05/2022

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
鳥肌実とアインシュタイン。5月


チップという習慣は日本ではさほど根付いていないと聞く。しかし、今日もそうであったが、新業務にあたって依頼者に料金をご請求すると、高確率でチップを頂ける。

僥倖そのものではあるが、さては、手前が設定した料金がけっこう安過ぎたのかもしれんという危惧もある。

とはいえ、ターゲット層であるご高齢者の方々から面と向かってお礼を言われ、チップまで頂けるのはたいへんな幸福。そして、現在の料金設定でも、長期的に見て十分という判断がある。

なにしろ、「安くて助かるわ」と、言われるストロークのほうに重きを置いている。されど、「じゃあ、次も――」と、なることが望ましいからである。

そもそも、なぜ、メインである音楽関係や文筆業ではなく、高齢者向けの生活サポートサービスという業種で新業務を立ち上げたか。

それは、俺自身が、最も身近な高齢者である父親に対して、「彼が、最も望むかたちで、俺は、サポートできていたのだろうか」という、若干のシコリのようなものが残っているのが起因としてあるのは否めない。

そういったわけで、俺はご高齢者の方に感謝されると至上の喜びと、魂が浄化されるような心境を併せて感じる。なんならギャルにモテるより、じいちゃんばあちゃんに感謝されるほうが勝るかもしれん。

そこは少々の嘘が混じるかもしれんが、要は、今日あたりは新規顧客をゲットしつつ、「次も頼もうかしら」的な具体的な提案を含む言葉とオーラをバキバキに浴びたので確かな感触。

さあ、音楽もがんばろうと制作やら楽器練習やらに励む。めしを食う時間がもったいないので、今日のお客さまに頂いたおみやのチョコで散らす。

昨夜は、鉢から緑色の新芽が出て、若々しい綺麗な草がにょきにょきと伸びていく、どこかスピリチュアル的な印象の夢を見た。イメージ通りとると、明るい展望の兆しなのだろうか。驚くほど鮮明すぎる描写の夢だった。鉢に、清い水と酒を注ぎつつ、めきめきと躍進したい。

そのためにも、さすがに腹が減ったので太めの肴と酒を買ってこよう。最近食いだしたSEIYUの「揚げ出し豆腐」は実にパワフル。かつおぶしのトッピングがたまらない逸品。前提として、夕飯をちゃんと摂り、夜食はほどほど控えるのが賢明なのは解ってはいるのだが。
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ゴールデンウィークだが通常営業。はりきって営業、依頼業務、制作と、コツコツと過ごす。

合間に煙草を吸ったりコーヒーを淹れたり、鶏肉カレーうどんを作って食ったり昼寝もしたりと、なんとも日常的な日。

際立って尖ったことがあったかというとそうでもない。じゃあせめて、酒くらい尖ったやつを呑んでから寝ようとも思う。バキバキのウォッカがいい。冷凍庫でギンギンに冷やしてカッと呑るわけである。さぞ、美味かろう。

しかし、呑み過ぎて翌日頭を抱えるのは明白なので、リーズナブルな宝缶チューハイくらいにしておこうと思う。肴も豆腐とかでいい。通常営業の日は〆もフラットに。

しかしこう、賑やかに楽しく暴れたい欲こそあるが、それはストックしておく。昔はそれができなくてよく悶絶していたものである。

きっと、感情や衝動のコントロールに関係するという、脳の前頭前野が著しくイカれていたのがようやく改善されてきたのであろう。

一回、脳スキャン的なやつをやって物理的に確認してみたい。「うん。平吉さんの脳は概ねムチムチでいい感じですね!」と、言われたい。とはいえ、「うん。早くもスカスカですね!」と言われるのも恐ろしいのでたぶん行かないだろうが。
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日焼けせんだろうかというほどのやや強めの5月の日照。足を使い、てきぱきと営業をする。そして正午過ぎ、新規顧客からの依頼を受ける。

じわじわきてるぞこれはと、俺は今日の気圧くらいテンションを高めて顧客のもとに向かい業務をする。売り上げを得る。やはり感触がよいのでリピーターとなってくださることを切に願う。

夜は配信をおこなう。観てくださるみなさまのおかげさまで、たいへん楽しいひとときを過ごす。いつもより長めにやらせて頂けたことに、まこと感謝の意を禁じ得ない。

なんやかんやで、楽しく暮らせているなとしみじみ思う。ちょうど1年が経ったという手前の配信中、適度に呑らせて頂いたハイネケン・ビールが染み渡る。

大声で喋りながら呑むと、後からわりと回ることに気づいたが、決して齢のせいではないと信じたい。楽しければ、それは回ろうも。
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森林の気を浴びたい衝動にかられ、北区王子と東十条の間あたりにある滝の流れるでかめの園へ。実にクリーンな衝動だな、もっと鋭利な、不純とも暴発的とも言える衝動に、最近はほぼほぼ駆られないとか考えつつ。

時刻は夕方ごろだっため、係りのおじいさんが戸を閉めようとしている。訊くと、「5時で閉園です。もう、滝も流れていませんし…」とのことであった。

流れを止める操作ができる滝なんぞ滝と呼べるのだろうかと、その場所においての滝に対しての興味は失せ、森林の気を全身で浴びる。

大物アーティストがスタジアムで両手を広げ、オーディエンスの気を集めるような所作で、俺は何度も全身を広げて森林の気を吸った。

はたから見ていた家族からは「気違いかしら」と、思われたかも知れないが、手前としてはごく自然なアクション。とても気持ちがよかった。

流れていない滝のふもとに立つ。地味と崇高さが相成ったような存在感の、びっしり生えた岩のコケがなんか気になる。

このあいだ、ラジオで「コケの魅力」について延々と語っているくだりを耳にして「どういうことだそれは」と、思っていたが、今日あたりはちょっとわかる気がした。理由はわからないが、コケをずっと見続けてしまう。なんか深いことを考えたくなる気を静かに発していた。

その場所に居ると、ヒタヒタとしたたる雫の音が聞こえる。さらに、20,000Hz以上であろう周波数の高音域、すなわち耳ではよく聴き取れないがなんとなく感じるシャワーのような気が心地よい。水面ではアメンボがそよそよピュッとはしゃいでいる。

「ああ、これはパワースポットだ」と直感で感じた。そこに居るだけで、ゲームで言うところのライフゲージ的なメーターがちょっとずつ回復していく実感がある。

やはり葉っぱやら水が集まる場所が放つ気はパワフルだなと、あとは適当に散歩して帰宅。今日はデスクワークを1時間くらいした他は、フラフラと過ごしていた。ゴールデンウィークらしいかどうかは判断しかねるが、なんとも休日らしい、新緑全開の季節の1日。
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宅のラップトップのバッテリー膨張を直しに新宿へ。先週、相談に行った店へ持ち込むも、「GWは暇だと推測していたが、思いのほか立て込んでいまして……」とのことで「特急修理コース」の即日修理ならず。ぐぬう、と発しつつ後日に持ち込むことに。

適当に入った蕎麦屋で「かも汁蕎麦」というのを食べるも「なんか思っていたのと違う」といったテイストだったのでこれまた「ぐぬう」と発す。

せっかく都心まで来たのだから買い物でも、友達の誕生日プレゼントを買おうと、ルンルンとデパートへ行くも、狙っていた品は無い。やはり、ぐぬうと発して池袋に移る。

だがしかし2店まわってもその品は無かった。特筆してマニアックなものではなく、かなりメジャーな物で、まず、あるだろう、という物なのだが何故か無い。ぐぬう、というか、もう今日は違うんだな、日が違うんだなと、全部タイミングが合わない流れの日なんだなと、サッと諦めて帰宅。

