06/2023

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。 当ウェブサイトしぶとく10周年。6月


今思うと、当時だったら音楽レーベルやポートフォリオなどではなく、アフィリエイトでもやっとけば全然稼げたのではなかろうかと10年前の6月を振り返る。このサイトを公開した時期である。

このサイトは基本的に音楽ファイルがメインコンテンツだが、このページだけ、本当に毎日(泥酔等で瀕死状態における記憶滅却時のほんの数日を除く)更新して10年が経つ。

正確には、2013年6月10日からであるが、サイト公開準備を含めるとちょうど10年。

このブログページにはモデルがある。それは、当時かなりハマっていた町田康先生のオフィシャルウェブサイトの日記である。町田先生は「diary」というページに散文調で、毎日2、3行の日記を綴られていた。

俺は「こういう形式なら毎日書けそうだし、日々何をしたかの記録になるな」と、町田先生のスタイルを丸パクリした。そのページは、その日に浮き出た言葉や思念、思想の整理のようでクールだった。現在確認できる限り、2009年7月から2020年5月13日まで書かれている。

そういった背景もあり、ここまで10年間、基本的に全てその日にあた事実や思考を言語化しては、落ち着いたりスッキリしたり「なんのために書いてんだろ?」などと思ったりしている。

前提としては、1日生きていればなにか思うこともあるだろうと、なんかしてるだろうと、今日は作業なりをサボらなかったななどと、そのあたりを管理する目的がある。今となっては本当にただの日記だが。

本来日記というのは人に見せないのが王道だろうが、俺の場合は、たまに知人や仲間に「ブログで見たんですけど――」などと言われるとちょっと嬉しいので公開スタイルを続ける。クライアントに言われる時はドキッとする。

父親の死の第一報としての役割をはたし、「――お父様亡くなられたって大丈夫ですか?」と、ラインを受けた時はけっこう驚いたりもした。

“一日一字を記さば、一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う”

という、江戸時代の武士・吉田松陰さんの言葉がある。文字通りのたいそうな意味であろうが、俺が毎日、日記を書いたところで何を得てるのだろうかとシンプルに首が傾く。

特に、読み返したりもしない。「明日あたり死ぬかもね」レベルになれば懐かしんで読んでは、ああ、このころはそういった楽しいことがあったな、あのころは地獄だったな、などと文字の走馬灯を自力で回すのかもしれない。

例外としては、ベロベロのアルコール漬けで書いた翌日はちょっと見返す。そういう時は本当に何を書いたかいっさい覚えてないからである。誤字脱字に加えて破綻した日本語であっても、そういう記録として校正せず残しておく。

10年ほど何かを毎日続けると、やはりそれ自体になにか意味を持たせたくもなるのは人間特有の生態であろう。

それにしても命題でもありクレジット名でもある「Anonyment」という名前にしたのは本当に後悔している。一見の方からしたら「ふつうに怪しすぎる」と思われても反論の余地がない。

いまさら変えられないことに加え、Anonyment(匿名性の意)と実名を思い切り紐付けているボケが各方面にあんま伝わっていない歯がゆさたるや。10年経っても誰もツッコんでくれてはいない。
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最近手に取る本に共通して、「やりたいことをする前に、稼ぐ」といった旨が書かれている。うんそうだよなと思い、好き嫌いは置いておいて、まず稼ぐ方法を調べまくる。

書籍やYouTubeやネット検索で様々な分野に目を向ける。「これだ」というのがあるような、ないような、ただ、手につけていないような、うんうん考えながらくたびれて横になる。

今日は前半は依頼案件の制作を進めた。それは稼ぎに直結する。ということで、新たな稼ぎ方が見つかるまでは探しつつも、考えていてるよりかは音楽制作だと、これも収益になると、新たな曲を制作する。

そうこうしているうちに、大雨の1日が過ぎてゆく。今日の空気感に合ったようなチルな曲の片鱗が出たので楽譜とDAWにメモって閉じる。

結局、手前はとりあえずやはり音楽が軸なのだなと、「YouTubeにおいて一番視聴されているジャンルのトップは音楽」と起きがけに調査した上で得た情報を書いた直筆を見ては希望を抱く。
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ふんわり過ぎていく1日。出稼ぎに行き、帰路で夜の黒服くんと「よっす」と挨拶を交わし、制作をして動画コンテンツをちょいちょい弄る。

最近はこういったパターンの日が多め。世の中の人の大多数は、大人になってからの「日常」のパターンはどれくらいで生涯を終えるのだろうと考えた。

終身雇用定年退職といった時代だったら、2、3パターンくらいしかないのかもしれない。波乱万丈な成功者などは数百もの生活パターンで移り変わるのかもしれない。

手前はというと、細々とやっているつもりではあるが、少なくともここ10年で10パターン以上の「日常」を味わっている。少なくはなさげ。

だからといってドラマティックな10年かといえば、そうとも捉えることもできなくもなく、他者からは全然地味という風にうつるかもしれないし、随分色々あるねえという感想もあるのかもしれない。

それは、一つの仕事に絞っていないことが起因でもある。俺はそれを望んで、いろんな体験がしたいと思っているからそれでいいと思う。

しかしそうなってくると「いやあ、色々あって今これよ。見てみこれ」と、札束を壁一面に埋め尽くす画に手前がおさまっていてほしいが、それはちとどうだろうかとも思う反面やはり財力がほしい。

