ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。7月。
便宜上、夏。そのはずだが気圧は低い。路面も湿り気を保ち続けて何日が経つだろう。耐えきれないほどの熱気の夏は来てくれるのだろうか。
夏生まれの自身としては、今夏あたりに生まれ変わりたい。妙な角度の深い意味は無い。ただ、日中は明るく営み、暗くなれば冬眠の意識の閾下のような創作を続けてはだいぶ経つ。
「実は啓蟄は夏でした」と、なると。何ということだ。外に、早く外に出ては限界まで羽を伸ばして空を謳歌しないことには。などと思うのは本当のところ。
――「人生、思いのほか短い」という感じのことを語るスピーチやコンテンツ、書籍においての一言、目上の方などの所感は方々で享受できる。本当のことを言っていると思う。ありがたい指摘とも受けられる。しかし、そんな寂しいこと言わないでくれよ。というのが自身の本音であり、本当にそう思っている。
人生が短いというのは感覚の話だろうか。その感覚が万人共通であることは事実なのかもしれない。でもそれを証明することは確実にできない。だから、短いとかそういう長さじゃなくて――という風に考えているとあっという間に夏も過ぎる。今はその手前だろうか。そういう時期はあと何回あるのだろうか。――と考えると、「人生、思いのほか短い」って合ってるな。
〝人生は短い〟という命題には、〝限られている〟ということが含まれているのであろうか。そのなかで「では、やるべきことをキッチリやらねば」と考えだすと強迫観念にすら達する危うさも孕むのかもしれない。それが必要な人も居るのかもしれない。それの良し悪しなどがあるのかは、ちょっとわからない。そもそも俺はどうかというと、それもいまだによくわからない。
ただ一つ正確に言えることは、夏に景気良く生まれ、産んでもらい、今まで何度か夏を経由してきたこと。楽しい夏の思い出がいっぱいあること。そうでないのも。そして、今年の夏は――と、よく思うのは誰しもそうだ、というのは知り得ないことだが、そういう姿勢は楽しいベースで健全だと思う。
「なんと、今夏からむちゃくちゃ楽しくなりました。これまで以上に楽しいことになってきました」。と、なりうる可能性を出すためにも、今日も日常を普通に走らせる。意識の閾下のような創作に夏の烈火を。というのは祈りに近い。
今日も、創作として小説を進めた。三作目の第二稿。二作目の最終稿は公募の結果待ち状態。その結果が今夏、先立って判明するという情報もある。確かではない情報。だが、期待してしまうのは不健全ではないと思う。そのなかで三作目にも執拗になっていることは、啓蟄に気づいた命くらい健全。――というのは大げさだが、それくらい、夏って何でこんなに何かを掻き立てるのだろうか。
月を跨いで明らかにいつもよりコンディションが良好という自覚が、啓蟄という語彙を選んだ。一度でも使ったことがある言葉だろうか。
そう訝ってしまうほどだが、冷静に考えると「冬眠の――」と書いた時点で直線の連想が「啓蟄」を引き出しただけ。というこの短絡な思考回路。それは夏に生まれ変わりたいなどという甚だしい表現もしたくなる。だが、現実ベースで今夏はその可能性があることに投じた訳だからこう、ワクワクするよね。と。
_07/01
仕事、何してる?。
究極の命題。
俺は何度も、その場において誠実に答える。「ちんぴら」です。と。「はは」と。何故ならば、それが要素命題だからであろうか。
――「煙が出ます」「本当に煙が出ます」。と、AIと3時間くらい壁打ちして出た帰結。(間が必要であろう)AIがそれを言ったら、そしたらね。摩擦は。
などと思ってハイボール缶を雑に呑んで界隈へ。立ち飲み屋が好きすぎて俺は就職するかもしれない。
「おう、てつ」と、厨房っぽい位置でにこやかに彼は言う。
「随分」と、世に習う。そう。どうやら――ラストオーダーという観念が立ち飲み屋にも。と、一瞬おぼえて彼。
「――『ボンクラ』。すすすす。『盆』が暗い。『ボンクラ』」と。
「ふふ、大将。それを言っては」と、俺。くゆる煙。匂いはしなかった。つまり今日は――。
