04/2021

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
4月


数日前から設定していた休日。精神状態はニートに設定。ぬるりと過ごす。とはいえ世間は新たなスタートとなる4月第一日。 春という季節感と温度も交差すると無駄にワクワク奮起しがち。

「せっかく時間があるから」という理由で前のめりに真面目なことをする日ではない。そういったコンセプトではない。前のめりはここ3、4日くらいでだいぶやった。そういったわけでまったり暮らそうと思い、かつての同僚が集う日でもあったので都内某所に顔を出す。

「お、来やがったな自営業が」という職業差別的なご挨拶を受けるもそこはご愛嬌と判断。「はあ、どうも案件が少ない昨今でしてな」と、自虐気味に返すと失笑される。

かつての同僚というものは、心のどこかで「この野郎は独立したが、失敗しやがれ」というネガティブな心持ちがあるのではという猜疑心はなくもない。

大口叩いて組織からぴょんと飛び出て、ものの見事に失敗するか、わりと安定を勝ち取るか、思いのほか成功するか、手前でちびるくらい化けるか。2年前の決断はそういったギャンブル的行為でもあるので、まだ「勝負中」という感じであろう。そんな中ひやかされるのは悪い気はしない。数日ぶりに生で人間と対面して明るくゆるい時間を共有する。

完全にニートモードなのだが、どこか仕事に対しての考えが捨てきれず、そこ場にいる全員に「好きな音楽は?」と、リアルな情報を収集した。

「aikoだな」

「King Gnuかな」

「ディープ・パープルですね。リッチー・ブラックモアがどうこう……」

「アニソンすね」

「Adoとかですかね」

20〜50代の各世代のみなさまの意見は多種多様。わりとマニアックなものは出てこなかった。

「逆に、嫌いな音楽は?」と聞く。すると。

「応援されるようなやつはあんま。『頑張って』的なやつ」

「背中を押してくる系の?」

「そう。それ。『お前が頑張れよ』って思っちゃうかも」

「人様に対して『頑張れ』って、ある種失礼だよな」

「深い解釈ですね」

という感じであった。意外や意外、ポジティブソングは不人気であった。これはちょっとした取材になってよかったなと思っていたら、「それで、平吉さんはどんな音楽が好きなの?」と聞かれ、真面目に考えると困った。

大真面目に「レディオヘッドです」と答えると、今のみなさんの回答を聞く限り、そのバンド自体を知らない可能性がちょっとあるので高確率ですべる。「ジャズやクラシックです」と、背伸びをするとボロが出る。「色々ありすぎて答えられない」と、正直に言うとなんとつまらん奴だという空気になる。

だから、「普通に、ビートルズとか好きっすね」と答える。当然「ふーん」というリアクションしか返ってこない。「好きな異性のタイプは?」と聞かれて「優しい人です」と答えるくらい無難な回答をした手前は今日どうかしていた。実際ビートルズは大好きだが、もっとこう、機知に富んだ返しがあろうもと猛省。

そういった最中、スマホで案件を受注。よしと思い、頃合いを見て帰宅し楽器などをいじっていると入電。話の流れでもう数件の受注と見込み。光明。頑張ろうと言う気持ちになる。

俺も、「頑張って」的なアプローチはあまり好まない。なぜなら、その人なりのキャパシティやスタイルがあり、「頑張って」というフレーズはそこに対して干渉しかねないからである。だから、エールを送りたい時は別の言葉を使う。

「いけると思うよ?」とか、そんな感じだろうか。意味は「頑張ってね」と一緒の心情所以なのだが、「頑張ってね」だと、「やる・やってくれ」という意味が含まれ、「やること」が前提となる。だから、相手にとっては心に負担がかかるフレーズである気がちょっとする。

一方、「あなたなら可能かと」とか「君ならたぶんできるよ!」や「お前はそれ、いけると思うよ?」だと、単に個人の感想が基軸と捉えられ、さらに「やるかどうか」の選択肢はもちろん完全に相手が握る。フワッと相手を奮起させるフィーリングと言えようか。

