08/2023

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。 YouTubeチャンネル開設


「どうですか? 平吉さん」と、必ず決まっているくだり。それは、問診においての主治医の最初の一言である。初診の時はその限りではないが、必ず「どうですか?」から始まる。

「はあ、そうですね。最近は――」という感じで、心の近況を伝える。そういった“型”ができている。俺はここから疑問というか、もうちょいいけるのではないかという欲に似た何らかが生じた。

精神科医なのだからもっと踏み込んで第一声を患者に向けてるのもありなのかな、などと思ったわけである。ライブで例えたらセットリスト1曲目。お笑いで言ったら「つかみ」の一言のタイミングである。

「今日はどうですか?」も、いい。だがもうちょい、せっかくだから「正気ですか?」「病んじゃいましたか?」「そもそも社会に適応できてますか?」くらい攻めてもいいんじゃないかという雑感。いや、そんな精神科医は嫌だ。というか絶対に言っては駄目なやつである。

「どうですか? 平吉さん」

「ええ。いい感じになってきています」

「よかったじゃないですか」

「こう、明らかに異常と感じていた頃、そしてそれ以前よりも、厚い皮のような何が、一皮剥けている最中と言いますか――」

「うんうん」

「あと、メンタル関係ないですけど、昨日の夜から風邪気味です」

「おや」

「明らかに初期症状、引き始めといった感じで喉がちょっと痛くて痰も絡み――あ、熱はないのでアレでなないかと」

「そうですか」

「でもこれって、ここではなく内科に行けってやつですよね? 葛根湯を飲んどけば治るくらいの肌感なのですが」

「じゃあね、平吉さん。葛根湯いけますよ? 一緒にお出ししましょうか?」

「助かります」

という感じで、実は心療内科でも漢方や風邪の処方をしてくれることを知る。押せば、いける。

今日は問診の前後の時間で原稿を書き上げ、第一稿を提出。あとの時間は休んだ。ぐだぐだとしていた。それでいい。最近いそいそとし過ぎだったからそれが、いい。風邪気味なのは体からのアドバイス。そこにちゃんと感覚を寄せる。

蕎麦を食い、YouTubeでフジコ・ヘミングさんの動画を観ながらソファで寝る。起きてブックオフに行って立ち読みして、『よふかしのうた』を1冊だけ買って酒も買って帰宅。

大事な案件を進め、心と体のメンテナンスもしつつ、これからドーンと行こうという心境を静かに燃やしつつ始まる8月第一日。俺が精神科医だったら最初の一言は何にしようかなとずっと考える。

生まれ変わったら俺は精神科医になりたい。だから今世で、ディープにメンタルヘルスや心理学の知識を蓄えているのかもしれない。

やはり患者への第一声は「気は確かですか?」くらいだとポップでいいかもしれない。いや、医師免許剥奪まであるのでそれは棄却。もっと患者に寄り添った優しいフレーズを来世で考え直そう。
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昨日の案件で原稿の戻し(加筆・修正等のリテイク)があるかなと思ったがそのまま通ったので無事完了。

あとは、押しに押したはずの「次の案件もください。できれば継続して」という意図が伝わっており、今回の案件が100点超えであることを祈るばかり。

風邪気味が治らないのでフラフラと過ごす。赤羽に新たに出来たイオンを覗きに行く。スターバックスがあった。この間ありがたく頂いたクーポンで豪遊する。家電や草木などを適当に物色して帰宅。

ちょっと休んで制作をする。DAWを閉じると、また新たな方面からの新規案件の打診が来ていることに気がつく。

スケジュールの関係上、どうしても今回は対応できないので、丁重にその旨を返信する。「今回はアレですが、どうか引き続き気軽に案件についてお声がけください」といった全力プッシュの旨が伝わっていることを祈るばかり。

やはり、厄年を抜け、案件が増えるフェーズに入っているのか、といった所感。ひとつ、上手くいき、ひとつ、タイミング的に添えずといった現状。

あまりここにふざけたことばかり書かず、誰でも見られるこの場でもそっと訴求をしておくのは無駄ではないのかもしれない。引き続き、案件絶賛募集中でございますと。
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普通に仕事するが風邪気味が長引きしんどさもある。そういう時は日中フルで1本仕事すれば十分だろうと、夜は宅で静かに過ごす。

楽曲ストック収益の集計をする。ここのところ落ちている。アップロードペースは落としていないのになぜだと、もはやビジネスモデルとして衰退しているのかと色々調べてはぐったりする。

これからどう攻めようかと考えるにはちと心もとない調子なので、早めに〆る。症状は二転三転し、鼻水と咳がわりと出る、といった程度だが。全快したら、音楽でのマネタイズのまた新たなアプローチを生み出すべく練ろうと思う。

結論が出ないままのアイドリング状態でリラックスするとキラッと閃くという脳の性質があるという。そこに期待を寄せたいがとりあえずこの鼻風邪みたいなのを直すのが先決。漫画読んで寝よう。
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普通に仕事してその後、エロい仲間たちと遊ぶ。鼻水流出と咳連打が治らないから欠席しようかとも思ったが、元気はあるので能動的に呑む。

近況を語り合う。女子会ならぬバキバキの漢会である。そういうのを定期的にできるユニークな仲間たちに感謝しつつ樽のようなジョッキのハイボールをカラカラと鳴らす。

どうやらみんな、俺も含め、最近はいいことがあったよという報告会のようで実に朗らか。一方で、メンバーに地獄を見た者がいた時には、それはそれで肴として残酷な笑い声を伴い、しめやかに処理される。ある種の儀式と言えよう。

毎回YouTube生配信で流したいくらいのコンテンツだと個人的には思っているが、ままならぬ点もあり、そのフェーズには至らず。

ここ数日は「ライオンズゲート」なるものがクパッと開くという見解がある。詳細についてはよく知らんが、謎に好機だという。その時期に調子を崩す者はその恩恵にあずかる証拠という見方もある。エビデンスは無い。

何の門だか知らないが、とりあえず俺の風邪はそのゲートやらをくぐっている好転とみなしながら缶酒をすする現在。ろくでもないが、とりあえず明日あたりそろそろ治ってくれ、しつこい夏風邪。とも思う。

だがしかし、改善すべき所作とは真逆の行動をとる手前あたり、なんちゃらゲートのその上をぴょんと変拍子で行っているのかもいしれない。

門をくぐれ。くぐって未来を切り開け。そこで呑む酒はもっとうまいぜ、とも思うが、今日あたりは呑んでも呑んでも頭痛がする。明日はちゃんと休もう。ハイボールの空き缶がデスク上で「からん」と鳴る夏のひと時。
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13時間寝るも起床したら37度の発熱を確認し、おやこれはまずいと内科へ。結果、「気管支炎」と診断された。

なるほど、それは咳も続くわしんどいわだなと納得。例の検査の精度の高いやつもやってもらったが、コロナは陰性で安堵。鼻にノズルをブッ刺すくだいは筆舌に尽くし難い痛みを伴い悶絶。

とりあえず感染症とかそういうのじゃなくてよかったなと宅で休む。今日は完全に休む。サウンドはAFXの曲からのアンビエントと、照明は無光にしてと、リラクゼーション空間を演出したなかでソファで気が済むまで休む。

すると、症状がというか、溜まり溜まった疲労が抜けていくことを確かに感じたので、最近忙しかったからその跳ね返りだったのだなと理解する。体にごめんと謝罪するように、たっぷりと休む。

夜、熱も下がり元気になってきたのでYouTubeの楽曲公開第一弾を発射してみる。今日の作業はこれだけである。ちまちまと作っていた10本ほどある動画ストックを順次公開し、再生回数が悲惨なことにならぬ状態あたりでしめやかに告知などもして広めようかと思う。

