05/2024

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。5


アイフォーンの新しいやつを買いにauショップへ。現在使用中の物では今後のOSアップデートが不可というApple社の意向所以。とどのつまり、機種変更である。

友達にもらった「iPhone 7」。4、5年は愛用しただろうか、まだまだ使えるであろうが、LINEなどの連絡手段のアプリケーションまでバージョンアップできなくなると困る。その前に買ってしまおうという、10分前到着にも似た先回り。「iPhone 15」へと特大ジャンプアップである。

店内にて、20代後半と思わしき女性店員から説明を賜り、データ移行などをまるっと一任する。

「要は、いま使っている状態を、この新しいやつに移してすぐ使えるようにしたいのですが、今日中にできますでしょうか?」

「はい! 可能でございます!」

「よかった。すごいですね」

「はい! あと、途中でデータが正常に移行しているかを判断するために、お写真やお電話帳などを確認させていただくことになりますが、そちらはご承知いただけますか?」

「ええ。個人情報だからといった点でのご配慮ですね? 大丈夫です。やましいデータなどは――」

「ではこちらとこちらと、月々のお値段がこう、来月は事務手数料が加算されてこう、2年経ったらこうと……よろしいでしょうか? あと、データ移行でお時間数10分いただきますね!」

「お願いします。では僕はドンキに行って画面のフィルムを買ってきます」

「ドンキですね! 行ってらっしゃいませ!」

キャリアショップで販売している画面保護シートやケースは高いので、近場のドンキに調達に行く。

例えるなら、居酒屋にいるのに生ビールが580円もするから「ちょっとコンビニで缶ビール買ってきますね!」というひどい行為に近い。だがそこは言及されず。「行ってらっしゃいませ!」と、言質もとってある。

だから堂々とドンキに行き、まずはと思い廉価の各品々の購入で手打ちとし、ショップに戻る。

「いかがですか? 仕上がりましたでしょうか…?」

「はい! ばっちりです!」

「いやあ。よかったです」

「お電話帳などこのようにそのまま、お写真も!」

「おお。ありがとうございます。そのままですな」

「はい! あ! バンドやってるんですか?」

「はあ。(けっこうがっつり写真見たのね)音楽関係のことを少々……」

「私もベースをやってるんです! いいですね!」

「ベースですか! いいですね。何かあったらご連絡ください。お力添えになればと」

顧客情報管理にめっぽう厳しいKDDI株式会社のサービスブランド「au」の店員さんが、客である俺に対し、そんな相談をするために今日得た情報で連絡をよこすはずがない。

ただ、終始笑顔で接客してくれたその姉ちゃんがベーシストであり、それまでの業務スマイルから、あからさまにプライベートな表情になったその瞬間にほっこりした。そこでつい、手前も営業的フレーズがこぼれた。というだけである。

「お客様! 今日はどうもありがとうございました!」

「こちらこそです。音楽活動、応援しております」

「えへへ!」

という感じで無事、最新型のアイフォーンへの機種変更完了。俺は通信モバイルにはさほど愛着を抱かないほうだが、まあまあ気持ちがフレッシュになる。

というか冷静に考えれば、そんなに愛着ないとはいえ15万円もするデバイスを購入したのは、どこか相反した感情が伴う。

世界を変えた。そういわしめるスティーブ・ジョブズさんが手がけたアイフォーン。なんなら、人間の購買意欲などの行動心理すらも覆したのかもしれない。そう考えると、それはあらゆる分野でよく引き合いに出される偉人なのだなと改めて納得する。

最新機種あり、どんとこいアップデート。さて俺も新たな相棒のこいつと共に、どんどんバージョンアップしていこうぜと奮い立つが今日は基本的にお休みの日。

故に、あんま仕事はしていないが、データ移行やバージョンアップ時に製品本体が表面上は停止しているように、人間も時にはそういう日も必要。疲労も取れ、あらゆる面で感ずるフレッシュな気分。
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なんだか体調がいいのだが濃いめのコーヒーを超こぼす。よりによって着ていた白いシャツにおもむろにかかり、「模様です」と言い切れば「前衛的だね」というレスポンスが返ってくるであろうほど、汚す。

