ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。大人になりたい。2月。
「ある理由」があり、今日は徹底的に休むことにした。これは、遡ること昨年の秋過ぎに断じた決定事項である。
そのために、今日じゃなければやれないことは、あらかじめ巻きのペースで行ない、仕事も入れず、誰かと会う約束もとらなかった。今日はただ、ひたすら息を潜めてじっとするのが最重要タスク。その通りにした。
とはいえ宅でじっとしているのはむず痒い性分なので、散歩くらい行く。しかし、絶対に新しいことや、普段やらないようなことは一切しないという条件付きである。
だから、行き慣れた散歩ロケーションである池袋に行く。慣れた「富士そば」で無難に食事をする。何度か行ったことのあるサンシャインシティでふらふらして和む。買い物はしない。
赤羽に戻り、よく行くスーパーで買い物して帰宅。楽器練習くらいはする。動画制作用のコンテンツをいろいろ作る。あとはYouTubeを観たり、ソファで一休みしたりと、見事に「じっと」過ごしていた。結果、何事もなくいま、日を跨いだ。
「――特に、2月1日はよくないです。新しいことを始めたり、何かの契約、環境の変化、そういうことをすることはやめたほうがいいです」
と、昨年の秋過ぎあたりに占い師に言われたのである。なんでも、四柱推命で言うところの「金鎖殺」という、詳細は端折るが要はヤバい時期があり、「日単位」だと、今日にあたるというわけである。
鵜呑みにするのもどうかなと思ったが、「金鎖殺」には「年単位(60年に一度の酷い年)」もあり、俺はそれが30代の後半にさしかかるあたりと占ってもらった。けっこう当たっていた。介護やらなんやらで地獄のような心境だった年である。
それもあり、とりあえず日数単位(60日に一度)の「金鎖殺」である今日は、おとなしくしていたという訳である。
結果、めちゃめちゃ意識していたこともあってか、何事もなかった。しかし、なにか意図的に行動を起こしていたらそうではなかったのかもしれない。だから今日は誰とも会わず、連絡もせず、SNSやYouTubeなどでの発信もせずと、徹底した。
感想としては、ビビりながら暮らしていたが、ゆっくり休めてよかったということと、滅茶苦茶に「守り」に徹すると、人はこうも普段と思考が異なるのかということ。
「ネットに投稿したいことがあったが、なんか誤解招いたらまずいからヤメ」
「普段の環境にプラスした作業をしたらツールの破損とか起きかねないから今日はヤメ」
「アンプ、ちゃんとついたけどまた壊れたらショックすぎる」
「高い機材に不具合が起きるのが怖いから今日は録音はなし」
「いまこのアプリケーションをアップデートしたらマシーン本体がどうにかなるかもしれないからヤメ」
「普段行かないところに行ってトラブルに巻き込まれたくないから行き慣れた場所へ」
などなど、危機管理能力が低いという自負がある手前にとっては、様々なリスク回避思考(タイミング的に今日は、ということなのでマイナス思考ではない)が明確に生じる良い機会の日だったと思える。
占いとしてはシンプルに目安の日だったのかもしれないが、こうしたリスクヘッジの盾を強化させる意識に気づかせてくれたと解釈すると綺麗だろうか。
「――もし、その日になにか良くないことがあったら『やっぱりな』くらいに思って、それでいいと思います」
と、占い師は言っていたが、過剰に頭に残っていたので試しにその通りにした。変なことはおこらなかった。思い切ったことをしていたら、本当にスベっていたのかもしれないが。
そんなこともあり、今日得たことは、潜在的な事象をあらかじめ回避するという、これまでほぼしてこなかった考え方。
もっともっと若い頃だったら、「じゃあ逆に、ひと勝負して試すか〜ネタになるし〜」などと、無茶なことをしてはダメージを負っていたかもしれない。
そう考えると、結果的にたいへん平和な日だったが、顕在意識に「ちゃんと守る」という思考をプラスできた。際立って前進する行動をしたわけではないが、なんかひとつ、ちょっとは成長できたような気がした60日に一度の日。
_02/01
“大丈夫”と、紙切れに書いてキッチンの鏡の横に画鋲で貼ってある。いつだったか、来客した堀田氏に「何がだいじょうぶなんすか?!」と、素で笑われた。
そこは、「ええ。大丈夫なものは大丈夫と、正しく捉えて、誤認しないためです」と、適正メンタルを促している旨を説明した。「はあ!」と、彼は言っていた。
“稼ぐ”と、紙切れに書いてキッチンの鏡の横に画鋲で貼ってある。先述の紙切れの右側である。堀田氏に「稼ぐんすね! 大事…っすよね――」と、笑みを浮かべていた。
そこは、「はい。ちゃんと稼ぐこと大事なので稼ぐように、と無意識下にまで叩き込むのです」と、確固たる意志を言葉にして伝えた。「うん!」と、彼は言っていた。
今日はその2枚の上に“創作をしなさい”と紙切れに書いて画鋲で貼った。なぜか。
結局、俺が一番したいことは創作だからである。対象はなんでもいい。いまは音楽や文章がメインであることに加え、半年前から動画制作も加わった。
思うと、手前は創作物が完成した時、さらには収益化した時に最たる快感を得る。いいのができて、それを消費したり使ったり楽しんだりして喜んで頂くことが幸せだからである。
だから、日々、行うこと全ては創作に向けていると完全に思えたため、書き出して毎日目につく位置に掲示した。こういうのが案外効くのは実証済み。
この行為は、「行なう」のではなく「やらない」ことに対しても有効である。ちなみに俺はギャンブルを辞めるときはこの方法を活用し、今に至る。
そういったわけで今日は、仕事をして、興行用の足元機材構築(でかいボードにエフェクターを並列に組む)および練習、楽曲制作などをして過ごしていた。
「創作をしなさい、ですか――これはなかなか……」と、言われるかもしれない。「そうです。創作です。その先にいらっしゃる、すこしでも喜んで頂ける人さまのためです。俺も含みます。自分が一番やりたいことなのです」という回答を用意している。
だからなんだと一蹴されることもあるだろうし、「まだこじらせてるのかな…」と心配、いや、バカにされるかもしれないが、したいものはしたいからやるのである。創作。
_02/02
そういったわけで楽器練習や録音を重点的にやる。YouTube視聴とかAI実験とか色々したかったが、今日はその時間は削って制作やらをする。
