04/2023

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
ウシ子、爆誕。4月


月の初めはウェブサイトやプラットフォームにおいての収益の集計を行なう。要はネット経由でいくら金が入ってくるかである。

「このくらいかな」という数値を確認し、さらなる収益上昇策を考える。YouTubeを使いたいと思った。アカウントはある。現在、公開動画は1本。

内容は、収益化とかそういったことは全く鑑みていないコンテンツ。赤羽に引っ越してきたくらいの年に撮影した赤羽台団地の散歩風景である。

なんかのついでに試しにアップロードしてみたという動機であり、ただの自己満足である。それもあり、その動画のニーズは恐ろしくニッチかと思われる。

それはそれでおいておいて、何かちゃんとした導線となるもの、収益につながるもの、営業効果のあるコンテンツはないかと色々調査する。草案をテキストに溜めておく。収益化には戦略が必要なので、明日以降も様々な角度から情報を集めることにする。

とりあえず戦略もなければ目的も不明瞭な動画の再生数など、なかなか悲惨なことになるということはわかった。

現在公開している俺のYouTube動画の再生回数は、1カ月で31回再生。いいねがひとつ(自分で押した)。個人的には貴重な動画だが、編集もせずにただ趣味で上げただけの場合は、世間的にはそんなもんである。他の人がそうかと言ったらその限りではないと思うが。

そういったわけで、ニーズのあるコンテンツ制作につとめようと心がける新年度第一日。
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日常においてのあらゆる決断が多くてクタクタ、ということは往々にしてあるという。

人間が1日に「決断」する回数は、ケンブリッジ大学の研究によると約35,000回らしい。シンプルに多すぎる。

おもむろな決断はわかりやすいから記憶にも残る。たとえば、「何食べようかな?」とかである。「牛丼、いやカツが食いたい。しかし時間的に――やっぱ蕎麦にするか。こないだも食ったけどいいか。よし」というように、イメージしたりして割と脳を使っているという。

それが35,000回となると未曾有レベルに思える。回数の多さから当然、無意識下での決断(判断)も含まれるだろうか。

そうなってくると、脳の使用容量を無駄に使わぬよう、決まった動作なりフォームなりを固めるというのも有効らしい。なぜなら、いちいち決断しなくて済むからである。

有名なのは、iPhoneを作った有名人のスティーブ・ジョブズさんの服装。ジーンズに黒のタートルネックのファッション一点縛りにし、服装について考える脳のリソースを仕事にあてたとかいうエピソードがある。

それは極端であるが、確かになとも思う。そこで、無駄に考え過ぎて疲れがちな手前はちょっと真似をすることにした。服装などではなく、行動である。

具体的には、決まった場所に行く時には、必ず同じルートで進むこと。それだけでも35,000回分の100くらいは決断回数が稼げそうである。

道を選択する回数に加え、見る景色なども同じになるので、思考もまとまりがちという側面もある。だから、100回くらいと試算した。

実際やってみている。同じ場所へ行く際の行く道と帰り道、統一して行動する。すると、確かに何かを決める回数が減っていることを感じる。

スリムになっているからこそ、夜の街の黒服さんの呼びかけをかわす必殺フレーズもスラスラ出てくる。「ノーチャンスです」「帰宅して仕事です」「今度声かけてください」「おっぱいどころではないのです」などと。

これはいいなと思った反面、寄り道や思いつきの行動などが起因の偶発的な思考が減る。

決断回数が減れば疲れなくていいじゃないかと思ったが、なんかいつもと違う発想やら驚きやらも減るのではと、気が付いた。一長一短な面もあるのではないかと。

そうなってくると最善策は何かと考えた。結果、「決断までのスピードを速く」というのが有効なのではとピンときた。そう、俺は決断の回数が変に多い上にスピードも遅いため、妙に頭が疲れがちなのだと。

結論が出てよかったと思ったが、ここまで、この数分で、たぶん200回以上は決断をしているだろう。

とはいえ、その決断の繰り返しこそが人を成長させる要素であるということで手打ち。人生42年が経つが、俺は、成長できているのだろうか。
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定期検診へ行く。ロビーはめちゃめちゃ混んでいた。季節の影響もあるのかメンタルクリニックが大繁盛。なんだか恐ろしいなと各人を一瞥し、目を閉じスヤスヤ寝て番を待つ。

主治医の様子がいつもと違った。なんだかやけに言葉数が少ない。俺の話の受け答えに、遅めのラグがある。よもや医者の不養生というやつかと心配する。

誰しもつらいことがあるのだなと俯瞰する。帰宅して少し寝る。最近明らかに疲れていて頭痛がしつこいのできちんと休む。起きると少々改善していたので制作をする。

一聴して微睡むチルアウトというコンセプトの曲を進める。音楽は薬に似ている。回復するテイストもあれば、リラクゼーション効果を含むものもある。

そういったものをたくさん作って様々なニーズに応えられたらなと、せっせと作る。副作用ゼロの薬。決して廃れない文化。改めて音楽はいいなと、シンプルに感じる。
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――ウシ子はどこにでもいる普通の女子高生。校内の掲示板を見て、憧れのリョウジと一緒のクラスになったと知った今春、狂喜乱舞していた。