制作をして、ちょっと疲れたのでいつものアーケード街内のラーメン食って、いつものブックオフに行って『偽装不倫』や『ギャルと恐竜』という作品を立ち読んだりして和む。

戻ってまた制作をして、ちょいちょい進めていたチルアウト楽曲がやっと進捗95%までいく。いつものことはスムーズに進み、いつもと異なることは何故かはかどらなかった1日。そういう時は早い段階で悟って路線変更するのが吉。

それにしても、新緑だのコケだのブックオフだのと、なんとも地味なGWを過ごしている。どれも素晴らしいのだが、こう、今日あたり賑わう都心で家族連れやアベック(国内においてほぼ死語)などを横目にしていると、「ああいうのもいいよね」と、わりと人恋しくなったりする。

しかし、女子にアタック(これも下手すれば死語)するなりという具体的なアクションを起こさぬあたり、いつまでたっても手前は恋路に消極的だなと再認識する。

せめて下半身を鍛えるところから、と、手順として適しているかは知らんが最近はドライヤーをあてがう際、力士の取組直前のポーズで数分耐えたりしている。はたから見たら強めの必殺技でも出そうな恰好でなかなかシュール。
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あの世の情報を得て、メモして持ち帰ろうというサイコな夢をみてやや寝坊。起きがけ、本気でいつも持ち歩いているメモ帳を確認するほど寝ぼけている。

当然そこには、あの世の情報はメモられておらず、手前もいよいよかなとシャワーをワシワシ浴びてやっと目が覚める。いつも通り、まずは営業に出る。

夕方、リピート客様からの依頼で赴く。こういった顧客があと何人いればスパークだなと、前向きな展望を胸に上機嫌でキッチンでシガレットをモクモク吸う。

塩焼きそばバジル入りという攻めたカップ麺を食って制作をする。なかなかスピリチュアルなチルアウトに仕上がりそうだな、ほぼ出来たが、もっとクオリティを高めようと、もう一工程はさむことにして深夜、DAWを閉じる。なんとも通常運転の暮らし。

なにか変わったことがあったかというと、昨夜、いつもの茶トラの首輪が、初夏を思わせる色彩の涼しげなものに変わっていたというくらいであろうか。

この間までは、泥棒ネコのような唐草模様。その前はポール・スミスみたいなカラフルなやつ。その前は桜色のキュートなデザイン。

ああ、このネコは飼い主に愛されているなと和やかな気持ちになる。俺もまた、愛し愛されたいなという感情が近頃わりと増してくることを自覚する。人間は、愛し愛され、オキシトシンやらドーパミンやらを放出させ、取り込み、精神を安定させる。

逆に言うと、何も愛さず、何にも愛されなければ、精神は不安定になる。すると、おのずと、やるべきことはすぐにわかる。愛の対象を増やすことである。

愛情、愛好、慈愛、偏愛、仁愛、溺愛、博愛、敬愛、テイスト的にはなんでもいいのである。

このように、“愛”にまつわる単語を手元の類語辞典で調べると、それらは1ページ目の最初に、たくさん記してあった。

「人間にとって1番大切なことは愛である」ということなのだろうかとハッとする。いや、冷静に考えて、あいうえお順だからであろう。とはいえやはり大事。愛。
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今度こそMacを直しに行く。事前に、替えの部品の在庫有無と即日修理可能か否かを聴取。このくだりをなぜ最初からやらんかったのかと首をかしげつつ、JR埼京線で新宿へ。

「3、4時間ほどかかります」とのことであった。その時間の過ごし方も、今日はちゃんと決めている。友人の誕生日プレゼントを買う時間にあてるのである。

しかし、その件はもう品も決めてあることもあり、小1時間で済む。さて、どのように時間を使おうかと蕎麦をすする。おととい、個人的にはあまり感心できなかった蕎麦をすすっては悔いていたので今日は別の店へ。確かな満足。

今日はいけるぞと、新宿界隈をぶらぶらとする。ああ、3年前くらいまでは日々この地に通勤していたのかと懐かしむ。

懐かしみつつ彷徨うのもすぐに飽き、ゲーセンに入る。パーラーや雀荘に行けば数時間などあっという間なのだが禁止中。百円玉をどのゲーム機にインサートして遊ぼうかとあらゆる機種を選別する。

最近のゲーム機はエグいほどにグラフィックが秀逸。やったことないが、きっと操作性も抜群なのであろう。どれも目移りするのだが、やはり馴染みのある、けっこう古めの『ストリートファイターII』をプレイすることに。

昔よくやったもんだと、しみじみしながらコントローラーをガチャガチャする。昇竜拳が出ない。相変わらず至難のコマンドだなと順調に勝ち進めるが、ザンギエフにスクリュー・パイル・ドライバーで吸い殺される。

コンティニューする気力は残っていなかったのでゲーセンを後にする。修理はまだかなとぼやきつつ、ブックオフへ。

ブックオフはどの街にもあるもんだなとホクホクしつつ『偽装不倫』を読み進める。うん、こういう生々しい“愛”もあるのだなといったところでようやく入電。Macを迎えに行く。

ラップトップが物理的に微妙に膨らみ、蓋が完全に閉まらないのは、だいたいバッテリーの膨張が原因。

なぜそのようなことが起きるかというと、バッテリーを付けて「充電100%」のまま、マシーンに負荷のかかる作業を続けると過充電となり、そのような症状に陥りがちだという。俺はそれを約3年もやり続けていたので猛省。

そりゃあそうもなるか、ごめんよMacと、ボディをさすると、シュッとすっかり平たくなっており、蓋もパカンと閉まる。修理完了。

MacやiPhoneのバッテリーは、「20%〜80%あたりの値で充電を保ちつつ使用するのが良いとされている」という点。

「100%のまま充電しっぱなしで作業なり操作なりをし続けるとバッテリーが膨張し、筐体が物理的に膨らむ」という点。

加えて、「その状態が酷くなると、肝心な部位までイカれる場合があるので注意が必要」という、俺はわりと知らなかった情報を残しておく。料金は特急コースで38,500円也。地味に手痛いが直ってよかった宅のMacBook Pro。スベスベとナデナデしてマシーンに謝罪。
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かつての同僚たちとワイワイ賑やかに過ごす夢を見て起床。最近急に、やはりどこか、閾下で寂しさが蠢いているのだろうか。

そのへんはまあいいかと外回りをする。昨日新宿を5時間近く歩き回ったこともあり、シンプルに足腰がくたびれた。

肉体の疲れは、こと手前の場合は普通に休めば休んだだけ回復する。そういったわけで1時間ほど、業務端末を握りしめながらソファでサボる。

昨日は新宿アルタ前のでかい交差点で、どこかのビルのスピーカーから、手前が作った「Suddenly」という曲がわりとでかい音で元気よく鳴っていた。ふとした場所で自作の曲が使われているのを確認すると至極嬉しむ。ありがためる。

そういったわけで今日も制作を進める。派手にMIXを手こずったチルアウト楽曲がやっと完成する。低音域の具合を納得いくまで詰めるのに何時間かかったことか。

もう、ドレイクとかビリー・アイリッシュとかのグラミー賞レベルのアーティストの楽曲をリファレンスしてMIXをするのもほどほどにしようかとも思う。

「いや、まだビリー・アイリッシュのサウンドに負けてる」とか言いながらやっていたら、それは長丁場になろうというもの。

まあ、意識が高いということにしておいて手打ち。低音域もいい感じになったので完了させる。

3時間で出来る曲もあれば、1日で全行程完了する曲もある。一方で、2カ月くらい跨ぐ時もある。平均値は10日といったところだろうか。たぶん、早い方ではない。しかし、「Suddenly」という曲は着想から2日で全て出来て、ありがたくもけっこうユーザー様の引きが非常によかった。

制作時間とクオリティが必ずとも比例しないというのはどういうことだとも思うが、そういった、一筋縄でいかないあたりも含め、音楽制作はとても楽しい。締め切りやリテイクなどがある案件の場合は、そうも言っていられない時もあるが。