そのような休息のひととき。体が資本。覇気あっての行動と結果。そのように、あたりまえのことを自覚して、ひっそりと体の霧を晴らす1日。
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エイフェックス・ツインの5年ぶりの新譜を聞く。とても心地よい。EP『Blackbox Life Recorder 21f / In a Room7 F760』というタイトルは相変わらずわけわからないが、中身は今までとはけっこう異なる印象を受けた。

本作に対し、「丸くなった」とか「大人しくなった」等の評論を目にする。確かにそういう捉え方もあるが、俺はどことなく、時代に沿っているアプローチだと感じた。間違いなく言えるのは、やっぱりエイフェックス・ツインは聞いていて気持ちの良い音楽ということ。

アーティストは音源を発表したりライブをしたりグッズを販売したり、そのような手段で収益を得る。

俺はというと、音楽屋としてどうしたらもっと音楽での収入を増加させるかと日々考えては試行錯誤している。コロナ禍突入時期に再開したロイヤリティーフリーの楽曲制作は続行している。だが、ここが下降気味である。

プレイヤーやスタッフとしての現場での収益は、温かい横の繋がりで定期的にある。あともっと、新たなやつをと思い、昨夜、今夜とYouTubeに、統一性のある自身の楽曲の連投を開始した。

役割としては何段階かあるが、最初は楽曲や作者である自身に注目してくれる方を増やすことと、ダウンロードへの導線である。

肝心の再生回数はというと、現状では「特に告知していないとやはりこれくらいか」といったものである。それはそう。10年前にiTunesでオリジナルEPをリリースした時もそうだった。

「いいものを作ったら放っておいても売れる」というのは大間違いであることはけっこう前に気が付いた。俺が作ったものが誰にとってもいいものかという点は置いておいて。

広告業やコンサル業など、プロモーションに長けた業種があるくらいだからそれはそうである。

これからの時代、というか既にけっこう昔からそうだが、自己プロデュース能力が本当に問われる。如何にして自分をアピールして売り込むか。

例えばだが、手前のライター業の場合、原稿を書いてオッケーもらって原稿料もらってそこでひと段落というわけではなく、それを書きましたよ、みんな読んでねと開けた場で発信し、読んでそこからそのアーティストのファンになってね、なった? 数字伸びたかな? 伸びましたか、セールスに繋がりましたよね? じゃあ次もお願いします。くらいが最低ラインだろうか。

そうなってくると、「あいつは『数字』を持っている」と認識され、仕事が舞い込みやすくなる。俺が発注する側でももちろんそう思う。

そういったわけで、インフルエンサーとまではいかなくとも「けっこうあるね」くらいは「数字」がほしいなと思う今日この頃。そのためにはどうしたらいいか。

それは、みんなが喜ぶものを作ったりパフォーマンスしたりして獲得する。地道にそれを続ける。今の所それくらいしか思いつかない。何か起爆剤はないかと虎視眈々と考えるも、コツコツ続けることも大切。

動画はあるぶん連投し、制作も続行しながらまたさらに新たな行動をひねり出そう。とりあえず、新たなアプローチをすることは刺激にはなるので、その点はよしとまとめる。ここに収益が伴うと麻薬級の快感を伴う。麻薬自体はもちろん食わんが。

そういう刺激を己で生産して、みんなと共有できることが、一番たのしいのかもしれない。
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仕事をして、どれ久々に一人磯丸水産でもと思う。しかし病み上がりというか気管支炎の回復途中といった感覚の中、薬の副作用か体力の具合か、眠くてたまらない。宅でアンビエントを聴いて寝る。

ふわっと起きて動画を投稿する。まずは10本の楽曲メインの動画はアップロードする準備ができている。まずはオルタナティブでシリアスな曲調の楽曲集である。ほかにもジャンル的にはパッケージできるくらいあるので全部上げたら次考える。

また、その他の類のアプローチもしたいので、このチャンネルでどのように人を集め、どのような音楽チャンネルになっていくかと考えるとわくわくする。

とはいえまだ再生回数もチャンネル登録者数も寂しいことになっているのでさりげなくX(Twitter)のプロフィール欄にURLを載っけたりする。徐々にプロモーションしていこうと段階を踏む。

人は、何か新たに事を始める時、計画や初動の段階が最も興奮するという。まさにそうだなと思う。道のりは長かろうが、まずはチャンネル登録者数1,000人以上という理由込みの壁を超えたいなと、YouTubeでできることを色々と模索、実行していこうと企てる。

そういったことをゆっくり磯丸水産で練りたいなと思ったが、場所的には今日はそこじゃねえなとおしんこを買ってきたのでほどほど酒呑んでふやけよう。
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官能小説を立ち読みする。そういった書籍は初めて読むかもしれない。そこには、男女がまぐわう淫らな描写が丁寧かつ事細かに、時間を縮めるようにしてねっとりと記されていた。ジャンルとして興味深いと切に感ずる。

文學界という雑誌を読んでみた。町田康さんやらたくさんの作家の随筆やらがずらりと、文字だけで埋め尽くされていた。文章自体を延々と読むのはそこまで好きではないのだが、活字を浴びたいというニーズにばちっと応えているなと感銘を受ける。

女性向けファッション誌も読んだ。イケメンの生態を主とするようなテイストの雑誌も読んだ。書店での情報集めでよくやる、普段手に取らない本を漁って何かヒントはないかと探すムーブである。

あたりを見渡すと、いかにも「その人が読みそうだな」というお客さんが様々な本を手に取っていた。

基本的に人は興味がある分野や必要とする情報が詰められているものを手にするのだなと納得した。それはそうだと。

じゃあ俺の行動はどういうことだと。それは、なんとなく生き様迷子みたいな心境の時にとる行為。何も買わずに書店を後にする。

どうしたら、もっと稼ぎを多くして、生活は楽に、やりたいことは楽しくできるようになれるかという模索である。考えているうちに寝る。寝てしまう。それはいいが今やれることをやろうと、着手中の楽曲制作を進める。

コンテンツを作るのはよいが、その先にもっと明瞭かつ拓けた道はないものかと、そのために書店であらゆる景色を探していたというわけである。なぜ最初に官能小説に手が伸びたのかはよくわからないが。

とにかく、世の中にはめちゃめちゃたくさんの道があって、それぞれで一線を走るヒントや答えがある。それは本に書いてあったりする。それをそのまま実行すれば成功できるという人もいる。俺はというと、どこをどれくらい走ればいいのかなと、久しぶりにそういった心境になる。

とりあえず、作ってアウトプットして、広めてフィードバックを受けてトライアンドエラーを繰り返し、という初心に落ち着く。とりあえず、コツコツながらもスピードを重視して何事も進めようと。

コロコロと蝉が死にゆく時期。人生は長いようで短いようで、などと感じる夏も中盤。
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本当に時間は寿命だよなとつくづく感じるのは、何か無駄に焦っているのかもなと厠で考える。

とりあえず出すものだして、形にしてまた出して、作ってまた出してと、それしかないかなと、他に思いつかないうちは、継続していることをやる。ウンコのことではなくコンテンツを生み出すことである。

そういやいまだに触れていなかったなと、マッシヴ・アタックの1stアルバム『Blue Lines』を何げに聴いたら1991年にこれをやっていたのかとひっくり返りそうになる。

音楽の可能性って凄いんだなと、今日もDAWを開くがなんかしっくりこないなと、進んではいるがなんだかなと、歯がゆい気持ちで〆る。

そういう時期もあるなと、執拗なまでにやり続けることが大事だなと思う。一方で見切りや損切りも肝心だということはわかっている。

しかし、今俺がやっていることを見切ったら何が残るのか、なんか別に始まるのかと考えると、やはり何かしら作り続けること、それに付随することを行なう方面をを選ぶ。それできちんと稼ぎが増えればまごうことなき正解と示せる。

マネタイズって難しいなとつくづく実感する。焦ると視野が狭まり馬鹿になりがちな性分な気もするので、せめて、止まらず続けることで今日も閃きに近しいヒントを探すも見つからず。思考と行動を続ければ、絶対見つかるとここは信じて。
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まあまあ普通に睡眠とるもなんでなのというほど日中眠い。よもや生活習慣病の予兆かと心気症気味の思考が先走るがそういった気配はない。

