11/2021

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
11月


ハロウィーンが楽しかったのか文句なしの熟睡。洗濯はするわ自炊はするわと、いたって日常的なスタート。

あっという間に11月かと、月初恒例のストック収益の集計および傾向と対策ひとり会議を2時間ほど。安定して伸びてはいるが、もっと勢いが欲しいといういつもの感想と、もっと更新頻度をといういつもの結論。

そういったわけで制作やらに精を出そうかと、まずは別のサイト更新のため、一次資料でも漁る目的で赤羽図書館へ。

選挙期間中は、投票所と同じ施設内ということで図書館は閉館だった。仕方ないとは思っていたが、よくよく考えると投票所と別の階にある図書館が閉まるのと何の因果関係があるのかと首を傾げながら入館。しかし今日も休みであった。

俺の怒りは沸点に達し、警備員の恰好をした係のとっつぁんを問いただした。「今日もお休みですの……?」と。するとフガフガ言いながら「毎週月曜はお休みです」とのことであった。

俺は何年この界隈に住んでいるのだと反省もしたが何故かねばってみた。「ちょっとだけ入っちゃダメですかね?」と。当然、「お休みだよう。あそこにやってる時間書いてある紙が貼ってあるから。ほれ」と、エレベーターの方を指差す。

やっぱダメかと呟きながら紙を見ると図書館の案内ではなかった。「どこです?」と訊くと「ああ、そこじゃないや。図書館の中に貼ってあるから」と言う。「じゃあ中に入っていいですよね?」と再度ねばるも「今日はお休みだよう」と、俺起因のめっぽうバカみたいなやりとりが無限ループしそうになったので、不甲斐ない気分になりそのままちょっとぶらついて帰る。

勢いが欲しかったのだが月初からつまづいたとは判断せず、制作をする。あまり進まない。勢いがねえなと、一応また新しいネタを何トラックかDAWにメモって〆る。

やることやったがどうもキレがないなと、明日あたりは寝室にぶらさがっている特攻服(コスプレ用)を着て宅作業に気合を入れようかと本気で考える。

しかし、仕事部屋は壁一面ほぼ窓で、カーテン全開の昼間は外の通行人から丸見えにつき、見られると相当恥ずかしい。とはいえその一線を超えずにどうすると自問するが、意味はあまりなさそうなので棄却。
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今日はさすがにやっているだろうと図書館へ向かう。赤羽会館という区の施設が徒歩数分で着く位置にあるのは非常に恵まれた環境である。フロントでは、昨日もいた係のとっつぁんがおもむろにスマホを眺めてがっつりサボっていた。

まあ、アクティブな業務ではないかもしれんしな、いざという時が来たら知らんけど、とか呟きながらエレベーターで5階へ。一次資料を漁りに行く。ネットでいくらでも情報が得られる昨今ではあるが、検閲や編集、校正がされていない情報も多々あるので、より正確な情報を得るためには図書館はパラダイス。

目当てのジャンルの、枕くらいあるかなという程ぶっとい本を1冊チョイスしてキープ。あとはなんとなく興味がある書物に手を出して過ごしていた。

「地図」という、場所を確認する目的のみなのにバカみたいにビッグサイズの本をめくってみた。今だったらスマホのアプリで十分すぎるくらい確認できる上にナビゲートまでしてくれる時代である。一体なんのために「地図」という書物があるのか、改めて不思議に思った。

アプリのマップと大きく異なる点をひとつ見つけた。それは、一軒家の場合はその家の主の名前がフルネームで載っていることである。これは個人情報保護法的にアウトなのではとシンプルに思ったが、こういった公共の場にドンと並んでいるわけだからいいのだろうか。

画集や百科事典、医学書など、色々読んだが、インターネットにアクセスすれば、この図書館の情報のほとんどは得られるのではないかとも思ったが、そこはやはり正確性という点で図書館は優れている。

『11ぴきのねこ』のイラストがとても可愛らしい貸し出しカードをズイと差し出し、書物を抱えて帰宅。張り切ってサイト更新をして数時間。夕方、めしを食いに行く。そして、この間発掘した過去デバイスに格納されていた写真のデータをコンビニで現像し、帰りに買ったコルクボードに画鋲で貼る。

おととい、「記念に撮ってはくれんか」と、特攻服姿の手前のチェキ撮影をせがんだところ、足立くんは「あのコルクボードに貼るん?」と、的確に予測してきた。その通りである。現存のコルクボードは写真で埋め尽くされたのでとうとう2つ目を導入した。

特攻チェキに加え、今日現像した写真には様々な人物やらが写っている。こういった記念像を廊下の壁に貼る習慣があるのである。

新たにコルクボードに追加したのは叔父との2ショット。まだ会話が可能だった頃の父親との2ショット。昔飼っていた韓国帰りと聞いているかわいい韓流キジトラネコ。廃車にした原チャリの最期の姿。今年の誕生日にホリさんが撮ってくれたチャラい姿の手前の写真。案件でお会いして「せっかくだから一緒に写真撮ろうよ!」と、言って頂き撮影したノリの良すぎる某DJさんとのDO DANCEな2ショット。などなど。

これらを貼り、たまに眺め、日々、何かを確認するわけである。これが何なのか、どうも言葉に表せない。こういった、人間の感情について記してある書物を何冊か読んだことがあるが、それでもわからない。

周囲の方と手前の写真を慈しむ感情の源流たるや、おそらく人間としてかなり重要なポイントなのではないかということはうっすら感じる。とても美しい情念なのではないかと。あるいは、単なる自己愛の表れ。
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今日もサイト更新に制作と、ストック収益の畑を耕す。1本ギャラなんぼの案件がまたすっかり手元になくなっているのだがこれは大丈夫かとやや不安にもなる。

とはいえ、こういった時期にこのタスクをやれるだけやらないと、また世界情勢が変わった時に畑が干からびる可能性がある。それは本当に避けたいので今日とてせっせと、のちの収益のためのコンテンツを作る。