まずは十二分に稼いで、あらゆる夢を具現化させたい。などと思いつつ今日も各方面でコツコツと蓄える。積み上げる。しつこくやる。
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朝一の地震にシンプルにビビるも震度2。ヤキがまわったものだなと整髪しては白髪を発見し、人生一度きりだしなと改めて奮い立つ。

稼いで飯食って色々考える。人と話して考える。みんな、それぞれの人生を、自分自身で精一杯戦っているのだなと考える。

俺も戦おう、時には逃げよう、やべえ時は休んどこう、疲れたら酒呑むべし、と。

さてビールでも買ってこようと1日が閉じる時、最近は第三のビールを主に呑んどるなと、やはりヤキがまわったものだなとも感じるが節制も大事。呑まないという選択肢はどこへやら。
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最近酒の量が減ったなと、それは仕事量と反比例しているなと、健やかな気持ちを確かめる。今日も1日使って2つ仕事をし、よい疲れを引っさげて帰宅。

最近の日経平均株価のごとく俺もまたウナギ昇りに前進し、桁違いの稼ぎの向こう側の景色を見たい。最近は本当に1日まるまる休みという日が皆無だが、いまはそれでいい。

俺の状況をよく知っている友達は「たまにはちょっと、数日旅行とかで羽休めもいいんじゃない?」と言ってくれた。正論である。今度は長距離移動恐怖症を克服するために、とりあえず熱海へ行くプランを伝える。

昨年から続いた俺の症状を把握している友達は「けっこう行くねえ」と言う。そう、今の手前からしたらけっこうな距離である。

しかし、それでエンジョイして楽しめて帰ってこれたら、次は大阪あたりに行く。離島にも行く。手前なりの認知行動療法で治癒する。

なんやかんやあるが、いろいろな人と楽しく過ごし、今という幸福をちゃんと噛みしめる。それは人生において、わりと大事なやつである。

年初に亡くなった叔父は口癖のようにこう言っていた「今日はいい日だよお」と。それは、俺が店に行ったり、久しぶりに会う人が来客したり、店主である喫茶店においての音楽イベントが盛り上がったりして、みんなと一緒に過ごした時である。

叔父さんは幸福の本質を、おだやかな目で優しく包み込むように捉えていた。血の繋がった甥として俺はその点を、ちゃんと魂に刻んでいる。
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デスクワークをする。楽曲をプラットフォームに撒く。どんどん金となれ、積み上がれと願う。

定期検診に行く。今日はロビーはガラガラで俺一人であった。みんな健やかになってきたのかなと安堵しつつ診察を受ける。

だんだん良くなってきた、というより前よりもタフになっていくレールに乗り、進んでいる感覚がある。そういったフィーリングを違う言葉で主治医に伝える。

「よかったじゃないですか」と彼は言う。主訴がよくなってきたことを受け、表情を柔らかくするあたり、長い付き合いだがこの先生はいい人なのだろかなという雑感。本当につかみどころがないというのは変わらない点だが。

制作をして提出する。確認待ちである。自分の制作もする。今年は動画コンテンツとして発信するという意欲のもと、画像や音源や動画をミックスさせる。

気がつけば今年も半ば。年初は筆舌に尽くし難い状況下であった。しかしあそこがボトムで、あとは上がるだけと考えると、いまはいい流れと捉えられる。

そうしてシュシュシュと人生は過ぎていく。毎日毎日過ぎていく。その時その時のを楽しもう。今に集中してハッピーに暮らそう。
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最近、二日酔いになるほどアルコールを呑まなくなった。それは明朗快活に日々を過ごせている証拠なのだろうか。

などと振り返りつつ元気なファンクミュージックを作る。誰かに「ファンクってどんな音楽?」と聞かれれば俺は秒で「ジェームス・ブラウンさんの音楽だ」と答える。それほど、彼のファンクは普遍的。レゲエで言ったらボブ・マーリーにあたる感じだろうか。

JBことジェームス・ブラウンさんが亡くなり、訃報を聞いた時のことは今でも覚えている。

2006年、俺は足立区の綾瀬で車を走らせてJ-WAVEを聴いていた。夕方、番組中に報じられ、直後に「セックス・マシーン」がオンエアされた。ゲロッパと。大音量にして窓を全開にし、そのまま車を走らせた。

ファンクほど人間味のあるグルーヴの音楽もないと思う。それっぽいファンクをAIで作ることが可能な時代ではあるが、ジェームス・ブラウンさんほどのファンクは生成不可能と断言できる。それほど、彼のファンクの乗りとソウルとパッションは絶対的。

そんなこともあり、ジェームス・ブラウンを聴いてからではなく、よく聴いていた時期の耳と体の記憶を脳内に巡らせつつ、俺なりのファンクを作る。

ビートを生々しく作り、メインフレーズをギターで録音する。仮の2パートのみ。この時点で手前の体がリズムに乗って自然に動くかどうかが肝心要。恍惚感と共に腰と首が動いたので合格。というわけで作り進める。

改めてファンクっていいなと体現した1日。やはり、人間独自のアナログなスウィングビート含みの音楽は素晴らしい。ジェームス・ブラウンは素晴らしい。それにしてもセックス・マシーンって正確にはどういう意味なのかいまだに分からん。
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出社して夜戻り、中華丼食って依頼の対応をする。そして制作をしたかったが一休みしたらがっつり1時間ちょい寝る。

