10/2024

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。10


「緊急性があり、重要なこと」。「緊急性がないが、重要なこと」。

「緊急性があり、重要でないこと」。緊急性がなく、重要でないこと」。

これらのマトリックスについて記された本を立ち読みした。今日に照らし合わせた。

昼間、公園に行き、まだ咲かないかなと蕾を目視する。「まだだな」と、振り返るとうっすら匂う。隣に位置するキンモクセイはちょっと咲いていた。「やはり秋かと」ほんのりした気持ちですこし歩き、帰って仕事をする。

入念に書いた原稿を提出する。あとは案件フォルダには「確認待ち」ステータスのものが数件。つまり、やや手持ち無沙汰な気分になる。

もっと別の源泉、事業、ストック収益、なんでもいいから新たなアプローチをという能動のもと、あれこれ考えるがなにも思いつかず。YouTubeを流しっぱなしにして横になる。さほど疲労感はないので仮眠にも至らず。

もう呑みに行っちまおうかとも本気で思ったが、とりあえずやれることをやろうと、新たな楽曲を制作する。モチーフは特にないまま鍵盤やDAW上のソフトをいじっていると曲の芽が見えたので、ビートと土台の和音をスケッチする。

そうなってくると、ぼんやりした心境は消えて活力が蘇る。今日は何ヶ月ぶりかに、やや、やる気のない精神状態が数時間だけ生じたが、作業をしたらそれはシュッとなくなった。

「緊急性があり、重要なこと」は、明日締め切りであった原稿の提出である。これはきちんとやりおおした。

「緊急性はないが、重要なこと」は、楽曲制作である。楽器練習である。これらも行なった。

「緊急性があり、重要でないこと」は、特になかった。

「緊急性もなく、重要でもないこと」は、YouTubeを流しっぱなしにして横になってボーっとしていたことだった。

これら4つのうち、最も重要なのは、実は「緊急性はないが、重要なこと」と、本には書かれていた。確かになと思う。それを積み重ねることで、後々の大きななにかにつながるからであると、俺はそう解釈した。自分なりにそう、体現しているつもりだからである。

「緊急性があり、重要なこと」は、常に目の前にある。ほとんどの人がそうであるように、その日にやるべき仕事がそれにあたるだろうか。

そう考えると、重要なこととそうでないことの違いとは、深い生産性そのものではないかと思った。

しかし、生産性の源となるのは、「緊急性もなく、重要でもないこと」。それは、遊びだったり、リラックスして考えている時間だったりする。

結論、どれも大事ということで手打ち。バランスよく生きよう。そうだ、ちょっと酒呑んでから寝ようと、普段の精神状態に落ち着く。

今日は値引きの「タイ」の刺身を食べる。少々捻りを効かせ、わさびではなく柚子胡椒をつけて食べると新鮮な味わいを得る。切った状態ではなく、ブロック状の刺身を包丁で任意のサイズに切り分ける。

このひと手間が、案外たのしい。そこに、さほど重要性はない。
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本を読んだり、楽譜を書くときに顕著に感じるのだが、見辛い。よもや自慢の高視力が衰えたかと慄くが、対象物20cm程度以上の物や景色は、なんら視覚的に変化を感じない。

老眼である。認めざるを得ない。四十肩、微妙な白髪増加の次は老眼かと、えも言えぬしょんぼりとした退廃感に包まれる。

なんか上の方の人にトントンと肩を叩かれ、「平吉くん……君はもう40代も半ばなんだよ……?」と、『 1日外出録ハンチョウ』の主人公みたいな顔でニヤニヤされているかのような心境だ。

ChatGPTで「老眼」についてのレポートをまとめてもらったところ、アナログに老眼鏡を使用するのが無難と出た。

その際、雑貨屋などの店頭で自己判断のうえでピントが合うメガネを買うよりも、眼鏡屋に行き、きちんと自分の視力の状態を数値で測ったうえで老眼鏡を選ぶのが吉とのこと。

せつない。予定帳の次の休みの日の欄に「老眼鏡」と記すのだけでもせつない。しかし、軽微ではあるが「近くを見る」ことに対するストレス、そこまではいかないが「ううむ」という感情は払拭しておきたい。