「おわりました!」

「おつかれさまです! はい今日はこれ!」

「ギャラだ! ウヒョー!」

という日々を繰り返してもいい。しかし、過去の作業が永続的に収益となる源泉があるともっともっといい。

やってなんぼ、やったのがずっとなんぼずつか、という2つの収入をバランスよくというのが、会社員を辞めてからの凌ぎのコンセプトに沿っている。

タスクのバランスと資金の具合と流れと世間の情勢と人付き合い。そして新たな展望。新鮮な情報と普遍的な情報。なによりは健康体。これらに対して常にピンとアンテナを張り巡らせていれば社会的に死ぬ確率は低くなるであろう。

そんなことを考えながら今日も終日作業をする。これは資産だ、と言葉にしながら事典とワードプレスと楽器とDAWを見つめながら過ごす。

今日あたり、着手中の曲のゴールが見えたので嬉しむ。先週あたりは本当に進行が淀み悶絶していたがそれがチャラになるくらいトトトと進む。やり続けることでよき答えが出るであろうというシンプルな真理。それを確かめたい。畑からウケるくらい華やかな花や作物がわんさか生えて止まらない絵を想像しつつ。
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「前世」だの「来世」といった概念。本当にあるのか確かめようがない。俺はうっすら「あるかもね。あったら素敵よね」くらいにしか思っていなかった。

何しろ生まれる前や死んだあとの話である。「ある」と言われても当然エビデンスはない。しかし、俺は今日調べ物をしているうちに「前世療法」というワードを知った。概要はざっくり以下の通りである。

“退行催眠により前世まで記憶をさかのぼり、いくつかの前世で受けた精神的外傷(トラウマ)体験が原因で生じた現在の心理的問題を探り出して治療する方法。”

ふうんと思った。上記は、一次資料を参照・引用したものである。その資料には続いてこのような感じの旨が記してあった。

なんでも、被験者が「紀元1000年頃に生きていたヴァイキングの侵略者」だったとわかった時、催眠中に使っている言葉を発音通りに書き留めさせたというのである。

それは謎の言語であったが、言語学の権威者の手に渡したところ、「それはヴァイキングの言語であり、現代アイスランド語の先駆となった古北欧語であることが確認された」という。

すなわち、催眠中の被験者は、前世で使っていた言葉を言い放ったことになる。「嘘を資料として残すんじゃねえよ」と、思う前に、この資料は図書館にある事典であるが故、その可能性はかなり薄いと判断した。「前世がある」という根拠、証言と捉えていいのではないかと。

俺は興奮した。「前世」はガチであるのではないのかと。必然的に「来世」もあるのではないかと。というか、「ある」と認識することにした。

さっそくネットで「前世」にまつわる検索をしたら「前世占い」というのがいくつかヒットした。片っ端からやってみた。

生年月日やちょっとした個人情報を入力するだけで何がわかるのかとも思ったが、以前、「算命学」による占い(氏名と生年月日がベース)で俺の過去を嘘だろというくらい言い当てられて腰を抜かした体験もあることからわりとワクワクした。俺は、前世で、なにをして過ごしていたのか。

「明治時代の芸術家であり、めちゃめちゃこだわりの作品を死ぬまで創り続けるも生きているうちは評価されなかったアゴがシャープな細身の男性」

という結果が出た。なんともどかしい人生だろうか。しかし、なんかわかる気がする。そして、見た目もたぶん今と近そうな表現であった。

いよいよこれは前世アツいぞと思いながら別のサイトでも占ってみた。

「目的のためには反社会的な行為であっても果敢に挑み、仲間を愛し、仲間からも愛されるリーダー的存在」

という結果も出た。小学生の頃、別になんもしていないのに学級委員長に推薦されたり、会社組織で「雰囲気で」という理由で管理職就任を促されたりしていた事実は前世のなごりだったのかと納得できなくもない。今までフワッと「なんでだろ?」と思っていたことを裏付ける結果でもあった。そして、反社ファッションが大好きなのもこれなのかなと。

ほかにもいくつか試してみた。結果、どれもクセの強い感じのが多かった。そして、どれも「全然ピンとこねえわ」というものはなかった。

俺は姿勢を正した。今世で徳を積んでおこうと。「来世」でも楽しく生きるためにと。今、幸福に感じていることは「前世」のギフト込みなのだろうと。

「自由を愛して様々な土地をまわる放浪人で職は猿回し。プライドが非常に高く、他の芸の道の人間から猿回しという芸をバカにされるのが許せなく、しばしば猿にぼやいていた」

猿にぼやいていたというのはポイントが高い。確かにそういうところがある。しかし、現世では愚痴などではなく、ほっこりした日常会話をネコや植物とする習慣がある。これは前世のカルマが現世で昇華された結果とも言えよう。

前世だ来世だの抜かして俺もいよいよかと思ったが、「ある」と解釈したほうが色々納得できるなという所感。

手前の魂の根源をまとめると、こだわりの創作を生涯続け、果敢なパンク精神を根に人を統べ、人を愛し、自由を愛し、自尊心を大切にし、動物も人と同様に扱う。といったところだろうか。ただのヤバい奴な気がしないでもないが、とりあえず現世がんばろう。
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こめかみに拳銃で実弾2発を打ち込まれて死ぬ、ネコになってやたら高い祠のような場所まで続く階段をひたすら登る、というそれぞれの夢を見る。打たれた痛みもネコ目線の低い視界もおぼえている不思議な夢。

まあどうでもいいやと思い、宅で作業して過ごす。最近、「まあどうでもいいや」と思い、感情や記憶に悪しき影響を残さないスルースキル的なやつが上がってきたような気がする。昔は本当に、腹が立つがどうでもいいことに対し、引きずりがちだった。

昨日は散歩していて2回ほどチャリに轢かれそうになり1秒だけ腹が立ったが、道路交通法上いずれも相手の不手際だったこともあり「どうでもいいや」と思い、3秒で感情の起伏はフラットに。