疲れが溜まっていたのか、そういう日もある。というか出稼ぎのタスクをひとつやれば1日の仕事量としてはそれで十分という見解もあるが、手前はそれ以上やらないと思い描く景色には達せない。

とはいえ体とエネルギーは大事なので休みのサインが出たら無視はしない。象に乗った主が理想を持つ本能で、象が意識や行動だとしたら、象が相当ダルそうにしていても鞭を打たないほうがいい時もある。

それが甘えなのか必須なのかの判断は主の方向性による。その操作と判断が大事である的な話を、本でも賢人のYouTubeでも、両方で解説されていた。

そういったわけでほどほど仕事してほどほど休みもした梅雨の入り口。紫陽花が若々しく、恒例のように咲き乱れる。
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昨夜みた、でかい塔が派手に倒れる夢はなんだったのだろうと回顧しつつ起床。目覚め直後は車のギアで言えば1速発進。それは心身共に起動が重くて当然であろう。

昼頃に仕事して2速、3速、調子よければトップギア。ハマると『頭文字D』のヒルクライム時ばりのパフォーマンスが出る。

精神や気分の妙な波をメンタルヘルス的に考えずに、このようにシンプルに捉えるのもいいかなと思いつつ今に集中して生きる。

なんかしんどいなと思ったら「ああ、いま、2速に落ちたかな」くらいに考えれば変にドツボにはハマらなくなる。

過去にやらかしたことは変えられないので反芻せず、下手にディグらず、未来のことは誰にもわからないから、目指すところを決めてとりあえず今動く。

朝、その日にやることを鏡に向かい発声し、それをやる。できなければ「今日はなんなら休むべきだったかもね」くらいに思っていればいい。

経験上、9割以上の日はやるべきことにプラスしたことまでやれるので、己のその点をちゃんと讃えることで気持ちは安定する。僧侶のような考え方である。というか元・僧侶の方が書いた本にそんな感じで記してあった。

そうすると、自分の力はさらに発揮される。人生の無駄なアイドリング時間も減り、リソースは適正以上に拡張される。

きついなとか思っていることはいずれ過去になる。そして、今考えると、あの過去があったから現在の手前としてブラッシュアップされている。そこをちゃんと自分を褒めてやる。それが重要であるとリマインドする。

そして、毎月恒例の10日の資産集計時に先月よりも増益だったら「ほらね」と、数字的にもリアルに実感すべきである。そういった思考を20代から持っていたらなとも思うが、クソみたいな時期あってこその今、と思うと全然よろしいと捉える。

知人曰く、「それ、俺だったらお祓いに行くレベルです」というほどの地獄を1月に味わったが、それから半年後の現在、以上の理由をもってぼちぼちかなと心を落ち着ける。

今日も若い紫陽花がとても綺麗に視界におさまる。食べちゃいたいくらい可愛いが、実は毒があるので食うのは禁忌。そのへんもなんか好き。笑顔のような姿をもって俺を魅了する道端の紫陽花。
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赤羽台の老舗で蕎麦を食う。周辺で荒廃した風景の写真を撮る。サイコ野郎が貼ったと思われる不気味すぎる掲示物を撮影する。

帰宅してデスクワークをする。なんかやる気が出ねえなと、YouTubeで東京ダイナマイトのコントを再生しっぱなしにして笑いながら寝る。

「努力し続けた奴が結局成功する」と、なんかのチャンネルで自己啓発的なメッセージが発せられ、そうですよねですよねと制作を進める。

DAWを閉じてWordPressを開く。日記を書く。蚊を叩き殺して灰皿に墓標を立てる。そのような平穏な1日。やることやった日はそれで手打ち。やらないと酒が美味くない。この点はわりと大事。静かに梅雨が流れていく。
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岡田斗司夫さんの言うところの「コンテンツの再利用」をしている。そしてそれに加え、別アプローチの新たなコンテンツ制作もする。新規制作楽曲もこしらえる。今年はこれがルーティーンとなっている。

内容は、岡田斗司夫さんだったら、ニコニコ動画でおこなった過去の生配信などを編集してYouTubeで公開するのに似たスタイルもの。俺の場合は、過去に作った楽曲のショートバージョンやループ仕様など、コンパクトにしたバージョンを生成してでかいプラットフォームに投下する。

さらに、オリジナルバージョンに動画を加え、YouTube投稿用にせっせと作成する。自身で撮影した写真や動画をエディットして新たなオリジナルコンテンツにする。そいつを、楽曲の紹介とユーザーのリスニング用かつ、ダウンロードへの導線とする。

こちらはあと数本できるまでは公開しない。一定期間は一定のスパンで連続投稿する理由で、最初のストックが必要なためである。

クリエイティブだ。実にクリエイティブだと思いたいところなので収益を確認する。すでに撒き始めているプラットフォームの方はちょっと伸び始めた。成果が出ている。YouTubeのほうはまだわからないが、未曾有な部分では期待を寄せている。

昨日は定例の月次資産集計をおこなった。連続月赤字というクソのような業績が続いていた今年の初旬まで。これが株主総会だったら株主からの罵倒の言葉が矢のように刺さっていたであろう。

