ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
ゆるやかな好転を感じ漲る覇気。10月。
誇張なしに20時間は寝たせいか、さすがに体調も良くなる。鼻がちょっと利かないくらいである。風邪で何もできなかった昨日、思考能力が半分くらいのなか俺は布団にしがみつきながらシンプルに考えた。
“風邪”は、体調を崩して頭痛や寒気にクシャミ・悪寒・発熱という症状が出るというよりかは、“疲れてるから休め、知らんぞ”という身体からの抗議である、という結論が最もしっくりきた。
そういった訳で抗議を受け入れ降伏した結果、風邪も疲れもだいたいとれたので今日は予定の仕事をやる。宅で歌録りという楽しい案件である。いい感じに歌っていただき無事に終え、他にもやることはあるのだが、また身体に猛抗議されてもたまらないのでゆっくりする。無理にでもゆっくり過ごす。
漫画を買いに行く。『代紋テイク2』を書いていた作家の、日本屈指の廃墟・軍艦島を舞台にした作品である。ちょっとだけ酒を買ってくる。いつもよりライトなやつを2本である。明日も、仕事は半分くらいにして病み上がり的に過ごそうと思う。
俺は決してそんなに多忙な者ではないが、一日以上いっさいの仕事や作業をせずに完全に休むということが、どうにも下手である。自分ではその方がむしろ良いとか思っていたが、そんな生き方は何かがおかしいと判断すべきである。
とにかく今日は、前日に全力で休むと、起きがけに眼球がこんなに綺麗になっているのか、ということに本当にびっくりした。ここ最近長い間、俺の眼は何かが濁っていたのである。
_10/01
意味もなく超早起きする。昨日20時間寝たから睡眠を欲していない。窓を開けると最高に素敵な天気だったので朝の散歩をすることに。健康老人のような朝。
赤羽アーケード内を歩いているとガットギターの2フレットにカポタストをつけて威風堂々弾き語りしているとっつあんを見つける。彼はこの時間によく居るのだろうか。
ポカリとヨーグルトを朝飯として買って横に座って食いながらゆっくり聴く。「大阪の女がどうの」という曲や、「神田川」などを披露してくれた。あんまし上手くはなかったが、えもいえぬ味があって良かった。
ゆったりと日常生活と仕事をして過ごし、風邪で寝込んだ日とうって変わって20時間くらい活動する。せっかく早く起きたのだから23時くらいに寝ればよいのに結局宵っ張りになるのが不思議でならない。早起きはまだできるが、早寝がいくつになってもできん。
_10/02
秋葉原に買い出しに行く。調子がまだ完全に治らずにフラフラする。頭に霞がかかった感じが取れんので帰宅したら寝る。
鼻がいつもの半分くらいしか利かないと匂いがよくわからず、何を感じるにもどうも感情がピンとこない。匂いは記憶やらを司る脳の部位と直結しているらしい。本当にそんな感じである。何をしても味気ない。
_10/03
体温計を買いに行く。風邪とだるさが完全に治らないのでこれは熱があるはずだ。確信を持っていたが、36℃ちょいの平熱が測定されたので、じゃあいけると思い普通に仕事をする。
しかし2時間で疲れめし食ってソファで果てる。風邪ごときが数日でスッキリ治らんのはわしも歳かと、滅入りに滅入る。ふがいなくもそうじゃなければいいなという悲しみに似た情念に包まれて寝る。
中川翔子さんが隣に引っ越してきてもうワクワクする、どうアプローチしよう、という夢を見て起きたら3時間弱経っている。少々回復を感じるのでまたDAWを開いて仕事をする。あっという間に夜である。
何だかピシャリとこない一日であったが仕事が進んだので良しとする。しかしどうもここ数日スッキリせん。酒呑んで爆発したい。
_10/04
コンポが完全にCDを読み込まなくなったので買いに行く。埼京線で戸田まで行き、中古のアンプだが良いのを見つけて買う。久しぶりにホクホクとした気分である。
