ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
わりと色んな人に会う。3月。
「羊たちの沈黙」という映画を観る。はるか昔に知人から借りっ放しでまだ観ていなかったDVD。ごめんなさい。
今日夕方、30分ほど現役の精神科医さんとお話をする機会があった。彼は、以前会ったときよりも物腰が柔らかくなっていた。だが、ストレスが溜まっているように感じた。座っているときに脚をブラブラさせる癖が少し増幅していた。
「その癖、あなたの患者さんの前では抑えた方がいいかもですよ。不安がらせちゃいますよ」と、アドバイスするほどの仲ではない。しかし伝えたい。
「羊たちの沈黙」のメインキャストである殺人鬼は元・精神科医という設定のようだ。そういうことかと納得する。
まだ全部観切っていないが、すごく面白いなと思う。じわじわと何かの本質に迫る感じがたまらない。ただ、どんな意図で創られた作品なのかが全くわからない。全部観ればわかるのだろうか。
_03/01
異常に眠りが浅いというか寝た気がしないのだが日中元気なので、これは春がきたと思う。
春は誰しも、食欲・性欲・睡眠欲のどこかしらが極めて高確率でバグる季節だという持論がある。だが誰も賛同しないというか具体的な説明をするとサイコ野郎扱いされるのは明白なのでしないことの方が多い。
昨日途中まで観た映画を最後まで観たが、こういうのが総合芸術というんだなと納得した。観終わって、「面白かった」「感動した」という感想が出るまでの間に、アナログな長い時間が流れる感じが素敵だ。
_03/02
つめたい雨の一日を、なんとなくフラストレーションじみたものを感じながら張り切って過ごすが、そういったものは元を正さんことには解消しないことをよく知っている。元についてあくまで明るくじっくり考える。
_03/03
ギターレッスンしてDAW作業して体感6時間くらいで一日が終わる。時間経過が速く感じるのは幸せだったということだろうか。
_03/04
調子が優れないのでおとなしく静かに過ごす。原稿起こしをちょっとやっただけでしんどくなる。春という季節のせいにしておこうと思う。
03/05
早朝覚醒後入眠困難が頻発し、俺もいよいよかと思うが春先なんてこんなものだろうとタカをくくる。早起きさんでいいじゃないかと思う。
あるいは、へとへとに疲れるまで腕立て伏せやらをやりおおして健やかに眠れば良い。ちょっと眠れなくても、正攻法から反則技までいくらでも対策方法がある現代を過ごせている俺は実に幸せだと思う。
_03/06
宅の机で煙草が切れる。現代ではほぼ間違いなく悪であろう「仕事をしながら煙草を吸い散らかす」という習慣がとれない。
マルボロやアメリカン・スピリット、セブン・スターズなどの、いわゆる普通の紙巻きシガレットではなく、加熱式のアイコスなら部屋に煙も匂いもほとんど残らんものだから部屋で気にせずに呼吸の合間に吸うわけである。
俺の吸う量は日に1箱も吸わないくらいの量だが、手前の喫煙行為に対し、心のどこかで最近感心していない。俺に嫁でも居ようものなら、蔑んだ目元と口角の上がった表情で「まだおしゃぶりがとれないの?」などと、多量の嫌味と少々の愛が混じったような現代的正論をフウっと吹かれるであろう。
喫煙者のだいたいの傾向として、没頭しているときは煙草を通常時の2、3倍の量を欲する。俺もそうで、公園の日なたでおとなしく憩ってネコを眺めたりしているときは煙草など吸う気もしない。しかし、脳がいたく活性化しているときは、やけに煙草を欲する。あるいは、というか医学的見解では、ニコチンによって脳を活性化させているらしいのだが。
そういったわけで、机で煙草が切れると焦る。しかし、すぐにコンビニなりに買いに行くインターバルを挟みたくないときもある。今日は正しくそれで、煙草が切れたまま数時間机にかじりついていたが、別になんとかなるものである。
