01/2022

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
1月


大晦日はそれらしく過ごしたので元旦もと、赤羽八幡神社へ。夕方過ぎあたりに行ったこともあるのか人が大勢、という雰囲気でもなかった。ちょうどよいキャパシティ感。

階段を上がるとなぜか前の人が道を譲ってくれる。なんだろうと思いながら神社に着き、並んでいたらまた前の人が番を譲ってくれる。「これはあれか、導かれているな」とかスピリチュアル的に解釈し、いざ願う。

昨年は初詣自体をしなかった。2020年は八幡神社に行き、なぜか財布に小銭が1枚たりともなかったので、えいっと賽銭千円を入れて願った。すると、かなり良好な年となった。初詣とその年の具合の因果関係は詳しくわからないが、とりあえず今年も千円を入れて願った。

「みなさまが健やかに過ごせ、それが広く波及しますように」と。

「手前の業務がうまいこといきますように」と。

「あと、心身ともに、特に心が健やかでありますように」と。

千円で願い3つ。まあ妥当なところだろうと神社をあとにする。日高屋でタンメンを食べていたら編集部より入電。先日の原稿について、何点かの確認である。それはスムーズに口頭で済み、年始のご挨拶もできてよかったなと思う。

「では、俺はこれからブックオフに行くので」

「ああ。行ってらっしゃい。今年もよろしく」

ということでブックオフに行き『珍遊記』という漫画の新装版があったのでプークスと声を漏らしながら立ち読んでは和む。目当ての本はなかったのでさっさと帰宅。

少々デスクワークをして、あとはギターを弾いてゆるりと過ごした元旦。昨年はどうだったか覚えていないが、今年は明瞭に覚えているので記録しておこうと起きがけに思った。初夢の内容である。2つみたのだが1つは忘れ、もう1つは明瞭に覚えている。

新業務で依頼を受け、その仕事をしているという内容であった。クライアントは有名な殺し屋で、彼のアリバイ作りのために1時間ほど一部屋に居ることと、ペットなのだろうか、鳩の散歩をするという2つのオーダー。

部屋の鍵を握る感触から、鳩をナデナデするくだりと、やけに鮮明な夢だった。2019年にみた初夢は、かなり抽象的だったが、その年を正に暗示している内容だった。今年のは具体的だった。暗示しているとしたら、仕事がうまくいくのだろうか。

判断の仕方はわからないが良いほうにとる。夢というのは色んな意味でパワフル。そのへんもふまえ、今年は鳩のように羽ばたくのだろうかと前向きな気分で過ごせた元旦らしい元旦。あけましておめでとうございます。
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今年の三が日は徹底してお休み。案件があれば正月だろうが盆だろうが一生懸命やるが、ない。そういったわけでスーパーフリーに休む。

ベルモット酒が呑みたいなという本能的な欲求が湧いたので素直に酒屋へ。目当ての銘柄「ノイリー・プラット」は赤羽ではほぼほぼ売っていないので確実に店頭にあることを認識している池袋へ。

プラプラとノープランで歩き、書店で極道漫画を3冊購入。そして、パルコの近くにある品揃え豊富な酒屋でベルモット酒をゲットして帰宅。ホックホクである。

昨日あたりは少し事務作業を、エクセルの帳簿を更新したり、収益の集計をしたりと真面目に過ごした時間もあった。だが今日はYouTubeをタレ流しつつ頭皮を揉み、アラームも設定せずにソファに沈む。なかなかのクズっぷりでコンセプト通りである。

起きると最近イチではないかというくらい元気になる。とはいえ今日は休み。制作もしたいけどしないことにする。本能赴くまま、いかついフェンダーアンプの電源を入れ、Spotifyに作成してある「Gt Practice」というプレイリストの各曲目を弾き続ける。

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンにレッチリ。レニークラヴィッツにイーグルス。レッド・ツェッペリンにレディオヘッドにニルヴァーナと、10数曲を2時間ほど、立ってぶっ通しで「お前はライブ本番でも近いのか?」というボルテージで演奏する。

記録的寒波のはずだが「暑い」という言葉が漏れるほど仕上がる。

そのように休日らしい休日を過ごした新年2日目。あとはヤクザ漫画を読んで鋭気を養い、ベルモット酒を呑んで寝るだけである。昨夜ご開帳した2021年の「禁ギャンブル貯金」である¥95,300の使い道を考えながら。

人間、その気になれば“禁止”の慣行はたやすく、目に見える蓄えとして残る。それをこの3年、体現した。そしてこの、俺の忍耐の結晶とも言える現金を何に使おうか。株にでもブッこもうか。年末あたり、「株式投資禁止」という張り紙が鏡の横に貼り出されないことを願いつつ。いやここは慎重に。
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その作業が収益に直結するという類のことをいっさいしない。すなわち、ニートのように過ごす。散歩に昼寝にオンライン麻雀(賭けないタイプやつ)と、やりたい放題である。

近場の酒場や賭場にピンク街と、そういった過激なスポットには侵入しないという健やかな休日。仕事はせずに、マイルドに休む。このような三が日というのは10年ぶりくらいかもしれない。

今日あたりから変化を感じた。眼に映るもの、耳に入る音が、いつもより明瞭なのである。要は、実はずっと疲れが溜まっていて、数日完全に休んだことによって五感をはじめとする生体機能と精神が回復したのであろうか。

「休めるうちに休んでおいたほうがいいですよ」と、仲間のフリーランスの方に言われたことがある。こういうことかと実感し、追い込みをかけるように遠慮なくソファで寝る。わりとでかい音でエイフェックス・ツインの2014年のアルバムを頭から流しながら。

ムクリと起きてブンブンとアンプ直でギターを1時間くらい弾き続けて三が日終了。

「正月3日間の過ごし方でその年が決まる!」というテイストの自己啓発的なことを本や動画で目にする。それはそうだろうと思う。まずは1年の目標を掲げ、ルーティーンを崩さず、お世話になっている方々にご挨拶をして――というのが良かれと思われるメジャー路線だが俺の今年の三が日は真逆。それらのことは一切合切していない。

「お世話になっている方々への挨拶」に関しては、もちろんおこなった。しかし、全て受動的であり、LINEなどで「明けまして――」と来たら丁寧に返す、といった感じである。ルーティーンは崩しまくりで、1年の目標など1ミリも考えなかった。2杯以上呑み散らかすわ、立ち読みのハシゴに耽るわ、長尺の昼寝はするわと。

とはいえ、今年の展望はすでに昨年、企てており、まあまあ鮮明な絵を描いているのである。

それらをこの通りやって、いけたらこう、ダメだったらこう、いけそうだけど資金的に考えものだったらこう、と。各3つのビジョンとルートがあり、それを敢行しつつ、走りながら出会った出来事にも向き合う、というもの。