今日あたり、心なしか、リフレッシュして元気になったマシーンは、いつもよりパワフルに動作してくれた気がする。
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禁止中のストロングチューハイ、すなわちアルコール度数9%のやつをパカパカ呑む。だがしかしなぜか、目覚めはスッキリであった。

別に禁止でなくてもいいかと緩和しようと思うが、たやすく「禁止」をすり抜けるのもいかがなものだろう。

まあ、ほどほどならいいかと深くは考えず。「禁止」やら「禁忌」やらと、ガチガチに手前を縛るのはフリーダムを遠ざける気もするので、身を滅ぼす類の事柄以外は大目にと――「お前は他人にも自分にも甘い」という2つ上の先輩の言葉が頭を巡る。

このあいだ、Spotifyで「テクノ」のカテゴリーでなんかのプレイリストを流しっぱなしにしてずっと聴いていた。すると、「音は新しいけど、どこか懐かしい感じだな」という感想だった。

各曲のリリース年を確認すると、だいたい2022年で驚いた。ああ、こういうのはまだ、クラブなどで流れたりしているのかと、今でも全然受け入れられるのだなという感触が残った。

そのフィーリングを落とし込もうと、かなり久々に、打ち込みオンリーの制作をする気概が生じた。すなわち、ギターやらの生演奏トラックをいっさい入れない制作である。

30歳前後の頃は、むしろこの「打ち込みオンリー」の曲ばかり作っていた。エイフェックス・ツインやオウテカ、更には、周囲の人は誰も知らないという、超がつきそうなマニアックでバキバキのテクノに没入していた頃である。

そういった経緯もあり、手前は今でも、打ち込みのみのエレクトロ・ミュージックを愛してやまない。あまり好きな言い回しではないが、世間一般で表現されるところのいわゆる「中毒性のある」サウンド。これを聴くのも作るのも、たいへん楽しいのである。

さてとDAWを開いてボスボスとキックをBPM140で走らせ、シンプルかつドラッギーなベースラインを引き、様々な音をサンプリングして、直感的に並べる。楽器を弾きながら、楽譜を書きながら、ロックやファンクやバラードを作っている時とは全く異なる頭の部位を使っている感じである。

ああ、懐かしいなと悦に浸りつつ作業すること2時間ちょい、あっという間に全体図が出来て驚きと嬉しみ。エレクトロ・ミュージック作りたい欲が相当に溜まっていたと判断。サクサク作業が進むのは気持ちが良いなと、進捗率50%でDAWを閉じて1日を〆る。

「EDM」のような派手さはないテクノ。どこか淡々としつつも、えもいえぬ抑揚があり、「聴く」というより「感じる」という類のエレクトロ・ミュージック。それは、徐々に、気がつけば、脳内は快感物質で満たされる。どちらかというと、古典的な部分を重視したテクノ。これがたまらない。

やっている手法としては90年代あたりのものなのだが、各トラックのサウンド自体は最近風なので、近頃のSpotify「テクノ」カテゴリーのプレイリストに並んでいても自然なトラック。これが意外と素早く制作できそうだということに気づく。

手前の機材や制作環境の進化もあるが、頭の中にあるやつがスルスルとサウンド化できるのは本当に気持ちが良い。ここはひとつ、ターンテーブルやサンプラーも買おうかという欲求が出るが、そこはもうちょい稼いでからにしとけと脳内会議で即棄却される。

音楽制作系の雑誌で散見する、アナログシンセサイザーやサンプラーなどにごっそり囲まれた制作部屋でドヤ顔の写真がおさめられるやつ。あれがやってみたいが、そこにたどり着くまではあと数100万円の費用はくだらない。現状でも不満はないのだが、果てしなきは「あったらいいな」の機材各種。
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起きてすぐに新業務のご新規連絡および後日予約を得る。夕方はリピーター様からの依頼を受ける。

なかなかいい感じになってきたではないかとやる気がみなぎる。毎営業日、このような流れとなったら完全に「軌道に乗った」と言える。いまのところ、「明瞭な軌道が見えてきた」という段階。

とはいえ、この段階にくるまで本当に「大丈夫かこれ」と、へたれそうにもなったが、日々コツコツ積んでようやく芽が見えてきた。

この芽が、いつぞやに見た夢のように、ニョキニョキと綺麗な新緑となって大きく生えれば、新たな、確かな源泉として確立してくれるであろう。

「確信」を「具現化」させることは実に、たやすいことではないなと実感する昨今。明日は半休設定だし、日々歩き回ってフィジカル的にもくたびれてきたので今日あたり早めに〆る。昨日、制作がやたらと捗ったことが功を成した貯金的時間をまったりタイムに充てる。

たまには近所の立ち呑み屋でレバテキでも肴に、外の雰囲気の中でまったりしようかと思う。立ち呑み屋のあの、オーダーする度に銭を払うシステムがレトロでほっこりする。ハツテキもあったら食おう。レバ刺しが非合法となった今、生食ギリのあの香ばしさがたまらない。
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もし、罪に問われたとしたら、「それはそうですよね……」と、一言で観念してお縄についてしまうのではないかというほど、俺は空いた時間に立ち読みばかりする。

そうはいっても、たまにはじっくり読もうと、ちゃんと新刊を購入することもある。今日は、アルバート・アインシュタインさんのやつを買ってソファで一気に読んだ。

アインシュタインさんは、「相対性理論」や「E=mc2」という式で有名な、とても偉い人。この上なく雑な説明だが、とにかくすごい人。

ビジュアルとしては、ベロをみゅっと出した写真がすぐに頭に浮かぶ。その、これまた有名な写真は、なんでも“大学の講義で英単語のスペルミスを学生に指摘されたときに撮影されたもの――”と、書いてあった。

そんなキュートな一面もあるアインシュタインさんの190の言葉がおさめられた『アインシュタインの言葉』という本には、彼のいろんな言葉や文章がいくつも記されていた。

どれも、「アインシュタインのような偉人が言うからこそ、刺さる」という気もする。一方で、「これは、言ったのが誰であろうと、真理をついている」と、感じるものもある。なにしろ、どの言葉も、その背景を考えさせてくれるものばかりでとても面白く読めた。

中でも、「結婚」などについての彼の言葉が記されている章が印象的。どういうわけかは存じ上げないが、こと「結婚」については、どこか斜に構えたような、皮肉めいた、あまりポジティブに受けるフィーリングではないなこれは、というのが多かった。

“所詮、結婚なんて、ひとつの出来事を永遠に続かせようとするうまくいかない試みにすぎません。”

「アインシュタインさん、差し支えなければ、ご結婚生活において、何があられたのでしょうか?」と、質問したくなるような言葉である。

そのような、パーソナルな部分にフォーカスしたくなるような言葉もあれば、“人生で最も大事なことは、お金では手に入りません”というような、普遍的名言とも捉えられそうなフレーズもあった。

考えに考え抜いて、いろんなものを観察し、取材するように物事を捉え、あらゆる角度から思考し、人々が共有できる形にし、「世界的功績」と呼べるものをいくつも残した人物が放つ言葉は、どれもパワフル。

本を読み終えて、俺はアインシュタインさんが好きになった。

彼は1922年の来日の際、“日本はすばらしかったです。人々は絵のように美しい国に暮らしています。上品なマナー、芸術的感性、誠実さ、良識。どれをとっても最高でした。”という言葉を残したという。以来、大の親日家として知られるという。

オウムやイヌ、「タイガー」という名のネコさんも飼っていたというアインシュタインさんは、読書やヨット、バイオリンやピアノ演奏が趣味で、手紙を書くのがお好きだったという。

“物理学の分野で偉大な業績をあげただけでなく、それによって得た世界的名声を背景に数々の政治的発言をし、科学者としての道徳的・社会的責任を果たした。”というアインシュタインさん。いわゆる、文句なしにトップレベルの人物であろう。

