ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
誠に顕著。8月。
今日は宅のルーキーであるフェンダー製のいかついギターアンプのデビュー戦である。張り切るべし、と思うがそこは本流ではない。
今日のために、いかつすぎるセットリストのライブをやりおおして一期一会のサマー・タイムを刻み込むべく日。パラダイス・ロスト公演へ。メンバー全員で、みな様方と共にサマーを猛るのが本流。
公演を終え、全員が楽屋で「プシュー」と、いい感じの物腰。楽しかった証拠である。観てくれた方々が楽しかったら幸いこの上ないという所感。
打ち上げは、恒例となっているのか否か知らんが、もはや俺の宅がセーブ・ポイントと認識されているのかはやはり知らんが、メンバー様全員が俺の宅へ集結。これが楽しくて好き。
それっぽい“打ち上げ”な話題はもちろんだが、なんだかみなさんでお菓子や、アルコールや、茶、色々と、それぞれの趣向のコントラストが明瞭になるあたりがいい感じと思いつつほっこり座談会。わちゃわちゃと過ごし――早朝、みなさまは帰宅。
なんだかさみしいなとか思いつつ、よしお氏がくれた僥倖の誕生日プレゼント・酒をながめながらホリ氏がくれた酒をすすって朝日をながめる早朝。「俺あたり、明日死ぬのかな」というくらい楽しかった8月一日。
08/01
今日も死なずに過ごせたと人生をありがたむ。本日はお休みである。昼に起床し、洗濯をして、たまご豆腐スープを食って、さらに寝る。徹底的に休む。
起きてメールチェックや帳簿付けくらいはして冷やしラーメンを買ってきて食ってまた寝る。けしからんほど休む。それくらい、いい意味で疲れが蓄積しているのを体感しているので徹底的なくらいが望ましい。
そんな感じでゆっくりと溶けるように過ぎていった昨日と真逆のような夏の1日。
_08/02
1日休むと覇気も漲るもので終日制作をする。途中、この間の興行の衣装の上着を楽屋に忘れて帰ったので隣街へ回収に行く。その件以外の時間は眼を血走らせながらギターを弾いてはDAWを走らせる。
遅れ気味で申し訳ないという気持ちでいっぱいだった依頼案件を仕上げ、送る。そういったわけでいつもより深夜、下手をすればそろそろ界隈はチュンチュンと鳴り、空はテカテカと照るであろう。
こう、酒を直接点滴のように流し込みながら寝たい気持ちだが、その経路でアルコールを2合とか注入すると確実に死ねるのでちゃんと呑んで寝よう。
_08/03
朝方に寝て昼前に起きる。不要不急の短時間睡眠だが1日が長く生きられるなとか呟きつつ、ミョウガ入りおろし冷やし蕎麦をこしらえてすすりまくる。ひゃっこくておいしい。
机に向かい、戻ってきた原稿をひとつ確認して提出したところで「案件」フォルダが見事にカラになる。ひさびさの滞留案件ゼロ。
なんかもう定期的にあるし慄きもしなくなってきたというか最近いそいそしていたから丁度よいと、俺は前向きに考えた。そういったわけで自由時間としようと思い京浜東北線に乗って北上すること6分。西川口へ。
ちょいちょい「顔を出しにおいでよ」という叔父からの入電もあることだしと思っていたこの頃なので、彼が経営する『純喫茶アルマンド』へ赴く。
1年ぶりくらいに行ったその昭和レトロ的喫茶店のマスターである叔父はたいへん元気そうであった。なんだか会うたびに顔のツヤのクオリティが向上している気がする。
カウンターに着席すると「モカ」のストレート珈琲を出してくれたので遠慮なく頂く。上品な酸味とディープな琥珀色、やさしい口当たりと高熱のコントラストは至高の一言。
「叔父さんこれはとても美味いやつですね」
「そうか。わかるかい…そうかそうか」
「ええ。叔父さんの血か、俺は珈琲にはうるさいのです」
「うんうん。言うねえ」
「お母さんがこういう味好きでした」
「そうかい。そういうことを言ってあげられる前にねえ…」
「そうですなあ…」
とか話をしつつ、店内の一角にある音楽サロンブースの鍵盤で叔父の唄の伴奏を要求され、楽譜を見つめて弾く。
叔父はドイツ語で声高らかに唄い、3テイクほど歌唱し、至極ご満悦の様子。叔父は、どうやら俺が音楽をやり続けられていることが嬉しいらしい。
そして、常連の方々とも色々とお話をさせて頂きつつ、令和か昭和か判断がつかなくなるほどに時が止まったような時間を経て、そろそろ帰ることに。
もし俺が、80歳前後の年齢で、自分の店に甥っ子が顔を出してきてなんやかんやと和やかに過ごした時の所感。それは、アラフォーの俺にとっては想像もつかない領域。血の繋がりというのはやはり換えのきかない想いを生むのだろうか。
いまだにそのへんは人並み以下の理解度なのだが、一緒に過ごしていると、やはり俺と叔父はかなり根深い部分で血が繋がっているとほっこり再認識した幸福な1日。
_08/04
昨夜、受注が2つあったので「案件」フォルダからっぽ日は1日未満で終了。よかったよかったと胸をなでおろしつつ原稿を書く。
滞留、進行中の案件はないので当然捗りササと1つ提出。あとの時間は制作をする。甚平を着てアコースティックギターを4トラックほど録音する。
