05/2020

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
寝渋りチャレンジと金融施策


リモートな案件がひとつ。あと今日は金策の実行日である。“金策”と表現すると、いかにも金がないという感じがして情けなくなってくる。あるにはあるが、このコロナ的状態が続くとまずいが故の“金融施策”としよう。何でもいいが。

まずはネットで申請できるやつをやる。済んだ後、たいそう行列だと噂の役所に直で行く。電話などいっさい繋がらないからだ。今、医療機関と役所は大変だ。本当にお疲れ様ですと言いたい。

とりあえず提出書類などの説明を聞いて後日改めて、という感じで進んだので役所を後にする。王子から赤羽まで2駅ほど散歩がてら歩いて帰る。ただ歩いているだけなのに何故こんなにリフレッシュするのか。生命力みなぎるかわいい新緑たちと挨拶しながら帰る。

ラーメンを茹でて食ってソファでちょっと寝て制作して1日が終わる。何にせよ、慌てず適度に自粛しつつやるべきことをちゃんとやって、焦らずに凌ごう。ピンチの時にどう行動するかで人間の性根が問われるそうな。出る時はガツンと出て、引く時は静かにしていよう。
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「4時間睡眠は1週間で慣れる」と、なんかのYouTubeチャンネルで観た。そんなの無理に決まっとろうと訝しむのも無粋と思い、とりあえず昨日から1.5時間睡眠時間削りチャレンジ開始。

2日目である今日、案の定昼間はめっぽう眠い。はかどらん。何も良いことないじゃないかと思うが、「2日目がキツさのピーク」とのことなので、今日が峠だ、今日が頑張りどころだと、生アクビをしながら過ごす。

夜になってしまえばこっちのものである。俺は昼より夜の方が眠くない。これは子供の頃からそうだからコウモリやネコ科の動物たちと同じような自律神経および精神構造なのであろう。

俺はフル睡眠で約9時間ちょいだ。これが1.5時間削ってもデフォルト状態の体になったとしよう。生産性は上がるし遊ぶ時間も呑む時間も増えるしと、良いことずくめのはずだ。

明日、「当然昼まで寝くさる」ということにならないことを祈る。もしそうなったら、やっぱり自分は生粋のロングスリーパーということで諦めよう。
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睡眠時間短縮生産性向上計画3日目、無事に早起きする。しかも昨日より体が楽である。アクビなど一度も出ない。

これはいけるんじゃないだろうか。健康を害さずに平均睡眠時間を1.5時間削れるのではないだろうか。だとしたら1カ月で約45時間活動も時間が増える。

しかし、俺は決して寝ている時間が無活動とは思っていない。何かしら精神下で生きている自覚がある。覚醒時には決して行けないスピリチュアルな場所にいるような、レム睡眠中のあのドラッギーな感覚が好きだ。

長く寝るのを否定するわけではなく、ただ、家にいる時間が多いから制作やらなんやらの時間が増えたらな、というだけである。

ここ3日、明らかに時間に余裕がある。作業もはかどる。体がつらかったのは昨日までだ。酒も美味い。なぜかこう、いつもより性欲すら増した感覚からくる下半身のどっしりとしたボトム感。

なんだ、ちょっと睡眠不足のほうが得じゃないかと思うが、1週間も過ぎればきっと2日くらい“寝溜め”にふける可能性大。11時間とか寝てしまいそうである。

そうなった場合は、明らかに体と精神と脳に負担がかかっている証拠なので、いつもの睡眠ペースに戻す。病んだら元も子もない。だが今のところ行ける気がする。

よく書いてあるものである。「睡眠時間は4時間」「昔から3時間くらい寝れば大丈夫なんですよ」などと、経営者が書く本につらつらと。

あれに少し憧れていた。シンプルに「睡眠時間が短くても平気」ということは「活動時間が増える」ゆえに「金を稼ぐ時間が増す」結論、「富が増える」と考える。

俺がいつまで経っても決して金持ちになれないのは、比較的睡眠時間を長くとらないといかん体質だからという仮説。これが検証されれば、俺は金持ちである。ロングスリーパー脱却計画、いつまで続くだろうか。調子崩したらすぐヤメよう。健康第一。
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日中眠くてたまらん1日。やはり睡眠時間を削るというのはシンプルに良くないことなのかもしれない。

しかし、検証中なので少なくともあと数日は1.5時間ほど睡眠時間短縮という苦行。なぜ率先してこの苦行を始めたのかもはや忘れたが、日記に記してあるから思い出せた。やはり日々のジャーナル行為は大事なのかもしれん。

今日は2本お電話がかかってきた。共に、個人事業主や経営者という業態の友人。内容は主に「持続化給付金」についてである。100万、200万という給付金額の天井が設けられているアレである。俺はこれに対し、申請開始の5月1日に真っ先にアタックした。

電話をかけてきた個人事業主の友人は、その様子が気になるもよう。彼にはお世話になっているので、成功した暁には実体験の情報を彼とシェアしようと思う。

会社経営者の友人は心配して連絡をくれたようだ。もし俺が申請していなければ、彼はその手順なりを把握して俺の宅まで来て申請をしてくれただろう。神のような奴である。なお、彼の業績たるや落ちていないとのことだ。音楽関係者なのにこの時期ヘコまないというのは猛者すぎる。

正直、「持続化給付金」の申請が本当に受理されて入金となるか、俺の中では「ほぼ確の手前」といった感触なのだが、経理や数字や政治経済にめっぽう明るい彼によると「確定」とみていいとのことだ。信じよう。

夜、内閣総理大臣の記者会見を観ていたら「持続化給付金」について総理が触れ、「早くても8月に給付開始」と言いくさった。全然早くない。3カ月で経済的にアウトとなる事業者がどれだけいると思っているのだろうか。

俺はフリーランスの人をあつめて国会議事堂前で拡声器を持って白ヘルメットにマスク姿で猛抗議をする計画を考えた。この件に関してはネットで声を上げるなんて生ぬるい。実力行使だ。レイジ・アゲインストだ。火炎瓶だ。内乱罪覚悟で特攻せり。そう、怒りに震えていた。

しかし、総理が爆弾発言をした20分後、「8月じゃなくて5月8日でした。訂正します」と、しれっと言い放った。俺の怒りの20分間を返してほしい。

総理も大変だから疲れていて素で間違えたのであろう。日々の業務、お疲れ様でございますと言いたい。

そういったわけで、イレギュラーがなければ今月に金策のひとつが達成される兆しが見えた。光明が照れば俺の生業はまだまだ続けられる。ライター業や音楽業はこの先何年も持続させたい。そのための持続化給付金申請である。そして、タマがあれば新たなビジネスにもチャレンジしたい。

感染症流行は不本意かつ遺憾であるが、現在の状況の棚卸しと先を見据えた思考をじっくりめぐらせるチャンスでもある。「この人はちょっと馬鹿なのでは」というくらい前向きに考えた方が未来は煌びやかに輝く。そう信じ込こんでいる。
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すこし韓流POPについて勉強する。みんなイケメンで語学堪能でダンスや歌も上手いしサウンドもカッコよろしい。

なんとなくだが、「J-POP」と「K-POP」と言葉を並べると似通った感じだが音楽性的に差を感じて日本国民としてやや悔しさをおぼえる。

じゃあK-POP風の曲でも作ってみようという発想があったが、よくよく聴くといろんなジャンルを上手いことミックスした感じで、「K-POP風」という感じはなかなか難しそうである。せいぜい「江南スタイル」のトレースのようになるのが関の山だ。だからもっと基本的なやつ、HIP HOPを作る。

そうこうしているうちに1日が閉じていく。今日も日中眠かったが睡眠時間削りも慣れてきた。何が一番良いかというと、1.5時間ほど寝る時間を削ぐと酒が美味い。そしてすぐ酔っぱらう。

だがしかし、今読んでいる「エッセンシャル思考」なる本に「睡眠時間を削るのは結局パフォーマンスが下がるので良くはない」というくだりが記されていた。学術的な研究結果でもあるそうな。

