01/2020

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
床屋に行ってジャニーズ・ヘアスタイル恐怖症。1月


赤羽エイト神社というパワースポットへ詣でに行く。並ぶ。賽銭についていかほどかと考えていたところ、100円が妥当だろうと財布を開けるも小銭が一枚もない。

もう、引き返そうかと思ったが、10分は並んでいるのでそれはない。だからといって無銭で祈ったところでご利益がなさ気。ええいと思い、大盤振る舞い1,000円札を投入し、祈る。皆の幸福を祈る。

俺は去年の正月ここで確か100円入れて祈ったらなかなか良い年となった。ということは今年は10倍は良い年になるだろう。

銭金ではないだろうが、なんというかこういうのは自分が確かに信じられるということに繋がる儀式だ。10倍良い年になると信じきる。
_01/01

 

 


あれだけ初夢を重視しているというのに今年のは覚えていない。ぐっすり寝すぎた。平和な一年になるということだろうか。

今日も正月休みにつきフリーダムに過ごす。ほぼ丸一日DAWに張り付き、なんともスピリチュアルな楽曲ができる。

まだ宵の口なのでブックオフでも行って愉快な漫画でも買おう。あまりにもゆったりした正月。
_01/02

 

 


正月から3日、休み中に家にいた時間はDAWに張り付くか夜な夜な酒を呑んでいるかであった。

これは正直見上げたものであると自負する。3日で計24時間は制作に精を出していたということになる。今日はなんともJ-POPな楽曲ができる。こういうのをお気に召すユーザーさんは割といるだろうと思う。

昨日は酒を呑みながら『ザ・ファブル』の映画を観ていて、買ってきておいた漫画を読んでいない。

買って読んでない漫画が手元にあると若干のワクワク感が1日持続する。闇金なんちゃらとかいうアウトロー系の作品なのだが、俺はこういったジャンルが好き過ぎる。

でも、実生活では出来るだけ優しい心持ちで健やかに楽しく面白く過ごしたい。
01/03

 

 


仕事する。案件から帰宅する途中、ひとつ今年の目標でも決めておこうかと考える。

ひとつでなくともいいと思う。出来るだけ具体的なやつがいくつかあったほうがやりやすかろうと考える。3つできた。

ひとつは、資金を減らさないことだ。「月収何100万!」とか、そういったマッチョな目標のたて方は俺には肌に合わない。増えれば増えるだけ嬉しいが、何しろ減らさないことが肝心だ。

もうひとつは、味方を増やしたい。友達でも人脈でもフォロワーでも、どんな種類でもいいから味方がもっと欲しい。

最後に、今まで着手していなかった方法での収入源。これを作りたい。全く新たなスタイルでの源泉が欲しい。内容は、手前も受けても面白くて、勝手がきけばなんでもいい。極端な話、YouTuberをやるというのでもいい。これはマジでやりたい。しかし継続できる企画が思いつかないのと度胸がネック。でもやってみたい。

そういったわけで希望を胸に今年も頑張ろうぜと思う。
_01/04

 

 


首の左あたりと肝臓のあたりが痛い。これはもう死ぬのかと諦めかけた。

しかし一昨日のことを思い出すと、ベースを長時間弾いて録音していた。

試しに一昨日と同じ格好でベースを構えて弾いてみると、首左と肝臓のあたりが痛く、負担がかかっていたことが判明する。

どうやら1日おいての筋肉痛である。これは悔しい。歳か。さすがに歳なのか。宅録での体力と1日遅れの筋肉痛というダブルの痛さと精神的ダメージだ。

いいや違う。もっと楽器に触れる時間を増やして鍛えればいいのだ。今年はどんどん曲を作って少しでも稼ぎを増やそう。筋肉痛は減らそう。鍛えよう。
_01/05

 

 


“チルい”ってもう言わんのかなと嘆きながらチルアウトを作る。チルアウトとは、まったりしたエレクトロミュージック全般を指す。というのでだいたい合ってる。

昔は酒を呑んだら高確率でアッパーになったものだが、ここ最近は、アラフォーの身としてはそれで良いのか、アガるというよりチルくなる。

特に一人で呑んでいる時など、内向的精神世界に没入し、そのまま気絶するように寝る。

しかし酒を呑む相手がいる場合は全然チルくない。隣の知らない酒呑みにハイテンションで絡む。なんならカラオケに行ってタンバリンを振りながらエレカシの熱唱を今宵の月に捧げる。

