06/2021

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
ド変態娘と猫との程よい距離感。6月


案件がなさすぎてくたばるか――そのようにならないように先手を打って先月は色々とやっていたが、月末あたりからいくつか案件を頂く。今日は原稿やら制作としめやかに過ごす。

それにしても喋る相手がいねえなとブツブツ言いながら机で過ごすことほぼ丸一日。とりあえず脚の痛みも治ったので、姿勢を変えるたびに悲鳴が出なくなった。一人で「あああぁ!」と金切り声を発するもだれも突っ込んでくれない侘しさといったら喩えようがなかった。とりあえずほぼ治ってよかったと思う。

フラットな日の静かな心境を表すかのように、地味な2コードの繰り返しをずっとDAWで走らせる。ああでもないこうでもないと鍵盤を叩きつつも制作があまり進行しない日。

そういう日もある。あっという間に曲ができる日もある。フラットすぎてあくびすら出なかった6月第一日。
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案件で代官山へ。電車に乗るのはどれだけぶりかというほどかという心境が先月の出向案件の少なさを物語る。

エレファントカシマシの楽曲メロディがドーンと鳴り響く湘南新宿ラインに乗り、渋谷経由で現地に着き、ことはスムーズに進み、近辺のカッフェで原稿を書いて出して赤羽へ戻る。やはり外に出て仕事をするとそれだけで爽快感もあるというもの。500円のパリッとしたおいしい天丼を平らげて帰宅。

睡眠時間がやけに少なかったはずではあるが宅での作業も捗る。これは、最近案件がまたトトトと頂けるようになった安心感も起因であろう。

とはいえ眠くて辛抱たまらんのでソファでがっつり1時間は寝る。許される状況であれば眠気にはなるべく抗わないのが健康の秘訣。脚の痛みは、完全回復一歩手前までいったであろう。

起きて制作をする。ここ数日DAWにメモった曲のネタはどうもいまいちなきらいがあるので、ゼロからまた1曲着手する。すると、早い段階から抜群の仕上がりを予感させるラフのラフが出来る。たいへん質の良い脳汁がジュッと出て安堵。

実に充実した日だったなと、それは酒も欲するというもの。そうでなくてもだいたい呑むが。世間では条件付きでほぼ禁酒令というめっぽうわけのわからん状況。

しかし、俺のような宅呑みのプロフェッショナルにはさほど影響はない。でも馴染みの呑み屋さんを始め、飲食店の方々のシノギが心配でならない。

早く記憶を飛ばすほど外で誰かと呑みに行きたい。知らない外国人とかに絡んで楽しく夜を過ごしたい。制限されて初めて気づくたまにの愉しみ。幸福。人との関わり。
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鳥肌実さんから仄かに感じるあの「美」は何だろうと思いつつ、YouTubeで彼の映像を眺める仕事の合間。

いかんと思い、原稿や制作と通常運転で走る。都内の湿度は高く、夜は当然のように雨が降ってきて明日は大雨との報道も散見する。

これはいよいよ梅雨か、生モノを食うのに気を払う季節か、シメサバが大当たりして悶絶したのはもう何年前だったろうかと、梅雨とセットで巡る記憶が押し寄せる。

当面の肴は乾き物がメインとなることであろうが、俺はプリプリのさしみが大好きなので堪えられるかと危惧する。

しかし、俺がスーパーでさしみを買う場合の時間帯はほぼ深夜なので「おつとめ品」的な鮮度のさしみしか陳列していない。最近居酒屋にもとんと行っていない。要は、長いことプリプリのさしみを口にしていない。

水槽を買い、魚を育て、頃合いを見て食う。そういった発想も過去にあった。確か、梅雨の時期であった。

プチトマトを育てて食う時、おそらく負の感情は湧かないであろう。しかし、魚を育てて食うと「情」が移った生き物を食べてしまうというある種の罪悪感を抱くかもしれない。等しく、生命のある対象なのになぜこうも違うのか。人間の精神構造はまこと謎。
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大雨が降ると眠くて眠くて仕方がない。いっそこのまま目を開けなかったらどれだけ楽か、どれだけあとで後悔をするのか。そんな思考であっただろうか。眠すぎて忘れたが、そんな感じで起床して変なコッペパンを食べて案件で六本木へ。

この界隈のなんちゃらガーデンとかヒルズとか、まあ立派なものである。ずらりと品良く並ぶ店舗の商品の単価の高さたるや、まあブルジョワな地域だなと、偏見を静かに巻き散らかせながら仕事に励む。

宅に戻り、ああ、今日も夕飯を飛ばしたなと、来客用のチョコレートを一つ、小袋を一つだけ開けて一気にかじり、原稿を書く。忙しくていいじゃないかとも思うが、もうちょい早起きしていればそうでもなかった気がするのは否定しきれない。

そのぶん挽回しようという決起のもと、ルーティンのお勉強を済ませる。そしてその勢いで制作をしようと奮い立った。ギター録音依頼を頂いたので採譜から始める。

1曲ぶん書けたのでそのままパートを考えようかと、さらに作業を進める意欲はあった。一方、わりと十分今日はやることやったので、冷えたハイボール缶でも流し込みつつリラックスしようかという欲求も混じる。

そんな刹那、編集部より入電。案件を頂く。あれあれ、先月と打って変わってこのごろは随分頂けるものだなと、コロナ禍に突入してからの乱気流に右往左往、とまではいかないが、仕事を頂けるということは、求められているという風に解釈している。求められれば、喜ばれるのであれば、手前はやる。

そういったかたちで閉じた6月上旬の梅雨らしい日。これから夏が来て、従来通り蝉ちゃんが鳴き散らかしては風情を感じさせてくれるのだろうか。今年あたりからいっさい鳴かなくなるのがデフォルトとなるのではないだろうか。そう本気で考えてしまうくらい、昨今の時代の流れはまこと激流。濁流。全く読めない趨勢である。

とはいえ、毎日やることがあって、絶望的に資金が減っているわけでもなく、見えない先に向かってのフィードバックをこしらえているあたり、激流の中でも手前の本流で健やかに過ごせていると信じたい。それが誠かどうか。それは、その日の酒の味が判断してくれる。いつ呑んでもおいしいお酒。

「昨夜は、酒に、まるでそっぽを向かれたかのように、只の水と香料やらとアルコールを伴った液体が胃を経由し、今朝方、小便となって何事もなかったかのように流れ出てはあっという間に下水となった」

