08/2019

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
仕事道具や環境をガラリと進展させていそしむ。8月


いつか見た「不慮の事故がなければ79歳で逝く」という予告夢みたいなのを信じている。ということは人生あと40年で終了。

そのうちまあまあギンギンで過ごせるのは今から20年といったところだろうか。残りの20年の消化試合のような余生は、ありとあらゆる快楽をむさぼるだけの動物的人生でも悔いはない、そう思えるように、これからの約20年間なにを頑張ろう。

日々、文字を書いたり音を出したり写真を撮ったりと、なんやかんやと頑張っているつもりだが、そこに何の価値があるのかと考えだすと、人間たやすく鬱になる。

俺はもう陰キャ的なのは飽きたので、何事も前向きに考えるように心掛けて早3年くらい。ポジティヴに考えると、俺が毎日やっている様々なことに共通しているのは「後に残る」ということに気が付いた。言い換えると、「記録」である。

記事や文章はネットでも半永久的に残るし、写真も物理的にもデジタルデータとしても残る。作った音源も残り続ける。そうなってくると、少なくとも手前にとっての価値以上になることはしている、ということになる。

この日記だって惰性で書いているきらいもあるが、価値を見いだすという考え方で捉えた方が良いのかもしれない。例えば俺が人生あと数年とかいう時期にモウロクし、あるいは近い将来に、認知症にでも統合失調症にでもなったとしよう。

「過去の詳細はマジで忘れた」となっても、ここに記しているということさえ認知できていれば、30代に何をして、何を思って、どれだけ酒を呑み散らかしていたかということを、思い出せないとしても、再認識することができる。

「お前はクソみたいなブログを何のためだか毎日書いていた時期があった」と、誰かが教えてくれさえすれば、ここに辿り着き、過去の記憶にアクセスできる。

俺にもし、子供がいたとしたら、そいつの成長記録をこうして文章で毎日記すだろう。何の為にか、といったら、誰であっても個人の記録というものは、それだけで価値があると思うからである。

価値を形として残しておきたい欲。それは、よくよく考えたら“種の繁栄”というセックス的な人間の根源欲と等しい気もしてきた。“記録物を残したい”というクリエイティヴィティは、性欲の一種なのかもしれないそうな。

だとしたら俺は毎日エロいことを必ずおこなっているということになる。エロいことは良いことだ。
_08/01

 

 


午前に浜松町にて案件を完了させ、昼、山手線を半周してヤマダ電機総本店池袋店へ。とうとうおニューのマシーンを買う時がきた。

狙いは2019年最新型のMacBookProである。これがクソ高価い。しかし、マシーンは直感的に操作できるマッキントッシュがいい。あと、廉価のMacを買うくらいならむしろ買わん。

最近得た情報によると、Apple社製品でも“値切り”ができる場合があるそうな。だからこの店を選んだ。俺は人生初の“値切り”をしてみた。何事も経験することに価値があるはずである。

「もうちょっと勉強できません?」というベーシックな切り出しだと、「ご存知かもしれませんが、Apple社製品は難しいんです」と、バッサリであろう。俺が店員さんの立場なら必ずそう対応する。

