05/2021

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
占い師に当てられすぎて腰を抜かす。5月


「お前は他にやることがないのか」というくらい、今日もDAWに張り付き制作を続ける。

ヤクザな戯れでない限り、「その時期に一心不乱に没頭する」という行為は、リアルタイム、あるいはその後の未来に煌びやかなフィードバックをもたらすと信じて疑わない。

やることは他にあるといえばある。コロナ禍の影響による案件減少に伴う売上低下をカバーすべく、新規事業の立案。

あるいは、お世話になっているクライアントへの斬新な企画提案。はたまた、いわゆる“スキル”を磨くべく勉強、鍛錬、修得。

逆に、思い切ってアホかというくらい長期にわたり休暇をとる。非現実的時間を過ごし、新たな視野を広げる。インプット的な過ごし方。

挙げると意外と色々あるが、思考よりも手が先に動く午後イチ。ようやく納得いく録音ができたのは区の施設からのチャイムが自然由来の雑なディレイと共に鳴り響く夕方頃。

その後は楽曲のMIX作業をしてほぼ完成が見える行程まで進む。この瞬間が、今は、確率変動フィーバー・スタートを察知した瞬間よりも快感なのである。

人間は結局、快感を求めて生きている。三大欲求とされる「めし」も「睡眠」も「セックス」も、どれも大なり小なり、快感を伴う。

それ以外のオルタナティブな快感。これが俺は大好きである。時に三大欲求に勝ってしまうくらいの快感。

正直、最中はしんどいのだが、めしを飛ばすくらいの没頭というのは快感そのものではないかと思う。人間が感じることができる数ある幸福の中の一つなのではと。

そういったわけで今日もめしをちゃんと食っていない気がする。それすらうろ覚えである。酒と肴で補完しよう。これもオルタナティブと言えるのではないだろうか。とはいえ、あまり体には、よくない。
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そろそろやばいのではというくらい案件がないが、まあそういう時期もあると慌てずに制作をする。慌てた方がいいのかもしれない。今日は1曲完成させられて公開準備までいき、たいへんスッキリとした気分である。

合間にヨディーさんとよしおさんがツイキャスをやっていたので視聴する。生配信というものは不思議なもので、観ているとコメントを書き込みたくなる。

とはいえ、いくら知っている方々だからといってもふざけたコメントは不文律というオンライン越しの空気感。

「なにかコメントをチャットに書き込みたい」と、思いつつずっと観ていたが、あえて息をひそめながら視聴。ふいに、お2人からちょろっと俺の話題が出て「いまだ!」と思ったが、なんとなくヤメておいた。

例えばライブなどに参戦した際は、俺は推しのメンバーの名前を叫んだりすることに対しての躊躇はない。レディオヘッドのライブを観た時は「ジョニーさぁぁん!」と、上手のギタリストに熱い想いを寄せたのだが、あれはジョニー・グリーンウッドさんに届いたのであろうか。

なぜかオンラインでは引っ込み思案というアンビバレントもあるよねとか思いながら、こっそり終始全部視聴。

逆の立場だったらどうだろう。「なんすか! 観てたんなら遠慮なくコメントしてくださいよ!」という心境になるだろう。「なんでもいいんですから! 『ウンコー!』とかでも全然いいですから!」とも言い加えるかもしれない。

自分が生配信をして、チャット欄に「ウンコー!」というテキストが滝のように流れ出し止まらなかったらどんな気分か。たぶん、嬉しい。
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ここ最近は「切り抜き」的なコンテンツが人気と、先月も記した。確かに手前でも、例えば1時間尺のYouTube動画よりも3分前後でサクッと観られるものをよく閲覧する。

そういったわけもあり、制作楽曲も「切り抜き」バージョンをよく作る。出来上がった楽曲を、例えば15秒、30秒、60秒と、CMやウェブなどの広告で使いやすい尺にエディットするというもの。場合によっては、出来ないこともある。その方が多い。

昨日仕上げた楽曲はフルで3分半ほど。各セクションやエンディングを精査した結果、ちょうど60秒でまとめられそうだったので、60秒バージョンを作る。

実際に、YouTubeなどを観ていると、手前のそういった「切り抜き」バージョンの楽曲をCMのバックなどに使って頂いていることを確認できることがある。やはり「切り抜き」の需要はわりとあるなと確信する。

そのような「切り抜き」とは真逆の、「ノーカット配信」を22時からツイキャスにておこなう。1人で配信するのは人生初の経験なので、開始前は自宅なのになぜかドキドキする。未体験に対するよい高揚感である。

「2、3人観ていてくれれば御の字だ」と、思っていたが、非常にありがたいことに思ったよりも視聴者さまが多くいたのでテンションも高まる。

なんというか、俺は求められれば大抵のことはやるというスタンスが根底にある。「平吉さん、今日はバンジージャンプをしましょう。ウケますよ」と、言われたら、やるだろう。念仏を唱え合掌しながらファ〜と飛び立つであろう。

そこまで極端ではないであろうが、約1時間の1人配信はたいへん真新しい体験でほっこりした。なにより、観てくださる方々がいるということに対し、猛烈なる感謝の意がこみ上げる。楽しんで頂けたとしたら、この上ない幸福。

本日の配信終了後、若干、喉がガラガラであった。最近ロクに人と喋っていないのに1時間ずっと喋るというのは極端。しかし、この極端さが俺は好きである。

2年くらい前から「動画配信やりたい欲」がずっと燻っていた。しかし、それはようやく放たれ、「やりたいとか言ってるだけでどうせやらねえんだろうも」と、手前でもやや感じていたよろしくない感情は払拭された。1度やって「また次もやろう」と思えるところまで行けば、ほぼ確でやる。

未体験のその1回を「やる」というところまでの心理的ハードルは、2回目以降よりも遥かに高いとよく聞く。そこをぴょんと跳んだ気分に包まれ、たいへん前向きな心境。また月内に張り切ってやろうと思う。

観てくださった方々のおかげさまで、現代的なコミュニケーションのかたちを体験できた特殊なゴールデンウィーク半ばの良日。
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夜、足立くんがやってきて機材のことを色々と教えてもらう。なお、夜めしは「餃子の王将」でおごってもらう。たいへんありがたい。

まだ手前が知らないだけで、体験していないだけで、より良い音という領域がまだまだあるのだなと実感する。

明日は新顔のオーディオインターフェースが到着予定なので、宅の音の機材周りの模様替えをする。これが1日で終わるのか、というくらい俺は線を繋げる系の行為が苦手である。

1日かけて、音がちゃんとクリアに出て、録音もするところまでいければ及第点。というくらいの大作業となる。配線など、「繋げるだけっすよ?」というくらい呼吸のように出来る人が羨ましい。サクッといければ、それも含め、有意義な期間であったと言い切れるGWも明日が終日。
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昨日受信した、佐川急便を名乗る「宛先不明により持ち帰りました」的なSMSのアプローチは最近流行っているらしき詐欺と判明。

これくらいのタイミングで、購入したオーディオインターフェースが届くと思っていたので完全に疑わなかったが、翌日でも返信なし、電話も繋がらずというのは佐川急便さんらしくないのでネットで調べたらすぐに悪しき情報が出てきた。

そういったわけで購入した新機材はGW明けまでおあずけだが、昨夜お借りした機材がある。今日はこれを通して制作をしようと気持ちを切り替えた。

すると、目からウロコという体験はまだまだあるのだなと実感。その機材を通して録音をおこなったところ、とてつもない高品質の鬼機材と思い知った。体現した。

「みんなが好きそうで色んな用途に使いやすそうな開けた王道USロック」という着想で、未着手から進める。短めの、30秒くらいの楽曲である。これくらいの尺は、ウェブCMとかにわりと需要があることを色んな場面で確認したので、ユーザーさんに喜んで頂ければとても幸い。

作曲・アレンジあたりはなんとなくできたので鬼機材を使用してギター、ベース、タンバリンを録音する。すると明らかに「いままで超えられなかった一線」という壁をヒョイと突破したサウンドが出力される。

もちろん、いい音だからいつもより進行は捗り、ゼロから進捗率90%まで8時間くらいでいく。これは珍しいというか、明らかに鬼機材効果であることは明白である。当然、夜めしは飛ばした。めしどころではない感動がそこにあったのである。

