12/2021

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
謎不調でもやることはやってる。12月。


なんとなく久しぶりに一人で呑みすぎる前夜。内容はというと、アルコール度数7%の缶酒500mlが1本と、アルコール度数14%のスペイン産のワインをボトル半分程度である。

アテは、スーパーの蒸しタコをスライスしてオリーブオイルと塩とバジル粉で食うというカッコつけ肴。これがめちゃめちゃおいしい。

酒量で言ったらおそらく3合ちょいといったところ。正直、呑み過ぎというほどの量ではないが、寝起きがダルかったのでやや呑み過ぎと判断すべきであろう。

最近わりと連日アクティブに過ごしていたので、ではではゆっくりしようじゃないかと気を許したのが運命の分かれ道。そうは言っても、手前が自覚しているデッドゾーンまでは全然いっていない酒量。正直、「まあ毎日じゃなきゃいいか」で済ませて差し支えないレベルである。

そんなことを考えるのも起きがけから小一時間ほどである。日中はライター案件をやり、制作をしてと、健やかに過ごす。酒量デッドゾーンというのは人それぞれであるが、手前の場合はざっくり8杯、8合といったところである。

このラインを超えると記憶は飛ばすわ知らない人にポップに絡むわ同じ内容の話を無限ループさせるわと、まあ典型的なアホになる。しかし、なんちゃら宣言なども今は発令されていないこともあり、たまには人様と楽しく夜の街でガヤガヤきゃっきゃと、まあまあのアホになって過ごしたい気分も湧いてくるものである。

外での酒で心のチューニングをするのもいいかもしれない。「ほんの少し、ピッチが高いくらいがいい感じ」というのは往々にしてあることを最近知った。

とはいえ、デッドゾーンを超えるとチューニングが狂うどころか、下手をすれば弦が切れるレベルになりかねないのでほどほどにしとけという自戒も込める師走初日。
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東京とはこんなに寒かったかなというほどの気候。この時期、「たっての希望」である離島ひとり旅に行った暁には、寒いからけっこうすぐ帰宅し、話のネタにもならず終了となりかねない。

つい先日、仲間の方々と海の見える場所へBBQをしに行き、はしゃぎ、サザエを3つも食い、肉もほおばり、ほどほど酒も流し、海岸で漲る自然エネルギーを浴びたことだし、離島は急ぐことはないと「ペンディング」的な扱いとなった。

遊びやレジャーを先送りするのもいかがなものかなと記憶の片隅で燻らせつつ、制作をして1日を過ごす。これがなかなか進まなく悶絶。しかし別に急ぐ必要はない。今日あたりはプラットフォーム申請済みの1曲を公開し、ストック曲もあと1つある。

月に数曲ほど公開すれば、着実に収益が伸びるということはこの2年間の数字で証明された。なんなら1曲も公開しなかった月が今年1回だけあったが、収益は落ちなかった。興行案件を続いて頂け、なかなか忙しかった月である。

今月は制作時間がない、というわけではないので今のうちにと言わんばかりにせっせと作りためるのだが、進まない日のあの時間を溶かしているような感覚はひどくせつない。

こういう時こそ思い切って遊びに、呑みに、レジャーに、というのが気分転換になってアイディアもボロッと湧いてくるのであろう。

しかし、それはついこの間やったので明日も明後日もDAWに張り付こうと思う。「やっといてよかった」とか回顧しながら余裕の年末年始を迎えるためにも。

年跨ぎは日本酒祭りの予定。たまには奮発して、わかりやすくめでたい、金粉入りの豪華なやつでも攻めようか。

という発想もあるが、よくよく考えると金粉を飲む行為自体わりとわけわからんので「ふなぐち菊水」あたりで上等。ということで手打ちとなることがリアルに予想される。
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謎の不調でヒイヒイしながら制作をする。これはいよいよかと瞑想までする始末。身体か精神の不調かも不明。しかしコロッと横になるより、なんかしていたほうが多分いいと判断して5時間ほどやる。

夜にリーズナブルなカレーうどんを作ってたいらげてやや休憩したら治る。この、不意に来る謎不調をなくすためには、とか考えたが、たぶんだいたいの人がそういうのはあるんじゃないかなと、あまり深く掘り下げず。

考え過ぎはよくないと最近気付いたのである。こと、自分の内面について過度に熟考しまくるというのはなかなかの危険を伴う。

そういった謎ネガティブエネルギーはクリエイティブ方面には使える、そう信じ込みやっと作曲ができてベースと仮ギターを入れてプレイバックすると聴いたこともない感触のテイスト。これはあの言い表しがたい精神状態が昇華されるなと、いいほうに捉えられて安堵。

とはいえ暗い。曲調がメルヘンダーク。良く言ってブリストルサウンド。そうじゃない言い方だと鬱の世界観。

「ユーザー様が使いやすい楽曲」というのを意識的に、定期的なスパンで制作している。それはつい昨日も公開したし、「手前のおこだわり満載の楽曲」というのも、ちょいちょいくらいはあっていいのではないかと自負しているがどうなのだろう。

以前、そういった話を村上氏にしたところ意外や意外、「使いやすいのもいいけど、変な意味で迎合せず、作り手のこだわりをちゃんと見せるのは絶対大事だぜ」と、仰っていた。俺はこの言葉にとても励まされたのである。

そういうことで着手中のやつはもう振り切って制作し、次にまたスーパーポップなのを作ろう、バランスは大切だと、そう再認識した日。

心身の具合のバランスもどうにかならんものかと思うが、だいたい夜になればほぼほぼ元気になるのはもう体質であろうか。買い物ついでに夜行性のネコを探しに行こう。見かけるだけで安心するボーナスのような生き物を。
_12/03

 

 

 


滋養には蕎麦湯である。そう思い立ち、ラップトップPCなどをカバンに入れ、駅前の蕎麦屋へ。もりそばを食い、目当ての蕎麦湯もおもむろにすする。

その足で純喫茶「デア」へ。ここは、俺が知る限り数十年前から営業している老舗。カウンターには写真もあるが、ロックバンド・エレファントカシマシの宮本浩次さんも以前は通っていたという。

店内は、感染症拡大もいっとき落ち着きをみせていることもあってか混雑していた。何度か来たことのある店であるが、たまたまであろうが、俺が来る時はいつも混雑、という印象ではなく、ゆとりのスペースが心地よい、といった所感だった。

宅でもできることを喫茶店で。なぜかというと、最近謎に不調であり、その原因のひとつに、「宅でばかり作業しすぎ」「一人で居すぎ」といった2点が浮上したのである。

もともと、相手が誰であろうと、気の置ける友人であろうと親族であろうと、長時間誰かと居続けると謎に疲れてしまう体質という自覚がある。

されど、“おひとり様”はそれだけで快適であろうというのが自然な考えだが物事には限度というものがある。人と交わるのが平均で週に1、2回という時期が続けばそれは精神も疲弊する。孤独は、からだによくない。

そういったわけで、店内の喧騒はたいへん心地よい。クパァとMacを開き、新事業の広告媒体作成に着手する。要は、パワポによるチラシの版下作りである。

パワポ大好きっ子な手前にとって、チラシの版下作成などお手の物。小一時間でたたき台ができる。サービス内容は、高齢者向けのコミュニケーションサービスである。

なぜ、次なる展望のひとつが、音楽関連やライター業関連ではない業務内容なのかというと、シンプルに、これもやりたいからである。

そして、30歳の頃に、アナログな集客方法の成功体験があったのだが、それが途中で鎮座し苦い思い出ともなったのでそいつを昇華させたいという思いがある。

加えて、その時の業務の顧客が高齢者メインでなかなかウケていたので、そのターゲット層でのサービスを再びしたいという思いがあるからである。さらに、その源流には、たぶん、高齢者である父親が寝たきりになってしまったという個人的な感情も混じっているのかもしれない。

