ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
お引っ越し! お引っ越し! 3月。
原チャリのハンドルに手袋を刺して乾かしてたら盗まれる。手袋を盗むとは。2年も使っていたやつなので惜しい気もするが、まさか盗まれるという最期とは。そのまま使うのだろうか。
今日はいきなり暖かくなったので調子を崩すと思ったが、むしろ元気だった。どういうわけか、ここのところは人生で最も体調が良い気がする。
_03/01
バイクで手袋をするのは、寒いからという点がほとんどだ。しっかりめの手袋が盗まれたことだし、近場にいい感じの手袋が売ってないので、寒さ凌ぎだったら風を通さないゴム手袋でもう良いのではと考え、キッチン用のゴム手袋を買う。もはやこれで充分である。
今日はギターレッスンをして後はのんびりと半休というフリーダムな日。心なしか身体も軽くなってくる。春はすぐそこだ。桜の季節だ。
昨日はノー・酒だったので、今日あたりは熱風呂にでも入ってゆで上がって全身桜色になって酒呑んでクタクタして寝てやろうかと思う。
_03/02
オーラについて考える。なんとなく側に寄っても寄られても、心地良かったりホンワカする人は、人格が柔らかくても殺気立っていても、何となく気が合う人物だ。何の問題もなく絡める。
20cmくらいまで近づくと、自分の何かしら深い部分が正直に拒絶をする人物もいる。これは人格の善し悪しではなく、単に相性が悪いもよう。
しかし、それらのオーラじみたやつが合わない相手ほど、実は互いにとって有益なものを引き出せるという法則があると俺は信じている。
だから俺は「こいつは無理だ」と思う相手はあえて敬遠せず、何かしらアプローチをとる努力という修行をたまにやる。されど、最短距離で新たな発見があったりする。そしてそれは超実用的だったりする。
オーラのようなものを手探りでちょっとづつ掻き寄せる感じでアプローチをすると、うまくいくことがある。普通に絡むと互いに不快になるから難しい。野生に近いノラネコをおびきよせる感じとよく似てる。
というわけで、相手と自分がどうこうという判断は、見た目や性格や声とか趣味とか匂いなどよりも、まず20cm近づいた方が早い。互いのオーラを触れ合わせればすぐ判別できる。気がする。何がオーラだ。
_03/03
ひたすらキーボードを叩いて無の境地のような心境でずっと机で仕事をするたいへん地味で真面目な一日を過ごす。表は暖かく、完全に春の空気に移り変わる。
春になってふわっとした気候になるだけで、人々はややおかしなテンションになりがちで躁な行動をとりがちと世間では言うが、ものすごくいつも通りに過ごす自分に、歳なのか、春に気付いていないのかと問う。
春に目覚めるというと、何だか性的な表現に思えるが、そこはぼちぼちやれば良いとか思う。春っぽい酒でも買ってこよう。
_03/04
あと10日程度でお引越しとなり、この界隈ともお別れだと思うとまあまあしんみりする。宅で仕事をしていたらアパートの廊下から「ニャ〜ゴル」と太めの鳴き声が聞こえたのでモフりに行く。
毛並みや体格の良いこの野ネコは、月に数回は顔を合わせて軽く絡む仲である。ここ1年くらいそんな感じであった。
たぶんこいつは俺をタメの友達くらいの感覚で認識しているようで、エサすらせがまない。会ったらただ遊ぶだけである。
「ネコよ。俺は引っ越す。今日あたりでお前とはお別れだ」と一応伝え、腹を揉みしだく。いつも数分で解散するのだが、今日は、一緒に夜の散歩にくり出す。こいつは俺がコンビニに行く道中など、だいたい途中まで付いてくるクセがあるのだ。