すっかり過疎化したミクソーというSNSの日記にその想いの限りを非公開で書きなぐっては、その著しく湾曲した性癖を夜な夜な爆発させていた。

「これから毎日、リョウジ君の全行動を盗撮して、ダークウェブのAIに全部取り込んで、私だけのリョウジ君を創造するの――」などと。

「おおう! 補習サボろうぜ! ウシ子〜!」と、エクレアを咥えながら天真爛漫に懐いてくる桜子。彼女はウシ子の幼馴染である。

しかし桜子はウシ子と10年来の付き合いでいながらも、ウシ子の部屋の学習机の引き出しにカラスの生首が1ダースきちっと並べて陳列されているという異常性をいまだ知らない。

そんなウシ子の性癖とサイコパシーを見抜いているのがクラスメイトのアキラである。彼の童顔のポップさ所以か、アキラは誰にでも好かれるお得な存在。

クラスの女子たちが立ち上げたアキラファン専用のYouTubeアカウントがあり、アキラがきまぐれに行なう生配信は日々切り抜かれまくれ、そのアカウントの全コンテンツの9割を占めている。

しかし、アキラはファンにはさほど固執していない。むしろ、ウシ子のパーソナリティに取り憑かれていた。「僕が治さないと、ウシ子ちゃんはダメになってしまう……!」という謎の責任感が彼のモチベーションの全てであった。

リョウジはいわゆる文武両道。当然のようなイケメンっぷりで先生受けもよい。しかしそれは生後3年間の虐待経験を起因とした、「いい子でいなければいけない」という病的な思い込みによるペルソナ(外的側面)なのである。

本来の自分の性格とかけはなれた振る舞いをする学校生活は当然、リョウジにとっては負担以外のなにものでもない。生々しい自傷癖の刃物の痕で、彼の背中は地図みたいになっているのである。

そう、ウシ子とリョウジは、心の奥底のドロドロした部分で繋がりかけているのであった。

新学期早々、事件は起きた。ルーティーンと化したウシ子の盗撮がリョウジにバレかけ、それは、どこにでもいる普通の女子高生(と装っていた)ウシ子の今後に、大いなる影響を及ぼす引き金となる――

さっきAIで作ってTwitterに投稿した4人のキャラクターが繰り広げる漫画のストーリー草案のはしがきは、上記の通りである。キャラクターはAI作成だが、この草案は俺の創作である。

このテキストとキャラクターたちのデータを食わせて、10話ぶんくらいの漫画が数分で仕上がるという日は、そう遠くないのかもしれない。
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仕事をして夜、エロい仲間たちと合流。肉と酒。輝かしき時間。よって、ベロベロに酔いどれ0時はとうに過ぎている。

「一人でリラックスする時」と「仲間とリラックスしている時間」は、性質が異なる。前者は、ある種の個人的リマインド。後者は、新たな展望をも促す。

難しげなことを、さも深みがあるように述べるも、要はメリハリが大切だということ。

雑な酒呑みの社会不適合者にメリハリもあったものではないが、楽しむポイントをちゃんと射止めることが重要だと言いたい。しかしその心はと問われると、ふわりふわりと右から左へ3拍子で流れていく。

この、とりとめの無さこそ、アルコール血中濃度が臨界点に達した末の雑文となる。かっこつけない日記。キャッチコピー風味でありつつも、全然かっこよく無い。

かっこつけたいが、かっこつけ切れない。しかし、自己顕示欲は強めというこじらせた手前の内面。

そんな話を、今日は好きな仲間たちとすり合わせた幸せな1日。好きな人たちと過ごせるという、まごうことなき幸せのかたち。
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昨日のほぼレバ刺しは美味しかったなと回顧しつつ起床。頭がちょっと痛く、疲れ気味なので散歩からスタートする1日。

池袋へ行く。ヤマダ電機にて、最近欲しいと思っている小型のワイヤレススピーカーを適当に物色する。

ピンとくるのがねえなと、街をぶらぶらする。「500円でお笑いライブ」という訴求内容の広告に勤しむ男を見かけた。

目が合ったので「どこですか?」と聞き、行ってみることにする。お笑いライブは体験したことがなかった。何事も経験、人生は取材であるという理念のもとに着いて行き、謎の雑居ビル内にある会場へ到着。

客は20人程度。女子多め。内容は、わりと面白かった。一癖も二癖もある、言い換えるとユニークな物腰の芸人たちのパフォーマンス。ううむ、表現しているなと感銘を受ける。

気が済んだので帰って制作をしたりラーメン食ったりする。音で表現しよう、文字で表現しよう、あとなんだ、色々あるだろうと、せっせと生きる。大なり小なり、何らかの発信で膨張する現代で。

