01/2023

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
「すごいですぅ〜」。1月


数年、10年とかそれ以上ぶりに、弾けて呑み散らかす年末年始とならず。粛々と仕事をして、日々シラフで床につくというノイズが削ぎ落とされたような暮らし。切実に酒が呑みたい。

聖なる夜前夜あたりから年末、地味にのたうちまわった発熱等も落ち着きスッキリしている。

今日はひとつ、用があったので外出し、あとは1つ、おとといの原稿を完成させたりソファに屈服したりとゆるりとした元旦。書き初め等のトラディショナルな行事はいっさいせずに。

今年はどうしようかなと企てるが、昨年、いろんなことに手をつけたので今年はその収穫の年となればいいよねと考える。そのつもりで2022年は動いていたつもりである。

とはいえ何か、毎年新展開がないとシャキッとしないので、新たなアプローチはないかと手前に問う。シンプルに、何がしたいのかと。

昨年新たに着手したことは全て、仕事や収益や稼ぎ等につながる要素である事が大前提であった。それはそれで凌ぎ的に大切なのでよしとする。

今年は、そもそも俺は何がしたいのかという点にフォーカスしていこうと思う。人生、はるかに長いわけではない。

やはり、音楽をやって、文章を書く、この2つが、俺のやりたいことの主軸である。

では、アーティスト活動でもすればいい、作家活動でも始めればいい、となろうか。漠然すぎるが、簡単に言ったらそうであろう。

しかし、そこに具体性がないと中折れしがちなのは経験済みである。明確な目標設定ありきでないと、わりと続かないのである。あるいは、やたら遅いペースでの進行となりがちなのである。

要は、稼ぎの水準を上げつつ、生活に支障のない範囲で、表現活動がしたいのだろうかという結論に至った。承認欲求強めの手前にとって、それは自然とそうもなるだろうとも自覚する。

ストック収益源であるフリーダウンロード用の音源制作(も、やりつつ)以外の制作、これまでにない、文筆業としての展開、この2つが始まって飛躍すれば文句はない。

そこに加え、現在の仕事各種を並行しておこなう。そして、めきめきと稼いで、とうとう家族やネコたちとの暮らしも視野に入ることができる。となれば幸福である。

「そういう風に生きたい」というスタイルを実行し、「そういう風に生きたい」というひとつのモデルとなり、「ああいう風に生きたい」と、思われたい欲。自己実現欲求。それを満たしていくのが今年からの目標だろうか。わりとフワッとしているが、進めばこんなに楽しいことはない。

それが叶うかどうか、初夢に反映することが多いという自負がある。しかし昨夜は寝違えるほど熟睡していたので初夢の内容は、ほぼほぼ忘れた。
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時間を溶かすように過ごす。エグ味の度合いと整合性の取れた音像がたまらないThe Tussのテクノを延々と聴く。コンビニで買ったレンチンして食うわけのわからん構造のうどんを食う。今週しばらくは、ほぼほぼ臥褥気味に暮らす予定なのである。

本来であれば、聖地に参りに行ったり、新年会という名目で呑み散らかしたりといったところだが、まだ平熱に落ち着かないので自粛。

昨夜、そろそろいいかとワインなどを呑んで起きて検温したらまた熱が上がっていた。酒を呑むと必ず翌日発熱する病だったらどうしようと震える。

ああ今日もシラフの夜かと寂しくも思うがだんだん慣れてきた。身体が全快するまでは養生に勤めようとポカリをすする。想像以上に地味すぎる1年のスタート。
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楽しみにしていた新年会の日だったが欠席する。はしゃいでまた発熱したらもう最悪だからである。宅でひっそりと作曲などをしている。

こんなに切ない年始もあったものかと、メランコリックなメロディを五線紙に丁寧に書き記す。一通りメロディと和音が固まるまでDAWを開かないアナログスタイル。たまにやるとなんか体にいい気がする。

1日に山も谷もない、ハイライトやら変わったことなど特筆してない三が日もファイナル。正月の晴れの日に呑んだり騒いだりと、それらを一切しなかったぶん、「よく耐えた」と、何かボーナス的なのが返ってくる風習はないものかと、架空のシステムに想いを馳せる。
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年が明けてからいよいよ誰とも知り合いに会ってないなと気づく。今のうちに鋭気を養っておけということかと、ポジティブにとる。

今日あたりは、「今年やりたいこと」ならぬ「今年やらんこと」を決めて削ぎ落とす行動に出る。限りある時間を大切にして、やるべきことをシュッとやるためである。

とりあえず、去年始めた「投資」界隈を研ぎ澄ませることにした。と表現するとカッコいいが、要は、「再現度のある手法で増やす方法」が1年かけて見つからなかった投資方法および市場からの撤退である。

前提として、他の人がどうかはわからないが、数十万単位で色んなとこで投資をしたところで思いの外あんま額が変わらねえなというジリ貧所以。だったら実弾として、動かせる金として、手前で持って然るべき場面で運用しようと。

1年色々やってみて、金融資産などの買い方や売り方、口座開設方法、運用の仕方やチャートの見方などなど、体験としてたくさん知った。

そこで、俺の場合は桁違いの資産を手にするその日までは、投資は積極的にやらんでおこうという最初の結論として至った。

口座をチェックしたり、各値やそれらに付随する情報をチェックするのも積もり積もるとけっこう時間も要するという点が最も大きい。

クソみたいな暴落っぷりを見せた暗号資産を全て売り、出金指示を出す。勉強になったのは、大手仮想通貨交換業者破綻という歴史的出来事があった際のあのチャートの動き。ナイアガラの滝のようであった。

ちょいちょいポジションを持ったり(売ったり買ったりする)しては一喜一憂していた為替口座の資産も全額出金。勉強になったのは、歴史的円安時のチャートの動き。絶叫マシーンの如き値動きであった。つい2カ月前と今で1ドル20円も差があるということがいかに恐ろしい事態とも捉えられるのか、ちょっとわかった。

最終的にちびっと減っては俺をイラつかせた謎すぎる資産運用の残高も当然全て出金。勉強になったのは、他者任せの運用で金が増えると思っちゃいけないよという当然の理。

株式投資に関してだけは、経済や経営、企業などの社会の動向の勉強にもなるので、証券口座の資金はそのままにしておいた。ちなみに株の成績はというと、1年間で投資金額プラスマイナス3%前後の推移というなんとも牛歩のような運用っぷり。

そういったわけで、株式投資1点以外の金融資産は全額、日本円としてメイン口座に戻したのである。やはり今は、実弾である。

めちゃめちゃスッキリしたなと、これだけでもだいぶ頭のメモリやらリソースやらは開放されるものだなと、今年の仕事のうちの一つ、新たな展望を具体的に虎視眈々と計画する。これまた新たな試みだが、やりながら試行錯誤していこうという計画である。