たたき台のデザインを見つめて思った。おおむねよし。だが、どこか、2000年代の消費者金融各社の広告を彷彿とさせるビジュアルであることがどうも否めない。

こういう時、判断してくれる同僚や上司がいるととても助かるのだがいまのとこ一人。

「デザインできました。これで7割ってとこっす」

「なんか、アコム感あるな」

「やっぱそう思います?」

「うん。サラ金っぽいわ」

「あれすかね、やっぱ、この『即日対応!』みたいなフレーズが……」

「うん。めっちゃ審査早いサラ金っぽいわ」

「真逆の性質のサービスなんすけどね……直しますわ」

「あと、この『お気軽にお電話ください』ってもの何故かサラ金臭が……」

「不思議ですねえ。もっとライトにポップに安心感を全面に出しますわ」

「その三拍子がサラ金の広告っぽいんだって」

「やっぱそう思います?」

というやりとりを経て、ブラッシュアップされていくであろう。これぞ組織の強み。だが一人なのでとりあえず1日寝かす。急ぎでもないこともあるというか、むしろ早めに着手しているので今日のところは手打ち。一旦サラ金を頭から離す。

2時間ほど「デア」で作業して街をプラプラして帰宅。宮本浩次さんがYouTubeで配信しているやつがあったので、習慣の頭皮マッサージをしつつ観て楽しむ。今日は半休の予定だったのでちょうどよい過ごし方。

ちょっと横になって起きて、またデザインを進めて〆る計4時間弱の作業時間。ちょうどよい。最近明らかに不調だったのでいい感じに休めもした。体調は、なんかよくなってきたのでめしをバクバク食う。

不調は休めのサイン。どうしてもやる気が出ないのは心からのブレーキ。そのようなことが精神科医の本に記してあった。

やる気はあるのだが、不調。でも、いつも通りやろうとする。そういった日々が続けばそれは変な体調にもなる。しかし、今日はよい過ごし方をしたのでたぶん回復した。

トドメに45度で設定した風呂に浸かってふやけて眠って明日に備えよう。出向先で「平吉さん、今日ツヤッツヤですね!」と言われたら、よき半休となったことが証明される。不調だったら、疲れたら、休む。これは大事であろう。アラフォーあたりになってくるともっと大事だろうも。
_12/04

 

 

 


シュッと起床し銀座へ。睡眠時間はやや短く、ツヤッツヤならず。1日、興行のお手伝いでみなさんとたのしく過ごす。

夜はたらふく肉をごちそうしていただき、〆の冷麺にバカみたいに酢を入れてそそり、ツユまで全部飲む。

なんやかんやと、みなさんと1日をご一緒すると時が経つのが早い。やはり誰かと定期的に時間を共にするというのは健やかであると同時に自然なことであると実感。

全力で睡眠するためにも、アツ目の湯に浸かってほぐそう。いろいろと凝り固まらないうちに整えてよき状態にチューニングしよう。いろいろと調子が下がったり上がったりグラグラしがちな師走という時期。
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寝室の時計を2度見するほど寝ていた。床についてから11時間。そうか、最近は微妙な睡眠不足が連チャンしていたのかと実感。ロングスリープ明けの素晴らしき体調。バキバキである。

誰かと会う予定はない日だが、やたら元気なのでPC持って外に出て半日ほど過ごす。純喫茶「デア」で数時間、新事業のための作業を進める。とても居心地がよい。今日は宮本浩次さんが昔よく座っていたという席が空いていたのでそこで過ごす。ドーンとご利益がありそうなパワースポットと俺は思っている。座っているだけでやる気が漲るのである。

その後は本屋をフラフラしたり呑み屋街をパトロールしたりと小一時間。気が済んだのでネギがやたら入ったラーメンをおいしく食べて帰宅。

最近、謎につらかった制作を進める。もちろん、いっときの不調だったようで、今日あたりは普段のテンションで作業をする。執拗に集中できるいつもの感じである。ほどほど進んで、今週中に仕上げるペースが見えたのでDAWを閉じる。

よく食って、激アツ風呂に入って出て水シャワー浴びてまた入って水シャワー。ほどほど酒を呑んで超寝る。すると体調は完全回復する。これはあたり前だなとしみじみ感じた。今日も、サウナの原理で熱湯と冷水で自律神経をととのえよう。

あたり前のことをおざなりにすると身体とメンタルから猛抗議が寄せられる。休息さえとればそれはひらたくおさまる。明日もせっせと色々進めるためにも、全身を弛めてクタクタと寝よう。夢の内容を全く覚えていないのは熟睡の証拠。
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今年もクリスマスが近い。俺は、盆やら正月、ゴールデンウィークにハロウィーンと、世間が浮かれがちなハレの日にはひとりで静かに過ごすことが多い。

しかし、恋人やらがいる場合はその限りではない。そういった時期はそれなりに、動物園に行ってフラミンゴの首の角度を眺めたり、山へ行ってまだ産まれてもいないタケノコを掘り返したり、普段まず行かぬ店で買うクリスマスプレゼントを交換し合ったりと、漫画の中の世界みたいな過ごし方をするであろう。そういう経験もなくはない。

振り返ってみると、そのようなタイミングでそれなりのムーブを見せるというのは、少なくとも手前はどこか受動的。能動的に、「メリクリ」と、笑顔ではしゃぐかどうかと言ったら微妙なところ。

とはいえ今年のハロウィーンは仮装をしてめっぽう楽しんでいた。そろそろ、逆に、イベント時期はふさわしい過ごし方をするのがよいのではないかとここ数年は思っている。

年齢的には、子供のクリスマスプレゼントの買い出しやら、といったところなのだろうかとふと想像する。仮に、家庭を持っていたとしたら、リクエストの手紙を子から預かり、夜な夜な読み上げ、嫁と相談するのだろうか。

「なになに。『拝啓、サンタ殿。未曾有の事態もいっときの――』ずいぶんしっかりした書き出しの手紙だな。嫁ちゃんよ。あいつ、いくつだっけ?」

「小2だって。なんで知らんのよ」

「ふうん。すげえ漢字知っとるな。ところで、リクエストのこのなんちゃらってゲーム機なんだろうね? 聞いたことないんだが」

「最新機だって。お前なんも知らんな」

「ゲームボーイとかでよくない? 高そうだよこれ」

「いいか。令和においてお前が想像している初期型ゲームボーイをクリスマスにくれてみろ。泣くぞ。あの子」

「死ぬほど嬉しかったもんだけどねえ。俺が子供の頃買い与えてもらった時は……」

「それで、私にもなにかくれたりするの!?」

「うむ。プライスレスなアレだ」

「なんだろ!」

「最近、アプリで麻雀のゲームにいそしんでいるようだね」

「うん?」

「場所は確保してある。あっちの部屋を3畳空けといた」

「おい」

「死ぬほど嬉しかったもんだけどねえ。俺が手積みから全自動卓の利便さを初めて味わった時は……」

「おい」

「プライスレスというのはね、そのアイテムでなんなら金を稼げるという意味合いも込めているのだよ。これぞダブル・ミーニング」

「おい」

ゴミでも見るような目で無言で嫁に蔑まされながら数日過ごし、クリスマスを待つ。しかし、子には最新機種のゲーム機を。嫁にはあらかじめさりげなく調査済みの欲しかったアイテムを。

という過ごし方がベストだろうか。ついでに飼いネコたちには爪とぎをすればするほどマタタビ粉が分泌されるという、ネコ界では違法スレスレのキャット・タワーを進呈。きっと幸せであろう。

前提として、そのようなファミリーを築くこと等における甲斐性が、俺には現時点では、あると言い切れなかったりする。そういったわけで明日からもせっせと頑張ろう。
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今日も純喫茶『デア』のエレカシ席でドーンと張り切ろうと思ったが先客が。別の席でPCをカタカタ、ウンウンと考えながら作業をする。ソファがふかふかで居心地がよい。

