ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。10月。
秋はいいですよね。特に9月は油断がならない。昔はそうではなかったですよね。と、言われれば俺は礼儀正しく事実を伝える。「ええ、昔は――9月1日になった瞬間に豹変するように涼しくなったものですよ。とても清涼な気持ちに切り替えられたものです。俺はね、空を眺めてそう思っていましたよ。幾何学模様のような綺麗な鱗雲を背にしてはトンボなんてす〜ぐに交尾を始めるものだからあれはもう、一体何なんでしょうね?」と。
歳ですね。と、そこで悪気のない表情だと許されるとでも思っているのかその老婆に言われれば少々腹が立つものだから一旦名刺を渡してから「お互いそうですね」と、応酬するもそれが宣戦布告であることに気づいていない老婆は、「今年なんて濡れっぱなしで」などと。――なぜこう言わない?「雨が降ってばかりだったねえ」と。ちゃんと事実を正確に言えと。だから、対話において間接的な表現で格好をつけることが急に許せなくなった俺は正気を逸して一応提言する。
「そうですねおばあちゃん。しかし、そのね、文学とかだと〝雨〟ってすごく便利で。なんとでも言い換えられては情景描写をいくらでも美しく、悲しく、切なく、まわりくどく装飾できるでしょう?」
はい? と、片耳に手を当てて前傾しては斜めの角度から俺に目線を向ける老婆に対しての忿怒はワンストロークで臨界点を超えたが彼女を尊重し、丁寧に説明を重ねた。
「だからね、おばあちゃん」
「どういうことでしょうねえ?」
「雨っていうのはね」
「今年なんて濡れっぱなしで」
文脈で同じことを別の契機でも言った。大脳辺縁系と前頭前皮質と言語中枢と海馬が死んでいてもうちょいで脳幹に達する。まずい。そう思い俺は老婆をいたわろうとするラインを見た。
「たとえばね、おばあちゃん」
「どういうことでしょうねえ?」
「つまりね」
「かっ!」
老婆は地面に両手を付いては紫メッシュのパーマヘアーの前後運動と共に俺の倫理を揺さぶった。
「まずい。たとえばね――」
「どういうことでしょうねえ。かっ! かっ!」
――土を徐々に覆う。歓迎しないことだった。しかし、その思いは上空からの決まりごとだ。音も動作も些細だった。俺は地面に両足をつけていた。両手には何も持っていなかった。そのふいな出来事に抗う術は空虚とも感じた。徐々に、という感覚は正確ではなかった。気がつけば衣服を侵していた。早足で路肩に移り、庇を探した。そう都合よく出くわすものではない。観念も肝心だ。歩幅はどんどん狭くなり、頭に手をかざした。せめてもの抵抗だった。一面に、ばらばらの音価が広がった。とうとう体まで冷えてきた。また、早足を。「こんなところにあったのか」と、ふたつ前の年号を想起させる看板のふもとに辿り着いた。ようやくありついた庇が俺をいっとき、まるで母親が薄い布で覆っては微笑を浮かべて覗き込むように囲ってくれた。胸元から煙草を一本。煙に混じる雫の連打に無効化されるような紫色の煙をただただ、見つめていた。しばらく、庇の世話になった。今日だけではない。昨日もそうだった。振り返ると、秋の口に見る鮮やかな飛行のトンボをあまり見かけなかった。指先にだんだんと強まる熱を感じた。煙草の吸殻をそっとしまい、ふと回顧した。9月はずっとそうだった。今年なんて濡れっぱなしだった。
「聞いてたかな。おばあちゃん。こういう風に、何が何でも絶対に、銃口を喉に叩き込まれても頑なに、〝雨〟って一言も言わずに『雨がどうの』って。そういうのは文学とかではむちゃくちゃ便利なんだよ。でもね」
「……」
「でもねおばあちゃん、対話というか会話というか世間話でそれをやられるとたまらんのよ俺は」
俺が言いたかったことが届いているかどうか。それは、呼吸を止めてはトンボの形で横臥した老婆の姿が静かに物語っていた。
――おい。――なんだよ。――僕のセリフだ。なんだよこれは。――書いてある通りだ。――むちゃくちゃヒマな日だったことが露呈したってこと?――いいや。――じゃあ今日は何してたの?――いろいろと。――ふうん。そんで、そのおばあちゃん死んだの?――物騒なことを言うんじゃないよ。――息してないじゃん。最後。――ただの創作だ。――ヒマじゃんやっぱ。――いいや断じて違う。――じゃあちゃんと今日のことを書いてくれないと――わかった。
今日は仕事して『MFゴースト』をちょっと観て仮眠して楽曲制作して「先月雨ばっかしだったな」と、思ってた通常運転の日であった。あんまり雨が続いて久々に晴れた日だったから〝雨〟を総括しようとしたらこうなることに何の意味があるのかなと率直に思いました。いっこだけあるとしたら、そうすることにより10月もはりきっていこうと元気がでるかなとちょっと思っただけでした。