シンセサイザーでしっとり刺激的なサウンドメインのエレクトロミュージックを作り進める。どうしても、ササッと仕上がりまでの時間が速くならないのが楽曲制作。
ほかの殆どのことは、完成までのスピードが経年に比例して上がるのだが、これだけはいくつになっても時間が縮まらない。執拗なまでに質にこだわるからである。
もうそれはそれで、どうしてもゆずれないのだなと良い方向に捉え、割り切る。曲の土台を楽譜に起こす。もうちょいというところで0時過ぎ。くっそ時間が、とか思いながらDAWを閉じる。
そのぶん、毎日少しづつでも、絵画で言うところのキャンバスに向かう時間をちゃんと振り分けることが大切であると、先日の張り紙経由で意識できたことが今日の収穫。それをより強固な習慣とすること。
最近よく行なう動画制作もいいが、そればかりに偏るとDAWを開く時間が減る。だから、全てのタスクが常に動いている状態がバランスがよいと実感する。
他者から見たら「どれかに振り切ったほうがいい」と映るかもしれないが、手前はこういう感じがたぶん合ってる気がする。結果や数字たるや、どうなるか。
それは定期的にビジネス思考をはたらかせて判断する。とはいえその数値的感覚がなかなかふにゃっとしているあたりも課題。なんにせよ、制作のために、とにかく手を止めないように、というのが心地よい。
_02/03
「鯛」のブロックが半額で美味しそうだったので刺身にして食べる。白身はこう、さらっとプリッとしてたまらんねと酒と共に流し込み熟睡。
起きて仕事してたら腹がおかしく、これはいけないよと、ひと段落してビオフェルミンと一応「葛根湯」も念の為ミックスして服用。平熱。寝る。おなかが痛いので寝る。滅多にないことなので、何か大きな病気なのではという心気症気味にもなるが寝る。
起きたら3時間くらい経ってる自分にびっくりしたりする。ははあ、「鯛」が原因と決めつけていたが、それも含むが最近微妙に睡眠不足だったのもあるなと、まあまあ回復した体を俯瞰する。
腹の痛みはツツツと真ん中あたりから、どんどん下の方に移動しているあたり、やはり主犯格は「鯛」である可能性が高い。疲労時の生モノが内臓にくるようになったか、歳かと、最近は何かあればすぐに「歳か」と鄙びた心境になる43歳壮年期。
ともあれ、あとは出すものアウトプットしたら治るやつだなという感覚なので楽器練習したり制作したりする。健康第一。「鯛」自体に罪はない。
_02/04
腹いた、めちゃめちゃ回復して起床。降雪のためずっと宅作業とする。1度コンビニへ、1度めし屋経由からのスーパーへ、それ以外は外出せず。そういう日があってもいいかなと、コツコツ暮らす。
主に楽曲制作をしており、やっと土台ができたが、これはなんというジャンルのエレクトロミュージックだろうと不思議に思う。
特にモチーフを掲げずに直感的につくると、こういうことがある。それはそれで、かっこ良く言うとクリエイティブでいいかなと、「明らかにこういったニーズに」とか考えずにつくるのをちょいちょい挟むのも大事かなと、そんな気分で一旦DAWを閉じる。
あとはガチ機材を並べて興行の演奏練習をしたり、動画用のイラストをソフトでブラッシュアップしたりする。誰とも話していない日だがそれなりに充実感はある。
雪道を歩いていて、謎に子供の頃より自然とテンションが上がるあたり、まだ純粋な心を失っていないのかなと率直に思う。サクリサクリという歩く触感と隠者のような暮らしがなんだか心地よかった真冬の一日。
_02/05
今日のKDDI株式会社の株価くらいガクンと下がったりする昨日今日の気分落差。寒いしそういうこともあるよねと、抑鬱にも慣れたもので狼狽はしない。
へえ、TOB(株式公開買付け。今回の場合、KDDIがローソンの株をめっちゃ買った)すると買付側企業の株価はこんなに下がるんだ。ははは。
と、保有しているKDDIの株価の見事なまでの下落っぷりをチャートで眺める。こちらも慌てず、そのままにする。
夕方から急に気分がよくなってきたので普通にギター練習したり画像編集したりする。YouTubeチャンネルでよく拝見する岡田斗司夫さんは、診察は受けてはいないという前提で「躁鬱」だと公言している。そして、ご自身の鬱の時期には数カ月おきの明白なスパンがあり、それを把握しているという。
なんだかすごいなと、俺もふと、そういうのあるのかなと昨年の今頃を回顧する。まだまだ記憶力はたぶんさほど衰えていないであろうことに加え、毎日記録しているので覚えている。確かに、死にそうな気分であった。
その頃は、ほぼ無職状態という明確な「理由」があったが、昨日今日あたりはそれがない。そのへんちょっと気にはなるが「いつものことだ」と、メランコリアを飼いならしているつもりである。
そういった感じでなんやかんやと下がったりもするが、それでも、いつも通りやることやって、「今日はこれでいいのか、明日はどうする、それが自分の正道か」と問いながら暮らす。これは「毎日生き方を確かめる」という今年の抱負である。
それができているうちは、なにがちょっとでも派手にでも下がろうが、芯はブレないであろうと手前に喝を入れる。
とはいえ、前もって知っていれば昨日KDDIの株を売って、ローソンの株を買って、けっこう儲けたな。などとも思うがそれを知ってしまっていれば、きっとインサイダー(捕まるやつ)に値する。
何が言いたいかと言うと、あらゆる事象の「下がり」の時期では、そのまま自分も下がるのではなく、勉強したり省みたり振り返って確認したりする、とてもよい機会だなと捉えているということである。明日も下がってたらキャンと悲鳴が出そうだが。
_02/06
寝ても寝れど眠い。疲れてるのかな、と仮定する。なんだか蕎麦も野菜も随分値上がりしてるなと実感しつつ、ウロウロと界隈をパトロールする。
スニーカーはちょうどセールで安くなっていたので、しめたと思い買う。今日、特に変わったことがあったかというと、これくらいである。
仕事部屋で楽器を練習したり、延々と画像編集したり、乾麺に野菜を入れて食べたりして、一休みしたら寝てしまう。まだ眠い。
これはもうしかたないということで半日はゆっくりして過ごす。制作もしたかったが、無理をして疲労をブーストさせたくないので、やりたいという気持ちは残しつつ今日はDAWを開けず。
そんな日もあるなと、風呂を沸かす。深夜、ゆっくり心身を休めようと思う。この間ふと思い出し、随分前に処分したが買い直した漫画『御緩漫玉日記』を読みつつ。
