンクなおしゃれがしたいなと、竹下通りあたりに売っているから買いに行こうかなと、そういった案も出る。

とはいえ、アラフォーあたりの手前がズタズタのガーゼシャツを着て、若かれし日のジョニー・ロットンみたいな表情で街を歩いていたら「気の毒だな」とも思われかねないのでこれまた棄却。そんなことはないと思いたいが。
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連日、起きがけやたらと覇気がある。上機嫌で蕎麦を食いに行き、宅に戻ってパンク作りの続きをする。半分ちょいくらい出来る。夜は足立区北千住へ。

2つ歳上の、いつもお世話になっている方々との会食である。「今日は一体、何の会なのでしょう」と問うと、「お前をねぎらう会だ」との言葉を賜る。これは手厚いと、遠慮なく生の馬の肉やら酒やらを流し込む(おごってもらう)。

なんやかんやで、いろんな方がいろんなかたちで弔ってくれておるぞと、桑原氏と村上氏への多大な感謝を胸に叩き込んで帰路。

赤羽でもうちょいブラブラと呑んでから帰ろうと街を彷徨うも、まだまだコロナの影響か営業している店がほぼほぼなくしっぽをぶらさげて帰宅。おとなしく、もうちょいちょびちょび酒でも啜りつつ漫画でも読んでしっぽり寝よう。最近のコンセプト通り、いい感じにライトな1日。
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西川口の純喫茶『アルマンド』へ行く。マスターである叔父に、親父の件を報告する。あとは、手続き中の相続放棄と納骨で、全て終いであると。

叔父は顔色がたいへん良好で、日々ルンルンと過ごしているもよう。それはなによりと、グァテマラなどのストレートコーヒーを2杯飲んで帰る。

今日はお休みだから頭を空っぽにして、どこかで遊んでいたいなと考えつつ、赤羽の繁華街をパトロールする。しかし特筆してやりたいことも別にねえなと、しょっぱいラーメン食って宅へ戻る。

昼まで寝ていたのだがまだ眠いのでソファで更にがっつり寝る。すると頭もスッキリしたので制作をする。もう、頭に描いた通りのパンクロックがほぼほぼ形となる。70年代、80年代のパンク黎明期のサウンド。

荒々しくやかましい音像がガシガシ鳴り響く仕事部屋とは対照的に、雨が静かにヒタヒタしたたる春の終盤。実に休日らしい、安閑とも言える1日。
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平穏かつ、なだらかに前向きな、実に健やかな精神。毎日こうあって欲しいのだがと思いつつそこそこアクティブに過ごす。

営業をしてデスクワークをして、楽曲アナライズなどをして、制作をする。めちゃめちゃよくあるパターンの日。

11月下旬頃から父親の命日あたりまで続いた、静かで大きな、明らかな停滞とぼんやりとした不調のビッグウェーブに飲まれそうであったが、よくあるパターンの日々を積み重ね、なんとかやりすごした感覚を最近おぼえる。

やはり、人によって、バイオリズムや外部的な影響など、すべてを含む周期というのはあるのだろうかと実感した。それにしても今回のは相当でかかったなと振り返りつつ。

ついこの間、仲間に「これから第二の人生スタートですね」といった感じのことを励まされるように言われた。なんとなく、本当にそういった心境である。

今までやってきた各種のことを点と捉えると、それが線でババっと繋がってきているような、そのような、よくある表現がわりとしっくりくる。

明日からも、コツコツと新たに点を打ちつつ、キュッキュと線を繋げては楽しく暮らしていこうという、えらく穏やかな気分の1日。
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「家族」と「結婚」について深く考える昼下がり。あまりにディープに掘り下げる。

すると、「毒親」「カサンドラ症候群」「介護」などなど、あまりハッピーではないフレーズばかり思いつくので、キリのいいところでやめとく。すさまじいネガティビティ・バイアスがはたらく。前提として、俺は両親にとても感謝している。

まずは、いつでも結婚なり、家族を築くなりできるよう、そういった甲斐性を育てようと仕事とか頑張る。現状、結婚等の予定はないが。

なんやかんやと、日々せっせとやっていれば、さっぱりした心境で過ごせる。しかし、手前はアラフォーでまだ仕上がっていないのかなとふと考える。仕上がっているか否かの基準たるや。