まだらな歩調で近場の公園まで一緒に散歩する。ネコはどこか嬉しげであったように見えた。これから定期的に夜の散歩という遊びをしてくれると思ったのだろうか。これからもっと仲良く遊べると思ったのだろうか。
公園に着き、草むらなどで一緒に過ごす。春の小雨が降る夜の公園は、とても静かだった。
そろそろ帰ろうかと思ったとき、野ネコは草を食い始めた。ネコ科の奴らは胃腸の調子を整えるために草を食べて豪快に吐くという習性がある。あんなに元気そうだったのに調子が悪いのだろうか。
それとも、帰ろうとする俺を、そういった手口で心配させ、引き止めていたのだろうか。
相手はネコである。「さようなら」という言葉を口にする必要は一切ない。言語が通じる相手ではない。でも、こういうとき、通じなくてもお別れの言葉を口にするのは人間の習性であろう。
そんなことを考えながら俺は、サクサク草を食う野ネコの首を締め「グエッ」と言わせた。本当に調子が悪いのならこれを契機に吐くはずだ。奴は吐かなかった。また草を食い始めた。
引越し先でまたしばらくしたら同じようなネコには出会うだろうし、野ネコもまたしばらくしたら俺のような奴と出会うだろう。そう思いながら公園を後にした。
数10メートル歩いて遠目で振り返ると、草はもう食っていなかったが、その場からこっちを見ていた。野ネコは、更に付いてこなかったことから、何かを察したのだろうか。小雨は止み、暖かい風が吹いた。
_03/05
そろそろもう買うのをヤメようと思う濡れせんべいをまた買う。店員のケニア人っぽい兄さんに「こいつはいつもヌレセンベイを買う。日本人とはこういうものだ」と、異文化誤解的な印象を祖国に持ち帰られても厄介だ。だから何となくチータラも一緒に買う。
ここ3日、仕事で恐ろしい文字量を原稿に書いた気がするので両手がお疲れに。湿布やマッサージというのも野暮だから酒で麻酔といこう。「酒で消毒」とか「酒で麻酔」とか、酒呑みはみんな同じ言い訳じみたことを言っては呑む。べつにいいじゃないか。
_03/06
疲労がたまり、寝起きは死生観について考えながら、Boards of Canadaを聴きつつダウンビートで移動する。
私は最近、鬱気分とはソリが合わないので、数時間もすると明朗な気分を取り戻す。鬱気分と仲良くすると、だいたい骨までいかれる。
_03/07
カッとする酒が呑みたいので、今からアルコール度数50度くらいのジンを買いにいこうか迷う。こいつはたいへん夢見心地にさせてくれるのだが、美味すぎてペロペロに呑み過ぎてしまうので控えている。
その罪深きジンは、近場のコンビニにも小ボトルサイズで売っている「ボンベイサファイア・ジン」である。
いろんなハーブが入っていてオーガニックにラリることが可能だ。ベンゾジアゼピン系の錠剤と一緒にやると簡単に記憶を失う。正直、何人もやるべきではない。
だからといってビール2本くらいで誤摩化すのもピンとこない。俺は異国のお花畑が見たい。これは仕事過多による破滅欲が手招きをしている。手前くらいの歳になると未然にわかる。
だから普通に、ジンを200mlくらい呑んで、カマボコでも食べて、大人しく気絶寝するべきである。もう2018年にもなるというのに、ボトル酒のこれ以上呑むな強制ストップ機能はまだつかんのか。自制心。
_03/08
当然二日酔い。「ボンベイサファイア・ジン」は絶対なにか特殊なやつが入っている。渋谷へ行ってライブを見る。PAさんの真後ろで観ていたのだが、とても忙しそうだった。
蕎麦を食べて帰って原稿を書いているうちに深夜。二日酔いだが、また「ボンベイサファイア・ジン」が呑みたくなる。絶対なにか入ってる。今日はヤメておこう。自制心。
_03/09
某日高屋のタンメンがやけに美味いことに気付いて、今日も食う。俺は自分でもどうかと思うくらい、美味いと認定したものは連日連荘して食う。