この作品は、著者の桜玉吉さんが43歳くらいの頃に描かれたものである。なんで“ふと買い直した”かは、この点につきるのかもしれない。
というのも先日、手元に届いて読む前にまず、なんとなく「20代の頃によく読んだな」と懐かしみつつ、最終ページに記載してある初版の年を確認して逆算したところ、当時、著者が描かれたのは現在の俺とほぼ同じ歳の頃ということに気がついた。ふわあと、声が出るほど、買い戻しは潜在的な意図だったのかと如実に驚いたのである。
基本的に実体験がベースとなる本書、そして、ほかにも日記形式の作品が多い桜玉吉さん。
小さい頃、ゲーム雑誌『ファミコン通信(現・ファミ通)』で彼が連載していた漫画を好んでよく読んでいた。俺がノンフィクション作品が大好きな初期衝動は桜玉吉さんである。
小学生の手前は、「そこに人間味とリアリティが含まれている血の通った作品こそが、自分には刺さるのである」などとは思わなかったが、今はそう思っている。
そのへんを再確認したかったから、ふと、買い直したのかなという思索。改めて読むと本当に名著だと感銘を受ける。
43歳でこんな素晴らしい作品がつくれるんだなと、なんだか勇気が出ると共にやる気も出るが、今日はとにかくとにかく眠いので半分お休みの一日。
_02/07
「真面目であることは悪癖だ」と諭すシーンがある。とある漫画のキャラクターの鋭利な一言である。
そう言い放つ彼は天才肌で、人との距離感、親しさに限度があり、家族などとは無縁のよう。
一方で、そのセリフを言われたキャラは、真逆の性質。その言葉に、ハッとする。そんなくだりをふと思い出した。
自分で言うのもなんだが、手前は変なところ真面目なきらいがある。「そこじゃねえ」という点が真面目だったりする。それがしばしば、自身を苦しめているということに気がつく。
なにもいい加減に適当に無誠実でふざけていろ、というわけではない。うまく、スムーズに、自分らしく、フレキシブルでいるためには“真面目”なんていうものは邪魔でしかない時もある、という風に解釈している。
ここ最近、なんだかどうもな、という思考に囚われている時は、やはり真面目が最前列にいた。明らかに居た。
だから、こういうタイミングではスッと、そいつを後ろに一旦放り投げとくか、そうするか、と思ったらなんだか気が軽くなった。
“誠実”と“真面目”、意味はほぼ一緒だが、“悪癖という言葉が付随する真面目”は、確かに人をがんじがらめにする。
そうだよな、確かになと、どうせ死ぬしな、人生なんて喜劇だろうもと、どんどんなにかが解けていく。
ここぞというところでの真面目はまだいいが、それが姿勢として習慣化され、真面目であることこそが正義――あたりまえ――そういう思考が凝り固まり、定着する程の段階になってくると弊害がある。そんなところだろうか。
人によって噛み砕き方は異なるだろうが、俺は今日、そのように思考をまとめたら不要なネガティビティが軽減された。たったそれだけの話である。
だが、そう思った昼過ぎの刹那こそが、今日のハイライトだったというあたり、本当に人間の認知というのは不思議だなと思った。
「真面目であることは悪癖だ……!」というセリフは、福本伸行さん著『天』に出てくるアカギこと、赤木しげるのもの。なお彼は、スピンオフ作品『アカギ』では主人公ともなる。
変なところでの真面目思考や行動をスッと消すと、あんまざわざわしなくなる。
秒で彼のセリフを思い出し、秒でスーっとなる。そういう日もある。総じて、今日は良い日であった。
_02/08
昨夜、ソファで眠り崩れ再度ベッドで睡眠するも体感・秒で起床時間。とても眠いが起きてしまえばだいたい大丈夫。
興行のリハーサルでスタジオへ行く。みなさまで音を合わせたり段取りを組んだりする。これは真面目にやる。仕事である。
宅に戻り、画像編集ソフトおよび動画制作ソフト(共に課金グレード)で制作をする。しばらくし、「おや、ケツが痛いな?」と、気がつけば3時間半経っている。この作業に関してはまだ収益などには繋がっていないのにまあよくやるなと宵の入りであることを確認。
「軟骨串」が無性に食いたいのでイトーヨーカドーの値引きタイムセールを狙い撃ちする。見事にヒットし、ほくほくスキップ気分で帰宅しYouTube動画を色々観て、得たい知識を仄かに吸収する。
やっぱ眠いわと思って岡田斗司夫さんチャンネルを再生させたまま小一時間休む。ムクリと起きて楽曲制作をする。
パスパスとA10神経(ドーパミンを生産する脳幹の神経細胞)を刺激するようなエレクトロミュージックを作り進める。制作段階で俺はすでに昂ぶるサウンドなのだが、聴く方はどうかな、などと吟味しつつ。
あっという間に日が閉じる。今日という1日に関する全てに感謝する。たまに何らかのライトな信者のような締め気分になるが、俺に特定の信仰心はそんなにない。無差別な感謝の意は、ちゃんとあるつもりだが。
_02/09
「ミケネコビール」と書かれ、シュールなネコたちが二匹、線対称に描かれているかわいいポーチが売っている。
大正ロマン・リバイバル的なそのデザインと、なんとも愛くるしいネコたちの描写にたまらなく惹かれる。近所のデパートの展示店の一部で売っているやつである。
どう考えても常用はしないだろうと判断できるが、何故にこんなにも心を掴むのかとしげしげと笑みを綻ばせつつ凝視すること今日で4回目くらい。価格は4,400円。買わないよ、買わないよ、と今日も呟きながら地下の食品売り場へ行き酒等を調達して帰る。
人を魅了する絵面の黄金比というのはあるのかなと、そのネコポーチを眺めては思う。昔だったら、まだ警告文章が記載されていないタバコも、なんだか美しいデザインの象徴のように感じられた。
マルボロやハイライトなど、一般的な煙草のサイズは「55 × 88mm」で、その縦横比は「1:6」となり黄金比(1:1.618)にほぼほぼ近いという。
たまに、白銀比(1:1.414(5:7)くらい)のサイズのもあり、マニアック寄りの銘柄だが「ジタン」という煙草のサイズがそれにあたる。Guns N’ Rosesのギタリスト・スラッシュさんが吸っていたやつである。今も吸っているのかは不明だが。
ほかにもフィボナッチ数列などを含めたデザイン、アンモナイトの螺旋やオードリー・ヘップバーンさんの顔の比率は黄金比で――などなど、わりかし万人が「綺麗だな」と感じるデザインには法則があるもよう。
しかし、そういった視点込みで何度見ても、「ミケネコビール」ポーチのデザインにはそういった法則は適応されていないと思われる。
