03/2020

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
コロナが殺しにかかってくる。3月


たっぷり寝て健康体でいることくらいしかコロナウイルス予防策は思いつかん。9時間寝て爽快に起きる。世間の自粛ムードの影響をモロに受け、今日だって外出案件はない。

さすがにこれはまずいなと思いつつ、何かせねばと今日もDAWに張り付いて音楽制作に励む。もう、ムキになって作る。

良いのが出来上がると、下半身あたりからこうブワッとなる。良いもの作れているうちはたぶん無事だろう。だいたいのことはコツコツずっとやり続けていればなんとかなる。

しかし4日間も誰とも会わず篭って仕事やら作業やらしていると人恋しいと通り越して無我の境地が見えてくる。無我。
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4日ぶりに案件で外出する。ここ4日間の俺の世界は自宅と西友だけだった気がする。

きっとウイルス感染リスク満載であろう電車に乗って南へ。なんだか外の景色が新鮮に感じる。そしてマスク率の高さたるや確率変動が起きている。なんなら俺もマスクを装着したいが、西友に売っていないのだから仕方がない。

久しぶりに人様とまともに喋る。軽い打ち合わせでの会話が楽しくて仕方がない。やはり、実は人恋しかったのだろうか。

インタビュー案件なので小一時間、じっくりお話する。会話のブランクというのは、たった4日でも人をこんなに不安にさせるのか。そう思った。なぜか話していて「ちゃんとやれてるか俺」という懸念が頭をよぎるのである。

原稿にするために、帰宅して録音したデータを聞き返すわけだが、べつにいつも通りであった。いつもやっていることにブランクがあると、必要以上に不安に駆り立てられるこの現象、俺だけだろうか。

いつであっても、「これはいつも通り以上に及第点以上を叩き出す」という自信の裏付けというか矜持ということが誰しもあると思う。そういうことに対してはブランクを空けずに毎日やるだろう。俺でいったらこうして文字を書いたり楽器を弾いたり音楽に触れたりと。

アスリートだったら筋トレだったり、モデルさんだったらスタイル維持のための何かしらのワークだったりと。きっと誰しもそれぞれあると思う。毎日欠かさずやっていること。

ということは、相手が毎日のようにやっていることは、その人にとっての「その人らしさ」につながると考えた。その人のパーソナリティの濃い部分につながると。

そこを知る、あるいは気づけたら、そこを尊重すると、より人間関係はスムーズかつハッピーになれるのではと今日気がついた。これはたぶん合っている気がする。俺はほぼ毎日、酒を呑む。そこを尊重してくれる人がいたとしよう。

「すごいですね。酒で1日をちゃんと省みつつ、明日への鋭気を養っているのですね。ほぼ儀式ですね」

とか言ってくれる人はまあ、まずいないだろうが。
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たっぷり睡眠をとって起床。散歩に行く。赤羽公園で日光浴をしながらパンを2つワシワシ食う。スーパーで焼いて売っているパンはとても美味しい。

ウイルスで休校の影響なのか、この時期は春休みなのかわからないが、平日なのに子供たちがたくさん遊んでいる。

平日なのに昼過ぎにベンチでのんびりパンを食っている大人の俺が「ウイルスの影響で仕事がないんか」と哀れみの目で見られていた確率は極めて高い。

赤羽公園にいつもいるキジトラのノラ猫が少女3人に絡まれていた。女の子たちは毛布か何かで猫を捕獲するという遊びに耽っていたようである。過激な遊びではあるが実にほほえましい。

引き続き散歩をして気が済んだので帰宅して仕事をする。イベントやライブ中止が相次ぎ、そのあたりに関する案件がない現状だが、わりとほかにやることがあるというのは非常にありがたいことである。こういう時に別案件をくれる方々が神に思える。神様ありがとうございます。
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赤坂の街の通行人たるやいつもより少ない気がする。おのれコロナ。

案件で伺う先では、マスクをしている人とそうでない人が半々だろうか。俺はしていない。売っていないのだから仕方がない。ただ、マスクをしていないだけで「失礼にはあたらんか」という気持ちにちょっとなる。おのれコロナ。

帰宅し、宅で仕事をする合間にネットニュースをみたりする。どうやら俺の認識以上にヤバい状況なのか、騒ぎすぎなのか、もはやわからない。

スパン的に父親の面会に行く頃合いではあるのだが、施設より「コロナにより一律面会謝絶」というお知らせが郵便で届いているので、行っても立ち入れないそうな。別に好き好んで行きたいわけではないのだからいいのだが。

とりあえず自分がいつもやるべきことをせっせとやろうと、それしかない気がする。この状況でも仕事があるということに感謝しつつ。
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ひさしぶりにソニックユースを聴いたらなんてカッコいいんだと再認知する。

確か19歳くらいの時に初めて聴いて、「よくわからんがどうも何度も聴いてしまう」と感じたことをよく覚えている。そして10回以上聴いてやっと「カッコいい」と思えたというやつ。要は「決してキャッチーではないが、奧のほうにディープな良さがある」という感じだろうか。