世間では感染者数爆発という、いよいよ『彼岸島』を彷彿とさせるような恐ろしさすら感じる。とはいえ外食の味に飢えているので街にくりだし、中華屋で餃子に酢をバカみたいにまぶしながら天津飯と共にもりもり食う。
帰路、いつものように呼び込みやガールズバーの娘たちがシノギに精を出す光景を横目にササと歩く。日常なんだか非日常なんだかいよいよわからなくなってきた。そういった所感の通常運転の1日。
_08/05
朝10時に署に出頭する。「ああ、夏の娑婆の朝日は眩しいものだ」「まだ、少々、酒が残っているな……」などと、しみじみ思いつつ徒歩で向かう。
別に下手をこいて任意出頭に行くわけではなく、先月の事件解決に関わった流れで、表彰式の席を設けてくれるというので赤羽消防署へ褒められに行くのである。
ロビーへ行くと、連絡をくれた「隊長」が笑顔でお出迎え。
「お待ちしておりました平吉さま!」
「は! 恐縮です!」
署の2階、なんだかたいそうな雰囲気の部屋に案内される。仕事柄なんとなくわかるのだが、この部屋は取材や記者会見をおこなう用のスペースであろう。
すでにもう2名、先日、共に対応した方々がちょこんと座っている。ギリで到着したバツの悪さがなくもないが、褒められに来たので無駄に堂々とする。
そして、思いのほかちゃんとした場だったので「もうちょいでアロハシャツで来るところだった。危ねえ」と、今日の手前の服装の選択を省みる。細い黒ズボンと襟が高めの長袖白シャツのコーディネート。いわゆるエレカシ宮本さんスタイルで来たから全くもって問題なかろうと。
そして、満面の笑みで出迎えてくださった「署長」からの挨拶や説明を経て、一同は感謝状なるものを手渡された。手書きの丁寧な筆跡の表彰状のような立派な紙を厳かに頂くのは卒業式以来だろうか。
署長はフォーマルな口調で感謝状を読み上げた。
「感謝状――あなたは令和三年七月二十日、北区赤羽XX丁目XXXX路上で発生した救急事象において心肺停止状態に陥った傷病者に対し、積極的な容態観察及び通報を行い、救命処置に繋げたその功績、誠に顕著であります。ここに深く感謝の意を表します。令和三年八月六日――ありがとうございました」
「は! ありがとうございます…!(誠に顕著?)」
俺は笑顔で感謝状を賜り、隊長に記念写真を撮影してもらう。
「この写真と今回の件を署のホームページに載せたいと思うのですが、お顔が写るなど、不都合はございませんか!?」
「いえいえ。そりゃもう是非」
一同みな賛同。厳かな授与式みたいなやつが終わると「署長室」に案内され、プーアル茶っぽい味の飲み物を頂きながら何故か我々3名と署長と隊長のトークの場となる。
印象的だったのは、マスク越しでもわかる署長の喜び溢れる表情である。なんでも、こういった感じのやつは年に1、2回とのこと。そして、今回の件のような場合、通報や処置が遅れるケースの方が断然多いという。
署長はとにかく優しいオーラを放ちながら我々に言う。「とにかく、本当にありがとうございました」と。
我々3名とも恐縮しているのか、どうもトークが弾まない。俺はこういった空気が苦手である。だから、きさくに話題を振った。
「署長、こちらこそありがとうございます。そういえばいつだったか、こういった感謝状について知人に聞いたのですが」
「はい、なんでしょう?」
「なんでも、たとえば、僕が悪さをして法的に裁かれる場合が、仮にですよ? しませんよ? まあ、あると想定するじゃないですか?」
「うん? うん、ええ」
「その時にこの感謝状を出すと罪が若干軽くなったりならなかったり、したりしなかったりするとかしないとか、ええ、まあ、そのような話を聞きまして」
「ははは。まあ、判断されるのは裁判官でしょうからね。ははは」
否定はされなかった。そして、そう仰る署長の雰囲気から察するに、答えとしては「Yes」っぽい。実際のところは謎。
これはいいものを貰ったと思い、なんのついでだかちょっとわからなかったが、消防署の最新の機動システムや消防車各種などの見学をさせて頂き、一同まあまあはしゃぐ。
そういった感じで、生涯にあるかないか、という体験は小一時間でお開きとなり、日用品の買い物をして帰る。
事件当日、俺は本当に、通報してしばらく容態や処置状況を実況しただけの役割だったこともあり、「いいことしたな」とも別に思わなかった。しかし、今日の催しは、かなりの待遇であった。
そこで俺は思った。こういった感謝状やらの類のものには「役割」というのがあるのだなと。それは、形として残すことで、儀式的なことをおこなうことによって、当人に、その行為がどういったものであるかを認識および実感してもらうものなのかもしれないと。
確かに、感謝状をもらって署長や隊長に褒められて初めて、「ああ、あれは善行だったのか」と、やっと実感した。
こう、今回の件で俺の過去の悪事が清算されんものかとも思ったが、心境的にそうさせてくれる気がするという思考にもなる。そういった、なかなか嬉しかったレアな1日。