たまには外でエモく呑みたいとも思う。ふと気がつくと、仕事ばかりでロクに忘年会も新年会も行っていない。仕事にたくさんありつけるのは非常にありがたいことである。

しかし忘年会も新年会も、となるとわずかに侘しい。わずかだからいかんのである。イベント時期にはみんなで騒ごうぞ欲、俺にはこれが不足している。

9日の夕方に舞台を観に行く予定を立てたので、その日は全休とし、夜誰か誘おうかと考える。これが何故だかなかなか難しい。気軽に誰ぞを誘うという行為。
_01/06

 

 


YouTuberラファエルさんと会う夢を見て感激する。夢の中で、「これは現実ですか!?」と言ったら目が覚めて「夢かぁぁ!」と、布団で叫んでしまう。

みんなはどうなんだろう。嬉しい夢を見て目が覚めて、夢だったと認識して本当に叫ぶということはないだろうか。

俺に女房がいるとしよう。目が覚めた7時半、荒声で確実に起きたであろう女房に夢の一部始終を説明して共有しようとし、強めに肩パンでも食らってまた寝るだろう。

何が言いたいのかというと、起きがけという最も無防備に近い状態でたいへん大きなリアクションがとれる俺はまだまだいけるだろうという過信。

今日は終日せっせと自宅でデスクワークで過ごす雨の寒空。
_01/07

 

 


39歳の今の俺の聴力がいかなるものか、ウェブサイトで試してみた。

悲しいことに人間齢を重ねる毎に聴力は低下、特に超高音域は聴こえなくなってくるそうな。

具体的には10000Hz〜20000Hzあたりがだんだんと、であるそうだ。人間は20000Hzを超える音域はそもそも“聴こえる”という感覚では認識できないらしい。

そのためか、デジタル音源は高いところで20000Hzまでしか出ない。ネコとかコウモリはもっと高いのも聴こえるらしい。

最近、あまり騒音にイラりとしなくなってきていた。もしやと思いながら試す。仕事柄、でかい音を聴く機会が多い。しかし、音を調整する作業も必要なので聴力は命綱でもある。

「キー」とか「チー」とか「ティー」と、周波数が上がるにつれてだんだんそういった擬音の感じで聴こえる。「シー」と聴こえたのが16000Hzで、かろうじて「感じるかな」というのは18000Hz。残念ながらそこから20000Hzまでは全く聴こえなかった。

しかし、18000Hzまで聴こえたところで「診断ボタン」的なのを押したら聴力年齢的なのは「24歳」と出た。よし。俺の耳は若者に負けておらん。自信を持ってDAWでミックス作業に励む。

興味がある方はやってみると面白いかもしれない。リンクはこれ
_01/08

 

 

 


佑太くんの舞台を観に新宿へ。

早めに着いたので近くのスーパーでパック寿司をながめていたらヨディーさんと出くわす。ヨディーさんも今日このタイミングで観にきたという。

そして足立くんもやってくる。全10公演くらいのなか、このタイミングで偶然というのはなかなかの確率。なんかの縁と捉えると素敵である。

そして公演は、贔屓目でも、客観的にも、良い舞台だったなと感じた。佑太くんもみなさまもキラキラしとった。

帰り、足立くんがカレーを食いたそうなそぶりをするので一緒に食べる。経済や社会やYouTubeの話をしながらやけに美味いカレーをペロリと食う。

そして、奢ってくれた。俺は彼からどれだけの回数奢ってもらっているだろう。いつか、彼が引くくらいの規模で恩的なものをどっさり返したい。

良い舞台をありがとうございます。佑太くん。出演者関係者のみなさま。足立くん、高価めのカレーごちそうさまでした。かなり美味かった。
_01/09

 

 


3年ぶりくらいに車を運転する。しかもマニュアル車である。AT車でない運転など20歳の時以来、坂道発進は大丈夫だろうか、国道でエンストして 赤っ恥をかかないか、不安はつのる。

