02/2022

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
献血最高。2月


精悍かつ「令和の若者」といった物腰の兄ちゃんが出がけに話しかけてきた。「突然すみません。このあたりで……」と。なんでも、この界隈で起業をするということで物件を探しているそうな。

初対面の俺に、そこまで提示するものかねというほど、彼は様々な情報を開示してきた。起業資金の額、SNSのアカウント、業態、などなど。兄ちゃんはいい感じに意欲を燃やしていた。

「赤羽でこの業態少ないんですよ! チャンスかと!」

「そうですね。じゃあ開業なさったら僕がまず行こうかな」

「ありがとうございます!」

「お兄さんのSNSのフォロワー数、えらいことになってますね」

「ええ。あと、借り入れはどうの、国民政策金融公庫がどうこう……」

齢27、28といったところだろうか。シュッとした見た目の奥では事業欲が煮えたぎっているもよう。とてもエネルギッシュなパトス。いいじゃないか。日本の未来もそう暗くはないのではないかと、俺はやや触発された。

「そういったわけでお兄さん、僕のところは家賃これくらいで、このあたりのテナントの相場はなんぼで、駅から徒歩何分と謳えて、あと、あなたが検討中のあそこは事故物件ではないです」

「大島てる!」

「そうそう。ははは。じゃあ、頑張ってください」

「はい!」

といった感じでわりと和やかに長話をしてフレッシュな気分になった。若者の起業のボルテージ。あれはいい。

手前もさっさと新事業をちょっとでも軌道に乗せろと、あの若者を見習えと、営業に出る。

昼イチあたり、スベスベした毛並みの三毛ネコを見かける。「よっす」とあいさつをする。ネコほど日向ぼっこが似合う生き物もいないものだと思いつつ去る。しかしネコはついてきた。

ほほうと思い、ややゆっくり歩いていると、ロールプレイング・ゲームのパーティーが一緒に歩くかの如く、びっくりするくらいずっとついてくる。

「うむ。サワサワ。俺はな、遊んでいるわけではないのだ」

「ナー」

「いいか。君は三毛ネコだからたぶんメスだろうからわからんかもしれないが、俺は今、君らで言うところの『狩り』の最中なのだよ」

「ナー。ゴロゴロ」

無邪気に俺をあざ笑うかのようにビチビチと、嬉しそうに地面をのたうち回り始めたのでスベスベと撫で回す。

「よし。じゃあな」

「ナー」

まだついてくる。さっきの若者といい、三毛ネコといい、一体今日は何なのだと。そうも思ったが、ここはポジティブに、今日は俺はモテているのだなという思考に切り替えた。

気がつけば離脱したネコ。ああ、若者やネコもいいけど、依頼者や顧客にモテたいなと、今日も収穫なしで帰宅。様々な思考と情報とアイディアを精査して業務内容をブラッシュアップする。

ああ、俺もあの若者や三毛ネコくらいもっとグイグイいっていいのかなと、ふとしたところで気づかされる。コンサルしてくれた相手が兄ちゃんとネコ。という風に捉えよう。

「令和の兄ちゃんとネコに負けるな昭和のアラフォー」という鼓舞文句が虚しく仕事部屋にこだまする2月のスタート。
_02/01

 

 

 


どうも覇気がないな、頭もぼやっとするなと、まあそういう日、そういう時期もあるよなと、半日は生きていたのかよく分からないような感じで過ごす。

もしやこれはアホになってはいないかと、ネットで「IQテスト」をやってみる。前提として、「IQ(Intelligence Quotient:知能指数)」と「アホさ」にどこまでの相関関係があるかは知らん。

とりあえず、検索結果の上の方に出たやつをやってみると、「あれあれ、意外とスラスラいけるぜ」といった感じで、俺は、IQのだいたいの平均値らしい「70〜130」超えの手応えを感じ、わりと期待した。

15分くらいは頭をフル回転させただろうか。自信満々で全ての問題を回答し、ワクワクしながら「判定」的な部分をクリックすると、結果を知るには1,000円超えの料金がかかる事が判明。

「やる前に、わかりやすく、前もって『金がかかる』と書いとけこのガキが!」という、たいへん粗暴な声が漏れはしなかったが、その点を想定できなかった時点で手前のIQなどたかが知れている。そして、何年か前も同じことを経験したような気がちょっとする。

これはむしろ「EQ(Emotional Intelligence Quotient:心の知能指数、感性指数、共感指数、自己や他者の感情、心を察する能力の指標的なもの」を測定すべきではないかと、冷静に方向性を切り替え、同様にネット検索上位のサイトでやってみた。

すると当然、回答後に支払いを請求された。となればお約束のようにオチるのだが普通に結果が出た。200点満点中「100点」という、「ごく一般的なレベルです」というコメントつきの死ぬほどつまらない結果であった。

数十分の時間と数十項目の問題を回答するだけで、人の脳と心のレベルがわかってたまるかと、俺は烈火の如き怒りに震えた。とはいえ、人間の最も根源的な心情的エネルギーである「怒り」の感情がちゃんと湧いてきたからまあよかったかなと手打ち。

なお、俺が今日やった「IQテスト」の問題は、大昔に免停長期講習でやらされた問題にけっこう似ていた気がしてわりと懐かしかった。頭も心も安全運転が大事なのかもしれない。この思考も何年か前に生じた気がするが、リマインドも大事ということで心を静める。
_02/02

 

 

 


空を飛ぶ夢を見た。非合法なものは食っていない。なんかいいことあるかなとウキウキしていたがなんとも地味な1日。

スーパーで安い海苔巻きを一本買おうかなと売り場へ行く。しかし季節モノの恵方巻きだらけでいつもの100円ちょいのやつは一切陳列されていない。

じゃあ恵方巻きを、とは思ったが、どうも納得いく値段ではないと、どこか買わされる流れだと、エンゲル係数が上がると、諦めてわけのわからないパンを買って食う。

大体の時間は制作をして過ごす。骨格が出来たので譜に起こす。かなり明瞭な感覚の空飛ぶ夢以外、これといって特筆すべきことのないたいへん平和な暮らし。

なんでも夢占いやらによると、「空を飛ぶ夢」というのは、「向上心」「自由への欲求」「性的欲求の高まり」の表れだという。どれも、ポジティブに捉えることもできる。しかし、解釈によっては単に「欲求不満」という風にも考えられる。春はまだか。
_02/03

 

 

 


2005年にタイムスリップする夢を一晩で2回見た。酒の呑みすぎである。案件で元気に池袋へ。

イベントスタッフ業務で楽しく過ごし、完了後に少々待ち時間が生じた。こんな時どうするか。昔だったら一も二もなくパチ屋へゴー。あるいはフリー雀荘へ殴り込みである。

しかし、俺という人格を統括する部位だかなんだかはこう言う。「ダメです。共に、禁止中です」と。じゃあなんか近い所ねえかなと池袋を彷徨う。

すると「ゲーセンミカド」に通りかかり、「ここだ、コンセプトに近い」というわけで入店。80年代、90年代のアーケード・レトロゲームが粒ぞろいの懐かしい光景に癒された。

どれ、『ストII』でもプレイしようかなと思ったがもうちょい新鮮なやつがやりたい。とはいえ、最近のゲームは何から何までわからないので慄く。どうしようと100円玉を握りしめて悩んでいたら「脱衣麻雀」的なやつの筐体が目に飛び込んだ。

「いい歳して『脱衣麻雀』もあったものか」とは思ったが、プレイ適齢が謎すぎるので物は試しにと、ちょっとやってみる。俺は麻雀の腕には自信がなくもない。若かれし頃に雀荘でアルバイトをしていたクラスである。当時に戻れるものなら「やめとけバカチンが」と、シバき倒したいところであるが、振り返るとあれはあれでとても良い経験となった。