とはいえ、裁判官にこの感謝状をおもむろにアピールして罪を軽くしてもらうよう懇願するような日が来ないことを祈る。本流で生きて、また記者会見の部屋みたいな場所で「誠に顕著」とか言われたい。
_08/06
3日ぶりくらいにしっかり9時間は寝るもまだ眠い。空気は蒸し、さらに眠さを誘う天候。先日頂いた2つの受注、これらはサササと提出したので再び「案件」フォルダは空に。要は暇であった。
じゃあと思い、前から気になっていた近所の美容室のとあるサービスのひとつ、名は失念したが、頭皮の汚れをスカッと綺麗にしてくれるらしい3,900円のメニューを体験しようと赴く。
しかし、コロナの影響で「当面は予約のみ」とのことであった。予約制にすることによって感染症拡大防止にどういった影響があるのかまこと謎。
わけわからんと思い、予約もしなければ「もういいや」という気になり適当に散歩してバカみたいにニンニクが盛られた牛丼を食べて帰宅。めちゃめちゃおいしかった。
夜は手前の楽曲制作をする。ムキになって録音をすることストレートに4時間半。厠に行くのも我慢しながらただひたすらDAWに向かう。どうかしてるなとも思うが、いい感じに録れたので手打ち。
今日は頭皮を綺麗にして抜け毛予防、すなわちハゲんようにケアしたかったが叶わなかったのが心残り。適当に頭を揉んで寝よう。3,900円得したと前向きに考えながらひたすら揉もう。
_08/07
近所のSEIYUに行く途中、横断報道でビール500ml缶を2本ゴロゴロと転がし、サッサと拾わないものだから轢き殺されそうになっている老人がいた。
俺は、「もう轢かれてしまえ」とか思いつつ一応ビール缶を拾ってやった。特に何も言わず、ただ渡し、手前のメシの物色に店内へ。
5分後くらい、ホカホカに温めたカキフライ弁当を持っての帰宅途中、さきほどの老人が今度はチャリンコごとひっくり返って道端でうなだれていた。
俺は、「ダメだ、こいつは全然ダメだ」とか思いつつ、声をかけた。「またビール転がしてますね。いけますか?」と。
「ああ、さっきの。へっへへへ……重くてもう…」
チャリのカゴ内にはビール缶が10本あまり。転がった缶がもう数缶、そして酒のボトルが箱入りで1つ。そしてパック寿司がひとつ。これは老人でなくとも重かろうという荷物の量であった。
「お父さん、これは重いですよ。怪我はないですか?」
「へっへへへ……脚がこう……」
俺は、「ダメだ、こいつは本格的にダメだ。さらに、たぶん呑んでやがる」とか思いつつ目的先を聞くと俺の宅とわりと近所だったからチャリを押して送ってやることにした。
「お父さん、一緒に行きましょうか?」
「すいませんね。もうワクチンを2回打ったから大丈夫かなって思ったんだけど。へへへ」
お前がコケるのとワクチン接種の因果関係は皆無だとか思いながら、老人の口頭ナビで宅まで向かう。
「いやあ、もう5,000人でしょ? 若者はワクチン打てないのかね? 政府がやってることはフガフガ……」
俺は、「ダメだ、相当呑んでやがる状態でこの量の酒と食料をチャリに乗せて帰るなど暴挙。相当酒が回ってやがる」とか思いつつも、一応歳上の人間なので丁寧な口調で雑談に応じながら道中を歩く。俺が牽いてもけっこう重かった。
「ええ、そうですね。感染者数ですよね? わかります。怖いですよね。ところでお父さん、けっこう呑まれました?」
「いやあ、アル中なんですよ私は。そこ左です」
「信号を渡って左折ですね。アル中ですか」
「そう。今日もこの泡盛をね。うまいのかねこれ?」
「はあ。なかなか力のある味がして僕はおいしいかと」
「もう80歳だからね。アル中でね」
「へええ。アル中ですか。僕からしたら頼もしいです。そのお歳でガンガン呑まれるわけですから」
「そこの道を入って……いやあ、女房に怒られちゃうな」
「なるほど。じゃあ、一人で帰ってきたことにしといてください。男はメンツが大事ですからね。コケて通行人にどうこうとか言わないでしれっと帰るのです」
「いやあ悪いね」
「パック寿司、中身メチャクチャになってますけどそれは落としたということにしといて」
「ああ! 寿司!」
「これはしょうがないです。じゃあ、今度会った時、僕に酒をいっぱい奢ってください」
「うん。ありがとう。お礼しなきゃね。ヒック。お名前は?」
「阿部寛と申します」
「ありがとうね。阿部さん」
「では」
そういったわけで俺はホカホカのカキフライ弁当の鮮度を犠牲にしてまでアル中を救ったような類のわけのわからない気分をひっさげ帰宅。とはいえ、カキフライ弁当は冷めても美味しかったので手打ち。
「先日助けて頂いたアル中です」と、後日みちがえるほど立派な格好で訪問し、ツル的な恩返しを期待したところで、そういった事象はまず起きないことを、俺は経験則から知っている。
とりあえず、80歳になっても、あんなにポンコツな立ち回りをみせても、アル中と謳うくらい、人間は元気に酒を呑み続けて生きていられるのだなと、ある種の勇気をもらったからそこは本当によかったなと思う。たまには泡盛とパック寿司のマリアージュでも愉しんでから寝ようか。
_08/08
台風がうろつく濡れた強風のキモい空気の一日。
