04/2018

new_Anonyment_0914人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
精神衛生がグラグラする。4月


 

久しぶりに市販の風邪薬を飲んだところ、クシャミやらがピタリと止まる。そしてなんだか精神的にアガる。これは逆に恐ろしいことだと思う。

あれほど景気良く連荘していたクシャミが簡単に止まるとは、ボーナス的な微量高揚感もあるとは、よほどヤバい物質が入っているに違いない。

治ってありがたい反面、変な猜疑心も芽生えたが故に、箱の裏側に小さく書いてある主成分などを調べる。

調べるといってもスマホをペロペロめくるだけである。俺は「クロルフェニラミン」という成分に着目した。こいつがクシャミを止める主な成分のようだ。

クロルフェニラミンとやらは、中枢神経系や自律神経に作用し、アレルギー症状を抑えたりするらしい。クシャミやハナミズが直接止まった感を実感するのも頷ける。「クシャミを出せ」という脳や神経から命令を、この成分が止める訳である。

細かいところは置いておいて、こいつにはセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬としての効果もあるというからそそる。要は、抗鬱剤的な役割も担うという。知らんかった。本当に普通に店頭に並んでいる薬だが、あなどれん。

というわけで風邪薬でややアッパーに過ごしつつ、仕事でクタクタになった日。シラフで健康・健やかな精神が第一。しかしたまに市販の薬物も飲むというのが、まあまあ賢い立ち回りなのかもしれない。
_04/01

 

 


「体力面」がHPで、「精神面・文化面」がMPと、何かで喩えていたのを見かけ、正にその通りだと思った。

HPはドラクエ的なゲームで言うところの「ヒットポイント」であり、ゼロで死。MPは「マジックポイント」であり、ゼロで死にはしないが魔法とかが使えなくなる。

俺は今、HPは申し分ないが、MPがすこぶる低い。HPは寝て休めば回復するがMPはそうはいかない。現実では、MPを回復させたり最大MP数を拡張するには、遊んだり、文化的なインプットを得たりしないと上がらないのである。

今日あたり、どうもMPなんかゼロに近かった。創造的な思考がまるでポンコツなのである。

些細なことで胸を痛め、ずっと引きずったり、他者に対して猜疑的になったりと、音楽に喩えるとドローンミュージックのような心境であった。

こういうときどうすれば良いか俺は知っている。酒や博打などの刹那的な快楽に身を投じたり薬物で散らすのではなく、具体的な希望や将来の展望を行動に移すことだ。前者は必ず効果はあるが、根本解決とはほど遠い応急処置である。

そこで、以前から興味があった「資格」というものをひとつとってみようと思いついた。資格とは、他者にとってわかりやすい「その人のアイディンティティに対しての公的信頼」である。

さて何の資格をとろうかと考えたが、音楽的なところの資格はなかなかわかりづらい。「MIDI検定」とかはあまりピンとこない。その畑ではないものにしようと考えた。

「自分と他者のMPを回復させる系」が何となく適していると判断し、メンヘラ系にしようと思った。好きなジャンルにつき、趣味で阿呆みたいな量の書籍を読んだ経験をここで活かそうと考えた。

究極は「精神保健福祉士」という国家資格である。しかしこいつは恐ろしくハードルが高い。大学院卒とかが前提である。今は却下。

調べた結果、「メンタルヘルス・マネジメント」という資格は、俺でもかじりつけばいけそうと判断できた。これは仕事にも活かせる。これがあればその畑のライター業も攻められそうである。次の受験は10月だそうな。

新しいことにチャレンジしているうちは、抑鬱気分のような魔物に負けることはない。結果駄目でも挑んでいるうちは幸せに過ごせる。この時点でMPは5ポイントくらい回復。
_04/02

 

 


レッスンをして原稿書き、という日を過ごす。野菜スープを作って食べる。何と平和で健やかな日であろう。
_04/03

 

 


2週間ほどスマホのテザリングネットで凌いできたネット環境だったが、今日工事の人が来てくれてネット開通し、スイスイとブラウザが進む。書店へ行ったり宅で仕事をしたりと、大変静かな一日。
_04/04

 