25歳くらいの時にエイフェックス・ツインを聴いた時も同じだった。「わけがわからんが、どうも何度も聴いてしまう」という。そしてその後すっかりテクノ漬けとなった気がする。

同じ要領で、「よくわからんが、どうも何度も会いたくなる」という人間はいないだろうか。オルタナティヴで変態的な魅力のある人間。そういった人としっぽりホッピーでも呑みに行きたい。
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案件で目黒へ行く。一服したいが目黒駅周辺には喫煙所がなかった。こういう時はパーラーへ入る。さすがに禁煙のパチンコ店はまだない。

駅側近のパーラーに入ると俺と同じ考えの者達が入り口付近の立て灰皿を囲む。「そろそろ禁煙しようか」という顔をしつつも吸ってる気がして不思議な者達だなと思う。俺もだが。

禁煙したいようなそうでもないような、脳の活動がニコチンとセットになってしまうという中毒状態だから禁煙という発想をナチュラルに遠ざけるというか。4月からは建物などの敷地内喫煙所撤去がけっこうおこなわれるそうだ。

先方の会社などで案件後に「一服しませんか」と誘われ、会社内の喫煙所に入れてくれて一緒に雑談するのが好きだったのだが。そんなほっこりタイムも無くなるのだろうか。

もはや喫煙所というのは、やさぐれた者同士的の溜まり場というか、グレーな感じで好きな場所ではあったのだが。時代の流れ容赦なし。
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宅で原稿をいくつかやるという1日。よどみなく進行すれば7時間くらいでいける感じなのだが、サボりだしても叱る人がいないものだから、ちょいちょいYouTubeを見たりソファに転がったりするので10時間はかかる。

これはよくない。悪くはないが、サクッと気合い入れて質も高めて7時間くらいで仕上げたら、そのぶん自由に遊ぶ時間ができる。

しかし、今日はせっかく早起きしたのに「そのぶん時間があるから」と、のんびりやってしまう。ダメではないのだが、こう、シュッと仕上げたかった気持ちは禁じ得ない。

第一、煙草を買う目的一点でコンビニに行ったのに立ち読みをするなど言語道断である。『漫画ゴラク』を立ち読んでいる場合ではない。

いかんと思い戻って仕事をしてお腹がすいてきたので牛丼を食いに行く。その帰りになぜコンビニで『モーニング』を立ち読むのか。

サクリと仕事を仕上げて『漫画ゴラク』も『モーニング』も買ってきて酒でも呑みながら読んでリラックスすれば良い。そのほうが妙な背徳感もなくリフレッシュできるというものである。しかしこれがなかなか。

「人は、誰かに見られている状態とそうでない状態では別の生き物」という説を、何かで読んだ。本当にそうだ。「一人でいても常に視線を感じる」というサイコなアプリを誰か開発してはくれんだろうか。俺はすぐにダウンロードする。
_03/07

 

 


めちゃめちゃしっかり寝る。そして1日を終えてみると、やはりたっぷり寝たほうが圧倒的に作業効率が良かった。

10時間くらい集中できるものはなにかないものかと思う。昔、知人から「集中力が上がる」「作業や勉強の時にいい」と言われもらったスマートドラッグがあった。なんという名前の薬だか忘れたが。もちろん非合法のやつではない。

そいつを飲んだところ、確かに効果があった気がする。しかし、集中力を高めるのに薬を飲むのもコスパがよくない気がした。

それにしてもスマートドラッグという響き、なんともそそるような香ばしさがあるが、たぶんハマりそうな気がするので詳しく調べないことにする。
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案件で南北線から南へ。ぽかぽかと暖かい陽気につき、道中で目に付く植物が咲かせる花が目立つ。なんと可愛らしいことか。

宅の植物は、かれこれ9年は同居している古女房はというと、昨年いっさい芽を出さなかった。葉っぱは一枚たりとも増えなかった。

それもそのはず、光の当たらない寝室のベット傍に置きっぱなしだったから「日光」という、植物にとって必要不可欠なエネルギーが圧倒的に足りなかったのである。

それでも枯れはしなかったが、俺はいつまでたっても新緑が出てこない土を見つめ、「もう死ぬのか」と思っていた。

手前に例えたら、いちおうメシは食うが酒も煙草も与えられずにげんなりと覇気のない状態。それに等しかろう。

だから昨年は起きたらまず鉢を明るい位置に移動させるということを習慣づけた。キッチンのスピーカーから良質な音楽を浴びせた。植物のシャブ的なアンプルみたいな栄養剤もたまに刺しこんだ。