ビクビクしながら運転席に乗ると、たいへん懐かしい感覚。俺は車の運転が好きだったことを思い出す。

そして驚くほど体が運転を覚えている。スイスイとギアを操り2速発進。なんならサイドブレーキ・ドリフトあたりもいけそうである。

用のついでに父親の面会にも行く。腹立たしいほど顔の血色は良く、脳機能はフェイドアウトするのかのごとく、非常にゆっくりと認知症が進行していると感ずる。今日は俺の年齢を5回聞かれた。

そしてロビー的な場所で、見知らぬ入居者の婆さんが俺を孫かなにかと間違えているのか、涙を流しながら「ありがとう。来てくれて…」と、手と体をベタベタ触ってくる。

ここは役者になるべきであろう。「毎月来るからね。大丈夫だよ」と笑顔を見せ、婆さんの体を欧米人のスキンシップ並のアプローチで撫でてやる。

わからないことに乗って騙す方が良い時もある。俺はこのグループホームでは嘘ばかりついている。認知症患者に対して真実を告げることは御法度という、あまり広く知られていない臨床現場的常識。
_01/10

 

 


正直、アルツハイマーという病が遺伝的な何かしらがあるとしたら、俺はビビっている。

「そんな重要なことも本気で忘れたのか」というくらい、本当にコントのごとく記憶やらが無茶苦茶の支離滅裂になるということを俺は身近な人間を通じて嫌というほど知った。

俺の脳は現在、大丈夫なのだろうか。さいきん忘れっぽくなってきている気もするのだが、一時的記憶とか大丈夫なのだろうか。

そういうこともあって、仕事の効率が下がっていないか省みた。例えば原稿を書く場合は時間をきっちりと測っていて、それをエクセルに記録している。去年と一昨年の比較したら、別に大丈夫だった。

念のためネットの“IQテスト”的なのもやってみたら、全然大丈夫だった。たぶん中の上といった感じ。質はおいといて。

しかし、アルツハイマーやら認知症を根本的に防ぐ方法は知らん。予防法としては、やはり頭を使うことを怠らないことだろうか。

もしかしたら、こういった日記習慣も、潜在的に認知症にビビっているからなのかもしれん。しかし、なんとなく自分では役に立っている気もするので良しとする。

仕事と制作をサボらない為の戒めと縛りが目的の日報」と銘打ち書き続けて早5年半が過ぎる。そう、決して認知症予防が目的ではなく、ポジティヴな戒めである。

だんだん仕事でどうという主題はあまり書かなくなってきて、もはや只のポエム化してきている気もするが。いいや、良く言ってエッセイだ。随筆だ。いや、雑文だろうか。
_01/11

 

 


脳機能でロジカルなことを処理するの部分は左脳だという。そして感性的なことを処理するのは右脳らしい。

左脳はわりと使っているつもりだが偏るのもよくない。脳機能疾患になりたくないから今日は右脳をフル活動させる。一番良いのは作曲とか演奏だ。

そういうわけで1日コツコツと制作に励む。ガンガン脳を使っているうちは俺は大丈夫だ。ガンガン脳を使って酒でちょっと溶かそう。
_01/12

 

 


仕事してめし食って押切蓮介さんの漫画を買ってと、平和な日。今年はどういう年になるのだろかと考えながらYouTubeを観たりする。

どうなるかというか、どうするかが大事だとハッと気づく。具体的には、生活できる稼ぎに加えて、もうひとつ何か頑張りたい。新たなテイストが欲しい。

「やってみようかと思う」と、「やる」との間には相当大きな壁があると、このあいだなにかで聞いた。確かにそう、実際に行動に移すことが大切な気がする。

これから何を新たにやるかは置いといて、実際に俺がこれまで新たにやろうと思いつき腰を上げて行動したことには共通項があった。

それは、具体的に内容を紙に書き出す、あるいは工数などをエクセル等で管理簿作成するということだ。成功、失敗はよそに、とりあえずやるところまではいける。

やることを紙に書き出すことにより働く力は、こんなにシンプルな行為なのにわりと絶大。どんどん書こう。
_01/13

 

 


眠たくて辛抱たまらん1日。深夜まで起きていればそうもなる。仕事をしていると気にならないが電車で座るとスゥッと来る。

電車内で寝る時のあの心地良さはフッカフカの布団を上回るのではないだろうか。大昔、電車で寝ていてあまりに気持ち良いものだから寝たまま山手線を一周したことがある。高田馬場から高場馬場である。