では俺がここ数日頑張っている検証はなんなのだろう。本に書いてあることを信じるか、手前を信じるか。何事も体験に勝るものはないと思っている。だからあと2日、一週間が経ったら一度考えよう。

K-POPな韓国人の平均睡眠時間は約7.5時間と世界一短いらしい。次点が日本だそうだ。そして俺の満足いく睡眠時間は9時間ちょい。インドや中国の平均睡眠時間と同じくらいである。アメリカ人も8.5時間ちょい寝てるそうだ。

カッコいいK-POPを作る韓国人は睡眠時間が短い。しかし、インドや中国、アメリカなど人口の多い国の睡眠時間は俺くらい。

結論、俺はインドに行くべきである。そこで悟りを開いてチャクラの力でバリバリと仕事をして、夜は9時間寝ればいい。給付金が無事振り込まれたら飛行機に乗ってインドへ行こう。いや、コロナ的にそれは感心しない行為だ。このように、睡眠時間を連日削ると思考が支離滅裂になる。
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眠い。眠くてしかたがない。もう嫌だ。1日1.5時間以上も睡眠時間を削るなんて自傷行為に近しい。死なない程度のリストカットに興じるのとさほど変わらん。

いいや、俺はインドに行くためにここはグッと堪えて邁進すべきである。現地の石油王と友達になって一緒に小ぶりのメスの象に乗ってキャッキャと遊ぶのだ。

「ヘイ、ケンジ! 今度はあっちのデカい象に乗ろうぜ!」

「あれは無理だよ! デカすぎ。落ちたら死ぬまであるじゃん!」

「大丈夫だって! あとでカレー奢ってやるから乗ろうぜ!」

「おいおい、よせって! へへへ……!」

きっと楽しい時間が過ごせるだろう。いや、確か当初の予定と全然違う。どこからインドに行くという謎案が出てきた。もう何が目的かもわからなくなってきた。

さすがにそこまで思考回路は乖離していないが、ひとつわかったことがある。それは、夕方を過ぎればあとはフル睡眠した時とさほど変わらないという点だ。

じゃあ俺は午前と昼の時間帯を犠牲にしているのか、生産性やらを上げるためのチャレンジなのにリスクの方がでかくないかと、それは疑心暗鬼にもなる。

しかし、やはりメリットの方が僅差で勝る。今日など予定のタスクは2つしっかりとこなし、途中友人とZoomで2時間はお喋りするゆとりタイムすらあった。隙間時間にお勉強をするという習慣もできた。やはり良いことずくめではないか。そしてこれから呑む酒はフル睡眠時よりも美味いのだ。

危惧しているのは健康被害である。これはいまのところ問題ない。むしろ、顔のリンパのあたりがすっきりして顔がシャープになった気がする。ハンサムになった気がする。睡眠時間を削ると美容にも良いのだろうか。

もうすぐ結論が出る。「9時間ちょいという俺のベスト睡眠時間は実は寝すぎだったのか」ということ。そして「睡眠時間を1.5時間以上削ると生産性が上がり豊かになれるのか」という2点である。

後者は、実際に富を得るまでのタイムラグが生じるが、体感的なところはもうすぐわかる。俺はどうしてもインドに行って小ぶりなメスの象に乗ってはしゃぎたい。その為に、このチャレンジは完遂すべきだ。このように、睡眠時間を6日も削り続けると着地点がフワフワと霞む。
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俺は限界を感じた。眠り渋って1週間、なかなか具合がわるい。具体的には「ただ眠い」というだけである。そんなものしっかり寝れば解決する。

眠気からくるこの覇気のなさ、内臓がグルグル鳴る感じ、散歩していても眠気に襲われるなどなど、もうたくさんである。

今夜は9時間ちょい寝てやろうと思う。この6日間で(1.5時間×6=9時間)睡眠時間を削った。ちょうど1日完徹したのと等しい。

徹夜は確実に寿命を摩耗する行為だと思っている。それと何ら変わりないことをこの1週間やりおおした。得たものは、いつもより2割増しくらいの生産性。そして“頑張ってる感”という自己満足だ。

失ったものは別にないが、やはり集中力は落ちていることを実感した。そして、1週間も続けると十分な睡眠をとりたい欲が押し寄せることを知った。

ちょっとブラック目な企業で平日眠気と戦いながら働き、週末は死んだように寝る。なんかこれに近い。

だったら俺の場合、5、6日超フル稼働して1、2日お休みとするスタイルではないので、日々しっかり寝てほぼ毎日なにかしらをやっている方が向いている。

休日がないのは耐えられるが、睡眠時間を恒常的に削るのは耐えられない。結論が出た。俺にとっては、十分な睡眠時間を削って体質を改善することは、あまり得策ではなかった。

韓国人や日本人の平均睡眠時間である約7.5時間、それよりやや少ない睡眠では俺は奮起できない。インド人や中国人なみの睡眠時間が必要なのだ。

だが、生産性が上がって酒が美味くなるという利は捨てがたい。だから中間をとろうと思う。週の半分くらいは頑張って1.5時間くらい寝渋って、もう半分くらいはしっかり9時間ちょい眠る。そしてだんだん慣らしていく。これだ。これでいこう。

とりあえず何も失わなかったからよかったが、反省点がある。いきなり一気にやりすぎた。「痩せたい」と思って行動におこす者が「ダイエット」からではなくいきなり「絶食」したことに近しい。たまにはしっかり食うことも大切だ。

とりあえず、中間的な結論が出てよかった。何事もやってみることがやはり大事だ。だんだん慣れて体質改造し、俺は笑顔でインドに行く。
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外に出ると景色が明るい。道脇に咲く花は美しく映え、空はいつもより数100メートル先まで見えるようだ。人間の外出活動が減り空気が浄化されたのだろうか。それとも俺の体・精神・脳が覚醒しているのだろうか。

まあ、両方であろう。何しろ昨夜は1週間ぶりに9時間寝てやった。明らかに調子がよい。昼に自炊する宅蕎麦たるやニラやキノコを入れるなど、調理に凝る心のゆとりすら湧いていた。

原稿やら制作やらと宅でやっさる中、持続化給付金の入金はまだか、それとも受理されていないのかと、脳内期待汁をヒタヒタと垂らしながら過ごす。しかし慌てても何も得はない。じっと我慢の子である。

有事となってどれだけの日数が経っただろう。人とほぼ会わない生活もすっかり慣れた。会わなくとも各種コミュニケーションアプリで誰かしらから会話的なやりとりがある。断絶感は意外とない。今日も静かに酒を呑んで寝よう。YouTubeで「トレトレチャンネル」を観て寝よう。
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わりと早起きして制作などをしてコツコツと過ごす。ギターを録音したいので弦でも張り替えようかと思ったらストック弦がない。

散歩をするいいきっかけだと思い、近所のしまむら楽器店に行くもやっとらん。自粛。あらゆる場所に影響が出ている自粛要請。

しょうがないのでとりあえずコンビニで「漫画ゴラク」をチェックしようと思い雑誌コーナーへ行く。しかし目に飛び込んできたのは「コロナの影響で立ち読みをご遠慮いただいております」たる貼り紙。立ち読み自粛。買おうか迷ったが自粛。

自粛ずくめでたいへん侘しい。いつまで続くかわからないがここはじっと我慢だ。今は音楽制作やウェブサイト更新など、コツコツと積み上げよう。あとで複利的に返ってくる。複利はあなどれない。
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表に呑みに行きたい欲。こればかりは堪えられん。友人知人としっぽり語り合いながら呑むも良し、一人でハシゴ酒をして初対面の隣人と盃を交わすも良し、夜の街は彩りある出会いがありファンタジーに満ちている。

自粛。このフレーズが俺の足を止める。散歩して赤羽一番街の呑み屋をのぞくと、意外とお客さんがいることに気付く。酒呑み強し。コロナウイルスなぞどこ吹く風やらと言わんばかりに普通に呑んでは笑顔を咲かせている。俺も混じりたい。