それにしてもあの価格設定で芸人たちのギャラは大丈夫なのかという心配も残りつつ。
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トトトと制作を進め、またひとつ完成に近づいたので一息つき、手前が作る創作物の著作権についてめちゃめちゃ調べる。グーグルで検索しまくり、ChatGPTにも聞いてみる。プラットフォームの運営にもメールして聞いてみる。

結論、当たり前だが著作者の権利を侵害しないのが大前提。要はそれだけなのだが、プラットフォームごとの利用規約を守る必要がある。ユーザーの不利益も鑑みなければならないという。コンテンツ同士を組み合わせる場合、ややこしくなる。

歌ってみた動画など、そういった類はそれにあたるだろうか。そして、フリー素材も意外と気をつける点が多い。そのコンテンツをメインとした使い方をしたらアウト、という感じである。

さらに、俺が著作者である各楽曲についても、YouTubeなどで、楽曲をメインとしたコンテンツとして公開していいものかとなってくる。当サイトでも公開し、別のプラットフォームでも公開し、コンテンツIDも付いている。

そこに、広告収益という概念が付随してくるとさらに複雑になる。自分で作った創作物なのに、公開場所にあたって何故こんなに気をつけなければならないのかと首が斜めに傾く。

なんにせよ、制作楽曲自体はオリジナルコンテンツなのでそれを引き続き、バンバン作っていくのがとりあえずベストという考えに至る。故に、どんどんコンテンツをコツコツ積み上げるのを優先させようと、当初の意気込みに帰属する。それはそうだろうと。

去年の今日、親父が死んだ。彼は、俺が20代くらいの時、俺が作った曲が録音されたMDやCD-Rなどを車内でよくヘビロテで聴いていたようだった。その時は恥ずかしいという気持ちしかなかった。

しかし振り返ると、親父は、息子の作るコンテンツを愛でては嬉しんでいてくれたのかなと今になってふと思う。
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出勤して稼ぐ。帰宅して動画や音楽プラットフォームにおいてのラウドネスノーマライゼーション(音量の自動調整)について調べまくる。

手前はCD世代なので、音源ごとに音量や音圧が異なることが当然の認識だった。スッカスカの音感のものからムッチリパツパツの音量のものまで、多種多様。

特にエレクトロミュージックにおいてそれは顕著である。Loneというアーティストの『Reality Testing』のように、ダイナミズムを重視するためかと思われるが、2014年という時代の作品にしては音量が小さかったりすることもある。前提として、当該盤は超名作である。

一方で、基本的に音圧パッツパツが標準だった2000年代。どのジャンルの音源も音でかめであった。特に、Junkie XLの『Booming Back at You』というアルバムあたりは卒倒するくらいの爆音である。

現代では、サブスクやYouTubeなどでアーティストのオフィシャルチャンネルの音楽を聴くと、音が均一化されている。要は、ラウドネスノーマライゼーションによって、でかすぎる音の音源は、音量が下げられるのである。

Spotifyなどでは、手動で設定し、本来のアーティストサイドが設定した音量でリスニングすることができる。デフォルトのままだと、均一化される。俺は、手動で本来の音量で聴いている。そのほうがアーティストの意図が汲めるからである。

相当細かい点かもしれないが、YouTubeで音楽を聴いて「あれ? ちょっとちいさくね?」と思うことがあったら上記が一因であることを記しておく。

要は、俺の曲単体の動画の音が本来よりも小さいことにモヤッとしただけの話である。そこはマスタリングを工夫して時代と足並みをそろえたほうがいいのかと姿勢を整え、ミックスなどもして過ごしていた1日。
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今日も無理ない範囲で張り切っていたところ、なんだか忙しくなってきそうだなというお報せがトントンと。

案件があっていいじゃないかと率直に思う。一方で、大丈夫かなあという弱気も滲むのが正直なところ。楽をしていればそのぶんそれは楽だが、頑張って活動をすればそのぶん楽しさが生じる。

“楽しいと楽は違うよ 楽しいと楽は対極だよ”という言葉は甲本ヒロトさんのものだったろうか。確かになと思う。

そして続いて、“――ただ、生活は楽な方が絶対いいと思うよ でも人生は楽しい方がいいじゃん”とのこと。ほんとこれだよなとしみじみ思う、なんだか体調の良い温かい春の1日。
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出勤して稼ぎ、帰宅して情報収拾をする。なにを調べていたかというと、自分にいま必要であると思われるあらゆる要素である。

具体的には、三崎優太さんのYouTubeチャンネルで展開されていたガチの経営論の理解に努めたり、著作権について、コンテンツの権利など、深い部分まで調べたりである。

わりとややこしい感じではあるが地味といえば地味な日。人生にコンサルタントがいたとしたら――などとも考える。

しかし、結局自分がどう行動し、どう調べて、どう感じるか、どういった数字になるかは手前次第だなとつくづく思う。「私は、こうして生きていく」と、確固たる理念がある人は全体の何パーセントなのかなとも。

