ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
胃腸炎で咽び泣く。12月。
なるべく同じジャンルではなく、好きなジャンルに偏ることなく、様々な世界が見られる本を選択すると良し、と何かで聞いて確かにそうかもねと思う。そういった訳で経営学というジャンルの本を読んだが、半分はわからん。
しかし、経営や戦略とかそういった視点は実生活でも役立つといった感触でたいへん面白くエキサイティングでもあった。次は何のジャンルを読もうかと悩む。農園の話とか異国の風俗情緒とか、その辺いいかもしれない。
_12/01
Macbook proの新しいやつが欲しいのだが、その高価さにおののいている。欲しいというか必要なのだが、価格がわりと走ってくれそうな中古自動車くらいする。
俺が昔買ったときの Macbook proの価格よりも10万円は違う。あな恐ろしや。30万円ほどササッと稼ぐ方法を考えた。それが即浮かび何時でも即こなせれば苦労せん。
20代の頃に戻って再びWindowsにしようかとも考えたが、やっぱりツヤツヤしたmacがいい気がする。Apple社製品の魅力は恐ろしい。ツヤツヤ感。
_12/02
父親が病院からグループホームに移ることになったので荷物を持って行く。
ここしばらくは病室で半ば拘束されていたような状態だったので、だいぶ過ごしやすそうで何よりと思う。刑期を終えたような心境であろう。
そういえば認知症患者の身体拘束問題が深刻という話題がネットニュースに上がっていたが、それはそれは記事の内容以上に深刻である。
担当の方にこんなことを聞いた。「暴力やDVや、確執のある親子の場合は、家族が一切面会にも来なければ『親が死亡しても連絡してくれるな』というケースはけっこうある」という。その気持ちは非常によくわかるが。
つくづく、家族という間柄は、治外法権で何でもありなのだなと思う。
戻って原稿などをやったりして過ごす。エリンギと酒を買ってきたのでオリーブオイルで焼いて喰おう。心身心境共におだやかな曇り日。
_12/03
なんとなくAIについての本を買って読み進めてみる。人工知能の何やかんやの詳細だが、こ難しくて半分はよくわからん。しかしとても興味深い内容である。
AIがマックスまで発達したらどうなるか考えてみたところ、「嫁」や「旦那」や「家族」など、限りなく人間に近いアンドロイドに需要があり、遠くない未来に具現化するのではないかと思った。
人間にできて機械にできないことは何ぞと、いつだったかも考えたが、やはり「ナチュラルな会話」は難しかろうと思う。ナチュラルで実のある会話が機械にできたら人間の存在意義がよくわからなくなる。
しかし、その本を読んでいると、そのうちAIにも人の気持ちを察したり、重んじたり、軽視したり、共感したり、ということは可能な気がする。
機械が人間の気持ちや感情を読み取ったり共有できたりしても、AIアンドロイド的には「だから何だ」あるいは「そういうことだ」で終わると思う。要はその先のことが重要なのだろうと思った。
人間は、「その先」があるからこれだけ繁栄している気がする。その先とは、何を指すのかわからない。たぶん「欲」な気がするが。
欲を持った機械など、考えただけでも恐ろしい。というか、欲と知能を持った有機物が人間なのかとかも思う。欲の源流には死生の観念があるから、機械には無理なのだろうか。
「80年くらい経ったら絶対壊れる」というプログラムがされていて、その80年くらいという期間も、うっすら何となく自覚させるというコードも書かれたAIアンドロイドがあったとしたら、それはもう究極な気がする。
_12/04
