07/2023

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。 半魚人に俺はなる。7


あまり気にしない方だった厄年がようやく、そろそろ終わる。5月あたりからフェイドアウトするように過ぎていく肌感。

「男の本厄」と言われる42歳でどんなことがあったか。端的に振り返って「よく凌いだ」と自覚して、刺さりまくった様々な厄は今後のパワーアップの源泉となるということにする。

俺の本厄では、こんなことがあった。

父親死亡。立ち上げた新事業の失敗。その業務におけるお得意様の逝去。パニック発作予期不安頻発の再発。叔父死亡。経営者として事業を走らせる計画の頓挫。新型コロナウィルス感染。年間を通しての売り上げ低迷。

ほかにも「ちょっとこれはさすがに書けん」ということも加え、けっこう酷いことがたくさん起きた。端的に、近しい人が3人お亡くなりになり、心身ともに調子を崩し、金銭的にも芳しくなかったという、全部乗せのような厄年であった。

だがしかし最近はそうではない。厄年は終わった。これから加速するぜと、さらに頂いたライター案件を進めながら今日も奮起する。

1年間であんな酷いことが多発したが俺はなんとか持ちこたえた。そのように、逆境を乗り越えて自信となったと、きちんと捉えるべきである。

今思うと、昨年は様々なことにチャレンジした。「これまでにやったことのない、新たなことをする」という項目が本当にたくさんあった。しかしそれらは、実行するタイミングとしては最悪だったのかもしれない。

ほぼ全て失敗となったが、そこから得られる経験はとてつもなく大きい。そして、見解や思考に良い影響を及ぼした。そのようにポジティブにとることにする。

そういったわけで、厄年で被爆した様々なことは、今後の手前の大きな源流となるということで手打ち。

「酷い1年だった」と、客観的に回顧することもできるが、そのなかでたくさんの楽しいことや、たくさんの人の優しさに触れた。これこそが、一番忘れてはいけないポイントである。

厄年で最も強く感じたことは、「人間は、逆境に晒された時にこそ、その本質が露わになる」ということである。

それは、自他共に感じたこと。俺がヒイヒイ言ってる時にどういう行動をとるか。どんな精神状態になるか。そんな時の手前に接してくれる人たちが本当はどういう性質か。それが如実に明るみに出た。

総じてやはり、俺は、周りの人たちに恵まれている。何度も記すが、そこに対する感謝の意は禁じ得ない。
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あまりにも鮮明に覚えている夢の内容が、夜まで頭に張り付いている。それは病的なのか、正常なのかは、わからない。

昨夜、死んだ叔父が夢に出てきた。彼が急逝するまでずっとマスターを務めていた純喫茶『アルマンド』での描写もあった。

叔父は、謎に財布とスマホを持ち忘れた俺に、西川口駅で、後ろ姿で金を渡してくれた。その後、俺は店に行って様々な感情が生じたという内容。

起きたら、引くくらい悲しい気持ちで、それは1日中続いた。なんだか、1月12日の命日には不謹慎なほどに全く感じなかった悲痛が半年遅れで、夢経由で一気に溢れ出るようだった。

今だから記せるが、当時、『アルマンド』ではイケメンボーイズグループ・Jo1の木全翔也さんが出演するドラマ『しょうもない僕らの恋愛論』のロケを行なっていた。

俺も何度か立ち会い、「ああ、イケメンだな。そういやJo1のコラムを何回か書いたな……」などと思いつつ若きホープを眺めていた。

俺は叔父に、「彼はその、大人気グループの一員で――そういったわけで、福山雅治さんご来店後の時みたいに、ファンがきっと聖地巡礼に来るよ」と、バブル到来ほぼ確の旨を説明した。

「ああそうかい! きまた、きまた君ね…じぇーおーわん……ね!」と、その名前を忘れぬようにカウンター内に貼った手書きの紙を眺めながら叔父はそう微笑んでいた。

案の定、ドラマ放映前にも関わらず、Jo1ファンが日曜日をメインに店に訪れまくった。放映前の予告トレーラーか何かで店内の様子が放映され、そこからロケ地が『アルマンド』であることを特定したファンがSNSなどで拡散したもようだった。

売り上げは跳ね上がった。俺はよっしゃと思った。叔父もまた、嬉しそうであった。とはいえ、シンプルに2人とも疲れていた。それくらいお客さんが増えたのである。

叔父はうら若きJo1ファンのお客さんに「きまた君はイケメンだよぉ〜」と、きさくに接客してはニコニコしていた。俺は、「ああ、よかったな。この店の未来は明るい。叔父が疲れても、俺に任せとけ」と、経営する気満々であった。

しかし、今日思った。もしかしたら、あのロケ自体、行なえば客が激増するのは明白と予測していたのだから、そこを鑑みて、激務となることからの叔父の体調を気遣うべきだったのではないかと。

もしかしたら、叔父は忙し過ぎて、体力の限界が来て――などとも思った。派手なプロモーションに繋がることは避けて、地味にコツコツ売り上げを増やす別のアプローチが適切であり、俺はそこをちゃんと判断する立場だったのではなかろうかと振り返った。

されど、もっと叔父は長生きして、気が向いた時にだけ店に来て余生をもっともっと楽しめたのではないかという考えが頭をよぎった。

罪悪感とまではいかないが、俺はそれくらい当時は店の売り上げファーストで全てのことを進行していたので、今日、そんな気持ちになった。

寿命なのか過労なのか必然なのか防げたのかはわからないが、俺なんぞが叔父の、人間の死をどうこう解釈するのはおこがましいのかもしれない。

しかし、今でも、もしかしたら、今この時期になっても、「遠くから来たんだね? ドラマを観たんだろう? きまた君はここのカウンターの席に座ってねえ…イケメンなんだよ〜生のきまた君は!」と、チャーミングな表情でお客さんたちとほっこり過ごしてみんな幸せだったのかな、と思ってしまう。

そんな叔父は、夢の中で、「あ、叔父さん! 財布もスマホも忘れちゃった!」と言ったら無言で1万円札を差し出してくれた。「多いよ! 千円貸してくれればいいんだけどいいかな…?」と言ったらスッと千円札を渡してくれた。

俺が幼い頃、両親に『アルマンド』に連れて行ってもらった。叔父は笑ってお年玉をくれた。五千円が入っていた。そこで俺は生まれて初めて「五千円札」を認識した。そこまでセットで思い出した。

叔父が俺にとってどういう存在だったかというと、一言では言い表せない。しかし、仕事や人間関係や健康面や金銭面に精神面も――全てにとって俺がありがたいと心底思える言葉をたくさんくれる人だった。俺にとって、リラックスできる教会のような場所の神父のようだった。

俺はいまだに、叔父の死を受容できていなかったのかもしれない。

夢の中で叔父さんが後ろ姿で無言だったのは、「ケンジ君、さようなら」と言っていたのかもしれない。

お金を渡してくれたのは、俺を応援してくれている意味なのかもしれない。

この時間になっても、まだ悲しい気持ちが消えない。今、一瞬だけ、仕事部屋のエアコンから『アルマンド』の匂いがふわっとした。気のせいなのかもしれないが――ありがとう叔父さん。さようなら。
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出稼ぎに行き、帰宅してストック収益の集計をし、原稿をやる。めちゃめちゃデスクワークしてくたびれるも、集中力が続くので一気になる。