『脱衣麻雀』はというと、ほぼ秒でやられる。「コンティニュー」をする気力はもはや無かった。

ああ、なんかこう、やられたら「コンティニュー」できる世界だったらいいのになと、仮想現実を思い浮かべる。しかし、人間その気にさえなれば、いくらでも「コンティニュー」できるではないかと思考の偏りを修正する。

俺はこれまでの人生で何度コンティニューしてきたのだろうと振り返った。たぶん、わりとしてきている。そして今に至る。

『脱衣麻雀』と100円玉でそこまで考えさせてくれるのだから、たまにはゲームセンターもいいものだなと店を後にする。なお、後の連絡で、特に待機している必要はなかったと知り悶絶。
_02/04

 

 

 


友人が所用でやってきたのでまずは一緒にめしを食う。めしは誰かと一緒に摂ったほうがおいしい。

「なに食う?」と、問われたので「かもせいろ」と、即答。駅構内のガチめの蕎麦屋へ直行。“鴨がネギを――”とはよく言ったもので、プリプリの鴨肉と、ほどよい量のネギ、そしてべっぴんな艶を放つ蕎麦とのマリアージュ。至高の味わいという表現以外の言葉が見つからない。蕎麦湯を終点としてズドドと一気にたいらげる(おごってもらう)。

2つ年上の先輩も遊びに来る日だったので改札口で合流。2人とも楽器の腕前はプロフェッショナルなのでジャムセッションなどをして宅で戯れる。

そのように、半日は遊んでいた。仕事等はというと、「前もって何時に誰が来る効果」のおかげで、やることは巻きでやりおおす。

とても平和でのどかで、きゃっきゃと人と触れ合う実にソフトな良日。気軽に遊びに来てくれる人というのは誠に貴重。

周囲の何人かにとって、手前の仕事部屋は「遊び場」という認識となってはいないだろうかとも思うが、それは手前にとって幸福なこと。

みんながいつでも退屈しないように、やはり全自動麻雀卓の購入を検討すべきだろうか。されど、「遊び場」ではなく「鉄火場」と化すことは明白につき問答無用で棄却。
_02/05

 

 

 


朝めしは軽く、温泉卵を一つ。備え付けのタレを入れ、胡麻油をちょっとだけ浸して一味唐辛子をサッと振って食うとびっくりするほど美味しい。

今日最も驚いたのはその件であった、というほど通常運転の暮らし。営業をし、制作をし、5時間くらいアコースティックギターを執拗に録音していたら身体がバキバキになる。

故に、湯に浸るなりしてゆっくりほぐして寝よう。明日はオリーブオイルを入れて温泉卵を食べてみよう。そんなに手前は暇なのかとも思うがそうでもない。一本なんぼ、という案件が枯渇しているだけである。切実につらいがほかのことを頑張るしかない。長い冬。
_02/06

 

 

 


運気が澱まぬよう水回りは清潔に、厠は常にピカピカに。気持ちよく作業ができるよう、来客がくつろげるよう、仕事部屋はいつだって整理整頓。わりとキレイ好きである。しかし寝室はその限りではない。

わりと広めのその部屋は乱雑としている。あらゆる機材に楽器、ハードケースや預かりもの、畳まずに重ねてある衣服、ダンボールやケーブル、吊るしてある特攻服(コスプレ用)にヤクザシャツと、カラフルなレイアウトでありつつも、当局による家宅捜査直後状態である。

しかし、大物をいくつか別の場所に移動させる機会がきたので今日は大掃除をした。要らぬ物を片っ端から袋に詰める。あっという間に3袋。

部屋と廊下とキッチンに玄関と、掃除機もゴウゴウとかけ、めちゃめちゃスッキリとする。

本腰を入れて不用品を処理する時というのは、何かを進めている時や生産的なことをしている時のあの充実した心境と似ていると感じた。

ガチの掃除や断捨離は運気を向上させると聞いたことがあるが、それもそうかと頷いた。

宅がキレイになれば気持ちがいいし、要らぬ荷物がなくなれば、そのぶん新たな物が運ばれるスペースができる。不用品を捨てれば、その物に対する想いや記憶も整理され、脳のリソースが空く。その流れで精神は活動的となる。という気がする。

理論的にそう考えても、物理的に大掃除をおこなっても、まだまだ寝室のカオスさは健在。昔住んでいた宅でも、寝室だけずっとどうかしていた。なぜか、ひとつの部屋だけは野放し状態から改善する気にならないのである。この点についての深層心理は一体なんなのであろう。

まず、「他は全部キレイだが一部屋だけ凄まじく片付いていなく、奇妙なレイアウト」という住宅の住人。なんとなく他にも、少数ではあろうが、絶対数そういう人が居る気がする。

そうなると、人間の潜在的な何かを物語っているのではないかと考えた。

「ジョハリの窓」とかいう、対人関係における気づきのモデルグラフとやらの考え方では、「自己」には下記の4つが挙げられるという。

「自分も他人も知っている自己」
「自分だけ知っていて他人は知らない自己」
「他人は知っているが、自分では気づいていない自己」
「自分と他人も知らない自己」

この4つのうちの最後のやつ、“自分と他人も知らない自己”というのが、「1部屋だけ散らかっている人」の心理状態が如実に投影されている気がものすごくする。

というのは完全に持論であるが、それくらい言い訳じみた思考が頭をよぎるほど、永きに渡り寝室をちゃんとさせていない。なぜか根本的に、どうすればいいのかわからないのである。とはいえグッスリ眠れるお気に入りの部屋。
_02/07

 

 

 


オスマン・サンコンさんばりの視力という自負があるが、最近どうも目が霞む。よもや老眼か、加齢なのかと、なかなか悲しくなってくるがそれはそれで仕方ないと深く考えず。

見たくないものが見えづらくなっていいじゃないかと、強引に良点をあぶり出す。30代半ばの頃にも同様に、いつもより遠くの視界が霞みがちということがあった。しかし、当時はしっかり休んだら元に戻った。

じゃあ最近のもそうだろうと、意外と疲れているのだろうと冷静に捉える。昨日重い荷物を片付けたりしてわりと筋肉痛だし、PCモニターの見つめ過ぎで脳も疲労が蓄積しているのかもしれない。

じゃあ明日はしっかり休もうと、酒でも買ってきてゆっくり鋭気を養うことにする。いつだったか「ヘクラ・オーガニック」というワインを呑んだらめちゃめちゃ美味しかったことを思い出した。SEIYUで売っているボトルである。

スペイン産のワインはなぜかアルコール度数が高めのが多く、「ヘクラ」は14.5%というなかなかのボリューム。度数高めのワインはだいたい旨い。しかし、1,000円ほどする。宅での一人呑みの内容としてはちと高い。

ちょうど今日、手前の資産状況について、 貸借対照表(バランスシート)という概念に沿って細かく割り出した。現金や預金や固定資産や負債などなど、計算して現時点での手前の総資産を把握し、「資産は大事だな」と、改めて感じたところである。

そして、休み前の日の酒に1,000円以上出していいものかと吟味する。わりとセコい。いや、支出を抑えるのは超大事だ。否、外呑みに行けていないから呑み代は相当浮いている。などと、様々な角度から考えるが、毎日というわけでもないので悩む値段でもない。

ゆっくり酒を呑んでしっかり休めば霞み目もシャキッと治るだろうと思い込む。決して、老眼の始まりではないことを祈りつつ。そこまで量は摂っていないのだが、案外、酒が原因だったりもするが。
_02/08

 

 

 


2、3度会ってトークをしたアーティストがいる。かなり若い方である。先月、「個展を開く」という旨を直接ご案内頂いたいので、開催期間中である今日、行ってみることにする。