AIとかドラえもんじみたことを今日も考えつつ、仕事をせっせと、俺の性質を持ったAIがやってはくれんかと思いながら、やっぱり仕事は自分でしたいと頑張る。東京は今日も季節外れの変な空気だったそうな。
_12/05
完全なる休日。不安になるくらいのんびりして過ごす。近場の立ち呑み屋「桜商店」のカウンターで小銭を積み上げてTVを眺めながら呑み続けるという贅沢な時間の溶かし方。レバテキをガツガツ食う。
一日のハイライトは呑み屋という「大丈夫だろうか」と思うくらいの休日。今日のところは休んでも大丈夫だという目測だから問題ないはずなのだが、仕事を一切しない日というのは不安である。みんなはどうなんだろう。どれくらいのスパンで「全く仕事をしない日」を設けているのか気になる。
_12/06
レッスンをしてデスクワークをしてと真面目に過ごす。あっという間に一日が過ぎて行く。年末年始は何をしようかと思う。
年末はする仕事が決まっているのだが、年始は特に決まっていない。こたつでも買ってきてヌクヌクと過ごす手もある。5、6匹ネコを詰め込んだこたつで昼寝をして過ごしたい。
_12/07
「属性の異なる人間」しかいない会社でしばらく仕事をしていたら鬱でもがいた。という内容が含まれた記事を読んだ。
俺はその「属性の異なる人間」という表現になんかピンときた。そういった人しかいない環境下で暮らすのは、誠に辛かろうと思う。
逆に「同じ属性の人間」というのは本当に心地良い存在だと思う。自分にとってのという意味で考えてみると、意外と本当に少ないと感じるのだが、それが少数派なのか多数派なのか、わからない。
同属性の人間といるとそれだけで安心感があるし、謎のやる気も湧く。何でもできる気になるし、盲目的な無敵気分だって出る。あれはなんなんだろう。
詳しくはわからないが、それが替え難い素敵なものだということだけはわかる。同属性の人間と、時間を忘れて何事かを謳歌したい欲。
_12/08
一気に寒くなって震える。仕事して蕎麦食ってさっさと帰る。家の中も寒いかと思いきやそうでもない。
以前の足立区の住まいでは、これくらいの気温のとき部屋でも容赦なく寒かった。一体どんな軟弱な壁の素材をしていたのだろう。確かモルタルだったような。
今の住まいの壁はよほど屈強なのか、けっこうな音量でMix作業をしようが、大声で張り切ってエレカシを弾き語ろうが、苦情がくる気配はない。隣人とたまに階段ですれ違えば笑顔で挨拶である。
一般住宅とは少々造りが異なる物件のため、仕事部屋と隣の部屋はまあまあ離れていることもあるが、壁が良さ気な素材なのは大きい。大昔の藁の家とかだったら俺あたりは簡単に凍死する。現代に感謝しつつポカポカと寝よう。
_12/09
近所の教会に何となく入ったりすることがちょいちょいある。目的は何もないのだが、入って何をすることはなくとも、何故かどことなく心地良い気分になるからである。二日酔いのときに来ると、何故か回復する。
ステンドグラスから射すきらびやかな光を浴びてほっこりしていると、見ず知らずの方がぽつりと入ってきて「こんにちわ」と、当たり前のように挨拶してくる。何だか俺は居てはいけないような気分になりながら「こんにちわ」と返す。
今日、初めて気が付いたのだが、どこの教会もそうなのかわからないが、シーンとした堂内では微かに高い音がずっと鳴っている。優しく響いている感じなのである。
それは、昔見かけたのだが、足立区の公園に設置されているヤンキーよけの「高周波出力装置」から出る20000Hzのモスキート音的な周波数に近い音だ。
あれはただ不快な音だが、教会で静かに佇んでじっとして聴こえる音は、かなりの高周波だが、心地良い音だった。アンビエントサウンドという表現がぴったりくる。