雷が鳴り、50Hz以下であろう低音がブウウウウンと物件に響く。ビクビクしながらカタカタと仕事をして過ごす。

とにかく仕事をして稼ぐ。最近、持ち株がわりと上がり続け、調子に乗りそうな気分になるがとにかく仕事をして稼ぐのが本流。そのように、静かに仕事をして暮らす。いっぱい仕事をすると酒が美味しい。それはこの世の真理のひとつ。
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熟睡して起床、洗濯、一服、蕎麦を食う。近場の普通の蕎麦屋に初めて行く。テーブルに雀荘的デザインの灰皿が置いてあるレトロな趣向、昭和な佇まいの普通の店。味も普通。本当に普通だったなと呟きながら帰宅して仕事をする。

ここのところいい感じのモチベーションなので原稿が進む。時間が来たので定期検診へクリニックへ。

「だんだんいい感じになってきました」と、主治医に伝える頻度のなかなか低い発言をし、自分でもそうであることを自覚する。

適当に街をぶらつく。駅前に『ドン・キホーテ』が開店していた。激しい圧縮陳列の店内。謎にアダルド・グッズコーナーを探すも見当たらなかった。そうか、ないのか、などと呟きつつ帰路につき、また原稿をやって提出する。ちょいと寝て制作をする。

モータウン的なファンキー楽曲がほぼ仕上がる。音楽好きが聴いたら「ジェームズ・ブラウンみたいだね」という感想が返ってきそうな音像。それは、コンセプトに沿っている。着手当初のイメージが明瞭な形になるのは快感。

空は夏の夕方を思わす茜色。だんだんと、よい方に舵が向いているという雑感の1日。たいへん穏やかな心境の良日。
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出稼ぎに行く、原稿を確認する、楽曲をプラットフォームへ申請する、案件の対応をする。とても真面目に各種行なう。制作もしたかったが、10分仮眠のつもりが45分寝てしまい時間足らず。

さいきん、時間とは寿命であると本気で思う。とはいえ、休憩もしっかり必要。

だがしかし、したいことがたくさんあるので、冷蔵庫に3本あるレッドブルでも注ぎ込んでガッツを見せるという方法もあるが、俺はどうもアッパー系のやつは体質に合わない。ダウナー系のアルコールが一番しっくりくる。

その酒の量もなんだか今年に入って以前より減ってきたのは日々に満足しているからだろうかと綺麗に認識する。

3本くらい適当に呑んでさらに深夜、おかわりを買いに行くという蛮行におよぶ時は、決まって仕事が少なかったり、どこか不完全燃焼の日であったりする。

そう考えるとよい傾向かなと思う。ここのところじわじわとゆっくり、何事も、よい流れを感じることがある。

そのまま人生中盤以降想像より遥か上を飛躍したいなと、そうある前提で日々をポジティブに捉える。これ大事、などと今日も自己啓発に励む。
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アラフォーあるある。健康管理についての話題が増える。そのへん気を遣っている同年代の足立くんに「俺は水泳がしたい」と言うと秒で「ひらの家の徒歩圏内にプールがあるよ!」と、調べてくれた。

俺は平泳ぎなら永遠に泳げる自負がある。そのプールに通い、美しいスイミングスタイルを披露し、周囲から「半魚人」とあだ名を付けられてざわつかせるフェーズまで行きたい。そういった欲がある。

季節は夏寸前。好機と言っても過言ではない。「しかし水着がないなあ」とこぼすとヨディーさんは食い気味に「平吉さんはブーメランパンツです!」と、屈託なき笑みで提案してきた。

悪くない。経験上、こういうのは振り切った方がいい。そう思い今日ネットで調べたところ、ショッキングピンクの8,000円くらいのやつが目に飛び込んだ。レコメン文句は「超注目」とのことであった。

赤羽の雄・ピンクの半魚人。そう呼ばれたい。しかし、ここで即決で購入に至らないのが俺のウィークポイントでもある。思い立ったら形から入ってさっさとプールに行けばいいのに。

近所のプールで注目の的。さらには健康体が保てて、メンタルも強化されるだろう。いいことしかない。キュンと胸がときめく。

そんなことを話していたのはこの間のこと。加えて、仲間のみんなが「誕生日プレゼントは高い酒のボトル1本と、業務用のクソでかいやつどっちがいい?」と聞いてきて「後者だ」などと答えるほっこりしたくだりもあった。

その時の会話の文脈の記憶がみんなどうかしていて、俺の誕生日にそっとブーメランパンツを贈呈してくれたらどうしようかとも思う。それはそれで下半身から昂ぶることは明白。

とりあえず、件のプールでの俺の最終形を想像するだけでも気分は上がる。ふと、『究極!!変態仮面』が頭をよぎって興奮してくる夏の気配。
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思い立ったら行動、即実践が成功への近道。何事もそうあるべきであろうと、俺はプールへ向かった。下見である。

ふわりと香るなんとも懐かしい塩素の匂い。学生時代以来、泳いだ記憶がない。どうにもワクワクとしてきて、物販をそっと眺める。

興味があれば、その気になれば、すぐに購入に至るであろうと、水着もゴーグルも耳栓も、泳ぐに必要なアイテムはすべて揃っていた。優秀なLP(ランディング・ページ。縦にクソ長い通販サイトのやつ)を彷彿とさせる。

ブーメランパンツの半額で売っていた水着、そしてゴーグル、耳栓――「タオルもありますか?」と係の者に聞き「はあ。ございます」とのことだったので全部買って俺は泳ぐことにした。

しめて6,500円ほど。高くはない。下見ではなく、実践とした。前提として、プールに入るのに下見などいらん。

パッと着替え、『賭博破戒録カイジ』の地下強制労働施設のシャワーみたいなブースを歩き体を清め、いざプールへ。

流れる円形状のプール。内側には競泳スタイルの列がいくつか。中央にはウォータースライダーという造形であった。

何十年かぶりに泳ぐ。雑感として残るのは、「めちゃめちゃ最高であった」か、「思いのほか、歳を感じた」の2択であろう。

そう思ったが、入水して本能赴くままスイ〜っと水流に身をまかせると、まるで昨日も泳いでいたかの如くスムーズに体が動いた。

俺はイワシのムーブを意識してクネクネと流れた。犬かきをした。平泳ぎをした。クロールで張り切った。バタフライと平泳ぎをミックスした謎の泳法も飛び出した。

スススイと何周も流れる。水面に差す日光と波のビジュアルは太古の生命の起源をイメージさせ、たいへんファンタスティックであった。

クソバイブスが上がる、とまではいかなかったが、ものすごくリラックスできた。かなり泳いだが全然疲れなかった。やはり俺には案外、水泳に適性があるのかもしれないと、25mのレーンを全力で泳いでみた。まこと余裕であった。