そんなアインシュタインさんの、えも言えぬ結婚観や、飼いネコに「タイガー」という名をつける絶妙なセンス、ミスってツッコまれてテヘペロしちゃうキュートさ。本を読み終えて、「天才で、なんか、ユーモアがあって、とても人間味が豊かなお方なのだろうかな」という感想が最初に出た。

こういった、「その人となり」が明瞭に想像できるような本を読むと、たいへんほっこりした心境になる。

俺は、読書でなくとも、たとえば音楽を聴いたり、絵を見たりして、作者が「どういうつもりなのか」というのを自分なりに理解できた時、光の速度で脳内に快感が走る。

それは、「相手を理解すると同時に、尊重することができた」と思える瞬間なのだからだと思っている。それは、人とコミュニケーションをとっている時も同様である。

自分も他人も深く理解したうえで、「お互いを尊重する」ということこそが、人と人とが共存する上で、最も大切なのではないかなという持論がある。

そのようなことにつながる言葉も、アインシュタインさんの言葉の本に書いてあり、なんとなく、「そう思い続けていていいのだな」と、引き続き、肚に置き続けることにする。

「もしも、人間を、その人を、言語化できたら――」などと、たまに考えることがある。そういう時、本を読むこととして理解できるとなかなかスムーズ。

プロフィールや自己紹介、履歴書とはまた異なるベクトルで、人を深く理解しようとする気持ち。『アインシュタインの言葉』からは、その大切さも改めて考えさせられた。

なお、アインシュタインさんに関して、肝心の「相対性理論」や「E=mc2」を俺がまだきちんと理解していないのは、アインシュタインさんからしたら不本意なのかもしれない。そこはまた今度、機をみてチャレンジしようかなと思う。

俺も偉大な業績を残して成功者になり、『平吉賢治の言葉』的な本を出してみたい欲がなくもない。とはいえ、それを読んだ読者が「こいつ、普通にクソじゃねえか――」という感想が残る可能性もまあまああるのが手痛そう。

“成功者になろうとするのではなく、価値のある人間になるよう努めるべきです。”

この言葉が一番、俺には刺さった。「わかりましたアインシュタインさん、日々努めて行きます」という気概はあるものの、今日あたりは半休というかもうほぼ全休でダラダラしていた気もする。

しかし、ここはひとつ、「価値を吸収する日」という捉え方でいかがでしょうか。20世紀で最も優れた科学者で、ユーモアもあってとてもチャーミングな、偉大なるアインシュタインさん。
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新たな源泉を育てるにあたり、「これはガチでいけそうだ」というところで弾切れ、すなわち資金が枯れる状態に陥るのが最も悔やまれる。一度、10年ほど前に実際に体験して悶絶した。

俺は同じ失敗はせんぞと、それを回避するため、かなり早い段階で資金調達をしておこうという絵図を年始に描いていた。要は、「いけそうだ」というフェーズに入ったと判断したら、弾(現金)を確保しておくのである。

数日前、新業務の展望をまとめてある資料などを持参し、日本政策金融公庫へ行った。2年前にも行った。あれから24カ月、1度も滞ることなく順調に、借入金は返済し続けている。

そして、「主だった源泉が思いのほか減ったので新業務を立ち上げた」ということで、早めの段階で資金をまわしてくれと相談したのである。

ここで最も重要なのは、「結果」が出ているか否かである。小さな芽ではあるかもしれないが、出ているという証明を数字と書面で提示し、「どうです? ここからなんです」と、説明し、「はあ。なるほどなるほど」と、ご納得いただく。

審査に1週間ほどかかるとのことだったが、ずいぶん早く、今日、日本政策金融公庫から入電があった。

「早すぎるということはダメか――」と、ビビリつつ保留音を聴いていた。しかし、ご担当の若い女性の方の声色は明るく、「通りました! 後ほど書面を――」とのことであった。「ありがとうございます。これなら予定通り、長期計画で走れます」と、お礼を述べる。

超低金利での融資がほぼ確となり安堵。最初の3カ月ちょいは「俺は一体なにをやっているのだ」と判断する寸前あたりまで行き、めっぽうメンタルも疲弊したものだが、春の訪れと共に結果がついてきてくれた。そして予定通り、弾の補充に向かう。それも無事審査通過。すなわち、「こっちも『いける』と判断したから、行け」という、機関からの背中押しでもある。

これは漲るぜと、制作も続ける。この源泉の収益の値も、ゆっくりではあるが伸びていることを、数字と共に提示することができた。

1つの収入源に一投入魂するのではなく、うちは「複数の源泉からの収益で成果をあげる個人事業である」ということを、ご理解いただいた。

何事も、「絶対いけるんです!」という熱をもった押しも大事だが、冷静な判断材料となる「結果を表す数字」というのは本当に大事だなと実感する。共に表せたので、コツコツやってきてよかったなと、今日も半休だが夜は着手中のテクノを作り進める。

明日は大雨らしいが、新規顧客さまからの予約が1つ入っている。非営業日であった昨日に、業務端末に入っていた1つの着信の折り返し営業もある。共にがっちりキャッチして、機関に「見てください。あれから1年でこの数字ですよ!」と快活に提示できるくらいの流れに乗るべく、はりきっていこうと思う。

「一気に」というホームランを期待するのではなく、あくまでコツコツと、安打を積み上げるという基本に重きを置きつつ。
_05/12

 

 

 


昨日と引き続きの湿り空の中、営業など、事務など、制作などしてひっそりと過ごす。

夜、友達の足立くんがバースデイなので配信をおこなう。そして足立くん、宅に来たる。みなさまと和やかに賑やかに彼を祝い、わいわいと健やかに過ごす。

同じ年に生まれ、同じ時代を生きているのだなとほっこり。祝いの品も当日に渡せ、喜んでくれていたようなので安堵。そのような、たいへん温かい1日はとても貴重。
_05/13

 

 


寝不足気味とはいえ「オラ!」と発声し起床。営業に依頼と、真面目に過ごす日中。ううむ、わりと疲れたなと仕事場でいっとき眠りこける夕方過ぎ。

醒め、お誘い頂いた友達のバースデイ祭りの現場へ赴くべくJR線へ。アインシュタインさんの本をポッケに忍ばせ隙間時間に読み返しつつ都内某所へ。

初対面の方々もおられたが、今日はハレの日。着席するやいなや、即座に沸点のテンションに連れて行かれ、きゃっきゃきゃっきゃと愉しいひととき。

何より、主役が「どうもこれは、うん、楽しそうでしかたがたないな」と、空気感と肌で感じられたのが何よりであった。

なんだ、だったらもっと早く来ればよかったなどと思いつつの帰路。関係値が愛おしいやつの記念日は楽しいなと、ファンキーだなと、頭オープンリーチ全開な心境で帰宅。よかったなと思える所以は、友人の丸裸な笑顔。

“人生で最も大事なことは、お金では手に入りません”というのを、目の当たりにさせていただけた良日。5月14日、頭から尻尾まで、おめでとう。足立くんよ。
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まあまあ二日酔いで起床。SEIYUではなぜか60円という破格で買える「新グロモント」で散らそうと試みる。

まあまあ効いてるのかなと、だんだん調子を伸ばしつつ営業をする。タンメンに酢をバカみたいに入れて食う。漫画の描写くらいむせる。

まあまあ順調に、むしろ、いつもよりハイペースで進むテクノのクオリティを上げつつMIXをする。たいへん理想的な仕上がり寸前まで進行してDAWを閉じる。

さいきん寝不足気味だからアツい風呂に入ったり冷水を浴びたりという、苦行テイストのリラクゼーションをおこなって早めに寝ようかと、まあまあいつも通りの1日。
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このあいだ、日跨ぎカウントダウン必須の配信をおこなった際、テンパって端末を落下させ、ギタースタンドの硬い部分に直撃。画面のカドの部分にヒビが生じてしまい、わりと気になっていた。