だから俺は、腐れナンパ師作戦に出た。要は、

「お姉さん、お茶シバきません?」

「けっこうです」

という、一発で断る理由が言いやすい切り出しはせずに、

「お姉さん、10秒だけ時間いいですか?」

「はあ。何ですか?」

と、まず交渉の余地を最初に確実に得る手段だ。「それは無理ではない」と一言目に言わせ、だんだんと注文のレベルを上げていくという極めて外道な手段である。

「店員さん、さすがにMacは値引きとか1円でも完全に不可能ですよね?」

「絶対に無理、と言ったら嘘になってしまうのですが……」

「ポイントをちょっと多めに頂けたりとか?」

「それは可能ですね。はい」

「へえ、知らなかったです。条件によっては今日一括で買おうかなと。パサパサ。(現金を20枚くらい下品にめくる)」

「ほ…! ポイントをこれくらいでいかがでしょう?」

「案外凄いですね! 現金の方はさすがにお値引き無理ですよね。パサパサパサササ」

「ちょっと上席に確認を……お待たせしました。これくらいでしたら。カタカタ(電卓で千円提示)」

「なるほど。実はイケるんですね。やはりここが限界ギリでしょうかね?」

「限界となると…現金一括払いでございましたよね? カタカタカタタタ」

「凄い! これ以上は店員さんの立場もヤバいですよね」

「本当に正直、ここまでですね…! 在庫ございますがいかがでしょうか?」

というわけで交渉なしで買うより5,000円ちょい安くしてくださった。我ながら実にセコいとも思ったが、何事も経験である。本当に“値切り”ができた。

店員さん無理言ってごめんなさい。本当にありがとうございました。ようこそニュー・マシーン。
_08/02

 

 


ニューmacはまだ開封せずに普通に仕事をする。いま手元にある仕事が完了したらご開帳である。

明日の夜には開けられるだろうか。楽しみだ。しかし、開けずに、パッケージされたままのやつを眺めるという、この焦らし的快感は何なのだろう。それもまた一興。
_08/03

 

 


休みの日にする予定だったが、ちょっと仕事してニューMacの環境設定やらをする。これがたいへん時間がかかる。堀田氏の呑みの誘いに乗れなかったくらいである。ぐぬう。
_08/04

 

 


レコーディングの立ち会いに赴く。バリバリと録音しているようでなによりと思う。

現代では、一人でしんみり宅録という手法がやや多い傾向にあるが、やはり人数がいるなかで良き緊張感を醸しつつ、その場でなんやかんやディレクションしながらというのは実に音楽的で好きだ。

なんというか、5、6回ミステイクが重なった場合の「やばい、スタジオの雰囲気がやばくなる」という、レコーディングならではの空気感はいい。

しかし、そんなことはなく、ピリピリとした感じもいっさいなく、とても良い空気感だったので、それがそのまま音となりパッケージされるであろう。みんながいる場での録音というはやっぱり良い。
_08/05

 

 


仕事や、やることが多いということは幸せな証拠だと、そう手前に言い聞かせていそいそと過ごす。

だからこそ、びっくりするほどリラックスして酒を2合呑む時間も大事だなと思う。酒買ってこよう。
_08/06

 

 


友人に機材お買い物についてきてもらう。渋谷へ。それにしても渋谷駅埼京線ホームからハチ公口まで遠い問題はなんとかならんものか。5分以上かかる。

無事良さげなやつをゲットした訳だが、謎な現象が起こる。俺は気付かずに、友人に指摘されて気が付いたのだが、店員さんに言われた価格よりも何故か2,500円くらい安く会計されていた。

「平吉さん、そこは黙っとけ」とのことなので、黙っとくことにする。商品を紹介してくれた店員さんとは別の、レジ担当の兄ちゃんがあとで叱られていないことを祈る。よくわからんがラッキーだったと前向きに解釈する。

その購入した機材のセッティングをする時間もないほどたて込む。仕事とやることが多いということは幸福だと、今日も手前に言い聞かせる。
_08/07

 

 


お盆も近いせいか、亡くなった近親者が夢に出てくる。「墓参りに来い」ということなのだろうか。そういえば1年以上は墓に行っていない

墓参りという行為は、節目節目でキチッと行くことも大切であろうが、「その日だから」という理由のみで行くのも何かおかしい気がする。

俺は完全に気分で行っているので、それは罰当たりな行為というかスパンなのかもしれない。そういった手前の思考が世間一般常識的にはおかしいことであろうことは明白だ。明白なのだろうか。その辺の判断が、この歳になってもどうにも世間様とチューニングが合わないきらいがあり、申し訳ない気持ちにすらなる。

だから、ちゃんと、お盆にはカップ酒でも2合くらい持って墓参りに行こうかと思う。
_08/08

 

 


昨日は赤羽ホルモン焼御殿界隈でまあまあ呑みくさっていた。「赤羽サワー」というやつがめっぽう旨かったからグイグイいってやった。だからほぼ確で二日酔いかと思いきや、そうでもなかった。