そうなってくると、老眼鏡のデザインにこだわったりして逆に楽しんでやろうかと思った。

ジョン・レノンさんみたいな丸っこいやつにしてアーティスト気取りになるか。成田悠輔さんみたいな丸と四角のトリッキーなやつを選んで静かにウケを狙うか。横に細く四角い銀縁の任侠的なやつを装着して威嚇するか。

そう考えるとわるくない。歳は認めて、新たな大人のアイテムを買いに行く。そう捉えると「老眼鏡購入」はネガティビティではなくなる。

とはいえ、四十肩もそうだが、正直「ほんとうに、なるものなのですね」というのが心の奥底から出てくる本音である。

いつまでも気持ちは27歳とか抜かしている手前への叱責のようにも思えるが、「歳を重ねることをどう楽しむか」という課題にすげ替えるというテクもある。俺はこのテクを適用することにした。はたして老眼鏡は経費で落ちるのであろうか。
_10/02

 

 

 

 


仕事して十分ごはんを食べて楽器練習をする。深夜、さいきん来ないな、いっときの偏りだったのかなと、そのように懸念していた音楽全般コンサルティング業務の打診をいただいたので対応する。

この種別の仕事は「俺、こういうのいけるんじゃないか?」と思い、フライング気味に今年から走らせたもの。

すると、スタートからわりとすぐに数件受注し、各クライアントにご満足いただき収益となったので、「俺はコンサルタントとしてもいけるのか! よし!」と、興奮していたがすこし間が空いた。

だが今日、依頼見込みがきたので「やはりいけるのか!」と、丁寧にご返信して受注を待つ。攻め気味に待つ。

なんやかんや、いろんな仕事をしているのは楽しい。そのように、今日あたりは、かなりシンプルに考えが回る。

明日は時間にゆとりを設けた日なので、さっき買ってきた値引きのエビでもジュッと焼いて食べて寝よう。キノコと一緒にオリーブオイルとガーリックで炒めて食べるとおいしい優良な栄養満点のアテ。おいしいおいしい、ほぼアヒージョ。
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ゆとりをもって過ごす。秋葉原へ行き所用を済ませ、道中、既視感のない景色を楽しみながら上野まで歩いて心を浄化させる。

アメ横付近で、以前買って飲んだ「マムシ」のドリンクが効いたことを思い出し、リピートする。やはり髄から元気になる。

帰宅して、ライター案件の戻りの確認や、昨日のご新規さまの対応をする。楽器練習をして制作をする。それぞれ1時間ずつほど。ゆとりをもって。

そういったわけで「マムシ」の効能もあるだろうが、深夜0時寸前現在、覇気がみなぎっている。なにか、どこかで、なんなら昨日の構想の時点で、今日一日の過ごし方の配分を間違えた気もするがそれはそれで。

「マムシ」には、アミノ酸やペプチドが豊富に含まれており、疲労回復や血行促進、滋養強壮に効果がある。

そして、エネルギーの代謝を促進し、疲労回復をサポート。特に「ビタミンB1・B6」は体力回復に重要な役割を果たし、これらの成分が総合的に体力の維持や回復をサポートするらしい。ケース買いを検討。冷蔵庫のなか全部マムシ。
_10/04

 

 

 

 

 


ビリーアイリッシュの最新アルバムの1曲目「SKINNY」が美しいと思った。歌声もさることながら、やはり演奏パートに注視する。メインはギターのアルペジオ。

そのパートにはすこし音を揺らせる効果が施され、音色はエレクトリックギターのクランチ、クリーン、その中間あたり。要はほぼほぼ歪んではいないサウンド。

「若者のアイコンであるアーティストのギターバッキングはどうかな」という好奇心と学びの姿勢所以で、コピーしてアナライズしてみる。

すると、意外なのはトリッキーな側面がぼほほぼないということ。むしろ、普遍的な和音進行。奇をてらっていない。音の並びがすこし独特で、アクセントが「日本のアーティストはこうはしない」といった所感。