そろそろCDというメディアが本当にビンテージ的な扱いになるのは目前かもしれない。しかし、44.1kHz/16bitの音質で聴くことが標準として育ったためか、いまだにプレイヤーにCDを入れて聴く。
レコードやカセットやmp3と、どのメディアで聴けば音が良い、便利である、というよりも、「どうやって聴きたいか」ということを人間は大事にしている気がした。音質や時代というよりも、慣れ親しんだ環境で聴くのが一番心地良かろうと。
大好きなアーティストの新譜を、最初はどのような手法で聴きたいか。そういった儀式的な行為とその選択は、人間的だなと思った。昭和末期生まれの俺はまずCDで聴きたい。今の子たちはどうなんだろう。
_10/05
ここのところ仕事で取りかかっていた楽曲をようやくマスターまで仕上げる。オリジナル音源を作り上げるという快感はいいなと思う。あとやはり44.1kHz以上あるとmp3のレートで聴くよりツヤツヤした音でいいなと思う。
_10/06
どうも怒り心頭な心境につきまとわれる一日だった。特にそんな怒らなくとも、ということに対して、どうにも声を荒げるほど、という感じだった。
これは良くない、悪情緒は実にみっともないと一日を回顧する。とりあえず俺は滝にでも打たれて何事かを見つめ直す必要があるのでは、と思った。どういう訳かここ数カ月、なんかがおかしい気がしてならない。
妙に説得力のある老婆にでも「あなた、天中殺よ」と言われたらまるまる信じるし、提示される高い壷も即決で買うかもしれない。
しかしそれはあまり感心しないので、今やるべきことをしっかりやって、少し先と遠めの先もちょっと見据える、という姿勢を崩さずに、なんかおかしくてもフテくされず明日も頑張ろうぜと思う。
_10/07
レッスンにDAW作業とまじめに仕事をする。なんというか、自分が健やかにポジティブに生きて行くには、楽しくまじめに仕事をするしかない気がする。
でかいパンをもらったので、たくさんの野菜と共に食う。ヘルシーな食生活。ここのところ血がたぎるような肉を食べていない。たまには重厚な蛋白源を食べたいがもう夜も0時である。つまみのビーフジャーキーくらいにしとこう。テング印のやつがおいしいのだがあれはまあまあ高価い。つまみに躊躇。
_10/08
起きて米を炊く。早炊き機能というのを使ってみたら早めに炊ける。味とかもさほど変わらない。もっと早く気付きたかった機能。
レッスンをして原稿おこしをやって夜。あっという間に過ぎる一日。なんだかウカウカしている内に、人生が終わるというのは想像よりもけっこう早いのではないかと、わりと不安に包まれる。米くらいじっくり炊いた方がいいのだろうか。
_10/09
菊水の生原酒にハマる。定期的にやってくる19度高アルコール系日本酒ブームである。去年くらいはファミリーマートでよく売ってるキャップつき原酒系日本酒を一カ月で15本くらい呑んだ気がする。
生原酒系やボンベイ・サファイアジン、ワイルドターキー・バーボンなど、日本酒・ジン・ウィスキー各種の、規定アルコール値より若干高く、メインストリームの売れ線からほんのわずかに逸れた位置に佇む酒は「ガツンとサイケデリックに酔う」という共通点がある。
それらは、近年完全に市民権を得た「ストロング系」缶酒の酔い方とはかなり異なる。ストロング系は手っとり早く血中アルコール度数が増し、簡単にラリれるという感触だが、ガツンとサイケデリック系はそれに加えて文化的な気分が加わる。何とも言えん深い思念が記憶を司る脳部位と感性に残る。
「ストロング系」の安さと手軽さにはやっぱり脱帽するが、ちゃんと心のチューニングを揺らしたいならサイケデリック系の酒を選ぶのが善かれと思う。そういった訳で、俺は最近なるべく深めの精製方法の酒を呑む様に心掛けている。一体なんのためにだろう。
_10/10
ふなくち生原酒が体内のツボに入ったのか、実にデスクワークがはかどるという素敵な効能。キーボードを叩くスピードたるやラフマニノフ並みな気がするが、彼が実際鍵盤を叩く姿を見た者は現代にあまり残っていない。
