10/2022

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
一人『磯丸水産』ブーム到来。10月


世間はもしや恐慌なのかなと思いつつ、値上がりしたラーメンを食い、値上がりした煙草を吸い、ポロロと鍵盤を叩いてしんみりする。

確か、確かに、初めて煙草に手を出した時は、一箱230円くらいで買えた。あれから約27年。あれよあれよという内に2.6倍に爆上がり。

そして酒の価格も高騰。それだけは堪忍してくれと思ったが、一介の酒呑みの懇願など社会に届かず。

これはとうとう年貢の納め時かと解釈し、酒も煙草もやめて対応するという手もある。されど、手前の場合は月に数万円は余裕で浮くのである。しかし、その手を考えながら、おもむろに煙草を吸っている。

節約をメイン対策とはせず、収入を増やすのが最もいいのだがなと、遠くを見つつも具体的に考える。それは仕事を頑張れと、当然の答えが秒で出る。

しかし節約も大事よねと施策を練る。この際、煙草の代替嗜好品として「果汁グミ」とかにしとこうかという案が出る。それなら日に400円以上節約できる。妙案だと、そうも思うが、たぶんグミを食いながら煙草を吸いそうなので棄却。

酒じゃなくてノンアルコールビールにしようかという妥協案も出る。ノンアルなら何本も飲まないからわりと浮くぜと思うも、たぶんノンアルを焼酎で割って呑む可能性が相当高いのでこれまた棄却。

もう面倒くさいから謎の仮想通貨にブッ込んで資産を増やそうかと考えるが、素人がそれをやって増える可能性はぜんぜん高くはない。

そういったわけで、「稼ぐ」というコンセプトをより強く意識し、日々の生業を頑張ろうという結論に至る。至らざるを得ない。
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そういったわけで朝から張り切って仕事をする。宵の口、西川口から赤羽へ戻り、いつもの蕎麦屋へ。

蕎麦もさらに値上がっていたらたまらんと慄きつつ食券メニューを見る。すると、今のところ据え置きの様子。いや待て、価格は上げずにクオリティーを落とすという最も肩が下がるパターンではないだろうなと山菜蕎麦をすする。おいしい。

まさか、蕎麦湯を無くすなどという暴挙ではあるまいなと、カウンター横をクワッと見ると蕎麦湯ポットは安定稼働していた。

あぶねえあぶねえと、少し安心して帰路につく。激変の浮世、あらゆる職種の人たちが厳しい局面に立たされているであろうかと想像する。

作家さんもそうであろうかと、今日は新刊で漫画を買う。絵のデフォルメ具合を勝手にものすごく評価している『よふかしのうた』を1冊。税込499円。安い。

漫画家様は大丈夫だろうか、仕事道具のインクやスクリーントーンやらも値上げして、大変な思いをしていないだろうかと、これまた勝手に心配する。デジタルツールで描いている可能性もあるが。

「そんな心配よりも手前の稼ぎの心配をしろ」と、仮に俺に嫁がいたとしたらそういった正論を言い放つであろう。さらに、「で、なんでその考えの逆行って、こづかいで漫画買ってくるの? バカになったの?」と、重ねて攻めてくるであろう。

「面白い作品には金を出す。好きなものはちゃんと買う。作成者や生産者に対価を払う。作家や生産者はその対価を得て、より良いものを産み出す――このスタンスは大事じゃないのかね? ええ、嫁ちゃんよ?」と、毅然とした態度で言い返す。俺はこの点に関しては本流であると思う。

すると、「わかる。わかるわあ。じゃあ、こないだ一緒に見た秋物のあれ、フワッフワのやつ、私買うね。対価を払いたいしー」と、嫁は足をすくってくるであろう。

俺は、交渉の余地を探るべく、「わかる。確かに、君があのブランドの服が好きなのはよく知っている。しかしだね、あのフワッフワのやつはちょっと額が……」と、声のトーンを柔らかくするであろう。

「そっか、お前はああだこうだ理屈をこねて好きに漫画を買い、私は去年と同じ服を着てひもじい思いをして、フワッフワのあれのブランドは対価を受け損ねるわけね。うん。わかったわかった」と、4リットル入りの業務用ウイスキーペットボトルの封を切るであろう。そして「鮭とば買ってこいや」と、小銭を2、3枚ほど雑に投げつけ、やさぐれるであろう。

さすがにそれはあんまりかなと、俺は「いやいや、うん。そうだね。不公平だよね。フワッフワのあれ、今度一緒に買いに行こっか」と、なだめるであろう。

「うし!」と、嫁は、まるで全て初めからこうなるのがわかっていたかの表情でウイスキーを封印するであろう。

「じゃあさ、俺もストラト買っていいかな? そうそう、フェンダーのギター。US製のやつがもう1本欲しいんだよね!」と、便乗に期待を馳せて笑顔を見せるだろう。

だがしかし、「は? はあぁ? ストラトとやらは1個あんだろうよ? なんで同じの買うの? バカになったの? 半年くらい前にもなんか同じこと言ってなかったかお前は? ええ?」

「いや、音が違うんですよ。音が。ホントに。これ本当よ?」

「なんで超円安の今、外国産のクソ高い楽器買うの? だったらウジウジとイモ引いてねえで半年前にドンと買っとけや! あの時は1ドル120円くらいだったろ? 今は144円ちょいだぞ? お前みたいなのを養分っていうんだよこの情弱が!」

「け、けっこう詳しく知ってるねえ……」

「早く鮭とば買ってこいや!」

「結局呑むの?」

「ダッシュな!」

と、罵詈雑言含みで論破されるであろう。そして、「2〜300円で買える鮭とば探し」という無理ゲーの旅に出ることを余儀なくされるであろう。いつも思うが、俺の想像上の嫁はマジで怖い。

そういったわけで、本当に伴侶がいる場合に即答で「いいね。買っとこう!」と快諾できるくらい、もっと稼ぐことを頑張ろうと今日も思う。モチベーションを上げる理由としては、まずまず、わけがわからない。
_10/02

 

 

 

 