じゃあなんで俺はあんなに、まず使用しないであろう「ミケネコビール・ポーチ」に引き込まれるのか。欲しいのか。考えてもしょうがない。
ただ、美しさには法則もあるが、なんとなく雑なデザインだけど妙に目に止まるものもある。そう解釈する。そういう感覚を見逃さないように、直感的にも理論上でも感性として広がるよう、したためておく。
数値や言語では説明不可能な魅力というのがやはりあり、それは人間や動物や自然独自のものであり、それをキャッチした瞬間を大切にしたい。だったらネコポーチ買えばいいのにとも思うが、買わない。
しかし、「この造形で4,400円は高いだろ」と思わせるその価格の裏側には、以上のようなことを考えさせる説明不能の「価値」があるのかもしれないという雑感。考え過ぎかもしれないが。
_02/10
音楽興行現場で皆様の前で、皆様と共に演奏する。これは楽しいなという背景には、各自の入念な下準備やらが綿密にある。
しかし、「そんなんあるんだ?」と、言われなければ気づかれないくらいの努力やらが色々ある。それを昇華させて楽しむのがライブ興行。などと思った。
今日はアーティストのSPALの案件で一日を過ごす。リハと本番の合間には、メンバーと界隈を散歩したりと、抜くときは抜くべしと言わんばかりにリラックスする。今日、ステージを共にする俺を含めた3人で、辺りをぶらぶらする。「あんま、なんもねえな」という各々の所感を共有しつつ、謎にパチンコ店へ。
俺はパチンコ・パチスロは禁忌としていっさい打たず10年以上が経つので、共のプレイは断り、2人の台選びだけ斡旋する。
「君たち君たち、これとこの台。打つといいよお……!」
「そう? そんじゃ……チーン、ジャラジャラ。ペペペペペペペーン!」
というわけで俺は、即時・博徒たちのオーディエンスとして後ろで見守る。すると彼らは、よせばいいのに秒で確率変動大当たりを引く。どうした。わりとありえない展開である。
ああ! と思った俺は後ろで驚きつつ歓喜。なんなら手前が当たるより、よっぽど面白い光景であった。結果、1時間足らずで彼らは勝利を得る。
「いやあ〜!」などと、エロい表情で一同は楽屋に戻る。肝心なのは当然ライブだが何のその。このくだりは、これから皆でその場にいる皆様と共に過ごすためのスパイス。その一言なのかなあと斜めに昂ぶる。よくわからないがとても面白かった。
興行自体はみんなほっこりだったという雰囲気の肌感。ううむ、幸せであると、終演後に軽く共演者の方々と酒などを呑み、帰宅して各機材を所定の位置に戻す。
「今日は充分。作業とか、いいか」と断じ、近場の飲み屋界隈にぶらりと赴き、顔なじみの黒服ニキとスキンシップを交わし、誘いは躱し、赤羽駅付近の『桜商店』で1,000円ちょい軽く呑んで帰宅。
要するに、とても幸せな1日であった。みなさまの幸せな様子を確認できることに感謝を禁じ得ない。幸せはどこにでもある。
そう俺が断言できる根拠は、愉快な仲間たちがいつだって、様々な角度で、ファンキーで幸せであることである。彼らはとにかく、引きが強ええ。
_02/11
隣町を散歩する。北区十条である。開発中の駅前で、そろそろ春かもね、といわんばかりの暖かさのなか日向ぼっこをすること15分くらい。のどかだなと、隠居老人のような立ち振る舞いで空を眺める。
少し路地に入ると団地があった。「11」や「C」などの数字記号がラベリングされている各棟を見つめては圧巻と、団地マニアにはたまらんと、スマホで撮影するが写真には写らない美しさがあるなと改めて感ずる。
JR埼京線の線路をひょいと跨ぐその先に、ぽつんと団地造形の建造物が1棟。ここに関しては解体予定の張り紙があり、役目を完全に終え、あとは死を待つのみといった退廃の美。昭和中期には機能していたであろう焼却炉の存在がたまらない。
ネコが居た。友好的なムーブであった。「よっす」と挨拶すると「ニャー」と、応えた。首輪もしていなければ耳に切れ目もない、正真正銘の野ネコである。
「立派な茶トラだねえ、ごはんはどうしているんだい?」などとコミュニケーションをとり、しばらく側で一緒に過ごす。
ふと、手に持っていたローソンのアイスコーヒーを軽く振り、カラカラと氷が当たる音を立てると、茶トラは懇願の面持ちで直視しながら寄ってきた。「ニャアアアア」と。
「ごめんね。ごはんじゃないんだよ。君のごはんは、持っていないんだ」と、待ってましたの期待に応えられずに平たく謝罪。
ともあれ、人間が手元の何らかをカラカラする、すなわちメシにありつける、という条件反射が備わっている彼は、ほぼ確で誰かにいつもごはんをもらっていると推測できる。
じゃあよかった。よくみるとなかなかの恰幅に、目ヤニなどもなく、健康そのものじゃないかと安心して駅前に戻る。
ブックオフで小一時間、プークスと発しつつ漫画を読む。「潰瘍性大腸炎」という難病にまつわるエッセイ・ギャグ漫画『腸よ鼻よ』という作品である。たいへん面白く、改めてその難病の大変さを深く知れた。
充分ほのぼのしたので帰宅。最近立て込んでたから今日はこういった過ごし方がふさわしいと、メシを食べてちょっと寝る。起きて楽曲制作をする。やり始めたらやはり止まらずあっという間に夜も深まる。昨日とは真逆のテイストの楽しい日。今日という1日に感謝する。
_02/12
興行やギター録音がない時期はなんか練習しないようになったなと、その事実を率直に認め、意図的にストラトをちょっと弾く。ちゃんといつでもすぐに、人前で弾けるようにと。
今日あたりは普通に仕事をしてほどほどメシを食べ、動画制作をしたり好きなYouTubeチャンネルを観たりして過ごす。日常。なにかに偏らないバランスのよい日。
先日はそんなに酒も呑んでいない。体調も良好。演奏やらマウスの微妙な操作などをすることが多い昨今、上着を羽織るときのに右肩が痛むのがやや気になるが四十肩ではないと、そこは決して認めない。
老いはしょうがないが、生まれて44年目。節々に少しずつ感じる体や気の変化。良い面もそうでない面もある。
あと20年ちょいで前期高齢者。30年ちょいで後期高齢者となる。そう考えると、もうすぐのようでもあり、ぜんぜん先でもある。その頃に何を回想するかというと、とりあえず今は、断じて「老い」とかあんま考えないでいいかなと思う。
歪んだギターサウンドに興奮できるうちは――などという個人的かつ妙な基準がふと思い浮かぶ。75歳くらいになってとうとうレスポール・ギターを購入し、相変わらずロックサウンドとか作っていたら、それはそれでクールな爺さんかなと、2055年を遠い目で想い浮かべる。
