03/2021

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
初期の尖っているドラえもんが好き。3月


発狂したのかというくらい激しくギターを宅で弾くところから1日を始めてみる。乱心気味その行為には至って真面目な理由がある。

宅で1日仕事やらをして過ごす、という日は、Wordなどを開きつつ着手をするまでにわりと時間がかかりがちなのである。いわゆる「やる気スイッチ」がたまに固い。

俺は昔からセロトニン(気分や感情や精神活動と密接に関わる脳内神経伝達物質。足りなさすぎると鬱で死にかねない)が慢性的に足りないのである。このくらいの歳になるとさすがに自覚できる。

そこで、そのスイッチの一番やわらかいところから始めようと思った。車に例えると、なかなか2速に入らないのがわかっているのだからトップギア・スタートで行ってみようという試験的な理由である。

興行案件予定がある期間、あるいは制作案件が手元にある時、はたまた公開用の楽曲制作をする場合など、なんやかんやあり、俺はほぼ毎日楽器に触れる。そして、その時間は原稿なりをやった後、夜になってからということがほとんどなので、今日は敢えて逆にしてみたということである。

めしを食べて珈琲を淹れ、Macを起動させ、まずはメールチェックなどをする。その後、WordではなくDAWを開き、優秀なギターアンプのプラグインをインサートし、ストラトキャスターにケーブルを挿し、立ってギターを弾きまくる。するとどうだろう。「やる気スイッチ」など秒で入る。

宅の仕事部屋の窓がオフィスばりにでかいので、通行人から俺の姿は丸見えである。体を揺らしながら頻繁にギターを弾く姿を見られては、「あの部屋の人、わりといつもあんなだけど働いていないのかしら」と、思われている可能性はわりとある。

いいやこれは仕事の一環。通行人の人達はオーディエンスだと解釈しつつ、ゴリゴリと弾く。そしてトップギアに入ったまま、ライター業の案件の準備や、昨日のコラム原稿などを完成させる。激流のような勢いでタスクが進む。

そういったわけで、出向予定のない日はまず、ギターを弾き鳴らすところから始めるというスタートアップは最高に効果があった。ずっとトップギアで過ごし続けた結果、深夜である現在はもうクタクタだというくらいである。

仕事の手順として、「まず時間がかかりそうな大きなタスクから始める」というのが良いと書いてある本もあれば、「とりあえずすぐ済みそうなものから着手する」というのが効果的という人もいる。

いずれも良いと思う。しかし手前の場合はまずジャキンとギターを鳴らすと整う。直ちに奮い立つ。これはいいスイッチを見つけた。目も醒めるし体も温まり、脳は活性化する。

そして肌ツヤはテッカテカになり白髪は減り、老廃物はガンガンとデトックスされる。言い過ぎかもしれないが、それくらいの効果はあると思い込んでいいのではないだろうか。鏡の前で髪を掻き上げると白髪がすぐ見つかる昨今、この思い込みが事実となることを祈る。
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圧倒的に気温、湿度がガラッと変わる季節の変わり目。宅で色々とやっさる。やはりギターを弾くところから1日を始めるとすこぶる捗る。

終日宅にいたが、なんやかんやとやることがあってよいなと思う。今年はどうなることかと考えているうちにもう3月。引き続きしつこいコロナウイルスの影響はどこまでか、今年も完走できるのか、とりあえず仕事があるうちはまこと感謝。

なんやかんややっていれば何とかなると思いつつ、今日もせっせと暮らす。
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更科そばを茹でて食い散らかし、晴天もいいところなので赤羽公園で日光浴をする。近所のマダムたちに「あの黒ずくめの人、無職かしら……」と思われるのを回避するために15分くらいで切り上げ、夕方まで宅で作業する。

夜は案件で外苑前へ。若いグループの方々と接し、なかなか覇気が出てくる。夜中はかつての同僚の作品を聴いて過ごす。こう、他の人の作品を聴いて「自分の音楽」というものを創れるということは尊いなと改めて思う。

しみじみと、作品創りや表現をすることにガチな人は美しいと感ずる。そして、それを観賞して感銘を受ける人も美しいと。みんなどこかしら必ず、美しい。
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iPhoneを見事に平行の角度で強かに地面へ落とし、少しヒビ割れる。新宿を歩いている時のことだった。俺はクソ高価いオーディオ・インターフェースが欲しいので、楽器屋リサーチ目的で各店を周っていた最中のことである。

しかし、新宿の楽器店にはレコーディング機材のコーナー自体がほぼなく、「近場の楽器屋」という風に検索して訪れた3店目に関しては店自体が畳まれていた。もはや「やってないんか〜い!」と心で呟きツッコむ覇気は残っていなかった。

もういいやと思い、散歩がてら書店をハシゴしても目当ての本が売っていない。今日はさんざんだと思いながらヒビ割れ画面を眺め、とても嫌なことがあった女子高生の下校途中のような心境でうつむきながら歩く。

原因はハッキリしている。今日は5時間くらい寝たら目が醒め、「今日はこのまま行ってやろう」と思い、睡眠をないがしろにしたからである。「4、5時間寝ればだいたい行ける」という知人がいるが、あれは本当にどうなっているのだろう。

新宿をうろつく前は宅で2つタスクをこなしていたが、やはりいつもより効率はよろしくなかった。そして、ヒップのポッケからiPhoneを滑り落とすという体たらく。全部ちゃんと寝ていないせいであろう。こう、全体的に明らかにキレがない。

幸いだったのは、活動時間がいつもより前倒しなので、20時閉店という近場のスマホ修理店の営業時間に間に合い、すぐにiPhoneを見てもらえたこと。すると、表面に貼ってあった硬い保護フィルムが割れただけで、剥がすとピカピカだった。

落とした直後はわりとヘコんだぶん、やれやれという安堵感に包まれ、帰宅して新しいフィルムをネットで発注する。そういったわけで、今日は早めに寝よう。誰だったか失念したが、YouTubeで「僕は睡眠を基軸に生きている」と言った有名人がいた。

本当にそれくらいでいいんじゃないかと思う。睡眠不足で頑張って、なにか良い思いをしたことがあるかと回顧すると、あるようなないような、あったとしても実はその結果どうだったか、ポジティブな記憶があまりない。ちゃんと寝よう。

昨日だったか知人から「眠れない」という相談気味の発言を受けた。俺は「寝ようとする時は、未来のことを一切考えないといい。寝る時間にその思考は全くもって無駄だからだ。未来のことは起きている時間に考えるものさ」とか偉そうにほざいた気がするが、あれは昔読んだ苫米地英人さんという認知科学者の著書に書いてあったことの丸パクリである。
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案件で六本木一丁目へ。今日あたりもさほど十分に寝たとは言い難いフィーリングのため、南北線車内でがっつり寝る。

先方様方と楽しく過ごして帰宅。夕方からは制作をする。手前の制作ではなく、ギタートラック録音依頼なのでシビアにレコーディングする。

アコースティックギターを生音録音する際、外からストーブ用の石油屋さんの拡張器の音声や80年代の足立区ばりのバイクのエンジン音などが鳴ると殺意が湧く。

とはいえ彼らは全く悪くない。手前の宅は防音ではないので外のでかい喧騒は録音されてしまうのである。防音工事は100万はくだらないという。憧れの設備投資。

夜中、やりおおしたのでファイルを送信して一息つく。烈火の如くケツが痛い。今日はよく稼働したからたまにはワインを、西友で売っている600円くらいのアルコール度数14%というワインを、至高の甘露を注いで寝よう。今日は本当に12時間くらい寝てやろうかというくらいケツが痛い。
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ソファでワインを呑み散らかしてそのまま気絶し朝の7時。これはどうしたものかと思ったが当然二度寝。昼くらいに再度起きる。ケツが痛いのは、治った。