俺はというとと考えると天井を見つめてゆっくりと息が漏れた。行動して、考えて、反応を見て、改善してと、ビジネス的な思考みたいなやつは生き方にも適応されるのであろうか。
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主に楽曲制作をする。1曲仕上がる。基本的にユーザーがダウンロードをして、クリエーター自身のコンテンツへも利用できる音源につき、何パターンかスプリットさせる。

よくやる手なのだが、そのほうが用途によって使いやすいのではないかというユーザーへの気遣い所以と言ったらおこがましいだろうか。

たとえば、3分くらいの曲を作る。そして、その曲をループして使えるようにエディットする。さらに、キリのいいタイム数のショートバージョンを作ったりする。15秒とか30秒など、ウェブ広告などでピタリとおさまる尺にしたりもする。

それらはよくやる手口で、実際にフルバージョンではなく別バージョンをお使い頂いた事例も散見する。

今日あたりは、完成したのがチルアウトの曲なので、ビートを抜いたアンビエントバージョンも作ったりする。ループバージョンも作る。

1曲出来たら3つのコンテンツに膨らませる。作り手としてもたいへんお得な手法。ユーザーにご使用頂く楽曲を作るクリエーターなら、わりとやっている手段だとは思うが、その発想はなかったという方がもしいたらということで記しておく。

とはいえ、昨今の人工知能系ツールの急激な進化を鑑みると、楽曲制作の仕事もAIに奪われてしまうのだろうかと怯える側面もある。

だからこそ、人間にしか感じ取れない、作れはしないだろうと思うグルーヴや音の揺らぎを発生させて音源に収めることに尽力する。

聴いただけでは伝わらないかもしれないので、こういったところにひっそりと記しておく。

きっとそのうち、自分でもAI機能を使用して制作する日が来る可能性がある。そんな時、2014年あたありから数年は、執拗に人間味の音にこだわっていたなと振り返っては誇りたい。どんな作り手も、どこかの部分に自分なりの矜持を含んだ意味を見出し、全力でこだわっている。そこだけは、AIにはできないのではないかなとも思う。
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出稼ぎに行き少々の牛丼を食んでは夜帰宅。ふと観たYouTubeチャンネルで、現在ビットコインがなかなか高くなっていることを知る。

ほぼほぼ底値のタイミングで去年全部売っちまった、おのれと、手前の投資センスの無さに憤慨しつつも、それは俺の本流ではないと制作のほうをする。

新たな曲を作りつつも、過去に作成した曲の別バージョンも生成して公開する。これをコンテンツのスプリットと個人的に呼んでいる。

著作者が手前であるといいうオリジナルコンテンツがある前提で、リミックスにも似たアプローチで1つのコンテンツを太らせる。収益化の機会を増やす。

起きがけ、ドロドロの鬱っ気に見舞われながら頭を馳せめぐる思考があった。それは、これから50代、60代、70代――となっていき、収入はどうなるのかと。

そこはやはり、ギャランティの収益、ストック収益、給与所得と、大きく分けて今3つある源泉のうち、ストック収益の種をちゃくちゃくと、コンスタントに作り続けることが大切だということで希望を見出す。老後も余裕だぜと言い切りたいなと。

ほかにもこれから着手する新たなことも出す気持ちがある中で、コンテンツ制作はやはり重要。あとは、いかにしてもっと多くの人の目に、耳につく機会をつくることに力を注ぎたい。シンプルに、マーケティングである。

もっと金がほしい、影響力がほしい、人に認められたい、という、ほぼほぼ煩悩であるこれらは、わりと手前にとって生きる活力となるのだなと改めて思う。

そう記すと、ただの俗物なのかなとも思うが、案外正直なところけっこうそういうところもある自覚。

しかしそれは、人のためになることをすれば後からついてくるということを忘れなければ大丈夫かなとも思う自己擁護。とはいえ、人に喜んでもらえれば正義なのかなというのは大幅には間違ってはいない気がする。
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AIツールでイラストをいっぱい作ってみる。ただ、これを加工したりしてコンテンツとして使用していいのかどうかという著作権が謎。わりと調べても謎。

巷ではChatGPTの使用を制限するようなニュースを散見する。たとえば、学生が論文を書く際は使用してはならん、などといった感じのやつである。

なんでも、著作物にあたる記事をそのまま引用した文章が吐き出される場合もあったりするとかしないとか、なるほどといった要因がみられた。

たぶんだが、今はセーフなAIの使い方が今後次々とアウトとなる整備が進んでいくのではないかと思った。AIでバンバンイラストを吐き出させてはそう思った。どうやら、いまのところ問題はないようであるが。

グーグルで調べると、“AIが作成したイラストは基本的に著作権が存在しない”という情報もあれば、“――著作権も発生しないと考えられる”という情報もある。要は、完全にどうかというのはわからずじまい。

じゃあ手前で描けというのが無難なのだが、俺の絵描きのスキルは素人レベル。そしたらプロに金出して頼めという話になる。ということは、わりとAIに仕事がたくさん奪われる問題は現状、まだかなといった雑感。

