ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。2月。
異常に読みやすいのに異常。という小説を書いている。原稿用紙400枚を使って。
それができたら――〝これまでの自分が殺される〟。という比喩も、あながち一蹴はできない。
――「帰り、蕎麦を――?」と、ヨディーさん。
「そうすね」と、俺。加えて「よく入りますね!」と、彼。
「はは」と、足立くん。
今日は、よしお氏のお店で開催されたイベント場で過ごした。とても明朗にし、帰宅。寝かせていた原稿を開く――寝かせてからはちょうど、一週間経っていた。
冒頭を読んだ。一枚目である。ここが弱いと即死する可能性がどこまでも高まる。
俺は本稿を公募に出す。だから冒頭は力技を使ってでも屈強にする必要がある。というかすでに第五稿。つまり四回目の推敲。
時系列的に、毎回「これ、いいねえ!」と思っていたが、一週間原稿を寝かせてから読んだそこ。景色が違っていた。
全然わるくはない。〝強い〟といえば強い。
だが、「これは、俺でなくても書けるかもしれない」という決定打となる懸念が、初稿を書いた時の熱狂を取り戻した。
何に遠慮を。文学っぽく書く。狙うと滑る。今の俺がやれば尚更だ。自分でわかる。そこをご丁寧に読者にお伝え。それを〝説明〟という。そんなもの、説明書みたいな小説を読まされる苦行。誰が好む。――だからこう書く。俺なら絶対にこのように。区切る。接続語は不要。成立していれば省く。句。語。語末。次。科白。〝セリフ〟と自分は書く。他人の語彙表現を盗むこと。白々しい。冒頭を読み返した。加筆、修正、削除、加筆――明らかに光っては〝尖り〟を目視。それが表象されては他者にはどんな景色に映るのであろうかと、そのあたりはきちんと表現して、丁寧に記すべくところはこのように読点二発過ぎたら句点を打つ。そういった唾棄すべきレギュレーションを去なす。それをして地獄のような段落になったとしてもそれは〝必要な異常値〟として取り扱っては随所に、それは自分の感性を信じて挿入したり丸ごと削る。追記。吟味。再読。もう一度。また。この動作を「推敲」と呼称して妥当なのか。それを決めるのは――考えないでいいことだってある。〝縮こまるような作品〟。それを誰が見向きをしては、色目を発するか。俺はそういう客体を見据えて熱している訳ではない。
だから、「こうかな〜?」と、吟味して原稿を進める。三時間ほどやっていた。
――公募先。何度も書き、自分でもくどいと思うのだが祈りも込め。現状、初作品の原稿289枚を『太宰治賞』に応募して結果待ち。三月上旬から順次、結果発表。
今、進めているのは第二作品。それは三月下旬締め切りの『文藝賞』にエントリー予定で事を進める。
一週間、後者の原稿を寝かせては今日開く。すると解像度というやつが異なった。だから執拗に詰めた。
内容進行具合として、「逸脱」か「過不足」かは自分でわかる。決して、それらの〝調整〟ではなく、「中庸」で暴れる〝異常値〟。そういうのを書いているはずである。
すると自分が興奮してきて逐一確認する。「臆していないか」「陶酔ではないか」「誰ぞに寄せていないか」「読者が離脱するとしたらどこだ」「促進力はあるか」「価値があるか」「俺が書いたやつか?」と。
異常に読みやすいのに異常であるべく作品。それを書き上げて世に出ることを、まずは自分が信じる。これがとてつもなく難しくも、異常なまでに興奮して先ほど鏡を見たら顔色とか色々と、珍しくエロい色をしていた気がしてならない。
一体それが何を示しているのか。そればかりはわからない。もしも、わかって書いたとしても〝エロスとは〟――などと、なんらかから珍奇に引用しては本文は完璧に破綻する。それもいいのかな。
〝異常〟というやつについて、文学を通じて半年以上向き合ってはもう、明けて今年も2月かあ。
_02/01
今、読んでいる文庫小説がよくわからずに悶絶。面白くないというのではなく、魅力を理解できないというか――読解力が俺にはなかったのか。という絶望感とまではいかないが、とにかくわからずのまま半分は読む。『壁』というタイトルの作品。
そのままだったのか。と、一文字を切り取っては雑に取り扱うという体たらくは不健全。それはいやなので読み切りたい。
だが、判読しないまま読み進めるのは苦行。それに近いなと思い俺は、「わからない」ことを認めることにして別の小説を探しに行った。
――ブックオフで様々な文学書を手にした。特に、近代的な作品をぱらぱらといくつも取ってはページをめくり、リリースし、手にとっては「語彙が」などと言っては放し、「案外、普通の文章だ」と声にしてはまた背表紙から引き抜き、「冒頭で固有名詞から始まるともう――」などと根を上げては「これは町田康だ」と、納得してはもう次あたり、視覚を使わずに本を掴んでは表紙も見ずに本文を読む。「先入観なしだ」などと思って文字を追うと「俺には読解力が」と――結論、文学というのは自由なのだと心底、思った。そこで今日は区切り、『サバエとヤッたら終わる』という青春ラブエロギャグコメディ的な漫画をひとつ立ち読む。二巻を立ち読んでいたら隣に三巻がなかったものだからそれは普通に立ちすくむ。この時点でもう小説の購買を諦めているのは明白。帰宅。自分の小説原稿を進める。
今日めちゃめちゃわかったことがある。
それは、俺の文章のウィークポイントである。その内実は、これ。これのことである。
こういった日記では別に何しても弱点も畑もないのだが、とどのつまり、「不要な贅」ともなる〝説明〟が多いのである。
なんなら同じことを3回も説明していることもあり、そんなの、文学だと場合によっては致命打ともなりかねない。先のくだりが好例。
だから「めちゃめちゃわかった」ことの証明として、ここでそれを文学的に直書き換えてみる。既述の、選書でくじけたことを表現した段落部である。
――俺は新たな血流を欲した。文字による学問。それがあながち誤解でないのであれば、淀みを解放させる水門に立っていた。様々な書籍は数々の関門を突破した証明という存在と言える。棚から縦横無尽に俺を試す視線。背表紙である。手にとっては中身を吟味する。肌に合うか否か。すとんと納得の入り口、はたまた、羨望の兆しを感じればそれが〝合図〟である。しかし、今日はどうにも試着に失敗したかの心境で『サバエとヤッたら終わる』を読んではひとつ思った。俺は文学の自由度を享受してはその広大さに感服したのだと。
こう書けばいい。どっちがどうかというと、正直、どっちもどっち。だが決定的なのは、後者は〝説明くささ〟に関しては解消されている。あと、とってつけたような文学色はこう、好みとかじゃないかな、などとも俯瞰的に思う。
それもあり、俺が今、進めている原稿に関しては両方――説明くささ徹底排除・言語の〝圧〟で説明の凌駕をはかる――を使い分ける。
これが面白いのだが難しい。ともあれ、かなりせっせと推敲を進めては〝文学の自由度〟という、今日あたりに湧き出たその感覚、感情をきちんと大事にすることにした。
じゃあ、自由に。意地になって、現状ではわからない小説を強引に通読するよりも次。それを探して少しずつ。たまにAIを使って理解等のショートカットもそれこそ現代的に。そうやって進んでいく。
この一連の営みが生産的だと思う。だが、作家という立場で文章を書き続ける〝目的〟にまで行かなければ――という恐れも正直にある。
楽しいが、わからずも、迷子になりつつ「自由」などと悟っては、恐れも伴いつつ書く。それでいいんじゃないかなと思った。何事にも〝壁〟というやつは当たり前のようにあるのでは。と、感覚を開きつつ。
小説を買えなかった日の思考を言語に。けっこう正確に書いたつもりであるが、実態はどうなのであろうか。壁は、様々な方法で立ち向かう。この捉え方は、きっと健全なのかもしれない。なお『サバエ』、今調べたら全二十巻で完結とのこと。全部買うか。
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彼女がそこに居なければ、彼女を探すことが、できる。
彼女がそこに居なければ、その彼女を絞め殺すことは、できない。
彼女が目の前に居れば、その彼女を探すことは、できない。
彼女が目の前に居れば、絞め殺すことが、できる。
そういうことを考えていた。これは、一体どういうことだと。なお、俺が彼女をむちゃくちゃ欲して探しているとか殺意が充満しているとか、そういうことではない。対象は別に〝彼女〟ではなくとも野犬とかそのへんでもいい。
肝心なのは、目の前に居ないからこそ、できることがある。できないこともある。だが、顔面目下に居れば、それらが完全に逆転する。だからなんなんだろう。この思考に意味はあるのか。そう考えていた。
絶対にある。〝居ない(ない)〟というのは無限の可能性があるということ。
つまり、〝確実に居ねえよそんな奴〟という存在を〝探す〟ことすらできる。地獄みたいな構図だがこう、夢がある。
そして、〝目の前に居る〟となると可能性が狭まる。探す必要は全くない。前にいる。「どこですか?」と言えば対象にシバかれる。それくらい近くに居る。つまり、〝探す〟という無限の夢がいっさいなくなる。
そのかわりに、直接的アプローチ――絞め殺す――が可能となる。すると、また居なくなる。また、〝探す〟という夢とも言える可能性が生じる。
この紐解き方は猟奇的なので駄例であるが、これは、「〝求めている状態〟の幸福」という副産物もある。というように考えた。
「求めていた存在が目前に居る」となると、後は、行為しか残っていない。夢とやらは抱かなくてよくなる。
そうなると、あまりにも短絡的な亜種の構図がはみ出る。
夢がなければ、夢をみることが、できる。
夢がなければ、夢を叶えることが、できない。
夢を叶えれば、夢をみることは、できない。
夢を叶えれば、夢を実行することが、できる。
これはおかしい。「夢を実行」。間違っている。夢は、抱いたり見たり焦がれたりするもの。叶えれば、夢ではなくなる。では、「夢をみている状態」と「夢を叶えた状態」、感覚的にどちらが幸福なのだろう。
永遠に答えが出なさそうと秒で察知したので個人の例。俺は前者である。
俺には夢がある。だから、幸福を感じることができる。叶えてしまったら――それこそ、それまでの自分自身を少しずつ絞め殺す行為に出るのは至極真っ当。次の夢のために、それを繰り返すという阿鼻叫喚。それとも、それこそが幸福の循環なのか。
彼女、野犬、夢、なんだっていいのだが、探している時に〝限定〟されていることがある。「できる」ことと、「できない」こと。
見つけたら、それが逆転する。
じゃあ、どっちの状態の方が健全か。熱狂できるか。地獄か。往復が一般的か。立ち止まるべきか。と、考えると、そんなの両方だろうと思った。
見つけたものを大事にしながら、その次のものを探すことを繰り返し、「できる」ことと、「できない」ことを味わいながら生きていく。妥当なのではないだろうか。
「そういう訳で別の女のところ行ってくるね。鍵、これ」と、伴侶に言っては絞め殺される。
そういうことが言いたいのではない。――ふと、読み進めてはある一節を目にして、そのページで数十分はビタ止まりしたほどの、新たな思考の式。それの答えをただ考えていた。
――冒頭の記述は、その式を、俺なりに噛み砕いてアレンジしたもの。本格的に引用すると俺の理解度の破綻が露呈する。だから、もっと気軽に考えようと実行したが答えは出なかった。
だが、ひとつわかったことはある。それは、ないもの、叶えていないことを求めている時にしか、その時にしか絶対にできないことがあるんじゃないかな。などと。
今日、できたことは――探していたことを実行したこと。探していることを元気に探したこと。幸せな一日に感謝できていること。