要は、煙草というのはどこか脳に対する甘え的な存在でもあるのではないかという仮説が飛び出た。真実かもしれない。頭で理解して心で否定しているだけであろう。そうなってくると、ここにきて初めて“禁煙”という発想が生まれたような気がしたが間髪入れずに目を逸らすあたりが正に甘えである。
_03/07
突き抜けるような青色の晴天の春先、仕事のあいまに診察へ行く。先週、このところ妙に調子が悪かったのでお医者さんに看てもらい、血液検査もしてもらったのである。結果はどうだろう。
「先生、僕の血はどうでしたか」
「ひらよしさん。大丈夫ですよ。全て良い数値です(ほほ笑み)」
「僕はお酒が大好きでして。肝臓・腎臓あたりの数値は…」
「優秀な値です(紳士的微笑)」
「こんなこと言ったら怒られるんでしょうが、このあいだ頂いたお薬、たまにビールで飲みました」
「そういった行為は意識を失ったりする場合がありますので(真顔)」
「ごめんなさい。でも、2杯だけなんですよ。僕、宅では2杯までと決めていまして」
「処方薬と一緒はダメだっての(笑い怒り)」
なんだかこの1年で俺は4回くらい病院へ行った気がする。秋に罹った胃腸炎のときはボトッと朽ち果てるかと思った。しかし、ここ10数年いっさいしなかった「調子が悪いと思ったら病院へ行く」という行為が身に付いてきて良きと、そう判断している。
症状の種別や大小は別にして、医師と会話するとそれだけでやや安心感が得られるから人間単純なものだと思った。そういったわけでなかなか元気なので安心して、ずっと仕事をして過ごす。コーヒーが美味しい。
_03/08
なんだかとても体調が良いのでレゲエやパンクなど、ハッピーなのを聴く。そうすると何かが同期して心地良い。
なんだかとても調子が妙なときはミニマルテクノやレディオヘッドなどを聴くと、何かが同期して整う。
とにかく通常運転だなというときは、ラジオを聴いたりコマーシャル的に耳に自然と入ってくる音に耳を傾ける。そうすると日常を実感する。
人為的に音が混ぜられた、音楽やそういったものは、あらゆるタイミングでの気持ちと同期するものがいくらでもあるから、文化という表現が似合うなと思う。
_03/09
血液の巡りを良好にするため定期的に運動をしているわけでもなく、座り仕事が多いことに加え、どうも“ストレス”というものを感じているときが最近多いような気もして、されどそうもなるだろうと思い、何が言いたいかというと尻が痛い。
深刻なほど痛いというレベルではないが、尻が痛いと実に残念な気持ちになる。昔、タモリさんが尻が痛い方の呼称として「地主」というフレーズを使っていた。たいへん機知に富んだ表現だと感銘を受けたが、固定資産を持っているような気分で症状が和らぐかというと、やはり残念に痛い。今日は温かい風呂に浸かってゆっくり寝よう。
_03/10
冬は終わったと青い空をみて確信する。表参道あたりへ赴き、一仕事する。俺は4月に週単位のお休みを設けることにした。
絶対に最近俺は自分では気付かない範囲でチューニングが狂っているはずだと思っており、最適なチューニングに必要なのは「休息」だと判断したためでもある。ただ遊びたいというのもあるが。今度こそ絶対に休む。
今度こそ今度こそ、と、何度ここに書いたことかわからんが、結局ここ5年、週単位以上の長期休暇をとった記憶はない。介護休暇みたいなのはあったが、あれは現代地獄そのものであった。
そういったわけで、4月の桜開花、啓蟄の冬眠開けの時期のバカンスに何をして遊ぼう。誰かピクニックにでも誘ってはくれんだろうか。
_03/11
朝から深夜まで仕事をしてへとへとに疲れた。よって、酒を呑んでさっさと寝る。バカンスはすぐそこである。いい夢をみて眠ろう。
_03/12
何の夢を見たか記憶に残らなかったが、わりとポジティヴな気分で目覚め、そのまま一日を完走する。尻の痛みもピーク超えしたようでおだやかになってきた。この静かな春の嵐のような波はなんなのだろう。
_03/13