呑み屋街をパトロールしていた時、タイ料理で有名なお店の前を通ると「馬鹿野郎が!」というかなり轟々しい任侠口調の罵倒と共に店内から対面の壁まで人が吹っ飛ぶという凄まじい光景を目にした。

「オシリ触っちゃダメヨ!」という、その店のママさんの叱り声がこだまし、ああ、漫画くらいえらい勢いで吹っ飛んだこの兄ちゃんの不手際か、と思い3秒だけビビったが、「どうでもいいや」と思い、10分くらいでバイオレンスな恐怖心は収まった。正直、ガチで凄いアクションだったが俺には関係ないから慄く必要もなかろうと。

今日あたりはそういったネガティブな感情を引き起こす出来事もなく平和そのもの。サイト更新や制作、案件を賜ったのでその準備ドキュメント作成、提出と、スムーズに暮らす。とはいえどうも疲労を感じる。最近休日を設けていないので週明けあたり2、3日休もうかと思う。

旅に行きたい欲を冬までに満たしたいのでバッグでも買いに行こうかと計画を練る。このあいだ「近場の島に行きたいのです」と、ヨディーさんとめしを食べながら話していたら「それなら初島がいいですよ」と、勧めてくれたので目的地は決定したのである。

行きたい、行こうかと思う、行く予定を――などと思いつつなかなか行かない現状。このタイミングくらいで行かないと一生ひとり旅を実行しない気がするので現実的かつ前向きに検討する。どうでもよくないことはちゃんと考えて実行するべきである。島に行って、頭をからっぽにして、前世を思い出したい。
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さっそく「旅行カバン」というワードでインターネットを検索し、ペロペロと閲覧する。たったの3,000円ちょいでなんかよさ気なのが買えるではないかと即決。カバンは仕事の時以外は普段持ち歩かないのでこだわりはない。即注文。いよいよ離島への旅計画が現実味を増した。

あとは普段使用している日用品やアイコスの充電器、サプリメント数日分などと、持っていくものを確認する。なぜか、途中から、知らない島に自殺しに行く時はこんな感じなのだろうかという感覚になるがそんなことはない。たのしいたのしい旅の計画である。自決などもったいない。しかも離島でとなると、下手を打って島流しになった流浪人のようで惨め極まりないので御免被る。

宿を検索した。いっぱいあったので、なんなら予約なしの超ノープランで行くのもいいかもしれない。

しかし、完全にアドリブとなると飽きて半日くらいで帰ってきてしまう可能性が高い。ひとつでいいので、目的を設けることにした。

目当ての島の規模は、徒歩で一周して4kmとのことである。余裕でいけるということで、目的は「知らない離島を一周して何を悟るか」というスピリチュアルなコンセプトにした。

もはや初期衝動は忘れてしまった離島に行きたい欲。きっと、そこに行って俺は悟りを開くに違いない。この時期に行ってなにか心境的な気づきを得るに違いない。これまでになかった発見があるかもしれない。そう思い込むとなかなか楽しみになってくる。

手前にとって、11月というシーズンは特別なのである。回顧すると、バイトを辞めたり新たに始めたりするのは11月に数回あった。11月に恋人に振られたこともあった。11月に別の仕事に就いたということもあった。あれだけ依存していたパチ屋通いをきっぱりヤメたのも11月だった。俺にとって11月とは変化の月なのである。

そういったわけで、離島でなにを得るかの奮起が止まらない。行って適当に楽しんで帰宅して「やっぱ赤羽が一番いいな」となりがちだがそれはそれで一興。なんらかの自己革命を期待して離島へ。とはいえ、基本的にはバカンスである。

島を一周して、おいしい魚を食べて笑顔で帰ってくるだけでも価値がある体験だろう。移動の船が怖いのが最たる難関。単に「遠くの未知の土地に行くというだけで不安」というこの脆弱な精神はなんとかならんものだろうか。離島に行ったらなんとかなると思い込もう。人間の「思い込み」は万病をも治すらしいし。
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昨夜、酒の肴に食べた200円くらいの「生ベーコン」のせいで腹をこわしたかもしれん、行きの高崎線の車両内に厠があったから事なきを得たものの、なければケツ経由で爆発していた、ここにはたどり着けんかった、などと怒りの矛先がわからない苦言を呈した昼前の出先。

今日一緒に過ごすみなさんから「それはそれは」と、言われたものの夕方すぎにはすっかり落ち着く。実際、「生ベーコン」が起因か濡れ衣か、それは定かではないが、とりあえずそれだけで済んで安堵。しばらく腹がしくしくした、というだけであった。

「よく電車の中に厠があったね?」というシンプルな疑問が挙がったが、高崎線は赤羽駅から熱海駅まで1本で着くというロングライン。厠なき場合は何人が爆発してしまおう、というJR側の配慮であろう。

なんにせよ、今日はみなさんで一緒にせっせと楽しく過ごしていたとても健やかな良日。

「たぶん、生ベーコンの野郎が!」などという憶測の文句を聞いてくれる人がいるだけでわりと体調が復活するあたり、手前の身体のなんとシンプルなことか。「痛いの飛んでけ」というアレと同じ原理であろう。今日触れ合ったみなさまへの感謝はまこと禁じ得ない。
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腹はすっかり治り、今日あたりもデスクワークや制作と宅で作業をする。合間にブックオフにサボりに行き、立ち読みしまくる。

俺はそんなに占いが好きだったのかと己を疑いつつも、誕生日ごとの運命やらその人の特徴などが記されている太い本を読んだ。

手前の誕生日のページを見ると、おおかた傾向として合っているテイストであった。同じ誕生日の有名人としてはヘミングウェイさんなどが挙げられる。彼は文豪として世界的に名の知れた人物である。晩年はメンヘラをこじらせて散弾銃で自殺というダイナミックな最期。らしい。