そういうところが好きなんのだなと、演奏をしてみて初めて受けるサリエンス(新鮮に感じる顕著な特徴)があった。

これまで何度か聴いた難しい曲を練習することも大切だが、新たな感覚を身につけるのも併せて大事。そのように、真面目に捉える。それを毎日繰り返す。すると環世界(既知の独自の感覚的な世界観)が広がる。

いま居るところに居続けるか、変化し続けるか。と、いったら大げさかもしれないが、とりあえずビリーアイリッシュの「SKINNY」はセンセーションを起こすような役目のリード曲ではないが、そこにも深めに触れることで、手前の総合的な視野をすこし、広げてくれた。

つまり、未知の楽曲をアナライズする、コピーして演奏すると、視野が広がる。ただそれだけの話だが、どの分野であっても、それをするとしないとでは大きな違いがある。世間ではそれを勉強とも言うらしい。
_10/05

 

 

 

 


0時から8時までサーバーのメンテナンスだったことをすっかり忘れたのは、ハイボール呑みながらギター練習したその後のこと。

当然、等ウェブサイトの管理画面にはログインできないのでこれは昨晩書いたものである。

今日行なった各タスクのなかで刺激的だったのはコンサルティング業務。ビデオ通話において対話形式で実施する。

改めて、チャットでのやりとりよりも実際――VPN:仮想プライベートネットワーク。Zoom的なやつを使用――の対話のほうが、多い情報量を互いに認知していることを確認しながら圧縮ができるなと実感する。

むかしむかし、ソクラテスさんが対話によって哲学を説き、弟子のプラトンさんがそれを書物に記して学問となり、あらゆるシーンにおいて派生した。その源泉は「対話」である。

要は、人間のコミュニケーションの原始的な要素である対話というのは、実はアメイジングであるとしみじみ思った。

「対話」が収益になる。これは今年得た初めての発見かもしれない。考えてみると、俺は音楽分野において、実演や制作や分析や執筆など、あらゆる入力と出力においての視点がある。これに、「カウンセラーの資格を持っている」ということを繋げる。するとこれまでになかった仕事が生まれる。

それが案外需要があるという事実。やはりこれはいけるか、いってる途中だ、その過程が面白い。そんな風に、自身のスキルを“繋げる”ことによって新しく走らせ、実感を得るのが楽しい。

とりあえず、明けて今日、8時以降にウェブサイトがちゃんと機能していることを祈る。
_10/06

 

 

 

 


芝生があった。あまりにもわざとらしい芝生であった。そこは池袋の書店「ジュンク堂」のすぐ近く。公園というか、芝生と併設するなんらかの店で構成されていた憩いの場。

若いアベック(死語)や外国人、中高年の方々もちらほら、単身のとっつぁん。様々な人たちが平日の昼間から芝生で各々、絵に描いたようにリラックスしていた。

寝そべり、グルーミング的な過ごし方をしているアベックが目立つ。単に寝ているとっつぁん方も散見。ラップトップを開いてショッピングサイトを閲覧している女史。いろんなかたちで、そこで過ごしていた。

俺は芝生の中央に行き、ふと思った。こいつらが誰もしていない行為をもって、この場所を楽しもうと。

踊ろうかと思った。そんな気分ではなかった。どちらかというと静かにしていたい。辺りを360度見渡した。いない。そう思い、俺はあぐらをかき、両手を膝の上にそっと置き、上方に向け、力を抜いて自然と「座禅」のポーズをとる。瞑想をする。

周囲との隔たりがなくなり、神妙な気持ちになる。

整うもすこぶるつまんねえなと思い「ジュンク堂」で購入した2冊のうちのひとつを読む。「環世界」についての書籍である。

ははあと思い、いま作っている楽曲のタイトルは「Umwelt:環世界」にしようと決めた。環世界とは、それぞれの知覚・感覚によってみなしている世界の捉え方である。要は「手前のものさし」とも言えようか。