ちびっこで賑わうウォータースライダーで流されたい欲をグッと堪え、小1時間で上がる。脱衣所で鏡を見ると手前の瞳は輝いていた。したいことをするということがどれだけ大切かと体現した。

施設を出ると、プール上がり特有のあのノスタルジックな感覚が身を包んだ。これはもう月に数回は来ようというルーティーンが確定した。

予想以上に、健康によさそうである。予想以上に、気持ちもスッキリした。水泳という趣味ができた。

とはいえ、それっきり、ノリで買った水着には今後何年も着ずじまいになる可能性もわりと高い。いや、半魚人に、俺はなる。
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もちろん俺は強かな筋肉痛を恐れていた。それほど、昨日は全身を使い、イワシのようにピチピチとプールで戯れていたのである。一人で。

しかし起床すると多少、言われてみればそうかもね、程度のコンディションであり、手前のフィジカル的な自信を得た。

いける、なんなら大会とかそういうのあったら積極的に狙っていこうと、仕事以外の意欲も蠢きQOL(クオリティ・オブ ・ライフ。生活の質)が爆上がる。

日中、心なしかいつもよりもメンタルがスッキリしていた。やはり運動は健康の要だろうか、当たり前のことだがしっかり実感。健やかな暮らし。

帰宅してバッドナイス常田さんの動画などを観て休憩し、その後に動画作成などをする。明らかにメンタルがイカれている時期の心情を表した楽曲をメインにチョイスしたシリーズの9本目に差し掛かる。

そんだけストックあるならさっさと公開すればいいとも思うが、タイミングを見計らっているのである。とりあえず動画制作はたのしい。

そのように自然の水脈をたぐるように暮らす。健勝なり。とはいえ明日、二日遅れの筋肉痛に見舞われた際の悶絶は想像に容易い。
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普通に起床し、どこも痛くない。夜、最近は制作以外でしっかりとギターを弾いていないなと思い、ガチのテンションで演奏していて思った。俺が泳ぐとき体の使い方は、ライブ演奏時くらいの感覚に似ていると。

だからあれだけ久しぶりに水泳をしても筋肉痛には至らなかったのであろう。となると、興行案件でも制作でも練習でも、ギターを弾いてたまに泳いでいれば俺はもっさり中年太りとはならず、健康体を保てるということになる。

いける。いけると思ったのでそのポジティビティを抱いたまま新しい曲のネタ出しをするも何も出ず。そういうこともある。しかし、定期的に立って本気でギターを弾くことに意義がある。俺のイデオロギーを揺るがせないことに直結する。

知人の桑原氏は、合気道をやっているという。それもまた、自身が自身である思想や観念をブレずにいるためなのかもしれない。

俺でいうと、楽器演奏とライティングである。これらを毎日することで、自分らしくいられることをキープしている。俗にいう、アイデンティティである。そこから収益が発生すればするほど、それはどんどんブーストされる。

“僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない 正しいものが何なのか それがこの胸に解るまで”――という尾崎豊さんの詞がある。

それは、案外内面的なことを歌っているのではないかと思った。個人的な解釈であるが、どこか、フラストレーションを払拭し、自己同一性を輝かせたいという想いが込められている気がした。

実際のところは尾崎豊さんに聞かなければわからないが、俺あたりは、自分らしいことをしていないと、“勝ち続けなきゃ――”という自身のあらゆる意識に逆心すること他ならない気がする。

よく、「自分に負ける」という表現がある。手前で行ったらギャンブルをしたり無駄に深酒することがそれにあたるだろう。

それは、俺らしくもあるが、確実に負けている状態の自身である。だから、勝ち続けるためには負けの行為を封印して、納得できる自分らしい行為を解るまで続けることで、自己が確立されるのではないかという思考に至った。

要は、たまに普段ぜんぜんしないことをして、普段のことをしっかりすると、新たな悟りじみた思念が発生するということ。この一連の見解が合ってるかどうかは、知らん。
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企業案件のクライアントとの打ち合わせ。しかもご新規様。めちゃめちゃ大事な局面である。俺はひと仕事して夕方、改めて洗顔をして喝を入れて臨んだ。

超アグレッシブに攻める心境で、紳士的にフランクに。そういったスタンスでリモートでの会議。コロナ禍を経て、あえて「経て」と言いたい。経て、打ち合わせはリモートがとても多くなった。

俺は仕事の打ち合わせが大好きである。初対面でもそうでなくても、たまに話が脱線したり、本題に戻ったり、また脱線かなと思ってそこに乗ったりと、そういうやりとり自体のグルーヴが気持ち良いのである。

だがやはりメインのくだりはビシりと、なんならもっといけますぜと言わんばかりに、ビッグマウス的にでかめの提案などを差し込んだりして案件自体をお互いに盛り上げる。そういうのが心地良い。

後ほど、頂いた議事録を読み返すと「ずいぶん手前で思い切りハードルを上げたもんだ」という所感が残るが、それくらいでいいと思う。攻めすぎかな、くらいでいいと思う。

「消極的です。もっと積極的に」と、小学校の頃は毎期のように通信簿に書かれていた。しかし今は違う。「攻め時の見極め」をようやく意識したのである。

人間、チャンスはわりと平等に与えられるとする。しかし、逃す人が多いと見識者が言うことが多い。そして、その理由として「チャンスであることに、そもそも気がつけない」という特徴があると言う。

俺は当該案件を秒で大チャンスと捉えた。だから、打ち合わせの段階からわりと攻めると決めていた。

内容自体は、ほっこりした雰囲気でいい感じに進行した。あとは、後日案件を全力で行なって先方に判断してもらって、次に繋げることである。

この、「次」「継続的」に対してのアプローチを最初の段階でバンバン打つことが、今日においての俺的な攻めである。

“チャンスとは、『桃太郎』に例えると、川から流れてきた桃を発見した時のおばあさんの状態である”と、する。

洗濯中に川から謎にクソでかい桃が流れてきたら、一般的視点だとどうだろう。当然「有事だ」と、引きまくってスルーか、現代だったら「桃でかすぎのうえにドンブラコとかいって流れてけつかる。草」と、撮影してSNSに投稿するくらいにとどまるだろうか。

しかし、おばあさんはチャンスを掴んだのである。

あろうことか、その異常事態に正面から向き合うどころか桃を担いで宅に持ち帰り、叩き割り、元気な子をゲットした。

おばあさんはその自然の摂理に反しまくっている事件ともいえよう事象に対して、引くどころか「桃から生まれたから『桃太郎』という名前にしましょう!」などと嬉しみはしゃぐサイコパシーもチラ見せする大物である。

そして、物語で誰もが知る結末のように、桃太郎という子は鬼を皆殺しにして(このへんうろ覚え。殺めてはいなかった気もする)大量の財宝をかっさらい、おばあさん夫婦の老後に余裕どころかありあまる富をもたらしたのである。

要は、判断しかねる新たな機会を目の当たりにした時、「よくわからんからやめとこう」と傍観するか、「様子見」とするか、「思い切って攻めるか」という選択のうち最後者が「チャンスを掴む」という例えである。