しかし、いろいろ俺なりに頑張った結果、先月、今月と、プラスとなっていた。その数字をちゃんと記した手帳を持ち歩き、業績を潜在意識まで叩き込んで日々やっさる。

アクションを起こしてちょっとずつではあるが増えている。いいじゃないか、行け、行くんだ俺と奮起する。桁違いの稼ぎの向こう側へ行くんだと鼓舞しつつ。借金もあるけど。

それもちょっとずつ減っている。やはりしつこくやり続けることが、地味ではあるが成功へ向かう鋭利な鍵となるのかもしれない。
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蒸し蒸しするも、スススとさらりと過ぎ行く日。出稼ぎ戻ってファンクを作る。容易く進むと読んだが成らず、コリっとはまらずベースをうねらす。

肝心要のベースライン。手を抜くことはありえぬ選択。王道曲を参照すると、耳に飛び込むソウルの塊。たいへんシンプルかつ簡潔。

こういうのを作るというビジョン。サクッと進む日もあれば、洗練さを追い求める旅ともなる。

なんだか人生にも似るなと、改めてその深みを熟考。「考えずに感じる」。それこそが正にファンクの本質。音楽各種そうであろうと何かを得る。

「これだ」という瞬間が形になる快感。それもまた創作の本質。だと思う。音楽も文も人生も、万事リズミカルが愉悦。
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デスクワークに出かけ、夜は昨年の新事業で獲得した顧客の依頼に行き、帰宅してチンして飯食って株価などをチェックする。

疲れ果ててソニック・ユースの1995年アルバム作品『Washing Machine』を聴きながら寝る。思い切り寝る。最終トラック「The Diamond Sea」まで無意識下で聴き終わり起きる。

動画制作をする。AIでキャラをはじき出す。著作権ってどうなんだろと懸念しているところ、ちょうど友人からの着信があったのでそのへんも詳しい彼に聞いたら「――それなら大丈夫じゃない?」とのことなので創作に励む。

別の知人は言った。「平吉が普段なにやってるかって、だいたいわかるのよ」と。「俺は寝る時間と酒呑む時間以外は、ほぼほぼ仕事や制作や創作をしています」と返した。「だろ?」と、言われた。そこで、本当に俺は娯楽に乏しい野郎になったものだと自覚した。

隙間時間にそれなりにYouTubeなどを見ることはあるが、例えば趣味のゲームに数時間没頭するといったルーティーンは生活に組み込まれていない。基本的に活動時間の全ては、なんか真面目に金になることや制作等をしていないと歯痒い感情になるのである。

このサイトを立ち上げて今月でまるまる10年。まるまる10年が経った。当時、この「仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ」というコンセプトのブログコーナーは、掲げたスローガン通りとなって習慣化された。コンセプト自体もそうなった。

習慣化させれば、その行ないが良ければより強力なものである。「習慣化させるにはどうしたら――」的な内容の本なども散見されるほど。

ここに書くことがなにもない、すなわちサボっていた、という図式が心身に叩き込まれたのである(前半の数年はアホほど雀荘に入り浸ったりもしていたが)。

そう考えるとじゃあこれでいいじゃないかと、あとはもっともっと稼いで、資産を桁違いに増やし続けて、やりたいこと全部やって、たまに仲間と遊んでと、それはそれはいい人生ではないかと思う。

なにかひとつ、ものすごく大切なことが抜けている気がするが、そこについて意識を向けると思考停止する。

そのあたりを明日、定期的に遊ぶエロい仲間たちとお話ししようかなと思う。シンプルにたのしみ。会って食って呑んで人生観も語り合える人がいる。これは顕著に大切なこと。
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肉食うて、友人と語り合う。本日のハイライト。振り返ると色々あるが、人生観やパーソナリティーの属性について議論を巻き起こすなど、そのへんは一興。

「これ、あれだな。アルコール度数で言ったら数%は優しさだな?」などとほざきつつ、なだらなかに右へ左へと酔いどれる。

もはや今現在、手前はというとタピングすら怪しい。手元を見ながらでも怪しい。

そして今日も過ぎてゆく。ただいっさいとかそういう次元を超越というか均等に過ぎてゆく。なにが言いたいかと言うと、最新過活動気味で眠い。今、眠い。

だがしかしハイボールと銘打つガソリンでしのぐ。賢明か、愚行か。知らん。とりあえず今日は仲間と深い話をしつつ肉を炙り食え幸福。誰か知らんが生かしてくれてありがとう。
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ハイボールを呑みながらカタカタと机で過ごし、気がつけば27時過ぎになっている。寝落ちである。

やれやれと思い再度酒の缶を開け、ソファでくつろぐ。すると朝の11時になっている。度重なる寝落ちである。

うんうん、最近仕事いっぱいで疲れていたのねと、今日は休みだぜと、今度こそベッドで寝る。昼過ぎ起床。昨夜の日記を見返したら誤字脱字だらけで如何に血中アルコール度が高かったかを察する。あえて、校正はしない。

ビショビショな気候ではあるが、どうしても雨天時に撮りたい画があったので、動画用の素材撮影がてら傘をさして散歩をする。3時間くらい歩いて当然くたびれる。無論、二日酔いもその背中をがっつり押している。