今日をもってGWは終いだが、期間中は、新たな体験に新たな感動と、とてもいいことが多かった。

世間の状況的には「よい」とは誰も言えそうもないだろうが、どんな状況下でも、いいことというのは生じるものなのだなと改めて感じた。

親父を自宅で介護していた地獄のような時期があった。確か、4年くらい前のその頃の日記には、毎日があまりにつらいので「今日一番よかった出来事は――」と、その日でよかったことを無理矢理探してはひとつずつ記していた。連日、1つはいいことがあったというのをよく覚えているし記録もした。

とはいえ、「でかいシュークリームがおいしかった」とか、そういった規模のことだった気もするが、要は捉え方ひとつで、誰しも、幸か不幸かを操作できるのではないか説。
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占い師をナメていた。占いを信じる、信じない、正直どちらでもない感じなのだが、実際に小一時間本格的に占って頂くと驚きの連続であった。

何か新たな事業を、と考えており、そのための個人的な取材を今日は近場でおこなっていた。ひと段落し、色々考えながら歩いていたら占いのお店を発見。

全くその発想はなかったが、ふいに「占ってもらおう」と思ったので入店。ご対応頂いた占い師はサクラコさんという。

「今日はどのようなことを?」

「はあ、こう、全体的にお願いします」

「では、こちらにご記入ください」

と言われて氏名と生年月日を記入する。占ってもらうというのは初体験なのでワクワクしていたが、足元をすくわれないように、と言ったら失礼にあたるかもしれないが、あまりリアクションを悟られないようにポーカーフェイスで応じた。

「25歳あたりの頃から10年間くらい、自分に合わないことをしていたような……凄く辛かった感じが出てる!」

いきなりドキッとさせられた。25歳くらいから父親の仕事を手伝わなければならない状況になり、非常に苦痛だった時期がそれであったからである。最も精神的に不安定だった時期である。しかし、「合っている」とは言わずに、煽り口調で返した。

「ほほう。サクラコさん、なぜ25歳からの10年間と?」

「プライベートと自分の心に、葛藤や邪魔があるというものが出ているんです。プラス、自身がお持ちではない星、心が揺れ動く10年間と出ています。もともとは楽しく、愛情豊かな方だから心が揺れることはなかったはずなんです」

「するとイレギュラー?」

「そうでもあるけど、そこで掴まなければいけないことがあったんだと思う!」

「そうですか」

「だけど、そこで潰れていないというのを感じます。もともとしっかりしているし、賢治さんは凄く体力があるんです」

誰にも言ったことはないが、自身、実は体力がある方だという自負がある。なぜわかるのか。

「サクラコさん、こんな貧弱な体型の僕に対してなぜ『体力がある』と?」

「本来は風邪とかひかないくらい強いんです。でも、その10年間の時期は辛かったかなと……」

当たっている。メンタルは時期によってグラグラだが、身体的な病気はないし、風邪などほぼひかない。ただ、ここまで俺はまだ、「当たってます! なんでわかるんすか!」というリアクションはいっさい隠した。

「あと、賢治さんは36歳くらいから気持ち的に楽になってきていると出ています」

具体的すぎる。俺が初めて心療内科に行って診療を受け、以前よりも変に苦しまなくなった時期が正にそこである。

「ほ、ほほう……」

「あ! あと、踏み込んで言うと、お父様との関係が……」

ここで俺は眼をクワッとさせて驚いてしまった。サクラコさんのその発言は体言止めだったが、要は「お父さんとの関係に難あり」ということが言いたいのは如実に伝わってきた。

「よろしくない的な?」

「ええ……かなり苦労されたかと。よく一緒にいたね、というくらい。でも、お父様絡みは重要です」

「なんでわかるんですか!」

と、もうポーカーフェイスは解除した。

「賢治さんとお父様はとても縁が深いと出ています。関係がよいと、凄くいいんです。本来ならばとても相性も良いのですが、環境や状況でよくない方向にと ……」

それも当たっていると思うフシがありすぎる。

「ただ、その10年間は、賢治さんが“もともと持っていなかったもの”を得られる期間でもあり、それが試されたと出ています。人との関わり方や、言葉での伝え方、人の痛み、など……それは、お父様との関係性にも出ています。お父様との関係は凄く大事です」

その、「お父様との関係」という地獄絵図の中で俺は様々なことを学んだ。今のところ、彼は人生の重要人物トップ1、2を争う。

そして、彼から、俺が“もともと持っていないもの”を学んだ10年という期間、と言われればドンピシャである。特に「人の痛み」に関しては、30代半ばあたりまでは非常に無頓着だった。

そして、親父はスーパー反面教師と捉えている。「これをやると破綻する」「こうすると人間関係は壊れる」というのを、俺は反面的に父親から学んだ。

「あと、その状況から逃げなかったのが大きいと出ています。これからの時期は、それが活きてくると。それがあって楽しくなってくるのが36歳あたりから、何かが始まるのは2年くらい前からですかね……」

2年前、俺は会社を辞めてフリーとなった。なぜわかる。

「もう、その通りですサクラコさん。すごいですね!」

「あと、お兄さんとは縁が薄いです」

「その通りでして」

「あと、今年は違う考えが出ているみたいですね……それは変えちゃって大丈夫です」

「確かにそんなことを、『新しいことを』と、よく考えています」

「賢治さんは『人のために』ということを第一に考えて進むことが心地よいし、うまくいきます!」

「そういったテーマは最近出ててきたことでもあるんです」

抽象的なフィーリングでも具体的な時期としても、パーソナリティーとしても、家族関係も、全て的を得ていた。正直、びっくりした。

前後するが、サクラコさんは最初にこう言った。

「うふふふ! まずは賢治さんは、マスクで顔は全部わからないですけど、外見と同じ感じ……すごく愛情深い方、すごく魅力的で、ボランティア精神旺盛です。それで、とにかく『笑顔に恵まれている』という星が2つ出ています」

「ははあ」

そして、最後にこう聞いた。

「僕を一言で表すとしたら?」

「そうですね。愛情深い、人のために動ける人。あと、最初の印象は『凛』です」

「いい言葉ですね」

「あと、賢治さんはこれから楽しいです! これからですよ!」

「大器晩成型的な?」

「そういう言い方もあります! あと、苦労なさった時期は、実は賢治さんが選んだ道で、逃げなかったという点が大きいです。それがこれから活きてきます!」

正直、「あなたは何年後に……」的な、ネガティブな占いの内容も想像していたが、そうではなかった。全てポジティブな内容であり、これまでの人生のことを言い当てられ、それらのことは必要であり、学びや徳を積む行為だった、と言われた。

驚愕の体験であった「占い」。完全にナメていた。どういった観点なのか統計学なのか知らんが恐ろしいまでの言い当て方に圧倒された。

総括してサクラコさんは「賢治さんは全ていいんじゃないかなあ!」と、フワッと結論づけた。繰り返し、「これからですよ!」と、言い加えた。

「あと、資格があった方がいいと思う。その方がより動ける方です」

と言われた。これに関してはわかるようなわからないような。

以上が人生初の占いの内容であった。なんだかただ元気付けられただけのような気もするが、占い師サクラコさんの謎の説得力と的中率は凄まじかった。

とりあえずこれから楽しくなるし、よくなってくるらしいので覇気は上がった。ここまでとは思わなかった占い師のポテンシャルに対し、よい意味で震えた。割愛したが、親父のサイコパス性格の詳細も、恐ろしく正確に言い当てた。

なお、占いの方法は「算命学」というものに基づき、サクラコさんの感覚を加味しておこなわれたとのこと。占い師、侮るなかれ。
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DAWを開いてMIX作業をして1曲完成させる。確かな満足。夜は原稿を書く。原稿を書くのは久しぶりだなとか思いながらWordを開く。久しぶりというのは困るのだが。

そういった感じで粛々と過ごした1日。ほとんど外出せず、この時期らしい暮らし。話し相手がいないのはわりと侘しいが、なぜかこの宅に居着いてからというもの、月に何度か定期的に来客がある。