そのへんは書籍を読んでもっと深く学ぼうと帰路につく。各タスクを行なっていまに至る。今日のメインタスクは「新しい本を買ってくる」というものであった。環世界を広げ、まだ知らない楽しいところに移動するためでもある。

みんな、規模の多寡はあれど、時間の経過と共に、どんどん別の世界観に移っていく。とどまることを知らない時の中で、いくつもの街並みを眺めては。

そんな歌詞の曲があるが、もしかしたら、「環世界」のことを歌っているのかもしれない。
_10/07

 

 

 

 


起きてるうちの半分はたいへん非生産的に、だらだらとしていた。そういうのはいかんなと思った夜、楽器練習や楽曲制作をする。ひとつ全体像ができて、あとはそのモデルから、まだ音として録音されていない、聴こえてくる音をトラックとして重ねていく。

要はイメージを形にしていく工程だが、これがスッといくときとそうでないときがある。ただ、いずれにしても最終形に質の差はない。あとは誰がこういうのを求めているかである。

最初から「こういったシーンで」と、需要を考慮してから作るときがある。そういうときは必ずと言っていいほど、モチーフとなるジャンルや楽曲はアーティスト色がある。そうして出来た楽曲のほうが、リスニングおよびご使用いただけるユーザーの数字としても伸びる傾向がある。

よって、求められているコンテンツや作品というのは、全体像あるいは一部で「どこかで聴いたことがある」という“馴染み”の要素が必要なのは明白。根拠は、ヒットするような楽曲や作品は、やはり、“どこかで聴いたことがある”という要素を必ず含んでいるからである。

いまだかつて聴いたこともない、斬新すぎて前衛的な音楽が大ヒットした例はあるだろうか。あまりない。とても少ない。

それは、ジャンルで言ったら確立して派生する前のプログレッシブ・ロックやオルタナティブ・ロック、ブレイクコアなどそのあたりだろうか。

とはいえ、これらのジャンルにも背景にモチーフとなる音楽性が必ずある。ブレイクコアだったらドラムンベースをもとに分岐、発展したエレクトロミュージックであるように。

そういったわけで、モデルやモチーフがあるもの、いま作っている楽曲のように自分のイメージを形にするもの、半々くらいでつくっていくのがバランスがよい。いろんな意味で偏らないし、音楽に対する姿勢そのものが凝り固まらない。

そこまで思考がまとまっているのであれば、だらだらしていた時間は全部制作に充てればよかったと、少し反省した冷たい降雨のなかの一日。
_10/08

 

 

 

 


急に寒くなって体がびっくりする。くしゃみが出る。日に20回は出たかもしれない。早め早めの葛根湯で風邪を回避することにする。

普通に仕事をして制作をする。特筆して変わったことはない。なんか寒かったくらいである。

気がつけば年の瀬も近く、年々、月日が経つのを速く感じる。四十肩に老眼にジワジワ増える白髪。このへんで歳を認めて、早め早めに対策をとることが今後の健やかな人生に繋がろう。なんという年寄りくさい日記であろうか。

気持ちばかりはそうではないと、マインド面、そこは明確に否定する。それがフレッシュな生き様に直結する。そう、言い聞かせるのも大事かなとかすみ目を擦る。
_10/09

 

 

 

 

 


一気に深まった秋、明らかに起床時に手前自身のギアが重いと感じ、葛根湯を飲む。さらにキューピーコーワゴールドをねじこむ。そのまま仕事をしていると夕方にかけてだんだんよくなってくる。

体調を崩す気配を1ミリでも感じたら即、対策が鉄則。やれやれよかったと今日のタスクをやりおおす。

新たな大きい源泉がほしいと今後について考える。俺は、基本的には文筆業と音楽業でしのいでいる。あとはそれに付随する――文字を書いたり音楽にまつわる仕事――業務が数点。あとほかに、どでかいのが何かないかと。