ホームセンターで適当な棚を買って家で組み立てる。事件後のように散らかっている寝室が少し整い気持ちが健やかになる。水回りの清掃もゴシゴシブシャアと執り行う。

休みだからといってYouTubeばかりダラダラ観るのもなと思い、動画制作をすること数時間。気がつけば夜飯を飛ばして23時が過ぎていた。気持ちは満たされているが腹ペコである。

俺は自覚する限りADHD(注意欠如・多動症)とまではいかないが、なにか先々に繋がる作業を常にしていないと落ち着かないのである。

それはそれで生産的であるということで手打ち。冷凍のシーフードとにんにくと謎のキノコを買い、これらでおいしい肴を作ってまた酒呑んでふやけようと思う。

たいへん平和ながらもやりたいことを実行できた見事な休日。これで資産があと1桁も多く蓄えていたら言うことないのだが。そこは頑張れ40代と、手前を鼓舞する梅雨の良日。
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手のひらを返されたような晴天。動画用素材の撮影をしたり、また植物を買ったりして、まずは外で温かく過ごす。

キッチン担当だった「カズ」という名の小さな植物は約2年ほどの任務を終えて虹の橋を渡りきった様子。干からびた姿のカズを赤羽公園の土に埋葬する。

そして、今日購入した植物は「二代目カズ」を襲名し、キッチンの和みを担当してもらう。

植物が各部屋にあると気分がいいなと制作をする。アナログに取材した素材を元に、AI、フォト系、動画系各ツールで編集する。なんかわりと新しいことやってる感が楽しい。

また夜飯を飛ばすところであったがそこは先手を打ち、野菜とカップ焼きそばを買っておいたのでアホほどキャベツを入れて食う。ザクザクしておいしい。

ほのぼのと、淡々と年月が経っていく。人間全員問答無用で時間と共に老いてゆく。

せめてもと思い、「コラーゲン」のサプリメントを買ってきた手前あたり、どこか女々しいというか、若々しくいたいというのはどういった行動原理なのかと我ながら謎に思う。

なお、コラーゲンを飲んで数時間後、なんか顔がツルッとなった気がするのはほぼほぼ高確率でプラセボ効果な気もするが、効けばプラセボでもなんでもいい。いつまでも溌剌としていたいお年頃の42歳もそろそろ一つ年齢がプラスされる。
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先日たっぷり散歩したからか、コラーゲンが本当に体内で吸収されているのかわからないがすこぶる好調。意気揚々と仕事すると張り切り過ぎてくたびれる。

おかしいな、30代後半あたりまではこれくらい全然いけたがなと、ちょいちょい歳を感じてしまう。気力体力精神力、あるうちに使っとこうと制作なりもすると汗までかく始末。

こればかりは気温とファンキーな楽曲のベースラインが身体を動かすが所以であると袖で拭う。コツコツ地味なり過ごし、季節の速度を感じる。

夏が来る。俺は夏生まれである。ツラは真冬のようだと言われがちだが陽キャのはずの夏生まれ。そこにエビデンスはない。

今夏はちょいとバカンスをとろうかと企てる。高気圧が人を昂ぶらす夏。そこまで夏が好きと言うわけでもないが、今日あたりの夏日和はそれくらいちょっとワクワクとする健全な精神状態をきちんと認知する。これ大事。
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「新潟県の燕三条で産まれたのよ」と、俺は死んだ母親にそう聞いた。確かに何度も聞いた。しかし、なんとなくさっき見たYahoo!ニュースのトップに「燕三条市――絶対に言ってはいけない――」的な仰々しい記事を発見。

おい俺はそんな突っ込み甲斐のある地で生を受けたのかとやや慄く。念の為、戸籍謄本を確認したら、出生は「燕三条」ではなく「三条市」となっていた。

産まれた場所がトリッキーに取り上げられようが、幼少期を過ごした高島平団地が一時期ネガティブな“名所”としてフォーカスされようが、青年期まで過ごした足立区がどんだけ香ばしかろうが、今は街単位で酔っ払ってる快活な場所で凌いでいるからよしとする。

正直、個人的には気にとめることでもねえなと、今日もせっせと仕事して制作を進める通常運転の梅雨の中休み。
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呑んで呑んで、呑まれんほどに呑んで、酔いつぶれる手前を鑑みウェブサイトにログインする手元は怪しく、眠るまでは呑まず。今日は2月頃からお世話になっている組織の呑み会に参加。たのしいひととき。

当然のごとく、綴りたい文章は会話の言語に帰属するほどに収まる。アルコールは、個人的にはドラッグと認識している。すなわち、思うこと様々あった本日を文章にすることは手厳しい。

手元にはハイボールとアイコス。強めに当たっとけと思えど明日も案件がある。ありがたい。とりとめもないとはこのことであろうと、手元を確認しながら日を記す。結局、人と人との関わりで手前は生きていると実感した1日。

関われる人への感謝を認識する。孤独は、悪質な毒だともリマインド。
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昼間、依頼で客人のもとに赴き、仕事して金を得る。いっぱい働けばたくさん稼げるというシンプルな原理を再度確認する。あとは量とやり方とニーズだなと。

夕方過ぎ、二日酔いも手伝い疲労感も甚だしいので90分くらい寝る。そのあとは制作を3時間くらい行なう実労4、5時間ほどの半休日。

一度作って置いておけば後からチャリチャリ入ってくる系の収益の単価が落ちている。以前調べたが、対策方法はないと判断する。世界規模の某企業の塩梅に依存するものなのでどうにもならない。