ライター案件の確認や、コンテンツ制作、ストック収益の月次集計など、主に机で過ごす。最近は鉄に打たれて焼きが入ったかの如く、そう簡単にはケツが痛くならない。

夜は、別の曲を完成させた後に進めようと思っていたエレクトロ系の楽曲を制作する。一部にめちゃめちゃ喜ばれるか、全く相手にされないか、といった毛色の楽曲。

しかし、自分としては「これは本当に聴いていて気持ちがよい」と、制作段階から既に判断できるのでちゃくちゃくと作り込む。

キーボードをカタカタと、DAWでコツコツと、ビートをバキバキと、仕事部屋で色々と鳴り響く。鳴ったぶんだけどんどん稼ぎとなれと、今日もコンセプトを意識する。
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神出鬼没の近所の茶トラネコが約10日ぶりに出現。昼間はいっさい見かけないが、日記を書いて酒を買いに行くタイミング、すなわち0時〜1時前後によく会う。夜行性のお手本のような生き物。

茶トラは、頭周辺をモフられるとアクビをする癖がある。それは気持ち良い時の合図なのかと思われる。面白いからベースの指引きのような手つきで鼻筋をさする。アクビをする。面白いスイッチがあるネコもいたものだとほっこりする。

今日あたりはコンテンツ制作に楽曲制作と、よくある過ごし方。何か興奮したことがあったかというと、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの新曲「Eddie」を聴いてたいへん驚いたことだろうか。

「ヴァン・ヘイレンのギタリストである、エディことエドワード・ヴァンヘイレンさんに捧げた曲」的な前情報をあらかじめキャッチしていたので、その観点で聴く。

英語はあまりわからないので歌詞の意味を一聴して理解することはできなかった。しかし、ジョン・フルシアンテさんのギタープレイが、凄まじくエディ・ヴァンヘイレンさんをリスペクトしたものであると感じた。

エディ・ヴァンヘイレンさんに影響を受けたギタリストは世界中にいると思う。俺もよく苦戦しながらテクニカルなギターソロをコピーして学んだりした。

ジョン・フルシアンテさんの「Eddie」においてのプレイは、彼のプレイスタイルを全く崩さずに、エディさんのギタープレイの特性をごく自然に織り込んでいると受けられた。これは相当凄いことであると思うのは俺だけだろうか。

例えるなら、『カイジ』を代表作の一つとする福本伸行先生が、『ジョジョの奇妙な冒険』のキャラクターを描いたとしよう。

あくまで想像だが、そのジョジョ的キャラは、確かに、ジョジョ的な描写なのだろうが、全体的になんかざわざわしており、「いやこれ、『カイジ』に出てくるキャラですよね? 確かにジョジョのあのキャラですけど」という感じになる気がする。

最強クラスの芸術性を孕んだ『ジョジョ』の荒木飛呂彦先生が生み出したキャラと、福本伸行先生の唯一無二のタッチ、その両方が見事に融合する気がする。重ねて、あくまで想像だが。

それくらい、福本伸行先生の絵のタッチは揺るがない芯があるのではないか、ということである。前提として、両先生を比較するつもりなどもちろんない。どちらも神レベルの作家様である。

そういったわけで、ジョン・フルシアンテさんの芯と、エディ・ヴァンヘイレンさんの華やかなプレイスタイルが両方表現されたような「Eddie」という楽曲に感銘を受けた。

ジョン・フルシアンテさんのサウンドであり、プレイでありつつも、「確かに、エディさんを意識しているのが熱く伝わってくる」というものだったわけである。

実際にジョン・フルシアンテさんがエディさんのプレイを意識したかは、本人のみぞ知りうる領域であろう。しかし少なくとも俺は、楽曲の中盤以降のジョン・フルシアンテさんのプレイを聴いて確信した。

本当に凄いギタリストなのだなと改めて思った。エディさんありがとう、ジョンフルさんありがとう、という気持ちが膨らんだ。ギター好き垂涎の1曲。
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シャツ1枚では肌寒くなってきた10月最初の五十日。西川口に行って作成したコンテンツのチェックをしてもらう。夜は制作をして、楽曲アナライズなどもする。最近の子の才能は凄いなと、しみじみ思う。

個人的に思うところなのだが、作られるあらゆる音楽は、「情報をもとにした割合が多いもの」と「感覚をもとにした割合が多いもの」に分けられる気がする。最近は、前者のやつが圧倒的に多い気がする。これだけ情報に溢れた昨今、そりゃそうだろうとも思う。

しかし、たまに、後者の素晴らしい作品を聴くと、俺あたりのエモさ重視の耳はしびれる。

“感覚をもとにした割合が多い”作品は、その作り手が、魂が震えるような体験などを経て産み出されると勝手に思っている。

そうなってくると、漏らすほどの経験があれば、それだけいい作品が作れるじゃないかとシンプルに思う。

そういった体験を最近しただろうか――と回顧すると、ことネガティブなことは割とある。もちろんハッピーなこともいっぱいあるが、そういった体験は制作などには昇華されず「いやあ楽しかったぜ」で気が済んでしまうきらいがある。だから、意識していないと鬱の淵みたいな薄らドス黒い曲調のものばかり出てくる。

それはそれで定期的に、ちゃんと完成までもっていって公開しているからいいと思う。一方で、ネコが踊り出しそうなハッピーな曲調のものも、意識すれば意外とすんなり出来ることは出来る。

根暗な陰キャという自負があるのだが、パリピな欧米人ばりの気質もあるのだろうか。手前のパーソナリティーはどっちなんだと、はっきりしろよこの野郎と、40を過ぎても今だに訝しむ。どっちもいけるということでいいじゃないかと手打ち。

一方で、どこか色んな面での中庸に憧れる。偏りのない、調和のとれた、健やかな心の持ち主。本当の意味で、そんな人いるのだろうかとちょっと思う。やはり一度、滝に打たれに行く必要がある。
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20代後半の頃、顕著にみられた現象があった。それは、その時に、自分が考えていたことを表す言葉や音、景色などが、俺の内面からだけではなく、外部からも出現するというもの。

例えば、ラジオを聴きながら運転している時、なんとなくレッド・ツェッペリンのことを考えていたら、次の瞬間にツェッペリンの曲がオンエアされたりと、そういった感じである。

交際中の女性と部屋で、お巡りさんについての話をしていた時があった。今思うとなんで警察官についての話になったのかは思い出せない。俺は、お巡りさんの人称を「ポリス」に統一して話を進めていた。確か、15分くらいそのテーマで談笑していた。

