12/2022

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
革命的な呼吸法習得。12月


むさぼるように寝まくる。起きたらもう辺りが暗いというタイム感はどうかしている。木曜日はお休み設定だから許されると思っているが、人間としての生活態度として、如何なものか。

とりあえず珈琲を浅めに淹れてプカプカカタカタとPCで色々チェック。ネット経由でも新規ライター案件を賜る。今年に入り、ネット上のまあまあでかめのプラットフォーム2つに、手前の個人名で看板を出させて頂くようなかたちをとった。

今年1年単位で振り返ると、何故もっと早くやらなかったのかというくらい、決して大量ではないが、少しずつ案件を受注できるようになったのである。ありがたいことに、各プラットフォームでリピーター様となって頂ける方や企業が各々おられ、「これは成長率が望める」と、奮起している。

そういったわけで、よしよしいい感じに「案件フォルダ」に蓄えておるぞと、休みとかほざいている場合ではないぞと、Wordを開いて原稿を書く。

なんというか、1週間前に全力で休日を過ごしたので、別に休みたくないのである。休日なんて月に2、3回あればいけるぜと、せっせとタイピングをする。楽曲アナライズおよび鍵盤の練習もする。

当然、手や指の各腱やらがくたびれる。だがこれでいいと、覇気は漲っている。そのダイナミズムは、上にも下にも大きく拡張された感覚がある。

なんかいい感じに昇っていく前の時期には、きっと何事においても、大なり小なり落ち込む傾向があるのだろうか。

そう捉えると、今年はめちゃめちゃな謎不調がグワッと下に広がり、数字を数えながら呼吸をして平穏を呼び込むという、これはいよいよかなという、臥褥期かというほどの時期が長かった。

そのぶん、これから大きく上昇し、手前はバージョンアップされたというほど邁進すると信じ込む。それも、メジャーアップデートである。

それはでかいねと思いつつも、他者から「具体的には?」と聞かれたら不明瞭な返答しかできなさそうなほど感覚的なもの。

基本的に抽象的な奴という点は変わらず、なんかいい感じになっている。その何かを示せるようになるよう、「稼ぐ」だのと42歳のコンセプトを執拗にリマインドし、経済や経営という苦手分野を学び始めたのであろう。

とはいえ側から見たら「変わっとらんねえ」と、なるのかもしれない。だから、「見てみこの数字」「わお!」というくらいの具体性がほしいところ。

なにしろ、気持ちがなんか広がったのは一番でかいところ。「元気があれば――」というのは本当に真理であろう。などと言いつつ、明日の日記の端書が「鬱の淵で未知のビジョンと対話し――」というパターンもまあまあ、ありうる。
_12/01

 

 

 

 


起きたらめちゃめちゃ疲れている。「仕事には『休む』ってタスクも必要だと思うっす」と、先日頂いたホリ氏からのありがたいアドバイスをないがしろにした結果である。

いっぱい文章書くのって疲れるのだなと、「執筆」という仰々しい言い方もそりゃ出るわなと、やや重く感じる腕でヒタヒタと原稿を書く。2本目提出。

適当に酒呑んで休もうと、〆にかかる。「書く」を「執筆」と、なんかカッコよく記すように、「酒を呑む」という意味を帯びた、「飲酒」のなんかクールな言い方はないものかと、調べた。

すると、「酒興(しゅきょう)」(意:酒に酔って興が湧く)というわりとスタイリッシュな単語があることを知った。

一方で、「酒狂(しゅきょう)」(意:酒に酔って狂う)という同音異義の物騒な単語も差し込んできた。

酒は百薬の長と言う人もいれば、害だらけで一利もねえと断じる者もいる。ほどよく長く付き合えればいい友達と、ゆるゆるな表現をするのは手前だが、とりあえず普通に穏やかに呑んで平和に眠ろう。呑んで狂ってどうする。
_12/02

 

 

 

 


ほどほど呑んで健やかに起床。朝イチで『アルマンド』へ出勤。今日あたり、お客さんが途切れる時間もあったので隙あらばピアノの練習をする。

たまにお客さんの前で弾いたりすることもあるので、決して仕事をサボっているわけではない。むしろ、時間が空くと「ピアノ弾いてていいよ」と、経営者から促されるのである。

対象曲は英・ロックバンドMuseの「Exogenesis: Symphony, Part 3: Redemption」。お笑い芸人・鉄拳さんのパラパラ漫画『振り子』のYouTube動画とMuseがタッグを組んだ有名なやつである。

当該曲がリリースされた2009年当時は、Museについて「なんか歌い方がトム・ヨークっぽいな。じゃあレディオヘッドを聴いていよう」という偏った理由と思考のもと、ほぼほぼ触れていなかった。要は、当時は特に刺さらなかったのである。

しかし最近、とあるきっかけでこの曲を鍵盤演奏するくだりになったので、じっくり聴いてみる。すると「ほかのは知らんがこの曲に関してはけっこういいな」と、わりと感銘を受けつつ、ネットで譜を探す。有料のしかない。では(金もったいねえ)と、耳コピして採譜。

「軽く受けたはいいが簡単に弾ける曲じゃねえな」と、呟きながら手前で書いてきたオタマジャクシを追いながら練習をしていた。

マスターである叔父に「何の曲練習するの?」と、言われたので「Museっていうイギリスの超有名なバンドの曲です」と答え、日本のお笑い芸人とのコラボで話題を集めたことも伝える。

ついでに、その曲のYouTube音源をアイフォーンから聴いてもらう。すると、「いい曲だねえ。一発で気に入ったよ。クラシックみたいだねえ。壮大だし」と、お気に召したご様子。

「ははあ、80代の耳にも刺さるものなのか、Museは」という意外な感覚を受けつつ仕事をする。お客さんご来店で当然練習は中断。

数時間後、また客足が途切れたので(前提として暇すぎる店ではないが、たまたまそういうこともある)練習を再開する。

するとマスターは「お、さっきのミューズってやつの曲だね。弾けてるねえ」と仰る。

俺は驚きを禁じ得なかった。手前ですら、まず曲自体を覚えるのに苦労したのに、80代のマスターは携帯端末からの小さなサウンドでの視聴1回でその曲を覚えたということになるからである。

「耳がいいんですねえ…!」

「そうかな」

とのことだった。感性や精神性が一親等よりも似ていると感じている三親等であるマスターのその感受性に対し、純粋にリスペクトの念を寄せた。同時に、では俺も、老いても音楽センスは衰えないのだなと勇気が湧いた。

そんなこともあり、リリース時はどこか斜に構えていた対象バンドの曲だったが、現在お気に入り曲のひとつになったという話。あらゆることが、どこでどう繋がるかわからないあたり、人生なかなかシンフォニック。
_12/03