_02/13
昨日とほぼほぼ同じ時系列の1日だなと、今の今まで思いながら暮らす。それはそれでと、特筆して濃い雑感等はないかなと、わりと平和に過ごす。
ものすごいサイケデリックな夢をみたのだが、珍しく記憶に残らなかった。しかし動画編集中、あらゆる色の混じり方、色彩などの判断基準には、幻覚のような夢の景色が少なからず反映されているような気がした。
そう考えると、なにかを創作するということは、無意識下の情景や情念を表に吐き出す行為なのかな、などと思う。
そこに万人の共通意識などが表されていれば共感や喜びや共通認識を得るのかなとも仮定する。
というのも、異国のシャーマンの儀式や幻覚作用のある何らかを取り入れた時に、マンダラ模様や幾何学模様など、同じようなビジョンが脳内を巡ると聞いたことがある。
俺はそういった体験はないが、夢の景色では多分それに近い体験をしていることがあると、たまに感じている。
まあまあいかがわしい記述ではあるが、割と真面目な視点で捉えると、誰もが共有する壮大かつ謎の集合意識、超意識への洞察。どんどんスピリチュアルな方面へ飛ぶ。そいうのは傾倒こそしていないものの、けっこう興味しんしん。
_02/14
過ぎれば楽しい1日。あと、何日かなあと、ふと思えど、それはそれぞれ。
_02/15
なんか昨日の日記を一瞥しては遺書みてえだなと怪訝に思うが、特に何かがあったわけではない。楽しく過ごしていた寧日。
今日は主に休息しようと、プラプラと街を歩く。ペロペロと本を読む。頭に残った一節は「現代思想」。
とても難解な内容なのか、手前の脳が脆弱なのか、前者であってほしいが、とりあえず俺なりに思うことは一応あった。
著書には、“現代は秩序を重んじ、正しさが求められる”といったような部分が強調されていた。
確かに、「ホワイト化」という言葉があらゆるコンテンツから散らばる現代。若いうちから煙草を吸って無意味な悪さをし、モダンな傾奇者のようなファッションが「かっこいい」と写る時代は終わっている。
いまは、そしてこれからは、「正しさ」や「調和」や「多様性を認める」といったテイストが主流であろうか。不正は過剰に晒しあげられるほど「悪」とされ、忌み嫌われる。ちょっとでもはみ出すとえらいことになりかねない。
しかし、当然や当たり前、普通、常識、スタンダード、いろんな表現があるが、それらから「逸脱」しないと新たな事象はなかなか生まれない。これは、歴史が物語っている。
時には、「君。それは明らかに違うだろ」という思想や行動や手法が革新に向かう。偉業を成し遂げる人物は、エジソンにしても、アインシュタインにしても、スティーブ・ジョブズにしても、相当な変わり者だったりする側面がある。
なんとなくそんなことを考えていたら、数年前のコロナ禍、TOWA TEI さんにメールインタビューをさせて頂いたことを思い出した。対面ではなく、俺が質問項目を20個くらい文面で送り、TOWA TEIさんがそれに文章で応じるといったかたちである。
「――音楽を制作する上で、心情やスタンスなど、最も大切にしていることは?」
「チャンス・オペレーション、チャンオペ」
というくだりがあった。チャンス・オペレーションとは一言でまとめると、作品を作る際に偶然性に委ねる手法のことである。
たとえば、明らかにイメージして演奏して録音するのではなく、ランダムに打ち込みをしたり、乱数やアルゴリズムを利用するようなスタイルである。
TOWA TEI さんが実際にどのような方法でチャンオペするかまでは、メールインタビューにつき掘り下げられなかった。もしかしたら、作曲時以外のインプット時でも、それを行なっているという深さを孕む回答なのかもしれない。
俺もたまに制作時にチャンオペをする。最中、だいたいは「違う」となるが、たまに奇跡的に「すげえ」と、採用に至るトラックが生まれたりする。
現代で言うと、生成AIに間違えたプロンプト(指示文や質問文)を投じたら、なんか想像とは全然違うけどクールなのが出てきた。やったー。みたいな感じだろうか。
「現代思想」そのものは、今の「秩序」や「正しさ」を重んじることと断定することはできないが、少なくとも、「現代においての風潮」としては、よりホワイトであり、はみ出すことは如何なものかという点はズレてはいない。
ちょっと違うことをすると、正しくはないが、いい意味でおかしかったり、新たな産物の源となったり、突破口が見えたりする。世間体として失礼なことをする、迷惑なことをするといったこととは、ここで一線を引くことが重要な気がする。
だから、あらゆる環境で生産的なチャンオペを試すことは大切だなと感受した。そういった念頭でシンセサイザーでトラックを作っていたが、やはりどこか常識に囚われてるなと俯瞰する。しかし、狙って逸脱するのはだいたいダサくなりかねない。
いまのところたいへん零細ではあるが、ものを作っていると色んな思考がそこにしたためられるという点がすごく尊いなという勝手な思案。逸脱ってむつかしいなと思う一方で、常識とは、正しさとはなんぞやと、「現代の思想」についてプツプツと思念を巡らせた1日。
_02/16
そうだな、チャンオペ大事だなと思い、いつもはまず使わない音色を適当に鳴らしながらトラックを走らせる。
すると、ピンとくるサウンドがピタッとハマったので来たぞこれはと小躍りする。制作時は、琥珀の灯りを最小限照らし、背中を丸めて、鍵盤を片手にDAWをみつめ、あんま動かない、たいへん地味な姿である。
呼称ジャンル不明、「何らかのエレクトロミュージック」としか言語化できないやつを今日も作り進める。
そこにフィットした音色は「ホワイトノイズ」であった。それは、端的には“全ての周波数において強さが一定となるノイズ”のことである。
ちょいと地方に出ると、「おや、こんなにも世は静かだったか」と気づく時がある。現在地、北区赤羽が如何にやかましいかを知る。
それと似ていて、あるとうっすら感じる程度だが、無いと明らかに「存在が消えた」と判断できる粋なサウンド。ホワイトノイズ。
そうか、このセクションに足りなかったのはこれだったかと、チャンオペ的な手法でそこが成り立つ。そこまでが驚くほど短時間であった。
時には、どれだけ人間の意図や顕在意識が邪魔になってしまうかという加減を、なんか学んだ気がする。