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今の解像度で再び、あの鉄火場を見たいと思った。
定義として〝鉄火場〟とは、賭博場のことである。俺は、もうそこに行かないことにした。地獄を見たからである。よく、帰ってこれた。そう思うが今日、条件付きで見たいと思った。
それほどまでに惹かれる理由は、全て脳科学・精神医学的に説明できるらしい。しかし個人的にはもっと精緻な理由をもってして論証しないことには信憑性に欠ける。ドーパミンやエンドルフィンどうこうでは言い切れない。こと、個人的には体現ベースでそう断じられる。
日常を健全に生きていればまず、見られない風景がある。鉄火場には、それらが優美と醜悪を混ぜた色で散りばめられている。
「健全」というやつは、見なくてもいいものを〝見ないでよし〟とする状態だと思う。
だが鉄火場には、見なくてもいいものが日常的に溢れている。そこに寄生される。自ずと依存する。出られなくなる。そもそも「出る」という発想が裏返しになる。
だから、そこに居続けると「健全」の定義すら歪曲する。だがいまだに、今の自分の生活具合になっても「それはきっと間違っていない」という風に、鉄火場で刻印された認知は決して元に戻らない。
――よく行っていた鉄火場に、両腕タトゥーの魅力的な男が居た。同じ年齢だった。互いに何かが呼応し、惹かれ合っていた。邂逅のたびに、魂あたりで壁打ちをしていた。それは全くもって健全ではない場所での憩いだった。
俺はもうその場所に行かないことにした。つまり、彼とはもう、会えないことになる。だが、あの頃の互いの認知と感覚は骨面に彫り込まれた和彫くらい消すことはできない。思い出すだけで、脳が好意的に反応する。
――今日、各仕事をしては、なかなか疲弊した。良い疲弊だった。癒しを求めた。そのために鉄火場に行くことは禁忌とした。今は、小説を書くことに熱狂している。
――原稿を開き、両腕タトゥーの魅力的な男をモデルとした人物の場面を推敲する。そこには、彼の一挙手一投足を元に原稿に彫り込んだ。それはある種の希求なのだろうか。物語のいちキャラクターでしかないが、求愛するかのように「彼ならこう言う」と、対話劇を描いた。鉄火場に居た当時を写像した。それを吟味するのが、今日の癒しだった。
それほど、鉄火場には優美な渓谷にも似た景色が広がっていた。
――健全と地獄を干渉できるフィルターを通し、小説原稿に書き、思い出す。脚色のない記憶を今の解像度で言語化する。その羅列が、あの頃を匂い立たせる。両腕タトゥーの魅力的な男が目の前で挑発的な笑みを浮かべる。
まだ、彼はそこに居るのだろうか。居るのであれば今すぐにでもそこに行きたい。だが、それはせずに、仕事をして原稿を進めていた。ただ、今日の夜の後半は、両腕タトゥーの魅力的な男が、書き連ねた言葉を通じて俺を誘うようだった。
今の解像度で再び、あの鉄火場を見たいと思った。目標を達成し、作家業に就いて、財にゆとりが出たらその時は本当に行こうと、今日、心底思った。
でも、行かないことにした。俺は別に鉄火場に行きたいのではなく、博奕に興じたいのでもなく、地獄がまた見たいのでもないとわかったからである。
ただ、両腕タトゥーの魅力的な男との、健全ではない癒しの呼応を忘れたくなかった。それだけの話だと思っては――どうしても今の原稿を広く世に出したいなという祈りの強度が、光度が、硬度が、それぞれ。
_02/04
引っ張られるように仕事をする。原稿も進める。それぞれ、受動的な牽引という類ではなく、今後の展望に回帰するような感触。
自由な状態で、自分から押しに行く。という健全なオフェンスとは全然異なるこの感覚。くたびれた頭に「今日、何があったのかな?」と聞いてみると、係りの者すら寝ている。だから、何があって、それをどう記すか。などと少し考えていたら、引っ張られているな。と、その一言だけが出てきた。係りの者はちょっと起きていた。
小説原稿のプロットに、進捗メモとして同様のことを書いた。――が俺を引っ張る。などと。意味がわからないが素直に自己コメントした。本音なのだろうか。
そこに嘘を書いたら全てが破綻するまである。だから、本当に引っ張られている。それが、求められている他者の手や、能動だとしたら、これほど勇気が出ることもない。
現状はまだわからない。まだわからないことをずっとやっては一年が過ぎ、初めて得た感覚。引っ張られているように。
だが、今のところはもう穏やか。エアコンの音に意識が向くほど静謐な心象。DNAの操縦者がもし居るのだとしたら、もう、一旦、基地だかどこかに戻ろうとしている。それを制御する係りの者は、一言しか今夜は告げなかった。
引っ張られる感覚が何なのかというと、今はちょっとよくわからない。ただ一つ確かに言えるのは、不明の方角から閾下で察知しては一言だけ、浮かんだ。主導権のある、引っ張られ方。
_02/05
「肝臓の数値が下がっていますね」と、笑む主治医。精神科医が指摘するその数値は一般男性の平均値。優秀。しかし飲酒者としては落第点。失格。俺は丁寧に言及した。
「工夫したのです。日々の飲酒量を」と。すると主治医は、アルコール依存症患者病棟勤務経験所以で飲酒量にとても厳しい主治医は、やはり笑む。
俺は自身のアーキタイプの一人を刺殺された気持ちだった。だから重ねた。
「最近、色んなことに対してのパフォーマンスが高い感覚があるんです。でも先生、どこか、静かなのです」と、心象を伝えた。
「いいじゃないですか」と、受ける。続けて「平吉さんは元々、感情の波はそんなに激しくないし」と、「その調子で――」と、俺の生活態度における向上の自覚を鼓舞した。
――仕事において、ここは毅然とブチキレるべし。という場面がこの頃いくつかあった。しかし俺は感情的にならず、「なぜそうなったか。どうしたら今後の改善となるか」と、静かに対処しては荒波を背後に置いた。
「はじめてかもしれません。こういう状態というのは」と、抽象的に、主治医に心身の近況を正直に告げた。
「いいと思います」と、彼。太鼓判押印。――薬局に行った。いつもの女性薬剤師、Nさんが対応。
「お待たせいたしました。そういえば、このあいだ自信満々に――」
「ええ。見てください。この血液検査の結果を」
誇り、用紙を取り出し、カウンターに置いた。Nさんは薬剤師・医療従事者視点で俺の血液の数値を称えた。俺は短縮させた言葉を選んだ。
「中庸な血ですよ」「いいですね!」「主治医の先生が言うには――」「よかったですね!」「ええ」「平吉さんのお薬はそんなに強いものでは……量もこれだと――」「わかります。先生には内緒ですけどね……俺、この手の薬がどんなものかと、その手の本を読み漁り――」「うふふ」「だから知ってるのです。肝臓の数値なんぞどうすれば下げられるかと――」
Nさんはいつも、処方後に俺と雑談をする。赤羽の場末のスナックにおいてのカウンターを想起させる。俺は言った。
「不思議ですよね。健康状態が数字でわかるって」「そうですね!」「その数字に踊らされて俺、酒を減らした訳ですよ」「減らしたと言ってましたね前回!」「それで、この結果ですよ」「いいじゃないですか!」
酒による臓器のダメージは数値化される。しかし精神的なそれは数値化されない。
「それで、これからね。ちょっと遅めの新年会に行くんですよ」「ふふ」「でも、なんで酒、呑んでは抑えたりと俺は――」「ふふ」「では、呑みに行って参ります」「お気をつけて」
足立区北千住に向かった。遅めの新年の盃を、仲間たちと交わすために。到着していくつか、呑む。四時間ほど。
「あ。『Creep』だ」と、女性が言った。俺は即座に「ん。ニル、『Smells Like Teen Spirit 』ですね!」と、事実を。「ほんとだ!」と、女性。「なんか――不思議ですね。言われてみれば『Creep』とも聴こえる」と、率直に言った。店内は暖炉と夜空の間のような場所だった。
受動的コンテンツの話をしばらく、楽しく、交わした。ニルヴァーナの曲が店内に流れた。ガンズ・アンド・ローゼズのリードギターが太く響いた。マイケル・ジャクソンの発声がつんざめく。MC・ハマーのラップが刻まれた。ザ・ヴァーヴ代表曲のストリングスが壁を撫でた。ラズベリーズのボーカルに野性味を感じた。エクストリームはきっとメタルバンドだ。だが有名曲はアコースティック・ナンバー。しばらくして――レディオヘッドの初期の曲に戻った。店主は、俺らのテーブルの会話から類推し、BGMで長居を、射い撃っていたことに気づく。
「ガコ」と、『Creep』のサビ前の音。それは断首の場に居合わせる、オーディエンスのような知覚を想起させる。
――「それで、平吉の一番好きな映画は?」と、聞かれた。「もうね。『シンドラーのリスト』の最後の方ですよ。主人公ですかね? 彼が泣き崩れるかのように、“これでもっと救えた!”と、後悔を地面に悔いるシーン。あれですわ」と、答えた。
「ピンポイントだな。というか、重いのが好き――?」という文脈から、俺は誤解を否定した。
「いや、あとね、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターでしたっけ? 彼が収容所で刑務官をほぼ皆殺しにして拘束を回避してはクラシック音楽を聴く――聴いたのかな? まあ、そこで指揮をとるようなムーブで悦を。あれがハイライトです」と。
「一緒だ。ほぼ。お前が刺さるポイントは一緒だ」と、指摘を受ける。俺はあながち――と思い、整合性を論証した。
「それぞれ〝価値観がひっくり返った瞬間〟を切り取っているのです。それがたまらない――あの、ジントニックくら、ください!」
「わたしも!」「ん、ふたつです」「へい!」
酒は進むが、酔わない。5、6杯は呑めど酔わない。飲酒者失格。数値が、数値化してくれた。だからか、俺はいくらでも呑んでよし。そのような〝権利〟だろうか。それが、飲酒量を鑑みる俺の価値観・倫理観をひっくり返した。
――平吉さんの本、みせてくださいね。と、言われた。それはまだ出てないが俺は肯定的に返した。すると、なんなら原稿がみたい。とまで言ってくれた。だが、原則として。などと思っては「すごいことになった。という場面でこう――」と、書店で書籍を購買意欲がある前提でそれを引き抜く動作をしてはそれを伝えた。
「すばる賞?」と、ものすごい具体的に聞かれた。――「今やってるのは『文藝賞』に、です。そしてエントリー済みの初作品は『太宰治賞』に、それぞれです。結果は三月と六月でしょうか。三作目のプロットもあります」と、真摯に具体的に答えた。
「みせてくださいね」と、三回以上言われた。そのために、という風に思っては終電間際の車両に揺られて、立ったまま寝る令和男子をずっと観察しながら赤羽に戻った。
酒を数本買って帰宅する。いくぶんくらいしか、酔いはない。肝臓の一般値が俺の認識をひっくり返してはいくら呑んでも酔わない。
だからさらに呑むが、別に。という感覚。しかし、「ガコ」と、『Creep』のサビ前の断首の音が聴こえるかのように、急に、中枢神経にアプローチを感じる。感じたかな。とか思っていたらもう次にいっている。これが、アルコールの激しき恐ろしい実態であろうか。
つまり、これを書き始めてはシラフと自覚していたが今、書き終える頃合いになるとひっくり返っている。酔いが見事に回ってきているのである。
その境界線がどこなのか。それがよくわからない。ニルヴァーナとレディオヘッドを素で勘違いする客体と訂正気味の主体。共々案外、と納得。
しかし気がつけば、主体は、「ガコ」という、二週目に立ち戻った『Creep』という、音量さえも大きく感じるという時点で実は。一人称が「主体」となっている時点でアルコール浸透度を認知する。