だからと言って指をくわえたまま待つのは攻めではないので、制作物は当然作り続けたり、新たなアプローチや収益化への導線を引くコンテンツも作る。

最近はそのように暮らしている。ちょっとずつ身を削られるように赤字が続いたのが止まったのはせめてもの救い。なにかまた熱く新たな新事業はないものかと模索しつつ、いまは音楽方面の収入に力を注ぐ。常にフレキシブルなスタンスでいて、ここぞという時にガッとアクションを起こせるように。
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「そんで、平吉さんはいつまでバイトをするんですか?」と、定期的に遊ぶコンサルタントの桑原氏に問われた。俺はギクリとした。

令和元年に開業届を役所に提出。資本金14万円で俺は個人事業主としてえいっと当時勤務していた、言えば誰でも知っているであろう大手大企業を辞めた(如実にアホ)。

そして紆余曲折あり、コロナ禍を経て、食いぶちが減り、給与所得を得るためにバイトを始めて今に至る。

それを「辞めるのはいつですか?」と、怪訝に発言されることは、すなわち「手前の本流の事業をおざなりにする気なのか?」と言われているように感じた。

答えは、YesでもNoでもない。はっきり言えるのは俺は事業で稼ぎたい。その一言である。しかし、そこにバイトの収入込みで安心していると、「そのままで、ないないになるのではないか?」との懸念とも捉えられる。

前提として、バイトをしながら事業を進めることはむしろ安定性といった面で得策とも言える。だが、そこで安堵し、本流がどうなるのかといった点で俺はわりとグサリときたという話である。

「おはようございます」「うっす平吉さん!」「今日はあれっすよねぇ」「それ。あれっすわ」「うはは」「うへへ」「おつかれさまでした!」といった日常が確立されつつある昨今。俺は、ある種の安心の類を得つつある。

先月、友人の足立くんは共通の友人にこう言った。

「平吉は、年初にいろいろありすぎて今、ダメージがキツ過ぎて雨宿りをしているような感じなんだよ。だから、バイトとかその場所においての本領発揮がベストかというか、そこにおいては安定収入を得ている時点で超・御の字なんだよ。分かりづらいかもしれないけど、それだけで凄くありがたく思っているんだよ」と。

的を得ている。そして、その“御の字”でフハァとずっと過ごすのは俺の本流ではないということも加味して、言い表した。

今日はバイトをして、安定収入を得て、安心してセッションバーで遊んで村上氏を筆頭とする仲間たちと呑んだりしてほっこり。ほっこりのなかに気づきと刃のような指摘あり。

何度でも記すが、俺は周囲の仲間に恵まれ過ぎている。俺の事業、頑張ろう。そして、どうせやるなら一生懸命。「よし! それじゃあ!」となるかどうなるか、それは自分次第。

自分の人生は何者のものではなく――などと酔っ払いながらでも真剣に考える昨今、俺はいま人生のどこだろうと首を傾げつつもやはり周囲への感謝は当然欠かさない。バイトも事業も真摯に向き合う。
_06/21

 

 

 

 


宅で制作なりをする静かな日。老舗のうまい蕎麦が食いたかったが節約のために食券の蕎麦で手打ち。

宅で流行りのJ-POPを一通りチェックしてみる。良し悪しや好みはおいておいて、とりあえず音の主張がすげえなという所感。

それはどの時代でもそうかもしれないが、なんだかキュンとくるのが見つからなかったのでエイフェックス・ツインを聴く。ときめく。

なんでも今夏に新譜のEPが出るという情報をキャッチ。久々に「所有」という面でCDを買いたくなった。

最後に買ったアルバムがビリー・アイリッシュの1stアルバムだったから3年以上CDを買っていないことになる。時代の流れだろうか。

そういった感じで、楽曲を聴いたり情報を集めたり録音をしたりと、音楽がメインの日。静かながらも仕事部屋は大音量で過ごす梅雨も後半。
_06/22

 

 

 

 


著しく物悲しい気持ちで目が覚める。夢には死んだ父親が出てきた。彼は死後、わりとよく俺の睡眠中の脳内に出演する。

それは、金をケチってまだ納骨をせずに押入れにブツをブチ込みっぱなし所以だろうか。

以前、もう面倒くせえから捨ててしまうかと思いネットで調べた結果、その行為自体が「犯罪」ということで法的に罪に問われると判明したので捨ててはいない。

何故、こんなに悲しくて寂しい心境で1日のスタートを切らねばならんのかとシャワーを浴びて考えた。「シンプルに、一人だからでしょうかね! はい! 今日なんですけれども!」などと、浴室を出てキッチンの鏡に向かっての一人朝礼で手前に報告。