そうなると「頑張ってね」と言いづらいのかという結論に陥りがちだが、そんなこともないと思う。明らかに「やってんな。こいつ」という熱気バキバキの人には「頑張れよ!」という言葉が燃料となるであろう。とりあえず、手前自身に向けては、頑張れよと言いたい。

いつの日か、「お、来やがったな自営業が」ではなく、「久しぶりですね、社長!」と、言わせたい欲はなくもない。こういう時、誰かに「平吉なら可能だと思うよ?」とか言われるとかなり嬉しかったりする。ほんのちょっとの言葉選びの差で人間の精神状態は激変する場合もある。日本語はとても難しい。
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ネズミがくるくる回る器具でひたすら走る様子。例えるならそんなムーブが近いかなという感じで1日宅で過ごす。

原稿を書いたり採譜をしたり楽器の練習、そして制作と。気がつけば26時である。もう治らない。宵っ張りは治る気がしない。何故、俺は赴く用や指定時間のある案件がない日は高確率で昼過ぎから活動するのか。そのぶん深夜までくるくる回ってるからいいのだが。

早朝の、絶望感と爽快感が混じり合って希死念慮すらじわりと湧きがちなあの感覚。そこに向かって明日あたりは早起きしてくるくる回ろうかと思う。
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絶望感と爽快感で言うところの絶望感の方であった。くるくる回るどころか1回転もしたくないくらい覇気の無い1日のスタート。俺は何度となく、連呼の如く確か書いている。春という季節はやばいと。ちなみに次にやばいのは年末年始。

簡単に言うと、これらの時期は国内においての自殺件数が統計上多い。要するに精神衛生上気をつけたほうがいいシーズン。

そんなシーズンの真っ只中、昨日と明日は父親と兄貴それぞれの誕生日。共に祝ってやりたい情念はあるが、なんというか父親はコロナ的に面会謝絶に、兄貴は接触拒否という、物理的にも相手の心情的にも叶わないのが切ないような気がするが、実は相当どうでもいい。

覇気が無いなりに頑張ってはみたものの、興行曲目の練習を数時間してめしをくったあたりでソファに吸われた。

体は別に不調ではないが、こう、「覇気が無い」以外の表現が難しい。ロールプレイング・ゲームで言うところの、「HP」はあるが「MP」が0か1くらい、そういった感じだろうか。「ホイミ」すら唱えられん。

今日はあと原稿をやって制作をするという予定だった。共に、今日中にやりおおさなかった暁には誰かがおかんむり、という感じではない。しかし、やらんと手前が気持ち悪い。原稿はやった。あとは明日精査して提出、という段階までいったのでよしとした。なにしろ締め切りにはまだ3日もある。

制作は、ペースを落としたくない。ストック収益の波を下げたくない。しかし、よく考えると調子が優れない日に無理に頑張ってクソみたいなトラックを録音しても無駄である。クオリティはどうしても落としたくない。だから今日は制作はお休みにするのが賢明だろうと判断した。

「休むべきか頑張るべきか」というラインは非常に難しい。誰かがそばにいれば、その人たちに判断してもらうのが恐らく適切。「顔色が悪いですよ? なんか声のトーンも。今日は休んだほうが……」「ですよね。じゃあ」となる。

しかし一人の場合はどうするべきか。俺は体調や気分が実に表情や態度に出る方だと、25年来の友人によく言われるので、とりあえず鏡を見てみた。客観視すると、右目と左目の大きさのバランスがいつもよりおかしかった。右目が人殺しのような眼つきであった。

人相学では、左右の目の右目と左目の大きさの違いが表す人間性は、男性の場合だと「二つの異なる性格を示す」と言われている。他にも色々あるが。

二面性というやつはある種、誰しもあるものと思われるが、手前の場合の二面性の「陰」の方は時にたいへんタチがよろしくない。今日あたりはそっちがかなり優位に立っているのかもしれない。だとしたら「陰」が暴走する前に休むべきであろうか。