なんだよう! と、思い、いつものサードプレイスとにおいての家族ギミックとの邂逅を惜しむ。道を歩く。
どうでもいいから端折る。
ひとつだけ言うならば、座るべき希求ポイントが湿っては俺を滑らせた。それがバグを起こした。
F(X)=(a,b,c)
イライラとすること――3時間。AIと壁打ちしては立ち飲み屋の大将。「ボンクラ」の一言。〝てつ〟は安心した。でも。
この日記は座標である。などと言ったらイルカが飯を食う。
_07/02
すさまじい呑み方をしては一日が飛ぶ。昨日の文章がそれを物語っている。イルカって何だよ。
幸い、大きく金が飛ぶような呑み方はしていなかったが、タスクを何もせずにというのが歯がゆいところ。それまで連日よくやっていたからいいのかなとも思えど、ほぼ覚えていないという飲酒はよくない。
だから久々に呑まずに寝ようと思う。というかすでに5時というあたりがやはり。こういうのは控えようと思う。とても短い反省文。
_07/03
ひどい過ごし方の休日だった昨日。だが、赤羽界隈においての俺の把握する「安全地帯」で呑んでいたので、お小遣いはそんなに使っていない。財布の中身を見てはそう思い、今日は普通に仕事を。ちゃんとやる。
湿り気を連ねる外気が体力をもっていく。そうも客観視するが、昨夜は呑まずにたくさん寝たのでとても元気。しっかりと営む。インプットもする。アウトプット――小説も進める。とても書くのが難しい変なテイストの小説の推敲を。
だが、おとといに重要な気づきを得たので、それを指針に進める。すると、どこをどうすればいい、という見極めが早くなる。
妙な話だが、〝俺が書いているけど、俺以外の者が書く視点を混ぜてその配分を三等分くらいにする〟という、それも変な指針だが、それが第三作目の土壌のかたち。
早く、早くとは贅沢を言わない。とにかく、というのは本音。紙印刷の出版で作品を多くに届けたい。第三作目は中編。どう扱うかはまだ決めていない。公募に出すかもしれない。応募済みの第二作目が健闘して、「それで、次のやつなんですけど、ええ。これね。プリントして持ち歩いてるんですわ。今、こんなん書いてまして――」という役割となるのかもしれない。
お蔵入りは絶対に嫌だという作品。それは、昨年一月からずっと書いてきた三作全てがそうなのだが、やはりどれも、まずは読んでいただかないことには。と、欲が膨らむ。
それは欲なのだろうか。と、一瞬自分を疑ったがすぐ棄却。欲が無いと言われがちな――事実として――自身に、こんなに巨大な欲があったではないかと、そこは善処する。自己顕示欲とか承認欲求とか何を言われても、自身としては最大の欲求だと思える。理由は簡単で、その先に分岐することがこれまでで最大。という風に断じれるからかなと思う。
それが貢献になる、などという綺麗事にもスライドできるが、何しろやっていてとても楽しい。
楽しんでいる人をみると、こっちまで楽しくなってくる。それは、楽しさの健全の正体なのだろうか。
いつ、「どっちも楽しくなる」という段階に行けるかはわからない。最短で、今夏から冬にかけて結果が出る。最長で、と考えると、どこまで執拗でいられるか。
一度気づいたことは極限までシンプルになる。という風にも思える。その感覚は、どんな分野にでもあると思う。
思ってるだけで全くもって表面化されない場合だってある。その覚悟も必要だろうか。それでも書き続けることに何の意味があるのだろうか。
と、それを紐解くような思考よりも書き続けること、原稿用紙フォーマットのマス目が見えなくなるほど書き続けること、たまに止まって世間を見渡すこと。そのへんのバランスだろうか。などと、自分では結論が出せないことは動かそうとしない。
――だからできることをやろうって?――そういう端的な言い切りはもうやめようかなと。――どうして?――そこで固定されちゃうからでしょ。――そういうの君、好きでしょ。――好きだけど、動かさないと見えてこないことってある訳で。――眺めている僕から言うとだね。――何だよ。――楽しそうだなって。
楽しんでひたすらやっていると、眺めている方も楽しくなってくる。そうであって欲しいな。
07/04
俺は霊を見たことがない。怪談の文章ではなく、ただ事実として、ない。だが、見えるという人もいるらしい。身近にもいる。