やはり家族や伴侶や恋人なりが居ないというのはそういうものなのかなと、わりと付き合いの長い先輩に雑談ベースで伝えた。すると「とうとう……」と、ニヤッとしていた。

そういうわけでもないけど、そういう気持ちに急になることもあるのかなと、夜に帰宅して白髪を抜きながら思った。後頭部の白髪を指摘されたからである。

「おい嫁ちゃんよ、後ろのほうの白髪を抜いてはくれんかね?」

「だる」

「ハーゲンダッツ買ってあげるから」

「見してみ」

「後ろの方……」

「わりとあるな。根こそぎいっていいんだな?」

「髪の絶対量を減らさない方向性で頼む。決して、ハゲたくはないのだよ」

「抜けとか減らすなとかどっちだよ? バカになったの?」

「ハーゲンダッツ買ってあげるから」

「だる」

という日常を過ごすのかもしれない。一人でないのなら。

などと今日も琥珀色の光を落としつつ、一人デスクで締めに入る。夜になると、なんか別に寂しさとかなんだったんだろうという謎の気分の揺れ動き。ムラ。というかそれは昔からだったなと手打ち。
_06/23

 

 

 

 


のどかな土曜日。出稼ぎ行って制作してクタクタになる。まあいい疲れかと、安定気味の収入源がひとつ増えるだけでもこんなにも違うのかと、健やかな気分を確かめる。

とはいえ事業所得だ、収益を上げよと、色々とコンテンツにおいての著作権などについても調べる。AI生成したものに関しては世界中で議論が巻き起こっている最中、どうなるものかと、とりあえず作り溜めておく。

俺が懸念しているのは、「AIで吐き出したイラストを、自分で加工して制作物に取り入れ、楽曲メインのコンテンツとして動画にして大手プラットフォーム公開していいのか」という点がまだちょっと不透明であること。

まず大丈夫であろうが、現在においてはまだ100%言い切れる段階ではない。

そのへんのアンテナをビンと立てつつ制作を進める。気がつけばあっという間に月末に向かう6月。着々と過ぎていく。
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やけに幸せな気分で目が覚める。昨日はエビを炒めて肴にして食べた。とてもおいしかった。シンプルにそれ起因かなとか思いながらパリッと起きて仕事に行く。銀座での興行でみなさんと健やかに。

基本的にスタッフ業務なのだが、配信ライブ時間外の会場限定セットリストでちょいと出演させて頂いたりしたりと楽しむ。「LOVE PHANTOM」はいい曲だなってB’zに敬礼。

愉快に仕事し、みんなでごはん食べていっぱい話して日が過ぎる。これは人生の豊かなひとときと言えよう。

興行後の配信のくだりで、映画『羊たちの沈黙』のワンシーンで甚だしい感銘を受けたことを話した。

そしてその感情を数年前、楽曲にしたためたことを足立くんに伝え、帰宅後にその曲の視聴ウェブページを彼に送り聴いてもらって感想をもらったりしてじゃれる。「Hannibal Monostone」という、たいへんサイコな楽曲。

その時々の感情をコンテンツに落とし込むことも、人生の豊かさのひとつだなって思う。
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街中を歩いていたらケサランパサランがフワりと寄ってくる。ケサランパサランとは基本的に謎の生物。見たり触れたり所有などすると幸運が訪れるという。

やったと思った手前は、爆笑問題の直筆サイン入りエコバッグにそっと忍ばせ、小瓶でも買ってこの子のお家を作って宅で一緒に暮らそうと企てる。

しかし気がつくとケサランちゃんはどこかに飛びだった様子。まあ、見たり触れたりしただけでもあやかると聞いたので素直に嬉しむ。

帰宅してPCを開くと、ネット経由でライター案件が1件づつ、2つ舞い込む。ああ、本当にそうなんだなとケセランパサランの効果と信じる。というか案件は毎日のように舞い込んでくれないと困るのだがとは思いつつ。

事務的なことや制作など、いつもの調子で、普段気づきづらい幸福をちゃんと確かめつつフワっと1日が閉じる。
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高き湿度の梅雨の空。出稼ぎに行く、めしを食う、食うために金稼ぎ、稼いだ金で人生を構築する。

なんにせよまずは金なんだなと、宅でライター案件もやる。くたびれてソファに吸われたのち、動画制作もする。いずれも、少しずつ進んでいく。

では到達点はどこかとふと考える。手元に数億、家族円満、友とクルーザーで漁あそび、老後は余裕で慈善活動に勤しむ。俺は本当にそういうのが欲しいのかなと例を挙げる。それはそれで完全に勝者的。

しかし、とりあえずは目の前にあることに没頭できていると幸福である。そこに報酬もつけば言うことはない。もっと欲があるとすれば、人並み以上の蓄えとゆとりの心だろうか。

それを得るために日々進む。ゴールは明確な方がいいと言う脳科学者もいる。ぼやっとしていていいと言う実業家もいる。よくわからんとほざくフリーランスもいる。

若い頃の自分に一言だけアドバイスができるとしたら現状を鑑みてこう言うだろう。「今、やるべきことに集中して没頭しろ。やらんでいいことはさっさと見切れ」と。

聞く耳を持つ者であれば実行して近道で邁進し、そうでなければ地獄でもがく。手前は後者であった。現在はそうではない気がする。

20歳くらいのころに父親に「当たり前のことをちゃんと、やれ」と叱咤されたことがあった。「知るか」くらいに跳ねっ返したものであったが、どこか当時の親父と今俺が言いたいことは似ている気がしてならない。
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起きたら胸が痛い。これは、よもや恋をしているのかとときめくも誰にだろうと訝しむ。

