05/2019

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
いそいそと過ごす。5月


夜20時、1年半ぶりくらいに会う友人と新宿思い出横丁で過ごす。

人は、性格とか人格とか思想や精神性や価値観など、さまざまな目に見えない要素があり、それらは人間関係に大きく影響を及ぼすと考えている。

そのほかに「属性」というものがあると俺は考えており、その「属性」が同じ人間というのはあまりいない。今日会った友人は、貴重な同属性の奴だ。

同属性の人間は、一緒に居るだけでほっこりする。無意味な安心感や楽しさがある。同属性の人間は、かけがえのない存在だ。
05/01

 

 


丸一日デスクワークで篭る。誰とも喋っていない。仕事部屋の観葉植物・ピンちゃんとは「はい。ごはんですよ!」と、鉢に美味しい水を注ぎつつ喋ったが、人間と喋っていない。

仕事が終わって「闇金ウシジマくん」を本屋に買いに行った際レジで「ポイントはご使用になられますか?」との言葉に対し「貯めといてください」の9文字しか喋っていない。

俺はこれくらいの感じを、できることなら数カ月試して精神状態がどう変化するのかという実験を手前でやってみたい欲がある。いいや、現場に赴く仕事がたくさんあったほうがいい。だから今日は贅沢な一日であった。
_05/02

 

 


無駄に超早起きする。いつもより睡眠時間を4時間少なくするだけで丸一日クラクラとする。

今日も一日中机にしがみつきドキュメント作成の仕事をする。もちろん誰とも喋っていない。「こんなとき飼い猫でもいたらいいのにな」と思うがいないので、ソファでうたた寝をしていると仮定するエア飼い猫をモフる。

裏声でマイケル・ジャクソンのものまねをして「よし、だんだん似てきた」と自信が付いてくる。

このように、2日間ほぼ完全に人と接しないと、空想のなにかしらにしがみつこうとするのは、あくまで自然な人の性質なのかもしれない。何かを代替的に埋めようとしているのかもしれない。そう気付いた令和の憲法記念日。
_05/03

 

 


上野公園でペリカンなどを眺めて過ごす。なんとなくGW気分を存分に味わいたかっただけなのだが、ペリカンだけで気が済む。

帰って真面目にドラムの打ち込みなどをするがどうにも疲れる。こういった作業はやりだすと数時間止まらなくなるからそれは当然疲れる。

駅で立ち読みしたホリエモンの本に「没頭できることは、才能だ」とか書いてあった。じゃあ良しとする。
_05/04

 

 


新緑香る5月の晴天。お散歩もほどほどに、日中いっぱいDAW作業をする。ベースの弾き過ぎで手が痛い。

達者なベーシストに依頼をすれば半分以下のスピードで仕事が進むうえに手も痛くならない。次からホリさんに頼もうかしら。
_05/05

 

 


ギターレッスンにデスクワークと真面目に過ごす。最近俺は不真面目なことをいっさいやっていない。これは基本的に感心しない。

白いことをしたら黒いことを、どちらも度が過ぎずにバランス良く生きていたいのだが、基本的に黒いことをしては駄目である。

だから、悪魔的犯罪的ではない黒いこと、要はグレーなことをしないと心が枯渇したような心境に見舞われる。

久しぶりにピンレートの雀荘にでも言ってグレーに浸かろうかという発想はあるが、麻雀を禁止して4カ月が経つ。なんというか、律していたのにもったいない感があるので行かず。

何か、グレーでハッピーになれることはないだろうか。不倫とかどうだろう。そんな勇気も奮い立たないような。明日も真面目に過ごそう。
_05/06

 

 


それにしても5月の気温差はまずいと思う。「5月病」と巷で呼ばれている病は、この気温差により発症する若干の鬱が原因であるという仮説に対し、俺は異論を唱えない。

スーツ来てても寒いくらいの気候のなか、代官山へライブを観に行く。帰ってサンドウィッチを食いながら原稿を書く。行儀が悪いと気付いたのでこれきりにする。明日は気温差はほどほどに暖かくなるといいなと思う。酒呑んで寝よう。
_05/07

 

 


燦々と日光が照るなか、朝も早くから表参道へ。コンビニのカップコーヒーで一服決めてやろうかと思うがこの界隈はコンビニは少なく、目についたスターバックス・コーヒーへ。