招きネコ的なパワーを宿す、人が来たがる物件なのだろうか。駅から徒歩4分という立地所以だろうか。理由はわからないが、来客はとても嬉しい。

誰か来ねえかなとか思いながら静かにカタカタと日が流れる。いつ誰が来てもおもてなしができるように、いいおやつのストックを買いに行くところから明日は始めよう。ふ菓子とかでいいか。
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昼半ばに来客。起きがけにおもてなしおやつのストックを買っておいてよかったと思ったが、そのお方は逆にビール2本のおみやげを引っさげて来るという僥倖。

なんやかんやと楽器を一緒に弾きながらわちゃわちゃと過ごす。理由はわからないが、どうもこの仕事部屋を訪れて来る方々に共通することは、思いの外、長居するということ。嬉しいからいいのだが。

そして、おニューのオーディオインターフェースを繋げる手助けもして頂く。本来ならば明日、丸一日かけてセッティングという予定だった。それくらい手前は線を繋いだりPCの設定をすることについて、悲しいまでに明るくない。

しかし、その方の知識と手助けのおかげ様でことはスムーズに進み、無事設置完了。稼働開始。むこう5年は余裕で稼働してくれるだろうというくらい確かな逸品。サウンドはというと、秀逸の一言。

来客が帰宅した後、改めて手前が作った楽曲をマスター音源のwavファイルで聴く。wavファイルとは、いわゆるCD音質と同等、さらにそれ以上の音質にしても聴けるデータ形式。

過去に作った曲、最近作った曲、様々リスニングするがどれもいつもより音質はクッキリと、空気感は膨よかに、レンジは広く出力されるのを全身で感じる。「これが高価い機材の力か」と、当然のような、身も蓋もないような感想が出る。

夜は原稿を書き、なんやかんやと楽しい1日は閉じる。改めて俺は人様に恵まれているなという実感。よい意味でめしを食う暇がなかったがさすがに栄養が枯渇気味なので高タンパクの肴を食って酒で流しこもう。旬なような気もする鰹のタタキとかどうだろう。
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いまいち覇気が漲らぬ日。定期的にそういうのがあるよね、もう慣れたよね、とか思いながら原稿を書く。捗りはしない。

もう寝てやろうと思い、夕方はソファに転がる。「このソファはとにかく色んな人のケツを吸って早10年は経ったな」とか思いながら斜めに横たわる。

小一時間休むもやはり元気は少ない。若干の倦怠感。これは仕方がないなと思い、時間はかかったがちゃんと原稿は書いて提出。制作もする予定だったがそのタスクはお休みとする。

仲間のツイキャス配信を観ながら、オンライン麻雀(賭けないタイプのやつ)をプレイしながら、ぬるりと過ごす。要は、半日はサボっていた。いや、休息という大切な時間にあてた。それもあってか、深夜あたりに差し込んでくるとダルさも治まり気味に。

この間、占いで「賢治さんは守り・休みが下手です。そういう星がないんです」と、言われた。当たっている気がする。そして、「でも、そういう人だから、そのまんまでもいいんです」と、言い加えていた。

占いの分野には明るくなく、傾倒もしていないが、「算命学」というものに基づいた占いというのは「当たっている」比率に比例し「その人が、その人の本流を生きている」というような解釈があるらしい。

すなわち、当たっている方が自然体で自分らしく生きているとのことだろうか。それもあり、占い師サクラコさんには「賢治さんは大丈夫。いけます!」と、言い切られた。シンプルに、勇気付けられた心境を持ち帰った。

今日あたりは「休んでいた方がいい」と判断できたのでそうした。めしも食わずにずっと作業していたりすることが多いのでそこは手打ちとする。

自然体というか、本流というか、サボりというか、どうとでも捉えられるが、半分はゆったりと、流れに身を任すように、揺れる柳のように過ごした1日。
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熟睡してすっかり調子がよくなる。いつものように植物たちを定位置から明るい場所へ4鉢移動させ、1日を始める。

以前、この「植物を移動させる習慣がある」ということを足立くんに言ったら「レオンみたいな奴だな」と、言われた。『レオン』という、たぶん映画のことであろうが、劇中にそういったシーンがあるのだろうか。

はたまた、なにかの揶揄かもしれないが、一度観てみようと思う。そういえば2年前半くらい前にDVDで『羊たちの沈黙』を観賞して以来、映画をまともに観ていないというくらい自身の映画離れは深刻。

とはいえ、宅で映画鑑賞という気分にはならないほどの好天なので、軽くデスクワークをした後に散歩に出かける。赤羽から十条、東十条と、計3時間は歩く。おおよそ、目についたものに対して自然な思考を馳せ巡らせるのみというからっぽな心境で歩く。

紫陽花は緑力としており、開花手前といったところ。道中、野生のネコを5匹見かける。十条駅あたりまで歩くとブックオフがあったので立ち読みをする。付近でラーメンとネギチャーシュー丼と餃子をワシワシ食べていたら暗くなってきたので帰宅。まるでニートか年金受給者のような暮らしである。

いかんと思い、制作をしようと部屋に戻る。厳密には、なぜかそこまで「いかん」という心境までいかない。コロナの影響か手前の力量不足か、案件減少下において焦る場面でもあるのだが、なんというかじっくり物事を考える時期な気がしてならない。

ということもあるが、やはり収益は必要なので制作をする。ショートサイズの楽曲があっという間に出来る。購入した新機材と、宅に置かせて頂いている鬼機材、これらのポテンシャルは明瞭にサウンドを豊かにさせ、当然のように制作作業は捗る。

さらに、1曲を制作中にアイディアがポンポン出てきたので各々を楽器で弾いて音としてメモって「ネタ.wav」というオーディオファイルで書き出してストックしておく。

なんだか都合4時間くらいで、1日半くらいの作業的収穫があった。能動的にはほぼなにも考えずにひたすら散歩したのがよかったのだろうか。運動により血流がよくなり、セロトニンがいい具合に分泌されたのだろうか。

そういったわけで、のんびりしている時間というのもどこかに生産的に繋がるということを再認識した5月も初旬過ぎ。のんびりとてきぱきのコントラストが映えた良日。
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最近宅に遊びに来ないなと思っていた友人から入電。本題はサクッと、雑談を楽しくもっさりする。元気そうで何より。とりあえず植物設置を勧めておいた。『レオン』に出てくるような漢と思われるからいけてるよと。

デスクワークを経て、今日は主に昨日作った楽曲のMIXをする。とにかく手元の鬼機材にギターやらベースやらを刺して録音したいというモチベーションのみで出来た、ある種の情熱の塊の曲。恫喝のようなギターリフが猛るグランジ楽曲。納得の仕上がりで完成。

アラフォーになってもエモーショナルが下降せずよいことではないかと手前では思う。こう、一般的解釈であろう、「年齢と共に気力・体力が衰える」という概念に対しての反抗精神は保ちたいところである。現に、やはりここ数年がこれまでの人生で最も元気な気がする。

俺は、複数の特殊能力を持った方々から言われた「平吉さんはこれからですよ」という言葉をたいへん重宝している。実際そうだと信じ込んでいる。言霊の宿ったメッセージをくれた方々に感謝の念を禁じ得ない。

なんだか元気がない人と喋る機会があったら、「これからですよ!」と、激励したい。もちろん、相手の精神状態を加味した上で、今は言わない方がいいと判断したら、ただただ傾聴するだけの方がよかったりもする。そうでなかったら正面から伝えたい、「これから」という人を豊かにさせる魔法の言葉。
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今日は機材の整理をしようと奮い立った。6畳ちょいの広さの寝室が物だらけでカオスすぎるのである。しかし、半分くらいはお預かり物なのでそれは大切に保管する。

整理していると「死体」と「出番待ち」と「使えるがお役目済」と「いけるかどうか不明」という4種類の機材にわけられる。

「死体」に関しては粗大ゴミ。「出番待ち」は、興行用の大切な機材たちやケースなど。「使えるがお役目済」が問題。スピーカー、アンプ、ミキサー、オーディオインターフェースなどなど。これがけっこうある。音響用ケーブルや電源等だけでも計30本くらいはある。

それらを分別。まだ使えるがもう使わない機材、売却すれば数万円は堅い品がいくつかある。一つは寝室で転がっている機材の中でかなり高額の機材だが、これは間違いない逸品なので「周囲で欲しい人がいたら格安で譲る」枠に入れて寝かしておく。