しっかり仕事して、月一の儀である資産集計を夜な夜な執り行う。現金や預金、各口座の金から持ち株にPayPayやLINE Payなど各デジタル決済の残高まで全てを計算をする。

そして、現在、いくら手元にすぐ現金化できる資産(物品除く)があるかを数字で表していつも持ち歩いている手帳に記す。そこには稼ぐといった意識を叩き込む意図がある。

今月はちょっと増えていた。借金は万単位で減りつつ持ち金は増えている。よしよしと思いちょっと休むとがっつり寝てしまう。

これはあれか、アセンションの前触れあるあるかとスピリチュアル的に捉えるが単に疲労困憊とも解釈できる。制作したかったがそれは明日に持ち越す。

眠い。まだ眠い。これは酒呑んだらソファで気絶寝するパターンかもしれんがちゃんと寝室で寝よう。最近はかなり整った居心地のよい寝室で。
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申し訳ないな、不甲斐ないなという、謎に下向きで荒んだ心境で目が覚める。おそらく盆の入り口の起きがけ、玄関に溜まった資源ごみを見つめる。出し忘れて2週間。俺はこんなに缶酒を呑んでいるのかとげんなりする。

出すものを出さないと悶々とするのは生物の摂理であろうか。そんな答えも朧げな、まるで廃墟の遊園地で用もなく佇む観覧車を見つめているような面持ちで辺りを歩く。

このまま時間が経てば当然のように朽ち行き死すのかなどと、そこまでは考えないが、ぼやっとした焦燥感が夏の気候と混じり逆に涼しくなってくる。

昭和3年から生きている蕎麦屋でせいろを食べる。旧・赤羽台団地あたりを散歩し、数十年ですっかり形が変わるもこのあたりは不可逆なパワーを秘めているなというなんとなしの肌感を得る。

「牛は食い、なぜ猫は食わん」「飼い犬の持つ生来の野生やどこぞに」といったことを言いたいのであろう訴えともとれる、小さな張り紙がちらほら目に付く。近所のサイコ野郎の仕業であろう。

どういうつもりでこれを書いて貼ったのかは全くもって理解できない。これまでにこの界隈で何度も見たが、今日も数分眺めていられるあたり、どこかで共鳴しているのかもしれない。

そんな繋がりは要らねえなと、書店で小説を立ち読みする。帰宅して制作をする。何時間かして完成する。これを繰り返して俺にとって何になるのかとふと思うが、出すもの出すとすっきりとする。摂理をなぞって生きていれば気分も晴れてくる。

マグロの刺身が食べたかったがどうも高価なものしか店頭にはなかった。代替品として、イカをアレンジした妙な肴を買った。キッチンと仕事部屋を行ったり来たりして酒を呑む。そして寝る。玄関に溜まってしまっている空き缶がまた増える。非常に淡々とした暮らし。

別に不甲斐なくはないのだが、どこかこう、もっとやれるだろうという思念が更に湧き上がるここ数日、それは単に体調が良いからなのかもしれない。一言でまとめると、変な気分だったが、気管支炎も治り、またひとつコンテンツができてまあ、よかったかなという1日。
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アミロイドβという脳内のタンパク質の一種は、通常ゴミとして排出される。このゴミの溜まりすぎが認知症の原因とも言われている。

思うことあり、夜にしっかりとギターの練習をした。Spotifyで作成したプレイリストのうちのひとつ「Gt Practice」でいろんな曲を流して一緒に弾く。

このプレイリストには、レニー・クラヴィツやコールドプレイ、レディオヘッドやニルヴァーナ、70年代の各ロックにモータウン系ソウルの楽曲など、自分がよくリスニングしては練習してきた楽曲を連ねている。

レッド・ツェッペリンの「天国への階段」を通して弾いてみた。ギターソロをちょっと忘れている。AC/DCの「Back In Black」を弾いてみた。ブリッジセクションのギターリフをわりと失念している。

これはアミロイドβが溜まりすぎかとげんなりするも、音源を一時停止して聴き直すとすぐ思い出した。これらのあたりの曲は長期記憶に叩き込まれ、一生楽譜なしで弾けるだろとタカをくくってたが久々に弾くと一部を忘れており、軽くショックを受ける。

原因は、制作で手前のオリジナル曲以外のギターフレーズを弾く絶対数が減っていると断定。楽器は、常人が引くほど長時間の練習をしないと身につかない。その初心を忘れていたので練習に励む。

10代の頃に練習しまくったクラシックロック系の奏法は基礎体力となっていると自負している。しかし、「おや? どう弾くんだっけ?」という時期がとうとうきたかと脳髄の代謝まで疑うほどだったが単なる練習不足。

これはいけないなと思ったので、ちゃんと毎日楽器に触れるルーティーンをおざなりにしないことにする。

アスリートなどは毎日筋トレなどのトレーニングをして心身共に自信をつける。作家さんなどは毎日書いたりインプットしたりして、等しく自己を保つ。音楽屋と謳ってる手前はというと、肝心なことをサボっていたなと反省しつつレッチリなども弾く。

アイデンティティが揺らぎ始めた時は、初心を思い出す。実行する。毎日やる。新たな展開も常に考える。コロナ禍あたりの気づきが忘却の彼方へ飛ばんよう、ちゃんと毎日音を出す。文字を書く。そのエンジンが常にかかっていれば、節々のタイミングであらゆるアプローチがちゃんと出てくる。

どうも最近モヤモヤしていたなと思ったらこれが原因かと、ギターを拭きながらスッキリして腑に落ちる。大事なのは自己同一性の根源。誰しもあると思う。

俺で言ったら前述の通りだが、人によっては家族だったり、描くことだったり、会社で業績を上げることだったり、表現することだったりする。そういう風にしてみんな強く生きているんだなと考えると人間とってもたくましい。

ちゃんと楽器練習するとここまでポジティブ思考がはたらく。素晴らしいなということで、俺の脳内アミロイドβは全部排出されたことにする。認知症にだけは、絶対になりたくない。

晩年、アルツハイマー型認知症だった親父がもし、俺の守護霊としてついているとしたら、ちょっとそのへんは頼むわとか思う盆の序盤。
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昼過ぎまで引きずる病的でめちゃめちゃ明瞭でサイケデリックな夢を見る。こんなんお盆のせいだとスピって片付ける。

仕事をして、なんとなく能動的にフジファブリックが聴きたくなったので「赤黄色の金木犀」に浸る。実にいい曲だなと、志村正彦さんがギターボーカルを務めていた頃の楽曲をさらにと、「若者のすべて」へ続く。フジファブリックというバンド単位に関してはさほど詳しくないが、この2曲がとても染みる。

帰宅し、なんとなく弾き語りがしたくなったので延々とオルタナの洋楽を練習する。なんとなく動画に納めたくなったので撮って編集する。

なんとなく公開したくなったので「X」で発しようとしたが深夜。大半の方はおやすみの時間だなと思い明日にしようとするが、このサイトを構築しているWordPressというソフトのように予約投稿はできんのかと調べる。

すると、「X」でもそれは簡単だと知り、大半の方は起きるのかなと思わしき午前07:30に設定して予約投稿する。

便利な機能だなと思うがこの日記はリアルタイム。なんとなく、向こう数日の日記を書き溜めて数カ月分予約投稿とかそういうのってなんかサイコだなと勝手に震える。
_08/13

 

 

 

 


ふらりと立ち寄るいつもの書店で、ぬるっと吸い込まれるように何冊もの書籍を手に取る。7冊目あたりだったか、スピチューバー美湖というギャルのような姿をした人物がポップに綴る、スピリチュアル系の本にたどり着く。

ジグザグと目線を斜めに、やや早めに読み進める中で、「悪いと思う」ことについて端的に記されていた。

個人の解釈だが、それは「――をしなければならない」と思うが、出来ない、しない、してもうまくいかない、といったことに対して「悪い」と思うことは、幸福から遠ざかるということ。

