ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
金融業に恋い焦がれる。1月。
年の初め、昼過ぎに起き、これはまずい新年の皮切りだと思い、机に向かって仕事をしてみる。感心感心と自負するが正直疲れ、牛丼を食いに出るも店は早じまいでやっておらず、チェーン店のカツ丼を平らげて腹が張る。夜も22時だ。
ブックオフで漫画でも買おうと、元気になろうと思いを馳せ向かうが、看板は消灯しており、下を向いて寒空を歩く。酒を呑んでやり過ごそうと、うまそうな9%の缶酒を2つぶらさげて帰宅。
いつのまにか引っ越した隣人。俺が住む物件はほぼ法人事務所テナントビルなので、年末年始のここ数日は当建物に俺しかいない。侘しいような、自由なような気分で過ごす何とも言えん元旦の夜。熱帯魚でも飼おうか。
_01/01
俺は初夢を重要視している。なにしろ初夢というのは年の初めの無意識の宣言、あるいは神の啓示すら含んでいる神聖なスタートアップ現象である。そう本気で解釈している。
昨夜見た初夢はというと、宙に浮いて移動しているというものであった。空を飛んでいるのである。俺は自在に飛ぶ夢を今まで見たことがなかった。
とうとう俺も解脱するときが来たか、シンプルに、何らかの飛躍を意味する内容なのかと、起きがけに静かに興奮。いける。今年はいける。
どこを飛んでいたかというと、家畜だか人間だかがしんみりバラバラに散乱している、精肉・解体場のような寂しげで荒廃した場所。環境汚染事故につき立ち入り禁止区域となったような所であった。スケッチできるくらい鮮明に覚えている。
「そうだ、もうここに来たらいけないんだった」とか思いながらふわふわスーッと浮いて移動しながら、飛ぶのは思いのほか気持ちいいな、という夢であった。
スプラッターとファンタジーと最終解脱体験が入り組んだ素敵な初夢。はたして今年はいけるのだろうか。
この歳になると会った人に「ねえねえ、どんな初夢見た?」と気軽に訊けない四十路も目前、きっと大事な時期。
_01/02
産婦人科と精神科医を渡り歩いた著者のエッセイを読む。医師がこんなに面白いエッセイを書けるんだ、というくらいで感慨深い。
医者をやって執筆もしてと、見習いたいくらいのバイタリティ。生きている内はとにかく色々なことをやってみたいと思うから、今年も頑張ろうぜと思う。
_01/03
関ジャニ∞の聖地でもあるらしい赤羽八幡神社で初詣をする。昨年、関ジャニ記事を書くために取材で来たとき以来だ。
どうやらこの神社は恋愛の神や勝負の神やらを祀っている、わりと有名なパワースポットらしい。正月時期にこの神社に来た時点で、俺の今年の恋愛成就・勝負無敗はがっちりと保証されたはずである。
神聖な気分で詣でるつもりだったが、夜なので暗くて怖いし、俺は霊感はないはずだが祠(ほこら)的な各所を歩いていると静かだがざわざわとする。嫌な感じはしなかったが、誰も居ないのに本当にざわざわとしていた。
初詣で何を祈るのが一般的なのかよくわからないので、個人的なことは置いておいて、周囲の皆が楽しく過ごせますようにという博愛に満ちた祈りを捧げ、ついでに俺が健康で過ごせますようにと願う。あと、赤羽の神様どうもありがとうと。
てきとうな総菜パンを買って帰宅し、コーヒーと交互にパンをたいらげ、のんびりと過ごす。年末年始は仕事ばかりしていたからこれくらいで丁度よかろうもと思い、そろそろ酒でも買ってこようかと思う。
_01/04
頭痛に見舞われるがすぐ治る。昨日神に祈った効果は絶大、今年は体調不良には縁がなかろうと信じる。通常運転で健やかに完走する一日。
_01/05