そういったわけでちょびっとしか片付かなかった。仕事部屋で机につく。新たな事業の準備と書くとカッコいいだろうか、いろいろと調査をしてエクセルやらワードやらにまとめる。

あとは制作をする。未公開ストック曲が2つあるのでなんだかゆとりがある気がするが、案件が枯渇している今こそもっと蓄えるべきである。ギターを振り回して気がつけば深夜。誰とも話さなければLINEすらシーンとしていた静かすぎる1日。

孤独死。その3文字が思い浮かぶが、手前には縁のなさそうな死因。そこで閃いた。高齢者の孤独死を防止するビジネスなんて案外需要があるのではないかと。

やり方がぜんぜんわからんが、いろいろと点と線が繋がりそうなアイディアである。当たれば相当でかいビジョンと見た。「高齢者の孤独死を防止するには――」という非常に難解な概念を収益に化けさせる。これは手強そうだが面白そうでわくわくとする。
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もやしは何でこんなに安いんだろうと、駄菓子並みの値段で採算はとれるのだろうかと、そういったことを考えながら茹でてナムルにしておにぎりと一緒に食う起きがけ。体調はすこぶる良好。

新しい仕事の展望をパワポにまとめる。エクセルは苦手だがパワポは大好きである。直感的なイメージがその通りになるあたりがたまらない。

会社員時代によく「平吉さんがパワポで作る資料はいつも見やすいです」と、褒められたこともあり、「じゃあ以後、パワポ番長って呼んでもらっていいですか?」と女子社員数名に提案したが全く定着しなかった。

そんなことを回顧しつつパワポで書面作成。仕上がったのでまとめた10ページをプリントアウトする。見せて褒めてくれる同僚や上司がいないのがちと寂しい。今度、自身で事業をしている友人が来たら、この事業計画書を見せてなんぼのものか評価してもらいたい。

真っ先に思いついたのは足立くんである。お気に入りの中華弁当を食いながら、よしおさんのツイキャス配信を拝見していたら、明日5月14日は足立くんの誕生日という話題が出た。なんでも、カウントダウンイベント的な感じの催しをオンラインでおこなう気配。

それは楽しそうだなと思いつつ、まだ日跨ぎまでだいぶ時間があったこともあり、4時間ほど制作をする。この間のネタを膨らませていたら楽曲サイズ感が見えたので、楽譜に起こしてひと段落。「まだ配信はしているだろうか」と、気になった0時寸前。再度配信を観てみたら楽しげにしていたのでよかったなと思う。

ここ数年を振り返ると、手前の誕生日にイベント的なものをやった記憶がない。小さい頃に家族に祝ってもらったり、恋人が居る時期はそれなりに、といった感じだったが、最近は皆無。

今年は自発的にそのようなことをやってみようかという気概はあまりないが、そういった催しがあったら楽しいなという人並みの感情はなくもない。とりあえず、同年齢の彼の生誕日に祝いの意を述べたい。足立くんお誕生日おめでとう。
_05/13

 

 

 


新たな展望をより明瞭に、と表現したらクールだろうか。実地調査をおこなう。3時間くらい赤羽を歩いて顧客見込み層の割合や行動を観察し、統計をとるというたいへん地味かつアナログな調査。

少し視点を変えるだけでも街の人々はいつもと別の見え方がする。「超高齢化社会」という日本ではあるが、実際に歩いている高齢者の割合は全体の1〜2割程度。

総務省の統計によると、2020年の国内の総人口に対する65歳以上の高齢者の割合は28.7%という。病院や介護施設等に居て出歩いていない高齢者、在宅の方々の人数をだいたいの予測で差っ引くと2割弱だろうか。

そう考えると、机上の憶測通りであった。3時間も歩かずともよかったのかもしれんとも思うが、現実を目で確かめるという意味では意義ありの一次情報を得たので手打ちとする。

中でも興味深かったのが、パチンコ店においての高齢者の比率である。3店ほどまわって全シマをチェックしたら、打っているお客さんの4割程度が高齢者だったこと。

そして、今は控えているが、雀荘でシノギを削っている客層もそれくらいの割合だった。日本人は歳をとって一線から退くと、ギャンブルに耽る傾向があるもよう。

リアルなデータもとれたところで帰宅してパワポにまとめて50分くらい寝る。起きて制作をする。扱い方によっては最強クラスのサウンドメイクができる鬼機材をはさんでベースの音作りと録音をする。めちゃめちゃカッコよろしい音が出て悦に浸る。

俺が高齢者と呼ばれる65歳になったら何をしてるかと考えた。あとたったの25年で俺は高齢者である。まじかと思ったが、その時に、「アラフォーの頃はああいったことに躍起になっていてよかったのう」と思えるように邁進したいところである。

俺も高齢者になったら再びギャンブルに耽るのだろうか。一応、「老後のたのしみ」という扱いにして今は封印しているが、実際はどうだろう。パチンコ店が存在しているのかも怪しいところである。場合によっては50〜60代くらいになったら雀荘の経営に手を出そうか。

摘発スレスレの高レート雀荘にして、毎日ヒリつく若者を見ては手前の過去を思い出して悦に浸るという悪魔的老後。というのもわるくない。
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過去イチではないかというくらい案件がない。コロナ禍のせいかどうかもはや判断不能。そういったわけで今日も新たな業務の展望を模索する。

土台となる絵図は描けた。パワポで作成したこの企画書的なやつは、なんなら金融機関(アコムとかのサラ金以外)である銀行や公庫に持ち込んで融資の相談をしたら普通に相手をしてくれる、というほどのガチさである。

しかし、“ウリ”となる目玉的ポイントがちと弱い。基本的には地域の高齢者等に対する訪問型生活サポート的なサービスなのだが、的確な“ウリ”がほしい。

楽曲で言ったら構成とリズムパターンとベースライン、コード進行、なんとなくのアレンジテイスト、ここまでは出来たのだが、「強烈なサビのフレーズ」がほしい。

B’zの楽曲に例えるなら「ウルトラソウッ!」くらいのインパクトというかわかりやすさがほしい。これを半日考えていた。

気がついたら書店をウロウロ。「福祉」や「介護」のコーナーで立ち止まり書籍の背表紙を眺める。違う。福祉や介護等の領域ではない。もっときさくかつ、孤独な老人の心のスキマに飛び込むようなやつがいい。そこを埋めて対価を得るというコンセプトの絵図なのである。

要は、最終的に「ドーン!」とやって相手を廃人にしないタイプの、クリーンな『笑ゥせぇるすまん』が近い。

心のスキマを埋めるにあたり、「どこの馬の骨かもわからん個人がなにをしてくれるんだ」と、帰り際に塩を撒かれるネガティブなイメージが湧いた。確かに、とも思う。「心のスキマお埋めします」と、名刺に書いたら現実では通報されるまである。

すなわち、「この人なら安心だ」という、わかりやすい「金看板」的な何かがほしい。その点、企業は有利である。ちゃんとした会社の名刺ひとつあればそれだけで信用に繋がるし、OJT(業務の研修みたいなやつ)などの制度もある。俺はそれがないフリーランスである。

だんだん点と線が繋がりつつある、アナログレコードを鳴らす前のようなチリチリした音が聞こえてきた。統合失調症的な幻聴ではない。その音はだんだんと言葉を伴って脳内サウンド化した。

「生活面や、心の具合を手軽にみてくれる訪問型サービス」というのは新しい。少なくとも俺は聞いたことがない。需要も充分あり、売り文句次第では食いつかれやすいとみた。

経験則として断言できることがある。それは、生活面とは別として、孤独な老人が最も欲しているのは「話し相手」であるということ。だが、主に、訪問してトークをするだけでサービスが成り立つとは少々考え難い。

そこで、「心の具合をみる資格」があれば有効という案が出た。即決で調べるその前に、パッと思いつくそいつとはなんぞと考えたら「心理カウンセラー」というフレーズが即座に思い浮かんだ。

「心理カウンセラーの平吉と申します。今日はどういったご相談でしょうか。ニコニコ。――あと、他に生活面でお困りはありますか?」

これならいける。わかりやすい銘の資格をひとつ取得すれば断然やりやすくなるし、掴み的な顧客の信頼も最初に得られるし、広告も打ちやすくなる。

帰宅して「心理カウンセラーになるにはどうすればいいか」を調べた。その類を大きくわけると「臨床心理士(内閣府認証資格)」「公認心理師(国家資格)」「 心理カウンセラー」であることが判明した。