そして、そのくだりが着地した時、ラジオから「お送りしたのは、ポリスで『Every Breath You Take』でした」と、DJが紹介した。なんてこともあった。

曲は違うやつだったかもしれないが、確かに、ポリスの話に夢中になっている最中にポリス(英・バンド)の楽曲が流れ、曲が終わってDJが楽曲紹介をして初めてシンクロに気がついたという謎の現象である。ちなみに、「Every Breath You Take」が収録されているアルバムは『シンクロニシティー』というのもなかなかのポイント。

今日、ブックオフに行った。まずはと、頼まれていた「B’zのバンドスコア探し」を敢行。さて、バンドスコアコーナーはと、あったあった、どれどれ――と棚を物色し始めた瞬間、店内放送から「今夜月の見える丘に」のイントロが鳴り響いた。B’zの楽曲である。

前述のように、こういったことはたまにあるのでさほど驚かず、「お、シンクロだ」と思い、コーナーを去る。目当ての物はなかった。

漫画コーナーに行って立ち読みをする。『ホムンクルス』という、昔ドハマりした漫画を懐かしんで読む。

キャラクターが「ありがとう」と言うシーンがあり、そのコマに目を向けた瞬間に、店内放送から、誰の曲だかわからないが<ありがとう――>という歌詞で歌われるバースを耳にした。

うん、今日はなかなかのシンクロ率だな、それにしても今のはジャストタイミングだったなとか思い、適当に他の本も読んで何も買わず帰宅。

シンクロニシティとは、精神科医・心理学者のユングが提唱した、“意味のある同時性、同時発生、共時性であり、因果関係のない2つの事象が近似性を持つこと”らしい。

俺が体験する各種のシンクロニシティから「意味のある同時性」はあまり感じられない。なんとなく、ほぼ同時に発生するだけである。

シンクロニシティという現象にどんな意味があるのかは諸説あるみたいだが、俺はあまり深く考えず、なんとなく、「波動が高まっているいい状態なんだな」くらいに捉えている。

そうなってくると、その現象が頻発した20代後半の頃のように、パワフルな若きエネルギーが高まっているのだなと、手前味噌のスピリチュアル的解釈をする。

この文章を読んでいる時に、B’zやポリスやツェッペリンの楽曲がどこからともなく流れてきたら、それもシンクロニシティなのかもしれない。

それは天文学ばりの確率だが、あんまり意味はなさげ。とはいえ、それが起きたら波動が高まってますよ、調子がいいですよと、それくらい、腰が砕けそうな抽象的なことしか言えない。
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久しぶりに業務端末が鳴り響く。新規顧客である。そろそろ撤退を考えた方が賢明かというタイミングで確かな需要を認識。やはり波動が高まっていたのかもしれんと、依頼元に向かって仕事する。売り上げを得る。

数字が悲惨なことにならない限りはコツコツ続けるかと、宅に戻って帳簿をつける。顧客名簿の欄が増えていくのは快感である。とはいえ、まだまだ事業と言えるほどの売り上げでもねえなと、ひたひたと雨滴る空を見上げる。

スーパーで安い中華めしを買ってチンして食う。制作をする。耳にやさしいブレイク・コア楽曲が完成間近まで進む。資産の種とも言えるコンテンツが完成し、着々とストックされていくのもこれまた快感。

結局金か、金に繋がることが上手く行く時、俺は快感を得るのかと、リアルカイジ時代の報酬脳は変わってねえのかなと、だがしかし、今は仕事としての対価で金稼ぎ、その道筋を作り、真っ当に快感を得ているではないかと、手前を正当化する。

金に綺麗も穢いもあるかと、ギャンブラー時代はそう思っていた。心底思っていた。その思いは、どんどん顔面をシニカルにしていった。

しかし今は、「助かりました。ありがとうございます」「よかったです。ありがとうございました」という風に言われて得る金の方が気分がよい。自然と笑顔が増える。

気持ちで仕事をするのもいいが、やはり当然、数字は大事だなと、そこをちゃんと意識するために「稼ぐ」というコンセプトを掲げたのであるとリマインド。

今年の誕生日からここに何度「稼ぐ」と書いたかわからない。そうやって、手前の潜在意識に叩き込もうとしているのかもしれない。そこを意識するのが20年は遅い気もするが。
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今日も依頼の電話が鳴る。おおこれは来たかと、とうとう次元上昇の時かと、業務をして金を得る。

フェーズがズドンと上がる程の売上金でもねえなとも思うが、それはお客さまに対して失礼にあたりかねん、何せ積み重ねだよねと、わりとルンルンしてチャリを漕ぐ。

夕方は西川口の『アルマンド』へ行き、まさかのリテイク2まで食らったコンテンツの最終形の原稿を届ける。具体的には、メニューの改定。なんでも、ずっと「すぐにでもしたかった」という焦燥感があったが、即座に具現化する人材がいなかったもよう。

そういうこともあって、フロアでの仕事以外にも、この場所において俺が求められている事はけっこうあるなと、店に赴く度、実感する。

もしかしたら、俺は中間管理職的なスタンスだといいのかなと思った。それは過去に他社で経験済みの役割なので出来るぜと奮い立つ。

しかしそれは手前が決める事というか、従業員の方々とマスターが求める事に準ずるのが適切であろう。

俺の出生前から営業しているという歴史ある店ということもあり、そこはじっくり様子と空気を読みながらだなと、まずは様々な仕事を頂けることに感謝の念を寄せる。

「稼ぐ」だの「金」だのと守銭奴日記とまではいかないが、収益に関する客観視も大事かつ、感謝の気持ちをけっこう大切にしていることをそっと書いておく。
_10/08

 

 

 

 


仲間のバースデーイベントのスタッフ業務で銀座へ。このクルーで1日を過ごすのはまあまあ久しぶりだったこともあり、改めて、なんだか家族のようにも感ずるなというファミリアな感情含みでわちゃわちゃと過ごす。

友達に、手前の仕事の近況を聞いてもらったりもする。「それについては撤退じゃないかい?」と、「それについてはいけるよ!」と、現状に対しての客観的な判断や未来に対しての具体的な希望を言葉として、数字として、示してもらう。助かる。

公演後、仲間にプレゼントを渡したり、酒を作って呑ませて頂いたりと、和やかな時間を共有する。ハイボールについては、この世において、SPALのギタリスト・よしお氏が作るやつが一番おいしい。