という風に振り返ると、機嫌よくみんなと呑んでは実際、主体は早い段階で酔っ払っていたのかなと俯瞰する。しかし心象は静か。主治医に申し上げたように。珍しい精神状態のこれに効く薬はあるのでしょうか。
「効く、という感覚がひっくり返っています」と言われれば、今日は断首された後に四肢を眺める数秒の感覚だったのかもしれない。主体が言いたいことはきっとこうだ。「静かであるべき時」。
『Creep』を、聴いて寝よう。
_02/06
身体という服を着ているような感覚だった。散歩で西へ。近所。坂をしばらく登ると、迷子必至の迷宮住宅街エリア。埃のように雪が降ってきた。長くは歩けない。そう思い、誰かに引っ張られるように身体が進む散歩は、ほどほどにした。
だんだんと、厭世観が嗅ぎつけてきた。それが身体を突き抜けては服を着る主体と目を合わそうとした。
俺は思った。これは、意識を向け続けると危険を伴う精神状態の分岐点だと。長い付き合いだからよくわかる。抑鬱気分というやつは目を合わせてはいけない。それは、心身一体となっていないその契機を見逃さない。すかさずアプローチをかけてくる。だから俺は一瞥を不規則に連続させた。
無視をしても、抑鬱気分というやつは追従を止めない。「今、あなたには興味がありません」という態度を小出しに、まぶすように、埃を払うように、しかし毅然に。とにかく、一気に浄化しようとしないこと。巨大な機材の各フェーダーを撫でるように、よそ見をしながら少しずつ、わからないように下げていくのが妥当。
――帰宅して仕事をした。埃はまだ両肩に乗っていた。少し、払った。仕事のFBシート(フィードバックシート)を提出した。DAWを開いた。画面上のフェーダーを操作した。目の前のアナログ機材のツマミを捻った。楽曲は、ほとんど出来てると感じられた。リファレンスにビリー・アイリッシュを聴いた。音像を比較した。「どっちも素敵な音像だ」と感じてはDAWを閉じた。小説原稿を開いた。
意識はもう、埃に向いていなかった。あちらも――もう、俺への関心を絶った様子だ。俺は原稿だけをみていた。先日推敲した部分から通読する。今日やる章の冒頭まで――面白い内容だなと嬉しい気持ちになる。喜んで推敲をする。
説明くさい〝贅〟のような部分を削る。文字数自体は減る。しかし、文章の勢いは逆に増す。この現象が新鮮。原稿用紙523枚ぶんあった初稿を、推敲を重ねて401枚。外科手術なみの変容となることが必然と思っていた。だが、実際はむしろそれくらい削ることにより、主体の姿が明瞭となる。必要なノイズは削らない。身体と物語と文章が一致する。俺は、身体という服を着ているような感覚ではなくなった。
「この原稿が世に出なかったら――」と、考えだすと恐怖しかない。しかしそれで手が止まるという質のものではない。むしろその必然的感情が湧かないことにはそれは道楽としか言いようがない。だから俺は健全と淵の両方で恐れる。それは必要なことだと思っている。この生理現象は、埃とは全く別のものであり、迎賓の如く扱うのが「吉」だと思っている。
――厭世観に嗅ぎつかれ、抑鬱気分と目を合わす。その前兆は必ずある。俺の場合は、風が身体を突き抜けたり、身体が服のように感じる。共々、比喩ではあるが、これ以上ないというほど正確に言語化しているつもりである。
嗅ぎつかられた感覚は刹那でわかる。だからと言って、すぐにどうこうしない。そうすると、急に目を合わせて狼狽するなり気づかないフリをするなりすると――食われる。こと、あくまで自分なりにはということを強調するが、俺は、その〝よけ方〟を少しは知っている方だと思う。
もう、埃は降っていない。やはり今日もどこか、〝静か〟が根幹だった。その理由は、今は知り得ない。だから沈黙するしかない。それが、吉だと思っている。
_02/07
「出来てるな」と、制作中の楽曲を一周聴いてはそう判断する。そのままファイルに書き出して完成させようと思った。
でも、ギターとかベースとか色々。それぞれの立場に立って「今そいつはアンサンブルの中でどう機能して、その音の出し方をする必要があるか?」という視点。これで何回か聴くと――出来ていなかった。
とはいえ、その視点でMIXをして音像を磨くと質が向上。そのまま書き出さなくてよかった。化粧の途中の伴侶を一緒にパーティーに連れ出すところだった。そう思っては、広く公開する前提の楽曲を最終形まで吟味する。
そんなの即座にできる訳がないので「もう少し」という区切りでDAWを閉じる。小説原稿を開く。会話劇と説明が交差するシーンを推敲する。「この文はこの物語、この文脈においてどう機能しているか。必要か?」という感性をきちんと使用しながら。それは一体どういうことか。例。
――「俺は、今の日本に物申したい」
ビールジョッキを机に置くと鈍い音がした。
「じゃあ選挙に行けよ。平吉は毎回ひどく抽象的な蘊蓄を垂れては律儀に投票に行く。それで、いつだってお前が投票した政党は悲惨な結果に――」
「そういうことが言いたいんじゃないんだ」
「じゃあ何が言いたいんだよ」
彼はロングピースを咥え、眉間を赤く灯らせた。紫色寄りの煙が机一帯を即座に覆った。
「根本的にダメだ。結果はわかりきっている。いつだって大多数に引きづられていることに俺は気づいているつもりだ」
「平吉よ。酒場でしてはいけない会話が三つある」
刃物を向けるように、枝豆の皮を俺の鼻先に向けられた。すると一般論が想起された。
「野球、宗教、あとは――」
「お前がクダ巻いてるそれだ」
「俺は政治の話などしているつもりはない」
空になったジョッキを壁際に寄せ、ジントニックを頼んだ。
「じゃあ何が言いたいんだよ」
煙草の先端を一発で灰皿に消し付ける彼。沈黙を続けた。
「ええ? 君はどの政党に、いや、どうしたら日本が良くなると思うか、贅のない意見を言ってろよ。ほら」
「そんなことよりエロい店に行こうぜ。この後」
俺は脊髄反射で店内の時計に目を向けては時刻を、夜の街がまだ営業しているかを、入店してから――刹那で逆算してはその数値をすべからく口にした。
「すぐに、決起する必要がある」
「もう一本吸ってからな」
彼はロングピースを立て続けにソフトパックから取り出しては――こいつだ。こいつが日本をダメにしている。そうに違いない。そこに〝間〟は必要ない。この野郎。く。こいつの態度から是正することだ。そこからだ。全てに直結する。日本を、く。俺の前提を覆した罪は重い。
「――後でいいか。じゃあ行こうぜ平吉」
「うん」
「お会計〜」
「8,250円になります!」
それぞれ、四千円ずつ出しては端数を決するためにジャンケンをした。「勝っちまったか。男気を見せるジャンケン、勝っちまったか」と、彼は250円を負担した。いい奴じゃねえか。少し彼を見直した俺はそそくさとチェスター・コートを羽織っては彼の遅すぎる身支度に物申すように袖を何度か引っ張った。
「ねえねえ、早く早くっ」
「うるせえなバカ急かすな。つか平吉、選挙でどこに入れたの結局?」
「行くの忘れてた」
――上の会話劇。どこに〝贅〟――「この文はこの物語、この文脈においてどう機能しているか。必要か?」――があるか。その例文から見極める。全部である。日記を書いているのに例文を創作した全てが〝贅〟である。
あと、こと俺個人の態度としての失態ともなる事実をさりげなく書くのは逃げでもあり、免罪を求める態度でもあり、しなくていい告白でもあり、本当のことでもあり、なんかすいませんという気持ちやら、である。
つまり、むちゃくちゃな構成となっているがつまり、「その作品なりにおいて、どう正しく、理由をもって〝機能〟しているか」ということを見極めること。それは、楽曲制作でも小説でも必要なセンス、技術、感度、それらすべてが包括した〝総合的判断力〟だと思った。
そう。〝贅〟を取り除けば本文は三段落で済む。命題提示・論証・帰結。と。しかし、〝贅が、どう作用しているか〟ということを見極めるには時に、あえて、ドンブリからはみ出まくっている天カスくらい書くことも必要。そのように思った次第。
不要な贅がとれて日本がよくなりますように。などとは微塵にも思っていない。まずは、手前の贅をなんとかしろ。個人のその積み重ねが本当の意味で国家に影響を及ぼす。というような気が一瞬だけしたような。――そして念を押したいのは本文の〝贅〟となる会話劇の場所から登場人物から行動やら思想やら、9割以上は創作である。
ここで、その9割ではない、1割の真実を文末に明記すること。それがきっと、本文において本当の意味での〝贅〟になる。のであろうか。
_02/08
1秒未満で今日の印象が塗りつぶされた。異様に似ている人物を見た。終電間際のJR線だった。俺は乗り換えた。そこに男を見た。彼はあまりにも似ていた。彼は歩きながら、申し訳なさそうな表情で缶ビールを呑んでいた。俺は思った。遠慮なく呑んでいいんだぜと。
開き直り気味に人生を謳歌している。俺はそのように自己を俯瞰する。楽しいからそうしている。しかし、それを「禁止」されたと思い込んでいる男がいる。なぜそうなったのか。その過程をよく知っている。
俺は酒を呑むことに遠慮などしない。だが、彼は、JR線の構内地下でふいに視界に入った彼は、「許されるかな……?」という言葉がフキダシで目視できるかのような顔で酒をコクリと呑んでいた。肌がとても綺麗だった。一重まぶたに穢れを感じなかった。1秒未満のその瞬間で40年くらいの記憶がまとめて畳みかかった。
彼は――数字に強い。円周率。これから記すのは、どこからか拝借したものではなく、手打ちで記すものである。円周率。3.14159265358979323846。俺は、ここまで長期記憶として暗記している。精査していないが間違いないことを断言できる。
彼は――円周率。それを、互いに、10歳前後の頃――「どっちが覚えられるか勝負しようよ」と、そうした。既述の桁は当時の俺の限界値だった。しかし、彼が同時に記憶したそれは、異常値であった。
彼は――それから数年して物理学書・数学書の重厚なものを読破しては――「これは生活」。くらいの空気感だった。何かが、決定的に、違う人間なのである。
それを知るのには時間がかかった。
彼は生きているはずだ。JR線の構内で見た男はただ、酷似とまではいかないが「根幹があまりにも俺の思考をさらった」ほどの近似値。だから正直に戦慄した。
逆に、「――彼だったらよかったのに。遠慮がちなのは変わらないね。でも、駅で酒。いいじゃない。好きだよ。俺なんてね。たまに車両内で呑む。ラリってる時はね」と、笑みを交わしたかった。
だがそれは絶対に起きないやりとり。
仮に、彼がすでに死亡していたとしよう。それでも、その事実を知らされない〝権利〟を彼は最後まで離さない態度がある。根拠はいくらでもある。
俺は、彼とわかり合いたいという気持ちが年々増す。だが、その主導権は彼が握っている。俺には覆せない。その理由が、円周率の最終地点くらいわからない。知り得ない。沈黙するしかない。 だからそこで1秒未満で俺は黙った。
――今日、いつものように営んでいた。前に進もうと。しかし、彼はその逆を行く。――であろうという確信以上の推測がある。それくらいに彼は、俺に、見向きもしてくれない。
だから思った。JR線の構内で見かけたそっくりさんが、「本人」だったら俺はどれだけ嬉しかっただろうかと。
――「よう、ちょっとかな、変わったねえ。外国人でも遠慮するぜ。池袋駅のそこでビールて」
「あああ、あ、どうしてた?」
「俺? 今さ、楽しいんだよ!」
「ん、え、何がだい?」
彼は決して、人と目を合わせない。