とはいえ、練習はできたし原稿も90%は書けたので全然よしとする。人間の「陰」の部分は危険も伴うが、時にクリエイティビティの秀逸な原料ともなるという持論がある。

しかし今日あたりは只やる気をもってかれるだけであった。今日は早めに寝てバランスをとろう。夢の記憶も残らないくらい熟睡しよう。
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昨日の不調はなんだったのかというくらいの通常運転。やる予定は全て淀みなく進む。

何か特筆して普段と異なることがあったかというと、普段は年に1度も食べないコンビニ弁当に手を出したくらいである。ジェノベーゼのパスタ弁当を温めてもらって食うと思いの外美味くて、これは馬鹿にできなと、なぜ敬遠していたのかと改めて思う。

そういった感じでたいへん地味ながらものどかな1日。
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機材を持ち出して移動する日は絶対に雨に降られたくない 。だがしかし圧倒的降雨。3つの機材をガラガラと牽き、傘もさせずにうすら濡れ、都内のスタジオに着く。今日は興行のリハーサル。

「傘をささない派なんですね。濡れますやん」

と、関西弁で挨拶され、「させないのです。この場合は」と、返す。ギター2丁とでかいエフェクターボードを連れ回すと物理的に傘をさすのは困難。そう説明しつつメンバーのみなさんと会うとほっこりした心境になる。

集合したところで、一同真剣に張り切る。帰りはみなさんでステーキを食らってから帰る。痩せ細った華奢な身体ではあるが、うまいステーキとなると450グラムくらいペロリである。

なんとも深い話をしながら足立くんに車で宅まで送ってもらい、夜は原稿を少しやる。予定の進捗までいったというポイントで一呼吸おくと、退屈という感情に属するであろう感覚にみまわれる。今日はもうやる予定のことはやったので後はなんでもありである。

だから、うっすらと何かを求めるようなこの感情は何であろうかと考えた。「退屈」「つまらん」「手持ち無沙汰」という表現がはまるのだが、もう一押し欲しい。

人によっては、ほとんどの人は、例えば呑み会の帰りや、集団で遊んだ帰路、あるいは恋人とのデートの別れ際で、寂しさを感じるという。

しかし手前はというと、このフィーリングが、思い返せば幼少の頃からほとんどなかった気がする。

そのはずだったが今日は異なり、さっきまで気のおける人達とわいわいやっていたのに急に独りになった気分になり、変に侘しくなった。

「侘しい」だと、何か和風に格好つけすぎなきらいがある。じゃあやはり「寂しい」のだろうかと思い、その感情の定義とは、と思った。

それは、「退屈+相手(主に人)を欲する」というものと断定した。退屈、つまらん、と思うことはたまにあるが、そういう時に人を誘ったり電話したりLINEで誰かに絡んだり、そういった類のことはしない。

だが、さっきはそんな心情だった。そこで、手前に不足していて、かつ必要な感情こそ、その寂しさなのではないかと、一般的には人生の折り返しとも言えようこの歳にして気がついた。

だとしたら、しめたものである。寂しかったら人を求める。求愛だってするだろう。恋人探しや婚活もするかもしれん。マッチング・アプリをインストールするまである。

人間の社会生活、日常生活は、誰かが一緒に居たほうが豊かで楽しいであろう。おそらく、だんだんそこに本気で気づき始めている感覚こそあるが、数日すると根本から忘れるのは明白。「一時的な感情」という脳内フォルダ行きとなり、きっと精神まで根付かないだろう。

だからちゃんとログを残しておこうと思った。今日は仲間と別れた後、なんか寂しかったと。
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とはいえ一人で過ごすのは性に合っているなと思いつつ、宅で1日作業して過ごす。急に寒くなるあたり、やはり春は油断できない。