スマホの前面がバキバキなままは、どこかメンヘラ感が否めないなと、いやそれは偏見だと、むしろ手前なんぞメンヘラであろうもなどと、色々考えながら近場の修理屋さんへ。

結果、保護シートが割れていただけであった。いたって軽傷。シートを買って自分で貼れば1,500円で済む。店員さんに貼るのを頼むと3,000円になる。

俺は当然ケチって手前で貼ろうとシート購入のみ。そして当然貼るのをミスってもう1枚買うハメになる。

ああ、不細工なくだりだったなと嘆きつつも、前より端末の見た目がシュッとした感じになったので手打ち。

プロが目の前に居る時はちゃんと頼むのが吉。毎日使用するガジェットの手入れに関し、決してケチることなかれ。1,500円を渋るセコすぎるアラフォーの教訓。
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ひさびさにライター案件を賜ったので昨日今日でやりおおす。新業務の依頼もあったことだしと、遅めになった夜めしを食いに行きつつその足でブックオフへ。

暫くすると、「お客さま。そろそろ閉店でございます」と、店員さんから丁重なトーンで伝えられる。

店内では「Auld Lang Syne」のメロディ、すなわち「蛍の光」が流れていることに気がつき、立ち読み中だった『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』をパタと閉じて帰路につく。

さいきん東京は、昼も夜もじめじめと、まるで食い気味に梅雨ではないかと、じゃあ今日は焼酎缶でも呑んでゆっくりしてから寝ようかと、なんの相関関係もない思考のもと、プリップリの明太子と酒を買って帰宅。

今日は時間的にも制作はお休みだなと、とはいえ進行中の曲はほぼ完成しているので、先に楽曲の紹介文を書く。それは、プラットフォームにアップロードする際の、楽曲についての特徴やおすすめ用途例などを説明するものである。

楽曲のクオリティや使いやすさやカッコよさもさることながら、実はこの「紹介文」が非常に重要なのである。

それは、ユーザーが楽曲を検索する際に、「言葉」を使って理想に近い楽曲を探すことが理由である。

例えば俺がチラシなどの広告媒体をデザインする時に、フリー素材の画像を探すとする。「ちょっと困っているおばあちゃん」の絵がほしいとする。

すると、サイト内で、検索ワードとして「おばあちゃん」「困惑」あるいは「おばあちゃん 悶絶」なり、その絵を表す言葉を入力して絞る。そして、希望に沿ったラインナップが絞られる。

これが楽曲の場合だと、例えば「ロック」「エレキギター」「疾走感」「歪んだ」あたりのワードで絞ると、まあ、クールでシリアス系のロック各曲に絞られるであろう。

そういったわけで「紹介文」はめちゃめちゃ重要となってくる。今、作っている曲だと、「クラブミュージック」「ハウス」「テクノ」「エレクトロミュージック」「トークバック」「配信やラジオのバックに――」など、ユーザーが求めているであろうシチュエーションを予測して、まるでSEOライティング(検索エンジンでの上位表示を意識して文章を書くこと)をする時のごとく頭を使って文を構成させるのである。

とはいえ俺はライターのはしくれ。まあ、比較的お手のものだぜと、この手の文章は短時間で書ける。

たとえば、手前の「White Colors Inc.」という楽曲についての紹介文は以下のように書いた。

“明るい爽やかなフレッシュな楽曲です。前向きでポジティブでポップな雰囲気の楽曲です。

清涼感がありスタイリッシュでキラキラときれいな音像なので、あらゆるシーンへのご用途として汎用性が高そうです。

企業VPやプロモーション、CM、ウェブ広告、ネットコマーシャル、会社のプレゼンテーションやコーポレートのBGM、紹介動画やYouTubeなど、様々なシーンへいかがでしょうか。

(Track 1は40秒弱、Track 2は20秒程度のサイズです)

・BPM:128
・ギターやハンドクラップなど、楽器は主に生演奏

スーパークリーンなホワイト企業にマッチするビジネス感のある楽曲というモチーフで制作しました。”

このように、“明るい爽やかなフレッシュな楽曲”と、若干、日本語が破綻している部分もあるが、それは、文頭の「明るい」を「明るく」と、正しい文法に書き換えると、「明るい」というワードでこの楽曲のページがヒットしない可能性も出てくる、という理由がある。

こう細分化して改めて考えると、SEOライティングもけっこう楽じゃないなと再認識する。それにしても、“スーパークリーンなホワイト企業”ってどういうことだろう。
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なんなら絶対臥褥期なのか、というくらいじっとしていいだろう。そのようにゆっくりして過ごそうと思う半休日と定めた日。

とはいえ、まずは、最近は掃除を怠っていたので、これは心が乱れようと、掃除機をマーシャルアンプくらいの出力の勢いでゴウゥと稼働させて全部屋を清掃。とてもすっきり。

夕方あたりからは仲間と長時間遊ぶ。「誰らと、どこで、なにを、どのようにして」とまで記せないのがインターネット公開の鬼門。理由は、他者の個人情報としても捉えられるからである。

要はみんなと過ごしてポカポカと、きゃっきゃと遊んでボボボと和んだ時間がメインの良日。いまこうして日記を書く時間以外ではほぼ、PCもスマホにもアクセスしない時間が大半であったというのんびり休日。これはガチで大切だなと思う。

そういったひとときを、「よっす」と気軽に挨拶を交わし、近距離で「ガハハ。うんこうんこ」と、過ごせる人たちの希少性たるや、かけがえがない。

もうすこし、酒を入れて全力でアホになって過ごせる見上げた休日。俺はこの先、大丈夫だろうか、とも思うが、誰であろうと休みは必須だろうと手前に言い聞かせる。そのような、たいへん気持ちのよい休日は、フェイドアウトするように楽しくもおとなしく、シュッと過ぎていく。
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心が綺麗になるような、幼い頃に母親に抱っこされていたような、無条件で精神は落ち着き、魂がシュッとしていくような、不思議な場所がある。

それを直感で感じる場所が近所にいくつかある。今日はそのひとつ、「旧岩淵水門」の近くの離れ小島みたいな所に行く。

その小島の岸に大木があり、そのふもとが、俺にとってのパワースポットのひとつなのである。

居るだけで、『ドラゴンクエスト』などのRPGゲームで言うところの「HP(ヒットポイント)」ではなく「MP(マジックポイント)」が回復していくのである。

大木のふもとで暫く、じっとして水面を眺めたり、離れた橋の路線から届く10Hz以下くらいの波動をケツから感じ、聞こえない自然の音を浴び、頭をカラにする。

はたから見たらヒッピーのような過ごし方とも捉えられようか。「無職だなこいつ」と、思われようか。

釣り人やちびっこが数人、周りに居たが、全てがこの水門直近の小島に溶け込んでいる。

このあいだ買ったユダヤに関する本をバッグから取り出して読み進めた。

なぜ、ユダヤの本をチョイスしたかというと、その前に買って読んだアインシュタインさんの本に感銘を受け、彼はユダヤ系の人であるということを知ったことがまずひとつ。

そして、「ほかにユダヤ系の人にはどんな方が――」と調べたところ、えらい有名な著名人が名を連ねたことで、ユダヤ人や、ユダヤ教の内容そのものに興味を抱いたのである。

好きな分野である心理学、精神分析学あたりだと、アドラーやフロイト、マズローなど。

ミュージシャンだと、レニー・クラヴィッツやエイミー・ワインハウス、エルトン・ジョンにサイモン&ガーファンクルなど。

驚いたのは、IT企業関連などでは、Appleのスティーブ・ジョブズ、マイクロソフトのビル・ゲイツ、Facebookのマーク・ザッカーバーグらなどがユダヤ系だという。