過去にタイムスリップするという変な夢をみて目覚める。過去の自分と会ってしまうと気が狂って死ぬまである、絶対会うな。という掟があるSFじみた悪夢だ。

この間は目の前が黒く透けた文字だらけになって発狂しそうになるという内容だった。どうも引っ越してから妙な夢ばかりみる。 だが悪い気はしないから別に良いと思う。

その替わりか何なのか、ちょっとでも眠れんと感じる日が一切ない。環境がガラリと変わると無意識の何かも変わるのだろうか。

いづれにせよ良い傾向だから過ごしやすい。毎日幸せに過ごせてタイムスリップ願望など1ミリも起きない健やかな日々に乾杯。ワンカップ大関2本。
_04/05

 

 


宅でせっせと仕事をし、何となく早めに仕舞いにし、ラーメンライスを食いにアーケード商店街へ向かう。今日は「ラーメンと半ライスください」としか喋っていない気がする。

そのまま夜も22時頃、春の強風が吹き荒れるなか、延々と散歩をする。無目的の散歩ほど精神が解き放たれる行為もないものだと思うが、同意する者に会ったことがない。好きな著名人の趣味欄的なところが「散歩」だったりすると救われる。宮本浩次さんがそうだった気がする。

呑みに来た訳でもないのに、赤羽一番街をさまよっていると幽霊にでもなった気分になる。この地は街単位で酔っぱらっている。今日は抱き合っている男女のカップルをよく見かける。盛り場とはよく言ったものだ。

酒に関しては引き蘢りがちなタチなので、そのままフラフラと酒を2本買って漫画も2本買って帰る。悪質な意味ではなく、何だか生きた心地があまりしない虚無とほのぼのが同居した日。
_04/06

 

 


いつものように仕事をして、酒も呑まずに一日を終えるというなだらかさ。ナインインチネイルズなどを聴いて過ごす。
_04/07

 

 


昼、目が3になる感じで起きて、原稿を書き、夜はDOVA-SYNDROMEの稿屋氏と呑みにくり出す。引越し祝いということでフグのフルコースという未体験のごちそうにあずかる。最高に嬉しい。

その後、朝方まで遊ぶ。点と線がつながるような話をして、良きかなと思う。本当にごちそうさま。
_04/08

 

 


当然二日酔いなのだが、3軒も4軒もハシゴをした割には軽い方だと感じつつ、這いつくばるように起床。今日はお休みなので散歩に行く。近所を1時間ほどさまよう。

たいへんフラフラだが、歩いているうちにだんだん気分が良くなってくる。散歩は素晴らしい。ゴシックな造りの教会に立ち入り、花壇にかこまれた憩いのスペースでやれやれと休憩をする。

されど不思議なくらい何かがどんどん回復していく。俺は信仰者ではないのだが、何かしらの慈悲のパワーじみたものをフワッと確かに感じる。

神聖な場所というかパワースポットというのはあるのだな、と妙に納得し、変に晴れ晴れした気分で教会を後にする。胃腸は疲弊していたはずだが、急に食欲すら出てきたので牛丼をかっこみ更に元気になる。

そういったご利益にあずかったにも関わらず、特に信仰心がおきないのは俺が俗物だからなのだろうか。アーメン。
_04/09

 

 


可もなく不可もなく、大きな幸も不幸もなく、ゆるやかでゆとりのある、ノー・サプライゼズで素敵な一日を過ごす。 素敵だが、毎日これだと案外飽きる。でも、平坦でまったりした日は貴重だと、20代の頃までは絶対に感じなかった気持ちで過ごす。
_04/10

 

 


松田聖子さんについて原稿を書いていたら、酒呑んで寝ようぜという時間に。最中、「妖しいニュアンス」という隠れた名曲に出会えたのだが、こういった仕事を頂けて日々僥倖を受けているとひしひし感じる。

自分で掘る名曲と、与えられる名曲、というのがあると考える。うすら若い頃は前者こそカッコ良いとか思っていたが、最近は後者が多く、何しろ、知らないことが多いのだなと感じさせられる。

だからという訳ではないが、誰かと話していて知らんことが出てきたら「それは知らん、詳しく」と、乞うことにしている。これが何と言うか非常に生産的で綺麗とか思う。

逆に「知らん、教えてくれ」と言われると、俺は何故か、無駄にドラマティックに説明をした挙げ句、嘘の結論に達するという訳のわからない癖がある。前世はペテン師とか新興宗教の重役とか、きっとそのへんだろう。何とも業が深いのか浅いのか。
_04/11

 

 


「人と話すのと、本を読むこと」どちらが情報が得られるか、という話を数年前に編集長とお話したことがあった。俺は前者なのだが、木村編集長は後者と断言した。

どちらが、というのではないだろうが、人によると思った。木村さんは本から的確な情報を得るのが好きで、俺はお喋りで他者のどうでもいいパーソナリティ情報とかを得るのが好き、その違いだろうと思う。