だから、俺は先日メールでご提案頂いた時点で「これはでかい桃が流れてきた」と判断して、攻めているということである。

この姿勢が昔からあれば「消極的」などとは評されなかったであろう。検討を祈る。そう手前に言ってやりたい。ちなみに、“『桃太郎』理論”の発案は俺ではなく堀江貴文さんが言ってたやつだが。
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音楽をたくさん聴く。Clarkの今年のニューアルバムを聴く。新しい学校のリーダーズの「オトナブルー」(2020年)を耳に集中して聴いてみる。YOASOBIの「アイドル」(2023年)を目をつむって聴いてみる。寝ながらディアンジェロの曲をたくさん聴く。

良質な音楽と、流行る音楽と、売れる音楽と、気持ちいい音楽というのはそれぞれ違うのだなと感じた。

手前だと、一番好きなのは気持ちいい音楽である。薬のような音楽が好きである。だから今日は最初にClarkを聴いた。

とはいえ「バズる曲とは」という考察も大事なので、あえてマーケティングな観点でリスニングして考えたりした。すると、「これは確かに流行るわ」と納得する部分がいくつも出てくる。リリース時期を超越する場合も多々ある。

それが何故なのか、と言うと野暮なので述べないが、とりあえず俺はひっそりと、身近で誰とも話題として共有できないだろうなという気持ちいい音楽に浸る。何となく、そういう音楽の楽しみ方も好きなのである。

「手前の界隈では誰も聴いてないだろうが、これは最高にいい」というやつをリラックスして聴く。今日だと、寡作で有名なディアンジェロがしれっとリリースしていた「Unshaken」(2019年)という楽曲や、Radioheadのトム・ヨークがちゃっかりプロデューサーを務めたClarkのアルバム『Sus Dog』(2023年)などだったりする。

今日は明らかに溜まった疲労を感じていたのでほぼ休み。当サイトのダウンロードページの更新や動画制作。2時間ほどしか作業していない。あとは音楽をゆっくりじっくり聴いていた。そんな日もあっていい。

ディアンジェロの楽曲「Untitled (How Does It Feel)」(2000年)のように独特な、ドラッギーなグルーヴのように流れる1日。
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東京都は昨日から狂ったように暑く、誰もが参っている。俺だけではないと、そう言い聞かせてせっせと凌ぐ。

あれだけのんびり休息した翌日なのに気だるいのは、シンプルに気候のせいのことにしておく。夜、帰宅してメールなどをチェックした後にソファで休憩する。いくぶんか回復したので動画編集ソフトに張り付き手前の楽曲の動画コンテンツ化に励む。

梅雨は晴れたのだろうか、恐ろしいことばかり執拗に起きた42歳厄年はこのまま過ぎ去るのかと、1日1日の変化を感ずる。

何かを始めるのに遅すぎるということはないと、そうリマインドしながら、これからも果敢にアプローチして人生を謳歌しようと思う。

毎日着々と何かを進めつつ、たまに新たなことを始めたりすることは精神衛生上とてもいい。最近は、メンタルの平穏に対して、本当に感謝している。
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酒3本呑んで就寝、起床。体調ノーマル。さいきん採血も献血もしていないので手前のγ-GTPの値(アル中レベルになると激高になる肝機能の指標)は大丈夫かとも思うが元気。酒とは細く長く付き合う友だちでいたい。

友だちは友だちでも悪友であってほしい。青春時代で言うところの、著しく校則に反するヘアスタイルをしてはいるが深い人間味があってエモい友だち。

原チャリで2人乗りしては、自販機で珍しいタバコを割り勘で買って吸って感想を述べ合うような友だち。

夜な夜なカラオケに行っては、B’zやL’Arc〜en〜Cielをかっこつけて歌って朝まで過ごすような友だち。

学校を休憩時間に抜け出しては近場の公園でパチスロの話にふけるようなしょうもない友だち。

補習をサボりすぎて、補習の補習、もはやなんと呼んでいいのかわからない「これを受けなければ卒業不可」という最果ての課題を一緒に受けさせられては「酷くね?」などと自身らの愚行の積み重ねを顧みないような友だち。

べったりくっついているとお互いにとって良くないが、付かず離れずだと会うだけでテンションが上がるような友だち。そういうのが凄く好きである。

酒もそうだが、基本的にいま、自分が関わらせて頂ける人たちは、良い意味でそういうフィーリング。それはやはり恵まれていると断じたい。

人間関係の心地良さ。それは、やはりお互いの距離感にあるのではないかと思った。アラフォーで独り身の体のいい言い訳のようにも感じられるが、そのへんの価値観は人それぞれだと信じたい。というか酒との距離感と人間関係を並列に考えるのはちとナンセンス。
_07/13

 

 

 

 

 


一件依頼の対応をして金を得る。あとの時間は制作をする。ストラトキャスターを構えて進捗率0%のネタ出しからである。

気がつけば4時間ほど。30秒尺のロックサウンドというコンセプトでギター3本、ベースの録音およびドラムスの打ち込みでスススと進む。イメージ通りの楽曲が進捗率80%まで一気に進む。

曲作りはウンコみたいなもので、出ないときは出ないが、出るときはスルッと出る。そう語っていたのはどこのパンクバンドのボーカリストだったろうか。わりと共感できるところがある。

今日は夜飯を飛ばしたので、もり蕎麦とちっちゃいタルト一個しか食べてない。制作が進むと食欲が満たされる体質。俺がずっと痩せっぽっちなのはこの要素がけっこうでかい。

金稼いで創作が形になる。ああ満たされると酒を買いに行く。日常のなかの幸福。そういうのをちゃんと認知できているうちは、変なことには手を出さんだろうと、人間らしい生活を送っているつもりである。長閑に流れていく夏の入り口。
_07/14

 

 

 

 


出稼ぎに行き、昨日の案件の再対応をし、制作をする。端的には一行で収まる日の内容だが、そのなかで様々な感情がある。

なんだか調子がよいなとサクサク動いたり、なんとなく苛立ったり、思いもよらぬ連絡に嬉しんだりと。

1日で得る情報量が恐ろしく増え続ける昨今、生じる感情もそのぶん増えるのかなとふと思う。そのなかで心の平穏を保つのはそれは容易ではないなとも感じる。

とはいえ、常に何かやることがあること自体が気づきずらい幸せであろう。なんもすることがないのが一番地獄であろう。

ということは今は幸せであると実感できる。手前も随分ポジティブになったものだなと思うが、もっと稼いだり、評価を得たり、皆と適度に濃いめに過ごせればさらにポジティブが増幅してほぼほぼ躁状態みたいになるのかなと想像する。その景色が見たい。だから明日も張り切っていこうと思う。
_07/15

 

 

 

 