前者の2つはハードルがクソ高い。理由は「大学院レベルの学歴」が必要だからである。即刻棄却。最後者については、ハードルは低くはなさ気だが、最短でも2カ月も本気で取り組めば取得可能と判断した。

手前には2年半前に取得した「メンタルヘルス・マネジメント」の資格もII種、III種と2つあることだし、その分野に対しての公的な基本知識はだいぶあるため有利。野太い線が繋がった。

予算的にも今なら全然余裕と言える金額であった。そういったわけで、一応、冷静になるために概要を書面にまとめて読み返すという工程を経た上で、秒で受講の申し込みをする。

調べた結果、「協会指定の認定教育機関等がおこなう教育訓練において、その全カリキュラムを修了」する必要があるとのこと。その後、試験を突破すれば晴れて「心理カウンセラー」を名乗れる。

そのカリキュラムとやらは、在宅でもおこなえると判明。今、やるべきことが定まったもよう。

現時点ではあまり考えるべきではないが、仮に、個人営業でこの企画がすべった場合でも「心理カウンセラー」の資格は相当ツブシが効く。取っておいて損はない。

「賢治さんは資格があると動きやすくなります」と、先日、占い師に言われた。一番ピンとこなかった発言であったが、こういうことかと腑に落ちる。

とはいえ、「気がすむまで占いとやらを体験してやろう」という想いのもと、1時間超視てもらい、ガールズバーにたっぷり居たくらいの料金を払ったから「信じたい」というバイアスがかかっていることは、否めない。

そういったわけで、緊急事態宣言起因なのかわからんが、案件がないこの時間を活用し、制作と並行して、しばらくお勉強に励もうと思う。「心理カウンセラー」の資格があればもっと色んなことができる。

思えば、20代半ばあたりから、音楽以外でやりたい仕事として、文筆業があった。それは、おかげさまで現在進行中である。今は案件が枯渇しているが。

そして、もう一つ、メンタルヘルス系のシノギがあった。そういった気概が生まれるほど、その頃は精神医学系の本を読み漁っていた。まだできていないが、音楽と文筆業と、それらと並行してやっていきたいそれはこれからなのだなと、やっと線が繋がったと思いほっこりした。とはいえ安心している場合ではなく、やることがたくさんある。しかし、それが明瞭に浮き彫りになったのは相当でかい。

とか思いながら夜はいつものように制作をする。たいへんカッコいいベースパートがばっちり録音できて満足する。楽曲でも企画でも、土台がビシッと決まるとテンションは高まり、なにかと開ける。

とはいえ、手前に「心理カウンセラー」というかなりポピュラーな資格を取得することができるのだろうか。

そこは、手前はやればできる子だと言い聞かせるしかない。「取れる前提のモチベーション」で挑むしかない。これがわりと効くことは体験済みである。

この、できるかどうかわからんということに挑む時の未知数の期待感と高揚感はなかなかドーパミンが噴出する。パチンコ台「CR海物語」で言うところの魚群予告リーチが出た時くらい興奮する。途中で飽きませんように。
_05/15

 

 

 


いくつかある、いつもの畑を耕し「よし、めしは確保できたな」と落ち着いていたら誰かがステーキをたくさん食わしてくれ、「もう、めしは十分あるんだけどな」とか思いつつ「たくさんあるにこしたことはない」と、ガツガツ肉を食う夢を見た。

現実の何かしらを暗示するような意味深な印象。ただ「ステーキが食いたい」という願望かもしれん。今日はどういうわけかかなり早起きしたので1日が長い。

何から始めようと思ったところ、勉強と収益の両方に繋がる作業があったことに気づく。ほぼほったらかしだが、毎月横ばいの収益をあげてくれるメンヘラサイトを久しぶりに更新しようと思った。年に1、2回くらいしか更新しないのに毎月のPV(ページビュー)数が5年以上落ちないというまことに不思議なサイトである。

そのサイトは主に、「精神疾患」にまつわる情報を記したページがズラリとある。そして、心理学用語なども端的に1分ほどで概要がわかるようにまとめた用語解説コーナーがある。

昨日思い立った「資格取得」のための受講テキスト等が届くまで、空いた時間は勉強がてらこのコーナーを更新しようかと思い、数時間かけて数ページ更新する。英語の勉強のために英単語を覚える行為にかなり近い。

資料は「心理学辞典」という、図書館にありそうな分厚い辞書が主となる。実際に、赤羽図書館で同じやつが本棚にならんでいた。宅にあるのは、昔ブックオフで1,500円で買ったやつである。

今日調べて興味深かった用語は、「閾」「閾下」というもの。概要は以下の通りである。

“「閾(しき)」とは、刺激の強さを連続的に変化させた時の、生体に反応を引き起こすか起こさないかの限界。生理学・心理学の用語。閾下とは、閾値以下の刺激によって生体に何らかの影響があること。”

「閾」やら「閾値」に「閾下」と、わりと難しめの概念だと思ったが、人によっては「サブリミナル」や「スレッショルド」という用語を交えるとピンときそうである。

要は、「それ以上の刺激だと、生体的反応を示す」という境界線的なものが「閾」で、「閾上」だと感覚として反応し、「閾下」だと、感覚ではわからん、といった感じである。

その閾下(意識的に感じられない刺激)に対するアプローチで有名なのは「サブリミナル効果」である。

マインドコントロールなどにも応用できるまあまあ香ばしい手法につき、放送機関によっては「サブリミナル効果」を用いたCMなどを禁じているという。それくらい効いちゃうのであろう。

とはいえ、現代はこのサブリミナル的な刺激で溢れているのではないかと思った。ペロペロとネットニュースを見たり動画を閲覧したり、SNSのタイムラインを飛ばし読みしたりと。

理解が目的で目や耳にすると当然記憶にも残るが、そうでない情報に関しては、反応こそせずとも「閾下」に届いているのかもしれない。知らないうちに、日常的に誰かの思うツボになっているのかもしれない。

何のチャンネルだったか忘れたが、YouTubeを観ていたら認識できないほんの一瞬、おそらく動画内容と無関係のカットがねじ込まれているものをいくつか観たことがある。あれは狙ってやっているのかもしれない。

しかし、「サブリミナル効果」は、例えば、単純に買わせたい商品などを一瞬だけ、認識できないレベルで見せても効果がない場合もあるという。「閾下刺激」が人間の行動にまで影響を与えるという確証は得られていないそうだ。でも、効く時はけっこう威力があるという。

マッド・サイエンティスト的な人格の輩は、このへんを熟知していて、大衆や何者かをコントロールできるのかもしれない。そう考えるとなかなか恐ろしい「閾下」という無防備気味な領域。

記憶に逆流する印象的な「夢」というのは、この「閾下」に届いた刺激を整理してくれているのかもしれないという仮説。これが合っているとすると、手前がよく見る印象的な夢はわりと説明がつく気がする。どんどんサイコ野郎みたいな考え方をするようになってきた気がするが大丈夫だろうか。
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まだまだこの世には知らない概念がたくさんあるなと実感する。アラフォーにもなって辞書を片手にお勉強するとは昔は考えもしなかったが。良し悪しで捉えたら、少なくとも悪くはないであろう。

ぬめりとした湿気の東京。宅でコーヒーをすすりつつ机で過ごす。昼過ぎ、久しぶりに編集部より入電。案件のお話である。これはよかったとお話を賜る中、ふいに「そういえば平吉、次ツイキャスいつやるの?」と、聞かれる。

あれれ、意外なところでもわりと。と、ふんわり嬉しみつつ「ええ、月内にまたやろうかと。定期的にやるのが大事かなと。次は、近々ですね」と返すと「ふうん。んじゃ観るわ」と、言ってくださる。

そうか、わりと求められていると言っても過言ではないのだなと、「動画配信」という新たな挑戦に対してのモチベーションはなかなか上がる。ダイレクトなレスポンスがあることは非常にありがたいことこの上ない。