「見て欲しいんだ! 特に――見て欲しいんだ。来てくれよ! ここから8分の駅だ。今な、赤羽に住んでるんだ俺。そうだ、原稿を読んでくれよ! 何度も推敲してるんだ。次のやつもある! 前の、最初のやつもいいかなあ! 感想をくれよ。褒めてくれよ! ダメ出ししてくれよ、とにかく読んでくれよ! 結果が出るまでは絶対に原稿は誰にも見せないんだけど読んでくれよ――もう隠さねえよ。これも、これも、これもだ! 読んでくれよ。聴いてくれよ! ギターだってあるよ、一緒に、ほら。何でも、そうだ、久々に一緒にファミコンをして遊ぼうぜ!」
一秒未満で湧いた思考。一日を吹き飛ばした、ただのそっくりさん。もう、絶対に会えない彼は元気だろうか。生きているのか死んでいるのかもわからない。正確に言うと、後者であれば判明してしまう。だから、「――あれが、もしもそうであったら」と。
複数の人間が無関心に交差するJR池袋駅の構内でふと思った。
俺が何を思っているのか。ひとつも関心を寄せない彼に届かない文章。兄貴は何をしているのだろうか。知り得ることを、許可してくれない。
_02/09
嘘だろというくらい何もしていない一日。正直に後悔が背中を削る感覚。酒の呑み過ぎである。
昨夜――なんだか己を洗おう。などという極めて抽象的な思いが夜中から昼過ぎまでゆっくりと、連続的に酒を呑むことを許可した。それはよくない。という感覚すらも「おこづかいがもったいない」という金銭的倫理を濾過した。
ドロドロに溶けた日常原則は俺を日の暮れまで「だめでしょ」という、体たらくに落とした。本当に何もしていない。食事すら、思い出すように夜、無理くりにチェーン店で義務的に摂ったほど。
そんな日があっていいのか。いいと思う。ない方がおかしい。だが俺はない方を恒常としている。だからそれでいい。と、思うがそこに罪悪感を覚えて今。
仕事をしていない。創作もしていない。小説原稿を――これからちょっと触る――開いていない。制作もしていない。ギリギリ、メールのチェックくらいはして案件の対応をする。つまり、死という絶景に誘惑されるすんでのところでちょっとだけ日常をするもほぼほぼ骸。そんな日だった。
今、26時くらい。これが物語っている。だが思うに――寂しさがあった。それは昨日気づいた。それは俺を今日、記号化させた。その感情は融け入るようだった。その粘度に耐えられずに意味を溶かした。すると何もなくなった。気がつけば街の音は過ぎていた。俺は普段通り今日を書いた。
そんな日があることを厳しく指摘するのはどうだろう。だが、「今日は何日だっけ」という程の猜疑が本物と知覚されるのは危ない。
しかしこうして、あまりにも何もしなかった日を誠実なつもりで書くと、あまりにも誠実に何もしなかった日の価値を見出せる。訳がない。
だから、小説原稿は、今日はいじらないことが賢明。そのまま、溶けた一日を休息とみなし、温存されたなんらかをそのぶん明日、精進するのがいいのかもしれない。
本当に何もしなかった一日。好きじゃない。だが、何かが、そうさせた。昨日の感覚に引っ張られたことは正直に、否定できない。
_02/10
濡れた空気が青い時代を想起させた。匂い立つ道中で過去の同時期がふとよぎった。足繁く通うのは賭博場だった。今は違った。叡智を享受するために、探求をやめないために、テキストの館に向かった。叡智の森に隣接する公園があった。俺は大木に接着した。懺悔でもない、宣言でもない、未来への挨拶に近しい行為だった。
「17時まで」と、入り口の看板に書いてありふざけるな、昼過ぎに来てその縛りは辛抱たまらん。どういうつもりだと日を思うと赤い日か。祝日か。全然気づかなかった。というかすぐじゃねえかもう。と、噴気を抑えて静粛に入館した。
人間がどういうつもりかを知りたい。だから俺は、いつも人文学書のコーナーからのセットリストとしてもはや、固定化しつつある。
ウィトゲンシュタインの書籍が並ぶ――彼の遺稿を常にカバンに持ち歩いては愛読している。まだ通読に至っていないが、再読必至と見なしている。だから、今日は彼の書籍をこの場所では手にはとらなかった。
スピノザ――聞いたことある名。おそらく内容は重厚であることは匂いでわかる。だから――『はじめてのスピノザ』か。背表紙が「まずはここから」と言っているようだった。その書籍をしばらく読んだ。著者は本人ではなく、國分功一郎さん。彼の著書は一冊読み――『暇と退屈の倫理学』――、世界を広げてくれた感覚を得た。しかし今日は時間も時間。〝スピノザ・ハウツー〟はほどほどにして文学コーナーへ向かう。
その途中で雑誌コーナーがあった。一冊に目を奪われた。『すばる』と、書いてあった。
先日――〝小説を投稿する先は『すばる』とか?〟と、ダイレクトに言及された。そうではないのだが、その記憶がその店の前で俺の足を止めるようだった。
雑誌の表紙の各著者名に「金原ひとみ」と書いてあった。見たことのある名前だ。というか芥川賞作家である。猛者。そうだ。『すばる』ではなく、俺の第二作品目を投稿する『文藝賞』の選考委員の中には彼女の名があった。
理由が揃ったな、と、その雑誌に掲載されている彼女の作品を少し読む。ちょっと気になった。そのまま雑誌は棚に置き、文学書コーナーの「か」から始まる棚を探した。金原ひとみさんの列があった。一冊手に取った。読み進めると――なんかするする読める。そうでない小説というのが俺規格、というか「最初からなんか読めん」というやつがある。俺の読解力の問題であろうが、とにかく金原ひとみさんの著書は読みやすく、続きが気になった。だが今日は時間が――。
棚に戻して別の作家の本をいくつか手に取る。館内にBGMが鳴り渡る。初めて知覚する現象。つまり帰れと。そういう訳か。
濡れた空気はまだ匂い立つ。帰路、足早に東十条駅に向かっては赤羽へ。デパートへ。買い出しをして帰宅する。机で真面目に営むために。
案件をひとつ対応した。リモート音声のやりとりが主軸の仕事。すごく気持ちよく運んだ。即日クロージングとなり、豊かな気持ちを確かに得た。
食事に行こうと外へ出た。もう匂い立つ感覚はなかった。意気揚々と食事が喉に通り、戻って一休みした。そして小説原稿を進めた。――選考委員の金原ひとみさん方に届く位置までは、どうしても行って欲しい。
投稿後の最終選考の場をイメージした。推敲はうまく進んでいる。こんなに面白い作品を――そういった祈りは内包。原稿に向かっている時は、作品のことしか考えていない。
早くて今年中。来年だろうか。その次の時期だろうか。その頃になり、濡れた空気を感じては、今日あたりを青い時代と想起させるのだろうか。その匂いは、今日感じたものとは明らかに別種の、光を帯びた、得たことない芳香だろう。それを強く、祈っている。
_02/11
蜃楼の知覚と何度も言った。それは、連呼すべき現象だからである。その比喩を直訳すると、現実が届かないということである。
だが、その 蜃楼の知覚というやつを表面化させると、現実が反応する。そんな気持ちが無意識下で煮沸しながら、小説原稿に何度も書いた。 蜃楼の知覚、と。
この作品が現実に届かなかったら実に困る。率直に、そういった健全な恐れは日に日に増す。まだ公募に出していないが、「なんなら来週出せる状態にもある」という進捗となると、どうしても結果を意識してしまう。
ただ不思議なもので、原稿に向かっている時、その意識は深く潜っている。日の区切りで原稿を閉じ、ゆっくり水面に上がる心象を得ると「怖いな」と、子供くらい原始的恐怖が滲み出す。
――山道の分岐点で谷を見た。ふと上を見たら絶景の青空が広がっていた。左に「0」。右に「12」と、大きく各観念が可視化されていた。その光景は奇怪ではなかった。直感的に思った。刹那で感じた。右だ。右に行っていいんだ。と、信じられた。ひどく抽象的な景色だった。しかし今でも記憶として明瞭に表象できる。そんな夢を、去年のいつかに、確かにみた。
――当時、起床するとその夢はあまりにも絶対的な意味があると意識に刻印された。
各観念の左は現状維持とそれ以下。右は、その時は何を表しているのかよくわからなかった。ただ、〝忠告〟と〝宣言〟と〝許可〟が混ざったポジティブな導きのように思えた。
当時もその夢の内容をここに書いた。表現方法はまるで異なると微かに記憶にある。共々、抽象的であることには変わりない。だが、〝恐れるくらいならば左に行って安心を取れ〟という感覚は今日特有のもの。
原稿に書いている物語の分岐点。そこを今日、推敲していた。そこに「蜃楼の知覚」と、何度も書いてあった。「多いから削ろう」。とは思わなかった。現実が届かない歯痒さを符号化したままにしたかったから。
俺は今、小説を書くことにおいて現実が届いていない。初作品で、ある種の反応を生身の編集者と現実として得た体験はある。だが、それだけではなく、届けないと意味がない。だから、蜃楼の知覚周辺を探った。それは文字の羅列だった。それだけで、書いた者の意図を知覚・表象してもらい、顕在・潜在に届ける。
それが難しいことなのか簡単なのか、「0」と断じられるくらい非現実的なことなのか「12」くらい絶対的な現実を表しているのか。それこそ蜃楼の知覚でしかない。
だが、半年ほど前に睡眠時にみた夢は、自身の意思を〝指示〟しているように思える。右へ行けと。
これだって気の毒なくらい抽象度が高い内容だが、それが表そうとしてい蜃楼――実際には無い、遠方の景色が浮かんで見える――を知覚することに尽力する。現実として届かなかったら、こんなに恐ろしいことはない。
だから、夢でみた各数字は、恐怖を象徴する〝谷〟と対比するように、絶景の青空に浮かんでいたのだろうか。
――妄想ではなく実際にみた夢を思い出して書く。だがその〝実際〟を証明することは誰にも出来ない。出来ることがあるとすれば、それを現実に届かせること。そうなったら俺は、あの夢を主題にもう一本小説を書いては現実に置く。そういった営みを死ぬまでやる。そんな未来を信じて祈っての行動。それが、健全さと逸脱さが絶妙に混じり、とても心地良い。
「0」は、無のような態度。「12」は、真理の絶対的サイクル。それぞれの象徴。そんな気がしてならない。
睡眠時のも、掲げることも、奮起することも、現実化を望む態度も、それぞれたくさんの意味があるけど、〝夢〟って、本当に不思議だ。
_02/12
俺はハイエースを運転しながら通話を切った。すぐに笑って絶叫した。入電は、一親等が病院で脳梗塞と判明した旨。27歳の頃、仕事中の出来事だった。
人間は、本気のピンチと恐怖を知覚すると笑う。時に、大声で狂ったように。それはきっと〝逃避〟の感情所以であろう。こと、俺がそうだというだけの話なのかもしれないが。
人間は恐怖した時に三つのうちどれかの反応を本能的に示す。「戦闘」「逃避」「硬直」。そう思っていた。
だが、そのなかのひとつ、「逃避」には〝笑う〟というレイヤーがあることをふと、思い出した。そして今日、それを想起しては笑いに逃避しようとしたがそれはしなかった。
恐怖を感じていた。一般常識として、一親等の生死に関わる罹患発覚よりも程度は乖離する。だが、俺は初めて対峙するその恐れが、どうしても笑えなかった。それは、小説原稿が「満足いかない状態のまま期限寸前を迎えるのでは」ということ。
側から見たらどうでもいいことかもしれない。だが、自身としては今後を賭ける営みの重要地点。主観的にも俯瞰的にも本当に自信のある第二作目の小説の推敲。第五稿。そのちょうど中間部分――作品を読む上での促進力と転換を決定づける難航のセクション。
――音楽に例えるならば、アナログレコードの「A面」を聴いた後、続けて「B面」を〝興奮したまま聴こうと思える情念が発生するかどうか〟というもの。
正直、俺はレコードをそういう風な態度で聴いた体験は無い。しかしこれ以上正確な比喩が思い浮かばないのである。