今日は一切仕事をせずに、近所のフリー雀荘で10時間近く麻雀をずっと打っていた。全くもって自堕落極まりないクソの如き一日である。
プレイ中ふと思った。「これはもう楽しんで趣味に耽っている訳ではなく、過去に楽しんでいた快楽を引きずっているだけの思考停止行為だ」と。
そういったことは過去に何度か軽く思ったことはあるのだが、不思議なことに今日は「もはやもう」という感覚が深く滲んだ。
昔「楽しかった」と思っていたことをしながら「いまだにこれは我ながらどうか」という自覚もありつつダラダラとすがるのは、決して振り向くことはない元恋人に思いを馳せ、際限なくアプローチをすることに似ている。自身に対しては、それは感心しない。だから俺はこいつをヤメてしまおうと判断した。
第一、俺は依存症体質極まりない上に前頭葉が脆弱であるという自覚があるので、中毒性があるものは吟味すべきである。せめて酒と煙草くらいに収めておくべきである。ついでに煙草もヤメてしまおうか。挑んだことがないが、難しそうだ。
煙草に関しては、まだ自己擁護する未練がある。酒に関してはヤメるヤメないの問題ではなく、カテゴリーとしては友達なので裏切りたくない。
良い距離感を努め、「ヤメようと判断した」という、あまりにも悲しいことにならないようにしたいものである。麻雀はもういい。
_01/06
洗濯物が凍りそうな寒い一日、真面目に制作などに励む。
歌モノをの歌詞を考える。ネット検索エンジンや和英翻訳サイトを使って英語歌詞を考えるのだが苦戦。俺は英語ができん。
ネイティヴ英語を喋るハーフの知人に協力を仰ごうと思ったが、勉強のためにもうちょい自力でやってみよう。夜も更けたしポテチと酒でも買いに行こう。
_01/07
若干熱っぽいというか節々がだるいというか痛いし、またしても風邪の前兆かと思い憤慨。しかし仕事をするので先月の胃腸炎のときの病院処方・鎮痛解熱剤をゴクリとやる。
確かマイケル・ジャクソンだったか、常飲していた痛み止めが良過ぎてラリってしまったのか、「デメロール」という薬の名前をそのまま歌詞に入れて歌っていたというのを思い出した。たしか「Morphine」という曲だったような。そんなにいいのか。
俺は鎮痛剤はほぼやらんが、だるいので飲む。すると効くわ効くわで、痛みを感じる中枢神経系にガツンと効いている実感すらある。病院処方の薬は凄い。マイケルさんの気持ちもわからんでもない気がしてきた。
そういったわけで日中は凌げたので、早寝して自然治癒に任せよう。深い睡眠が一番効く薬だ。「眠り〜は〜麻薬〜♪」と歌っていたのはX JAPANだったろうか。その通りである。ミュージシャンはいかなる薬ともわかり合えてとても素敵だ。
_01/08
昨日と同じように、仕事をして夜に「ねこのデュフィ」という動画を30分くらい観てという生活。
昨日と同じように、今日も9時間寝ようと思う。それくらい風邪はひきたくない。もう少しで全快、という状態のときにぐっすり休んで風邪気味を散らしたい。薬は今日はヤメておこう。鎮痛剤はクセになる。
_01/09
平熱を取り戻し、はりきって仕事をするが鼻水が出てくる。仕事の邪魔である。
俺は迷わず、半年前くらいに同症状に見舞われたときに服薬した、クシャミ・鼻水止めの市販薬を飲んだ。こいつが効くのはよく知っている。案の定、数10分で症状は和らぐ。そのうち眠くなってくる。
そして何故か、多幸感がフワっとやってきた。何故なのか不思議に思ったが、俺は花園のような脳内景色の中でポコンと思い出した。以前、酒と同時にこの市販薬をやったときにフワっとラリったことを。
もちろん仕事中に酒は呑んでいないが、パブロフ犬的な反応とプラセボが相成ったのか、風邪薬と水だけでラリることができたという結論だ。シラフでドーパミンがフワっと出るのだ。