とりあえず、資産が1億円くらいあれば説得力あろうもと、じゃあ1億円稼ぐの目指してはりきっていこうと、わりといつものように過ごす。目標が雑。

とりあえず1億円はおいといて、今、具体的に描いている様々な絵図をちゃんとコツコツやって邁進しようと、最近気分はとてもスッキリはつらつ。
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案件で銀座へ。いつ来てもどこか上品な街。現場でみなさまと楽しく過ごす。

仕事終わりに呑ませて頂いた「アナーキー(アナーキー82 ノット・サティスファイド)」と銘打つ酒。それは、82%という親の仇のようなアルコール度数のウォッカであった。ショットでクパッと賜る。

「恐ろしい酒ですよそれは」と、注いで頂いた方は仰る。しかし、俺からしたら信じられないくらいの甘露。ボトルのネーミングも、個人的なパンクブーム真っ盛りと相成り、親しみすらおぼえる。

少々寝不足の日だったが、なんやかんやと、おかげさまで幸せに暮らせた春の良日。アナーキー82やら70、80年代パンクロックやらと、謎のパンクブームはまだ去らないが、心境は対照的になごやかそのもの。
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謎に一人で呑み過ぎて二日酔いの立ち上がり。謎というか単に不摂生。サプリメントをゴクリと飲んでごまかす。

四十も超えると、わりと如実に健康に気をつかい始める。たまに筋トレをしたり、散歩以上の有酸素運動は欠かさず、ハゲんように毎日頭皮を揉みしだき、最近は顔面がたるまぬよう、数分のフェイスマッサージも追加。

老いに対する抵抗、衰えの恐怖、いろいろあるだろうが、あと10年もしたら、すっかりとっつぁんみたいな風貌になるのかな、それはしょうがないが、こう、いつまでもシュッとしていたいなと、日々の工夫を重ねる。

「健康や老い」という議題を脳内会議にかける。大勢の中でも最も聡明な議員はこう言うであろう。

「酒と煙草をやめれば一発では?」と。

ごもっともな意見である。しかし、そのまごうことなき正論に対し、脳内の血の気盛んな野党の者共は「詭弁だ!」などと、ぜんぜん詭弁じゃないのに素で怒り狂い、昭和においての国会議事堂内のみっともない喧嘩シーンのようなテンションで全力抵抗するであろう。

そして、グランジ・ロックバンドのライブのラストのくだりのような、轟音まみれの尻切れとんぼのアンサンブル後、ギターとベースを床に置き、「フォーン」という恍惚としたフィードバック・ノイズが延々とフロアに響き続くかの如く、議決には至らないであろう。

とはいえ、俺に愛する嫁がいたとして、彼女に「煙草やめてみたら? 酒もちょっと減らすとか」などと提案されたら、俺は案外素直に言うことを聞くという自負がある。

結果、2日後あたりに、90年代の高校生かと言わんばかりに厠で隠れて煙草を吸っていることが嫁にバレ、「お前、どういうことだよ」と、訊問されるであろう。

「いやね、野党がすごい剣幕で……」と、手前の脳内の葛藤のもようを一応説明するも当然理解は得られず、「ふん。いつまでもおしゃぶりが取れない赤子のようだなお前は」と、嫁になじられるだろう。

そして、人並みにカッとなり、「君だって、風呂上がりにビールをうまそうに呑むじゃないか。毎日!」と、筋違いの反論をするだろう。

されど嫁は、「うるせえな。私がビールを呑んで誰に迷惑をかけたよ。お?」と、おかんむり。その際、肩パンを連打されるであろう。そして、「はい。左様でございます。僕も努力します」と、老犬のような目をしながら俺はササと折れるであろう。

要するに、酒も煙草も、やめるとかやめないとか、嗜むとか依存するとかオーバー・ドーズとか色々あるが、ほどよい距離感が一番ではないかということである。夫婦喧嘩の発端になるくらいなら、はなから干渉しないほうがいいのかもしれない。