これは諦め、シャツ捨てようと断じる。今日あった、普段と異なるシーンはこれくらい。あとは普通に仕事して演奏の練習をして原稿を書く。

手前は本当に、モバイルのデバイスには一般的感覚に比べて興味がないのかな、というくらい、昨日ドンと購入した最新型スマートフォンを触る頻度はいつも通り。

強かにこぼし、任侠の抗争時の返り血くらいブラックコーヒーを浴びた以外はいつも通り。毎日来てくれるいつも通り、関わる全ての要素、少しずつでも向上したいと途絶れぬ気概、連続する楽しい今、それぞれに対し、濃いめに感謝する。
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なんだかやること多いなとか思っていたら、あっという間に日跨ぎ寸前。それだけやってるなと、そのように解釈すれば綺麗だが、そこに比例して稼ぎや資産がドンと増加しているわけでもない。

やりかたや行動のシステム的なところに改善点があるのかな? などとも思うが、そもそもドンと大金を稼ぐことに直結するムーブを俺はとっていない気がしてならない。

ああそうかと、じゃあ、金ではなく手前の行動原理とはなんであろうかとふと思う。とりあえずさっきまで向き合っていた原稿については、金とかよりも「こう書いたら読み手は喜ぶかな?」という点に大きな比重がかかっていた。

すると、俺の原動力は人が喜ぶことなのかということになる。そうでもあるし、金もほしい。

「どちらか一択だ」と、神的なやつに言われたら俺は前者をとるかもしれない。聖人君子ぶっているわけではなく、たぶん、そういった素の能動が確かにある。

そんなものほぼ全員あるわと言われればグウの音も出ない。しかし、人の喜びも金も同様に「報酬」という共通点がある。報酬が原動力かというと、そうでもあるし、そう言い切れない部分もある。

なぜならば、結果一人として喜ばず、一円にもならずのコンテンツを作っているとき、結果がまだわからない時点では「報酬」のことなど考えずに、ただただ没頭している時が多々あるからである。

そうなると先述の「こう書いたら読み手は喜ぶかな?」という心境には矛盾が生じるが、それは最終段階の判断基準であり、ババババっと書いている最中は本当に書くことしか考えていない。音楽制作だと、いかに気持ち良い音となるかしか考えていない。

それはそれでいいんじゃないかと思う一方で、俺が大金というか潤沢な資産を得られていない理由が明るみに出た気がする。

その時、楽しいというのがとても大切なのは大前提である。とはいえ、もうちょい金もほしいなという確かな欲望もある。

「平吉って、金儲けはヘタだよね」と、昔に友人から言われたことを思い出す。合っているが、いまだにへたっぴのままなのがどうにも。

とはいえ、その言及の接続詞の「は」に友人の優しさを感じた。理由は、助詞が「が」だったら、単に「金儲けヘタクソ野郎」というニュアンスだが、「金儲けは」だと「それ以外には上手い所があるんだけど、一方で金儲けに関しては」と解釈できるからである。

ちょっとポジティブすぎる捉え方だろうか。つまり、金儲けも頑張ろうと思った。他者に貢献し、報酬も得る。これがベストなのはわかっているが、なかなか難しい。ちょっと考えすぎなのかもしれないが、とりあえず「他の人喜ぶかな〜」という時は明瞭な幸福感がある。

このように、このへんの考えをつらつらと書かずとも、「他者貢献」「ドーパミン・報酬系」とかなんとか提唱できちゃう偉い人たちって本当にすごいなって思う。
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0時前、連なるハイボール飲酒の連鎖たるやどこまでかと思いつつ、俺は近隣の公園にそびえ立つ大木の呼吸をフィジカルに感じていた。ひたりと手をあてる感触は冷たくも、美麗な何らかを感じる。