電車で一駅、埼玉県川口へ。東口に出るとまず、「里親募集中」と謳うブースで、ネコたちが5匹ほど、個別の小さなカゴに入れられて晒されては通行人の注目を集めていた。

「ああかわいい」の前に、「ネコにとって凄まじいストレスだろうこれは」と、率直に思った。ノラ上がりであろうネコたちは、鳴きながら身元引き取りを訴えていたのかはどうか知らんが、あまりにも狭いゲージのキャパシティを見ては胸を痛めた。

募金も募っていたもよう。俺は、「この募金は何に使うんですの?」と、係のマダムに聞いた。すると、「ネコちゃんたちのエサとかです」とのことであった。「ネコが好きなんですか?」と問われたので「昔たくさん飼っていました」と、答えた。ネコを晒すこの窮屈極まりなさげな環境については言及しなかった。

小銭を入れ、「この茶トラに猫缶を買ってあげてください」と伝え、界隈をぶらつく。眼鏡屋を発見したので「目下疑惑中の『視力』を確認しよう」というコンセプトで入店。最近の目の霞みを数値として冷静に認識したいのである。

「どうぞこちらへ」

「はい。お姉さん、最近僕、視力が落ちた気がしてならず、眼鏡が必要なのかと」

「わかりました。ではこちらにおデコを付けて頂いて……」

「はあ。道と、その先にぼやっと気球が見えますな……」

「そのまま……はい終わりです」

「あれ、『右』とか『左斜め下』とかそういったくだりはないんですの?」

「はい。眼鏡が必要な場合のこの数字をうんぬんかんぬん」

「すごい。なんか、最新的ですね」

「……目いいですね」

「そんなバカな。どうも視界が霞むんです」

「いや、いいですよ? 視力も測ってみますか?」

片目にシャモジみたいなのを当てがい、上、右、下、だのと、おなじみの丸マークの欠けた部分を判別する検査をしてもらった。

「いやあ、最後のほう、微妙でしたわ」

「……視力、大丈夫ですね。両目1.2です」

「あれれ」

「それに、視力は1日の中でも変わるんです。今は夕方ですから、あまりいい時間帯ではないんです」

「じゃあ、コンディションが悪くても視力1.2と?」

「そうです。1日の時間平均的にはもっと視力がよろしいかと」

「ははあ。すると問題ないですな。なんかすみません」

「いえ。じゃあ……おしゃれ眼鏡とか!」

「そうですね。おしゃれに!」

ということで、数km先にいるシマウマの縞の数までわかると聞いたことのあるオスマン・サンコンさん並みとまではいかなかったが、手前の視力はわりと優秀であった。それを、専門的な場所で数値で判明したやいなや、目の霞みは一気に改善した気がしてきた。

プラセボというか思い込みというか、人間本当に単純だなと、手前だけかなと、とりあえず視力がわりといいのがアイデンティティのひとつでもあった俺は「まだまだフレッシュだぜ」と、気をよくした。

やはり、定期的な診断などは大切である。医師や専門家の「大丈夫」という判断は精神的な平穏すら得られる。医学的判定にも、専門家の判断にも、精神衛生上健やかになれる要素はある。

そして動物に救いの手を差し伸べることもそうだろうか。さらに、芸術に触れることは言うまでもなく、心の健康に繋がるであろう。そういった目的もあり、今日は個展に向かったというわけである。なお、感染症拡大の影響で個展は延期とのことを現地で知り悶絶。
_02/09

 

 

 


東京に滅多に雪など積もらない。「降るぞ降るぞ」とセンセーショナルに報道される時ほど、だいたいガセる。

とはいえ気象庁のスパコンはやはり高性能だなと称えつつ雪空を眺める。寒すぎるので温野菜を2日分こしらえる。ブロッコリーとニンジンをゴロゴロと。

定期的に野菜を大量に食う習慣がある限り、俺は大病には罹らないと自己洗脳している。思い込みは実にパワフルらしい。

真っ白な気候下の日中、いろんな企業の決算書などを見たりして、そっち方面の勉強をする。昨年はやたらと心理学の勉強をしていた。今年学びたいのは、経済等の金融や経営に関わる方である。俺の最も苦手な分野。

しかし、手拍子で「苦手」と感じているのはただの思い込みである。「単に、『苦手』と思っていることに対して使う脳の部位を使っていないだけ」と、昔ラジオでふかわりょうさんが言っていた。当時俺は、シンプルに言葉通りに、するっと受け止めた。

手前のマネーリテラシー(お金の知識や判断力)は著しく低い。過去に、ギャンブル地獄で執拗にもがきまくり、金銭感覚が完全にバカになったのが最たる原因である。

だが恐らく今は違う。長期間にわたり賭博を禁忌とした結果、金に対する感覚が人並みくらいには戻った。すると経済や投資などの知識・見識をたくわえるチャンスと捉えられる。

ひとつ、有利な点は、「どうすれば資金やらが増えるか」ということよりも、「そうすれば資金が恐ろしいまでに減るか」というあらゆる手段を、身をもって知った経験があることであろうか。

過去に、最大年利29.2%という鬼のような金利の時代に負債を抱えた時期があった。頭が著しくイカれていた頃のこと。

今は、年利15%・18%・20%(借入額によって上限金利が異なる)がマックス。2010年に施行された「総量規制」という法律によって、金利の限界値が下がり、借り入れの条件も引き締められたのである。

ちなみに、この法律が決め手となり、レオタードで大勢が踊り狂う描写のCMで平成の時代を一世風靡した、某超大手消費者金融は破産に追い込まれた。

最大年利の恐ろしさについて、たとえば、リボ払いやキャッシングで100万円利用したとする。

この場合、1990年あたりから2010年までは、利息だけで「1年間に29万2千円+複利」ということで、年間30万円ほどの金利をもっていかれる。

これは、月に30,000円返済しても、元金は5,000円くらいしか減らないことになる。死ぬほど恐ろしい数字である。今は「1年間に15万〜18万円+複利」という利息。これでもけっこうなものである。

なお、『闇金ウシジマくん』や『ナニワ金融道』などの中で適用されていた金利は、「マンガでよかったわ」というほどクレイジーな利息。

要は、そういった仕組みを、増やす方向にシフトすることを根底として考えると、俺はとてもわかりやすかった。

経済のなんやかんやと心理学や精神医学の知識をミックスし、日経平均株価や各企業の株価の推移などを眺める。すると、これは人間の、金に対する心理をグラフ化したものではないかと感じた。そうなるともっとピンときた。

経済や投資や金融の世界は、数字で支配されているから正解が必ずあると思っていた。しかし、学んでいると「正解はない」ということにまず気がついた。そういう世界はとても好みである。

というわけで少しづつ、英単語を1つづつ覚えていくように、地道に学習していく。最近知ったのは、「キャピタルゲイン」(株式や債券など、保有している資産を売却することで得られる売買差益)という概念。なんだか変わったサウンドが出る飛び道具的なエフェクターみたいな名前でかわいい。

俺もキャピタルゲインで資産を雪だるま式に増やしたいものだなと、5ミリほど雪が積もってきた赤羽の道路を見つめて思う。その前に手元の資産だなとか思いながら、ほかにできる仕事はもっとないかとあれこれ模索する案件枯渇と2月の厳寒が身に沁みる一日。
02/10

 

 

 


「月に3万円の仕事を10個つくれ」と説いたのは岡田斗司夫さんだったろうか。ここのところ本当にそう思う。

全体の8割以上の稼ぎとなっていた仕事がめっぽう減ると速攻であいやいかんとなる。しかし、1つの仕事で月に3万円というのが10個あったとしたら、ひとつやふたつ激減してもいける。