というのも、「美味い」とか「やった!」とかいう類いの感情をリアルタイムで爆発させる器官がやや欠損していて、長いスパンをかけてジワジワと満足する性質だからではないだろうかと考察した。
だから「確かすごいおいしかったよな、ちょっともう一回」と、何度も確かめるようにして美味がる訳である。超嬉しいこととかも、そのときはわりと平坦気味で、数日にわたってジワジワ嬉しくなってくる。
ドーパミンとかセロトニンとかそのへんの類いの神経伝達物質があまりやる気がないため、ボッと火がつかないのであろう。そういう人はまあまあいると思われる。そういった訳で明日もきっとタンメンを食う。小出し連続快楽フィリア。
_03/10
苫米地英人さんの本を読んでいたら、自分は何だか何でもできる気がしてくるから逆に怖い。洗脳の専門家は凄いなと思いながら普通に過ごす。
自分は、洗脳とまでいかなくても、誰かを自分と同じ思想に染めたい欲がある。究極はカルト集団の設立だ。自分がいいねと思うものを皆がいいねと思い、嫌よねと思うものを皆が嫌よねと信じ込ませたいというやつだ。
きっとこれは誰しも持っている欲だと思うが、こじらせると春先に街角に湧く妙な演説家のようになる。俺はあれをずっと聞いているのが好きだ。
じっと聞いて深く頷き、「そうだ!」と煽ると演説家はとても喜ぶ。俺もやりたい。とりあえず鳥肌実さんの動画でも観て寝よう。
_03/11
レッスンに行き、終わって帰ろうとしたとき「この後は?」と訊かれる。転居の関係で役所っぽいところに行ったり荷造りをしたりする予定につき、という旨を伝える。
「そうですか。良かったらゆっくりお茶でもと思いまして」とのことだ。俺は、「ちょっとゆっくりお茶でも」というのは非常に喜ばしいことと感じた。それは、「おいもう帰んのかよ。もうちょい喋ろうや」ということだからである。
相手はギャルでも美女でもないが、そもそも男性なのだが、「もっと喋りたい、過ごしたい」と、相手に対して思うということは、明らかに友好的なセッションの始まり。
誰しもそうかもしれないが、俺は友好的な匂いを察知すると非常に嬉しくなる。かつ、かなり敏感なきらいがある。対象がセクシーな女性でなくとも、同年代の気の合う男性でなくとも、そもそも高齢者なのだが、そういうのはとても嬉しい。単なる暇つぶしの可能性もあるが。
そういうわけで、「じゃあ次回は大福でも持ってきますね」ということで生徒さん宅を後にする。そして、俺はこういったことを自発的にできない性分で困る。「こいつと呑みに行きたい」とか「もうちょい喋りたい」と思っても、言葉にできないのである。何故か。これがいい歳してもまだわからない。
_03/12
なんだか仕事ばかりしているからか、遊んでスパークしてしまいたい欲が蠢く。世間ではこれを平たくストレスと呼称したりするのだが、どうもそういう悪質なものとはまた違う。
こう、ウズウズ、ムズムズ、ムラムラと、手前から何かが出産されるかのような感覚で、世間ではこれを平たく性欲と扱ったりするのだが、どうもそういう原始的な感じともまた異なる。
じゃあなんだというと、きっと、季節の変わり目に訪れる定期メルヘンサイコ体調という感じが最もしっくりくる。
春は、急に習い事を始めたり、初見の店に入ったりという行動が多いと聞く。その一因を担うのがそれである。という気がする。
そのへんが一段落したのちにガクンとダウナーに入る。これがきっと5月病と扱われる変調だろうか。だいたい梅雨明けまで引きずる。
そして夏には弾ける。秋には鬱になる。冬はそこそこおとなしいが、イベントが盛りだくさんなので適度な頻度でパリピーになる。それにしても春夏秋冬とはよくできている。