明日からトップギアで猛進。と緩急をつけると体がびっくりするであろうから気をつけながらじっくり1本ずつ的確に。とりあえず従来の案件が手元にないのがまあまあ震えるがここは冷静に。変化に適応し、進化するチャンスと捉えつつ。
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謎にカップやきそばが食べたくなったので買い食いする。夜飯はニクマン1つ。食費が250円くらいというとてもリーズナブルな日。不健康かもしれないがたまには、などと思いながら制作をする。

とりあえず昨年後半にネタ出しをした5、6個のプロジェクトを開き、育つかどうか判断するも全て棄却。ことごとくクソ、という程まではいかないのだが、こう、パッと聴いて「これはいける」と、まずは手前で脳内伝達物質がちゃっと出て興奮できないやつはダメなのである。

鍵盤に向かって曲の芽を探す。芽ぐらいはメモれたのでDAWを閉じる。ストック収益となっている制作業務は今年も大事なルーティーン。ゆっくりではるが、着実に伸びているので地道に積む。楽曲使用およびリスニングしてくれているユーザー様への多大な感謝を肚に。

充電の三が日を経てさあやるぜと、ゴリゴリにほとばしったかといったらそうでもない、2速発進くらいの地道な1日。たいへん静かな正月明け。
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起きがけ体が若干だるいのでこれはもしやと熱を測るも平熱。しかし、最近の極寒天候を鑑みると風邪をひいていないほうがおかしいとも解釈できるのでおとなしくしている。

一応、予定していたことはやったが、夜あたりになるとなんだか疲れてきたので制作もほどほどにして〆る。体調を崩すのも面白くないと、改めて健康第一を再認識する。大事をとって休肝日とするがこれがまあまあつらい。

だがしかし酒はほどほどだから美味しいということも改めて落とし込むことも大切ということで手打ち。
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泡酒あたりを注ぐと映えるワイングラスに水を注ぎ、ゆっくりと口に浸しながら、夏目漱石の小説を読む。例のネコのやつである。

注釈が必要なほどの古語は頭でグルグルとまわり、しんとした寝室で「ちと寂しいな」と確かに感じながら、眠りの尻尾を手繰り寄せる。毎日のように酒を呑む輩というのは、実は寂しがり屋なのだろうかと考えつつ。

風邪だったのか酒の呑みすぎだったのか結局不透明。しかし、起きれば体調は絶好調であった。アルコール消化班的な各臓器がへとへとに疲弊し、脳汁がわけのわからない出方をしていた説濃厚。

今日から新業務をスタートさせる。しかし、好天候とは完全に逆の降雪。ちょっと積もる始末である。

外回りはできずともやることはたくさんあると、エクセルにピタピタと入力する。ふと、日付を見て、今日は20年くらい前に逝った母親の誕生日だったなと、どれだけぶりかに思い出す。

西川口の知人のLINE経由で『叔父に連絡を』と受けていたので電話をかける。すると、叔父も、「誕生日じゃなかったかねえ?」と、母親の誕生日を確認してくる。

「そうですね。俺もまた、さっきなんとなく思い出したのです」

「不思議だねえ。そう、君のお母さんは生まれてすぐ疎開して新潟に……その日もこんな感じの雪で……不思議だねえ……ケンジ君、店に来なさいよ。今日」

誕生日と雪と新潟の因果関係はちょっとよくわからなかったが、なにかしらスピリチュアル的な力で、なにかしらが繋がった、と叔父は言いたかったのだと思う。そして、この容赦なき天候で「店に来い」と軽く言うあたり、どこか、やはり俺と血が繋がっているのだなと感ずる。

純喫茶『アルマンド』に行き、ご挨拶をする。

「そういったわけで初日からこの雪ですよ」

「いやあ、それはね。お母さんが引き寄せてくれたんだよ」

「はあ。確かに雪降ってなければ今日ここには来ませんでした」

「だろう? 渡すものがあるんだ。不思議だねえ。じゃあ今日は絶好のタイミングだ……」

どこまでもポジティブシンキングな叔父の思考回路は、どこか、やはり俺と血が繋がっているのだなと再度感ずる。

「いいかい。あんたなら絶対うまくいくよ」

「そうですか。ありがとうございます。需要は絶対あると思うんです」

「うんうん。はい、これを持って行きな」

何度か断ったが、「受け取らないと出禁」と言われたのでありがたく賜る。こういったタイミングで俺を鼓舞してくれる家族がいてくれるのだなと、愛所以にブワと奮い立つ。

帰宅して制作をする。メモったアイディアを日跨ぎで聴いたらクソだったので没にする。捨てる勇気も大切。またゼロからひねり出してメモってと、よくある一日の終盤。

雪が降り、出鼻をくじかれたとは感じさせず、後押しもして頂き、「薄いしカオス」と今生認識し続けるかもしれないと思っていた家族縁をチューニングしてもらう。

なんだか色々と珍しい日だなと、手元に本やらスマホがなくとも酒が進みそうな夜だと今日を振り返る。とはいえ休肝日翌日に「別に今日も酒いらんかな」と体が囁くのは酒呑みあるあるのメジャーな項目。
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そこまで呑んでないが二日酔いとは、いっとき休肝日を設けただけでずいぶん肝臓も脆弱になったものだなと、体は正直なものだとか思いながら日中は営業に出る。

夜、二日酔いというかこれは違うなと気づき、熱を測ったら超微妙に微熱。0.5℃ほどいつもより高い。やはりこれは風邪気味かと、昨日雪に極寒というなかけっこう出歩いたから当然かと、むしろまさかの例のあれかと、色々思うがとりあえず自覚する限りは典型的な風邪手前という所感。ケミカルな配合成分ではない滋養液の小瓶を買ってきて飲む。えもいえぬ味。

しばらくすると回復してきた気がしたので制作をする。やっと構成まで出来たのでパパッと楽譜を書ききる。この工程まで進んで没にした例はこれまでにない。ここのところ制作が思うように進まなかったので安堵。ストック収益の種が芽吹くのは本当に嬉しい。

5回くらい測って36.6℃だったが、もう一度追い込みをかけるべく体温計を挟む。すると35.9℃。滋養が沁みたのか、好きなフラットキーで鍵盤を叩いているうちに元気が出たのか、特定はむつかしいが大事には至らなそうかなと、よしとする。

しかし、ぶりかえすのも面白くないのでなるべく安静にしていよう。YouTubeで「ほらっちチャンネル」あたりを見て勉強させて頂きつつ、朗らかな気持ちになろう。「ほらっちチャンネル」は何故か観ているだけで安心する。
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昨日と同様の時間軸、同じ内容のタスクをして過ごす。主に新業務の営業、数カ月単位の長期スパンでみているものである。

決めた期日に判断するまでは、日々一喜一憂する必要はない。だがしかし、収穫ゼロというのはなかなか不安にもなる。

今日あたりはなかなか弱気の虫ケラが湧いてきて「資金が少なくなる前の、早い段階でまた勤めやバイトに出る準備をするべきか――」という保険的妥協案がにゅるりと洩れてきたが当然棄却。

まだ勝負の真っ最中である。ここでフォールド(降りる)はつまらん。構想と準備にかなりの時間を使い、あらゆる情報を目で足で集めたのでレイズ(賭ける)し続ける。予定通りに。

