08/2018

new_Anonyment_0914人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
8月


暑過ぎて外出先でメンズ用ウェットティッシュ的なものを買って顔を拭きまくってテカテカになって過ごす。ずっとキンキンに冷えたビールを呑んで暮らしたい。
_08/01

 

 


寝ていたら身体の右側にブワッと何かがゆっくり覆い被さるような気配を確かに感じ、思わず「南無阿弥陀仏」と唱える。俺に霊感は無いはずだが。

変な気配だったがどうも悪い気はしない感じだから、悪意のあるスピリチュアルな何かではない気がするが、どうも気になる。夏だからだろうか。そういえば1年以上墓参りに行っていない。

引っ越してから墓場が遠くなり足が遠のいたこともあり、先祖が寂しがっているのだろうか。俺は霊的なものは認識できないが、そういった何かが確実にあることは何となく感じている。

そういえば家の墓に赴く人間はもはや俺一人くらいである。昔、住職に確認したことがあるから間違いないであろう。全くもってクソみたいな家系である。暑くてしんどいが、明日はお墓に遊びに行くべきか。
_08/02

 

 


梅の実が入った酒を持って墓参りに行く。さんざん水を墓にぶっかけて線香と供え物と瞑想をして帰る。 墓を参るとスッキリするのは自己満足なのか遡る先祖やらのフィーリングなのかいまだにわからない。

たまにはマイクを立ててアコギの録音をしようと弦を変えたりする。しかし予定外であったが白井さんが来たので一緒にギターの勉強をする。

洋風漬け物を食い切ったので更に作る。「イタリア人も納得」という謎のポップが添えられていたオリーブオイルも投入し、激しく美味いセロリキャベツパプリカ着けが出来る。そういった、わりとのどかな日。
_08/03

 

 


いつものルーティン的なこと全てに対し何だか苛立ちをおぼえる不思議な日。昨日、先祖の血気盛んな誰かしらがついてきたのだろうか。

どうも最近数日、霊的というか「何となく」なことに極端に縛られている気がする。しかし俺はこれを契機と捉える。何かしら、心境の変化が必要な時期なのであろう。

最近「リソース」という概念がブームだ。リソースとは、あらゆるキャパというか、できる範囲の絶対数というか、そういう資源的なものであるそうな。

俺は自分のリソースをどこか無駄遣いしているキライが否めず、そこにフラストレーションを感じていると気付いた。もはやピチピチに若い訳でもないので、自分の資源である「手前が死ぬまでの残り時間」や「何かをやるエネルギー」や「資金」、そして「何事、あるいは誰かと触れ合う感性」を大切に使うべきだと思った。

リソースはどんどん減る。なんとなく、それを初めて最近実感している。たぶん、遅過ぎる。だが、幸運なことに俺は“リソース”をブーストする手段をいくつか知っている。だからそこにエネルギーを注げば良い。しかし、ここのところそこに対して心境的にヘラヘラとしていた気がするから今日は苛立っていたのであろう。今、根源的に気が付き、どこかたいへん前向きな気分である。
_08/04

 

 


歌い手がみつからず、とりあえず俺が歌入れをすることになった歌謡曲案件があり、そいつと一日過ごす。

編曲はバッチリである。アコギも宅環境にしては良い感じに録れた。しかし歌が上手くいかん。歌謡曲的な哀愁が足りない。

デジタルの力でピッチ補正などをしてごまかしてみるが、やはり歌謡曲は音程うんぬんより歌力の方が大事だと改めて痛感する。

美空ひばりさんの歌などを聴くと、音程はべつにジャストではない方が多いのだが、心に響くものがある。あと歌っているときの顔がいい。歌心ばかりはエディットでは絶対にどうにもならない。歌の勉強をしたい欲がこの歳で湧くという素敵な心持ち。
_08/05

 

 