夕方前に帰宅してYouTubeを観て休んでいたらカラアゲをめちゃめちゃ食う動画に触発され、トンカツとカラアゲが盛られた定食をたいらげに行く。最近食欲旺盛。実に健康的である。

そろそろ太ってはいないだろうかと腹をさすりながら帰宅。夜は制作をする。もっとパートを足そうか、むしろこの線のままでMIXしようかと悩みつつ鍵盤を叩き深夜。なんだかあっという間に過ぎた1日。

人間、年齢を重ねるごとに時間の経過が早く感じるようになると聞く。

30年前、俺は「死とはなんだろう」とか考え出した、いわゆる物心がついた頃だった。30年後、俺は「そろそろ死ぬ年齢なのだろうか」とか考え出す年齢になる。

前後の30年は、感じかたが違うという。あと30年は、過去の30年より早いと。いずれにせよどうせ「死んだ場合は魂は」とか考えているのであろう。それが本当にわかるのは、死んだあと、あるいは死ぬ時である。その時までせっせと生きよう。時間の概念がなくなるその時まで。食えるだけ食って、呑めるだけ呑んでと。
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本厄だったらしい今年。あと3週間ということもあるのでちょいちょいと、カテゴリー別に振り返っておこうと思う。

スタンダードなのは「今年チャレンジしたこと」「今年やらかしたこと」「今年ハマったもの」「今年、決別したこと」「今年の初体験」などが挙げられるだろうか。

シンプルに「今年チャレンジしたこと」的な、新たなことや事例をいくつか挙げると以下のようなものがあった。

興行案件でわりとガチ目にドラムを演奏した。これは人生初であろう。余興、即興のパートチェンジで、というのは5年前くらいに1度あったが、あらかじめ練習をして真剣に、というのは新鮮であった。1曲ずつとはいえ、7、8公演でそれをおこない、オーディエンスやメンバーの反応はというと、「わりと叩けてた」「上手くいった」「形になった」という類ではなく、「笑えた」というものであったようで、まあ結果よしという判断でよいと思う。

ひとりで生配信というのを始めた。今年の頭あたりから興味が出てきた分野なのだが、梅雨あたりから開始。とても面白い。観てくださる方がいる限りは楽しく続けさせて頂きたいものである。

カウンセリングに関する民間資格を取得した。カウンセラーの業務をおこなう予定は今のところないが、色々な面で役に立つと思い立っての挑戦。現在、準備中の新業務においての武器にもなりうるであろう。とにかく勉強になったのが大きい。

音楽制作の機材がかなり増え、いままでにない手法での制作をするようになった。たとえば、いかにもな感じの横長のいかついアウトボードのレコーディング機材をいくつか通して録音したりする。PCに録音したものをその機材に通してクオリティを高めるという、なかなか上級者の手法と言っても過言ではないことも始めた。もちろん、制作物のクオリティは上がったという自負。これは相当でかい。

いままでにない依頼案件を複数件頂いた。人生で最も本気でギターを録音しまくったなと言い切れるほどフルパワーで臨んだ。

新業務に着手した、人命救助で署に表彰して頂いた、初めて仮装をした、占いを初体験して過去を当てられまくって腰を抜かした、ヘッドスパに行ってみた、初めてみんなと小旅行に行った、ファイナンシャルプランナーと面談をしてみた――と、まあ色々あったが、まだまだあるはずだと回顧するのも疲れてきた。

俺はなんのために日記を書いているのだと、記録があるじゃないかと思い、2021年1月からの日記をちょっと振り返ってみる。

改めて今年の最初の方を読み返してみるとまあクソ長いこと。やはり、わりと色々なことがあったが、基本的には、「落ちてきた大量のエロDVDを拾おうかどうか、いやドッキリに違いない、しかし気にはならんでもない」などと、まことアホな内容ばかりであった。

そして思った。異性関係の内容についていっさい記していないということに。たまに綴っていても全てが妄想。俺は、今年を軽く振り返り、まあ、色んな新しいことがあったが、色恋、情事に関してどうなのだと天を仰いだ。

たまに言われる。「平吉よ。浮いた話のひとつでもないのかね」と。ない。「逆に聞くけど、あると思うのかい?」と返すのが定例になってきたあたりは、今年の反省点とも捉えられるであろうか。わからん。
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純喫茶はここらにあとどこがあるかと、小一時間ほど界隈を歩く。あるにはあっても禁煙だったりやけに小洒落ていたりと、手前のコンセプトに合う店は見つからず。結局、最近よく行く『デア』へ。

エレカシ席がまたもや埋まっていたので別の席でせっせと作業をする。周りに知らぬ人がいるとなぜ捗るのか。人間は「見られている状態」と「見られていない状態」では別の生き物だと何かに書いてあった。それかと思われる。

数時間後、もうひとつ新業務用に別回線のケータイを、という予定なのでauショップでプランを聞くだけ聞いて資料を頂いて適当にフラフラしてから帰宅。あとの時間は、鬱屈とした世界観が恐ろしくビビットな形となった制作物を仕上げ寸前まで進める。

喫茶店にエア出勤して作業して夜は宅で制作、という最近のルーティーンはわりと心地よい。やはり、人と会わずとも、人が集う場所にある程度居るだけでメンタルヘルス的によろしいと気づいた師走の五十日。
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「日本中からこの街に探しに来る」と、今日行った楽器屋の店長はおっしゃっていた。確かに、これほどまでに楽器屋が密集している御茶ノ水という地はかなり特殊である。

そこには、まだネットでもセール情報が出ていない掘り出し物も多々ある。俺は、一生物のアコギとベースが各1本ずつ欲しいので市場調査をしていた。

目当ての「D-55」というアコギは界隈に無いとのこと。それよりワンランク下の同ブランドのアコギを試奏し、店長に率直な感想を申し上げたところ、「妥協しないほうがいいですよ」と述べていた。このあいだエフェクターを買いに来た時も別の店で同じようなことを言われた。「浮気はだめです!」と。この街の店員さんは、よい意味で、一味違うのである。

結果、エフェクターの時は本気で目当てだったものを買い大満足。しかし、アコギの本命は40万円前後。一旦頭から離すことにする。

ベースはというと、みんな大好きな感じの音がしっかり鳴ってくれるやつが目当て。具体的には、フェンダー製ジャズベースと決めている。

その旨を店長に伝えると、セカンドハンズ(中古)で132,000円のジャズベースがあり、それはどうかと勧められた。見た目はもうイケメンで好みのカラー。サウンドはというと、文句なし。「これを求めていた」というトーンが簡単に出力された。しかし、店内でビリー・アイリッシュの「bad guy」のベースラインを弾いている時のあの小っ恥ずかしさはなんだろう。

一応保留して、界隈の店を5、6店舗まわりまた帰ってくる。店長は「どうでした?」と、紳士的態度でソフトに煽ってくる。

どうもこうも、もう、このアメリカンスタンダードのジャズべがドストライクですと、その旨を、しかし今はなんか金を払いたくないというツラをしながら伝えた。

俺は現在、2本のベースを所有している。1つはプレジションベースという、シド・ヴィシャスさんが使ったりしていたロックやファンクで使われがちなモデル。もう1つは、またキャラの異なる、綺麗な出音の国産のベース。

手前に嫁がいたとしたら、「その2本があれば十分だろ。大体はその白いプレベとやらでいつもご満悦な顔で録音してるだろうも。3本目とか意味わからん。バカになったの?」と、苦言を呈されることは明白である。