開業届を役所に出し、2年は過ぎた。振り返ると、「これはキャパオーバーだ」という時期もあれば、「詰んだ」と天井を見上げるほど暇な時期もあった。
そのような時期を何度か体験するうちに、閑散とした期間は永続的な収益につながるコンテンツ制作に精を出すことがサスティナブルな暮らしを形成することに有効だということがわかってきた。数字的にも、じわじわではあるが、それを冷静に物語っている。
そういったわけで本日は案件もないことだし、ウェブサイト更新や録音をしたりDAWを操作したりと、ストック収益に直結する作業に勤しむ。そうなってほしいのだが、案件がもっさり受注するという状況になった場合のために備える。
一人でほぼ押し黙り、誰とも会わずにコンテンツ制作をずっとやるという時期。これはこの2年ちょいで何度かあった。確か最長で5日続きくらいだった気がする。これがつらいような有益なような「やっといてよかった」的な、要は手前の業態上、必要な時期だと認識している。
とはいえ、やはり今は夏である。はしゃぎたい季節である。仲間とのBBQ案はどうなったのか、レンタカーを借りてひとり旅したい欲はどうするか、プールや山や海へ行って夏を満喫するのもいい。とりあえずみんなと外で景気よくホッピーなどを呑み散らかして騒ぎたい。
しかしこれらは全て「コロナ禍」という状況のみでやりづらい。じゃあ、今日のような過ごし方はむしろ正解であろうと信じることにする。
今年も昨年のように静かな夏となりそうだが、8月初旬に夏全開の公演に参加させて頂き、あれだけでも相当夏を感じたのでよかったなとしみじみ思う。なぜか年々増す夏らしい過ごし方への希求。
_08/09
今日あたりからの気候を世間では残暑と呼ぶらしい。ああ、夏本番はもう終わってしまったのかと、地面にコロリと転がる蝉の死体を見つけては湧き出るサマーイベントをもっと楽しみたかったという嘆きの思い。
どうせ言うだけで海も山もプールも行かねえだろうもと、手前の夏の行動パターンを振り返りつつ今日は昨日とほぼ同じようなタイム感で過ごす。サイト更新したり制作したり、という引きこもり気味の暮らしである。
特筆した刺激もなく、平穏な夏の日々、というのも悪くないなということにしておき、昨日も一昨日も、最近はほぼ毎日夜中みかける近所の安定の茶トラでもモフッてから酒でも買いに行こう。
夏らしい酒とはなんだろう。やはりビールであろうか。されど、ハイネケンとギネスビールの無敵のコンビで夏の夜を静かに過ごそう。ギネスビールは缶より瓶の方が圧倒的に美味しい。
_08/10
昨夜はほぼ熱湯の湯船に浸かって息を止め、その直後に水シャワーを浴びるという荒業を2セット。サウナで言うところのととのった状態を得たのでぐっすり眠れる。
そういったわけで爽やかに起床。とはいえ、特別なことがある日ではなく、やはり昨日と等しく宅で一人作業。
変わったことがあったかといえば、楽曲が1つ完成までいったことくらいだろうか。都合8時間はMIX作業をしていた。MIX作業とは、ギターやドラムなど、バラバラの各パートの音色や音量のバランス等を整えて機材のメーターとかを見つめたりする工程である。
俺はこのMIXにえらい時間がかかる。というのはもう過去のことである。なにしろ最近はやたらといかつい機材が各種あるので、「録り音」と呼ばれる「録音したままの音」の時点でかなり質のよいサウンドが得られるからである。
「音の良さ(クオリティ)は金で買える」という名言を放ったのはどの知人だったろうか、確かに一理ある。そして、良い音で録音できれば、そのぶんMIXの時間もコンパクトになるので合理的。たとえるなら、すっぴんの状態で美人なのだから、やたら化粧をする必要がない、という感じだろうか。
仮に、20代あたりの俺に何かアドバイスができるとしたら、胸ぐらを掴んでおもむろに頬を2、3往復ビンタしながらこう言うだろう。「パチスロに使う金があるならちゃんとした機材を買ってくれ。頼むから」と。
まあそんな時期もあったなと、人生のあらゆる時期の発達課題は人それぞれなのかもしれんなとか思いながら、結果、いまこうして満足のいく音像をこしらえられるようになったからよしとする。
今日もギネスビールでも呑んで寝くさろう。息止め熱湯浸りおよび水シャワーの荒業はキツいから今日はやめとこう。
_08/11
明日あたりから世間は盆休み期間だろうか、今日とて宅でひっそりと暮らす。これはもしかしたら盆明けあたりまで案件がこないということが予想される。
じゃあ制作やらを、というのがここ2年のルーティーンだが、もう一捻りあってもいいかなとか考えつつ街を散歩する。とんかつ定食をばりばりと食う。酒屋に通りかかり、アルコール度数高めのおいしい輸入ビールを数本買い溜めておこうと思ったが、あれらは1本500円くらいするのでコスパよくねえなと寸止め。
結局、帰宅したところで、今の時期は制作コンテンツやらのストックを溜めておくことがやはり有意義な時期と判断。昨日出来た楽曲は速攻で公開したのでストックがカラである。そういったわけで、ずっと楽器をイジって過ごす。