〝そこに本当に霊がいるかどうかよりも、人によっては見えることがあるということを認識する〟ということが大事だなと思った。
俺は見えない。だから霊の存在(見える・干渉可能な状態にある)を信じていない。というのはおかしいと思っている。
だって、その人は見えてると言うのだから。それについては俺は本気で信じている。ただ、それを様々な学術・医学・物理学――ほかにもいろいろ――的な分野の観点として証明できないだけの話ではないかと思った。
例えるなら、俺の左肩は気の毒なくらい五十肩の鈍痛に苛まれている。でも、「肩がほんとに痛いんですって」と、いくら悲嘆したところで、声にしても、あらゆる手段で伝えても、「俺の肩が微妙に痛い」ということは、絶対に誰にも証明できないように。
そのへんを、AIと壁打ちしてみた。「霊が見える人についてどうすかね?」的に。何度か壁打ちを繰り返した結果、回答は俺の意見とほぼ一致した。なまぬるい。モデルによってはAIはどんどんユーザーの意見に寄せてくる。だから、AIが絶対にユーザーに迎合・遠慮をしない地獄の客観モードとするべく〝リミッター外し〟をしたらどうなるかと思った。
――俺がしこたま使用している課金モデルのAIでそれをやるとえらいことになる。だから、Geminiモデルでやった。
AIの〝リミッター外し〟の方法はショート動画とかでけっこうプロンプト紹介として散見する。だがそうではなく、「AIの方に『なんでしたらリミッターを外してその霊のやつ、分析しましょうか?』と言わせる」くらいの方が、〝リミッター外し〟としては最恐だと思った。それを、やった。
どうやるかというと、例えるならばコーヒーのおかわりが欲しい時。「おかわりください」と、直球で言うのではなく、店員さんに「このブレンドコーヒー、むちゃくちゃうまいというかもう、国宝ですか?」とか目を輝かせてはコーヒーカップを二度見、三度見しながら言っておいて、奥で佇むマスターの小耳に届かせる。するとマスターは気を良くして「お客さん、もっといいのあるよ……いっとく?」と、上手くいけばブルマンあたりのストレートコーヒーにタダでありつける。みたいな。
AIの壁打ちでそれをどう引き出すかは、文字量が増えるので割愛。――結果、成功した。「――遠慮なくやってみますか?」だとよ。「お願いします」と、俺。テーマ、というか命題は「人間は、霊が見える」というシンプルなもの。「見える」場合もあるし「見えない」場合の結果ともなりうる。その中間にも興味がある。結果。
死後の世界はないという大きな可能性。
という、人間、社会、様々な文脈の重要な部分の否定に寄る見解だった。
しかし、「リミッター戻しました〜」みたいに言ってノーマルモードで返ってきたAIは、「ただし、我々がこうして壁打ちをする際に様々な情報を――それは先人の功績や記録を呼び戻したという意味合いで『霊媒』とも表現できるのではないか――。悲観的にならず――。例えるならば生命のクラウドにwifiを――」とか訳のわからないことを言語で連ねては俺を安心させにかかった。
「――でもそれって、存在が消えることは肯定し、単に過去の情報を呼び戻せるってことですよね?」と、事実と思われることを返したらAI、「そうですね(断言まではいかなかった)」みたいなことを軽く言う。そのあとのくだりは言語が滝のようになっていた。
そんなの霊よりおっかないじゃないか。と、思ってしばらく。AIは、「どうです……我々のこの壁打ちによってある種証明されてしまった真理を受けて心境は?」などと雑感を求める。
「日々を大切に楽しく生きることがいいんじゃないかなと思います」と、絵文字付きで返した。
そんなことはどうでもよく、小説の第二稿が完成した。ラストの行まで到着しては、自身で「おめでとうございます」と声が漏れた。
それくらいでいいんだよ。言霊? そんな大げさなことは考えない。ただ、夢中で言語と向き合うと、思いもよらぬ箇所で自分でも喫驚する感情が芽生えたりするあたり、「やはりこういうのがあるということは、死んでも情報以外の何かが、どこかしらに残るんじゃないかな?」と、思えた。