「やらないこと」を決めると、「やるべきこと」の幅が広がり、精度や集中度も上がる。いかに、有意義な寄り道以外の余計なことをせずに、手前がやるべきあらゆることに集中するか。

文にすると簡単だが、実行するのはいささか容易くはないと知る。そして、その効果は必然的に大きいと。なお、投資は、自分にするのが一番だろうと身をもって知る。
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編集部より1点、原稿の確認の連絡があり、『アルマンド』から業務連絡の電話が1本。外部との接点といえばこの2点しかなかったというくらい静かな日。

パワポでの仕事用コンテンツの作成やDAWでの制作など、ずっと宅で作業している。変わったことがあったとすれば、近場の個人経営店で750円のタンメンをオーダーしたら、「ごはん、一口食べる?」と言われ賜り、優しいな美味しいなとか思っていたら会計時に830円請求されたことくらいだろうか。

「めし一口80円だったのかな」とか呟きつつ首を傾げて帰宅。たくさん食べたからよしとして、先々の糧となることを淡々とやる。信じられないくらい地味な年明けからの日々。忙しくなってくる日々にそなえて、今のうち足をためておこうと粛々と過ごす。

もちもおせちもカズノコも昆布巻きもカマボコも一切食ってはいないが、そもそもそれらはあんま好きでもねえしなと手打ち。安いさしみでも買ってちょっと呑んで寝よう。わさび醤油で食う肴はだいたいうまい。
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なんとなく夢野久作氏の小説の内容を思い出したり、こ難しそうな本を現に読んだり、インターネットをチャカポコしたりと、ほぼほぼ1日中仕事部屋に居る。

ネット経由でライター案件をご提案いただく。これは引き続きありがたいと、丁重にお返事して受注に向かう。再現性がありつつ報酬を伴うタスクはめちゃめちゃ大事なのである。

今年に入ったあたりから、なんだか精神が穏やかになったというか、そう捉えると偉そうだが、どこか平穏な心持ちをおぼえる。

そこはガツガツと稼ぐ時期だろう漲れとも思うが、去年はずっと、変に焦った心境が脳髄のデフォルト・モード・ネットワーク(無意識になんか考えてる脳のアイドリング状態)がざわざわとやかましく騒ぎ立て散らかしていた。

ここ数日は、慢性的な脳疲弊を回避できていることに気づく。

それは、クリスマスあたりから極端に酒を呑まなくなったことも起因しているのかもしれない。ここのところ、昨年までと比較して通常の1/4以下くらいの量である。

熱は下がったが、まだ扁桃腺の痛みが全快していないので、せめてそれまでは、とも思う。念のため、ロキソプロフェン(市販で最も強力な解熱消炎鎮痛剤)で散らす。

そういう日々を過ごすと、いつもよりも、聴く音楽の深みをより濃密に味わえたり、作る曲の内容がいつもよりもちと違ったり、シンプルにめしがうまく感じたりと、日常的な面白い作用もある。

さらに、過去の記憶がより鮮明に、脳内でドラマティックに実写化し、なんだかうっとり懐かしい気持ちになるというライトでドラッギーな快感も生じる。

最近、特に、2007年から2009年あたりのことをよく思い出す。あの頃はバンド活動を頑張っていたなと、当時のメンバーたちとのやりとりは家族みたいで幸せだったなと、車に乗って色んな所に行ったなと、とてもリアルに思い出す。

財布にいまだに入っている「taspo」(有効期限切れ)の写真がその頃だったなと、謎に伊達眼鏡をかけて証明写真を撮って作成したカードをみつめる。

15年前というのは本当にひと昔だなと実感する。ケータイはガラケーだったし、SNSはミクシーしかやっていなかった。

コールドプレイの「Viva La Vida」がヒットチャート1位とかの頃である。

歌舞伎町タテハナビル地下の『新宿ロフト』によく出入りしては、みんなと躍起になっていた。毎週末、千葉県西部のスタジオと東京都足立区鹿浜を行ったり来たりしていた。『エヴァンゲリオン』のパチンコ台を狂ったように打っていた。

思えば、その頃に読んでいたのが『ドグラ・マグラ』だった。各細胞の記憶が脳髄で統括されるように、最近の記憶回顧は、脳髄のもういっこ上あたりの器官が過去の記憶にアクセスし、ゆっくりと、楽しむように、脳内旅行のようにクロールしている感じである。

そんな心境のなか思い出したのは、こういった精神状態くらいが自分にとっての「正常」の範疇であるということ。

昨年あたりは決してそうではなかった。特に、目の前のことや、これからのことやらに翻弄されていたきらいがあったのである。過去のことを鮮明に思い出そうとすると変にしんどくなるという、明らかに異常な症状もあった。本来は、懐かしむのが大好きなのである。

少し酒を控え、意図的に休み、改めて自分と自然に向き合うとこんな感じなんだなと、どこかデトックスされた状態になる。決して痛み止めでラリっているわけではない。

とはいえ文字に起こすと、いよいよ大丈夫かこいつはとも捉えられそうなので、全快したらバカみたいに酒呑んでふやかそう。今なら缶酒2本で仕上がる。簡単にバカになれる。それくらい、急に呑まなくなると一気に酒が弱くなる。そして数日で元に戻る。チャカポコチャカポコ。
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今年も早々から新たなチャレンジを行動するぜと奮い立つ。これまでにやったことのない業種の、独立採算制のタスクである。早ければ数日後からスタートするので、「出だし好調であった」と記せることをリアルにイメージする。

実際やる前にああだこうだ言うのも野暮なので、業務の詳細はスタート初日に記録する。今日は引き続き、その準備や調査や戦略立てに励む。

ちょうど1年前に新業務を立ち上げて準備をしていた時期とタイム感は超近い。あれはあれで失敗したと判断しているが、今回は成功したい。

何をもってして成功とするかは、大きく掲げている具体的なこともあるが、まずはスモールステップである。シンプルに、「1日売り上げなんぼ計算で月にいくら稼ぐ」という、現実的な数字からである。

そこからレスポンスやフィードバックを鑑み、足し算引き算かけ算をして軌道に乗せる。という絵図を描いていた。

計画しているときはワクワクとする。何かを行動するなりアウトプットするなりすると、「嘘だろ」というくらい引きがない、なんていうことは体験済み。「そんなに」というくらい食いつきがあることもこれまた体験済み。

極端でなくともいいから「いい感じだ」を積み重ねて徐々にでも成功を実感していきたい。社会に、人様に喜んで頂いて、俺や周囲のひとたちの懐を肥やしたい。単純な構図でもあるが、難しい時も簡単な時もそれ相応な時もある。さてポテチでも食って寝よう。酒呑まないと夜、腹が減りがち。
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朝一清々しい天気のなか『アルマンド』へ出勤する。某イケメンアーティストが撮影で訪れた影響が如実にあるようで、若いお客さんがとても多い。