そして今春、2年ぶりに芽を出してくれた。それも6つである。新たな生命である。ほっこりとした嬉しみは謝罪の気持ちも混ざり声に漏れる。「昨年はすまなかった」と。

すると「わかってくれたのね」と言っているように聞こえた。

「じゃあ今年は奮発するわ」と、言わんばかりの6つ子ちゃんである。

何かで読んだことがある。大麻の葉っぱを育てていると、それまで人生で味わったことのない嬉しみに浸れると。

俺の宅の鉢は3つ全て、合法の子達である。俺は健全だ。
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罰ゲームくらい辛いものを食べてデトックス、というのが習慣化した。今日は「辛ラーメン」に玉ねぎとトリ肉とニンニクを入れ、一味唐辛子の粉末を親の仇の如く撒布して食う。

若者が真夏にエアコンなしでセックスしている時くらい発汗するので、首にタオルを巻いて食う。

この行為には、えらい発汗量と完食の爽快感に加え、首回りのリンパのあたりがスッキリする効果が著しくあるということがわかった。

アラフォーの俺は思った。「これはアンチエイジングでもある」と。それくらい、赤い系の辛いものを食うデトックス効果は絶大だ。そう信じ込んでいる。これが大事である。信じ込めるということ。

実際どれくらい俺が思っているほどの効果が栄養学的に、科学的に根拠があるか知らんが、実感して信じ込めるということ、これは何事にも勝る気がする。
03/10

 

 


先日、先方に呑みに連れれってくださり、帰路、赤羽で2件ほど一人呑みをして泥酔い。

しかし普通に記憶はあり、帰宅時に「無理だ」とか思いここに日記を記さずに寝たのを覚えている。何年ぶりだろうか。呑みすぎはよくない。

今日は当然凄まじい二日酔い。夜になっても牛丼を食いに行ったら残すくらいのレベルである。

なぜ俺は赤羽で一人呑みをすると決まって呑みすぎるのか、あの、酒飲みの霊が取り憑いたのかというくらいの感覚はなんだろう。面白かったから良いのだが。

そういったわけで今日は仕事は完全休業である。どれだけぶりかに休肝日としようと思う。
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どうやら二日酔いだけでなく風邪かなんかも併発していたもよう。喉がいたい。それだけの症状。休肝日明け、ノンアルコールの目覚めたるやこれほどまでに爽快かと驚く。そして俺はどんだけ呑み続けてたかのと。

無理は良くないので仕事は半日くらいにする。近所を散歩してグルってまわるとたいへん気分が良くなる。犬並みの精神回路。

夜はせっせと制作に励み深夜。さて、酒をどうするか。ほぼ病み上がりのようなものである。よし、では喉に負担のかからないシュワっとした酒は控えて日本酒にしようか。いいや、おとなしく休肝日2日目といこうか。これに俺は半日は迷っていた。
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互いに生存確認が必要らしい。どういうことかというと、例えば独り身の俺の場合、宅で睡眠薬かなにかの飲み過ぎで呼吸停止して死にかけているとしよう。発見まできっと数日かかる。

同じく宅で心臓発作か何かで倒れたとしよう。きっと発見まで数日かかる。理由は同居人がいないこと、家族が機能していないこと、恋人がいないこと、毎日定時に出勤する場所があるという生業ではないため、これらが主である。

そんなことを今日、友人と電話で話していた。彼もまた、定期的にアップロードされる音源がいつものタイミングでこないから死んでやいないかと思ったらしい。この発想はなかった。やさしい奴である。

SNSは、そういう「生存確認」を兼ねた役割もあると知る。いつだったかしばらくTwitterで投稿をしていない時期、「平吉さん生存確認しました」という写真付きのツイートをホリさんにしてもらったことがあった。そういうことかと納得した。

じゃあどうすればよいかと考えた。女房を探すべきである。ほかにないか。毎日Twitterで投稿するキャラを定着させ、滞ると「様子がおかしい」と察してもらう。これはあまり向かない。

確かなのは、ここに記す日記が数日滞っている時、確実に俺の身に何かあったか鬱でビタ止まりに硬直しているかの2択であることだ。

先日のように1日滞るということは数年に1度あるかないかである。だからここが数日更新されなかったら、それはガチでまずいフラグなのでその時は誰か俺の友人に連絡なり、心配してくれやしないかと思い記す。
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特に天気が良いので散歩して和む。ジャガイモと鶏肉と謎キノコをオリーブオイルで炒めてバジルを振って食う。お店で食う味がする。

仕事をしてソニックユースみたいな曲を制作してと、せっせと過ごす。人生せっせと過ごす。

明日も頑張り、お金を稼いで、お酒を呑んで、人と会ったり会わなかったり、せっせと人生過ごす。死ぬまでせっせと過ごす。
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電車に乗って案件先へ出かける。心なしかマスク率が減ったような。売ってないんだろう。

どういうわけか、件の流行とは無関係であろうワンカップ酒が西友の陳列棚に全然ない。どんなデマでも流れればワンカップ酒を買い占める人が増えるのか。

首を傾げながらたまにはとワインを買う。美味い。チリ産の赤ワインは安いやつでもだいたい美味い。
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この間、ウォルピスカーターさんという方が「高い声は出ないと普通は諦めてキーを下げるけど、僕は諦めなかった」と言っていたのを思い出した。