しかし、「本物の1本」が欲しいのである。それくらい、俺は制作物の低音域には特におこだわりがあり、相当執拗に詰める傾向がある。

「ベースなに使ってんの?」と聞かれた場合には、「アメスタのジャズベをね」と返し、「おお、いいねえ」と、物質的にもこう、納得して頂きたいのである。

現状でも別に録音には困らないが、ひとつ上の男になりたいのである。時に、そこには現金が多めに必要な場合もある。

132,000円。絶妙な価格帯である。こういう時いつも思う。その金で確かな機材を買い、確かな制作をし、どんどん稼げばよい、と。

正直即決でもよかったが判断を持ち帰った。プロのベーシストの堀さんに写真添付のLINE送信で相談したところ、「Go」とのことであった。やはり「Go」。俺も「Go」だという直感がはたらいていた。

今なら最大36回払い無金利ローンも可能だという。しかし、132,000円の買い物をそんなに刻むとどこか自尊心が傷つくまである気がするので、今月内にもう一度、現金をもっさり持参して御茶ノ水へ行こうと思った。

「こないだのですか? 売れました!」という確率はわりと現実的にある。そうなった場合手前はどんなツラをするのだろうか。絶句か絶叫の2択であろう。
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やや二日酔いで起床し銀座へ。今日まで続いた毎週イベントのお手伝い最終日である。みなさまとにぎやかに過ごして帰宅。

ここ最近、「眠い」とか「疲れた」、「イラっとした」「ダルい」「覇気がない」等のネガティブ感情が全て「不安」という部分に変換されて完全に振り切って現れるのはなんだろうかと、これが「唯ぼんやりした不安」というやつだろうかと、やや気になる。

メンタルの調子がおかしいと何事にも影響してしまいがちなので、だましだまし休息をとりつつ手前を監視するのがよかれと思われる。心身ともに健康管理を大切にする。

とはいえなぜか夜になるとだいたい元気になるのもこれはいよいよ自律神経が本格的にイカれたかと訝しむ。「内関」という、手首のシワから指三本ぶん肘側に位置する自律神経のツボを押すと「キャアアア」と声が出るほど痛い。

交感神経・副交感神経を司る自律神経。こいつをケアするにはどうしたらいいか。シンプルに、適度に運動し、風呂入ったりリラックスしたりして、十分な睡眠をとることが望ましい。そういえば昨夜は1人で多めに酒を呑んでいたため、けっこう寝不足であった。

「唯ぼんやり――」もクソも、生物的に当然の結果である。そういったわけで今日は枕を抱きしめてゆっくり寝よう。「睡眠」は、ガチで最優先事項としてよいのかもしれない。
_12/12

 

 

 


ほぼほぼなんもせずにゆっくりしていようというコンセプトの日。

いわゆる「なんもしないでダラダラしていた日」という概念は、人によって相当違いがあると思われる。

めし食って、ゲームをして、転がって寝て、めし食って、YouTubeでも観て、1回だけ近場のコンビニ行って、ポテチ食って、シャワーも浴びずに本気寝。なお、終日スウェットで過ごす。というテイストが一般的であろうか。

これに比較して、今日の手前はというと、正午寸前に起きて、近場に日用品の買い出しに行って、ヨーグルトすすって、3時間ほど1曲のマスタリング(楽曲制作最終工程)をして音源を完成させてプラットフォームに申請して、めしおよび酒の買い出しに行って、ついでに書店で立ち読みして、帰宅して手羽先カレーうどんを作って食って、YouTubeでも観て、オンライン麻雀(賭けないタイプのやつ)をやってラス(ビリ)食らって「クソつまらねえ」と呟いて、1時間ソファに転がって、風呂場に湯を沸かそうかどうか迷っている、といったところであった。

マスタリング作業をしなかった場合はもう完璧に「なんもしなかった」に近い。しかし、本当に作業らしい作業をただの1つもやらない、となるとなぜか不安になるのでやっておいた。

これが俺のリアルカイジ全盛期の頃だった場合は、休日ということで朝10時にパチンコ店に行き、夜はフリー雀荘で真剣に打ちまくり、翌朝あたり缶酒でも呑みながら「クソつまらねえ」とかクダ巻いて帰宅、といったところだろうか。最高に非生産的な過ごしかたである。

パチも麻雀も娯楽としてはスリリングで面白く、非日常感もある楽しいものである。しかし、手前の場合は無駄にガチで挑み、生活が破綻することすら鑑みない、依存症を通り越したジャンキープレイヤーだったので禁忌とした。

かつてのそういった習性もあり、休みと決めた日でも、「なにかひとつはやらねば」という思考回路がはたらくのだろうか。

タスク1つだけならほぼほぼ休みのようなもの、というように、そこはいいほうにとって手打ち。

そういったわけで現在24時代だが疲労感ゼロに近い。そこに入浴と飲酒で追い打ちをかける。そして翌朝「ああ、よく休んだ。スッキリだぜ」と、なるのが当然なのだが意外と普段と変わらなかったりするのが不思議で仕方がない。

じゃあ、酒ではなくナイトミルクにすればさすがに、とも思いついたが、そもそもナイトミルクってなんなのだろうと、どこからそのフレーズが出てきたのかと、そのあたりも不思議で仕方がない。なんか言いたくなる。ナイトミルク。
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鬱と不安の淵みたいな曲を作り上げ、まあ昇華されたかと、今度は明るくポップなほっこりしたものを作ることに。

不思議なものであっという間に全体像が出来たので楽譜を書く。ベーシックとなる部分を録音する。明るい曲はすぐ書けて、手前の変な内面を表したような曲はめちゃめちゃ時間がかかる。

それは一体どういうことだろうと首を傾げつつも陽気にタンバリンを振ったりしてそれもトラックとして入れておく。とてもたのしい。

南米のガイズくらい陽気で明るい面と、無駄に死にそうに暗い面、両方あっていいじゃないかとも思うが、あまりに極端だと自己同一性を疑う。とはいえ幼少期からずっとそうだった気もするから当然受け入れる。

こう、中間の「普通」というのが難しい。ノーマルが一番難しい。しかしそれを狙って、いかにも頑張って「普通」にしていようと振る舞うと「ふざけてるの?」と言われがちなのも謎である。普通、大事。
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「アルツハイマー型認知症から完全復活して医学界を震撼させてみろよ」と、捨て台詞を吐き、俺は病室を出た。

今日は父親が入院している板橋区の病院へ赴いた。外は寒く、気分はすぐれなかった。「唯ぼんやりとした不安」が、うっすらと纏わり続ける。交通機関の移動が微妙に苦痛である。

とはいえ、別に何も起こらないのは理解しているとかブツブツ言いながら病院へ向かいロビーへ到着。金を払う。

「ちなみに、今日あたりそろそろ面会とかできたりします?」

「主治医の判断でOKならできますよ!」

緊急事態宣言やらマンボウだのマッコウクジラだかウンコだか呼称すらうろ覚えの感染症拡大防止施策がひと段落した昨今。病院の「基本的に一律面会謝絶」も解除されたもよう。14カ月ぶりに父親との面会と相成った。

2017年2月13日から、父親の病状や生活面等についての事象が起きるたびに更新している「介護記録.docx」という記録が俺のMacのデスクトップのフォルダ内にある。

これはたいへん恐ろしい文字量で、本にまとめた日には前編・後編にわかれるであろう。父親の病状の客観的な事実と記録、それに対する俺の主観的な怒りと殺意の心境等がフォーマルな文体で記されている。

それによると、最終更新日は昨年の10月18日。そこから、特に病状の変化の報せなどはなかったので記してはいない。

俺は想像していた。14カ月の間ですっかりスタイルが変化し、鶏ガラのような姿でベッドに横たわっている父親のビジュアルを。

“――2017年からの期間中、定期的に投げかけていた「調子はどうだい?」という問いに対し、初めて『良好』という類ではない方面の返事が返ってくる。無言で首を横に振っていた。”