フォールドとかレイズとかいう単語がするすると出てくるあたり、現実逃避して博奕に耽りたいという悪魔的発想も湧いているのだろうが柳のように躱す。現実と生業と自分にレイズすることこそが最大のなんとやらと。とはいえ新事業にかけている金額は、コケてもほぼノーダメージという、大金ではないあたりが地道。厳密にはレイズとは言わん。手前はたぶん、コツコツが一番。走り続けているうちにたまにバズれば御の字である。

そんな感じで新しいことも進めつつ、これまでやり続けてきたことも勿論おこなう。制作は順調に進む。収益も、すこ〜しずつ伸びている。これは純粋に喜べる。

しかし原稿を書かせて頂ける依頼がこない。源泉の分散と言ったら聞こえはよいが、どこかがガクンと偏るとやはり、うへえと裏声が出る。ライター案件絶賛募集中。
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「あれ、こんな所にあったかな」という近所で、中華屋さんを見つける。ふっと扉に貼ってあるメニューを横目にすると、相当懐かしい感覚が。

それは、俺がデザインしたメニューであった。遡ること2000年代後半、食品原料の価格が高騰し、ほとんどの飲食店は店の品々の値上げを余儀なくされた。そして、『凛凛』というこの店も例外ではなかった。

当時20代後半だった頃の俺は、家業である卸業の手伝いもしていた。親父の客である『凛凛』のマスターは当時、「おいお兄ちゃん、値上げしねえとどうにもならねえよ」と、苦言を呈していた。

俺はすぐに目を光らせ、「じゃあメニューも一新。ですね。デザインも変えないと……」と、煽った。

「そうなんだよ。それも経費がバカにならねえしよぉ。まったく」

「業者に頼むと高いですよ。僕がやりましょうか? カッコいいの作りますよ!」

「なんだ? そういうのもできんのかい?」

「はい! たぶん相場の半額以上……〇〇円でどうです?」

「おお安いじゃねえか。じゃあとりあえずサンプル作って持ってきてくれるかい? これ今のやつな」

「へへ喜んで」

というわけで俺はササと中華屋さんのそれっぽいデザインを真剣に仕立て、提示された新価格に書き換え、サンプルを持って行き、一発OKを頂き、売り上げをゲットしたのである。

その懐かしきデザインのメニューを今日、当時とは別の場所に移転した『凛凛』で見かけ、海馬が心地よく刺激された。「あれから10年以上、ずっと営業していたんだ」というある種の安心感と、「ずっとこのデザインで使ってくれていたんだ」という喜びが交差し、夕飯はこの店で食うことに決め、いっとき仕事に戻り、夜は『凛凛』へ。

「いらっしゃいませ」

「……この『スープ入り焼きそば』ってのをください」

「はい。ちょっと待ってくださいね」

「社長。覚えていらっしゃいますか?」

マスクをはずして顔を見せるとマスターは秒で思い出してくれた。

「おお! お兄ちゃんじゃねえか!」

「お久しぶりでございます。以前はたいへんお世話になりまして」

「いやあ! 10年ぶりくらいじゃねえか? 元気そうだな!」

「社長もお変わりなく、相変わらず声でかいですね」

「ははは! いやあなんかよかったわ」

「なんかよかったですね」

「でも大変だなあ。親父さん亡くなっちゃってよ……」

「いや死んでねえっす」

「あれ? あそこの中華屋のオヤジが言ってたぞ? 配達中に車で倒れて――とか」

赤羽界隈では親父死亡説が流れていたもよう。とんでもなく不謹慎なデマを放ったオヤジがいたものである。

「――というわけでして死んでないすけど入院中で寝たきりでして」

「そうかあ……たいへんだったんだなあ」

「ズバッ。超うまいですねこの『スープ入り焼きそば』っていうの。それにユニークです」

「ガラ。あらあ! お兄ちゃん!」

「ああ奥さん。ご無沙汰しております」

矢沢永吉さんに目つきがそっくりなマスターと笑顔がとびきり素敵な奥さんは、当時のように俺をかわいがってくれ、小一時間ほど世間話をしてあやしてくれた。お2人とも優しいし料理は美味しいし、最高の店である。

そして、お会計を済ませて帰ろうと値段を聞くと、「いいよいいよ。出世払いだ。自営業なんだろ?」と、特別に『スープ入り焼きそば』を奢っていただいた。

「いやいやいやそれは」

「いいからいいから! ずいぶん世話になったんだからよ」

「そうよ! また来てね!」

「そうすか? じゃあ甘えさせて頂きます。ちょいちょい来ますね!」

と、僥倖を賜り、ほっこりした気分で帰宅。広告媒体のデザインやら戦略やらで相当考えていたこの頃、昔手前がやったデザインの仕事が今も生きているのを思いもよらぬタイミングで見かけ、長きに渡りご使用されていることを知り、「じゃあ今だっていける」と、勇気が出た。

人間、今、何をやっているかというのはもちろん大切なことかと思っているが、過去にやったことが現在進行形で生きているというのは別軸の嬉しさがある。そのうえごはんまでごちそうして頂いた。良日。

というくだりを、以前『凛凛』と取引をしていた父親に報告し、ほっこりをブーストしたいところである。

次回に病院に行く時に、まだ面会できるようだったら笑顔で伝えようと思う。「親父、赤羽あたりじゃ死んだことになってるぜ」と。そこで笑ってくれれば親父の意識はまだしっかりめだろうも。
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最近全く同じ時刻に起きているからか体調がよい。今日とて一日、地道に頑張る。

それにしても今日は誰とも喋ってないなと、これが意外と心身によろしくないんだよなと、そのように思っていたタイミングで友人より入電。預かっている機材を取りに来るとのこと。

いっとき、近況についてなどの内容のトークを交わしてほのぼのする。さらに、今日、上着を買おうと思っていたところ、「正にそういうやつ」というデザインの服をくれた。俺は彼からどれだけ服やらをもらっているのであろう。

本当にありがたいなと思いつつ見送り、制作をしてベースラインと格闘する。案件が減少すると、それに伴い人と交わることが極端に少なくなることは深刻と、ずっと思っていた。そこにひょいと現れてくれる友人というのはまこと貴重。
_01/10

 

 

 


営業するも顧客獲得ゼロというのは悲痛。「ゼロ」のままだと、そもそも需要が全くないのではと、冷静な思考を向けざるを得ない。

やはりビジネスなので、客観的な目線が必要だよなとか思っていた今日。初めて業務用端末に着信があった。

これはきたと、いつもより半オクターブほど高く、アタック値全開ではというほどの営業色の、丁寧かつ元気な声で話を聞く。結局は「顧客見込み」であったが、さりげなくヒアリングすると需要は確かにある気配であった。この界隈に俺がやり始めたテイストのサービスはなく、わりと「あったらいいな」と、思っていたとのこと。