あの山手線を寝て一周した時の何とも言えん首の痛さはいまだに誰とも共有できていない。たしか徹夜麻雀明けである。20歳くらいだったろうか。

それにしても麻雀が打ちたい。フリーで行くことを禁忌としてとうとう1年が過ぎた。禁賭博1周年である。真っ当な人間からしたらこれは全然めでたいことではなく、むしろ当たり前だろうということ。

しかし、最近世間でやっと明るみの最前線気味に話題ともなるギャンブル依存症という概念を加味すると、中毒者にとって1年さっぱりやらんというのは祝福に値する。

アルコール依存症の施設だと、禁酒1年となると皆にお祝いされるそうだ。「とうとう1歳になったね」という感じで、本気で祝うと聞いた。

それくらい、アルコールもギャンブルも、行くところまで行けば麻薬よりタチが悪い。アルコールとは友達止まりでいられて俺は本当に幸せだ。2杯呑んで寝よう。アルコール依存症予備軍。
_01/14

 

 


欲しいソフトウェアがあり、それは高価い。買えんこともないが躊躇する。そこに口を開けて待っているのがリボ払いである。

俺はリボ払いはしないと心に誓っている。理由は手数料という名の消費者金融ばりの金利で搾取されるのが嫌だからである。

しかし、今欲しい。10回払いとかならいい感じだ。だが金利がかかる。「今なら“後からリボ払い”ご利用で●●●●ポイント進呈!」という罠もある。計算するとこのキャンペーンを利用すればさほど金利はかからない感じである。

しかし、これはリボ払いという仕組みに引きずり込ませるための、分割払いという名の借金に身を慣らせるための罠である。

「一回ためしてみてさ、体質に合わなかったらヤメときゃいいじゃん」と、非合法ドラッグを勧めてきた輩がいた。としよう。それと一緒である。と言ったらカード会社全般をディスることになるが、さほど遠くないと俺は考えている。しかし欲しい。稼いで買おう。
_01/15

 

 


ソフトウェアの一部無料配布があると聞き、早速0ドルで手に入れる。けっこういい感じだった。

しかし、タダでいいのだろうかという背徳感。しかし、俺も無料ダウンロードOKのBGMをここより間口の広い別のサイト様で撒いたりしている。人間どこかでお互い様ということで良しとする。

しかし、なんというか、作り手に対してのリスペクトもこめて、試し終わって良かったら、金を出してそのルートでのいいやつを買おうと思う。それならなお良しとなる。そんな感じで経済は回っているのだろうか。

金の流れを考え出すとキリがないというか、俺はそういった方面は疎い。ただ、無料とか廉価で手に入るものより、高額でも最初からいいやつを選んで買って使った方が時間的にも機能的にも良い、といった考え方は真理だと思う。

しかし酒に関しては安いのでいい。100円前後のストロングな缶があればだいたい整う。いやシャンパンが呑みたい。高い酒を呑むべきめでたい機会にたどり着くため明日も頑張ろう。
_01/16

 

 


この、心が枯渇するような、風が体を通り抜けるような、サラサラとした厭世観は何だ。

喩えるなら、つげ義春さんの漫画の作風の世界を一人で彷徨っているような、レディオヘッドの『KID A』を逆再生して聴いているような、“無”を欲するような、ほとんど水も必要なくただ生えているだけの植物のような心境は何であろう。

こいつは定期的にやってくる。それにしても久しぶりに来た。1年ぶりくらいであろう。

他人がどうかはわからんが、人によっては、こういった気分に耐えられず、自傷に繋がるあらゆる逃避行為に走り、誤魔化し、やり過ごす。そして、そのリバウンドに後悔する。

俺はこんなもの慣れたものである。「定期的に来るが、久しぶりだね」くらいに挨拶すらしたい心境だ。

そういったわけで通常通りの生活を送る。不思議なもので酒も別に呑みたくない。

ただ過ぎていく一切のことを無感動に眺めていたいような心境だが、こんなものに屈していた頃がもはや懐かしい。そういったわけで、逆に景気良く酒を呑んで寝よう。2杯。
_01/17

 

 