_03/13
がらんとした引越し前夜の仕事部屋でしんみりとする。諸事情あって数年引っ越せなかったので、明日はワクワクのイベント日ばりの気分である。
引越し蕎麦はどこで食おうかと考えながら、酒呑んでさっさとゆっくり寝ようかと思う。けっこう近場への転居ではあるが。
_03/14
そういった訳で、北区赤羽のど真ん中に拠点を移す。強風吹き荒れる天候であったが、俺の何かしらを猛風で後押ししてくれると解釈する。一日中転居作業で腰が猛抗議をしている。
俺は力仕事はヒヨコレベルだが、引越し屋さんの仕事力は凄まじく、そのスピードたるや正にプロフェッショナル。いたく感銘を受ける。おひねりを渡す心境でチップを渡すと互いに気持ち良さげ。
新居でカタカタとしていると、何だかけっこう以前からここに住んでいたような気分になる。デジャヴュという勘違いだというのはわかってはいるが、なんだかこの地に歓迎された気分でとても良い。いつも以上に、明日もさあ頑張ろうぜと思える。
_03/15
環境は変わったが、いつも通りの仕事をするといった雨の日。近場に立ち食い蕎麦屋があるのはでかいと思い、5分歩いてすすりに行く。間違えてうどんを食べるぼやっとした頭は春の変な気圧のせいだと信じる。
来客一号の方は白井さんだった。ドアを開けるとニヤニヤしていたのは、俺がなかなか引っ越せない事情を知っていたが故の喜びの表情だろうか。それともおちょくっているのだろうか。前者であると判断し、わりといい奴だと思う。
夜は原稿おこしをやって淡々と過ごす。自分は環境変化に弱いメンタリティだと思っていたが、2日で完全に手前の家気分に落ち着きたいへん安心する。酒を買いに行こう。スーパーが近くて嬉しむ春の夜の散歩日和。
_03/16
畑からとれたてみたいなブロッコリーを茹でて食べていたら洗濯機が爆発する。何故か水漏れしたので業者さんに直してもらう。15,000円。なかなか痛い。
頑張って稼ごうと思って宅の机で仕事をして過ごす。わりと穏やかな日だが、心境的に新鮮なので時間があっという間に過ぎていく。花見がしたい。一人花見。これはキツそう。大勢で騒ぎたいような春先の陽性の欲。
_03/17
冬も緩み季節らしい暖かさでたいへんけっこうと思いつつ、日常中の日常という日を過ごす。そんな日常を保つために仕事をしたりする訳だが、遊びほうけて暮らしたいという自堕落な欲求もある。
自堕落な暮らしの最たるスタイルは何かと想像する。まず、ジゴロ化である。そして昼間から100円代のストロング系缶酒をあおる。これらは必須である。そして、ギャンブルの種銭を内縁の妻にせがむ。そして超高確率で負けて燻ったツラをして帰ってきて酒を呑んで転がる。
「ねえ、いいかげん働いてよぉ」という妻に対し「あと半年充電したらガンガン働くから」と何度となく宣言し、更に5000円くらいたかる。共依存という関係をどうやったら繋げるかということを本能的に知っている男。
そういう自分を想像したら、なくもないと思う。むしろ、その才能はあると判断できる。俺は、クズ男とドメスティックバイオレンスの気があることは何となく自覚している。だから今日も明日も頑張って仕事をする。憧れのヒモニート。
_03/18
警察署へ行き、役所へ行き、精神科病院へ行く。という風に書き出すと、ひどくとんでもない目に遭ったような日だが、免許の住所変更と転入届け手続きと面会に行ったという、別に平和な日。
旧居の退居立ち会いにも行き、15000円かっぱがれる。この間の洗濯機の15000円といい、ギリリと歯ぎしりが生じる出費である。しかし、稼げば良い。
山崎さやかの「サイレーン」を買いに書店へ行くが、1巻がなかったので悔しみ、いいやと思って最終巻だけ買って帰る。