それもそうで、やることまあまああるクセに11時間寝たのが効いたのであろう。本当に睡眠に勝る回復方法もないものである。

そういったわけで元気に仕事をする。鴬谷へ取材案件へ行く。原稿を書く。最近のたて込み具合からいったら良い感じにゆとりがあった一日である。
_08/09

 

 


また無意味に早起きする。年寄りになると早朝に起きるようになるというが、その類いの早起きでないことを願う。

新しいmacのセットアップおよび作業環境完全移行がもうちょいなのだがまだ終わらず悶絶。あとちょっと。
_08/10

 

 


昨日早起きしたぶん今日は昼に起きる。なにかが悔しい。しかし日中は真面目に夜中まで仕事をする。そろそろお盆。お盆がくる。

まる2日はバカンス日としてやろうかと思う。写真や動画を撮りまくって遊んでやろうと思う。

たまには手前から誰かを誘って呑みに行ってやろうかと思う。一回やってみたいと思っているのが、Twitterで「今日夜ひまな人、18時赤羽駅に集合、呑みに行きましょう」という招集をかけ、誰がくるかというやつだ。

誰一人こなかったとしよう。寂しさと人望のなさと切なさと愛しさと心強さが相成って一人フテ酒となるだろう。

とりあえず今日は2合酒買ってきて飲んでスヤスヤと寝よう。東京は、お盆に向かって夜だんだんと涼しくなってきたそうな。
_08/11

 

 


誰であっても、絶対に人には知られたくない過去の悪行や現在進行形の悪癖の一つや二つは必ずあると思う。

その悪癖や過去の犯罪歴を晒すことは、ネコで言ったらひっくり返って腹を見せるような、相手に対する信頼と愛情の証でもあるという持論が俺にはある。

今日、宅に来ていた白井さんに、私用があるので池袋まで車で送ってもらった。

「そういや俺、そろそろ免許更新なんだよね。来週くらいまで」

「早く行かないとヤバくないですか?」

「最近は車を運転してないから人生初のゴールド免許だと思ったんだけど、違ったんだよね」

「違反したんですか? 平吉さんバイク乗りますもんね」

「更新のお知らせハガキに2年くらい前にノーヘルで捕まった履歴が書いてあった」

「あははは! クッ! 何してんでんすかw」

「みっともないよね。いい大人がノーヘルでパクられるって」

「なんでちゃんと被らないんですか?」

「暑かったから半ヘルで、風で後頭部までズレたら超涼しかったからそのまま走ってたら白バイが『はい、そこの足立ナンバー止まって〜』って」

「あ〜あw」

俺は何となく白井さんに、ひっくり返って腹を見せるという行為をした。軽度であれ、道路交通法違反という立派な犯罪歴を晒した。それは、場合によってはただ嘲笑されるだけということもある。それはそれでまあ良きかなとも思う。

ヘルメットをちゃんと被らないでバイクでコケると脳脱して逝くまである。暑くても、ちゃんと被ろう。ヘルメット。
_08/12

 

 


なかなかたて込むが、明後日から2日はお休みである。楽しみで仕方がない。

しかし、免許の更新と墓参り、親父の面会という用事を加味するとわりと時間を使う。そして台風もくるらしい。ぐぬう。
_08/13

 

 


ケータイの支払い方法と新しいプランへの変更で、月々けっこう安くなる。マジでやったと思って次は保険屋さんへ傷病保険のプランを吟味しに行くが、俺の現状で入れる良い感じのやつはなくて悔しむ。

一旦引っ込んだ案件が戻ってきて喜ぶ。探しているファイルが完全行方不明になって悲しむ。台風襲来のせいか、喜怒哀楽かなり激しい一日。明日はまったり健やかに過ごしたい。
_08/14

 

 


最近、文章を「これだ」という感じに打つことが遅くなったなと悩んでいたら夢に町田康さんが出てきた。実際にお会いしたことはないお方なのだが、夢に出てきた町田康さんはとても自然体でカッコ良かった。

だから俺は今日、免許の更新に行く道中、町田康さん著の「きれぎれ」を読み返した。改めて、なんとフリーダムな文調なのだと惚れ惚れとし、クスクスと笑って楽しんでいるうちに東陽町へ着地。