一昔前だったら「自粛とか知るか。俺は呑みたい時に呑みたい場所で呑る」と、国の要請などフルシカトして遊び散らかしていただろう。

二昔前だったら「コロナにかかる確率なんて交通事故に遭うより低い。俺は打つ」とか言ってパーラーでパチスロを擦っていただろう。

しかし現在、俺の中の社会人的人格が育ちつつある今、おとなしく過ごしている。俺も大人になったものだとか思いながらせっせと地道な作業に努める。39歳。

「おいおい39歳、丸くなったじゃねえか。行かんの? ピン雀荘。ちょっと稼いで立ち呑み屋。お前の生き甲斐じゃねえか?」

そう、反社会的パーソナリティ人格部分の手前が唆す。聞く耳は持つ。だが、聞いた上で、「行きたいが、行かん。今コツコツ我慢して地道に先々の収入となる作業をするのが得策だ」と、躱す。

ニュースなどでパチンコ店営業や夜の店の営業が弾劾される風潮が目立つが、俺は良いとも悪いとも思わない。人間、「そうするのが得策」と頭ではわかっていても一律行動に移せるかといったら一定数は必ず逆を行く。

行く人は行くし、呑む奴は呑むし、打つ輩は打つ。それらを100%抑え込むのは不可能だろう。強制的に罰則を設けたとしても不可能だと思う。闇呑み屋や闇賭場が開業されるだろう。「呑む・打つ・買う」という欲を満たす業種を完全に封じ込めることがどれだけ難しいかは歴史が物語っている。

もちろん、緊急事態を収めるためにみんなで協力し合って、というのが理想だし俺も望んでいるが、どこか、その正しい行動に従わない者共を否定したくない。なぜなら、人間そういうものだからだと、心底認識しているからだ。

「死刑囚の最期」という本を読んでいる。タイトル通り、死刑が確定したあらゆる囚人たちの最期のエピソードが、取材をもとに記されている。

こういった類の本を読む人の多くは、おそらく「死刑が執行される人間の心理」などに興味があるのだろうか。あるいは、「死刑にされない自分の安心感」みたいのを得たい心理がはたらくのだろうか。

俺の場合は、死刑囚目線で読んでいる。いつの時代も、必ず死刑囚がいる。一定数いる。その超マイノリティな人間が「どういうつもりなのか」というのを理解したいのだ。

そういった目線で読むのが最も面白い気がするが、どこかやさぐれた気分にもなる。しかし、俺はその目線をとても大事にしている。いらん視点なのかもしれないが。
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“躁鬱”でいうと完全に躁なる1日。5時間睡眠くらいで十分な覇気を得て早朝に起床。年に数回、こういうアッパーな日がある。俺は別に躁鬱病でも双極性障害でもないが。

つるっとヨーグルトを食べてホカホカのコーヒーを淹れ、机に向かう。匿名名義で運用しているメンヘラサイトの管理および更新をする。このサイトはたいへん小規模ではあるが、毎月のサーバー代くらいは稼いでくれるので大切にしている。作業は3時間無休憩でも全く苦ではなかった。

昨夜はストロング酎ハイ350ml1本とハーフボトルワインを呑み散らかした。短時間睡眠では当然酒が残っても不思議ではないのだが、いたって脳はクリア。確実に脳内神経伝達物質のアッパー成分が過剰に分泌されているのがわかる。脳汁祭りである。

昼過ぎ、蕎麦を茹でて食ってボスリとソファに尻をうずめたら人事不省に陥ったかの如く沈む。やはり寝不足ではないか、と思うが20分で覚醒し原稿をやる。いける。今日はどこまでもいける。そう確信し、夕方まで仕事をして少し散歩に出かける。

イトーヨーカドー内の書店で立ち読みをする。いろんな書籍に目を通した結果、「ルポライター」というフレーズが頭に残った。そうだ、俺はルポライターというのをやってみたい。

そう思い、宅に戻り現在の仕事内容の棚卸し的なドキュメントをパワポで作成する。俺はエクセルは苦手だがパワポは大好きだ。会社員時代、俺がパワポで作った資料はみんなが褒めてくれた。あれはすごく嬉しかった。ディスられたことは寝て忘れることにしているが、褒められたことは一生覚えておくことにしている。

ドキュメントを作成し、今後の見通しを記すことで最近モヤモヤと考えていたことが脳内が整理された。思考のアウトプット行為の効果たるやビジネス書とかで謳っている通り効果てきめんである。

夕飯を食い、また20分ほどソファで転がりちょっとネットの麻雀ゲームをして遊ぶ。クソつまらない。賭さない麻雀のなんと退屈なことか。知り合いとだったらノーレート麻雀も楽しかろうが、目に見えない他人とネットでやる麻雀の不毛さといったら喩えようがない。60分ほど時間を溶かしたが、こういう無駄な時間もアリとする。

やはり真面目なことがしたいと思い、手前で作った曲を鍵盤で練習しているうちに0時をまわる。やる予定のこと、やりたいこと、やっても無駄なこと、それら全てがやれた1日。最高ではないかという気分だ。

しかし困ったのは全く眠くないという1点。大丈夫。俺には酒がある。イトーヨーカドーの書店で読んだ本には、アルコールの危険性と依存度はヘロインやコカインとさほど変わらないと記してあった。そして大麻やベンゾジアゼピンよりレベルが高いそうだ。そうか、だからあんなに美味しいのか。乾杯。
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宅蕎麦を食っていたら入電。日本政策金融公庫たる公的金融機関からである。そういえば先月、コロナ対策資金プランの“3の矢”として放ち、多大な書類を送付しておいたのをわすれていた。

“1の矢”の一律10万円給付については申込書すら到着していない。“2の矢”のマックス100万円給付の持続化給付金は、申請済だがいまだ入金がない。確率は低そうだが審査落ちまである。それだけは勘弁願いたい。ジリジリとした心境が続き今日、奥の手である3の矢から先にレスポンスがあった。

板橋支店のご担当様はたいへん丁寧な口調で電話での面談をしてくれる。どうやらコロナ用の予算が国からがっつり出ているようで、今はフリーランスにも超前向きに検討しているという。そんなことネットでは知れなかった。

何枚もの提出書類にできる限り克明に記したのが功を成したか、面談はあまりにもスムーズに進み、まず借り入れ可能であろうという風向きである。

そして、3年間は年利0.46%、以降は1.36%という、タダ同然の金利であることを知る。その情報もネットにはなかった。一律0.9%と聞いていたのだが違った。さらに審査は極めてユルそうだ。

3日後に軽く対面で面談、そして追加書類を何点か、という流れで今後進むそうだ。そして、申し込むならば6月中旬には入金という。最もハードルが高そうと思われた金策が何よりスムーズに進行している。

しかし、超低金利とはいえ、もらえる金「給付金」ではなく、「借入金」という借金である。借りるか否か。非常に悩む。

コロナ資金について、ここ1、2ヶ月で5人くらいと話をした。「経営者」という肩書きの人間は満場一致で「むしろ大チャンスだから借りられるだけ借りちゃえ」と、キッパリ言う。そして、「不必要なら借りなくても。借金だし」という人間もいる。後者に対してはあまり共感できなかった。だって勝負金を手にするチャンスなのに。

加えて、「このチャンスに一度借りてキッチリ返済して信用を作り、次の勝負所という時にすぐにまた融資を受けやすくするのが賢明」という具体的な話をする人間もいた。

俺はご担当者にその旨を聞いてみた。「たとえば少額でも借りて一回ちゃんと返済したら、次は借りやすくなります?」と。答えはイエスであった。格段に違うという。

はっきり言って俺のような奴は、今回のコロナ特例みたいなのがなければ日本政策金融公庫から融資を受けるのは極めて難しい。相手をしてくれるのはアコムとかレイクとかヤクザな金融屋らくらいだろう。しかし、今の時期は、国から融資が受けられそうである。

だから、今借りてササッと返して「信用を作る」という目的も含めて融資を受けるというのが得策かもしれない。途中一括返済も可能だという。知らなかった情報がガンガン入ってくる。