死んだのかというくらい寝る。11時間。おきがけに全裸で掃除機をかける。たいへん清々しく、パンと野菜着けを食ってようやく目が醒める。

あとは昨日と同じ作業で一日を過ごす。結局音楽を作っているときが一番楽しい。やっと目処がたったのでやれやれ良しと思う。イカと酒でも買ってこよう。俺は年間何グラムのイカを食べているのだろう。
_08/06

 

 


掌を返したような東京の涼しさに捗るようなそうでもないような心境。急に気温がグンとなったときはだいたいそうである。神妙な気分になる。

神妙すぎてこれからの人生どう生きるべきかとか、どう立ち回れば死ぬ前に後悔しないかなどと、仏頂面で考えながらいつものように過ごす。

同じく、仏頂面の輩と並んで電車に乗っていた。そいつは他人である。しかし、俺と同じような心境であっただろう。

窓に映る俺とそいつの表情たるや、最悪であった。偶然同じような白シャツを着て、黒く細いズボンを履き、ふがいないツラを吊り輪からぶら下げている。傍からみたら気にも留まらぬ日常の醜い風景である。互いに思ったであろう「こいつは酷い」と。

しかし、互いに、「酷いのは御免だ。俺は違う」とでも思ったのであろう。その証拠に、俺もそいつも、だんだんと精気溢れるイケメン表情を競うように作っていて、赤羽に着く頃には何とも漢らしい御仁2人のショットがアー写の如く埼京線の窓に映った。

そいつは赤羽では降りなかった。大宮や川越のあたりまで行くのであろうか。どこでもいいし、そいつに興味はないが、変に波長が合った赤の他人同士無意識に何かを支え合ったと、そいつは思っている気がする。俺はちょっと思った。
_08/07

 

 


なんとなくエイフェックス・ツインを聴いていたら、知人より新譜が出るという報せを受ける。それだけでワクワクと楽しげな気分になる。

好きな人の作品が新たに出る、という健全な楽しみをとにかく大事にしたいなと何となくしみじみ思う。
_08/08

 

 


涼しくてよく眠れるのだが、サイコスプラッターな狂気に満ちた夢をみて半ベソで起きる。朝めしにウィダーイン・ゼリーの最上級品を吸う。

デスクワークや音調整など普通に過ごすが、悪夢が頭から離れない。どこかの文豪は起きてまず夢の内容を記すというが、昨夜の夢を記したところでとにかく血だらけの記述になり気が滅入りそうなのでやめとこうと思う。

今日はもっとフワフワモフモフとした愛くるしい夢がみたいなと思う。
_08/09

 

 


レッスンに行き道草に本屋へ。目当ての漫画が無い。「スティーブ・ジョブズ」の3巻以降が見つからん。

正直、現代ではアマゾンやメルカリなどで簡単に買えるのだが、どうも書店で買わないと買った気がしないという気質はもう昔人に分類されるのだろうか。

平成生まれの若人も30歳をむかえる。昭和生まれの俺あたりは若人からしたら「昭和生まれ? うわっ臭え!」とか迫害されるのだろうか。

昭和の純喫茶や文化遺産的廃墟と化しつつある団地に美メロ歌謡曲、昭和の良きものを平成生まれに落とし込みたい。

「ジャンジャンバリバリ」と言わんばかりの昭和パーラーマイクパフォーマンスが俺は密かに得意なのだが、平成生まれに聞かせたところでオッサンの小汚いラップと捉えられるのであろうか。

次の年号は何だろう。何でも良いが、一つ希望があるとしたら是非3文字にして欲しい。そういった抜本的な変化、それだけで日本の未来が明るくみえる。
_08/10

 

 

 


むし暑くて辛抱たまらんと、少年時代の夏の頃を思い出してみる。そんなに暑くなかった。

飼い猫が毎日のように蝉をくわえてきて自慢げに見せにきた。そのあとさんざん弄んでいた。

母親が恐ろしい量の梅干しを生産していた。何故そんなに干しては漬けるのだろうかと思っていた。でも今や俺も漬け物生産はわりと好きなので理解できた。

蚊取り線香の匂いが、わりと香ばしくて好きだった。盆にグルグルまわる走馬灯をみて変な気分になっていた。

そういった訳で、走馬灯が欲しい。寝室でグルグルとまわして清涼を味わいたいが、まず、スピリチュアルなものが寄ってくる気がしてならない。蚊取り線香くらいにしておこう。
_08/11