「違反者講習」という2時間の退屈地獄をしっぽりと味わわせられた挙げ句、呑み代一軒分くらいの手数料まで巻き上げられ、ややげっそりとしつつもニュー・免許をゲットして帰宅。

昨夜、清春さんのライブレポートがうまく書けなかった。ライブ終演後のご挨拶で、「中学生の頃から黒夢とか聴いてました」と言ったら両手で握手をしてくれた清春さんの手は、とてもとても温かかった。そして町田康さんが何かを気づかせてくれたのか、今日になり、よっぽどちゃんと書けて安堵。

夢でなく、実際にお会いしてみたいものである。町田町蔵こと町田康さん。
_08/15

 

 


これほどお盆らしい過ごし方もないだろうと思いつつ、墓場へ。供え物のウメッシュを持って墓場へ。桶いっぱいの水を墓石にジャブジャブかけてテカテカに黒光りさせて線香炊いて瞑想。

孝行したいときに親はなし、いつまでもあると思うな親と金、回転すし屋の茶飲みに書いてありそうなことを頭に過ぎらせつつ、まだ生きている親の元にも行く。

父親は相変わらずの呆けっぷりであったが、まだ手前をせがれだと認知できているうちにツー・ショット写真でも撮ってやろうかと思って今日は一眼レフ様を持参してきた。マニュアルモードで良さげな感じに設定をしたまま、係の方に撮ってもらう。

休日というかお盆というか夏真ん中感をしんみりと満喫というか何というかそれっぽく過ごしたので満足して宅の机に向かう。ガチのエクセルやらパワポやらワードやらをこないだ買ってmacに挿入したので、そいつで改めて仕事の管理簿などを作り直す。

エクセルにはSUM関数とかくらいしか入れてないのになぜこんなに疲弊するのか。どうにもマス目がびっちり系の作業は得意ではない。生まれつき、キチッキチッとした作業は得意ではない。なんとか管理簿4つキレイに仕上げたので満足する。ドキュメント作成自体は大好きだ。

墓参りに面会に、道中にある超有名焼肉店・足立区鹿浜「スタミナ苑」のボスへの久々のご挨拶とエクセル地獄と、まあ良き休日だったと思うのでスカッと酒呑んで寝よう。
_08/16

 

 


台風も溶けたようだし宅でカタカタと仕事に励みめしをガツガツ1.5合は食い、アメリカン・スピリットを1本キッチンで吸い込み、茜色の夕焼けが広がる赤羽の空へ向かってダウナーにスパァと吐き出し寝る。ソファに沈む。小一時間。

するとどうだろう。原稿がスラスラ書ける。よくわからんかった新macへのメール3アカウントぶんの環境設定がやっとできる。なんてハッピーな気分なんだ。「眠りは麻薬〜」という歌詞の曲はなんだったかだけが思い出せん。
_08/17

 

 


お盆はやっぱりそういうスピリチュアルな時期なのか手前の思い込みがそうさせるのか、逝った家族や飼いネコたちが今日もバンバン夢に出演する。年に数日でいいから思い出して欲しいという死者の願いなのかあの世では定番のキャスティングなのか手前の思い込みなのか。

今日は埼玉県のドームにライブを観に行く。電車から降りると明らかに他県という匂いがする。

夏真っ盛りで暑いからかドームだからなのか、担当様がGLAYのウチワやタオルやキンキンに凍ったお茶をくれ、ふつうにホクホクとしていた。嬉しいが仕事だから仕事的目線で真剣に観る。でも世代だからGLAYは贔屓目に観ちゃう。楽しかった。赤羽戻ってカツドンをワシワシ食って胃もたれして帰宅。
_08/18

 

 

 


気がつけば夏も後半であり、夏らしいことは何一つしていないことに気づかされる。唯一したのは盆の墓参りであろうか、ビアガーデンでジョッキをガチンとかビーチでギャルの尻を眺めるとかそういったことはいっさいせずに終わってしまうのか。夏。