 

 

 

 


4日午前、俺は西川口へ出勤し、すでに賑わっていた店内で適切な接客を始める。昨日は従業員の代走出勤であり、本日、日曜日は外注である俺のここ最近の出勤日なのである。

外国人の顧客の会計時、相手の母国語で通じ合いたいという思いのもと、不慣れな英語で軽く雑談を振る。お互い全て英語だが、日本語にすると以下のようになる。

「どこからきたんですの?」

「アメリカだよ」

「ふうん。アメリカかあ。俺、レッチリが好きなんだ。あなたの国のカッコいいバンド」

「へえ!! 僕もさ! イエッ。(互いに拳をコツンと)」

「ははは」

「いい店員だね、君」

「そう? どうもありがとう」

俺は英語はほぼ喋れないが、想いがあれば謎に通じることを体験上知っている。なお、飲酒時はそれがブーストされ、わりとすぐ仲良くすらなれる。

前世は英語圏にいたのかな、などと想像を巡らせながら仕事する。なかなかに忙しく、売上もそれに伴う。そうじゃなくちゃねと張り切る。

師走の冷え込みが露わになってきた夕方のいっとき、ぽっかりと店内が静かになる。マスターは、すっかりフェイバリットとなったMuseの曲を練習しなという。

演奏後、マスター的には「いい。弾けてる。上等だよ」とのことだったが、俺的には60点である。

ユダヤ的には「60点いけば合格と思ったほうがいい」という考え方があるそうな。しかしまだ伸びしろがあると、もうちょい詰めたいなと思っていたらご来客。その曲のピアノ演奏をリクエストしてくれた方である。

当然、「ぜひ弾いてください」「かしこまりました」という流れとなる。これも、経営者の理念込みの、この場所におけるサービスの一環である。

60点くらいまでいったやつは、人前で気合い入れて再度やればわりとそれ以上いける、ということを体験上知っている。スベることもあるが。

結果、お客さまはたいへんお喜びになられたので良しとする。手前が手前の出来をどう判断するかより、受け手がどう感じるか、であろう。

帰宅し、改めて、Museの楽曲「Exogenesis: Symphony, Part 3: Redemption」とお笑い芸人・鉄拳さんのパラパラ漫画『振り子』のコラボYouTube動画をちゃんと観る。

コメント欄には「泣ける」という言葉で埋め尽くされていたが、その通りだなと、フィジカル的にもパトス的にも感じた。

ちょっと寝て原稿を書く。全然明日でもいいのだが、色々と早く前に進みたいという見上げた心境が文字量に比例する。とはいえマジでくたびれたので〆る。

鉄拳さんの『振り子』の描写のように、手前の人生を表したとしたら、今、どんな感じなのかなとふと思う。

わりと地味なような、そうでもないような、人によっては良く映るような、思いのほかダサかったりするような、勤勉のような、怠惰なような、カッコいいのか、シンプルにクソなのか、判断しかねる。

ただひとつ、病院には、高確率で振り子付きの時計があるその理由が、すこし、わかったような気がしてならない。
_12/04

 

 

 

 


寒すぎて寝坊する。明確な起床時間があるタスクの日ではないが、とにかく明らかな寝坊。

やはり疲れだろうか、いや、酒起因だろうかなどと、まこと適当に分析しながら机につく。原稿を書く。ガチでずっと書く。ベストを尽くし3本目を一旦提出。

そういったわけで目がチカチカする。しかし、肩やケツといった局部が痛いといった点以外、わりと苦痛はない。文章を書く上で、大変さはあるが、苦痛かと言われたらそんなことはない。

そういった生業でやらせて頂けることに対し、幸福を感じることに加え感謝の念を飛ばす。無差別に飛ばす。そして、案件フォルダが空になる前に、次の案件が来ますようにという念もサラウンドに散らす。

それくらい、手元に原稿を書く仕事が常にあるということは安心感にも繋がるのである。だから食い気味にライター案件絶賛募集中。
_12/05

 

 

 

 


たいへん寒い上に16時半には辺りが暗くなる。滔々と冬がきたなと震えつつカタカタ文字を書き記す。

だいぶ疲れたなと、冷凍食品のエビピラフと惣菜を買いに行く。2つで350円弱。電子レンジで温め、ニンニク&オリーブオイルで炒めてバジルを散らし、ハンバーグをのっけて食う。安くておいしい晩御飯。栄養価は、どうなのだろう。

今週に入って誰とも喋っていないようなと、宅仕事が続く日々にふと思う。刺激があるようなないような、制作もするも形になるネタがすとんと出ない。

そういった日もあるものだと、やることやって日が閉じる。今年もあと3週間ちょい。あっという間の年だったが、えらく色んなことがあった。初体験が多かった。絶望的な出来事も多かった。楽しいこともたくさんあった。

色で言うと原色がチカチカと巡るなか、濁色も琥珀色も同居していたような、えも言えぬ色彩の2022年。年末は笑って呑んで振り返られるよう、残りの日々も張り切っていこうと思う。
_12/06

 

 

 

 


定期検診でクリニックへ。みんな大丈夫かなと危惧するほど待合室はまあまあ混み合っていた。

「どうですか。平吉さん」

「はい。一時期よりだいぶよくなってきました」

「よかったじゃないですか」

「(よくなってきた、という表現は適切ではなく、元に戻ったのではなくアップデートされている感じ、と言ったら変な診断名つけられそうだから言わんでおこう)おかげさまで」

「なにか思い当たるフシはありますか?」

「ええ。先生が半年くらい前に仰った、仕事への不安が原因の一つとして大きいのでは、というのは的を得ていまして」

「ははは。最近、どうです?」

「前より、売り上げがちょっとずつマシになる方向に進んでいます」

「よかったじゃないですか。ニコリ」

「そう、最近、経済や経営の勉強をしていまして」

「いいですね」

「経済のほうは、今年から投資を始めたので少し知識がついてきまして」

「投資!(クワッ)」

「(先生は本当にお金の話に敏感というか、好きそうだな)はあ。そんな派手にやってないですよ? 余剰金を資本としてちょっと増えてきている程度です」

「そうですか」

「で、経営の勉強の方は本を読んだりネットで調べたりと」

「うん、いいですね」

「それで、経営という視点で自分のあらゆる仕事を改めて考え、攻め方などを変えたらちょっと数字が増えてきたんです」

「なるほど。どこにヒントがあるかわからないですね」

「本当にそう思いました。どこにヒントがあるかわからないものだなと」

「じゃあいつもの感じで――」

「はい――まだ交通機関の移動時は変な感じしますが――」

「なるほど――」

「まあでも前よりかは――」

「よかったですね――」

「年末年始は――」

「そうですね――」

「お大事にしてください」

という雰囲気で平和に問診をして頂く。自分の状態を、プロの第三者に対して露わにし、客観的な言葉をもらうということは本当に大事である。

帰宅して原稿を書く。これを出したら「案件フォルダ」が空になるな、その間に受注したいとこだな、などと考えながら書きおおす。実にいいペースで書く。内容も、オーダーに沿ったものになっていると手前では判断できる。くたびれたので推敲と精査は明日にする。