というような書き出しの日が今後あったとすれば、俺はいよいよだという精神状態であろう。いまのところ、ここ数年は、ない。酒、煙草、珈琲。嗜好品の味わいは、現状の幸福度や満足度のバロメーターともなっていると本気で思っているのは俺だけであろうか。
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季節所以か、蚊がわんさか部屋に入ってくる。蚊は、実にうっとおしいことこの上ない。特に、集中している時に「ファ〜ン」とか音を発しながら寄ってくると殺意が湧く。

しかし、「無駄な殺生は関心しない」というコンセプトのもと、俺は蚊を見つけても即叩くということはせず、やたらとでかい窓を開けて退場を促す。

そうなってくると、蚊たちのコミュニティ界隈では、「あいつは大丈夫。ちょっと血を吸っても殺されない。奴の家は穴場だぜ」という噂が立ったのかもしれない。

だから今日は、情け容赦無く蚊を3〜4匹は叩き殺した。俺にだって我慢の限界というものがある。はっきり言って、虫を殺したくらいで罪悪感はわかない。慣れれば動物もそうだろうし、なんなら同類の生き物に対してもそうなのかもしれない。

自然の摂理とはいえ、生き物や人間は、日常的に罪深いことをおこない、屍の上に立ち続けながら生きていく存在なのだなと、灰皿に沈めた蚊の死体を見つめながら思う。

そして、逆の立場でも考えた。決死の覚悟で人間の血を吸いに行く蚊の気持ちを。そもそも、蚊に「恐怖心」というのがあるのかないのか、「人間はだいたい蚊を殺しにかかってくる習性がある」ということを本能で知っているのかどうか――これはいよいよ時間の無駄だと思ったので、よっぽど上機嫌の時以外は、蚊は鏖(みなごろし)にすることにした。

そういった行為をせずとも蚊を寄せ付けない「蚊取り線香」のノスタルジックな匂いが広がる季節もすぐそこ。そして、俺の蚊に対する殺気を鎮めるには、ただ窓を閉めていればそれで済むことだと今気がついた。
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机につくとまずビリー・アイリッシュさんの新しい曲を3つほど聴くことが習慣となり早10日くらい。特に「everything i wanted」という楽曲が特にお気に入りで、若いのに凄いなとかしみじみ思う。

俺はというと中年か、壮年か、少なくとも、もはや青年期ではないのだなと客観的に捉える。とはいえ心は27歳くらいのスタンスで生きているのだがこれは大丈夫だろうかとも仄かに憂虞。

ギター録音依頼のうち1曲が仕上がる。俺の作曲ではないが、実に心地よい楽曲だなと感銘を受けつつ、ギターパート込みの音源をプレイバックしては悦に浸る。この感じでいいのかどうかは俺が決めることではないが、個人的にはたいへん素敵だなと感じる。

素敵なのが出来そう、出来る、そういった狭間の時間はとても充実している。しすぎてまためしを飛ばした。不思議と腹が減らないのはどういう了見かと手前の内臓を疑う。

そういったわけで、しっかりめの肴を買ってきて酒飲んでYouTubeでも観て寝よう。もう10年の付き合いになる植物ちゃんと一緒に寝室で寝よう。

青年期の頃は、「よし、いいのが仕上がった。次はと…」という感じで朝方まで作業することがよくあったが、アラフォーになってからはあまりしない。限られた活動時間でギュッとやることを心がけている。老い。老いなのだろうか。それは、めしも食わずに作業し続けられることが、決してそうではないことを物語っている。

自称精神年齢27歳のアラフォースタンス。これがいつまで続くか。あと5、6年はいける気がする。手前がきちんと毎日3食摂るようになったら「老いたな」と実感することであろうが、めしはちゃんと食った方がいいことは明白。明日はギラギラした中華定食あたりをちゃんと食べに行こう。
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中華定食を食べる予定だったと気づけば深夜。昼イチからずっと、執拗なまでにDAWに張り付いて録音をしていた1日。

こう、没頭できるというのはよいなとは思うがいかんせんぶっ続けは、とも思う。「そのテイクでOK」とか「ここをもうちょい…」などと手を差し伸べてくれる人がいればそれにこしたことはないのだが、当然自宅で一人作業なのでおらず。

そういったわけで本気で手とケツが痛いので麻酔のような酒を呑んでぐっすり眠ろう。今日あたりは熟睡が確約されているようなもの。
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なんだか脳機能のそれぞれがパキッと乖離したような、妙に昔の記憶ばかりがランダムに頭を巡るようなフィーリング。そういう日もある。

どれくらい過去の記憶が、死直前の走馬灯のリハのように回っていたかというと、「たいぞうです、泰造です――原田泰造さんの、あの自己紹介の歌のメロディはどんなのだったであろうか」というところから始まり、彼が演じる「アキラ」というホスト役が主軸で盛り上がるコントをYouTubeで眺めては爆笑する、という程であった。

しかし、決して1日そのように遊んでいたわけではなく、ちゃんと昨日執拗なまでに入念に録音したギタートラックをチェックし、適切かを確認し、「ばっちり出来てんじゃん」と判断し、データとしてそれぞれ書き出し、2曲ぶんを依頼者へ送信する。

昨日は、エネルギーというか精神力というか体力というか、色々と使いすぎたことが起因で、先述の作業だけで今日はクタクタになる。頭は、なぜか過去のことばかりがメリー・ゴー・ラウンドのようにメルヘンに、そしてサイコかつポップに、サラウンドに巡る。

人間は、前向きな時は文字通り未来や現在を想い描き、はりきる。そうでない時は振り返りがち。すなわち、これは「疲労である」と判断し、ソファで2時間弱モゾモゾ過ごす。体というより、脳というより、精神というより、魂とかそういったレベルの深い部分が「しばらくじっとしていろ」と、そう言っている気がするので素直に応じる。

現に、今日は左手が、こと楽器演奏においては使い物にならないくらい疲労が溜まっている。じゃあしょうがねえなと思い、すこし休む。

「原稿を書かねば」とか思いながら体を起こしつつスマホがキャッチしたLINEを見ると、さっき送ったギタートラックの件に関し、「最高です」との旨が記されていた。それだけで疲れは飛んだので原稿を書く。ある種シンプル過ぎる手前の精神構造に感心しつつ。