「その人が何をした」ということと、「その人が何なのか」ということにも言い換えることができるとすると、確かに木村さんは前者に興味があるようだ。歴史とかお好きだし。

俺は、「そいつがどういうつもりなのか」というのを考えるのが好きなので、好みが別れるのだろう。こういった違いは、一緒に仕事をさせて頂くうえでは武器になるくらいの強みがある気がする。

それにしても、俺は、そいつがどういうつもりなのかを知ってどうするのかと、たまに考える。性癖みたいなものであろう。「こいつはどういうつもりだ」が好き。
_04/12

 

 


レッスンに行き、その足で病院へ面会へ向かう。その前に、ネコ本が欲しいと言っていたので本屋で買うが、 ネコ本だけ買うのは何だかエロ本を買うくらいの変な小っ恥ずかしさがあった。

面会へ行くと、特に変わった様子もなかったが、何をもってして良しと思えばいいのか、もはやわからんと思い会話をする。最近は支離滅裂なことをあまり言わなくなった。

だが、「全てを思い出した」とか言って認知症や精神疾患が完治したなど、仮にそう言われても逆にどうしたら良いのかわからないだろう。

家に帰り、回転寿司屋でしこたま食う。メシに寿司を選択するときはだいたい、やるせない気分のスペースを寿司で埋めようという気分のときだ。俺はいけるところまで食おうと思い、皿の色の値段など気にせずに食いまくった。特にツブ貝がうまかった。

しかし、たらふく食った後、主に安価色の皿が積まれているところから、俺は何と冷静だったのだろうと感心した。11皿。ぜいたくをしたので夜は酒を呑まずに過ごす。違う、寿司屋でビールを2本くらい頼めば良かったのだ。何をしているのだろう。
_04/13

 

 


起床したら靴欲が爆発。電車に乗ってデパートっぽいハコが多めにある街へカッコいい靴探しへ行く。

何軒まわったであろう、3時間は歩いて物色したが、一切欲しい靴が見つからない。予算もやや多めにみていたので見つからない訳がない。

俺は気が付いた。別に靴が欲しい訳ではなく、何でもいいから買い物をしに街を歩きたかっただけだと。

女子的なウィンドウ・ショッピング欲を持つ何者かが起きがけに憑意しただけだったと。だから適当なシャツを一枚3,000円出して買って供養も済んだので帰る。

スッキリしたので仕事をして、あとはずっとポプテピピックを観て過ごす。先月の反動か、やるべきことをギチギチに詰めすぎて過ごしていない。いや、これくらいでいい気もする。

しかし、もう少し仕事を詰めてもいい気もするが、しかし突発的な欲求に目を向けるのも大事だ、いや、あれは俺の欲ではない、誰だ、何故俺はワインレッド色の夜王みたいなシャツを買って帰ってきた。とか考えながら過ごした小雨の一日。
_04/14

 

 


秋のような空気で、深夜まで真面目に仕事をする。もう眠いのだが、少し詰め気味に仕事をする。しかし「体やらを壊して倒れたら詰む」と、こないだ呑みながら友人と話していたばかりなので、良きところで止める。

たまに4時間寝れば充分、という方がいるがあれはどうなっているのだろう。羨ましい。
_04/15

 

 


恐ろしくあっという間に時間が過ぎた一日。昼はレッスンをして、そのあと机仕事というよくある感じなのだが。

手こずる内容の原稿に悶絶し、精神が右往左往。最終的に担当の村上氏に電話をして擦り合せて今日のところは締められる。とても余裕のない日であったが、あっという間に過ぎたのは、きっとどこかで楽しかったからだろうと前向きに解釈する。少々の酒。
_04/16

 

 


シトシトとした雨の日。ここ数日、起床時が最悪の気分なのだが、曇り空と低気圧のせいと判断する。夜は別に気分が良い。

たっぷりと仕事をして、コンビニで酒を買い、肴に迷いに迷った挙げ句、さけとばを選び、後で食う。実に平和な日でけっこうと更けて行く夜。
_04/17

 

 