正直、そういった暮らしがわりと理想的だなという水面下の想いのもと、会社を辞めた気がする。あの暴挙からそろそろ3年が経つ。もっている方だろうか。

しかし現状では、仕事が10個もない。新業務も絶賛営業中だがなかなか芽が出ない。ということは他の仕事を生み出すことを並行してやればいのではと、パッと光が見えた。

「おこなって収入が得られそうなこと草案」をいくつか洗い出す。すると、ありそうだが「収益化」まではなかなか難しいなとは思いつつ、この路線も走らそうと手前に喝を入れる。

要は、自分にできる何か特化したことを全て仕事にできれば最高だなという思考。ここはひとつ思い切って店舗を構え、赤羽の街で「ケンジBAR」的な呑み屋をやってみようか。

90年代の洋楽とコアなエレクトロミュージックが延々と流され、数匹のネコが店内を自由に闊歩するカオスなBAR。壁沿いにズラリと4号機パチスロ台(めちゃめちゃ過激なスペックのやつ)を並べ、奥には高レート麻雀卓を一卓。

素晴らしい案ではあるが、明らかに客層が荒れつつ、摘発は免れなさそうなので即却下。老後に潤沢な資金が残っていたら実現させる案ということで頭の片隅に置いておこう。それまでに仕事をたくさんつくろう。

会員制でチャージ5,000円呑み放題打ち放題(ゲーム代別)の桃源郷BAR。そんな店があったらとりあえず俺がまず行きたい。
_02/11

 

 

 


案件で横浜へ。久しぶりのライター業務である。源泉をたくさん作ろうと考えていた昨日、今日あたりは出発時刻まで、源泉となりそうな業務案を10個考えていた。

エクセルに洗い出した。メモ等ではなく、エクセルに新規作成した概要は、ほぼほぼ高確率で行動に移すところまではいくという手前の習性を利用するのである。

とはいえ目の前の案件が最優先。JR線で南下、横浜駅へ。とてもライブのクオリティが高く、PA(音響)的に音も良好だったのですこぶる元気になる。ありがたい気持ちになる。

帰宅して原稿を書く。まあまあひさびさに案件で原稿を書いたら「あれ?」となり、エンジンがご無沙汰な音をするのを確かに感じたが、20分もしたら通常通りスススと書ける。

多様な源泉もよいが、そうだ俺はライター業での収益が多かったなと、フリーランスになった時の初心に還った。そうなると、レコード会社や編集部などにアプローチ、営業なりをするのが一番スマートかなという最も正攻法っぽい案が出た。これは棄却しない。

流れを感じて、色々考えて、自分がやって喜ばれることかつ収益になることをやり続けたいと、本当に最近しみじみ思う。フリーランスで独立や起業から、3年以内に頓挫する確率は半分以上、下手をしたら8、9割方と、仲間のK氏に聞いたことがある。

手前のフリーランス3周年まであと2カ月(厳密には開業届を出した7月1日)。とりあえずそこまでいけば、わりとやってやったぜ感は噴出するのでひとつ高い酒で乾杯したいところ。しかし、そこからが本番だったりするのだろうと、やはり、本当に最近しみじみとそのように思う。
_02/12

 

 

 


業務端末がとうとう鳴る。「顧客ではなく、どうせ何らかの勧誘では」と、一瞬思ったが、この電話番号は広告媒体以外どこにも晒していない。そういったわけでもちろん、依頼の入電であった。「鳴る、イコール仕事」というたいへんわかりやすいデバイスである。

「高齢者向け」という確固たるマーケティングのつもりだったのだが、立ち上げから初となる依頼者は俺よりも若そうな方であった。これは逆に、ターゲット層以外にも届いている証拠だと、狙いにもブッスリ刺されば噴くのではないかと、相当前向きに捉えて現場に行く。依頼内容を無事にこなす。売上をゲット。

どこにも依存しない業態でゼロ出発した新事業。まだ少額ではあるが、そこでやっと売上をきちんと得た事実と体験はめちゃめちゃでかい。俺はずっと、こういうのもやりたかったんだ、などと口にしながらSEIYU経由で帰宅。冷静にカレーうどんをこしらえて食う。

さすがにこれは諦めるかと、何割かは考えていた昨今なので著しくやる気に火がつく。3杯以上珈琲を飲むのもどれだけぶりのことか。昨日の案件の原稿も仕上げて提出する。制作は、ストリングスのパートに手こずり、あまり捗らなかった。

しかし、複数進行しているタスクでどれかが着実に進めばコンセプト通りである。久しぶりに晴れやかな気分と相成り落ち着く。

今夜は大雪の予報だが、明日は晴天下で元気に営業に出たい。どうせこの間のように、翌日は何事もなかったかのようにほぼほぼゼロ降雪というのを切に願う。

「あの日以降、業務端末はいっさい鳴ってはくれんかった」という書き出しの日記を半泣きで綴ることは御免こうむりたいと、早くもビビっている側面も勿論あるが。
_02/13

 

 

 


やはり雪、積もらず快晴。気象庁のスパコンもどうかしてるぜ、どうかしているのは報道のほうなのかなのかと、どうでもいいことを下手に熟考するほど気は滅入っていない。たいへん元気である。

宵の口あたりから制作をし、ビックリマンシールのヘッドロココくらいキラッキラな曲を作り進める。やたら捗り深夜。だったら「ずっと真夜中でいいのに」とは全く思わんが、夜が深ければ深いほどコンディションが昂ぶる。

そして高ぶったまま入眠は遠のき、酒を欲する。立派なアルコール依存症予備軍である。

「予備軍とか二軍とかならまだいいかあ」と、気持ちをオフにし、ベンチでやれやれと休んでいたら「おい出番だぞ」などと急に言われ、ついに一軍に昇りつめる。すなわちアル中。

という風にならないよう、特別な感じの日やら、誰かと呑む時以外は2杯まで。いって3合まで。たまに、呑まない。このルールを厳守すれば、酒とはずっと友達でいられる。こればかりは「ずっと友達でいいのに」と、率直に思える。
_02/14

 

 

 


わりと身体の疲労を感じるが短時間でのシャキリとした目覚め。ふた月ほど妙な不安感に悩まされていたからこれは躁転では、とも思うが、おそらく一般的には普通目のテンション。おにぎり食って仕事をする。

合間に珈琲の粉を買いに行く。なんとなくワインコーナーでふむふむとボトルを擦っていたらアルコール度数15%という美味そうなのを見つける。14.5%というのは呑んだことがあるが、こいつはそれを超えてきた。

ああ呑んでみたい、だが約1,000円か、家呑みにしてはやや高いんじゃないかな、いや、2日に分けて呑むから別に、などと売り場でけっこう悩む。とはいえアラフォーが悩む金額ではない。

しかし若干贅沢だろうか、出費は抑えたい、じゃあと思い、俺は今日の2食分の食費をいくらか削ってこの15%のやつを買うことにした。それなら予算的にいってこいである。めしはちゃんと食べたほうがいいが。

これでこの激しめの赤ワインが「ドロっとして重いし、なんか合わん」となったら著しい後悔の念を得るであろう。しかし、思いのほか美味で「この力あるボトム感は想定外だ」と、五臓六腑が唸ったらしめたものである。

そういったわけで今日は1日、あらかじめ昼間にチャレンジングなワインを1本買っただけでわりとウキウキとしていた。

誰かと外に呑みに行けば5,000円とか1万円などシュッと溶けていくものなのだが、宅呑みに関しては1,000円で長考。堅実と捉えるべきだろうか。いや、実にセコい。うん、ちょうど先週も1,000円のワインで悩んでいたなと振り返る。いつだって酒に必死。
_02/15

 

 

 