きっと、誰かに迷惑をかけているかという点、加えて、著しく健康を害していないか、という点が重要といったところであろうか。

そうなってくると、俺はまだ禁忌とするまでしなくてもいいかな、そこまでのレベルには達してなさげかな、という気持ちになる。以上が、俺がまだ酒と煙草を嗜んでいる言い訳となる。
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暑さに湿気に降雨に強風というわけわからん天候。営業やら依頼業務やら制作やらと、淀みなく過ごす。

スムースに生活しているのはいいのであるが、やはりこう、刺激を欲する。

今月あたりは親父が死んだりライブをしたりと、わりと刺激があるといえばそう。しかし、なんというか、娯楽的な刺激が欲しいのである。ジャンクな方面のドーパミン放出と表現するとしっくりくる。

やっぱりギャンブルを解禁して、かつて足繁く通っていた雀荘へ行き、博徒という、どうにも波長がバチンと合ってしまう方々と勝負ごっこして遊び散らかそうか。

「あれえ! 平吉さん、3年ぶりくらいじゃないですか!?」と、店員の方々に熱烈歓迎されることは明白。「ホットコーヒーブラックでいいですよね?」と、いつものドリンクだって言わずとも出てくるであろう。

「いやー。3年も来ないなんてどうしたんですか? らしくないですよ!」

「いやあ、ちょっと禁止していまして。博奕自体を」

「そんなストイックなこと……体に毒ですよ! ははは」

「ええ。一理あります。しかし、俺にとって博奕は毒と判断しての期間でして…」

「あれえ? 平吉さん僕と打ちながら、『酒でも煙草でも、人間にとってほどほどの毒は必要ですよね』とか卓上で目を細めて言ってませんでした?」

「確かに言いました」

「だから、3年も過ぎて、足りなくなった必要なものを補充しにきたと」

「いえ、魔が差しまして」

「ははは。いやだなあ。『人間こそが魔物ってもんですよね』とか牌を強打しながら言ってませんでした?」

「確かに、言いました」

「たまには魔物になって遊ぶことも人間らしいと、そうご判断してのご来店というわけですね! はいコーヒー!」

「ズズズ。やっぱ帰ります」

「あ! 2卓ラストー! ささ平吉さん! ご案内で〜す!」

「お! 平吉さん久しぶりですね! ずっと待ってましたよ!」

「ああ、Sさんお元気そうで。タトゥー追加したんですね。素敵な柄ですなあ。ははは。バキバキだ」

「ははっ! 平吉さん同卓なら朝までいこかな!」

「いやあ……」

人間は魔物であり、毒を必要とし、足りなくなったら補充する。俺にも魔物の側面があり、適度な毒が必要である。よって、人間である俺は毒を補充しに雀荘に戻ってきた。

そういった、手前のかつての発言起因の、強引な三段論法で雀ボーイに言いくるめられ、ふたたび博奕の世界に戻る。

というのも悪くはないけど禁止は禁止。しばらく鉄火場に行くつもりはない。と、鉄のマインドを確認しつつ、健やかな気持ちで鍵盤叩いて楽器練習もする。

わけわからん天候の日は、なにかと気の迷いが行動に出がちである。しかし、魔物には乗っ取られず、魔物を飼いならす。「飼いならす」というライン引きは、人それぞれ。

このニュアンス、わかる人にはわかるかもしれないが、その「わかる人」というのは、なかなかどうして、決して悪い意味ではなく、どこか香ばしい人なのかもしれない。そういった人が俺はなんか好ましくも思う。
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ほぼほぼ1日、散歩をしたり、ソファで寝っ転がったりという休日。まごうことなき休日。

「なんもしていないと落ち着かない」という心境はわりと常にあるほうだが、今日あたりは完全に休む。

今月は、新事業の依頼もいくつか頂け、制作もいい感じのペースであり、公演やスタッフ業務も頂き、ライター業はちょっと少なかったが、やることはやっているなという所感。そういったこともあり、遠慮なくゴロゴロとする。

あとは、売り上げをもっと上げることかと、コロナ禍においてどのようにしのいでいくかという点が肝心。まだ資金がカツカツという状態ではないが、大きな出費もあったし、もしものことを考慮し、また公庫に融資の相談をしてみようかと調べ物をする。