俺はたいへんハッピーな気分でデスクワークにいそしんだ。特定の市販風邪薬を飲むだけでラリることができるというめでたい脳構造に仕上がる、という結果もあるので、お薬とお酒は一緒に飲むことを他者さまに勧めることは御法度だ。いや、世間の常識だ。健康第一。
_01/10
風邪気味が治らずにもはやイライラしてくる。イラつくくらいだから元気はあるとむしろ前向きになる。原稿をひとつだけやって大人しくしている。加湿器を買ってきたのでモワモワ焚いて静かに過ごそう。
_01/11
まだ治らずにイライラを通り越して不安になってくる。仕事をせずに安静にする。
ナニワ金融道の映像を長時間観て過ごす。中居くんが若い。金融業という生き方は一度やってみたい欲がある。
_01/12
今度こそ完全に通常運転の体調だと起きがけに実感。朝イチのウーロン茶が甘く感じる。実にうまい。
鏡に映った手前の目つきがここ5日とは全く違う。野性を取り戻した肉食獣のようでたいへん健康的である。売れ残った子羊のような怯えた充血眼だった昨日までが嘘のようである。
そういった訳ですこぶる気分よく仕事に励む。何をしてもパワーがみなぎり、発想も豊かで、めしもたらふく食える。生きているだけで快感だ。
見慣れた街の景色が色鮮やかに原色でサイケデリックに輝く。通行車両のエンジン音を聴くだけでどのメーカーの車種かだいたいわかる。トヨタハイエースのエンジンスタート音が音階で聴こえる。LSDあたりを食うときっとこんな感覚なのであろうか。そんなものは要らん。健康は薬物に勝る。
しかしアルコールは別である。俺の快気を祝うべく、軽く呑って寝ようと思う。元気過ぎて酒でも入れんと寝付ける気がしない。病み上がりという名の躁転に近いコンディションにベスト・チルアウトとなる酒は何か。ここはひとつ、慎重にビールくらいにしておこう。
_01/13
今日も元気なので清々しく過ごす。豚汁を作ってたいらげ、やはり料理に肉を入れるとひと味違うと唸る。胡麻油と一味をあらかじめ入れた上で煮込むと至高の味となる。
原稿やら制作やら一日中宅でほどよく仕事をして、静かに暮らす。体調が良いのは本当に幸せである。何をやっても疲れん。たいへんアッパーな昨日今日である。
_01/14
町田町蔵率いる「INU」の『メシ食うな!』をじっくり聴く。なぜか年に一回くらい聴き返している気がするのは名盤ということなのだろうか。
町田康として発表する著書を読んだ後のような感覚になるのは、彼もINUもオリジナリティに溢れているからだと納得する。
聴いた感じはちょっとわかりづらいと捉えられそうなフシもあるが、INUのようなパンクは後にも先にも珍しいと聴く度に思う。
町田康さんは今別のバンドを率いて活動しているらしい。一回観に行ってみたい。
_01/15
体調万全の中、一日中はりきり過ごす。数日したらまるっきり空く日があるので、呑み歩き謳歌しようと思う。そう思うと頑張れるので、それまでは仕事ばかりで良い。行ったことのない呑み屋を開拓するといったことをして楽しみたい。
_01/16
「ナニワ金融道」といい「闇金ウシジマくん」といい、金融系漫画が好きすぎて「ミナミの帝王」を読破することもそう遠くない。
むしろ金融業がやってみたい欲すら湧く。そのむかし、消費者金融と闇金の合いの子的な位置づけ「090金融」というものがあった。若干変化した形で今も存在する。
そういった香ばしい所から俺が融資を受けて地獄を見たという訳ではなく、090金融くらいならやってみてやれんことはない、そう思った。だがしかしあれは違法だからグッと我慢の子である。第一、大量の元本がない。トバシのケータイもない。合法でやるとしても年利29.2%の法定金利が大幅に引き下げられて10年は経つ昨今、中堅業者以下がしのぐにはあまりにもきびしい。