夏を体に染み入れエンジョイという発想や欲は元来俺に備わっていない。これでいい、夏らしいことなどしなかったから浮世立つというような危機感という健全な社会性に似た人間性というか健常的なものはむしろ忌む方だ。きっとそうだ。そう思い耽りながら歩いていると公園でネコをイジっている子供を見かけた。

ちっちゃいニボシを地面に置き、子供はネコの気を引こうとでもしていたのであろうか、しかしネコはニボシに興味を示さず、ただ弱々しく尻尾をパタパタと横にゆっくりと、電動オモチャ的なアダルト・グッズの電池切れ寸前のような動きで、地面と空の境目を横に見るようにして倒れ込んでいた。ネコはただ、倒れ込んでいた。子供は、ネコの額をサワサワとやさしくイジり、黒い空洞のような瞳を動かさなかった。されるがままのネコとやや覇気のない子供に俺は近づいた。

「おとなしいね。ニボシ、食わんのかねこいつ?」

俺のアプローチに反応した子供はネコの口元にグイとニボシを差し込んだ。髭袋がムニと上方にやや動いただけでネコはニボシを食わない。弱っているのだろうか。人間で言うところの顔色は、ネコにとっては毛並みとなる。艶やかなその毛並みをから吟味したところ、ネコはなかなか元気な状態であることは明らかであった。

エサにも食いつかんやる気のないネコに対し、そこまでウリウリと攻めの姿勢を見せない子供。子供よ、今は夏休みだ。もっとこう、あるだろう。プールに行ったり虫かごを装備して蝉なりを追いかけたり、親御に遊園地へのアテンドをせがんだり、夏の宿題の締め切りにヒヤリとしたり、クーラーの効いた部屋でゲームにいそしんだりスイカをジャブジャブ食ったりと。

「君、楽しいかい?」

そう聞くと、子供はネコをイジる手を一瞬止め、また同じスピードで撫で出した。こいつは、こいつらは、夏をエンジョイするという発想や欲がないと俺はみなした。手前と一緒である。夏に興味を示さない三者は、無表情で、ただ秋を待っていた。こういった輩は、秋が季節で一番好きなのである。ただメランコリックに物思いに耽るのがステレオタイプ・イメージの秋が。
_08/19

 

 


原チャリで現場へとかっ飛ばすこと5分、今日の案件先はやたらと近い。カメラだ。デジタル一眼レフ様だ。たまにある撮影込みの案件である。俺は張り切った。どれくらいビンビンかというと、なまじオート・モードではなく、全ての要素に対し手動調整が必要なマニュアル・モードで挑むという暴挙を本番で、ギャラが発生する場面でと、それくらいギンギンであった。

ロクな写真が撮れなくてあとでめっぽう怒られても知らん、いいや、人間、本番でガチのモードで挑まないことに成長は無き。100回の練習より1回の本番とはよく言ったものである。

写真を撮るという行為は、良きと感じた写真が撮れたときの感触というのは、「こいつは良い文章が書けた」「これは名曲が生まれちまった」「バチリとライブ演奏が決まった」「ものの見事にウケた」というときと似た感触がある。端的に言うと、ドーパミンが噴射する。

酒・煙草・博打・向精神薬 etc, それらの若干反則的に噴射させるドーパミンの類とは真逆の、健全な脳汁の出し方である。俺は正攻法でも反則でも、ドーパミンを噴射させるためには手段を選ばない。むしろ反則が好きすぎて禁じたり律していたりしているものすらある。

そういったわけでなかなかスリルのある手法を選択し、帰宅。原稿。提出。お写真はいかがなものだったか、正直ドキドキしたが掲載に及んだということはダメではなかったのであろう。撮影オートモードの卒業も近いのかもしれん。そう安易に安心してはいけない。

撮影というのは、執筆や楽曲制作や演奏やウェブ作成やらと等しくたいへんクリエイティヴであり、もはや神聖な行為だ。常日頃の修行と習慣が必要だ。そういったことはバンバンやってドバドバとドーパミンを撒き散らしては取り込もう。よし、反則技を2杯呑って寝よう。
_08/20