俺はあの高い音が、教会を管理している方々などが狙って出しているものなのか、スピリチュアル的なはたらきで聴こえるのか、俺の気のせいなのか、もの凄く気になる。それくらい、幽玄で心地良く、気付くか気付かないかギリの音だ。誰か真意を知らんだろうか。
_12/10
外が信じられないくらい寒い。原稿おこしやデスクワークをして過ごしていたが、夜に寒気と悪寒と節々の痛みと頭痛をそれぞれ軽く感じる。風邪だけは嫌だから1時間巻きくらいでさっさと寝よう。
_12/11
以前強烈な風邪が長引いたので、今回は早めに手を打とうと病院へ。とりあえずインフルエンザかどうか判定してもらいたい。
その判定法とは、綿棒を鼻に強かに突っ込むというものだった。一瞬だったが痛すぎる。
ロビーの本棚に「東京都北区赤羽」があったので1巻を読みながら待つ。結局インフルエンザではなかった。風邪っぽくて熱があって寒気と頭痛があると訴えたのだが「胃腸炎」と診断された。
よくわからないがそうなのかと思い、痛み止めとかの薬を処方してもらって帰る。一日、何もせずに寝る。たまに起きてYouTubeをちょっと観てまた寝る。コンビニへ行くのもおっくうである。
昨日まで当たり前のようにできたことが、今日もできるということは幸せなんだなと、心底思いながら寝る。
_12/12
今日も仕事は無理だと即判断し、寝続ける。ケツは本来そんな機能ではないはずだというくらい下す。胃腸炎おそるべし。
入院患者でもこんなに寝ないだろうというくらい寝る。人は弱ったとき、明るい未来や何やよりも、過去の懐かしい風景を思い描きながら夢をみる。
夜21時頃、熱が下がった気配を感じたので食券蕎麦を食いに行く。うまいが食い切るのに手こずる。もりそば並なのだが。
夜の呑み屋街を散歩する。酒を呑みたい気持ちがいっさいないのだが、暖色がキラキラと賑やかで、少し嬉しい気持ちになる。調子が戻ったら色んな店に呑みに行こうと思う。色んな人と、楽しく呑みに行っては幸せに暮らしたいと思う。
_12/13
2日で30時間以上寝ると、さすがに体調も良くなってくる。やはり睡眠に勝る薬はないのだろうか。原チャリに乗って、父親が入居するグループホームの手続きやらにあちこち行く。バイクで走るには寒過ぎる北区〜足立区間。
夕方帯はレッスンをする。久々に仕事をした感がある。しかし病み上がりだからか終わってやれやれという時間にはなかなか疲れる。酒だ。酒を呑もう。肝臓はピンピンしているはずである。
でもまたバタリとなりたくないのでライトなやつ2杯にしとこうと思う。俺的にハイボール缶はライトな部類だが、昨今は9%のハイボール缶もある。嬉しくも恐ろしい。じゃあ7%のやつにしよう。
_12/14
7%のやつを半分も呑んだところで胃腸がアルコールの吸収を拒否。ウーロン茶を飲んでさっさと昨夜は寝たが、あな恐ろしや胃腸炎。
今日あたりはだいたい復帰感があるので普通に仕事をして宵は酒を買ってくる。やはり病み上がりといえば日本酒だぜと思い、あまり売ってない吉乃川1合缶をふたつ。
調子を崩した流れで酒もしばらく呑まずに、スッキリとした昼間の鮮やかな感覚を楽しめば良かろうも、何故、人は夜になると酒を欲するのか。
とにかく俺は胃腸からの猛抗議を真摯に受け止め、暴飲暴食には気をつけようと思ったのでアテは岩下の新生姜。
_12/15
缶酒を半分呑んだところで別にもう呑みたくないと、身体がアルコールを全然歓迎してなかった昨夜、このまま酒が呑めなくなったらどうしようと寂しくなり枕を濡らす。
今日あたり美味しく呑めそうなくらい体調完全回復と実感するが、何となく呑まずに寝よう。なんとも言えん寂しさである。
_12/16
先月受験したメンタルヘルスマネジメント検定の結果郵便が2通届く。もちろん俺は合格・資格取得のために、わざわざけっこうな時間を割いてコツコツ学んだ訳だから、不合格通知であったらショックを通りこして本当に気分が悪い。