要は、どこからがオリジナルなのかということを改めて考えていた。そして、今後は強い個性のオリジナルが、今以上に強みを持つ時代になってくるのかなとも。
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昨年いっぱいで頓挫した、高齢者に焦点を絞った便利屋という事業のお客さんの依頼を受ける。もうプロモーションという意味での営業はしていないが、少しではあるが、常連さんが残っているのである。

「今年からは即日対応が難しくなったのです」という旨を受け入れて頂いた上で、定期的に赴く。

基本的に閉めた業務なので、連絡先は今度から俺の個人用ケータイに電話してくださいと相談する。お客さんたちは、「前もって連絡するから、それでも来てくれると助かる」と言ってくれる。

金にはなるし、需要があるなら常連さんの対応だけは、要望がなくなるまで続けることにする。中途半端なのかもしれないが、完全終了とはしなかった。

営業はゼロで、コストもゼロで実務のみの粗利100%。ノリ的には、知り合った高齢者のお手伝いをして報酬を得る、といったかたちに変えた。

というわけで今日、業務端末を解約した。月々の業務ケータイ代もコストとなるからである。なんだか少しさみしいような気もしたが、ダメだったことはサッと引き、縁は残しておく。という風に表現したら綺麗なのだろうか。

なにしろ、腰の曲がったおばあちゃんなどから、「大助かりだよ」と何度も言われて報酬を得るのはもの凄い快感を伴うのである。

その業務で月に数十万円のラインに行けていればなと、失敗の悔しさはあれど、縁が残ることは嬉しく感じる。

ビジネスの締め方として甘過ぎるのは承知だが、そういうタスクを残しておくのはいいと思っている。面と向かって感謝の言葉と現金をもらうのは、麻薬級の気持ち良さなのかもしれない。
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日本に生まれた時点で相当ラッキーだなと、他国を旅するYouTubeチャンネルを観てはそう思う。なんだか、ぐだぐだ抜かしてないで頑張ろうとシンプルに鼓舞される。

前提として、他の国が酷いというわけではなく、日本はいろいろあるけど豊かな国だし、努力すれば報われる余地大いにありと改めて認識したという話である。

そういったわけで、出稼ぎに行き、帰宅して制作をする。制作スピードを意識し、質は落とさず、ユーザーの需要を鑑みて、せっせと作る。俺なりの努力のひとつである。

努力が報われた暁には具体的な数字がほしいところ。やったことに比例して現れるあたりがまた、数字というのは正直。結局はどの分野でも数字は最もわかりやすい指標。

あと10年は早くそこを心底認識できていればなとも思うが、昨今気づけただけでもましなのだろうか。
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仕事終わりにどうしても食いたかった逸品レバテキが看板メニューである立ち呑み屋。しかし日曜なので酒場は早仕舞いという赤羽あるある。しっぽをぶら下げて、スーパーで適当に酒買って帰る。

今日はアーティストSPALの興行スタッフ業務で終日たのしく過ごす。たのしげな空気感は、人間の精神状態を問答無用で良好な方面に促す。

その日に、集中する。その時やることに、集中する。今に、集中する。結局それが幸福の正体なのではないかとほっこり感ずる春の真ん中。
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宅で静かに作業の日。ライブの準備をする。どう弾いたらアンサンブルに馴染むか考えつつ、楽譜にメモしたりする。

制作をする。各録音トラックは出揃ったと判断できたのでミックスをしてかなり進む。

制作物をYouTubeでも公開したいのでその際の調べ物およびコンテンツの編集をする。

今日どのように過ごしていたかというとこんな感じだが、なんとなく集中することを意識していたので、途中ちょっと昼寝を挟むも雑念がほとんどなかったという所感。

昨日ふと思ったことを日常で意識することでも、生産性は上がるものだなと実感。あとは売り上げをもっと上げたい。これは切実。そこも意識すれば変わるのであろうか。
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アウトボードとも呼ばれる横長のいかにもレコーディング機材っぽい形状のやつのひとつの調子がおかしい。

こういうのは翌日になれば謎に直っていた、ということもたまにあるが、そうでなければなかなか悲しい。

いつも使用している機材やらが使えなくなるのはけっこう痛い。修理に出せばよいのだが、それはそれで出費になるので同じく痛い。

アナログ機材だから永遠に壊れないということはないのだが、なんか、毎年一度はこういうことがある気がするなと振り返る。昨年もそうだったし、なんならこのMacのバッテリーがいかれたのも去年であった。修理費4万弱というインパクトは忘れられない。

そういったわけで、逆に、お気に入りのアイテムをいつも使えているということはありがたいのだなと改めて思う。

経験上、50%くらいの確率で次の日になる「昨日のはなんだったんだ」と、いうくだりを祈るばかり。
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昨日のはなんだったんだというくらいシュッと機材が直る。50%を引いた。