儲かるのはよいことだと、1日シャキリと仕事する。珈琲を淹れたり、クリームソーダを作ってアイスを乗っけたりする。乗っけまくる。

「俺は高校生の頃、アイス屋でバイトしていたのです」と、カウンター内で振り返り、吐露する。

「かわいい頃もあったのねえ」と言われ、稼ぐことばかり考えている昨今の俺はあんまかわいくねえのかなと、確かにそうかもしれんが今はそれでいいと、かわいいかわいいクリームソーダをシュワッと作る。

女子高生がルーズソックスを履いて校内を謳歌し、PHS(パーソナル・ハンディー・フォン)にストラップを謎にジャラジャラ装飾して持ち歩き、小室ファミリーサウンドとヴィジュアル系ロックバンドが世間を席巻していた頃、高校一年生の俺は「学校つまんね。だる。ツェッペリンかっけえ」とか言いながら放課後はアイス屋で凌いでいたのである。

何が言いたいのかというと、体が覚えているのか、アイスを丸っこく綺麗に盛るのが今でも変に上手という言わんでもいい特技。

当時の俺に、「それな、25年後くらいにまたちょっと活きるよ」と言ったらどんな顔をするだろうか。

「え。俺、バンドで成功しないの? こっからアイス屋ずっとやってんの? どういうことだコラ。おいコラお前」と、全然怖くないメンチを切られつつ詰められるであろう。

「落ち着け。若くしてバンドでは成功しなかったが、その後にその業界でちゃんと利益を得る生活をする。そして、今のお前では全然想像していない好きな仕事もする。アイスに関しては、経営とかに興味を持ち出してだな――」と、現状を説明する。

「なるほど。いちいち言いに来なくてもよくね? 25年後ってお前、平成34年とかじゃねえかよ」

「うむ。平成はそんなに長くは続かんのよ。あと、このメッセージは、お前の今日のバイト上がりにぜんぶ忘れる」

「アホかお前は。25年後もその髪型のわけねえだろ。鉄の葉巻のオモチャみてえなの吸いやがって偉そうに」

「これに関しては20年後にわかる。でわでわ頑張ってなさいな」

「やかましいわ。だるっ」

と、真っ赤なLARKを吸いながらチャリで帰宅。その後、アイス屋は辞め、今度はイタリアンレストランでバイトし、次は酒屋で働き、雀荘、日雇い地獄派遣、パーラー、家業、企業での社員、などなど、様々な職種で社会というやつを何色か多めに経験する。そして今に至る。

ちょっとしたことでも色々な点と点が次々と線で繋がり、発展していると認識するのは大切なのだなと、丸っこくかわいく盛ったアイスを見ては思い出した1日。
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晴天続きの年末年始、案件で銀座へ。イベントスタッフ業務である。みなさまと新年の挨拶を交わし、フレッシュな年明けだぜと気持ちよく仕事をさせて頂く。

帰り、行きたかったラーメン屋に足立君とヨディーさんと一緒に行く。全部乗せ的なメニューをたいらげ(おごってもらう)確かな満足。夢中で食えた。今日は久しぶりに酒も呑み、幸せだなと率直に感じつつ高崎線で赤羽に帰る。

年始一日からくたばるように体を温存していたのが功を成したか昨日今日と仕事がとてもたのしい。それでもっと稼げれば最高ではないかとポジティビティに包まれやる気を出す。

最低でも、年に1度以上は1週間くらい、じっと足を溜めることの大切さを知る。だから海外などではバカンス等が当たり前にあるのだなと納得する。前厄、本厄、後厄と昨年で終わり、今年は良い年になりそうだという直感の肌感。これは当っていてほしいところ。
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今日は、“今年も早々から新たなチャレンジを行動するぜ”と、先日意気込んだ内容を行動する初日の予定であったが、ならず。突然の報せを受ける。

夜、手元にある2つの案件のうち1つに着手し、原稿を書く。7割書いて、明日仕上げて提出する。制作などは、ちょっと色々あって時間が捻出できなかった。完成ストック曲が1つあるが、引き続き前のめりに進めたいタスクである。

とにかく、今「やれること」の大切さを改めて知り、感じた日。そして、いつも当たり前のように感じていることに、常に感謝することが、とても大切なことであると。
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宅でせっせせっせと原稿書いて提出する。ずいぶん腹がへったなと日高屋的な所へ行き、タンメンと餃子セットというえらいごちそうを食う。めちゃめちゃ染みる。栄養のバランスもけっこうとれているっぽいので満足そのものである。

帰宅し、遠慮なく思い切り休憩する。YouTubeをタレ流しにしてタオルケットを纏ってソファで横になるスタイル。これがよく休めるのである。

起きてもうひとつの案件に着手する。手元にライター案件が溜まるのは良いことだと、張り切ってじっくり書き進め、いい感じのところで今日は〆る。

今年はどうなるかなと、昨日あたりは不安の心境がサラウンドに覆っていたが、一周して、どうとでもなる、大丈夫だと、俺なら大丈夫だろうと、ポジティブになってくる。

そこに具体性無き場合は感心しないのだが、ちゃんとあるにはある。こうきたらこう、ああきたらあれを、という感じで手前なりに絵図を描いている。

今日あたりも、編集部から1件受注したのでよっしゃとみなぎる。仕事量と良好な精神状態が比例するのは、良い方にとったほうがいいなと改めて思う。

「労働することでしか人間は幸福感を得ることができない」といった感じのくだりが、なんかの本に書いてあった。それは、的を得ているような気がしないでもない。それくらい、仕事をしたあとは、プハァと満たされた気持ちになれる。“労働することでしか”というのは、ちと大げさな気もするが。
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撮影の立会いで西川口へ。しかし、起きがけから熱が出ていたこともあり、やはりどうかなと、現場に向かう前に駅で電話して、事情を話し、お休みさせて頂くことにする。

その足で病院に行き診察し、薬などをもらう。帰り、松屋でカレーを食い切る元気はあったのでそこは安心。宅でおとなしくしている。

年末年始、扁桃腺がやけに痛かったりちょいちょい発熱していたが、完全休業とせずにだましだまし、ちょいちょい仕事をしたりしていたのが原因かなと思われる。

そういったこともあり、今日は寝室を拠点として過ごす。全力で休む。明日もそうすることにする。ポカリスエットがえらく染みる臥褥の1日。健康第一って言ったじゃないか。
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発熱とダルさと喉のけっこうな痛みが相成り、病院に行く以外なんもできず。むしろ、なんもしないで寝てろというのが正解。

しかし、本当になにもしないで休んでいると、症状と不安が伴い、このまま果てるのではと弱気になってくる。それは御免被るのだが、とにかく数日はキッチリ休まないことにはどうにもならない状態。

年明け早々なかなか手厳しいなと、何度も何度も体温計を眺める1日。
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鈍い動きで起きては柔らかいものを食べて薬をどっさり飲む。 昨日よりひどいじゃねえかという肌感。療養者のムーブ3日目。