とはいえ、正確には、学んだというか「思い出した」というほうが適切。なぜならば、昔はそれをけっこうな頻度で無意識でやっていたが、ここ数年は、たまにしかやらなくなってしまっていたからである。
年齢を重ねるうちに、自分でも気づかないくらいゆっくりと、ヒューリスティックス(ある程度「これだ」と思うことを見い出すための経験則や発見方法)に頼るようになっていたのだなと省みる。
何が言いたいかと言うと、インプットもアウトプットも内観も外観も、いつもと明らかに違うアプローチをすることでポカッとみえてくる景色があるのだなということ。そのように内省するだけでも、人生って本当に面白いなと思える。
_02/17
確かに収益や経費を定めて申し告げる。略して確定申告。この野郎が今日の俺のリソースの3時間と、1日の体力の半分くらいを割いた。
お国のために、源泉や税の額をしっかりと申請することは大切である。とはいえ、1年跨いでこいつを行なうと「うん! どうやるんだっけね!?」となることは明白。もう堪忍してつかあさいと顔をしかめつつ、帳簿の各数字と向き合う。
令和5年度、源泉徴収ありで取引したクライアントが7つ。その収入と内訳と手前の個人事業においての経費各種を正確に、国税庁のHP経由で叩き込む。
良く言って文系気質の手前にとって何とつらい、なんてつらい作業なんだと、げっそりと疲弊する一方で、「源泉徴収も含まない取引を含むと10個くらいの組織と俺は昨年、色々とお仕事をさせて頂いたのか」と、なかなか関心するもトータル収入を直視すると零細の一言。
「これ終わったらハイボール。これ終わったらハイボール」とマントラを唱えつつ、ようやく収支内訳と所得税の申告を終える。
よしよしよ〜し。ほぼほぼ思った通りの数字だなと安堵するも今度はインボイスの野郎が待ち構えている。すなわち、人生初の「消費税の確定申告」である。
ここは一気にやろうと、国税庁のさらなる奥にカチ込もうと躍起になるが、なんせ初めてなので訳がわからんと口が開く。
とりあえずメインは無事大丈夫っぽく仕上がったので、消費税については明日、税務署に直接行って処理することにした。
間違いなく混んでいるであろう週明けの北区王子税務署。なんでも、件の政治家界隈の税に対する杜撰さに怒り狂った方々で現場は大炎上していると聞く。
そんなこともあって、明日ネットでじっくり消費税のやつを申告するよりも、その場の取材がてら、国民の今のリアルなボルテージ感を肌で感じることにする。
顔を真っ赤にしてブチ切れる各事業者の方々のそのもようを、俺は生で見たい。怒号が鳴り響くそのラウドなパンクサウンドを録音したいくらいである。
そういったわけで、手前の収入やらのやつは終えたので書類をブビビビとプリントアウトして明日に向け、封筒にしたためる。
よくわからない楽しみを明日に持ち越し、平和にお酒を呑んで今日を閉じる。はやく経理をまるっと税理士に依頼するフェーズに行きたい。
_02/18
さて大炎上の具合はどうかなと、やや強の風と雨という天候とは裏腹のウキウキ気分で王子税務署へ向かう。
増税、増税、値上げ、政治家自身の「おや?」と思わす税管理。それらが相成り、各地の税務署では国民の怒りが露わになっていると聞いた。
やはりといわんばかりの納税者の長蛇の列。平均年齢50歳ほど。その温度感、雰囲気たるや、さぞ鉄火場であろうと憶測していた。
「手前ら役人はそんないい加減な納税で我々はキッチリだと? ふざけるな!」
「海外に捻出する金があるんだったら日本の経済と生活が先だろう!」
「増税とか値上げとかモノには限度があるだろう馬鹿野郎!」
「助成金の金額設定とかいちいちおかしいだろ!」
「若者の未来を考慮した政策が肝心だろ!」
「まずは国民目線に立て!」
「バカチンが!」
「是正しろ!」
「ウンコ!」
うん、そろそろ火炎瓶が飛んでくるかな。というような熱気を勝手に想像していた。しかし実態は、みんなおとなしく整列してスマホをペロペロしたり書類を見つめ、ちゃんとしていた。思わず、規律正しい羊が並ぶイメージが頭をよぎった。
例えに悪意はないが、「やっぱり日本人って良い意味でおとなしいんだな」と率直に思った。あと、全体的になんか加齢臭が漂っていた。
とりあえず俺は昨日まとめた2点の申告書を提出し、その場で受理のハンコが押印されて一安心。あとは消費税の確定申告である。これについてはやり方をご指南して頂き、帰宅してササッと済ませて書面をポストに投函した。
令和5年度の確定申告は無事終了である。不備がなければ。初めての「消費税の確定申告」を含んだ手続きであった。
ネットニュースやSNS上など、世間のセンセーショナルな話題や噂と実際の現場。これを確かめることが副題となる本日のムーブ。だいたい、現場は別にそんなことはないということがけっこうある。
リアルな実態で例えるならば、緊急事態宣言が発令された2020年、マスクをしていない者は全裸に近しいくらいの目で見られていた頃。俺は父親の介護のために各病院や施設を数多く転々としては、様々な手続きと医療関係者との面談を経験した。
衝撃的だったのは、約3年で死語となった「3密(を避ける)」「ソーシャル・ディスタンス」という当時の常識を覆す、とある脳外科医のスタンスだ。
せまい個室でその医師と面談をした。手術直後だったらしい彼はマスクをせずに、パーテーションも置かず、なんなら「先生、近えな」という主観があるなか、普通の声量で面談していた。
思わず俺は、「先生。恐縮ですがその、マスクの方は……?」と聞いた。すると彼は、言ってはいけない真実を噛み殺して笑いを堪えるような表情で「ああ、平吉さんがマスクしてるから大丈夫じゃないですか〜?」と言った。
当時、現在、共に、マスクをしている人とそうでない人について、ひとつも言及するつもりは毛頭ない。ただ、俺はあの瞬間、コロナ禍のかなり早い段階で、脳外科医の一言によってマスクの呪縛から解かれた。なんていう話も、もはや懐かしい。
それが確定申告と何の関係があるのかというと、パブリックイメージと実態の乖離を目の当たりにした、ということである。
そんな、取材気分で役所に行ったくだりを経て、気温差にやられたのか少々ソファに倒れこみ、その後ちょっと良くなったのであとはデスクで仕事をして日が閉じる。税も真実も、正しく広まりますように。
_02/19
税とか正直どうでもいいかなというくらい、セルフィッシュな抑うつ気分の1日。この一言に尽きてしまう。