いい加減だらしない身体になるであろう年齢につき、ここ10日はストイックに筋トレを敢行している。腕立て・腹筋を適数回である。

やればやるほど身体も精神もバキバキに、というほど極端にはやっていないが、やはり心境的に快適かつ、姿勢が少し良くなる。

しかし、だいたいその後にシャワーなりを浴び、酒も浴びる。これがいかん。自身はいかんとは全然思っていないが、たぶん傍から見たらプラマイゼロ行為であろう。プラマイゼロなら全然いいじゃないかと思い、今日も腹筋をする。6パック。
_04/18

 

 


不安と焦燥感について、歳のせいか、年々そういったモヤっとした感情が薄くなっている。たいへん些細なことでもいちいち気にしては苛立っていたものだが、ここ数年はそうでもない。

変に達観したのか、厚かましくなったのかわからないが、妙に焦ったりすることが少なくなった。良い気もするが、焦りがないと進歩を遮る感もあるのであまりよろしくない気もする。

ゆったり日々過ごしているうちに人生が簡単に終わる、と考えるとけっこう焦るが、たぶん具体的にどう焦れば良いのかわからないので、最近は筋トレとかしているのだろうか。何となく、焦るべきな気がする。
_04/19

 

 


宅で原稿書きなどして過ごす。合間に2時間くらい散歩し、うまいパン屋で2つパンを買って赤羽台のあたりで食う。

このあたりは古い集合住宅、いわゆる団地があるのだが、古い建物や誰も住んでいない建築物、および廃墟みたいな所に来てその場に居ると、何とも言えない気分になる。

どうやっても言葉にできない感情なのだが、廃墟マニアや団地マニアなどはこの感情が豊かであると思う。俺もその気が確かにある。

虚無感と侘しさというか、懐かしさというか、それらとも少し違う、ノスタルジックともちょっと異なる、何と言うかハッピーに死にたくなる感情というか、そういった、言葉にできない感情が涌き上がる古い団地。廃墟。何10年も手つかずのエリア。

霊的な何かなのかとか、前世がどうとか、そういった類いなのかとも考えたが、わからない。確かに言えることは、そこに居るとこの上なく心地良い訳である。無機質なほど心地良い。厭世観の表れだろうか。

よくわからないが、俺が鉄道マニアの気持ちがわからないくらい、その気がない人にとっては理解不能な感情だと思われる。

鉄道マニアの気持ちがわかりたくて色々試したことがあったが、わからなかった。たぶん、素質とかそういった根本的なことだと思われる。人の趣味思考性癖とは、奥深い。
_04/20

 


昨夜ドライジンを呑んだら変な二日酔いになる。絶対ジンは何か特殊な成分が入っている。わりとすぐ治ったので、渋谷のホールへライブを観に行く。

帰り、駅前で一人で「路上コント」をやっているフリーの舞台俳優兄ちゃんがいたのでちょっと食いつく。オーディエンスは、ほろ酔いのお兄さん一人。一緒にみる。わりと面白い。

内容とかそれよりも、そういったチャレンジをしている若者(29歳らしい)に、何と言うか感銘を受けた。いつの日からか、突拍子もないチャレンジは、あまり選択肢にすら入れなくなったものだ俺は、とかちょっと思っていたからである。

だから、彼を応援する気持ちがある。投げ銭こそしなかったが、せめてTwitterでフォローをした。フライヤーをもらったが、そこには、稚拙で、熱くて、チャレンジに満ちたイントロダクション的な文章が綴られていた。

河合亮佑さんという味のある演技をするお兄さんに、チャレンジをする美しさをみた。ちょっと応援する。
_04/21

 

 


役者欲がある。だから、昨日のように頑張っている役者さんに会うと見入ってしまう。役者の世界のことには疎いのだが、何と言うか、自分以外の者になりきって自分を放棄する感じをやってみたい。

わかりやすく感情表現して、役柄や情念を伝えるということの快感を得てみたい。何でもいいから小芝居をやる機会でもないだろうか。

なるべく悪役がやりたい。駄目だとわかっていても、ついつい連続殺人をしてしまう役とかを一度で良いからやってみたい。
_04/22

 

 


宅で仕事をする。夕方に湧いた突発的散歩欲に素直に従い、京浜東北線に沿い、南の方角へふらふらと歩く。レディオヘッドの曲が聴こえてきそうな曇り空、決して気分は良くない。小一時間も散歩すれば朗らかな気持ちになるだろうと期待しつつ、まばらな住宅街を歩く。

社が頂上にある小山をみつけたので坂を登ると、実に暇そうな老夫婦がネコにめしをあげている。カリカリとめしを喰うネコを見つめていると、「あらまあ」とか老婆がニヤニヤしていたので俺も「ンフフ」と会釈をして軽くネコについて談話する。このあたりはネコ・スポットとのことだ。