そのへんは手前はなぞりたくないなとか思いつつ、「なぜ誕生日だけでその人となりが当たるのか」と思い、覚えている知り合いの誕生日のページもいくつか読んだ。すると、やはり、おおまかに当たっているという所感である。

根拠がわからない。星がどうのとか書いてあったが俺には理解不能であった。理由が全くもってわからないのは実に悔しい。

だから、夜めしのおにぎりをぶらさげながら歩きつつわりとガチで考えた。ふと、足元に花びらが落ちていたのを目視した。そして閃いた。

「来年の春に桜が咲く確率はどれくらいだろう」と考えると、ほぼほぼ100%近いであろう。「その時期に、そうなる」という自然の摂理が起因である。

これに「星がどうの」という点にスライドさせて深く考えた。地球でも木星でも天王星でも、周期やらがあって、規則に従い動いていると聞く。それは、科学で証明というか確かめられたことであろう。

自然や星の動きや流れには規則がある。そうなると、年間の日数がリセットされる365日、366日のうち、どの日に生まれたかで、おおまかな流れがある程度は決まっているという要素は無視できない。そう考えると妙に納得した。

さすがに宇宙規模の法則だとしたら、それは抗えないのかもしれない。とはいえ、それをあらかじめ知っていれば、何事かをする場合に「それは適している」か否かがの判断材料ともなる。俺は、あくまで参考のひとつとしようというところで手打ちとした。とりあえず、目に見える現実的なことを明日も頑張ろうと。
_11/08

 

 

 


なんらかの周期のせいなのかシンプルに不摂生がたたったのか、夕方あたりから一昨日の腹痛がぶりかえす。

比例して覇気も下降してきたがそこまで体調がよくないという程度でもないので、せっせと制作やらをする。着手中の楽曲が完成まであと一歩、というところまで進んで深夜を跨ぐ。

今日あたりは酒欲もさほど湧かないのでおとなしく入浴後即寝しよう。夜にシラフで床に着く時のあの、酔っ払っている時よりもメルヘンな気分がいまだに慣れない。望んでいない休肝日。
_11/09

 

 

 


前の日に酒呑もうが抜こうがあまり変わらんなとか思いつつ起床。しかし、普段よりはるかに早く目が覚めて外はチュンチュン鳴っているほど。やはり、休肝日明けはちと違う。

だがしかし腹痛はさほど治っていない。やはり酒は関係ないじゃないかとか訝しみつつ丸一日DAWに張り付いて制作をする。するとだんだんお腹はよくなってきた。

今日あたりはずっと仕事部屋でなんやかんやとやっていたので酒を呑まなくても落ちるように眠りにつけるであろう。

とりあえず、呑まなかった日の眠りの質のよさを久々に味わったわけだが、あの、いつ眠りに落ちたのかわからない感覚は、やはりいまだに慣れない。昼間はいくらでも即寝られるのに夜はそうではないという体質。生粋の夜行性なのか自律神経がイカれているのか。ほぼほぼ後者。
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もう1カ月くらいは見かけんな、少し離れた場所でこのあいだ見かけたな、このあたりではもう会えないかな、と思いつつスーパーから徒歩で帰宅中、茶色い影を確認する。ネコである。ほぼ毎日見かけては触れ合っていた茶トラが、久しぶりにいつもの位置に佇んでいた。

すっかり冬毛をたくわえフッサフサになったネコを愛でる。「久しぶりですね」と挨拶し、触っても絶対嫌がられない部位をソフトにモフッているのにことごとく噛まれる。

撫でるのをやめてしゃがんで近くにいるだけでも噛んでくる。膝と肘と手首の袖を計3箇所噛まれた。

意思表示として「怒り」ではないのはなんとなくわかる。じゃあなんで噛むのかと問いただすと腹を見せてゴロンと転がる。すなわち、行きすぎではあるが、彼なりのご無沙汰愛情表現とポジティブに捉え、しばらくサワサワする。

また戻ってきてよかった、彼もまた、シマを広げてはいつもの縄張りを確認してと、なかなか忙しい奴だなと感心し、安心して寝る昨夜。

結局酒を呑んで寝たが、今日起きると、あのしつこい腹痛がほぼほぼ治っている。酒が原因ではないことが証明されたのでやれやれと思い机につく。案件をひとつ、制作を進める。やるべきことがあるのはありがたいなとしみじみ思う。冬の入り口のような空気の匂いがする秋終盤。
_11/11

 

 

 


丸一日制作案件に取り組む。ほぼほぼできたのでやったなと思うがヘロヘロになる。

来週、とうとう離島に旅立とうと企てていたが案件をいくつか賜っている。たいへん、ありがたいことである。

手元に案件がなく、手前の制作も滞っていない、という条件が揃ったら離島に飛ぶつもりだったわけだが、どうやら来週あたりはそのタイミングではなさげ。

これはいよいよ、けっこう旅グッズも買い揃えたというのに、まさかの行かずという企画倒れを懸念するもここは妥協しない。俺はしつこさにはけっこう自信がある。どうしても、離島を歩いて悟りを得たいのである。島からの配信もしたいのである。

けっこう頑張れば来週行けなくもない進行である。それにはいくつか条件があるが「離島に行くため」という明確な目的があれば頑張ろうも。

タイやヒラメの舞い踊り。澄んだ水面に清き風。見知らぬ宿に海の幸。旅の疲れと玉手箱。ここぞとばかりにはしゃぐ手前。離島。特に用はないが謎に行きたい未知の域。
_11/12

 

 

 


着手中の制作楽曲ができたので提出する。明後日の案件の準備をする。着々と進むのはやはり島に行きたい謎の欲求が後押ししてくれていることだろうか。

そうでなくともこのペースでやるな、とかつぶやきながら合間に頭皮マッサージを20分はやる。ここ1カ月くらい継続している日々の習慣。

「45日で絶対生える」だかなんだかというサムネのYouTube動画を観て、インストラクター的な人の頭皮マッサージの一連の流れを覚え、「ほんとかよ」とか思いつつも毎日揉む。