半分くらい書けたところで、やはりタイピングするのもちょっと手に負担がかかるので早仕舞いとする。今日はバスクリン的な粉を入れつつ入浴し、疲労を取ろうと考えながら。

そして、ゆっくり酒を呑んで今日もぐっすり寝ようと思う。ネプチューンのコント動画を見ながらゆっくりと。
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怖いくらい明瞭で、具体的で、記憶に残る、書き記したり撮影したりしたら一編の短編物語になる、というほどの夢を見る。完全に別世界に行った気分のまま起床。

最近どうも妙な気分が続くな、ネガティブな部類ではないがメルヘンサイコすぎるなとか思いながらキノコ蕎麦を作って食う。もしかしたら、たまに品種を確認しないで食っているキノコが実はマジック・マッシュルームなのかもしれないが、非合法となった今、その可能性は薄い。

原稿を書いて提出し、少しお勉強をしているうちにまた変に眠くなる。あの、登場人物の顔も発声も感触も、音も気分も鮮明な夢を思い出しながら休む。

横になっていると幽体離脱しそうな感覚を何度も受けては体がビクッと反応する。これはまだ疲労が取れていないとも捉えられる。現に、左手の痛みがまだ十分に取れていない。

そういったわけで今日も半休のような過ごし方。左手が十分に機能しないと音楽制作系のタスクは全くといっていいほど進められない。これがもどかしい。

それでも強引にやろうとすればまあできるだろうという具合ではある。しかし、無理をしてこじらせると非常によろしくない。ここは大事をとるのが最適と、心からそう思う。

そういったわけで今日も早仕舞いとする。とはいえ23時半。いや、いつもこれくらいが健全なのかもしれない。健康第一というフレーズをガチで捉えざるを得ない年頃を実感。
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めちゃめちゃぐっすり寝るも体調がよろしくない。気晴らしに1時間散歩したらクラクラになるほどの体たらく。

確か今日は、天体が珍しい動きをする日だった気がするから、そういった大いなる力の影響を受けて俺の体調が優れない。そういったことにしておいた。熱もないし症状を具体的に表現できる感じではない。ただ、頭と感覚がフワフワと、手前がバラバラになってしまうような感覚がずっとあるというサイコな症状。

夜になると少しよくなってきたので制作をする。まあまあ進んだからよしとしてDAWを閉じる。まだ頭がグラグラとする。明日は、健やかに過ごしたい。妙な夢も見ずに、何事もなかったかのように、フレッシュな明日がくると信じて寝よう。
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ぜんぜんフレッシュではない気分で起床し、和風スープを作って食って机に着座。メールチェックなど一通りしたあたりの正午、これはたまらんと思い寝る。ベッドで寝る。

会社員時代だったら確実に病欠、というレベルのこのコンディションたるやいかんと思い本気で寝る。うまく言い表せないが、とにかく優れない。

2時間ほど寝るとやや覇気が戻ったのでめしを食う。散歩に出かける元気はあったので近所を小一時間ぶらつく。亀が池で何匹もスイスイと泳ぐ祠に通りかかる。100円玉を入れて神頼みとする。「亀さん亀さん神さんよ、元気になれますように。みんなと元気で過ごせますように」と。

帰宅中、編集部より入電。原稿の件で「もうちょい、こう……」的な内容であったのですり合わせながら直して再提出。その流れで村上さんと楽しく全然違う雑談をしていたらだんだん元気になってきたので終話後は制作ができるまで持ち直す。

「あと1トラック、ギターソロのみ」というところまで進んで安堵。それにしてもこのところの妙な調子はいただけない。明日こそ、元気でありますように。亀と祠と村上さんのおかげで少しはよくなったのでたいへんありがたい。全快しますように。あとはほぼほぼ神頼み。
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やっと体調が優れ、めしをバクバク食う。生命力溢れるプチトマトと葉っぱで作ったサラダとフライサンドが実に美味い。

これは張り切れる、そう思い制作に励む。「もう一声」というところまで出来たところで、SPALさんというユニットの初ワンマンのライブの生配信の時間になったので鑑賞する。

いい感じだなと思いながら見ていたら、プロデューサーの方から「めし食えるから時間あったら来ない?」的なLINEをキャッチしたのでしっぽを振って現地に行く。隣町であったため、秒で着く。

なんだかみなさんとお逢いするのも久々だなと思いながらほっこり過ごす。本当にめしを食いに行っただけというスタンスでなんだか申し訳なくもあったが、これは僥倖と思い酒まで頂く。

なにしろみなさま元気そうだったし、手前もほぼほぼ回復したしよかったなと思いながら帰路につく。自分のやることがあまり進まなかった気がしないでもないが、人様がいる所に行って楽しく過ごすということはそれだけで価値があるものだなと、基本的なことに関しての感謝を確認できた1日。
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「もう一声」のトラックが出来たので、弾き倒したギタートラック全てを書き出して送る。頂いた依頼案件3曲ぶんが仕上がり、そして体調も戻ったというところでなんだか良い流れを感じる6月も中旬。

昨日おみやで頂いたサンドウィッチをガンガン食いながら珈琲をすする。世間的にも個人的にも周囲の方々的にも、なんだか色々あるなとはいえども快適に過ごせているのだなと、適応しているなと、改めて日常に対してポジティブな俯瞰的視点を向ける。

こういった特殊な時代ではあるが、資金はというとエグい増え方も減り方もしないという、まあよくやっている方だと思いつつ、油断はできんと色々と進めていればすぐに深夜。北区赤羽はいつのまにか雨が降っていた。

明日も晴れようが濡れようが、宅でせっせと作業の予定。コツコツと過ごすことが今は賢明であろう。そして景気良く夏を迎えたい。

夏生まれの手前にとって、夏というのは今生にデビューしたフレッシュな季節である。やはり高気圧に包まれてめっぽうはしゃぎたい。

たまにはプールや海で泳いだりもしたい。俺は平泳ぎでなら永遠に泳げるという自負がある。イルカと共に遠洋まで果てしなく泳ぎたい。あのツルッツルの皮膚を撫で撫でしながら、イルカと一緒にキュイキュイと夏をエンジョイしたい。とはいえアラフォーの男性とイルカは、たぶん絵にはならない。
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興行の練習やら制作やらで一日中ストラトキャスターを弾いていたという日。また手を痛めないように、こないだ足立くんがくれたウィ〜ンと自動的にマッサージしてくれる機械を使用してほぐす。これがわりと効くから重宝する。