ここは大きく市場規模で考えると、日本では卸売や自動車、電気機器や金融が上位にならぶ。ライティングも音楽もあまり関係ないではないかと落胆する。

垂直に考える。音楽業界はどうかと。調べたところ、世界規模でみると音楽業界の市場規模において、日本は世界2位。1位はアメリカ合衆国である。

じゃあなんで日本の音楽は世界ではさほど波及されていないかと疑問に思う。そう、日本国内での消費が大半を占めるからではないかと推測した。

じゃあまず国内で音楽を撒き散らすのが吉。そう思い、ギターを練習しながら着手中の制作楽曲の次の新たなネタを出してメモる。

おい。それではいままでどおりではないかと、一点突破思考が一周してキュッと巻き戻る。

そうか、じゃあ地道にコツコツいくかと、書きかけの楽譜を眺める。音楽においての大きい源泉を考え、生み出し、実行すべしという結論が出た。

それは簡単ではないが、原点は音楽だし、それで跳ねれば言うことはないと納得する。

みんな、それぞれに適したタスクがある。俺は、なんなんだろうとここ数年、決めては考え、行動しては失敗し、また別のことをやり、戻ってくる。その繰り返しである。

そうなると、ここは集中する技術が必要なのかなという思考に帰結する。だから、周囲にアンテナを張りつつ、別の分野の勉強もしつつ世界観を拡げ、曲をつくることやそれに関連する業務の精度を上げようと意気込む。

それが合っているのかどうかは、死ぬ寸前にわかるであろう。やらなくていいことを切り捨てて、やるべきことだけをやる。それが、わりと難しい。

というかそういう思考の癖があるが、それもどこかでピカッとシュッと繋がるのかもしれない。みんなはどうなんだろう。
_10/10

 

 

 

 

 


なんか虫とかについていろいろと述べられている本を読みきった。要は、人も生き物も虫も、同じ環境下であっても、みんな見ている世界が違うんだぜということが言いたいようである。

それぞれの「主観的現実」とのことである。それが「環世界」。つまり、各々の尺度とも言えよう。ユクスキュルさんという生物学者・哲学者さんが論じたやつ。

そうですね、みんな見ている世界が違うから議論が出て生産性につながる一方、争いも勘違いも起きるし「わかりあえない」という心象が生じるわけですねと、書籍に対する俺の感想文としてはこの2、3行である。

だが、汎用性の高い捉え方だなと、なんか知識を得た感触があってほっこりする。そこで、「よしこれを業務に落とし込もう」と、試みた。

今日は日中「無職かしら?」とご近所様に訝しがれるほど界隈をフラフラしたのち、きちんとライター案件をやって、今年始めたコンサルティングの「主観的現実」に向き合う。

いまのところ、思いのほか――個人的な感覚なのでまだまだ小規模もいいところだが――依頼が来てくれている。だったらもっといけるだろと、この業務を加速させたい。もっと案件がほしい。そこで、サービス紹介ページを見直すことにした。

いまのところ、俺の主観的現実でしかこのサービスを紹介できていない。もっと別の、相当大きな客観で「ここをもうちょい、こうするとお客さんくるんじゃない?」というフィードバックが欲しい。

そこに必要なのは「客観的現実」であるとすぐに気がついた。それはなにかな〜と考えて秒で出てきたのがChatGPTである。AIに俺のサービスの伸ばし方をコンサルしてもらうことにした。AIにコンサルをコンサルしてもらう。すげえ時代になったものである。