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多めに仕事をするともちろんくたびれる。しかし、そのままDAWを開いて全トラックを走らせて聴くと覇気は出る。だからそのままもっと詰めようと。しかし、そもそものメイントラックのギターの音色が気にくわないので吟味する。結果、録り直すことにした。
そんなのMIXであとからどうこうできる。という手法が通用しない、「演奏時にアナログ機材をいくつも通して録音する」という、〝かけ録り〟と呼称するレコーディングだったからMIXでどうこうは通用しない。不可逆。だから録り直した。いい感じに出来た。
しかし、いい感じに出来た時には必ず起きる肉体的な現象、「声」が出なかった。出ればOKサイン。出なければ、現状での全力演奏が録音されていないという証明。個人的な判断基準。というかプレイバックしたら「グルーヴがなんか……」と、そう声に出たからそれが本質的なことを物語っている。
もしもプロデューサーが後ろだか横だかにいたら、「弾けてるしミスもないんだけど、平吉ちゃんさ、なんかこう、もっといけるよね?」と、きっと煽られる。俺は即座にそいつの襟元を締めて頚動脈の位置を正確に捉える気力もないものから「ですよね申し訳ないです」と、蚊のような声しか出ない。
だから、今日のは本気の練習ということで手を打ち、明日に声が出るまで弾き直せばいいだけの話。だが、なんかこう、文章までグルーヴがない気がする。いつもはあるかどうかというのは置いておき、そういう日はそういう風になるということを正直に示すことにはきちんと意味があってほしい。
――という、録音OKまでの営みが持ち越されたぶん、仕事をいつもより多めにしたからトレードオフだ。などと平坦な思考整理で日を閉じる。時系列は異なれど、していたことは昨日と一緒。仮眠はしなかったくらい。それがよくなかったのかといま気が付いたからそこに声が出そうになったがそれも出ず。
そういう時は、さっさと酒をちょっと呑んで買ってきたあつあげを焼いて食べてちゃんと寝るのがいい。
“――かくて、かかる能力の卓越性は何らかあらゆる生物に共通な卓越性であって、人間的な卓越性ではないと見られる。事実、われわれの睡眠中に最も活動しているのは魂のこの部分この能力なのであり、善きひとであるとかあしきひとであるとかの最も明らかでないのはわれわれの眠っているあいだにほかならない。(幸福なひとも惨めなひとも人生の半分はまったく異なるところがないといわれるのもこのゆえである。これは当然である。なぜなら睡眠とは、よきとあしきとの語られるかぎりにおける魂の無活動にほかならないのだから。)”
つまりどういうことかというと、――引用して文字起こしをしてたらさらにくたびれてきた。というか、俺にこんな紀元前の偉人が記した節を要約できるか。ふざけるな。いや、大事なこと言ってるよきっと彼は。
〝幸福なひとも惨めなひとも人生の半分はまったく異なるところがない〟
というのはなんか声が出そうな部分だし。それはまるで、どんな車も車庫にある時はそのポテンシャルどうこうは異なるところがないように。
だからもうあつあげ食べて酒呑んで寝よう。肴のチョイスからしてくたびれてるのが露呈してる。
アリストテレスさんはひじょうに深くも大事なことを言うみたいだが、それこそ俺には、半分はまったく理解に及んでいないのかもしれない。
でも、明日起きたらこれらの文脈がぱちーんとなって声がでるのかもしれない。きっとそれが魂どうこうの――そろそろぐっすり眠れそう。というかたぶんこれを今、車庫で書いている気がしてならない。
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ああこれだ、という声は出ずともしかし「出来てるな」と、むしろ完璧に近いカッティングギターを確かめる。グルーヴがない。という懸念は手が足りていない。これあれだ、と、すぐに出る。「もう一役のギターが不在」という認知。もうひと押し。トラック追加でアンサンブル。それで完成へと向かう。それが今日は、わかった。つまり昨日は判断力が死んでいた。
今日は大丈夫だと。しっかり仮眠したと。だから――すぐに浮き出たギターパートはすごく地味。しかしひじょうに効果的。というかその一本、そのトラックを足すことで、昨日のギターが成り立つ訳だ。完全にわかった。それを弾く。
――弾きつつしばらく考える。そこは頭でつくり出す。ボトムがどう、三度がどう。音価がどうのと。思考のカッティングのように理論でそれを繋ぐとシンプル。