昨日今日あたりはしっかりめしも食い、心なしか肌にツヤがある気がするような。相当調子が優れなかった数日前2日間あたりは明らかに顔色は淀み、全体的にやつれていた。やはりめしは重要。

美食を追求するという方向性は全くないが、定期的にちゃんと食うということに関しては意識をすればできるということに気がつく。なんという基本的なことをいまさら意識し出したかとも思うが、それはそれで健康志向で賢明なマインド。

当分体調は崩したくない。あの、めしもいらんという精神状態たるやあからさまに危険。気をつけよう。季節の変わり目、梅雨の頃。
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今日をもってして関東圏は梅雨入り。そう肌で感じた濡れの空気。なのに何故、傘を持って出なかったのかというくらい容赦無く雨粒が振りくさる午後。

夕方は板橋区の病院へ行き、父親の入院費を支払う。「5時までに来てくださると……金庫が5時からは……」と、経理の方に言われ、金を払いに来て苦言を呈されるとは思ってもいなかったので鳩が豆鉄砲で蜂の巣にされたような顔で応じる。

向こうさんの言うことはまこと正論。「そうかそうか、気をつけなきゃな。お手間をかけさせちゃったな」とか呟きながらバスで帰宅。興行の練習などをして過ごしているが、梅雨特有のぬるりとした湿度が俺の覇気を、一枚一枚と、薄皮をゆっくりと剥がすように奪っていく。

いいや屈しない、そう思い、生配信をやろうと決起する。やるとこう、気が漲る感じがしてとてもよいのである。観てくださる方々に楽しめて頂けているとすれば、手前はこの上なく嬉しいのである。たいへん、ありがたいと思う気持ちで溢れる。

そういったライフスタイルで過ごし、深夜を迎える。湿度や低気圧などに負けんよう、鋭気を養いつつゆっくりと休もうと思う。梅雨という季節はなにかと留意が必要だと思っている。だから、休息は大切にしたい。とはいえ、実際に梅雨入りしたのかどうか、気象庁のスパコンがどう判断したのかは、知らん。
_06/15

 

 

 


小さなスズメが仕事部屋の窓にドンという音と共にカチ込んでくる。おやおやと思い部屋と外の境界線を覗くと、小さなスズメは窓のサッシにちょこんと居座り、俺になにかしらを訴求するような声色でチュンチュンと鳴き続ける。

これはかわいいなと思い、昨夜肴にしていた変な豆があるからこいつを砕いて与えようかな、そうも思ったが、その配給によってこの界隈の生態系が崩れるのもいかんなと思い、やらんかった。それでも小鳥は、キャビアのような瞳を俺に向けながらずっとチュンチュンと、愛おしい声で鳴いていた。

ふと窓から下を見下ろすと、ウシ柄の野良ネコが闊歩していた。駅前の立地とはいえ、自然の動物をちょいちょい目にすることがあってほんのりとできる。なんならもっと身近でということで、思い切ってペットでも飼おうかなと思ったが、死んだらペットロス鬱で死ぬ確率が高そうなのでヤメようと、一瞬だけ検討する。

そんなことを考えている場合ではない、そういえば封筒が2つほど来ていたなと思い、「安くねえなあ」としか言いようがない住民税と健康保険料の支払い用紙を持ってコンビニで納める。

のどかに暮らしていても、払うものは出てくる。息をしているだけでも金は減っていく。じゃあ仕事とかして稼げばよい、しかし案件が少ない、じゃあ新たなシノギで前進せよ、などなど、まあ人間は人間であるだけで忙しいものなのだなと、スズメやネコを見ると思ったりする。

人間が動物を見て和む理由としてひとつ挙げられることは、彼らが忙しくはないからなのではないだろうか。最低限の生存活動しかしないわけだから、どう少なく見積もっても、スズメやネコは忙しくない。

だからと言って動物のような暮らしをしたいかというと、そうは思わない。しかし今日あたり空を見つめると、シンプルに「飛びたいな」という感想が出てきた。現実逃避や自殺願望を仄めかす類の感想ではない。単に、空が飛べたら喜悦のひと時だろうなと思った所以である。

飛ぶのがデフォルトのスズメは、そんな中で俺の宅の窓にカチ込んで来たということは、暇だったのであろうか。

動物にも「暇」という感覚があって、そんな中、面白半分で俺の家に突撃しにきた、という風に解釈すると焼き鳥にして食ってしまえばよかったのかもしれないとも思ったが、界隈の生態系が崩れるのでそんなことはしない。
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クレカのポイントで牛丼を食う所から1日が始まる。タダめしのようで特をした気分である。その足で服屋に行って数年ぶりくらいにズボンを買う。黒く細いやつを買う。

どうせ「細い」だの「痩せている」だのよく言われるわけだからむしろ細さを前に出していくのも一興。この歳になっても中年太りとは縁がないぜと言わんばかりに、逆にアピールするくらいでもいいのではないかと思う。誰得かは知らんが。

今日もほとんどの時間をギターを抱えながら過ごす。録音依頼案件などをせっせとやる。なんだか去年あたりから人生で一番ギターを弾いているという所感の時期が続くが、これは幸福というものであろう。どうか手を傷めないように、マシーンでめちゃめちゃ揉んでから寝よう。ウィ〜ンと。
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宅でひとり制作に練習にお勉強と、きっと月末までこんな感じであろう、という昨今。話し相手がいないことにもすっかり慣れてきた。今日あたりは植物ちゃんとしか喋っていない。

あと、宅の直近の飼いネコである。パッと見で「飼い主の年収は数千万円」と判断できるネコの物腰はというと、赤くてかわいい鈴つきの首輪に立派な毛艶。うねるトラ模様からして純正のアメリカン・ショートヘアーとみた。

こいつは夜行性だからか、深夜に酒を買いに行く時に最近高確率で出会う。近寄ると、それなりに警戒して離れる。しかし、明らかに俺に向かってニャアと鳴いたり大きなあくびをしたりゴロリと転がったりと、コミュニケーションをとりたがっている様子が見られる。