 

 


最近痩せたと言われ、ここ3日ほどめしをあまり食べていなかったことに気付く。食欲がない訳ではなく、没頭してめしを食うのを飛ばすという悪癖である。だから今日はタンメンと餃子を容赦なくバクバクと食べてやった。おいしい。数日あまり食わないだけですぐ痩せるという、備えのない身体をなんとかしたい。贅肉をストックしたい。
_08/12

 

 


だがしかし今日もずっと机で仕事をしていたら、起床してのり巻きを食べて以来めしを食っていないことに気付く。これはいけない。めしの時間にもの凄いアラームが鳴るようにでもしておこうか。

世にダイエットの方法やらメソッドは溢れかえっているが、太るためにどうするかというトピックはあまり無い。ここに需要があるのに。とりあえず高タンパクなつまみとプリン体全開の酒でも買ってしのごう。
_08/13

 

 


夜帰宅するとひんやり涼しく、エアコンのつけっぱなしに痛がる。どういう訳か引っ越してからというものの電気代が相当安くなって浮かれていたが、つけっぱなしはよくない。

涼しいまま宅で少しまた仕事をして一日を終える夏の終盤。俺はこの夏、何をしただろうかと思い返すと、夏らしいことなど一切していない。怠慢である。これから取り返せるだろうか。

俺にとって最も夏らしいこととは何であろう。プールにでも行こうか。しかし海パンがない。海パンを買うだけも夏気分を味わえる気がしてきた。スイカ柄の海パン。
_08/14

 

 


今年一番夢であって欲しいと思った1日。

今日納品予定の 9割5分出来た音源ミックス作業の刹那、「がががが」という断続的2mix音声と共にMacがフリーズ。二度と正常起動しなくなる。

再度起動するもいつもの動向は見られず、自力では再起不能状態と悟った瞬間、膝から、本当に膝から崩れ落ちる。

即、アップルストアに行く。診断が四日後と聞き帰る。症状をスマホで調べ、明後日診断に来てくれる業者に予定を決めて途方にくれる。仕事ができん。

原稿の締め切り。胃が反応し、慌てる。とりあえずネットカフェに行き、原稿を書く。その後、担当さんに事情を説明し「ご愁傷さま」とねぎらわれる。

ありがたくもWindowsのラップトップを貸してくれるとのことで、原稿の仕事ははなんとかなりそう。しかし、俺のマシーンが心配で気が気ではない。

備えをないがしろにしていて猛省。今まで当たり前に出来てたことが一瞬でそうではなくなる絶望感。

仕事のことは全てデスクトップで管理していたため、何かとおわったと思ったが、テキスト系の仕事はどうにかなりそうである。

とりあえずなんとかここの管理画面までも辿り着き、スマホで更新する。今まで当たり前にしてきたことができないキツさに悶絶。

最近、こういったことが他にもあった。原因は仏壇を押し入れにいれたままで、何のケアもせずないがしろにしていたからか、とかそれくらい考え込みとにかく悶絶。

とにかく、備えに無頓着であることに対しての警告と捉える。それにしてもショッキングな1日。早くよくなってMac。果てるまでケアせずごめんなさい。

_08/15

 

 


ショックが大きすぎて怖い夢をたくさん見て憔悴して起床。

担当の村上さんがWindowsのラップトップを貸してくれたのでこいつで当面しのぐ。ひもじい。
_08/16

 

 


病院へ面会に行く原チャリ道中、完全に季節が入れ替わった感のある爽やかな空気。父親も体調は良さ気であった。

コミュニケーションをとればとるほど、どうしてやればこいつと俺にとってベストなのかがどんどんわからなくなる。ここに来ると必ず、つげ義春の世界観に包まれて帰路につく。