蝉が地中から出たところで即死するのではないかという程の暑さ。参る。汗だくになってカップ焼きそばを食う。もたれる。

気象庁の宣言こそないものの、どう考えても東京あたりは梅雨明けだなと、お湿り少なき6月・7月だったなと回顧する。

俺の42歳厄年もあと1週間を切る。悲劇の中にも生気あり。あとあと、「ひどいことも多かったが、だからこそ作ったものも残ったな」と振り返れるものもたくさん作った。

今日あたりは、着手中のロックミュージックのミックスをする。Rage Against the MachineやMåneskinのようなサウンドを意識する。とはいえ結局、源流はLed Zeppelinであることは洋楽ロック好きとしては明白であろうというところ。

具体的には、ギターリフにドラムが寄り添うポイントにあると思っている。ドラムがビートを刻み、それにギターやベースが合わせるというよりも逆で、テーマフレーズのリフレインにドラムがついていく感じが基軸という感じであろう。

そこにミックスの手法であるサイドチェインなどを各ビートパートにナチュラルにかけまくると、かなり本格的になる。なかなかマニアックだがこのスタイルを身につけておくと、ロックサウンドは海外寄りのカッコよろしい感じになる。

いちいちそのようなことを考えずに作業しているが、1970年代から培われてきたロックサウンドのお手本に敬意を払いつつ制作する。地味ながらも着々と過ぎていく猛暑の入り口。
_07/16

 

 

 

 


どうも起きがけ覇気がねえなとしんどいが全部烈暑のせいにする。しばらくしたらなんかやる気が出てきたのでよしプールだ、プールへ行こうと、このあいだ衝動買いした水泳セット一式を抱えて元気に向かう。

しかし今日は海の日。だからかどうかは定かではないが、コロナ禍以前のフェスの如くめちゃめちゃ混んでいていた。よもや市民プールで「入場制限」というものがかかることを初めて知り、時間がもったいないので尻尾をぶら下げるように帰宅。

原稿の戻りがきたので確認をする。仕事をする。暑さたまらんとひと休憩し、制作をする。だいたい仕上がってくる。

ここ数年の夏あるあるだが、8月よりも7月上旬から中旬にかけてが最も暑い。あとはほどほどの気温となることを願う。少年時代の湿気の少ないカラッとした夏がなつかしい。すっかり時代も気候も変化したのだなと実感する夏のひととき。
_07/17

 

 

 

 


やっぱり覇気がねえなと、どうも数日、情緒不安定だなと、そんな42歳男性はいやだなと率直に思う。

ここのところ、起きて、どこにも行くこともやることもないというシチュエーションは御免だという恐怖をおぼえる。

そういう時は、やった何もねえぜ。遊ぼう寝ようだらけよう、といった心境になるのが普通なのであろうか。

やることがない、居場所がない、誰とも必要とされない、それは寂しくて死んでしまう。などという、まるで10代のカリスマ歌姫の歌詞の世界観のような気分の日もあるのだなと手前で驚いた。

それもあってか、今年2月からお世話になっている組織へ出稼ぎへ行き、同僚のみなさんと一緒のデスクでガヤガヤと仕事をしているとたいへん安心する。

これで、帰宅して「お帰りなさい」「ニャー」などと、家族のいつもの出迎えでもあった日には、俺は正真正銘健全な精神を保てるのかな、という風に想像した。

ふと急に一人が寂しくなるなどということは今まで経験したことがなかった。というくらい、今日はそのような気分に纏われた。まあそんなこともあるよなという風に深く考えないあたりは、正直賢明とは言えないとことは頭では理解している。

「残された子羊に あとはゆっくり任せて 残されたガラクタとお前に 居場所はない 居場所はない ヘイヘイヘイ」

という一節を、カート・コベイン風の唱法で歌ったパンクバンドが2003年にいた。活動期間はちょうど1年くらいと、そこだけはセックス・ピストルズと同じで一丁前のパンクバンドだったが、信じられないくらい売れなかった点は相違する。

俺はそのエレクトリック・コインライトというふざけた名前のバンドにギタリストとして所属していた。ちゃんとしたレコーディングスタジオでアルバムも作った。

その時期である、ほぼ20年前とは真逆の気持ちを、心当たりのある理由なく味わった1日。というだけの話。なお、当該バンドはネットで検索したところで1ページたりともヒットしない、もはや俺と当時のメンバーとわずかなオーディエンスの記憶にしか存在しない。

ギターとバンドと少々の酒とパチスロさえあれば何も不満がなかったというクソのような時代。今思うと、せめてもうちょっとセールス面を頑張って全国流通くらいまでもっていって、今もたまにどこかで鳴っていてほしかったなと悔やむ過去。

ただ、楽しかったからそれはそれでよしとする。そういう様々な居場所を経て、今に至る。
_07/18

 

 

 

 


昨夜、『パラダイスロスト』公演というライブイベントの2年前の配信映像を謎に見続けて懐かしむ。高画質、高音質なのでこれはいいなあなどと感心しながら酒を呑む。ちゃんとギター弾いてるなあと手前や各メンバーを俯瞰する。宵っ張る。

そういった明瞭な理由込みで寝不足となり、なかなか昼過ぎまでしんどい。気休めに「Q&PコーワゴールドA」を一錠舌下、嚥下するとシンプルに効く。単純だなあとせっせと仕事する。

帰宅してコンテンツ制作して思う。やはり、昨夜見返したライブ映像もそうだし、音源や動画や写真など、あとに記録として残るものはいいものだと。自分が、そこに関わった人たちが、「ちゃんとこのように生きていましたよ」という形として時間を超越するあたりがエモいなと。

同じ時間でも質がある。なんとなしに過ごした24時間と、24時間かけて作った5分程度の楽曲とでは、後者の方が質が高く濃い。その5分程度に様々な歴史や作者のバックボーンやパーソナリティやライブ感が凝縮されている。

リアルタイムでもそのようなことが言える。なんとなしに過ごす1年の間柄と、集中して対面して何かを全力で行なった1時間とでは、明らかな違いが生じることもある。

市場で絵描きがマダムに似顔絵をせがまれた。絵描きは、サッと30秒で見事に書き上げて渡し、喜ばせた。そして、3万ドルの報酬を要求した。

マダムは言った。「冗談でしょ? 確かによく描けているけど高すぎだわ」と。

絵描きは言った。「ここまで描けるようになるまで30年費やしたのです」と。

要は、その短時間に対し、そこまでに達する経験値と技術を鑑みれば300万円超など妥当なところだというお話。その絵描きの名前は、パブロ・ピカソ。

俺はこのエピソードがとても好きだ。偉大な画家と比較するのは恐縮だが、例えば手前がギターレッスンを1時間行なったとする。個人レッスンの相場からしたら2,000〜3,000円くらいだろうか。だが、俺は今くらい弾けるようになるまで27年費やしている。そう考えると少なくとも1万円は請求したい。

そういった視点で人と向き合うと、「この人と話していると――なんだか感じる。いろんな経験、幸福、不幸、ディープな感情を孕んでいる――」と思うことがある。有料級とまではいかないが、そう直感がはたらいた時は、そういう姿勢で対峙したりする。

前提として、そうじゃない人をないがしろにしているわけではない。ただ、その人にとっての時間の質というものが確かにあるのだなということである。

だから、それが圧縮された「記録物」が俺は好きなのかなと思ったところである。親が、子どもの写真を撮りまくり、それをアルバムに収めて保存すること。それは、愛する人を慈しむ行為のあらわれなのではないかと切に感じる。