夜はSEIYUで冷やし中華を買ってきてサラッと食う。タイムセールで197円という安さにしては美味しくてツユまで全部飲む。とてもすっぱい。

そしていつものように制作をして、あとはギターをもう1パート録音してMIXして、というところまで出来て1日が暮れる。

まだ月も半ば過ぎだが、今月はやや特殊といえばそんな気がする。案件がいつもより来なくて悶絶、と思いきや、一人で配信を始めてみたり、人生初の占い体験をしたり、機材周りを一新したり、足と頭を使って新たな業務展望の絵図を描いたりと。そういう時期なのであろうか。

手前の場合は、焦って必死に普通の営業なりをするよりも、依頼が減ったなら減ったで、いつもやるべきだと思ってやっていることをしながら新たなことを進めるという、今の過ごし方のほうがなんか合っていると、見えないなにかが賛同している気がしてならない。どんどんスピリチュアル的思考になりつつある気がするが大丈夫だろうか。

しかし、「常識的にはそうではないであろうが、手前的にはなんとなくこっちだ」と、「頭ではないところで完全にそう感じられる時」というのが人生の節目節目でよくあり、その「なんとなく」に添ったほうが後々、合っていると判断できることが多い。

この感覚をなんというのだろうか。「直感」のその上というか、その手前というか、そんな感じである。やはりオカルト野郎化は否めない。
_05/17

 

 

 


『新世紀エヴァンゲリオン』という作品の登場人物で、加持リョウジというキャラクターがいる。12年ほど前にアニメ版を全て観た時、碇シンジよりも綾波レイよりも碇ゲンドウよりも渚カヲルよりも、俺はこのキャラクターに対して最も親近感をおぼえた。

彼の中に、あるのか無いのか、はたまたコケにしているのか、という感じの帰属意識の描写というかそのへんが所以なのかもしれない。

「帰属意識」とは、要はどこかの組織や集団の一員であるという意識。

この帰属意識がめっぽう高い人は、会社やグループなどで仲間たちと潤滑に暮らすであろう。一方、これが低い人は集団で浮きがち。

ははあ、と振り返ると手前はこれがめちゃめちゃ低いことに気づく。つい最近、仲間と一緒に何かをガチでやる、という場合においてはちゃんと感じることができるようになってきた、というほどである。

家族一緒にいる安心感、組織で働く連帯感、バンドやグループで活動する一体感、色々あるが、これらの感覚が薄い人はハグレ者になりがち。

カッコよく言うと一匹オオカミ、かわいく言うと野良ネコ的、一般的に言うとひねくれ者だろうか。辛辣に表現すると社会不適合者。

この帰属意識についてさらに深く考えると、高い人はそれにこしたことはないと思われる。みんなと仲良く過ごせるだろう。人間というやつは、誰かとわちゃわちゃやっている時が最も幸福なのではないかと思われる。帰属意識が低い人は、両極端な気がする。

それはそれで割り切って、どこかに属さないほうがやりやすい凌ぎ方で、自身のスキルを最大限活かすことによりグンと跳ねる人もいる。

集団に馴染めないものだから単にハグれてしまう人もいる。肝心なのは、自身の帰属意識がどれくらいのものかということを自覚することではないかと考えた。

俺は、極めて低い。なんなら、もともと無いのではないかというくらい低い。兄貴も、父親にも同様のことが言えるので血かもしれん。

それならそれで、低いなりに、集団の中でなくとも個として求められるよう努力すればいいのかなと思った。

思えば日々そのように過ごしているが、それは帰属意識の低さからくる、ある種の補填的な行為なのかもしれない。

とはいえ今日は数時間制作するも何故かほとんど進まなかった。そういう日もある。それにしても最近、対人関係において暇である。
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誰か来ねえかな、人と会ってねえな、などと書いた翌日になぜか来訪者があるという偶然性。理論的に説明はつけられないがなんかよくある。 俺の侘しさ電波をキャッチしてくれているのだろうか。

そういったわけで、25年来の友人が仕事部屋にやってくる。機材のさらなるレベルの使い方と配線(繋いでもらう)、そしてDAW上のテクニック各種などもレクチャーもしてくれてたいへんにありがたい。

おそらく、独学でやったら習得するのに数カ月はかかろうことを数時間で教わり、手前は実に恵まれているなという感謝の念が吹き出す。

有名な洋楽のサウンド分析なども一緒にしてきゃっきゃと過ごす。非常に有意義な時間である。

そのあとは原稿を少し書き、日が閉じる。往々にして、人と過ごす時間というのは大切なのだなという人間として基本的なことを実感しつつほっこり過ごした1日。
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原稿を書く。なぜかいつもの倍程度の時間がかかった。そういう時もあるよねと思いつつ、今日は45℃くらいの熱湯に浸かろうと思った。

雨天が続いていること、外出する機会が減っていることもあり、慢性的な運動不足である。そして、日光をロクに浴びていない。これは必然的に調子がよくなる理由がなかろうと認識する。

だからせめて、激アツ風呂に入ってリフレッシュしようと、それくらいしか方法はないと判断した。

あれをやろう。風呂に潜って1〜2分くらい息を止めて窒息する寸前まで耐え、バシャアと頭を出して「よかった生きてる」と、強引に生への希求をひねり出すやつ。

ほぼ異常性癖クラスの行為だが、これが意外とスッキリするのである。性的快楽目的ではないが。もちろんおすすめは、できない。
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ジョン・ボーナムが壁越しでドラムを叩いている、というくらいのハイデジベルの解体工事サウンド。おちおち深く寝られないという日が続く。

しょうがないから早起きして活動をする。今日も1日宅で過ごす。資格取得のための教材が届いたので着手。夕方少し昼寝をして冷やし中華を食べて20時半、制作をする。

気がつけば26時でびびる。過集中気味な体質がよい方向にはたらいているということで手打ち。さすがに眠いので軽く酒を呑んでベッドに行こう。ソファで気絶しないように気をつけよう。
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もう梅雨入りでいいだろというくらい続く雨天。かれこれ一週間は日向ぼっこができていない。それはそれで仕方ないとじめじめとした気分、というほどでもない。思い返すと、手前は歳を重ねるごとに気分が安定してきているなと実感する。

昔は「雨が降った」というだけで夕方まで寝ているということがしばしばあった。今思えば完全に病クラスであろう。季節性感情障害。天候性なんちゃら。調べればなんか該当したのがある気もするが、それ系の病名はもはや創作に近いという所感。

とはいえ、やはり最近はどんどん健やかになってきており、このペースを保つと壮年期に俺は絶頂に達する。

それもどうかなとか思いながら、昨日と同じタスクを進行させながら過ごす。変わったことはといえば、特筆してない。夜に足立くんが機材を預けに来たくらいである。

『ドラゴンクエスト』とかでも「預かり屋」みたいなのがあったなとか回顧しつつMIX作業に耽る。秀逸な機材があるともちろん素晴らしいサウンドメイクができるが、そのぶん操作性なども広がるので、そこに伴い時間もかかる。例えるなら4速オートマティック車から6速まで入るマニュアル車を運転しているようである。

そういった感じで、晴耕雨読というか、雨の日らしい暮らし。昨日も、その前もそうだったような。明日晴れたとしてもやることは今日と同じだなと、出向案件の少なさをだいぶ懸念。そういう時期だということで制作やお勉強に勤しもう。綺麗な花を見るために、種を撒こう。
_05/22

 

 

 


土日は隣の物件の爆音工事がおやすみなので熟睡できる。6時間睡眠でこと足りた、今日はやっと晴天かと、約一週間ぶりの青空を見上げつつ和食めしを作って食う。やはり味噌は口に馴染む。

そういえば父親の入院費を払いにいってねえなと思い出し、追い込み的な請求書が来る前に支払いに行く。板橋区へバスで向かう。道中は完全に寝る。

さっさと金を払い、当然面会はできないのですぐに帰路につく。徒歩で赤羽に向かう。俺と同じく「もう梅雨でいいだろ」と感じたと思わしき紫陽花たちがこぞって咲き乱れている。

「わかるぞ」とか呟きながら、ドクダミ草のドラッギーな匂いを浴びつつ、大通りとは少し逸れた、草だらけの畦道が伸びるルートを歩む。

「ドクダミ草を煎じた汁はアトピー性皮膚炎に効く」という持論だか自然療法だか知らんが、子供の頃アトピーが酷かった俺は母親によくドクダミ汁を皮膚に塗りつけられてはたまらなく沁みていた。筆舌に尽くしがたい痛みを伴うそのオリジナル治療法は拷問に近かった。