昼過ぎまで寝くさるが今日は半休なのでむしろよしと、そうは思うが時間が勿体ないという思考が湧くあたり、最近はとても調子が良い。

過剰なまでに盛ったサラダをボキボキと食い、定期検診へ行く。待合室でおとなしく座っていたら「0120〜」の電話番号の着信。

ケツポッケがヴヴヴ――ヴヴヴ――と震えて「うわあ、なんだろう怖い」と、瞬時に思う時は相当弱っている証拠である。今日あたりは「どういうタイミングでかけてきやがるこのクソが」と、怒りの感情が真っ先に出る。決して感心できない心的リアクションだが、ぼちぼち元気な証拠。

ネット回線がどうのとかいう営業電話だったので小声で適当にあしらう。どんな相手であっても、電話口で粗暴な対応するのは小物の証拠という持論があるので、とても丁重な口調で「いらん」という旨を伝える。

診察を終え、ブックオフに行く。病んでしまった作家のノンフィクション作品と、日本独自のかわいいディフォルメタッチ絵柄のギャグ漫画をそれぞれ買う。対照的な種別のセレクトである。その行為は手前の精神状態の何かを投影しており、それがなんなのかもなんとなくわかってきた。

細かいことは考えずに、帰宅して制作をする。ストリングスアレンジもできたのでMIXをする。あっという間に夜が更けていく。徒然とまではいかない、適度に快活でのどかな暮らしの冬終盤。
_02/16

 

 

 


献血バスとテントが東口前で展開されていた。俺は献血をしたことはない。なぜか、今まで視界に入っても認識していなかったのである。心理学的なスコトーマというやつだろうか。

せっかくだから献血をしてみようと思った。献血というのは基本的に良いおこないという気がするので即決。

しかし、ニアミスで受付終了後であった。やる気十分だったためか、わりと悔しみを引っさげて帰宅。次回は必ず、という思いのもと、とりあえず献血についての情報をいくつか調べてみようとネットで検索。

他の人の献血への関心たるやいかがなものか、という点でわかったのは以下の通りであった。

「献血に非常に関心がある」という人は、若年層の平均で6.4%

「全く関心がない」という人は7.5%

「関心がある・特に関心がない」という人の割合は残り約半々。

(厚生労働省HP 「若年層献血意識に関する調査結果報告書:未経験者編」参照)

ということは、積極的に献血をするであろう若年層の人は、20人に1人くらいといったところだろうか。ではなおさら、今度献血バスを見かけたらやろうと思った。俺は若年層ではないが。

あとわかったのは、厚生労働省の献血推進のためのキャラクター「けんけつちゃん」と、JR赤羽駅のオリジナルキャラクター「アカにゃん」はどこかちょっと似ているという点。さらに、「アカにゃん」は駅スタンプにもなっており、人々の心を日々癒しているという。

腰がくだけるほど描写がシンプルでかわいい「アカにゃん」。赤い羽がチャームポイントの「アカにゃん」。ネコが羽をはばたかせ、ふわふわと飛び回る絵を想像する。すると、気持ちがとてもメルヘンに安らぐ。俺の「アカにゃん」に対する関心たるやざっと98%は下らない。
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FMラジオからもCMで呼びかけられている「事業者復活支援金」を申し込むことにする。コロナ禍の影響で、売上が落ちた事業者向けの支援金である。

俺は2019年に開業届を出したので、「新規開業特例」という申請の種類になる。その申込み開始の初日が今日。はりきって受付フォームで入力を進める。

しかし、今年の確定申告の書類を提出する画面に出くわした。まだ申告していないから出せんと、ネットではそれっぽい情報がヒットせんと、この場合はどうしたらいいかと右往左往。手っ取り早いだろうと直接電話で確認をした。すると「新規開業特例」の場合は、一律、令和3年度の確定申告の書類も必要とのこと。

これはおあずけだと思い、確定申告の準備からおこなうことにする。これがわりと時間がかかった。エクセル画面の見過ぎで脳内がマス目だらけになる。

ひととおり終えて制作をする。新たな曲のアイディアが形になってきたのでめしも食わずにDAWに張り付く。来客者用おやつのチョコパイを一個食ってしのぐ。そういうのは体に良く無さげだが、めし代一食分浮いてよしという風に考える。毎日でなければ問題はないだろうと。

わりと長時間、真面目に過ごすも売上はなかなか右肩上がりとはいかず。再現性のあるタスクと収益でガンガンと稼ぎたいのだがコツコツという時期が続く。長い。
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何事も初体験というのはドキドキする。駅前で、献血バスの稼働を再び目視したので一も二もなくいざ献血。

「年齢と血液型と体調」くらいを聞かれ、サササと済むものかと想像していた。しかし、実際はというと、服用中の薬や最近の海外滞在経験、直近数時間の食事や水分摂取の量、体重から血圧、アレルギーの有無など、健康診断ばりに色々と聞かれた。

俺はそれら全てをクリアし、スポーツドリンクとHOT茶を渡され、待機を促された。「水分を事前に必ず摂ってください!」と、係の方から何度も、優しい口調で指示を受けた。

「あれ、これは想像以上に、気軽にやるものではないのかな?」という、少々のビビりは禁じ得なかったが、初体験の高揚感がそれを優った。待機中に耳に入ってきたBGMはなぜかclassの「夏の日の1993」。

「え〜平吉さん? 初めてですね? こちらへ」

「はい初めてです」

「今日、ごはんは食べましたか?」

「はあ、午前中に」

「何を食べたんですか?」

係のマダムはビシビシと聞いてくる。

「はあ、手製のサラダと温泉卵を少々……」

「少ないですね! ちょっと、それとか食べて」

脇に置いてある菓子を食えという。この展開は予想外と、豆鉄砲が命中した鳩のようなツラでカントリーマーム的なビスケット小袋を1つ頂く。

「B型ですね? 今そっちで改めて調べますので」

「ガツガツ。はあ、もう1個いいですか?」

「どんどん食べてね」

俺はビスケットを食いつつ隣の席に座った。なんとなく文学にとても詳しそうという印象の若い黒髪の女性の係の方はまず、中に小さな針が内蔵された特殊な器具で俺の指から1滴ほど採血すると言う。

「ちょっとだけチクっとします」

「はあ」

「そしてこの紙の上に血を垂らすと、わかりますか? このような変化が……」

「あれ? もう刺しました? いやあ、わからなかったなあ」

「そうですか? これはやる人によってはちょっと痛くてですね。まあ、“腕”もあるみたいですけどね」

と、その方はツンツンした態度(とても丁寧)を終始保ち、淡々と説明する。俺はこういう時、なぜか、そのツンをデレさせたくなるのである。

「へええ! 全然痛くなかったですよ。“腕”がいいんですね!」

「まあ……そういうのもあると受け止めます」

「わからなかったですもの! いやあすごい。うわ! 紙の変化、確かにわかります!」

「……わかりますか? ほら、『B』の方に垂らした血のにじみ具合が……」

「うわすげ! これは圧倒的に『B』ですね! いやあすごいっすねえ!」

「すごいですよね……! では、今からそちらで献血をします。水分をちゃんと摂ってください」

「ですよね。400mlも血を抜くわけですから!」

「はい。そのペットボトルの4/5です」

「ははは正確ですね。中ジョッキ1杯ぶんくらいかなあ。さすが。チビッ。キュポ」

「もっとちゃんと飲んでください!」

「うわびっくりした」

「具合が悪くなる場合もあるんですから! でもまあ……99%の人は大丈夫なんですけどね。じゃあ、残りの1%は何だって話なんですが」

「ははは。その1%を引いたらレアですねえ!」

「ちょっと、だからちゃんと飲んでください!」

最終的にデレたのか単に怒らせたのか判断が難しいが、いざ献血へ。今度はエルヴィス・コステロの楽曲「She」が流れ出した。「なぜさっきから1990年代縛り」とか思いつつリクライニング・シートへ。献血を担当してくださる方は、例えるならバスケ部の女子マネージャーのような、明朗な物腰の方であった。