なんならネコ用のエサやおやつをチラつかせれば一発で接近できるのだが、それは他人の彼女にアプローチするようなもの。彼は人の家の子なのである。

とはいえ、いい加減触らせてはくれんだろうかと段々と距離を縮めているのだがいまだモフれずである。

「おい飼いネコよ。そろそろ触らせてはくれんか」

「いいや。お前は油断ならん気がする」

「ちっちっちっ……」

「かわいそうに。ひとりで過ごしていて喋る相手がいないものだから」

「ザッ!」

「おっと。触らせねえよ。バーカ。うんこうんこ」

と、彼が言葉を発することができるならこんな感じのやりとりである。これを、ここ2週間くらいの期間で10回以上は繰り返している。

とうとうネコにも憐れまれる、おちょくられる体たらくである。そういう捉え方もあるが、深夜のお約束のやりとりという風にもなり定着しつつある。そういったわけで言葉が喋れる近所の友達が、欲しい。
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作り手によってもの凄い落差のある立ち食いうどん屋で昼めしを食う。この店において、ピンレートの雀荘(1時間でだいたい1万円くらい動くレート)でシノギを削ってそうなおやっさんが厨房に立っている時は当たりである。

まず、おいしいうどんが出てくることに加え、頼んでもいないのにネギは山盛りである。つゆはというと、漆黒の濃度と塩分で舌にガツンとくる。

しかし今日はいつもと違うおかあさんが調理担当の様子。たまごうどんをオーダーして待つこと2分。出てきたうどんはたいへん普通の仕上がり。これがデフォルトなのである。

俺は、あのおやっさんが作る、ネギだらけで親の仇の如くしょっぱいうどんが食いたかった。食後にゴォォと血圧が上がる特筆すべき塩分濃度のあの品が。

しかし、今日のおかあさんが作ったうどんは、普通であった。別にハズレというわけではない。おやっさんのうどんが誠に異常なのである。

おやっさん率はだいたい60%くらいだから――まあそんな日もあるなと梅雨空を眺めながら帰路、新しくできたガールズバーの前ではウサギの耳をつけたギャル2名が「いかがですか〜」と、誘ってくる。営業してくる。

この時期に新規開店とはたくましいなと、そう思いながら一応ギャルらをガン見した上で「いいっす」と躱し、帰宅。心理カウンセラーの資格受験問題が届いていたのでさっそく挑む。

以前、メンタルヘルスマネジメントの資格を取りに行った時のような、試験場の東大キャンバスにカチ込みに行くあのえも言えぬ緊張感がないのが寂しいが、まあ今時だなとか思いながら本気で解きにかかる。

しかし、嘘だろというくらい簡単だったので拍子抜けもする。心理学や精神医学は大好きなので前知識がだいぶあったのが功をなしたか、ここのところの勉強が相当身についたのか、メンヘラ当事者だからなのか、いずれかはわからないが、間違いなく受かるだろうという手応えを掴みつつ投函。結果は1カ月後だそうな。

そういったわけで色々とあったような地味なような、そういった1日が閉じる。なんだか塩分が足りない気がするのでしょっぱい肴で酒を呑って寝よう。なんだか遊びが足りない気がするのでウサギたちと遊ぶ夢を見よう。
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夢の記憶もないほど熟睡しやや早起き。今日もせっせと制作をと思う朝一、もやしを茹でてしょっぱいナムルにしてさらりとたいらげる。珈琲を多めに淹れて着座。

夕方前までギターを録音する。まためしを飛ばしてはいけないと思い、和風のほっこりインスタント昼飯を作って再び着座。

「今日中にこの曲は仕上げよう」と静かに意気込んでいたらなにやらグループLINEがざわついている。ちょこちょこリアクションをしていたらグループ内の1名から入電があり「今から行くわ」とのことであった。

暫くして景気良く「ピンポンッ」と鳴りビクッとする。某ミュージシャンが2名、宅にカチ込んで来た。「珈琲でも飲むかい」問うと「くれ」とのことだったので、普通に遊びに来たと判断。

煙草をくゆらせながら湯を沸かしていると、彼らはわちゃわちゃとマイクを設置しだしてアコースティックギターで2本の機材で試し録りをしたりと、仕事部屋で実に自由奔放に遊んでおる。

その後もめしやらをがっつり食いつつ(おごってもらう)様々なテーマで談笑し、たのしく過ごす。

「もうこんな時間だよ」という1人の言葉で「もうそんな経つか」というわけでお開きとなる。

最近人とまともに喋っていなかったなとか思いながら、来客方のコーヒーカップをキッチンで洗いながらほっこりとする。「遊びが足りないな」やら「最近喋っていないな」とか思ったり記したりすると現実として翌日来訪があるという、手前の中での不思議なあるある。ありがたいことだと思う。
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昨日十分に遊んでいたことから生じたのか、なかなかの覇気。明るい時間帯はせっせと制作をし、ギター録音依頼が1曲仕上がる。

めしを飛ばさぬよう留意し、スーパーで買ってきた400円くらいの冷やしラーメンを食う。最近気に入ったこいつを買うのはここ数日で3回目である。新たに食べて気に入ったやつはやたら短いスパンでリピートする反芻気質。けっこういると思う。

とはいえ「こないだも食ったな」という感覚は否めないので何か変化をと思い、チューブのすりおろしニンニクをニュルッと入れて食うとさらに美味くなる。何事も知恵と工夫だなと実感しつつ、食後は少し手を休め、暗くなってからは興行演目の練習をする。

毎日左手をマッサージ機にウィ〜ンとあてがう習慣ができるというほど今月はギターを弾いている。ただなんとなく弾いているわけではなく、案件ありきということは僥倖と言えよう。

巷の報道などの一部を見ると、シノギが厳しいという方々もおられるという。俺も厳しいが、色んな方々や色んな制度のおかげさまで、なんとか死なない程度に過ごせている。死ななければなんとかなる。

「生きる活力を膨張させるためには」というような話題で昨夜はちょいちょい盛り上がった気がするが、だいたいエロい話に寄りがちであった。健全。それこそが健全である。

健全な者が周囲にいてくれると、手前も健全でいられる。逆も然り。何事も、ネガティブに捉えて変な行動に移りさえしない限りは、わりとなんとかなるのかなと切に思う6月もあっという間に下旬。
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緑黄色野菜を2日ぶん茹でて半分食う。オリーブオイルとポン酢をかけてバジル粉を振って食う。免疫力がものを言う昨今、根菜類の温野菜は体によかろうという手前の健康への配慮。今日の体調はすこぶるよい。

緊急事態宣言が明けたので各店の営業時間の変化たるやと思い、とりあえずブックオフ赤羽店の店じまい時を調べると22時までやっているもよう。これはあとで遊びに行こうと思いながら宅で制作などをして過ごす。