自分にもこんなフレッシュな気持ちが残っていたのかというくらい、ややドキドキしながら封筒を空けると、II種・III種共に合格の通知であった。思ったよりもハッピーな気分である。四十路を目の前に、公的な資格を取得する喜びを知る。
そういった訳でこいつを活用して何をするかということをフワッとは考えているので、ちゃくちゃくと進めようと思う。
試験勉強から何からの一連の流れが意外と楽しかったので、また何かためになるであろうものを取得してみようかという気にもなる。今日は酒を呑むべきである。
_12/17
すずらん通りという近所のアーケードにあるうまい麺屋でチャーシューメンを食う。超おいしい。通ぶってニンニクではなくすりおろし生姜を放り込んで食う。それにしても胃腸炎が治って本当に良かった。
今日も穏やかに原稿をやったりして淡々と過ごす。何だか激しい運動がしたい。とにかく慢性的な運動不足である。昨年一瞬だけ湧いたバスケ欲はどこへ行ってしまったのだろう。
_12/18
ストリーミングで音楽を聴くということをあまりしていない。俺はCDを買ったり借りたり、そいつからテープやMDに編集して流し込んでホクホクという世代で、そして気が付けばiPodを持ったりYouTubeで音源を探したりと、時代の流れることの早さと容赦のなさに近年恐怖すら感じる。
今や、あるいはこれから、どうやら音楽を聴くプラットーフォーム的なメインはきっとストリーミングなのかもしれんと感じる。Spotifyをイジっていてそう思った。当レーベルの音源をSpotifyで探して改めて聴いてみると、何とも言えん里心みたいなのが湧く。
月々千円くらいで何千万曲も選んで聴けて、世界中のみんなのプレイリストを共有できるなんて縦長シングルを買っていた中学生の頃は想像しなかったし、そういった環境を望んでいたかというとわからない。
中世、モーツァルトの生演奏を聴いて悦に浸っていた貴婦人は、黒い円盤を装置に置くだけでモーツァルト様の楽曲がいつでも再生できるようになると想像していただろうか。望んでいただろうか。
自発的な、音楽の聴き方の最終形は何かと考えた。自分の好きな音楽を、自分の手でほぼ一瞬で形にできるようになることだろうか。想像しただけでリアルに脳内だけで再生される感じだろうか。一周まわって目の前での生演奏だろうか。
とんとわからないが、何となく、音と時間の流れとともに円盤がぐるぐると永久にまわる絵が浮かぶ。その盤面には、中世の作曲家や、長髪のギタリストや、細身のDJや、背広を着た歌手や、青臭い煙を吐く打楽器奏者や、水着のような姿でフライングVを構える娘や、教会で合唱する聖なる者達や、鍵盤を引っ張るように弾くジャズマンなど、とにかくひっきりなしに人が絶えず、いつだって賑やかである。
_12/19
健康診断の結果を見てみると、全体的におおよそ問題ないのだが「血清鉄」だかなんだかの値だけが不自然に高く、そこだけ「F」判定であった。鉄分や赤血球が多過ぎてやばいのか俺の血は。
しかし考えてみると、亜鉛だか鉄だかがふんだんに入ったサプリメントを連日飲んでいたからという点が思い当たる。だとしたら納得である。サプリメントはほどほどが良いのかもしれん。
肝臓やらの数値はどうかというと、驚くほどクリーンな状態でオール「A」判定であった。確かに、肝臓にくるほど量は呑っていない。血圧に関しては何故か年々右肩下がりである。一安心なのでどんどん酒を呑もうと思う。
こと健康について俺の場合は、おいしく酒が呑めるかどうかが健康のバロメーターとみて間違いない。こないだの胃腸炎のときは本当に受け付けなかったからよっぽどだったのであろう。
_12/20