その人はハイトーンが武器の歌い手さんだ。俺も高い声で歌いたい。スピッツくらいのキーは余裕で出してみたい。エレファントカシマシの「悲しみの果て」を原曲キーで熱唱したい。俺は鍵盤に向かって高い声を出してみた。

普段は出ない高い声は、ある種「出る」と思い込んで何かしらのリミッターを外すことで出る、そう考えた。すると、なぜか出る。しかし、これが人前だとどうだろう。

これくらいの歳になってギターを持って街に立ち弾き語りをするのはなかなか度胸が要る。弾き語り動画を出すのもなかなか躊躇もある。

しかし、俺は別にシンガー志望でも歌い手でもないのに立派に歌いたい欲がなぜかある。だから、隙間時間には鍵盤と一緒に練習をする。

この、やっている時はある種の虚しささえおぼえる「俺は今、何のためにこれをやってるのだろう」感。

しかし、いつかたぶんどこかで何か有意義なことに繋がる気がする。今までもそうだったからこれからもきっとそうだろう。それにしても何に繋がるんだろう。
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このあいだ近所で独り、はしご酒。独りとはいえ、行く先々の2店では同じく独り酒を嗜んでいる見知らぬ人と呑んでいた。

一人は40代の歯科医で、一人はピンク街の呼び込みのコワモテ黒服兄さんである。共に初対面ではあったが、そこはアルコール・マジックが働き、ナチュラルに楽しい時間を過ごした。酒というのはいかなる人間同士でもうまい具合にチューニングを合わせてくれるという成分が含まれる神聖なドラッグ。

しかし致死量寸前まで呑んだ翌日からどういうわけか喉と口の中が痛痒かった。それが今日、ようやくほぼ治った。それまでトローチを20剤くらい舐めた。あれは市販のでも実によく効く。

そして、症状が出る前よりも、喉のあたりの調子が良くなった。なんというか、粘膜がバージョンアップしたような感覚である。

どうも最近、酒焼けのような声になっている気がちょっとしていたが、それも改善された気がする。

確実に呑み過ぎた翌日からではあったが、たまには振り切ったことをすると何故か良い働きが起こるという不思議。とにかく治って良かった。酒もめしも煙草もとてもおいしい。
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案件で六本木一丁目へ。ウィルスのせいでイベントやライブが激減し、それに伴い俺が頂ける案件も減っている。

これは大丈夫か、金的に、と思うが、他の案件や制作やらをちゃくちゃくと進めるチャンスでもある。「普段だったらこれをやっている」という時間がすっぽり空いた時、案外真面目なことをするようになった40歳手前、良く言えば大人になった。昔だったら確実にパチンコ店やらに行って散財しているだろう。

そういったわけで今日も1日せっせと過ごす。昨日はオノ・ヨーコさんが溶けて粉末になり、それを水で戻すというサイコな夢を見たが、今日はどんな夢を見るだろう。酒すすってぐっすり寝よう。
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宅仕事の合間に本屋に行く。ふとさらに気分転換をと思い、地下のゲーセンへ。麻雀対戦ゲームへ100円入れる。

意外と金を賭けていなくても麻雀は面白い。しかし、バカ勝ちしても金が増えない虚しさを引っさげて帰宅。メダルを落として遊ぶゲームもやりたかったけど絶対虚しくなるので帰宅。

何だか急に全てが虚しくなってソファで30分寝る。いやしかしと思い、机に向かってせっせと励む。足立くんがやって来たので少しトークする。元気そうでなにより。そうそうしているうちに1日が閉じていく。酒飲んで寝て起きればまた1日が始まる。始まってくれる。その繰り返しに感謝すべきであろう。感謝。
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久しぶりに高校時代の先輩方と会う。当時の話に花を咲かせていると、俺と先輩方が青春を過ごした東京都足立区という地域の90年代はいかにヤバかったかということが明るみに。

他の地域からは、「バイク2ケツ(二人乗り)で後ろの奴は鉄パイプ持ってるんでしょ?」というバイオレンスなイメージがいまだにあるという。そんな北斗の拳世紀末的な輩は当時も今も見たことがない。

いいや、近しいスタイルの輩は確かに環状七号線付近に生息していた。パラリラパラリラと、非音楽的な爆音をけたたましく夜中に轟かせていた。そして、足立区某駅前は反社出没スポットとして老若男女の恐怖の対象であった。

街、道、のみならず、楽しいはずのアミューズメント店にもその悪名は幅をきかせていた。

ゲームセンターの『ストリートファイター2』など格闘ゲームで“ハメ技”という禁じ手を容認していた地域は足立区くらいのもの、ということも明るみに。俺は“待ちガイル”という手法を使った記憶がある。ほぼ勝てるハメ技。