「ネットや本で調べて検討」というのと「実際にアクションを起こす」ことではエグいくらい情報の入り方に雲泥の差がある。これだけでも大収穫である。

コロナ騒動で金が尽きて廃業、という確率はだんだん低くなってきた。数ヶ月前まででは考えられなかったことが次々と起こっている。先月全力で金策に時間を割いてよかった。

「ピンチはチャンス」というフレーズはあまり好きではないのだが、完全にそれにあたる。ピンチはチャンス。略してピンちゃん。仕事場のかわいい観葉植物の名前と一緒である。
_05/12

 

 


半日真面目に過ごし、半日ふざけて過ごす。なんだか人間これくらいでいいのではないかと思う。

案件をやったり、制作をしたり、動画を撮ってアップして遊んだり、うたた寝したりと。これくらいがストレスを感じずちょうどいい。

隙間時間やボーッとするひと時、遊ぶ時間などがないと人間は思考停止する。しかも、それに気づかなくなる。それは俺は経験済みなのでよくわかる。あとで振り返ってみて「あの時期は目の前のことに囚われていて『考える』ということをしているようで放棄していた」と。

目の前のことで頭がいっぱいというのは、それはそれで悪くないと思う。しかし、心を亡くすと書いて“忙しい”とはよくできた言葉。心を亡くすと人間味が薄まる気がする。それはつまらん。

だから、日々やることがありつつ、合間合間でちょいちょい頭を空っぽにする、全力でふざける、誰かとじゃれる、遊んで楽しむ、というのは大切だと思った。人間の精神構造は本当に不思議だ。「こう」という正解がいまだに見つからない。

正解があるとしたら、各種の宗教的な考え方だろう。あれらには「正解」がある。どうするのが良い行いで、何が禁忌なのかが明確だ。それもどうも俺は体質に合わん気がする。「永遠にわからない」くらいが面白くていい気がする。
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トータル的に薄弱なコンディションの日。どうもだるい。病的な方向ではなく、ただただぼんやりとだるい。まあこういう日もある。今日はリモート案件がひとつ。

終えたあと、散歩して牛丼食ってぶらぶらしてるがだるい。帰宅してソファを抱く。だるすぎる。頑張ればいつも通りなんやかんやできるのだが、「頑張りたい」という意欲がごっそりない。そういう日もある。

ネット麻雀で小一時間遊んだ後、制作に取り掛かる。DAWを開いて鍵盤を弾いて、楽譜を書きながらまた鍵盤を叩いて、ようやく覇気が戻ってくる。その時点で22時だが。そんな日があったっていい。

1曲、構成までできたので満足し、あとは明日以降という感じで元気になってくる。1日の終わりにようやく。そういう波の日があってもいいじゃなかと、なんだかんだでやることやったからいいじゃないかと手打ちとする。スカッと酒を呑んで寝ていい夢見よう。
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ひさびさにスーツを着て日本政策金融公庫へ突撃。JR板橋駅からわりと歩く。マスクしていると暑くてたまらん。マスクは息苦しいしどうも嫌いだ。

担当の方も同意見。しかし「マスクをせずに仕事をしていたらお客さんからクレームが入ったんですよ」と苦笑い。たいへんなお仕事である。

「それで社長、今回の件なのですが……」

「はい。いけますかね……」

面談的なものを約40分間おこなう。それにしてもフォーマルな場で“社長”と呼ばれるのは実に気持ちがよい。俺の懐事情と各仕事の詳細、口座の入出金の流れを淀みなく開示、説明する。話はトントンと進む。担当の方は、俺のやっている各業務に対して好反応を示してくれる。そして、ネットでは知り得なかった情報が次々と出てくる。カメラをまわしてYouTubeにアップしたら絶対にバズる。

それくらい色んな情報が得られた。とりあえず3年返済なら実質無利子だ。金利計算したらカード会社や消費者金融の年利の33倍低い数字だった。(3年間は0.46%。以降は1.36%)と、歴史的な破格である。

さらに、3年以内に返済した場合は払った利息が返ってくるという。この点だけでも、詰みそうな事業者に教えてあげたい情報だ。

俺への事業資金融資の行方はというと、ほぼ確とみてよい雰囲気だ。完全に俺に融資をする前提で話が進んでいる。鉄壁の鬼審査というイメージの政策金融公庫だが、コロナ騒動によって現在は神審査である。

俺の描く絵はこうである。まずは当面の運転資金を確保したい。しかし事業化給付金の支給の是非がいまだ謎なので、政策金融公庫から“繋ぎ資金”として高額ではない融資を受ける。そいつを数年で返済する。なんなら途中で一括返済する。

そして、「国の金融機関の信用」という国内最強の金ヅルあてを得て、何か具体的なビジネス計画を立てた時、格段に融資を受けやすくなるという布石を打つ。その絵は正しいかと担当様に直接問うと、答えはイエスであった。

案件の減りすぎであと数ヶ月、持っても年内に店じまい、という選択肢は薄くなった。俺はどちらかというと金に無頓着なほうなので、今回の騒動での資金対策は非常に勉強になった。

そして、金融公庫の担当様が人間的に非常に合う方だった。この点は恐ろしくラッキーである。先月までは「90%詰んだ」と嘆いていたこのピンチを、驚くほどのチャンスに変えたい。いいや、変わりかかっている。現金という実弾は切実に大事だ。
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やや早起きして宅でデスクワーク。しっとり雨の日。月頭におこなった苦行である「一週間睡眠時間渋り」が功を成したのか、ちょいちょい早起きする習慣ができた。

何事も習慣になってしまえばこっちのもので、積み重ねによる利につながる。それが筋トレであろうとサイト更新であろうと制作であろうと。人によって色々あると思う。

しかし感心しないのが、ここ数日オンラインネット麻雀を夜3、4回やる習慣がついてしまった。「東風戦」という短く勝負が着く卓なので時間にして小一時間。実に時間の無駄である。

何しろガチで現金を賭けることができる「DORA麻雀」というとてもグレーなサイトではなく、健全なゲームとしてやる場所だからである。俺の場合はもはや賭けてても無駄だが。

ちょっとリラックスして頭を柔らかくするのんびりタイムと捉えればよいのだが、どうも俺は依存性のあるもの全般に弱い。麻雀はたいへん依存性がある。ゲーム全般そうかもしれないが。

実戦であるフリー雀荘での勝負という行為を禁忌として早16ヶ月。パチンコ店に行くことをヤメてからもう10年弱は経つだろうか。巣篭もりのストレスからか、とうとう禁断症状が出ているもよう。だんだん「そろそろ再開するか」という気分が自分の悪癖を許してしまう気がして恐ろしい。

俺はギャンブル中毒という自覚があるので賭博行為を全て断った。「ヤメる」ではなく「今はやらない」という断ち方をとった。完全に未来永劫やらないという選択肢は苦しいからである。「今日はやらない」を、毎日繰り返すというシャブのヤメ方と一緒である。

中島らもさんの書籍にも記してあった。アルコール依存症に陥った彼のヤメ方は「今日は呑まない」ということの繰り返しだと。「一生呑まない」だとハードルが高すぎてへこたれてしまうので、一歩ずつという心理トリックを使った高度なヤメ方である。

それくらい各種依存症は恐ろしいのだ。俺がかつて陥ったギャンブル依存症はマジで恐ろしい。アルコール依存症とシャブ中とさほど変わらないと本気で判断している。

しかし、金を賭けないネット麻雀、すなわちギャンブルでないからアリ。という思考が俺をどれくらい犯すのか――やはり恐ろしい。ゲームを小一時間やることに対して罪悪感を抱き過ぎだろうか。

こういう時、女房がいたら俺は泣きつく。「やっぱり再び手を出してしまいそうかもしれん。助けて」と。

そんな時に、「知らん。手前の勝手だろう。やりたきゃやってまた勝手に苦しめ」と、蔑みも憐れみもせずに即答してほしい。自己責任突き放しスタイル好き。
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晴れやかな目覚め。宅蕎麦をすすってリモート案件をひとつ。そのままデスクワークをぽちぽちとしている内に夜。今日はなぜかやたらと時間が経つのが早く感じる。酒で体内時計がやられたか。