ダウンしたMacを業者さんに診てもらう。復活率は60%とのことである。とにかく頼むという気持ちをできるだけエモく伝え、マシーンを預けた。

村上氏にお借りしたwindows10ラップトップをすぐに仕事ができる状態にセットし、原稿を書く。案外、捗り具合はさほど変らないのは何かよかったと思う。

明らかに元気が失せているので景気づけにウナギ天津飯という変わり種をモリモリ食う。想像以上にうまい。夜の赤羽台団地を散歩する。風が身体をゆっくり突き抜ける感覚と冷んやりした虚無感。
_08/17

 

 


純喫茶アルマンドへ行く。最近はMacは壊れるわ腹の調子は治らないわ覇気は無いわと低迷感がすごいのでパワースポットでチューニングしたい心境で西川口へ向かう。今日も秋みたいな空気だ。

到着し、とりあえず叔父が元気そうで安心した。最近アルマンドは音楽的コミュニティが生まれつつあるとのことで、近々アップライトピアノが設置されるかもしれんとのこと。

手前はどうもよろしくない状況だが、身内が好調だとまあいいやという気分になってくる。良かった。コーヒー粉と謎カレーを持たせてくれたのでスッキリして帰宅する。

カレーを食うために久しぶりに、何年かぶりに米を炊く。炊き立てのめしの旨さに驚く。謎カレーはというとチクワやゆで卵やカツオ身など、おおよそカレーにとっては相当オルタナティヴな具が遠慮なく入っているファンキーなものであった。

どこか懐かしい味というか安心する味というか、カレーライスは信じられないくらい旨く、なんだか腹の調子が良くなってくる。こう、内臓やら精神が喜んでいると心底実感する。自炊や、頂き物で食事をするということなどは、なんだかとても大切なことだと思いだした。ありがとうございます。
08/18

 

 


手前がツイてないときは周りがなんか好調という法則。あると思う。俺が関わる方々は、なかなか調子が良いようだ。

今日なんて知人が10万車券を的中させたと聞いた。もういい、俺が状態悪くても周りが幸せならそれで良いと、仏レベルの心境に達した。「お見事でございます…!」と、自然に口にした。

魂のグループというのがあってその中での「陰と陽の流れ」が何やかんや、というスピリチュアルな話がふと頭をよぎる。

はっきり認識こそできんが、そういった流れ的なものは確実にあると俺は体感的に感じる。そして、その流れによく逆らう。結果、良い方向にはもちろん行かない。

だから、陰の流れのときは、俺が陰でも周りは陽だから大きな視点でみたら景気が良い、しばらく何かしらを真摯におとなしく溜めて機を待とう、そう考えることにした。流れが悪いときに無理に前に出ると十中八九以上、ロクなことにならない。

陰の時期は、備えや現状を見つめなおすチャンスである。機材がブッ壊れてやや限られた現状、根本的なことに身を置く時期と考える。源流である楽器練習に励む。スティービーワンダーのピアノを練習しなおす。なんて素敵な楽曲なんだろう。「Ribbon In The Sky」。

むつかしい箇所がいつのまにか弾けなくなっていたが、復習して弾く。明日はほぼ弾き方を忘れたショパンの曲を復習しよう。それで、純喫茶アルマンドにアップライトピアノがきたら演奏して聴いてもらおう。そうしたら、このツイていない時期はきっと素敵な時間になる。
_08/19

 

 

 


午後2時なのに空が真っ暗で、慌てふためいていたら、東からだんだん明るくなってきて、ああ良かった。という夢を見る。

現状を暗示しているような内容である。そうだとしたら、明るくなってくるのだろうか。ダウンしたMacの症状は、グラフィックボード部(グラフィックチップ)のダメージと判明。

2011年モデルのMacbook Proで多発した不具合で、Appleでリコール対象になっていた有名な症状とのことだ。画面がシマシマになったり、ドットアートのような画面になったりする。通常起動は不可能。