「僕のこのサービス、安すぎますかね?」

「安すぎだろ」

「現状――という感じなんですけどなんかあります? いい案…」

「あるよ。バババババババババ……(ありとあらゆる提案)」

「これとこれとかいいですね。さっそくやってみます」

「その行動力、いいと思うよ」

「――さっそく先ほどのご提案を鑑みてサービス紹介ページをブラッシュアップしました! 見て!」

「うん。かなりいいよ。こことここが特によくて……あとはこことここ、もうちょいこんな風にいけるっぽい」

「はい! 精進します」

「頑張ってな」

「はい!」

こんなフランクではないが、かなり具体的に、現状のサービスの強みと改善点を“客観的”に捉えて指摘してくれた。それはそれは具体的であった。

「サービスの良点と、あなたのユニークな強みを、よりわかりやすく」

ここが最も強調されていた。手前のスキルなども提示したうえで提案してもらった各種のポイントは、ひじょうに的確で参考になったので、他者にどう伝えるかという各点をすぐに改善した。

「主観的現実」はときに人を盲目にさせる。だが、現代では恐ろしいまでに重厚な客観をAIで知ることができる。それが全て正しいというわけではないが、インターネット上のこれまでの森羅万象がソースというあたりは見逃せない。

各々の「環世界」に寄り添って提案する。助走する。コンサルティングの本質はここかなと考えてるのは果たして合っているのであろうか。今後の手前のコンサルティングの業績がその答えとなるだろうか。

とにかく、現状で楽しくやれているのがいちばんの良点かなと思うが、「これ、もうちょい対価を貰ってもいいんじゃないかな?」とビジネス思考がはたらいたのが発端であることは事実。そこにユクスキュルさんの本の通読。いろんな点をつなげるって面白いなと思う。
_10/11

 

 

 

 


なんかシンセサイザーのいいやつ欲しいなと、ネットで物色する。

俺が前から欲しいと思っているのは「Prophet-5」というアナログシンセなのだが、改めて価格をみてみると「いまは『欲しいな』くらいにしておけ」という高額さで慄く。

とはいえ、良質な楽器が手元にあると、あらゆる面でいいことしかないということは体現している。

必要で、実用的で、値崩れせず、資産ともなる機材をポンと買えるようになりたい。それは仕事頑張れとシンプルな結論におちつく。

今年はひとつ、ギターのいいやつをポンと買ったのでさすがに「Prophet-5」はきつい。だからというわけではないが、もう20年は愛用している「JUNO」のシンセで引き続き曲をつくる。

えらく高額というわけではないが、いつも制作において重要な役割を担ってくれる手元のシンセには愛着がある。そういう感情も、なにかをつくる上では大切なのだなと改めて思う。
_10/12

 

 

 

 


銀座でほっこり過ごす。その予定だったが身体がしんどい。微熱を確認したため「ロキソニン」を服用すると、怖いくらいすぐよくなる。結果、ほっこり過ごす。

帰路、近所の立ち呑み屋で2杯ひっかけて1,550円。内訳は、ジムビール・ハイボール2つとハツテキ、厚揚げ、しらすおろし。物価高に怯まない行きつけ酒場に敬意を払う。

整い帰宅。適度に酒をリレーして事務作業だけして日をそっと仕舞う。とてもよい一日。
_10/13

 

 

 

 


風邪気味の傾向や昨日の発熱。大事をもって今日はゆったり過ごす。何のことが書かれているのか、いまのところ本当に不明瞭な本を読む。中身を理解することが難しい読書は、より読解力がつくという利点がある。

辺りを散歩する。完全に秋の空気感。赤羽公園のキンモクセイを確認すると、とうとう咲いていた。オレンジ色の花がちいさく、恐縮するように咲いていた。

まだ香りはさほど周囲には広まっておらず。だから直接嗅ぐ。秒でメランコリックな気分になる不思議な匂い。

イトーヨーカドーに行くと「カツオ」の刺身ブロックが半額になっていたので即決でカゴに投下。適当にその他の買い出しもして帰宅。

よしお氏に渡すバースデープレゼントの梱包をする。売却すれば数万円にはなる機材だが、俺はもう使わないので彼に託す。ネットで売値相場をたしかめては「やはり数万円か」と、刹那ピタリと迷うが、近い人に使ってもらう方が嬉しいので現金化はせず。