むしろ開き直って盆休みということにして週明けくらいまで輸入ビールでも呑み散らかしながら休んでいようかとも思ったが、なんかそれは罪悪感があるというかあまりスッキリしなさそうなのでこれも寸止め。
このあいだ買って呑んだ「モルトガット・デュベル」という、アルコール度数8.5%くらいのベルギービールがめちゃめちゃ美味しかったのが忘れられん。案件がいっぱいきてやりおおしたり、制作物がたんと出来上がった暁の楽しみにとっておこう。それくらい、本気で美味かったDuvel、モルトガット・デュベルという500円くらいのビール。
ちょっと調べたらこいつは“世界一魔性を秘めたビール”という異名を持つらしい。全くもって誇張のない表現である。
_08/12
急にエアコンを入れる必要がないくらい涼しくなる。過ごしやすくて気持ちいいのだが、なぜか逆に調子を崩す。お腹は痛く覇気もない。
とはいえ何かせんと、とか思い予定していたことをする。事務作業などをしつつ、ネットニュースを見ては何だか妙な気分になる。
DAWを起動させる腰も重く、ようやく作業をするもなかなか捗らず。グルーヴが要の楽曲を作りたいのだが、まるでベースが躍らない。メモ的なトラックだけしか作れなかった。
そういう日もあるなと、しんみりした心境になる。しとしとと、しつこく街を濡らす雨がそういった気持ちをさらにブーストさせる。
三日も四日も人とまともに喋らず過ごしていたらそれはそうもなるだろうと、そうであろうと思わしき原因を明らかにさせ、下手な後ろ向きな気分には屈せず静かに眠ろう。みんなでわんぱくにBBQに行くハッピーな夢でも見よう。
_08/13
今日とてサイト更新に制作と地味に過ごす。昨日行き詰まっていた制作が進んだのでいくぶん気分は晴れやかである。体調も、昨日のは何だったんだというくらい良好。
昨日今日と不思議な夢を見る。俺の父方の先祖っぽい男性が出演し、映像付きで、自身の生業の発端から成功までの道のりをドヤ顏で説明される夢はなんだか意味深であった。
お盆だからなのか、天候がトリッキーだからなのか、情緒不安定なのか、正常なのか、よくわからんがとりあえずめしが美味しいから幸せである。半額タイムセールとはいえ、チャーハンとエビチリの2パックで354円はまこと素晴らしい。
ほのぼのした漫画でも読みつつ、冷蔵庫に寝てる赤ワインでも呑んで平和に寝よう。
_08/14
実に不思議だなというくらい、お盆起因なのか、死んだ親族が夢に出てくる。昨夜は母親と飼い猫であった。
内容は、知らぬ間に母親に部屋を掃除され、「いや、ベッドの下とかそのへんは本当にいいから」などと、さもエロコンテンツを隠していることを示唆するような断り文句を冷静を装い伝えるというこのリアリティ。
本当に盆ということで、俺のほうに帰ってきたと想定した場合、母親は何を伝えたかったのかさっぱりわからないが、なんだか悪い気はしなかった。
一方、出てきた飼い猫はというと、幼少期から思春期、そして青年期と永きに渡ってとても可愛がっていた印象深い猫である。
実家にいる時期はずっと多頭飼いをしていたのだが、昨夜出演した猫は、「近隣最強のボス猫」という表現がぴったりな相当キャラ立った奴であった。何を伝えに夢に出てきたのかは全くもってわからないが、やはり悪い気はしないというか嬉しかった。
わりと明瞭な夢をいくつかみたということは眠りが浅い証拠なのだが、起きるとたいへんさわやかな気分で体調がやけによろしい。シンプルに、家族の力を注いでもらったと解釈するべきであろうと思われるのでそうする。
盆にゆかりのある死者が夢に出てくるという言い伝えのような事象。俺に鋭利なスピリチュアルなアンテナがあるのか、実は霊感があるのか、自覚する限りはそうでもねえなという感じだが、なんかそういうのは現にというかフワッとしたところでやはりあるのだろうと、ただ感じる。
これはいよいよ墓参りでも行かなければという気になってきた。少なくとも、2年以上は行っていない。
母親が好きだった綺麗な花と、たまに呑んではすぐ顔を赤くしていた「ウメッシュ」と、いつの間にか吸い始め、「お母さんは急にグレてしまったのかな」と、子供心なりに感じさせた煙草「キャスター・マイルド」。このあたりを供え物として持って墓地に行こうか。
ほぼ確で、俺以外の親族は墓に行っていないだろう。しばらく墓とは疎遠だったが、父親方の先祖も母親も歴代の飼い猫もさみしがっているのだったら、という気になる夢が続く。
思わぬ方面で夏を、お盆を、季節をほっこりと実感させてくれる8月のど真ん中。
_08/15
盆やら先祖も大事だが仕事もだよなとか思う昨日今日。案件を頂いたので今日ひとつ、昨日も依頼案件をひとつ、そして明日の案件も頂く。
生きているうちは仕事とかしつつ、それなりに漢の野心を持って激しく過ごしたいよなとか、今生は一度きりだななどと改めて思う。
そんな情念が生まれるのも生きていられるからだよなと、その源流は親だよなと、先祖だよなと、そう考えると、夢にも連日出演してきたことだし、明後日あたりは墓参りに行く予定とした。
現世とあの世のバランス。こういったものも大事なのかなとかスピりつつ、当日はレンタカーでも借りて小旅行気分も味わおうと思うと、ちょっとした夏休みも味わえるしほっこりだぜと鼓舞。