「ゼロ」と「イチ」とでは、甚だしい差がある。獲得には至らなかったが、紹介したい方がいるとのことで入電待ちとなった。俺は確変の数字がチャキンと揃った時くらいわりとテンションが上がり、覇気が漲りつつも引き続きコツコツと。

やたらと腹が減るので勢いでブタカルビチャーハンとギョーザを食べて約850円也。「しまった高い」とか思ったがたまにはいいかとおなかをさする。

夜は制作をしてベースを録音する。ブラックミュージック系のトラックはベースがとても重要。アゴで2拍、4拍目のリズムをとりながら思いの丈のグルーヴを出そうと必死。

曲において、メロディや曲調やら、個々で好みがあると思われるが、どんな楽曲でもグルーヴがあると“音楽的説得力”のようなものが飛躍的に上がるのである。手前の勝手な解釈だが。

日中、合間にYouTubeで高田純次さんの動画をいくつか観た。高田さんはテキトー過ぎて面白いという捉え方が一般的と思われるが、個人的に思うのは、やはりあの唯一無二のテンポ感、グルーヴ感が特に最高だということである。

どんなシチュエーションでも瞬時に「高田純次さんのノリ」に引き込まれる。小ボケで鳩にインタビューをするくだりがあったが、あれは高田さんの独自のグルーヴ感がないと、決して笑いまで持っていけないであろう。考え過ぎかもしれないが。
_01/11

 

 

 


水曜と木曜は、新たなタスクにおいては休日と設定した。それもあり、日中は上野界隈をぶらぶらとする。

夕方出かけたので空気はすぐに冷え込み、散歩には適さないと震えながらデパートをぐるりと回る。各店舗を見ながら「買う物はあったかな」と考えながら。贅沢な時間の使い方である。

「ニトリ」で七色に変化するLED機器を見つけたのでボタンをポチポチして各色を照らして遊ぶ。「これは欲しいな」とか思っていたらスッと小さな女の子が寄ってきた。やりたそうな目で見つめてくるのでコントローラーを置く。すると子は俺の真似をしてポチポチと照らし出す。

「どうだい。面白いだろう? 特にこの青の発色はね……」などと声をかけてレクチャーなどをした日には即刻変質者扱いされる。瞬時に駆けつけるいかつい警備員に首根っこを鷲掴みされボコボコにされるであろう。危ないところだったと無言で家具のコーナーへ。

枕をみつけて「これだ」と思った。宅の枕はというと、Tシャツを数枚畳んで重ねたくらいの貧弱な薄さになってしまい早何年が経つだろうか。「今度買おう」と思ってずっと買っていなかったアイテムこそ、枕だったのである。

欲を言えば、幕府が活発だったころの殿様あたりが使用している変な置物みたいな、やたらと高い位置に首が上がる古来のスタイルの枕が欲しかった。しかしあれではシンプルに熟睡できないだろうしどこに行けば買えるのかと一瞬だけ思い、ニトリのフカフカな枕を即決で購入。¥1,990円也。

これはいい買い物をしたと上機嫌で帰宅。夜は制作をしてグルーヴィーなギターカッティングパートを録音しようと励むがめちゃくちゃ難しい。早弾きなどの奏法とは別軸の難易度。パートだけメモってDAWを閉じる。

そのような、「半休」といったテイストの長閑な日。もし、ネコを飼っていたら身体中ブラッシングし、肉球を軽く掴みながら爪の先を少し切り、ぬるま湯でシャンプーをしてドライヤーを優しくあてがい、「おつかれ」と伝えながらおやつをあげるだろう。というくらいのどかなのどかな一日。
_01/12

 

 

 


心なしか深く眠れた。「枕凄え」と新たな寝具を讃えつつ、キッチンでサラダを作る。生野菜を多めに食うとそれだけでどこか安心感が得られるのである。キャベツとピーマンの二色サラダにポン酢とゴマ油と胡椒。

玄関に盛ってある複数のゴミ袋。それは、年末年始に破棄し損ねた資源ごみである。今日はそれらを捨てられるので、ついでにと、寝室に放置している品々を整理することにする。

壊れたオーディオアンプや謎に叩き壊してしまったストーブなど、色々あったのでまとめて処理しようと北区の粗大ゴミセンター的な施設に連絡する。

結果、コンビニで粗大ゴミ処理用のシールを6枚買って貼り付け、引き取り日まで待機と相成る。さらに、今生まず着ないであろうと判断できる衣服も整理する。ゴミ袋パンパンの量。あらかた片付けたらだいぶすっきりとした心境になる。

10年以上家にあったものを捨てるという行為は、どこか思い切りが要ることを知る。長年着用し、様々な場所を共にした、『ブラック・ジャック』が着ていそうなデザインのロングコート。ズタボロではあるが、思い入れのある「Ne-net」のネコ柄シャツ。大切な人にもらった服。どれも想い出が染み込んでいる。

だがもう要らない。感傷に浸るのもいいが、明らかな不用品を処理することで、全体的に、ことが良い方向に進むという話を聞いたことがある。エビデンスについては知らんが、なんかそんな気はする。よって、完全に役目を終えた服を容赦なく処理をする。

不用品のみならず、タスクや日々の習慣なども「明らかに不要」なことは断捨離的に切るほうが人は前進するという。

切って、無くしたぶん、新たなことができるから、というシンプルな理由で説明づけられる。俺にとっては明らかに不要であろうネット麻雀(賭けないタイプのやつ)をプレイしつつ、そのように考える。
_01/13

 

 

 


なかなか客がつかんなとぼやきつつ営業まわり。まだ初めて一週間だが、いかがなものかと、とある人に軽く詳細を伝えたうえでちょっと聞いてみる。

すると、「そりゃあ最初はそうですよ。その場合はとにかく地道に数を、ですよ」とのことであった。手前も当初からそうは思っているが、他の人に言われるとこう、「うん、そう。やっぱそうだよな」と、ある種の実感が湧く。

一人でウンウン考えたり悩んだりするのはわりかしキツかったりもする。しかし、他の人に、面と向かって、自分と同じ考えであることを言われると、案外心が軽くなったりする。

他者とのストロークは本当に大事だなと再確認する。自分を信じるということは、自分の思考こそが最も大切なのかなとは思うが、他者の共感にもパワフルな力がある。やや折れそうな時の、肯定的な「そうですよ」は、感謝の念すら生じる。
_01/14

 

 

 


肯定的な思考かつ客観的な視点を持ちつつ、今日も張り切って過ごす。ここのところ、何年振りかに「ほぼ毎日決まった時刻に起床」という生活習慣に切り替え2週間目。それが功を成したか体調がよろしい。

正直、当たり前のことだよなとも思う。昨年までの2年半くらい、フリーランスになってからは就寝・起床共に超滅茶苦茶な時間配分だったのである。ひどい時は昼前に寝て夕暮れに起きる、などという体たらくも。仮に嫁がいたら毎日のようにシバかれていたであろう。

原稿を書いたり制作をするにあたり、深夜にかけてターボがかかる。その仕様おもむくままに日々過ごしていた。しかし、案件が少ない時でもいけるところまで作業をしては深夜、というのが定例であった。