昨日ガツンと気温が上がり、気圧もパッツパツで、よせばいいのに自律神経は過敏に反応し、伴って脳内神経伝達物質あれこれはフリージャズの如きグルーヴをみせる。
要は気分が本当に、たいへんすぐれない。
しかし仕事関係の方々と夜、酒を交わすと、3杯目からみるみる麻痺する。アルコールとは、薬物でもあり、緩和剤でもあり、危険物でもあり、肩をガシガシつついてはちょっかいを出す、たのしく愛くるしい友達でもある。
現代において煙草がフェイドアウトするように、アルコールもまた、そのようにならないことを願う一心。これが今日の願望であり、以上。
_02/20
道路も電柱も施設も税金でできている。やっぱり税、大事だぜと思い考えつつ、アルコールの体内残留度を感じ取る。
「二日酔いに一番効くのは点滴だ。結局は脱水症状となることが不調の原因として大きい」と、どこかの見識者が仰っていた。
なるほど。と手を打ち、病院に行って「点滴を打ってください。二日酔いがしんどいのです」などと懇願したところで「さっさと帰って水たくさん飲んで寝ろ」と内科医あたりに一蹴されるのが関の山。
だから俺は、昨晩あたりはそこを先読みし、チェイサーすなわち水を、合間にトクトク飲んで翌日の対策をとった。結果、確かに意図的に水を間にはさむだけでけっこう違うなという肌感。
単純に酒を呑み過ぎなければそれでよいのだが、楽しいとついつい進む。毒を孕んだ妖精の微笑み。それが酒。
今日は案件の準備を入念にしたり、合間に本屋で世間の関心を逆算したり、タンメン食べたりギターを練習したりと、粛々過ごす。
_02/21
終日、外でフル稼働するとクタクタジャガーみたいになるなと、しかしそのほうがいいなと、電車内の窓に映る疲れた手前のツラを見ては思う。
「夜めし飛ばしたからここはひとつ、肴を多めに……」と、帰路の店で惣菜を物色する。定価が前提のコンビニでの買い物は控えているが、今日は時間的にそうもなる。
帰宅して今日のタスクを整理して深夜。メールチェックなどをする。こういう時は特に、頂いた楽曲使用報告および御礼の旨の文章を読むとほっこりする。どこかで、手前なりに全力で作った各楽曲たちは、仕事をしてくれているのだなと。
溜まりに溜まった資源ごみを捨てに行くのが面倒だと率直に思う。もう、食ってしまおうかなと頭をよぎるくらいだが生活の乱れは心の乱れ。ちゃんと整理する。
気温はやりすぎなくらい低いが、モチベーションはそこに準じない。ほのかに心身が照るような真冬の1日。
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桜花の温もりを待ちわびて、野外で震えて煙草をくゆらす。スマートフォンで気温を確認すると、3℃。東京。「さんどってなんだ」。などと顔の筋肉を強張らせつつ春を待つ。
待とうが、走ろうが、どうせ来るし過ぎるし廻り回ってゴウゴウと、あんま考えることでもねえなと、机でMicrosoft Wordに明朝体でひたすら記し込む。ヒラギノ明朝Pro W3。
ああ今日も晩めしを飛ばしたなと今になって思えど、腹あたりはややグウグウ鳴ってるくらいでちょうどいい。「渇望は源だ」。などとへたっぴなキャッチコピー風味の言葉が脳に湧く。
数日、半月先くらいの予定を確かめ、「うん。なかなか熱海、行けねえな」。という、手前は本当に行きたいのかという能動に対しての懐疑心と、時間という絶対的でありつつもその概念たるや。などらの思念が併さり、背中が丸っとなる。
そのへんは偉い物理学者におんぶに抱っこだと、手前がやるべきことをやろうと、音に真剣になり、文字を書き(ここのはあくまで日記だが)、生成AIへのアンテナを張り、コンテンツに対してのグラフィック方面もちょっとずつ学ぶ。
あらゆる情報がある中で、様々なアプローチがしやすくなった昨今、「自分がやるべきことは」と、今日も考え、精査しつつ過ごす。
今年の抱負でもあるこの思考。なんかブレやしないかという危惧もあるが、実際は日々いろいろ行なっていることが所以か、リソースを持っていかれる類の不安を伴う気持ち悪さはない。
結果がどうなるかは、正直、すぐにでもほしいが、焦らずじっくり。多少なりとも出ているものもあれば、全然なものもある。長距離走のように過ごす。「そこは瞬発せよ」というタイミングを逸しないように。
熱海に、熱海に行きたい。とれとれピチピチ蟹料理。この欲求が芽生えて保留となり続け、あっとも言えぬうちに2年は過ぎている気がする。
_02/23
文字の打ち過ぎでなんかコメカミが痛いなとフィジカルに思う。そこは頑張れよとカタカタと暮らす。
昨夜、著しく鮮やかな夢をみた。支離滅裂なストーリーのなか、確かに「ショート・ピース」を吸って悦に浸るシーンがあった。口にあてる部分のフィルターが付いていない「両切り」と呼ばれる一箱10本入り、昭和の戦後直後生まれの煙草である。
謎にその喫煙の印象がセンセーショナル寄りだったので、起床時の第一思考は「ショート・ピースが吸いてえ」であった。
その欲求が12時間以上経ってもまだあるということは、これはなにかあるなと勘ぐってしまう。普段は、アイコスという現代の最新喫煙デバイスで煙も少々、ライトなニコチン・ライフを送っているので、シガレットすなわち紙巻きタバコはほぼほぼ吸わなくなった。
だがしかし消えない「ショート・ピースが吸いてえ」。これをどうするか。はっきり言って吸わないと気が済まないというまでのレベルではない。さらに、俺が好きなシガレットは、アメリカン・スピリット・ライトやマルボロ・ミディアムであり、むしろピース系のやつは好みではない。
なんだろう、ショート・ピース愛煙家の意思でもスピリチュアル的に取り入ったか、という段階にまで考えが及ぶ。だとしたら、吸えば、ある種の浄化につながるのではないかと。相当に違う気もするが。
そういったわけで、今日はやることやったのでこれからショート・ピースを買いにコンビニへ行く。
とはいえ当該煙草は「タール:28mg ニコチン:2.3mg」という如実にえげつない濃度。
吸って「やっぱりね!」と、なんらかの境地に達するか、「何だったんだろ?」と止めときゃよかった感で真顔になるか、「きっつ」と、さらにコメカミが痛くなるかの3択。運命の別れ道。
決して今日は暇だったわけではない。ただ、意識のバックグラウンドでずっと、「ショート・ピースが吸いてえ」が猛アピールしていたというだけである。
煙草を吸い始めの若鳩のころ、いまのように習慣でははなく、喫煙に対して特別な、明らかなワクワク感があった。それが今日は1日中あった。というだけの話。