帰路、気分がよいので一人、赤羽の安い店でもうちょい呑む。サッと呑んでサッと帰ろうと表に出る現行のポリスの姿を散見し、「ああ、今日のニュース通りじゃねえか」と、夜の街呼び込み徹底摘発的な雰囲気を察しては憂う。雨滴る今宵の赤羽駅北口付近はたいへん殺気立っていた。

まあ、ぼったくりはよくないかもよねとか呟きつつ帰宅。なんだか、明日からいっぱいやることあるなと光明を浴びつつ漲る鋭気。酔いが回っていることが起因ではないことを信じる。
_10/09

 

 

 

 


まあまあ呑んだ気がするが何故か二日酔いならず。調子がよい。

「交通機関の移動が謎につらい」という主訴の症状も、ようやく、だんだんと取れてきた。マックスでキツい時の数値が10だとすると、最近は2とかそれ以下である。

すっかり治って「あれは何だったのであろうか」と振り返る事ができる日も近そうである。体験上、そういった各種の謎苦痛の時期が定期的に訪れ、霧が晴れ、以前よりも精神的にタフになる体質という自負。そこに間違えがなければ、全快したら俺はとりあえず快気証明という事でどこかに旅立つ。

というくらい、遠出がしたいができない状態が続き、悶々としていたが、ようやく峠を越した感覚を確かに得ている。

昨日、最も近い友達に、雑談中にそういった話の流れになったので「――1年くらい前からずっとそうなんよ」と、吐露した。

すると、「言ってよ!」と、そういう症状に対しての知識があり、それを前提とした対応の話をしてくれたりした。その時のクルーのみんなとも共有し、理解してもらえた。

たいへん安心感を得ると同時に、なんだか一人で悩んでいたのがアホらしくなってきたなと、愉快な仲間たちなのに何で今まで言わなかったのかなと、今日あたり電車に乗って川を眺めながら思った。気分は、特に悪くならなかった。

認知行動療法というか、自分で、変な認知の歪みに対して加筆修正的な事をするのも大事だが、周りにちゃんと伝えるということの方が重要なのではないかと気がついた。

「言ってよ!」という一言の、優しき破壊力。そうですよね、俺の周りの人たちは物凄くパワフルな面々だものねと、言えばよかったんだよねと、なんだか人を信頼していないような態度を知らず知らずのうちに取り続けていた事を猛省。

薬や酒や療法よりも効くのは愛情なのかもしれないと、それは人間の基本であろうもと、なんだかストンと腑に落ちる。

一人で考えすぎると、悩み続けると、時には、それが何らかの傑作を産み出す原料となる時もあるが、時には鋭利な毒ともなりかねない。
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ネット経由でのライター案件提案がメールで来ている。よしよし。という夢を覚醒寸前に見て起床。

本当にそうだったらいいですよね、おはようございます。と、鏡に向かって言う。営業に出る。帰宅してPCをカタカタとメールチェックをすると、本当に案件提案メールが来ていたのでご対応する。

本当にそうだったからよかったですよね、受注までいきますように。と、やや驚きながら嬉しむ。

持論だが、夢には大きく分けて4つの種類があると思っている。

ひとつは、その日の記憶の取捨選択、最適化といった感じであろうか。無意識下のどうでもいい情報を記憶から消し去り、覚えておくべきことを脳内に定着させる。

ふたつは、前世というものがあるとしたら、その時期の記憶の再生であろうか。謎に意味深な人物や景色、音や匂いなど、デフォルメされていたりリアルにみえたりする。そこには、今世の過去の記憶なども含まれる。

みっつは、未来の出来事を示唆するような類だろうか。長期的なムーブや短期的に起こる出来事を、だいたいは抽象的な感じで表す。時に、かなり具体的に示す。

よっつは、起きた直後は鮮明に覚えているが、だんだん忘れていくやつであろうか。個人的にはこれが最も多い気がする。そこには、無意識下の欲求や葛藤などが含まれていそうである。その夢を視覚化、言語化したら、素敵な、場合によってはグロテスクな、「モチーフはなんなのこれ?」というくらいオリジナリティ溢れるアートとも言えよう何らかが出来るのではないかという感じ。

そういったことをグダグダと考える事はないほど、ぐっすりと熟睡したい。ほどよく酒呑んで寝よう。これが一番眠りを浅くする事を、一応理解はしているのだが。
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皮膚科へ行く。季節の変わり目に肌が荒れがちなので、ここ数年はまあまあよく診察してもらう。 30代くらいまではほぼ行かなかったが、結論、市販の薬で散らすよりも皮膚科で診てもらった方が早いからである。

症状は軽いとのことなので安心する。やはりあれか、子供の頃アトピー性皮膚炎だったのが尾を引いておるのかと、わりと遡って憶測する。

当時は、乳製品が原因と母親に言われ、給食時にみんなが飲んでいる牛乳を、俺は小学六年生くらいまで飲まなかった。代わりに、水筒に入れてもらった謎の茶を飲んでいた。

「ああ、なんか僕はみんなと違うのかな。僕だけ持参の茶って」と、子供ながらに思っていた。当然、明らかに浮いていたのだが、よく激しいイジメに遭わなかったものである。

症状が治ってきた小学六年生の頃、「とうとうこの日が来たか」と、数年ぶりに給食で牛乳を飲んだところ、「全然美味くねえ」と思い、むしろ5年間ほど毎日飲まないで済んだわけだ、とか思った気もする。いまだに牛乳は飲めない。ヨーグルトは美味しく食えるが。

人生初期においてそんな体験があったことが起因か、「周りの人と違う」という状況が嫌ではなくなった。むしろ、その方がいいとすら思っている。

多様性を重んじるようになろうぜ的な現代の風潮にマッチしているじゃないかと、俺は少年時代から令和の先を行っていたぜと、ユニークであれと、なんだか自信すら出てきた。

ちと変わっているという事は「個性」であり、能力に偏りがある事は「特性」であり、人としての「希少性」と捉える。するとどうだろう、なんだか前向きになれる人は、なれる。

とはいえ、他の方がどうかはわからないが、こと手前は、普通にシュッとしているつもりでも、周りから「いや、それはおかしいだろ」と指摘されることが多々ある。それでも、失笑くらいで済むレベルだからまだいいのかもしれない。