A面は序章から中盤にかけて。リード曲が含まれる。ひとつ以上の山場がある。しかし、俺が今書いているのは〝A面を返し、B面に突入する「間」を含めた部分〟。ここのクオリティこそが、後半序盤からラストまでの芳醇かつ異常な展開の魅せ方を責任重大に担う。だから、その〝間〟を推敲してはいつもの倍以上の時間がかかる。
しかし、焦って進めると致命打ともなる。その施しを手拍子でしかねない。だから慎重に、ゆっくり、レコードプレイヤーに針を落とすかの所作で、それを行なう。
90分ほどで原稿用紙10枚。たったそれしか推敲できないなんて、これまでの俺の進行具合で言ったら異常値である。だが、その値を見誤らずに進めることは極めて重要と断じた。
しかしそこを早く抜けないと――満足いく推敲の進行とならないと――その作品の〝完走〟とは見なし難いまま、公募にエントリーすることになる。
そこで至らぬ結果になったら俺は笑うことも絶叫することもできずに硬直する。
だから今日、恐れた。しかし逃避する笑いは禁じた。硬直は論外。――焦りこそ本物の恐怖と扱い、慎重にそれを飼うことにした。それができずに、もしも、逸脱を伴う制御ができなければ、昨年夏初動からの毎日の数時間が吹き飛びかねない。それは、笑えない。恐れの上位互換の形而上。
だから、ひとつもふざけずに――ふざけるべく部分は初稿で書ききった――推敲をする。脳外科医が手にする鉗子をイメージするかのように慎重に。すると、やはり原稿に向かう時に恐れはいっさい感じない。しかし、一旦閉じると笑いたくもなってくる。
だがここで〝逃避〟を選択すると俺は死ぬまで骸を着てたまに引っ張られるように歩かされる営みとなる。それが前提。というつもりでやっている。
だから、笑えない。不謹慎を承知で言うが、親が死ぬかもしれないと知覚した時よりも、笑えない。
_02/13
恐れは神経にまで侵入した。Mr.Childrenの桜井和寿さんの独占インタビュー。とてつもなく至大な案件を賜り、俺は緊張していた。だが、いつも通り、きちんと立場をわきまえて彼と対話をした。
普段は録音レコーダー二段構えという慎重さが恒常。しかしなぜか一つしか使用しなかった。――16分ほどの短い尺の取材だった。彼は忙しい。それもあり、最後の締めの質問をする時間を逸した。
しかし「撮れ高」としては及第点か。と、担当者と軽く口頭確認をして俺はレコーダーをチェックした。すると録音されていなかった。
インタビューにおいて録音し忘れなど致命的。「――録れてなかったんでもう一回いいすか?」などと、頭を丸めても口にはできない。ミスチルだぞ。だから俺は機材を疑い何度か音声を確認した。
すると、前回にインタビューをした別のアーティストの声と俺の声しか再生されなかった。再三、機材を確認すると「メモリオーバー」だった。だから、さも録音されているかの動作をみせていたレコーダーは実のところ仕事ができなかった状態だったのである。
どうしよう。取り返しのつかない16分。どうすればこれを挽回できる。
――あ、夢か。と、気をまくしたてる生体反応を意図的に繰り返しては夢ではなかった。レコーダーには――前回の案件の音声。
――また、気を。それを二度繰り返し、俺は目を覚まして寝室の天井を眺めては「ここは赤羽の俺の自宅だ」と、正確に現実においての位置確認をした。つまり悪夢をみた。
如実ウソくさい内容だが、相当緻密に克明に言語化したつもりである。そういう夢を昨夜みたことを。睡眠時の夢の内容の真意は絶対に証明できないが、こう、嘘ではない。寝てた時の夢だけど。
本気でミスチルの取材でそんな失態があったら咽ぶ。という恐れ。それの原因は昨日の推敲である。難航すぎて「満足いく完成度未満で公募エントリー締め切りの時期を迎えてしまったら俺は――」という、はたから見たら信じられないくらいよくわからない恐れであろう。俯瞰するときっとそう。
だが今日。真剣に、難航の章を磨き上げて作品の背骨が危険なくらいに精悍となった。
もうこの後の原稿の内容は、「なんなら微調整だけで大きくイジりたくはない」という流れ。「原稿の後半はもう出来ているレベル」と、前稿の時点で落居したのである。だから、今日は120分ほどで30枚と、そこそこの速度で推敲で磨け、エントリーまでの目測が〝恐れ〟に侵される心情を打破した気持ちだった。
昨日、相当おおげさに書いた気がするがそれこそ嘘ではない。本気で恐れていた。笑えないほどに。だが、それを越えた。という感覚。
もちろん、油断せずに最終稿となるまで真剣に対峙する。その対峙に甚大なる亀裂を察知をしては昨日、とても怖かった。すさまじくリアルな悪夢までみた。昼過ぎまでそれを引きずっていた。だが夜に。というのが今日のある種のリアルというのだろうか。
肉声で録音できない創作時の心境。と言ったらカッコつけ過ぎであろうが、そういった自覚に似た何らかも、夢の表象として「レコーダー不備」というかたちの象徴となったのだろうか。だとしたら納得。
――夢と無意識の解釈の神みたいなユングさんに分析してもらったら「君の言うレコーダーはその解釈でおおむね齟齬なし。そんで桜井さんはね――」と、続きが聞きたいが思い出したくないくらいの悪夢なのでもういい。
というか冒頭の〝釣り〟みたいな書き方はこう、今回限りにするべきである。記録すべき目的がブレる。だが、今日に関しては既述のように書かないと嘘になるな。と、思ってそうしたので悪意はない。
よかった。自身としては今後を賭ける営みの重要地点を――そういうのが何度来たとしても、来る前提で今後を見据える。そのような覚悟を試されたような個人的感覚。集合的なのも含まれているだろうか。今はわからない。だが、本当にそういう感じだったというだけの話。には、したくない。
――「そういうのもあったんですね」と、それこそ俺がインタビューを〝受ける〟側で話をしてはインタビュアー、「――録れてなかったんでもう一回いいすか?」などと後日に抜かす。俺はきっとそれを笑ってもう一回、何事もなかったかのように引き受ける。そんな風になろうという未来はとても輝かしく今日、表象された。ああ怖かった。だが、まずは越えた。
あと、ミスチルは恐れの象徴などではなく、素晴らしいアーティストであり俺も大好きな対象であることを強調する。
_02/14
45年後、人間は90歳になると例外なく死を迎えるという原則となった。それを俺は、夢のなかで「来ちゃったか」と、嘆いた。睡眠時の夢の内容である。
――90歳になった俺は、まだ気力体力ともに生きられる実感が確かにあった。でも、90歳になると死ななければならない時代。その〝決まり〟に異議申し立てはなかった。
俺は、高層ビルよりも遥か上空までそびえる白い塔の頂上に居た。内部は、黄色寄りの琥珀色。それが光の役割として視覚を機能させた。底には水のような溜まりがあった。蛇が居た。
俺は、ここから飛び降りて原則にならう必要があると知っていた。嫌だった。高すぎた。見下ろしては戦慄した。本当に無理だと思った。しかしそれは許されないと、覚悟を決めていた。
そろそろか。という契機でもう一度、塔の内部の底を見た。どうやら、俺の所作所以らしいのだが、蛇は、一般的に想起される蛇よりも一回り太いその蛇は、首が切断されて、頭と同等の長さの胴の部分の位置で切り分けられていた。俺は頭部に注視した。蛇の色は、白が基調だった。
塔から飛び降りた記憶は無いが、俺は肉体から離れたことを認識した。その状態で実家のエリアに行った。〝行く〟という行為が前提として無いかの如く、すぐに到着した。物件に「46」と番号が、まるで団地のようにふられていた。そのほかの近所のどの物件にも、数字がふられていた。俺の記憶にある東京都足立区の実家のイメージとは異なった。
人は誰も居なかった。
俺は、歩きではない感覚の移動をして近所に、何かを取りに行こうとした。しかしそれは無かった。その庭のような場所で、「待っていてもな」という感情になり、その夢はそこまでだった。
――今日は物理的に右眼まぶたの下部が痛かった。眼の使いすぎだろうか。仕事をこなしては夜、小説をやろうと思う前に鏡を見たら右眼尻白眼が赤く、出血しているようも捉えられた。少し焦った。思わずティッシュで眼尻を拭った。白色のままだった。
――仕事の合間に、ドラッグストアで血管年齢をチェックした。結果の「25歳」という判定に、まあ、気休め程度の指標だろう。とは思えど、少し嬉しかった。だが冷静に「医療未満の判定」と捉えた。それよりも〝交感神経・副交感神経〟のはたらきの比率が気になった。〝9.5:0.5〟ほどという、〝極端に交感神経優位=ある種の過度な興奮状態〟であることを数値で見た。あまり気にしなかったが血圧チェックをしたら高かった。俺はいつだってかなりの低血圧なのにこれはかなり珍しい。少し律しようと思った――。
つまり過活動か。という自覚はここ数日ある。それは眼も――明日も痛かったら早い段階で眼科に行こうと思う。ポップに言うと本当に眼を血走らせながら原稿に向かっていたのか。無理できる年齢ではないのか。少し寝てから原稿をやろう。90歳まで生きるのかもしれないし。それまで、時間をくれるなら、ずっと書いていたい。だから、ソファで二時間ほど休んだ。
――起きて原稿を進めると信じられないスピードと精度で進んでは自分の作品とキャラクターに逃げ場の無い塔の頂上にいるかの如く引き込まれた。俺は深夜25時を過ぎても、そこから戻りたくなかった。右眼は、シグナルを送っているのかもしれない。
なんだか今日も意味深な夢をみたが、現実の夢に向かって生きていたい。
もしも90歳で死ぬというのが原則となったとしたら、ちょうど半分。実年齢45歳。だが90歳まで生きられる保証などひとつもない。だから、眼が痛くなるほど熱狂していることへのアクセルとブレーキをどう扱うのが妥当か。妥当ではなく必要なのは逸脱か。中庸であるべきか。もちろん抑制は必要か。リミットというのがあるのか。そんなことが、夢・現実・肉体・神経・創作と。それぞれに現れた案外めずらしい日だった気がする。
あまりにも高い白い塔から下に見る景色。白い蛇。なぜ、描写的にも克明に覚えているのかがどうしてもわからない。
それを正確に知ることは、狂気なのであろうか。狂気というのは、狂気であることに気づいていない状態。というようなことを久々に係りの者がその〝情報〟を内部から持ってきた。
そうなんですね。俺がどうであるかは知り得ない。ただ、扱い方ひとつだと思っている。とにかく、眼が心配なほど赤くなるほどに小説を創作することが楽しくて仕方がない。
_02/15
濡れるもあまり落ちない雨と呼応した。昨日、オーバーヒート気味の熱度で過ごしていた反動。そう見なしては普通に、散歩に出た。傘を持たずに。
歩くに快適ではない。そう思って書店に向かった。購買意欲は無かった。ピアノの音がした。「女性が弾いている」と、思った。
書店の入り口に設置されているストリート・ピアノの後ろまで行き、演者を目視すると、やはり女性が弾いていた。タッチでわかる。などと思った。槽の深部に近い心境の時は感度が尖る。この逆転現象。それは、若い頃からそうなのだから今さら怪訝にはならない。
本格的に雨が降ってきた。書店でしばらく留まることを余儀なくされた。――いろんな表紙を見た。棚から抜いた。少し読む。膨大なジャンルがある。ふと、VTuberにまつわる本を読んだ。何かになるって大変だなあ。と、思った。すると視界が背後からゆっくりと拓けていった。
「私はVTuberになる」という意思の無い者はその本を読まないであろう。「わたしは介護士になる」と、決起しない者はその資格勉強の本を買わないだろう。「経営に必要な哲学とは――」などと顎に手をあてる者はその手の本を読むだろう。プログラミング言語の本もそう。株式投資の本もそう。自己啓発本も。実用書も。AI関連の本も。税理関係も。どれもそうだ。みんな、どの本も、みんな、何かになるためにその本を手に取る。書店というのは、読みたい本を探す場所ではなく、何かになるための武器を得る場所なのではないかと思った。一方、漫画はどうだろう。文学は? 辞書は? 写真集は?――どれも、楽しみたい、調べたい、浸りたい、何かの状態になりたい――やはり一緒かなと思った。何かになるって大変だなあ。と。