というのが、前回面会の記録の文末であった。まあ、次あたりは死ぬかな、くらいに思っていた。

しかし、病室に行くと、彼は、以前とさほど変わりない姿であった。なんならちょっと顔色は良く、目つきもしっかりとしていた。

「どういうことですか看護師さん? なんか良くなってません?」

「あら、そうなの! ほら平吉さん! 息子さんいらしたわよ! ひーらーよーしーさん!」

平吉さんの親の方は起きた。サイドテーブルには、以前進呈した2ショット写真が飾ってあった。

「あら、このお写真の息子さんかしら? ご兄弟は?」

「そうです。この写真は俺です」

「あら! 本当だ!」

「兄弟は兄がいますが、まあ、なんというか、僕がいつも来ています」

どうやらその2ショット写真はたいへん出来栄えがよいこともあり、その当人が来たということで看護師さん方はめずらしがってなぜか湧いていた。

悪い気はしないなとか思いつつ、俺は父親に話しかけた。どうせ言語コミュニケーションはもはや成り立たないと理解しつつも。

「昨夜な、親父が夢に出てきたよ。まあ酷い夢でな。キモいからやめてはくれんか」

「ふが」

「まああれだ、俺が何を喋っているかわからないだろ?」

「ふが?」

「ん? 俺が誰だかわかるか?」

「賢治」

「……!」

2020年3月26日の面会では、同様の問いに対し「シンジ」と答えていた。よもやアルツハイマー病なのに良くなってきているという気配に俺は驚きを禁じ得なかった。

「いろいろわかるとみた。じゃあ、左手上げてみ?」

「スッ」

「それ右手だな。惜しいが一応こっちの言葉はわかってるっぽいな」

彼は笑顔を見せた。久々に見るそれは、決して美しい表情ではなく、俺の笑いを誘うものでもなく、むしろだんだんムカつきがぶり返してきそうだったが、どこか、確かに、安心感をおぼえた。

「今もなお、世界中で悪い風邪が流行っていてなあ」

「(うんうん)」

「まあ、細かいことはわからんだろうが、とりあえずそのせいで定期的に来れんかったわけよ」

「(うんうん)」

「ただなあ、金の関係で定期的にこの場所には来ていたわけよ。別に振込でもいいんだけどね」

「(うんうん)」

「ところで、ちょっと目を閉じてみ?」

「スッ」

「今何時かわかる?」

「ひちじ」

「わりと近い。5時過ぎだ。時間の感覚もあるし、やっぱ俺の言ってることわかるのか。アルツハイマーなのに何で治ってきてんの? 調子はどうかねえ」

「う〜ん」

彼は「う〜ん」と、「いいもわるいもなあ……!」的な声を出しつつ遠くを見ていた。予想以上にコミュニケーションがとれ、嬉しむべきかどうかたいへん複雑な心境であった。しかし、どこかで、俺は安心感を得ていたことは否めない。

殺してやりたいほどの感情が沸き起こるほどのことを多々されたこともあった対象がなんか良くなってきている。殺意と安心感のアンビバレンスな感情で俺はわけがわからなくなってきた。しかし、なぜか、悪い気はしなかった。体感20分ほど、面会をした。俺のほうが時間の感覚があやしくなってきた。

「じゃあ俺行くわ。また来るからよ」

「うん」

「コツン。そうそう。HIP HOP的な挨拶な。んじゃな」

「看護師さん、ありがとうございました」

「よかったわねえ平吉さん。息子さん来てくれて! とても嬉しそうですよ! ありがとうございます!」

「いえ、こちらこそいつもありがとうございます。確かに、今日はちょいちょい笑顔でしたね」

「そうですよぉ……!」

「じゃああれだ、アルツハイマー型認知症から完全復活して医学界を震撼させてみろよ。じゃな。また来るわ」

「そうですよ! 平吉さん!!」

去り際、親父はちょっと笑っていた。鼻やらの穴に管をブッ込まれながらも笑っていた。

病院から北赤羽駅まで歩く。若干の驚きと意外な安心感など、えも言えぬ心境が混ざったことが起因かどうかは定かではないが、気分が少しよくなった。

今日あたり、久々にライター業の案件をいくつか賜ったのでひとつやって提出。まあ、捗った。仕事を頑張ると、シンプルに気持ちがいい。親父も、仕事を頑張るのが凄く好きな人間だ。

現代の医療技術では治らない病を見届け、「ワンチャン、治るかもしれない」というかすかな希望もたまに見せる。

それについて、どういった感情を抱くのが「普通」なのか俺にはわからないのである。

確率は極めて低いが、完全復活したらしたでそれも嬉しいような困るような。

とりあえず、夢物語に近いが、復活してまた仕事なりをして稼げるようになったという奇跡が起きようものなら、まずは俺が立て替え続けている墓の管理費の取り立てからである。耳を揃えてキッチリと回収したいところである。

とりあえず、どんな状況であっても、笑っていられる男というのは、恰好いい。
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原稿をもうひとつ一気にやって提出。あっという間に「案件」フォルダは年末の予定案件以外カラである。

これはいよいよ、来月開始予定の新たな業務を張り切る必要があるなと手前を焚きつける。今日あたりは、多めの買い出しなどもあり、その件についての作業をする時間はできなかった。

とはいえ案件2つを2日で完了させたからまあまあ健やかな気分に。ピカピカのワイングラスを4つ買ってきたので、軽く廉価の赤ワインでも呑んで寝よう。これみよがしにクルクルとグラスを回そう。

ワインの適量は、個人差はあるが基本的にはボトル半分程度。それ以上は、一般的にはオーバードーズである。ほどほどで心地よい関係値を保ちたいものである。何事においても。
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ああでもないこうでもないと、数時間机作業。パワポと格闘する。ひと段落かなとググイと伸びをしてキムチ牛丼をたいらげに行き帰宅。

スマホをペロペロいじってたらちょうど入電。秒で出て要件を聞くと、「いま赤羽に居るので一献いかがです?」とのお誘いであった。

制作をする予定の時間帯だったが、締め切り等のない類の制作につき、もちろん仲間からのお誘いを優先。2人で赤羽の夜の街をぶらつく。ひどく風の強い夜であった。

「俺は、このアルコール天国みたいな街に居ながらも、『馴染みの呑み屋』があまりないのです」

「じゃ、つくりましょうよ」

「ですよね。『行きつけの呑み屋』などをひとつふたつ確保しておきたい欲がちょっとあるのです」

「いきましょいきましょ」

たいへん軽いフットワークで応じて頂き、行きつけ呑み屋新規開拓というコンセプトでひとときを過ごすことに。

赤羽一番街をとっとこと歩き、「ここにしますか」的な、特筆して理由のない選択で通りがかりの店へ入る。いろんな話をしながらほっこりと過ごすひととき。よき時間でお開きに。

軽いフットワークで遊びに行ける仲間がいることのありがたみをしみじみ感じつつ宅へ。強風でスッキリとした今宵の月がとても綺麗な夜。
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新たな展望に必要なアイテムを入手しに商店街へ。ケータイの2回線目契約である。

思えば、「PHS」なる、いまや化石のようなモバイルを手にしたのが確か高校1年生の頃。その時から変わっていない電話番号で現在まで1つのケータイで過ごしてきた。

“ピッチ”をケツポケットに入れ、ストラップをしっぽのように出していたのはもはや1990年代中後期の話。あれから20年ちょい。ケータイを2つも持つ時がくるとはあまり想像していなかった。

なにしろ、2つもモバイルがあるとわずらわしいのではないかと、連絡が来まくるとあまり心地よくは感じないタチの手前はそう思っていた。

しかし、ひとつの業務に対してはそのケータイしか鳴らない、プライベートには絶対にアクセスできない、というのは逆説的にメリハリがあってよい。という理由での2回線目契約である。