なんなら『みにくいアヒルの子』のように、なんか違えなと思っていたら実は白鳥だったというオチでバンバン羽ばたきたいところ。その童話の内容については詳しく知らんが。
_10/12

 

 

 

 


半休日につき、ゆっくり過ごす。どこかに出かけたかったが、冷たい雨。宅でおとなしくしている。案件ご提案のご対応をしたり、制作をしたりしてカタカタと暮らす。

複雑なビートの曲が美しく出来たと思い、DAWからファイルを書き出すが、チェックすると2箇所くらい、原因不明の音楽的ではない音のウネりを確認。そういうのはたまにある。俺以外は気にしないかもしれないほど微々たる部分ではあるのだが。

そこを解消すれば完成なのだがなと、とはいえそのままでも行けるっちゃ行けるけどなと、しかし、そういう部分をおざなりにはしたくないなと、明日以降に持ち越す。

めちゃめちゃ睡眠をとって作業もほどほどだったので疲労感がとれた1日。仕事の様子もだんだんいい感じに風向きが変わってきた肌感がある気がするので、ここはひとつ、明日からも、何事も、じっくり丁寧に行こうと思う。
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仕事の打ち合わせをする。実務より何となく楽しく感じるのは人恋しいからだろうか。などと胸を摩りつつ、さっそく原稿を書く。

ひと段落し、蕎麦欲がメーターマックスを振り切ったので駅前へ啜りに行く。完食し、蕎麦湯を頂く。コツは、食券系蕎麦屋の場合にありがちな蕎麦湯入りポットを容赦なく、店員さんやお客さんの目を全く気にせずに、むちゃむちゃ振ってから湯を出す過程にある。

すると、確かな満足感の白濁色の蕎麦湯が流れ出る。振らない場合、5割の確率でほぼほぼ透明な蕎麦湯が出てきてめっぽうガッカリするのである。あれは地味にキツい。

帰宅して進捗75%あたりまで仕事を進める。その後、制作をする。個人的に、今年イチではないかというほどの楽曲が仕上がる。

しかし、ジャンルがブレイクコアとドリルンベースの合いの子をややデフォルメした曲調につき、ユーザーのお役に立てるかどうかは未知数。

30歳前後の頃はこういうのばかり聴いては真似して作っていたなと懐かしむ。根強く残る高速エレクトロビート愛好。その類の理想的な楽曲は「Vordhosbn」。いまだにタイトルの読み方がわからん。
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せっせせっせと原稿を書く。LINEで「めしを――」というアプローチをキャッチしたので食いつく。友達と夕食をがっつり摂りに行く。ステーキである。

440グラムの巨大なビフテキ(昭和の略称)を共にペロリとたいらげる(おごってもらう)。コンビニで珈琲と煙草を買い、自宅へ。キッチンでマルメラ(マールボロ・ライト・メンソールの平成の略称)を一緒にフカフカ吸う。

仕事部屋で、音楽理論をテーマに話し込む。実に贅沢かつ有益なひとときである。プロのミュージシャンとこういった話をすると簡単には止まらない。

玄関で友達を送り、原稿を仕上げて提出する。普段通りの生活の中に咲くほっこりとした花。それは、同級生という長年の関係値が産む色深き時間。
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肉多め、酒控えめ起因か、すこぶる体調がよい。西川口へ行き、夕方まで仕事をする。

歴史深い時期が自然とそうしたのか、検索エンジンで「西川口 喫茶店」と打つとかなり上位に表示されるこの店の情報。特にネットでの営業をせずとも、SEO対策(ネット検索上位に登るようにするやつ)がとてつもないことになっている。

叔父にその旨を伝えるが、あまりピンとこない様子。しかし、「日曜日はネットで見て来る人がいっぱい居るんだよ」と、そこは実感しているもよう。そういうこともあり、今日は忙しかった。ギャラを得て帰宅。

適当にYouTubeを垂れ流しにしてダラダラと休憩し、楽器等の練習をして音楽力を高めることに努める。ここ最近の日曜日によくありがちな1日。

フロー収益(都度の販売や行動に対しての報酬で収益を得るやつ)も大事だしストック収益(一度仕上げたコンテンツや商品、仕組みなどがサブスク的に収益化するやつ)も大事だなと改めて思う。収益のバランス。
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昨晩、疲労か躁転か単にめし不足か謎だが、酔っ払って夜中にラーメンを食いに出るという蛮行におよぶ。

「並」的な普通の品をオーダーしたのだが、どういうわけか「すいません、間違えてこっちを作ってしまいまして――アレルギーとかなかったですかね?」と、物凄い見た目のフル装備大盛りラーメンが配膳される。

「あ、大丈夫です」と、海苔が5枚、チャーシューは10枚はあっただろうか、さらに卵付きという、恐らくその店においての最高級ラーメンを最安値で頂く僥倖に賜る。

その時はおいしかったが、当然寝起きは腹が張り、「やめておけばよかった」という後悔の念が頭を馳せ巡る。

そういったわけで食事は控えめに、デスクワークや制作をして腹をさする。「いかにも最近のエレクトロですよ」といったモチーフのサウンドを意識してネタを考える。シンセサイザーのメインフレーズに、鍵盤で直感的にリズムを叩き込む。わりとすんなり、 曲の土台ができてほころぶ。

こういう感じのトラックにギターの生演奏やらを入れると、ユニークな感じになるんだよな、よしよし、と、最終形を見据えつつDAWを閉じる。物を作って形が見え始めた時は、最強ラーメンを食った時よりも満足感がある気がする。
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シビアに捉え、諦めかけていた新業務の新規依頼を受ける。赴いて業務をし、お話をしていると「またちょいちょいお願いします」といった、リピート依頼が前提のお客さまであった。早速明日も、という具体的な予約付きである。

ううむ、やはりいけるのか、求められ、稼げるのであれば、絶賛続行するぞと、わりと前向きな心境で俺は力強くチャリを走らせた。

宅で一息つき、戻ってきた原稿を加筆修正し、提出する。夜、別件のライター案件を賜る。

ううむ、今日はなかなかいいじゃないかと思いつつ、電話でのトークに華を咲かせる。

どういった話の流れかは忘れたが、「お互いのYouTubeチャンネルのおすすめ動画一覧を晒す」というゲーム的なやつが勃発。

前々から思っていたが、YouTubeのレコメン動画は、その人の、その時のトレンドが丸分かりするという持論がある。ひょっとしたら、晒すのには勇気が要るのかもしれない。