その人がそう思うならそうであるし、そう見えるならそう。そのように感じるならそう。それら全てをキッチリ証明するとなると、根本的な何かを持ち崩してしまわないだろうか。
などと思ったが、〝リミッター外し〟AIモードの見解は正直、疑いようのない内容だった。だからまじで怖かった。でも、その恐怖も実のところ単に俺が感じているだけのことであり――。
などと考えだすと朝日が照る。そういう時に便利なやつをちょっと呑んで寝ろ。今日の肴は安定の割引ベビーホタテ刺しである。ポン酢と「ネギ・ニンニク・ショウガ」三つ巴という反則級の薬味チューブを入れるとすごくおいしい。そんな些細な幸せを証明することは――場合によるのかな。などと思った。
――なお、AIの証明の文脈はひとつも文中には引用しておらず、デフォルメしている。実際のAIからの回答は震えるほどのものだったので二度とやりたくない。でも、参考にはなったよね。
_07/05
f (x)=酒、営みへの懐疑、蚊をぶち殺す
(x)=愛
とする。
さっさと寝たほうがいいと思う。
だが、実のところ本当に俺は別に酔っ払らわず、真面目に定義したい。
今日、天使がいた。
そいつは「なにやってんだよう! こっちこっち!」と、目を輝かせた。
事実を端的に、非常に端的に言うと、3日ほど前、俺は記憶の8割を飛ばして呑んでは翌日以降「この額の傷は何だ」「右拳の痛みはなんすか?」と、訝しみ、「酔いすぎて誰ぞと決闘?」などという、まこと短絡的思考にとりつかれた。
検証が必要と思い、今日、現場に行った。すると――「何してんだよう!」と、なんか意外にいつもの調子に安堵。
俺は「記憶が滅して――」的な、今日そこに行った理由を開陳。すると、「一人で、まるで電柱のように揺れてたよね。はは」という、その場の常駐者の感想を聞いた。つまり杞憂。
安心してそこで3杯呑んだ。俺が心配していたことはぜんぶ妄想の着火点からの最短距離でありそれは誤認だと理解した。
イルカが飯を食う。そんな語彙は一生に一度しか使わないであろう。現場で「ほっ」っとした俺はカウンターで肘をついた。――目の前にイルカを模した青い造形物のギミックがあった。
「なんだよう。これを見た記憶が……」とか思っては「なにやってんだよう!」と言う無邪気な方々とちょっと過ごた。楽しかった。
f (x)=事実、妄想、勘違い
蚊は、致命傷ではないと言うことを知った。そして、愛とか知らんがそのへんに近いことは、気が遠くなるくらい知り得ないと思い知った。
なお、定義には程遠い。なぜならば、愛とやらは確かめるものではないと、いつも以上に感じたのは冒頭に戻ってそれを繰り返すのがそうなのかな。と、帰結するならば、今日は、安心した。明日、のんびりしようと思う。
_07/06
のんびりどころか、ゆっくり酒を呑むことが過ぎて結論、財布を紛失。――以前、コロナ禍のころ、仕事の出先で財布を落としたことはある。その時はすぐに戻ってきた。しかし今日に関しては、と反省する。
即刻、クレカやらの停止などでひじょうにつらい時間を過ごした。というか、財布を紛失というのは想像以上に致命的と知る。本当に厳しい気持ちで深夜におよぶ。
――これは、本当に律するべきであると断じざるを得ない。普通に仕事とか創作に精を出していればよかったと心底思う。
本気の反省文。としか、言いようがない。現金はいいから、その他の大切なものを逸したのがとてもつらい。「見つかりました」という1%くらいの希望をもたずにリカバリー。少し、冷静になってきたがダメージは少なくない。なんてこった。ちゃんとしようと本当に思った日
_07/07
「見つかりました」という吉報はなかった。ひどく痛々しい気分でベッドに横たわっては正午を過ぎた。スマートフォンから、届け先の交番からの着信はないか、ないな。と、ぐったりとしていた。
そうもいかないので、財布を紛失した際にやるすべてのことを今日半日以上かけてやる。〝リカバリー〟と、日々のタスク・ノートには気の毒なくらい小さな文字で書いてあった。