「はい消毒終わりです! ちょっと針が太いんですけど大丈夫ですからね! 痛かったり具合が悪くなったらいつでも止めて大丈夫なんで!」

「わかりました。ではお願いします。本当に太いですね。だいたいそうめんくらいの太さは下ら……」

「ブスリ」

「おおお」

「献血中、ちょっと針が動いたりすることもあるんですけど大丈夫ですからね!」

「どれくらいかかるのでしょうか?」

「だいたい15分くらいですよ!」

「そんなに!」

「でも早い人もいれば遅い人も……ああ、平吉さんは早いですね!」

「よっしゃ。どんどん行くぜ」

献血中は、やけに話をふってきてくださる。おそらく、被献血者を安心させるためか、そういった配慮がデフォルトなのであろうか。その流れに乗り、俺は様々なことを聞いた。

「――あともういっこ質問があるのですが」

「はい? なんでしょう?」

「献血の血って、何に使うんですか?」

小学生なみの質問の仕方である。「おそらく、輸血などに使われることがメインと思われますが、一般的にあまり知られていない使用法としては、どういったものが挙げられますか?」くらいちゃんと聞くべきなのかもしれないが、「初献血中」というエキサイティングなテンションがそれを飛ばした。

「そうですね、医療の現場であったり、製薬や研究にも使われるんですよ!」

「おお。そうなると、献血ってわりと大事というか。血液の長期保存はできないと聞きますし」

「そうなんですよお……!」

「こう言っちゃなんですが、献血って、わりと善行と捉えてもいいのかなと」

「ウフン! そうですよ!」

「よかったです。実は僕、ただの興味本位でここに入りまして……そういうのはマズいでしょうか?」

「ぜんっぜんそんなことないです! 献血してくださることがあらゆる人にとって、ありがたいことなのですから!」

「よかったです。あともう一点、素朴な疑問なのですが、主に献血をしに来る方の動機としてはどんなものが挙げられますか?」

「そうですねえ、ご家族などが輸血等で良くなられたご経験がある、ということなどがありますね」

「なるほど。うお! 針がムニムニ動いてます!」

「でしょう? 大丈夫ですから」

「あとは? 献血の動機のくだりですが」

「あとは、これは証明されていないんですけど、『定期的に血を抜くと健康的というか清らかになる、スッキリする』と仰る方もいるんです」

やはり出た。他の医療機関でも聞いた類の方である。俺はピンポイントにこれを確かめたかったということも、献血への動機として挙げられる。

「はい終わりました! 具合は大丈夫でしょうか?」

「思いのほか……めちゃめちゃ普通です」

「よかった! では血圧が下がりすぎていないか測りますね!」

「あれ、献血前より上がってます。なんでですの?」

「だいぶお話をしていたからでしょうね!」

「はあ。あと、シンプルにテンションが上がりました」

「それはよかったです! ありがとうございました!」

俺は、中ジョッキ1杯分の手前の血液が入った生々しいパックを名残惜しむように見つめつつ、バスを降りた。

「おつかれさまでしたありがとうございます! ささ! どうぞ!」

と、体育会系な三十路くらいの、ノリの良いお兄さんがジュースやらアフターケアの書類など、さまざまな物を手渡してくれた。

「ではジュースを1本頂きます。ありがとうございます」

「もっともっと! ささ! さっ! どうぞ!」

なぜか「もっと持って行ってくれ」と言わんばかりにお兄さんは丁重に案内してださる。手厚い。「じゃあ…」と言い、そのお気持ちを賜る。ビスケットがおいしかったのでそれもちょっと貰う。

数分間の休憩を指示され、そこで献血は終了した。とても、晴れやかな気持ちになった初体験であった。

シンプルに手前が気分良くなり、「善行」と捉えて差し支えないというご判断までして頂いた。そして、献血した血液は、今まで全く知らなかった様々なことに使われることもあり、誰かの、役に立つのだという。

それだけで十分、よいフィーリングを得た1日。個人的には、献血バスの係のあらゆる方々が思いのほか良い意味でキャラ立ちつつも、ご対応がこの上なく素晴らしいということが最も印象的であった。

他の人に献血を斡旋する気持ちは別にないという前提だが、ちなみに、献血した血液は、以下のようなことにも使用されるとのことである。これを知れたことも、今日の大きな収穫であると胸にしまう。

ー以下、主観での抜粋ー

・実験で抗酸菌症の発症の仕組みを解明する
・血液型の基となる細胞表面の糖鎖の違いが免疫活性を変化させるかの研究調査
・B型肝炎発症の仕組み解明の研究
・癌における血液由来細胞の解析
・ドローンで血液を運ぶ研究
・心筋梗塞や脳梗塞を診断できる血液検査法の開発
・iPS細胞を用いた血小板製剤の開発
・新型コロナ感染症の理解のために、免疫系で抑制的に働くT細胞を効果的に増やす方法を提案する
・血液中のリンパ球を用いた癌治療法の研究開発
・様々な病気の診断、治療法の開発に結びつく新しい免疫検査法の開発研究

上記を含む全64項目。
現場で受け取った【献血の同意説明書「4. 血液の有効利用について」の説明】裏面【令和3年度実施の献血血液を使用する研究課題】参照。

とのことである。なんだかすごいなという所感。とりあえず今日は貧血にならないように、中ジョッキ3杯分くらいのアルコールを補充して寝よう。されど「ちゃんと水を飲んでください!」という声が脳内再生されるだろうが。
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上司がいたとしたら確実にシバき倒されるであろう下手を打つ。俺は今年イチ、猛省し、悔やんだ。

俺が現在において「一番ほしいの」は、「新事業においての新規顧客」である。その新規見込み客を、こともあろうか寝坊して逃した。

族上がりのヤンチャな脳内上司(43歳)とのやりとりとして、デフォルメして内容を表現するとこんな感じである。

「あれあれ平吉さん? 就業時間、40分も? 過ぎてますなあ」

「申し訳、ありません。シンプルに、ね、寝坊しました」

「おやおやぁ。眠かったのかなあ? シンプルに」

「あの、昨日、献血しまして、たぶんそれが理由で寝起きすっごく疲労感がありまして」

「二度寝しちゃったんだね! 眠いもんね!」

「申し訳、ありません」

「なんで君は昨日、営業中に献血とかするわけかなあ? バカになったの?」

「お言葉ですが、献血という行為はうんぬんかんぬん」

「はいはい。概要は理解できますよ。でも献血と営業と、関係なさげだねえ?」

「なさげ、であります」

「君の新規事業だっけ? 日々せっせと営業しているのはいいんだけどさ、さっき端末ブルッブル鳴ってたよ? いいの? 新規客じゃない?」

「スチャ。あっ。着信来てるじゃないですか! しかも非通知だから折り返せねえ! 留守録に……明らかにおばあちゃんの声! 町名と名前しか録音されてねえし! 惜しい!」

「うるっさいね君は。ボリュームを落としてもらっていいかな? あ〜あもったいないねえ? こないだやっと新規客来たって浮かれてたよねえ? 流れも詰めも甘いんじゃないのお?」