休憩も睡眠もグダグダだったので、日中は明らかに疲労が残っていることを実感しながら過ごす。「今日はほどほどにしておこう」と思ったが、なんやかんやとやっていると夕飯も食わずに深夜まで行き着く。

これはよくない、最近睡眠のリズムが変拍子もいいところだ、今日こそはがっつり9時間ちょい寝よう、たまには酒を抜いてメラトニン(睡眠の安定、生体時計の調整などに密接に関わる神経ホルモン)をドバドバ出して真っ当に寝ようと思う。

とはいえ昨夜の残りのワインが冷蔵庫で横になっている。冷蔵庫を開ける度に、悪女のような艶色を放ち、俺を誘ってくるのである。

時には正攻法で体をいたわるか、刹那的快楽をとるか。圧倒的に前者が賢明な判断なのは明白だが、本気で悩んでいるようで実のところ全然そうでもない手前の思考はいよいよなのかなという懸念。懸念になっていない。
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起きたら10時で場所はソファ。昨日と同じパターンである。そこまでというほどの量ではないのだが、酒を呑みながら気絶というケース。2日連続でこうなってくると、下手をすればそのまま死ぬまであるのではないかと危惧する。

今日は夜にリモート案件がひとつ。その原稿を書き、あとの時間はだいたいギターを弾いたり制作やらをして過ごす。ここ数カ月、あるいは1年くらいはそういったことをメインに暮らしている。

決して飽きたわけではないが、定期的に刺激が欲しくなる。しかし、俺の欲する「刺激」というのはだいたい刹那的かつ非生産的で感心しない類のものである。

だから「生産的な刺激」が欲しいと考え直した。なんとなく出てきたものは「恋愛」であった。俺はどれだけ恋愛をしていないのだろうと思い返すと童貞のような心境になってきた。

恋に恋焦がれるが恋愛には消極的。文字にすると極めてカッコ悪い。小学生の頃いつも決まって「消極的」というフレーズを担任の直筆で書かれた通信簿を思い出す。

人と関わるのは好きなのだが、ある一線を超えた、ドメスティックな関係に近づくと、その関係を遠ざける悪癖がある。これを俺はどうにかしたい。目下の課題のようなものである。しかし、そのことについて考えだすと気絶しそうになる。どうせ死ぬのだから、もっと楽しく深く人と関わった方が幸福なのかもしれない。

しかし、「人間関係は付かず離れず、ほどほどが一番」と、美輪明宏さんは何かで言っていた。確かに、現在まで数十年付き合いが続いている周りの人とは、「付かず離れず、ほどほど」というのをキープしている。

そうなると、恋愛というのは何なのだろう。「付かず離れず、ほどほど」という恋愛はあるのだろうか。イメージ的には、ディープな恋愛というのはもっとグチョグチョしているのである。しかし、そのグチョグチョした恋愛がしたい欲に若干かられているようないないような春寸前。四季で最もあなどれない季節。
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音楽スタジオに一人で入る。メンバーと、というのはわりとあるのだが、「個人練習」というカテゴリーで入るのは何年振りだろうという行為。下手をすれば10年以上ぶりかもしれないと回顧しつつ、近場のリハスタへ。¥640/1時間。昔は¥500/1時間が相場だった。金額がスパンを物語っている。

目的は主にサウンドチェック的なものである。スタジオにお客さんは少なかった。ロビーの灰皿の前で一人休憩しているとなかなか侘しい。

高校生の頃から音楽スタジオというのは何度も利用したが、その場でメンバーと練習するわけだからそれは皆テンションも高まり、ロビーでの雑談にも華が咲くというもの。

しかし一人だと、物凄い妙な間を感じる。手持ちぶたさすぎて店主に「最近(営業的に)いかがですか?」と、世間話を振るレベルである。

「20時から22時くらいがわりと…まあ、緊急事態宣言もあってか、空いてますねぇ」

とのことである。雨が降り出した帰路、夜飯を食おうにも20時を過ぎると一律テイクアウトのみである。この点だけでも非常に不便だが、自ずと自炊する機会が増えるので経済的かもしれない。しかし世間の経済的にはそうではないかもしれない。

この現状に終わりはあるのだろうかと考えながら、辛い袋ラーメンを調理して食う。LINE電話でギタリストの方と軽く打ち合わせをする。すぐ済む。彼はやり手だなと感じる。原稿をやる。1日が閉じる。

「コロナが明けたら――」というフレーズを昨年はよく対面で耳にした。しかし最近は、減ってきている。みんな無意識下に、「もしかして明けないんじゃね?」という思考がはたらいているのであろうか。

しかし「やまない雨はない」というフレーズもある。だが、そもそも現状は「雨」なのか、という疑問すらある。どういった概念と捉えるべきかわからない。解決方法もわからない。人災なのか天災なのかもわからん。

とりあえず早く大勢で酒池肉林の酒盛りがしたくてしたくて五臓六腑がすこぶる疼く。
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宅で粛々と作業して過ごす。淡々とめしを食い、いつものように珈琲を静かに淹れ、興行曲目の練習をする。原稿を半分書く。制作をして、なかなかアレンジがうまい具合にいかんと悶々とする。

一人で何やかんやとやっていると、「今日のところはこれくらいでいい」という感覚が麻痺してくる。最近は「目処」という区切りが難しく感じる。羽目を外しまくるような愉悦にこの頃浸っていないことが起因で、また頭がガチガチに固くなっているのかもしれない。

とりあえず明日はみなさんと一緒に会えるから良かったと思う。みなさんに相談しよう。凝り固まったようにも感じる頭と精神をどうすれば良いかと。

逆にそんなこと相談されたら何と答えるかと考えたら、盛大なドッキリでも仕掛けてそいつで遊ぶだろう。それはそれでなんだか怖さも伴うが愉しいと言えばそうかもしれない。今日のところは頭皮でも揉んでヌルッと寝きてスパッと起きよう。
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なんらかの下手を打った仲間をバットで血まみれになるまで殴打した挙句、体をバラバラに解体してもなお滅多打ちにしている最中の自分を俯瞰して見る、という夢を見た。極限のホラー感と鬱屈とした気分に包まれ起床。

これはいよいよかと半ベソをかきながらキッチンへ向かい、鏡に映る手前の慄きのツラを嘲笑しながら身支度をする。午前の終わりの頃合い、都内某所へ興行のリハーサルに向かう。気候は非常に春めいていた。

とりあえずメンバーの方に、悪夢の内容を事細かく説明して聞いてもらうと、「サイコパスじゃないですか!」と、ただ、一笑されてなんだか気分が軽くなる。

みなさんとせっせとリハをする。「なんだか今日はとても音がクリアに聴こえるね?」と、メンバーの方に言うと「知らん」と一蹴される。良い意味で、みなさんとてもスッキリしていて実に頼もしい。何だかどんどん元気になっていく。

良い感じにリハも済み、近所の牛丼屋でキムチ牛丼を食う。なんだか夢に出てきた躯のビジュアルに酷似しているなと感じつつも美味しくたいらげる。キムチ牛丼と味噌汁の組み合わせたるや無双。

夜は原稿や制作をしてルンルンと過ごす。最近どうもメンタルがグラグラしていたのは人と会わなさ過ぎが原因と判断できた。孤独はたいへん体に良くないと聞く。そいつを体現していたのであろう。

誰かと関わっていればそれだけでほっこり幸福。その裏返しの深層心理が仲間を撲殺という変わり種のかたちで夢となったのであろうか。あまりに鮮明かつ克明に記憶に残る夢というのは興味深くもあるので少々調べた。

何でも、夢を分析する方などの解釈だと、「もう一人の自分」そして「誰かを殺す」夢は、ステップアップや、行動意欲・気概の表れという。そしてその反面、自身のコントロールができておらず、どこかしらのバランスが崩れていることを表すとのこと。