預けた業者さんではロジックボードの総とっかえ10万円超えという、卒倒しそうな見積もりと相成ったため、ハードディスクの無事だけ確認し、半泣きで引き取る。

症状を絞り、改めて対応をしてくれそうな業者さんをピンポイントで調べ、藁にもすがる心境で新宿西口にある業者さんへ持ち込んだところ、そこにはその有名な症状用の修理システムがあるらしく、だいぶ安価い見積もりを提示してくれた。症状がグラフィック周りだけであったら、無事に復活する見込みだ。

無事に治ったら、しばらく稼働させつつ並行して、新たな機材環境に取り組もうと思う。PCはもう一台調達しよう。とにかく備えやバックアップや保険的なことの大事さを痛感する数日間。
_08/20

 

 


深夜1時、道端で20代くらいの異国の若者と老婆と少女が視界に入る。

「スミマセン」と若者に声をかけられ、謎言語とかなりの片言日本語交じりに何かを要求してくる。はっきり言って怖い。

「10エン! ナイ。テレフォン…!」

電話のしぐさとそれで、「公衆電話をかけたいが10円玉がない」というのは伝わってきた。

俺はたいへん機嫌が良くなかったのと、これから帰ってのんびり酒を呑もうというのを邪魔された気分が混ざり、一瞬ではらわたが煮え、ずいぶんとぶっきらぼうに対応した。

「うるせえ。お前の日本語は解らん。Speak English!」

「OK, ペラペラぺラリ」

今度は流暢過ぎてわからん。頭にきたので睨み付けた後、「10円玉なら手前でコンビニ行って両替しろ!」と片言の英語で言った。

怒りの感情と共に通じたようで、中東系のそいつは涙目で50円玉を見せ「お手上げ」のポーズをとる。

「No money?」

「Yes……」

「Really……? Only 50-YEN?」

「Yes, オネガイシマス…」

俺は最近どれだけツイていないのだと思いながら、ふと怒りが冷め、財布を開く。しかし更にツイてないことに10円玉が一枚もない。

「ははは。Me too.」

「エエエェ……ショボーン」

若者はかなり絶望感のある顔をみせたので、寸借詐欺ではなさそうと判断する。もうツイてないついでに散財しようと思った。

「これやるからコンビニ行って両替しろ」と、片言英語で伝え300円を渡した。するとそいつは「100円で大丈夫」という仕草と共に200円返そうとする。

「うるせえ。国際電話とかだったら300円でもすぐだ。多めに持ってけ馬鹿が」と、片言英語で伝えると、礼もそこそこに急いで大通りに向かおうとする。ここで笑顔で大げさに感謝でもされたら寸借詐欺確定なので、たぶんこいつらは本当に電話代がない異国のかわいそうなファミリーだ。

別れ際、老婆が「謝謝…謝謝!」とハッキリ言った。中国人のようだ。「うるせえ。Go straight, turn right, and left, reach to store!」と一応伝える。

「昨日助けていただいたチャイニーズ一家です」と、豪華中華料理をふるまいに来てくれるのを俺は今か今かと待っている。こねえな。
_08/21

 

 


ここ3日くらい、「今夜、すべてのバーで」を夜、ゆっくり読み返していた。数あるアル中書籍の中でも傑作という随筆風小説。

著者の中島らもさんをYouTubeで検索して、活躍していたころの映像などを改めて観た。

アル中とか各種ジャンキーとか、作家とかミュージシャンというよりも、なんだか神っぽい存在の人だという印象。

不思議とそういう方は居る。なんとなくの神っぽさに共通しているのは、「なんか凄い」とか、「オーラがある」とか、「カリスマ」とか、そういうのよりも「自然体」という点が最も濃い。

俺はたまにその人に対して「神っぽい」と思うことがあるのだが、その人が文化人であったりもするし、ホームレスだったりもする。

もしかしたら、そこら中に神はいるのかもしれんとか思う。俺が神っぽく、あるいは神になりたいのかどうかよくわからないが、神っぽい人、あるいは神は、とにかく自然体だから自分もそうあろうと思った。