なかなか手の込んだ楽曲の骨組みがあっという間に出来たのでこれは嬉しいと思い、基礎ビートを並べ、そのままアコースティックギターをマイク録音する。仕事部屋には実にたいそうな機材も増えつつあるので良質なサウンドでおさめることができ、いい気分だと思っていたらブックオフには間に合わない時間帯に。

気が付けば最近よくある、ほぼ終日引きこもっての作業日。ついこのあいだ、手前の結婚観の話になった時に、「例えば、ずっと作業をしていて隣の部屋から平吉の嫁が出てきて『うるせえよ』って言われたら?」と、友人に問われた。

それは「相手による」と、答えた。自宅でそれはいけないというくらいの音量で作業していたら、それは同居人からクレームがくるであろう。一人でアホかというくらいの声量で夜な夜な生配信をしようものならそれは本気の肩パンをされても文句は言えないかもしれない。

しかし、相手が、この場合は嫁が、「しょうがないな」と思える存在であった場合は何をされても多分ネガティブな感情は生じない。

そういった情念を説明すると、友人は「じゃあ結婚とかすればいいのに何故この男は……」という表情をしていた。

こういう時は決まって『結婚できない男』というドラマの阿部寛さんの役柄が思い浮かぶ。

阿部寛さんは作品内において“偏屈”という感じのキャラクターを演じていたが、偏屈だと結婚しがたいのだろうか、俺は偏屈なのだろうか、いや、最近はわりとポップな方向性に、とか考えていたらわりとどっちつかずというかやはり思考停止の方向に向かう。

だが俺は主張した。「俺がもし結婚したとしたら、まず、愛妻家になると思うんだよね」と。それは何故か納得してくれた。

偏屈な野郎が愛妻家になったとすると、どうもサイコなイメージが頭を馳せめぐるがそれは極端な考えだろうか。いずれにせよ、何でも許せちゃう伴侶がいたとしたら、それは人間の幸福の種類の中のトップ5くらいに入るのだろうか。

では、トップ1とは。人間にとっての一番の幸福とは。たぶん、死ぬ寸前に気づくであろう。「あれがベスト1だったな」と。
_06/22

 

 

 


明らかに左手の筋やら関節やらが悲鳴を上げる手前の段階なので控えめに過ごそうと感じた起きがけ。昨日茹で上げて冷蔵保存しておいた温野菜を全てたいらげ、池袋に散歩に行く。目的は、消耗品の買い出しである。

パルコ付近のパーラーの向かいに確かにあったでかい建造物がなくなっている。そのまた付近の埼京線沿いの憩いスペースには、いつだって野良ネコたちがわんさかいたのだが一匹たりとも見かけなかった。

なんだかコロナ禍の影響なのか、池袋もけっこう雰囲気が変わったなと実感しつつぷらぷらと歩く。昭和の博徒のようなシャツとピック数枚などを買って帰路へ。非常にリーズナブルな買い出しであった。

赤羽に戻って安いロースカツ定食を食って界隈をパトロールしていた夕方過ぎ。看板を首からぶら下げたうら若き娘は「ド変態娘! ガールズバーいかがですかぁ?」と俺にとんでもない文言をもって誘いをかける。

呼び込みのセリフもどんどん変化してきたというか洗練されてきたというかそれはやり過ぎだろというか、これもコロナの影響なのか、赤羽もけっこう雰囲気が変わったなというか、純粋に、どういった了見なのかと訝しむ。

とはいえ、あの呼び込みの文言なら物好きが食いつく確率はなかなか高いであろう。この界隈の娘さんがたはたくましいなと思いつつ、シルクロード街付近にいつもゴロゴロしている妙に人懐っこい地域ネコをサワサワ撫でて帰宅。

今日は実にウロウロとしていたなと、休み的な日だが真面目なこともやろうと思い、採譜をして少し練習もする。時の流れと共に土地も人々も変化しているなと感ずる1日であったが、手前はというと、どうなのであろうか。

去年、一昨年、3年前――あたりから現在の俺の状態を考えると、まあ、変化しているなという所感がある。

来年あたりは「ド変態娘! ガールズバーいかがですかぁ?」と言われたら手拍子で付いて行くほどのノリに変化するのかもしれない。そういった変化についての良し悪しの判断は、とても難しい。
_06/23

 

 

 


メンヘラサイトの更新や制作などをして細々と過ごす。夜めしはというと、スーパーのタイムセール的な安いジェノベーゼ風パスタで済ませるという質素ぶりである。

しかし、富は膨らまない。世界状況的なものが起因なのか、それとは関係なく案件が減少しているからなのか、酒や煙草にこづかいを使い過ぎなのか、どれもあると思われるが金持ちとは程遠い。

何故かと考えると、「金持ちになりたい」という欲求がさほどないことが最たる原因ではないかとつきとめた。

かつてのギャンブラー時代は眼を血走らせながら必死で現金を追い続けたものであるが、あの悪魔的かつ病的な欲望はどこへ行ったのだろうか。その欲望とは、どう考えてもヨリを戻さない方が賢明であるが、「金を蓄える」という欲求はもう少しあった方がよかれと思う。

しかし損得勘定がどうも苦手なきらいがあるので、ほどほど暮らせていける経済状況であると、あまり金を追わなくなる。

俺も株やFXなどのマネーゲームで躍起になってみようかという発想はある。しかし大昔、FXに手を出した時は、あのロウソク足とか言ったか、リアルタイムでグラフが上下に変動するのをじっと見守っている時のアツい感覚たるや、完全にギャンブル脳がビンビンに反応していた 。

「これはまずい」と思い、当時の俺は3カ月くらいでFXを禁止した。理由は、せっかくパチンコ店に行くことを禁忌とした直後なのに、手前にとってはこれはただの代替行為ではないかと判断したためである。結果、トータルでマイナス80ドルという敗北をもって速攻で引退。

そういったわけで、金で金を生む系ではなく、何かつくったり人様を喜ばせて金を得るという方が手前はしっくりくるなと思いつつ、今日あたりはベースを録音したりして制作に励む。

あの時、FXで稼ぎ続けることができたとしたら、きっと現在もその先もその手法で収入を得続け、制作やらはしていなかった気がする。じゃあ80ドルで済んでよかったなと手打ちとする。とはいえ、ああいった類の畑で利益を出せるという人間がぜんぜん羨ましくないといったらかなりの嘘が混じる。
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ザクっとおいしいフィッシュサンドをたいらげた昼過ぎ、ルーティーンとなってきた心理学のお勉強をする。