今日は興行案件でみなさまと楽しく跳ねる。様々な立ち位置で各々、仕事をする。そういったゴールデン・ウィークたるや、わーいと、とても良いなと率直に思う。

いろんな人と話をする。価値を見い出す。時にポップに、よしお氏が引いた確率変動フィーバー・スタート――ライブ出番までの待ち時間の遊び――を見守ってはパチンコ屋でのひと時を慈しむ。楽屋へ戻る。出番を待つ。本番、体感的に秒で過ぎる。

幸せの実感は後からじわじわ来る。そんなことを想起しつつも、「ライブ」という言葉通りの瞬間をみなさまとシェアすることができて幸福と断ず。

めしを現場で食う。メガ・ジョッキで酒を呑む。足立くんに帰りを送って頂く。宅にて機材を整理する。

ううむ、まだまだ今日、というありがたい時間があったので徒歩数分圏内に立地する呑み屋へ。「レバテキ」と「にんにく揚げ」をアテにハイボールを流し込む。

おいしかったな〜と、満足して帰路。いやしかし、まだ浅いなという思索のなかコンビニでハイボール350ml缶をひとつ買い、公園で呑みながら木を見る。そして、0時が過ぎる。

以上、漏れどころはいくぶんかあるが結論、とても楽しかった若葉生い茂る季節の或る1日。
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数日前から、あらたな源泉を得るタスクを考えている。そういうアンテナを張りつつ大型書店へ行くと、また別の視野が広がる。

書店で平積みされている本や、レジの前や店舗入り口など、目立つ場所にある本の内容は「今、みんなが欲している知識」の目印ともなる。

「お金の稼ぎ方、その仕組み」「話し方、コミュニケーション」「健康」「大物作家の小説」「仕事術、マネジメント」。ざっと、これらにフォーカスがあてられていた。つまり、みんなお金や人間関係や健康などの悩みがあるのだなと判断できた。

そりゃそうだろうと一瞥し、あらたなタスクのヒントを得るためにまず、手前の仕事の地盤である「音楽」関連書籍のコーナーへ行く。

すると、以前よりも明らかに、それらにまつわる本が少ない。スペース自体が縮小されていた。これはもしや、音楽シーンそのものの縮図ではなかろうかと危惧したが、昨日参加させていただいた興行の生の空気感からは、そんなことはないという主観が生じる。

単に、書店においては可視化されていないだけであると信じたいが、事実として、音楽雑誌などの売り上げ自体は落ちているのではないだろうか、という点はきちんと認識する。

では、全く別のビジネスモデルを考えて、そこに音楽と執筆を加えて何か――と考案しつつ宅に戻る。一旦リラックスしてYouTubeを観る。

好みとしてよく観る三崎優太さんの最新動画で、「霊媒師」「霊能力者」といった肩書きというか、そういうスタンスの人が出演していた。

その霊媒師は、霊やオーラや念などがビジュアルとして視えるらしく、何なら守護霊との対話や、対象者の記憶を辿ることもできるという。

三崎さんは「霊視」を受け、記憶を辿られ、具合が悪くなって(そういうこともあるらしい)横になるというくだりもあった。

俺の仲間にも霊が見えたり、場所的に良し悪しがあることを察知できる人物が居る。昨日も一緒に居たが。

彼いわく、とりあえず俺の仕事部屋は「居心地が良い」と表現し、来てみんなと過ごす時に彼は決まって、「この部屋において最も俺が落ち着くソファの座り位置」で憩う。来ると必ずそこに直行して座るのである。「場所」や「気」を、ちゃんと察知しているある種の証明であろう。

そういう身近な例もあり、動画の霊媒師のように、霊が見えたり相手の魂の色から性質を判断できたり、除霊や結界を張ることもできたら、それはそれで大変もあるだろうが凄いなと率直に思った。