そうなると手前は、いいこともそうでないことも嘔吐するほどのことも、全て愛をもって受け入れて記録物に変換していると表すとちと大げさかもしれない。

しかし、そうでもしないと気が済まないというのは誰しも様々なかたちであると思う。そういった、複雑でもありシンプルとも捉えられる人間味が、とても好きだ。
_07/19

 

 

 

 


八幡蕎麦赤羽屋で蕎麦をすする。界隈をぶらりと憩おうようにさまよう。42歳最後の日、特に理由もなしに物悲しい。以前はこれよりもさらにエッジの効いたダウナー気分がデフォルトだったなとふと思う。

宅でDAWを開いて制作をする。先週着手した楽曲が完成し、プラットフォームに申請する。

この歳最後の日に、最後に作った曲としてなんだかしんみりとした感情と達成感を得る。とはいえ中身はどこに出しても恥ずかしくないと自負するロックサウンド。

以前に制作した曲と聴き比べて、「前より質がよくなってる」と判断できた時、なんか前進している気がしてほっこりする。

基本的に今日はお休みなので、1曲また仕上げて作業的によしとし、あとはさらに街をさまよったりする。

書店でMEGUMIさんのビューティーケアに関する著書が10万部以上売れていることを知り、ちょっと読んでなるほどねと感銘を受ける。こういうのは自身の体験と感情と具体性が込められているから、売れる理由に納得できるなと。

どれくらい納得したかというと、帰路、ドラッグストアで毛穴ケアのやつをひょいと買って帰ったくらいである。軽く触発されている。

鼻周り4箇所にパックを貼り、AIやサイコパスや猫や韓国文化に関するYouTube動画などを観つつ、数十分後に剥がす。

「よくなったのかどうかわからん」という感想が残ったが、MEGUMIさんはきっとこういったことを試行錯誤して綺麗になられ、そのことを1冊に、濃密にしたためたのであろう。

ビリー・アイリッシュの新曲を聴く。透き通っているなと思う。ついでに、彼女の楽曲のなかで一番好きな「everything i wanted」を聴き返し、アナライズをしてみる。

基本的にずっと、たったの3つのコード(正確には全部で4個)で構成されていた。そしてそのコード進行は、J-POP黄金時代に「鉄板」とされているみんな大好きコード進行であった。

夜、鍵盤でそれを弾きながら新しい曲のアイディアを考えたりして過ごして今、月初に綴ったように、実に凄まじいことがたくさん起きた本厄の歳が終わった。

歳を重ねること、誕生日を迎えることに関して俺はさほど歓喜や感傷に浸るほうではない。だが、42歳だけは別格だった。特に今日、「ようやく今日で過ぎる」と、生々しく感じていた。それほど色々あったということであろうか。

そういったわけで明日から心機一転。というよりかは、これまでの積み重ねと新たなチャレンジで引き続き張り切っていこうと静かにリラックスする。そのように、少し特殊な精神状態で流れていった42歳最後の日。
_07/20

 

 

 

 


新たな歳のはじまり。めちゃめちゃいつも通りに過ごす。嬉しかったのは、仲間からラインとかで祝いの言葉をたくさんもらったりしたこと。

そして、今年から出勤しているデスクでも、俺の誕生日ということが軽く広まると、まるで欧米人のようなノリで「いい誕生日を」など様々な言葉をもらい、笑顔でコーヒーとかおやつをその場でたくさん買い与えてくれたこと。まだお世話になりはじめて浅いのにこの手厚い対応に驚き、嬉しみ、心温かくなった。

今朝、ヨディーさんからの祝いの品も届く。わざわざ当日に配送手当をするというなんと粋な事。すごく嬉しかった。

SNS経由でも、品を頂いたり、おめでとうの言葉を賜ったりした。俺は、開けた場所では誕生日を公開していない(確か楽曲を公開している1つの方のプラットフォームの作曲者プロフィール欄のみ)のに、みんなが覚えていてくれる事もあわせて嬉しかった。

なんだか派手にパーティーなどを催して頂くものいいが、こういうのだってジワジワと別軸の嬉しみがあるなと、ちゃんとお礼を堂々と公開したいと調子に乗って夜動画を撮影してTwitterに上げる。

いまは、別に特別に有名人というわけでなくともこういうことをするのはむしろ自然な時代なのだなと近年感じているからということもある。

そのように、とても心温まる気持ちで終日過ごさせて頂けた43歳の始まり。もちろん、命をくれた、死んだ両親にも感謝の意を込める。どうもありがとう。
_07/21

 

 

 

 


気がつけば朝というほど酔いどれる。しこたま呑んでは、あれいかんと寝室で気がつく。

随分酒をやったがそういう晴れの日があってもいいなと、頂けるなと嬉しむ。かなりベロベロになったなという所感であるが、深酒後特有のよろくない気分ではない。

なんやかんやと何をした、何が進んだ、何を思っただのと思うよりかは何を楽しんで時が過ぎていき実に楽しかったなと実感した1日。実に、ありがたき1日。
_07/22

 

 

 

 


当然したたかに二日酔いなわけだが楽しかったからよしとする。そうなるであろうことを見越し、今日はすることを特に定めていない。のんびりと暮らす。

ネットで色々チェックをしたり、ギターの練習をしたりと、「お前は何をしていたの」と問われればそうれくらいであろう。

昨日おとといと、手前の誕生日にまつわることがたくさんあり、たいへん嬉しく思う。昔は別になんとも思っていなかった日だが、年々、そのありがたみが増してゆく。

祝われるのは嬉しいし、祝うのも嬉しい。人間は、喜んだ時も、喜ばせた時も、共に脳内に快楽物質が分泌されるうという。ドーパミンやらオキシトシンやらそのへんである。

じゃあ誰かが喜ぶことをし続ける限り、人は幸せに生きていけるのだなっと改めて感じる。結局、愛とかそのへんが一番大事なのだなと身に沁みる。
_07/23

 

 

 

 


ポーティスヘッドの『Third』(2008年)を小さい音で流しつつ、眠気を本気で堪えながら酒を呑むという謎の時間を経て起床する。

さて厄年は終わったと、昨年は新しいことをいくつもいくつもチャレンジするが全て失敗したなと振り返り、そういうのはタイミングも重要だなと学ぶ。本厄最大の学びと言っても過言ではない。

したいこと全部やるためにまずは稼ぐぜと出社する。日を跨いでいるのに上司が誕生日プレゼントをゴトりとくれて感動する。まだ入って半年も経ってない俺に、なんて手厚いんだと愛を感じる。

そうだ愛だ、全ては愛だと、ディアンジェロ風のソウルを作ろうと揺らいだビートを構築してエレピを叩いてDAWにメモをとる。しかしそこに愛はあるのかと言ったら何かをなぞっただけのネタだなこれと率直に感じたので一旦そっとしまう。