曲目の練習をして、みっちり原稿を書いて、あれと思い返すとまためしを飛ばす。これはもはや俺は1日1食が性に合っているのかとも思うがやはり胃腸から抗議の音が鳴る。「スカスカです。グウ」と。

過度の空腹のまま就寝すると眠りが浅くなり、またわけのわからん悪夢にうなされそうなので何かしらちょっと食って酒でふやかしてからベッドに行こうと思う。ハンペンとかでいいか。

いつもはそのままスライスして食うが、たまには茹でて食おうか。しかし、ハンペンを茹でると2倍くらいに膨れ上がり、その水死体を彷彿とさせ様たるや、俺にはダイレクトに「グロテスク」としか感じないので生で食おう。わさび醤油。
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洗濯物など秒で乾くであろう好天候。興行リハーサルで都内某所へ。駅で掘氏とはちあい、「着けてきましたね?」と問うと、「なんなら電車の中から見てました」と挨拶をする。

現地へ一緒に向かい、めしやコーヒーをやりながら開始時間までロビーで憩う。「そういえば配信はやりましたか?」と問われたので、「はいしん?」と、あたかも知らんフレーズのように振る舞うと、Twitterと連動している配信プラットフォームでの配信のやりかたを教えてくれる。

1カ月くらい前から「俺は配信という世界に興味があります。やりたいのです」と言いつつも、いつまで経ってもやらんというやるやる詐欺の最中だったのである。

リハーサルを終え、ロビーで再び配信用のアプリをペロペロし、「結局どうやれば始められるのですか?」と問う。すると「その『配信ボタン』を押すんすよ。とりあえず押してみましょうか?」と、エスコートされる。

他のメンバーさんからも「平吉さん、とりあえず押してみましょうか?」と、ニヤニヤされる。そう、何事も「とりあえずやってみる」ということは大切であろう。俺の人生のコンセプトにもある。「興味があることはあれこれ考えるよりとりあえずやれ」という箇条が。

スタートボタン的なものをタップしたら本当に始まったので数分あたふたする。すると数名閲覧してくださっていることを画面で認識する。これは実感がある。そう思い、なんやかんやと2分ほどやっていたらスマートフォンがブラックアウト。電池切れ強制終了という事故により初回配信はただちに終わった。

これはアホすぎると思ったが、「とりあえずやってみたからまたやってみよう」というポジティブな感情が芽生えた。背中を強打気味に押してくれたメンバー方に感謝すべきである。これが手前の部屋だったら、「いや、まだテーマが…コンセプトが……」とか延々と言いくさりながらボタンを押す行為にすら至らなかったであろう。

とはいえ、そこまで構えるようなものではなく、気軽なノリだとみなさんは言う。気軽に「配信」というものを楽しみ、みなさんに楽しんで頂けたらとてもハッピーだなと思う。しかし、本流的なコンセプトは欲しいところ。気軽に考えよう。なにぶん、新たなことを始めるというのは精神衛生上よろしいかと思われる。
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宅でいくつかやることがあり、それなりにといった1日。夜飯は牛丼店できちんと多めに食べ、コンビニで立ち読みをする。読んだ本はパチスロの「裏モノ」と呼ばれる台がテーマの内容だった。面白くも懐かしい。

パチスロはもう10年くらい打っていないが、ハマっていた頃は「お前は他にやることがないのか」というくらい打っていた気がする。あの感心しない類の熱意はどこへ行ったのだろう。

当時、その「裏モノ」と呼ばれる台を俺も打ったことがある。「裏モノ」とは、要は台の基盤などを違法に改造してギャンブル性を強かにブーストしたヤクザな台。

それを設置するとなるとほぼ犯罪だが、当時はグレーというかあまり摘発されなかった。1990年代というわりとアウト寄りのセーフがまかり通った香ばしい時代。

そんな時期に触れた「裏モノ」に、ほとんど良い思い出はないのだが、今日立ち読んだ漫画では、そいつを攻略して荒稼ぎするという実話に基づいた内容。

10代後半の頃は、そういった行為に対して全くもって罪悪感などはなかった。むしろ燃えたものである。しかし、現在の年齢になると、「それはいかがなものか」というつまらない思考がはたらく。むしろ正常とも言えるが。

