ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
恐ろしい出来事ばかりだがたぶん無傷。2月。
今日は宅作業でやること多いなと思いつつも捗る。
気がつけば12時間は経っている。何とも刺激のない1日だったが、やることやった達成感はある。だが分かち合う誰かがいない。
それを欲しているのか否か、わからない。その誰かがいた場合は確実に「よし、呑みに行ってしまおう」となる。これはけっこう楽しい。
仕事場で一人だが、ここに数人がいて一緒に各々の仕事していたとしよう。集中力が切れた時は雑談でもし、たまに屁をこいては笑いを堪え合う。そんな環境楽しいじゃないかと思う。
それが会社である。そうか、俺はそれをやや欲していながらも辞めたのかと、それで合っていたのか自問自答する。今のところ、多分合っている。
02/01
失神しそうな感じの女の子が倒れていた。近所でめしを食べた帰り道でのこと。
7人に囲まれていたが、全員が連れではないという。その内の一人が既に救急車を呼んだという。
救急車到着までのこういう時、どうすることがベストか。とりあえず集まっている人達はわからないもよう。俺もわからん。
1人が立ち上がらせて直近のお店の椅子に移動させようとしていたが、脳に損傷や異常があった場合のことを考慮し、それは止めた。その場に寝かせたまま、気道を確保するために首の角度を整えた。たぶんここまでは間違っていない。
しかし女の子は「大丈夫」と言いつつ立ち上がろうとするも白目を剥きそうになっている。寝かす。素手で脈を測る。BPM70程度。声が届いていることを確認し、持病や常服薬の有無を聞く。ないとのこと。やれることは尽きた。
たぶんだが、過呼吸っぽい感じもしたしパニック発作かなにかの気もするが、素人目にはわからない。そうだとすれば、特になにもせずとも数十分で収まる。
病院が近いこともあってか、救急車は10分くらいで到着。先述のことを伝え、あとはプロにお任せする。
「脈拍は正常、顔色はやや青白く、頭皮から出ているのもわかる程の発汗、痙攣手前くらいの軽い震え、意識混濁気味、外部情報認識可、持病および常服薬なし」という人間が失神寸前。
この場合どうすればベストだったか。それがわからなかったのが少し悔しいので、こういった緊急時のノウハウが学べる手段はないものかと考えながら帰る。
情報あふれんばかりの現代、かんじんな所が抜けているのか、俺が勉強不足なのか。けっこう難しい。「倒れている人がいたら、救急車が来るまでになにをどうするべきか」。
その場にいた俺を含めて8人がわからなかった様子なので、恐らく、素人がやっても問題はない緊急医療的知識は広く行き届いていないのかもしれない。あるいは、下手にいじらないほうがいいのかもしれない。とにかく、大事に至らないことを祈る。
_02/02
今年一番、やる気が漲り何事もはかどる良日。理由は明確で、夕方過ぎの案件まで、友人とその知り合いの方々と数時間一緒に遊んでいたからである。たったそれだけの理由。
純粋に“遊ぶ”ということは全ての生産性を上げる尊い行為。気分も非常に清々しい1日。どれだけ清々しいかというと、もう酒も呑まずに寝ようかというくらいである。呑むが。
_02/03
父親から「ありがとう」というメッセージを受ける夢を見た。
今日は起きてからずっと頭が痛かった。具合も悪かった。
酒の呑み過ぎではない。頭痛は俺にとってめずらしい。
案件で出向き、近場の店で原稿を書いていると父親が入所しているグループホームから入電。職員さんからの言葉から、なかなかの緊張感が伝わってくる。
「緊急搬送」「いま救急車が」「ご家族の方の判断を」「すぐに病院に来てください」。
きちんと文章にしない方がきっとよくわかる感じのフレーズが、職員さんの焦り溢れる口調で耳に飛び込んでくる。
しかし、目の前の仕事のこともあり俺は「すぐではなければ駄目、という状況でしょうか?」と聞いた。即答でYesが返ってくる。
俺は直感で感じた。「これは、今日親父が死ぬやつだな」と。夢で見たのは親父からの最期の言葉だったんだなと。シンプルだったなと。もうちょいあるだろうと。
仕事もあるので俺はまず店を出て、担当様に電話した。すると「原稿なんてどうでもいいから早く行ってやれ」と言ってくれた。