そう考えると、楽譜というものは記号表記のみのドキュメントだが、朽ちた名手の姿やパフォーマンスさえも鮮やかに蘇らせ、更に真似もできて、自分流に表現もできるという、恐ろしい記録物だと改めて思った。
音源や映像の方が記録物としては質が高いが、想像力や自身の生命力を如実に加えることができるという点では、楽譜は恐ろしい記録物である。楽譜が目の前にあるだけで、何だか手前が強くなった気がする。凄い。
だから俺はいくらやっても完璧に弾けるようにならない、ショパンやバッハやスティービー・ワンダーの楽譜を常に譜面立てに置いている。神棚とかと一緒の気持ちのポジションである。
するとどうだろう。来客がこれを見ようものなら「すげえ、ショパンとかも普通に弾けるんですね」となる。是非は明かさず、ただ、なんかいい気分である。さらに「まあね。ポロン…」と実際に弾いてみせることが必須という強迫観念もついてくるので、定期的に練習をおこなう。恐るべし、楽譜。
_10/11
日中、団地巡りの散歩に赤羽台団地と桐ヶ丘団地とはしごする。3時間は歩いてくたびれる。俺は何で好き好んで団地を眺めるのか本当にわからない。
それにしても赤羽台団地33号棟のトリッキーな造形美といったらどんなに頭を使っても言葉にできない。解体予定だから長生きしてくれと願う。
帰宅して気合いを入れてMIX作業などにいそしむ。仕上がってやれやれとファイル化する。0時。酒浴びて寝よう。
_10/12
ここ最近の天中殺のような時期に終焉を感じる。体調や仕事面や精神面全てにおいてそう感じるのだから、なんとなくの「流れ」的な時空軸っぽいものはやはり実在するのであろう。
風邪が治ったあとは病前よりもパワーアップした気になる、という解釈が俺は当てはまるのだが、これは悪い「流れ」的なものにもあてはまるはずである。きっとこれから良いことや気持ち良いことが以前より激増すると、そう信じてグッスリと寝ようと思う。
_10/13
ヤフーニュースで「ストロング系日本酒がどうの」という記事を読んだ。俺が最近めっぽうお気に入りの「菊水ふなくち生原酒」が時代の波に乗る、そう歓喜した。
100円台で気軽に呑めるチューハイ系こそ、原材料にさほどこだわりをみせなくともガツンとしたアタック感を醸し、欧米人も納得の品質で展開されている。
しかし、日本酒に関しては100円台でアルコール度18%程度の缶酒を世に広めるのは、酒税法的にも厳しそうである。価格は安過ぎず、中身で勝負なのだろうか。
細かいことは置いといて、俺はこの“ストロング日本酒”という、攻めの姿勢を見せる酒メーカー各社に感銘を受けた。
人を狂わせる系の各種嗜好品や行為に対して非常に厳しめの国内の昨今、酒だけはどうも逆らっているように思える。勢いに乗って逆走しているような印象を受ける。これはちょっとしたパンク・ムーヴメントだと俺は判断し、抑え切れない賛同の激情を滲ませつつ、でも今日のところはビールとかにしとこうと肝臓をいたわる。
_10/14
病院へ面会へ行ったついでに近隣のホームセンターに寄る。DIY的に壁に棚を設置するやつが素敵だったので衝動買いする。
文庫本やCDを少し、かわいい小物などを置く小洒落たインテリア的な棚ができて、たいへん満足する。こういうほっこりは大事だとか思いながらソファで寝る。今日は休日である。
でも桑原氏から頂いた案件が未知数の業務なのでちょっとやる。ちょっとだけやって大丈夫そうなので良しとする。秋の寒気を察する割とのどかな一日。
_10/15
なんだか体調がとても良いので、天津飯と餃子に過剰なまでの量のラー油をかけて食う。内臓に気合いを入れてやる。唐辛子の皮や種の片鱗がごっそり混ざっている、たいへん辛いタイプである。
当然腹が重くなったり発汗もしたが、実に軽快な気分である。躁か鬱かで言ったら若干の躁。そういった、どちらかと言えば健やかな状態で一日を過ごす。45℃くらいの熱い風呂に入って寝よう。
_10/16
熟睡のし過ぎで、起きがけにまず「ここは何処だ」と驚く。自宅の寝室である。枕元では観葉植物が静かに茂っている。