そこまで呑んではいない。「宅呑みは2本まで」という鉄のルールは年に数回くらいしか破らない。

明日は平日。持続化給付金というタマが振り込まれてもおかしくないタイミング。「いつくるのか、ドキドキ」というのもだんだんしんどくなってきた。起きて身支度をしたあと気合いを入れてスマートフォンを見て「ネット銀行の入金通知なし」を確認した時のガッカリ感はもうたくさんだ。

明日はスマートフォンの通知を2度見するほど驚き、「ゲット」と一人で叫びたいものである。お金の大切さを身に染みて実感するこのごろ。
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やや二日酔いという久々の感覚。体はだるく気分は鬱カラー。なぜかと昨夜の記憶を辿ると、友達がSNSに上げたリミックスが面白くてその話題で盛り上がり、気づけば3本目の酒を口にしていたのが原因である。

「1日2杯が限度」と、明確な天井をもうけているのになぜ冷蔵庫に予備の発泡酒「淡麗」を控えさせていたのか。なければ水を飲んで寝ている。必要以上に酒をストックするのも禁忌としている。呑み干してしまうからである。ヤメよう。未練がましく酒をストックしておくのは今後ヤメにしよう。

二日酔いは昼過ぎに峠を越え、二日酔い明け特有のスカッとした気分になり仕事もはかどる。外の湿った空気はブリストル・サウンド感を醸し、なかなか心地よい。外食めし帰りに軽く散歩をする。

戻って仕事や制作をする。しかし、合間にまた小一時間ネット麻雀をやってしまう。俺はいつもこうだ。「重い犯罪」や「決定的な事故」などは起こさないが軽犯罪や軽いルール違反を軽んじる傾向がある。

あまり感心しない。せめて手前が設けたルールは守ろう。正直、小一時間ゲームするくらい問題ないのだが、「麻雀ゲーム」という種目がよくない。をやっているうちに律している心が乱れ、再び博徒として復活してしまう導火線であるような気がして恐ろしい。そこだけが懸念される。

少しずつでいいから改善して隙のない漢になりたいものである。息抜きのゲームはテトリスとかにしておこうか。
_05/18

 

 


引き続き湿った天候。無条件で気が滅入るから晴れてはくれんかと思いつつ静かに過ごす。

気だるい空、宅でしんみりとなるとメシもそれなりに質素になる。キノコ蕎麦とコンビニスイーツしか今日は口にしていない。やつれやしないだろうか。

最後に焼肉屋に行ったのはいつだっただろうか。焼肉を一緒に食う相手というのは、だいたい気が知れた仲の場合が多い。ジュウジュワプススと肉を焼き、盃を酌み交わし、トントンと会話を楽しむ。腹も心も満たされるひと時だ。

行きたくて仕方がない焼肉屋。しかし自粛ムードで誘いも誘われもせん。一人で知り合いがやっているホルモン屋に呑みに行くのも気が引ける。

せめて今日の酒のアテは肉にしよう。いつも安いハンペンや値引きのさしみなど、俺のつまみのチョイスはどうも偏っている。何事もバイアスがかかるとだいたいよろしくない。

だからと言ってビーフを買って焼いて、という気概も今はない。しかしサラミあたりで妥協するとますます虚しくなりそうである。選ぶのがもうしんどくなってきた。これがコロナ疲れというやつか。

そこで、「つまみルーレット」を作ろうという案が出た。ダーツ的なやつを買ってきて各ポイントに「ハンペン」「おしんこ」「ポテチ」「さしみ」などと記し、毎晩矢を放って刺さった項目をその日のつまみとする。名案である。

だが少しスリルがほしい。「休肝日」という項目も記し、ハズレを設けようとも思う。そこに刺さったら「つまみ何にしようかな」どころではなく、おとなしく即睡眠である。

はたして俺は「休肝日」に矢がブッ刺さった時、それに従うだろうか。たぶん「いまのなし…」となるだろう。よって「つまみルーレット案」棄却。
_05/19

 

 


なかなか晴れない5月の空、肌寒いのは俺だけではない、心境的にも懐具合的にも今はだいたいの人が寒い。しめやかに過ごそうとデスクに着席。

昨夜は寝すぎというくらい睡眠をとったのであらゆる作業が捗りまくる。やはり十分な睡眠は俺にとって必須だと理解した。月頭の寝渋りチャレンジで実感した。

合間にホリさんと電話で2時間くらい様々なトークに花を咲かす。早くまた一緒に赤提灯巡りに興じたいものである。

今日は寒いので湯船に浸かろう。潜って「何秒息を止められるか」というマゾヒズムな擬似臨死体験遊戯後、死から生還した気分でうまい酒を流し込んで熟睡しよう。さぞや整うことであろう。
_05/20

 

 


やたら早起きしていくつか案件をやる。相当な睡眠不足のわりにはテキパキと進行する。昨夜風呂場で1分以上潜ってゼエゼエし、強制的に脳へ酸素をタイトに送り込んだのが功を成したか。

昨日今日とオンライン麻雀ゲームをしていない。なんとか習慣になる前に食い止めた。自制。そう、俺はアラフォーになってようやく自制心が発達した。すると物事はだいたい変な方にはいかない。我慢がいかに大切か――。

「満足の遅延」と生産性の関係は密接だ。いかに我慢をしてでかい報酬を得るか、自制心をどれだけコントロールできるかは、幼少期の過ごし方がかなり影響すると考えられる。俺は完全にそう思っている。

子供の頃を思い返すと、母親がコアな健康食品マニアだったので自然食が主の食生活だった。めしは白米ではなく、玄米だった。たまに出るカレーにはレンコンや謎豆と、意味がわからない具で埋め尽くされていた。そして、キッズが好むお菓子はなぜかほぼ禁止されていた。

給食の牛乳は飲めないことになっていて、俺だけ水筒に入れられた苦い茶を持参して、そいつを飲みながら給食を食っていた。小学生いっぱいはアトピー性皮膚炎がひどかったので、それに対する母なりの配慮、愛情だったのかもしれないが、もっと他の方法でお願いしたかった。

そして、いくら我慢をしても報酬的なものはあまり出てこなかった。それらが良くなかったのだろうか。無意識下に「我慢、意味ない」という認識が生じたのだろうか。青年期は「自制心」が効かない困った暮らしをしていた。いや、親のせいにするのもどうだろう。

とにかく、いまだに「玄米ご飯」は嫌いな食べ物ワースト1である。そして時点は「カレーライス」だ。カレーに関しては20代の頃は1度も食べた記憶がないほどだ。

5年くらい前からようやくある種の呪縛が解けたのか、カレーを食い始めた。「カレーは、普通のカレーは、本当はおいしいんだ」と、客観的に捉えることができたのである。そんなことを考えながら今日の晩飯「ココイチポークカレー」を感慨深くかっこんだ。「玄米ご飯」は今生食うつもりはない。きっと、本当は旨いのだろうが。

そんな幼少期の食生活は現在にもフィードバックしていて、無意識に質素でオーガニック寄りのバランスの良い食事がデフォルトとなっている。

そのため、血液検査の栄養バランス的な部分が影響する数値は毎回優秀である。「糖尿病や通風などの生活習慣病には無縁の数字」とまで先生に言われる。なにかと偏りも生じたが、母親にはちゃんと感謝すべきだろう。
_05/21

 

 


書類作成のため阿部寛さんがイメージキャラクターのメガバンク窓口へ。マスクをしている人だらけなので銀行強盗の群れみたいな光景。この時期ならではだろう。

用はさっさと済み、呑み屋街を抜けて家に向かう。正午前後だったのだが全然普通に呑んでいる御仁に婦人と、まったくもってクレイジーな街だなと実感する。こんなよい街ほかに俺は知らない。

原稿やら制作やらちゃっちゃと宅で過ごす。ほぼ誰とも話さない平和な日。自粛期間も数ヶ月が過ぎたが、どうやら俺は別に誰とも喋らないで過ごしていても何ともない。みんなはどうなのだろう。

友人知人からのなんとなしの電話が明らかに多くなったことから、やはりみんな誰かと喋りたい欲が満たされず、という空気感が伝わってくる。

入電があればもちろん俺は楽しく相手と会話をする。しかし、自発的にはしない。すなわち、どちらかというと一人で過ごすのが快適なのである。

カッコよく言うと一匹オオカミ気質。酷く言うとハグレの社会不適合者。社会に適合するためには、積極的に人と関わるべきである。関わるのは好きなのだが、自発的という点では消極的だ。