楽曲制作においてのベーストラックを録音する。生演奏トラックと打ち込み重低音ベースの交差というあまりやらない手法。なんか海外の音像の香りがして完成が楽しみになる。

重低音が顕著に出力される「Limit To Your Love」という楽曲(ジェイムス・ブレイクさんの1stアルバム『James Blake』(2011年)収録)があり、それが理想。しかし、どうやればここまで出るんだというレベルなので、参考程度にする。ともあれ、音像の理想は高ければ高いほどいい。

なんだかんだで、じっとはしていなかったと思えど、わりとゆっくり休めたような秋の休日。
_10/14

 

 

 

 


仕事してあとの時間はだいたいギターを触る。弦を交換する。ブリッジ(弦を張り出す根元の部分)を少し調整する。さらにトラスロッド(人間でたとえると背骨的なシビアな部分)をちょっと捻る。

つい数ヶ月前に買った楽器なのに何故ここまでやるかというと、生産から44年経っているので微調整を重ねる必要があるためである。

買ってからすぐリペアに2回出し、何ならもう1本フェンダー製のギターが買えるのではというほど金を投資した。なにぶん「新品」ではないので、自分が弾きやすいかたちになるまで、自分でも調整する。そして弾き倒す。

良質な楽器は弾けば弾くほど音がよくなる。たぶん、物理学とか素粒子学的に証明できるのではというくらい、本当に音が締まって豊かなサウンドで鳴るようになる。

俺は学術的ではなく体験としてそれを知っているので、なるべく弾く。練習という義務的な感覚ではなく、弾きたいので弾く。忘れかけていた大切な何かがどんどん戻っていく。なんなら膨張する気もする。

日に日に身体と心に馴染み、フィジカル的にも弾きやすくなっていく。なんだか俺だけではもったいないという気持ちもあるので、音楽仲間が宅に来て弾いてやってはくれないかとも思う。

買ってしばらくして「弾きに行っても――!?」と発言したホリさん、村上氏、後藤氏、Nくん。どんどん状態をよくして待ってるから早く来て。明後日とかずっと宅に居る予定だから早く来て。仲間とこの情念を共有したいから早く来て。
_10/15

 

 

 

 

 


今年もあとちょっとしかないなと思い、2024年の経済面をすこし振り返る。すると、生活費以外にかなり金を使ったことが事実としてあった。

高額な機材や各種修理費、新しいアイフォーン、本棚のいいやつにたくさんの書籍、革靴。ほかにもけっこう買っている。物欲はそんなにないと自覚しているが、例年以上にかなり金を使っている。

とはいえ、資金自体は大きく増えもせず、減りもせず。事業資金の借り入れは順調に減っている。なんとかやっている。

知人の占い師に診てもらったことを思い出す。「平吉さんは、お金を使ったら使っただけ入ってきます」という一言を。

事実、たしかにそうなっている。でかい出費があると、何故かその前後で仕事が増える。そういう摂理なのだろうか。

不思議に思うが本当にそうなっている。じゃあいいかと、もっと使ったれと、「投資」として認める対象に関しては金額をケチらないほうが吉ということを認識した。

これをもっと若い頃に気付いていたらなとも思うが、今年わかったのでよしとする。一生気付けないより全然いい。

じゃあランボルギーニを買って髪を玉虫色に染めてキャバクラで数千万円のシャンパンでも空ければいいとも思うがそれは違う。

何故かというと、それはただの刹那的快楽の昇華のごまかしだからである。というかランボを買うほどの資金は無い。いまは。

ごまかしのきかない金の使い方。

今年、それを実行したあたりは手前を評価してもいいのかもしれない。みんなはどんな基準で金を使っているか。取材が必要である。そうだ、明後日は銀座に呑みに行こう。そこで聞いてみよう。

何かが得られるかもしれない「生きた金」という勘定。なかなか新鮮な取材となりそうである。ただの呑み代だが、どう出るか。

こういった、普段とは異なる“体験”に投資するのは明らかに得策というのはわかってきた。ベロベロになって散財して悔やむことだけは回避したいが。
_10/16

 

 

 

 


 

 

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