そういう時は、ちゃんと休んでちょっと贅沢もしようかなと、コスパのよろしくない外国産の美味しいビールでも夜に愉しもうかなと計画する。
なんと小規模なバカンスなのだろう。それはそれで、現状にフィットしているから適正なりとも思う。明後日はおやすみというたいへんわかりやすいたのしみ。なお、雨天中止とする。
_08/16
昼イチにリモート案件がひとつ。めしは塩レモン焼きそばだか何だかという斬新すぎるカップ麺をすすり、コーヒーを2杯ぶん淹れてちょびちょび飲みながらウェブサイト更新をする。
夕方はわりとサボりYouTubeやらをダラダラ観る。そのうち内閣総理大臣の記者会見が始まったのでノーカットで観ようとソファに座って正視。
しかしあまりにも抑揚のない喋り方が起因なのか、疲れなのか、総理の仰る内容があんま入ってこず、何が言いたいのかよくわからねえなとか思っているうちに、寝る。
いかんと思い起きた後は制作をする。着手中の楽曲のありとあらゆるベースラインを考え、これじゃない、いやこうかと練ること数時間。やっと「これだ」というのがひねり出たのでワーイとか思っていたら26時。深夜帯特有の過集中。
どっと疲労が押し寄せてきたので酒買ってきてほどほど呑み散らかして寝よう。明日は晴れれば1日バカンスという条件付きの休日予定である。雨天の場合はベースの本録りからである。いずれにせよ、有意義な日を過ごしたい。
_08/17
案件もやらなければ原稿も書かず、DAWも開かなければ楽器にすら触れず。すなわち、お休みである。あらかじめ決めていた単日バカンスを決行。「案件フォルダ」は現在カラなのでいっさいの罪悪感は、ない。
雨天中止のつもりだったが、東京都北区は「晴れ」ベースに「雲」がモウモウとし、「雨」もちらほら、というわけのわからない天気。まあ三色パンみたいでいいかなと思いつつレンタカーを手配。
コンビニでキンキンに冷えた「ウメッシュ」を買い、花屋でひかえめな美しさの綺麗なお花を2本買う。「キャスター・マイルド」という煙草も買う予定だったが、既に販売終了の銘柄だったので買えず。そして近所のレンタカー屋さんからまずは足立区にある墓地へ行く。
運転は久しぶりだったが淀みなく到着し、墓参りはいつぶりだったろうかと考えながら構内を歩く。どうも手前のマスクに違和感をおぼえたので少なくともコロナ禍となってからは初。体感的には2、3年ぶりほど。
平吉家の墓を見ると、案の定、しばらく誰かが来た痕跡はなかった。いつもそうだが。
水をかけ、緑色、褐色と、カラフルに付着しているコケをタワシで洗い落として綺麗にする。俺は、「なんか、孝行的ないいことしているな感」と、「この行為に一体なんの意味があるのだろうか」というアンビバレンスな感情を抱えつつ、けっこうゴシゴシ磨いて墓を黒光りさせるまでに至った。
「ひと仕事じゃねえか」とか呟きつつ墓磨きを完了させ、花を添え、ウメッシュを置き、線香を焚き、瞑想。約20年前に死んだ母を思い浮かべ、会ったこともない親類や先祖をイメージしつつ、近況などを報告するようなニュアンスの瞑想。
「私はこうして元気であります。父は現在、兄は、そして叔父は――」というような話口調やセンテンスではなく、近況の現象や手前の感情や人生の状態を単語の羅列、散文未満くらいの思考内容で、ただただ、現世に生きる平吉家の一人としての思考を先祖にご報告したつもりである。そして、なんとなく、感謝した。
やはり「この行為に一体なんの意味があるのだろうか」という感情は否めないが、同時に「どこか、必要な行為である」という本能的な感覚も同時にあるのが不思議である。人間は、常に矛盾を抱えるわけのわからない生き物である。俺だけだろうか。
足立区から環状7号線、国道17号線と直角のルートでドライビングし、ひさしぶりの運転をまあまあ楽しむ。次の目的地は板橋区の某病院。父親の入院費の支払などが目的である。というかそれだけである。現在、病院はコロナ禍起因で基本面会謝絶となっている。
前回は夕方過ぎに行って、端的には「17時までに来て頂けると……」と、ご迷惑をおかけしてしまったのでそれを回避。とはいえ、この時点で16時過ぎである。
次は埼玉県西川口へ車を走らせる。ひさしぶりのドライブはというと、けっこうすぐ飽きてきた。それくらい昔は毎日のように車の運転をしていたのである。
とはいえ、基本的に車の運転は好きだなと、『頭文字D』みたいな車に乗って峠を攻めたりドリフトがしたいなという欲求が久々に湧いて出るが、シンプルに危ないのでもういいかなと欲は沈静。
昭和レトロなカッフェ『純喫茶アルマンド』に到着し、持参のスピーカーセットを渡す。なぜかというと、この間この店に行った時、帰りに以下のようなやりとりがあったのである。
「――ケンジくん。ニコニコ。そうそう、これをあげよう」
「なんすか? これは……封筒っていうか金っすか?」
「うん、お小遣いだよ」
「叔父さん、僕もいい歳ですよ? いやいやいやいや現金はさすがに……」