制作をするもネタ出しに手こずる。とはいえ、その時間にその作業を充てること自体が大切だなと思う。いいペースで出来れば尚よしなのだが、数時間ウンウン唸って出ないこともあれば一瞬でアイディアが形になる時もある。

やはり、ライター業と音楽屋業をベースに暮らすのが一番精神が健やかだなと、個人事業主スタート時の初心に還る。そうやって走りつつ、臨機応変に新たなことも進めつつ稼げばよいと。そこに、経済と経営の学びは必要不可欠だと、今、手前がやるべきことを明確にする。

明らかになっていると思えた時、人は健やかな気持ちでいられる。不本意な不安定と極度の暇こそが、人の精神を著しく蝕む。この見解は当っていると俺は思う。プロの先生はどう思うか、今度聞いてみよう。

「そんなことより投資のほうはどうですか? 順調ですか?」と、返ってきたら俺はもう問診を受ける必要がないということであろう。さすがにそうは返してこないだろうが。
_12/07

 

 

 

 


信仰心はあんまないが、近場のゴシックな教会へ行く。起きた瞬間「今日はパワースポットで読書に耽ろう」という案が出たためである。

仕事で知り合った相当年上の方が、謎に本を買い与えてくれる。このあいだ頂いた本を読破し、感想を伝え数日。また頂けたのである。それも、ちょっとした辞書くらいのボリューミーなやつを。

教会の堂内は不思議と心が落ち着く。前世は中世あたりで熱心な感じだったのだろうかと思っていまう程。この教会が、近場のパワースポットその1である。

ステンドグラス越しに美しく、青く照らされる白いページに細々とした活字。うっすら聴こえてくるバロック音楽生演奏のオルガン。薬効レベルで精神が安らぐ。

50ページほど読み進めたところでなんか歌い始めた人が出てきたのでそそくさと教会を後にする。書を持ち、近場のパワースポットその2へ向かう。

そこは、ネットでは「心霊スポット」として有名な場所である。しかし俺は、そう思わない。

旧岩淵水門のふもとの小島みたいな所の水辺ギリギリの位置にそびえ立つ大木。その近くにいると、めちゃめちゃ癒されるのである。下手したら絶対なんか居るかもしれないが、俺にとってはなんかいいやつなのであろうか。

土草にダイレクトに座り、本を読み進める。これがめちゃめちゃ面白い。元僧侶の外国人がなんやかんやと大事なことを綴っている内容である。

川の水面から漂う波動から、閾下で捉えられるなんらかの感覚。慈愛のようにぽかぽかとした日光。「電波、届いていないのでは」というくらいの静けさ。どんどん心が浄化されていく。

100ページほど読んだところで「ここで昼寝しちまおうか」と、ヒッピーのように地面にゴロリといこうとする。しかし、お気に入りの高額(ガチで)な革ジャン(足立くんにもらったやつ)が汚れるのは御免被ると、眠気を遮り聖地を後にする。

人恋しくなってきたので、そういえば今日はかつての同僚の遊びの集いがある日だなと、電車で現地に向かう。会える同僚。たのしく過ごして帰宅し原稿推敲して提出。見事な半休日であった。

自分なりのパワースポットで書と過ごす。これは心の底からおすすめできる過ごし方である。
_12/08

 

 

 

 


やはりあそこはそういう場所だったのか、めちゃめちゃスピリチュアルな夢を見る。会ったことのある故人が3名出演する。

悪夢という感じではなかったが、なかなか鮮明な内容で、起きがけは凄く寂しい気分でしばらく床に臥せっていた。

それでも世間は普通に動くので俺も通常運転で生活する。不思議なのは、あれほど手前を悩ませた交通機関の移動においての理不尽なまでの苦痛が、今日は全然そうでもなかったたことである。

昨日読んだ本の内容で、いたく感銘を受けるくだりがあり、それを聖地で噛み砕けたのがよかったのかと、そう解釈するとストンと腑に落ちる。あの謎苦痛は、手前の病的に偏った思考と認識が起因だったのではないかと気付いたのである。

「こうあるべきである」「こうでなくてはならない」と、思い込んでいる自分がいて、そうでない自分を許さない。これが原因の一つではないかと思った。そして、それを「許す」ことで苦悩から解放され、そこからまた、適度なペースで前進すればいいのではないかと。

わかりずらいが、要するに、他者に対しても自分に対しても「許さない」というのはあまりよい作用がなく、「許す」ということはパワフルであるという、これまでになかった心象である。

たとえば、事の程度もあるが、過去にやらかした(やらかされた)経験があり、その自分(他人)を責め、許さないと、その出来事や体験はネガティブなままであること。

許すと、「やらかしたものは仕方がない。新たな解釈で善処しよう」という段階に進める、ということであろうか。それは、決して「甘えた考え」とは別だと思う。むしろ、許せるかどうかというのは「厳しい決断」とも言えるのではないだろうか。

それが万人共通の正解かどうかはわからないが、俺はそう心底思ったら、心に平穏が訪れた。

どこにヒントがあるかわからない。精神科医もサラッとそう言っていた。本当に、ちょっとしたことで好転することが往々にしてあるのかなと体現した1日。浄化や昇華、変化と、それらは、色んな要素をもってしてなされるものなのだなと。
_12/09

 

 

 

 


ようやくまあまあ軽くなってくれた当ウェブサイトを更新する。ロイヤリティーフリーの楽曲を小出しに公開する。

数週間前、村上氏から「このあいだ、お前のブログでも読んでやろうかと思ってサイト行ったら凄い重かったぞ?」と、ご指摘を頂いた。

その時は対応後だったので「今は大丈夫です! 色々やって、いくぶんかマシになりました。スマホを……anonyment.com……ほら!」と、告げる。よく会う方などもたまにここをご覧になられているあたり、嬉しいような小っ恥ずかしいような。

その日その日、何があって何を思ったかを書くのが日記の定義であろうか。それは、わりとマインドフルネスの呼吸法くらいの効果があると勝手に思っていたが、今読み進めている本にもそれっぽいことが記してあり「ですよね」となる。