最近の手前のメンタルカラーにピタリと当たっている気がする。あなどれない。わりとダイレクトに精神状態を仄めかす克明すぎる夢。
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10年前の今日は日本中が戦慄した日。当日の手前はというと、本震発生時刻14時46分、駐車場に向かう経路である神社の真ん中にいた。

周りには倒れてくるようなものはなく、地震発生時において「かなり安全な場所」と捉えられる場所だった。

近場の倉庫のシャッターがやけにガシャガシャとうるさいので「強風か」と思ったが、マンホールから水が逆流して吹き出ているのを見て「これはでかい地震だ」と認識したのを覚えている。近隣の韓流食品を扱う倉庫から従業員が大勢避難してきて、ことの大事さに気がついた。

なお、当時はその韓流店舗で飼われていた韓流猫がどういうわけか父親の家になびき、飼い猫となっていた。近所の小学生に大人気だったその韓流猫の名はテイちゃんという。5年くらい前に死んだ。

そんなこともセットで思い出しつつ当時の行動を振り返ると、そのまま車で仕事に行った。電話などの連絡ツールはほぼ不能となっており、唯一、普通に通信可能だったのは「mixi」というSNSのダイレクトメッセージやらだった。

友人と安否や危険度の確認などをしつつ、その日は飯田橋まで行き、夜は凄まじい渋滞で足立区に帰るまで5時間はかかった。

帰宅し、近くに住んでいた父親の様子を見に行くと、いつもどおりの表情で「どうした?」とかほざいていた。100年に1度あるかないかの有事にこいつはさすがサイコパスだと思ったのをよく覚えている。

あれから10年。10年という月日は、あらゆる方面に凄まじい変化を及ぼすと、改めて思う。

人々のモバイルと生活様式は一変し、SNSは当然のツールとなり、誰もが動画などを発信することが定着し、今度は世界的な有事にみまわれている。

個人的には、身近なかわいい猫は全滅し、父親は廃人寸前となり、恋人には振られ、住む場所も変え、仕事のスタイルを2度も変えて、現在に至る。こう記すと暗いことばかりのような感じもあるが、実際は良いこともたくさんあった。

ちょうど10年前を振り返ると、とにかく時代の変化を感じずにはいられない。手前の心境の変化たるやどうなのだろうとも思った。

10年前の手前が何を考えていたのか、それを具体的に知る方法が一つだけあった。それは、「mixi」に3日おきくらいに投稿していた日記を読むこと。

2010年前後は、各ユーザーが文章を投稿する「日記」を、今で言うところのフォロワー同士で共有し、コメントなどを寄せつつじゃれ合うスタイルがわりとスタンダードだったのである。

とはいえ、当時色々とこじらせていた内容であろう文章を直視するのはなかなかグロテスク。パスワードすら忘れたことだし、懐かしみログインはやめておこう。
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最近どうも起きるのがつらいなと思いつつ起床。しかしよくよく考えると「起きるのはつらくない」という人は殆どいないのではないかと、俺はむしろマジョリティなのだと、じゃあ安心だと、そう手前を奮い立たせつつ都内某所へ興行リハーサルに赴く。

みなさまとてもいい感じだな、ちゃんと仕上げてくるのはさすがだなと、そうしみじみ感じつつでかいサウンドに包まれると起床時の鬱気など無かったことになる。

休憩時、足立くんと一服しながら「寄付についての互いの考え方」という真面目なテーマで雑談しつつ、同じ銘柄のカフェオレ缶をすする(おごってもらう)。

リハも済み、手前の宅にある荷物に用があった足立くんらと赤羽でめしを食う(おごってもらう)。徒歩2分圏内という近場だが、赤羽に住みだしてから1度たりとも利用したことがないラーメン屋である。

この店は昼時いつも行列ができているのである。しかし、「よっぽどおいしいに違いない。食べよう」という気にはならない。天邪鬼、ひねくれ者、B型気質、数多の表現があるが、手前はそのように、流行り物や有名店などがもてはやされると逆に興ざめするきらいがある。

しかし、連れがいる場合はちょっと違ってくる。「赤羽の美味いめし屋はどこだい?」と言われ、俺は「そこのラーメン屋は間違いないぜ。だっていつも並んでるもん」と、エスコートする。

雑さと矛盾が交差する、行ったこともない店と友人達に対しての様々な無礼ともとれる発言であろう。しかし、実際に入って食べると、みんなで美味がる。

そういったフィーリングの、色々なほっこりを味わった1日。本当にごちそうさまでした。「よく並ぶわ」などと、いつも通る度に思っていて誠にすみませんでした。
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雷含みの雨天。宅で制作などをして粛々と過ごす。ストリングスアレンジというなかなかテクニカルな思考も必要な作業で躍起になり、せっせと鍵盤を叩いて録音し続けていたら夕飯を飛ばす。

昨晩、たいそう美味いラーメン屋で麺と排骨をがっつり頂くという僥倖もあったことだし、今日あたりは1食でいいやと手打ちとする。こうしてまた痩せていくのだろうか。

明日は早めに出かけて楽しく過ごす日なので食い気味にベッドに行こう。昨日、友人2人に俺の寝室をしげしげと見られたのだが、あの小っ恥ずかしさはなんと表現したらいいだろうか。素っ裸の自分を見られた心境に近しい。

宅の仕事部屋は、かなり綺麗にしているという自負がある。しかし、寝室はというと警察組織による強制捜査の直後くらいの散らかりよう。

服は畳まず吊るさずの状態で重ねられ、あらゆる機材が転がっており、棚には使わない物などが乱雑。その上のスペースには父親の借金の督促状の封筒が数十枚縦にズラリと積まれている。

友人たちだったら別に見られてもいいし、やましいこともないのだが、どうも「寝室に入られる」というのは心理的抵抗がある。理由は、わからない。

この際、ベッドルームをアジアンテイストの小洒落た感じに新装しようかという発想はある。そう閃いた瞬間、「まあ、やらねえだろうな」という思考が頭をよぎる。

正直、恋人でもできない限り俺の寝室はしっちゃかめっちゃかのままであろう。だがしかし、荒廃した感じのレイアウトというか散らかりようの部屋の方がぐっすり寝られるのはどんな性癖所以であろうか。
_03/13

 

 

 


「パラダイスロスト公演」という愉しい楽しい音楽イベントの約3年ぶりとなる実施日。

コロナ禍による緊急事態宣言の関係も相成り、集合時間などはわりと巻き気味で、ぐるぐると、楽しい時間が巡る。皆様と、健やかに演奏をする。

日の後半はというと、興行メンバーの3人が宅に赴き打ち上げと相成る。前回の興行等に参加させて頂いた時の流れでそうなりつつあるのか、手前の仕事部屋はRPGゲームで言うところのセーブポイント的な扱いとなっておる様子。メンバー3人と共に、わちゃわちゃ過ごす。この時間たるや、愛おしい。

みんなが宅でくつろぎ、テイクアウトでもっさり仕入れためしを美味がって食べたり、ニコニコとした表情で酒をすすったり、俺のPCを勝手に操られたり、無邪気に手前の部屋の楽器や本棚をいじられたりと、そのようにして過ごす。そういったシチュエーションを客観的に見つめていると、なぜかどうも率直に嬉しい。彼らをギュッと抱きしめたくなる。

足立くんを筆頭とした彼らが俺の部屋で、互いに無防備に肚を見せ合い何やかんやと過ごすというある種の快感。そして、手前のパーソナルスペースを愛でられているような安心感。要は楽しく過ごす。

憩いの時間は、あっという間に幸せに過ぎていく。今日は、様々な人たちのおかげで、とてもパラダイス的な日。
_03/14

 