その霊媒師は、男女2人ペアによる『彩咲ちゃんねる』の男性の方。そのチャンネルをいくつかみたら、潤沢な数字を持っておられた。

各種収益の流れも整備されており、チャンネル登録者や再生数から察するに、きちんとマネタイズができていると断定できた。

要は、そのチャンネルが、“霊媒師”というスタイルをビジネスに結びつけているといった点で、俺の新たなタスク探しのヒントとなった。

自分の卓越した能力に少々エンターテインメイト性を加えてコンテンツ化させる。今日参考にしたものはかなり特殊な方だが、他者からしたら特別である自身の能力に焦点を絞るという考え方だと、非常にシンプルだなとも考えられた。

すると一周して、俺の場合は、卓越まではいかないかどうか――それは受け手が判断することだが――音楽と文章という、10年近くはいちおうマネタイズできているタスクに絞って膨らませることがいいのかもしれない。

それでもまだ、自分では気づいていない長けた能力があるのかもしれない。そのへんはいわゆる“能力の輪”の境界線を見極めることが大事だなと、先月得た見識に回帰する。

とりあえず、ここのところずっといそいそとしていたので、水面下でヒント探しの思考を走らせつつ、娯楽ベースでいろいろ見て過ごす日も価値があるなと思った。

それにしても、霊や気の流れ、守護霊との対話。これらができると、どんな気分なのか凄く興味がある。明日起きたらいきなり視えるようになる可能性もゼロではない。

されど、さっそくビジネスとしてと考えるかもしれないが、とりあえず今は、続けていて社会に関われていることをこれからも発展させたいという、地に根を張った生き方をベースにしようと改めて思う。本当に明日、急に視え出したらどうなるかはわからないが。
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まあいつも以外のビジョンはそう簡単には視えねえよなと、起きて普通に仕事をする。なにか新しい源泉、ビジネスはないものかなと考えるも浮かばず。

それはそれでと思考をアイドリング状態にしたまま、やれることやるかと新しい楽曲の制作をする。「ギターリフものCM向け」というコンセプト。このあいだのライブのテンションがまだあるうちに、その熱量を曲にしたいなと。

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンと、ザ・ホワイト・ストライプスのかっこよさの音像、プレイ感、人間味溢れるロック・ギターサウンド、それぞれのイメージをモチーフとする。そう簡単には出てこないものの、なんか良さげなスケッチが4小節できたのでDAWに波形でメモる。

そうこうしているうちに深夜。外は謎に強風が吹き荒れる東京都北部。俺にもいい風吹かねえかなと思うがそれは自ら起こすものだと、いつものように自己啓発的な気持ちで日が閉じる。
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とにかく何が述べたいのか本気でわからん「形而上学」の書籍。頼む、メルマガとかそういうやつみたいに結論から言ってくれと、首を斜めにクククと鳩のように傾けながら読み進める。

本の第10章。すなわち最終章に「これが結論、本書の要点か」という箇所を見つけた。

俺なりには、その部分が「形而上学とは、要するにこう」という一節として光って見えた。

そこを最初にペカッと光らせて欲しかった気もするがまあ、それも、こ難しい書籍を読み進める上での醍醐味なのかもしれない。

“形而上学は、世界がもたなければならない特徴やもちうる特徴をもっぱら理屈に基づいて考えるのだ。”

165ページ目に書かれていたこの一節は、「ここだったか! そういうのは最初に書いておいてくれ」と心底感じた。長尺のコントか何かで発せられる「お前が歌うんか〜い!」くらいのテンションでそう思った。

しかし、仮に、冒頭にこの一節があったとしても、最初からは全く理解できなかったであろう。後半も終盤、第10章にその文が配置されてはじめて、それまでのクソ長い文脈と共に腑に落ちるものなのかな、とも思った。

「個別者」「性質」「変化」「因果」「可能性」。

書籍では、このようなキーワードが各所に散りばめられていた。上記を用いて、俺なりに形而上学テイストで例をあげると以下のようになる。

「俺という『個別者』は、身長173cmという『性質』をもつ。しかし、40年という時間の経過に伴い、以前は身長100cmにも満たなかった『変化』がみられる。そして今後、老後に向かい173cmよりも縮む『可能性』があり、そこには加齢という『因果』を含む」