互いに晒したスクリーンショットを見て思った。YouTubeおすすめ動画に上がるものは5つの種類に分けられると。

1つは、その人が今真剣にハマっている枠。

2つは、その人の息抜き枠。

3つは、その人の調べ物枠。

4つは、その人が懐かしみたい枠。

5つは、謎のアルゴリズムがはじき出した枠。

手前で言ったら以下の通りになる。

1:青汁王子やホリエモンや与沢翼さんの動画や経済関連など。これは「稼ぐ」ということに真剣に向き合っているつもりだからか、最も多かった。

2:猫動画は息抜きの象徴。

3:今度配信で紹介しようと思っている楽曲たちの動画。調べ物。

4:『ハイスコアガール』のアニメ動画。数年前、この漫画に超ハマっていて懐かしい。

5:バイクのフルカスタムなんちゃらの動画。全くもって関連性がないから謎。

こういった解釈(完全持論)を持った上で、「君のYouTubeチャンネルのおすすめ動画一覧を晒してくれない?」と誘導してその相手を分析するのも一興かもしれない。なんかまあまあスレスレの行為な気もするが。
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コンサル的な要件で連絡を受け、『アルマンド』へ行って業務をする。夕方、昨日の依頼者の予約のため、赤羽に戻り実務をする。共に、売り上げを得る。

よし、得ているぞと、ボルテージもいい感じに高まり、進行中の案件の原稿確認をクライアントと共に行なう。ひとまず、先方OKを頂き、あとは最終確認待ちという工程に進む。原稿自体の出来について有難いお言葉を賜り、気分が高揚する。

編集部よりライター案件をもうひとつ頂く。必要資料等一式をまとめて「案件フォルダ」に格納する。そして、昨日受注した原稿をカタカタ書く。楽器練習をして0時が過ぎる。

この一連のスケジュールが最低限、というラインまで行けば、ストック収益も含み、「まずまず稼げている」というフェーズに行けるのだがなと客観的に捉える。実際は、これくらいのタイム感の日の方が、現状ではまだ少ないのだが。

「稼ぐ稼ぐ言っていた頃が懐かしいわ」などと、数年後にリッチな精神状態で回顧できる事を前提に、何事も丁寧に尽力すれば、そうなる。そうなると思い込み、そのように潜在意識に叩き込む。

この間、足立くんが宅に遊びにきた時、キッチンに掲示している「稼ぐ」の文字が書かれた紙を見られ、やはり、笑われた。プークスと、失笑された。

しかし、俺が「こうやってね、コンセプトを潜在意識に叩き込むんだ――」と大真面目に説明したところ、彼は「わかる。それは本当に大事」と、同意と共感の所作と言葉を露わにした。

ちょっと意外なリアクションではあったが、やはり、出来る漢は、こういったところの真意をちゃんと理解してくれるのである。

なんでも、大成功する経営者などは、目標やゴールとなる文言を具体的に紙に書き、それを財布などに忍ばせるという傾向があると、本で読んだ事がある。それに近い行為なのだろうか。

俺の場合は「ちと痛いかな」という部分をあえて晒し、来客者の笑いを誘いたいという側面もあるが。恥ずかし目のところを笑われて快感を得るこの性癖は一体なんなのだろう。
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「ブックオフでB’zの各種バンドスコアを買い付けよ」という任務を村上氏から受けているのだが、たぶん原稿の方が優先順位的には上だろなと、数時間カタカタ真面目に努める。

一気にやりおおし、まあまあヘロヘロになりつつも提出。これから池袋に行き、スコア探しをというムーブをとるには時間も遅いなと、別の仕事に着手する。西川口のハロウィーンイベントで使用するコンテンツ制作である。

思いのほか手こずったが完成。やれやれとしているうちに夜も更ける。秋も深まる。春夏秋冬四季のうち、唯一、秋だけが「深まる」という表現が適用される。特別な季節という感じがして、何気ない点ではあるがどこか乙。

深まる秋に、庭園でお散歩という休日の過ごし方をしたかったが普通に仕事をしていた1日。むしろそれくらいの仕事感を望んでいるからよしと、そのぶん頭カラッポにして酒呑んで寝ようとバランスをとる。ハイボール系缶酒はアルコール度7%がベスト。
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ほどほど季節の匂いがする。十条あたりをトクトクと散歩し、10カ月は続いた謎の精神不調もだいぶ治ってきたなと、正確には、バージョンアップされて以前よりも逞しき方向に進んでいる気がするなと、そんな感覚で漂い彷徨う。

やはりブックオフ十条店にも目当てのバンドスコアは無かった。せっかくなので何かしっかり読むかと、これ見よがしに教養が得られそうな書籍を一つ購入。買った瞬間に賢くなった気になる。

すっかり様変わりした十条駅付近からアーケード商店街を練り歩く。特にこれといったトピックは無かったが、とにかく、方々から香る匂いが心地よかった。

十条と赤羽の嵌張あたりに位置する公園を通る。鈴虫やらと風のアンサンブルを聴きつつ、今年においてセミちゃんは絶滅したなと実感する。

季節や環境、果ては虫など、手前以外の森羅万象に意識を放り、デトックスするように気持ちを安らげる。インプットともアウトプットともやや異なる、疲労や体内および脳内の毒素を自然放電の如き飛散させた、とてもナチュラルな1日。
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表を歩いていたらカチコミかというほどの爆音が轟く。天然ドリルンベースのようなその重圧・音圧たっぷりのサウンドは空から鳴り渡る。花火である。

そうかそうか、最後の花火の季節になったものだと、たまやかぎやと呟きながらさっさと戻る。原稿を書く。このグループのコラムを書くのも2年ぶりくらいだなと、懐かしみつつせっせと文字を叩く。

大筋が書けたのであとは後日と、締め切りまで1週間もあるなとwordを閉じる。DAWを開く。「近代的エレクトロサウンド」というコンセプトで着手した楽曲を作り進める。最近の音像を意識しての制作というのはあまりやったことがないが、やってみるとわりとそういうテイストが香ってくる。