そして、あれ、これは、なにかを成し遂げるにはユダヤのことを根底から学ぶとわりと強めなんじゃないかなと、そういった経緯で、ユダヤに関する本を購入したのである。

ふむふむと読み進め、これはじっくり読んでいこうとパタと本を閉じ、小島から出る。もうちょい早い段階でこのくだりをしておけば、とも思うが、何かを習得したり学ぼうとしたりすることに対し、早い遅いは、さほど気にしない。

昨日今日と、1週間のうち2日は、ほぼほぼ生産性ゼロでお休みだったなと夜、思う。

しかし、件のユダヤの教えだかなんだかに沿った、商法にまつわる本には、「週5日制で儲からない商売はやめてしまえ」というくだりがある。

これは意外というか、相当昔から、現代においての働き方の真理を突いていたのかなとも解釈した。

よって、最近手前は、新事業の非営業日である週のうち2日は、なるべくアホなくらいゆっくり過ごすことを意識しているのだが、あながちこれは間違っていないのかなと、肚がポジティブに反応する。

とはいえ、なにかひとつの教えやらに則っての生き方というのはあまり性に合わない。だから、いいとこ取りで、刺さりかかっている方面のことはフレキシブルに吸収していこうということである。

そんなことを、小島でのんびりしながら考えていた休息日。なお、「旧岩淵水門」は心霊スポットとしても有名らしいのだが、俺はそうは思わない。単に、霊感がないからなのかもしれないが。

しかし、手相を判断材料とした場合、俺には「仏眼相」という、「霊感や直感力のバロメーター的な相」が両手共にバキバキに出ている。したがって、実はポジティブな方面のみ、五感以外でなにかを、感じているのかもしれない。

わりと何を言っているのかわからない、という人がいたとしたら、一回「旧岩淵水門」に行って、直近の小島の大木のふもとでしゃがんでみるのもいいかもしれないと思った。本当に、「MP」が、みるみるうちに回復していくのである。

アクセスはJR赤羽駅から徒歩15分程度。東京メトロ赤羽岩淵駅からは徒歩5分程度。げにパワフルなのは赤羽のパワースポット各地。
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たっぷり遊んで休んだのでスッキリ快眠。新規顧客を得るべく営業をする。「なか卯」で親子丼を食う。俺はこの店舗のお茶、キンキンに冷えた緑茶的なやつが最高に好きで、丼というより、このお茶を飲みに来ているようなものである。

今日は依頼がなさげなので時間的食い気味に制作をする。進行中だったテクノが完成したのですっきりする。

アシッド・ハウスや、ミニマル・テクノがモチーフの曲だったので、答え合わせ的に、Plastikmanことリッチー・ホゥティンさんの曲を聴く。ひとつひとつの音が全て洗練されているあたりが特に大好きなミュージシャン。20代後半の頃、本当によく聴いていた。

ううむ、およばないな、とも感ずるが、やはり大御所と比べるのはいい加減よしとこうかと改めて思うも、そこは理想が高めということで良きと捉える。

理想とはなんぞやと考える。「理想的に出来た」と判断した過去の曲が、今聴くと「まだいける」と改善点がみつかることは多々ある。

「あの考え方は理想的だな」と思ったことも、時が経てばそうでもなくなる時もあったりする。要は、自身の「理想像」というやつが時間の経過と共に変化するの場合もあるのだろう。

そうなってくると、理想というやつは、その時その時、一瞬一瞬の変化、現在の連続のなかで、数多にあるのだなとも思う。

ということは、「理想的だ」と、思える機会が多ければ多いほど幸福なのではないかという結論に達した。

「あの時は、最高の気分だった」というのが残りさえすれば、振り返ってみたときに「あれはどうかしていた」というその時の感情があろうとなかろうと、そこはどうでもいいのではないかなと。

そういったわけで、今日完成させたテクノと、昼飯の美味さが理想的だったので、俺は幸福である。
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五線紙がやや「たゆん」となるくらいの湿気、降雨。ひとつ、依頼を受けて出る。

もうちょいお客さんがついてきたら、手前への褒美として熱海にでも行こうかという案がでる。温泉に浸かって一泊しっぽりという、とてもわかりやすいプチバカンス。

ちょいと調べたら、宿など1万円でおつりがくる所が全然ある。経路といったら、赤羽駅からなんと電車1本で着く。

そんなに気軽に行けるとは知らんかったと、ひとり旅に出る褒美をチラつかせて頑張ろうと奮い立つ。

とはいえ、「離島に行く」だの「長崎へ向かう」だのと、結局、構想だけ壮大に立てては旅に行かんかったという履歴がたくさんある。

だからこそ、今度こそ、熱海へ。近いし安いし、いかにも小旅行っぽい熱海へ。行って地の魚をむさぼっては盃をひとり傾けようと企てる。非日常でなくては浮かばないアイディアや思考が飛び出ることも期待して。

そのためにも、明日も日常を張り切ろうと、カタカタといつも通り仕事部屋で静かな音を響かせる。五月雨に、やんやとふと湧く熱海欲。
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風見鶏がクルッと翻ったかのようにカッと晴天。日光をじりじり浴びつつ営業をする。今日は依頼がなかった。

もっと、どんどんエリア拡大して攻めようかと、そろそろ機動力を確保しようかと、屋根付きバイクの導入を検討する。ピザ屋的なあれである。できれば、あれの黒くて渋い車種が欲しい。しかし、まず先に置き場所をと思い調べると、近隣の月極め駐車場がまあまあ満車なことを知る。

「そんなに慌てなくても」ということかもしれないので、明日以降じっくりと調べることにして保留。

夜は、かつての同僚であり、同属性的な知人と宅でトークなどをして過ごす。気がつけば3時間。なぜか、誰であっても、この仕事部屋に来る方はけっこう長居しがち。それはとても和やかなことであり喜遊のひととき。

その後、ギターポップな曲調の楽曲制作に着手するが、手前が考えたパートが難しすぎてじっくり練習をする。

もっと簡単に作って、手軽にカジュアルに楽曲を量産した方が数字に繋がるのではと考えることもある。しかし、どうしてもクオリティにすごく凝ってしまう。全力でこだわっているつもりではある。そこはどうか、ユーザー様にその意図が伝わってほしいところ。

そんな時、「ああ、ありがたくも伝わっているのだな」という内容の、楽曲使用報告メールを頂けるとたいへんほっこりする。本当に清い気持ちになり、感謝の意を禁じ得なくなる。お報せを頂けると、直接ありがとうございますという旨を文面で返せるのが嬉しいところ。
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定期検診でクリニックへ。最近、調子は、なだらかに良好な方面へ向かっている自覚がある。その旨を主治医に伝える。

「この2カ月、たいへん、インパクトがあることがたくさんあったのです」

「そうですか」

「親父が死んだり、新業務の展望の兆しが見えたり、ステージで唄ったり、公庫に相談したらGoサインが出たりと――」

「なるほど。それでどうです? 調子は」

「はあ、あの、数カ月も続いた、えも言えぬドロっとしつつも鋭利な、危機感をも伴う慢性的不安感が減ってきつつあるのです」

「そうですか。以前平吉さんにお聞きした親子の関係値も含め、お父様が亡くなられたことと、お仕事の新たなアクションが良くなってきたことと、その両方が大きく関わっているのではないでしょうか」