それを、「週に5日は起床時刻厳守」という方向にシフトすると、自然と0時前後までの活動時間となった。寝る前にちょっと酒が呑みたいからである。

そして、「何時に起きるからもうフカフカと寝よう」と、深酒はせずにベッドに沈むことができる。そして追い討ちをかけるように、絶大なる新しい枕の効果。明らかに以前より眠りの質は良好。

「午前中にちゃんと起きる」「活動時間内に集中して作業する」「週5日は深酒御法度」という三つ巴はなんと、健康に直結していた。これらはもちろん「当たり前のこと」である。

超若い頃に、父親から「お前は当たり前のことができてねえんだよ」と、叱咤された。当時は「うるせえ馬鹿野郎が」くらいに反発していたが、諭されたことは真理であった。

昨日か一昨日か、眠りが深くて忘れたが、夢に父親が出てきて「当たり前のことをすればよくなる」的なことを言われた。

実行して実感した。彼は病床で、「ほらな?」とか思っているのであろうか。「当たり前」と「アバンギャルド」を両立しつつ、健康かつオルタナティブでハッピーな人生を送りたいものである。

頑張ったら当たり前のように成果が出るといいのだが、そればかりは千差万別という渡世のシビアさたるや。
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案件で銀座へ。イベントのスタッフ業務でみなさまと楽しく日中過ごす。今日くらいの気候だとマイルドな冬という感覚でちょうどよい。

夜は『新宿ロフト』へ行く。12年ぶりくらいに行くライブハウスである。変わった点も変わっていない点もあり、懐かしいなと、あれから12年は経ったのだなと時代の流れと変化を肌で感じる。

ひとつ年上の先輩のフォトグラファーがいらっしゃったのでご挨拶し、駅まで帰路をご一緒する。ふらっと通りがかりの店でビールを1杯ずつ呑んでお話をする。最高に美味い「ハーフ&ハーフ」ビールを奢って頂く。

今日は、様々な角度から、色んな人にそれぞれの人生があるのだなとしみじみ思った。俺はというと、この先どのように凌いでいくのだろうと、ふと考えた。

そこは、その時々の気概やら役割、周囲の方々とのありがたい関係性を重宝し、筋の通った好漢といった感じでいきたいなと、改めて認識した。

そして、人様の人生と手前の人生が、絶妙な角度で交わって生じるコントラストというのは面白いなと。12年くらい前は全くと言っていいほどなかったテイストの思考。やっと大人になれたかどうかの判断は、いまだにまだちょっとわからないところ。
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「実は全て枕が原因だったのではないのか」と、本気で疑うほど最高の熟睡。どれだけぶりかというほど、「絶好調」でも「不調」でも「唯ぼんやりした不安」でもなく、「普通に、良好」というコンディション。営業にデスクワークに制作にと、トトトとスマートに過ごす。

営業は収穫なしだったが、「ダメが続いて決めた期間が過ぎたら、ひとつまた明らかになる」「収穫があったらもっともっと頑張れる」と、冷静に判断できる。

制作はあと一歩というところまで進み、ぼちぼちスムーズといった進捗。各種アウトボード(いかにもレコーディング機材的なやつ)のツマミをいじりながらMIXの工程を進め、「わお!」やら「この低音!」などと、DAWに向ってストック収益の種を愛でつつ一人で興奮できる。元気な証拠である。

この、「普通に、良好」という調子をどうすれば保てるか、というのは今年の最も重要な課題であろう。完全に、当たり前のことだが。

2022年度から高校の学習指導要領が改訂され、保健体育の授業で「精神疾患の予防と回復」を教えることになったそうである。

俺はこれを数年前から懇願していた。確か、何年か前に日記にも記した。「学校で教えるべきである」と。それは、これから先、メンタルヘルスの知識は相当大切なものになるという持論からである。

心に過度な負荷がかかった時、どうするべきか。

どういった状態からが「普通に、良好」ではないか。

強烈な、あるいはジワジワとジャブを連打されるようなストレスに晒され不調となった時、どこに、どういう人に相談をしたらいいか。認知の歪みにどう気づけばよいか。性格の問題ではなく、環境や行動や思考の偏りをどう認識するか。心の風邪ではなく脳機能の疾患とも捉えられるのではないか。などなど。

時代の流れと共に、そのあたりの様々な知識や情報が共有されていくのであろうか。そう考えるとなかなか明るい兆し。人によって「普通に、良好」という状態は十人十色以上。

「自分はそうだから、あなたもそうすれば良くなるんじゃない?」という考え方は、俺は最も危険だと思っている。

誰かと遊んではしゃいで元気になる人もいれば、独りの時間に充電する人もいる。

医療機関に行くことを第一選択肢にする人もいれば、カウンセリングを受ける人もいる。

伴侶や友人に相談してスッキリする人もいれば、呑み散らかして復活する人もいる。

大切な人と触れ合ったり、想ったりすることで元気が出る人もいる。

本当にふとしたことで「そういうことか」と、気づく人もいる。

スピリチュアルな世界と交信して答えのヒントを得る人もいる。

いっとき、依存対象に頼る人もいる。

創作で昇華させる人もいる。

ハレの日の行動でエネルギーをチャージする人も、長期間篭って考え抜いて悟りを得る人も、勤勉に過ごして心の平穏を保つ人もと、いろんな人がいて、いろんな方法がある。

そんな手前はというと、とりあえず「新しい枕が最高」という理由でほぼ払拭されたと、なんなら本気で思い込んでしまうのもひとつの手。そういったライトな思考も湧いてきた「普通に、良好」の1日。
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再び、マンボウだかマッコウクジラだかウンコだかよくわからんのが発令されるもよう。おちおち表に酒も呑めに行けないなという心境と共に、飲食店の方々の心中をお察しする。

手前あたりは感染症拡大の影響を受けているのかどうなのか、いよいよわからなくなってきたがコツコツと事を進める。

明日、明後日は、新業務に関してはおやすみなので近場に呑みに繰り出したいところ。先月某日、ごくたまに一人で入る、立ち呑み屋とスナックの合いの子のような酒場で、実にクレイジーな男に会った。同年代と思わしきその男と陽が出るまで呑んでは盛り上がっていた。

彼は、顔つきと喋る内容が中島らもさんと驚くほどそっくりであった。ちょうどその頃、躁鬱病がテーマの中島らもさんの著書を読んでいたのである。珍しいシンクロだなと、その旨も彼に伝えた。

「それはなあ、ブチャラティが言っていたあれ、あるだろう? そこと類似点があってだな」

などと、彼は訳のわからない解釈で真剣に語っていた。9割くらい意味はわからなかったが、波長というか魂感度というか、要はなんだか気が合うのでずっと話しては呑んでいた。

たまたま会った相手ではあるが、呑み屋での出会いということと、2人ともアルコールで頭がバカになっていることも手伝い、タメっぽいから互いに敬語抜きで素の口調でやりとりする。そういった相手というのは、年々減っていくものだから貴重だしたいへん楽しかった。