なんでもトレンドは大事だよねと、流行り廃りにさほど関心がない手前も、たまには意識する事を心がける。個人的なトレンド、マイブームは一人磯丸水産なのだが、ちょいちょい外で呑むとこづかいの減りが早くなるので月に1度以上は控える。基本的に宅で廉価の缶酒をゆっくりやる。

いい意味でのセコさは大事だが、磯丸水産くらい(と言っては親会社のSFPホールディングスを始めとする関連各所に対し失礼にあたるかもしれないが)好きな時に行けるよう、明日からも頑張って稼ごう。
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早起きして活動開始から数時間は眠く、珈琲ばかり飲む。しかし、昨夜は酒を1合程度に抑えてベッドに沈んだのが功をなしたか、日中さほどつらくはない。

もしかして、日々の飲酒を控えれば毎日アッパーで過ごせるのであろうかという思いが頭をよぎったが、以前実験した約1週間の禁酒期間で「あまり変わらない」という結論に達したので再考せず。終日しっかり仕事をする。

夜、どうかしたのかのというくらい鍵盤を叩き続けていたら深夜を迎えている。手首が痛い。覇気や集中力など、どうも以前より向上した気がしてならない。

やはり、精神がバージョンアップしたのだろうか、どうやっても閉じなてくれなかった脳内バックグラウンドで蠢く悪しきアプリがやっと閉じたのだろうか、などと様々な憶測をたてるが要は自然に元気。

かなり寝不足なのに、出かける前に野菜スープをこしらえて飲んでシュッといけるあたり、相当元気。イレギュラーな躁とも異なる、健やかな心情の秋中盤。もう中盤なのか。
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原稿を書く。この先はササと書けるだろうと判断し、日を跨いだ原稿の続きを書く。しかし、どういうわけかハマる。内容が良いのかそうでないのかわからなくなる。

たまにある、こういう時はたまにあると、そういう時はめしだ、一旦頭から離そうと、安い夕飯を摂る。再度取り掛かるも、なんか腑に落ちない。

おかしい、明らかに全体像が見えているはずなのに細部と構成がシュッとせんと、ああでもないこうでもない、ここの「といった」は要るか、ここの読点はくどくないか、などと、重箱の隅を執拗につつくサディスティックな脳内編集者が指摘しまくる。

そういう時は寝てしまえと、ソファに転がる。40分寝る。起きて原稿を頭から読む。すると、「おおむね出来ている。改善点は、こことここ」と、直ちに判り、ちょいと推敲してほぼ仕上がる。

こういった一連の流れはたまにある。ほぼ出来ているが、無駄な猜疑心が邪魔をするパターンである。あとは精査と、悪意なき扇動的見出しを考えることくらいである。

近隣の工事的なやつもようやく終わり、部屋内ノイズ混入も解消したことだし、明日かそれ以降くらいに配信をやりたいなと準備を整える。制作も進め、なかなか面白い楽曲の完成形が見えてくる。そのように、一人でああだこうだと紆余曲折しつつも着々と事が少しづつ進んだ気がする静かな1日。
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『アルマンド』へ行き、少々仕事をする。橙や紫で彩られた店頭の飾り付けなどを眺めては、世間はハロウィーンムードかと、時勢を噛みしめる。

とはいえ噛み締めるほどの気概があるわけでもないので仮装等はせず。普段着で過ごす。むしろ、今日あたりに仮装をして通常業務を執り行っていたらなかなかのタマ。したいはしたいが、トレンドの適切なキャラが思いつかなかったという側面もある。

やっと近隣工事が終わり、仕事部屋雑音なしということに相成り、夜は配信をする。冒頭、他者様のアカウントで生配信を開始させるという損害賠償モノのうっかりがあったが、そこは秒で気づいて即対処する。

視聴してくださったみなさまと楽しく過ごさせて頂いた後、すぐにミスって入ったアカウント先に連絡を入れる。直接電話で謝罪する。

しかし、期待外れなほど感情的にはなっておられないご様子で、「マジか! ハハッ! いいよいいよ、あとはこっちでアレを消せばいいのね?」「左様でございます!」と、笑って許してくれたから本当に俺は周囲の方々に恵まれていると再認識する。期待通りだったら焼き土下座である。

そういった感じで、ハロウィーン的な事はしていないが、ほっこりお祭り的な気分の過ごし方でもあった秋の良日。やはり、秋はいい。
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トトトと仕事をし、夜は愉快な仲間たちと遊ぶ。夜遊びである。たのしく過ごす。ハイボールが進む進む。

談笑中、年上の方を含むみんなに、手前の仕事ぶりの心配やらアドバイスやコンサルなどをして頂く。内容は有料級である。

できる事とできない事があるのかもしれない。前者は行動すればよいし、後者は努力すればよい。見極めればよい。と、シンプルに解釈する。

「なんでそんな、俺の仕事のことをそんな――」と、率直に申し上げる。すると、言い回しは少々異なるが、「気になる」的なことを仰る。

俺はこれを愛と受け止め、助言に真摯に向き合う。当たり前の事なのかもしれないが、定期的に会う仲間と近況を話し合う事は幸福なのだなと、しみじみ思う寒空の秋の夜。
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7割がウイスキーで占められるレシピ「穀潰しブレンド」をジョッキで仲間に振る舞った事が起因でバチが当たったのか、まあまあの二日酔い。

長く続いた謎不調時に呑み過ぎた際は、何故か二日酔いの症状が全く出ない替わりに、ネガティブ要素が不安感と焦燥感に全振りされていた。どういう精神構造の時期だったなのかと、いまだに原因特定はされておらず。

あれは何だったんだろうな、というくらい今日あたりは普通の二日酔いである。そこに安心感をおぼえ、わりとポジティブな気分で『アルマンド』に向かう。マネジメント的な役割もあると受けたので、それを行ないに赴く。

無事、全員納得の流れとなり安堵。ほどほど報酬もらって帰る。袋ラーメンを軽く調理し、おもむろに食う。なんて美味しいんだ、安上がりなんだと、節制を伴う生活感に満足する。

あとはもう、基本的に木曜日は半休日なのでほどほどダラダラYouTube観たりして一休みし、数時間は制作を進める。イメージである“最近のサウンド感”をこしらえる。

ほどほど遊んでほどほど休み、気力体力ほどよく漲る昨日今日。
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モツばかり食う。特に、セブンイレブンの300円ちょいのやつが美味しい。そればかり食うというその頻度たるや、週に3回は肴とし、結果、口元にニキビができるほどである。