今日はひんやりする。そろそろ直接熱気が出る暖房器具の季節だ。しかし、ストーブなどは引越し前に何故か一気に2つも壊れたので、現在そういったものが宅にはない。
起床して間もなく出かけるというときは、エアコンではなく何となくストーブの出番である。出来れば石油ストーブが良い。昔は石油ストーブの上面で干し芋や魚の骨とかを焼いては食っていた。
夕食で残ったサンマの骨を焼いていると飼いネコが嗅ぎ付けて寄ってくる。シッポをストーブで燃やしてしまうのを止めていた頃が懐かしい。
石油ストーブとネコのセット。現状では難しい。せめて、サンマでも。季節的にサンマのピークがやってくるので、とりあえずサンマで凌ごうか。
_10/17
仕事でテニスの教則ビデオをしっかり観るという過程を必要としている。されど、だんだん俺はテニスが達者にできるのではという気になってくる。
そして、めきめきとスポーツマンシップが身に付いた感覚に溢れ、昨日今日あたり俺は姿勢がたいへん良い。忘れていたことだが、何事も、姿勢が良いと変な疲れ方をしないし、悪しきダウナー気分に陥ることは激減する。
あえて、姿勢を正して、机で絶望的なことを考えてみた。
「俺はどう頑張っても、誰からも相手にされず、あっという間にハゲて死ぬ」
絶望の淵である。
しかし、全然なんとかなる。じゃあ頑張ってやらんし、誰も相手にしてやらんし、シャンプーもしてやらん。姿勢をピンっと正しているだけで、そう前向きになれる。そんなことはないし、自然に頑張ろうとフサフサな気分になる。
姿勢を正していると、頭のてっぺんにコスモが生じ、万能感に溢れ、しかしどこか謙虚で紳士な気分になる。ちょっとしたドラッグである。どうにも何事も駄目なときは姿勢がよろしくない。俺は天中殺のような時期、そういえば姿勢が悪かった。姿勢を良くしていれば本当にだいたい大丈夫である。
_10/18
姿勢を正して凌ぎに励む。だいたい8時間仕事をしたが、集中力の質がたいへんよろしい。近場のラーメン店で背筋を延ばして食う。よっぽどのラーメン通のような物腰を醸す。心なしかいつもよりおいしい。
そして、アルコールによって姿勢も背筋も神経も精神もふにゃふにゃにする。緩急、これこそ人生の醍醐味である気がしてきた10月の冷雨したたる良日。
_10/19
陽が照っているので赤羽自然公園というスポットへ向かう。この間、その近隣を散歩していたとき見つけたのだが、その日はのその時は閉園時間ということで入れず悔しい思いをしたのである。今日は入りに行く。
小一時間プラプラと木々と緑のイオンだか何だかを浴びながら歩く。ペリカンがバージョンアップしたような見た事もない怪鳥をみつける。なかなか心地良いエリアだがすぐ飽きたので遠回りで帰路につく。
桐ヶ丘団地E47号棟という、ピンク・フロイドのアルバムジャケットにありそうな雰囲気の建物を眺める。20階弱の高さの正方形気味のドンとした構えに、隣の巨大な給水塔。シュルレアリズムの画集に出てきそうな風景である。心うばわれ口を開いて眺めていると、犬コロを縄で引く老婆が話しかけてくる。
「ここはもう終わり。わたし住んでたけどもう新しい所に居る」
オーディオファイルをブツ切りに、ブレイクビーツを作る要領で構築したような、機械音のような喋り方をする老婆は、ゆっくりと規則的なスピードで、そう俺に伝えた。
何だかこの世の何者かとは思えんような印象すらある老婆に、優しさと哀愁を醸す感じで目をひそめて「そうですか」と、対応した。老婆は、どこか切なそうで悲しそうで、何か違和感があった。犬コロも、何か違和感があった。
この桐ヶ丘団地E47号棟は、10日後から解体作業が開始されると書いてあった。直感的に、ゾッとする判断が頭をよぎったが、ふつうに散歩途中の老婆と犬コロ、ということで記憶にまとめた。直感を信じることは、勇気が要るそうな。
_10/20
ここ数日、政治家さんの話し方をじっくり聞くシーズンっぽいので今日もYouTubeで政治家さんの演説を聞く。今日は安倍晋三さんのやつだ。昨日は小泉進次郎さんのを聞いた。