まあ、あれも母親の愛所以だったのだろうかとか思いながらも、ふわっとしたエビデンスの民間治療法で毒汁みたいのを子に塗布するのはいかがなものかと幼少期を思い出す。

「匂い」は「記憶」を司る大脳辺縁系の海馬にダイレクトにアプローチするので、いくら脳が発達したとはいえ所詮人間も動物的本能が最も根元にあるのだろうと思いつつ湧く「ドクダミ草は触りたくない」というPTSD的な感情。

最近YouTubeでも大人気の西村ひろゆきさんが育った付近という「桐ケ丘団地」を通り抜ける。ここは信じられないくらいの棟数の巨大団地だが、現在、住人はほぼいない。

「人がたくさんいる前提」という場所なのに「いっさい人がいない」という場所は、どういうわけか本能的にリラックスできる。

こういった団地に入居した人達は、当時30代くらいの親で、入居が始まったのがだいたい1960年代くらいで、逆算すると当時の親たちはもう80〜90代の歳だから、そりゃ人もいないよねと、合ってそうな仮説を立てながら団地敷地内を歩く。

野生のネコをまとめて4匹発見。警戒心は強そうだが、俺に近寄りたいそぶりをみせるネコたち。「以前は、めしをくれる団地の人がいっぱいいたが、今はほとんどいないのだろう」と、思った。すなわち、各ネコは「俺がめしをくれるそぶりをしたら寄るが、くれないなら用はない」といった顔をしていた。

「君ら、食いっぱぐれたな」と、話しかけるとネコたちはそれぞれ「ニャー」と棒読みで応えた。やはり人には慣れているが、めしがないなら用はなさ気である。

ゆっくり歩いていると4匹とも一定の距離を保ちながらついてくる。毛並みを見る限りまだ若そうな三毛ネコに言った。

「いいか君達、このへんはおそらく1960年代に――」

「ニャー」

要は、もうこの地での「めし」はあまり期待できんということを伝えたかった。言語に乗った思念で伝わったのか否か知らんが、ネコたちは若干はしゃぎ気味にぴょんぴょんと塀の上、縁石のあたりを跳ねながら元気なムーブを見せた。単に俺をおちょくっている感は否めなかった。

1時間ほど歩き、赤羽でめしをくう。病院に行った帰りはだいたいこういったコンセプトで夕飯を食う。それは、まずありえないことだが、「親父が仮に、元気になって退院して外食するとしたら何を食わせようか」というものである。

胃瘻で直に栄養をつぎ込まれるという末期的な彼に、好きな外食メニューの食事はたいへんなご馳走であろう。奴が食えないなら俺が代わりに食って、うまかった思念でも送ってやろうという、全くもって効果不透明な目に見えない親孝行の類である。

そういったわけで、普段手前ではチョイスしない、親父がうまいうまいと喜びそうなめしを食う。チャーシューメン大盛りとライスである。このチョイスはまず、俺にはない。

幼少期、デパートでチャーシュー麺を食わせてくれた親父は、あろうことか俺のチャーシューを横から半分以上かっさらうということがあった。「ごめんな賢治!」とか言って笑って謝ってきたことを思い出した。その時は「別にどうでもいいんだけど」とか5歳くらいの俺は思っていたこともセットで思い出した。

家族とかいう縁深い人間関係に、目には見えない思念レベルの繋がりがあるとしたら、「せめて俺がチャーシュー麺大盛りを食ってやったぜ。そういや大昔、俺のチャーシューを――」というエピソード含みの思念とおいしかった感覚が、ベッドで臥褥する父親に届けば、まあ、ほっこりするのだろうか。そんなことを考えながら夜は制作をする。

気違いレベルの酷い悪態と悪事をさんざん俺に対して浴びせた親父ではあるが、記憶の深い部分にアクセスすると、まあ、幸せをくれたこともあったなと、なんとか美談にバイアスをかけて手打ちとしようとするこのポジティブ思考たるや。悪くはない気がする。
_05/23

 

 

 


緊急事態宣言発令期間が続く限り、こういった感じでほぼ毎日暮らすのだろうかといった過ごし方の5月も下旬。ここ最近はお勉強と制作をひたすら、という日々である。

コロナ禍が始まった2020年よりも巣篭もり感は増す。対人でなにかを、という機会があまりにも減ったものだから、たまに友人に来訪すると開口一番「髭が……」と、言われるほどである。

そういったわけで2ミリほど伸びた顎髭をさすりながら机でせっせと過ごす。暇ではないが、案件や対人の用がなさすぎ。もう酒呑んで寝ちまおう。決して、逃避ではない。はず。
_05/24

 

 

 


今年に入り、最もなんもしてない日。理由は、整形外科へ行ったところ診断名つきの判断がなされ、ここは「安静」を優先としたからである。

「先生。左脚の付け根の外側がめちゃめちゃ痛いんです」

「そうですか。ちょっと触りますね。ここは? (骨の部分)」

「そこは全然」

「ここは? (Gパンのポケットの下の切れ目やや外側)」

「痛っ! 正にそこですね! 痛った!! ほあぁっ!」

「プークス(助手のお姉さん)」

「先生、なんでしょうこれは? 歩くのもしんどいのです」

「とりあえずレントゲン撮ってみましょう」

以前も何度かあった。この部位の妙な鈍痛が一定期間続きフェイドアウトするという症状。そのスーパーブースト版が今日の症状である。部位を押す、あるいは変えた脚の角度によっては激痛が走る。打撲と筋肉痛の強め、といったテイストである。

「平吉さん、レントゲンの画像がこちらです。骨に異常はありません」

「はあ、俺の脚の骨、細いっすね」

「結論から言いますと、まずいものではありません。良性です」

「よかった! しかし痛いのです」

「これはまず、『髄液包炎』でしょう」

「ヤバそうじゃないですか! 病名!」

「大丈夫ですよ。でも、これ、痛いらしいんです」

「たいへん痛いのです」

先生の説明によると、人間の手脚などの関節には袋状の器官によって、体の動きを潤滑にはたらかせるという。しかし、その器官が炎症を起こしたり、器官内の液体がなんらかの原因で変に増えたりするとけっこうな痛みを伴うという。

そういったわけで俺は「髄液包炎」と診断され、湿布と鎮痛剤を処方される。なお、鎮痛剤に関しては変な期待感があったが、わりと一般的というか、出てきたのはロキソニン的なものであり、主成分はいたって平和な薬物であった。

以上の理由により、今日はお休みとした。制作をしたかったが、YouTubeを観たりソファで転がったりと安静にしていた。お勉強は、日が空くと学んだことが長期記憶から逸れそうなので小一時間だけやる。

昨日まで普通に歩けていたのに、急に高齢者に抜かされまくるスピードでしか歩けなくなるということもあるのだなと、ひしひしと何があるかわからんと実感した。

「髄液包炎」という症状。原因は、不明とのことである。とりあえず酒が原因でなくてよかった。
_05/25

 

 

 


昨日俺を絶望させた脚の痛みはわりとひいてくれる。「ふざけてるの?」というくらいのスタイルでの階段の上り下りも、今日はいくぶんマシになる。だが、基本的には安静にしている。それくらい昨日は本当にしんどかった。

安定した姿勢での着座では痛みが気にならないくらいまで落ち着いたので、いつも通り机で過ごす。案件はないが、そのぶん先々の収益となるための準備をせっせとする。今日あたりはこのサイトの公開楽曲の更新もする。

歩き回るのがまだややキツいので直近のコンビニで緑色のパスタ弁当を買ってきて夕飯とする。これが意外とおいしい。しっかり寝たので休まずとも別にいけるが、一応ソファで小一時間ほど安静にした後に制作をする。

立派な機材を外側に通してDAWに返す、という上級者クラスの手法でMIXをしたところ、明らかな違いを感じてワクワクとする。こう、深みが出る。厳密には、豊かな倍音がちゃんと出る。着手中の楽曲が見事に仕上がって悦に浸る。

パスタを食った後に飲んだ鎮痛薬の半減期も超え、効力がなくなってきたところであろうと思われるので酒を呑んで寝よう。これも麻酔のようなものである。今夜は寝返りを打っては「がっ……!」とか痛がらずに眠れますように。
_05/26