第一、俺はどうも基本的な「金の才能」のようなものに欠けている気がするので大成はせんだろうと思う。地道に制作やらの生業の方向でせっせとやるべきである。
わかりやすいくらい下品なダーク系の金融業的スーツを着て集金をしたい黒い欲。子供の頃、悪役に何となく憧れる、その延長線上である金貸し欲。
_01/17
竹下通りはとにかく若者が多く、キャッキャとしている。ふんわりと漂うクレープの匂い。どんどんクレープが食いたくなってくる。
今日は通りでおやつを食ったりとのんびりしに来た訳ではない。俺より10歳はフレッシュな若者バンドとお話しに行く仕事の日である。
無事に終わって帰路、同行の村上氏は竹下通りの人混みが好かん、とのことで「俺が知っている裏道から帰ろう」と言うので若者道から逸れた寂しめの通りへ。
そして迷う。何なら俺は表通りでクレープをガツガツ食いたかったのだが。「村上さん、せっかくだからクレープでも食ってやりますか。うまそうですよ」その一言が言えなくて。
帰って原稿をやろうと思いながら歩くが、クレープを食いながらキャッキャとしたい欲が離れんので、地元のパン屋でクレープ的なパンを探す。エクレアでいいかと思い、変な総菜パンと共に買う。宅でコーヒーを淹れてキャッキャと食う。これはこれでうまい。
今度原宿に行く用事があったら、まず何よりも先に俺はクレープを買う。そして食いながら歩く。ポップな服とかを見ながらキャッキャと過ごす。クレープ。ああクレープ。
_01/18
最近仕事ばかりせっせとしているなと、それはまずまず感心だなとか思いながら、立ち呑み屋に何かを補充しに行く。心の栄養である。
見知らぬ人の喧騒のなか、ただ黙って酒をグイグイ呑むだけなのだが、確かな何かがやや補充されるから不思議である。ジョッキに綺麗に注がれたビールがうまい。
カウンターの隣に、きっと俺と同じような心境でグイグイ呑み続ける娘が居た。若干、ちょっとおしゃべりでもしたい欲にかられたが、ただ互いに黙ってホカホカのヤキトリなどをワシワシと食いながら呑む。
ネコが催す、深夜の謎の集会とはこんな心境なのであろうか。一人呑みというのは、一人で完結するも誰かと関わりたい欲が燻る謎コミュニケーションの一種である気がしてならない。たまには積極的に見知らぬ酒呑みに絡むべきだろうか。
_01/19
少し仕事をして、あとは買い物に行って池袋をぶらぶらとして自由に過ごす。
macが欲しいので見に行って実際に触る。MacBook Proは更にツルツルして薄くなっている。
買ってしまいたいのだが俺が欲しい15インチのやつはやたら高い。万引きしてやろうかと思うくらい高い。
これだけ薄いのだから一枚くらい万引かれてもバレないかもしれん。だがそうもいかないので今日の所は買わずに帰る。服屋でツルツルのシャツを買って帰る。
宅に戻り、8年程前のモデルのMacBook Proで制作などをする。これはこれでいまだにしっかり動くから凄い。しかし新しいのが欲しい。
_01/20
宅でDAWに張り付いて過ごす。特に何という幸不幸なくしんみりと暮らすが、ギターやベースを素手で弾いて録音なりしているうちは健全だとか考えながら一日が閉じる。今日はやけに月がでかい。正直、怖い。でか過ぎる。ストロング缶キウイ味が旨いので買ってきて呑んで寝てしまおう。
_01/21
今くらいの時期、案件のお話に加えて新年ご挨拶、というメールがくると「あいさつしてなかった」と失態じみた気分になる。今年も仕事を頂けるというのに手前はあいさつすらしていなかった訳である。