どちらも話し方が上手い。そして、なんだか説得力がある。何より、相手を引き込む何らかの力に長けている気がする。
そして対象は政治家さんから三島由紀夫さん、鳥肌実さんへと発展。ともに、狂気を孕んでいてたいへん引き込まれる。そのうち、俺も演説をしたいなと思うようになってくる。
俺が最後に演説をしたのは23歳の頃である。場所は、赤羽パーラー新世紀という、昭和の雰囲気がうっすら残っていた場末のパチンコ店。そこでしばらくバイトをしていた。
今はどうか知らないが、当時はまだ店員によるマイクパフォーマンスが当然のようにあった。「確率変動スタァトォ!!」とか絶叫するあれである。
そういったマイクパフォーマンスが俺は凄く好きだった。特にイベントの日は、その日がいかにアツいかをマイクで説明する必要がある。数十分の長尺で、変な発音の日本語で、マイクパフォーマンスをする訳だが、その行為が俺は大好きだった。
その辺が店長に伝わったのか、何度かお褒めの言葉を頂き、凄く嬉しかったことを覚えている。そして火曜日のイベントのマイクパフォーマンス早番担当はいつからか「平吉の仕事だ」という流れになっていた。先輩方も、時間になると「どうぞ」というジェスチャーで俺にその役を促すようになっていた。
店内中の客人を「金を入れて打てば10万は勝てる」という気にさせる煽り、そういったマイクパフォーマンスは、俺にとっては真面目な演説だった。
毎週火曜日、変な発音の日本語で、パーラーの喧騒に埋もれない声量で俺は「ラッキィスタートォ!」「張り切ってお出し下さいませぇっ!」と、絶叫した。新機種新台の魅力・説明も加えつつ、フロアを回りながら一心不乱に演説をした。あれはきっと、人生で味わうことが少ないであろう種類の快感のひとつかもしれない。
だから俺は、政治家さんや偉人さんの演説を聞くと、その内容の良さよりも、「気持ち良さそうだな」という感覚が第一に出る。
そういった訳で、政治家さんの話し方をじっくり聞くシーズンなのではなく、ただ、演説がしたい欲が湧いてきたシーズンのようだ。演説をする機会というのは、なかなかない。何でもいいから説き伏せたい。演説というのはどこか、サディスティックな欲を満たしてくれるという感覚で捉えている。
_10/21
事務をやったり竿2本ぶんの弦を替えたりして過ごす。CD-Rを買いにいったついでに、マッサージチェアというか、機械の力で勝手に揉んでくれる感じの価格もごっついマシーンを試す。座ってスイッチオンするとウィィィンと。
なんというか、情け容赦なく揉んでくる感じで、終始油断ならない気分だった。俺はこのとき、「彼女とか嫁に揉んでもらいたい」と、たいへんまともな思考が出た。それくらい、マシーンは血の通っていない揉み方をしてくる。それがたまらんという方にニーズがあるのだろうが。思わず「揉み返し」というフレーズをググりながら帰路。
_10/22
レッスン用に「鳥取砂丘」をアナライズする。弦哲也先生の楽曲をご本人が弾き語りしているバージョンである。
ガットギターでオブリガート混じりに、溢れる情念を紳士的に滲ませてつま弾くそのプレイは、静かで温かい迫力がある。まだ弾き方は紐解いていないが、聴く限り、プレイの難易度が高い。エディ・ヴァンヘイレンのテクニカルなギターソロくらい難しそうである。
ハードロックなプレイと「鳥取砂丘」の音楽の質は真逆くらい異なるが、改めて“楽曲をプレイする難易度”というものには種類があるのだなと思った。
“難易度”という概念について考えてみたが、「自由度に比例するものとそうでないものがある」と思った。例えば、クラシックの楽曲を楽譜通りノーミスで演奏することは、自由度で言ったら低い。音符を無視して自由に弾いたら「作曲者への冒涜だ!」と、野次が飛ぶ。
アドリブやプレゼンテーションなど、その場の空気を読んで空間を支配し、感動を産み出すことは、自由度は高い。予定調和のことをやれば「台本通りじゃねえか!」と、野次が飛ぶ。