原因は、各機材を制御する業務用のでかいAD/DAコンバータというのがドンとあり、そこに繋げているやたら太い各ケーブルの接触不良であった。

テレビをバンと叩き、写りが良くなったかのような昭和の感覚。なにしろお気に入りの機材の故障でなくて実に安堵と軽く乱舞。

今日は出稼ぎに行き、ライブの練習をして、いつもの機材環境で制作をスムーズに進める。最近よくある流れの1日。なんだかんだで、俺なりにコツコツ積み上げながら日々が流れていく。
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謎に滝が見たくなったので北区の某自然公園へ赴く。高気圧を感じる爽やかな気候。

滝につくとやはり違うなというほど、清涼かつ荘厳でこの世の理を物語るようなエネルギーを感じる。音は下から上の音域までブシャーと轟く。例えるなら、90年代のシューゲーザーのギタリストが放つギターノイズに凄く近い。

もっと具体的に表すと、ソニック・ユースのアルバム『Washing Machine』11曲目収録「The Diamond Sea」という楽曲の、後半のギターノイズのみのセクションの感じである。なお、この曲は19分37秒という甚だしく恐ろしい長尺なので心して聴くとめちゃ整う。

どれ動画でもと思い、滝を撮影する。気が済んだので帰宅してそれをデスクトップで再生すると、その場では見えなかった言い表しか難いなんらかが映っていたのだが、見なかったことにする。

やはり滝には可視化されないスピリチュアルな力があるのだなと、あらゆる角度から確認し、実感した。手前の何かが回復した所感もある。

興行の準備と制作をする。元気になったので6時間くらいほぼノンストップで演奏なりミックスなりしていたら当然疲れてソファで果てる。

起きてDAWのプロジェクトをプレイバックすると、楽曲は完璧に出来上がっていた。

やはり、滝から受けるあらゆる恩恵は実にパワフルと制作物込みで思うも、振り返るとわりと地味な1日。しかし少しづつ前に進んでいるのでそれでいいと思う。
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ショート動画やコマーシャルなどでよくある数秒のコンテンツ。そのような最近の情報を凝視しては、そういうニーズにも応えるべく制作をしようと思った。

そういったわけで今日は、これまで公開してきた楽曲のエディットバージョン制作をする。要は数分のフルサイズの楽曲を、30秒とか15秒とか数秒のジングルなどキリのいいサイズの尺にぴったり編集するのである。

そして、大人しめな曲はビートなどを抜いて各トラックを調整し、リミックス的手法も施してアンビエントバージョンなども新たに作る。さらに、ループできそうな曲調のものはセクションを分割してループ加工し、配信やラジオのバックなどで使いやすいようにする。

せっかく100曲以上も作っては公開しているので、ここらでコンテンツのブラッシュアップ再利用もいいかなと思った所以である。日中を使い、6曲ほどできる。効率は相当いいなと気をよくする。前提として、全く新しい楽曲も勿論作り続ける。

ユーザーの使いやすいサイズやかたちで目に届くところに置いておけば、おのずと収益も上がり、オリジナルバージョンに触れてくれる機会も増えるではないのかという期待が持てるムーブ。

どんなにいいコンテンツであっても、人目に触れなければ埋もれてしまう。だから、例えるなら野球で行ったら打席に立ってバットを振る機会をもっと増やそうという発想に至ったというわけである。

夜は、仲間に教えてもらった動画制作ソフトをインストールし、楽曲に動画をつけてみる。俺が撮影した動画とAIイラストを合わせるという方法を試してみる。これが夢中になるほど面白い。

発信して、ウケたら楽しいなと、幸せな気持ちで楽曲ならびに動画の制作をする。ものづくりにおいて人目に触れなければ埋もれてしまうという思考が必要な、クリエイティブとプロモーションの両面の思考が必要な、多角的視野が求められるのが当然という時代になったのだろうかと切に思う。ずいぶん前からそうだった気もするが。
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2000年代の日本の楽曲をアナライズしては、「この時代っぽさ」があるなとふと感じた。

90年代や80年代、70年代の音楽はとてもキャラ立っていたので、例えば「90年代風の曲を――」と言われればイメージが湧きやすい。一方で、2000年代に関してはあまりそうは思わなかった。

しかし今日あたりやっとなんとなくピンときた。というか、単に懐かしさを感じるようになった。それは2023年にもなればそうであろう。月日は確かに経っている。

2000年代の手前といったら、売り方もわからずに各バンド活動に勤しんでは鳴かず飛ばず。そして、仕事と音楽活動以外の時間はほぼほぼギャンブルに明け暮れていた。『闇金ウシジマくん』の債務者キャラになかなか近しい野郎だった。

あの頃は、あまり頭を使わずに、世間を伺わずに、ただただ快楽と期待感に金を溶かせていたようにも回顧できる。

それもあってか、2000年代のJ-POPヒット曲を聴くと、懐かしいな、いいなあと思うその裏側で、あの頃のアホさ加減もセットで浮き出るなんとも言えない濃淡の気持ちになる。