「Aさんよ。アンタあれだな。凄いな。凄いよ。凄まじいアホだな」

「お。やっと『アンタ』って言ってくれたな。そうだ。ふぁはは」

「でもあれでしょ? 名刺の役職見る限り、普段はたぶんまともというか。IQも高そうだ」

「それはな、第四章の山場で――」

「アンタ『ジョジョ』大好きだな」

「いいから歌え」

「うん。なにがいい? 齢が一緒っぽいからミスチルとか?」

「お……」

「だよね。やっぱ『CROSS ROAD』か『Over』あたりかな?」

「おお……そ、それだ……やっぱり俺たちは……」

「それで、アンタ実際はいくつなのよ?」

「あのな、それは確める必要がないんだよ。そうだろ?」

「同意を求められてもなあ。やっぱエレカシにするぜ。く〜だらねえと〜つ〜ぶやいて〜」

「グビグビ」

そのあと2件くらいハシゴした後、外で一緒に煙草を吸う。鋭くも霞がかかったような目つきであの世を見ているような物腰の彼とはそこでお開きとした。

そんなくだりも、しばらくは、マッコウクジラだかウンコだかの影響でおあずけである。

明日あたり、クレイジーなA氏が居た酒場に行こうと、まあまあその気だった。楽しみが減るとなかなか侘しい。せめて気分だけでも近づけるべく、今日はホッピーにしよう。「中(ナカ)」はもちろん「宝焼酎」一択である。
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3時間ほど制作の最終工程をして1曲完成させる。よしよしイメージ通りできたと伸びをして500円のおいしい天丼を食べに駅前へ行き、その足でブックオフへ。

気の済むまで立ち読みをし、目当ての本はなんだったかなとか首を傾げながら帰宅。また寒波がやってきたかというほどの冷たい空気。暖房を効かせた部屋のソファでゴロゴロする。

半休。あとの時間は楽器を弾いて過ごす。意図的に生活にメリハリをつけている昨今、「休みか半休」と決めた日がこんなにものどかでリラックスできるのだなと再び伸びをする。たいへんのどかな冬の中盤。
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「あなたの夢はなんですか?」と問われて即答できる人はどれくらいいるだろうか。実にセミナー的な書き出しである。

たぶん、子供はレスポンスが早いだろう。「けーさつかん!」やら「ケーキ屋さん」など、あと「ユーチューバー」とかも今はあるだろうか、さらに現代においては「安定した会社員」という堅実なものも挙がるとか聞いたこともある。どれも素敵だと思う。

これらは「まあそのへんは確かにありそうだ」という感じのものであるが、共通点は、「夢」というか「なりたい職業」というところである。

もちろん、「お金持ち!」「世界征服!」というような抽象的なものも出るだろう。なんとなく、この類の方が「夢っぽい」と思うのは手前だけだろうか。

大人になるにつれて、「夢はなんですか?」と問われるとモジモジしがちな気がする。どこか、究極のキラークエスチョン感が否めない。その人の夢というのは、その人の最終形を言語化したものではないかという持論所以である。

だから、人の夢というのは、実はものすごくセンシティブなものなのではないかとずっと考えていた。

俺の夢はなんだろうと腕を組んで心に問いただした。即答は、できなかった。ちょっとセミナーにでも行こうかという発想を殺しつつ、さっさと謳えとしつこく尋問した。

すると出てきた答えは、「俺の夢は『もうやることねえわ。ははは』と笑って死ぬこと」であった。

小学生以下の、全くもって具体性のない夢である。しかし、俺の脳内メンタリストはこのように続けて手前に聞いた。

「それって、やること、やりたいことを全部やって完全燃焼して、最期は苦しまずに逝く、ということですよね?」と。

「夢には大きく分けて『こういう自分になりたい』『みんなをこういう風に幸せにしたい』『こういうことがやりたい』『こういう風に過ごしたい』という4つがあると思うんです。あなたの場合は3つ目の要素が強いタイプですね?」と。

ああそうか、そういうことだ。さすがメンタリストだ。とか納得した。「やること、やりたいこと」の内訳については、日々実行しつつ、更新しつつ、省みつつ、といったところ。俺は夢に向かって進んでいるのかなという自己肯定感が湧いてきた。

俺は、ソファでくつろぎながら1日を人生に置き換えた。21時頃であった。「今日、はっきり言ってなんもしてねえな」という思考が生じた。昨日今日は休日設定だから別にいいのだが。

しかし、1日という人生があと3時間。あと3時間で死ぬとしたら、今日という1日にどんな後悔が残るかと、続けて考えた。

実際に人生を終える時に後悔することで「あれをやっておけばよかった」という項目が、かなり上位にくると聞いたことがある。

すると、「今日は、作曲がしたかったんだ。あと、配信のネタを考えたかったんだ」と、奮い立った。

後日でもできることだが、「1日という人生があと3時間」と考えると、「やっとけばよかった」と後悔するだろうと、酒が美味くないだろうと、アコースティックギターを構えて五線紙とえんぴつを手にとった。

スルスルスルと、1時間で、イメージした曲の骨格ができた。やればできるじゃねえかと気分は高まり、配信のネタの様々な楽曲をアナライズする。とても実のある3時間となった。

ちょっとした思考で行動が変わる。「夢」と「死ぬ間際の後悔」と「1日単位」という要素を混ぜたら、どこか生産的なムーブとなった。たまには、このような自己啓発的な思考法も悪くない。毎日だとしんどいかもしれないが。

「夢」のような、物事の長期的な考え方は重要であろう。そして、「長期的」というのは「1日」などの単数の連続であるとも考えられる。

夢を叶えるには「長期目線の思考と行動」が必要であろう。そうなると、「1日1日、何をしているか」ということに繋がる。

以上の考えを持った上で、 人様に「あなたの夢はなんですか?」と聞くとまた、その人の見方がカラフルになって面白いかもしれない。

とはいえ、そんな複雑な 「あなたの夢はなんですか?」という質問は甚だしく鬱陶しいであろうと思われるので俺はあんま人様の夢には言及しない。

そして、手前の場合はそんなゴチャゴチャと熟考せず、「家族とネコたちとたのしく過ごしたい」くらいポップな夢でいいのかもしれない。これが、なぜか意外とハードルが高かったりする。結論、夢はたくさんあってもいい。
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容赦無く寒い。しかし、日中の陽射しの下はなかなかぽかぽかと、暖かく俺のセトトニン分泌を促してくれる。心は平穏。せっせと夢に向かって邁進する。

結局、手前の夢の具体性については「こう」と決めずに、水の如くせせらぎ、しなやかに生きていこうなどと、やはり浮遊性に対する愛着のようなものは否めんなと、よくわからない思考で過ごす。

「では俺は一体何に向かって生きているのだ」という、当然の疑問が飛び出る。自問ならまだいい。他者様に対し、「あなたは一体何に向かって生きているんですか?」などという質問をした場合、そこに1ミリの悪意もなくとも、想像を激しく上回る怒りを買うことは火を見るよりも明らかである。