「申し訳、ありません」

「まあ、いいんだけどね。いやーだいぶビッグマウスふかしてたよね。年始に?」

「は。プレゼンさせて頂きました」

「北区の高齢者向け対人サービスは絶対いけるとか。今の世風だからこそ必要だとか」

「は。孤独死や社会からの孤立、高齢者特有の疾患をも未然に予防、というコンセプトも……」

「へっ。高齢化社会先進国の日本だからこそ、逆に世界に先駆けるビジネスモデルを提示するチャンスとかとも謳ってたっけねえ。言うのは簡単だよねえ? 実に」

「一応、展望はあるかと……」

「ふぁ〜。あったみたいだよ? 端末ブルブル鳴らして出ずに一人逃したみたいだけど」

「クソがあ!」

「おやおや、平吉さんお得意の逆ギレですか。はいはい。落ち着いたら今日も特攻精神でいってらっしゃいよ。それと、帰りヤキソバパン買ってこいや。あと炭酸のなんか」

「承知いたしました」

ということで今日はとても悔しい思いをした。だが、ターゲット層ど真ん中の見込み客がまた1人、と考えるとポジティブにもなれる。先月懸念していた「そもそも全く需要なし」という最も不本意な判断は、まだ下さない方が適切な局面。そこは幸いである。

とはいえ、「木刀を背負わせてくれ」というくらいのミスなので対策を打って再発を防止する。問題解決が先、悔しがるのは後、である。こないだ読んだ本に書いてあったからそうする。せっかく電話してくれて、慣れないご様子の留守電録音までしてくれたおばあちゃん、本当に、ごめんなさい。
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明日は今世紀最大のネコの日らしい。2022年2月22日はきっと、Twitterあたりではユーザー各々のネコに馳せる想いがコンテンツ化し、タイムラインを埋め尽くすのだろうか。

そのようなことを考えながら延々とMIX作業をする。曲は出来ている。録音もばっちりである。しかし、今回の多めのトラックを混ぜるといつも以上に時間がかかる。

なんとなく音像が似ているのは、コールド・プレイの「Viva La Vida」なのでリファレンスにしてあらゆるツマミやフェーダーをいじること5時間は経っただろうか。めしを食うの忘れたので来客用おやつのチョコパイで散らす。とうとう在庫が2個になった。

もうなんだか出来ているんだかまだ詰められるのか、判断不能になったので進捗99%ということでDAWを閉じる。そんな時もあると、一旦頭から離す。たぶん、明日になって再度聴いたら「出来ている」となるっぽいが今日はもうわからん。

こういう時、ネコでも飼っていれば、気分転換に適当なヒモでもちらつかせてドドドと一緒に遊び、再び作業すれば判断が可能であろう。しかしネコはいない。ネコが飼いたい。だが毎日ネコにめしなどをあげたりするのは面倒。すなわち、手前に飼う資格などない。

明日は赤羽駅で「ねこの日イベント」が開催されるらしい。行こうかと企てる。昨日見かけた「アカにゃん」がメインのイベントポスターの訴求力は相当なものだった。先着222個という「アカにゃんオリジナル缶バッチ」とやらがものすごく欲しい。

そういった物は、界隈のキッズたちに譲り、手前はネコの1匹くらい飼える甲斐性を培うべきであろう。アメリカン・ショートヘアーもスコティッシュ・フォールドもかわいいが、ネコはやはり、出どころも出身地も血統も謎だらけの、粗野な物腰のノラ上がりの適当な雑種が一番愛くるしい。
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実はひょうきんな面があまりにも多いネコの生態を、一番最初に的確かつ分かりやすくコンテンツ化したのは『ホワッツ・マイケル』だと思う。

俺は小学生の頃、行きつけの児童館みたいな機関の図書室で『ホワッツ・マイケル』を何度も読み返しては笑いを堪えていた。

友達と外でドッヂ・ボールなどあまりしたくなかった。ずっと漫画を読んでいたかったからである。

宅でファミリー・コンピューターのプレイに耽っている時、同級生がチャイムを鳴らし、「遊びましょ」と、誘ってくれる。しかし俺はゲームがやりたいので息を潜めて居留守をし、コントローラーを離さなかった。

遠足や修学旅行は、心の底から行きたくなかった。クラス単位で足並みを揃えるのが苦痛だったのである。一人でドラクエのキャラの落書きをしたり、顕微鏡で謎のホコリを凝視しては「すげえ」などと漏らして静かに興奮するほうが好きだった。

そのような、自己中心的なパーソナリティの傾向は、幼少期から顕著であった。そういった内面性を、俺はネコと照らし合わせては、昔から共感していた。

単独行動を好み、気が向いたら愛想を振りまき、「さっきまでのはなんだったんだ」というくらい急に内に込もる。

そんなネコたちがやはり今日、SNSのタイムラインを埋め尽くした。ネコにとっての佳日らしい。

手前も、とっておきのネコ画像をUPしてトレンドに乗っとくか、というような発想を行動に移すかどうか、意識ギリギリの閾下で判断がどこかにいったまま制作をする。久々に見事にハマり8時間くらい溶ける。

しかし最後の1時間くらいで、根本的な部分を思い切って変更したら曲が輝いた。「やっと出来た。おいネコよ、聴いてはくれんか」と、飼いネコに聴かせるも秒でアクビをされる、という暮らしを想像をしつつ、耳が疲れたので最終判断は明日に持ち越してデータ化だけしてデスクトップに置き、今日は〆る。

作業中、誰かから「メシに行こうぜ」やら「呑みに、遊んでくださいよ」など、LINEが来たとしよう。今だったら即刻食いつく。居留守はしない。

人間、10年単位で時が過ぎれば性格の根本的な部分も変わってくることもある。ネコも、10年単位で時代が流れれば、SNSやYouTubeを賑わせるほどの明るいキャラクター性を得ることもある。

ネコの日に、手前とネコと、それらにまつわる昔日の思いを黙考しては、時の流れと変化が最近すさまじいなとしみじみ実感しては一人で静かに過ごす寧日。
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半休として、昼はちょっと一人で作業し、夜は友人と色々と作業をする。夜中にはテイクアウトの富士蕎麦をおごってもらう。なんとなく薫る青春の味的なフィーリング。

夜中に帰宅して7%のハイボール缶をシュワシュワとすすりながら、PCでメールをチェックしたり日記を書いたりする。

7年、8年以上前の昔、俺は基本的に飲酒しながら日記を書いていた。今は、誰かと呑みに行った日以外はシラフで書く。以前は、酒が入っていないとスススと文章が出てこなかったものだが、ここ数年は、逆に呑んでいるとブラインドタッチからして怪しくなる。

そのように、習慣も、長い年月をかけて変化していくのだなとしみじみ思う。ここ最近、世風の影響もあってか、「変化」にフォーカスしがちな思考がはたらく。

「俺は、あと何年生きるのだろう」「5年後は、10年後は、30年後は、何をしているだろう」「今継続していることはいつまでやれているだろう」「みんなとは、いつまで関わりを持って幸せに暮らせるだろう」などなど、全て「変化」を伴いつつも「維持」できることはなんだろうと。

このように、昔と違って、呑んで日記を書くと取り留めのない内容となる。それはシラフの時も大して変わらん気もするが。
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とうとう宅に電子レンジがきた。友人がくれたのである。最後に家で「チーン」とやったのはかれこれ20代の頃、実家があり、そこに住んでいた頃だから遥か大昔。

「電子レンジなど必要ない」と言い続け15年ほど経つだろうか。しかし、コンビニで食い物を買うと「温めてください」と、俺は高確率で言う。スーパーのおつとめ品弁当を買って帰ってきては「ホカホカにして食いてえ」と、不平を漏らしていた。要は、電子レンジは必要なのである。

たった今、冷蔵庫の上にレンジを鎮座させ、試しに稼働させようという想いのもと、レンジのツマミを右打ちの要領で軽くひねり、すぐさまオフにした。当然「チーン」と、高音域が鳴る。

これはやったぜと、今日は「レンジで温めるのが前提」である、惣菜のモツ煮のやつを買ってこようと思う。いつも「うまそうだな」とは思っていたが、さすがに冷えたモツ煮をアテに酒をすすっていたら涙がこみ上げてくるのではないかと、やり場のない愁嘆を回避していたのである。