そして今、どうなのだろうと思った。相変わらずギターの練習をしている。そして、案件としてライブに出る機会を頂けている。じゃあ20年ほど経って、少しはマシになっているのかと自身に問いかける。

答えはというと「2020年代の楽曲がどうの」と、懐かしみと共に振り返る歳になった頃に出てくるのであろうか。
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こないだAIでイラストを作って遊んでは興奮していた。新時代だなと。そして、動画を作れるAIもあるということを知り、ちょっとためしてみる。

AIで作ったアニメキャラにちょっと動きをつけたい。そのように動画制作AIにテキストで指示をしたら数分で出来上がる。

そんでもって曲もAIで――となるとそこは音楽屋の意地というか、なんかそういうのが今のところあるので、音楽は完全に俺が作ったやつを当て込む。

すると、ちょっとした動画が出来上がる。楽曲自体を作った時間は数日(2年くらい前に作った曲)だが、それ以外の部分は30分もかからず作れた。

「簡単に出来た、すげえ!」ではなく、「簡単に出来てしまった、やばい」という恐怖感にも似た感覚が勝ったのは、クリエーターの根本が覆るのであろうということに対してのビビリ。とはいえ、やはりすげえ、という感動も当然あったので胸躍る。

今日ためした動画作成AIは「Kaiber」というやつで、ベータ版であった。まだ駆け出しという感じであろうか。しかし新時代のスピード感はとんでもないなと未来がわからなくなる。

楽譜を見ながら、アコースティックギターを弾く練習をする。さすがにこういった実演だけはAIには無理であろうと思いつつ、やはり生演奏っていいなと再認識する。_04/23

 

 

 

 


俺は、漫画家の桜玉吉先生が好きだ。永田カビ先生も好きだ。吾妻ひでお先生の『失踪日記』という作品も好きだ。

共通項は「エッセイ漫画」(実体験がネタとなるやつ)である。どれくらい好きかというと、最低でも各作品を20回以上は読み返していること、加えて、人格形成に影響を受けるほどの深い感銘を受けたことである。

共感なども含む。「心が揺さぶられる」という月並みな表現も当てはまる。

最近、ChatGPTなどのAIツールの情報が様々なメディアで目立つ。AI, AI, 人工知能と、どこもかしこもうるさいんじゃと食傷気味というわけではない。現に、手前もChatGPTに相談したり、イラストや動画をAIで作って驚いたり感動したりしている昨今。

めちゃめちゃ使いこなしているわけではないが、色々俺なりにAIツールをいじってみた。そこで今日現在、おそらくAIツールの黎明期あたりの今、想うことがある。

それは、AIを主とした創作物は、えらい感動は享受できるが、感銘を受けるには至らないということである。今後どうなるかは、わからないという大前提だが。

“AIは、人間にとっての、優秀なパートナーとして使うのがよい”という言葉をどこかでキャッチした。俺もそう感じる。

AIメインだと、やはり落涙するほどの作品というのは生まれ難いのではないかという理由である。くどいが、今後はまだわからないが。そしてそれは、こと芸術分野の創作物においてである。

桜玉吉先生の作品の中で、鬱病の症状をポップな画風で見事に描いたものがある。自身の精神状態からの産物なのだろうと考察できる。

なかでも、“鬱病の音楽家は大傑作を産み出すことがあるが、鬱病の漫画家が描くものは絶望的につまらない”という彼のフレーズがずっと心に残っている。

大前提として、そういった状態で面白い漫画は産み出すことは誰しも不可能というわけではなく(俺個人の感想と所感)、彼が、そこまでの精神状態に落ちて、その表現が産まれたことであろうか、ということである。

他の先生方がどうかは人それぞれであろうが、彼自身がそう感じた時があり、それを漫画に収め、人間性の深い部分を読者である俺に感じさせたのである。

結局人間はこう、人間や生き物が感じる各種のなんらかを求めるのだよな、などと思う。

なぜ、人が「感銘を受ける」かというと、それは言語化し難い、描写し難い、音声化し難い、あらゆる表現を、「作り手がいかに激烈に感動したか、絶望したか」という源流があってこそ産みだされたからなのではないかという結論に落ち着いた。

要は、人間が何かに感銘を受けたり、没頭している時のエネルギーこそが最強なのではないかということ。一方で、それらを無機質に深く学び、機械的に人間離れしたスピードで吐き出すことができるのがAIなのではないかということ。

今日、何曲か既存の制作楽曲の別バージョンをいくつか作っていて思った。「ああ、これは1年前に作ったやつだ」「良くも悪くも、いろんな意味で、この頃でないとこれは絶対作れねえな」などとつぶやきながら。

人間は、時間の経過と、その時々に感じたことの成分で出来ていくのだなという抽象的な思考におちついた。それこそが人間らしさの正体なのではないかと。

とはいえ、ぜんぜん遠くない未来に、今感じている感覚も「ずいぶん古くせえこと思っていたものだ」と回顧する日が来るのかもしれない。
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なんとなく、動画ツールに触れる機会が増えた。シンプルに楽しいのである。