俺は半蔵門線経由で足立区西新井へ行き、改札口でSuicaをタッチすると「444円」と表示された。デス・ナンバーが揃った。「色んなパターンで死を暗示させる神々遊びか何かか。それとも俺のスピリチュアル・パワーか」と、夢や頭痛や444円など、変な偶然に首をかしげながらも認識する。
駅を出て1秒でつかまえられたタクシーで足立区の病院へ向かった。
「運転手さん、よくドラマとかであるじゃないですか? 家族がヤバそうな電話がかかってきてすぐ病院に来いってやつ」
「……わかりました!」
「急かすみたいですみません」
「ここからだと15分で着きます!」
しかし、レアなケースで運転手さんは興奮したのか、環状七号線の3車線を縫うように駆け抜けているうちに、車線変更時にちょっとぶつかりそうになる。
「運転手さん、すみません。さっきのなしで。ここで自分らが事故ったらアホ過ぎますよね」
俺を気遣ってくれているのか、運転手さんは通常運転に戻りながら、明るい口調で色々トークをしてくれた。タクシー業界の色んな裏話に花を咲かせた。なかなか知れない情報も得た。そうか、xxxタクシーは1日のノルマは41,000円なのか。タクシードライバーさんも大変だ。
病院へ到着。
「ご家族の方ですか? こちらです」
「遅くなりましてすみません」
「いえ……」
「で、死にました?」
「……こちらへどうぞ」
なぜ、すぐに返答をしないのか。
こういう時、他の人はどうか知らないが、俺は賢者並みに冷静になる。今日死んで、通夜をやって葬式の手配。仕事のスケジュールのキャンセルは何日ぶんで、そのぶんギャラが入ってこないからどこで埋め合わせるべきか…と、左脳を働かせる。基本的に手前のことしか考えていないが。
妙に清潔な部屋に入ると、医師が笑顔と悲壮の中間の表情で丸椅子に座っている。本人はいない。
「こちらをご覧ください」
脳のMRI検査画像である。
「先生、そのくだりを挟むということは、死んでないですよね?」
「はい」
「お姉さん、さっき死んだか確認したのに何でタメたんですか?」
「そうだったんですか? 早口過ぎて聞き取れなかったんですけど…」
全然冷静ではない。生死確認が伝達できていないほど俺はテンパッていたようである。
「先生、一言で言うと何でしょう?」
「脳梗塞ですね」
隣のブースに父親がいた。意識もある。当日入院の手続きが始まった。これで3回目の脳梗塞入院である。4週間コースとのこと。
ここまでの約1時間、「どれだけ俺を苦しめてきたのかという父親だが、死ぬとなるとやはり寂しいし悲しい」という、きっと正常な気持ちが確かにあった。
そして「これで俺は自由だ。実にスッキリした」という、確実に非人道的な気持ちが確かにあった。
俺はその両方の気持ち、どちらがどう、どうあるべきか、という判断はしない。その両方と正面から向き合うことが人間であることの大切さだと思った。合っているのかは知らん。
そういったわけで彼は軽度の言語障害と軽く右半身不自由という状態で入院となった。
帰り際、MRIの検査後につき入れ歯が外されている故、何を言っているのかわからない父親に伝えた。「入院です!」と。俺は笑って「また入院だよ」と、3度ほど、おちょくる口調で伝えた。彼も同じく笑っていた。「また来るから」と俺が右手を上げて挨拶したら、父親は笑顔でスッと左手を上げた。
脳梗塞は早期発見の場合、リハビリをすればさほど後遺症を抱えずに回復する。これは、以前彼が入院した時に知った事実だ。職員さんに話を聞く限り、今回の対応はなかなか早かったと判断できる。
とりあえず、リハビリ環境が超整っている病院に入院したのが不幸中の幸い。いいや、幸も不幸も、もはや俺には何がなんだかわからん。
脳梗塞が治るついでに何故か認知症も治り、精神も健やかに戻り、1DKくらいのアパートでの一人暮らしが可能となり、彼はネコと一緒に静かに暮らし、俺と月一くらいで一緒に軽く呑みに行くまで復活した。
もし、そんな状況になったら、俺は家族という概念の捉え方が180度変わるだろう。
そして、1日2杯の酒という貴重な幸福を共有するだろう。
俺の方から父親に「ありがとう」と言うだろう。
_02/04
人の死生観などわりとどうでもよくなる程よい天気。はりきって仕事をしてサクサクと過ごす。