女性の弾くピアノの音が聴こえなくなった。時間も時間だ。俺も何かに。そう思って帰路についた。机についた。
しかし昨日までの反動が如実だった。ソファで小一時間休んだ。それでも一層、いつもより内側に居た。原稿を開いた。全てが元に戻った。
昨日痛み出した右眼は回復していない。だが、少しだけ治った感覚。小説を推敲する。いつのまにか読者目線で文章を追う。それは「その部分は絶対に手を入れるな」というサインだろう。物語の佳境でその感覚がしばしばあった。よかった。安寧は俺を健やかな気持ちに戻すと共に原稿から引っ張られる力を確実に捉えた。しかし時間も時間だ、俺も何かに。そのためにやっている要素はあまりにも濃い。だからこそ、毎日の区切りは重要。そう思って一旦。
まだ雨が降っている。ただ、雨が降っていると思った。
どこかを行き来しているこの感覚をずっと続けている。それを今後、ずっと続けたい。祈りと行動を同期させて。死ぬまでそれを続けたい。――何かになるって大変だなあ、とは思わずに、静かに日を確かめた。
_02/16
右眼の充血に痛み、共々がとれた。結膜炎の市販薬で治癒に向かった。よかった。――安堵するも周りは、それに明らかに無関係に多忙な時期。経理のピーク。物件の更新。いろいろある。俺もそれらに向く。
労するとも思うが生活基盤は要。徐々に進める。着地点が見える。俺は50歳までを区切りに、今とは全く異なる生活をすると現実的に考えた。しかしそのための行為は非現実的なのかもしれない。
眼が、どうにかなる。というくらい原稿に向かう。陶酔した表現そのものであるが事実。正確に言うと、一日平均して二時間ほどを原則毎日つかう。客観的には大したリソースではないと冷静にそう思える。だが今の寸前、原稿の佳境を推敲していた時間あたりは酔いが回る。ぐるぐると、ではなく心身で煮沸した液体が中央からさらに融解して幾何学模様をアナログな現象に強制変容させるかの感覚。
この表現が既に周りをみていない。現実を捉えていない。
一貫して、同じ場所でずっと同じ画角で文字を書いては見つめては、そこから表象される可能性に祈りを捧げるということも禁じるように「祈りは後」と。
これを現実世界に飛散させないことには俺はどうなってしまうのだろうかと、ますます恐ろしい気持ちになるのだがそれはどうやら必須の副産物。と、捉えるのは冷静であろうか。
何かになるのって大変だ。――などと昨日傍観するように思った。こと、自分だってそうだろうと周囲にバイアスをかけて優遇をしない。それでも、「強烈なものを」という思いは祈りではなく実行に付随している。それは眼も血走る。
「――それは、それで。その時に思う結果にならなければ、次に行けばいい」と、これはかなりの一般論だと思う。やめない限りはいつか。という性質であろうか。
だがこの命題を覆す言葉もある――同じことを繰り返しては別の結果を期待すること。それを狂気という――のだが、〝同じこと〟の温度を〝常に観察する〟ことで、それは本当の意味での狂気となり、その位相が逆転して世間に届くのかもしれない。という風に少し思い、激しく、感じた。
言語化が前提の営みの広いところに向かう。そのつもりだが今日あたり――どうしても言語化できない気持ちになる場面があった。きっと文脈では〝言語化〟に近しいことを書いている気がする。
だが、俺自身がどうこう――という炉心が畝っているとしても、周りからしたらコンクリートで制御されていて何もみえてみないのかもしれない。その状態で、内部の機能が正常に世に回ること。それを〝社会での機能〟と呼ぶのかもしれない。
だが機能しているものが自身で完結していたらコンクリートでしかない。いくらその内部が鮮烈であっても、巡らなければ社会的に意味がない。こと、個人的な今の営みについては、そういった思惟。
そろそろ、初作品の公募結果が順次発表される。手元の原稿は次の矢。その次の原料もフォルダに温存。――どこでどれが巡ってくれるのか。どこまで自身、折れずにやり続けられるのか。ただの繰り返しの愚鈍な狂気なのだろうか。その見定めがとても難しい。などという心境を刹那も感じさせない時間というのがあるんだな、という風に思った。
強風でも、炎症でも、感懐でも、酔狂でも、逃避でも、恐怖でもない、これをやらないと今後どう生きていけば全然わからないというあまりにも原始的な感覚。
_02/17
覇気みなぎるも確実に疲労あり。睡眠も少ない。俯瞰、大事。
仕事をして夜、よし。確定申告をやってしまおう。楽曲制作をしよう。小説も進めよう、と思ったが確実に凪の必要性を感じたのでプライオリティー、あえてカタカナで言うがそれを見定めて、寝た。ビリー・アイリッシュの大海の底のようなサウンドに沈んで、ソファで寝た。
――彼女のアルバム一枚分の時間が過ぎた。プライオリティー、優先事項として高いのは確定申告である。やりたくねえ。
「そうだ。AIで秒で出来ねえかな」とも思ったが、二つの間違いに気が付いた。そんなもの明日明後日やってもひとつも〝優先〟する理由は変わらない。じゃあ楽曲制作だ。これも先ではない。理由として残酷なことを言う。
〝今後、音楽制作の工程の大部分は、生成AIによって生身のミュージシャンが制作したものと遜色ない質となる。何ならもうなってる。特に、BGMなど「雰囲気が鳴っていればいい」という役割の音楽は、その知識と少しの編集力さえあれば、ゼロでもイチからでもやる必要性がほとんど無くなってしまう〟――あえて、断言する必要性を俺は感じる。根拠がある。
俺が100曲以上無料配布している音源。それらにボーカルは原則としては入っていない。つまり、〝ユーザーがBGMとして使用できる無料ダウンロード音源〟である。無料だが、ウェブ広告収益や放送使用料など様々な経由で俺の収益源ともなっている。それが、その額が、生成AIの発達と元気よく反比例しているのである。残念極まりない事実である。
だからもう創らねえよ。とはならない。理由は明確で、音楽は俺の営みの骨格だからである。
これまで通り制作することに加え、別のアプローチの試行錯誤も加えてテクノロジーのすさまじい発展の舟から降りない――幸い、俺は音楽ライター業という、音楽業界内部・深部への進入を許可された上での色々な〝事情〟という一次情報がたくさんある。ここに書いたら半殺しにされることもいくぶん。だからその羅針盤を見つめつつ、音楽を続けることは決めている。
――そんな思惟もあり、今日の優先順位としては小説を進める。次のレイヤーに進むことが最重要優先事項であると疑わずにそれを真剣にやる。軽々しく真剣と表現しているわけではなく本当に。
道中、これまで知覚したことがなかった。その色鮮やかさ。激しいくらいの暗さ。その景色が毎日脳裏をよぎる。だが、麻痺するほど楽しく熱狂できる。この感覚が最も〝営み〟として重要。そう信じつつ創作をする。
「ばかもの。どう考えても確定申告が先である」などと係りの者は決して俺に言わない。
基盤が致命的に傷むことを回避すべく休憩し、優先順位を吟味。その判断は係りの者ではなく俺の前頭前野が下した。
――引っ張られるように小説原稿に向かう。身を委ねるのではなく主導権は自身にある。その後、どう評されるか。それは、評する方々が俺の原稿に死ぬほど引っ張られていただきたい。そう、率直に思う。だから優先順位。それはおそらく間違えている気もする。それをどう、正確に判定するか。それはすぐにわかる。
〝後悔しない順番にやればいい〟と、思った。
休息をとらずにまた眼が病的に血走ったら缶酒も呑めない。御免被る。確定申告に手こずり創作の時間を逸する。論外。双方、確実に後悔が残る。だから、合っている。のかな? と、断じきれないのは――まだ結果が出てないからである。
怖いな。結果。それを知るのが。いささか珍奇なもので、「至らなくとも、至っても、どちらであっても怖い」というのが正直な心境。そんな苦行みたいなことをなぜ、好き好んでやり続けるのか。
――あ、死ぬわ。と、臨終寸前に覚悟する。「あの時……」などと、高速走馬灯が「クッ」と、コマ送りなるポイントがいくつかある。――45歳の2月。馬鹿か。どうしてあの日に確定申告などを優先させた。――そう後悔する。というかそんなピンポイントな走馬灯は嫌だ。ともあれ、リアルにそう思える。
銭金どうこうよりも本性を最優先させた。
――あ、死ぬわ。と、死ぬ。白い部屋。白いカーテン。白っぽい服の他者。あと――近い人が居てくれるだろうか。管だらけの俺の手にクタクタになった文庫本。それがベッドからころりと落ちる。同時に死ぬ。
――その本の表紙に書いてある文字が、今の俺にもまだ知り得ぬタイトルだと祈る。今の俺が知っているタイトルだったらそれがベストセラーとなった証左となる。いずれにせよ後悔は無い。
確定申告を後回しにする判断。俺の前頭前野と本性と係りの者、全員一致で可決。それはシンプルに考えたら確実に間違っている。けど、その本のタイトルが――などと本気で想像できるあたり、その時点で後悔などというものは浅瀬まで打ち上がっている。
この一連の思考回路自体を棄却すべきであろうか。そうするとね、今日俺が死んだことになる。
昨日までの俺は殺してもいいが、今日は死ぬべきではない。
_02/18
小さな女の子が居た。笑っていた。穢れの意味も感覚も捉えられない、そういう状態だと暗に思った。彼女は左手に意識を向けていた。ネコのぬいぐるみを持っていた。
笑顔で、柔らかい感触を確かていめた。いつもそばにある。それが安心そうだった。何があっても持てば、抱きかかえれば、目を見つめれば、すぐに嬉しい気持ちに。それ以外の感情はそれ以外の感情。ネコのぬいぐるみを掴むその手は、接点以上の意味を持っていた。だが、大人には、それがなかなかわからなかった。彼女は笑った。母親も笑っていた。ネコはただ繋がっていた。
――「ねえほら! はやいの!」
「すごいわねえ。ピューマみたいよ」
「ちがうよママ、ミーちゃんだよ!」
「そうね。ネコのミーちゃんね」
「ちがうよ! ミーちゃんだよ!」
「うふふ」
「はいミーちゃん、ごはんですよ」
「うふふ」
「いっぱいたべていいんだよ!」
「うふふ」
「はい! ごちそうさまは?」
「ミーちゃんは喋れないのよ」
「おいしいっていってるよ! ねえ、ミーちゃん」
「うふふ」
「はい、おかたづけだよミーちゃん」
「うふふ」
「ねえママ」
「なに?」
「どうしてミーちゃんはちゃんといっぱいたべたのにごはんがなくならないの?」
「どうしてだろうね?」
「あたしがごはんたべるとなくなっちゃうのに」
「そうね。おかしいねえ」
「ミーちゃんはたくさんたべるけど、ごはんはなくならない!」
「そうね。うふふ」
「でもミーちゃんおなかいっぱい! よかったねミーちゃん」
「うふふ」
「またあした、ごはんミーちゃんにあげるからね! まいにちあげるから!」
「うふふ」
「――よう、行くぞ」
「あらあなた」
「何年も行ってないからな。ちと気まずいが……お供え物を買っておいたのどこいった?」
「冷蔵庫にいちおう」
「バタ。冷やす必要あるかこれ?」
「いちおう、と思ってね」
「ちと車とってくるわ」
「はい。ほら、行くわよ」
「ミーちゃんもつれていく!」
「そうね。一緒に行きましょう」
「ママのもってるそれ、ごはん?」
「そうよ。おじいちゃん達のご飯を持っていくのよ」
「ミーちゃんのごはんといっしょだ!」
「あら……」
「がちゃ。行こうぜほら」
「あなた、あの子が言ってたこと――」