小学生の頃の通信簿に、ほぼ毎回「消極的」というフレーズが備考欄的に差し込まれていたのを思い出した。先生、そんなことないと思います。
_05/22

 

 


月頭の寝渋りチャレンジは芯まで届いた行為だったのか、2〜3日に1度は無駄に早起きする習慣ができた。しかも今日は6時間弱睡眠だが調子はフラットだ。意気揚々と机に向かう。

知人の個人事業主が俺のコロナ金策の進捗を確認してくる。彼にはお世話になっているので、口頭で「日本制作金融公庫」からの融資がほぼ確になったまでのくだりをシェアする。

絶対にシェアしてはならない最終的な書面も写メでシェアする。そして、現場でしか知り得なかった生々しい情報を全て伝える。彼の役に立てばなによりである。何より、進捗を窺ってくるということは、俺の人生の心配をしてくれる愛所以と信じている。そういう人が周りに数人いる俺はたいへん恵まれている。

2日ほど断っていたネット麻雀ゲームを小一時間やっさる。これくらいのスパンなら全然問題ないと判断する。巷のニュースでは政治家さんがピンレート麻雀(1000点=100円。一晩でだいたい3万前後現金が動く)を嗜んで世間様からお叱りを受けているらしい。

しかし、それの何がダメなのかと思う。俺はリアルな一次情報として知っている。賭博行為がを検挙されるのは「現行犯のみ」ということを。「おまわりさん、あいつ昨日ヤバいレートで麻雀やっさってましたぜ」とタレ込んでもポリスは動かない。絶対に。現場での行為中でしか逮捕できないからである。

さらにレートについて補足すると、叱られてる政治家さんはピンレートで勝負していた様子。賭博行為であることには違いないので厳密に言えばグレーのラインだが、暗黙の了解で「ピンレートは合法」となっている。そうでなければ俺あたりは過去のことに言及されたら「賭博及び富くじに関する罪」というアホみたいな罪名の賭博罪に問われ、死刑に値する。

よくよくニュース記事を読むと、「賭け麻雀をやった、レートがどうこう」という部分よりも、その件でバンザイして辞職するのだが7,000万円の退職金を受け取る、というのが国民の怒りをかいまくっているもよう。

彼は、ピンレートでこの時期に3密全開の賭け麻雀をやった。ヤバいと思ったので辞職。でも退職金はキッチリもらう。なにがダメなのか俺には1ミリも理解ができない。

合法レートで麻雀をやった。セーフである。退職金を受け取る。麻雀をやったことと関係がない。問題ない。3密で過ごした。これは自粛期間中なので立場的には「ごめんね」くらいはした方がいい。

要は、件の政治家さんは「密っちゃった。ごめんね」くらいでいいと思う。なぜ、大多数の人達は他人のちょっとしたやらかしに対し、鬼の首をとったかの如く盛り上がれるのか。まあ、そういう性癖なのだろう。別におかしいとは思わない。

世の中のあらゆる人達は、ありとあらゆる性癖を持っている。理解はできなくても否定はしない。この件を弾劾する場合はリャンピンレート(1000点=200円。一晩で10万円は動く)以上だった場合だ。それだったら俺も怒る。「俺がどれだけ我慢してると思っているんだ!」と。この感情も件の彼とは何の関係もないが。
_05/23

 

 


リモート案件がひとつ。自粛期間特有の案件が毎週来ることはありがたい。なんだかんだで、3月に覚悟していた「下手をすれば月に案件1〜3本」という酷いことには結局ならなかった。まだどうなるかわからないが。

夕めし時に駅前の栄えている方に行ってキムチカルビ丼をかっ食らう。どうやら明日、緊急事態宣言が解かれるもようだが、そのためなのか赤羽の街は人がかなり多い。

呑み屋街では、通りすがりのギャルが「店、全然やってんじゃん。超呑んでんじゃん」と、あっけにとられたような顔をする。この街のアルコール欲は国内屈指だろう。

帰宅してキッチンで煙草をくゆらせながら読書をする。片方は悪しき、片方は善き習慣だ。「習慣」についても脳のシナプスがどうとか科学的に記されている良本。「エッセンシャル思考」。これから俺がどういうスタンスで生きていくかと考えている最中に最高の本に出会ったものである。

30分ほど麻雀ゲームをする。悪しき習慣。3時間ほど制作に務める。善き習慣。習慣の善し悪しのラインはどこかと考える。「その行為が自分と、誰かのためになっているか否か」ではないかという答えがすぐに出た。

では、「ため」とは何か。プラスになるかならないかだろう。しかし、人間マイナス面や闇の面、ノイズ的成分もないと面白くない。だから、完璧に生きようとは思わない。わんぱくでもいいからたくましく育ちたいものである。
_05/24

 

 


今日もリモート案件がひとつ。若い子らと小一時間遠隔トークをしてほっこりする。俺にもあんなにピュアな時期があったのだろうか。あんなに明朗ではなかったことは確かだが。

昼過ぎ、コロナ金融施策“3の矢”を放ちに北区王子の役所へ。30分ほど待った挙句、窓口で一点大事な書類を持参してきていないことを指摘され赤羽と王子をもう1往復。約40分の空白。俺はなぜあんな無駄な時間を。最終チェックは大切と猛省。

あとは原稿書いたり安い弁当食ったり制作したりとめちゃめちゃよくある1日の過ごし方。

巷ではコロナ援助金系各種の政府の対応が著しく遅い、馬鹿野郎、そういった類の怒号と悲鳴、下手をすれば断末魔の声がネット上に溢れかえる日が続く。

気持ちはたいへんわかる。なんだかんだで俺も3本の矢を放ったが、まだどれも着金はしていない。不安な気持ちはわかる。しかし、不安な時、ピンチの時、頑張りどころでの我慢がいかに大切かと、この間知り合いのコワモテ社長に教わった。だから俺はじっと我慢の子である。

とはいえ、「手続完了」系のメールやお知らせ、郵便物が届くのを毎日待ち遠しく確認している。

夜、宅のポストを覗くと見慣れない配送物を確認。「来たか!」と思い手に取ると件のスーパー緊急政策物資“アベノマスク”が2枚。マスクが2枚。まずはマスク2枚ゲット。

このタイミングでマスク2枚が真っ先に届いた時の国民のえもいえぬ心境は、総理にはご理解いただけないかもしれません。国民はこういう時、どんな顔をしたらいいかわからないのであります。でも総理、どうもありがとうございます。
_05/25

 

 


年齢を重ねる毎に感性が鈍くなってやしないかと危惧する。ちょっとした嫌なことなどは昔に比べて引きずらなくなったぶん、美しいことにも鈍感には、と。

月に2回くらい行くアーケード街のラーメン屋がある。この店は550円でたいへん美味しい煮卵ラーメンが食える名店。今日赴いたら店内ではスティーヴィー・ワンダーの「Lately」が流れていた。麺屋でスティーヴィーとは粋。

いつもの煮卵ラーメンをオーダーしてスティーヴィーを聴いていたら、感動してグッと泣きそうなエモに包まれる。そう、この曲は名曲中の名曲。20代の頃に初めて聴いた時はラスサビの転調するところで落涙したものである。

その感性がまだ俺には生きていた。これはたいへん喜ばしいことである。前述の通り、俺は感性が鈍るのをめちゃめちゃ恐れている。まだそんなことはなさそうだと安心した。

何度聴いても泣きそうになる曲というのが数曲ある。俺はそれらの曲を宅に戻って聴いて確認した。感性が死んでいないかと。

デレク・アンド・ザ・ドミノスの「Layla」の後奏の部分。Nirvanaの「Rape Me」のラストセクションのカート・コバーンのシャウト。神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴り止まないっ」のラスサビのバース。