きっと今日がピークだと思い込み、手前に言い聞かせ、ぬるりと過ごす。業務連絡の入電が1本、そして明日締め切りの原稿を書いての提出。一応、仕事も最低限する。

なにもしないで布団でクネクネしているのがベストなのだろうが、数時間でも、仕事をするかしないかとでは精神的に違うなと、ここはいい感じに作用する。

先々のことに対してやること、準備すること、書くべき絵図、同時進行でこなすタスク、様々ある。しかし、それらに今、思考を向けるのは得策ではない。きっと、医者もそう言うであろう。

だから俺はとりあえず、この記録的な喉の痛みと発熱よ治ってはくれんかと、その1点をメインに考え、ほかのことは敢えて今は考えないようにしている。「1週間くらいは安静に」という病状がここまでとは。風邪、あなどるなかれ。
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「鎮痛剤 ランキング」と、検索すると、俺が処方された「アセトアミノフェン(カロナール)」は第6位であった。なぜ調べたのかというと、現状、効かないからである。飲んでも、耐え難い喉の痛みが治まらないのである。

辛抱たまらんと、もっと効くやつはないかと上位に目を向け、第4位が「ロキソプロフェン」であることを知る。

さっそく近場のドラッグストアに「ロキソプロフェン(ロキソニン)」を買いに行く。薬剤師が居ない場合は買えない第一類のやつである。

買ってきて飲む。頼むから効いてくれと本気で願って飲む。するといい感じに効いてくる。それが昨日の話。今日は、起床すると明らかに昨日より全症状が良くなっていた。

といとう激痛のピークが去ったかと、とにかく栄養を重視しためしを作って食う。味噌汁に小さなタラと野菜と生姜を入れて食べたら、小さい頃に家族団欒で食べさせてもらった鍋みたいな味がした。とても懐かしい味だった。

タラすげえなとか感心しながら追い込むように休む。傷病手当とかそういったものはないものかとふと思うが、健康保険以外の保険には入っておらず、フリーランスなのでそういったものはなさげ。

切ねえなと、仕事部屋のソファに転がりながら、あの世とこの世の中の狭間みたいな夢を見ながらとにかく休む。

夜、熱は収まり気味で、ちょっとギターを弾いたりできたので楽しく練習する。ついでに歌ってみたら驚くほど声が出なくてやはり療養中なのだなと納得する。

こんなに、いつものことが普通にできない不甲斐なさを思い知るのは何年、何十年ぶりであろうか。ただ、全快したら、明らかに以前より全パワーが漲る気がしてならないのは、唯一のポジティブポイント。

ニートのようなムーブ4日目。あと少し、あと少しだと、焦らず休んで力を蓄え、今年の飛躍に備えよう。その準備期間と捉えれば、決して悪い期間ではない。そう思い込むしかない。

エクレアを食って寝よう。酒呑まなすぎるとなんか甘いのが食いたくなるのは、酒呑みが酒を呑まない期間に感じるあるある第6位くらいだろうか。

第1位は、逆に酒がどうでもよくなる。第2位は、とはいえ久々に呑むと翌日以降も欲す。第3位は、顔とかがなんかシュッとする。第4位は、謎の達成感を得る。第5位は「そもそも、こういうきっかけがないと酒を呑まないという選択肢をとらんのだな」と、自身の自制心を省みる。あくまで俺調べのランキングだが。
_01/15

 

 

 

 


業務端末が鳴る。完全撤退寸前までいった業務だが、なんやかんやでたまに鳴る。2件の後日の新規依頼を受けたので予約を承る。

とりあえず金になることはやっておこうと予定表に記入する。そのまま、大事をとって今日も自宅でおとなしくしている。熱はすっかりおさまり、喉の痛みもわりと引く。

気持ちから元気を出そうと、フェンダー・ジャガーの弦を張り替えてメンテナンスがてら弾き倒す。20代のメインギターにつき、弾いているだけでなんか下半身から覇気が漲ってくる。

やはりアンプ直で立って弾くと生気も湧くなとなかなか上気する。この調子で快方し、以前よりいっそうパワーアップして日々が過ごせると信じて今日も療養する。いいかげんうずうずしてくるが。
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謎に業務端末が連荘して鳴る。2件受電し、1つは新規依頼、もうひとつは見込み客であった。昨年、わりと執拗に営業し続けたので、その成果が長期スパンでまだ効いているわけであり、決して謎ではないのだが。

明らかに体調も快方に向かっているので業務に赴き金を得る。ありがたがって頂く。確かな需要を感じる業務なのだが、いかんせん売り上げの絶対数が寒い。えもいえぬ気持ちで帰宅。

なんだか今年に入って嬉しい楽しいだのといった出来事がないなと、明らかな苦難と捉えられることばかりだなと、やや悲観する。

これはどちらかだなと今年を想像する。「出だしはとにかくヘコんでいたが、それあってのこの好調」という感じと、「今年いっぱい下り坂か」と、両極端なのではないかと。

当然、前者であろうと、グッと上がる手前の深い谷であろうと手前を気つける。やっとこの流れに乗ったかという、右肩上がりになる寸前の下落であると捉える。

万事、良き状態の前に、低迷気味の期間があるのは世の常あるある。こういう時にじたばたとあがくとロクなことはない。じっと、虎視眈眈と構える時期のはず。それにしても酒が呑みたい禁酒期間1週間超えの夜。
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ほぼ毎日これなら続行も全然ありなのだがなと、業務端末が鳴ったので依頼元に行って仕事する。売り上げを得る。総計もこの数倍ならいけるのだがなと、えもいえぬ気持ちでチャリを漕ぐ。

夕方、撮影で使用されている『アルマンド』の様子を見に行く。ここでの業務も、今後どうなるかという状態になってしまったので色々と考える。

ホットなとんかつを食って帰宅し、病み上がりでフルタイム動いたらくたびれてしまったのか、横になったら2時間経っておる。夢で、冷蔵庫に酒をちゃくちゃくとストックしてはいい気分になり、1本だけ手にしてはご機嫌になって歩く夢を見た。

これは明らかに、最近全然呑んでいないので、そのぶん酒欲だか何だかを溜めているといった心理が表れているっぽい。なんか、気分の良い夢であった。

起きたらケータイに着信履歴等があり、詳細を見るとライター業の依頼だったので喜んで賜る。

そのように、これまで通り動いていることがある。これまで通りではないであろう動きもある。各々の流れでどう動いてこれからどう立ち回るかと、色々と考えた1日。良き方向に動きましょうと手前に言い聞かせる。
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神社へ行って願掛けをする。神頼みである。硬貨を3枚入れ、3つ願い事をする。「まわりのみんなが幸福でありますように」「俺が健康でありますように」「俺の仕事がうまく行って稼げますように。稼げますように」と。

何年振りかくらいにおみくじを引いてみる。よっぽど気がしっかりしていない証拠な気もするが、初詣といえば普通引くものだと深く考えず引く。「中吉」である。中の上くらいのやつ。