他人がそれをやることに関しては、全くもって責める心境は生まれない。そういう生き方も全然アリだと思うからである。しかし、手前がやるとなると、「今のスタンスと異なる」といった判断でその行為に至らない。

いつの日からか、手前の信条として「隠し事はなるべくしない」というものが出てきた。他人に言えないようなことはしない、手前で恥じていると思うことはしない、というものである。

理由は、人に言えないようなことを内に持ち続けていると、結果的に高確率でロクでもないことになることを過去にいくつも体現し、もう懲りたからである。

パチスロ台の特性の隙を突き、連日勝利ができる方法を知り、打ち、「これは食える」とか思いながら何の疑問も抱かずにいた頃。その行為自体と、類似するグレーなことを全くしなくなった現在。

クローズからオープンへとコンセプトを変えたところ、ありとあらゆる部分が変化した。環境、仕事、付き合う人間、日々の行為、顔つきなど、ほとんどのことに変化を及ぼした。

「開示できないこと」を抱えていると、そのぶんだけ人間は往々にして苦しむ傾向がある。それに気づいたのは、ギャンブルに死ぬほど浸かっていた経験が大きいのは間違いない。よく死ななかったものである。

とはいえ、「裏モノ」の漫画を立ち読みしていたら打ちたくなってくるのが元リアルカイジの性。狂ったようにボーナスが非合法クラスで連荘するあの黒い快感は脳裏に焼き付き、一生取れることはない。

日本のギャンブル依存症の人口は100万人前後いるという統計がある。しかし、俺は、全然もっといると思う。

ギャンブル依存症(ギャンブル障害)は「病気」と捉えられている。「DSM-5」という、米国精神医学会の精神疾患の診断と統計マニュアルにも診断基準が記されている。

しかし、個人的には、病気というか、もっとタチの悪い、「後天性の性癖」という気がしてならない。だからとにかくしぶとい。
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1日宅で作業してのたうちまわる。というほど忙しいわけでもないが、気がつけば深夜という時間の流れ。変わったことはというと、特にない。数日前のようにコンビニのパスタ弁当を食ったことくらいである。

経済的ではなく、体にいいかといったらそうでもなさそうなコンビニパスタだが、意外と美味いと知ると反芻する。

なにか突出したことがあったかと回顧するとコンビニ弁当くらいだった、というほど地味かつ真面目に過ごしたあっという間の春中盤。近所の桜はというと、ほぼ散った。
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夜、1時間ほど用事があるので外出する。階段を降りて3メートルくらいだろうか、道端に茶色い紙が落ちているのを目視。

よくよくみるとそれは一万円札であった。「マジかあ」と2回ほど声を漏らしつつ当然拾い、一万円札を掲げて透かしを確認すると諭吉の真顔が浮かび上がる。

しかし俺はハッとし、「どうせ近所のユーチューバーの仕業だ。一般通行人を巻き込んだドッキリだ」と思い、辺りを見回すが居らず。居たとしたら、透かしを確認していたあたりのムーブで撮れ高バッチリだったろうに。

「あ、革ジャンの男性が食いつきました!」

「いやあ! もちろん即拾いましたねえ! 早っ!」

「見てください! 透かしを確認してますわ! プークス!」

という感じではなかったもよう。俺はただ、神に試されているのか僥倖なのか、出かけて数秒で「裸の現金」を拾ったのである。

すぐに頭をよぎったのは「タバコが20箱は買えるな。しっかりした定食が10回は食えるな」という動物的な能動所以の実にあさましい思考だった。

しかし、2つ折りの状態で落ちていた一万円札のすぐそばに、銀行ATMの明細書もあった。見てみると、その残高たるや10万と一千円なんぼ。ほぼ確で落とし主はATMで金を下ろし、その明細書と現金を落としてしまったと思われる。