これらの楽曲の挙げた部分は、若い頃何度聴いても涙腺と魂がガタブルに震えるカタルシス・ポイントであった。

かなり久しぶりだったが、今聴いても同じく、奥底まで届く深い感情を受け止められた。どの曲も、「精神的にギリギリの状況に追い込まれたことがある人間」にしか出せない特有の情念が乗っている。それを受け止めると、“琴線に触れる”という表現の10倍くらいの感情があふれる。

「ブルースの原料は、不幸だ」と、なにかで読んだ。それは、ブルースのみならず、音楽やアート全般に言えると俺は思い切り確信している。

平穏で幸福で順風満帆な人生を送る人間の作る芸術ほどつまらないものはないと思う。単に俺の好みの問題かもしれないが。

「バカが書く手紙ほど心を打つものはない」とも、なにかで読んだ。本質は似ていると思う。クオリティどうこうとかではなく、心と精神と魂のピュアな部分を人に伝わるように表せる、ということだ。

不幸な人間ほど、馬鹿な人間ほど、イカれた人格の輩ほど、その部分は濃く、どこか美しく、人の心にダイレクトに訴求する。それは、健常度と反比例する。

そうなってくると、優れたアートを生み出す人間はどこかしら欠損しているのかという話になってくる。そういう逆説的なものの見方は大嫌いなのだが、そうじゃない理由が俺には見当たらない。

美しいものをアウトプットして人を感動させる人間や、妙にカリスマ性のあるカッコいい人間は、常識的などこかが決定的に欠落、欠損している場合が非常に多いと思う。人を惹きつける人間にサイコパスが多いというのは超頷ける。

バランスのいい人間はバランスよく、アンバランスな人間はそこでバランスをとるという、ある種平等な原理が働いている気がしてならない。よくないのは、人のアンバランスな部分を非難したり否定したり悪い視点で捉えることだと思う。

俺は変態的な性癖を持つ人間やパーソナリティが明らかにおかしい人間と接すると嬉しくなる。「こいつは絶対に人一倍美しいものを持っている」と思えるからだ。最近はみんな、そういう部分をうまく隠す傾向があるような気がしてさみしい。それでも隠さず晒して昇華する人間はとても美しい。
_05/26

 

 


「持続化給付金」という個人事業主および中小企業向けの給付がある。しかし、「スピーディーな対応を」という総理の発言通りとはいかず、申請した方々はほとんど着金しておらず悶絶のもよう。

Twitterで「持続化給付金」というワードで検索すると恐ろしく大量の「入金しない」という旨のツイートであふれている。阿鼻叫喚。その実態がじわじわとメディアで報道され始めたくらいである。

かくいう俺は初日(5/1)申請組。目安の「2週間で振込み」どころか月を跨ぐ勢いである。この初日申請組の入金がなぜか明らかに少ないという事実。それより後に申請したがもう入金した、という声も散見されるため、SNS上では「不公平だ」「月末の支払いができん」「詰む」という悲しみの咆吼で煮えたぎっていた。

確かにいくらなんでも変なので、無駄なのは理解しつつ、俺は専用コールセンターへ電話してみた。Twitterでは「200回かけても繋がらない」というスクショ付きの悲鳴ツイートも見かけたが、物は試しである。

俺は31回目のリダイアルで繋がった。まあ、引きのよい方だろう。こんなところで引きを使いたくなかったが。

ご対応頂いたお兄ちゃんの口ぶりから察するに、この窓口は「審査」とは別のデスクと確信。たとえるなら企業のクレーム対応専用コールセンター的なデスクだろう。

結論、俺の申請は「現在審査中」とのことだ。まあ、着手中ならよしとする。ついでに色々探ってやろうという俺の下世話なジャーナリスト魂に火が付き、やさしく丁寧な口調で色々と尋問し、吐かせる。

わかったのは、予想通りこのデスクは審査チーム的な場所とはセパレートされており、いくら上席にエスカレーションしても例外は通らないということ。そして何を言っても、特例扱いはされないということ。さらに、このデスクの体制としては、少なくともこの日の時点では「いつ振り込まれるか」など具体的な返答が不可能ということだ。

これは憶測だが、ご対応頂いたバイトの兄ちゃんは日々の「入金まだかコラァ! ダボが!」という類の入電で疲弊している。最後にねぎらいの言葉をかけてやったら涙声になっていた。

あともう少しで兄ちゃんの時給も聞けそうだったが、それはいいやと思った。結果、俺の申請が放置中でないことが確認できたので、あとは我慢大会である。然るべき我慢はだいたい功を為す。
_05/27

 

 


昼過ぎまで寝くさる。最近疲れていたのだろうか。変に早く起きたり、なんだかんだで日中は休憩を挟みつつもずっとデスクワークをしていたりしていた。疲れていたのだ。仕方ない。

たまには14時近くまで寝てしまう自分を責めるべきではない。しかし明日も同様の起床時間となった場合は己を罰する必要がある。明日、昼まで寝ていた暁にはペナルティとして、筋トレ3セットに加え禁酒とする。それはつらい。

今日は主に原稿を書いて過ごす。ある一定のラインを超えると、「完成しているのか」「これで提出してよかろうか」という葛藤が生まれる時がある。今日はそれに頭を抱えていた。

机でウンウン唸り続けるよりガラッと違うことをしてから再開した方がスムーズにいく。そう、経験上知っている。だからコンビニに煙草を買いに行く。

ファミマさんに行くと、ついに、「コロナうんぬん、立ち読みご遠慮を」という社会的配慮の貼り紙が消えていた。俺は歓喜し、「週刊スピリッツ」「漫画ゴラク」など、久しぶりにペロペロと立ち読む。購入するという選択肢を入れるべきなのだが。

しかし、立ち読みおあずけ約1カ月のブランクがある。よって、気になっていた新連載任侠漫画はなんと第4回目を迎えていた。これはもったいなくて読めん。単行本発刊を待ってちゃんと買おうと思う。それがベストだ。立ち読みはあまりよくない。

帰宅し原稿を推敲すると、やはり「なんだ、できてんじゃん」となる。やはり気分転換は大切だ。1時間固まって悩むより10分のリフレッシュである。

そして別の案件にも着手する。今日は懐かしい90年代のJ-POPをたくさん聴いた。あの頃の楽曲のコード進行は本当に美しい。

楽しみにしている漫画を立ち読まず、単行本発売を待ってほっこりするという楽しみもできたことだし、今日は健やかな気持ちで眠りにつこう。明日はちゃんと朝起きよう。筋トレ3セットと断酒はきつい。
_05/28

 

 


昨日手前に律した罰ゲームがそんなに嫌だったのか、超早起きする。身支度をし、鏡の前でYouTuberの如き口調で一人朝礼をおこない、サラダを食ってコーヒーを淹れてデスクに着席。

メールチェックなどの前戯的なルーティンをし、タスクにとりかかろうと時計を見るとまだ9時台である。素晴らしい。しかし4時間も寝ていないので目が霞む。

一昨日、定期検診の予約を忘れてすっ飛ばしてしまったので電話をし、昼に病院へ行く。前回の血液検査の結果の日である。俺の血はおおむね良好。採血日は腹痛でけっこう調子がよろしくなかったのだが、それでもオールA的な優良血。血液に関して俺はガチでエリートクラスだ。

主治医に調子の近況を伝え、いつも通りといった問診。ついでに前回も話したコロナ時期特有の資金繰り近況も伝える。先生はこの手の話になるとなぜか目を輝かせる。

「じゃあ、良かったじゃないですか平吉さん。持続化給付金も公庫の融資もいけるだなんて!」

「はい。おかげさまで。まだ着金していないので安心はできませんが」

「大丈夫ですよ。安倍政権になってからデフレからうんぬん、リーマンショック後の時はうんぬん、国の財政はコロナの影響で国債をうんぬん、むしろうんぬん……!」

この先生はなぜか金融系の話にやたら明るい。前回もそうだった。精神科医をやっている前は何をしていたのだろうかとかなり気になる。あるいは、単にマネートーク好きなのだろうか。元・経済ヤクザだったらどうしよう。いや、むしろ好感が持てる。

とりあえず色々勉強になるお話をいただく。いつもありがとうございます林先生。ぶらりと散歩して帰宅。まだ昼過ぎである。蕎麦を食ってちょっと昼寝して原稿、制作と真面目に過ごす。