昨日の反動なのかめちゃめちゃ元気に過ごす。外はえらく寒く、昼前には雪すら降っていた東京。

たまにはと思いカレーに牛肉を入れようと買うが、帰ったら米もうどんも冷蔵庫になく、カレーだけ食う。野菜と牛肉のカレースープのみ。これはこれでヘルシーなのかもしれない。
_01/18

 

 


とうとう白髪が気になりだす。表面上は気にならないが、髪をかき上げると側頭部にちょいちょいあるのが見つかる。

老いに逆らいたまに抜くのだが、これを繰り返すとシンプルにハゲるのではないかというジレンマ。

じゃあ染めれば良いとなるが、床屋さんに行きたくない。かれこれ20年は床屋さんや美容室に行っていない。髪が伸びたと気になったら手前で梳きバサミでザクザク切る。

たまには美容室に行ってみようか。なぜか近所にたくさんある。しかし、あの雰囲気がどうも苦手だ。刃物を持って後ろに立たれるのが特に苦手だ。拘束椅子に座るとパニック発作が起きそうになる。

あと、最後に床屋に行った時、ラストの髪型セットで80年代のジャニーズ風ヘアスタイルにキッチリ仕上げられたのがトラウマだ。やはり行かん。ガラスの十代およびパラダイス銀河風ヘアスタイルはもう御免こうむる。
_01/19

 

 


昼間、友人が遊びにくる。宅で珈琲を交わしつつ楽しく過ごしていた。

しかし施設から「父親が暴れた」という通報を受電。こいつはいかんと思った。彼はただの認知症ではなく、ガッツリ精神疾患もある。

原因として俺が断言できるのは、2日前に主治医が変わったことによる投薬方法の変更である。「セレネース」という、わりと強烈な抗精神病薬の投与をヤメる方向で進んだ結果である。その薬を飲み始めてから2年近くはおとなしかった。

※セレネース:抗精神病薬。せん妄や妄想、幻覚、病的なハイテンションを抑える作用がある。メジャートランキライザーという分類の、統合失調症患者などに処方される比較的強めの精神病薬。

以前いた病院で、彼はこのセレネースという薬をきっかけにすっかりおとなしくなった。ドンビシャで効いたのである。

それ以前はというと、思い出したくないくらいの暴徒老人。暴言、暴行、支離滅裂な言動による暴れっぷりをコンスタントにみせるという、たいへん困った患者であった。癇癪持ちをブーストした感じである。

だがセレネース様が救った。彼ではなく、彼に関わる人間を救った。少なくとも俺はたいへん救われた。

そういったわけで、俺はピンポイントで「セレネースの投薬をヤメると高確率で暴れます」と、施設の方に口頭で伝えた。明日、医師を通して対応してくれるそうだ。

しかし、これで良いのだろうかという疑問と罪悪感に苛まれる。

彼を、本来の自分の本能や欲望を強制的に薬で抑え、半ば無意識のような精神状態で日々を暮らす環境を促す。俺はそれを斡旋している。そうしないと彼の周囲の人間が困惑し、なにしろ俺の生活が破綻しかねないからである。

俺は、手前のために父親を薬漬けにして楽をしているのではないかという気持ちにすらなる。

抗精神病薬やらは俺も飲んだことがあるからよく知っているのだが、あれを飲むと確かに強制的な感じで効く。だが、「本来の自分」の一部分かそれ以上が明らかに抑えられているのがわかる。

しかし、彼の場合は放っておいても症状改善の見込みはほぼない。じゃあ、抗精神病薬を取り続けて蓋をするようにでも生きながらえるのが良いのか。それとも俺と同居して、彼が死ぬまで俺が肉弾的に対応し続けるのが良いのか。最善策がわからない。

ひとつハッキリと言えることは、善悪は知らんが、精神病薬は恐ろしいほど効く。そして、破綻した精神と脳細胞は、根本的にどうにもならないのだろうかというハッキリと言えない現状の事実。
_01/20

 

 