「そっか」と、なんとなしに手前に照らし合わせて考え、この一文で書店に立ち寄った収穫ありと断じて界隈を彷徨う。

今日は生産的なことを何一つしてねえなと、どことなしに不甲斐なく、よろしくないなと思っていた。すなわち「悪い」と、鬱屈した気分だったのである。それを、あの一文が払拭してくれた気がした。歩きながら、そう延々と考えると少しずつスッキリしてきた。

書店に戻り、もう一度、同様の書籍を手に取り、全て読んでみる。様々なことが書かれていたが、やはり、自分の思考やスタンスや行動に対して、してない時を「悪い」と判定するのは心身に毒だという一点が俺には最も刺さった。

毎日、常に、仕事や生産的なことをしていないと気持ちが悪い。なにもしていない日は「悪い」と思っていたが、それは「毎日そうであれば」という条件をつけていなかったことに気がついた。

当然、頑張り続けることは前提だが何もしない時もあっていいんだなと、そのように諭されたような、それだけの話である。何かをしている時のほうが多いのだから、何もしない時間や日に対して罪悪感を覚える必要はいっさいないのだと。

そのように、ひょっと与えられた思考を軸にのんびり過ごす。いろいろ生産に繋がりそうな調べ物をしたり、ギターを練習したりはしたが、それくらいのフィーリング。

「毎日、なにか作業を常にしていなければ悪い」という考えに、ここ数年囚われていた。堂々とサボってよしというわけではないが、たまにこういう感じの気付かぬバイアスを修正することの重要さに目が覚める。

とはいえ、もっとこう、成し遂げたいなという心持ちが、そのバイアスを生み出すのだろうか。

「希望と願望と現実のギャップからあらゆる苦悩が生まれる」的なことが、街の飲食店の店頭に書かれていた。それは、「今日の一言」と銘打つ文言だった。確かになと、併せて、心に入る。
_08/14

 

 

 

 


YouTubeチャンネルを開設して10日。チャンネル名もいまのところ本名個人名というなかなかの香ばしさを放つが、少しづつ盛り上げていきたいなと今日も1本投稿する。

最初は、公開曲の中から厳選したオルタナ系の楽曲の連投である。俺なりに工夫したコンテンツなので、好きだなと感じてくれた人にはたくさん視聴していただきたいと願う。

とはいえやはり初段階かつ、俺がインフルエンサーばりの影響力を持っていないことに加え、特にプロモーションもしていないので視聴回数がドカンと伸びるわけがない。その理由がない。

しかし、管理画面で数字をチェックすると、誰か、観ていてくれる。まだ非常に少ない数字ではあるが、すごく嬉しいものである。

さきほど、村上氏から仕事の打診があった。そして、彼の方から「そういえば平吉、前にYouTubeでどうのとか――あれどうなった?」と訊かれたので、待ってましたと、「それなんですがね!」と紹介し、速攻でURLをチャットワークで送りチャンネル登録をしてもらい、リアルタイムで観てもらいありがたくも興味を持っていだだいた。

「いいと思ったら『高評価ボタン』を。クソだと気分を害したら『低評価ボタン』を容赦なく押下願います」と、伝えた。そう。フィードバックは大事である。だから、素直な感想を賜りたく、懇願したわけである。

もっと登録者が増えた後の絵図は描いている(計画を立てているの意。ヤクザ用語)ので、じわじわと頑張りたいなと奮い立つ。次は、SNSでの当YouTubeチャンネルの存在の訴求である。これは数日以内に敢行する予定である。

なんやかんやで進んではいるなと、新たな類の仕事のお話も来たしなと、ムクリとテンションも高まる盆の深夜。静かに、淡々とやることやっていくの大事だなとリマインド。
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お盆、死人が夢に出演。俺はあるある。しかし単に思いグセなのかもしれないという見解もある。

健在だが、昨夜は兄が出演。たいへん疎遠な仲なのである。ただ、夢の中ではいつも仲良し。彼は立派なスーツ姿で、欲しかったものをたくさん買ってきては笑みを見せた。「ボーナスでも出たのかい?」と言う俺は、どうやら兄と同居しているもよう。

いつのまにか、昔ながらの昭和建造のような内装もモダンになり、たいそうリッチになっていた。兄は俺と幸せそうに部屋で過ごていた。

現実は真逆である。夢とはいえ、本当にそうだったら俺はどれだけ嬉しいか、などと感情が湧き上がり、ものすごく上機嫌での起床であった。社会的にも家族的にも有り余る幸福を得た兄の様子に対し、至上の喜悦を得ていた。やはりお盆はみえない帯が繋がるような不可解な心境がつきまとう。

まあ現実を頑張ろうとせっせと仕事をして制作もする。やたら気分が霊界と朧げに繋がっているかのような点を除いては通常運転の日。

これは墓参りに行く必要があるなと奮起。「納骨を早くしなさい。費用? 30万円〜50万円です。分割は認めません」と、父親の死後に寺の住職から電話でガチ切れされてからというものの慄いて俺は墓にすっかり行っていない。2、3年は足を運んでいない。骨もまだ納めていない。

だから明日は、昨年の父親死亡時である喪直後の俺に容赦なき叱咤を浴びせけつかった免税鬼住職に見つからぬよう、こっそり墓参りに行こうと決めた。やはり、先祖は大切である。

死んだ母親に、父が死んだことも、叔父が死んだことも、厄年にえらい目にあったことも、何一つ近況を報告していない。ちゃんと伝えるためにも、供え物を引っさげて足立区鹿浜という僻地の寺に向かう必要がある。

そこで偶然、兄と落ち合ったら俺はきっと泣き崩れるように膝から崩れ落ちるかもしれない。まずないであろう。奇跡のその上くらいの確率。そんなオルタナな家族関係は嫌だ。いろんな想いが交差するが、ちゃんと明日は住職回避込みの墓参りに行こう。なお、雨天の場合はだるいので中止。
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小さな赤ワインのパックを一つ。ダブル2杯分ほど残っているウイスキーのボトルをカバンに詰める。各々、両親が好きだった酒である。

烈暑のなかバスで揺られて20分、徒歩で15分かけて墓へ行く。帰郷にしては、ずいぶん近いなという所感である。墓地の水場で桶いっぱいに水を汲む。社で線香をオーダーする。住職が出てきた。

納骨をしていない俺はバツの悪さから「いかん、速攻ではち合わせた」と思ったがどうやら顔はわれていない模様。住職は「いってらっしゃい」と笑みでこの世とあの世の交差点に俺を送る。不問であった。

あぶねえあぶねえと平吉家の墓に対面。バシャリ、ちょろり、ひたひたと水で墓石を清め、炎天下で黒光りした美しき描写の墓の姿にうっとりとする。数年は来ていなかったのでそのぶんの近況を全て報告する。

「ええ、ご先祖様、お母さん、平吉家の死んだみなさん。ごきげんよう。末裔の代表として参りました。この墓を建立した平吉浩治の納骨という肝心なことを未だしておりませんが、とりあえず参りました」

俺はワインを備え、紙コップにシングルモルト・ウイスキーをダブル1杯分ほど注ぎ、菓子も2つ、そして父親と飼いネコのツーショット写真をそっと置いた。静かに煙を醸す線香と共に、いかにも墓参りという雰囲気となるが、花と茶碗を備えるスタンダードな周りの墓の様子とは異なり、ポップかつ異色である。

「ご存知でしょうが、親父は死にました。一生分の呼吸を使いきり、眠るような最期でした。著しく人格の破綻した野郎で介護等のケアは筆舌に尽くし難いほどたいへんでしたが、なんとか看取りました。7年ほどかかりました」