インタビュー原稿などをせっせとやる。作品自体が印象に残るも対象の取材にあたると、俺はありがたい仕事を頂いているのだなと何だか低姿勢な気分になる。
低姿勢というのは俺は何となく嫌いなフシがあるが、たぶん解釈が間違っていたからだと思う。低姿勢は、決して下から視線のへりくだった姿勢というわけではなく、相手を尊重するリスペクト精神ではなかろうかと、今日気付いた。多分、遅い。
_03/14
小春日和のなか、宅で観葉植物を日光にあてたり静かに茶をすすったり、おじいちゃんのように過ごす。
レッスンをひとつやって、あとはのんびり調べものなどをする。もっと仕事をしなければという強迫観念を切り離す日も必要なはずだ。これがけっこう難しい。だが今日はほぼ完遂した。大丈夫だろうか。
_03/15
西川口の純喫茶アルマンドへ行く。来るたびに叔父のマスターは顔色が良くなっている気がする。元気でなによりと思う。
この店はここ最近ちょっとした音楽コミュニティができているようで、店内にガットギターが5本もある。
熱いコーヒーを飲んでくつろいでいたら10人ほどの常連グループらしき旦那・姉御衆が来店し、ギターを弾いて歌って盛り上がりだす。
この店には新たにこういう雰囲気も加わったのだなと横目で眺めていたら、よせばいいのに叔父が「彼はギターが弾ける」と言い、スパニッシュ・ギターを手渡され、一人の旦那の弾き語りショーの伴奏に加わる流れになる。何だこれはと思った。
目の前には昭和歌謡各曲のコードが書いてある楽譜がたてられていたので、一緒にそれっぽく合いの音を弾かせていただくことはできた。小一時間も。
楽しかったから良かったが、「俺はコーヒー粉をもらいにきただけなのに、何故ライブを」という気持ちもある。でも、店内のみなさまがとても嬉しそうにしていたので良かった。わりとうきうきした気分を持ち帰り、京浜東北線ですみやかに帰宅。
_03/16
ホリ氏と赤羽で遊ぶ。酒を呑み散らかす。何件ハシゴしたか忘れたが、とある呑み屋では常連の旦那に芸人のコンビ扱いされ、愛でられる。
スーツスタイル&チンピラシャツというホリ氏と俺のファッション起因かと思われるが、決して悪い気はしなかった。
この街の呑み屋は温かく、人当たりのアタック感が強かだ。楽しかったから良き一日とするが俺達はこんなに遊びたかったのかというほど長時間遊んで過ごす。確実に明日は二日酔いであろう。
_03/17
アルコールは、体内に吸収されると主に肝臓で分解され、アセトアルデヒドという毒性のあるものに変化し、最終的には酢酸とガスと水になって体外へ排出される。
このアセトアルデヒドが頭痛・吐き気・抑うつ気分などを容赦なく引き起こすおいたをし、体調を悪化させる。要するに二日酔いである。
「体をいたわらないといけないな」と思い、今日はせめて全てのメシを自炊する。経済的にもよかろうと思う。
また、メシ作りというのは「最終的にどういった味になるのか」というクリエイティヴな心持ちにもなる。それは、たいへん良き行為だと思い、「カブ鳥葉っぱウドン卵おとし」を作ってすする。
「俺が作ったメシはだいたい旨い」という前向きな気分と満腹感を生み出す自炊という行為。素晴らしいという心境の反面、若干の虚しさが混じるのは、手前でクリエイトしたものを「手前で食う」という自己完結で終了ということが理由であろう。それが自炊。
_03/18
たいへん気持ち良く眠れ、意気揚々と一日を過ごすが深夜には疲れてややぐったりして心配になるが、むしろこのペース配分が普通なのだろうと思う。今日も気持ち良く眠りたい。
_03/19
ぐっすり眠れたので元気に過ごし、「俺が体調悪そうに見えるかい?」と問うた人に「ちょっと具合悪そうだが」といわれしょんぼりする。めしだ。めしをもっと食おう。
_03/20
急に「街の便利屋さん」をやりたくなる。対価はほどほどに、連絡ひとつでかけつけて御用をきくというビジネス。