ネコやハトに問うたことはある。「めしを食って寝て、毎日ぶらぶらしてけつかる。それでいいのか君は?」と。

ハトらと言語コミュニケーションが可能と仮定すると、もちろん、「は?」という答えが返ってくるだろう。「逆に、ほかになんかありますかね?」と。

「いや、色々あるだろう。仲間を集めて長(おさ)になってここらのシマを闊歩したいとか。ナメられたくないだろう?」と、提案したところで「いや、そういう習性ないんで」と、そっぽを向かれるであろう。

「メスにモテたくはないのかね? ほら、あそこに毛並みのいいメスが……」と、煽っても「いや、今そういう時期じゃないんで」と、目線も合わせずにどっかに飛んで行くであろう。

そう考えると、人間の習性と欲求のなんと多いことか。確か、煩悩の数は108個あるとか聞いたことあるし、いくらなんでもあり過ぎだろうと、広い空を眺めた。

すると、今日も脳内メンタリストが早口でしゃしゃり出てきた。

「正確にはですね、アメリカの心理学者のマズローさんて方が提唱したんですけど、人間の欲求には5段階あって、下から順に『生理的欲求』『安全の欲求』『社会的欲求』『承認欲求』『自己実現の欲求』という風になっているそうなんです」

ははあ、さようですか、と、耳を傾ける。

「ちなみになんですけど、マズローさんは晩年に、『あ、もう一個上にあったわ』みたいな感じかどうか分からないんですけど、『自己超越』っていう、自分の利益とかを度外視した社会貢献的な欲求を6段目に置いたって説もあるんです。これって面白いですよね」

ははあ、自己超越してみたいもんですなと、慈悲深い心で献身的な活動に勤しみたいものですなと、そうも思った。

「ですから、ネコさんとかにはたぶん、あっても……もうお分りですよね?」

まあ、確かに自己超越したネコさんは見たことないというか、そもそも気づけないというか。といったあたりで、考えるのをやめた。

しかし今度は、脳内ひろゆきさんが割り込んできて脳内メンタリストを論破しようと発言した。

「えっと、それっておかしくないですか? そもそも論、ネコさんにとっては『飯食って、寝て、時期には交尾して、基本的に、だいたい寝て暮らす』っていうのがネコにとってのベストな生き方なわけですから、えっと、マズローさんの欲求階層説でしたっけ? それで言うところの5番目に高い『自己実現の欲求』を満たしてると思うんですよね。へへっ」

「いやいや、ひろゆきさん。確かに仰るとおりです。でも、でもですよ? アメリカのマサチューセッツ大学の研究チームによると、動物の欲求にも……」

と、議論は楽しげに白熱しており、「ああ、2人とも仲良さそうだな」という俺の感想だけが残り、結論づけることはなかった。

『自己実現の欲求』や『自己超越』あたりまで行ったら相当イケてるなとは思うが、現時点でも、脳内で色々な考え方をしては促してくれるわけだから、あらゆる角度から物事をちゃんと見て、それなりのペースで進めたらいいなというところで手打ち。

あと、実際にマサチューセッツ大学がそのような研究をしているかどうかは、知らん。
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先日作った曲の骨組みを音として並べてみる。すると、クソというか、ひとつも面白くねえなと、本当にそのように言葉が出たので没にする。

せっかく、という気持ちもなくはないが、手前がまずしょうもないと思うものを作って一体誰にとって何の価値があるのだろうと、またゼロから考える。

考える、というか、コンデンサーマイクを立てたまま、頭を空にしてアコースティックギターを思いのまま弾く。すると、ギラッと光るフレーズが生じたので即メモる。マイクを立てているから話は早い。

もう、このワンアイディアで出来たようなものだと、そう判断できたのであとは後日。今月もう1曲は作りたいと思っていたので安堵。

今日のハイライトはそんなところだろうか。今年に入っての平均的な流れの通常運転な1日。当分はコツコツと。なにかしらの生産的な行為で、エンドルフィンやらドーパミンやらオキシトシンなどの脳内伝達物質を走らせることに努めよう。
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最近よく動くからか、はたまた気づかないストレスなのか、めしをよく食う。今日あたりは昼めし後におやつを頬張るほどであった。

これはものすごく珍しいパターンだなと、よく食うとは言ってもやっと人並みの食事量にとどまっているのでむしろ健やかでよい。食事自体を飛ばして作業することも今月はしていない気がする。活動時間は減らさずに、めしをちゃんと食うという見上げた習慣が形成された。

それに伴い収益も上昇、となったら文句はないのだがこれがなかなか思うようにはいってくれない。

始めたばかりの業務ですぐに収益が、という方が出来過ぎなのだと、でもそうなってほしい、チキショー、などと呟きながらコツコツとことを進めつつ暮らす。「やってはいるが、進められているのかわからん。どこまで心がくじけないか」などと弱音も出そうなものだがそこは収める。

夜、2年ぶりくらいに、若い頃からよく世話になったり遊んでくれたりする先輩様と連絡をとる。たいへん元気そうでなにより。電話とはいえ、ほとんど気をつかわない相手、と言ったら語弊があるかもしれないが、相当気を許しているような相手と会話をすると非常に精神衛生上よろしい。

今月に入って、こういった心のストロークがかなり少ないから助かるなと、どれだけ手前は最近人と喋っていないのかと、どれだけ直接人と絡む案件がないのかと天井を見つめる。

基本的に荒っぽい先輩様だが、そんな手前の近況や心情などを「おう、おう。そうか。それで?」と、長時間にわたって聞いてくれる。

“一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている”

という名言がある。作家の中島らもさんの言葉である。それは、言葉通り、生きていれば1日に一人は、天使のような存在だと思わせてくれる相手と会うというものであろうか。

そこを認識しているか、それについてちゃんとそう思えるか、というのとでは天地の差があるのかもしれないと、今日あたりふと、じわりと思った。
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長時間ヘッドホンでアコースティックギターの録音をする。よしこれだと納得してスピーカーで聴くと「あれ?」となり、どうもスムーズに進まない。

こういう時は、日を跨がないことには解決の方法が出てこないことが多い。悔し見つつDAWを閉じる。どうにもなかなか色々とスッと進まない時期が続くが、諦めず行動するしかないなと手前に喚起する。

昔は意地になって朝とかまで格闘していたことがよくあったが最近は寝てしまう。徹夜は相当つらくなってきた年頃。

制作やらにおいて、根本的な部分をほんの一箇所変えるだけで劇的に改善するということはよくあること。それに気づくには一回寝ちまうのが最も早い気がする。ニトリのフカフカの枕で熟睡しよう。
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通信会社からネット契約についての電話がかかってくる。いつも適当にあしらうのが通例ではあるが、会話欲が溜まっていたので過剰に愛想よく対応する。