とはいえ、文章を書くというのは大なり小なり負荷がかかるとも言えるので、最初の頃は本当に1行とか2行、ひどい時は「お休み」の3文字なんていうこともあったような。

しかし、習慣化されると「面倒」という感情はなくなる。負荷もほぼほぼない。やるのが当然となり、「なんも書くことがない」などということはまず、起きないのである。理由は、1日暮らしていたら何かあるだろう、何かしら思いに耽るだろう、というところであろうか。

仮に、本当に何もなかったとしても、「今日は何もしなかった。何も考えず、いっさい食事もせず、ただただ、屍のように無機質に俺は横たわっていた。呼吸は、極めて浅かった。煙草など、手に取ってもいない。それでも、瞑想の達人レベルまでいかないことには、何かしらの思念が脳内を交差する。特に、性的事象に関して――」など、何もしなくても、人間、24時間あれば言語化できる何らかが生じるのである。人事不省の状態である場合を除き。

そういった思念を言語化し感情を整えると、ネガティビティかと思ったことが「そうでもねえな」と、整理されることもある。

というような結論じみた考えに達するまで10年近くかかる。来年梅雨あたりでこのウェブサイトは運営10年目なのである。当初のサイトデザインの暗さといったら、本当にどうかしていた。

来年はもっとおしゃれで近代的なウェブデザインにしたいが、PHP(このサイトを構築しているプログラミング言語の種類)のバージョンアップにビビっている体たらく。ウェブサイトに関しては本気で技術込みのコンサル求む。
_12/10

 

 

 

 


案件で銀座へ。しっぽりみなさまと楽しく過ごす。手前的には珍しく偏頭痛に見舞われ、これはまさか流行りのウイルスかとも思えど発熱はなし。夜には治ってくる。杞憂という名の取り越し苦労。

帰宅し、そういや秋の終わりあたりから生配信をしていないなと気づき、テーマを考える。W杯が盛り上がったらしいので、その辺をからめようかなとか思いつつ。

年内に仕込みが間に合うのか問題があるが、その仕込み自体、案外、自分の音楽力を高める要素ともなるので楽しいのである。何より、ありがたくも、観てくれる方に、いっときを楽しんで頂けるのか、というのが大前提であるが。

そういったわけで、トトトと時間が走るように流れる師走も旬日が過ぎる。
_12/11

 

 

 

 


そろそろ今年を振り返り始めようと思い返す。

たったさっき、仕事の件で電話をしていて、「今年を漢字一文字で表すと?」という記者のような質問を頂いた。編集部の方だからそりゃそうもなるかとも思うが。仕事ができる方だから、雑談のくだりでもこういうのを差し込んでくるあたり見習いたい。

秒で「変」という文字が出た。おかしくなってしまったわけではなく、様々な面で変化を感じたからである。仕事のやりかた、その種類、物事の考え方、認識の変化、経済的な観念、過去と未来と現在の捉え方、などなど。

次に「初」という文字が出た。これは、シンプルに初体験がとても多かったからである。投資、ゼロスタートの新事業、センターギターボーカルライブ、銀幕デビュー(超チョイ役エキストラ)、国家資格取得(1日で取れるやつ)、喪主、などなどまだまだある上に、ここにすら書かないほうがいいこと(犯罪等ではない)もいくつか。

あと「金」という文字も出た。これは、投資の実施と勉強から始まり、稼ぐ力をもっと養うことを意識し、いかに、世の中の人たちがお金に対することに重きを置いているかにようやく気付いたからである。

「変」と第一に挙げども、はたから見たら別に俺はさほど変わっていないのかもしれない。しかし、自覚する限りはとても「変」であった。改めて、頭がおかしくなったわけではない。むしろ良く言うとメジャーアップデートされた感覚すらある。

そして、どうか「性」という一文字でその年を表せる時が来てはくれんかと、水面下に多分ある、盛りたい欲を確認する。「盛りたい」ではなく、「盛れ」と、言い聞かせるのもいいかもしれない。聞こえはいいが、なんかそれこそ変な気がする。
_12/12

 

 

 

 


案件を頂いたので原稿を書く。寒く気だるい日。途中まで進め、ここは気つけに中華料理をと、チェーン店ではない中国人経営の店に入る。

喫煙可能な飲食店も今時めずらしいなと、やや懐かしい匂いの中、レバニラ定食(900円)を食う。若干、奮発している。そのぶん美味しい。毎日食べられる程よい味付け。客層が謎に香ばしいのが気になるが。

何か変わったことがあったかというとそれくらいの日であった。あとは楽曲アナライズなどして過ごす。色々あった1年だったが今日あたり、特筆して変わりばえのない静かな暮らし。
_12/13

 

 

 

 


冬眠したくなる寒さに震える。秋から冬へと、案外季節の変わり目を感じづらい時期だが、外に出るとはっきり冬の匂いがする。子供の頃、正月あたりの朝に嗅いだあの匂いである。

イベント開催においてのブッキング打ち合わせで西川口へ。今年中後半以降、この類の案件が多くてとても助かった。源泉は多いことにこしたことはないと、うまく話がつき帰宅。SEIYUで150円くらいのかきあげだけ買って宅蕎麦こしらえてすする。めちゃめちゃ美味くてコスパ良し。

あとは適当にYouTube観たり制作をしたりと、夕方以降ありがちな時間の流れ。気がつけばクリスマスも近いではないかと、今年は何をしようかとふと思う。

昨年は確かヨディーさんやよしおさんらが宅にいらしてチキンやシャンパンと、わかりやすいハレの日であった。今年はというと、25日はイベント案件で1日予定がある。24日はなんもない。

これは、近場の教会へ行って本格的なクリスマスを味わうチャンスではないかと前向きに捉える。しかし、行ったら行ったで、お布施的なやつを回収しにまわって来るタイミングでそそくさと退場することが予想されるのでいかがなものか。

いかにして清い夜を迎えるかという課題。とはいえ何故、世間の風潮にならい、24日をそんなに意識せねばいかんのかと、やはり普通に過ごそうというところで手打ち。
_12/14

 

 

 

 


赤羽駅東口前の老舗カッフェで本を読む。読書とは、こんなにも整うものであったかと十分にリラックスする。約100分居て、100ページちょい読み進めた。

俺は、とある一文に感銘を受けた。それは、“我は我が心をもって友とす(私は私の心を友人にする)”という部分である。

なんでも、“このフレーズを繰り返していると、デフォルト・モード・ネットワークと呼ばれる脳内回路の活動が落ち着いてくる”とのこと。

要は、「心を友人」と捉えると変にグルグルまわる雑念が振り払えると、そのようなことが言いたいらしい。

心は、自分でもあるが、友人。完全にベースとなる自分は確固たるもので、心は流動的なもの。振り回されず、うまく付き合えば楽しく過ごせる。と、俺は解釈した。

数分、本を読む手と目が止まり、駅前の風景を眺めた。フリーズしたのである。そうか、そういうことかと。

動揺したり、歓喜したり、絶望したり、乱舞したり、不安になったり幸福を感じたりと、それらは全て、事象を捉える心が起因。その感情や思考や精神状態がどうあろうと、自分自身は変わらずドンと構えている。