するとどうだろう。生え際に産毛が、頭頂部には新たな短い毛が、確かに確認できるのである。そして、最近すぐ白髪が見つかると嘆いていたのが嘘のようである。白髪すら減ってきたというまさかのトッピング効果。

これはプラセボ的な思い込み効果も相成っているのかもしれんが、結果、頭皮がやる気を出せばそれでいいのである。

そういえば数カ月前、金を払って「ドライヘッドスパ」だったか、シンプルに施術者に頭を揉んでもらうというサービスを体験した。その時、俺の頭皮の具合を聞いたところ「硬すぎです」と、即答された。「じゃあ、柔らかくなれば色々とフサフサと?」と聞くと、答えはイエスであった。

すなわち、ただ毎日頭を揉み続けるだけで俺の頭皮は春を取り戻したのである。とはいえ、ちょっと前だったか、同級生に目視でヘア・チェックしてもらった時、「あんたは大丈夫。全然ハゲとらん」と、大小判を押されたのだが、それでも年齢的には予防も視野に入り、やはり気にしてしまうところ。

その懸念は、ただのマッサージで払拭されるという事実。「食わなければ太らない」「筋トレすれば体が締まる」くらい、わりと単純なものだなと、そりゃそうかと腑に落ちる。

今日あたりさらに寒くなってきたので、ネコの冬毛ばりにフッサフサになって温かく今冬を過ごそう。揉んどきゃ大丈夫というまさかの効果。人にもよるだろうが俺には適用されているようである。思い込みと日々のマッサージ、あなどるなかれ。
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友達に「えりあしが長い」と言われ、そうかなと、これくらいないと冬場は寒いんだよねと、「カイジ」はこれくらいあるしいいんじゃないかなと、そのように思い伝えるもやはり「えりあしが長い。田村正和くらいある」とのことなのでじゃあ切ろうかなと、そういったほっこりするやりとりがある現場で1日楽しく過ごす。

なんやかんやと一人作業がほぼほぼ占めた昨週。やはりみなさんと大勢で楽しく過ごすのが健康的だなと、やっと治った腹をさすりながらしみじみ実感。

夜は久しぶりに電話でお話ができた歳上の社長さんが元気そうでなによりと安堵。やることやって日が閉じる。そして今週。明日、明後日で頂けている案件をドドドとやりおおし離島へ旅立てるか否か。

ベストは、3日後の夕方あたりに「やりおおした」と声にし、宿を予約する。そして即、出発する。見知らぬ境地で得られるかという悟り。目的が壮大すぎるが、基本的には離島を徒歩で一周したい、島から配信をしてみたい、という2点である。

のんびりと覚醒のコントラストが映えるかスベるかの一人旅。それまでのステップとして、今日までは順調である。ここは大事に、丁寧に、健やかにいきたいところ。なお、途中で案件を頂けた場合はそちらを優先とする。バカンスには行きたいが案件も絶賛募集中。
_11/14

 

 

 


案件で外苑前へ。無事に進み帰路につく昼イチ。通りがかりの画廊の入り口でネコの絵を眺めていたら店主につかまる。「これ、27万円って書いてあるけど23万円ですから!」と。

立派なギターが買えるほどの金額。俺は買うつもりは毛頭なく、「ずいぶん下がるんですね」と、躱すも、笑顔で当然のように店内に案内され、初めて聞く画家の方の絵や草間彌生さんの話に花を咲かせる。咲かせたつもりはなく、グイグイとくる女性の店主に押されたのである。

「これは73万円!」

「はあ。こっちのネコのやつは?」

「これは……37万円!」

「ほほう。こっちのはタッチがパワフルですな」

「これとこれも同じ人が描いたんです!」

「うんうん。この色の濃淡はなかなか……」

「でしょう!」

「しかしやはり、立派な絵画というのはお高いのですな」

店の前の貼り紙には「初めて入って買う人は100人に1人」と、書いてあった。けっこうな確率であるが、それ通りの計算で単価がそれくらいとなったら色々と成り立つなと納得。店主はまだ俺を逃さない。小一時間は触れ合っていた。

「どのあたりで育ったの?」

「はあ、足立区の鹿浜という辺鄙な地でして」

「私も何もないところで育ってね、それでイマジネーションが湧いてくるの。逆に!」

「逆に。さようですか」

「私はロールシャッハ・テスト(心理学・精神医学的な性格検査)でほとんどの人が見られない線が何本も見えるんですよ!」

「ははあ。それはよっぽどの感性ですな」

「これ名刺! 何かあったら連絡ちょうだい」

「賜ります(なんもないと思うけど)」

「あとここに名前と連絡先を……!」

なぜか名前・メールアドレス・住所・電話番号と、昨今では一見でまず開示しない個人情報を書けと言う。まあよくわからんが気に入られたのだろうかと、とりあえず拒まず全部書いておく。

芸術面においてのインスピレーションやイマジネーションについて、俺は興味を抱いているところではある。それにしてもあんなにグイグイくる方も珍しいなと思いつつ帰宅。原稿やらなんやら、予定していたことを全て済ませる。

夜めしを食いに赤羽の街をうろつく。コロナ禍中に新規開店した果敢な焼肉屋から楽曲「OVER THE TROUBLE」が聴こえてくる。織田裕二さん主演の1994年のドラマ『お金がない!』の主題歌である。今、この曲を街中で聴ける確率はというとそれこそよっぽどのもの。

あのドラマは夢中になって観たなと回顧する。ドラマ『お金がない!』では、命題を象徴するような印象的なシーンがあった。

サクセス・ストーリーの本作において、まだサクセス前の貧乏な織田裕二さんが小銭を拾って大切にしまうシーン。そして、石橋凌さん演じる企業の社長も同じく、ロビーに落ちている小銭を見つけて目を光らせ、スッとしまうのである。