明日から2月らしい天候に戻るとのことなので暖かくしてぐっすり寝よう。今日はよかならぬ予知夢のようなものが出てこなくなるくらい気絶するように寝よう。
_02/05
無駄に早起きして病院へ行く。足立区鹿浜という駅もないヘキ地へ行く。3度脳梗塞に見舞われるも死なない父親の面会に行く。それにしてもタフな男である。
足立区鹿浜は俺が育った土地でもあるので、帰りは住んでいたあたりを散歩して懐かしむ。しかし案外「懐かしい」という一言以外出てこないくらいドライな心境で、正直つまらなかった。
しかし寂しいと思ったのは、昔はあった古い建造物がけっこうなくなっていたこと。団地も再開発チックにフレッシュな集合団地と化していた。つまらない。
あんなにいた野良猫も一匹たりとも見かけなかった。駆逐されたもようで絶滅。野良猫絶滅。実につまらない。俺の故郷の景色と、かつての日常ほっこり愛が削がれた心境で残念極まりなかった。昔あたりまえに過ごした景色がなくなっているというのは寂しかった。
町の景色も猫も家族もいつかは必ずなくなるんだなと実感した。俺もいつか必ずなくなるんだなとリアルに思った。だからみんな、家族だ子供だ結婚だと躍起になるのか。今日あたりは特に、どうもそんな気がおきない。
_02/06
腹をすかせたギャルの霊がごくたまに取り憑くことがある。
俺の頭がイカれたわけではなく、低血糖に見舞われたわけではなく、本当にそうだと解釈すると腑に落ちるのである。
具体的には、まずシンプルに急に食欲がわいてくる。「これは俺の食欲ではない」という、なんとも伝えづらい感覚。そして、実際に食う。我慢ができなくなる。
俺は食うことに関してはかなり我慢できる方というか、食事自体をたまに忘れるくらいである。しかし、ギャルの霊が取り憑くと、とにかくすぐに食いたくて辛抱たまらなくなる。
案件で夜、六本木一丁目駅で降りた。あと25分で時間だというのにコンビニで買い食いをした。普段絶対ないチョイスのスイーツ的なパンと肉まんを凄い勢いで食った。
そして案件後、赤羽駅に帰るがまだ食いたい。この寒いなか走って家に帰るレベルである。この行動も俺自身は絶対にしない。
そして家でうどんを茹でて、その最中も耐えきれずにお客さん用のおやつ「ザッキー」というビックリマンチョコ的なチョコレート菓子をザクザク食う。当然うどんも即たいらげ、その後にチロルチョコ的なのを2つほおばる始末である。俺は自宅で甘い菓子は滅多に食わない。普段ならうどん一杯で十分。
コンビニパンと肉まん、ザッキー3つとうどん一杯とチロルチョコ2つ。全部で何カロリーあるかわからんが、これを数時間の間にたいらげる。俺にとっては明らかに異常行為。よって、ギャルの霊が取り憑いて食わせたという結論に落ち着く。
前もあった。ファミレスでパスタやパフェなど、普段セレクトしないメニューをバカみたいにオーダーし、全部食うというもの。当時の同伴者は引いていた。取り憑かれたように食っていたと。
とりあえず、前述のメニューを全部食べたら頭から煙が抜けるような感覚になりスッキリしたのでギャル霊はご満悦で去ったと判断した。腹ペコギャル、よかったね。
_02/07
家賃の更新の請求書がきた。見たくない。
なぜ、2年に一回、家賃を1月分も2ヶ月分も多く払うという習わしがまかり通っているのだろうこの国は。他国へ引っ越してやろうか。
しかし、現在の住まいは気に入っているし、北区赤羽という地には愛着もあるから更新。保険料も満期だと。更新。10万円は飛ぶではないか。
この10万円があれば色んなものが買えたし食えたし呑めたし遊べたし。「留まる」という行為になぜ10万円。
この憤りをバネに、ルール自体を変えるため政治家を目指す。という意欲はない。黙って10万円を払う。そして枕を濡らす。
_02/08
「辛ラーメン」という韓流な袋ラーメンを死ぬほど辛くして食う。
新陳代謝やデトックスがしたかったのだが、真っ先に思いついたのがこの方法だった。もっと他にもあると思う。
鶏肉とタマネギと死ぬほどコショウを入れて煮込んで食いあげたところ、汗がとまらない。なぜか顔と頭からだけ発汗する。デトックスはたぶん成功した。
あとは地道に仕事をして過ごす。この辛さを誰かと共有したかったが、SNSなどではまだ辛さの共有機能まではない。未来が待ち遠しい。
_02/09