だから、友人である心が騒いでいたら、「おやおや、どうしたの」くらいに接し、友人が「いや、やばいんよ」と狼狽していれば、自分は「やばいね。うん確かにやばい。とはいえ、過ぎれば何てことはないんだよ」と話しかけ、友人は「そうか。君がそう言うならここはひとつ、落ち着いとこう…」と、ニュートラルを保つだろう。

いよいよな思考になってきた気もするが、本気で腑に落ちたのである。例えば、どうしようもなくネガティブになっている時があるとする。

そんな時、自分は、「人生における一過性のもの。試練でもあり、クリアするも逃げるもよし。最終的には大丈夫」くらい達観している。

しかし、心は、「こいつは一大事だ。いかん」と、言わんばかりにバクバクしているわけである。血圧は急上昇し、脳内神経伝達物質のバランスはわけのわからないことになる。

それでも、自分の心を「友人」にすると、ある種、自分自身のその時を傍観しつつ、あるべき方向に促せる気がしたのである。

友人は常にざわざわと、時にしっとりと、絶望したり奮起したり飲酒したりと、様々な感情と精神状態の渦中に居る。そいつを放っておくわけにはいかない。

自己申告だと、俺は自己愛が比較的強めである。それは、たぶん、シンプルに友人のことが好きだからなのかもしれないとふと思った。

自分であっても他人であっても、友人が好きという感情は美しいことこの上ないのではないかという考えに至った。わりとメルヘン思考ギリギリのラインかもしれないが。
_12/15

 

 

 

 


瀕死の状態の新業務においての依頼を受け、業務をする。求めてくれるリピート顧客がいらっしゃるのはいいが、絶対数としてどうだろう。事業としていかがなものか。

しかし、数人でも確かな需要があるのなら――などと、ほぼ確で撤退の判断をくだすべくタスクに想いを馳せる。

夕方あたりから原稿を書く。書く仕事に関しては一も二もなくずっとやりたいぜと、ゴリゴリとタイピングをする。気がつけば2時間。いい感じに7割ちょいの進捗率に達する。

よしよしと牛丼屋に行ってホカホカの飯を食い、帰宅してくたびれたなとYouTubeで適当にネコとか観てサボる。

いやいかんとDAWを開き、先日捻り出したネタを発展させようと意気込むも、改めて聴くとあまりときめかねえなと、ゼロに戻す。そうして12月も滔々と過ぎていく。

1年を振り返ろう。そろそろ、今年1月より始めた「投資」についても振り返ろうと思う。1月の時点で、投資に関する成績や状況は12月まで一切記さないと決めていた。理由は、なんとなく金がらみまみれの日記になるかもしれないなという危惧の元。

株式投資、投資信託、暗号資産、為替相場と、「お前大丈夫か?」というほど手を出したのである。前提として、余剰資金でやったのでド派手なことにはなっていない。

俺にとっては、誰もが「お前はやめとけ」と言わんばかりの投資なのかもしれない。しかし、実際に体験しないと、俺はそれが、その世界が、どういったテイストなのかわからないのである。やらずに残る後悔より、やって絶望あるいは歓喜した方が後々深みが増す。という持論の元に。

とはいえ「お前ごときの資産の額でやってもさほど変わらんよ」という程度だが。
_12/16

 

 

 

 


イベントの立会いで西川口へ。無事済み、報酬を得て、ためしに、通常営業時間外にカウンターに立って店を開けておく。売り上げが伸びるか否か。

純喫茶『アルマンド』はだいたい18時半閉店だが、その後の時間がもったいないと、じゃあやってみようと、マスターとの同意もあり、マスター帰宅後だが営業続行し、カウンターでひたすらお客さんを待つ。

すると、信じられないくらい来客がなく、プロモーションの大切さを思い知る。来週の平日あたり、時間が許す限り試し、それでも酷かったら集客努力をしてみましょうかと、従業員の方々と一緒に計画を立てる。

そういった戦略に対し、経営の考え方は当然必要だなと、勉強を進めていてよかったと、なにかと全て繋がっているのだなと、いろんな仕事をしていて深く感じた今年1年。気がつけばあと2週間。年末は何をしていよう。

景気良く日の出暴走と行きたいところだが今は原チャリすら所持していない。おとなしく呑んだくれていることが予想される。
_12/17

 

 

 

 


物は試しにと、瞑想をしてみる。特定の呼吸法を繰り返し、頭の中の雑念を振り払う。だんだんと、振り払う。徐々に洗練されていく感覚を覚えるが、酒を呑んでいたのでそのまま寝に落ちる。気がつくと朝方、ソファに居た。

そりゃそうもなろうもとベッドに行って再度本気寝する。起きると、心なしかいつもよりシャープな精神状態だった。

これは、もしかしたらちゃんとシラフで瞑想をしたら効くやつではないかという期待の念を胸に、日中普通に仕事する。

何か変わったことがあったかというと、瞑想したら寝たというくらい。それくらい究極にリラックスできたからよしとする。

スティーブ・ジョブズさんクラスの偉人とかもやっていたらしいので、また改めてやってみようと思う。悟りを開くまでと、現段階ではまだ贅沢は言わないので、せめて精神をシュッと研ぎ澄ませつつ、やさしい人間でありたい。
_12/18

 

 

 

 


丁寧に原稿を書いて提出する。その流れでもうひとつ、案件を受注する。やはり常に手元にあってほしいのはライター業の仕事。毎日書く必要があるとなると、安心感がある。

制作もする。進んだ気もするが後日また判断しないとわからない段階に。「クソじゃねえか」と、翌日に前夜こしらえたネタを却下する時のあの虚しさはなるべく味わいたくはない。

そういったテイストの、終始宅で過ごす日。やることが多々あることの幸福を、机に噛みつきながら感謝する。
_12/19

 

 

 

 


寝てる間にアイディアが固まるというありがたい謎現象が起きたので、終日制作をする。イメージが明瞭だとこうも違うのか、というくらいトトトと、ほぼ全トラック録音完了まで進む。

不思議なこともあるものだと、最近ネタ出しがことごとく詰まっていたのでよかったなと、楽器を拭きながら安堵する。

そういったわけで当然誰とも会わずに喋らずに、1日があっという間に暮れていく。各部屋に設置している葉っぱとしかコミュニケーションをとっていない。

それはそれで静かでいいかなと、わかりやすくコツコツ過ごす。今年中に、もう一鉢葉っぱを買ってから新年を迎えよう。
_12/20

 