コンビニカップコーヒーの数倍の値段いかれるな畜生、というたいへんセコい思いを抱えつつ、サイフのなかにあったスタバカードみたいなのを思い出す。先月頂いたありがたいギフトカード的なやつである。限りなく現金に近いこういったものは実に嬉しいものである。

数倍の値段のぶん、奥深く香り立つ美味のスタバ・コーヒーは、5月の強い陽射しに乱反射する黒い水面までを美しく感じさせる。

トトトンと仕事をして戻ってタタンと仕事をして清々しく粛々と過ごす。そろそろ酒でも2杯買いに行こう。ビール券が欲しい。
_05/08

 

 


宅で原稿をやったりと一人で過ごす。何故かどんどん覇気がなくなってくるのでソファで沈む。寝ながらJ-WAVEグルーヴラインを聴く。

いかんと思い小一時間で起きてやるべきことをやりおおす。あとはマンガとポテチでも買ってきて静かにしていよう。
05/09

 

 


渋谷界隈で一日過ごす。帰り、近くにいた村上氏と打合せがてら会ってめしを食う。食わせてもらう。ラーメンをごちそうになる。とにかく美味い。

ありがたくも最近ずっと、いそいそと生業に励む。そのうえラーメンも頂くなんて俺は本当に恵まれた人間だ。家系大盛りごちそうさまでした。
_05/10

 

 


地元の祭りが今日明日と催される。公園ではバザー、駅前広場ではライブ演奏と、北区赤羽はたいそう盛り上がっている。

仕事の合間にちょっと駅前を歩いていたら酔っぱらいしかいなかったような。昼間から赤く酔っぱらったとっつぁんというのは実に幸福な姿として目に映る。

俺は酒は必須アイテムというスタンスだが、陽が明るいうちに呑む気にはほとんどならない。しかし街は楽しそうだったので、明日はお休みにしてコロナビールでも呑りながら祭りに加わってやろうかとも思う。

とりあえず今日のところは「闇金ウシジマくん」を読んでウィスキーソーダでも呑んでしめやかに眠ろう。最近、やたらよく眠れる。先月の半不眠病が嘘のようだ。俺は今のところの生涯を通して、脳内神経伝達物質におちょくられている。
_05/11

 

 


宅でずっとDAW作業などにいそしむ。祭りに行く時間がなく遺憾ではあるが、仕事が忙しい方がずっと幸福である。今は。ポテチ食って寝よう。のりしお。
_05/12

 

 

 


ひきつづきDAW作業を延々する。本日はMacとしか喋っていない。

覇気・体調と躁150%程度の絶好調のコンディションにつき、何をしても疲れない。めしなど一食しただけで充分終日走った。まるでおシャブをやっているかのようだ。

何故俺は昔からこんなにも好不調の波が激しいのかと考える。考察したところで全くわからないが、いつもフラットがデフォルト状態というもきっと面白いから、生まれる前に神的な輩にそうオーダーしたのだろう。「体調とか気分の波は激しめで」と。きっとそうだ。
_05/13

 

 


今日は大崎駅へ向かう。赤羽駅湘南新宿ライン5番線ではエレファント・カシマシのメロディが鳴り響く。

宅から駅も近いし雨降りでも立ち回りにさほど困らないのだが、雨なのか曇りなのか、降るのか降らないのか、傘を持参するか超微妙な天候を「ぐずついた空模様」と最初に表現した人は天才だと思った。

夜は友人のバースデーライブイベントに遊びにいく。おひさしぶりに会う方ともふれあえてほっこりとした。よく俺のことなどを忘れずにいてくれたものだと幸せに思う。

もっと幸せそうに過ごしていた足立くんは元気そのものの様子であった。なんとなく、手前のバースデーライブイベントなるものが開催されると仮定した場合、どんな曲をみんなでやるかとか想像する。

「全曲、俺の好きなRadioheadカバー祭りにしよう」という案があるが、どこか陰鬱としたパーティーになりそうだ。足立くんおめでとう。
_05/14

 

 


原稿やったりカレーとネギスープを作って食ったりと実に平和な一日。きのうは終始賑やかに過ごしたのでちょうど良いバランスなような。体にやさしい緩急。
_05/15

 

 