主に受電がメインなのでクソ安いスマホ本体にほぼほぼ最安プランで手打ち。店頭で滞りなく契約は締結。

ついでにネット回線の話になった。いつも料金が「高い」と思っていた。そこで、店員さんは「今なら1年間料金無料」というえげつないキャンペーンをチラつかせてきた。

1年の無料期間が過ぎたあとでも、現状より¥1,500ほど安いプラン。当然食いつく。店員さんは「これは…もったいないですよ……」と、営業ではなく同情寄りの口調でそう語った。

ネットプランも変更する方向で手続きをして退店。2台目のスマホはアンドロイドである。数年前まではこういったOSのデバイスを使っていた。iPhoneもアンドロイドも使い方がわりとわかる、というほうがよいであろうという理由での選択である。

来年より、このアンドロイドが日中わりと鳴ってくれれば未来は明るい。いっさい鳴らなかったら新業務は失敗と相成るであろう。

それはやってみないとわからない。しかし、謎の、いや、根拠十分の自信はあるのだから道具も固めていくわけである。仮にコケても、借金を背負うほどの金銭的リスクがないのが強みでもある展望である。

そういったわけで2台目のスマホがデスクのサイドテーブルに寝ている。いまのうちに鋭気を養い、来年から「いやあ、充電する暇もねえや」というほど鳴ってほしいものである。

とはいえ最近のスマホはでかいのでケツポッケにおさまるかという、たいへんちいさな懸念もあるがそれはご愛嬌。落とさぬよう、90年代の如くしっぽストラップで対応する案もあるがさすがに棄却。
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起床。片目がほぼ開かない。終わった。死ぬのか、といったエアー感。若干の頭痛、倦怠感、これはいよいよかという覚悟を確認。なんだか今日はけっこう調子が優れなかった。

しかし、今日は来客予定がある。ふいにはしたくはない。などと思考を馳せ巡り宅で過ごす。「ピンポン」を通り越し「ガラッ!」と、玄関を突破し、仕事部屋の戸が開く。

「平吉さん、何度かチャイムを鳴らしたのですが……」

「うわびっくりした。いらっしゃい」

そのように、予定の通り、客人の仲間を迎え入れる。体調は、続出する来客とのふれあいによりだんだん改善。たのしくたのしく過ごす。

改めて思う。常に、誰かとのストロークがあることこそ、心身の健康につながるのではないのかと。

そういったわけで、仲間の2人と一緒にクリスマスカラー全開のひと時を過ごす。寿司食って鳥食って泡酒飲んでと。

ひととおり過ごした後、仲間方を見送り帰宅。ああ、今日は半日はがっつり呑んでいたなと、たいへん楽しかったなと、体調不良はどこへやら。アルコール最強説。

クリスマスイベント的な会場と相成った手前の仕事場は、事後、ハッピーにしっちゃかめっちゃかであった。ある程度は、片付ける。クリスマス的な残骸は、残す。今週いっぱいあたりは、このままのロケーションで過ごそうかと思う。

これがいい。誰かたちが、爛漫に、楽しんで、そのまま。ハレの日のフィードバック。「誰かと居て、たのしかった」というシンプルな反芻。

たいへん貴重かつ基本かつ、心の拠り所と表現すべきであろうなんらか。要は、みなさまのおかげで楽しく過ごせた一日。
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広告媒体(チラシ)のサンプルを発注する。パワポでデザインしたのだが、印刷屋さんのウェブサイトで「テンプレ」のデザインがいくらでもあることを知り悶絶。

「なぜ俺はあんな無駄な時間を……」という気持ちにはならない。唯一無二の、完全オリジナルデザインのほうがいいのではないかという所以。利便性よりも、わかりやすく伝わり、ニーズを集めるデザインをこしらえることこそが大切であろうか。

テンプレを使用したデザインは、すでにたたき台が仕上がっているぶん、作りやすいという利点がある。

しかし、ゼロから作ったやつのほうが訴求力も増すのではないかと手打ち。とはいえフリー素材のイラストは使用させて頂いたが。

一息ついてブックオフにサボりに行く。今年は実に高頻度でブックオフに行った。「もうだめです。来すぎです」と、“出禁”になるのではと懸念していた時期もあったが、ちゃんとまあまあの頻度で本を買っているのでそれはさすがに回避。今日は麻雀漫画の立ち読みしかしていないが。

紅生姜天蕎麦というこの季節にぴったりなホットディナーを食って帰宅。あとは制作をする。いま着手中の曲もまた、テンプレというか、打ち込みの音やサンプリングなどはほぼほぼ使わない生演奏メインの一点物的なサウンド。

時代とは逆をいっているきらいもあるが、「ゼロから」というスタンスでのもの作りはシンプルに楽しい。しかし時間はそのぶんかかる。だが、一点物である。希少性というのがどこまで時代の需要とマッチするか。

NFT(非代替性トークン)という、唯一無二性のある概念、データ、コンテンツが注目され始めている昨今、「ユニークであること」には重きを置きたいところである。「ユニークですね」が、褒め言葉の相当上位にくる時代はそう遠くないと信じて。

いまのところ、面と向かって「ユニークですね」と言われると、若干の含みを感じるのは俺だけだろうか。もちろんその場合はいつだっていいほうにとらせて頂くが。
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やたらとやる気がみなぎり5時間睡眠くらいで目覚める。昨夜、『水に似た感情』という小説を読んでいた。中島らもさんの作品である。

小説は、そこまで読み込むほうではないと思っているのだが、中島らもさんの作品においてはその限りではない。宅の本棚に何冊も並んでいる。要はファン。「好きな作家は」と問われたら「中島らもさんです」即答するクラスである。

「どこが好きなのか」というと、たいへん読みやすく、読み手を退屈させないリズム感で、笑いの要素を多分に含み、語彙力は凄まじく、とにかく面白い。そして、内容やテーマとなる部分においてはシリアスなものを扱うことが多いというコントラスト。読むと心の琴線がフルテンで鳴る。

まだ4割ほどしか読み進めていない『水に似た感情』は、「躁鬱」がテーマのひとつと捉えられた。「躁鬱」とは、常軌を逸したハイテンションと想像を絶するダウナーの周期があり、それを繰り返す、という感じだそうである。

そういった躁鬱状態での旅行体験をまざまざと綴られているように思われるこの作品は、ご本人の体験談、と別の作品に書かれていたような気がする。

「体験」が描かれている作品は格別に面白い。「稀少生のあるリアリティ」がほとばしっていて、かつ、第三者目線でポップに楽しく筆者自身とその周囲とのやりとりが描いている作品にはグイグイと吸い込まれる。

そういったわけで、『水に似た感情』という作品をたのしく読み進める。躁と鬱の極端な感情の揺れ動き。それはしんどいだろうと思われる。その体験を、文学というかたちに昇華して読者をたのしませることができる、というあたり、どんな時代になろうがリスペクトが止まらない。
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最近、電車で移動するだけなのに謎にしんどいのはどうにかならんかと、そう思いつつ錦糸町へ。仲間の「武者修行」を見届けるという目的でブルース・セッションがおこなわれるバーへ。

基本的に、俺はオーディエンスである。カウンターの紙リスト項目にある「Vo」「Gt」「Ba」「Dr」などなど、各演奏パートを意味するそれらではなく、「見学」にチェックを入れ、ビールをオーダーして着席。

仲間の某氏は、仕事に積極的なやり手である。ギターに関しては、“仕事”というカテゴライズではないと思われる。しかし、“仕事”とはフェーズの異なる素敵な熱意があると俺は判断している。だから、同行してエールを送る。

ハートランド・ビールを2速走行くらいのペースでラッパ呑みしつつ、見知らぬプレイヤーや仲間の演奏を聴いて憩う。

「いやあ、いいですなあ」などと放っていると「弾かないんですか?」と問われる。「見学なので」と答えると「なんでですか!?」とのこと。

改めて、カウンターで「見学」だけど「Gt」でもいいでしょうか。的なやりとりを経て、1曲、彼と共にステージでギターを演奏する。楽器は持参していないので店舗常備のものを借りる。普段はあまり弾かないテレキャスターで、ファンキーな所作で、観ている方々がいっときでも楽しめれば、という想いで笑顔で弾く。