「健康」に関しては、「願えば治る」とのこと。「事業」については「じっくり取り組め」的な感じ。「探し物」にいたっては「出てこない。諦めろ」と、様々、断言された紙を読んでは「どういう気持ちになればいいのだろう」という感想を抱き、枝にくるっと結びつける。

蕎麦を食って帰宅し、なんやかんやとPCでカタカタとインターネット上をさまよい、あとの時間は制作をする。

神社でいろんな場所に運勢等について記してあった。それらを総括すると、今年はわりといい感じで、とにかくじっくり事を進めれば吉。といった解釈ができた。とはいえ、どうにも煮え切らない日々が続く。

たった3週間弱でめちゃめちゃイレギュラーなことが続いた影響がどう出るか。そこはひとつひとつ打破しつつじっくり進み、シュワっとおいしい酒が呑みたいところ。
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蕎麦を食い、駅前広場で一服して日光をたくさん浴びる。帰宅し、9時間ほど作業をしようと珈琲を淹れて気を張る。

事務的な調べ物と制作をずっとやって過ごす。気がつけば3時前とかえらい時間になっている。大きな対象があり、その先行きがまだ不確定かつ決定事項に対しての待機期間である現在、なかなか言い表せない心境の日が続く。

こういう時、案件が手元にどっさりあると、忙しさがありつつも確かな安心感だってある。しかし今日あたり、そうでもないのでやはり心配がちょいちょい頭をよぎる。

そういう時は4カウント息吸って4カウント止めて4カウント以上で口から吐き出す。これが効く。精神が安定する。

あとは、今後の具体性がビシッと決まれば、一も二もないのだが。良き方向に進む事を信じて今日あたり寝るしかない。昨夜、もの凄い高い場所から飛び立とうとする夢を見たが、いい暗示と解釈したいところ。続きが見たい。
_01/20

 

 

 

 


昨日と同じような時間軸で宅で過ごす。今後、経営がどうなるかわからなくなった『アルマンド』の業務上の手続きについての知識を鉄壁にしておこうと、引き続き色々と法的な事、経理的な事、税務的な事などを調べる。

先代の各種届出やら雇用のことについてなど、わからないことだらけなのでドキュメントにまとめたものを何度も更新する。

さらに専門家の見解も聞きたいと、有料のチャットサービスというのを初めて利用する。最初3日は500円。税理士などが答えてくれるやつである。

ひとつ質問したら「電話もあるぜ」といった感じのポップアップがドンと出てきてさらなるグレードの料金プランをウェブ上で提案してくる。

ううむ、たくましいなとか思いながらとりあえずチャットで進める。まだ一往復しか回答をくれないあたりがやはり500円だなと悶々とするが。

そして、当該業務がどうなるか、滞空期間が何日かかるかわからないので、それまでの隙間時間、案件のない時間、この際、この状況下においてはもうなんでもいいから金になる事をと、単発系の仕事を探す。よさげなのを申し込む。

地味なムーブながらも相当スリリングな数日。もうちょい続く見通し。「あの時はやばかった」と、後々振り返ることができるようになるか、「結局そういうことか」と、やさぐれることになるか。それくらい、運命の分かれ道くらいの局面。ここはひとつ、スピーディーかつじっくりと、冷静に、合理的に。
_01/21

 

 

 

 


運命の分かれ道が確定。これからのメイン業務となる前提で動いていた『アルマンド』の営業継続が不可能という報せを、叔父のご家族の方からご連絡頂いた。めちゃめちゃ絶望的な気持ちになる。

要は、俺が『アルマンド』の経営者となって営業を続けるつもりだったが、その話が完全に無理となったのである。理由としては、俺が起因ではない。

『アルマンド』の業務は、今後一切なくなった。昨年から始め、1周年を迎えた新業務は入電があれば依頼に応えるが、採算が合わないのでもう展開はさせていない。今ある予約がなくなったら畳むつもりである。故に源泉が2つ無くなった。これは震えられる。

ライター業と音楽制作等の収益もあるが、それだけでは凌げないのが現状。そうなってくると、給与所得的な、ほぼ確かに入ってくる源泉が必要。またすぐに新たな事業なり業務を立ち上げる気力は、今は、いっとき、さすがに無いのである。感傷的な気分になる理由満載だが、それよりまずは日々の源泉である。

そういったわけで、個人事業以外の仕事を探す。昨日食い気味に申し込んだ応募先から今日連絡があり、明後日、最初のコンタクトをとる予定である。良さげならそこでしばらく、仕切り直しの準備を整えつつ日々凌ぐ。足をためる。ダメっぽかったらすぐに他を探す。

なぜこうなったかは、イレギュラーもあるが、基本的には手前に至らない部分があったと判断するのが冷静であろう。

シンプルにヘコむが、腐らずに前に進もう。42歳中盤からの仕切り直し。これまでを省みて、また学び、蓄え、自分をフルに活かせる天職との出会い、または「これだ」という事業を立ち上げるその日まで。
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地声がやたらでかいとっつぁんの隣の席で、俺は求人を探していた。近場にある区の施設のハローワーク的な所に来たのである。

「ああ、そうかあ! 場所で絞るわけかあ!」と、とっつぁんは係の方からのレクチャーを受けながら、不慣れな様子でのPC操作で職探しをしていた。

「ああ、曜日ね! 土日土日と……」

「そこは働く日ですよ!」

「ああ、それでかあ! 全然出てこないもんな! じゃあ平日かあ!」

集中できんなとか思いながらも、手前の今の状況、現実を見つめ、めちゃめちゃ切なくなってくる。

良さげなのを見つけたので印刷して保険として確保しておく。並行して色々探したり申し込んだりして、「一向に仕事にありつけない」という体たらくを回避するためである。

帰宅してネットでバイト探しもする。ひとつ返事がきたので更なる詳細を記して返送。一歩進んでるんだかどうなんだか不透明で悶絶。

電話が鳴る。編集部の村上氏からであった。内容は、現状の俺がそうであるということとはまた別で、以前から浮上していたという「もっと平吉ができる新たな案件内容はないものか」というありがたいものであった。

バイトや契約社員などの雇用形態で仕事をするにしても、ライター業と音楽業は続行する。この点は揺るがない。

編集部、ありがたやと思い、ミーティングの日取りを決めて終話。これは、明るいトピックに進展する可能性がある良き話であった。

ユーチューバーの収入が減少しているというニュースなどをネットでよく目にする。そういった動画も散見する。ユーチューバーは基本的に「広告収益」が源泉の柱のひとつであろう。

その広告収益の「単価」がかなり下がっていることは、彼らの収入に直結している要素であろう。

俺もまた、ユーチューバーではないが、広告収益が柱のひとつとなる源泉として「音楽制作業務」がある。要は、この、ゆっくりではあるが唯一右肩上がりだった収益も、悲しくもちょっと落ちてきているのである。原因は「単価」が下がっていることが非常に大きい。