目を閉じ、暑さはいっとき感じなくなり、ただ、瞑想するかのように報告を続けた。

「ご存知でしょうが、お母さんのお兄さんである俺の叔父も死にました。晩年は一緒に仕事をして、純喫茶『アルマンド』で幸せな時間を共に過ごしました。経営を引き継ぐ予定でありましたが、よんどころなき理由で破綻しました。俺は絶望しましたが、叔父に悔いはなかったと思います」

できれば、兄と一緒に来たかったがそれは叶わないことを悲しみつつ、その理由も報告した。

「ええ、そういったわけで俺はやってます。やることやって楽しく、時に辛く、時にファンキーに、時にジャジーに過ごしております。平吉家代表として、ご先祖様の顔も立てるというかなんというか、平吉家の鉄砲玉、いや、スター的な存在でいたいなといった所存でございます」

目を開けると、青い光にサラウンドに包まれた。一通り言いたいことの念を発したあと、ぬるくなった赤ワインを半分くらい呑んだ。ウイスキーも一口呑んだ。ご先祖様とのしめやかな宴である。

「では、また参ります。いっぱい稼いでちゃんと納骨をしますので。どこにあるか? はい。押し入れにブチ込みっぱなしでありますが、ちゃんとする気概はございますので――」

俺は墓をあとにして足立区鹿浜を少し、散歩した。近場には、日本一有名な焼肉屋と言っても過言ではない『スタミナ苑』がある。俺と、ここのボスは、縁あって知り合いなのである。

しかし時間的に開店直後。まあ、行列もできてるし、忙しくて挨拶もできんだろうと思った。だが不思議なもので、ちょうど店の対面にある倉庫からなんらかの食材を取りに行って戻ろうとするジャストタイミングで、ボスと会えた。

「お久しぶりです。ケンジです」

「おう! ――親父さん、死んだか?」

この時期にこの場所にいることで、察したのであろう。あまりにも直球で言い当てられたので驚いたが、なんかボスはそういうところがある。

「はい、生前は大変お世話になりました――」

「はっ! そうか――まあ、順番だからな」

「そうですか」

「今度食いに来いよ!」

「はい。友達たくさん連れてきます!」

「ははは!」

「あの、ボスが、TV『プロフェッショナルの流儀』に出演したやつを知人が見たって言ってたんですけど――体調大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ!」

チャキチャキの江戸っ子のようで少し尖った物腰の中に深い優しさあり。そんなボスの雰囲気は、元気そうだったが以前よりも少し、いい意味でソフトになったなという雑感。

赤羽に帰る。墓参りは、俺にとって、存在しない実家に帰るような、帰郷するような行為である。心、どこか清爽と感じつつ、ラーメンを食べて、煙草店でたまにはとクレテック・タバコとマッチを買う。

帰宅して少々、ネットの波で泳いで休む。起きると3時間以上経っていて驚愕する。そんなに疲れていないはずだが――なんか、あの世との交信の時間だったのかなと、そういった直感的思考で片付ける。

今日の残りの時間はDAWでアブストラクト的な楽曲の制作をして閉じる。

昼過ぎに起きて、まず風呂掃除をした。墓参りもした。夜、ゴミ箱周辺も水洗い込みで綺麗にした。今日は清めの1日。

ちゃんと思った。あの世に行ったら平吉家で一番なんか凄かったのは俺だったよね、みたいな話題でチヤホヤされて酒盛りをしたいと。だから、今世で一生懸命やること全部やろうと思う。

順番が来る、その日まで。
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盆休み二日目だが今日がラストデイズ。駅の東口の方まで蕎麦を求めて歩く。昨日、墓参りをしたら、連日の深い夢の連荘がピタリと止む。やはり、そういうことはあるのだなと書店でスピリチュアル系の本を斜に構えた心持ちで一冊一気読みする。

俺に霊感や守護霊と対話する能力があったらどうなのかなと想像する。

やかましくてしかたないから、脳のそのへんの感度に効く薬などで抑えるか、霊能力者として起業してセミナーなどで全国ツアーするかの二択であろう。その際俺は後者を選択して荒稼ぎに臨む。

始めたばかりとはいえ再生数も登録者数も伸びないねと、そうしょげることもなく動画素材を撮ったり編集したりする。トライアンドエラーを繰り返し、しつこくやり続けることは、後々何かに必ず繋がる。

そういった体験と持論のもと、せっせと生産に励む。音楽制作も然りと、ほぼほぼ趣味の曲調のDAWプロジェクトを育てる。

昼間立ち読みした書籍にはこう記してあった。200年周期で、土の時代から風の時代に変化したのが2020年頃だと。

土の時代とは、物質や稼ぎや所有など、目に見えるかたちでの豊かさを望む時代。風の時代とは、個性の発信や精神的な豊かさなど、見えないものに対する充実を求める時代。だそうだ。

それって、心理学の「マズローの欲求5段階説」の登りっぷりに似ているなと思った。2段目の「安全の欲求」3段目の「社会的欲求」が土の時代だとしたら、4段目「承認欲求」、5段目「自己実現欲求」が風の時代のテーマなのではないかと。

そして、その説には実は6個目の段階があり、人間は最終的に無償の愛や社会的奉仕に務めることを望むという。それは、マズローさんが晩年に「あ、6個目あったわ」と、気づいたとかそうでないとか。

確かに俺は最近、「承認欲求」や「自己実現欲求」をいかにして満たすか、どうすれば誰かに喜んでもらえてなんらかの対価が得られるかという、エゴむき出しのスタンスでいる。

わりとそういう精神的ポジショニングで葛藤する人は今の時代多いのではないかと肌で感じる。それは、インターネットやSNSを閲覧すると浮き彫りになっていると日々思う。

大前提としてみんなで支えあって、楽しく生きようという点ではシンプルなのかもしれない。

とはいえ、俺あたりは、ちゃんと納骨したり借金返済したり、不満のない稼ぎを叩き出すことが先決なのしれないが。

解釈の仕方として、スピリチュアル的と示すとどこか抽象的だが、俺はわりと理にかなって具体的だとひしひし認める風の時代。ブワッと吹き上がりたい。
_08/18

 

 

 

 


半分を過ぎるとあとは楽になる。時間が過ぎるのが早く感じる。たとえば、20回腕立て伏せをする際、11回目から残りは苦痛が軽減する。8時間労働だったら4時間過ぎればあとは、さほど。といった感じだろう。

どうも今年に入って時間が経つのが早い。新年早々、コロナに罹患して10日寝込んでいた頃がつい最近のようである。

ということは俺は86歳で死ぬのかという計算になる。生涯の半分を過ぎたのかという感覚にならざるを得ない。

俺は暮石の横の先祖の享年を見てひとつ気が付いた。平吉家は短命が多い。80歳以上生きている先輩は1人も見当たらなかった。母親は60歳で死に、会ったことのないとある親類は35歳で死んだ。一番若いのは平吉光という方で、25歳没とのこと。

ちょっと待て、すると俺もそうなのかと戦慄するのが普通の発想だろうか。下手をしたらそろそろという体たらくもある。逆に、謎に96歳とかまで生きる可能性もある。

あと20年もすれば誰がどう解釈してもオッさん、いや、おじいちゃんまである。そうなってくると40代あたりはかなり重要なのではないかと兜の緒を締める心境になる。だが、仕事終わりに宅で寝る。いかん、休んでいる暇などない、活動せねばと思うが、眠気に抗えず。

少々の時間DAWを開いては閉め、そんな気持ちになる。人生なんて宇宙以上の感覚で言ったら刹那の一言。夏の風物詩・道端の蝉の死骸はそれを象徴するようである。

日々、何かを作って残しておきたい、何かを記しておきたいという、これらの能動は生への希求なのかもしれない。
_08/19

 

 

 

 


もう1,000回くらいはAIにプロンプト(指示文・命令文)を入力し、イラストを書き出している。すると、100分の1くらいの確率でかわいい絵が吐き出される。

それとオリジナル音源を足してイラストソフトと動画ソフトでコンテンツを作る。そんなことを初めて数カ月。今日もその作業にいそしむ。

今月5日から順次、YouTubeに公開してみる。どうせ最初は再生回数は行っても4回とか7回とか悲惨な結果になることは覚悟していたが、おとといアップロードしたやつが3桁超え行ったのでこれはワンチャンあると素直に喜ぶ。