いやあ楽しかったと、忘年会テイストを重ねるが如く、他店で打ち上げをして色々なお話をして和む。シンプルに幸せなひと時である。

帰路、仲間とお開きし、錦糸町駅の喫煙所にて一服しようかという刹那、「お兄さん、マッサージどうですか?」と、中華圏の方とみられる呼び込みの女性につかまる。

「マッサージ? ううん。とりあえず煙草をね」

「イキマショウ」

「ああ。シュボ」

今日はなぜかアイコスを忘れて家を出たので、現地で買ったショートホープに火を灯し「やれやれ」という雰囲気を相手にも伝わるようにして煙を吸い吐きした。

「マッサージどうですか?」

「行かんよ。お金ない。スパァー」

「ダイジョブよ。シュボッ」

「今日は風が強いねえ。ほら。そんで、何をもってして貴女は。あのね、お姉さん。俺は赤羽に住んでいるんだけど、よくあってねえ。あなた方のその誘い文句の真意を知っているのよ」

と、俺はわかりやすい日本語で伝えた。

「イキマショウ」

「引かないねえ。まあ、麻雀で5,000万円くらいやられてね。お金ないんだよ」

「お! オニイサン麻雀弱いね! キャキャキャ!」

「そう。だから禁止したんだよ。もう3年は経つかなあ」

「麻雀はネ。ケ、ケッキョク、“運”よ」

「俺もそう思う。どうにもならん時は手前の意志ではどうにもならんと悟ってね。だから、麻雀で日の目をみなかった“運”を他で使おうと、禁止したのさ」

「フーン。パチンコは? ワタシヨクヤルヨ」

「それは、禁止して9年は経ったかな。あれでも200万円はやられたよ」

「お兄さんギャンブル全部ヨワイよ! キャキャ!」

「そう。だから禁止した。そのぶん、じゃあ他で強い、と、信じてね」

「マッサージで使おうヨ!」

「行かんよ。マッサージも禁止」

「モウ! 全部禁止ネ! 行こうよ! 1時間6,000円ヨ!」

「“禁止”なんだ。話してくれてありがとう楽しかった。じゃあね」

「1時間6,000円ヨ!」

「へっへっへ〜。じゃあねえ」

舌打ちの幻聴。彼女らにとって、“客”以外は、“以外”としか表現しようのないものがあるのだと、なんとなく空気で背中ごしに伝わってきた。ちなみに負け額は一律嘘であるが、なぜか中華圏の方とはギャンブルの話で華が咲きがち。

今年も終わる。12月という魔性の月が流れていく。ブルースも、酒も、マッサージも、ギャンブルも、ある種、魔性の結晶のひとつではないかと俺は思う。

どれも魅力的である。日常では味わえない快感を伴う。全て、楽しいのである。しかし、そこには、コントロールのむつかしいポテンシャルを秘めているとすこし、思う。

「次はぁ、赤羽ぇ。赤羽です――」という車内アナウンスが流れるまで、ほろ酔いの俺はJR京浜東北線の角の席でリラックスして眠りほうけていた。魔性を味方につけた、ほんのささいな数十分間である。

色々あるが、コントロールしがたいものを味方につけた時、人は、自由になれる。などと大げさな解釈もするほど、“感情”という、“水に似た”なんらかが、ぐるぐると泳いでは翻弄する際どい時期。12月。
_12/22

 

 

 


まあまあビッタビタくらいの二日酔いで出だしはしんどい1日。明後日の案件の準備や、着手中の制作を進めたりして流れていく。

まあやはり、アルコールが過ぎたかなという翌日の食券蕎麦は体に沁み渡る。もり蕎麦などの、つゆをつけて食べるタイプではない、どんぶりに入れられたホカホカのワカメ蕎麦を食べきり、そのどんぶりになお、ひたひたと蕎麦湯を入れて静かに飲むと至上のリラクゼーションが得られる。

明日あたりはホーリーナイト本番といった感じなのだが、先の日曜日にそういった雰囲気のことは全開でやったので普通に過ごすのだろうか。

仕事部屋に施しっぱなしのクリスマスの飾り付けが意外と映える。楽しげなエアー感を醸しているのでいっそ今年中このままにしておきたいところである。

あとは「シャンメリー」が1本冷蔵庫に残っているのをどうするか。ウォッカで割ったら相当おいしいかもしれないので検討の必要がある。

そして、1年間、筋の通ったいい子でしたと、かわいい子供等にプレゼントをあげたい欲がナチュラルに湧くあたり、俺もそういった年齢なのだなと思うここ数年の聖なる夜。
_12/23

 

 

 


メリクリ感全開。なんぼのものだろうかと、俺は作業の合間に街へパトロールへ出た。

書店あたりは通常通り。なんとなく、投資や株などにまつわる本を一気読みし、ああ、立ち読みして買わないのは申し訳ないなとも思いつつ、「これからは投資も視野に…」などと呟きながら繁華街へ。

いつもと変わった様子といえば、ガールズバーの呼び込みの娘さんたちの姿であろうか。サンタ帽にトナカイのツノと、とてもポップなクリスマス・スタイルである。とはいえ寒さで震えているのが心配。

今夜はシャンパンと鶏肉かな、とも思うが、それはこの間じゅうぶん頂いたのでいきつけのラーメン屋へ。21時ごろ、店内はガラガラであった。ふだんは、高確率でキャパシティー50%超えという、界隈のみんな大好きという店なのだが今日は時期的に、なのだろうか。

相変わらずうまい玉子ラーメンを食って帰宅。制作をして過ごす。もうちょい、というところまで進む。今夜あたり、マスク姿のサンタクロースは忙しかろうと、雨が降り始めた外を眺めながら思う。明日、仕事部屋のクリスマスの飾りつけをひっぺがすのは寂しいなと、なんか使えんかなと思いつつ。

寒く、ただ静かだが、今日あたりは健やかな気分のクリスマス・イブ。
_12/24

 

 

 


案件で恵比寿から広尾界隈へ徒歩で。だんだん調子がよくなってきたなと良き天候の光を浴びる。

昼過ぎ、徒歩で渋谷へ。どこか寄ろうかと思ったがあまりに人が多いので帰宅することにする。まっすぐ歩けないほどの人並みだった。

今日はハレの日というテイストを実感しつつ、JR埼京線で戻って蕎麦屋ですすってササと宅へ。数時間、原稿を進めてソファで30分まどろむ。起き上がり、クリスマスっぽいことしたいなという欲がふつふつと湧き、そのようなことをして整った気分になる。

夜、制作をしようかと思ったがなんだかくたびれたのでクタクタとYouTubeなどを観たりしてゆっくり過ごす。

どういうわけか、外がやけに静かである。大衆の意思がはたらくのだろうか。絵に描いたようなものを聴覚で察する肌感のサイレントナイト。こつこつと、今年もあと少しといった音だけがあたかも聴こえてくるような夜。
_12/25

 

 

 


新業務の広告媒体デザインを確定させ、大量に発注。何度も精査はしたが、どこか誤字脱字やら、不手際があった場合は納品後に只のゴミと化す。

こういう時、チェックしてくれる人がいればなといつも思う。とりあえずそのタスクの今年の予定はすべて完了した。ぶらりと西川口へ。

叔父がマスターを務める純喫茶『アルマンド』へ。このあいだ、地上波TVで紹介され、出演もしたと聞き、まあ、はしゃいでいるだろうと、元気だろうかと店に入る。

仕事の話、家族の話など、通常営業で普段通りの叔父とトークをする。

「ケンジくん、お父さんどう?」

「どうもこうも。このあいだ1年以上ぶりに面会ができまして」

「ああ、コロナでね。どうだったんだい?」

「どうもこうも。前よりなんかよくなっている気がしましたよ」

「話せるようになったとか?」

「ええ。意思の疎通は可能でした。あれは下手をしたら治るかもしれないと思わせるほどに」

「医学も進歩するからね。その病気でも希望はあるよ」

「さようですか」

弾けと言われたので店内のピアノをポロポロと弾く。店内BGM的に、主張の少ないニュアンスで、ジョン・レノンや桑田佳祐さんやミスチルやレディオヘッドにスティービー・ワンダーにコールドプレイなど、調が繋がるように無差別に、ゆっくりと、リラックスして小一時間ほど弾き続ける。