 

 


パラダイス過ぎた昨夜、堀さんに頂いたシャンパンと年季の入った「いいちこ」を景気良くガバガバと呑み過ぎたことにより圧倒的二日酔い。

今日は夜に用事があるというのにこれはまずいと思い、二日酔いの特効薬と俺は捉えている蕎麦湯を飲みに某富士そばへ行き「もり」を食う。二日酔い時の蕎麦湯たるや、部活で真夏に死ぬほどしごかれた後の水道水くらい美味い。

夜に予定していた件を終え、あとはヌルッと過ごす。明日は休日という設定。前夜祭のようなものだと思い、静かに過ごす。

とはいえ、やはり巻き気味にできることをやってアドバンテージをとっておきたい感覚が常にある。昨日の興行により、だいぶ精神エネルギーが補充された実感がある。

リアルタイムの興行時の興奮はもちろんのこと、打ち上げでメンバーの方々と観たライブ配信の映像とサウンドのクオリティが良過ぎて皆驚き歓喜。満たされる精神エネルギー。

そして、そういった嬉しみはモチベーションに直結する。だから、明日は仕事などをせっせとして過ごそうかと、生きていられるうちに、なるべくライブ感のある生き方をして過ごそうかと、そのように元気な気分になってきたのは、実際のところは酒がやっと抜けてきたからなのかもしれない。どっちもあると考えられる。
_03/15

 

 


半日ダラダラと過ごし、半日フガフガと制作をするといった1日。何か変わったことがあったかというと、無い。

昨日の考えに則り、完全に休日とはせずの半休につき、心身共に疲労の半分くらいが回復するといった実感。

元気になったとはいえ、今月の後半の予定がスカスカ気味なのだが大丈夫だろうかと危惧する。

そういった時は、後々右肩上がりに収益化されるコンテンツを作り続けるに限る。ストック収益、すなわち一旦制作なり作業なりしたものが、あとはさほど何もせずとも収入となるもの。「印税」に似たシステムである。この源泉が月に10万円という目標ラインを設定している。

今の所、目標額にはまだ遠いが、着実に伸びてはいる。数字を客観視することでそう判断できる。それをモチベーションに明日も明後日も。

一概に、いつの日かコロナ禍が収束したからといって、ライター業務の案件が2019年ばりにがっつりコンスタンスに頂ける状態に戻る、あるいは更に増えるとは限らない。

「最悪の状況を想定しつつ、最良の行動を」だったか、ゴルゴ13あたりで見た言葉だった気がするが、そのように過ごす時期なのだとしみじみ思う。案件がない時はひたすら種蒔きというシーズン。蒔いた分だけ華やかに、思い切り咲いて欲しいものである。
_03/16

 

 

 


2日ほどまったり過ごしていたので今日あたりは終日だいたい稼働。変わったことがあるかと言えば、「辛ラーメン」に鶏肉とインゲンとニンニクと謎キノコという、いつもと違うレシピで作って食ったら最高の美味だったということ。

原稿をやったり制作をしたりと、ケツと腰がくっつくほど机に張り付く。気づけばすでに26時。

手前の宵っ張りはどうにかならんかとあらゆる対策をこれまで立ててきた。しかしどれも有効ではなかった。これはもう、俺は「宵っ張り」という生き物なのだということで着地しておけばいいのだろうかと思う。そこに善し悪しの判断を持ち込むべきなのかは知らん。

会社員時代、朝からデスクで仕事をしている時は高確率で夕方前くらいまで不調だった。そういった長年の実体験があったのだから、俺は毎日のように午前早くから活動するのは向いていないと判定していいのではないだろうか。

たまになら問題はない。しかし、週に5日連荘とかになると明らかに体調が悪くなる。原因は、翌日は早起きさんだというのに遅くまで酒を呑んで過ごしているからであろうか。

現に、酒は呑んでも0時過ぎくらいまでに寝れば翌朝はなかなか快調。しかし、これが毎日できなかった。シンプルに、俺は社会不適合者なのだろうか。

「あなたは不適合です」とか真顔で言われた日には、このあいだ堀さんに教えてもらった殺人術みたいな技で制するわけだが、それは相手の指摘を肯定しているようなものである。

いろんな「社会」があり、自分が「適合」できると判断した社会での過ごし方をすればよいのであろうという結論。

今日だったかの知人のメルマガに、「企業した者、独立した者が一定年以内にアカン状態になる確率」が記してあった。その数字たるや、なかなか冷酷な事実を示していた。

俺は来月初日でフリーランス2周年である。もっている方だろうか。俺が選んだ「社会」に、どこまで適合し続けられるのであろうか。

フリーランスという生き方を選んだのは「もう毎日朝起きたくない」という理由ではないと完全に言い切ると少々の嘘が混じる。「宵っ張りという生き物は一定数いるのだ」という、甘えと言い訳が底にありそうな言い訳じみたクソのような仮説。いると思うのだが。
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5時間少々の睡眠。多少眠いが過活動気味に過ごす。春の陽気のせいか快活に仕事をする。

これだけ起きていれば宵も張らんだろうと思ったがやはり26時。クタクタになる。

夕飯後に古屋兎丸さん著の、「オートアサシノフィリア」という「異性に殺されたい願望を持つ特殊性癖」がテーマの漫画を読み返していて何か壮大な気づきを得た気がしたが忘れた。今日のハイライト的な瞬間はそこだった気がするのだが綺麗に忘れた。

やはり十分な睡眠はもしかしたら一番大切なことなのではないかと改めて感じた1日。
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昨日得るも忘れた気づきを今日、鮮明に思い出した。「特殊な性癖・人格・依存症の原因と捉え方について」だった。

誰しも、ひとつやふたつ、非一般的な好みや、常軌を逸した異常な欲求があると捉えている。

「そんなものはない」と言い切れるピッカピカの真人間。そんな人間が存在するのだろうか。

世間一般的に明らかに異常と捉えられる欲求には、初期衝動的な「発動のタイミング」がある気がする。その原因は「自身のキャパシティーを超えた体験」などであることが多いと思う。もちろん、ネガティブな方の体験である。

例えば、幼少期に虐待を受けていた子がいたとしよう。

その子はその体験が原因で愛情を捉え損ない、人間の感情の授受の「正常さ」を認識できず、ひどく偏った人格形成がなされ、生涯に渡り歪んだ人格のまま過ごすこともあると思われる。

現に、手前の父親は、彼の自己申告ではあるが、「2歳の頃から継母に虐待を受けていた」と聞いている。そして、人格は見事なまでに破綻している。一言で表すと「反社会性パーソナリティ障害」だ。

それがどのようなものかというと、「自分のあらゆる行動の正当化」「個人的利益や快楽のためには躊躇がない」「欺瞞」「搾取的」「常軌を逸した無謀な行為を繰り返す」「良心の呵責を感じない」「支配的」といった点が挙げられる。要はサイコパス的人格であろうか。

抵抗できない状態の人生の時期に、キャパを超えるネガティブなことが続く。父親のように、それが起因となってヤクザ人格になってしまう人間もいる。

それは年齢を重ねることにより、己でコントロールできるようになる人間もいれば、俺のアホな父親のように生涯を通してそのままという人間もいる。さらに、詳細は書きたくないが、父親の性癖たるや偏っていた。

そして、そのアホの子である俺に、遺伝的要因があるかどうかと手前に問うと、「ない」とは言い切れない。というか「ある」よりの「ないであってほしい」というフィーリングである。

反社会性パーソナリティ障害的な癇癪持ちの親、今風に言うと「毒親」だろうか、そういった人間が自分にとっての「基本的に言うことを聞くべき相手」である場合は、往々にしてその子は幼い頃から思春期にかけて、ドメスティックなキャパオーバー体験をすることが多い。