そういったフレッシュなフィーリングを思い出して良かったじゃないかと善処する。よし、買いに行こう。
_02/24
キッチンでおもむろに煙をゆっくり吸っては広げて吐く。ショートピースは思いのほか旨く、なんだか20代の頃のような心境になった。
疲れた脳が覚醒したような感覚を確かにおぼえ、ああ、天然の煙草はこうも違うんだったと、煙草吸い初めの頃はいつもこんな感じだったなとなんだか元気になり、よせばいいのに酒を呑みすぎ、起きてちと後悔する。
今日は1つのタスクに一点集中。ひたすら原稿を書く。定めた工程のゴールに向かい、カタカタと仕事をする。
ひと段落というところでソファに倒れこむ。ラジオから流れる知らぬ曲が気持ちいい。野村訓市さんの声が心地よい。
数日前ネットに、厚生労働省による、飲酒のリスクや体への影響をまとめたガイドラインを初めて発表した旨の記事が掲載されていた。
頼む、酒だけは過剰に規制しないでくれというのが正直な主観。ラジオで野村訓市さんは「SNSで酒に対するリスクについての投稿が目立つ」というリスナーのお便りを受け、「私には、お酒にはいい部分しか見当たりませんが。――私は、リスナーさんとは別のSNSを見ているのでしょうか」と、いい声で仰っていた。
そうだそうだと、なんだか頼もしいぞと、代弁してくれたと喜ぶ一方で、「週に8日呑む」と仰る野村訓市さんは「まあ。お酒に飲まれなければいいのではないのでしょうか」と、その話題を締めくくった。
大人だなあと思った。今日は酒はちょっとにしとこう。
_02/25
やることなすこと、だいたいの事に対しての懐疑心。明確に質のよろしくない気分が霞のように、手前をブスブスと燻すように包む。おい包むな、つつ、つっ、つああ。という気分で日中過ごす。
こいつはもしや、5年ぶりくらいにアイデンティティ・クライシス(自己同一性の危機。要は、自分これでいいのか感)がやってきたかと意図的に身構える。
ひと仕事終え、全くもってポジティビティを失っている心境だが、知人のBARに向かう。なぜならば、先日「行く」と約束したからである。
「そういった言質を軽く反故しちまう不真面目さこそが現状を打破するのかな」などと、ぜんぜんソリッドとは言えない思考を脳内でゼリーのように振るわせながら電車を乗り継ぎ、現地へ。
「別に本当に行きたくねえな。今日あたりは」と思いつつ入店すると、音楽業の仲間である2人が歓迎してくれる。「来てくれて嬉しいっす!」という言葉を受けパァァと気が晴れ、「あれ――くれよ」と、言う。すると「ジン・トニックかい?」と解ってくれたので「うん。そそ。それ」と受理し、カッパカパ流し込む。
顔なじみ、初対面、様々な方々と、深いんだかポップなんだか文学的なんだか、形容し難いが、どこかの何らかの答えに導かれるトークに華を咲かせる。「ポンッ」と。
ウォッカ。こいつをストレートでダブルならぬトリプル(オーナー兼バーテン曰くスリー・フィンガー)で2、3杯まくし立てる。食道から胃に届くその甘露の道のりは天使の誘惑。とはいえその手前で、「どうしようかな〜」と、まだ余裕があるような構えでわりと乱れず呑む。
ヒャア。楽しかったなと帰路につく。その場から帰路、意外なくらい酔いどれてはいない自覚だが、実際は自律神経が判断するところ。そのへんが麻痺しないうちに、この幸福感と、仲間やその場にいた有難き人たちに感謝を寄せる。
酒の恩恵もあるだろうが、今日は、明らかに接してくれる人たちに救われた。何度でも書くが、俺は適度な距離感の身近な人たちにえらく恵まれている。
この25時の時点で、やっと酔っ払ってきたという自覚が生じる。“追い”ハイボール缶うめえ。うへへ。
_02/26
ほら二日酔いとか思いながら、まあそこまででもないかなと、ゆっくり起床。宅の机でずっと、構成、推敲などを行なう。
今日はモロヘイヤ・ラーメンにしようかと思えど売り場に陳列されておらず、じゃあパクチーかなと手に取ろうとするが、わりとすぐ飽きてきたなという思いのなか、中華弁当20%オフのやつで手打ちとする。
あとは動画を投稿するかと思ったが、謎にYouTube上に反映されず、おかしいなと色々調べながら連投する。しかし、エラーが出ずの投稿完了。
どうなっているのだと、こういう時は断片情報の即時性に長けているSNS「X」で調べるかと検索する。すると「YouTube不具合」のフレーズがずらりと並び、俺と同じ思いをしている方がたくさんおられることを知る。
じゃあ仕方ないと放置して小一時間後に見ると一気に「おかしいな?」と連投した動画がズラリと管理画面に反映されている。まずいと思いひとつを残して削除する。
こういうこともあるのだなと、胸をなでおろす。得た教訓は、一度おかしな事象が発生した場合、同一の手法でプラットフォームに公開する手順をとるべきではないということ。
「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること」的なことをどこかの偉人が言っていたらしい。ちょっとそれに近いことを俺はしていたのかもしれない。
_02/27
原稿を、極限までブラッシュアップさせるべく推敲する。添削する。ファクトチェクをする。たぶん、ChatGPT4を使った方がタイパ(タイム・パフォーマンス)がよさげだが、この原稿はなんとなく全部、ツールを使用せずに行なう。
別のライター案件打診を頂いたので、受注手前段階の対応をする。他にも色々あり、制作をする時間はとれなかった。
こう記すと多忙なようにも映るかもしれないが、合間にがっつり1時間昼寝していたりもする。そんなに手前を大きく見せるつもりはない。性器を晒すくらいで丁度いいのかもしれない。何に対しての丁度なのかは、謎。今日も人生を楽しんで過ごす。
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すごく冷たい雨が降っている。必要な自然現象であるが故、それをありがたいと思うか、とにかく寒くてつらいと思うか、その先に明らかな春があると見据えるか。そこを間違えてはならないのかなと、個人的に思う。
酔っ払って書いた、こじらせた揶揄に近しいものではなく、原稿用紙2、3枚分くらいの文字量で書いたのちに「お前は何が言いいたい」と手前に言及した結果、今日を圧縮するとたったの2段落で済む。
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