確かにその通りのようで、少し歩くとまたネコがいた。「チッチッ」と気を引くと、即足下にきてガンガン脚に当たってくる。めしか。めしは持ってない。そう伝えるもスリスリと狭い額を当ててくる。

俺はネコの扱いにはまあまあ精通している方だが、こいつの懐き方はどうもおかしい。まるで俺のことを前から知っているかの態度だった。俺の顔を見て語りかけるように鳴く。ただ、めしが欲しいときのネコの雰囲気とはどうも異なる。

だがさほど気にせず適当にモフり、また歩き出す。すると当然のように付いてくる。若い三毛猫は、100メートルほど散歩に同行したところで、手前のテリトリー圏外にさしかかった為かビタ止まり。そこでお別れした。

中十条、赤羽西と歩き、3時間は経つ。俺は今日、そこまで暇という訳ではないのだが、考え事をしながらずっと散歩をする。何を考えていたかというと、思い出せない。英語で小唄を歌っていて何か浄化された気分になったのは覚えている。

そういうときは、だいたい何かが憑依していると解釈するのだが、3時間散歩したい欲のある何かが憑意していたとしても別に脅威ではないので捨ておく。

帰宅すると、少し物悲しい気分になる。さっきの三毛ネコを連れてくれば良かっただろうか。若くして伴侶と死別したネコ好きで洋楽好きの女子が憑依したと判断し、3時間かけてその子を成仏したことにして、良いことをしたことにして、再び仕事をする。女子は、「Creep」を歌っていたことから、きっと同じ歳くらいだったであろう。
_04/23

 

 


トトトっと仕事がきてありがたく思う。もっとくればいいと思いながらギターの練習をする。レッチリをCD通り弾く。豚バラチャーハンを食いに行く。あんまり食べたことない味がしたが、良しとする。起きがけは鬱の淵のような心境だったが、一日が終わってみれば、俺はとても幸せだと思える。
_04/24

 

 


仕事のあと、夜はちょっとした集いに呑みに行く予定だったが、何となく気が乗らないというか、何となく行くべきではないかもとか、フワッとした心境で帰る。

夜も営業している古書店で、何かしら本が読みたいと思いながら本棚の間をさまよう。こういうときは、自分が何をすべきかとか何となくの迷子状態のときである。

だいたい、手にとる本のジャンルで、何に迷っているのかがよくわかる。20分ほど立ち読みした本は、自己啓発本の類いだった。やる気はあるようである。

次に手に取って読んだ本は「善悪の屑」というなかなかアウトサイドな猟奇的復讐劇漫画のスピンオフ系の作品だった。誰かに恨みでもあるのだろうか。ない。

ないと自覚しているが、恨みつらみの感情は人間である以上、完全に消すことはできない。明朗な判断で水に流したとしても、どこかで燻っているものである。

きっと、雨のせいでそういった感情が蒸し返しているも抑え込むと、迷子になるのだろうか、とか考えながら何も買わずに帰路につく。

俺の怒りや恨みの感情やらはどこへ行ったのだろうと思う。逐一、タイムリーでなくとも何かしらに変換されているのは間違いないのだが、その実感から迷子になると、このようにフワッとした湿った気分になるのだろうと思う。
_04/25

 

 


「神田川」という昭和の名曲をレッスン用に楽譜を書く。TAB譜も。この昭和中期のメロディを密に追いながら、その時代にダイブした心境になってくる。

俺は謎の学生運動欲がある。この曲が流行した当時、レイジ・アゲインストな行為がたいそう盛んだったそうな。白ヘルメットにマスクなり、投石に火炎瓶なり。

体制に向かって肉弾戦が展開されるという、物理的に熱かった時代と、全然そうでもない現代を比べると、たった数10年間の時代の変化に驚嘆の意を禁じ得ない。

空き瓶にガソリンを入れてテッシュを詰め、こん棒を振り回して「造反有理」とシャウトしながらの叩き合い。その是非は置いといて、やりたかった。軽くパクられて「黙秘権を行使します」とか言って官と睨めっこをしてみたかった。そして数年後に後悔して、独りよがりな手記などを10万字くらい書いてみかたった。