 

 

 


淡々とした日常に適度な潤いと発火剤を。今日は、愉快な仲間たちと遊び耽る。少なくとも俺は、夕方過ぎから現在の深夜序盤に至るまで、常に呑んでいた。そういう日は、遠慮なく、能動的に思い切りそうしたほうがいい。

遊びを小出しにするのがへたっぴの所業であることは周知の事実かもしれない。手前は、そのあたりを福本伸行先生著の書籍から学んだので遠慮はしない。

「なんだその体たらくは」と指摘されても「口を慎め。これが本流の日だ」と、相手の眼の奥を見て言い返せる。そんな日があってもいいではないかと実行込みでそう思う。

何が言いたいかと言うと、仕事はいっさいせずに、脳の無駄なアイドリングを制し、楽しい愉しいと、みんなでわちゃわちゃニコニコするのは、人生において重要な項目であろうということ。

そこに罪悪感を覚えるときは、本流をおろそかにしているか、病んでいるか、だいたいはその2つであろうか。

そのように経験則で述べるが、合っているかどうかはその人の生きるスタンスによるといったところだろうか。

今日は、遊んで楽しんで幸せと、ちゃんと認識できた。と、1行でまとめることもできる年末の良日。
_12/21

 

 

 

 


木曜日に数時間、本を読むことが習慣化された。今日は、「Think Like a Monk(僧侶のように考える)」という分厚い本を読み終えた。お客さんに買い与えられたやつである。それは、たいへんありがたいこと。

僧侶のように考える。それは、タイトルを俺が直訳したもので、邦題はもっと別の意味が加えられていた。

僧侶のように考えるとは、イメージ的には、退屈で、やたらめったらストイックで、フルーツと葉っぱしか食べちゃダメ、的なものを想像していた。しかし読み終えてみると、それをはるかに上回るパワフルなものであった。

せっかく懇意で頂いた本なので、くれた方に今度お会いしたら感想を端的に伝えようと思う。それが漢の流儀というものであろう。

「感想を伝える」という前提で本を読むと、感銘を受けたポイントを口頭でスムーズに述べる準備がそなわる。思考がシャープになるのである。その点だけでも良き気づきかと思われる。当該本で「これはすごい」と肚から感じた点は大きくわけて4つあった。

1つは、瞑想がめちゃめちゃいいらしいということ。どれくらいかというと、瞑想を始める前段階でまず行なう呼吸法が記されおり、それを実施した時点でもう「いい感じだ」という体感があったのである。

それは、4カウント(自分のテンポ感)鼻から息を吸う。そして4カウント止める。最後に、4カウント以上のスピードで、ネガティブな何らかを吐き出すイメージで口からゆっくりと吐く。呼吸を整える。何度か繰り返す。

それだけのことをするだけで、俺は明らかに精神が静まることを体現した。驚くほどナチュラルに、落ち着くのである。これを知ったのは非常にでかい。

2つは、「恐怖」と「不安」の捉え方と向き合い方についてである。どちらもあまりいいものではないと思いきや、感情起因のそれらに流されず、認め、怖くなったり不安を感じたりする自分を責めずに「許す」という解釈である。

現在も過去も未来も、怖がったり不安だったりする時の自分を、「なんと情けないことか」などと責めても意味がないということである。

俺は、過去や現在に、恐怖や不安を感じて不細工なことになった自分を許してやることにした(然るべき対応はとるのが前提)。すると、なんと、無駄に自分を追い込んでいたのかと気がついた。これまた、でかかった。

3つは、「ダルマ」という概念を知ったことである。それは、自分の好きなこと、得意なこと、周りのニーズ、それらがあわさったことを仕事にすると「天職」となりうるということ。

手前のやっている色んな仕事にスライドさせて考えたら、自分がやるべきことと、やらんでいいことがより明瞭になった。めちゃめちゃでかい。

4つは、自分や、自分にまつわるあらゆる意思などは絶対的で、心は、そこに付随するものであり、「心は友人」と捉えるといいということ。俺自身は揺るぎなく、心は狼狽しがち。そんな友達とうまく付き合うと人生たのしいということ。最も抽象的だが、これまたでかい。

他にも細かい感銘ポイントはいくつかあったが、5〜10分で読書感想を口頭で伝えるとしたら前述の4つのポイントが刺さったという旨を話す。

そして、それらから何を得て、どのようにして何を具現化させるか、というところも聞いてくれそうだったら、ワンクッション挟んでから伝える。なにせ相手は40歳以上年上の偉い先生である。

“本は出会うタイミングも大事で、時に名作が凡作にもなりうる”というフレーズは、漫画『働かないふたり』で知った解釈である。まさにその通り。「Think Like a Monk」は、俺にとってベストな時期に出会い、名作として噛み砕けた。

そうだ、僧侶になろう。とは思わない。肉も食いたいし酒に煙草も呑みたい。頭だって剃りたくないしセックスだってそりゃあしたい。わりと煩悩だらけである。

しかし、「僧侶のように考える」ことは、僧侶にならんでも、凄まじい威力を孕む手持ちの武器・防具になる。そういったわけで「Think Like a Monk」は今年読んだ本のベスト1に輝いた。

本を読んで整うのは替えのきかない快感すら伴う。とはいえ、年に10冊も本を読んでない気もするが。読む量もやはり大事だと思うが、何を読み取るかというのは、もっと大事なことなのではないかとも思った。信じられないくらい当たり前のことな気もするが、俺は、心底そう思えたのは今日が初めてかもしれない。すこぶる遅い。
_12/22

 

 

 

 


どうもだる過ぎと思っていたら夕方あたりからやや熱が出ている。あとは原稿を書いて制作、という予定の日だったが、本能的に無理しない方がいいと判断し、横になって無心になる。

起きてもだる過ぎと思い、ああこれは明日、例の感染症の検査をしないとなと面倒臭いタスクを設ける。

要は典型的な風邪の症状でくたばる。めったに風邪をひかないことが自慢だがやはり、たまにひく。

地味にしんどく、頑張ればいけなくもないが、休んでおく方向を適用させるのは歳もあるだろか。いいや、明日全開していればむしろ逆。
_12/23

 

 

 


今日明日あたりは世界的一大イベントである。みんなきっとわくわくしているのだろうと温かい気持ちで床には着けず。熱が高値で38度を更新したのである。

さすがにこれはまずいと、進めなければならない案件もあるが、今日は休養しないとやばいだろうと、とりあえずコロナの抗原検査キットを買ってくる。1,800円は安くねえなとしぶるが仕方がない。土曜につき病院で診察を受けられなかったのである。