「――ふうん」
知らない奥にしか置かれていない意味がある。それは知るという性質なのだろうか。俺には知り得ない。だが、感じることはある。
駅の構内で見かけた女の子。ネコのぬいぐるみを左手に持っていた。とても大事そうに。いつも手元に。毎日何かを与える。一緒に喜ぶ。それは目に見えない。見えているものが無くならない。だが届いた気持ちになれているのだろう。それは純粋に。
〝2026/02/19。深夜。第五稿の推敲完了。135,569文字。原稿用紙395枚〟と、プロットにメモ書きをした。
すごく純粋に嬉しかった。まだ、完成ではないがとても――安易に言葉にしたくない感覚になった。
――原稿が目に見えるものになるのだろうか。それを読んでもらっては、目に見えない嬉しみやそれに付随した感受が生じるのだろうか。
目の前にあって昇華されようとしているもの。目の前に物として出来上がり、手で繋がれて読まれること。――それが消化されても、それは、無くならない。でも、おなかいっぱい。という風に思ってもらえるのだろうか。
――そうしたら俺は純粋に、毎日書くことができる。そうでなくても。すごく純粋な気持ちで日が過ぎた。
_02/19
前頭前野を停止させて凪に放り込む。風が頬ずりのように得られたらそこから動く。そう、決めた。ソファで寝た。――仕事をした。八時間くらいだろうか。その後の判断指針である。
90分ほどして起きて思った。確定申告をしよう。楽曲制作をしよう。後日の案件の下準備をしよう。小説原稿は――それぞれ。
だが今日は金曜日。役所は土日は律儀に休む。見習いたいくらい必ず休む。よって確定申告は今日やっても、週明け月曜にやっても、時間差としては同様。そして、経理関連の各会計合計値は既に出している。つまり、申告は一時間もあればできる。
楽曲制作は完成寸前の一曲がある。やりたいが、睡眠を削ってスピードを優先するタスクではない。よって明日以降行うのが妥当。後日の案件下準備は、既に90%出来ている。前日に仕上げるのが時間軸としても賢明。
小説原稿は――昨日に第五稿を完成させ、「これ以上は下手にイジると、下手に上手くみせようと、読みやすく説明などを加えてしまうと、作品の魅力が死ぬ」と、断じる段階に到達した。最善手は、まず原稿を数日寝かせること。これに異を唱える者がいたとしても完璧に無視をする。
という訳で遠慮なく寝た。仮眠した。よく知らない離島のYouTube動画を小さな音量で流しつつ微睡んだ。すさまじく安寧な時間となった。ここのところの過活動を再認知した。昨日の原稿の区切りが功を成した。余白。それが心地よかった。
今、やろうと思えばスズメが鳴き出す時間まで作業ができる。そういった気概に溢れている。逆に寝ようと思えば目を開けたまま寝ることもできる。
だが、普通に、浴槽着座シャワーダイレクトアタックの独自半身浴。〝休息と覚醒のイニシエーション〟を執り行っては少々酒を呑みつつ中島らもさん著の『酒気帯び車椅子』の再読の後半を楽しんで、寝る。これがいい。これにしよう。
――人間は、自身を俯瞰することにより、完成される。それに近づく。それが自身ではなくとも自らの子でもよい。子を俯瞰して育てることも同義である。その完成とは、完成後でない限り知り得ない未知の領域。人間は皆、例外なく〝そこ〟に、意図的にも無意識的にも能動的にも受動的にも向かう。
なんてことも考えていた。それを、実例込みで書くこともできるが今日はしない。結論だけ置いておけばいいや。という風に思う。なぜなら今夜から明後日あたりは、凪に優位の体制が妥当と断じられたからである。
怠惰ではない。と、思う。かな。というかやること一気に昨日までずいぶんやったよね。という事実がある。だから、ふやけなさいよ。さっき仮眠しててえらく気持ちよかったことがその証左。むつかしい言い回しもよそうよ今日は。そういうことだと、すとんと思えた。
だが自身のバックグラウンドでは常に何かが意図的にも無意識的にも確実に動いては勝手に先の結論。推論や類推も加えたいが、むつかしい言い回しもよそうよ今日は。
少し、手を止めていてもそれまでの加熱が勝手に至大な余熱となり後から何かを発生させる。そしてそこに時間軸は関係ない。ということをなんとなく、感覚的に知っているようなそうでもないような。
知り得ないことは後でわかる。ただしそれには条件がある。
その条件とは、冒頭からの文脈に出揃っているので、まとめず。その方が潔くも適切であり後に更なる精度と純度を兼ね備えたなんらかに育ち、ヒュッと、ふいに出る。
そのために必要なのは凪。なのだろうと、寝ながらどこかで細胞同士が発展的に繋がるような感覚があった。それを言語化するとこうなった。合っているかどうかは知らない。だが、そう感じたことは素直なところである。
_02/20
楽しかったその日、疲労を逸した。え。楽しかった、そう。最高だった。そしてやはり楽しかった。
俺は歌った。皆、なんかそういう楽しさ。初めてだ。みんな。こんな表情をするんだね。君。曇っているよ。指摘。誤解。適切。妥当。意味。言語。場合。――そうだ。俺は昼2時まで呑んでようかなっと。君たちはどうするの?
――巣に帰るって。――どうして?――俺が死ぬほど興味のない場所に、死ぬほど楽しかった今日のいっときとの整合性をどう取る。
俺は2時まで呑むって言ったじゃん。赤羽の酒場で奇跡的にウィトゲンシュタインさんの話題に山脈? 知らねえけどそれが見えた。なのにどうしてで帰る。うん。家族とかその文脈。
俺はそれを死ぬほどよく知らないし関心が無い。だから誰か。おお。今日、居たな。よかったあ。教えてくれよ。頼むよ。知らねえんだよ。知ってるっぽいね? よし。教えてくれよ。そうなの? うん。何言ってるの? あい。そうですか。ううん。お会計。出すかあ。失礼なことずいぶん言ったな俺は。だから。だから。だから俺は。よし。続けて行こうよ。呑みにね。うん? 警官が5名かなあ、居るね。いやね、赤羽の日常ですがね。そう。あれ。君らは二人で帰るんだ。健全。じゃあ、残っている奴の存在価値とは。
知らねえど俺は明日の昼まで呑み続けてそのあと考えよう。誰も居ない。
_02/21
集合住宅のエレベーターの昇降には明らかなグルーヴがあった。12階まで上がった。そこは、東京都北区赤羽南の古団地だった。
俺はこのあたりを散歩するのが好きだ。夜だった。道中、普段通りの景色であり、夜につき辺りは一律、暗かった。「内向的」という表現があるとするならば、それを観察する気持ちで「また歩けるのかな」などという感想が後ろにあった。緩い風が強かった。
エレベーターはあまりにも等間隔の速度で昇降。そのラグの無さに、容赦無く子をかばうべく自らを逸することに何の疑問も持たない女性のような心象を想像した。12階に着いた。
そこに、その物件に、俺は何のゆかりもない。知り合いが住んでいる訳ではない。「誰某が住んでいるかも――」というニュアンスもいっさい無い。ただ、たまにここに観光に来る。といった場所である。
――12階から屋上に進める階段がある。公団住宅においてそれはひじょうに珍しい。施錠が原則。だが、ここにはそれが無い。だから、俺はしばしばここに来ては「団地の屋上」という、なかなか立ち入れない場所を好んで観光に来る。屋上に着いた。風は、あまり感じなかった。
規則が前提と主張するかのような建物を遠目にたくさん見た。
よく見えた。スカイツリーも見えた。港区、港区だろうか、東京タワーだろうか。赤く象徴的な建物に対してそう、断定的に捉えられた。俺の家はあの辺か。向こうは――昼であれば山脈が隆々と映るだろう。あっちは知ってる。向こうはよく知らない。下を見た。その直前に屈強な柵があった。
これがなければリズムで前傾しては死ねるな。などと思いたくはなかった。だがその思いではなく、現象としては事実。
柵が俺の思惟を禁じた。建造物的倫理ってすげえなと思った。屋上の様々な箇所でそれを繰り返した。そろそろ春が来るのかなあ。と、生の権利でもある気候の感度を確かめた。
――屋上から階段をととと下り、12階に降りた。エントランス。そこには柵が無かった。つまりさっきの倫理が壊れていた。よく、下が見えた。そこで思うに俺は下、行くとあれですね。行く気、無いけど呼応するこれ、なんでしょうか。係りの者に聞いた。沈黙だった。
やべえと思って、思っていないが俺はエレベーターで下に降りた。その時はひとつもグルーヴを感じなかった。ただ、12階から順に、1階まで降りるという建造物における機能を全うしていた。安心という感情、その言語だけが、ちらっと出た。夜の散歩はしばらく。
気分が優れない。という感覚ではなかった。
事実として昨日は酒をたくさん呑んでは人たちと幸福を得た。いただいた。楽しい。それが幸せだった。その後。俺は何もせずに休日とした。エレベーターに乗るまでは何も考えていなかった。だが既述の体験はどこかしらの淵であったことを断じられた。冷たい汗すら出なかった。
ただ、家に帰ってきて、正確に言うとその帰路も込みで、「帰れるんだ」などと思った。そうでなければ、建造物的倫理に怪訝だったのかもしれない。酒を呑もうかと思った。なぜならば明日も休むと決めているからである。
呑まずに――さっきのは一体何だったのであろう。それを自己解決ではないことにするにはどうすればと、悩む、その手前で記すことの能動がはげしかった。だから呑まなかった。
あんなに怖いことはない。冷静に、淵で考えることを傍観していた辺りがどうの、下がどうの、倫理がどうの、360度の景色で見えるのは人たちのいつもの日常。それを感じることは普段。だがその普段は淵で時間を失う。
――という風に〝今日でなければ確実に感じない感覚〟をはげしく得た故に、それを書いて何になるのかな。淵で何かを判断して――360度の景色の人たちは最低三日もすれば、どんなことも忘れてしまうのかな。という風に思った。
集合住宅のエレベーターは規則的に動く。俺はそれを夜の散歩で体現した。みんな暮らしている。暮らす人たちはいつか死ぬ。それがふい、だったりする。
俺はそういうのは嫌だ。誰かが誰かを嫌だと思うことほど、操作不能で、どうでもいいことも無い。
だが、それに振り回されて自身で何かを〝決定〟するタイミングもある。それが、淵でよく、みえた。感じた。まるで酒の肴のようにそれをついばんだ。あまり、旨いものではなかった。
――本文には明らかなる命題がある。それを明記することにあまり意味はない。 だから、今から酒を呑んで、少し気持ちよくなろう。――ふと、これを更新する前に、酔っ払って書いた昨日の日記を読み返したら、生きる勇気がなんか出てきた。
_02/22
迫り来る春の存在は時間をふいに剥がす。唐突な温かさは恐れにも似る。境目が急に無くなる。何かと整合性をとっているのだろうか。
俺にはよくわからないなと思い耽る手前の心象で、西に向かった。そこは時間も方角も剥がされる迷子必至のエリア・北区赤羽西。
――女性が壁に向かってうなだれている。暗がりで一瞥するとそう見えて戦慄。だが実態は、人の背中を模したような丸み角度の大きな管。地面から壁にもたれかかるように首をコンクリートに埋める。そういった造形の些細な心霊未満スポット。
――ああ、確かに真夜中にこれを見たら身震い必至だ。女性のような管を後ろ目にただ歩いた。初めて入る公園があった。予想以上に大きかった。近所にあるのに何年も気づかなかった。そこは高台的な位置にあり、街の景色が一望できた。今、自分がどのあたりに居るのかが把握できた。そこで散歩は終わったなと、デパートに向かった。
――帰宅して仕事を少しする。昨日はしていない。実質、二連休といった肌感覚。時間があったので確定申告をする。「今日中にできたら気持ち的に、よい」と思った。AIに聞きながら行なった。すると一時間で出来た。こういった〝確実に答えがある〟類のことはAIと相性がよい。俺は申告書の各ファイルをAIに投じては聞いた。――出来てますか。――ほぼ完璧、綺麗に出来ています。〝ほぼ〟が気になるな。