今はクリーンになったが、当時の足立区のパチンコ店の店員さんは、殺気みなぎる多重債務者、いや、アウトローといった空気感を身にまとったそれはそれは恐ろしい物腰だった。マイクパフォーマンスが恫喝に聞こえたものである。彼らが手に持っている台鍵がメリケン・サックに見えたものである。

うすうす気づいていたが、やはり俺や先輩方はスラム街育ちなのである。

そんな足立区にだって良いところはある。そのはずだが思いつかない。俺は30年くらい住んでいた地域の褒めるところひとつ思いつかない薄情者なのか、そう思ったが本当にない。

いやある。「スタミナ苑」という日本一美味しい焼肉店が足立区鹿浜という俺の住んでいた辺鄙な町にある。これは断言したい足立区のチャームポイントである。

あと、荒川河川敷の川の近くを散歩していると死にたくなる気分になるというスピリチュアルスポットが東西に広がっている。

きっと東京23区、他の地域にだってスラムな面はあるだろう。足立区は悪い所ではない。とてもお世話になった地域でもあるのだから感謝すべきである。

反社やヤンキー的な方々が活き活きとしていたり、歴史に残る凶悪犯罪があったりと、他の地域から悪名高きエリアと認識されているのはステレオタイプなものであり、もうそれは過去の話である。

今はきっと、クリーンで素敵な地域になっているのである。そう信じている。なにしろ、北区赤羽からバスで足立区に着いて降りた時のあのなんとも言えない、包み込んでくれるような心地良い匂い。あれは本当に大好きだ。
_03/21

 

 


今日は新たな業務の案件に着手する。と、文字にするとわりと真面目なカッコ良さがあるものだと思う。

一言で言うと営業代行なのだが、それはやったことがない。しかし、選んだ手段は手前が昔やってかなり手ごたえがあったもの。当時は途中で金主がパンクして強制業務終了という残酷な最期をむかえ、本当に悔しい思いをした。

俺が行うサービスを好いてくれたリピーターのお客さんたちに「終了のお知らせ」をDMする日々のあの悔しさと切なさと心細さは筆舌に尽し難かった。

だからこそ、その時の手ごたえは何年も燻りフィードバックしていた。だから今回の案件は気合が入る。あの時の挫折あっての今という、点と線がつながる的な良きアレである。

「源泉の分散」というのはここ5年くらいのテーマでもある。それが何かと言うと、要は1箇所からの収入源に依存せず、何種類もの収入源を持つ、ということである。そして、それぞれの案件に対しての質は決して落とさず、というのが大前提だ。

タレントさんで言ったら、歌って踊れてバラエティーにも出て本も出版するしYouTubeもやるし、みたいな感じだろうか。そういうのは好感が持てる。

1本の仕事で職人的に稼ぐのもめちゃめちゃクールだ。でも、多分俺は色々やって色んなところから、という方が性に合う気がする。

最近、副業ブームというか働き方改革というか、そっちに流れが向きつつある気がするが、その方が生きやすいという側面もあるのではとちょっと思う。副業となると、少なくとも自分に向いていないことや好きではないことは選ばないと思うからだ。

みんながみんな、向いていること、好きなことをして調和がとれる社会になったらなんて素敵なんだろうと思う。そこに向かって明日も張り切っていきたいので酒は今日も2合までにしておこう。
_03/22

 

 


「明日死ぬとしても今日の予定をこなすだろうか」という疑問を毎朝手前に投げかけよ、的なことを言っていたのはMac, iPhoneでおなじみのスティーブ・ジョブズさんだったろうか。

「明日死ぬとしても今日の予定は揺るがない」というのなら、そういう生き方をしているうちの1日。手前は納得していて良き、という解釈で間違ってないと思う。

「明日死ぬならば今日の予定はやらん。今日の仕事なり会社なりには行かん」という日々が続くのなら、根本的なことを見つめ直して変化しなさいという、そんなメッセージも確か込められていた気がする。

俺はこれまでの人生の中で、「明日死ぬなら今日これはやらん」ということが多かった気がする。しかし、最近はそういうことはあまりない。

「いつか死ぬのに俺はなんで毎日のようにこれをやっているんだ」と、考えながら仕事やらをする日々、確かにあったが、それは、考えているだけまだ良かった気がする。

考えていた証として、不平不満に対してメンタル的に裸眼で直視した結果、本気で具合が悪くなった期間がいくつかあった。

逆に、考えるということをしなければ、そうならなかった可能性もある。しかし、それは思考停止という、「良くも悪くもない、こういうものだ」という思考の末端でビタ止まりし、無意識下で自発的に動かなくなっていることを証明するようなものである気がする。そこにつけこまれて、他者にいいようにされることもあるかもしれない。そしてそこに気づかずに死ぬまで日々を送るのかもしれない。

それはそれで別に悪いことではないと思う。でも、何人でも、「自分自身的には気持ちの良いものではない」という情念を完全に殺して日々のルーティンをこなして生きることは難しい気がする。