ドキドキしながら判定を待つ。15分後、「陰性」と判明。この検査をもって100%そうではないとは言い切れないらしいが、とりあえずことなきを得たと、一緒に買った扁桃炎の薬を飲む。解熱剤は、自力で体内のよかならぬ菌を鏖殺すべくあえて飲まず。

やたらと喉が痛いが、今日になって熱は37度少々を推移する状態まで戻ったので、何もせんのもどうかなと、着手中の楽曲のマスタリングをして完成させる。

俺は風邪をひいた時、風呂場で1/3ほど湯を貯め、そこに浸かりながらゆっくりと、壁に固定させて長しっぱにするシャワーを首から頭にかけて当て、長時間浴び続けると物凄く落ち着く。

逆に言うと、風邪をひいていない時は、この謎のイニシエーションを行なっても全然気持ちよくないのである。

今日は、それをしてゆっくりと回復をはかる。聖なる夜に、バスルームで個人的な儀式をもってして整える。昔から思っていたが、心身ともに、なぜかクリスマス近辺は調子を崩しがちなのである。

なにか、大いなる力がはたらいているのかもしれないが、正直、わかりやすくトリとかシャンパンできゃっきゃとしたかった心情は少々、否めない。
_12/24

 

 

 

 


2日間、ほぼ酒を呑んでいないこともあり快眠。しかし検温すると38.4度と、ここ数日の最高値を更新してけつかる。

会社員時代だったらボーナス確定といわんばかりに欠勤の連絡を入れる。そして、給料はキッチリ頂く。しかし、今の生業的にはそうはいかない。

俺は、クスリの力を借りて仕事に行こうと、案件で銀座へ。ポケットには第三類医薬品の気休めみたいな「扁桃炎薬」と、1年前に変にフトモモ外側が痛くなった時に外科医から処方された「ロキソプロフェン」を忍ばせて。というか出発直後に服用し。

到着すると薬物中毒者の禁断症状の如く、寒いのに変な汗が首から滴るという危機感を伴う不快な具合に。そして、だんだんと和らいでいく。しばらくして、持参した体温計で検温すると、36.3度に戻っている。

急に体温が2度も下がったらそりゃあおかしくもなるだろうと、「ロキソプロフェン」の解熱作用、消炎鎮痛作用の破壊力を思い知る。そして、いっとき具合がまともになったのでみなさんと楽しく過ごす。

とはいえ、効果持続時間は6時間。服用から律儀に6時間後、喉が痛くなってくる。だがぬかりはない。2回分のクスリを持ってきたので追加して飲んで凌ぎ、無事今日の案件完了。

そこから帰宅して今に至るまで、2回目の服用からさらに6時間を超えている。また熱が38.4度とかだったらやるせないなと思いつつ検温。37.0度であった。これなら、欲を言えばもう一晩で快方に向かうのではという光明につつまれ、安静をつとめることに。

快眠の作用もありそうなバスルーム・イニシエーションを行ない、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、聖なる夜にワインを呑んで寝ることを許してほしい。

許しを乞うている相手が誰なのか。それはいつだって自分自身だったりするのであろう。これは許さんほうがいい気もするが。健康第一。
_12/25

 

 

 

 


神も手前も、許してはくれなかった。鎮痛解熱剤とアルコールの相性は最悪なのであろうか、昨晩ワインを2口くらい呑んだらめちゃめちゃ具合が悪くなる。許す許すまじ以前の問題であった。

普通に考えればそりゃそうだろうとも思ったが、試さないと身をもってわからないのはいよいよなのかとも思う。下手をすればそのまま死ぬまであるかもしれないから以後禁忌とする。事後に、「鎮痛解熱剤とアルコールの相性」についてネット検索したところ「危険」のフレーズが飛び交っていた。

起床し、ようやく平日で病院に行けるぜと安心していたら、「発熱がある場合は発熱外来に行ってからです」という一点張りの対応にみまわれ、一人で病院を転々としてようやく予約なしで受け付けてくれる発熱外来へ。

おのれコロナ、とも思うが、一律その対応だと、コロナではない発熱患者は辛抱たまらんのではとも思う。何が適切かわからない。前提として、医療関係者の方々のご苦労は、計り知れない。

こないだ薬局で買った抗原検査キットのくだりはなんだったのかと考えつつ、病院でまた抗原検査を受ける。陰性である。畳み掛けるようにPCR検査(だったと思う)もする。これは結果まで少々待つ。

その流れで、主訴である「扁桃腺の痛み」と「発熱」を医師に伝え、その場で薬を処方してもらう。病院の解熱剤と抗炎症剤と抗生物質。これらが欲しかった。よしやったぜと薬局に行く。

すると、「発熱のある患者の方は外でお待ちください」と、野に隔離された。俺はブルブル震えながら外で数分待った。

コロナで仕方ない、という一言で片付けることもできるが、俺は「さっき陰性判定だったのに何かおかしくないかな。ブルブル。まじで寒い。また熱が上がる。おかしいのは俺なのかな」と、首を傾げていた。

なんにせよ、土日では入手不可だった目当てのクスリを手にした。その足でウィダーインゼリーを買い、ゲーセンの一番奥の薄暗いエリアに向かい、筐体に着席した。「よし、ここなら寒く無い」とつぶやき、ガサガサとクスリを一回分ずつ、パキパキとゆっくり取り出して掌に溜めた。そして効果に胸を躍らせつつ、おもむろにゼリーと一緒に次々と流し込んだ。

予想以上に時間を使ってしまったので、今日のひとつのタスクを諦めることにした。『アルマンド』で昨日行なわれたブッキング済のイベントの当日の様子と、催し自体から得られた売り上げの塩梅を確かめに行くことである。

電話でその旨を従業員の方に伝えた。扁桃炎と高熱と受診を理由として今日は赴けませんすみませんと。すると、「そういう時は安静にしていてください!」と、半ば叱られるように諭された。当然といえば当然である。むしろ、優しいなと思った。

とはいえ、服薬したら平熱付近まで戻ったので原稿を書く。締め切りが明日で現状、真っ白。というのはいただけないと。

俺はライター案件において、締め切りを過ぎたことはここ8年間一度たりとも無い(記憶の中では)という矜持がある。俺はそういう人間なんだという思い込みのもと進めると、いつも通りくらいのペースで7、8割書ける。あとは明日、整えて提出できる進行が見えた。