今日はお休みなので、このサイコな漫画の顛末のラストの方だけ噛みしめながら穏やかに酒を流し込んで長めに床に就こう。
_03/19
起床、だいぶ覇気がないが、転居でそうとうエネルギーを使ったことと雨天である気候の気だるさが原因とみなし、徐行のようなスピードから一日を過ごす。
INUのアルバムを通して聴く。町田町蔵の歌詞がツボる。風呂を張り、ほどほど飲酒して8時間以上眠ろうと思う。
最近は少しの寝不足が連荘していた。覇気がなくなるのも当然である。超寝て元気に奮い立ち、明日はエロスなことでも考えよう。
_03/20
環境を変えると、些細なことでもあれをやろうこれをやろうと思うので、快活でとても良い。雨が続くが明日は晴れるという。
明日は稿屋氏と呑みに行く予定だったが、風邪ダウンしたそうなので来月に。楽しみだったので残念である。一人で呑みに行こうか。死ぬほど呑み屋がある街に越して来て、一体どうなることだろう。
_03/21
何かの啓示のような思考が、起きがけの刹那に走る。「今やっていることを俯瞰で洗いだせ」的なことに対する、けっこうな量の水のような情報だった。
確実に神的なやつの仕業という妄想が馳せたが、それは昨夜酒呑んでお香を焚いたまま気絶寝したからかもしれん。そう思いながら爽やかな天候下で妙にワクワクとして起床する。
急に何だそれはと思い、俺は仕事部屋で自己啓発本に書いてありそうなことをフィーリングでなすがままに紙に書く。
まず、ほぼ毎日手前がやっている「音楽」「デスクワーク」「酒」などなど、“生き様的で日常行為的”なものをいくつか紙に書きだす。
そして、それぞれどれくらい「現金」になって、どれくらい「生きがい」を感じていて、どれくらい「快感が得られるか」どれくらい「人の為になるか」、そして「何となく、それだと思える感」という5点に、各10点をそれぞれ採点する。合計50点満点である。
「現金」=0〜10点
「生きがい」=0〜10点
「快感が得られるか(没頭できるか)」=0〜10点
「人の為になるか」=0〜10点
「何となく、それだと思える感」=0〜10点
計0〜50点
要するに、その生き様項目に判定した「それぞれの点数の合計」が50点満点に近いほど、自他ともに必要かつ素敵な手前の生き様項目で、そいつは、自信を持ってガンガンやるべきと判断する診断チェックである。
例えば、俺にとって『酒』は
「現金=0」
「生きがい=5」
「快感=10」
「人の為=1」
「何となくそれ=0」
という判断で16点だった。
よって、酒はまあまあ控えるべきである。飲酒が、「1割は人の為になる」というのも変な話だが、1点を出した判断基準は「誰かと呑んで互いに楽しく過ごすことが飲酒時の1割くらいかな」という判断である。
俺にとって『音楽』は
「現金=5」
「生きがい=10」
「快感=9」
「人の為=6」
「何となくそれ=8」
という判断で37点と高得点。
音楽をやる全ての事例の6割くらいは人の為となり、半分くらいは収入源となり、ということを俯瞰する。音楽は、自分にとって楽しむのと、人様の為が半々くらい、というのも確かにという風に納得する。
こういった感じで5、6個の項目を判定すると、今自分がよくやっているルーティンとは何をすべきで、何はすべきではなく、何は控えるべきだと思い切りわかる。
人それぞれ、それらの項目は異なる。各人生において十人十色だ。自身のアイディンティティが明確にわかったりもするのでちょっと面白いと思った。
そして、合計30点以上のK点超えを獲得した項目は、「生きる上で自他ともに優先すべきこと」と判断する。それが肝心な点である。