だから「今日というその日は、自分が本当に納得できるか」というシンプルなフィーリングはわりと重宝したい。

「明日死ぬとしても今日の予定をこなすだろうか」だと、なんだか毎日死を覚悟しているようで若干しんどいので、「今日が終わった時、手前とみんなに笑顔で『お疲れ様』と言えるだろうか」くらいにしておこうと思う。お疲れ様でした。
_03/23

 

 


陽は暖かく照るが風は冷たいアンビバレンスな天候下、案件で六本木一丁目へ。

先方と少し雑談していると、そこの組織の方々は基本テレワーク化したとのこと。なんというか、何をどう気をつければ良かれかもはやわからん。とりあえず、アルコール消毒用のポンプがあったのでシュッと掌にかますが皮膚のヒビ割れに強かに染みて痛すぎる。

このご時世、案件があることはありがたきと思いながら仕事をして帰宅。安い弁当を買いに行く。たまには回転寿司屋で無制限に食事がしたい。しかし、こういった風潮だし、ナマモノも控えたほうがいいのかという葛藤。でも酒のアテにお刺身はたまに食ってる。

個人的には、非常時は割と基本的には普段通りに過ごすのが結果的に吉と出ることが多いという考えがあるのだが、それは他者にとっては非常識だったりする。

肝心なのは感染、拡散しないことだが、それを完全に防ぐには引き籠るほかないそうな。それだと収入は激減する。

そんなことを考えながら近所を歩いていると、明らかに普段通りという人の数というのが赤羽。とりあえずこのへんのみんなに合わせようかと思う。なんという難しい時期なのだろう。
_03/24

 

 


普段通りはけっこういかんという東京都からの要請のニュースを見て漏らす。もう、どうすれば良いのだと思うが今日あたりは普段通り仕事をする。半分くらいは自宅作業というのが基本の生業で良かったのだろうか。

今やっているお芝居を観に行きたいのだが判断が難しい。行けるのなら行くつもりだが、どうなのだろう。こういう時に能動的に行動していかなるものか。とりあえずできる限りのウイルス死滅行為をした上で過ごそう。

とりあえず今最も恐れていることは、台風19号襲来前日並みに西友の陳列棚から商品がなくなることだ。あれはキツい。わけわからんツミレを一袋だけ買って帰った苦い思い出。
_03/25

 

 


病院へ来いという入電を受け、案件先で居た六本木一丁目から足立区鹿浜へ。

今度は「廃用症候群」という病名で入院となった実父。その、パンチの効いた病名について知らなかった俺はわりと美人な看護師さんに問うた。

「要は廃人一歩手前、という感じでしょうか?」

「クスッ。まあ…これこれこういう感じです」

廃用症候群とは、長らく病人生活的な暮らしをしていることによる身体機能および脳機能、そして意欲の低下などが合併して弱った状態とのこと。俺の憶測とさほど変わらん。

アルツハイマーに加えて精神疾患に右半身不随、寝てるか車椅子での生活。それは体力も覇気もなくなるだろう。決め手は、めしを食べる意欲が減ってきて、これはヤバいかもという施設の判断があいなり入院。適切なご判断である。

俺は主治医の説明をボイスレコーダーで盗聴しつつ、父の面会もした。

「よう。また入院だね。俺が誰かわかるかい?」

「フガフガ。シンジだろ?」

「おしい。ケンジだ」

俺は、こいつの死生観について考えた。頭には霞がかかり、半身は不自由、めしを食う覇気もない。何のために生きているのだろうと。だからシンプルに訊いた。

「何かしたいことはあるかな?」

「なにもないな」

「そうかい」

ここで、「酒が呑みてえな」やら「久々に煙草が吸いたい」だの「やはり借金をどうにかちゃんとしたい」とほざくなり「仕事がしたい」でもいいし「ネコ、触りたいねえ」とか、何かあるだろう。

「したいことが何もない」とは。

意欲がなくなるという鬱病という病がある。やりたいことがやりたくなくなる、やる気が出ない、覇気がない、欲が失せる、よって希死念慮すらヌルリと湧いて出る。末期症状としては呼吸以外の自発的行為がほぼ行われないという恐ろしい病。常につきまとうのは、特に治りかけに多いとされる自殺行為。恐ろしい病。

人間は、能動と思い込みでできている気がする。やりたいことがあって、それがやれると信じて、日々の生命活動、略して生活をする。欲があって人間は日々動く。あるいは、不安や恐怖を払拭するために行動をする。

しかし、「したいことが何もない」ときた。そういった人間にしてやれることは何だろうか。

「人を勇気付ける」「応援する」「背中を押す」など、よく耳にする言葉だが、その方法は多岐にわたる。ポジティヴな言葉をかけるもよし、芸術で感動させるもよし、笑わせるもよし、見えるものでも見えないものでも、心が動けば覇気は出る。きっとみんなそうやって支え合っている。