最近二日酔いにならない。よかれと思って亜鉛のサプリを一粒づつ飲み続けているのが功を成しているのだろうか。心なしか髪もいくぶんモッサリしてきたような。

亜鉛という成分は下半身をエロく元気にする効能もあると聞くが、そこは別に効いている気がしない。どういう訳だ。

DAW作業をずっとする。編曲案件は時間がかかるがとても楽しい。気が付けば23時なので酒を2つ買ってこよう。亜鉛というか、独りではアルコール摂取量2杯までという決め事が効いているのかもしれん。昔は宅で3杯も5杯も煽っていたのは何かの病だったのかもしれない。年の功と心の均衡。
_05/16

 

 


一回りちょい歳の離れたフレッシュなバンドのインタビュー案件。ちょうど彼らと同じくらいの歳に俺がやっていたバンドのボーカル君と、フロントの方の歌い方や話し振りが酷似していた。

デビューしたてのキラキラとした表情で楽しそうに取材に応じる彼らに触れると、「やったね。これからだね、頑張ってね」という、清い応援の情念すら湧く。歳のせいだろうか。

帰り際、「楽しかったです。こんなポップなライターさんもいるんですね」と、褒め言葉なのか、そう笑顔で言っていた。生まれて初めて「ポップ」と言われたが、とても新鮮な気持ちになった。

スーツ姿の四十路手前の俺の何をもってしてポップと感じたのかわからないが、若い方ならではの感性は気持ちが良いなとフレッシュな気分になった。要は、一緒に楽しい時間が過ごせたのだなと捉える。若者にエールを送りたくなる年頃。
_05/17

 

 

 


今日もちゃんと仕事をしたものだと呟きながら歩き、西友で酒を買う。帰路で通る赤羽公園では自由なとっつぁん方数人が酒盛りをしている。機会があれば加わりたいものだと横目に見ていると突然の絶叫。

「死ぬまでにやりたい10のリスト!」

「お、おう!?」

「死ぬまでにやりたい10のリスト!」

「おおお!」

「死ぬまでにやりたい10のリスト!」

「おおおう!」

というコール&レスポンスが3回繰り返され夜の公園はフロアと化し、オーディエンスは怒濤の勢いを見せ熱狂——。

いわゆるホームレス的自由人の彼らが言う「死ぬまでにやりたい10のリスト」というのはたいへん興味深いものである。

肝心のその“10のリスト”を順に挙げていく展開に期待し、俺もなかばオーディエンスとして構えていたが、急に野球かなんかの話に移行したもようで肩すかしをくらう。

仕方ないので俺の「死ぬまでにやりたい10のリスト」を考えた。これがなかなか難しい。人間不思議なもので、「死ぬまでに」という枕がつくと「不可能気味なこと」が候補に挙がる。

そうすると、手前の欲望にいかに忠実に、直感的に、正直であるかが問われる。

とっつぁんが「死ぬまでにやりたい10のリスト」をコールしながらもリストアップをしなかったのは、手前の欲望と正直に対峙したときに、それは夢のあるような素敵なリスト候補があがったのであろうが、「やりたいけど、不可能気味というか、現状ではまず不可能」という懸念が何よりも先に頭をよぎったからなのかもしれない。

自身、「不可能」と判断したものを高らかに宣言することは、自虐を通り越して自分の心を攻撃する行為である。「不可能っぽいけど、やってやる!」と、「不可能であろう」という認知の差は、天と地ほどの差がある。

前者も後者も、やりおおせる確率はさほどかわらないのだが、前者の場合は本当にできちゃったりする。後者の場合は、残念なことに駄目だろうと思う自己催眠力みたいなものが勝ってしまう。

とっつぁんは、「死ぬまでにやりたい10のリスト」の“やりたい”という欲望のなかに“まず、できないであろう”というマインドが濃く含まれていたのだろう。「必達」という前向きなものではなく、「欲望」よりももっと手前の、「憧れ」という情念に近い10のリストだったのではないだろうか。

そうでもなければ、1つもリストアップせずに、何事もなかったかのように別の話に逸れたという流れの説明がつかない。俺は、とっつぁんに何と声をかけてやれば良いのかわからない。「死ぬまでにやりたい10のリスト」は、これから慎重にリストアップしていこうと、そう真摯に思えた夜だった。
_05/18

 

 