「はあ。そうかと。なにしろ、僕はある程度は刺激的なことが多い方が、健やかな気がするのです」

「色々な方がいますからね。それで、このあいだの血液検査の結果なんですけどね……」

先生は、血液検査の結果発表の際、必ず、あたかもヤバそうな声色でタメる。

「良くない数値は全くありません」

「しかし先生、その時期僕は酒の量が増えていまして。最近は適量のつもりですが――」

「肝臓等、問題ありません」

「本当ですね。もはやこれは酒を呑んでいない人の数値かと」

「ええ」

「あと、その前に謎に数値が高くて僕の精神を脅かした『LDL』やらの数値はどうです? 高いままだと別の検査もした方がいいってビビらされたやつ……」

「大丈夫です。普通の数値です」

「よかったです。それ、とても心配していたのです」

「そうでしたか。血液検査、全く問題ないですよ」

俺は胸を撫で下ろした。いつもどおり、妙に優秀な血液の各数値が記された結果用紙を眺めては安心する。

そうだった、俺は、体はいたって健康。むしろなぜかタフなくらいで、血の具合はエリートクラスだったという自信を取り戻した。

体の健康と精神のバランスは、ほぼほぼ直結していると聞いたことがある。近頃は共に健やかと判明し、ルンルンとした気分になる。

また、献血に行って中ジョッキ1杯分くらいの血液を抜いてスッキリしようという気概も復活した。これからもはりきって、手前のクリーンな血液をばら撒こう。

会社員時代、健康診断の血液検査結果の優秀な値を「どう? すごくね?」と、同僚に自慢して回っていたことを思い出した。今思うとあれはある種のいやがらせに値する。新種のいやがらせ。ブラッド・ヘルス・ハラスメント。もちろんそんな言葉は無い。
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朝起きたら若干頭が痛く、ああこれは昨晩少し呑み過ぎたなと、いくら検査で肝臓の数値が優秀だからといって呑み過ぎは感心せんなと、おやおや気がつけば月末ではないかと、意を決してえいっと布団を出た。

42歳厄年。再来月あたりは誕生日が来るなと、実際に42歳に相成るなと、これは兜の緒を締めてかからんといかんなと鏡に向かって敬礼。いざ出陣と気合を入れた。

新業務においての今日の依頼は2件であった。おやおや、これはなかなかいいではないかとふと外を眺めると鳩が交尾をしておった。いや、なにかの見間違えではないかと、下半身をキュッと締め、各依頼元に赴き実務を行なう。金を得る。

求められて奉仕をし、利益を得る。実に明快で気分が良いなと、舶来の茶を淹れてはちびりちびりと飲み、カタカタと机で作業をする。

月月火水木金金。毎日休まず労働し、富国に貢献したいところではあるが明日は半休。今夜は廉価の酒でもすすりつつ、しっぽり過ごすつもりである。

どうも、休憩中にYouTubeで鳥肌実氏の演説動画を流しっぱなしにするブームの最中につき、どこか感化されつつあるような。さいきん小難しい本をよく読んでいるので、いい塩梅に中和されて良いではないかとも思うが。
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午後に起き、蕎麦を啜りて滋養を得る。新業務非営業日にありがちな1日のはじまり。まったりゆっくり過ごす。

深煎り珈琲をトトトと淹れ、ええいと制作をする。曲は書けた。楽譜も記した。しかし、メインパートのギターが難し過ぎてすぐは録音はできんと悶絶。

例えるならば、ジミ・ヘンドリクスやジョン・フルシアンテさんなどの玄人クラスのクランチサウンド・ギタープレイのアプローチ。

これはササとやっつけてはギター弾きとしていかがなものかと、じっくりせっせと練習に励む。そして夕方、仲間お2人方と共に東京都は錦糸町のセッションバーへ突撃。

共々、玉砕するはずもなかろうという音楽力は備わっているだろうと、まあそのへんはラフに、シンプルにきゃっきゃとウェイウェイ楽しむ。

帰路、串に刺さった鶏肉をちっちとつまみつつ談笑。飲酒。アラフォーの宴。たいへん楽しい1日であったと、帰りに更に酒を買って帰宅。

「貴様は昨今、酒ばかりではないか」と言われれば打ちひしがれる竹刀に屈服せんでもない。しかし、俺は今日、半分は音楽と真剣に、というか愉しげに向き合っていた。

ということは実に優良な日ではないかということで手打ち。半休日というのは生産的でもあり憩う日でもあり、たいへん適切なライフワーク設定をしたものであると、近頃の暮らしを讃える。要は、ほのぼの楽しかった五月晴れの寧日。
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どうも疲労が抜けんようなコンディション。いやこれは単に二日酔いかと、ニンニクしじみ味噌汁という謎のスープをこしらえるところから始まる半休日。

うむ、精も滋養も沁み入ったというところで茶を淹れてPCに張り付く。メールチェックなどをする。半休日でもこれくらいのことは行なう。

「新業務にあたり、ユニフォームが必要だ」という草案があった。それは、顧客様に安心感と親近感、清潔感を感じて頂くことに加え、リピーター様に「いつもの人だ」という“定着感”を得て頂くためのもの。

これはなかなかの名案であるということで服を買いに行く。いでたちのコンセプトはスタイリッシュな清潔感。こざっぱりして、似合ってることが前提で、手前らしいテイストであるということも大切。

では、私服でありがちなものに綺麗目さをプラスしようと、黒のスキニー・パンツに白シャツということにした。要はエレカシ宮本さんコーディネート。漢のスタイルである。

新たに綺麗な白シャツを2枚調達。黒のズボンはたくさんあるので今日は買うことはない。秋あたりまではこのスタイルで営業・実務を行なうことに決定した。

この恰好で首に名刺入りのストラップを下げ、シュッとしたカバンを構えると、あっという間に「仕事してる感」が出ることに加え、なんか頼もしいフィーリングも醸し出せるというわけである。

買物途中にモバイルで制作依頼も賜ったので、ゲーセンで脱衣麻雀をプレイする時間を端折って帰宅。友人が荷物を置きに来宅したので少々トーク。あとの時間は依頼案件の楽譜を書いたりして過ごす。

休憩しつつ調達もし、生産的なことも少々する。見上げた半休日だとなかなかスッキリした気分。ハーッと酒を多量に流し込みたいところだが、最近呑み散らかしていたので適量を。

なぜ休肝日にしないのかは、差し支えなさそうな時は本能に従った方が心身共にヘルシーであろうという所以。酒呑みの、免罪符たるや、しじみ汁。
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紫陽花がここぞとばかりに咲き始める大雨。昨年、同時期あたりに、俺は紫陽花をしげしげと見ては、「ちょっと味もみてみよう」という、岸辺露伴的な探究心にかられバクリと食おうと思った。

しかし、最近知ったのだが、紫陽花には毒性があるという。食った暁には、嘔吐、痙攣、めまい、呼吸麻痺、昏睡などの症状があらわれる場合があるとのことである。

やれやれ、危うく道端で野垂れ死ぬまであったかもしれんと回顧し、今年の紫陽花の子どもを見つめる。相変わらず、人を小馬鹿にしたような咲き方でほほえましい。

花を見つめてのほほんとしていただけというわけではない。依頼の実務に、制作依頼の録音数トラックと、真面目に健やかに過ごしていた。

めしだって紫陽花ではなく、ちゃんとトンカツ定食をたいらげた。血液検査のコレステロール値も超優秀だったので食いたい放題である。

ああ、そろそろ梅雨が来るなと、ギターの弦が速攻でサビてはイラリとする時期の到来だなと、とはいえ雨季はあらゆる生命の活動に必要だなと、そのようなことを考えながらアコースティック・ギターの弦を張り替える。

生活や植物や天候など、あらゆるシーンで季節を感じる国に生まれたものだとしみじみする。毒あれど、心は潤す、紫陽花の華。
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がっつり寝坊という体たらくに俺は自分に問いただす。怠慢なのか、疲労なのかと。どちらかというと後者のような、気だるい起きがけ。日中もすぐへとへとになる。

ああこれはしっかり休んでいないからなのかなと、よもや年齢も関与しているのかなと、様々な原因が考えられるが、めしを食って休憩したらわりと元気になったので制作を進める。ギタートラックをトラックをオーバーダビングする。

なんやかんやで、今日やるべきことはやりおおしたので手打ち。明日はちゃんと起きるべく早めに床に着きたい。仲間がこのあいだ装着していた、睡眠の質が数値化できる指輪がちょっとほしい。