そうなってくると、その子は、親と同様に、偏った人格形成がなされることに加え、偏った性癖になったり、何らかの依存症になりやすくなるという傾向が高めであると俺は捉えている。

現に俺は、ギャンブル依存症の底の方までドップリ浸かった体験がある。今はいっさい落ち着いているが。

俺にとって執拗にギャンブルをするという行為は、悪癖、異常性癖そのものと認識していた。それでも自身の力ではまずヤメられないのが各種依存症の震撼ポイント。

20代の頃、「手前がおかしい」という認識が深くあった。そして、父親を筆頭として家族全員の人格がどうもおかしいということにも気がついた。

そこで、「人の心理や情念にまつわる点」について知識欲旺盛だということも伴い、各種の精神疾患に関わる書籍を片っ端から読み漁った。だいたいブックオフで買った。

うつ病や統合失調症、躁鬱病やパーソナリティ障害や不安症、発達障害や自閉症という“精神医学界では病とされていること”について事細かく認識したのはその頃だった。そして読めば読むほど、俺の頭を覆っていたドス黒い霧はだんだんと、ゆっくりと晴れていった。「そういうことか」と。

人格や性癖が特殊なのは、生まれつき、脳機能に特性があり、それが原因である場合もある。そして、環境や体験が原因というケースもあるそうだ。

父親は、たぶんだが、根はめちゃくちゃいい奴でエモくて人懐っこい人格だと俺は判断している。しかし、「家庭環境起因」で見事に壊れた。そう捉えている。それが違うとすれば、ガチのサイコ野郎である。サイコパスというのは「先天性である」というのが前提と聞く。

そして俺はというと、「個人的利益や快楽のためには躊躇がない」「常軌を逸した無謀な行為を繰り返す」という性格的な点がややあり、それが先天性か後天性かわからないが、とりあえずギャンブルに走った。

原因は、「刹那的で刺激的な快感が好き」という生来の性格と、キャパオーバー体験の両方だろうか。

しかし今となっては、知識をつけることと、自分と家族と他者などの内面を深く理解することが決め手となり、わりとほっこり暮らせている。そうでない時期は常に眼が無駄にギンギンとしていた気がする。

何が言いたいかというと、「自分はなんてダメなんだ。こんなこと普通はありえない。しかし、やってしまう」ということがあったとしても、どうしても治らないといいうことがあったとしても、それは決して“自分自身だけのせいではない”ということである。

「私はなんてダメな奴なんだ」と自責して自分を傷つけるくらいなら、よくよく考えて「あいつのせいもあるんじゃねえのか?」と、理解した上で改めて考えると、意外とそうだということは、わりとあるのではないかということ。

恥や自責の念や自尊心のダメージは、時に人間を内向的に狂わせる。父親のように外向的に暴走することもある。

そういう時は、「そいつが本当にそういう奴なのか」「バックボーンに何があったのか」というのを深くさがすと、案外原因がハッキリとあったりするのことが少なくないと思われる。

自身や他者のオルタナティブな欲求や人格は、「本当に自分起因の生粋のもの」なのか、「家庭環境や社会に犯されて生まれた化け物」なのか、そこを見極めるのも一興というお話。

そして、その「2つ(あるいはそれ以上)の自分」が統合したという、たいへんユニークというかコアというか、そういった人格の人間もいる。

ちなみにかつての俺のギャンブル癖はただの自業自得な気がする。当時、各種のサラ金業者と戦っていた頃が懐かしい。というかカモられていただけだが。とにかく酷い金利だった。年利29.2%の破壊力。
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なぜかやたらと時間がかかった楽曲がやっと完成する。出来はというと、「とてもいいよね」と手前でも思える仕上がりである。

しかし俺は体験上知っている。全てがそうとは限らないが、時間がかかって出来た凝っているコンテンツよりも、 サクッとしたライトな感じの方が求められがちということを。

現に、全行程10時間いったかいかないかという楽曲の方が、多くユーザーに受け入れて頂けていることを数字が物語っている。他の作り手さんのコンテンツがどうかは知らんが、俺の場合はそういったケースがまあまあある。

半日くらいで作った15秒の尺のライトテイストのジングル曲、そして渾身の精神力を注ぎ数10時間かけて作った5分前後のディープで壮大な楽曲。どっちが受け入れられ易いかといったら前者なのである。比較的、そういう傾向があるということを体験上知っている。手前がまだ本当に良いものが作れていない言い訳とも捉えられるあたりが痛々しいが。

こういった例もある。付き合い始めの愛しい彼女が自宅で料理を作ってくれるという、ほっこりなひと時があったとしよう。

「何がいい!? ケンジねえぇ! 何が食べたいかな!」

と、彼女は張り切る。

「うぅん? 何でもええよ。ピスッ(屁)」

「わかった! じゃあすっごいの作るから待っててね!」

「おん、おん……カシュッ(発泡酒)」

そして配膳されたのは、たいへん手の込んだ、愛情たっぷりの品々。見た目もゴージャスな、オリジナル感溢れんばかりの創作料理の数々。

「どう!? どうよ! ねえぇ早く食べよう!」

「すげえな。どこの国の料理だいこれは?」

「色々あるよ! ハイブリッドでしょ! ねえぇ!」

「おん、なんかハイな感じは伝わってくるわ」

「おいしい!?」

「うまいよ。カチャカチャ。おん、美味しいぜぇ……(肉じゃがと味噌汁とかシンプルなのが食いたかったな)」

「このお肉美味しくない? ねえ!?」

「おん、柔らかいね。何肉?」

「これはミルクしか飲まない時期にさばいた子牛のお肉なの!」

「へぇぇ。すっげ。(ブタの生姜焼き食いてえな)」

というくだり、わりとあるあるだと俺は思うのである。このカップル男女ともに、当然非はない。しかし、思い切り垣間見れる情念的なすれ違い。

可愛い彼女は、彼氏に対し、とにかく美味しい料理を食べてほしくて全力で頑張った。そして素敵な料理を仕上げた。

もっさりした彼氏は、家では馴染みのあるめしをまったり食いたかった。

需要と供給の温度差所以と言えるだろうか。マーケティングで言うと、原チャリが欲しい顧客見込みにベンツを提示した感じだろうか。

何が言いたいかと言うと、作り手がフルパワーで質の高いものを作って提示しても、受け手はあらゆるケースに分岐するということである。

先ほどのカップルの彼氏の方が、そんなことを食後に超オブラートに包んで彼女に伝えたとしよう。

「じゃあいいわよ! 手前は常にクソみてえなミートボールでも食ってればいいだろうが!」

「いや違うんよ、そうじゃなくて」

「何が違うのよ! 今言ったことはそういうことでしょ? 『何でもいい』って言ったよね!? こんなに頑張って作ったのに……!」

「ごめんごめん!」

「謝らないでよ! 謝らないで!」

「メンゴメンゴ。こう、ケース・バイ・ケースというか」

「うるせえ! 手前からケースに入れてキッチリ仕上げてやろうか!?」

「どゆこと?! 本当にごめんなさい。美味しいですよ、子牛超おいしいですから!」

「食うな! 手前はもう食うな! メシ喰うな!(CDの棚を引っ掻き回す)」

「お、町田町蔵のバンドのアルバムとかけたね? パンクだなあ」

「死ね!」

「ちょ! そのナイフとフォークの使い方はよくないと思うよ!」

「死ね!」

音楽でも動画でも記事でも料理でも、どんな分野のコンテンツであっても、作り手が満身創痍で作り上げたものは、こう、報われてほしいと常々思う。次はサクッとした曲を作ろう。あと、この場合の彼氏の対応は最低なクソ野郎と言えよう。
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23時過ぎあたり、メールが受信できていないことから気づいたが、「anonyment.com」という手前の独自ドメインに関わる全てのサービスが止まる。