めちゃめちゃスープが黒いカップラーメンを食べて腹が痛くなる。そういう商品なのか否かで生死が分かれようという状況。おいしかったから良しとするが。
_05/19

 

 


ジワジワ湿度が上昇していく日。レッスンをやって原稿をやってと真面目に暮らす。

仕事が終わってシンセサイザーを弾いたりLFOのツマミをイジったりしてRadiohead的な音作りをして興奮していたら若干のインスピレーションが来た気がするので、友人との共作楽曲案を少し譜に起こす。

でも最近の腱鞘炎気味の手をいたわり、ほどほどにして古本店へ行く。「ハイスコアガール」という面白い漫画をみつけたので2つ買う。

手を痛めたら9割以上の仕事ができんので風呂に浸かってゆっくり眠ろうと思う。明日あたり、休むのがよかろうと思う。しかし、着手できる仕事が手元にある状況だとそれがなかなかできない。別に明日急いでやらねばならぬ案件ではなくとも、それができない。

どうもワーカホリックに向かっている感を否めないが、むしろそれを望んでいる部分が確実にある。手前の依存症体質が完全に仕事に移行したとき、俺はひとつ解脱したことになる。今のうちにホーリーネームを考えておこう。
_05/20

 

 


良いホーリーネームが思いつかないので半日仕事をする。休日のつもりだったが、雨が強かに降っていて散歩にも行けずつまらんと、じゃあ持て余した時間は大切にしようと、そう思った。

「時間は有限である」と、よく賢人の著書などに書かれているのだがそれがどうもピンとこなかった。しかし先々月くらいにようやくピンときて、俺はさいきん時間をわりと大切に扱っている。

どういった時間が大切であるか、ということを考えると、実は「何もしていない時間」というのは大切だと気が付く。

しかし俺は酒を呑んでいる時間が「何もしていない」とほぼ等価で、厳密に言うと「リラックスしてラリっている」という貴重な充電タイムであるということにも気付いた。だから、せめて日中はシャキっと過ごすのが良きバランスだと思うわけである。

そういったわけで今日は半日でも仕事に励んでいたわけだから良日とみなす。酒を買いに行こう。たまには瓶ビールでも買おう。
_05/21

 

 


10時間くらい寝たら手の痛みも和らいできたので、睡眠ほど効く薬もないものだなと改めて思う。寝過ぎではあるが。

平井堅さんのライブを観に行く。本当に素敵な歌唱をする方だなと感じた。耳に優しいというか、栄養になるというか、そういった歌は本当に心地が良い。とても良い気分にさせていただき帰宅する。またJ-WAVE深夜枠でラジオをやってくれないかな。
_05/22

 

 


迷いイヌ、迷いネコを捕獲すべくペットの失踪情報をTwitterでたまに見かける。懇意の拡散リツイートをみると、温かい気持ちにもなる。

しかし、俺は性根が腐っているのか冷たいのか、「高確率で見つからないだろうな」という非情な感想が真っ先に出てしまう。実に感心しない。

それも、小さい頃から10年くらい、俺は実家でネコを絶やさずに囲っては暮らしていたのだが、我が家のネコが急にいなくなったことが何度かあった。そして、100%帰ってくることはなかったのである。

あのときの「帰ってきてくれ」という悲願の感情と「くたばっていたらやりきれん」という絶望感は二度と味わいたくない。本気で神に祈ったものである。

「ペットロス」という言葉があるほど、いきなりペットが失踪してそのまま、あるいは昇天したという現実は筆舌に尽くし難い経験となる。特にネコは、死期を悟り家を出るという習慣があると言われているが、少なくとも俺はそれを現実として何度も確認した。

最近、自宅界隈の電柱、半径500mくらいの規模で「イヌのあーちゃん」を探している貼り紙をみかける。飼い主さんの悲願がよく伝わってくる。その感情はよく知っている。だから俺は、あーちゃんの特徴を記憶し、帰路でなんとなく探したりする。

鼻と首輪がピンクでちょっと恐がりな性格のあーちゃんはどこでどう過ごしているだろう。飼い主さんは鬱の淵で苦しんでいることであろう。正直、俺はイヌは得意ではないが、あーちゃんを見かけたら首を掴む勢いで捕獲しようと思っている。