それどころか今思い出したが、年賀状を頂いておきながら返していない方が一名いた。今更遅過ぎるのでどうにもならんことに加え、会う機会があろうものなら気まずさ満載である。
開き直り、「そんなの届いてません」と言い切るのがむしろマナーであろうか。いや絶対に違う。あやまろう。
_01/22
なんだか仕事が忙しいなと感じると、連休欲が湧く。南の島に行って魚を素手で獲って山ネコと分け合って食べたい。手前を見つめ直したい自戒の念がざわざわとする。
具体的にこれといった一大目的がそれほどないと、フワッと日常を過ごすことになる。それはそれで良いし、人としてたぶん幸せな方なのだが、具体的な目的に突き進んでいるときの邁進感と、目的に達したときの達成感に飢える。
大きな目標などがない場合は、小さな目標を立てると良いとされるそうな。一週間禁酒とか、腕立て伏せ20回毎日とか、そのへんでもいい。
しかし、そうなってくると、達成しても「何の為のこの小さな目標だったか」という虚無感に苛まれ、次の目標を立て、どんどん目的は大きな事例となり、人としてエスカレートしていく。
そのうち、人の共通の目的は何だろうと考えることになる。これがまた全くもってわからないものだから酒を呑んで散らす。ふりだしに戻る。
ということは答えは簡単で、どのように過ごしたら日々旨い酒になるかということを目的とすれば良い気がしてきた。酒が旨いと感じる日は、何かに全力没頭して過ごした日だ。
結論、今やってる仕事やらをやりつつ、ちょっとづつ新しいことを初めてコツコツやって、何らかの形になったら人様に披露してみんなで楽しめば酒は必ず旨い。という人生の目的だろうか。
合ってる気もするが違う気もする。俺には何かしらの宗教が必要な気がしてきた。合掌。
_01/23
とあるきっかけで、俺はAV男優という生き方について考えた。
AV男優は、何ともたいへんな生業だと思う。常人より長けた体力が要ると思う。あなたもやってみませんかと問われたとしたら、「見学だけさせてもらえんでしょうか」というセコい返答をするだろう。
ポルノ的な業界が、わりとクリーンな世界なのかアウトローの棲家なのか、ピンとこない。ただ、腕一本で凌いでいるような猛者が集う業界であることは的外れではなさそうである。何より俺は、AV男優さんやAV女優さん方がどういったパーソナリティの方なのかが、最も気になる。
_01/24
立ち読みとDAW作業。穏やかな一日。書店で買いたいのだがなかなか売ってないので昨夜メルカリ購入した「ナニワ金融道新装版」の到着を今か今かと待つ。
著者の青木雄二さんにゼニは届かない買い方だがやむを得ない。ゼニの伝道師の彼が生きていたら個人売買アプリのブレイクをどう捉えるのだろうか。
_01/25
健やかな夢をみながら安眠という朝のひととき、ドアの呼び鈴が景気良く鳴り憤慨。何かの勧誘とかだったら俺は手を上げてしまうかもしれない。
そう思いドアを開けたら「宅急便ですヒラヨシさん。おまちかねの『ナニワ金融道新装版』でっせ」と言ったか言わないか寝起きで覚えてないがメルカリ便の到着であった。
そういった訳で一日ホクホクと過ごせるかと思いきや、更年期障害ではないかと思うほどイライラと気が立って怒り狂うような心境になったりならなかったり、情緒不安定なのかと省みるが仕事が終わったらおとなしく漫画が読めると思うとほっこり幸せであった。
_01/26
この世は思想に満ちていると急に思った。満ち過ぎて、色々ありすぎて、異なる思想は喧嘩に発展するのではと思った。
逆に、同じような思想を持った輩とコミュニケーションをとると、仲良く盛り上がる。「気があうねぇ!」というフィーリングである。
もっと、全く同じ思想の輩とやりとりをすると、仲良く盛り上がるを通り越してもはや快感である。「同志よ!」とうフィーリングである。