富士そばの紅生姜天そばを死ぬほど辛くして食う。
半分は普通に食べて、後半はバラエティ番組かYouTuberくらい七味をバサバサかけてアツアツに。
ただでさえ生姜のパワーで辛みはある上に七味でフルブースト。今日も無事デトックスを成しおおした。心なしか首回りのリンパのあたりがすっきりして若返ったような気がする。
しかし、今日は出先で10代の若い女性に「秋川雅史に似ていますね」と言われ、これはどうとれば良いのかと困惑しつつもリアクションをとりそこねた。秋川さんはカッコいいが50代である。せんのか〜ぜ〜に〜。
_02/10
起きがけに「辛らーめん」を食う。辛いものが後をひく。
辛いものを食うと、辛さに反応する脳の部位が「痛み」と勘違いしてエンドルフィンという脳内快楽物質がちょっと出るというのを聞いたことがある。それはクセにもなる。
今日は横浜へ行く。小旅行気分だが、日中どうも眠いので行き帰りの電車内ずっと寝る。最近あまり休んでいないところに辛いものばかり食って負担をかけていることから体からの抗議だろう。寝てスッキリして帰って仕事して過ごす。
ふつうに旅行に行きたい。韓国かインドに行って辛い食事三昧でエンジョイしたい。明日のめしは香味カレーにしよう。
_02/11
もう辛い食べ物はたくさんなので白菜スープにオリーブオイルを垂らして食う。おなかに優しい。
京浜東北線で東京は浜松町、案件に向かう。体調は完全にクリアになり、電車で寝るという発想すらない。移りゆく風景を眺めながらビリー・アイリッシュのアルバムを通して聴く。東京の景色と合わんでもない。素敵な盤。
健やかな気分で仕事をして帰路、やっぱまだ眠いので電車で寝る。電車でうたた寝すると周りの乗客の意識が頭に流れてきて面白い。
今日は早めにお疲れ様ということにしてマンガでも買ってきてリラックスしようと思ったが、元気なので仕事に励む。マンガは明日にしよう。借りパクして数年は経つ『ハンニバル』のDVDをそろそろ明日あたり観よう。シリアルキラー目線で楽しもう。
_02/12
ケバブ屋の主人が暇そうにしていたのでしばらく観察していたら、あろうことか商品のケバブを削って食いだした。
これはいかん、共食いのようなものだと思い、ケバブを買ってやろうかと思ったが、ケバブ特有のあの匂いが苦手だ。
前住居で、ケバブ発祥の地から来たであろう隣人が換気扇からモクモクとケバブの匂いを撒き散らしていた。それがトラウマとなって俺はケバブが食えん。
仕方ないから買わずに指をくわえて見ていたら主人はどんどんケバブを食う。そのペースだとケバブが無くなってしまう。いくら暇でも売り物を食い続けるのはどうだろう。
近づいて「味見じゃないですよね?」とか話しかけたら、高確率で一切れケバブをくれて買わせようとするだろう。話しかけられない。
しかしだんだんどうでもよくなってきたのでラーメン屋でタマゴラーメン食って帰る。ケバブは食えん。
_02/13
宅で仕事、という予定の日だったが昼過ぎには西川口純喫茶・アルマンドへサボりに行く。いや、叔父であるマスターの様子を定期的に見に行くという家族愛所以の温かい行動だ。
叔父はすこぶる元気だった。まずはとりあえず手前の父親がまたしても入院となった旨を報告しておく。
叔父は派手に驚くこともなく、「私は何をしたらいい?」という、こっちが気を遣うような反応もせず、ただ、「そうかい…(君も大変だね)」と、程よい距離感の同情心を寄せてくれた。
本当に、その温度のリアクションが俺にとってベストだと知っているかのようである。俺的にも、「一応報告できる親族には言っておこう」くらいのノリだったので実に話が早い。隔世遺伝というか、精神性みたいなのは一親等よりも叔父が一番近く感じる。
たまに夕方以降は音楽サロンとなるというこの店、今日はそういった日だったらしい。常連の方々とご挨拶をし、初見の若いシンガーソングライターの兄ちゃんと珈琲を飲みながらトークに花を咲かせる。
彼が俺をどう思っていたかは知らんが、なかなかウマが合う。彼は23歳だという。俺は39歳と伝えると、「全然若く見えます」「カッコいいです」「尾崎豊に似てます」と、誰ぞに金でも貰ったのかというくらい俺を褒めてくれる。
数々の言葉のプレゼントを若者から頂いた俺はたいへん気分が良くなった。彼とセッションをする。澄んだ人間性を表すような、良い歌声を聴かせてくれた。