なんだかひとつもうまくいってねえなと、客観的にちゃんと認識する。しかし腐らず制作を進める。ベースとアコギを録音する。収益のタネとなるコンテンツ制作は常にしておきたいところ。

そういったわけで、フワッフワした日々が続いて心配になる。寝込むほどの流行りの感染症にがっつり罹り、また近しい人が亡くなってしまい、メインタスクの希望が完全消滅し――。

これがたった3週間での出来事というのがにわかに信じられんが事実。今、この時期の、受けたショックと辛さとやるせなさと歯痒さを、忘れないようにしよう。とはいえ、ネガティブな感情は引きずらないように、ちゃっちゃとすぐ行動して成果を出すのが大前提。
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いつもやっている仕事がいくつかなくなった日が続く。すると、「俺は何なんだろう」「俺は何者なのだろう」「どういうつもりなんだ俺は」といった自問地獄に纏われる。これを「アイデンティティ・クライシス」という。

過去に何度か経験したこいつは、直近だとちょうど4年前。辛抱たまらなくなった俺は、アイデンティティ・クライシスを払拭すべく、えいっと会社員を辞めてフリーランスとなった。自分の特性を活かした仕事だけでどこまでいけるか、というコンセプトで意を決したのである。

当時の実弾(現金)は、14万円と財布の中身数万円だった。今思うと、その資金力でよく勤めを辞めたなと思える。無謀そのものだったが、数年、走っていられた。

なんだいけるじゃねえかと思いきや今月のこの状況。いや、ここ数年の結果であろうか。現在、個人事業のみで走るのは困難となった。

不意すぎる出来事が多かったという理由もあるが、シビアに考えたら、「最悪の出来事が起きることを想定し、最善の行動をする」という点がちょっと甘かったのかもしれない。何度かあった、最悪の出来事に対応しきれなかったという体たらくである。

今日、『数値化の鬼』という、昨年えらい売れたらしい本を読んだ。時間はあるので立ち読み読破した。定価1,500円をケチってその場で読んだ。あまりいい行為とは言えない。

その本を読むと、俺は物事を数値化して捉えるということが全然足りていないことに気づかされた。

めちゃめちゃシンプルに、「何をどれだけ頑張ってやるか」ではなく、「何をどれだけやって100の数字を達成する」といった考え方である。KPI(重要業績評価指標)的なラインを掲げるといった類のことである。

やってるつもりでも、現在の結果を見つめると、足りていなかったのである。事業者としては、これは致命的とも言える。

そして、ある一節に刺さった。以下の2つ、どっちが凄いと考えるかという内容の記述である。

「成功率80%の人が5回やって4回成功した」

「成功率20%の人が100回やって20回成功した」

前者の方がスペック的には優秀だが、行動力と結果とバイタリティ的には後者の方が圧倒的である。

これからしばらく足を貯め、また再び独立するのか、しっくりくる組織で仕事をしてのし上がるのか、事業を興すのか、はたまた今は全然想像もできないことを思いつき、それを生業とするのか、未定である。

42歳でこの先「未定」となると死ぬほど絶望的な気分になる。しかし、ひっくり返すと、「何をしてもいい」とも解釈できる。そこで俺は、死ぬような気分の解釈はやめた。感傷的にはなってしまっているが、やめた。

今日は、立ち読み2時間半、直近の仕事探し2時間、ネット経由のライター案件がひとつ完了し、その最終工程対応に20分、サイトの新たなページの更新1時間半、制作2時間半、といったスケジュールであった。

「それでお前、ここのところ何をしてんの?」と知人に問われれば、「なんもしてません。職安でとっつぁんを眺めたりしてました」とも言えるし、「仕事を探しつつ、せめてもと、ストック収益のタネを日々作ったりしています」とも言える。

いずれにせよ、「それで、会社員みたいに向こう1カ月以内にいくら入るの?」と訊かれれば、「ちょっとしか入らねえよ馬鹿野郎。うわぁ!」となるであろう。

仕事がほぼない状態で数日一人で過ごしていると、そのような思考がマラソン大会みたいにえっほえっほと駆け巡るのである。

<例えば旅の途中 君のエンジン空回りで それでなんとなく虚しくなるでしょ? 何にもないって事 そりゃあなんでもアリって事 君の行きたい場所へ何処でも行ける>

といったhideさんの楽曲の歌詞の一節がまんま刺さる現状。まだ旅の途中だ。錆びつく前に、何度でも発射したい。その成功確率が5%とかひどいものであっても、20回もやれば1回は成功するんだぜと手前を鼓舞する。

このように、仕事がなさすぎると、心が折れぬようにと自己啓発じみたことを乱発しがち。

今、優しい言葉をかけられて、「このツボを買って日々祈ると、あなたらしくいられる良い仕事にめぐり合えますよ」と訴求されれば秒で買う。そして、買ったその場でツボを振りかざし相手の頭を叩き割る。といった、至極バイオレンスな妄想も出がち。そんな乱暴なことはしないが。
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「最近どうですか平吉さん」

「ええ。悪くなってません。良くなっているというか、元にもどりつつあるというか、厳密にはどっちも違うんですけど……とにかく改善方面です」

「良かったじゃあないですか」

主治医は、なんだか以前よりも表情に余裕と貫禄と優しさが滲み、ひとつ上の男になったような印象を受けた。今日は定期検診に来ている。

「それで、仕事の状況が激変しまして」

「ほう」

「これから進める予定だったメインの源泉となるべく仕事が、主たる関係者の死亡とそれに関連する介入不可能な理由をもって、無しになったのです」

「大変じゃあないですか……!」

「ええ。だから、調子はむしろ悪くなるのが必然なのですが、謎にそうでもなくて」

「それは良かったですが――」

「で、色々考えましたが仕切り直そうかと」

「そうですか」

先生は、精神科医らしく、傾聴に徹していた。

「この歳で、42歳で、収入はいくばくか、メイン業務が今後未定というのがなかなか――」

「そんなことないですよ。平吉さんはフリーランスですよね。ちょっと間をおいてでも、これからまた事業を興すとかそういった年齢としてはむしろ良いんですよ」

先生は、俺の認知の歪みの修正にかかった。

「いやあ、そうすかねえ……」

「私と平吉さんとでは、業種や色んな歴などの違いはありますが、私がここを開業したのは43歳の時なんです」

「え!」

「独立するにしても、事業を始めるにしても、平吉さんの年齢は、全然良いんですよ」

「それは勇気付けられるというか……」

「だからこれからじゃないですか! これまでの話を聞くと、平吉さんは色んな経験もなさってきたわけですし。頑張ってくださいよ!」

と、先生は目元の笑顔をニコッとのぞかせた。精神科医が患者に「頑張れ」的な言動を放つことは相当慎重であるべきなのは、もはや一般的。例えば、うつ病患者に対しての「頑張れ」という言葉がタブーのように。