43歳のテーマと言ったらもう愛であろう。そこに愛があるのかどうかでだいたい判断しようと俺は考えた。

AIやテクノロジーが加速する昨今、便利だからといって雑に乱用するのではなく、人間の基本原理である愛を念頭に置けばおかしなことにはならないはず。

10代の頃、音楽にハマりだした。ポップスを聴いた。歌詞を読んだ。青臭い俺は心の底からこう思った。「なんでどいつもこいつも一切合切、愛について歌ってやがる」と。

しかしそれが何故なのか、これから実行をもってちゃんと理解につとめようと思おう。愛をもって仕事をする。愛を注いで制作をする。愛でるように酒を呑む。人を、愛する。

「賢治さんは愛の人間です」と、占い師に言われた事がある。俺は鳩が吹き矢で急所を狙われたがヒュッと交わしたようなツラをした。

そうだ、俺は愛の人間なんだ。それを体現しようみんなに広めようコンテンツに落としこもうと、これまでのありとあらゆる点を線で繋いだ。

なにかを作る時、特に楽曲だが、どうしてあれほどまでに執拗にこだわるか。それはそこに愛があるからではないかとこれまでの色々なことを肯定することにした。

愛とはなんだろうと考えた。それは、好きで、嫌いで、でも、どうしても絶対に捨てられないものなんじゃないかなと思った。深く考えず秒で出た答えがこれだった。

不合理で非合理的で矛盾した生々しい感情。でもずっとつきまとって愛おしい。それが愛なのではないかと思った。だとしたら、俺が一番好きなやつじゃないかと納得。とりあえず占い師すげえなと今でも思う。
_07/24

 

 

 

 


最近のデバイスはすげえなと、後藤氏に頂いたApple製のイヤホンでディアンジェロを聴きながら色々と感心する。

酒を控えめにしたこともあってかとても快調。快眠。確かな熟睡。青空の中、思い切り高い場所から落ちて「死んだな」と思うも全然助かるというか「ああいけるじゃん」という感覚を得る夢を見る。なんとなく吉兆の夢と判断する。

日々、色々と考える。ベースは、やはりもっとどう稼ぐかである。すると制作も凝りに凝った曲を練るよりか、なんとなくパッと思いついたキャッチーなやつをサッとちゃんと作る優先させることにする。

そのほうが制作スピードも速いし、ユーザー受けも間口が広いだろうし、結果、収益につながりやすいであろうという理由である。

凝りに凝ったやつはコロナ禍で80曲くらい作ったので、一旦そういう系は優先度を下げる。そして、パッと出来そうなやつをすぐ作って出す、数字を上げる。これが先決。

「質」「量」「スピード」という優先順位でやっていたが、「スピード」「量」「質」の優先順位に変更する。仕事においては実はそのほうがよろしいと、なんかの本に書いてあった。

前提として、いいものは当然作り続ける。いいものを作りたければ前者のままでいい。しかし、稼ぎたいのならば後者だとそう思えたからである。

例えるなら、構想10年レベルの大作漫画を1本書くよりも、ポップな4コマ漫画をSNSで連日のように投稿し続けるほうがバズりやすい。そんなところだろうか。

とはいえ、本当に自身が最高だと思えるものは定期的に作ることも止めはしない。とりあえず、既存の出来のいいやつを別の形でコンテンツ化し、最も開けたプラットフォームに放ち、反応を見る。よければ前述のサイクルを再考する。思いの外あれれとなったらまた新たに考える。

そんな感じで、誰かの目に、耳につくところにコンテンツを発信し続ければ、何事もあとからついてくるだろうと己を信じて打席でブンブンバットを振る。それしかない。

などと思いながら今日も制作をするが進捗は、漫画で言ったら一人のキャラのスケッチが1枚描けた程度。そういう日もあれば、あっという間にペン入れまで進むこともある。

とりあえずスピードをという感じで進みつつ、質のいいやつはゴリ押しする。そのスタイルかなとストンと落ち着き今日も過ぎていく。
_07/25

 

 

 

 


よっしゃ明日はプールへ行くぜ、魚になるぜとにんまりするも仕事が入る。いやそれでいいと、魚の前に俺は人でいたいと、無論仕事を優先させる。

太古の昔、手前は絶対に水中に居た。側近では子宮の中。そこは安心しかなかった。と、そんな気がする。

その前は海に居た。謎の造形とグロテクスな色彩の柄を纏う仲間たちと言語を使用せず、水面から海底へ屈折して射す美麗な陽の光を受けながらのんびりまったりやっていた。何度も何度もサメ的なやつに食われては命を全うした。

今度は食う側に回った。それはそれで思っていたよりも決して、楽ではなかった。むしろスイスイと泳いでは海藻をコリコリかじってピヨピヨしていた頃の方が随分とたのしかった。

そして次は魚を食う立場になった。漁一回で数千万円の大仕事。蟹工船のごとき修羅場を次々とくぐっては膨大な富を得た。

さらには財をかかえる身になった。しかし使い道に困った。遊び相手も減ってきた。つまらん。実につまらん。最初のほうがよかった気がする。思っていたのと違うと、そう思い、また入水することになった。

きっとそんな感じの生命の刹那的かつ永続的につきまとう業のようなものが、能動的に俺をプールに誘うのではないかという仮説を立てた。だから手前は無性に、水中に身を任せたいのではないかと。

どう考えても絶対に違うであろうが、そんな感じで適当に泳ぎたい欲にかられる夏休みムードが流れる猛暑のひと時。
_07/26

 

 

 

 


去年は香ばしいことがありすぎにつき、酒量も深かった。最近の一人呑みはそうでもないなと爽やかな体調を提げ、そう思う。今日も明瞭快活に生存活動(生活)につとめる。

仕事をし、帰りに仲間のプレゼントの物色および購入に至り、仕事部屋でサクッと曲を作るぜとクランチサウンドのギターを録音する。執拗に何度も弾いていたら軽く出血したのでそこでやめとく。俺のメインギターのメイプル指板を紅に染めたくはない。

それほど長時間プレイしていたのかというとそうでもなく、単に楽器の練習量が足りておらず、手の皮が薄くなっていたことが起因。やはり楽器は毎日練習が大前提。そう省みて今日はDAWを閉じる。

花火が見たい。河で誰かと花火が見たい。「昔の人は空で爆発させて遊ぼうだなんて――どうかしてるよねえ」などと、人間の愉悦の恐ろしさをせせら笑いながら、たまやがきやと夏を満喫したい。

とはいえまだまだ7月も下旬。夏を楽しむにはこれからである。とりあえず再びプールへ行きたかったが今日は予定的に頓挫。以降に持ち込む。旅もしたい。そろそろ移動機関恐怖症みたいなやつもなんともなくなったので行きたい欲は現実的。

手足内蔵あらゆる細胞が夏を欲する。脳は思考機能のみ非ず。そのように自身に正直に生きようと、スカラカチャカポコと今日も過ぎゆく。
_07/27

 

 

 

 


最小限の動きで天を見つめ、背泳ぎをして思う。まるで時流の逆を漂うこの感覚は何だと。これはいい、手前は居るべくして水中に居ると、夏休みでキャッキャと大はしゃぎのキッズたちに囲まれる市民プールで優雅に流れた。