「クワッ! ケンジ君あれか! 受け取るのを断るってことはあれか! 家族の縁を切るってことかい!?」
「わかりました怒らないで! では頂きます。ウヒョー!(酒を買おう)」
という、これまたわけのわからん愛所以であろうやりとりがあったので、俺はありがたく小遣いを賜ったのである。そして、さすがに貰いっぱもアレかなと思ったので、そのお返しではないが、なんかそういった感じである。
数年前、福山雅治さんが映画のロケでこの店を訪れた後から、『純喫茶アルマンド』には音楽サロン的なアプローチが生まれ、音楽を愛する人たちが生演奏したり歌を歌ったり、という場所にもなったのである。
ギターや鍵盤、各種楽譜や歌本も揃っており、これはいいなと思っていたが、マイクを使用する時はスピーカーではなく、VOXというメーカーの小ぶりなギターアンプから出力している様子だった。俺は、じゃあ喜ばれるのではと思い、スピーカーを持参したという経緯である。
加えて、ミキサーも用意したのだが、間違えて別の専用電源を持ってきてしまったのでこいつは引っ込めた。立ち会った常連の方が「これはいいね!」と、お気に召していた様子なので、今度改めて持ってきて設置する旨を伝え、車の返却の時間的に珈琲も飲まずに帰路。
今日はなんだか「家族」にまつわることをずっとしていたなと、客観的に、俺にしては珍しいなと、手前にも家族に対する帰属意識がちょっとはあるんだなと、そのようなことを考えながら安全運転で国道122号線をかっ飛ばしつつ赤羽に帰る。
車を返却し、「餃子の王将」で夕食にする。普通に天津飯を食うわけだが、「もし、親父と一緒だったら奴は絶対これを食うだろうな」と思った「酢豚」もセットで食う。おなかいっぱいである。
散歩がてら少し離れた酒屋へ行き、小遣いでいつもなら買わないであろう価格のワインを1本買う。本線と考えていた外国産のビールはあまり玉数がなかったのでそれはまた今度の機会でいいやと手打ち。
叔父になかなかの贅沢をさせて頂いたなと、ありがたむ。とはいえセレクトしたワインは1,100円也。もし、本人が一緒にいたら「そこは思い切りいかないと!」といったディレクションが入るだろうなとか想像しながら歩いて帰る。
帰宅するとDAWを開いて制作をしたくなったが、それは本日のコンセプトと異なる。連日、宅でずっと一人でコツコツ作業をしていたことに対する、いい意味でのフックとなる1日を、休日を、という主題からブレるのはへたっぴであろう。そういったわけでソファでウネウネとくつろぐ。
たぶん、平吉家でいま一番アクティブに動けるのは俺なのだろうなと思うので、今日みたいな日があるのは良いのではと、いっさい仕事も作業もしなかった一日を振り返る。レジャーとも、バカンスとも、オフの日とも、どこか毛色の異なるほっこりとした夏の休日。
_08/18
案件を頂いたので着手する。数時間やっていたら腹もへってきたので弁当を買いに行く。
道中、いつもの茶トラをモフッていたら、よく見かける近所の妖精のような謎のとっつあんが近寄ってきて「なついてますなあ」と、挨拶してきたので「ええ。かわいいもんです」と、返して1時間くらい雑談をする。
したのだが、そのあとにメシを食ってから5時間くらい延々と、執拗にクオリティにこだわりベースの録音をしていたら、とっつぁんとの会話内容を忘れた。
とても興味深くも重要なのかもしれないような、えもいえぬ内容だった気がするが忘れた。ぜひここに書いておきたいと思っていたが断片的にしか覚えていない。なんかもったいない気がするのだが、ベースがうまく録れたからよしとする。
昨日のワインの残りでもすすって寝よう。アルコール度数14%のスペイン産の赤ワイン。アルコール度数が高いワインはだいたい美味い。
_08/19
起床したら昨夜のとっつぁんとの会話内容を克明に思い出したが、特筆してたいしたことない中身だったなとか回顧しつつ四つん這いでキッチンへ。500mlペットボトルの水をゴクゴク飲む。
日中は案件を順調に進め、ひと段落というところでストラトキャスターの弦を交換する。やはり換えたて弦のサウンドはフレッシュでいいなと、夜はツイキャスをおこなう。
「『ツイキャス』が正式名称に」というニュースをネットでみかけたが、前はなんだったんだろうかと記憶を遡るが出てこず。まあいいやと思い1時間ほど配信をする。観てくれる方々には本当に感謝の意を禁じ得ない。
23時ちょい。手前のいつもの活動時間的にまだちょっとなんかできるなと、DAWを開く。ビートとベースとアコギを1本、がっちりと作った土台にメインメロディでも入れようと考えるが悶絶。なぜこんなに複雑なコード進行にしたのかと悶絶。スティーヴィー・ワンダーさんを意識するとだいたいいつもこうなる。
しかし経験則から、悶絶するほどいい感じの楽曲ができるという傾向があるので手前に鞭をペチッと打ち付け、なんとか「これは」という感じのワンフレーズをひねり出しメモって今日は作業を締める。
やはり夏っぽいことをしていないなとも思うこの頃だが、しようがしまいが時期は容赦無く過ぎていく。