“――もたなければならない特徴やもちうる特徴をもっぱら理屈に基づいて考える”と、こんな感じになる気がする。

そんな理屈、要るかね? と問われれば「知らん」と答える。絶対にそう断じる。しかし、そういう考え方をもとにしてあらゆる科学や学問として派生したという点を念頭に置く場合では、「知らん」では決して片付けられない。

だから、日常会話では「知らんけど、哲学とかの基礎的なやつじゃね?」くらいでいいだろうか。そうでもなければ、例えば、ふだん普通にいじっているスマホに対していちいち細かい思考が湧く。

「これはiPhoneという一つのデバイスで、通話に加えて撮影もインターネット接続もできる。一方でそのどれかの機能が失われたとしてもスマホはスマホとしてその個体であることができる」

そんなこと考えながら俺はスマホと接しない。何も考えずに「ゆっくり魔理沙だぜ〜」とかのんびり観ては、ふははと笑っている。

「ううむ、このチャンネルの性質はテンプレートであり、その“変化”という部分に焦点をあてるとあらゆる分野を紹介する汎用性に長け、その“可能性”は現代の知識・技術共有との“因果”があり――」などといちいち考察しない。

正直、これらの例文や感想などから、俺がきちんと形而上学という重厚な学問を理解できたかといったら甚だあやしいかもしれない。

とはいえ、随所で「なるほど……?」と思わせる、考えさせる、知らなかったことを知る姿勢が伸びる、いままで“無”だった思考の発端が生じたことは、脳内では事実となったと思える。

それこそが、形而上学のパワフルな点なのだろうか。読んで良かったと感じたことに加え、ようそこまで書いたなと、著者に対しての敬意と感謝と尊敬の念が芽生える。

いまのところの、この学問を主題とした雑感は以上である。昔の人は、情報源がいまより遥かに少なかったぶん、深く、物事を考えていたのだなと、そこはシンプルに感銘を受けた。

なんなら、それを享受できただけでも、ひとつの読書後の成果かもしれない。

次はもっとポップな本を読もう。『スピ子の大開運アセンションまるっと一発網羅!』みたいなやつにしようか。そんな本ねえよとも思うが。
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霊媒師とラファエルさんのYouTubeコラボ動画をがっつり一本46分くらい楽しく観る。ちょっとソファで寝る。

岡田斗司夫さんの動画を流しっぱなしにしていてウトウトしていると、体がビクッとなったり、岡田さんのトークが謎言語に聞こえたりする。

これは疲れているか霊的な何らかか。ほぼほぼ前者であろうが、まあそれはそれでと起きて、制作を進める。前提として日中はしっかり仕事をしていた。先月打診を受けたライター案件の詳細がおりてきたので仕様の確認事項も送る。後日対応とする。

つまり、まあまあいつもどおりの日。何か変わったことがあったかというと、前髪を耳に片方かけて過ごしていたくらい。

切ろうか迷うが、10代の頃から髪が短いと落ち着かないという変な感覚があるので多分ばっさりとは切らず。「これは前世の名残だろうか」という思考は、明らかにここ数日ハマり始めた霊媒師さんの動画の影響。

こういう割と入り込みやすい手前の性質をどう捉えるか。それは、深く向き合う特性と、良い方向に捉えておくのが精神衛生上よろしいのだろうか。
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接待かこれはおい。というくらいの、うはあと声が出るクラスのおいしい食事やらお酒とか楽しい会話・対話。東京都新宿区で今日過ごした所感。

とはいえ、予後に吟味すると確かに感じる孤立感。しかしそれが課題なのかな〜とか思う。別に、いま酔っ払ってはいない。
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どうも覇気が出ないなと、ややクサクサした心境で過ごす。おととい詳細が来た案件に手をつけるまでが長いという体たらく。