ああそれが共感というやつかと、急に理解できた。そりゃあみんな共感したがる訳だなと思った。共感は快感なのだと急に腑に落ちた。
じゃあ共感に快感をおぼえない輩は変態なのかと仮定した。あながち的外れでもなさそうだと思ったのは、俺が変態認定した知人などは、根源的に共感を欲しておらず、むしろ多数と異なること自体に快感を得ている気がするからである。
そういった共感と快感と変態論をグルグル回す年初の月末も深夜。
_01/27
深夜に酒をすすりつつスピーカーから音楽を聴いているとおかしな感覚がある。
ごく最近からなのだが、楽曲のパートであるキックやシンセなどの音が色としてフワッと浮かぶ。
これはとうとう頭がおかしくなったか、酒を控えようかと思うのが良かろうと思うが、楽しいので良しとする。
楽器の音は一言で「黄色」とか「オレンジ」など言語で言い換えられるのだが、ボーカルやギターの音だけ何故か一言の色として表現するのが難しい。そして、「黒」はどのパートであってもとても少ない。
音を色彩として捉える脳の部位や何かしらのセンサーなどが人間にあるのか、あるいは俺のそのへんの認識は統合失調したのか、二つに一つだと思う。
面白いから音楽を聴きながら「ショッキングピンク」「緑茶寄りの緑」「乾いた土色」などと声に出してみるのだが、傍から見たら相当まずそうだ。
誰かと同じ音楽を一緒に聴いて各パートの色を言い、それぞれの色イメージがほとんど同じだったとしたら、そういう感覚は確かにあるということになる。音には色彩が確かにあるということになる。そうだとしたら何て素敵なんだろう。違うとしたら、病院に行った方がよさそうだ。
_01/28
郵便局から転送される父親宛のお便りは、何故赤やピンクのカラフルな封筒ばかりなのだろう。手にとるたびにドロッとした感覚をおぼえる。
脳や精神の不調は、入院レベルであっても、ずっと気がかりだったことや頭の中の黒い部分が晴れるとスカッと治ってしまうという、神がかり的な解釈をまあまあ信じているのだが、ドロッとした封筒らの内容を解決することは手強い。あな恐ろしや。
_01/29
一日DAWに張り付いて過ごす。気が付けばメシも飛ばして夜になっている。何かに没頭しているときが一番幸せと、どこかの起業家が言っていたが本当にそうだと思う。余計なことは何も考えないものだから意識が散らなくて心地良い。
_01/30
つめたい雪が降ってくる。東京で雪が降っても、何一つ良いことはない。
しかし、そんなことは考えず、「雪が降ってきた」というだけでアッパーになった幼少期のツルツルの感情はどこへ行ったのだろう。
子供らは、雪が降ったらネガティヴなことなど考える前に、非日常の天気をまず楽しむ。はしゃぐ。こんな最高なスタンスがあるだろうか。
「いつも以上に寒い」「路面が凍って危うい」「電車が止まる」など、そういったことは考えずに、まずはユキダルマのひとつでも美しく作る姿勢が俺には必要だと思った。
中年が一人でユキダルマをこさえて何になるのか、おおよそ近所から冷ややかにサイコ野郎扱いされるのが妥当なところだが、やりおおさないと気付けない感情というものがあり、それこそが人類を幸福にしてきて現在に至る。そう信じている。
十中八九、俺は翌朝ユキダルマを作らないだろうが、作り上げたら、理由抜きで素敵な気分になるだろう。それは虚しさだけが残る愚行なのかもしれない。しかし、そこには未知数の可能性と快感、そして言語化不能のサティスファクションがあるはずだ。
そう信じ抜くことがもたらす行為には、顕微鏡で覗かないと気付けない雪の結晶のような美しさがあるはずだ。口では何とでも言えるなと思いながら寒さに震える新年月末最終日。
_01/31