それにしても、「若かったあの頃 何も怖くなかった」という、現代のポップシーンにありそうでまず無い歌詞が刺さる。

若かった頃の“怖くなかった”は、「わからんが怖くない」だったが、今の“怖くない”は「わかってきたから怖くない」であり、前者の方が何と言うか楽しかった。脳汁が噴射した。

今は今でもちろん楽しいが、質が全然違う。だから俺は、火炎瓶を投げてみたかった。是非は置いておいて。
_04/26

 

 


真面目に仕事をして、タケノコ弁当を食べて、という一日。どうも一日中モヤモヤとするのだが、酒のせいではなく、何なのだろう。

スカッとしたいのだが、どうすれば良いか考える。昨日、譜を書き終わったときはスカッとしたが、何と言うかそういった充実感が足りないのだろうか。
_04/27

 

 


俺は団地マニアというかビルマニアの気もあると気付き、本屋でその類いの書籍を見つけてずっと読む。面白い。この趣味を共有する友が欲しい。

散歩をして本屋で憩い、わりとスカッとしたので机で原稿を書く。どういう訳が仕事が溜まっている。合間にわりとフラフラしているからである。しかし運動不足解消にもフラフラするのは必要かと正当化する。

よくわからない法規制のせいで、ベンゾビアゼピン系の薬がネットで買えなくなってたことをすっかり忘れていて路頭に迷う。非合法の薬物ではあるまいし、何でだ馬鹿と机を叩く。どうやら依存性が問題視されているらしい。確かにあの脱力感は麻薬的である。正直、アルコールの方がよっぽどヤバいと思うが。酒買いに行こう。
_04/28

 

 

 


よっぽど歩いたからか熟睡。7時間半。昔やっていたバンドのボーカル君や、昔付き合っていた女の子とか、若い頃のお父さんとかお兄ちゃんとか、見知らぬ謎の老婆とか、俺は今日死ぬのかというような走馬灯的な夢をみる。だが心地良い夢につき良質な気分で起床する。

それからの15時間ほどの現実よりも、その夢の内容と心地の方が深く印象に残っているあたり、脳と精神やらがもしや疲れているのかなと思う。自覚的にはそんなでもないので、わりと張り切って過ごしたがどこかで空洞のような心境がつきまとう一日。ぜいたく病のようなものであろう。酒買いに行こう。
_04/29

 

 


俺は「何をしているときが最も楽しく活き活きとしているのか」と考え、悩む。ぜいたく病である。仕事を終えて俺は赤羽の雀荘へ行った。

同卓したのは4人とも、たまたま同じ歳くらい。もちろん、この店で牌を叩き合うだけの間柄の者どもだ。一人は、けっこう強い奴だという認識がある。奴は、総合的に隙が少ない。しかし、こいつは今夜のところはどうも調子が悪いことを打っていて確かに感じた。チャンスである。

「弱っている奴を狙うことが果たして俺にとって楽しいことなのか」とか思いながら容赦なく勝負する。奴は終始、下り坂であった。奴の見た目は、椎名桔平さんを更に男前にして、真っ黒い絶望感をブーストしたようなビジュアルの奴だ。推定37歳。

奴は、何をしているときが最も楽しく、とか考えながら打つ。3時間くらい打つ。深夜1時前、何故か全員同時にヤメる。俺もヤメる。それにしてもこういった所に出入りする輩は影がある。とか思いながら、どうでもいいアブク銭を適当にサイフに放りこんで立ち呑み屋に行き、やさぐれる。

なんだか全然楽しくないなとか思いながら麦酒をぶち込む。旨い。旨いには旨い。だが、旨いだけだ。とか考えながらレバテキをかっこむ。旨い。旨いだけである。

とうとう、「俺は何のために生きているのか」などと考えだす。ぬるき末期。俺は考えた。誰でもいい。むしろ、それは無差別なほど、などと、覇気が出る気がした光明を背に、麦酒を流す。逆流しそうである。

「マズローの法則」というのがある。20代の頃に本で読んだ。それは、人間の欲の段階をふんだレベルとのことだ。下から順に、「衣食住を満たす動物的な欲求」「社会的な欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」。

俺は、マズローさんの言うところの、今夜あるいは最近は3番目か4番目で悩んでいた。ぜいたくである。

しかし、その善し悪しについて考えながら、明日からもふつふつと頑張ろうぜと思えるから幸せである。そういった環境で過ごさせてくれる周囲の方々にまずは感謝すべきだと結論づける。そういった方々と麦酒なりを交わせば良いのだろうも。
_04/30

 

 


 

 

 

 

 

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