こういうのは「とりあえず5分だけでも」というのが定石。やる気スイッチの正体。そういったわけで、ちょっと手をつけるとそのまま淀みなく、進捗20%までできる。

よしよし制作もと、各機材をオンしてDAWを開いてギターを弾くが肩が痛い。立っての演奏はそうでもないのだが、座って弾くと四十肩が謎に際立つ。

とはいえ弾いているうちに慣れてきたので全体像の尺、その下書きのような段階までは辿る。

時間が経つにつれて気分もフラットになってきて夜、日が暮れる。半分くらいはお休みのような日だが、各タスク、少しずつは進行する。このペースを加速することがいまの課題だろうかとふと思う。
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一変して隆盛たる覇気、漲る本日。この落差たるや何ぞと思うがいつものことだと仕事をする。

細かい小休止以外の時間はほぼ全て、文字を打って過ごす。時間さえあれば制作もしたかったがそこは0時前になったので打ち止め。定量。

起きる時間がわりとバラバラなぶん、寝にかかるタイミングはけっこう統一させているこの1年半くらい。

寝酒を片手に仕事部屋のソファで斜めに気絶することがしばしば、そんな不摂生の向こう側のような体たらく、即刻律すべし。という気もするが、それ以外はだいたい同じ時間に寝る。

そういったわけで、進行中の案件を一気に書ききる元気はあったが、明日「起きれんかった」ということを回避するためにもしっかりめの塩梅で〆る。前のめりな進行具合が心地よい。

当たり前のようだが、心身の調子が良いことをきちんと感謝する意識をカッと顕在化させることで、人間は恒常的に健康でいられるのかもしれない。まだ肩は痛いけど。
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昨夜から、肩に加えて頭と耳とかまでもが謎に痛いのは、“太陽の表面で起きる爆発現象「太陽フレア」”のせいにしておく。

それはGPSとかにも影響すると聞いたので、もうそういうことにする。しかし元気はあるので一日中フルで仕事をする。もはや痛みが気持ち良いやもというマゾヒズムのフェーズに達する。

一通りこなし、そういえばと思い、YouTubeの動画を作る。生成AIってつくづく脅威だなと、いい方に捉えてハイボール呑みながらツールをいじくる。痛みは麻痺する。

いろいろ前倒ししてタスクを進行しているので、もう数日もしたら意図的に設けた連休に突入できそうな気配。とても楽しみ。

一方で、なんかもうこの時間になると機知に富んだフレーズとかぜんぜん出てこないくらいクタクタになる。それはそれでそういった幸せのかたち。
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なんとなく鶯谷のラブホテル街あたりを散歩したかった。だがしかし圧倒的雨天。ならず、無目的徘徊。

しからばと前のめりに案件を進める。仕上がる。精査のため一晩寝かすことにする。コンテンツの客観視という観点において、これは案外大事だったりする。

今日のタスクとしてもうひとつ、公開楽曲管理がある。いま公開している楽曲は、外部2つのプラットフォームで管理して頂いている。

その片方に公開中の楽曲を全て非公開にする。 権利の関係でその必要が出てきたのである。今後のトラブルを未然に防止するために、委託先としては一方のみでの公開とする。

そうしたところで即座に大きなダメージがあるわけではないが、100曲以上ある楽曲の「公開停止申請」するひとつひとつの作業。進めていると確かに感じる寂しさ。10年近くの付き合いだったからそれはそうかと、けっこう収益化させて頂いたものだなと、様々な感傷に浸りつつ、終わらせることも肝心だと認識する。

とはいえ、当該楽曲たちがもうリスニングおよび使用できないというわけではない。

もう一つの巨大なプラットフォームでいつでもダウンロードできる。なんなら当ウェブサイトからも、今のところなかなか零細な俺のYouTubeチャンネル経由でも、ユーザーは100曲以上ある公開楽曲にアクセスできる。