並行して、手前が管理するメンヘラに特化したウェブサイトのその類のページも5ページほど更新する。

今日初めて知って興味深かった心理学用語に「自己契約」というものがあった。それは、平たく言うと「自身が求める自分」になるための“行動契約”を結び、それに従い、自分を律しつつ、報酬などを利用して一貫した行動をするというもの。

この「自己契約」は、各種依存症のカリキュラムなどにも応用されるとのことである。俺は過去を振り返り、言葉は知らずともそれをおこない、成功していたことを知った。

当時、手前ではその一連の流れを「自己洗脳」という造語で呼んでいた。なにをもってしてそんな物騒な用語を自身に適用したかというと、「間違いなく人生を破綻させる」と自覚した「ギャンブル」から足を洗いたかったからである。

詳細は、手前の長年に渡るリアルカイジ時代においての、パチンコ店での立ち回りや行動、当時の心理描写などを小説風の文体で物語風に仕立て、アメブロに公開し続けるというものが一つあった。禊ぎ的な“行動契約”そのものである。

定期的にアメブロで更新し、寄せられるコメントなどはたいへん励みになり、若かれし俺は書き続け、小説一冊分くらいの文字量のそのブログは1年くらいかけて完結させた。書いている時は朧げにカタルシスを感じていた。

俺は真剣に小説を書いたことはないので詳しくはないが、そのブログは「一人称」である俺の視点と心情、そして「神の目線」であるカウンセラーだか精神科医だか、そんな感じのキャラクターとの二人の登場人物の俯瞰のやりとりのみで構成させた。

手前を客観視しつつ、克明に思い出し、アウトプットして、省みる。「自己記録」と「自己制御法(セルフコントロール)」をもってしてアプローチした「自己契約」そのものであった。

何が言いたいかというと、今日初めて知った「自己契約」の破壊力はなかなかのものだということ。

ポイントとしては、「人に宣言する」「人目につくところで行動を起こす」クラスのアクションが伴うとより強大になる部分だろうか。俺の場合は、でかめのプラットフォームで手前の悪癖を文章で晒し切ることで抑制力がはたらいた。ずいぶん昔の話ではあるが。

「なにかをヤメる」という、ネガティブ所以のことでこういったことは最近していないが、これをポジティブな方面で使うと、よりハッピーになれるのではないかと改めて思った。それくらい「自己契約」のポテンシャルは実にパワフル。
_06/25

 

 

 


睡眠時間について自己契約をする必要があるのでは、というくらい寝くさる。11時間は睡眠をとる。それもあってか、最近慢性的に悩んでいた左手の疲労、痛みはなかなかとれる。休息と回復に必要な睡眠量だったということにしておく。

食事は原点に戻り、豆腐とキノコ入りの味噌汁を軸に粗食を摂る。おなかに優しく、気持ちも落ち着く。栄養もあるし免疫力も高まりそうな逸品。

今日も制作に興行練習という感じで過ごすが、また左手を痛めては動作性から覇気まで色々ともってかれると思い、ロキソプロフェン系の湿布、すなわちロキソニン的な効き目がある第二類医薬品を貼って追い込みをかける。じわりと冷やっとした貼り心地がたまらない。

そういったわけで特に驚きも刺激もない平和な1日。明後日あたりから色々と出向する案件が多くなるので、こういった静かな日を大切に過ごす。

そろそろ夏が来る。海だ祭りだビアガーデンだ夏フェスだ、というような従来の夏模様とはいかなそうだが、夏生まれの手前としてはなにかと昂まる季節。スイカをえぐって器にし、シャンパンを注いでガブリと吞み干し高笑いする織田信長的な戯れ。あれが今年は是非やりたいと思う。
_06/26

 

 

 


自宅から出ると高確率で遭遇する飼いネコがおり、そいつは一見して金持ちの飼い主の元で過ごす純粋な血統と見られる。立派な毛艶と高飛車な態度。野生のネコ特有の殺気のなさ。人間で言ったらエリートコースを歩む常識を尊ぶ社会人といったところだろうか。

「こいつがもし人間だったら、俺とはウマが合わなそうだな」と、そういった感想を俺はそのネコに抱いていた。抱きつつも、ここ1カ月ほどは互いに関心があるそぶりがあるということは第三者目線があったとしたら明白なところである。

夜、あまりにもよく遭遇するものだから俺は徐々に、スモールステップを駆使し、最終目的である「ふれあい」に迫っていた。初段階においてのネコと俺との絶対領域、すなわち「それ以上近づいたらネコが逃げる」という距離は約2メートルであった。

そのギリのラインで、会うたびに俺は声をかけた。「夜行性だからか、よく会うねえ」と。最初は完全に無視されていた。

数日し、「裕福な家でもやはり窮屈を感じるものなのかねえ。ええ?」と、ネコの核心に迫るとあくびをされた。一応、リアクションはとってくれるようになった。

2週間もすると、「これはな、俺の肴だ。君にはやらん。飼いネコというやつはカリカリする例のあれとかしか食わんのだろ?」と、エコバックをネコの視界の中心に差し出すと「ニャー」と、鳴く。だんだん関心は俺に対する興味に変わり、親和動機すらみてとれる。

そして昨夜。俺はマスクを取り、「やあ。夜行性」と言うと、あくびをして、伸びをして、横を向いて「ニャー」と鳴き、ズイズイと俺に近づいてきた。絶対領域は2メートルからいきなりゼロ距離まで縮んだのである。

俺は「特に君に関心があるわけでもないんだけどね」と言わんばかりに横を向き、手をさしだした。するとネコはグイと額を押し付けてくる。これは、「なついている」「自分の匂いをつけるマーキング行為」など、諸説あるが、とりあえず「お触りOK」のサインであることは間違いない。

幼い頃、ネコを多頭飼いしていた俺にとって、ネコが喜ぶスキンシップは熟知している。まず、よっぽど親密な関係値でない限りは、あまり目を合わせないことである。そして、とにかくさりげなく、体を愛でることである。