真面目なことといったらそれくらいで、あとはゆるりと過ごす。こういう日も大切と言い聞かせつつ。なにより、PCなどのデジタル画面を見る時間が圧倒的に少なかっただけでも多分、相当疲れはとれたと実感する春の終盤。
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毎日は使っているMacBook Proのフタがちゃんと閉まらないという症状。最近これに気がつき、どうしたのだろうとは思っていたが動作には全く問題ないので普通に使用していた。

しかしちょっと気にはなるので、ネットで調べる。すると、ほぼほぼ同様の症状が記されているサイトで確認できた。

要は、バッテリーがなんらかの原因で膨張し、物理的に筐体がふくらみ、そのせいでフタがピタッと閉まらないという状態である。

これは、えらいことになる前に手を打とうと、Appleに電話して聞くと、まあ、バッテリー膨張であろうと、交換・修理してなんぼと、そういった感じで他業者にも相談し、お手頃なお店を選ぶ。

最終的には、ネットで調べて症状をほぼほぼ特定できたサイトのお店に行って相談する。現物を見て、やはり「バッテリー膨張」が原因と診断される。

俺のPCのモデルにまず合うであろうバッテリーの在庫があるとのことで、預ければ翌日には直してお返しできるであろうとのこと。

しかし、今夜も制作をしたいので、改めて来週の休日の早い時間に同店に行き、即日修理(3時間程度かかるらしい)で即日お持ち帰りというコースを選んだ。

MacBookのフタがうまくしまらない時、数ミリ浮いちゃう場合は、バッテリーの膨張が原因ということがある。

なぜ、膨張したかというと、おそらく、バッテリーの充電をして「充電100%」の状態でマシーンに負荷のかかりがちな作業を繰り返したのが原因である。とのことであった。手前の場合は、充電しっぱなしでDAW作業をしまくったのが起因といったところだろうか。

仲間にその旨を伝えたら、この症状はわりと“MacBookあるある”らしいので、ここに書き残しておくことにする。

なお、修理費はAppleや各業者によってけっこう差があり、だいたい3〜6万円とのこと。数年に1回はある、マシーンの修理。これはしょうがない。ササと直ってシュッと元気になりますように。
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もう1個か2個くらい、新たに源泉を広げるか、1月から始めた新事業の新規顧客をもっととれないか、などと、金を稼ぐにあたっての真面目な思考を馳せ回らせつつ営業にまわる。雨天だと捗らない。

わりと資金が増えて、そこから投資でボーンと跳ねればな、などと、わりと具体的にも構想をする。

あまり金のことに対し、そんなに目くじらを立てないほうだという自負がある。しかし、もうすこし金に執着するくらいでもいいのではないかと、少々考えを改める。

リピーターの依頼者様から受注。向かって業務をして、売り上げを得る。このくだりがあと10倍くらいになれば、なんならこの業務だけでも食っていけるなと、明るめに考える。

制作を進め、着手中だったパンク楽曲をほぼほぼ仕上げる。時間も深くなったので一晩寝かせて明日完成させる予定でDAWを閉じる。制作物からの収益も、あと何倍かになれば、なんならそれだけでも――などと同じことを考える。

「なにをするにも金は、必要だ」と、3年くらい前に、仲間にアドバイスしてもらったことがある。正論であろう。

現代における「金稼ぎ」というのは、昔で言うところの「狩り」にあたるであろうか。先月だったか、野良ネコにそう諭したこともあった気がする。

「狩りが優秀な漢」。そう考えるとわりとカッコいい。そのようなマインドで来月からも更に張り切ろうと手前に少々気合いを入れる激動の4月も終盤。
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どうせ今日も新規客の依頼はないだろうと、ほぼほぼ制作ばかりして過ごす。パンク楽曲がイメージ通りに仕上がったので、次はその前に進行していたチルアウトを進める。

コーヒーでも淹れてしばくかと湯を沸かし、ふと業務端末を見ると着信履歴がある。手前が気がつかなかっただけであった。おおやったぜと思い折り返し、明日イチの予約として新規依頼を獲得。

なんだ、新業務もじわじわいけるじゃないかと、そのように気を良くしてルンルンとDAWと向き合う。地味にちょっとずつ前進しとるなと実感する1日。

今月は何かとありすぎて配信ができなかったのが心残りなので、GWど真ん中あたりにやってみようかと、ネタ仕込みもする。この作業がわりと楽しくて好き。
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