ヴィジュアル系バンドのオーディエンスが手をひらひらとさせ、ステージ上で狂おしきムーブで演奏するバンドに愛の力を注ぐ。

そのような腕の動きを意識した「バンギャ泳法」も確立させた。速度的にこれが実に遅い。しかし俺は泳ぎまくって楽しんだ。新たな趣味のスイミングを満喫した。

最高のひと時だったなと、どこかまともな人間の生活が身についてきたような気分になった。気分が変わると行動も変わる。そこで、カオスすぎる寝室を小綺麗にすることにした。

「会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい」と、切実さを伴う丁寧な筆跡で表面の裏側に筆ペンで記されたサイコなテーブルがある。この上に、普段着る衣服を乱雑に積んである。

以前の住居からの名残でもあるこいつは正直、ダイニングテーブルとしての機能を全く果たしていないので破棄することにする。バラして粗大ゴミの手続きをする。

そして、叔父の香典返しのカタログギフトで得たハンガーラックを約半年の時を経てようやく組み立て、「会いたいテーブル」の代わりに設置し、アパレルショップの一部分のようにして衣服を整える。

するともう、来客に「あ、この部屋は入らないでね」と言わんでいいくらいにビシッとなる。あまりに酷すぎると感じたことが動機なのかは不明だが、何度かこの部屋に入ったことのある足立くんにスマホで写真を撮られたこともある。

やれやれ有意義だと安いめしを食い、ひと休憩し、制作をする。コンデンサーマイクで何パートか一気に録音する。

ごく自然と、新たな歳としての変化を行動等込みで感じる。進ませる。夏のひと時として、確かな満足。
_07/28

 

 

 

 


寝る寸前、シングルモルト・ウイスキーを直でいくのはよくないなと朝反省。出だしクタクタだが日中元気に仕事する。とりあえず、頂き物の酒がたいへん美味でそこは大いに感謝。

制作中の楽曲に笛の音を入れてみる。笛のトラックなんて初めて走らせた。以前公開した「Product Portfolio」という曲に対し、ユーザーからの「チアっぽくて――」という声を捉えた。

ああそうか、元気な曲にはチアリーディング的なアプローチも喜ばれるのだなと思ったのでピッピと入れる。そういった経緯がある。一発でチアっぽくなる。

チルはわかるがチアという要素も音楽にはあるのだなと学ばせて頂く。なんだかんだで需要が多いのは溌剌とした曲調。そこをニーズをしっかり捉えてサクサクと制作を進める。

何だか今年に入ったあたりから日が過ぎるのが早く感じる。充実しているのか、歳のせいか。前者であると言い聞かせて明日もはりきろうと奮起する7月も下旬。もう下旬。
_07/29

 

 

 

 


アーティストのSPALのイベント現場でほっこり。今日は同イベントで知り合ったマサキ氏のバースデーを銘打つライブ。会場はハートウォーミングな空気で満ち溢れていた。

月に1回程度、ここ1年半くらい一緒に仕事をするマサキ氏とは、彼がどう思っているかはわからないが俺は同僚のような感覚で接している。そういった関係値というのは本当に大切だなと思う昨今、俺なりにみなさまと一緒に祝った。

先週、俺もまた誕生日であったことから、SPALのよしお氏からいかつい酒のプレゼントを賜った。感謝の念を大声で伝える。そしてありがたくも、様々な温かい方からも品や言葉を頂戴し、手前は幸せだと率直に思った。

終演後、バーテンダーであるマサキ氏が作ってくれた特製ハイボールはウイスキー5:ソーダ5というえげつない比率であった(普段、彼がお客さんに出すものはこの限りではないだろうが)。

「これは仕上がるで」と述べるよしお氏と共に乾杯。帰りは蕎麦をすすり(おごってもらう)宅まで送って頂く。

公演中、ヨディーさんに「今年の抱負は?」と聞かれた。俺は、「愛です」と答えた。これから何をするにしても、そこに愛があるかどうかを基準に生きようという俺なりのスタンスである。そこに愛がなければ、優先順位は高くない。そういうシンプルな抱負である。

もうちょいウィットに富んだ気さくな返事もあったものかなとも思ったが、そこは素直に。自問自答もよいが、みなさんの前で宣言することで、そのスタンスはより強固なものとなる。はず。

そういったわけで今日あたりもほどほど酒を呑んで寝ようと思う。酒に対して愛はあるのか。あるから優先順位はもちろん低くない。家での一人呑みは休息およびチューニングにあたる行為。だから一人では1日2合まで。愛を長続きさせる秘訣とも言えるのだろうか。
_07/30

 

 

 

 


結局2合ちょい呑み起床。だがしかし気分は優れているほうなので不問とする。俺はなんて自分に甘いんだと思いつつも少しずつでも改善しようかな、かな、などと思いながら出稼ぎに行く。

早めに戻り、新たな案件にとりかかる。新規企業案件につき、ガチで重要な局面である。こういう時に本気を発揮できるか否かでその後のルートが変わってくることは経験上否めない。

そういったわけでドンと気合いを入れて取材をして原稿を一気に書く。まくしたてるように書く。するとどういうわけか、予定の文字量の2倍の量が書き上がる。

それはターボが強固になったのだよと俺の中の統括総裁みたいなやつが言ってくれるような感覚。とはいえ、原稿において、量を書くよりも、要約気味に文字数をスリムにするほうがよっぽど労力が要る。

締め切りは明日なので推敲と精査は寝てからやる。めちゃめちゃタイトなタイム感の案件だが、先方もそう認識しているし、そこで100点以上を叩き出すことで「すごく使える人」とご判断頂き、次に繋げる。継続させる。発展させる。そういうった目的が明瞭にある。だから気合いを入れた。チャンスなのである。

すると当然、くたくたになるわけだが、ある一定のラインのくたくたを超えるとむしろ頭が冴えてくる。博徒時代の20時間ぶっ続け麻雀の時とかはこのモードである。しかも仕事上がりでという荒技。どうかしていた。

いまはそんなことはせず、仕事でそのモードを使う。とはいえ20時間ぶっ続けはやりすぎなのでちゃんと0時を跨いだら一休みに向かう時間軸で暮らす。

昔は朝方まで曲を作って朝日と共に酒を呑むとか無茶苦茶なことをしていたなと振り返る。それはそれでいいが、集中力を効率よく分散させて生産性を上げるという点では今の方が質がよい。

そういったわけで43歳早々、到来したチャンスに全力で挑む。集中して全力を出している時、最も生きている実感が湧く。それを博打に使っていた時間を取り戻したいがそれは不可能。だが、そういう後悔ありきの今とポジティブに捉える。

なんでもかんでも前向きに捉えればいいものではない。しかし、結局は全部、点が線で繋がる。そう考えると、ちゃんと最近は「今目の前にある点は、どの線でどの点と繋がるのか」と考えるのでマシになった気がする。ちょっと何言ってるのかわからないが。
_07/31

 

 

 

 


 

 

 

 

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