渋谷にライブを見に行く。0-nestと0-westを間違えてwestの方に行ってしまい、受付で恥をかく。「一文字しか違わないから間違えちゃいますよね。ふふ」とでも言われていたら恥辱感にまみれすぎて半泣きで帰宅していたかもしれん。
観終わって駅で蕎麦を食う。イカの揚げ物も添える。プリプリしててうまいの何の。でも時間が深夜手前だからか、ほんのちょっと胃がもたれてやや悲しくなりつつ帰宅。
歳相応に、胃腸を鍛える何らかの方法を検討するべきかもしれん。「遅くに食わない・呑まない」が基本的かつベストであることは明白であるがなかなか。
12/21
よく仕事をしたなと感心して深夜を迎える。きっと、良いことだと思う。何となく良かれと思い、いつもより時間をかけて原稿をやったりする。
よかれと思い、おつかれ的な酒を買いに行こうと思う。犯罪と害を加える行為は除くが、良かれと思ってやっていれば何をしても幸せなのかもしれんと思う。
_12/22
明日は聖なる夜という訳であるが、仕事くらいしかすることが思いつかない。10代くらいの若かれし時期は、この日ばかりはどうにか賑やかに過ごさないと、できれば異性とよろしく張り切りたいと、やや強迫観念気味にそう思ったものである。
きっと本来は家族と過ごすなり教会で過ごすなりする日であろうが、俺はクリスマスに何か特別なことがしたい欲があるようなないような、七面鳥はわりと食いたいような、そういった日だ。
聖なる夜というか、もはやイベント感が勝っている昨今、どう過ごせば人並みに楽しめるのかと考える。普通に街に出て過ごしても楽しいのであろうが、特別な日として過ごすにはきっと、この日のために何かしら準備をした者こそが楽しめるという事実に気が俺は付いた。そう考えると、とても素敵な日である。
_12/23
「壁掛け時計が欲しい」とのことだと、グループホームから連絡が入る。ずいぶん細かいことで連絡をよこすものだなと思った。だが、確かに部屋に時計がないのは不便というか案外辛かろうとも思う。明日俺はサンタクロースにでもなったつもりで、壁掛け時計を父親に届けに行くべきだろうか。
俺は子供の頃、「枕元にクリスマスプレゼント」という幸せな体験をしている。だからという訳ではないが、タイミングもタイミングなことだし、HONDAの50ccのソリに乗ってカッコいい壁掛け時計でも届けに行くのが良いのだろうか。
アルツハイマー型認知症というのは、脳細胞が死んでいく病だ。手前が何十年もやっていた仕事すらストンと忘れる凄い病である。
統合失調症というのは、脳と精神がバグる病だ。手前の口座に「60兆円あるんだぜ」と目を輝かせて言い放つ凄い病である。
そんな奴に壁掛け時計をプレゼントしたところで、翌日には「係の人が持ってきてくれたみたいだ」くらいのフィーリングになるであろう。しかし、俺は子供のころ、そんな奴が枕元にセットしてくれた品で最高の気分になったことをいまだに覚えている。
翌日以降はすっかり忘れるとしても、その瞬間だけでも最高の気分になってくれるのなら、それでいいんじゃないかと思う。死ぬ寸前の走馬灯に幸せな出来事として一瞬でも映るのなら、それでいいんじゃないかと思う。
_12/24
この時期に原チャリで走るとめっぽう寒い。近所のニトリでミケネコ型の壁掛け時計を買い、足立区のグループホームへ届けに行く。
さっそく壁に設置したそいつは、一秒毎にユラユラ動く振り子がしっぽという粋なデザインの時計。眺めていると何故か親子共に笑いがこみあげてきたのでゲラゲラと笑う。別に面白くないのだが。きっと、人を幸せにする時計なのであろう。
帰宅して原稿おこしなどやりつつ静かに過ごす。七面鳥が食いたいのでSEIYUの総菜売り場に探しに行こう。それにしてもあのネコ型の壁掛け時計は俺の部屋にも欲しい。来月買おうか。しっぽが揺れる幸せな時計。
_12/25