 

 

 


最近は実に雨天が多く、それだけでも気が滅入るというもの。さらに突発的な外科系の痛みも発症して3日目。奮い立てというほうが無理がある。

とはいえ、今日あたりはだいぶ痛みも引き、ようやく立ってチノパンが履けるレベルまで達した。森のようなサラダとフィッシュサンドというブリティッシュなめしを食い、机でお勉強に励む。

夜は制作を、と思いストラトキャスターの弦を張り替えてアイディアを捻るもいっさい出てきてはくれんかった。

たまにはそういう時もあるよねと思い、予定を変更。生配信をやることにする。覇気もなく痛みも完全にとれず、アイディアすら出ないというダウナーな気分に屈するより、逆を行ってやろうと思った。

配信を始めると、「ウンコー」というようなコメントも気軽にしてくださる実にポップな雰囲気が俺を包んでくれた。本当にありがたいなと思いつつ、オンラインでみなさまとひと時を過ごす。リアルタイムで観ていただけるというのは本当に嬉しい。

もちろん、あとでアーカイブを観てくれるのも嬉しい。アーカイブに関しては、残したり残さなかったりというフワッとしたスタンスでいこうかなと思う。需要があれば、毎回残そうかとも。

配信後、おかげさまで覇気が出てきたので再び制作をする。鍵盤の出力準備もしてあったので、ピアノの音でピロピロやっていたらアイディアが出た。ゼロからイチ、この段階を突破すれば後はだいたい仕上がりまで向かう。

そんな感じで一人で過ごしていたが、自分以外の方々のエネルギーというかなんというか、そういった素敵でポジティブなものをありがたくしっぽり感じた良日。それにしても動画配信というのは、面白い。
_05/27

 

 

 


今月は死ぬほどライター業の案件がねえなと思いながら机でコツコツ過ごす。夕方は定期検診に行き、前回の血液結果を知る。

『パラダイスロスト』公演の翌日であった前回の診察日。すなわち、宅でしめやかにおこなった打ち上げでベロベロに呑んだ翌日であったため、たいへんな二日酔いだった。

採血でアルコールでも検出されやしないかというくらいのレベルであったが、今日の結果を見ると実に素晴らしい数値。主治医から「健康診断でも問題ないと判断される数値ですよ」と、言われて安堵。俺の血はアルコールに全く屈しないのである。

脚の痛みもほとんど収まり、心身ともに健康だ、やっぱヘルスは大事だなと思いつつ夜は制作をする。健康でも仕事や収益は大事だなと改めて考えていたら編集部より入電。いくつか案件を賜りこれまた安堵。

なんだかんだと変化の多い時期ではあるが、健康・仕事・現金のバランスは大事だなと実感。そこに恋愛・家族という要素がどうも入らないのは何故かとも思うが、まあ時期によるであろうと前向きに考える。バランスが崩れる時があっても、焦らず本流を進んでいればいいことはいくらでもあるなと。
_05/28

 

 

 


ルーティンと化した学習時間を経て原稿をやる。2日にわけてやるつもりだったが一気にやった方がいいという感覚があったのでがっつりやったらヘロヘロになる。

明日は夜に来客予定もあるのでそのぶん半休にしようかと思うがそれは甘えだろうか。この判断がとても難しい。
_05/29

 

 

 


以前、「同属性」と表現した友人が夜、来訪した。そして、雑談をする中で彼は俺に対し、表現のフレーズは違えど「同属性」だという認識があることを吐露した。

元同僚であり、数年ほど同じデスクで働き、共に仕事をしたり、社食を摂ったり、一服したりと、学校で例えるなら仲の良いクラスメイトのような存在。そんな彼は今日、妙なことを言った。

「たまに、会社で仕事していて嫌なことがあった時、ふっと平吉さんの顔が思い浮かぶんです」

「きも」

「いや、本当に。それで、少し気持ちが楽になるんです」

「カウンセリングが必要かと」

「いや、それでね、なんか心のよりどころなんです」

「きも」

俺は彼と、互いに一致する認識を確認した。「――俺と同属性なんすよね」と。彼もまた、異論はなかった。深く、同意していた。

具体的には、俺と彼の「社会不適合気質」的な部分の割合が酷似しているのである。そんな稀有な存在に「心のよりどころ」と表現されると、肚からくる嬉しさは確かにあった。

心のよりどころという発言について、「なんで?」と聞くと彼はこう言った。

「同じ所で同じ時期に仕事をしていて、途中で俺の部署が変わって、平吉さんはヒョイっと辞めちゃって、フリーで今仕事をしていて、こうしてたまに会うとヘラヘラしていて、『ああ、大丈夫なんだな』って」

「なんとかなるもんすよ。今んとこすけど。今月まじで仕事少なかったけど」

「それでも、それが、なんか安心するんです」

正直、彼の心の中を言語化するのは難しかった。よくわからないが、「ある種のモデル、あるいは実験台」として俺を捉えた場合、自身の現在の立ち位置から飛び出しても「いける」という安心感に繋がるのだろうか。

俺にとっての「心のよりどころ」とは何だろうと考えさせられた。アルコールだろうか。それは否定できないが、本質的には「人間に対して」という部分が前提であろう。

もし彼に、シャレにならない出来事があったとしたら、俺は長期に渡り立ち直れない精神状態になるであろう。それは、彼と一緒に仕事をしていた時期に、彼が異動となった時、たいへん強い喪失感と寂しさをおぼえたことが物語っている。だから、絶対にシャレにならんことにならないよう念を送っている。俺の念は、どういうわけかめっぽう効くという自負がある。

彼は俺を「心のよりどころ」と表現してくれた。そして、改めて考えると、具体的にどう、というのは今のところわからないが、俺にとっての彼の存在もまた「心のよりどころ」なのではないかと思った。

「共依存」とは異なる、ポジティブな心の相互関係と表すと美しいだろうか。みんながみんなそういった人間関係で構築されていれば、もう漫画の世界のユートピアだなと思う。昨今の時代の激変を鑑みると、そういった時代は遠くなく、その時期まで俺は生きていられるのだろうかとも併せて感じた。

帰り際彼は、部屋の漫画専用棚を見つめ、「平吉さん、このあいだの続きのやつは…」と物色する。そして、『外道の歌』の新しい巻を2つ持ってかれた。

外道から正道へ。正道から外道へ。あるいはもっとオルタナティブな道へ。彼にとって最適な道へ。よくわからんが、彼はきっと、今の道ではない道へ行きたいのではないかと、会話と雰囲気と物腰の中から察知した。

俺はそれを、後押しするわけでもなく、背中を押すわけでもなく、じっくり傾聴するわけでもなく、「手前の道は手前で考えて手前自身で行動すべきだ」という感情はあるが、それを仄めかす言葉もかけなかった。ただただ、終始おちょくっていた。そういう関係性は、俺はとても大事だと思う。

外れた道でグロテスクな風景を嫌という程見た体験を持つ属性の人間、それぞれのこれからの道。思いのほか、拓けると信じてやまない。
_05/30

 

 

 


案件の少なさに戦慄した5月も最終日。振り返るとわりと色んなことをしたなと、面白い1カ月だったなということで手打ちとする。

色々と新しいことに着手したり、新鮮な体験があったりと、まだ半分以上残っているが2021年においてのターニングポイント的な時期なのでは、という感覚を朧げにおぼえる。

今日あたりは原稿をやり制作と、よくある日。しかし深夜になってくるとだんだん河村隆一さんのモノマネに精を出すという謎のルートへ分岐したがそれもご愛嬌。大前提として、俺は河村隆一さんは好きである。

明日より6月。雨量は増え、紫陽花は喜び、カタツムリは覇気が漲る梅雨の時期。世間はというと、緊急事態宣言の第何弾なんだか何度目の延長なのかもはやうろ覚えだが、危機感は緩まないもよう。

俺はというと、今月から始めたことを太らせつつ、いつものルーティンは走らせつつ、頂ける案件は一生懸命と、健やかかつ前向きに過ごそうと思う。アラフォーという、なってみると思いのほか楽しい時期を張り切って邁進。それがよかろうと思う。
_05/31

 

 

 


 

 

 

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