いや、万単位で再生されないと満足するフェーズとは言えないが、とりあえずいまは高評価ボタンを押して頂けると自己顕示欲が満たされる。そういう段階というか、シンプルに感謝の念が湧く。

前提として、楽曲、コンテンツを誰かに楽しんでもらいたいというのが動機。そして、とある規定(ハードル高め)を突破して収益化、ならびにYouTube生配信がやりたい。思い切りやりたい。ここが一つ目のゴールである。

そして、本タスクの目的は、手前が何かアクションを起こす時に、大規模なプラットフォームであるYouTubeで告知することによって、ザッと広まるようにしたいという部分が大きい。

かなり時間がかかりそうであるが、コツコツ積み重ねることで達成に向かう。この過程は、生きている実感が湧く。だから、常にコンテンツ発信を絶やさぬように作業や楽曲制作をする。しばらくはそれを繰り返しながら新たな展望の思考アイドリングも止めない。

そうしているうちに、なりたい自分になれて、みんなにたくさん喜んでもらえるのだろうか。などとたまには真っ当なことを考えつつ過ぎていく夏の終わり。

ラジオで「若者のすべて」が流れがちな季節。夏も終盤。サマーエンジョイ・一人旅計画、結局ならず。秋に持ち越そう、熱海あたりでの豪遊案。
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埼玉県西川口へ7カ月ぶりに行く。当時は週に何度か、店員兼コンサルタントとして珈琲専門店『アルマンド』で仕事をしていた。それから時が経ち、今はかなり異なる暮らしをしている。たった数カ月でこんなにも環境が変わるものなのかというほど。

俺は『アルマンド』が、がらんとした空間に閉じていく光景を見たくなかった。だから、閉店後の2月の備品確認立ち合いも行かなかった。あの美しい昭和の傑作とも言えようレトロな店構えが朽ちた様を直視できないでいたのである。

『アルマンド』で勤務をし始めたのはジャスト1年前。接客をしながら、店内のピアノも弾いたりしていた。

“ビートルズ、ジョン・レノン、スティーヴィー・ワンダー、即興演奏、レディオヘッドなど、店内の空気に寄せつつも手前の趣味も若干ねじ込んだ選曲で弾く。”

と、記したのが去年のの8月21日である。お客さんが演奏を褒めてくれて、みなさんに喜んで頂いた記憶は深く残っている。

シャッターが閉まっていた物件。店の名残を感じさせる要素はいっさいなかった。張り紙には「原状回復工事」の旨が無機質なフォントで記されていた。要は、店が営業する前の真っさらな状態にすることである。

隣のパソコン教室の店長は当時の常連さんで、俺ともよく接してくれた。彼と会い、聞いたところ、アスベストの危険性などもあり、長らく工事が必要な状態が続いていたという。

「それじゃあしょうがないですね。大家さんが、俺や皆さんの希望である居抜き営業に対して首を縦に振らなかったのはそういった要因も――」

「うん。それに50年以上経つ物件だから老朽化もあってね」

「ですよね。俺は経営を引き継ぐ気まんまんだったのですが」

「残念だよね」

「それで、前話してた、預かってもらっていた俺の機材ですが…」

「ああ、スピーカーだよね」

店の音楽イベントで様々なミュージシャンの音をアウトプットした私物スピーカーを回収した。

「お店はもうすっかり片付いてね。何もない状態だよ」

「そうですか。俺はそれを、どうしても見たくなかったのです」

例えるならば知人が死に、本人確認要請があり、死体の顔を見て「はい。間違いありません」と、伝えるような、そんな心境であろうか。お店の場合はその必要はないので、俺は悲しくなることがわかっているのでコンクリート一色と化した店内を一瞥もしたくなかったのである。ただ、シャッターが降りていて、えも言えぬ感情で留まった。

帰宅して動画制作などをする。明日はまた別の、2月からお世話になっている仕事。『アルマンド』にいた頃とはかなり変化した日々のタスクに、半年少々という日々の濃さを感ずる。

また半年後、手前はどのように過ごしているのかと考えると、現状なのか、もっと変化しているのか、飛躍しているのかなど、様々な思いが過去と未来と今の想いが交差する。
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俺がギャルだったらショッキング・ピンクのビキニを装着して海へ行く。やたらと豊満な乳房をチラ見せしては男どもの目を引き、ナンパ待ちをしては寄ってくるチャラい輩の誘いをことごとく断る。そしてコロナビールにライムを挿し、ちびりちびりと舐めながらiPhoneで自撮りをしてインスタにアップする。その際、1.5倍ほど目に力を込める。

そういった愉しみ方が王道であろう夏。すでに背中を向けてしまっているような時期に浴びるスコール。赤羽は今朝、大雨であった。

普通に仕事をして、今月から始めたタスクを進める。YouTubeの動画制作およびアップロードである。昨日、X(元Twitter)で動画込みで訴求したところ、チャンネル登録者数が10人くらい増えた。

ああ、やってみるものだと思うと同時に、ただ待っていても増えないのは顧客と案件数と同様。「営業」「売り込み」「アピール」「プロモーション」が、どの分野でも必須であることを肌で感じる。

とはいえ最初の目標である数字には程遠い。地道にやり続けることもやはり何事にも通づるなと切に思う。

煙草を吸い散す軽音楽部所属という運動と無縁だった高校時代。俺はテニス部の上等なポジションの同級生に挑み、マラソン大会で勝利したことがある。そう、長距離走は得意なのである。

これを日々の凌ぎにスライドさせると、毎日やり続けることとジョイントする。どこかのタイミングで、必ずでかい何かと線が繋がる。点と点を線で結べと、スティーブ・ジョブズさんも言っていた。でかいかどうかは置いておいて、俺はそれを今まで体現したことが何度もある。

夏生まれの43歳厄年明け。夏くらいは海に行って女子に絡んでは撃沈するという、ほろ苦いサマー・バケーションに浸ってもいいのではないかと今夏を吟味する。

変わらず、マラソンをしているような暮らしであった。「だが、それでいい――」と、アニメ『賭博黙示録カイジ』のナレーションのような声が脳内再生される。そういったわけで今日もせっせと過ごす。

仲間が俺のチャンネルの公開楽曲をタイトルおよび評論込みで高評価投稿してくれたのを見つけたのが、今日一番嬉しかったことだろうか。

昔はそんなこと全くと言っていいほど無かったのだが、いつから俺はこんなに自己顕示欲が高まったのだろうかと怪訝に思う。しかしそれは手前のモチベーションでもある。誰かが喜び、脳汁ほとばしる。それでいい――気がする。
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酒の肴代もバカにならんと俺はコスト・パフォーマンスを熟考した。お新香やちょっとした塩味などの小皿的な、居酒屋の「お通し」的なメニューをどうにか安くできんかと目をつけたところで脳裏に巡ったのが近場の業務スーパー。

ここには、正に「お通し」で配膳されがちなしょっぱい食材がずらりと用意されている。メンマ、ザーサイ、山菜、もやしナムルなど、スタンダートな品は全てある。しかも大袋でのkg単位。「これだ」と思った手前はそれらを物色する。しかし、待てよと思う。

でかいのを買ってはみたものの、最初に一口食べて気に入らなかった日にはkg単位でゴミと化す。捨てはしないだろうが「おいしくないんだ」などと思いながら不本意に食べ続ける実に辛い日々が続くであろう。

ここは吟味が必要だと思い、とりあえず外れなさそうな山菜系の茎の根のようなスパイシーな品500gのやつを買った。昔IKEAで買った透明の漬物用の密閉式の壺に保存する。これは10回くらいに分けて食べられる量につき、一晩のアテにつき50円となる。