昭和レトロな店内の雰囲気も相成り、俺はたいへんリラックスして「気が済みました」と、カウンターに座り珈琲をもう1杯。もうすこし憩う。

ここは本当に替えの効かない素敵な空間で、セーブ・ポイントというか、精神がリセットされるような気分になるなと、健やかな気持ちで店を後にする。ブックオフ西川口店経由で帰宅。

信じられないくらい寒いなと、暖房をつけているのに震えるなと、カタカタしながら制作をする。完成したので音源にする。

明日もひどく寒いと聞く。気分がグラグラする時期ではあるが、俺は、寒さやらのシンプルな面では滅多に調子を崩さない。プラマイで考えるとトントンかなと手打ち。

最近、言い表し難い調子もあったが、ようやく恒常性に向かう感覚を得たのは、血縁と触れ合ったことも大きいであろう。結局、人間は人間がどうにかするのだなと改めて腑に落ちつつある年の瀬のいっとき。
_12/26

 

 

 


腰が抜けるほど寒い。駅付近で紅生姜天蕎麦を食べて温まってから九段下へ。日本武道館公演での友達の勇姿を観に行く。

近くの席に何人か仲間がいたので一緒に観る。パフォーマンスを観て、「凄い」と、率直にそう感じた。大規模かつ伝統的な場所で堂々と、というのは並大抵のことではないだろう。最強クラスのリスペクトを含む「凄い」という感想。

帰宅して少々デスクワークをする。とにかく寒い。最強クラスの寒波やらが早いとこ去ってはくれんかと思いつつ、冷えた指でカタカタとタイピングをする。春はまだだろうか。
_12/27

 

 

 


謎の不調がしつこい。お腹が痛いとか気持ちが悪いとかそういった類ではなく、病院に行ったところで「特にこれといった異常は…」的な感じだろうという、なんとなしの自覚はある。実際のところ知らんが。

スマートフォンで例えると、メインの画面ではしっかりとした動作をみせてくれるのだが、バックグラウンドで謎のアプリがちまちまとしつこく、しなくていいムーブを執拗に続ける。そいつがかなりメモリをくっている。アプリを閉じれば全ては解決するのだが、なぜか強制終了できない。といったニュアンスが相当近い。

今日は原稿を進める。8割がた書く。「年明けイチくらいでいいよ」という締め切りの案件である。すなわち、今日あたりの進捗としては上等。

あとは作曲をしようか、ギターの練習でもしようか、別に全然できるはできる、という感じだったがここは休むことにする。カイロを右手で握ってソファでくたくたとする。

そろそろ年が暮れ、新たに明ける。年末は案件を頂いている。その日はどう頑張り、1月初旬はどのように過ごして、その後はどういった展望で――と考えているも、今日明日あたりはそういったことを考えることすらせずに休むべきという判断が適切なのかもしれない。

しっかり休めば元気になり、謎アプリも閉じてくれるだろう。とはいえ、ただ単に極端に寒いからしんどいだけなのかもしれないという説も否定できない。
_12/28

 

 

 


世間はおおよそ仕事納めだろうか。手前はというと、用事で出かけたり原稿を書いたりと、それなりに過ごしていた。この極寒の天候だけはなんとかならんかとカタカタしつつ。

夜は、今年半ばに始めたツイキャスの配信を、年内最後だろうと思い、とにかくいつも観てくださる方々に心よりの御礼を伝えたいと、少々やる。どれだけ伝わったかはわからないが、感謝の意は、はちきれんばかりである。

時期的に、来年の展望などを記すのがベーシックなのであろうが、とりあえず明日の案件をしっかりやって新年を迎えようと、その時その時を大切にする。

正月は、2、3日間はガッツリ休む予定である。モチやカズノコやらとベタな正月メシを食べて1日中酔いどれるもよし、いや、日が高いうちは呑まない主義だから静粛に書き初めでも、いや、絶対やらなそうだからのんびり散歩でも。

そう、正月はのんびりしていよう。だがしかし案件が飛び込んでくれば喜んで対応させて頂く。とりあえずひさしぶりにスルメとコンブの漬物でも作って悦に浸ろうか。酒呑みにとって最強の栄養素を含む神肴を。
_12/29

 

 

 


案件で新横浜へ。過激に寒い。なんでも年を跨いでめっぽう冷えるとのこと。冬とはそういうものだよなと諦め、エイフェックス・ツインを聴きながら1時間ちょい移動する。緻密なエレクトロビートは精神衛生上とってもいいという持論。最近、移動が謎に微妙につらいのである。

到着し、担当の方と軽く詳細などを打ち合わせる。前回の原稿をさりげなく褒めて頂いてめちゃめちゃ気分が良くなる。手前の精神構造は死ぬほどシンプルなのかもしれないとか思いながら席へ。

もう、トップクラスの方のライブだからとにかく凄いなと思いながら、感銘を受けながら観る。「東京」という、大好きな曲を披露してくださった。<世の痛みに耐えて咲いてくれ>というフレーズが特に刺さる。

帰路、電車の混雑を回避するためにもちょっと牛丼を挟んでから帰る。信じられないくらい美味しい。俺はライブで勇気と覇気と色々と、ポジティブなエネルギーを頂いたと実感した。

一息ついて駅に行くもそれでも混雑。あれだけ一箇所に人が来ればそれもそうかと諦める。しかし、帰りの移動は別につらくはなかった。帰って原稿を書いて現在に至る。

なお、「ほぼ確でやってくれるはず」とか手前で昨日言っていた「白い恋人達」はセットリストになかったが、全くもって不満はなく、終演後、とても覇気が漲った。ライブというのはそういう力があるのだなと再確認した。本当に感謝の意を禁じ得ない。
_12/30

 

 

 


5年以上ぶりに宅で過ごす大晦日。たいへん静かにカタカタと、原稿を書いて過ごす。今日とて凶悪な寒さ。

せっかく宅に居る、ということで大掃除気味に清掃を行う。クリスマスの飾り付をやっと撤収。廊下も寝室もキッチンも厠も仕事部屋も、綺麗にする。

今日は鏡に向かって、1年どうだったかと手前に問うた。

「いろいろありました」

「よかったことは、これまででたぶん一番、みなさんと一緒に音楽と共にたくさんの時間を過ごせたことでしょうか」

「そして、制作をたくさんして、依頼案件もいくつかさせて頂けたこと、新たなチャレンジもわりとあったことでしょうか」

「よくはなかったことは、シンプルに、思うほど収益がいかなかったことでしょうか」

「最後の方で、ちょっと謎不調に見舞われたことでしょうか」

まとめるとこのような感じである。詳細は、驚くほど本当にカラフルなことがたくさんあった。それらは日々ツマツマと記しているから総括のみであった。

いま、年が明けた。2022年もみなさまが健やかに過ごせるといいなと、第一に思った。

そして手前も健やかに、楽しく。

そうでないときはそれなりにじっとして好機をうかがいつつ。

同じ時代を生きる方々と素敵な時間を過ごせるよう、はりきってのびのびいこうと思う。

2021年も、おかげさまでとてもよい年だったという感謝の念を、こっそりみなさんに念じ散らしながら年越しのひとときを憩おう。
_12/31

 

 

 


 

 

 

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