「その件はキャンセルしましたのでもう不要なのです」の一言で終わらせられるのだが、どうにも喋りたかったので「30秒で終わる内容をどこまで伸ばせるか」というコンセプトでオペレーターのお姉さんとやりとりした。超大手通信会社の電話対応マニュアルからどこまで脱線させられるのかと。

結果、お姉さんの買い物の流儀を聞き出すまでに至った。なんでも、安くて済ませたい買い物については、なるべく価格の低いものをチョイスするものの最安値は避け、機能やメーカーなども加味し、高価と廉価の中間より少し安いものを選ぶという。

なるほどそうですよね。僕も同意見です。ははは。などと言っては15分くらい引き伸ばし、本題とほぼ関係のない会話に展開させることに成功し、一体俺は何をやっているのだと正気に戻り、丁重にクロージング。手前はそんなに暇なのかと、そうではないだろうと、ササとめしを食べて制作をする。

それにしても案件がねえなと、毎日のように営業しても思うような成果まではなかなか至らないなと、これで制作も進まなかったら悶絶死しそうなところである。

今日あたりは、昨日「おかしいな」と思った点を改善させ、着手中の曲は完成の方向へ舵が向いたのでまだいいが。なかなかどうして難航しているとも捉えられる1月も気がつけば下旬。
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ドリカム味があるが、「うれしい」「たのしい」「大好き」というのは人間にとって非常に大切な要素である。

それらがあまりないなという日々を過ごすと、報酬系、快楽系の脳内神経伝達物質などのネットワークが不活発となり、ジワジワと精神が蝕まれるまであるのではないかと、ここのところふと思う。

昼間は少し制作を進め、夜はいつもお世話になっている2つ年上の方々と遊ぶ。とりあえず某ファミレスでめし。みんな大好き和風ハンバーグを食う(おごってもらう)。うれしい。

食後は宅へお邪魔させて頂く。ギターでのセッションや、様々なエフェクターを駆使したシューゲーザーごっこなどをしてゴォォと過ごす。たのしい。

なにか大切なものを思い出したという所感を抱きつつ帰宅。それは、手前にとっても、周囲の方々にとっても、大好きなこと。

それらを欠かし続けると、無論、健やかとは言い難い。これは、誰もが「そりゃそうだろう」と認識している人間の基本原理であろう。俺は、最近やっと気がついた。

いよいよ生粋のアホなのかなとも思うが、ちゃんと「気づくということに気づく」というのは何歳になろうとしっかりめにするのが賢明であろうか。

なぜかマインドセットされていなかったもようの「うれしいたのしい大好き最強説」を大事にしていこうと心に落とし込む。今更。
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いつだったか、人間には「幸せの受容体」のようなものがあるのではないかと考えていた。どうやら、「オキシトシン受容体」というのがその1つと捉えても差し支えなさそうだということを最近知った。

オキシトシンというやつは「愛情ホルモン」とも言われ、それを受け取る受容体の密度は、“生後6カ月くらいから1歳6カ月あたりまでの間に、親など特定の養育者との関係性によって決まる”という、脳科学者の見解があるそうな。

ということは、幼少期に虐待を受けた人間や、家庭環境がオルタナティブな人などは、「オキシトシン受容体」が少なすぎたり多すぎたりする傾向にあるのではないかと思い、色々と調べたらおおむねそんな感じの情報も散見した。「愛着障害」というテーマについての著書も買って読んでみた。ははあ、なるほど、という感想だった。

誰かを人並みに愛せない人、逆に過剰に重く愛する人、「他者との親しさに限度がある」という人。それぞれいらっしゃるのかもしれない。前提として、それらがよくないとは、俺は毛頭思っていない。

愛情や愛着に、なにかと差し支えがあると思ったら、「幸せの受容体」を平常値にすればいいのだろうか。そう考えて、とりあえず「オキシトシンの増やしかた」を調べてみた。

「好意を持った人とのスキンシップ」

「家族との団欒や、心を許せる友人との食事や会話」

「他者に親切にする」

「感情を抑えずに解放する」

「動物と触れ合う」

「ハグやボディタッチ」

「セックス」

行為的なものでは上記のあたりが挙げられる。正直、どれも人間の生存活動や社会生活において「当たり前」のことばかりだと思った。

当たり前のことをおざなりにすると具合が悪くなる。という、こないだやっと理解した概念がここでもまた出てきた。適度に、愛を受けたり、愛したり、というのがポイントなのだろうか。とはいえ、「当たり前」にはそれぞれ個人差がわりとある気がする。

オキシトシンの増やし方についてはなんとなくヒントを得た気がするが、“幸福を感じるホルモン”とやらには、オキシトシンにドーパミンにセロトニンに、ほかにもあるだろうか。

もう面倒だから消費者金融でつまみ過ぎて多重債務に陥った時の「当社で借り換え一本化!」みたいに、シュッと1つにまとめてはくれんだろうかとも思うが、その考え方は感心しないので棄却。今日あたりはバランスを大切にしていこうと心に落とし込む。やはりどこか今更。
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小一時間ほど寝坊をして「ああ、やらかした」という思いを引っさげつつ営業に出る。しかし単独行動なので「お前は遅刻してからに」と、咎めてくれる上司などはいない。

組織の一員として仕事をしていた時は、「あれあれ、平吉さん遅刻ですかぁ」と、腕組みをして上半身をのけぞる姿勢で言われても、「いや、違うんすよ。埼京線の野郎が下手を打ちまして。いや〜被害者ですわむしろ俺あたり!」などと上から目線で謎の啖呵を切り、逆半ギレの熱量でしのいでいたわけだがそういった相手は現在の体制においては不在。

「ああ、誰か叱ってくれ」という、内罰的思考がしつこい。故に、自らにペナルティを課してスッキリしようと、定期的な一服休憩を1つ無しにした。

そのような自作自演の償いはあまり効果ねえなと、収穫のほうもねえなと、うつむいて尻尾を引きずってやさぐれる野生猫のような所作で帰宅。

頭を切り替え、最近ルーティーン化した経済の勉強をする。現在の首相が言う「新しい資本主義」とやらについて調べる。それは、一言で表すと、「成長と分配の好循環」だそうだ。内閣官房ホームページまで閲覧し、概要はなんとなくわかったが、本質的なところはちょっとわけがわからない。

とりあえず資本や資産はどんな政権の時代であろうと大事だなとか呟きつつ、着手中の曲を作り進める。これはいいペース。成長し、いろんな方に聴いて頂き、ご使用頂き、いい感じに分配が回ってきておくれと念じつつ作業する。しかしもう少し今日、時間が欲しい、と時計を見つめ、寝坊したからそりゃそうだと、時間の大切さを再認識する。

寝坊や遅刻は良し悪しというか、なにより手前の気分を損ねる。そして、相手がいるシーンで遅刻をしたらまずごめんなさいである。過去の行いではあるが、さほど遅延が生じなかった電車のせいにするなどもってのほかである。

なお、埼京線はJRの中で一番好きなやつである。かつては遅刻理由のダシに使いまくってごめんなさいと、今日あたりは赤羽駅1、2番線ホームに向かって謝罪の念を送る。
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