お客さんに「歌って」と朗らかに煽られたので、俺はピアノを弾いてエレファントカシマシの歌を熱唱する。歌い終わったらご褒美の「どら焼き盛り」が出てきたので若者と一緒にワシワシ食う。
そして、コードが記された歌本を参照しながら、みなさんの歌の伴奏もする。何というか、死んだ後にたどり着けるユートピアのような空間にいるようであった。
マスターの甥っ子、ということもあり色んなお客さんが俺とお話をしてくれる。毎日来るという常連の方とも色々とお話ができた。とても語彙力に長け、知性的な魅力のある方だった。ほっこりしている場合ではない。4時間が経っている。俺は今日タスク1つしかしていない。帰宅。
仕事場の机に向かうと、4、5時間はかかるであろう仕事が2時間でこなせた。4時間あの場所でみなさまと過ごすことで、何かが補充されたのであろう。純喫茶アルマンドという昭和美溢れるパワースポット。
_02/14
さっぱり9時間寝て快適快適と思い、起きがけに西友に買い物に行って帰宅。俺の住んでいる物件の前で不審な輩が通行人らしきマダムに絡んでいる。
買ってきたアンドーナツを早く食いたいから見なかったことにしようと思ったが、マダムは俺に助けを求める。俺は明らかに伝わる音量の舌打ちを放ち、不審な男に近づく。
おそらく同年齢くらい。長髪で黒縁のメガネに日雇い労働者風の着こなし。悟りに達しない哲学者風の物腰。例えるなら、漫読家・東方力丸さんという、漫画を声に出して読んでくれるパフォーマーに相当似ている長身の男。
彼の要望を一言で表すなら「懇願」。事情を要約すると、生活保護が打ち切りになり金が無く、路上で寝泊まり。仕事もなく故郷の東北に帰ろうか悩んでいる、とか抜かす。
そして、「1,000円、500円でも貸してくれませんか」と、何とも情けない声のトーンで訴えてくる。
俺は心の底から湧く正直な情念と共に「嫌だよぉ…」と伝える。
「そうですか」と男は言う。
「だって俺が今そのくらいの金額貸しても根本的にはなんにもならんじゃん」と、伝えると「そうですか…」とすぐに諦める。
身なりのリアリティから、寸借詐欺ではなさそうである。周りに人もいないし、隠しカメラ的なものは見当たらなかったのでYouTuberの企画でもなさそうである。要は本気で困っているようだ。
「そこにハローワーク的なのがあるけど」
「いや、体をこわしてまして、鎖骨が…」
「何か得意なことはある?」
「いえ…」
「社会福祉センターみたいなとこ行くと多分なんかしらの手当狙えると思うけど」
「生活保護は打ち切られまして…500円でも貸して頂けませんか」
「嫌だよぉ…」
男はとぼとぼと歩いて行った。俺はアンドーナツが食べたいから階段を上がり、宅に向かう。しかし、その後ろ姿たるやなんと情けないことか。全身から悲壮感がにじみ出ている。
今日、明日の金をどうしようという人間は、その精神状態から思考停止する。「根本的にどうするか」なんて発想に至らない。まず、その日のめしと寝床だろうか。絶望的に金がない時の心理状態は俺はよく知っている。
「明日、あの男が死ぬとする。そうしたら、今日の現金は活きる」
そう考えた。男を追いかけ、1,000円札を渡した。
「ああありがとうございます!」
「今日はこれで凌いで、福祉施設行きなよ。何とかなるから」
「お礼にこの! 割引券! 差し上げます(かつやの割引券)」
「いらない。とにかく役所に頼れば立て直せると思うから行きなよ」
去年くらいにもこの辺をウロウロしていた外国人家族らに現金をせがまれたことがあった。渡したが、もちろん返ってきてはいない。この男もまず、金を返さないだろう。この手口で毎日を凌いでいるのかもしれない。丸一日やれば、一人くらいは俺みたいな奴と当たる確率は低くない。だから最初から「500円、1,000円」と設定しているのだろう。
何というか、あの男はどこか自分と似た物腰というか雰囲気があった。俺があの男と同じ境遇に立たされたら、同じ行為をしているかもしれない。
要らぬ節介かもしれないが、今日それで凌いで、どうか根本的な思考に辿り着いて欲しい。明日あの男が死んでも正直どうでもいいが、今日1日その1,000円でハッピーになれるならいいやと思った。何より、男はまだ死んだ目をしておらず、むしろ実は人一倍のポテンシャルを持っていると判断できる顔つきだった。