いける、コンセプト通りだと思い、とりあえずその謎の茎を食ってみた。すると、「こういうやつか」という真顔でしか出てこない系の感想がそっと漏れた。

不味くないが、旨すぎもしない、なんとも普通の味。食べ続けるのに苦痛を伴うレベルではないことにとりあえず安堵したが、やはり待てよと思う。

「稼ぐ」という昨年からのスローガンはどこにいったと。節制も必要だが、嗜好品をめちゃめちゃケチる事は本流ではないだろうと。

だが、なんとなしに呑むのにコンビニで200円のおしんこを買うのはどうも無駄遣いな気がする。それは今回の一連のムーブの動機でもあった。

いや、たった200円をケチることなど造作もないほど稼いで全力アルコール・ライフを悦しむことこそが人生の前進の証ではないかとハッとする。

とはいえ、1日200円と50円の差。そこではなく、年にあと数百万、数千万円の利益。そっちにリソースを割くべきではなかろうかと発泡酒をすすっては「気持ちいいっ」と口にする日々。

節制自体は合っている。そして稼ぐのは大前提。無駄遣いはしない。これぞリッチな生活への正道ではないかとスタンスを確認する。

そこまで思考を巡らせてくれたわけだから1日あたり50円の謎茎肴の購入は正解と判定する。

なお、家で呑まなければ月に数万円は浮くであろう。しかしその選択肢をはさむと完全に思考停止する。いくつ書いたかもう忘れたが、新たに加わる酒呑みあるあるのひとつ。
_08/23

 

 

 


東京は中野のセッションバーにカチ込む。初めて行く場。仲間とウキウキして過ごす。

ひと回し演奏し、煙草場でやれやれと憩う。すると、店内に居た男が話しかけてくる。「Your performance was charming!!」と。

あれこの野郎、どう見ても日本人だが違ったか、「そうか、チャーミングか!」と思い、「セクシーだったってこと?」と片言の英語で返すと「ソウデスネ!」などと言う。

あれ、日本語いけるじゃないか、国籍たるやと、俺は「どこの方ですの?」と英語で訊くとどうやら中国人であったもよう。名はリー君とのこと。

ギタープレイを褒めてもらって気を良くした手前は秒で距離を詰める。「X(旧Twitter)はやってる?」と。すると、中国ではTwitterもTikTokもGoogleも禁止という事実を初めて知る。

ははあ……と思い、とりあえずLINEを交換して仲を深める。リーくんは24歳。日本在学でビジネスを学んでいるという。ああ、こういう交わりも一興だなとセッションバーで数時間過ごしてはワールドワイドなひと時を過ごす。

村上氏と桑原氏と一緒にカチ込み、なごなごと音楽と共に夜を温める。そんな日があってもいい。そう思いながら5、6杯アルって酔いどれる。

名古屋から来た19歳の青年もいた。沖縄から来た歳の近い御仁もいた。60代〜70代くらいの亀仙人のような“主”的存在もいた。セッションバーは浸れるという雑感。

なにしろ、異国の若者に手前の生プレイを屈託なき笑顔で評価されたことに対し、シンプルに嬉しみを禁じ得なかった。綺麗目な表現だが、音楽に国境はないのだと体現した夏の終焉のひととき。

現在、7杯目くらいに手を伸ばしカタカタとやっているが、「これはチャーミングなのかなあ?」と中国の精鋭に聞きたいところ。

「中国ではそれは検挙されます」くらい言ってくれれば手前のだらしのない生活に喝が入ろうども「チャプリ」と遠慮なく手元で鳴る缶酒。日本万歳。
_08/24

 

 

 

 

 


森羅万象を追求しないと人間というのは許されぬ存在なのであろうか。そういった抽象的かつ大規模な心象になる。近所の大型書店で目的もなく書物を立ち読み漁るひととき。漠然と、そう感じた。

ビジネス書には、あらゆる視点をもってのクレバーに生きるヒントと答えが、成功者によって記されている。「ビルの管理に資格要るの?」と、初めて知るほど、ありとあらゆるジャンルの資格取得用途の参考書がずらり。

「世界にはこれほどみんなが認めるべき景色があるのか……」と声が漏れるほど様々な世界遺産を紹介する本もある。「エビデンスはどうなのだろう」と、冷静な考えも出てくるスピリチュアル系の本がザッと並ぶ。

「子どもの頃から、こんなにも深い真理に触れる必要があるのだろうか」と思わせる絵本がちょこんと陳列されている。

「描き続けないと、どういった生活になるのだろう」と想像を巡らせるほど、コミックコーナーは賑わっている。コケについての図鑑を手にとっては「やはりコケには一定数の需要が確かにあるのだな」と、納得する。

誰もが、何かを追求し、本にまとめる。それを読んで、人は知識を得て新たな見解を示し、その人間もまた、なんらかを行なっては形に残す。そうでなくとも、後世にあらゆることを伝える。

はあ、これが“巨人の肩の上に立つ”というやつかと、凪のような気分になる。「先人の肩」あっての手前とかなのかなと、ふと思う。

今日は1つ案件をこなして金を得て、あとは先述のような視点でいろんなコンテンツに触れる。

なにかを発信したり、行動したり、知識を共有したりしなければ人間は許されない。というわけではなく、要はみんなで支えあって生きていくことが根底にあり、結果、誰もが何かを追求するのがスタンダードという結論に落ち着いた。

だから、なにか作って発信したり、仕事をしたりするとシンプルに落ち着く。それは、ちゃんと人間をしているということだからであろうか。

することがなくてなにかをボーッと閲覧していても、それは後々自分の見解となり、別の形で、なんらかのスタイルで大なり小なり伝えられる。

誰であっても、普段生きていれば自然とそうなるのだなと思った。無職でアル中の人間がYouTubeでその様を発信する。「無職でアル中」というワードのみだとこの上なく非生産的だが、少なくとも俺はそのチャンネルを観て楽しんで何かを得ている。

ネコのように、本能おもむくまま食う、寝る、出す、の繰り返しと思いきや写真集になったりコンテンツ化されたりと、人間と共存している。コケもまた然りである。

生きているものはすべて繋がっている。部屋の明かりを琥珀色に落とし、音はどこからも鳴らさず、ソファでの微睡みから覚めてそう思った。

人間は、なんでもいいから、何かしていれば、何か思うだけでも、それだけで許される存在なのだと。前提として、心が病んでいる状態ではなくわりと元気に過ごす尻尾の時期。
_08/25

 

 

 

 


四の五の言わずに仕事をしろと、制作をしろと、何かアウトプットせよと、合理的人格の脳内部位がはたらく。ですよねと思い、その日に定めているタスクをチャキチャキこなす。

1日のメンタル的バイオリズムはだいたい決まっている。朝、著しくやる気なし。昼過ぎ、手を動かしているうちに全細胞がようやく活性。夕方過ぎ、スピードが乗る。夜、最も元気。ほぼほぼこのようなスランプグラフで推移する。たまに深夜、はみ出て作業が押す。

それくらいでいいなと思い過ぎ行く烈夏。まだ見つかっていないのかと呆れるであろう一人旅ならず。とはいえたのしい日常なのでよしとする。

「ヤクルト1000」を飲むと悪夢を見るという噂がある。昨日、飲んだ。そして、悪夢を見た。

まるで統合失調症に罹患した画家の傑作のような描写。異国で天然由来謎秘薬を飲んで飛ぶシャーマンとの儀式のようなビジョン。そのようなイニシエーションには参加したことはないが、きっと俺がよく見る悪夢のようなのであろうか。

悪夢とアメイジングな景色は紙一重。そういった実にどうでもいい確信を得つつ過ぎ行く抽象と概括が混じり合う日々。文字通りなのだが、実のところは何が言いたいのか俺も本当によくわからない。前提として、シラフかつ健やかな精神状態の0時ちょい。
_08/26

 

 

 

 