失踪したペットが帰ってきたときの飼い主さんの表情が見たい。俺が経験できなかった大逆転的感動のシーンを共有したい。だから今日もちょっと仕事帰りなんかに歩きながら探す。あーちゃんどこだ。
_05/23

 

 


有楽町へコンサートを観に行く。なんとなく紫色の毒々しいペイズリー柄のネクタイをして行ったら、その日の公演は白、あるいは紫のワンポイントがドレスコードだったそうな。

これはスピリチュアルな直感が育ってきていると判断し嬉しむ反面、事前にドレスコードの確認をしていなかったことは猛省する。何なら昭和極道的な、あるいは美川憲一的なディープ・パープルなシャツもあるのだが、それも合わせるべきであったかもしれん。牛丼食って帰って原稿やってそろそろ酒呑んで沈もう。
_05/24

 

 


何だか最近漫画を買い過ぎな気がする。2日にいっぺんくらいのペースで1冊は買っているからおそらく過剰な行為である。

「闇金ウシジマくん」を一通り読んだところで、今は「ハイスコアガール」を、ちまちましたペースで買っては楽しく読んでいる。なんというか、これと言って最近ほかに趣味がないのが原因である。

1冊数百円の楽しみだから健全極まりなく、以前の一晩に数万円移動という狂気の愉しみに比べたらむしろ感心すべきである。よくよく考えたらそういった賭博行為が堂々とできる「雀荘」という、合法ないしグレーという存在がさほど問題視されていないのもなかなかな国に住んでいるなと思う。

とはいえ、10年くらい前だが、歌舞伎町の某雀荘で某エビスさん的な漫画家の方が賭博罪で検挙されたのは記憶に新しくもある。俺はサイコレベルのギャンブラーだった過去があるので、合法のはずの雀荘で何故お縄となったのかを細かく知っている。

彼の場合はレート(賭金の規模)がアウトのライン、いわゆる“歌舞伎町レート”の賭場で勝負にふけっていたため、御用となったわけである。

俺も20代の頃に何度かそのレートで興じたことがあった気がするが、それはもう「カイジ」のような表情が素でできるくらいの狂気の沙汰、ざわざわするレートであった。あなおそろしや。

そういった魔の巣窟を抜け出し、健全に、漫画にワクワクできる現状をむしろ良かれと思うべきであろう。それにしても、何か不健全でスリリングな趣味がほしい。
_05/25

 

 


5月だというので暑いので冷やしウドンを作って食べたいのだが、めんつゆが手元になかった。既にウドンはゆで上がっていた後に気付いたので、素ウドンよりも素ウドン的に直で食ってやろうかと思うがそれはキツかろう。

だから「醤油・だしの素・七味・酢・氷」という配分でオリジナルめんつゆを作って食ってみる。全然違う味がした。あきらかにめんつゆではない味わいに、世で販売されているめんつゆのテイスト配分の凄さを思い知る。

日比谷野音へライブを観に行く。さいきんはここに来る機会が多い。昨日も来た。さくさくと仕事をして、今日だって幸せにいそいそと過ごす。
_05/26

 

 


最近心身共に至極快調なのだが、定期的に行く徒歩2分の位置にあるクリニックへ。今日は採血をしてもらった。日々服薬しまくっているわけではないが、やはり薬というのは肝臓やらが疲れるようなので、その臓器の数値の変化をメインに、たまに抜いてくれるそうな。

若い女性の看護士さんにうすら細い腕を差し出す。

「お姉さん、俺の血管見つけやすいでしょう?」

「ええ。“血管”という感じです」

「針、指しやすくないですか? 俺の血管って」

「ラクチンです。撫でなくても浮き出ているし」

そのようなセクハラに近い会話を近距離で交わす。看護士さんもどことなく楽しそうに血を抜いているように見えたのは気のせいであろうか。俺はたぶんマゾヒストでも変態でもないと思うのだが、採血をされるのがちょっと好きだ。

抜かれすぎたら確実に死ぬであろう手前の血液が目の前で細いチューブを経由してドクドクと抜かれる様子が、まずビジュアル的に好きだ。そして、快感とはまた別であろう爽快感が得られる。何しろ、血を試験管3本ぶんくらい抜かれると必ずスッキリする。

そういったわけで、今日はお休みの予定だったがスッキリ元気になったので診察後はずっと仕事に励んだ。穢い血を抜いたぶん、不思議なくらいすこぶるはかどる。たまには静脈血っぽい色の赤ワインでも買って来て呑もうかと思う。
_05/27