色んな病名がついて役満クラスの病人の父にも、なにかしらの生きるエネルギーとなるトリガーがあるのかもしれない。

本来、それは手前で見つけて手前で引いて弾かせてまた引いて、という繰り返しだと思う。しかし、それが見当たらない上に当人は「ない」と言いくさる。

トリガーも弾もリボルバーもなく、ただ横たわっている鈍器。意思を失った有機鈍器。

彼の立場に立って考えてみよう。同じことを言うだろうか。「何もない」と。あるいは、あるけどもう、わからないのかと。あるし、わかるけど、無理だと悟ったのか。その状況にならないと、決してわからない。

俺は、自分の頭脳がどれくらいのクオリティか知らんが、「そいつがどういうつもりか」というのが理解できないのが一番悔しい。

どんな輩にも、特筆すべき欲がある。「モテたい」「金が欲しい」「支配欲が強い」「厭世観を愛している」「人を支えたい」「自由でありたい」人それぞれある。例外なく、必ず何かが突出している。

その人の持っている最も強い欲を見極め、それを基軸に考えれば、そいつの行動や言動が「どういうつもりか」なのかは逆算してなんとなくわかる気がする。

しかし、無欲に近い人間、ある種の諦めの境地にいる人間に対しては、わからない。だが、そういった人間はそうそういない。いるとしたら病人だ。病人の欲はきっと一点のはず。「治りたい」だろうか。

でも、その意欲すら感じられない。横たわるその姿はベッドの布団とほぼ同化しているように見える。欲が人を振り回すこともあれば、無欲が人を困惑させることもある。ということを今日は知った。

しかしそれでも全然ネガティヴな気持ちにならないのが不思議である。酒を叩き込んで寝よう。
_03/26

 

 


兄貴がずいぶん前から音信不通なので宅に行ってみる。俺の宅から歩いて20分程度の川辺の物件に住んでいるはず。引っ越していなければ。

目的は、「父親が死んだ場合、葬式に関わるか否か」の確認である。父親と兄貴は漫画『美味しんぼ』の海原雄山と山岡士郎くらいの確執がある。最悪の親子関係である。

だから葬式となった場合、来ない確率が極めて高い。それはそれでいいから、喪主を俺と兄貴どっちがやるのか、参加か不参加か、その確認である。

しかし宅には兄貴はいなかった。ポストの郵便物を引っ張り出して名前を確認、いや、チラッとポストの中が覗けたので郵便物の宛名を見ると他人の名前。すなわち、兄貴はここには住んでいない。ケータイの番号はとうに変わっている。これで完全に音信不通である。

じゃあと思い、交番へ行きポリスに捜索願を出しに行く。だが、結論から言うと「捜索願」は一般的には届出はできず「家出人」という扱いでの申請となるとのことだが、それも同居していない関係の場合は受理されないそうだ。おのれポリス。いや、仕方がない。これで音信不通を通り越して奴は完全に行方不明と相成った。すでに死んでいるまである。

まあいいやと思って帰宅。なんといういびつな家族だと思いながら帰宅。親父が死んだら俺が喪主をやろうと思う。奴は明日死んでも別におかしくないし、あと10年以上生きながらえてもさほどおかしくはない。ちょっと食い気味に準備をしようとしたが滑った。まあいいやと思うを通り越してどうでもよくなってくる。家族は仲良くしたほうがいい。

棚がガラガラの西友に行って酒2本買ってきて呑んで寝よう。迷子の迷子の平吉浩一くん(41)は今どこで何をしているのだろうか。
_03/27

 

 


宅でおとなしく原稿を書いたり制作をしたりと粛々と過ごす。ウィルスのせいで明らかに案件が減少。心細い。

そういえば、夏に俺の誕生日にプレゼントをくれた奴が先週誕生日だったので、お返しにと思い近くの駅ビルに贈与品物色といく。

奴が喜びそうなものはなんだろう。しかし、服屋や雑貨屋や眼鏡屋など、色々まわるがピンとこない。

小一時間悩む。俺はプレゼント選びなどの類は手前の買い物より悩むたちである。これは良いほうにとったほうがよかろう。

楽器屋でふと、オルゴールを見つける。値段もなんとなしの予算くらいである。一番クールなデザインのオルゴールに目をつける。流れる曲は「ムーン・リバー」だった。

ちょうど昨日深夜、オードリー・ヘプバーンさんの映画をYouTubeで見ていた。ヘプバーンさんが歌う「ムーン・リバー」は最高のテイクだ。

なにかの偶然というか、これにしろという神の啓示と判断し、買う。オルゴールのから出る音の周波数は人を癒す効果があるそうな。どうりでメンタルクリニックのフロントで流れているわけだ。