ネコのアゴ付近をふわりとソフトタッチで撫で回す。するとネコはゴロンと横になり、体を地面に付けて左右にビチビチと、水揚げ直後の鮮魚のようなムーブを見せる。

ちょろいもんだと思い、俺はネコの急所を突いた。理由はわからないが、全ネコは、しっぽの付け根をかるく撫でたりトントンと叩くと非常に喜ぶ。

「トントン」

「ニャー」

「ナデナデ……」

「ニャー」

「君はあれだろ。暇だったんだろ。実は俺と仲良くなりたかったんだろ?」

「ニャー」

ネコがどう思っているかは全くもってわからないが、ホワッツ・マイケルにそっくりなそいつと俺は打ち解けた。

そして今日、「もう忘れていそうだな」という危惧もあったが、夕めしを買いに行った帰りに遭遇し、「よう」と挨拶をしてしゃがむとネコはゆっくり寄ってきた。ちょろい。実にちょろい。

そういったわけで、エリートネコとのドッキングまで1カ月を要した。この努力を、もうちょい実益のある何かしらに向けるべきなのではないかとも思うが、近所のネコの遊びの選択肢が増えただけでもまあいいかなと手打ち。

とはいえ飼い主に見つからぬよう留意が必要である。俺が飼い主の立場だったら「――ちゃん! よかったわねえ!」か「あの、ちょっと……」か「通報する」の3択であろう所以。66%ちょいの確率でよかれとは思われんであろう。俺とネコとの深夜の密会。
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一週間ぶりくらいにまともに多数の人と長時間触れ合っているとなんだか変な気分になってくる。今日は興行のリハーサルで都内某所へ。

とはいえみなさん安心できる仲間なので時間の経過と共に妙な精神状態もまともになってくる。この現象に名前はついていないのかと思う。150時間程度以上、人と接しない期間の後にいきなりみんなでわんさか過ごすと仄かな離人感が生じるこの感じを。

決して、その感覚でどうにかなってしまうというわけではないので別にいいかと思い、みなさんでせっせと、けっこうなボリュームの練習を張り切っておこなう。

スタジオを後にし、メンバーの方々と焼肉を喰らいに行く。俺は肉なら無限に食える。着いたのは食い放題の店舗である。カルビからタンに葉っぱにキムチにハラミにプリコリしたホルモンと、贅の限りを尽くす(おごってもらう)。

帰宅するとなんだか思いのほか元気になったことに気づく。いくらギターを弾いていても左手に疲労を感じない。個人的な反復練習もしつつ、ギター録音依頼の楽曲の採譜もして、十分に1日を全うする。

昨日まで静かすぎる日が連なったが、今日以降は一週間くらい出向する案件がある。この生活のメリハリの緩急たるや、ニルヴァーナの楽曲のサビとAメロくらいの静と動の潮流のようでいいじゃないかと思う。

ハレとケ、躁と鬱、光と闇、陰と陽、安と光明、盛衰、盈虚、栄枯。コントラストを表す言葉は色々あるようだが、どれもピンとこない。ニルヴァーナの楽曲が一番ピンとくる。

どっちが日常でどっちが非日常なのかわからないくらいでもいいのではないかと今日あたりはそう思う。“暁は光と闇とを分かつ”という唄もあるように。どういう意味かはちょっとわからんが。
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なにやら不穏な気候、体調もなんだかグラグラするなと思いつつ、案件で大手町へ。どうにもグラグラするのが治らんので、気休めにはなるかなと、手首の中心の自律神経に効くツボをグイと押すと激痛が走る。

そういうことかとグリグリ押すこと5分くらい。わりと効いてきてちょっと調子が良くなる。東洋医学あなどるなかれ。

宅に戻り原稿を書いて提出する。それにしても今月も終わろうとしているが、なかなかライター業が少なくてこれはいかがなものかとアゴをさする。先月もそうだったし、今月もほぼ一緒くらいの少なさ。ふとヤホーニュースを見てみると、「この記事、昨日もこの位置にあったな」という既視感の多い昨今。

デジャヴュではなく、事実として、最近は記事の絶対量がコロナ禍以前よりも相当減っていることは間違いなさそうである。ということは、他のライターさんや編集者もヒイヒイ言っているのだろうかと想像する。

手前はというと、ヒイヒイは言わんが、興行の準備やギター録音依頼に制作、資格取得の勉強および受験と、振り返るとわりとやることやっていた気がする。

直ちに収益となることはやや減りつつも、ストック収益のためのコンテンツ制作、今後の展望の布石と、まあ、そういう時期なのだろうと、長い目で見ることにする。

今日は夜から北区赤羽は土砂降りであった。梅雨あるあるというか、6月が本チャンではなく、実は7月上旬から半ばにかけて本気を出すという傾向にも身を委ね、その時期でやるべきこと、晒される環境に変に逆らわぬこと、そういった構えは大切だなと濡れた夜空を見ながら感じる。

行く時はグイと行き、引く時は呼吸が止まっているのかというくらいジッとしつつもキッチリと足を貯めて機を待つ。

この“押し引き”の重要さは何事にも言えるのではないだろうかという持論。若かれし頃、賭場という鉄火場的グレーな世界で学んだ最も大きく真理であろうと思われるアティチュード。学ぶ場所に問題があった気もするが。
_06/29

 

 

 


練習などをして過ごしていた今日であるが、本来なら出向案件があり、それはバラシ(やっぱなしで)となっていた。

じゃあ夜は生配信しようと意気込んでいたらその手前の時間帯に「やはりいけそうなので原稿を」という連絡があった。

「すいません! さっき22時からツイキャスやるって告知したんですも……!」と、編集部とやりとりすると、「そうかあ。そりゃ申し訳ないな。じゃあ1本だけ……」と、ありがたくもこちらのことを鑑みて頂きつつも案件を賜り、わりとテンパりながら時計を見つめつつ原稿を1つ書きおおす。

そしてOKを頂き、配信をして深夜、編集部より入電があり「配信おわった?」と、聞かれる。「はあ。おかげさまで!」と言うと、「じゃあ、後で観るわ」と、言ってくださる。

なんというか、案外と言うか、配信を気にかけてくれる方が身近にもいると非常に心強くも嬉しい。そして来月の別案件も頂き、ほっこりとして終話。

とりあえず今月は、「案件がなくて暇であった」の一言でカタがつきそうな危険性もあったが、終わってみればたいそういろんなことがあった。

「今月はまあ、予定通りだったな」という月がほとんどなくなってきた昨今、これを良きと捉えるか逆と捉えるか。変化が多くていいじゃないかと思うので前者。とりあえず、調子がおかしい日が多かったので前提として健康第一。
_06/30

 

 

 


 

 

 

 

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