だが今夜は違う。モツ煮だろうが冷凍食品だろうが、レンジがない期間があまりにも長かったので他に選択肢が出てこない始末だが、もはやなんでも来いである。片っ端から温めてやろうと思う。

とはいえリズムでいつものように「ほぼカニ」あたりをひとつ帰ってきて「しまった」となりそうなのが懸念される。その際は、カニカマを温めて食う。吉とでるか凶と出るか。ホットほぼカニ。
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気がついたら仕事部屋のソファで朝を迎える。気絶寝をしたもよう。 しっかり休みの日として過ごさなかったから疲れが溜まっていたのかなと、そのように正当化した思考が真っ先に出るがシンプルにだらしない。

仕事の合間、本屋でビジネス雑誌を立ち読む。本を購入、となるとジャンルはわりと絞られるのだが立ち読みに関しては雑読。

行動経済学、サウンド・レコーディング、瀬戸内寂聴さんの著書、昭和の新聞号外特集、宝塚の雑誌と、フレキシブルなチョイスで断片的に様々な情報も集める。

なんというか、俺が情報収拾でピントを合わせていない時は、だいたい「どうしようかな」と悩んでいる時である。そうでもなければ目的が明らかにつき、専門書のひとつでも即決で購入する。

案件は減り、新規的な活動もなかなか軌道に乗らず、「いやあ、やばいねえ」と語り合う同僚もいなく、定期的に出勤する場所もない。客観的に、これは精神衛生上まことによろしくない。

そういう時は、こと男性の場合は筋トレでもすればスッキリするとも聞く。だが全く筋肉に負荷をかける気力が起きない。じゃあと思い、夜、昨日1曲完成させたので、今日は制作ではない方面で楽器と向き合い数時間過ごす。

アナログ・シンセサイザーでなければ再現不可能であろう、レディオヘッドの「Everything in Its Right Place」(2000年リリース『KID A』収録曲)という曲のサウンド(たぶん「Prophet」というアナログシンセの音)を、宅のシンセサイザーで再現してみる。

わりと近いたので、10/8拍子で弾き語るのが死ぬほど難しいこの曲とまた向き合う。10年くらい前、鍵盤の弾き方くらいはアナライズしたが、改めて、徹底的にやってみる。すると、どこかに滑り落ちてしまいそうな心境から解放された気分になる。

<全てのものはあるべき場所に>と、和訳できる節が何度も出てくるこの楽曲。魔力のようなバイブスを孕むサウンド。意味深なタイトル。

“あるべき場所”とはなんぞやと考える。俺が居るべき、在るべき場所とは――と、手前と重ね。

それがわかった時は、きっとめちゃくちゃシュッとなるであろう。あまりにも抽象的だが、「とてもシュッとする」という表現以外なかなか思い浮かばない。

それがわからない時というのは、「それがわかる時」までに、絶対的に必要な期間なのではないかと、強引に前向きな解釈を浮かべる。今日あたりひとつわかったことは、「ベッドというちゃんとした寝るべき場所で寝ろ」という基本的な一点。
_02/25

 

 

 


ベッドに屈伏しかねないほどよろしくない寝起き。腹部に膨張感を感じ、脇腹もなんか少々痛い。

「ああ、これはなんらかの大病の兆しなのかもしれない」と、本気で思い込み、その思考に過度に囚われる症状として「心気症」というものがある。

どっちにしろ鬱陶しいと、小さな檄を飛ばしつつエリンギ・ラーメンを作って食う。キムチだってたくさん食べる。そして、シュテファン・マチューのアンビエント楽曲を聴きながら休憩するとすっかり治る。

ははは俺は大丈夫だと元気になったが仕事が潤滑とは言えないのが悩みどころ。

夜、友人とその周囲の方と会う機会があり、初対面の方に「ライターをやっております」と言うと、そういった関係のお話をしてくださったので名刺をお渡しし、さりげなく営業トークをする。「いや、今これがねえ」と、わりと具体的な話もしてくださったので期待をする。

ピンポイントで業界の方とお話できたのはラッキーだと判断した。「直接的」というのはもちろん話が早いのだが、これに加え、「偶発的」というのも加えたいと思った。

例えば、一人で立ち飲み屋あたりに呑みに行き、ベロベロの隣人となんとなく一緒にしっぽり話して呑む。そしてその人が編集者だったとする。しめたものである。

「いやあ僕、フリーライターもやってまして。これ、名刺です。なーんか書く需要とかないっすかねえ? グビグビ」などとフランクに振る。そして、「ああホントぉ! ちょ〜ど今こういうのをやろうかと――新しく外部のライターとか探していてねえ」という風になったら僥倖である。

などとうまく行けばそれは良く言って「縁」。しかし可能性は、極めて低い。そしてマンボウだかなんだかの影響で、深い夜は基本的に飲み屋は暖簾を下ろしている。

だからまともにアピールすることに努めようという結論に至る。とはいえ、「一人で外で呑んでる時に会った方とのたまたまの縁が仕事に直結した」という話はわりと聞いたことがある。

マンボウが明けたら、期待値は薄いが、「夜の偶発的営業作戦」も視野に入れようかと思う。やはり、いつの世も酒呑みという奴は「呑みに行くそれっぽい理由」をひねり出す才に溢れている。その才を仕事に使いたい。
_02/26

 

 

 


明らかに暖かくなってきた春の気候。まったりのんびりワクワクした心境が天候との比例ラインだろうが、今日も外を周っていると、手前の営業力の弱さを感じ、とうとう怒りすらこみ上げてくる。 「もう!」とか言いながら歩く始末である。

これはいかんと、まだ判断する線まで到達していないのだからと、冷静にと、昼飯後に、ステンドグラスで囲まれた建物の中でクールダウンする。この場所は何故か知らんが、不思議と、魂の根元あたりから落ち着く気分になるのである。

「怒り」という感情は、二次的な感情で、その手前にまず「不安」や「恐怖」がある。と何かで学んだ気がする。要は、不安や恐怖を打ち消すために「怒りの感情」が生じるのだろうか。まさにその通りなのではないかと実感した。

昨年後半からずっと、漠然と不安だったのは、単純に、手前の生業の進み具合が心配すぎたのではないかと、やっとわかった。

ということは、仕事が順調になったら俺は弾けて陽気にえらいテンションになるであろう。早くそうなって、楽しく暮らすためにも、明日もせっせと張り切るのが賢明。変に苛つかずに。エネルギーが出る方面の怒りに関しては、むしろ外に向けさえしなければ使いようという解釈もある。基本的にはニコニコして頑張ろう。春は春らしく過ごせるように。
_02/27

 

 

 


秒で去った感覚の2月。冬も終いの気温。今日は時期らしく、事務作業多めに過ごす。

月末にいつも生配信をおこなうのが習慣になったのだが、いろいろとタイミングが合わずやれず。明日とか明後日やれたらいいなと企てる。

今月を総括すると、けっこう色々と動いてはいたが、伴わない点が多かったというさみしげな所感。しかし、後ろ向きな気持ちや落ち込みは、怒りとやる気に変換されたので、そこだけは感心できるかなと前向きに捉える。

来月から、あらゆることを、今までよりもっとペースアップ、というコンセプトを掲げて邁進しようと奮い立つ。「畜生め」という感情がネガティブに出力されず、好ましいモチベーションとなるあたりは、俺もいよいよ大人になってきたのだろうかとか思う。

だったらもっと大人らしく、いろんな意味で恰幅のよい好漢になりたいものである。季節的には長い冬が明けた、陽射しの香りがありがたい春手前。
_02/28

 

 

 


 

 

 

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