ニキビとモツの因果関係は無さげだが、これくらいの歳になってニキビができるとなんだか逆に若々しいかもしれんと、恐らく間違えである勘違いも生じるのである。まだ治らない。

モツはビタミン類を多く含み、特筆すべきは、疲労回復に効果のあるビタミンB群、皮膚や粘膜を丈夫にするビタミンAが豊富である事に加え、鉄分や亜鉛等のミネラル分や必須アミノ酸も多く、貧血等の予防や免疫力アップにも効果的との事である。

このあいだ、愉快な仲間たちと行った店でもモツを大量に頂いた。そして、その翌日も西友のモツ煮込みを買ってきてつるっと食べた。

よもや、同部位である腸の調子が優れないからかな、といった心配をするほどである。全然そんな事はなさそうであるが。

酒を呑み始めた頃からか、「その時期やたら食う肴」が集中しては、バトンリレーのように次から次へとその対象が変わる。

それがハンペンだったこともあったし、鮭とばシーズンもあった。特定のポテチ、特定のじゃがりこ、例を出すと枚挙にいとまがない。

共通しているのは、「一生分は食ったな」というラインに達すると、その後はほぼほぼ食わなくなるという点。とっかえひっかえというわけである。

これを恋愛関係にスライドさせた場合、俺はもうどうしようもない野郎なのかもしれないと思った。

実際の恋愛遍歴がどうかというと、誰かとそういった話題になった際は「君たちはいつまでそんな話をしているのだね。投資についての話でもしようではないか」と、ぶった切る。それくらい引き出しが少ないのである。

モツにハマっている件から恋愛に繋げたらだんだん悲しくなってきた。
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週末にハロウィーン色、明瞭に感ずる。どこもかしこも紫に橙と、欧米のカルチャーに染まりつつあった。

この西洋かぶれどもが、とは思わず。俺も仮装をして仕事をしようかと寝室の衣類を改めた。昨年もらった特攻服が2着。

こいつをアレンジすべく刺繍を追加し、タイトに着こなし、柳のポマードで七三分けにする。前髪をこめかみから口角にかけてツツーと垂らす。そして白い手袋を装着し、鋭利な櫛を懐に忍ばせ、拡声器を構えていざ出撃。当然、今年は鳥肌実氏のコスプレ一択である。

そして街角では勿論、オーディオフリークが卒倒しそうな歪んだ音声での演説を執り行う。

「ああ〜、ピピガガガガ、ピーー(ハウリング)ああん! おん! ええ、何だね君たちは揃いも揃って西洋文化にかぶれおって――嗚呼、亡き三島由紀夫先生が嘆いておる! 断じて認められない。認めないよぉ……いいかね! 大日本帝国男児たるもの――あぁん!」と。

うまくいけば珍しがる若者、あるいは元ネタを知った上でからかう者たちとのふれあいが狙える。さらに、「42歳厄年――」という決まり文句には真実味もある。実年齢である。

そんなことはしないけどねと、一応脳内で綿密なリハーサルだけをし、真面目に働く。今夜あたり、風呂上がりの濡れた髪をキッチリ七三分けにしつつ溜め息が漏れることが予想される。
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やはり飲酒量を控えると目覚めがいいなとスッキリ起床。『アルマンド』業務のため朝イチで西川口へ。

駅を出て歩く道中、紳士たちが話しかけてくる。「すみません話しかけていいですか?」と。ニコリと「ええ、どうぞ」と応える。

「このあたりに喫茶店はありませんか?」とのことであった。「ああ、それでしたら、これから僕も向かうところです。ご案内します。ささ、こちらです。しかし、実にいい天気ですねえ」と、エスコートする。

その2人と共に出勤し、入店。同伴である。赤羽駅周辺の呼び込みの黒服の所作をもはや完コピできる手前にとって、それは容易な事であった。

しかしマスターはさすがに「くる途中でお客さんつかまえて連れてきたの」と、驚きを隠せない様子。互いにホクホクと仕事をする。

昼過ぎ、村上氏ご来店。知り合いが来てくれるのはとても嬉しい。「音楽系ウェブ媒体の編集部の偉い人です」と、紹介し、振る舞う。

今日あたりも売り上げ好調で喜ばしいと夜まで過ごして帰宅。昨日今日とくたびれたのでちょっと仮眠してから制作をする。DAWを閉じ、締め作業に入り気づいたが、もう10月も末日。今年10カ月が過ぎた事となる。

この10カ月、えらく色んな事があったなと改めて思う。様々、新たに始めた事や初体験など、まことエキサイティングな年であったと。

来年あたり、占い師に「2022年は転機の年でしたね」と言われたら納得しそうなテイストである。

「さようですか。で、これからどうでしょう? 俺は?」

「うん! これからがいいですよ! これからが凄く楽しいです!」

とか言われ、「それは前回も言われましたが――」といった流れになりそうな感じが何となく頭をよぎる。

されど、2年くらい前から今年と、実は凄く楽しい時期で、これからずっといい感じなのだなと是認する。そう見据えて意気込む深まり切った秋の良日。
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営業するも依頼なく、長めの時間を制作に充てる。あっという間に夜になり、スーパーへ行って雑に値引きシールが貼られたビビンバ丼を救う。温めて食うと美味しい。

再度、制作をして気づけば深夜。ストック曲が進んだからまだいい方かと気持ちを落ち着ける。これで制作もしなかった日には、「今日は稼ぎになる事がひとつも進んでねえ」と、なかなか鋭利な焦燥感が襲ってくるのである。

どうやら、極端に多忙なのも過労を招くし、覇気があるのにやることないのも思いの外つらいし、その人にとっての適度な仕事量や作業量というものが人間の健やかな精神状態を保たせるのだなと、今年あたりは特に実感した。

未来、ベーシックインカムやら何やら、どうなるかはわからないが、人間が労働から解放される世界になったと仮定する。

シンプルにやったぜとなるかもしれないが、暇すぎて病む人が多発する気がするのは俺だけだろうか。暇すぎで病むのは御免なので、来月もせっせせっせと張り切ろうと思う。
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