得点が低い項目や、いびつな得点分布の項目は、「辛いがやらなければいけないこと」もしくは「超楽しいけど金にも人の為にもそんなにならない手前勝手な趣味、あるいは性癖・性分由来のこと」と判断できるので、割り切るか、改めて考える必要があると思われる。
俺が書き出した項目は7個で、K点超えの高得点をはじき出したのは『音楽』と『ライティング』だけだった。そうか。
「現金=10」
「生きがい=0」
「快感=0」
「人の為=5」
「何となくそれ=0」
という対象が一番地獄。
「今やっている仕事がこんな感じ」という人は案外多い気がする。そういうこともあぶり出せる気がする神の啓示式生き様診断チェック。
_03/22
睡眠中、やたらとネガティブで死とかを連想させる夢が断続的にカタカタと流れる。こいつはまずいと思い、俺的ポジティブ・パワースポットへ向かう。
半年ぶりくらいに純喫茶アルマンドへ行く。叔父のマスターは、ものすごく顔色が良かった。
昨年、ロケで福山雅治さんが来てからというものの、ちょっとした聖地と化したアルマンドで、叔父は嬉しげに過ごしている。今度は来週に江口洋介さんがロケで来るとのことでウキウキであった。
「ケンジくん。写真とか撮ってさ、いんすたとかに上げていいんだよ」と、催促ともとれることを言うので自撮りツーショットを撮らせてもらい、Twitterに上げる。
店の雰囲気は、温かいオーラに溢れていた。人の憩いの感情というのは場所に染み付くと、そう心底感じた。叔父が幸せそうで良かった。憩い感と幸福感が伝染する場所とは、あるんだな。
_03/23
今ひとつ季節的に春だと浸かれないのはサクラを囲って呑んだりしていないからだろう。近所の公園では自由な人が昼からやんやとカップ酒をあおっている。あれが一番うまかろう。
対照的な感じにカタく仕事をして、全力で楽器練習したりという一日。春はどうしてもウキウキしたり鬱っ気に下ったりと、変な風が吹き荒れる。みんなはどうなんだろう。
_03/24
夜通し麻雀を打つというクレイジーな晩を過ごす。もう昼である。徹夜だけは体に悪過ぎるからせんとあれほど誓ったのだが。
近所では花見をする人々が多い。ゴザを敷いてガンガン呑んでらっしゃる。徹夜明けで1ミリほど伸びた髭をさすりながら楽しげな光景を見て、何とも言えない気持ちになる。
_03/25
夜をまったりと過ごすため、縦型ライトのレトロな電球を買いに行く。少し散歩をして、天津飯をガツガツと喰らい、あとは宅で原稿書きをする。
半年続いた連載の企画自体が終了してしまい、一週間毎のコラム提出がなくなった。たいへん遺憾である。週に一度、フリーテーマで大衆に向けたコラムを書くという癖がすっかり染み付いたので、また別の連載とかないだろうかと遠い目をする。
俺の、雑文を常に書き続けていないと気が済まない性分は何なのであろう。変態性の類いの性癖であろうか、良癖だろうか。喋る相手があまりいないからだろうか。
_03/26
寝不足というのは足枷みたいなもので、それだけで一日のはっちゃけ度がちがう。今日は眠くて眠くてスパゲティを食いながら寝そうになりつつ、こないだやらかした政治家さんの弁明をTV中継で観てほほえむ。
俺は睡眠薬でグッスリという反則技をごく稀にやるのだが、基本的には寝るためではなく、飲んで泥みたいな感覚になったり、記憶が飛んだりするのが面白いからである。
これが発展すると立派なジャンキーになる。もちろん、酒と一緒にやることは、決して何人もやるべきではない。ラリる。
そういった訳で、今日は酒を少し呑んで、ちょっとサイコパスについて考えようと思う。そういえば政治家さんは、「サイコパス」か「サイコ野郎」か「自己愛性人格障害」か「立派な人」の4種類しかいないと思う。