変に振る舞うと、だいたいロクな姿にはうつらないし、ロクでもない気がする。それも一興だが。とにかく、自然体というのは何かしらにおいても、最高の類の何かだとスッと腑に落ちる。
_08/22

 

 


起きてシャワーを浴びて腕立て伏せをするという覇気。毎日こうでありたいものだと思う。その後はわりと普通に過ごす。今日も、小説を読んで寝よう。
_08/23

 

 


Macが直ったとの報せを受け新宿へ飛んで行く。やる気と共に滞っていた仕事を一気に全部やる。たいへんはかどる。心なしか腹の不調もどうやら治った。

備えとバックアップが隙だらけだったことを猛省し、クラウドへのバックアップを習慣づけることにする。

俺のMacはもう壮年なので、こいつを走らせながら新たなマシーンに移行していこうと決める。しかし新しいMacで欲しいやつは高価い。実に高い。新しい仕様のDAWとプラグインやらも含めると公務員のボーナスくらいの額が要る。爆発しそうだ。
_08/24

 

 


PCの故障期間を経た案件を完了させ、たいへんスッキリとする。昨日2日ぶんくらいの仕事をしたので、今日はのんびりしようと飯を炊いて食う。チャーハンにもして食う。久しぶりに心身ともに平穏に過ごす猛暑の日。
_08/25

 

 


やっぱり腹痛がぶり返してくるわ何となくざわざわするわで、最近は意図的に飲まないようにしていた常備薬を飲む。簡単に治る。何と言うか、薬というものは改めて凄いし怖いと感じる。
_08/26

 

 


雷鳴におののきながら宅で過ごす。早く爽やかで乾いた空気の秋がこないものかと思う。この界隈ではキンモクセイは香るだろうか。
_08/27

 

 

 

 


宅で2本以上酒を呑まんと決めているのだが、冷蔵庫にもう1本ある。キンキンに冷えてやがる。何故あれを呑んだのか。若干の二日酔いで反省しつついつものように過ごす。事務や原稿などをつらつらとやる。

ヤクルトを2本飲んだのがよかったのか、しつこく服用していたビオフェルミンがようやく効いてきたのか、ここしばらく続いた腹痛が治ってくる。酒を買いに行こうか。2本までだ。いや呑むな。葛藤。
_08/28

 

 


胃腸が完全復活したのでガンガン食う。朝からムッチリした大福を食う。昼にはホカホカの鴨肉ステーキ蕎麦セットというごちそう(590円)を食う。サクサクするおやつも食いつつ、夜はアツアツのタンメンを放り込む。

あまり感心した食生活ではないが、これくらい毎日食えば俺は恰幅の良い御仁になれる。常にそうではなく、だいたい痩せ細っているということは、もしかして胃腸が弱いのだろうかと気付く。腹筋を再開しよう。何故1カ月もサボったのか。
_08/29

 

 


いつだったか今月のある日、宵の入りに散歩をしていたら痩せ細ったネコを見かけた。

気を引こうと口をチッチと鳴らしていたら。側にいたおばちゃんが寄って来て俺に笑顔で話しかけてくる。

「今ニャンコにご飯あげたのよ。いつものお兄さん数日居ないって言うから」

「替わりにご飯あげてたんですね。良かったねネコ。食いっぱぐれないで」

「こう見えて、この子はママなの。いつもカリカリだから今日は缶詰をあげてね」

「フフフ」

当たり前のように話に応じたのが好感触だったのか、おばちゃんはもっと話をしたそうな気配をみせた。たいへん愛想も機嫌も良い方だった。一つ二つ、言葉を交わし、ふと目線を外すと、横長の鉢から咲き踊る白い花たちの妖艶な姿に意識が寄った。

「これ、綺麗でしょ。明日には枯れちゃうのよ」

「ええ。すごく綺麗ですね」

何てことはない、派手さはないが綺麗な、よく見かけるような形の花、50ほどの数。白い姿に紫色の薄いオーラを纏ったような、何だか声が聴こえてきそうな生命感のある花たちに「本当に綺麗だ」という根源的な感覚が湧いてくる。