 

 


まあまあ予定外の進行の一日にやや翻弄されつつ色んな学びを得たが、他者への感謝と敬意さえ忘れなければ人は幸せに暮らせると改めて実感する。それだけは忘れないようにしたい。
_08/21

 

 


今日も撮影込み案件ということで張り切る。そういうのが増えてきたということは、手前が撮る写真、使えんでもない、ということで嬉しむところであろう。仕事のスキルが増えるのは喜ばしいことである。

ふらっと入った安い丼モノ屋のトリ丼がやたらと旨く、店の大将はたいへんきっぷの良い物腰と接客と調理で、わりと些細なことかもしれんがこのうえなく気分が良くなる。

日常でも仕事でも、ちょっとしたことや言葉や所作や気遣いで、人は人を気持ち良くさせることができるのだなと、がつがつとトリ丼を食べながら心底感じる。そういうことができる人こそ、賢い人間、頭の良い人間だと俺は判断している。

IQやEQとか、頭の良し悪しを測るものさしはたくさんあるが、その人間性が他者にどういった良きフィードバックを与えるかということこそ、賢い人間なのだなと、トリ丼をたいらげてそう結論づけた。

「他者を尊重する」ということにも繋がるそれは、難しいことでも簡単なことでもなく、みんなでどう過ごしやすくできるかということを実践するということであろう。

何かの本に、大体の人間関係やらの問題は、他者を尊重しないことが起因であると書いてあった。まさしくそうだと俺は思う。他者を尊重するということは、相手がどういうつもりか、頭と情念をフル回転、あるいは直感を大切にすることが必要かと思われる。それができる人は賢い。新宿の丼モノ屋の大将、賢い。
_08/22

 

 


午前中に病院に呼び出されるというこの不意打ち。父親が転倒して軽く骨折したから仕方ないのだが、メールとかではダメなのだろうかとこういう時いつも思う。それは薄情であろうか。

それにしても、こういった感じであらゆる施設に呼び出されるという頻度は一時期よりも飛躍的に減ったので特に負担を感じなく良きと思う。症状も軽く、やれやれと思う。道中、介護士の人と定食屋「福しん」が大好きという他愛もないが愛が詰まった会話に花が咲いて楽しかったから良しとする。

「やっぱり生姜焼き定食ですか?」

「ですよね! あとウンパイロウをつまんでね!」

おっさん2人がよくこんな話でテンション上がるなと俯瞰的に思うが、共感は快感なり。

仕事をトトトとやって、DAW の新設定に着手する。音楽制作環境をガラリと変えるわけだから一筋縄ではいかない。しかしわりとサクサクと、音を録音するところ、いわゆる波形を出してイジったりするという段階まで設定が進んだので今日のところは良しとする。

これまでの音楽制作環境並、あるいはそれ以上に整えるにはあと10万円くらい機材投資する必要がある。「何をするにも金は必要だ」という闇金ウシジマくんのセリフが頭をよぎる。借りるのだけはやめよう。俺は借金に向いていないのだから。法定利息年利マックス18%。実に高い。手軽だが、俺はやめよう借りとリボ。
_08/23

 

 


俺にはフリー雀荘出入り禁止貯金なるものがある。これは何かと言うと、今年の1月初頭に「俺の博打人生はやりきった」「俺はギャンブルは一生分やり尽くした」と悟り、引退決意を揺るがせないための、目に見える蓄えでそれを覆させないための小銭貯金である。

1日の終わりに、シャワーを浴びてドライヤーでゴオオと髪を乾かした後に、小箱の中に最低100円以上を投げ込むという儀式である。何かをヤメるとき、こういった習慣的儀式はたいへん有効である。「積み上げてきたことを壊したくない」という心理を利用したものだ。俺はこれでパチスロをヤメられたという確かな実績がある。

積み上げてきたものをベットしてドキドキに投身するというのがギャンブルなのだが、その凄まじき快感すらに勝るパワーが、三島由紀夫さんが言うところの“習慣という怪物”だ。