〝後ろに隠れているようでそのトラックを抜くと急にスカッと不足を感じる絶妙なパート〟
これを入れれば録音完了。よし、と思って仮で弾く。すると楽しいこれなんだ。と、「よしという判断基準は声が出ること」よりもまず、楽しい気持ちになれるかどうか。という大事なことを忘れてた。それを引きずり出してはギターを弾く。
楽しくなってくる。裏打ち、表。表はジャスト、裏は食い込む。食い込むように限界寸前、スウィングビートの決め手はズレ。音価のバグかと思うほどズレていい。ただし表はジャストを死守。裏、裏――表。という風に弾いているとあれほど落居に至らなかったグルーヴが生じた。
これだ。と感じるとなぜか、何でかは、俺にもわからないのだが過去の記憶が映像として脳内を巡る。没入のサインがそれだという奇妙な経験則。――演奏に限らず、文字を打っていてもたまになる。文脈的に全く関係のない過去の映像がファッと出る。その状態は時間軸を無効化させる。現に今、26時のその寸前。最後の録音トラックでグルーヴが生じるのが楽しくて長時間弾いていた。
フレーズ自体は至極容易。だが脳をバグらせるくらいのグルーヴをアナログ音価で弾き続けるのが至難。
こういうのは欧米のタフガイが得意なところ。血筋やDNAレベルで彼らにはかなわない。だが、ギリギリ近いところまではいけるはず。
しかし――なんならそのタフガイに弾いてもらったほうが話は早い。だから南米育ちシアトル在住のケニーくんをここ赤羽の部屋に呼んで一発弾いてもらえたらな、と、弾きながらずっと考えていた。早く来てくれないかなと。
「ケンジひさしぶり。さっきナリタに着いてここまで、もうね、迷ったよ」
「よく来てくれたケニー。頼みがあるんだ。Eメールは読んでくれたよね?」
「アンダストゥッド。でもケンジだめよ。日本語で書いてAIで英語にしたのバレバレのテキストね。ズルはだめよ」
「いいから座って。座ってくれ。そんでこれだ。この曲にファンキーなグルーヴのギターを一発ねじ込んでくれ。君なら簡単だろう?」
ケニーは仕事部屋の中央に立ち、ふと横を見ては俺の本棚を漁って漫画を読みだしてはソファに座ってクスクスと笑い出しては輝かしい瞳で俺を見た。
「日本のアニメは世界一ね。このゴクドー・アニメ最高だよ。チャカ、カチコミ、ジョウノウ、ケジメ、テウチ、日本語の勉強にとてもいいよ。五巻はどこ?」
「頼む。いいからギターを弾いてくれ。あとそれはアニメじゃなくて漫画だ」
「アイシー。じゃあどれ? これ?」
ケニーは俺のストラトキャスターを雑に持ってはストラップを付けた。覚える必要性のない単語の学習とか余計なことをこれ以上させないために俺はギターにケーブルを挿し――。
なんてことにはなるはずがないので自力で弾く。DAWにスケッチできた。これをまた明日磨く。手間がかかる。それこそAIでそのうち一連の録音も。などとも想像するが、楽しく弾いて録音した楽曲から生じるグルーヴはきっとAIには。とも考えるがそこは今はどうでもいい。時間軸を無効化させる感覚に入れれば、あとは理屈は必要ない。
ケニーくんが立派にグルーヴィーなギターを弾き倒してはギャラの寿司を奢りに商店街に一緒に行ってはケニーくん、しこたまカリフォルニアロールしか食わないものなのだが満足気な顔なので手打ちとしようと会計していたらケニーが即帰国するまでのくだりを書いていたが、彼は存在しないので書く意味を途中で考慮しては途中からなかったことにした。
文章も、グルーヴが生じると思わぬズレとバグが。などとも思うがこれにグルーヴがあるかは置いておき、そのまま書くことに意味があるはずだと信じつつ、ひとつ思ったことがある。
寿司もグルーヴも生モノというか、やり直し前提のような取り扱いを念頭に置いてしまうと新鮮味も疾走感も死んでしまう。〝判断〟というのも、さもデジタル的なイメージがあるが実のところ人間特有のその場限りの連続したアナログ運動なんじゃないかなと。
そういうのを昨日は忘れていただけかと手打ちとできる。裏打ち、表。表はジャスト、裏は食い込む。食い込むように限界寸前、スウィングビートのように思考も楽しく。それを念頭に置くことで何事もリズミカルに進むのかな。と、そういった思考はいつだって裏拍のあたりで刻まれているような気がしてならない。
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不当な量の酒を呑み散らかしては気を逸することを臆せず、ただただ愚直に快楽を求めては正気と気絶の境界線に虹を見る。そういう日は最近ないな。連日連夜、仕事や制作に目が開いている時間のほとんどを使う。