サイコパスが何かというと、根本的に良心がひっくり返っていて、独善的思考を信じきれて、強い行動力がある人物の性分だ。幼少期から死ぬまで、絶対にその性格が変わることはない。ブレていないからか、妙にカリスマを帯びている。
そして、彼らは能動的な欲求を理性でほぼ完璧に司ることが可能で、なぜか睡眠時間はだいたい短い。
そうなってくると、サイコパスはけっこう身近に居る。俺のまわりにも何人か居る。そして、その人達と関わると、ロクなことにならないか超面白いかの2択に完全に別れる。
そして、彼らは芸術家か実業家か、ということが多い。たぶん、そういう生き方でなければ、ただの無法者で人生を終えることを本能的に知っているのだという気がする。そういった種類のサイコパスは、アウトロー畑を覗けば怖いほど居ると思われる。
更に、サイコパスは睡眠薬とかが好きな場合が多い。酒は毎日やらない場合が多い。これらの共通点は一体何を示すのだろう。俺はどっちも好きだ。よって、自分は決してサイコパスではない。続きは酒を呑んで考えよう。
_03/27
良い天気で洗濯をし、レッスンをして原稿を書き、サバ弁当を食べてちょっと寝る。夜は10人程度集まる飲み会に参加し、それにしてもみんなそれぞれ考え方があまりにもちがうような、同じような、自分とはちがうような、そんな心境になる。風邪気味の一日。
_03/28
風邪というか下手をしたら花粉症に目覚めた感がしないでもない、というくらいまあまあクシャミが出る。気のせいと判断し、いつものように過ごす。
何だか軽く嫌なことが頻発した日だったが、それも気のせいと判断し、明日も張り切って生き切ろうと思う。
気が付けば30代という時期もあと2、3年ということに気付き、これは気のせいではないと思い、何か新たなアプローチがしたいと考える。何をしよう。
_03/29
「情報量の多い奴」と、見た目で感じる輩というのがいる。仕事の合間に街を歩いていてピコンと腑に落ちた。
何となく物腰や表情から「こいつは情報量が多そうだ」と感じることがある、というだけの話だが。
逆に「情報量の少ない人間」というのが少ない、という訳ではなさそう。ただ、その情報が濃いが薄いか、というフィーリングである。
思考や感情やらの密度がディープ過ぎてはちきれんばかりな輩は、30人に一人くらい居る気がする。クラスに一人は居た、普通にしてても何かおかしくて濃くて変な魅力がある奴。
その源流は、ポジティブなものではなく、何となく、不幸体験な気がした。明るいパリピーからは「こいつは情報量が多い」と、まず感じない。
見識人で賢い人からも「情報量が多い」とは感じない。実際に情報源は多いのだろうが、密度がちょっと違うと感じる。
不幸体験がやけに多かったり、変態思考・嗜癖の持ち主は、考えから情報に飛び火するレンジが超広く、ディープだからそう感じるのか、とか考える。
これまで接した人の中でも、犯罪者級の変質嗜癖の人や、自殺してしまった人からは「情報量が多い奴」と感じていた気がすると、今日気付いた。
そういった方々は、一律、面白すぎる人物なのだが、抱え込む情報が多すぎて、濃すぎて、自滅するか破壊行為をするか滅茶苦茶面白いまま生きるか、という人種だ。
赤羽には、なんだかそういう奴が多い気がする。清野とおるさんが「東京都北区赤羽」という濃い作品を描いたのもなんか頷ける。要するに、近所では、奇人変人と本能で感じられる奴がやけに多い。
_03/30
クシャミが止まらないが、花粉症になったとは断じて認めず、春先恒例の鼻風邪と判断するがよもやわからない。
ライナーの仕事が来るが、俺はこの手の案件が一番好きで、いくらでも書ける気がする。だからどんどん来ればいい、下さい。もっとライナーノーツの仕事を下さいと、クシャミ混じりに仕事部屋で叫ぶ。
_03/31