ここでようやく理性がはたらいた。「全財産10万円ちょいの奴が一万円落とした。それは筆舌に尽くし難いやらかしであろう」と。

俺は数カ月前、財布を落として現金をモロに抜かれた時に、「俺は財布を拾っても無傷で届ける。しかし、『裸の現金』の場合はその限りではない」的なことを書いた気がする。

しかし、現実として裸で一万円札を拾うと様々な考えが浮かんだ。「ラッキーだ」「色んなものが買えるぜ」「落とした人は哀れだ」「残高10万ちょいか。この一万円紛失は痛かろう」などなど。

だがどう考えても、落とし主特定不可能な「裸の現金」を拾ったら迷わずポッケにないないする。これが正解である。

「拾った金で喜ぶか。貧しき心よ」

「ちゃんと働いて稼いだ金とそうでない金」

「いい大人が。拾い食いと変わらんとは思わんか」

なぜか腐ったような正義心のようなものを孕んだクソみたいな優等生人格がネガティブな言葉をかけてくる。しかし、金に綺麗も汚いもない。ユダヤ人は昔からそう考えるらしい。俺もそう思う。

なんやかんやと想いが交差する中、決定打となる思考が出た。それは、俺の中核となる人格からの一言だった。「こんな、一万円を拾ったということなんぞで“ツキ”を使いたくない」というものである。共感してくれる人は少ないと思われる。

結果、近場の赤羽駅東口前交番へ行った。

「おまわりさん! お金拾いました!」

「おっ! 落とし主が現れなかったら3カ月後にもらえますよ!」

元気な公務員の第一声は、落とし主が現れない前提のものだった。『裸の現金』の場合は、そりゃそうだろうもと思った。

とりあえず書類に色々書いて、その権利を法的にゲットし、「見つかった場合は連絡を」的な希望欄にもチェックを入れた。なお、交番内は、俺も含めた全員から「この茶番的なやりとりはなんなんだ」という空気で充満していた。

万が一、落とし主が現れ連絡がきて「はあ、この度はありがとうございました」くらいの薄い反応だったら、今後は現金を拾ったらなんぼだろうが即ポッケ。

正直、3カ月後に一万円ゲットより、落とし主の元に戻ってほしい。全財産の約10%を落とした(憶測だが)となると絶望中もいいところだろうと、手前の老婆心がそういった心境にさせる。

今日のこの珍しい行為は、決して道徳心や正義心が源流ではないということを声を大にして言いたい。俺は「当たり前」的な正義感がどうも性に合わないからである。理由は、色々ある。

ただ俺は、一万円札一枚で自分の“ツキ”というか、王道の流れを澱ませたくなかっただけである。自分でも何を言っているのかよくわからない。
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興行案件の1日をフルに過ごす。現時刻は06:45。捉えようによっては過活動気味ではあったが、頭からケツまでとても楽しい日。

時系列的には、午前のいい頃合いに集合し、昼過ぎに公演、夕方にもう一公演、20時撤収。みなさまとハッピーに過ごす。メンバー同、そして何より観て頂いたみなさまへの感謝は禁じ得ないことこの上ない。とてもありがたい。

その後たるや、赤羽へ直行。宅に本日の「パラダイス・ロスト」という公演の演者全員が手前の宅に赴き、打ち上げと相成る。俺の仕事場で盛大に食うわ呑むわ喋るわのほっこり一時。

前回もそんな感じだったが、メンバー全員総勢5人がキュッと部屋でわちゃわちゃするのは初である。率直に、例えば孤独な老人目線で、なんとも賑やかな人たちが自宅でしっちゃかめっちゃかに過ごされ、えも言えぬ嬉しみを得た心情。