時間は、使うものではなく観念でしかない。などという横どころか形而上に逸れる論点も一瞥するのみというほど、妥当に過ごす。真面目でいいじゃないか。
真面目とは、人間の営みにおいての平均値のようなことを指すのだろうか。はたまた、本筋と個々が信じている生活圏から逸脱しないことだろうか。あるいは、決まり事に愚直に従うことであろうか。などという、既に定義がある言語を動かそうと躍起になることを封じるほど、やると決めたことをやっている。
やっている、というのはひじょうに便利な表現でありそれを口にするだけで「老後は余裕である」という甚だ腹立たしい表情に見えてしまうので我がもの顔で雑に使うと――などと書いていると26時。だから、思惟を深めずに事実だけを言うとたいへん端的。冒頭の一段落である。
虹が見たいな。イルカが飯を食う写真が撮りたいな。北方領土に取材に行こう。原宿のブタ・カフェでレギュレーションを全て無視して店員の反応を得たいな。量子もつれ起因で実はペルーに住んでる姉貴分に会いに飛ぼう。彼女は姉貴なのに27歳で仲間由紀恵似の美貌から目が離せない。
などと、確実に必要のない段落が生じる原因が何かといったら至極容易く、ほぼ同一の時系列で一週間以上だろうか。それくらい真面目に――過ごしていると不可解なことに人間は気付かないうちに、何かが摩耗していく。すごくシンプルに言うとくたびれてくる。
休めばいいのに何をムキに。という俯瞰は客観でもあるかどうか、ものすごく訳がわからなくなってきた感覚。これが全てを言っている。つまり、明日は仕事もあるがそれは半日くらいの予定。そのあとに虹を見に行くのはむしろ妥当というなんらかの許可が今、下りた気がする。だがそこに依拠することは堕落とも捉えられるが、一体、その判断を誰が下すのだろうか。
文章にもし、人格があったとする。その際は是非聞いてみる。「俺はどうすればいいんでしょうか」と。すると人格も意思も持った文章は今日、こう言っていた。「その問いが全てを言っている」と。
――今日、〝全てを言っている〟という内実は全くもって複雑ではない。たった一つのことしか言っていない。ずっと休日とってないから酒いっぱい呑みたい。と。
イルカはとても賢いらしい。だからそいつに聞きに行こう。虹を見よう。――こういうのは何も言っていない。比喩としておそらく成立していない。だけど、正直に出てきた言語の組み合わせだから本当なのだろう。それも含めて、酒量は不当未満に。頭がお留守にならない程度に。――イルカの頭はどうしてあんなに出っ張ってるんだろう。――だめだ。そういうのもういい。程よく休日をとらないときっとこのまま、日記が暗号のようになる。
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家族の最大公約数を音にすると低音だ。今日あたりは、ややこしいことは抜きにして、そのモデルに浸っては酒を10だか20だか、言い過ぎだが8くらい。
そして思っていること言語化することに意味はない。あるとしてそれを数値化いたとしよう。――しない。意味がないからである。――意味とは。――人間の都合であり、時間という都合をうま〜く使っている。便利じゃないか!――そうだ。便利とは?――もう知ってるよね?
――怖いことを言うな。――僕は真理を言ってる。――それみんな知りたいやつなんだ。――知ったら死ぬ。――死ね。――前提、人は死なないことの〝理屈〟でできている。――様子が違うねいつもと。――続けるね。
今さっき、ビートルズを聴いては酔いどれて寝そうになった君に興味はない。だけど言語、言語、言語はしつこいほど君を侵す。それが君を――。
やめて。――なんで?――質問は凶器だ。――違うよ。――根拠は?――事実を動かしては永遠に止まらないことに意義をだな。――根拠の意味は?――データはあるかどうか?――データは、君たちの都合。――じゃあ都合って?――あなたのいる場所の勘違い。
今日は健やかであった。なんでも仕事をして定期検診に行っては血を抜いた。その血を示す、何を示すのか――それは数ヶ月後。そこに時間軸を捉え鑑みなんの意味が。14歳の時にセーラムライトという煙草をそっと物件の屋上で吸っては勃起した。
正直だ。今日は、仕事を休むべきであったがありがたくも横槍。刺さる快感。でも仕事の都合で呑んだくれては今、おや。案外だ。25時。じゃあ、俺は今、仕事部屋でMacに叩く。それが何かというと、全員が今とか今後とかについてのこと。論理は完璧に破綻している。だが、今日は楽しい1日だった。家族とは喜劇である。異論は――ないならば、棺桶の定義に問う。
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