「あれはなんか、よかったな」とか思った1秒後、足元に10円玉が落ちているのを発見した。俺は織田裕二さんの演技の所作の真似をしてしゃがみ、小銭を拾い、フッと息をかけ、ポッケにないないした。

これか、これがイマジネーションやらインスピレーションやらが成せる偶然のシンクロニシティかと、さきほどの画廊の店主を思い浮かべる。

こんど外苑前に行った際にはまた画廊に寄って今日の話をしてみようか。きっと、彼女はそれに付随した、俺の想像の上の上の横あたりの話題を出してくると予想される。

やはり、芸術関係の人は面白い。俺もロールシャッハ・テストを受けてみようか。見えるのが稀有な線が何本も見えたらしめたものである。
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果物に生野菜にパンに鶏肉。まるで中世西洋のような食事をしっかり摂り、パーフェクトと言えよう胃腸の具合を確認する。結局、あの謎のしつこい腹痛はなんだったのであろうか。

ほぼ終日、宅でひたすら文字を打つ案件をやる。途中、定期検診へクリニックへ。血を抜いてもらう。これまた定期の採血である。

「それでね、やはり血を抜くのは大好きなんですけど、他にもそのような奴がいるって仰ってましたよね?」

「そうでしたねえ。ええ。2、3人いますよ」

「少なくないすか」

「そりゃそうでしょうよ。意味がわからないですもの」

「いやだなあ。このあいだ説明したじゃないですか。スッキリするのですよ」

「その、ほかの採血好きの方は『汚い血を抜いて、清らかな血を生み出すのがいいんです』などど仰っていましたねえ」

「うわキモい。それは訳がわからないですな」

「同じじゃないんですか? 平吉さんも」

「一緒にしないで頂きたいですな。もっとこう、崇高でシンプルな理由で……」

「綿こすっちゃダメです。抑えててください」

「だって押すとまだ出るし」

「訳がわからないですね」

そういったわけでケアして頂き、レバニラ定食をたいらげて帰宅。さらに仕事を進める。予定通り進行し、〆る。血を抜いたぶん、西洋の赤ワインでも呑んで補充して寝ようかと思う。

なぜ、あの女医の方はいつも俺の主張を受け入れてくれないのか理解に苦しむ。だが、あの、注射器を刺しながら俺の話を聞いている時の、蔑みと赤子をあやすような慈悲の感情が混じったようなえもいえぬ表情が全てを物語っている気がする。
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相当ガチで掃除をする。どれくらい本気かというと、仕事部屋の窓を全開にし、玄関も開きっぱに、風通しをほぼほぼダイレクトにして掃除機やらハタキやらで執拗に清掃するというほど。

普通に綺麗になったので手元にある原稿をやる。これで予定通りの進行となった。なんならこのまま今日、旅に出かけようかとワクワクしたが、週末納期の案件を頂く。たいへんありがたいことである。今週はまだ、離島へ行くタイミングではなさげ。

「休むのが下手な人」的なアプローチで書かれたりする本や、YouTubeなどで発信しているコンテンツを目にすることがある。仕事をするために休むか、休むために仕事をするか、遊ぶために仕事をするか、などなど、優先順位の問題だろうか。

確かに、「休み」と決めてしまったらその期間は仕事はしないことになる。しかし、「空いているところに仕事を頂いた」という時に、「休みなんすよ。バカンスなんすよ。すいませんね」と断ると、なんだか取りこぼした気持ちになるというのが正直なところ。

年中無休の変化形とも捉えられそうなスタイルではあるが、空く時は本当にけっこう空く。数日宅を離れる旅となると、その空いた時にというのはけっこう難しいのだなと実感した。しかるべきタイミングを見計ろう。
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酒を呑んだ後、宅で〆に袋ラーメンやらを食うのは禁止した。いやしかし食いたい、蕎麦ならいいんじゃないか、いやダメだ、じゃあ半分なら、という葛藤の結晶が起きがけ、台所シンクの鍋やドンブリの洗い物となっていた。そいつを見つめてため息をつき、蕎麦の在庫を確認すると、一食分の半分だけ残ったものが申し訳なさそうに佇んでいる。

「禁止」って難しいなと思いつつ伸びをし、手前が「禁止」に成功した体験を思い出す。いくつかあるが、ガチで効くやつの方法の一つといえば貼り紙である。毎日宅で必ず目につくところ、例えば厠の壁の正面や、鏡の横に「なんちゃら禁止」と直筆で書いた紙を貼るのである。

しかし「〆のラーメン禁止」と書いた紙を貼っておくと、来客があった時に「アホなの?」と言われ、辱めを受ける可能性が極めて高い。しかし、その辱めもまた、効果があるのである。そして、辱めというより、当然のリアクションである。

そんなに悩むほどの頻度でもないし、それでなにかしらの支障をきたしているわけではないので貼り紙貼らず。シンプルに、控えよう。

そういったわけで今日は残りの半分蕎麦を食べて宅で静かめに過ごす。なにぶん、蕎麦自体は体によろしい。寝る前には、食うべからず。くらいにしておこう。
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世の中が大きく変わりはじめる時期、タイミングだったか、まあまあフワッとした意見をスピリチュアル系ユーチューバー方が発信するのを散見する。とりあえず今日明日あたりらしい。

皆既月食がおきる時期と重なっている。俺はその関係性を知らずに、たまたま池袋のジュンク堂の裏側の駐車場で電話をしながら空を眺め、月の様子が明らかにおかしいことに気がついた。生まれて初めてじっくり見る「月食」である。

天体の動きやらと世の中や生命の大きな流れの関係について、明確な根拠はわからないが、なんとなく「そうだな」と実感しつつある昨今。月のトリッキーなビジュアルを見ながら電話で仕事の話をしていた。その内容は、俺の今後の変化についてと重なるものであった。

「なるほど、ほんとうだ」とか思いながら月を眺める。大きな流れの変化であれば俺も変化をと、そのように考えながら帰宅。数年ぶりにSNSのプロフィール文を少々、変更した。