たいへん心地良い眠りから醒め、認知症がどうとかどうでも良い気分で1日が始まる。

何もかもだんだんかわらなくなって赤子に戻るように苦しまずにゆっくり死ねるならむしろいいじゃないか、くらい思う。

仕事してカレー食って寝て仕事して制作してと、俺の脳細胞は元気である。

しかし最近、尖った刺激をさほど欲しなくなったのは脳がおとなしくなったのだろうか。いや、自制が効いているということだろう。

ちょっとスリリングなことを妄想すると、たちまちしたくなる。

香ばしい人種と高レート麻雀が打ちたい。シルビアS13で首都高を160km/hくらいでかっ飛ばしたい。いや、どちらも極めて危ない。だが、そういった欲求は確かにある。あれば良いとして酒呑んで8時間くらいこの世から去るように眠ろう。
_01/21

 

 


PCの別付けキーボードのエンターキーがちょっとめり込み気味に傾いてきている。エンターキーを強かにブッ叩き過ぎである。

これを機にアップル社純正のキーボードとマウスに買い換えたいなと考える。だがちょっと高い。悩むほどの価格ではないのだが、なんとなく出費は抑えたい。

無尽蔵に現金が欲しい。誰もが思っているだろうが、現金がドカンと欲しい。コツコツ頑張りながら考えよう。そしてエンターキーはソフトに叩こう。
_01/22

 

 


原稿を書いたりして過ごす。ラーメンライス+替え玉をたんまり食べたあと、気分転換に書店に行く。

「女の子がいつまでも元気に可愛く生きる46の方法」だったか、そういった感じの、手前とは完全に無関係な本を読む。ライトノベルという全くもって興味のない分野の小説も読む。

そうすることで頭が柔らかくなるだろうという、良かれと思ってやっている習慣である。この間はお寺の本と戦艦の本を読んだ。本当に興味がなかった。寺に行こうとか戦艦の見学に行こうとかいう意欲は一切湧かなかった。

そして宅に戻って作業なりするのだが、頭が柔らかくなったかどうかは置いておいて集中力が増した気がする。

誰が提唱した、というわけではないのだが、死ぬほど興味がない分野に少しの間没頭するというのは、たぶん脳に良い。
_01/23

 

 


赤坂のカッフェでテザリングでネットを使ってたら、300MB程度のファイルを送信するのに何故か小一時間くらいかかりキレそうになる。

帰宅して夜、施設から入電。父親がまた支離滅裂なことを言いながらしばし暴れたと報告があり、キレそうになる。

俺はだんだん阿呆ではなくなってきたので、いちいちキレたりしない。しかし、確かなストレスを感じる。こういう時、昔だったら暴飲したり賭博行為をしたりして発散というか濁していた。外に向けず内に向けていたぶんまだマシだったかもしれない。

今はそんなことはしない。そんな日もある。そんな日が続かないようにすればいいのである。出先でネット回線が重い時はさっさと移動するか帰宅するかして送信すればいい。

肉親の暴走については、医師に「何故に引き継ぎのタイミングで患者に対しての十分な理解もないまま軽はずみに投薬方法を変更したか」と問いただしたうえで、彼の精神疾患症状をキッチリ説明すれば良い。

対策を立てて実行し、その日のネガティヴな感情は酒でふやかして蒸発させて寝よう。いい夢見よう。反動で明日はいいことあるだろう。
_01/24

 

 


GLAYのライブを観に行く。やっぱり世代ど真ん中だから楽しく観る。

漫画家の清野とおるさんの著書で、ギタリストのHISASHIさんが赤羽贔屓だというような内容のくだりがあった。手前が赤羽在住だから、というのもあってHISASHIさん推し気味にライブを観ると、より楽しめた。

“推し”という目線があるのとないのとでは楽しみ方がけっこう違うなと感じた。“推し”がいたほうが、圧倒的に愛着が持てるというかシンプルに楽しみが増す。楽しむというか仕事で行ったのだが。

そういったわけで、これからはグループや何らかのカテゴリーにおいて“推し”を探すという、今までになかった心理を働かせる努力をしようと思う。その方が人生ハッピーだろう。

ただ近所を歩いていても、「赤羽だし、清野とおるさんに会えないかな」とか、その心境があるだけでもちょっとワクワクする。

そうなってくると、アイドルグループが好きな方々の気持ちも共有できるかもしれない。それはハッピーなことである。光GENJIだったら諸星くんが好きだとか、そういう感じだろうか。古い。

そういったことを考えていたら、女性アイドルグループよりも男性グループの方が“推し”が見つけやすいことに気づく。なぜだろう。女性よりも男性が好き、というわけではないのだが。