あれから半年以上、毎日欠かさずに100円、まとまった入金や即金払い案件があったときは500円とか1,000円、時にはでかい入金時に数千円と、俺は毎日現金を投げ込み続けてきた。

個人事業資金とは別種の、儀式的貯金である。こいつが10万とはいかないが、どう少なく見積もっても5、6万円以上はある。正直、何に使い切っても生活に支障をきたさない源泉である。あえて、いくらあるかは数えていない。縦に並べられた千円札を眺めてはニマニマするのが、禁忌に対する抑制となっている。

これを、欲しい機材代にあててしまおうか悩んだ。買える。ハイエンドのDAWにアップデートできる。プラグインも少しは買える。それくらいの金額は確かにありそうだ。しかし、積み重ねてきたものを形に変えるのは、嬉しい反面精神的負担もある。

人間、買い物をするということは、良くも悪くもメンタルに影響があると学術的なサイコ専門誌で読んで学んだ。「買い物依存症」なるものがあるくらい、買い物というのはある種のカタルシスというかなんというかそういったスッキリ感とやっちまった感を伴うそうな。

とりあえずいくらあるのか知りたい。しかし、それを知るのすらためらう。それくらい神聖な儀式となってしまった小銭貯金。それにしても人間、習慣化させたものにメスを入れることは難しい。どう考えても良き習慣なのだが、「使うのをためらう」という情念が沸くとは夢にも思っていなかった。とりあえず銀行に入金しようか。
_08/24

 

 


先月くらいに赤羽公園で撮影の練習台になってくれた「かずえさん(81)」をまた見かける。もはや通りかかりにちょいちょい会っては数分雑談をするくらいの仲である。おばあちゃんの友達だ。

実はこのあいだ撮影したものを現像してあったので、一回帰って持ってきて「この間のお写真です。あげます。どうぞ」と、写真を差し上げた。かずえさんは顔のシワが逆になくなるくらいの艶やかな明るい表情を咲かせた。

「あらあ! ありがとう! 笑ってるわね!」

「そうですね。ベスト・ショットです。かずえさんにあげます」

「なんなら遺影にでも…」というセリフは噛み殺したが、たいへん喜んでいるご様子でなにより。ではではと去ろうとすると、かずえさんは「お金払うわよ!」と、カバンをゴソゴソしだした。思ってもいなかった僥倖に出くわし俺はむしろたじろいた。

「いやいやいやいや、けっこうですよ。あげますんで」

「何いってるの! これはお金払うわよ!」

明らかに年金であろう、ゆうちょの封筒を開けるかずえさんはあろうことか一万円札を差し出した。

「ちょ…」

「払うわよ! ほら!」

日数をかけた新手の高齢者対象詐欺をしている気分にすら苛まれた俺は、無下に断るということは、かずえさんにとっても俺にとってもあまりよろしくないと判断し、「そうですね、じゃあ現像代もかかっているし少し頂きましょうか」と、小銭入れへの検索を誘導し、チャラチャラと小銭を触るかずえさんに「それそれ、では100円を頂きましょう」と、100円で手を打った。

冷静に考えたら9,900円の損失である。しかし、俺の行動原理は現金ではないと最近気がついた。だから100円で御の字である。なにしろこんなに喜ぶ老婆を見るのはホワイトカラーの俺の人格がたいへん喜んでいる。

ブラックな俺の人格は、「二つ返事で一万円もらって、また撮って更に請求して、それを色んな高齢者で試して回れ。わりと悪くない確率で金になるという事実を何故理解し、ただちに行動に移さないのだ」と、囁く。正直、どっちの思念も正解だ。

しかしここはホワイトに対応する。そして、帰宅して小銭貯金ボックスに投げ入れる。実に、俺は金儲けの才能に欠けていると実感した。
_08/25

 

 


ミキサーやインターフェースの繋ぎ方を見直してガチャガチャやっていたら訳がわからなくなったが、結局もとに戻る。配線の抜き差し設定系はどうしても苦手で悶絶。足立君あたりはこういうのを呼吸のようにやるのだが羨ましい。
_08/26

 

 