 

 


疲れがたまっていたのか、夕方ソファで横になったら3時間眠りくさる。非常にリラックスして良きと思う反面、「仕事をせねば」という罪悪感に襲われる。

〆切は来週のやつだから別に今日やらんでも問題はないのだが、手元に案件がある場合は、それらが枯れるまでは絶対に休日としない強迫観念が幸か不幸か身に付きどれくらいが経つだろう。

だから机に向かって原稿をやる。今日はコラムである。音楽記事なのだが、担当様からの仕様から察するに、内容は恋愛についてだ。

恋愛について俺が良い思い出があるかといったら、あるにはある。たぶん、人間というものは恋愛をして浮かれているときが最も健全にドーパミンが放出、受容、再取り込みと、幸せなのであろう。

失恋したときは過剰にアドレナリンが噴出し、血圧は3割増しくらいでガツンと上がり、それはそれで類いとしては幸せの分布に含まれると思っている。

じゃあ恋愛をしていない現状が不幸かといったらそれは否定したい。あれば幸福であるという、なければないで生きてはいけるという、一種のボーナスのような概念なのであろうか。たぶん、間違っている。

しかし、恋愛中は、人間のパフォーマンス力は飛躍的に上昇する。恋愛は、した方が良い。恋愛について、歌った方が良い。恋愛について妄想するも良し。そういったわけで、恋愛について文字を書く。これも良きであろう。

それにしても38歳という年齢でどう恋愛という観念に、文字や音ではなく、どのようにしてリアルに向き合えば良いか、それがなかなか難しいような思考停止しているような、その点に関しては実に感心していない。恋に恋焦がれ恋に泣きたい。
_05/28

 

 


延々と資料作成をするこれでもかというくらい地味で素敵な5月も終盤、今日は涼しく心地良い空気である。煙草を買いに行った以外いっさい外出していないという不健全な一日であったが、脳はフル回転していたので手打ちとする。 酒。
_05/29

 

 


「うえぇぇ〜い!」と、歳甲斐も無く笑顔で奇声を発しながら風を切り原チャリを走らせる。それくらい、今日は完璧に近い晴天。

浮かれて対向車に当たり事故死、轢死、というのもあの世でカッコがつかないので俺は時速40km/h以内厳守の安全運転である。というかクラシック過ぎる俺の愛車でそれ以上のスピードを出すと素で不安になるというのもある。

ササと用も済まして帰宅し、頂ける原稿おこしの仕事をしたり、資料作成をしたりと慎ましやかにコーヒーをすすりながら過ごす。俺は、日常の些細なほっこりを心底幸福と思えるポジティヴ脳を誇りに思う。
_05/30

 

 


他者のふとした一言が頭から離れなくなるということがある。それが嬉しい一言なら人はしばらく上機嫌で過ごせ、それが手痛い一言なら鬱々とした時間が続く。

俺は夕方に40分程度、仕事の合間に本屋でリラックスしていた。清野とおるさんの連載漫画が読みたいので「Tokyo Walker」を立ち読んでいたところ、同書を読みふける隣の御仁が漏らすように呟いた。

「武田真治は参考になる」

ただ、そういう独り言だったのか、武田真治のどのあたりが参考になるのか、武田真治さんの何に感銘を受けたのか、いっさいわからない。

確かに巻末の方に武田真治さんに関する記事があった。少し読んだが、参考になる部分がわからなかった。武田真治さんが素敵な人物であることはわかるのだが、一体どの観点で「武田真治は参考になる」と一言、昇華されたような雰囲気で言葉を漏らしたのであろうか。

宅に戻ってめしを食べても煙草を吸っても、仕事をしていてもちょっとギターを弾いたりしても、「武田真治の参考点について」という、俺の中でまだ解決されていない一言が議題として頭から離れない。

他者のふとした一言が頭から離れなくなるということは、その一言に素敵な力がある場合、あるいは、情念まとわりつく悪意が込もっている場合、あざやかに的を得ている場合などがある。

この場合、どれに適合するのか全くわからないが、一つ言えることは、武田真治さんは確かに参考になるのであろう。とりあえず筋トレでもしておこう。
_05/31

 

 


 

 

 

 

 

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