そういった流れでここ数日、病人日記のようになっているがそういう時は仕方がないなとパーカーの帽子をふさっと被る。

まともに酒を摂取せずに早4日。意外と、呑んでいる時もそうでない時もあんま変わらねえなとも思うが、今日あたりはポカリを飲んでせんべいでもかじって寝よう。せんべいくらい許す。しょう油が中まで染み込んでるタイプのやつがおいしい。
_12/26

 

 

 

 


撤退を本気で考えている業務の依頼の電話が鳴る。帰り際、お客さんに「来年もよろしく」と言われ、ううむどうするかと考える。ありがたくもリピーターが数名いらっしゃるのである。

ちょうど編集部からも連絡があったので、いやあ、今出先で、これこれこうなんすよと、伝えた。すると「お客さんいるなら別に急にやめないでもよくね?」的なことを言われる。

確かにとも思う。俺は新たな事業のつもりで始めたが、はっきり言って規模が小さい。すなわち、営業しなくても依頼が来る場合は、都度対応すればいいのではと、やればやるほど赤字というわけでないならしばらく様子見でいいのではと、そのように諭された。

確かに、この業務で今年動いた金は、事業と呼ぶにはいかがなものだろうというほどである。じゃあそうするかと、もうしばらく様子を見ることにする。営業をしなければ日中のリソースはほぼほぼもっていかれないこともあり、そうすることにする。

原稿を書いて提出する。熱や喉などいろいろあったが病院に行けばこんなすぐ良くなるかというほど回復する。

では酒を、とも思ったが、数日呑まないと別にさほど呑みたくなくなる酒呑みあるある。自発のメラトニンに包まれ健やかに眠ろう。反動で年末年始呑みまくりとなりそうだが如何に。
_12/27

 

 

 


とても健康的な脳内神経伝達物質のバランスを自覚しつつ起床。

魚や肉など、主役不在の鍋物のようなやつを作り、各種野菜や豆腐やキノコや生姜を味噌ベースで摂取する。手前なりに体をいたわっているつもりなのである。これがめちゃめちゃ沁みる。

先日、体調不良で赴けなかった西川口へ。クリスマスイベントの結果等を、従業員の方々の心象や数字から把握する。どうやら成功をおさめたもようでほっこり。ギャラも頂きほっこり。そのまま、今日はドラマ撮影の日だったので立ち会う。ロケ弁を頂く僥倖に賜ったのでバクバク食う。

帰り際にみなさんに年の瀬のご挨拶をして赤羽へ。机でササと経理などをして今年の手前の稼ぎを客観的に見る。「稼ぐ」と意識したあたりから、悲惨な数字はまあまあ回避しているが、もっとまだまだいけるだろうと、来年の展望を具体的に見据える。

一休みしながらエイフェックス・ツインの『Analord』(2005年に主にAFXという別名でリリースされた11枚の12インチレコードのシリーズ)を聴いていたら止まらなくなる。サブスクでは聴けず、CDでも聴けず、アナログ盤がなければ今やYouTubeでしか聴けないのが非常に残念である。内容があまりにも気持ちいい音楽すぎるが故に。

そういったわけで、3時間くらいノンストップで、なんなら今も、エイフェックス・ツインの調べを感じながら年が暮れていく。

「今年一番嬉しかったことはなんだったろう」「今年一番つらかったことはなんだったろう」などの項目とその理由を、バスルームでイニシエーションしながら考えてまとめてふやかして寝よう。
_12/28

 

 

 


また発熱が再発し、だいたいくたばって過ごす。昨夜、だいぶよくなってきたからと久々に酒を呑んだところ、信じられないくらい美味しかった。やはり酒はほどほどが一番とか思いつつ適当に軽いところで止めて寝たら風邪の治りに差し支える。

直接的な原因かどうかは厳密にはわからないが、詰めが甘かったかなどと省みつつとにかく安静にしている。

年の瀬に激しく賑やかに過ごしたかったのだが、完全復活するまでは最低限のことはやり、あとは静かにしていよう。実に地味な年越しとなりそうな空気感。
_12/29

 

 

 

 


冬眠に入るのかというくらい寝て、めちゃめちゃギリギリの時間に起きる。案件で新横浜へ。

片道1時間ちょいなのだが、あれほど謎に苦痛だった移動が全然そうでもなくなっている。それはそれでいいのだがまだ体が本調子ではないので現地でホカホカの肉まんを買い食いして英気をやしなう。

道端でガツガツ食っていたら現地のとっつぁんが話しかけてくる。

「これ、何だい? 人がすごいねえ」

「今日はあそこ、あっちのアリーナで桑田佳祐さんのライブなのです」

「ああ、桑田さんかあ」

「ええ。だから混んでるのいるのでしょうね」

「だからかあ」

「ええ。みんな大好き桑田さん」

「そうかあ」

と、大御所音楽家の動員数の破壊力を再認識してはリスペクトする。そして、気持ちは元気なのでしっかり取材をする。帰りは混むのを回避するために牛丼食ってワンクッション置くも、まだ混んでいる。

人を集められるって凄いことだよなと改めて思う。帰宅して原稿を書き、いい感じにヘロヘロになって〆作業へ。

気がつけば明日は今年ファイナル。改めて、今年がどういった年だったかは、今月小出しにいくつか記したので、あとは以下の2点だろうか。

今年、一番嬉しかったことは、「これ」という1つに絞るというよりかは、「初めて体験することがたいへん多く、広い学びになった」という点。

今年、一番つらかったことは、関わる人の死に遭遇したこと。詳細は記せないが、1人ではなかった。

そういったわけで、2022年はわりとカラフルであった。色恋沙汰関係のトピックがほぼほぼなかったのはむしろモノクロなのかもしれんが。人生においての色、とは。
_12/30

 

 

 

 


2022年ラストの案件。紅白歌合戦本番を観て記事を書きまくるお仕事である。

無事に終えて気がつけば新年を迎える。「おめでとう。あ、お前、喪中だったかごめん」と言われるが、「喪中だと祝ってはならん的な形骸化された風習が俺は嫌い なのです。だから、おめでとうございます」と、返す。

形骸化されているかどうかは知らんが、とにかく意味がわからないのでそういった風習は無視する。

風習、定例的には、年末年始はほどほど酒びたりである。これは俺ならずとも、まあまあの方がそのスタイルをとりがちだろうか。

ここ1週間ロクに呑んでいないからさぞかし酒が美味かろう。しかし、呑まなくても別に、という感覚を体現したここ最近ということもあり、そのへんは気分でいいかなとも思う。

ふんわりとした来年の展望を描こうと思う。当然、一も二もなくまずは健やかに、無理せず精力的に、明確な結果を出すべく張り切っていきたいと思う。とにかく本当に健康第一。あとちゃんと感謝の気持ち。
_12/31

 

 

 


 

 

> 11/2022

> BLOG Top