すると、「Twitter Prp」という表示をアカウントのメニュー欄で確認した。そういえばちょっと気になっていたこの「Twitter Prp」。しかし概要が俺にとっては不透明だったのでネットで調べるもいまいちピンとこない。

手拍子で「よっしゃプロか! やってみよう!」という気にもなったが、ややブレーキがかかったのでしばらく様子をみることにする。

新たなサービスだし、どうせならやるのもいいかもしれない。しかし、些細なことか大きなことかもわからないのでやはり保留。メリットが明確になったら「Twitter Prp」にしてみようと思う。

なんにせよ、変化して、適応して、健やかに楽しく暮らそうと抽象的に思っている時に、具体的なビジュアルやら出来事がドンと出るあたり、大きな何者かが俺にメッセージをよこしているような気がしてならない。これはスピリチュアルというより単なる直感である。それは大切にしているので、流動的かつ芯を持って、張り切っていこうと思う。

あと、電話中に駐車場で拾って届けた「iPhone」が、届けた交番経由で持ち主にちゃんと戻りますように。落とした方が「無くしたということは替え時か。私も変化を――」とか考えずに、それはまだ全然使えそうなので元に戻りますように。
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疲労が溜まっているのを自覚したので半分のんびり過ごす。もう半分は制作をする。わりと、どんな時でもギターを弾き出してなんやかんやとやっていると覇気が湧く。

夜めしはどうしようとコンビニに煙草を買いに行ったら「フルーツサンド」が目につく。年に1回食うか食わないかというチョイスだが、見てすぐに「食いたい」と思ったので、素直に体の反応に従い購入。めちゃめちゃおいしい。

甘いものを欲する時は、ということもあり、今日あたりは早めに〆て控えめに酒を呑んで寝よう。昨夜、ものすごく壮大かつ、明らかになんらかの変化を象徴しているようなクッキリした夢を見た。やはりそういう時期なのだろうか。

たまに見るあまりにもビビッドな夢。それを視覚化してくれるアプリなどの登場はまだであろうか。これに関しては俺は5万くらいまでは出す。
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ぴょんと起きて銀座へ。イベントのお手伝いでみなさまと1日たのしく過ごす。

昨日半日はのんびりてれてれと過ごしていたので体調は良好そのもの。てきぱきと暮らす。そして夜帰宅し、もう時間もアレだしなと思い、DAWは開かず、ミスチルの楽曲のアナライズなどをしていた。

Mr.Childrenの「抱きしめたい」という初期の名曲がある。高校生の時にブレザーを来て歌広場でカラオケで歌ったり、すっかり大人になって興行でカバーの演奏もさせて頂いたこともありと、手前にとってはかなり馴染み深い楽曲である。

しかし、この楽曲において今日初めて気がついたことがある。「これってみんな知ってるのかな?」というほど、音楽的にはなかなかマニアックな部分である。しかし、音楽的にものすごく基礎的な部分でもあるというある種のマジック。

ちょっとした発見だったので若干興奮し、インターネットで関連ワードをどれだけ打つも、俺が確信するその概要についての情報は一つも見当たらなかった。ということは、ほとんど知られていない可能性が高い。じゃあ、今度配信なりで発信して共有しようとか思いつつ、いろんな楽曲を分析する。

音の気持ち良い聴こえかた、大勢のリスナーに受け入れられる要素というのは、リリースから20年近く経って初めて気づくポイントにも隠されているものなのだなと再認識する。

もし、そのちょっとした要素がなければ「抱きしめたい」という楽曲の印象はまた異なるものなのかなと考えると、相当奥深いなとリスペクトの念が湧く。ミスチルはやはり凄いのだなと。
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昨夜からの雨は夕方過ぎまで続く。肌寒く静かな1日。制作をする。なんとなく、何曲か並行して作ろうと思い、着手中のもの以外のネタを出す。

すげえカッコいいフレーズが出来た、これを育てればすぐ完成に向かう、そのように判断してカレーうどんを食べてちょっと休む。そして再びそれを聴くと酷くダサく感じる。たまにある一番がっかりするパターン。しかし、そのまま進めても妥協の産物となるのは明白なのでなかったことにする。

再度、新たなネタを作ってDAWにメモって深夜を迎える。明日聴いて「これはいける」と認識できることを願うばかり。そのように、一人で黙々と過ごしていた冬の入り口。
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昨日と同じような時間軸でずっと制作をする。昨日のネタの確認の前に、まずコーヒーを飲みながらアコースティックギターの弦を張り替えた。するとなんだかいつもよりフレッシュな音な気がした。

これは意欲が湧くと言わんばかりにそのまま新たな曲を作ろうと思い、アコギを鳴らす。ムクムクと明瞭にイメージが出てきたのでそれを五線紙に起こし、録音し、形にしていく。

めきめきと進み、これはもう数日あればできるという所感を得てしっくりくる気分になる。よいサウンドがマイクで拾えたのはいいが、欲を言うともう1つアコースティックギターがあるといいなと思う。

まともにメンテナンスしているアコギは手元に1本しかない。もう1本は寝室でずっと寝ている。それらとは別にもう1本、一生物になるであろう、欲しいアコギがあるのだが、それはなかなか高い。ずっと狙っている「Guild D-55」というモデルの名器は40〜50万円くらいである。

一度、試奏したことがあるので、音が確かなのは確認済みである。車でたとえるとフェラーリばりの馬力を備えている。しかし高額。

頑張ってたくさん楽曲を作って稼いで買えばいいではないかと思いつつ、進められるところまで進めていたら深夜になったのでDAWを閉じる。

このあいだふと、村上氏と話していて「今欲しいものって何?」と問われ、俺は「アコースティックギター」「ジャズベース」「とりあえず現金500万円」と答えた。

最強クラスのアコギと狙っているジャズベースが手元にあれば、あきらかに制作のクオリティは上がる。何かを買う、欲しい、迷っているが――という時に、たまに「明日死ぬかもしれないんだぜ?」と、言われる。