困っている人を助けたという心境には全然ならなかった。ただ、どこか同類なのではないかという人間に、一瞬の快感で元気になって欲しいという憐れみの行為。社会の地獄を彷徨っている同年代くらいの男に復活して欲しいという想い。
本当に彼のことを思うなら、貸した1,000円と共に実家の住所などを聴取したうえで、一緒に再スタートのアイディアを考えて実行に移すところまで同行することだ。しかしそこまでは面倒みたくない。
本当に1,000円損したと思ったが、男が俺の話を真に受けて役所なり施設なりに足を運んでくれたら、その1,000円に価値が生じる。どうせめしと酒で溶けるのであろうが。やはりどこか手前と似ている。
_02/15
手前で作って譜まで書いた曲が鍵盤で弾けない。じゃあMIDIで打ち込めばいい。そういう時代だとは思うのだが、この手の曲は演奏感がないとしょぼい。だからせっせと練習してたら数時間経つ。
限りなく生演奏に近いニュアンスで打ち込みをするか、練習して生演奏録音するか、どっちが時間効率が良いかは恐らく前者。しかし、楽器演奏の鍛錬にもなるので繰り返し練習する。
楽器練習は、きっと筋トレとか運動する時に分泌される良き脳内神経伝達物質が巡る。つらいが気持ち良い、というやつである。打ち込み作業ではこれはあまり出ない。
ドーパミンとかエンドルフィン等の快楽系脳内神経伝達物質がバンバン出まくる行為は他に何があるかと考えた。
飲酒、喫煙、違法薬物摂取、賭博行為、性行為、どうもロクなのが出てこない。やはり楽器演奏が優勝。次点、飲酒。酒買いに行こう。
_02/16
宅で静かに仕事という平和な日。
今日、連絡が入るという予定だった入電がない。それは、俺も使っている某有名カード会社のアンケート調査参加の詳細連絡である。
某所に行って小一時間アンケートに参加すると現金8,000円が謝礼として出るという。現金もそうだが、それがどういった内容で、どういった輩が集まるか興味があるので俺は申し込んだ。
しかし、今日連絡が来ない。個人情報を抜かれただけの模様。あんなに有名なカード会社がこんなコスいことをするのかという驚きと共に沸く手前の個人情報管理の無防備っぷり。
要は8,000円につられて良いカモにされたという結果である。これは腹立たしいを通り越してもうどうでもいいから酒呑んで寝よう。この間1,000円をせがんできた浮浪男の方がストレートなぶんまだマシな気がする。
_02/17
この間、女子高生グループにインタビューという案件があったが、今日は男子高校生グループだ。高校生がCDをリリースって凄いなと手前の高校時代を振り返る。
なんだかロクな思い出がない高校生活を懐古すると気が滅入る。しかし、バイトなどの学校外活動は実に楽しかった。今は無くなったが、「東京リカーランド江北店」という足立区の酒ディスカウントショップで時給800円くらいでバイトして様々なことを学んだ。
飲酒のあれこれ、パチスロ等の賭博の嗜みかた、などなど。いずれも決して高校生がしてはいけない。今では考えられない時代だった。1990年代後半。思い返すと、自分の精神形成や価値観のけっこうな部分を占めたバイト体験だった。
3年くらい、年上の先輩方や大人の社員方に可愛がられ、すごく楽しかった。J-POP黄金期である当時、店内有線放送ではしきりに様々な流行音楽が流れ、今でも耳に焼き付いている。
宇多田ヒカルにMISIA、スピッツやGLAYにTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT、Mr.ChildrenにLUNA SEA、モーニング娘。エレファントカシマシなどなど、今や伝説クラスの面々だ。
それらのアーティストの曲を聴くと、高校生としての学校生活よりも当時のバイト先の店内を思い出す。店舗はもうないので、懐かしみに行けないのが侘しい。10代の楽しい体験というのはいつまでも美しく楽しく記憶に残る。
_02/18
朝からやけに調子が良い躁のような日。仕事はりきり、制作はりきり、1日が閉じる。毎日、日中こう元気だったら素晴らしいのだが。
_02/19
しかし、恵比寿で10割蕎麦を食べて埼京線でうたた寝をして帰宅したらどうもダルい。頭もやや重い。例えるなら徹夜明け、軽くそれくらいな体調に見舞われた。