兄貴を慕う舎弟のように、「こんな人になりたい」という憧れの存在がいたら人生が豊かになるだろうか。

俺は高校時代にギタリストのジミー・ペイジに憧れ、「形から入ろう」とモッサモサのパーマにしようと思ったくらいだが、そういった類の憧れとは異なる。人物像、生き様、イデオロギーを尊ぶほどの“憧れの存在”である。

プライム上場企業の会社員が居たとする。10個くらい歳の離れた上司はバキバキに仕事ができる。プレゼンでは独特の物腰と雄弁な演説家顔負けのトークで役員含む社員を竜巻のように惹き込む。なんだかいつも上機嫌で暖かいオーラを纏っている。どんなに真面目な話の中にもさりげなくジョークをねじ込んでは屈託なき笑顔を見せる。

そんな、仕事場においての理想像がいたら、「あんな風に、なりたい」と思ってモチベーションも増すであろう。

「ファン」ではなく、「ああいう風に立ち回れたら格好いいだろうな」と、心底思える存在。それが手前にはいないなと昔からつくづく思っていた。

しかし今日、考えを改めた。これから出会うのではないかと。見つけ次第、俺は徹底的にその人に関わりたいと思う。生き様を参考にするだろう。理念をコピるだろう。その人と同じ視野に心を向けるであろう。

そう思うと、まだ出会っていないキーパーソンとなる人物とのドッキングが楽しみだなと思う。「アニキ」「先生」と超下から目線で懐きたくなる憧れの存在。どれだけの人間が、人生においてそういった人物と触れられているのだろうかと想像する。

いや、むしろそう思われる人間になりたいなというおこがましい考えも出てくるがそれくらいでもいいのかもしれない。誰かを慕いたい、慕われたい、という思いは動物にも似た感情はあるだろうが、どこか人間独自なのではないかなと思う。

一方で、居なければ自分の理想形を目指せばいいだけの話なのではないかという結論もある。それは、自己実現欲求というやつだろう。それをサポートしてくれるのが「憧れの存在」だろうか。

その欲を満たすためには、何かを成し遂げるのが手っ取り早い。しかし、「そこに近道は存在しねえな」と、最近始めたYouTubeチャンネルの各動画の寂しい再生回数を確認してはそう思う。

地道に進んでうまいこといって、いっぱいの人を喜ばせて、誰かの憧れになりたい。なんか綺麗な言い回しのようだが、これは手前の単なる自己顕示欲であろうか。
_08/27

 

 

 

 


日中ひと仕事をしていて、宅の近所の立派なライブハウスでヨディーさんが出演しているという一報を受ける。

そんじゃ遊びに行こうと思って赤羽の現地に行き、ジントニックを呑みながらリラックスして「大勢集まるライブは実にいいねえ」などと、目を細める。

楽屋で足立房文Pと雑談していたが、ちょっと手が必要とのことなので業務的お手伝いに努める。

関係者PASSを貼っているのでどこでも入れる。ひと段落してはステージに立ち、「ああ、ここに上杉昇さんが居たんだ」と、コロナ禍真っ最中に参戦したライブのことを思い出しては声に出す。

するとハコ(ライブハウス)のスタッフの綺麗な女性は「そうなんです。その時私、オペしてました」と言う。実に感慨深いなと思う、なにせ、上杉昇さんが所属していたWANDSこそが俺の音楽の初期衝動だからである。

そんな感じで楽しく過ごした赤羽ReNY alphaでの一夜。素晴らしかったライブ。

ライブハウスでは、たまに演者として出演させて頂いたり、スタッフ的に関わったり、超第三者目線のライターとしてレポートを執筆したり、いちオーディエンスとして居たりと、俺は様々な角度から関われているなという、ちょっと気づきずらい幸福を認識する。

音楽の現場で交差点に立ち、あらゆる立ち回りを許されていることに、感謝の意を禁じ得ない。とはいえ酒呑んで(1杯)業務していいのかと思うがそこも寛容されるあたり、音楽の場は気持ちが良いし心地よく、居心地最高である。
_08/28

 

 

 

 


定期検診へ行く。最近急に、というわけではないのだが、あまりに明瞭なビジョンの悪夢をやたらと見ることをポロっと伝えてみる。

「そうですか。それはね平吉さん、眠りが浅いからというのもあるんですよ?」

と、至極真っ当なことを言われ、新たしい薬を試してみるかという打診をうける。まあ先生がそういうならばと二言返事である。というかシンプルに興味があった。悪夢に効く薬に。

具合はむしろ良好ですという前提なのでいいかと思い帰宅する。ライター案件を受注したのでどれどれと一気に数時間ノンストップでやったらヘロヘロになる。原稿進捗率90%。よくぞやったと仮眠する。起きたらけっこう時間が経っていてびびる。

そういったわけで俺は根本的に睡眠が偏っているなと自覚する。新たに処方された薬はちゃんと、愛読書である『こころの治療薬ハンドブック』で吟味してからどうするか判断しようと思う。

基本的に、医師の言う通りにするのが賢明なのだが、俺は精神薬系に関してはその限りではないと思っている。なにせ、モノによっては希死念慮という副作用があるものもあるのだから。そこまで俺は深刻ではないだろうが。
_08/29

 

 

 


想定範囲外の物凄い作用で驚愕を伴う強烈な眠気を引きずる起きがけ。いっさい耐性のないない薬の最初のアプローチたるや、男女の初夜をも彷彿とさせる。

実にくだらない例えだなと思いつつ、呂律の怪しい一人朝礼をしめやかに執り行ない、仕事をして、後の時間はエロい仲間たちと肉を喰らい、酒を流し込む。

適度なタイム感で5杯くらい呑み、宅に戻ってカタカタとメールチェックなどをする。通じないだろうが露国から寄せるメールの送信者様たちよ、本サイトでは露語でセールス的内容のお知らせは対応しかねるのでご容赦くださいと一応記しておく。

夏も終盤。夏休みの宿題に追い込みをかけるちびっこたちにエールを送る。そのタイム感は今後、大人になってのタスク処理の感覚に直結するからいい感じに凌いでくれよと。

明日、明後日はライトに過ごす予定。最近たいへんいそいそとしていたからちょっとした休みである。プールに飛び込み溶けたい。今宵も仕事部屋でハイボール缶が「からん」と、鳴る。下衆な夏のひと時に愛を込めて。
_08/30

 

 

 

 


満足いくまで寝まくり午後、老舗の蕎麦を食べに行き戻り、珈琲を丁寧に淹れ、デスクに向かう。手元の原稿を精査して提出。そして、新たに新規案件の打診を受けたので対応する。

これくらいコンスタントに企業からも個人からもライター案件が来ると、俺の執筆意欲に仕事量に収入にと、トリプルで好ましいなと思う。

モサモサと一休みして夜、編集部の村上氏から案件を複数頂く。こいつは秋口からなかなか素晴らしいペースだと二言返事で受注。

昨今、新規案件の打診が多い旨を彼に伝える。村上氏は、俺がライターなるきっかけを与えてくれた重要人物である。そういったこともあり、近況をよく伝える。

彼曰く、「その案件はあれじゃないかな? 前に平吉が担当したアレを見て抜擢しようと思ったんじゃない?」とのことである。

言われてみれば確かに、と腑に落ちる。先月の案件も、そのような繋がりがあったことをご担当者様から口頭で確認できた。

やはり、点と点が線で繋がり前へと進む。「やっといてよかったな」というか、ちゃんと本気で各タスクに取り組むことは、その時の収入に加え実績となり、のちに掛け算として成り立つのだなと体現する。

そういったわけで、個人、編集部、企業様、絶賛案件募集中ですと定期的に記すのも大事だがその訴求は日記でするこでもねえなという自覚もある。

とはいえ、まずは自身がしっかりそう思っているということを認識し、潜在意識に叩き込むことも重要。日記はそういう役割も担うと、個人的にはそう強く、思っている。
_08/31

 

 

 

 


 

 

 

 

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