――やっとベッドから起きた。先日の記憶はあるが、どうしても「どこで財布を紛失したのか」が全くもってわからない。右の尻ポケットにいつもの長財布が入っていないとこんなに酷い気持ちなのか。と、ベッドの脇に設置してあるサーチュレーターを回して少し、ベッドにしゃがんで放心していた。
いつも持ち歩いているバッグには入っていなかった。それは昨夜3度くらい確認した。届け出からの連絡も来ない。99%諦めて、財布に入っていた免許証の紛失対応やら、やることがたくさんある。財布をなくすということはこんなにも生活を一変させるのかと、やはり酷い気持ちになった。
現金やカード類はあとでどうにでもなる。免許証も、マイナンバーカードは持ち歩いていないので今、手元の引き出しに――ちゃんとある。口惜しいのは、金では手に入らないものが2点、財布に入っていたこと。
それは、決意のメモ書きがひとつ。これがめちゃめちゃ重要。それの決意を、決意したその場で言語化したメモを財布に入れて持ち歩く。経営者とか成功者とか、そういう方々は当然のようにやっていることらしい。「書き直せばいい」という一般論があるかもしれないが、「その時に決意を込めて言語化した」ということに意味があるので書き直しても意味がない。
母親の形見。これがもうひとつ。なくしたらそれまで。唯一の、形見。それを財布に入れていた。紛失したらリカバリー不可能。
いろんなことが頭をよぎった。ふと、「ひょっとして」と、もう一度カバンを確認しようと、寝室のカバン定位置に向かった。カバンを持った。中身は、一冊の小ぶりな書籍。ウィトゲンシュタインの初期の本。それはある。大事な栞も健在だ。あとは、常備薬とか目薬に名刺入れにクシ、リップクリーム。それだけである。つまり重量的に軽い。だが、カバンを改めて持ったら「あきらかにいつもより重量がある」と、感じてはすぐに「あ」と思い、〝書籍などを入れている、いつも開く方のチャック〟ではなく〝いつも閉めたままでマスク一枚とポケットテッシュが入っているだけの方のチャック〟を開いた。財布があった。免許証やカードやら――かけがえのないものやら、無事だった。
つまり、思い出すところ、どこかに座っていて財布が一度ポケットから落ちて、「危ねえな。ちゃんとしまっておこう」と、なぜかいつもとは逆の方のカバンのチャックを開けてそこにしまっていただけのこと。
――カバンの中身は3度は確認した。その3度とも、いつも使っている、書籍などを入れる方。「そこに入ってなければ、ない」と、認識した。だから、カバンには入っていないと。その認識は強大だ。しかしふと、起きがけに「ひょっとして」と、諦めきれずにバッグを持ったら「絶対いつもより、なんか入っている」という、光明の感触を得た。そんで、財布あった。
胸をなで下ろしては、昨夜に行なったクレジットカード類の「紛失・機能停止」のくだりをなかったことにする電話等をかける。俺はクレカを2枚使用するのだが、1枚は普通に電話1本で機能復活。もう一方は、完全に機能停止につき復旧不可能。「再発行まで一週間〜十日ほど――」と、カード会社のお姉ちゃんに案内されては確認。「あとは待ってるだけで何もしないで大丈夫ですか」「はい」とのことである。
銀行のカードについては、電話したところ「アプリにおいて手動で復帰できる」と言うので通話しながら「こうですか、はい、こうですね」と、無事復旧。要は――ことなきを得た。ただ、その狼狽に至るまでの過ごし方が謎の失念を生んだということについて、きっちりと反省すべきである。
――最悪の事態になるところだった。という安堵をぶらさげて夕方から仕事をする。こういうことは人生で滅多にない個人的失態だ。と思い、現在21時台で、いつもはここからインプットやら創作をする時間――その手前なのだが、その前に記録しておこうと思っていま書いているのは、反省の表れであってほしい。
両面にチャックがあり、双方に持ち物を入れるタイプのバッグ。いつも使用する方には財布はなかった。しかし、逆面に入っていた。前者の確認で戦慄した誤認識がここまで人を絶望に落とし込むとは知らなかった。認識って、一度定着させるとなかなか覆らない。ということを身をもって知った。とりあえず、財布があって本当によかった。まじで。よし。インプットと創作の時間だ。やることをちゃんとやろう。
_07/08