平たく言うと、このドメインのメールが使えず、いつくかこさえてあるウェブサイトは閲覧できず、サイトの管理画面にも入れない。

数年前にも何回かあった事例なので、おそらく時間帯的にもサーバーのメンテナンスかと思われる。あるいはサイトにユーザーが殺到して落ちた。これは嬉しい悲鳴となるが、可能性は薄そうである。はたまた、サーバー代の滞納で強制ストップ。これは引き落とし決済だから考え難い。

もしかしたら、この間の某メガバンクのようなシステム障害に見舞われた。それはサーバーのサイトの「障害情報」を確認し、本日の情報としてはなかった。

色々考えたところで原因はわからないしサーバー屋さんへの電話もサービス時間外である。朝には復旧しているだろうが、できれば前もって言ってほしいなというリクエストはある。

そういったわけで日記の更新ができない。そう判明すると、なんとも気持ちがよろしくなかった。こんなにも毎日の習慣に対し急に強制ストップがかかるとモヤモヤするとは。外着のままシャワーも浴びずにハミガキもせずにベッドへ向かうような心境である。

今日はリモート案件がひとつに、また別の原稿をやって提出、というのがメインの1日であった。

そういったわけで、ウェブサイト管理画面に入れないので、27時現在、PCのメモ帳に下書きしたこいつを明日貼り付けようと思う。コピペ日記。新たなスタイルかもしれん。
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昼前あたりにPCを開けてサイトに入るとしれっと何事もなかったかのように稼働している。サーバーにもたまには休みが必要なのだろう。

経理的なことをして過ごす1日の始まり、あれれと思う対応が必要なことに気づき、役所やらに問い合わせ解決方法を賜る。

そんな感じで4時間は経ち、疲弊してソファに潜り込む。バーバリーのタオルケットをフワッと被ってクタッと仮死。何歳になってもどうも数字が得意になれず。この時間の覇気を数値化するとしたら2とか3。なお、本意気の時は50,000はくだらない。

思考停止させている場合ではないと思い、制作をする。この間やたら時間をかけて仕上げまくった楽曲の公開後の初動は、思いのほか受け入れられた様子で安堵。やはり、全力投球でキッチリ仕上げたものが届くのは嬉しみの極み。

今度はカラッとしたジャック・ジョンソン的なサーフな曲でもという着想でアコースティック・ギターを抱える。えんぴつと五線紙とギター。古典的な作曲方法で2時間ほど作業してベースとなる楽譜を書く。

エイフェックス・ツインのようなバキバキデジタルにエディットしまくりながらの制作方法(実際の創り方は本当に不明だが)も大好きだが、オーガニックで生演奏主体の楽曲も魅力的。野菜炒めで言ったら有機農法で作られた素材と胡麻油と塩のみで仕上がったようなやつが作りたい。

最近は着想がちゃんとそのまま理想の最終形になることが多く、俺は成長したのだ、30歳のうだつの上がらないコンペ作家時代よりも成長したのだと、そう手前を甘やかす。

それにしても今日あたりから月末まで案件スカスカではないかと肩を丸めていたら編集部より入電。「これとかこれ、お願いしていいかな?」「ええ、もう喜んで」と、いくつか案件を頂き覇気が湧く。

結局、人間というやつは人に喜ばれたり人に求められたりすることに幸せや安堵を感じるのだろうか。

覇気数75くらいまで戻ったので楽器の練習もしてから1日を閉じる。やる気と己と他者への信頼さえあれば数値化できない愉しみがいくらでもある。そうリマインドしつつ漸う桜の気配を感じる3月下旬。
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地味なトラブルで捗らん1日。経理的なことを確認していたら、数時間かかった挙句問題はないことが判明。

じゃあ原稿やろうと思い、メモしておいたものを一旦閉じようとするも、「テキストエディタ」というmacの中で一番軽いのではないかというアプリケーションが何故か閉じない。

どういうわけか再起動もシステム終了もできない状況だったので、仕方なく強制終了。再度立ち上げると今度は外付けSSDをmacが認識してくれない。

解決方法をネットで調べたり何度かマシンを立ち上げなおしたりして小1時間。直らず。周辺機器全ての電源を落として再度起動させると何事もなかったかのように稼働する。相当時間をもってかれる。

これは間に合わんと思い、昨夜に「明日(3月23日)には提出しますよ!」とか余裕の発言をしていた原稿が今日中は無理と判断し、編集部へ連絡。こういう時は早めにごめんなさいが適切であろう。

「そういったわけで明日とかでもいいですか……」

「いいよ? まだ締め切りじゃないし。月内、なんならちょっと過ぎてもいいやつだから」

なんとなく今日中にやりたいがために手前一人でテンパっていただけである。なんやかんやで原稿は8割方書けたので胸を撫で下ろす。

そして明日の案件用の資料をプリントアウトすると、宅のプリンターのキヤノンちゃんは聞いたこともない声を上げる。筐体を除くと、キヤノンちゃんはA4紙を10枚くらい一気に飲み込むという自殺行為に走っていた。

飲み込んだまま吐き出さない紙をゆっくりと取り出して措置をするも、その後はこれまでのような働きをいっさい見せてはくれなかった。要は壊れた。

修理の予約をしようとメーカーさんのサイトに飛ぶ。しかし、3年くらい前に買ったキヤノンちゃんは修理対応対象外とのことだった。見捨てられたのか。かわいそうに。見切りが早過ぎな気もするが。

3年も頑張ってくれたから大往生だと強引に手前を納得させ、お別れの言葉をかける。同型の最新プリンターをすぐにネットで発注する。そういったわけで地味なトラブルが連荘し、時間的に楽器の練習は少ししかできなかった。制作の時間は全部もってかれた。

こんな日もあるさと、そのぶん明日からいいことがあるさと、そうでなければ自然の摂理とはと、色々な思考が馳せめぐる。

冷静に考えた。経理的なのは問題ない。SSDはちゃんと繋がった。macも異常なし。具体的なダメージを挙げるとしたら「プリンターが壊れた」という点だけである。

作業時間を5、6時間もってかれたのは痛いが、別にどれも「今日中必須」というわけではない。だから、さほどダメージはない。

しかし、心情的には大暴れしたいところである。しかし俺もいい大人、仕方がないことは仕方がないと賢者ぶる。地味なやつでいいから明日からいいことありますように。
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ドラえもんが吐血してのたうち回るというトラウマレベルの悪夢を見る。もう嫌だと這いつくばってキッチンへ行きラジオをつけると即座にスティーヴィー・ワンダーの名曲が流れる。やや嬉しい。

地味なトラブルが続いた昨今、「今日はいける」と思いiPhoneを触るとイレブン・イレブンを目視。要は「11時11分」なのだが、奇数が揃えばCR機で言うところの確変突入。やはり今日はいけると思い、案件で品川へ。

無事に済ませて宅で昨日やりそこねた原稿もてきぱきと書く。やはり今日は実にスムーズである。

夜、編集部の村上氏と仕事の電話をしているとすぐに話は脱線し、漫画の話になる。

「平吉が選ぶナンバー1の漫画は? 無人島に持って行くとしたら的な」

「いい質問ですね。しかし……選べ切れません。5作とかならすぐ挙げられるのですが」

「じゃあ5こ言ってみ」

「そうですね! 『オールド・ボーイ』は外せません。あと『ヒミズ』もいいです。そしてベタですが『ブラック・ジャック』、そして何と言っても『代紋TAKE2』。そして『賭博黙示録カイジ』でしょうかね」

「カイジか。なるほどね」

「あと、『燃える!お兄さん』や『ジャングルの王者ターちゃん』などの80年代少年漫画は今読んでも絶対吹き出します」

「あったな」

「あと、『ホワッツマイケル』も必須です。今でこそ、猫はおもしろコンテンツ素材として定着しましたが、猫の奇行の魅力を最初にコンテンツ化したパイオニア的名作なのです」