聞くところによると、俺は就寝時に歯ぎしりをしたり、たまに叫び声をあげたりと、なかなかスリリングな睡眠スタイルのもようなので眠りの深さはあまり期待できない。

じゃあマウスピースでも付けて寝ようかという案もあるが、けっこうな確率でそのまま食ってしまう気がするので棄却。寝ながら腹こわしたくない。
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体感で30℃超えとわかる皐月の熱暑。都内はカラッと夏日。ひいひい言いながら外を回って営業をする。今日は依頼が得られなかった。

そんな日もあるぞと、コツコツ色んな種を撒き続ければ良いさと、だんだんと芽が出てきてはいるぞと、執拗なまでに粘る性質はむしろ俺の長所であろうと、そのうち確率変動を起こすぞと、俺は前向きに考えた。

納期が明日の依頼案件を進める。進捗率75%の段階で「明日、締め切り」というのはなかなかしびれる。

とはいえ手前もギター弾きのはしくれ。「きっと、こういうのをお望みであろう」というテイストのギタートラックを全て録音しきって安堵。明日、整えて提出という工程までたどり着く。

そういったわけで今日という日もやりきったので酒呑んでふやけて眠ろう。やりきれた日と、そうでない日の酒の味のあの格差たるや、誰か説明をしてはくれんだろうか。本日はまあ、美味かろうと思われる。
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依頼を受け、実務をして金を得る。案件のギタートラックを整えて提出する。よしよし、やることやったぜとYouTubeで鳥肌実氏の演説動画などを観る。

俺は最近、何日連続で鳥肌実氏の動画を観るのかなと、ふと、彼がモデルとなった「梶 秋一」というキャラクターが印象的だった漫画『オメガトライブ』を思い出す。そして、ちょっと調べていたら、先月に続編の単行本1巻が出版されていることを知る。

これは辛抱たまらんと書店へ直行。販売していたので直結で購入。その足でめし屋に行き、新刊物の表紙を眺めながら蕎麦をすする。

買って満足。開封はいつになるやらというのは手前のようなCD世代にありがちな習性。

ほっこりしつつも今日は疲れたなと、〆にしようかとも思ったが、手前の制作を進める。しっかり弾くには難易度高めの爽やかギター・ポップ。ラフをDAWにメモって今日もやりおおしたと気分が晴れる。

やることやって、シンプルに欲しいものも買えると確かな満足。もうちょいで、鳥肌実氏のウェブサイトで販売していた、彼の肖像画がプリントされたTシャツを購入するところだったが寸止め。いや、買ってもいいんじゃないかとも思う。

しかし、欲を言うならば、あの、刺繍の入った特攻服のようなやつの方が欲しい。売ってはいないだろうし、買っても着る機会がないであろう。あって年一回のハロウィーン日。あれを着て、年に一度、玉砕するのも乙かもしれない。
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このあいだ、公庫から資金調達をした。その際、仮に審査が通らずに悶絶した場合に変に慌てふためかぬようと、二の矢を用意していた。それは、地元の信用金庫からの融資である。

ただちにそれを申し込む予定ではないが、俺あたりの業態でいけるのか、金利はなんぼなのかと、今日はそれを取材しに近場の信用金庫へ突撃した。

信金のウェブサイトであらかじめ下調べをしたが、金利などの肝心なことが明記されていなかった。そうなると俺もライターのはしくれ。能動的取材こそが最も適した情報収拾ということで張り切って受付へ。

「あの、個人事業者向けの融資について詳しくお伺いしたいのですが……」

「はい! こちらへどうぞ! ニコッ!」

フロントは無事突破した。いかにも、という感じの別室に通され、「係長代理」という肩書きの女性のご担当者と名刺交換をして色々聞いた。

「――そういったわけでして、この間、公庫から資金調達したのですが、こちらではどうなのかと思いまして」

「なるほど。どのようなお仕事内容をなされているのでしょうか?」

俺は、音楽屋の仕事と、ライター業と、高齢者向けの新業務を並行して営んでいる旨を端的かつ丁重でフレンドリーな口調で伝えた。

「そうなんですね。なるほど……新しい業務も売り上げが出てきてと……」

「はい。これはここから、という感じで、『具体的な軌道が数字と共に見えてきた』という“段階”でございまして」

俺は“フェーズ”という言葉を使いたかったが、なんとなくカタカナのビジネス用語を多発すると、ええカッコしいに思われる気がしたので寸止め。

「そして、音楽ライター業がメインの収入だったけど、コロナ禍で激減したと……」

「そうなんです。コロナ禍が去ったらもとに戻るかな、という予測もありますが、今は、昔のように縦長シングルが恐ろしく売れた時代でもない、ということもありまして――」

「うふ。あれですよね。2曲入って1,000円くらいの長いやつ。私、世代なのでわかりますよ」

「そうそう。そうなのです。というわけで、業界全体を見渡して、やや厳しめな展望も見据えると、他の分野の業務も並行したほうが賢明かなと」

「それで、ご高齢者向けのビジネスを立ち上げたのですね」

「はい。その新業務と、引き続き音楽ライター業と、音楽制作や実演などの業務の3本柱の個人事業というわけであります」

彼女は、実にするするとご理解してくださった。そして、もう一人、スタッフの男性の方を呼び入れて共にお話しした。

「彼は音楽が大好きなんです! 平吉さんは音楽ライターもやられているそうですよ」

「へえ! すごいっすね!」

「ありがとうございます。でも案件が減ってしまいまして……ちなみに、どんなアーティストがお好きなのでしょうか?」

「UVERworldやワンオクとかが好きです!」

「なるほど。特に、ロックがお好きなのでしょうか」

金の話をしに来たのだが大脱線して音楽トークにブワと華が咲いた。女性のご担当者は俺に問う。

「平吉さんはどんなのが好きなんですか?」

「僕は洋楽が好きでして……そうですね…有名なのだとニルヴァーナとか――」

「うふ。知ってますよ」

「じゃあ、ご存知でしょうが、レディオヘッドなども大好きなのです」

「うふ。わかります!」

「日本のロックですと――最近のもいいんですけど、僕は、世代的にはミッシェルガン・エレファントのような殺気立って尖っているやつが好きでして」

「あはは! わかります」

「へええ! すげ! 僕は今度、B’zのライブにも行くんです!」

男性のスタッフの方の食いつきもなかなかであった。

「それはいいですね。察するに、世代的に……『ultra soul』より後ですよね?」

「そうですね! 『イチブトゼンブ』あたりから! でも、昔の曲も好きです!」

「いいですねえ」

「そうだ、ライブレポートとか読んでいて思うんですけど、あれって、どうやっているんですかね? よくあんな細かく書けるなと!」

「取材のやりかたですか? あれは、だいたいは関係者席でライブを観ながらメモって、MCの言葉は必ず……公演後には楽屋かフロアでご挨拶をして……うんぬんかんぬん……」

「へええ!」

「あと、アーティストさんのインタビューなども面白いですよ。まあ、今の我々のこんな感じの雰囲気でして」

「はははは」

「――だいぶ時間頂いてしまいましたね。失敬。それで、お金の話なのですが……」

ということで、金利については公庫よりは少し高め、都市銀行よりはかなり低めの素敵な数字。今ならコロナ的に金利についての待遇あり、申し込みについては、手前でも普通にいけそうという感触。そして、長尺のほっこり音楽談義という3つの収穫を得て信金を後にした。

推定同年齢の女性と、20代くらいの元気な男性スタッフに行なった取材はなかなか楽しいものであった。

本題について収穫があったことに加え、20代の若者がロックミュージックに熱くなっていることを一次情報として得られたことも相成り、素敵な気分になった。

ロックライブの熱気を提げつつ、ライブレポートをしっかり読むという若者がちゃんと居るのだなと生で確認できたことは、なんだかすごく嬉しかった。引き続き、音楽ライター案件も絶賛募集中。
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