ドラッグに関する書籍を少しづつ読み進めているのだが、その内容を合法の一般的なあれこれに照らし合わせて考えると、酒とギャンブルはほぼドラッグと変わらん気がしてきた。
ギャンブルは一時期ケツから煙が出るほどのめり込んでいたが、自覚する限り今はそうでもない。たまに麻雀牌を握りに行く程度である。しかし、ドラッグと同様に快感のみを求めての行為ということには変わりはない。
酒は日中残ったまま翌日のおかわりまでという程の連続飲酒状態ではないが、2杯程度とはいえ、ほぼ毎日呑る。やっぱり快感のみを求めていることに変わりないのは、ドラッグと同様のものという考えも決して飛躍した解釈ではない。
俺はきっと、ほどほどドラッグをやり続けたいのである。もちろん非合法のそういったものに手を出したことは無いが、発想や欲の源流、脳の作りはジャンキーと多分そんなに変わりない。
問題は、何故そうなったか。書籍にも書いてあったが、人生の初期に振り幅の大きい体験から逃げられなかった人が、依存性のなんやかんやに手を出しやすくハマりやすいっぽい。
俺がどうだったか自己判断は難しいが、依存症体質っぽい方と接すると、何となく許容範囲を大きく超えた体験をしてしまったのだなという独特の雰囲気と物腰を感じる。
要するに、トントンと真面目に健やかに生きていればドラッグも酒もギャンブルも、その他の依存性抜群の気持ち良い何かしらは不要なのだと思った。どっちが望ましいかはその時代の社会が判断する、というあたりが実に乙。
_12/26
仕事でお世話になっているみなさんと酒を呑み散らかし過ごす。バイオレットモーニというやけにクセになるカクテルをバンバン呑む。
年の瀬を感じる。今年俺は何をやりおおしたのだろうと振り返る。大きな変化は引越しをしたことだろうか。Macがクラッシュしたことだろうか。10年以上ぶりに寝込んだことだろうか。資格試験に挑んだことだろうか。
地味な振り幅には事欠かさない一年だったが、時間の流れが速いようなそうでもないような、幸せかどうかといったら、きっと周りの人々のおかげで幸せな一年だったと断言できるから来年も楽しいであろうと思う。
_12/27
更に寒さが増したせいかずっと寝ていたいと思う一日。そういう訳にはいかないので仕事を2つやって夜、チャーシューメンを食べに行って酒買って帰る。たいへん静かな年の瀬。
_12/28
朝から晩までせっせと働く年末はきっとありがたいのであろう。明日も早起きなのでさっさと寝ようと思う。ここ数日連荘で悪夢にうなされるのだが、今日はそういったものを見たくない。健やかに寝よう。
_12/29
毎年恒例となっている紅白リハ取材に渋谷へ行く。あらゆる面で準備が凄いので改めて国民的祭りなのだなと思う。
明日も仕事だが、元旦はゆっくりしようと思う。俺的に旨いと思う酒ベスト3に入る「ノイリープラッド」のボトルを買ってきて呑みたい。
ボトルを置くと際限なく呑んでしまうから普段は禁止しているが、正月くらい良かろうと思う。あの酒は本当に旨いというか、ハーブ混じりのベルモットだから恐らく何らかのラリる成分が入っているはずである。
_12/30
何なら今日の昼間からラリっていたい気分であるのだが、きっと駄目だろう。電車で東へ、東京駅よりもさらに東へ、編集部へ。今年最後の仕事を真摯におこなう。
年が明け、近隣で酒と肴をごちそうになる。何を食ってもうまい。帰路、「ハッピーヌーイヤー」と連呼する外国の方と同乗しながら、みんな年明けでなくても、いつでも騒ぎたい欲があるのだなと思いながらうたた寝をして気付けば赤羽に着く。
追い酒をやるほど余力もなかったのでゼリーを食ってそろそろ寝ようと思う。2018年はどうだったのか、それは明日ゆっくりしながら述懐すればいいと思うほど眠たい。確か、すこぶる良い年であった。
_12/31