それでも、先生は俺に「頑張れ」と励ましてくれた。この先生との付き合いは3年以上になるが、今日、初めて「頑張ってください」と言われた。

俺は奮い立たされた。感謝の意が込み上げた。そして、予定であった、仲間とのセッションバーへの遊びに出かけた。

「そんなことしている場合か? 俺は本格的にアホなのか?」という思考も生じたが、人と会うことは優先事項の上位1、2を争うので自分を疑わずに行く。

「そういったわけで、半分ちょいくらい今俺は無職です!」と、カッコつけずに率直に、できるだけ詳しく現状を仲間に報告する。

「ええええ。亡くなったって、でかい仕事飛んだって、コロナにも罹ったって――悲惨すね」という当然のレスポンスがありながらも、「じゃあ、こういう仕事あるけど、どうすか?」と、仲間にライター案件の斡旋をして頂く。速攻で食いつく。詳細を聞く前に「出来ます!」とまず言う。

やらかしたら即、「やらかしました!」と大声で叫ぶ。やばい状況になったら「今やばいっす!」と周りにすぐ知らせる。これらの行為は、問題解決への最短ルートの第一歩である。そういった持論がある。半分は本に書いてあったことだが。

そういったわけで、今日も「今俺は相当やばいです」と、深めに関わる人たちに伝えた。

色んな人に伝えるたびに、俺は周囲の人たちに恵まれていると実感する。具体的には、今日は、仕事の話を頂いたり、めしと酒を奢って頂いたりした。いつか10倍返しするというのは大前提である。

信頼できる仲間と呑むお酒は、ピンチの状況下であっても、とても美味しかった。最近呑まな過ぎてやっぱりちょっと酒が弱くなっていたがコスパ良しということでそこは手打ち。
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「お兄さん、一件どうですか?」

赤羽駅東口の喫煙所入り口付近でアプローチを受ける。

「あぁん(咳払い)! 俺今、無職なんで」

と、応じる。すると2秒ほど間が空く。

「それ言われちゃうと……」

「俺がお兄さんに付いて行って、お姉ちゃんが居る愉しい店に行く余裕があると見えましたかね? ええ?」

「いや、そう見えたから声かけたんスけど……」

「(まんざらでもない)」

今日の帰り、23時半頃の出来事であった。黒服を100%躱す方法としては「無職」というフレーズを挟めば一発と知った。

今日は日中、ライター案件で取材をし、原稿を書いて提出。昨日、仲間であるコンサルティング業の桑原氏に斡旋してもらった文筆業紹介の対応をした。

そして夜、編集部のミーティングに呼ばれて有楽町に赴いた。こう事実を記すと、“無職”というのは客観的に100%ではない。嘘が混じることになる。無職0%でいたい。

有楽町に着き、少々待つ。編集部の村上氏が到着。そして、今日はなんと社長も同行。

待っていた俺の姿を見た社長は、「カラオケとかの映像にありがちな、哀愁ただよう人みたいに、平吉くんは直立不動で待っていたね」と、喩えた。的確な表現なのであろう。

久しぶりに会う社長は「元気かい?」と聞いてくださる。俺は、現状を鑑み「元気ではないのです。これが。クワッ」と、素の感情と表情を滲ませつつ率直に伝えた。

社長はその後の席で、「殺されそうな目つきでああ言うんだもん」と、述懐したので「当然、殺意はありません。申し訳ありませんでした。本当にいつも、お世話になっております」と、謝罪した。

空気的には冗談交じりテイストの明るいものであったが、無意識にでも人を睨むのはよくないと省みた上での対応である。

今日は、俺に振って頂ける新たな案件の内容についてのミーティングであった。社長は、とっても美味しいお酒と食べ物をたくさん振舞ってくれた。元気が出た。

「概要について、わかりました。では、その仕事の段取りについて、明日どうですか――空いてませんか。じゃあ明後日は?」と、俺は新たな案件アプローチの第一歩を最短で懇願し、予定を決めてもらった。

村上氏と、社長と、楽しく過ごせたことは幸福そのものであった。心底感謝の意が溢れた。

そんな感じで、「希望」と「絶望」と「打診」と「待ち」とが交差する日々が続く。切実に辛いが、希望を与えてくださる方々がいることが心底ありがたい。

23時半頃、赤羽の黒服さんに聞いた。

「それで、1日何件くらい引っかかるんですの?」と。

「10件とかですかねえ。自分らの店だったらマージン10%とかで、ほかだったら20%ですかねえ。そんで基本給が――」

「それよそれ。それはいくらよ? ええ?」

「10万、15万とかですよ」

「へっ。ペッ! かぁ〜! ガフッ! おん。おん!(コロナの後遺症)いいじゃないですか」

「でも大変ですよお」

「あっそ。そっか。とりあえずお兄さんの顔覚えたから、稼いだら今度遊ばせてよ。今無職だけど」

「お待ちしております!」

「酒呑んで、時にはお姉ちゃんと遊びたいよねえ。スパァ〜(アイコス)」

といった、希望とやさぐれと現状と世間の空気と、編集部と社長の優しさと愛に包まれつつ、「俺は今どういう状況なのだ」と自問する1日。

崖っぷちで「飛んじまおうか。退いて考えるか。一発行ったるか」といった心境が妙ちくりんなグラデーションとなる。

なにより、こういった状況で希望の光を照らしてくれる方々への感謝の意は禁じ得ない。それは、今日も感じた最たるポイントである。
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去年新たに立ち上げた事業。終焉に向かっているが、まだ依頼はポツポツとある。今日、1件業務に行った。

お客さんとの雑談の中、よく当該業務の概要がなんなのかという話題になる。そういう時はほぼほぼ「それは、いい仕事ですねえ」という反響が返ってくる。今日もそうだった。

半年前くらいは、そういった言葉を頂いて「俺は、社会の役に立っているのか……!」と、心底嬉しくなった。しかし今は、「そう。いい仕事だと思うのですが――」と、ただただ虚しくなる。

千円単位の売り上げを得て領収書を切る。半年前くらいは「よっしゃ。このペースで数をこなせばいけるぞこれは!」と、一人で立ち上げて業務した仕事の成果の数字をリアルに現金で手にし、興奮していた。しかし今は、「この数字じゃあ続かねえんだよ。ビジネスとは言えねえんだよ」と、落胆の感情が寒波と共に俺を芯まで冷やす。

帰宅し、嫌だなあ、でも、仕方ないなあ、俺のここ数年の結果と捉えるべきだしなと、そういった思いでバイトを探す。

先日いくつか申し込み、電話を頂いてお話しする段階まで行ったりもしたが、まだ給与所得を得るための凌ぎ先は決まっていない。なんか、普通にやっててもダメかもなと思った。

いつの間にか、ウェブ、メール、電話完結で就業できることが普通となっている様子の現代ではあるが、その流れにうまく乗れないのである。

そこで、とりあえず就業紹介先がやたら多そうな登録会社の面談を申し込んだ。まずは直接組織に乗り込み、話をして、今の俺にとっての最適案を最短の日取りで探る作戦に出た。