これはもしや、恵比寿リキッドルームでよかならぬウイルスに感染したか。そうは信じたくない。体温計を脇に刺し、変な姿勢で原稿を書く。36.1度。ド平熱である。書いたレポートの内容は、たぶんおかしくない。スピードも、いつも通りくらいの2時間弱。
酒を呑んで寝たら治るだろう。昨日やや寝不足だったので、その跳ねっ返りというシンプルな症状であると信じたい。酒を欲している時はまだ大丈夫だ。俺が内科系の病院に駆け込む時は、決まって酒を受け付けなくなるほどの時だ。
2年ほど前、そういった時があり病院で診察を受けたら「胃腸炎」と言われ酷い目にあった。すぐ治ったが。あの時の診察みたいにインフルエンザの検査で棒を鼻にグサリとやられるのはもう御免こうむる。あれは痛い。健康第一。
_02/20
9時間寝たら超体調が良くなる。夕方、東京都足立区鹿浜へ。 医師から病状などの説明を受けにバスで行く。めんどい。
脳梗塞で入院となった父親は、右半身の重度の麻痺、それによる顔面筋肉の不自由から言葉が発し難い。という現状とのことだ。なお、リハビリによる改善は微々たるものであろう、といった状態である説明を受ける。
「要は、右半身は今後どう頑張ってもほぼ不自由ということでしょうか?」
「端的にはそうです」
「喋りに関しては、言語能力を司る脳の部位がヤラれたわけではなく、原チャリで事故った直後のビートたけし状態という感じでしょうか?」
「正にそうです」
認知症に精神疾患に脳梗塞再発。再起不能、廃人、そんなとこであろう。この先、彼がどう生きたら幸福を感じるか、知らない。そんなことよりも、せっかくだからプロの脳外科医に取材というか、色々聞いた。
「先生、脳梗塞というのは遺伝しますか?」
「脳腫瘍は遺伝する場合がありますが、脳梗塞の場合はそれよりも生活習慣です。血圧が高かったり、運動不足だったり、喫煙やお酒など」
煙草と酒と聞き、俺はドキッとする。
「先生、自分は煙草も酒もわりとやるのですが、定期血液検査ではいつも血液の数値を褒められるほどなのです。この場合はプラマイゼロくらいでしょうか?」
「まあ、そうですね(笑)」
これは意外な返答だった。医師というものはいかなるときも酒や煙草は「ほどほどに」あるいは「止めることをお勧めします」というのがステレオタイプなイメージだったが、この先生は率直なことをおっしゃる。
「先生、認知症はどうでしょう。父は現在進行形、父方の祖母も認知症だったそうです。自分もイカれるリスクは高いでしょうか」
「まず、お父様の場合は3度目の脳梗塞です。認知症の発症は脳梗塞をおこすとリスクは高まります。脳梗塞によって脳細胞が死滅すると、ガクンとくるわけです。それが2回、そして認知症というのがお父様の場合です。はっきり言えるのはこれくらいです」
「先生、『天』という漫画でアカギというキャラの言葉で得た知識なのですが、死んだ脳細胞は二度と復活しないというのは本当でしょうか?」
「死んだ脳細胞は蘇りません」
「ですよね」
父は、メシ時だったようで廊下的な場所で他の患者と一列に並び、たいへん不味そうな食事を前に前傾姿勢でうなだれていた。
「看護師さん、これ、寝てます?」
「たまに食事時にこうなるんです。ひ〜らよしさ〜ん! ご飯ですよ!」
「脈、あります? 全く生気を感じないです」
「ありますね。寝ちゃってるみたいです」
俺は父親を起こそうと体を揺らした。起きない。肩パンを数発入れた。起きない。ヘッドバンキングさせた。起きない。だから帰ることにした。
帰路、考えた。彼にとってのこれからの幸福とはなんぞやと。「死んだ脳細胞は二度と蘇らない」この言葉は、ガチだった。
死んだ脳細胞は二度と蘇らない。俺に命を与えてくれた奴の脳がどんどん死んでいく。復活の見込みはない。
「ダメだ」と思ったら、降りれば良い。人生に「降りる」はない。ギャンブルのような遊びとは異なるようである。
帰宅して、いつものように原稿を書く。仕上げてソファで考える。死んだ脳細胞は二度と蘇らない。生きているうちに何をするか、死にかけたらどうするか、どんどんやる気が失せてくる。何もしたくないし酒も呑みたくない。
23時、友人がやってくる。色々お話しをする。彼は友なので、先述の重たかろう話も軽く伝える。それはそれで、さらに色々なお話をする。未来の話をする。希望の話をする。素敵なおみやげ的なものも貰う。すごく嬉しかった。