とにかく“推し”とか“推しメン”という存在は、人生を豊かにしてくれる概念なのだと気がついた。そうなると、色々と腑に落ちることがある。「そういうことか」と、HISASHIさんを観ていて思った。もちろんGLAYはメンバー全員好きだが。

今度カラオケに行く機会があったら「HOWEVER」が歌いたいので、上手く歌えるように練習しとこう。
_01/25

 

 


今月は一度も呑みに行っていない。こづかいが貯まっていいじゃないかと思うが、酒場のあの雰囲気には定期的に浸りたい。

一人で行くという手もある。近所に呑み屋は数え切れんほどある。知り合いがやっている店もあるから、そこあたりは気軽に一人で行ける。

しかし、どうせ一人で呑むなら家で呑んだ方が数倍安くつくというセコい思考。これがいかん。

外に一人で呑みに行って、同じく一人呑みしている輩と新たな人間関係でもつくれば良い。もうこれは本当に良い。異性ならきっとなおさらよかろう。

だがそう思いながらもいつもほぼ家で呑んでいる。せっかく都内随一というほどの酒場街に住んでいるのになんだかもったいない。なんかいいことあったら近日一人呑みに繰り出そう。ホッピーをカラカラ呑りたい。
_01/26

 

 


寒すぎて呑みに外へ行く気にすらならない。昨年のこの季節はエアコンに加えてストーブまでつけるという部屋生活をしていたが、今年はエアコンのみでいける。

これは1年ほぼ欠かさず筋トレしたことによる基礎体温上昇だろうか。素晴らしい。そういえば最近「お前は細すぎる」的なことを対面で言われなくなったからマッスルがちゃくちゃくと育っているのかもしれん。

心なしかスーツも着用感が少しキツく感じる。これは嬉しい。女子が「最近いい感じに痩せてきた」というのときっと同じ感覚であろう。

筋トレして酒飲んだらプラマイゼロと聞いたことがあるが、どうやらそれはそうでもないことを実証した。筋トレして酒呑んで寝くさろう。
_01/27

 

 


ずっと雨の1日につきさぞかし気が滅入るだろうと震える。だが、たいへん覇気を漲らせながら終日デスクワークに励む。

仕事をして、めし食べて、換気扇の下で煙草を吸い込みながら白髪などを抜き、うっすら感じる京浜東北線の電車音を聞く。

静かな1日。老人のような暮らし。「No Surprises」の歌詞のような暮らし。
_01/28

 

 


謎に小春日和な1月下旬、かわいい植物たちを日なたに曝して1日が始まる。ノー・サプライゼズな昨日とは違い、来訪や各種連絡など、わりと賑やかな日。

基本的に喜ばしいことばかりであった1日に感謝しつつ、酒をすすりながらYouTubeでも観て寝よう。
01/29

 

 


昨日よりもさらに気温は上がるものだから調子がおかしくなる。

あんなに寒かったのに急に10度近くも上がればそれはそうなる。近所の道端の葉っぱたちは、春が来たと勘違いしたのかぽつりぽつりと花を咲かせていた。これが狂い咲きか。

1日で気温差が10度くらい変化すると、神経症だったりHSPだったり繊細な仕様の人間は精神状態が良くない方に変化するという情報を何かで知った。そうか俺は繊細だったのかと良い方にとる。狂い咲くほどに。
_01/30

 

 


案件で市ヶ谷、渋谷と。途中で食べた生姜天蕎麦が染みる。七味、むせる。

気がつけば1月が終わっている。ついこのあいだまで三が日、モチも食わずにDAWで何十時間も制作に没頭していたのが昨日のよう。

こうやって気がつけば40歳、50歳、60歳と老いていくのだろうか。令和の次の元号に変わった時、「令和元年はいそいそとしていたな、ついこのあいだみたいだ」とか回顧するのだろうか。

でも、手前で書いた日記をちょっと読み返していたら、しっかりと色々ありつつ1ヶ月が経っている。歳を重ねると時間が経つのが早く感じるのは気のせいだろう。脳科学的には証明されているとか聞いたことがあるが、気のせいということにしておく。
_01/31

 

 


 

 

 

 

 

> 12/2019

> BLOG Top

> ANONYMENT Records top