「猫漫画ねえ。そういや平吉は漫画好きだけど絵は上手いの?」

「絵心はある方、くらいです」

「じゃあちょっと『カイジ』を書いて写メ送ってみてよ」

「ガリガリ……カシャ。どうです? なかなかのカイジかと」

「うん、思ったよりカイジ感あるけど、このアゴのラインは『最強伝説黒沢』の黒沢が混じってるな。惜しい。じゃあドラえもんも書いてよ」

「そんなん余裕ですよ。あ、気持ち悪いこと言っていいですか? 昨晩ドラえもんの夢を見ました。そういうことですね!」

「気持ち悪」

「ガリガリ……カシャ。どうです? タケコプター付きです」

「うん。わかるけどこれは初期のドラえもんだね。目が怖い」

「暴言を吐きまくる初期の尖っているドラえもんが好きなのです」

アラフォー同士の会話とは思えない内容ではあるが、きっと互いに仕事で疲れていたのであろう。ほっこりするやりとりというのは人をリラックスさせる。

そういったわけで今日は地味なトラブルはなく、地味に良いことがいくつもあった。昨日願った通りである。

人間、本気で願えば本当にそうなる神通力のような能力が備わっていることを俺は信じて疑っていない。もうちょい具体的にマシな願いはなかったものなのだろうか。村上さんいつもありがとうございます。
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“ハレとケ”で言うところの“ケ”の1日。日常。宅で質素な日本食を作って食い、Wordにひたすら文字を打つ。

4時間は机にかじりつき、サンドイッチを食って植物を愛でて、ネットを適当にペロペロ閲覧してまたWordを開いて仕上げて出す。そしてギターを振り回しているうちに1日が過ぎていった。

「サビはどこだったの?」というくらいの平坦さ。しかし、こういう日常の積み重ねがあってこそのなんやかんや。

今日あたり一般企業では給料日というハレの日だろうか。緊急事態宣言が引っ込んだ昨今、飲食店営業時間は基本的に21時までとはいえ、みなさん夜の街ではりきっていらっしゃるのだろうか。

要は、今日あたりはホルモン屋あたりでベロベロに酔っ払った謎の外国人や仕上がりまくった女性客、共に見知らぬ人たちと一夜限りのわけのわからない会話に耽りつつ盃を酌み交わしたい。そういった具体的な欲求が湧き上がるが、静かに呑んで寝よう。

1995年のテクノの盤『I Care Because You Do』収録の1曲目「Acrid Avid Jam Shred」の雰囲気がとても合うフィーリングの1日。
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西の方角から黒く巨大なモアイ像が数体ほど攻めてきて「これはさすがに終わったな」という絶望感に襲われる夢を見る。ベッド脇の植物をつかんで目が醒め、我にかえる。「あぶないところだった」と安堵し、いつものように植物をキッチンに移動させてから身支度をする。

1日の始まり、ふと思いついたのでアコギを片手にササとアイディアを五線紙にメモり、そのままDAWを開いて制作にかかり1日中過ごす。本当はほっこりお休みしたかった日なのだが。

アコースティックギター2本、ベース、パーカッション2個、ハンドクラップ8トラック、エレクトリックギター1本と、さまざまなパートを録音してクタクタになる。

ユーザーが使いやすい30秒くらいの爽やかで明るいポップな曲、しかし各生演奏パートはプレイ感満載というコンセプト。シビアに何トラックも録音するとヘロヘロになる。

ゼロから7時間くらいやっていただけあり、あとは本Mixとマスタリングというところまで進んで満足する。腹がへった。今日は小さめのパン2個と葉っぱしか食っていない。またこうして痩せ細っていくのだろう。

「なんで太らないんですか?」と、俺は何度も何度もあらゆる人に面と向かって言われる。明瞭な答えとしては「まあまあの頻度でめしを飛ばすから」である。

なんでも、人間は空腹になると謎のホルモンや脳内伝達物質がジワリと分泌され、集中力が高まるとか何かで聞いた。肌感的には間違いなく合っていると思う。俺はこの生態的仕組みをうまく利用しているのである。決して、めしの調達やらが面倒というわけではない。

という風にしておけばなんかストイックでカッコいい気がしてきたが、実のところは本当に「ナチュラルにめしの時間を飛ばした」という表現がピタリとくる。

とはいえ深夜の現在、腹がゴウゴウ鳴ってきたのでどうしようかと思う。どうせ酒を買ってきて呑んでから寝るのだから肴を多めに摂ればいいかなと思う。しかし、酒の肴というのは往々にして塩分が多い。肴の食い過ぎはよくない。

こういう時はハンペンに限る。一口サイズに切ってニンニク醤油&韓流ゴマ油をちょっと付けて韓国海苔で巻いて食うと確かな美味。

ただ、ハンペンというのは何故かたまに大ハズレがあり、とても生では食えんという品を摑まされる時がある。あれはどうにかしてほしい。今日はSEIYUで運否天賦のハンペン選びで締めくくる。
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昨夜、ハンペンを買いに行く途中に道脇の縁石に手提げ袋が落ちていた。

暗かったので詳細はわからなかったが、「捨ててある」というより「置いてある」という感じであった。遠目では、本が数冊入っているように見えた。

とりあえず確認すると、そこにはポルノ的なドスケベDVDが10本ほど入っていた。「パクってやろうか」という類の迷いが一瞬たりとも生じなかったとは言い切れない気もするが、「きっとそのへんのユーチューバーの仕業だろう」と、一般人を巻き込んだドッキリを疑い、当然放置した。死角にいるユーチューバーがカメラを回していると想像したのである。

「あ! 革ジャンの男性が食いつきました! 持ってくか? 持ってくか!?」

「……ああ! スルーしましたね!」

「もうちょいでしたね! けっこう見てましたけど、警戒したんですかね!?」

「単に好みのジャンルじゃなかった可能性もありますね!」

とか、2人組あたりがわちゃわちゃするような企画、そんな感じだろうか。前もって打ち合わせをしてくれれば喜んでリアクションをとるのだが。

そして今日の昼、昨夜と同じ道を歩くと、ドッキリDVDが入った袋がまだ同じ位置にあった。どうやらユーチューバーの仕業ではなく、単に捨ててあったもよう。なぜかもう一度中身を確認すると、昨夜よりも中身が半分減っていた。

「良さげなやつだけチョイスして持って帰る」。その発想はなかった。近所には猛者がいるものだなと微笑を浮かべながら公園に行く。桜は満開であった。

「見てくださいよこの元気な姿を」と言わんばかりの桜を見て、俺は「綺麗だな。春だな」と思った。

しかし、その瞬間、俺は世間に既に洗脳されていることに気がついた。桜に対する「綺麗だな。春だな」という感想は、誰もが思う一般論もいいところ。俺はいつの頃からか、「桜は、綺麗で春を実感するものである」という感想、感情を、世間に植え付けられていたのである。

それは感心しない、洗脳を解く必要があると思い、「桜に対する俺自身の本当の感情」に耳を傾けた。すると出てきた言葉は「安心するわ」というものだった。

桜は、毎年決まった時期に、ほぼ同じ形、色、匂い、佇まいでその存在感を示す。花に接近してじっと花を見つめると「去年見た桜と一緒の形だ。懐かしい。安心する」という言葉が漏れた。