ゼンマイをキリキコと巻いたらコロコロキラキラと癒しのサウンドが物理的に鳴る。なんて素敵なアイテムなんだろう。

店員のお姉さんに聞いてみた。

「プレゼントでオルゴールなんてもらったら嬉しいものですかね?」

「うれしいですよ。あまり売ってないですし、なかなか自分で買おうという物でもないですし」

確かに。俺用のも欲しい。エイフェックス・ツインの曲が鳴るオルゴールが欲しい。生産してはくれんだろうか。Warp Recordsさま。
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桜の季節に雪というご乱心気味の気候。昨今の世間的な風潮と仕事量の減少で俺の心もやや乱れてもおかしくはない。

まあ、継続的に先々の収入につながる制作に励むなり、新たなことに着手するなりするチャンスでもあると前向きに捉える。しかし不安ではないとは言い切れない。

辞めてしまったが、会社員のままだったら現状はどうだったのだろう。いつも通り出勤して仕事ができるのか、テレワークだかになっての仕事なのか、あるいは仕事なしになるのか。いずれであっても補償なりがあって食いっぱぐれることはなさ気である。

一昨日だったか、散歩中に赤羽シルクロード街に立ち寄り、知り合いがボスをやっているホルモン店で一服しながら雑談した。そのとき17時。客は一人もいなかった。

「飛澤さん、営業にウイルスの影響でてます?」

「見ての通りだ。金曜日のこの時間にこれはありえない」

俺のようなフリーランスや自営業者、個人事業主はたぶん今、営業的に経済的に最も危険な生業だ。

「じゃあ明後日くらいに呑みに来ますよ」

「まってるよ」

こう、一人で呑みに出かけるのもためらう情報がニュースで溢れている。たぶんじっとしているのがベターだろう。しかし、じっとしていても仕事は少なくとも半減はする。そして、会社員のように手厚い補償などいっさいない。国の補償はというと、なにかをチラつかせておあずけさせられている感じの現状。

俺のような感じの生業の者にできることは、明日以降への糧となる種を自宅で作ることだろうか。前向きに、「音楽制作」というタスクがあってまだ良かったと手前に言い聞かせる。できることを柔軟に考えて明日も頑張ろう。今日とて安い酒呑んで寝くさろう。
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起きてまずコンビニへ煙草を買いに行ったのだが、スポーツ新聞に「志村けん死――」的な見出しを横目でチラと見かける。

志村けんの死亡説とかスポーツ紙のおおげさな見出しとかいい加減にしろ馬鹿野郎と思って帰宅して仕事しようとPC開けてニュースみたら「志村けん逝去」のニュースが。

俺は今でもはっきりと記憶している。小学生の頃、『志村けんのだいじょぶだぁ』を観ては爆笑し、番組のエンディング後に「志村けんと田代まさしの2人がいなくなったらどんだけつまらないんだろう」と、子供心に想ったことを。一人は天国へ、一人は塀の向こうへ行ってしまった。

俺はやはり王道の「だっふんだ」とか「でしっ!」とか「何だチミはってか!」とか、そういうキャッチーな志村ギャグが好きだった。頭に浮かべるだけで何度でも思い出し笑いできる。

それくらい志村けんさんのギャグは破壊力抜群かつ即効性があった。「だっふんだ」が大好きだった。「だっふんだ」の言葉の意味は、いまだにわからない。ただただ、面白い。

あと、酒と煙草をこよなく愛する嗜好も好きだった。志村けんさんはみんなが好きなトップ・コメディアンだ。志村けんさんを嫌う人間がいるということを一度も聞いたことがない。

世代的に、ドリフもバカ殿も変なおじさんも全部通ってきたものだから志村けんさんがいなくなるのは悲しい。とても悲しい。だっふんだ。だっふんだ……。
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感覚的に3・11の時の緊急事態を超えてくるフィーリングにおののき過ごす。今日だって案件はない。明日の案件予定も取材対象の方が東京に来れないという理由でオンライン案件となった。

ライター業の取材案件がほぼないとなるとさすがに窮地。俺の収入の半分以上は原稿料だからである。もうお肉券でもお魚券でもパー券でも何でもいいから100枚くらいくれ。くださいませ国家。

補償や手当をあてにせず、手前の力で凌ぎたいところだが今回のはなかなか。とりあえずできることを1日中やる。DAWに張り付く。

途中、気分転換に書店へ行き立ち読む。壇蜜さんの新しい本が平積みしてあったのでパラパラめくる。それは日記形式で構成されている内容だった。壇蜜さんは毎日日記を書く人なのだろうか。だとしたら今まで以上にとても好感が持てるお方だと感ずる。

この状況があと数ヶ月続いた日には、俺のフリーランス転身という人生的ギャンブルに負けることになる。それだけは絶対に嫌である。これまで数多のギャンブルで負けたのは、このギャンブルに勝つためにツキを貯めていたからだ。そう信じている。絶対に勝つために、明日も宅でできることを時間の限りこなしつつ、新たなアプローチを柔軟な思考で凌ぎ方を考えよう。

1日宅で作業なのにめっぽう疲れたから安いストロング酒2本呑んで沈むように眠りにつこう。
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