人間、どちらかにわかれると思った。自由度の低いことを完璧にこなすイケメンもいれば、自由度の高いことを意のままに操るファンタジスタもいる。
そして、その両側に寄る方々が手を組むと、なんとも美しいことになることが多い。バンドも漫才コンビも企業のチームも家族も、だいたいなんでもそうである気がする。
だから、自分が「これは難易度が高い」と思うことを平然とやりおおす輩、「こんなの呼吸だ」と自分が思うことを目を疑うほど手こずる輩、その対象こそ、何かを追求するときにはベストパートナーなのだと思った。
しかし、ふしぎなもので、そういう対象とはだいたいウマが合わないことが多い。「こいつは嫌いだ」と感じることが多い気がする。ということは簡単。「こいつは嫌いだ」と感じた輩に出会ったら何らかのチャンスなのである。
その輩と積極的にセッションすると、何か美しいものが産まれる可能性が極めて高い。でも、嫌いな輩と物事を進めるのは正直しんどい。最も難易度が高いこととは、ふだんの人間関係なのかもしれない。
_10/23
「習慣という怪物」と、誰だったか文豪さんがそう表現したが、最近すきま時間に何だか意識高そうな本を読む習慣がついたような気がする。
そういった本は、読んでいるだけで手前が高みに達するような気分にさせてくれるから悪くないと思う。いつまでも続いて欲しい習慣である。
_10/24
たいへん体調が良く、トントンと一日を健やかに過ごす。もりもりと仕事をする。全力で演歌のソロギター気味の難しいアコギ練習をする。「鳥取砂丘」のギター独奏がこんなにカッコ良いとは知らなかった。
何かの拍子で外国人に「何か弾いて」と言われたら、俺はこの「鳥取砂丘」を弾いて日本の心を伝えたい。それくらいネイティブ・ジャパニーズな旋律の良曲である。日本人で良かった。
_10/25
わりと真面目気味の勉強をして過ごす。そういった見上げた生活態度の自己満足にふける。公的資格のひとつでも所持しておいて、ある分野で、社会的にちゃんとしとると認められたいのであろうか。
何故それが欲しいかというと、たぶん歳である。若い頃は、資格や権威や役職などに、心の底から興味も欲求も無かった。
しかし、歳を重ねるにつれ、そうであるだけで、それを持っているだけで、「そいつはその道でなかなかの者である」という、わかりやすい金看板のようなものがないと何だかな、という気がしてくる。良くも悪くも、社会欲である。
ターゲットとしている種類は、メンタルヘルスの公的資格なのだが、テキストをじっくり読むと、半分は労働基準法などの法律の詳細、「決め事」の内容である。「第何項・何条」といった類いは最も苦手な分野だ。
精神疾患やクレイジーな人格、トランキライザーなどについての知識は無駄にあるのだが、法律・民事などに関してはからっきしである。きっと、そういった「世の決め事」について向き合うタイミングなのであろう。
ルールをしっかり知ることで、逆に自由になれるということもある気がしてきた。尾崎豊の動画でも観て寝よう。
_10/26
最近どちらかというと真面目に過ごしているので、悪いことがしたくなってきた。昔から不思議でしょうがないのだが、自分的に良いと思うことばかりしていると何かしらの悪さをしたくなり、悪さっぽい過ごし方が続くと生真面目なことが恋しくなる。
他の人はどうなのだろうと、またそのバランスはどうなっているのだろうと、定期的に考える。もしかしたら、殆どの人は、基本的に生涯真面目に生き進んでいるのかもしれない。
_10/27
「赤の他人を呼び止めるときに最も有効な手段」を提示してくれた黒服がいた。俺は思わず、その黒服の顔を数秒は見つめ、思考回路をけっこう速く回していた。
その手段とは、「よお、俺、俺!」という表情で、知り合いと対面する雰囲気を出す事だった。
あまりに「俺たちは久しぶりに会った知り合い雰囲気」を上手く自然に出しているものだから、俺はその黒服に似た知人を脳内でリストアップし、「こいつは初対面だ」という判断が下されるまで5秒以上はかかった。