いつだって同じように、花咲くような笑顔で接してくれる人がいたとしよう。その人に対する印象は「安心感」が大きく占めるだろう。

どんな時も同じように、定番のように同じようなことをしてくれる人がいたとしよう。やはりどこか安心する。

ある種ポジティブな“お約束”というか、同じように、同じ姿や所作で、というのは人間に安心感をもたらす。

逆に不安になる場合とは、急に変化したり豹変したりする時であろうか。「残念なニュースです。今年は桜がいっさい咲きませんでした」と、報道されたとしよう。正直、人間の生活においてダメージや損害はさほどなさそうだが、ほとんどの人は相当不安に襲われるだろう。

公園では桜の木の下にシートを広げ、昼間から発泡酒やらを呑み散らかしている笑顔の若者達が散見された。「これもお約束だ、安心する」と、そう思った。

そうか、桜は俺にとって安心の象徴なのかと、そういった思いを引っさげながらの帰路、件のDVDはどうなったかと同じ道を通ると、今度は袋ごとなくなっていた。

近所のエロい人が持ち帰ったのであろう。「春だな」と思った。これは、俺のまっすぐな感情である。あと、俺はその方に「それらは残り物ですよ」と伝えたいところだがそれは野暮。
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おととい作った曲は昨日いい感じに仕上げたので今日は原稿を書く。夜、出来上がって提出。そしてライター業の案件フォルダがカラになり不安に襲われる。

時間とゆとりがあっていいじゃないかとも思うが、それは収入と反比例するというもの。とはいえ、最近完全に休んだという日がなかったので今日半日と明日あたりはのんびり過ごそうかと思う。

しかし、興行案件の曲のギター練習をしていたら途中からムキになり深夜までもつれこむ。没頭できていいじゃないかとも思うが、それはまた明日朝起きられなくなるからほどほどが賢明。しかし、練習が進んだから良き方に手打ちとする。

窓の外を見るとざあざあと本降りの雨。買い物に行くのも億劫だからそのまま就寝しようかとは思うが、腹が減った。今日もまた1食しか摂っていない。コスパが良くていいじゃないかとも思うが、これが続くと死ぬまであるので明日はちゃんと食べよう。俺は食事を舐めすぎなきらいがあるので改善したい。
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今日は実に暇であった。しかし「全くやるべきことがない」という類の暇ではなく、「何時にここに行く必要がある」「今日やらないとペース的に締切りに間に合わなくなるタスクがある」という項目がなかった、というものである。

休日の予定だったが、なんか元気だったので生産的なことがしたかった。だったら丸1日制作するのがここ1年ちょいの定例だが、それもお休みにした。

理由は、ここのところギター筋の使いすぎなので、たまにはほぐす必要があると判断したためである。こないだ楽譜に書いた、次に制作する曲はギターがメインの曲のため、録音をし始めたら下手をしたら半日はギターを弾き続け、筋を痛めかねないので大事をとる。

とはいえ、1日でも弾くのを空けると演奏力が衰えがちなので、2時間くらいはギターの練習をする。

その後、数年計画であるストック収益の推移を数字として客観視するために、本格始動した2020年1月から現在までの数字、関数、グラフ等をエクセルに叩き込む。今日は棚卸し的な日にするのがいいのだと気付いた。

数字とグラフで可視化されるとさすがに冷静になれる。じわりと右肩上がりではあるが、ペースは劇的とは言えない。しかし、この類のタスクは継続がものを言う。あと数年継続し、光は十分見えると判断。

会社員時代の経験が良かったのか、こういったものを作るのは割と素早いのでまだまだ時間はたっぷりある。ふと、公園でめしを食おうと思ってSEIYUで安い天丼弁当を買って温めてベンチで食う。思いのほか全然面白くない。

帰宅し、到着した新プリンターを設置する。これも、ドライバやらインストールやらの作業は必要なかったもようで数分で元気に稼働し始める。PDFデータから五線紙を大量にプリントするのがこの子の初仕事であった。

あと棚卸しはなんだと考えたところ、作曲についてだと思った。ギター筋は休めたいので楽器は鍵盤で、スティーヴィー・ワンダーさんの楽曲のアナライズおよびおさらいをする。1985年の楽曲「Overjoyed 」という曲を主に弾いていたら、あまりに完璧すぎる和音とメロディの構築にため息が出る。良いため息である。

時間がフルにある1日ならばどこかに出かければよかった気もするが、終わってみたら、普通に仕事をして過ごす1日、はたまた休日、それらとはまた違う意義のある日だった。ということにしておく。暇な日は手前の棚卸しという過ごし方もわりとやってやった感がある。
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このあいだ仕入れた良質のオーディオインターフェースを繋げるためには規格を合わせる必要がある。

しかしよくわからないので渋谷の機材屋に行って直接聞いて必要なものを買おうと思ったので昼に出かける。オーディオインターフェースとは、人間で言ったら「発声」と「聴取」の核となる部分の役割を担う重要な機材である。

機材屋さんで聞くも、「その場合ウチではなくAppleストアに行った方が」とのことであった。その足で渋谷のAppleストアに行く。

だがしかし、現地で店員さんに聴くと在庫がないとのこと。秋葉原のMac専門店だかを勧められる。すんごいたらい回しになっている感は否めないが秋葉原へ。

秋葉原の中央通り近辺の路地では、どこもかしこもメイドっ子だらけであった。「いかがですか〜」と言われ、付いて行ったらどんなサービスが待っているのか。10年くらい前、一度だけ「メイド喫茶」なる店へ行ったことがあるが、なんか腰がくだけそうな所感だった記憶が蘇る。

目当ての店へ行き、店員さんに聞く。「オーディオインターフェースの……」と切り出すとその人は目をカッと見開き、「音楽バリバリやってます。僕」と、前のめりにズイと来た。そうかと思い、具体的に製品名と問題点を説明するとピンポイントで提案が帰ってくる。秋葉原のこういうところは本当に凄い。

結果、規格に合うケーブルとハブ×2(合計1万円程度)と、場合によってはUSBやLANなど様々な種類の線がブスブス刺せて電源供給もできるドッキングステーション(4万弱)という品を勧められた。

合計5万円はいい加減にしろと思い、「検討します」と、丁寧に説明してくれた兄さんに礼を言って店を出る。宅のハブが電源供給できるタイプだった場合、4万くらいのやつは必要ない。だから周辺機器を買うのはその確認後と相成った。

なんだか歩き疲れてグッタリしたのでブックオフ秋葉原店へ行く。目当ての漫画は、なかった。なんだかだんだんどうでもよくなり、レバニラ定食を食って帰宅。なんもやる気がせん。

しかし、俺のMacに挿入しているハブを確認すると、電源供給できるタイプだったので、4万円は使わなくて良さげと判明。ケーブルとハブがあればいけるっぽい。やったと思いやる気が押し寄せてきたので半日は楽器練習と制作をしてせっせと過ごす。収穫があったようななかったような、しかし少なくとも前進はしたのではないかという1日。
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のんびりとした日。宅で制作などをして過ごす。夜、某ギタリストの方と電話で打ち合わせをする。内容的にかなりの時間がかかりそうなものだが、小一時間で済む。この間もそうだった。

やりとりがスムーズな人とそうでない人がいるが、彼は明らかに前者である。理由はわからないが、とてもやりやすくていいなと思う。きっと賢い人なのだろう。

「賢い」=「頭がいい」=「IQが高い」という計算式のイメージがなんとなくありそうだが、いくらIQが高いという人でも、「やりづらいな」という人はけっこういる。

IQが高いことに反比例して、EQ(心の知能数的なやつ)の方が高くないとそうなりがちである。

だから、明らかにIQが高いであろう人と接していても「賢いな」とは一概に判断できない。IQとEQが低くなく、思いやりの心を持ち、お互いを尊重できる人、そしてなんとなくワクワクする人、これが「賢い人」という風に俺は捉えている。

そういった人はかなり少なかったりするかもしれないが、手前の周りにはそういった人が多くて恵まれているなと思う。率直に、彼らを尊敬する。賢い人たち。
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