それにしても、特にギター2名&ベース陣は呑みすぎであった。キッチンに並ぶ酒の空き缶と瓶の乱雑さは、「酷すぎる」の一言で表現し尽くせるのだが、なにか、その光景が愛おしく思える。

俺は人様が来宅し、ひどく散らかした環境をその後に整理する行為がどこか愛おしい。「あいつら、こんな散らかしやがって。まったく……」という心境を表す一言とはなんだろうか。あったとしたらそれである。

「ここ、居心地いいですよね?」と、愛くるしい笑顔で放つメンバーの言葉はなんとも率直に嬉しかった。手前の最たるパーソナル・スペースを全肯定された心境である。

「君ら、よく居たなあ」と、そう言葉にしたのは午前何時であったろうか、スズメあたりがチュンチュンと活動を始める時刻。今日は楽しかったなと実感しつつ彼らを見送る。

とにかく、今日はメンバーのみなさんとよくお話をした。ネットの「配信」の援護をしてもらったり、やりかたなどもしっぽりと教えて頂いた。総じて、楽しくもとても短く感じるもめっぽう楽しかった良日。
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なんなら寝る前からわかっていたまあまあの二日酔い。今日は定期健診の日なのでいつものクリニックに赴く。

春という、メンタルがガタガタになりがちな季節にしては今日はロビーはガラガラだった。みんな健やかなのか、しかし油断していると知らんぞと、そのように赤の他人の心配をしつつじっと座って待つことたった5分。主治医に最近の手前のメンタル具合をレポートする。

「先生、ご報告がありまして。実は僕は14歳の頃に、いわゆるパニック発作らしきものを体験したことがあるのです」

「ほおぅ。どんな感じでしたか?」

「こう、端的に言いますと、幽体離脱して死にそうな感覚に襲われ、自分の体は自分のものではなくなったように感じ、動悸は激しく、ただただ強烈にテンパるといった感じです」

「なるほど」

「そしてその後は、その時ほどのインパクトの発作は起きていないのですが、『起きそうになる』という不安感にふいに襲われることがありまして」

「それは、『予期不安』という立派な症状ですね」

「(メンタルヘルスの知識として知ってはいたが)へええ、そうなのですね。それで、その感覚がここ数年は全くと言っていいほど表れなかったのですが、最近はたまにありまして」

「ではですね、頓服でちゃんと効くお薬を10錠出しておきますね」

俺はこの、主治医の問答無用で薬物を提示してくるあたりがとても好きである。なんというか、話が早い。

「先生、ちなみに僕のこの感じ、言い表すと何でしょうか?」

「パニック障害です」

「精神科医の先生にそうスッパリと断言されると逆にスッキリしますね」

「うん。平吉さんね、パニック障害というのは、長期間症状が表れなくても再び発作が起きるということは珍しくないんですよ」

「タチが悪いですな」

「そう、でもね、薬を飲めばまず治りますから大丈夫です。『起きそうだ』と感じたら飲んでください。20分くらいで効きますから。副作用としては眠気と倦怠感です。ちなみに、5年間症状が表れなかったけどまた起きた、という患者さんは現にいますよ」

「きっつ」

「けっこう多いんですよ……でも大丈夫ですから」

「そう断言されるだけでも安心しますね」

「あと、前に平吉さん言ってましたよね? 薬を持っているだけでも安心感があるって。これもそうですから大丈夫ですよ」

精神科医の「大丈夫です」というフレーズはなかなかパワーがある。ついでに聞いてみた。どういう時にパニック障害という病は引き起こされがちなのかと。先生は具体的に条件を出し、それらにいくつか当てはまれば発作は起こりうると仰った。

「精神的なストレスを抱えている場合」
「季節の変わり目」
「お酒をたくさん呑んだ時」
「睡眠不足」
「疲労困憊」

これらの5つだそうだ。意外と当たり前な感じかつ、基本的に注意が必要な条件でもあり、俺は改めて思った。メンタルヘルスがグラつく時は、当たり前のことのバランスが崩れていることが理由という、わりとシンプルな場合もあるのだと。