ひょっとしてこれはついに、散歩以外に趣味と呼べるものができたのではないかという肌感。今日もやること全部やったあと、ちょっとの時間しかなかったが、AIイラストと俺がそのへんでマジで適当に撮影した動画などを組み合わせて遊ぶ。

曲はやはり手前の作ったやつのなかから、お気に入りのものをチョイスする。なんとなく、その曲の雰囲気に合った動画にしたくなる。そうなってくると素材が足りんと欲が出てくる。

じゃあもっと動画を撮ってくればいいとなる。されど、様々な場所で感覚おもむくままに動画をとればいい。ロケに行けばよい。なんだかMV制作のようでわりと工数多いなとも思うが、そこは楽しんでいればいいと思う。

老いは、楽しみがなければ加速する。そんな気がするのでホクホクしながら動画ツールで編集しては、ぐぬう、もう0時かとプロジェクトを閉じる。

手前は40も過ぎればハゲ散らかしてだらしなく腹は出て、死んだマグロのような目をして毎日を淡々と消化するのかなとか何となしに昔思っていたが、現状わりとそうでもないよと、昔の俺の肩をポンと叩いてやりたい。
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酒を、呑みまくる。現在、ビールだのホッピーだのハイボールだのと無双。

その際、ガチの案件の打診を賜る。真面目に返す。前提として真面目。とはいえ、ビールは3つ、ホッピーもと、三塁打である。

しかし真面目は真面目。そのへんを、クライアント様に伝わっていれば僥倖である。頼むから、こんな俺に案件をくれとも思う。といういうくらい短文なほど、酔いどれる春の下旬。
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アルコールのオーバードーズの症状。二日酔いである。呑み過ぎれば、翌日グッタリする。わかってはいる。

とはいえ今日はお休み設定なのでしっかり休む。メールなど各種チェックのルーティーンと、案件見込みのご対応をして、休む。ブレイクコアの楽曲がひたすら流れるYouTubeチャンネルを流しっぱにして休む。

夜は興行の曲の練習をし、制作をする。完全に何もせずだと、どこか歯がゆいからである。フリーランスあるある。サラッと時間が過ぎていく1日。
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制作楽曲をあらゆるかたちでエディットし、目につきやすいようプラットフォームに申請する。当サイトにも、何曲かオリジナルバージョン楽曲を追加する。

さらに、YouTubeでも公開して導線を貼るために、AIツールの使い方情報を浴びたりする。素材を撮ったりもする。

おそらく、今後、創作のかたちが大きく変化する近い未来に備えての準備をしているのかもしれない。

そのために、あらゆる場所に「手前がその頃につくった著作物ですよ」と、わかりやすくしておきたいのかもしれない。と、作業中に動機のひとつについて気がついた。

それは、本当に、それっぽいものがすぐに出来る時代に入っていると実感しているからである。

俺の場合だと、音楽や文章など、「明らかに人間である俺によるものです。お楽しみ頂ければ幸いです」と、開けた場所にちゃんと置き、誰もがすぐにアクセスできるようにしておきたいのである。

収益も当然大事だが、「それをつくった、そういう人が、そこにいますよ」という印と線を描いておくことは、今やることとして合っていると信じる。

その根底にあるのはやはり自己顕示欲なのかもしれないが、生きていて表現した何かを残しておきたいというのは、人間の大きな根源として真っ当なのかなとか朧げに考える。人それぞれのスタイルにもよると思うが、なんか手前あたりは、残しておきたいスタイル。
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これぞ春といわんばかりのヌルッとした鬱の目覚め。寝汗までかく始末である。いやだなあ、キモいなあと、起きがけのルーティーンをしているうちになだらかになってゆく。

この気分の変動の落差たるやなんとかならんかと思うここ20年ばかり。きっとそういった仕様なのだから、無理してフラットにすることはないと深呼吸をして心を落ち着ける。

そういう時には共通項がある。考えすぎである。そのことを直接でも、雑談でも、誰かと話すとスッキリするなと仕事場で再認識する。他者との、社会との関わりで人間は成り立つのだなと思い知る。

帰宅してデスクワークなり楽器練習なりをする。日記を書く。このような、日中を挟み込むようなルーティーンを行うことになったのは、たぶん気持ちを落ち着かせたいという潜在意識の表れなのだなとしみじみする。

案外効果抜群な側面がある、日々のルーティーン。みんなはどうしてるのだろうかと日々思う。ようにして心の平穏を保っているのだろうかと。
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出稼ぎに行き、帰宅してメールチェックなどをして、興行準備なり制作なりデスクワークなり。

これが今月で最も多かった感じの1日。そういった流れで今日を過ごす。

ゴールデンウィーク以降もやるべきことを健やかに行なっていきたいと深呼吸をする。

少しづつでも良き方向に進み、人生楽しくいきたいと、わりと普通の感想で4月が閉じる。
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