「忙しいのでイヌの散歩代行を」とか、「体の具合がアレなので買い物を」とか、「PC買ったはいいが使い方がよくわからん」とか、「このへんのやつ、全部捨ててきてくれ。ワシは腰が痛い」とか、そういった「ちょっとした雑用だが専門業者に依頼すると高いな、じゃあ便利屋に」という類いだ。「ギターの弾き方を教えてくれ」とかだったらしめたものである。
ネットで調べてみたら高島平団地を拠点としたそういったビジネスが既にあると知る。上手く展開しているらしい。
俺は8年くらい前に、古めの団地の高齢者を狙った(健全な)生活品販売サービスを自営でやっていたことがあり、そういったビジネスのリピーター率の高さはよく知っている。
赤羽の地を拠点にやってみようかと考えると、それだけでワクワクしてくる。「寝室に謎虫が湧いてどうにもならん。駆逐してくれ」というオーダーがあったら俺はその要望を満たして対価を得られるだろうか。
以前の高齢者ターゲットビジネスはスポンサーのパンクにより泣く泣く破綻したが、今、ちゃんとした資金でもあればすぐにでもやってみたいと思う。健全なギャンブルである。とにかく、新しいことにチャレンジするということは勇気と適正な資金が要るそうな。まずは頑張って目の前の仕事に励もう。
_03/21
終日宅の机で過ごす。昨日「資金」について考えていたので少し金融の勉強をしていたら、世の銭の仕組みたるや凄まじくややこしいことになっているなと震える。
仕事も終え、「闇金ウシジマくん」の4巻以降を買いに書店へ行ったところ、先週はほぼ全巻が棚に並んでいたがゴッソリ無くなっていており、誰かが大人買いしたもようを察して指をくわえて帰る。わびしい。
_03/22
住んでいる物件の階段に女性もの下着が落ちている。一体何を試されているのかと思いながら放置することここ3日、まだ落ちている。どうすれば喜ばれるのかわからんと思いながら今日もスルーして部屋に戻る。あれはどうすれば良い。
_03/23
なんとなく「人生あと半分くらいだな」と実感すると、逆算思考がはたらく。時間が有限ならば、もうやるべきではないことはやらず、やるべきことを即実行すべきだとかそういった思考である。そうなると案外何事もはかどるということに気付く。たぶん気付くのがわりと遅い。
_03/24
外に3分くらいしか出ず、現金を一円も使っていないという屍のような一日であった。とはいえ仕事はずっとしていたということで別に問題ではない。
しかしこういう過ごし方は社会に存在していないような気分にもなる。何も貢献していない心境になる。手前が経済界の屑であるかのような自責の念がふりかかる。せめて、ほんのちょっと高い酒でも買いにいこう。
_03/25
ライブを観にお台場のあたりまで行く。経路便の「ゆりかもめ」はちょっと揺れるし線路が物理的に高いから何度乗っても怖く、慣れない。日暮里舎人ライナーに似てるスリリングな乗りごこち。
公演会場にありがたくも席をご用意していただいてはいるのだが、尻が痛い都合で立って観ていようと思ったら警備の方に「こちら立ち観席になりますので…」と、当然の対応を優しく受ける。
俺の尻の都合を説明をしたところで互いに良い気分にはならないし、されど親身になって「それは危険です。立っていた方が…」と、尻にも優しい心遣いを受ける訳がないと思い、ちゃんと座る。
帰宅してまじめに原稿を書いて、そろそろ酒を、尻に優しい酒を、買って来ようとおもうが、そんな酒は存在しないが、そう遠くない未来に誰か開発してはくれんかと、静かに祈るしか術はない。
_03/26
わりと睡眠をとったがどうも眠い一日。ここ最近なかなかいそいそと過ごしており、休日的なインターバルが無かったことが原因と判断する。
そんなものドリンク剤一本で解決。というくらい覇気は残っている感じなので、茶色い瓶系のドリンクを買う。なんとなく俺は迷わず「タフマン」を選択したわけだが、こいつには肝心のカフェインが入っていないということに、瓶に記載されている小さな文字を眺めて気付く。
だがしかし「高麗人参」という、それが一体どこにどういった良き作用があるのか謎な成分がウリらしいので、キュッと飲んだら元気になった気がする。