血を抜くのは何故か気持ちが良い。きっと射精よりも気持ちが良い。俺は今日、定期受診に行って主治医に「今日は採血の日です」と言われた。

「先生、俺、定期的に採血されるんですの?」

「ええ。平吉さん採血好きって言ってたじゃないですか(悪魔的笑)」

「好きですけど」

「まあ、お薬が肝臓にどう影響しているとかね、数ヶ月おきに見る必要があるんです。お好きでしょ?」

「好きですけど」

先生は俺の症状は軽い方だと判断なさっている。だが、さすがは法的医療機関。検査スパンはきっちりとしている。別室にていつもの妙齢の看護師に採血して頂く。

「血を抜かれるとスッキリするから大好きなんです」

「前回もそう言ってましたね。変態ですね」

世の中には「変態」と言われて喜ぶという、自身のアイデンティティを変な角度から認められたような喜びを感じる人間がいるらしい。俺は違う。決して変態ではないし、そう言われて喜びもしないし悪い気もしない。

「もっと太い針の方が喜ばれるかしら?」

「看護師さん、そういうんじゃないんです。マゾヒズム的な好き加減ではなく、もっとこうシンプルな…」

「ちょっと意味がわかりません(笑)」

「そういえば、どこかのロックスターは全身血を入れ替えて超元気になったという逸話がありまして」

「へえ。平吉さん、絶対やりたいでしょう?」

「それはもう。ローリング・ストーンズだったかな…?」

「キースですか?」

「あれ、看護師さん詳しいですね。そう、確かキース・リチャーズです」

妙にロックに詳しい看護師さんに血をチュウチュウ抜かれながら、実に楽しげなひと時を過ごした。

「そんなに好きなら献血に行ったらいいんじゃないですか?」

「そういうんじゃないんです。献身的な快感ではなく、もっとこうシンプルな…」

「やっぱり意味がわかりませんね(笑)」

しかし、重病で、何度となく採血が必要というシチュエーションもあることを鑑みると、採血が好きというのは不謹慎なのかもしれない。しかし、ただただスッキリするのは何故であろう。看護師さん、俺も意味がわかりません。
_08/27

 

 


仕事が終わってずっと立ってストラトキャスターを弾いて遊んでいたら止まらなくなりモモが痛くなる。嘘だろと思う。たった2時間くらいで嘘だろと思う。筋トレにスクワットも加える必要がある。

あとタンパク質豊富なめしだ。最近、酒のつまみにハンペンを食うのがブームなのだがハンペンの栄養源は何なのだろう。詳細を知らん。タンパク質っぽいっちゃあぽいのでハンペンと酒買いに行こう。
_08/28

 

 


完全休日。昼は純喫茶・アルマンドへ行き、マスターと店内のオフィシャル写真的なものを20枚くらい撮影して現像して進呈する。たいへん喜んでくれて何より。

夕方は芋羊羹2本をみやげに友人の宅に初訪問する。機材をイジったりして遊ぶ。フォトショップというアプリの凄さをデモンストレーションしてもらう。凄い。俺は仕事で撮った写真の加工やらは編集部に丸投げなので、自分でできるように技術を磨きたいところ。

夜は担当の村上氏の宅に貢ぎ物を持参して訪問。仕事の話はそこそこに、ギターやらで遊ぶ。アナログレコードをしっかりした機材でリスニングして脳汁を出す。

実に休日らしくほっこりしたのでまったり酒呑んで寝よう。なんだか今日はみなさんの笑顔がたくさん見られたのでよく眠れそうなところ。
_08/29

 

 


昨日とうって変わり宅に1日こもり原稿やら経理じみたことやら昼寝やらと割とまったりめに過ごす。仕事が忙し過ぎないと逆に不安になるが、それはそれでやることがなき訳でもないので幸せかと思う。ハンペンと酒呑って寝よう。
_08/30

 

 


確認不足により、すでに不要となっていた資料作りに1日費やし、ことに気がつき悶絶。そんな日もある。強引に前向きに考えれば、パワポの使い方に磨きがかかって良かったじゃないか。調べ物で勉強になって良かったじゃないか、そう思うしかない。
_08/31

 

 


 

 

 

 

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