じゃあ作り続けようと楽曲制作をする。座ってギターを弾くと右肩にくるが、弾いている間は脳内のアドレナリンやエンドルフィンの関係でさほど痛みを感じない。それだけきちんと向き合っているのかなと、フィジカル面でもメンタル面でも、あとみえない何らかと、多方面からそのように実感する。

それが心身にとても良いと、原点に還る気分。ギターを人前で弾いたり、制作物として落とし込んだり、それを好んで使って頂いたりと、それらの行為からは貢献感が得られる。

「右肩が痛くてギターが弾けない」ではなく「ギターを弾いているときは痛みを感じない」というこの現象というか体質というか、とにかく制作できることに感謝する。

今日頂いた楽曲使用報告メールを読むと、なんだか凄いところで使って頂けるのねと、幸せな気持ちになる。

俺がどこまで他者様に貢献できているかはわからないが、それがふと具体的に知れると、純粋にやる気は向上する。

“幸福とは、貢献感である”と、断じたアドラーさんの言葉は、確かにそうだよねと頷ける。

誰の役にも立っていない夜の飲酒も、とりあえず酒買って経済回して酒税まで収めているという“貢献”も伴うとも解釈できる。強引に述べるとそういう側面もあるだろうか。

別にそこはいちいち考えず、シンプルに頭をアホにして呑んでいるだけだが。最近は「GINON」という缶酒推し。
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ちょっと四十肩よくなってきたかなと思いきや、油断すると「ピリッ」として「あああ!」と声が出る。シャツ羽織ろうとすると「あああ!」となる。どうか、慢性期から回復期に差し掛かっていることを祈る。

仕事をして、東京都の沼袋という、行ったことのない土地へ赴き、足立くんのバースデー・イベントを観る。

時間的にちょっとしか居られなかったが、少し話し、彼がとても嬉しそうな顔をしていたので良かった良かったと、それだけでも良いよねと、帰路につく。アーロン・ベックさんという認知療法に特化した精神科医による書籍を手に入れたので、そいつを電車で読み進めながら。

「その本を読みなさい」と促されたわけではないが、俺の主治医の精神科医からそのベックさんの名が出てきたので興味本位で能動的に読む。

とりあえず、「心の不調」には「認知の歪み」という、因果関係だか相関関係やらがあると、なんとなく思っている自分の考えが、この著書にはしっかりばっちり学術的に記されているもよう。まだ30ページ程しか読んでいないが、これも面白いなと理解に努める。

わからん概念、観念が、「わかった…!」となった時、自分の中で分布されていた色んな点と点が線で繋がる。新しい強固な点も生じる。ここに俺は快感を覚える。

それも大げさかな〜とか思いつつ帰宅して昨日の案件を精査して提出。ちょっとYouTubeの動画を作り進める。

手前の肩に、デスクワークに、友人のイベントに、認知療法の追求、コンテンツ精査、動画の脚色、様々な要素がある本日。

今後、それらがどう繋がってどう明るみに出て記録されて、人生腑に落ちるのか。などと大観で考えるがわりと普段通りの日。人によっては年に一度の特別な日。

それぞれ同じ時代を生きているが、それは奇跡的だなと、ふと思う。やはり、おおげさかもしれないが、どこか、実感が、おぼろげにあるような気がする。
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そんなに酒を呑んでいない。だがしかし気づいたらソファでハッと目が覚める早朝。おいおいと思って寝室でもう一回寝る。こういう睡眠スタイルは、今日のように7時間睡眠でも明らかな寝不足感を引き起こす。

もっと言ったら、手前は9時間ちょい寝ないと本流の感じではないのだが、そうもいかない日だってある。要は、フルで仕事をするにはまあまあのしんどさも感じた日。

起きて1時間くらい変な感覚が残る不思議な夢もみた。決してネガティブな内容ではなかったが、なんとなく言語化しないほうがいい気がするので、一度書いたが全部消して書き直す今。