「チョウセンアサガオっていうのよ」

「アサガオなんですか? あの、夏休みに学校から鉢ごとぶらさげて家に持って帰る…」

「そうそう。アサガオ。白いのは珍しいでしょ?」

「ちょっと印象が違いますけど、凄く綺麗ですね。それに、いい匂いがする」

ぐっと顔を寄せると、微かで端麗な、人を惹き付けるような魅力的な匂いがした。美しく魅力的な女性を目前にしたときの俺の脳内反応、美的感覚と性的感覚と深い期待感、きっとそれに近い感覚にゆっくり包まれた。何と言うか、けっこうどうでもいいシーンでささやかな幸福を感じられるとは、というくらい、ナチュラルで気分の良い感覚。

「なんていうか、生命がブワーっという感じで、でも綺麗で」

「ふふふ」

自分でも、感情が良きに大きく動いているのだなと自覚するくらい、わりと大袈裟な身振りを交えて、おばちゃんにチョウセンアサガオがもたらした幸福の感触を伝えた。

俺はたいへん良い気分になり、散歩を続けた。赤羽のこんな近所で、何の期待をしていた訳でもないのに、ささやかで自然で、さりげなく深い幸福が味わえたことを嬉しく思った。笑顔で、散歩をした。しばらく、誰かと楽しく喋っているような顔で、散歩を続けた。

今、そんなことをふと思い出し、「チョウセンアサガオ」をネット検索してちょっと調べてみた。

 

【wikipediaサイトより抜粋】
「経口後30分程度で口渇が発現し,体のふらつき、幻覚、妄想、悪寒など覚醒剤と似た症状が現れる。 (中略)毒性は他の幻覚薬物とは比較にならないほど強く、薬物中毒者ですら手を出さないレベルであるという」

【NAVERサイトより抜粋】
「違法幻覚剤(サルビア、LSD等)とは比較にならないくらいの幻覚症状を引き起こすようだ」

「これを飲んだ者は理性を奪われ、長時間泣いたり、笑ったり、多弁になったり、眠ったりする。ときには正気であるように見えるが、実際には自分の話している相手が誰であるかも分からないのである。そして、精神錯乱が治まった後には、何が起こったのか全く記憶していない」([出典]ストナリニ大量摂取の効用)
食べたら大変なことになりかねることは、よく理解できた。同時に、俺が感じた幸福感も、もしかしたら匂い経由の悪魔的なものであったのかもしれない。そういえば、おばちゃんはなかなか饒舌で機嫌が良かった。

もう一回嗅ぎに行こうかと思ったが、もう枯れているであろう。鉢ごとぶらさげて家に持って帰りたいものである。しかし、植物のアルカロイド起因の僥倖ではなく、ママネコとおばちゃんとの出会いがセットでの幸福と、そう信じたい。

来年の8月、また僥倖にあずかりに、今度は猫缶と鉢を持って、痩せたママネコとおばちゃんに会いに行こう。
_08/30

 

 


仕事をして、散歩をしたり、ラーメンに豆板醤を入れて食べたり、古本屋で本を2冊買ったり。

湿度とけだるい疲れでなかなか覇気が無かったが、何となく、本を2冊買っただけで少しやる気が出てくる。

昔から思うのだが、買い物というのは、喪失と獲得の両価性が伴った行為で、どこか精神賦活作用があると思う。金を失うダメージと、品を得る報酬感。買い物依存症というジャンキーが存在するのもどこか納得できる。

品を手に入れて嬉しい、というだけでなく、金を失った喪失感も水面下にあり、そこがクセになるのだろうか。

それとも、どんなに欲しい品を得ても、結局は満足に至らないが為に、次々と新しい欲求が生じるからだろうか。

たぶん、欲求がなくなったら人は死ぬ。無意識にそれを知っているから、生きる覇気を得るために買い物をするのだろうか。

そうなると、満たされて次が欲しなくなるほど、満たされて気が済む欲求とは何だろうか。そのへんの答えが書いてありそうな本を買ったのだが、どうだろう。
_08/31

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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