俺はAIの心理を逆算して考えた。ここでAIが〝完璧です〟と断じることは危険である。数式のどうこうの答え合わせであったら〝完璧です〟と断じても差し支えはない。だが、人の営みの数値化に関してそれを言い切ることは社会的な問題に直結し、AIの倫理に亀裂が入る。だから「ほぼ完璧、綺麗に出来ています」というのは、そのまま提出して問題なしという答え方だと判断した。
春の初日だろうか。あまりにも温かった。税務的なことをひと段落させた。いつもなら、小説原稿に向かう時間をそれにあてた。原稿を寝かせている期間――明日あたりまで――につき。
春にひとつ結果が出る。初作品の公募である。春にひとつまた応募する。第二作品のエントリーである。温かい結果、になるのだろうか。煮沸と捉えてもらえる応募となるのだろうか。
今はわからないが、時間がそれらを少しずつ剥がしていく。剥がしても、剥がしても、どれだけ周りから剥がしても、どうしても最後に残ってしまう特有の匂い。それを見逃されたらたまらない。――だから、昨日までのことは剥がし、残るものは大事に温めて持ち、剥がさないとみえてこない現象を、春にみてみたい。
境目というのはいつのまにか、急に無くなる。それは、何かと整合性をとるためなのだろうか?――少なくとも、昨年冬から今日、それ以降も、俺がずっと営むことは、既に境目を剥がしている。ということくらいはわかる。ような気がする。
ただ、迷子にはなっていないことは確かだと思える。唐突にやってくる温かさへの期待ではなく。――未開の公園で景色を一望。そこでやっと、自分が今どこに居るのかがわかった。まず、そこに行きたいなと思った。
_02/23
基準が違うから、皆が見えているものは違う。必ず違う。もしもそれが一緒だったら――どれだけ人は簡単かって思う。
――難しいと嘆くことはひじょうにナンセンスだと思う。前提、簡単ではないことは〝必ず違う〟ことが揺るぎない事実の源流だと考える。
それを知覚・感覚から思考に落とし込んだ時に、人の脳は暴れる。確実に暴れる。それを制御できる人をきっと大人と言う。言うだけであってそれは事実ではないことがほとんどだと思う。
――感情を構造化して捉える猛者がいる。他者からしたらそれはクレイジーでしかなく、原始的なコンピュータにも映るかもしれない。でも、その人はそうやって渡り歩いては、そんな、似た鳥同士が仲良くついばむように暮らしてきた。
でも違う鳥が居る。そっちの方が多いのかもしれない。――鳥は群れをなす。一匹の鳥の合図で一斉にその群れは羽ばたいて遠くを目指す。取り残された鳥に居場所は無い。
――「どうやら僕には合図が聞こえないみたいだ」。それは嘆きではなく、判明でしかなかった。――鳥は、聞こえないことは諦めて、工夫した。隣の鳥が羽ばたく瞬間を見逃さないようにした。
鳥は、新たな群れと合流した。今度こそ。と、思った。
相変わらず鳥には〝群れが飛び立つ合図〟を聞く器官が欠損していた。そこはいい。僕には羽はある。そこは、皆と一緒だ。なんなら、〝合図〟が聞こえないぶん、飛ぶことに関しては君たちより達者なんだ。
鳥は、奮い立った。でも聞こえないから、皆と一緒に羽ばたけない。だから、隣の鳥が飛び立つ瞬間を見逃さないことに必死で留意した。
隣の鳥が、周りの鳥が、一斉に脚を地面に食い込ませて腹の横を膨らませた。――これなら僕にもわかる。こいつら、全員飛ぶね。これなら、僕も一緒に皆と飛べる。次の餌場かな。旅かもしれない。海を渡るのかもね。今まで一匹だったから、皆と一緒に飛ぶ景色を見るのは初めてだ。――楽しみだ。安心するよ。なにせ皆がいるからね。そうか、あの鳥が主導。ボスだったのかあ。どおりでまるまると太っている。強いからいいもの食べているんだろうなあ。――なんていい景色だ。相変わらず〝合図〟は聞こえないことには変わりない――でももう平気だ。聞こえないなら〝見て捉えればいい〟んだ。――なんで今まで気がつかなかったんだろう。あれ。すごく高いぞ。あれ。いや。爽快だ!――いや、皆、嬉しいのかな?――僕はなんだか速攻でつまらなくなってきたぞ。どうして?――そうか。僕には聞こえないんだ。ただ、それだけなのに。工夫したけど――何の意味があったんだろう。あそこに行こう。いつも僕だけが居る木の中だ。あそこは落ち着くんだ。あそこは。
――基準が違うから、皆が見えているものは違う。必ず違う。もしもそれが一緒だったら――どれだけ人は簡単かって思う。
鳥は、どうなんだろう。〝合図〟が聞こえない鳥は。どうなんだろう。わからないけど、その鳥が心底納得できる皆も居る居場所は、なかなか無い。けど、作ることはできる――とか、鳥も見ずにそれだけのことを思った。
_02/25
約一週間後に、即死したか祈りに届く道中であるかが判明する。『太宰治賞』に応募した初作品小説の一次審査通過者発表のタイミング。それが来てしまう。
いや、前進する結果を今かまだか早く行きたいんだ俺はと、そういった状態のはずなのに来てしまう。正直に言語化するとそう書いてしまう。つまり明らかにビビっている。
それがだめであっても――という〝言い方〟は本筋ではないが、第二作品目も第六稿に。それが完成したら、三月末締め切りの『文藝賞』にエントリーする。
今は、その第六稿に触る前。つまり凪。二つの現象の発生、着火、それぞれの機は――と、いっときの静けさに包まれる凪。
一つ目の凪からの水面を動きを確認すべく約一週間後の結果が気になって気になってどうにも操作不能の滞空時間がえも言えぬたまらなさ。
通らなければ確実に息が止まる。その4分後。朧げに脳死を察知しては幻覚を掴む手前で生還を希求しては急に呼吸をして「なんてこった」と天を仰いではそんなこと想像もしたくないが現実的に。可能性はある。と、冷静さを保つ。次に。
もう書いて、完成が近い原稿が手元にある。それは明日から揺らす。
初作品は原稿用紙の束として物理的に手を離れて今頃東京都三鷹市の筑摩書房で――通過していてほしい。既に。吟味中かもしれない。
あの、赤羽郵便局から執念を発火させるように郵送した原稿が、編集者か選考員か下読みを行う方々か、それぞれ誰かの手で今日なのか、昨日なのか、それ以前なのか、現に、紙をめくられているはず。だがその時期ばかりはさすがに知り得ない。
即死は困る。延命ではないが、次の作品がある。生死の例えにしたが、両者それぞれに命があると、大げさに言いたいくらい、言う。命を宿してねじ込んで執拗に。そういうもの。
――だから約一週間後に『太宰治賞』公式ウェブサイトを観るのが、未知の畏怖が、適切な言語表現は――知ることがこんなにも怖いという体験も稀有。
堂々と、恐縮ながらも、順次通過。そうであれば、その旨を記す。そうでなければ、そうでなかった場合は冒頭に何と。思いつかない。それだけ、文学賞の「一次審査」という壁は厚い。らしい。ウェブ調べによると――今は書く必要がない。
とにかく、この年齢でそういう情念になれていること。それは。タッチ・タイピングの手が止まるほどである。
_02/25
多めに仕事をして、寝かせていた小説、第二作目の推敲をする。400文字詰め原稿用紙でひたすら書いたものを公募先の「文藝賞応募原稿.docx」フォーマットをダウンロード。それにゴリっと本文を移して体裁を整える。ここまでで素晴らしく疲弊する。
なぜかと言うと、移植したままだと、「段落落とし」などの体裁のズレが生じ、それを手動で全部直したからである。
そして、俺がずっと使ってきたフォントと公募先のそれは微妙に異なる。だから、第五稿からまんまゴリっと移したのでそのフォーマットの差異に悩む。
共に明朝体という前提――フォント名のすさまじくマニアックな領域なので割愛――だが、どっちするか悩んで悩んで挙句は二種類のAIモデルに聞いて吟味するも意見が分かれるという謎現象。
だが、前提として「どっちでもまず問題ない」という。その結論に達するまでやたら時間がかかる。
あとフォントサイズも――これも細かい領域なので――悩んだが、〝規定内のフォントサイズ〟は当然として、見慣れた方にする。
というか、どうやら文芸誌などは、俺がいつも使い慣れている種類の明朝体で印刷されていることが多いらしいので安堵する。
だが正味、どっちだ。という懸念までいかないが「完璧なのはどっちだ」という、やはり懸念未満が残る。
だが、マス目が入った「400文字詰め原稿用紙」から公募先フォーマットのWordファイルに移して本文を読むと、まるで書籍を読んでいる感覚に。それはたまらなかった。
初作品で体験済みであるフォーマット移行の感想だが、また一味違った感覚にどこか酔いしれるものがあった。しかし冷静になった。だからフォントを――。
結局どっちだ。俺の好きな、というかMacの明朝体の標準的立ち位置の「ヒイラギ明朝」か。Windows標準的の「遊明朝Regular」なのか。
どちらでもまず、問題ないのはわかったのだが、こう、もどかしい。フォントサイズも「10.5」か「12」か。「文藝賞応募原稿.docx」は「10.5」と。俺は「12」が読みやすいのだが、「10.5」と「12」とでは、一行の文字数が「36〜41文字」とフォントサイズに反映してバラつく。問題がないか――今も調べたが結果。
まず、悩まなくていいところらしい。だが悩むあたりは「変なところで弾かれるのは論外」的心理起因の恐怖管理的疲弊。だろうか。
結果的には、まじで現状で大丈夫と調べ尽くしたところすさまじく疲弊した。26時過ぎてるじゃねえか。寝よう。
_02/26
深夜に日記を書いていた。“26時過ぎてる――”と、文末に置いた。一日有限の時間の淵だった。そっと、再読している本を手に取った。栞が待っている場所に目を向けた。 そこには“二時を過ぎていた”――と、書かれていた。頬が反応した。
頼りない灯の下での読書。台所のその場所で過ごす凪を好んでいる。川端康成さんの書く一節と俺の文章が数分で同期した。独り、悦を得る、その理由が欲しかった。
当時は「26時」という言い方はしなかったのだろう。完全一致だったら美麗。そうはいかないか。たまにあるシンクロニシティ。しかも文豪と、か。それは神格化というあさましい思惟ともなることを許して欲しい。などと思っては許されたら俺は。などと思っては偶然の意味について今、考えた。
偶然というのは、受けるものではなく、発見することなのだと思った。
だから俺は偶然生きていて、偶然何かを営み、偶然に出会っては何かを得ている。それが何であろうが飛躍していようが神であろうが、見つけられる者には見つけられるし、単に「あたった」と見なす態度もあるだろう。どちらが健全かは知り得ずとも捉えることはできる。
健全というのは、見なくていいものを見ないでいられる状態。などと以前に思った。
だから俺は、〝発見〟を健全におさめない。純粋にそれが好きで、愛情もふんだんにあるというだけのものだと、おさめている。
――その距離感さえ、危ぶむ方面に向かなければ、これまで見えてなかったものがいくらでも発見できる。紀元前の偉人はそれを中庸と言ったのだろうか。
偶然は、受けられない気がする。期待すると、狙うと、素早く尻尾を見せてはどんどん小さくなっていく。ふと、健全を野放しにした時にそれは発見できる。その考えが琥珀色に照らされた。
煙に口をあてた。空気が揺れた。意図的に視界も白く。間も無く光が差して部屋の夜光となった。時間を待った。愛する者の帰還を求めるかのようだった。その時間はあまりにも鈍かった。発見は待つと逃げてく。文字を重ねた。夜中の二時は、今日は、まだ前にあった。
_02/27