ああ死ぬと、朦朧とした意識の中で、「ギルドのアコギ買っとけばよかった」と、思うのだろうか。

「結婚とかしとけばよかった」「もっと恋愛をしておけばよかった」「ネコを飼えばよかった」とか、そのあたりのことも思うのだろうか。ふと、死ぬ間際に何を思うかと考えたところ、スッと挙がったのはこの3つであった。やはり、健全な家庭を築いてみんなと幸せに過ごすという欲が確かにあるのであろうか。

アコギ、ジャズベ、500万円、家族、彼女、ネコ。どのようにして優先順位をつければいいのかもはやわからなくなってくる。とりあえず日々頑張って、いつでもアプローチできるという状態をしっかり作ることが大切かなと、とりあえず結論付け、明日からもコツコツ頑張ろうと思った勤労感謝の日。
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昨日着手した曲は、ナチュラルで誰もが心地よく感じるメロディを、というコンセプトとするも「シンプルでキャッチー」というメロディを考えることの難しさを再認識して悶絶する。

それこそ、キャッチーで既出でないメロディをバンバン作ることができたら世話ないなと、そりゃそうだなと声を漏らしながら鍵盤と五線紙とえんぴつとDAWにしがみつく。

ようやく、確定した音符とコードがほぼほぼ書き記せ、録音してプレイバックして「いい」と判断できたので落ち着く。楽譜に記す必要はないのだが、これはある種の自己満足というか、アナログな作曲方法もする最後のほうの世代になるのかもしれんなという想い起因の記録でもある。

AIなどが自動で作曲、トラック作成、ミックス、マスタリングまでやってくれて音源が生成されるのが当たり前になる時代は、来て欲しくはないがそう遠い未来ではないのかもしれない。

その未来が来てしまった時、俺はショボショボの爺さんになっているだろうか。生きる気力もほぼほぼなくなってきたその時、音源を聴きながら大量の楽譜を見返し、「ああ、俺が作ったんだな」と実感して元気を取り戻すのも一興かもしれない。

それだけでも書く価値があるのかもしれないなと思いつつ、右手の手のひらの横の部分を鉛筆で汚しながら、工数のひとつとして今日も楽譜を書く。とはいえ全パートを記した総譜ではなく、基本的にはメロディ音符とコードと調号と構成を、誰が見ても再現できるように記したものだが。楽譜に関してはわりとシンプルでキャッチー。
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15年は使用しているシンセサイザーのドライバだかなんだかの付属CD。音源データやらが入っているやつである。それを家中探すもなかなか出てこない。

家宅捜索の如く各部屋をかきまわし、1時間ほど探していたらいろんな懐かしい物が出てくる。

20代の頃にやっていた各バンドのライブの映像DVD-Rが出てきた。これは観たいような観たくないような、封印していたものを開くような気分だった。特に、「新宿ロフト」と書かれた2008年のやつはあともうちょいで閲覧するところだったが寸止め。当時、落書きだらけの楽屋でおもむろに実名を縦書きで記したのはまだ残っているだろうか。

推定3歳の頃の家族写真が出てくる。えもいえぬ心境になると同時に、当時アラフォーの父親の顔面が今の俺と相当似ていてDNAおそるべしと、そう呟きつつこれは貴重なので廊下に貼っておくことにする。

30歳前後の頃の手帳がわんさか出てきた。その中で、少し大きめなノートがあったので開くと絵日記であった。“黒歴史”の三文字以外思いつかないようなサイコな文体の日記と、やけに独特なタッチの絵。暗い。暗すぎる。最近はわりとオープンに、包み隠さずというスタンスで過ごしているが、これだけは誰にも絶対に見られたくはないなと、燃やしてしまおうかなと思ったが記録なので再度封印。

他にも色々と懐かしアイテムが雑多に出てきたが目的のCDは結局発掘されず。あきらめて制作をする。長時間やって、そのぶんわりと進む。

やれやれと一息ついて思った。俺が死んだら所有物をどうこうと指揮を執る者がいない。されど、黒日記やらはどうなるかというと、誰かの目につく可能性が出てくる。

「断捨離」の3文字が即座に思い浮かんだが、やはりアナログな記録物を物理的に消去するのは躊躇する。とはいえ、小中高校の卒業アルバム等、肝心なものは一切出てこなかった。どこかのタイミングで断捨離したのだろうか、覚えていない。断つべき基準がまこと謎。
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ここ数日、酒を若干、若干ではあるが、意識的に少なめに摂っているのが功を成しているのか、なにかと捗る。

今日あたりも1日中制作をしていたのだが、週明けに作り始めた3分くらいの尺の曲がもう仕上がる一歩手前、という段階まで進む。

すると酒を一切呑まない暮らしの場合は、もっと捗るのだろうか。作家の町田康さんの断酒にまつわる書籍があるらしく、それを紹介するSNSの投稿だか何かに「酒を呑まないと生産性が上がる」的なことが書かれていた。確か、ご本人の発信だったような気がする。

確かに、アルコールの解毒に割くリソースをほかの部分にあてれば、シンプルに生産性は上がる。しかし、いっさい酒を呑まないとなると、ちと寂しい。

呑まなければ「こっちのほうがいいな」となるのはわかってはいる。突発的に数日間の断酒を連ねたことが何度かあったが、そのたびに心身共に明らかな清らかさを感じるのである。

じゃあ断捨離というかまず酒から断てばよいのでは、というのが自然な流れである。しかし、なんとなく、ふとしたタイミングから、一切呑まなくなる日が来る気がしてならない。親の仇の如く執着して没頭していた博奕を一切打たなくなってしまったように。

その日が来るまで、今のうち、楽しめるうちはそれなりに、適量ちょいくらい、やはり酒を嗜もうと思う。やはり酒呑みは、それっぽいような外連味全開のような、そうだよねと納得してしまうような言い訳に秀でている気がしてならない。適度な距離感を保てば一生の友。酒。
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