昼寝込みで4時間ちょい睡眠でも元気に過ごせた。それだけでも嬉しい日だったが、他にもとても嬉しいことがあった良日。これから呑む酒はさぞかし美味かろう。しかし今日も酒の肴の選択に迷う。先日棄却した「つまみルーレット案」、やはりこさえようか。ハズレなしのズルいやつを。
_05/29

 

 


昨日の反動で昼まで寝くさる。それでもここひと月で惰眠の時間数はたいぶ減った。やはり1週間の睡眠渋りトライアルが効いている。

俺は最近、時間を大切にしている。きっかけは、「残りの人生あと何時間だ。自分のアイデンティティと関係ない仕事を続けていたらもったいないのでは」と思って会社員を辞めたのがきっかけだ。

俺はアラフォーにつき人生半分は過ぎたと判断できる。死ぬまでの時間から逆算したら、もはや手前は「こう」と直感と魂が判断したことはすぐに行動しないと時間がもったいないのである。

「この仕事は自分に向いていないけど、断ると金が…」という思考、そして「まずは一定期間やってみて経験をもってしてやり続けるかを判断する」という基準が、昨年1年間の「案件全受け」というスタンスに繋がった。これは正しい行動だと思う。

しかし、これからは違う。すでに身をもって体験し「向いていない」「自分がやっても、自分と他人が喜ばない」と判断する仕事は「No」と言うシーズン突入である。

俺は「断ると金が…」というくらい蓄えが脆弱なのだが、コロナ金融施策をもってして俺はチャンスを掴みたい。3本放った矢が全て刺さり、無事全て着金したら、「金がないから断れない」という選択肢は長期間にわたり消える。その期間内に、業務内容の棚卸しと整理、新規事業開拓をすれば最高の流れが出来上がる。

そんななか、先日非常に興味深い案件がきた。最高のタイミングである。俺はこの案件をクライアントと共に笑顔で締結、完了させたい。

昨年4月から今年、そして現在、時代の流れも手前の状況も引くくらいのスピードで流れている。後者に関しては、「手前」と「手前の時間」を大切にしようという想いが軸にできたからではないかと思う。いや、間違いなくそうである。

ホリエモンさんだったか、「人間にとって一番大切なのは金ではなく時間だ」と持論を述べたのを何かで読んだ。今なら共感できる。

自分と、時間を大切にする人間は、「他人がどんな奴だろうが人としてまず尊重する」という、俺が最も大事にしている信念を持っていると思う。

「他人を尊重する心を持っていれば、ほとんどの対人トラブルは起きない」と、何かで見た。正に俺もそう思う。しかし最近、“誹謗中傷”というワードをよく目にする。

他人を尊重する人間は絶対に誹謗中傷などしない。

明日は俺が名指しで受けた誹謗中傷をここに晒そうか。有名人でもない俺の書いた記名記事に寄せられた、通称“ヤフコメ”に書かれた誹謗中傷である。最近はヤフコメ欄自体ほぼ見ないが、全部見ていた頃に読んだアンチコメントは全て記憶している。

ネット上の公の場で自分に向けられるアンチコメントは、どんなにサイコパシーが高い人物でもけっこう精神的に効くという。

ただ、「うちのおじいちゃんの日記より酷い文章だ」というアンチコメントは、ふつうにウケた。読みたいよ。その日記。
_05/30

 

 


そういったわけで、俺が過去に受けた誹謗中傷の一部を紹介したいと思う。誹謗中傷というやつは、よっぽどのサイコパスでない限り、一度でも受けたらその痛みを知ることができるので、他人にはしないと俺は思う。

ライター業をやらせて頂きはじめの5年ほど前の頃だった。俺が担当させて頂いたあるコラムが、ヤホーニュースのエンタメトピックに上げられた。(ヤホーのトップページの「エンタメ欄の」ファーストビューで記事がヒットする位置に掲載されること)

俺は「すげえ」とか思い、反響が知りたくなった。コメント欄を読んだのである。そこには、ユーザー、読者様からのこのようなコメントが多々あった。

「いくらもらってんだコイツ? こんな文章でよくライター名乗れるな」

「100円ライターw」

「こいつ、こんな風に『ここが魅力である』とか周りにも偉そうに言ってるんだろう。本当にウザい」

他にもネガティブなコメントがいっぱいあった。嬉しいコメントもあったが、少数のキツいコメントの方がなぜか記憶にバッチリ残る。これをネガティビティ・バイアスという。

その後も、反響があった記事のヤフコメを俺は読み続けた。「自分自身に寄せられた嫌なコメントで精神的に参るから見ない。恐ろしい」よりも、「人間が肚の底で本当はどう思っているのか……」というのを知りたい欲求が圧倒的に勝ったからである。

「こんな酷いパンク論はじめて読んだ」

「知ったかにも程がある」

「読んでて胸クソ悪くなる」

「こんな素人以下の文章力でお金がもらえるんですね」

「平吉賢治さん、相変わらずの提灯記事ですね!」

実名の記名記事に名指しで寄せられるアンチコメントはなかなかドキッとする。ドキッとするだけだが。第一俺は原稿料以外お金を頂いていない。

彼らの逆鱗に触れたのはなぜだろう。認知神経科学者の中野信子さんの著書によると、誹謗中傷を寄せる人間の心理の根底には嫉妬心があるという。俺なんぞに嫉妬してなんの得があるのかと思う。第一、嫉妬するポイントがよくわからん。

「私ならもっと上手に書けるのに、なんでこんなカスみたいな文を書く奴の記事が目につくところにあるんだ」という感じであろうか。だとしたら、なんとなくわからないでもない。

最近はああいった大きなプラットフォームのコメント欄は見ないようにしている。だいたいわかったからである。

俺的にも、客観的にも、「100点だ」と思えるものを世に晒しても、アンチな意見で刺してくる人間が一定数いるということを身をもって理解したからである。

匿名でのアンチコメント、誹謗中傷、これらは、背後から刃物でザクリと刺して完全に逃げ切るのと等しい。たぶんフィジカルな暴力より性質はよろしくない。

体の傷は癒えるが、精神的なダメージは、脳に「完全忘却」という機能がないがゆえ一生残る。ほとんどの人間にとって、誹謗中傷を受けるということは、精神的後遺症が確定するのである。俺がコメント欄を見なくなったのは、「傷つくのが怖いからではない」と言ったら嘘になるだろう。

公のコメント欄などを見なくても、自分のSNSアカウントなどに直で誹謗中傷が寄せられるというのは筆舌に尽くし難いダメージがあるだろう。

道徳的に感心しない行為がまだ法律的にグレーな場合、「そんなことしたらいつか大変なことになる」という事例が実際に起きた時、その後に法律が改正される。

たとえば昔はゆるかった「飲酒運転」がいきなり罰則が超厳しくなったことがあった。きっかけは、その時期に起きた飲酒運転による過失致死の大事件が大々的に報道されたことだと捉えられる。

最近、誹謗中傷が起因で、とんでもないことが起きた。これがきっかけで法律が改正されるであろうことは明白だと思っている。

匿名で誹謗中傷をする人間を非難するつもりはない。理由は、それが人間の本性所以のものだからである。そして、逆に、匿名でも嬉しいコメントや感謝の言葉を頂くともの凄く幸せな気持ちになる。コメントを書き込むということは、少なくとも記事を読んでくれたということだ。そこは感謝申し上げたい。

誹謗中傷と批判の境界線は難しい。ラインは「生産的な言動であるか否か」であろうか。

とにかく、自分がされて嫌なことは人にはしないというのは基本なのだろう。子供の頃、そう教えられた。

しかし、「うちのおじいちゃんの日記より酷い文章だ」というアンチコメントを寄せたお前。お前のコメントだけは怒りを通り越して爆笑した。でも、基本的には悪口と捉えられるので、どうかそれっきりにして他の人にはそういったコメントを寄せないでほしい。あと、頼むからお前のお祖父様の日記を読ませてはくれんだろうか。
_05/31

 

 


 

 

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