これは、よもや大病ではないかと過度に心配になる。これを心気症(たいしたことない症状を超やばい病気ではないかと思い込む)という。

ああ、あれか、昨夜キッチンで酒を呑みながら謎にダンベルを上げ下げしてたからシンプルに筋肉痛かと仮説を立てる。

夜、治ってきたので立証される。なお、飲酒時の筋トレなど効果は半減どころか一体何の意味があるのかなとも振り返る。

出稼ぎに行く。原稿を書く。汗をぬぐって日がすぎる。結局平和な平和な通常運転の暮らし。
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とうとうエアコン稼働必至の温度。服装に悩む気候。

両腕に施したバキバキの刺青を隠すというわけではないが、基本的に暑くても長袖襟シャツ一点縛りの固定ファッション。

それは朝、何着るか考えるのがめんどいので、だんだんそうなっていった。そもそも肌がデリケートな手前に和彫など自殺行為に近い。謎にあこがれはあるが彫るには至らず。

俺もおしゃれをして求愛にでも勤しもうかという発想はある。駅に行くと様々な娘たちの蝶の如き煌めくいでたちが目に入る。

ああそうだ、服装はある種の主張、パーソナリティの現れでもあるなとふと思う。

だとしたら、だいたい季節別でほぼほぼ決まった服装でいる手前も、それはそれで深い理由でもない主張となる。

主張。それは、シンプルに「自分ですよ」という意味だろうか。みんなそれぞれの部分で主張をする。格好の場合もあれば信念だったりもする。

手前はどうだろう。人前ではそうでもないという自負があるが、例えば制作物などではたいへん主張が強めだったりする。

ということは、その人がどの部分で主張が強いかで、各々の根っこが逆算できる気がしてきた。

ファッション、言動、行動、持ち物、好みのこだわり、などなど色々ある。

そこから逆算して、「この人にはこういうことを言えば喜びそうだな」ということを考えるのがわりと好きである。

一方でその思考は、一言で相手を最低な気分にもできるので注意が必要かもしれない。

キラキラのおしゃれな人に「いつも決まってるよね」と言えば「うふふ」となるだろう。逆に「もっとちゃんとすれば?」などと下世話なことを言えば二度と口を聞いてくれなくなるまである。

一貫したスタイルの人に「ブレがないですよね」と言えば「むふふ」となるだろう。逆に「いつまでたっても進歩がねえなあ」などと嫌味を言えば縁を切られるまである。

となると、口の悪い人ほど相手を気持ちよくさせるセンスも兼ね備えているという持論がある。なんでも、IQの高い人は口が悪いという研究結果もあるとなにかで聞いた。

頭の良し悪しは置いておいて、俺は悪口の語彙はめちゃめちゃあると自負しているのでとにかく言わないようにしている。

なぜなら、相手を傷つけるからよくないという基本中の基本に加え、センスがないと思うからである。

汚い言葉やネガティビティをいかに美しく表現することはハイセンスだと思う。

そういったわけで、服装にはあまりこだわらないぶん、言葉にはこだわろうという着地点に着く。

たったの一言で、相手を1日中ハッピーにすることもできれば、鬱の淵に追い込むこともできる。だったら俺は前者を選択する。

そういった点では、ありとあらゆるハッピーな言葉の種類であふれかえる日本語という素晴らしい言語の母国でよかったなと思う。手前の服装が極めて種類少なくとも、よい言葉はキラキラと放りたい。

ここの日記の文章に関してはたまにどうなのかなとも思うが、相手に直接投げかける言葉には細心の注意と敬意と愛をもって放りたい。

服はほどほど、言葉に愛を。キャッチコピーっぽい主張だがなんか地味。
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「30歳以上限定ホストクラブ」なるものを発見。新宿は歌舞伎町のホスト街である。

考えたものだな、そういったマーケットもこの世に存在するのだなと率直に思った。そして、「40歳以上限定ホストクラブ」というのがあったらワンチャンいけるのではないかとも併せて思った。なにがいけるのかは謎。

ゴールデン街をヒタヒタ歩く。動画をいくつも撮影する。散見する観光客の外国人から見たら「このジャップは何をしてけつかる」と、蔑まれていたのかもしれない。日本人の俺から見てもこの街並みは、ファンタスティックなのである。

紀伊國屋書店に向かう。途中でアンモナイトが売っている店があった。しげしげと見つめては「ほしい」と感ずるも秒で「買ってどうすれば適切か」という疑問に襲われたので購入には至らず。

目当ての本がなかったのでとっとと帰る。赤羽の書店で漫画を3冊買う。ホクホクして帰宅。原稿の直しをやる。新たな案件のやつも書く。7割書いてあとは明日推敲。ババっと書いて次の日に見直して完成。最もスムーズな工程の進行である。

動画を作る。またひとつ仕上がる。もう1、2本できたら10本くらいになるのでその暁には野に放つ。シリアル(連続的な)投稿のために最低10本はまず作り溜めるという意図がある。

今日は半分お休みの予定だったが、なんだか元気だったのでほぼフルで活動する。新宿に向かう途中、偶然道端で主治医に会った。互いに笑顔で会釈した。

「あんなヤクザみたいな柄シャツを着て意気揚々ニコニコと――彼は躁転(鬱状態から病的にハイになる)したかな…」と、思われたかもしれないが、単にモチベーションが高まっていただけである。元気で過ごして6月が閉じる。
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