俺はそれっぽいやつはだいたい効く体質につき、何かしらの強気な成分さえ入っていれば、それがカフェインだろうがアンフェタミンだろうが人参だろうが、大した問題ではない。お父さんお母さん、便利な身体をくれてありがとう。
_03/27
DAWの過去5年ぶんの没録音プロジェクトを確認・整理する。「何のために作った」とか「病気だ」という声が漏れるくらいのものばかりに驚く。
しかし作っているときは「これはいける」と信じて疑わずに制作しているものだから不思議だ。
何かを制作する者というのは、どこか盲目でなければいけないのかもしれないと思う。同時に、客観性も必要だということは後から気付く。客観性は、本当に難しい。
_03/28
今日はお休みの日としたので腰が抜けるほど寝る。のんびりアジフライとか食ったりして過ごす。サクサクしておいしい。
名刺が古い住所のままで放置していたので、現住所の名刺を作る。ついでにデザインも一新するわけであるが、なかなか迷う。
中央上段に紋を掲げ、野太いフォントで縦書きにキメたいところだが、それはどうもステッレオタイプな侠客っぽくて妙な威圧感がある。名刺交換がマウンティングということになりかねないので却下。
各方面から頂いた名刺を参考に眺めると、そういった渡世人的なデザインのものはなかった。よって、ふわりとシンプルな感じにして発注する。名刺に限らず、歳とともにシンプルなものを好むようになるのは何故だろう。疲れるからだろうか。
_03/29
植物にモーツァルトあたりを聴かせるとよく育つという話を聞いたことがある。俺はそういったオカルトじみて根拠があるような無いような話はだいたい信じている。良き波動は科学的根拠なしに互いに感化すると解釈し、ほぼ疑っていない。実際、体験としてそう感じることがわりとよくある。
だからというわけではないが、近所の某ダイソーで事務用品を買うついでに、かわいい観葉植物を買う。300円。
寝室とキッチンには既に植物を置いてあるので、仕事部屋に置くことにする。常に視界に入る位置、スピーカー付近を居所としてもらうと、部屋の雰囲気がだいぶほっこりした。植物はいい。
位置的に、かなりの頻度で音楽を直に浴びることとなるであろう。モーツァルトを聴かせる機会は少ないかもしれないが、俺が選曲したロックやテクノ、ソウルやアンビエントを日常的に聴いてもらう。制作中ミックスサウンドや、俺の楽器練習やらの音も爆音で聴いて育つことになる。俺の音的波動が良きものであれば、こいつはすくすくと育つであろう。
品種名が書かれた札をロクに読まずに捨ててしまったため、これが何の植物であるかは、もはやわからない。俺の仕事部屋の各種音響を浴び、どれだけエキサイティングに育つか実に楽しみである。花を咲かせて欲しい。サイケデリックな成分を孕む実を産んで欲しい。
_03/30
ビートルズのアルバムを2枚くらい聴いてうっとりする。現代の音楽クリエイターが聴いたら卒倒しそうなミックスバランスなのに、圧倒的に音楽的だなと実感する。
うっとりするものとそうでない音楽、根本的に何が違うのかと考えるが、そのへんはどうでもいいやと聴き入ってしまうあたり、やはりビートルズは根本的に何かが違うと感じる。
聴いていたのは『Revolver』と『Rubber Soul』なのだが、このあたりの作品は“サイケデリック”と評されればそれまでの気もするが、その“サイケデリック”の正体は何かとずっと勘ぐると、根本的な何かはそのへんにありそうな気がする。
そしてそれは、「何かしらの深い体験を得なければ無理」という気がする。ビートルズが何を体験してこういった楽曲らを作ったのか憶測で綺麗事を並べることもできれば、“何かしらの契機”でのトリップ体験が素にあるなど、色々あるが、細かいことは置いておき、「最終的に素敵な音楽に還元できる」ということが、何よりうっとりとする。実際に彼らが何を食ってこれらを作ったかなどということなどは、本当にどうでもよくなるあたりが。
_03/31