あんまそういうの関係ないかなとも思うが、なんとなくの感覚。

日中、寝不足起因でしんどさもあれど、日が閉じるといい疲労感。仕事をして、ありがとうと言われれば、俺はそれで幸せになれる。

YouTubeでいろいろ観たり、Chat GPT4oというハイパーグレードアップしたツールをもっといじったり、制作をしたりと、各種いろいろ意欲があるが、今日は睡眠時間加算を優先する。

つまり、シンプルに眠かった日。今日はしっかり寝室で、眠りの尻尾をたどるように健やかに熟睡しよう。
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見事に眠りにつくも疲労がとれず。日中は仕事をして夜、意図的に仮眠を追加する。岡田斗司夫さんのYouTubeチャンネルを流しながら。そのあとの作業は、ちょっとだけ動画制作を進めるくらいにとどめておく。

湯を焚いている。四十肩とはどうやら1年とか3年とか半年とか、そういったスパンの付き合いになることが一般的なようなので、肉体的可動域を狭めぬよう、筋力が衰えぬようにと日々、少しずつねぎらう意識を持つ。

受診時、整形外科医に「そのうち治りますよ〜」とは言われたが、ほったらかしというスタンスはよろしくないと省みた。

今の懸念は、弾けるには弾けるが、座ってギターを演奏して録音するスタイル時の感覚。プレイすると謎に痛みは気にならないのだが、それは集中が痛覚を麻痺させていると思われる。よって、ダメージの蓄積となっている見解も否めない。

だから、まめにケアすることにする。「今日は1日かけて5トラックのギターとベーストラックを満足いく出来で仕上げられた」というようなくだりが普通になるように。

当然、元に戻るといったら少々表現が異なるかもしれないが、よくなる、よくする前提で右肩に配慮する。

いつも通り機能してくれる身体、脳。精神、魂、ほかにも俺が認識できていないあらゆる何らか。それらなどは「機能」とは別の言い方だろうか。

とにかく、「いつも当たり前に」という考えではなく、「今日も使えてありがとうございます」と、自分を動かせてくれる身体、使用する様々な道具、とりまく環境、周囲の方々、心や閾下の要素。全てのことに対して感謝するべきだと改めて思う。心底、そう思う。

そのうち四十肩も治り、なんなら前よりよくなってメジャー・アップデートされてやった〜というポジティブな可能性も視野に。その数年後の五十肩は本当にご免被るが。
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正直、最新型のアイフォーンの恩恵をあまり感じていなかったのだが、動画を撮ってみたらわかった。以前使用していたiPhone 7よりも、明らかに音質がよく、画素数も高い。

宅の真空管アンプから1メートルほどの距離で撮影したその動画の音声は、デスクトップで聴くと、Spotifyなどのサブスクリプション・サービスで聴く音量とさほど変わらなかった。音が圧縮されていないのだろうかと仮定したが、単にけっこうなボリュームで弾いていただけかもしれない。

それでも、以前の機種とは明白な差異がみられた。ううむ凄いなと思う一方で、動画を客観視すると、わりと右肩をかばっての演奏と伺えるのが切ない。

四十肩の影響で本意気とまではいかないが、弾けるだけいいかと、そのうち戻るだろうと前向きに考えた。というか俺は、先月からここに何度「四十肩」という単語を使えば気がすむのかと俯瞰する。SEO対策でもしてるのかというレベルである。

さて、明日はレッド・ホット・チリ・ペッパーズが上陸する。彼らのそのエネルギー所以か今日から気温が熱い。昨年も同様であった。

天候とレッチリとの因果関係はない。相関関係もない。ただ、なんとなくそういうのあるかなと、完全否定はしない。

「レッチリが来たから肩が治った」というフェーズまで行ったら、俺の認知は相当おめでたい方向にバイアスがかかっていることになる。

良いほうならいいかなとも思うが、人間、ある種の思い込みでどうにでもなるという持論があるのでそういうのもありかなと思う。レッチリが来るから、今夜はよく眠れて疲れは全快する。それくらい思っておこう。
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