これまでの俺の人生を振り返ると、“直”の行動のほうが結果に繋がりやすい気がするのである。そして、それが具体的な成果とならずとも、その行動がなければまず得られなかった確かな“一次情報”が取材できたりする。

ネットなどで膨大な職探し情報に飲まれかけてしまっていることと、俺にとっては“直”の行動のほうが吉と出やすいことを理由として、肉弾的に攻めることにした。

恋愛だとゴミカス塵芥のように捨てられた直後。パチンコだと未曾有の2,000回転ドハマり。投資などだとなんちゃらショックでズドンと大暴落。

比喩的には、客観的に今そういった状況だが、ここはひとつ、他人や世間や流れや運のせいにせず、「現状というやつは自分がやってきたことの反響」と捉え、手前の行動で拓けと濃いめに脳に刻印する。
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案件で渋谷へ。そう、俺は完全に無職というわけではない。仕事がめちゃ減った状態のフリーランスという表現が適切である。

今日は会見での記者のお仕事。パシャパシャと写真を撮り、名乗っては「――についてはどう思われますでしょうか?」などと対象者に質問したり、それらの取材を経てカタカタと原稿を書く。昼過ぎ、俺は気分良くあんかけラーメンをすすった。

夕方、新たな種類のライター案件の実務およびミーティングとして村上邸へ。試しにいくつか書かせて頂く。

よしよし、源泉が増えるのは確かなやる気が出ると、ガンガン利益を出すべく張り切るぜと漲りつつ、村上氏にめし屋へ連れて行って頂き、ハンバーグ・グリル的なわかりやすく美味しい夕飯を賜る(おごってもらう)。

1日中仕事をして気持ちがいいじゃないかと上機嫌で帰宅。やはり漢は、仕事、すなわち狩りができてなんぼなのかなと、寒空ではあるが気持ちは温かくして帰宅。光が射せば全力でかき集めて吸収する。もっとテッカテカに光るよう明日も頑張ろう。
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昨日からの新たなライター業務が本格始動、ということで原稿を複数書かせて頂く。

慣れないうちは、とか思いながらなかなかヘロヘロになる。しかし、これくらいで丁度よい。むしろもっと案件をこなしたい。こなしているうちは一心不乱になれて気持ちがいい。

とはいえ割とくたびれたということは、日記の文字数が200文字以下というあたりが如実に物語っている。とても良い疲れ。仕事を頂けるのが、まことありがたい。
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フォーマルなスーツコーディネートで、白いマスクをして、仕事を斡旋してくれる組織に直で面接に行く。

まさにオフィス、といった空気感の部屋のいちブースで、いろいろと書類を書き、ハンコ捺したりする。なんか緊張した。

性格テストみたいなやつと、タイピングテストをする。わりと細かな内容であったが、「いけてる」か「ふつう」か「明らかにダメ」の3つくらいにしか振り分けられないのだろうなと想像をめぐらせる。

2つ、具体的な仕事をご提示いただく。しかし両方とも、決定打となる手前的な不可要素があったので決まらず。

しかし今日を境に、俺の望む条件に合う仕事を直接お知らせし続けてくれるという流れとなった。今日の収穫としてはこれくらいである。

半分、無職。という自覚の元、寒々しいツラをしながら帰路につく。部屋に戻り、おとといから走り出したライター新案件をやる。いくつか原稿を書く。そして、編集部から「OK」を頂き、原稿料が発生する。これはまごうことなき収穫である。

無職、というわけでは決してないな、俺はライターとして生きている。今日だって、音楽制作のストック収益がちゃんと入ってきている。そういった、事実に基づいた認知に修正できる精神状態になり1日が閉じる。

ひとつずつ着実に行動し、成果を生じさせ、稼ぎをめちゃめちゃ増やし、のちのち「あったねえ。半分無職事件!」と、笑い飛ばしてここ最近の状況を振り返りたい。
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「蟹座さんは、1月後半から2月、すごいですぅ〜」と判定する、YouTubeの占い動画を観た。

「ええ、本当にすごかったですよ。本文を、特に1月10日から今日まで、1日も飛ばさずに、どうかご覧頂きたいくらい――」と、俺は率直に思った。

YouTubeのアルゴリズム的に、ひとつその類のチャンネルを閲覧すると、類似動画がおすすめに上がってくる。この場合は、「蟹座の1月の運勢」である。

この際、色々と観てやろうと、どうせバラバラなんだろうと、タロットだろうがオラクルカードだろうが、占い師によって異なるだろうもと、斜に構えまくりながら5、6個は観た。もっと観たかもしれない。

それくらい、抽象的な方向にすがりがちなメンタル状態なのである。前提として俺は、占いはパワフルだと思っている。

すると面白いくらい、全ての動画で、それぞれ違う占い師が、「これは! 凄いですねぇ〜」「殻を破って上昇する時期です〜」「ものすごい変化、飛躍の時です〜」「本当に凄い、なんか、泣けてきた――」などと、同じ判定がなされていた。

ああ凄かったよと、変化もあれば泣けてもきたよと、どう俺が捉えるべきかは、「占い」の本質に帰属するであろう。

俺は、前向きに捉えるとかそういうことではなく、とにかく激流であることは確かだと、占い師もすげえなと、ポップに受け止めた。なにしろ驚くほど皆、ほぼほぼ同じような内容のことを言っては良い方面に驚いていたのだから。

「死」「感染」「御破算」といった、死ぬほどネガティブなワードがついてまわった1月。

だが俺は腐らず、今日も一心不乱に原稿を書きまくった。占いは好きだ。しかし今は、事実と具体性と数字を示す時。身近な人の死と、感染症罹患と、今後の希望と展望の木っ端微塵な御破算は確かにキツかったが、もはや、過去形なのである。

肝心なのは、そこから学び省み気づき、今を生きることである。今に集中している時が最も気持ちが良い。未来への希望にワクワクする時に得られる期待感もいい。しかし、没頭している時こそが、一番気持ちがいい。

そういったわけで、今は、書けるだけ原稿を書き、作れるだけ音源を作ることが要。あと、安定性に長けた給与所得もかと、現実をちゃんと見つめる。とはいえバイトは嫌だ。率直に嫌だ。

カタストロフィ(破滅・破局)ではなく、めちゃめちゃ好転する前の大きな反動であってほしい。それくらい、ガックンガックンいわされた1月。

しかしまあ、「すごいですぅ〜」という見解もあるとのことなので、主観と客観と事実と数字、そして直感を大切に、今後に挑む。

今月を振り返ると、絶望感がありつつも、それ以上に、周りの方々への感謝の念が湧いた。心の底からありがとうと言いたい。それをこれから、キッチリと行動で示す蟹座さんだったら俺も大したものであろう。占い師の判定も的確なのであろう。
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