死んだ脳細胞は二度と蘇らない。生きていることに感謝する。友人や医師、父や父を支えてくれる人達に感謝をする。俺は本当に周りの人間に恵まれていると断言できる。酒を2杯呑んですやすやと寝よう。明日も張り切って生きよう。死んだ脳細胞は二度と蘇らない。
_02/21
半日はPCのシステムやらと格闘した1日。しびれた。
_02/22
夜、友人が来てDAWのことを色々と教えて頂く。
いかに無知な部分がどれだけあったことかと思い知ると同時に、たいへん有意義な知識などを頂く。凄い奴は本当に凄い。
_02/23
ボーイ・ミーツ・ガールなTRF直撃世代につき、DJ COOさんと話すという案件は緊張する。TRFの楽曲は中学生の頃たくさん聴いた。ドキドキしながら外苑前駅へ。
とてもフランクでやさしいDJ COOさんは、最後に握手してくれて「せっかくだから写真撮ろうよ!」と、言ってくださり、俺のスマホで2ショットを撮って頂く。なんだかものすごく元気をもらった。
DJという生業のかたは普段の接し方からして人をアゲるという、たいへん素敵な人間だなと実感した。1日ハイテンションで過ごす。嬉しかったな。
_02/24
iTunesのライブラリーのクレジットを編集していたら変な操作してグチャグチャになる。
復旧のための読み込みに3時間かかり、その間はたまに出るポップアップウィンドウ処理があるので、PCに張り付いていないといけないという訳のわからない苦行。
ややふざけるなと思ったが手前の操作ミスなので堪える。直ったからよかったが。気をつけよう。PCの一括処理的ボタン。
_02/25
新型だかなんぞや知らんがコロナウイルスのせいでイベント中止が相次ぐ。そしてイベント取材という案件も中止が次々と相次ぐ。個人的にはシンプルに仕事が減る。ビビり過ぎ万全対策良かれ体質国家が正しいか否か。
とかちょっと頭をよぎるも、やさぐれるのも良くはない。別種の仕事に精を出すチャンスでもあると無理やり気味に前向きに考える。
今日は昨年初頭までお世話になっていた某デスクの方々と盃を交わし楽しく過ごす。そのデスクで退職する方の送別会も偶然相成り、同席し、楽しく凄く。以前一緒に凌ぎを削っていた方々と楽しいひと時を過ごす。
これからどうなっていくのかと、不安もありつつギャンブル的な凌ぎかたの今後を鑑み、酒でファイナライズして日を閉じることにする。
_02/26
そういったわけで取材案件がない。今月のは全て中止となり震える。来月の案件もいまのところ1件しか決まっていない。これは震える。
震えててもしょうがないので、二日酔いの頭を揺らしながら制作をする。先日までの案件の原稿を書く。
完全にピンチと捉えられる状態だが、新たなことに着手するチャンスでもある。金を稼ぐ方法はいくらでもあるはずである。そう考えて、前向きに丸一日宅ワーク。
_02/27
昨日と同じような時間軸と作業内容で宅で静かに過ごす。
新型ウイルスが流行って何故ティッシュが品薄になっているのかと西友で首をかしげる。みんな不安でわけがわからなくなっているのだろう。
とりあえずいつもの酒と、肴は豊富に棚に並んでいるので安心。それにしてもこの状況がいつまで続くのであろう。
3・11の時も台風19号の時もそうだったが、未曾有の事態の時にいつもと大きく変化のある行動を無理にとると、あまりロクなことがないような気もする。でも何もしないのも不安、というわけでみんなティッシュを買い溜めるのだろうか。よくわからん。
_02/28
ほぼ1日DAWで音をイジって過ごす。制作している時というのは麻雀をやっている時と同じくらい時間が早く過ぎる。こっちの方が絶対に良い。現金に繋がる何かを作っている時の方が圧倒的に良い。
フリー雀荘で麻雀をやっていると時間が溶けるように過ぎていく。22時間とかやった時もあったなと回顧する。フリー麻雀博打禁止して1年も過ぎると打つという発想がだんだん消えていく。パチンコ店にも8年くらい行っていない。
何であんなに夢中だったのだろうともはや不思議に思う。答えは簡単で、博打行為の際に出る脳内麻薬物質中毒だった、というだけの話だ。外部から摂取する麻薬は、もっと中毒性が高いのだろうか。あな恐ろしや。
_02/29