そしてその5秒空けには、心理的な隙というか「判断力無防備な精神状態」が生じる。黒服の射程距離に見事に捕まっている状態。その隙に「キャバクラとかは…!」とくる訳である。
俺はこの黒服を心底凄いと思った。赤の他人を“交渉・対話可能ゾーン”まで数秒で引き込む、超高スキルの持ち主だと感銘すら受けた。
行く気はないので「いや、いいっす」な訳だが、その返しも平坦なものにさせられ、いつもの「絶対行かん」という断り文句が一切出てこなかった。
よくよく考えたらナンパ行為の古典的手法でもある「よお、俺、俺!」だが、夜の呼び込みにスライドさせるとは妙技に思えた。
日曜日なのにダークスーツで紫シャツに光沢系ネクタイという風貌で歩いていたからか「お兄さん、水商売の方ですか?」と、黒服は背中を向けた俺に言うのだが、どういう訳か良い気分にさせられた。
黒服は本当にそう察して訊いたのかわからないが、何となく俺にもそういった超高スキルを纏うアウトロー世界の人間の素質、匂いがあるのだろうかと、何故か少し嬉しかった。
しかし、最近言われて嬉しかった言葉が「水商売の方ですか?」というのも、どう判断するべきかちょっとわからない。
_10/28
夜の蝶と戯れに、とまではいかないが、居酒屋でもなんでもいいから外で呑みほうけて遊びたい、という心境。しかし今日はほぼ丸一日真面目に机に向かう。原稿などをやって過ごす。
夕方に、串で目玉を3匹分貫通させた連魚、よくよく考えるとなかなか惨たらしい絵面の食材を100円で買う。メザシを買って焼いて食べたかったのだ。
俺はこの居住にしてから初めて魚をまともに焼いた。メザシはたいへんおいしかったのだが、キッチンと着ているパーカーが魚の匂いしかしなくなった。
あまり良い気はしないものであろう事なのだが、なんだか家庭の夕飯時っぽい温かい匂いで、ちょっと懐かしい気分になった。
_10/29
さほど呑んでいないのだが若干の二日酔い。「2本目のストロング系は500mlではなく350mlにしておこうか」と省みながら歩いていたら八百屋にてカブがうまそうに見えたので即決で買う。3株100円である。
「糀美人」というお気に入りの味噌を使ってカブを味噌汁にして食う。カブによってか知らんが調子が良くなる。二日酔いの特効薬としてはハイチオールCも良いのだが、味噌汁が最強である。そこで小規模なカブ畑の展開を検討することにした。
カブに限らず、俺はちょっとだけロハスに憧れがあるので何らかの畑や菜園が欲しい。それらには土が必要である。そして、土や野菜の付きものとして虫の出現が考えられる。俺は虫の子供全般がダメである。
恐怖とリスクと、ロハスなチャレンジ。どちらをとるか。いい感じの八百屋が近場にあるのでロハス中止。虫の子供は絶対にお断りだ。プロが育ててプロが卸す野菜が近所で安く買える環境に、そういった視点でも感謝の意を禁じ得ない。
_10/30
「習慣という怪物」は、俺にとっては飲酒と楽器練習と雑文くらいである。よかれという思考すら加味されない、ただなんとなく好んで取り憑かれているというものであり、中には感心しない習慣だってある。
良きことばかりやっていると人としてつまらん、という鼻持ちならん手前の美学的持論により、ノイズ的なものも大切にすることを恥じていない。飲酒ほど美しくも駄目人間的側面も持ち合わせるなめらかで人間っぽい行為もないものだと思う。
最近加わった、さも教養のありそうな本をスキマ時間に姿勢を正して読み学ぶ、という習慣は、どうにも馴染んでいる。
この習慣は、恐らく、普通に見上げた類いの習慣だ。そうなってくると、ノイズが足りなくなる。完璧に近いクリアな音質の音楽は性に合わない、そういった心境と似ている。感心しない習慣もまた新たに加える必要があるのではないだろうか。
ソニック・ユースばりのギターノイズのような感触の習慣を新たに加えたい。それは、どういった習慣を指すのか。全然思い浮かばないが、きっと、どうしようもなく深く美しくオルタナティヴで、本当は必要なんだけど気付きづらく、人を選ぶやつだろう。
_10/31