そして、定例の血液検査。採血大好きっ子な手前は待ってましたとばかりに女医にうすら細い腕を差し出した。

「聞いてくださいよ」

「はいはい。何でも聞きますよ」

この女医は以前、「血液型と性格と恋愛傾向の関連性」というテーマや、「採血好きは変態か否か」という話題、「キース・リチャーズの血液全とっかえ行為の是非」といった雑談などにもちゃんと付き合ってくれた傾聴のプロ。

だがしかし「お前はまた妙な話題を持ち込むんだろ?」という思考がマスク越しでもわかるくらいモロに表情に出ていた。呆れと蔑みと興味と少々の慈愛が混じった味わい深い目つき。しかし今日のテーマは場所に似つかわしいものである。

「パニック発作的なやつの前段階の症状が最近出がちなんです」

「あら、そうだったんですねえ」

「それでも日々なんやかんやと過ごしているのです」

「立派だと思いますよお」

「ですよね。メンヘラの鏡だとは思いませんか?」

「プークス。そんなこと言っていいのかしら」

「ちょ、手元が」

「あらごめんなさい。針抜きますね……痛かったですか?」

「痛みは問題ではないんです。血を抜くことが大事というか」

「うん、メンヘラの鏡ですね」

そういったわけで検診を終え、薬局に行き帰宅してめしをちゃんと食って制作。思った以上に捗り、 また一つ音源を完成させてプラットフォームへ申請。

それにしてもやはり春は、人間の精神をどうかさせてしまう最たる季節。そういったこともあり、メンタル管理の大切さを改めてリマインドした1日。
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今月半ば過ぎは暇なのではという空気感であったが、トトトと案件を頂き、そうでもないもようが見えてきた。その方がよい。

宅蕎麦をもっさり茹でて食い、昼イチから制作をする。ここのところゴリっとしたロックを作っていなかったので、シンプルにロックンロールを作ろうと、国内寄りのロックアレンジだが洋楽寄りのサウンド、というコンセプトを脳内に掲げつつストラトキャスターを振り回す。

すると2、3時間くらいで構成ができたので楽譜を書き、メモ的なギターを録音してドラムを打ち込み、ベースの本録音まで出来る。これは素晴らしいスピードだという満悦感。

7時間ほど作業をしていて疲労を実感し休憩。ネットをペロペロしていたら、よしおさんが21時からツイキャスを放つと告知。ちょうどいい休憩のひと時となるなと、じっくり観ようとそう思い、変なハムが挟んであるサンドウィッチを買ってきて食べながらPCで観る。ツイキャスの流れ的なものを学習する。

配信中に、彼が寸止めしていた話題。おとといの朝方の帰り道での出来事。正直、俺もここに書き記したいが、それは、さすがにやめておこうと思うくらいの内容なのである。

「個人のブログとはいえ、よく書けるな」という、様々な手前の黒歴史、一般的にはたいへんセンシティブと捉えられることもモザイク無しで綴ってきて早何年が経つだろうか。

なぜそのようなことを晒し続けるかというと、変にオブラートに包んだり隠したり嘘を交えると日記の意味がないからである。エフェクトは効かせるが。

それでも、おとといのその件に関しては、書かないでおこうと思う。というくらいショッキングなことであった。としか、書きようがない。

とりあえず、よい小休止になったなと思い、別件の案件の採譜を3つやる。今日はなかなか捗るな、昨日血液を抜いたのがよかったのか、微妙に短時間睡眠だったのが張りを生んだのか、色々考えられるが、制作に加えて計4曲の楽譜まで書くと、やっぱりくたびれてクタクタジャガーみたいになる。よいくたびれである。

なお、クタクタジャガーとは、今最も宅のソファに置いておきたいアイテムである。欲しいからメルカリで探したらまさかの5万円。
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