せめて今日は夏らしくキンキンに冷えたビールでも注ぎ込もう。最近ドハマり中のギネスビールをゆっくり飲んで溶けよう。イカの塩辛とたいへんよく合う肴のコスパがいいお酒。
_08/20
机で案件をやりつつ時間は経ち夕方。夜、案件を「先方確認待ち」の状態まで完了させて提出し、DAWを開いて着手中の楽曲のビートをかなり細かく整える。
シノギ的な面で言うとそういった過ごし方の一日。飛び入り的な用もあったが、それはそれは実に楽しく過ごしていた。
それにしても昨日からやっているフジロック・フェスティバルがいい意味で気になる。なんとなく、昨日は改めて1997年のフジロック初回公演を振り返っていた。
今や伝説として語り継がれているその公演は、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンにレッド・ホット・チリ・ペッパーズにエイフェックス・ツインなどの、悶絶級のメンツが一堂に介したという、今考えると驚異的ラインナップ。参戦はしていないが、想像しただけでも凄まじい光景が目に浮かぶようである。
エイフェックス・ツインは10年ちょい前に「サマー・ソニック」で観戦し、漏らしそうになるくらい感動したという宝物のような体験がある。その日はナイン・インチ・ネイルズも観られたこともあり、厳密にはちょっと漏らした。
そういった、一生物の思い出を味わえる夏フェスの体験というのはまこと貴重だと思っている。時が過ぎ、80歳になった俺は、その時に、もし、仮に、孫がいたとしたら、手前の体験をその子に語り継ぐだろう。
「坊や、わしはな、2005年から2010年あたりの『夏フェス』によく行っては、エイフェックス・ツインもナインインチもDJシャドウもスティーヴィー・ワンダーもマッシブ・アタックもコールド・プレイも観たのじゃよ」
「まじで! すげえ! スティーヴィーって音楽の教科書に載ってる人じゃん!」
「ああ、今はそうなのかい。エイフェックス・ツインのライブは爆音で、皆たいそう盛り上がっているのにどこか静かな空気を発していてな、あれは平成の神秘体験じゃった」
「すげえ! 意味わからねえ! 平成っていつよ!?」
「もうおじいちゃんは当時な、漏らしてしまってな」
「すげえ! 漏れんだ!」
「うんうん。比喩じゃよ。そうだ、お前にこの『リチャード・D.ジェイムス・アルバム』を授けよう」
「すげえ! 64年前のCDなんだ!」
「聴いてみな。漏らすぞ」
「すげえ!」
そのような前置きを経て、かわいい孫と一緒に夏フェスへ行き、その時代で「観たら漏らす」という憧れの海外アーティストを一緒に観ては、かけがえのない楽しく美しい思い出を作りたいものである。
「漏らす」という比喩は、ほとばしる熱いパトスが無制限にダダ漏れになるという最大級の感動を表すことであることを、孫に体験として知ってもらいたいものである。なお、全くもって一般的な表現ではないと思われる。
_08/21
このあいだ、足立くんと宅で遊んでいた時に手前がハゲてきていないかチェックしてもらった。加齢と共に髪が薄くなってくるのはむしろ自然なことなのであるが、俺は率直に未来永劫ハゲたくないのである。
「頭頂部、どうかな?」
「いや、全然大丈夫だから」
「その、忌憚のない意見を聞きたいのだよ。どうかな?」
「だからアンタは大丈夫だから。それよりも後ろのほうにわりと白髪があるな」
「まじか」
毛量は十分とのこと。しかし、手前では見えていない頭頂部から後頭部あたりにわりと白髪があるもよう。切ない。
以前、赤羽一番街付近で「白髪を抜く店」たる、よくそれで商売が成り立つなという店舗を見かけた。この際白髪を根こそぎ抜いてもらおうかとも検討したが、毛量的にもったいないからやめておくことに。
ああ、こうして、少しずつ、細部から老化は進んでいき、体力も衰え、気力も覇気もしょぼんと低下していき、下半身はだんだんシーンとしてきて、ゆっくりと老年期を迎えるのだろうかと、そのように想像すると、今、エネルギッシュにやれるうちは華だなと、日々のタスクを頑張る。
しかし、俺が青年期に想像していた40歳前後というのは、腹は出てくるはハゲてくるわ顔はくたびれてくるわ新しいことへの意欲はなくなるわ何か臭いわ、という風に捉えていたのだが、実際なってみるとそうでもない気がする。
ということは、案外50代になっても元気に頭を振って楽器やらを鳴らして発狂じみたテンションをたまに出しているのかもしれないと、リアルに想像することもできる。
加齢というのはまこと自然なことである。白髪が増えたなど、それを実感することは、むしろ生きているという証明であろう。
「人は必ず死ぬ」という残酷かつ自然な命題。老いはその過程である。確実に死に向かうという万人平等な宿命。
しかしながら白髪くらいでそこまで考えるのはちとおおげさ。そんなに気になるなら染めればよい。いよいよ金髪デビューの日が来るのだろうか。
_08/22
ああ、また案件が枯れたなと、目を細めながらウェブサイトの更新などをする。数時間作業し、メシを求めて街へ。
リーズナブルにとんかつが食える店に入ったら警察官がお客さんに何かしらを聴取中。揉め事か、物騒だな、みんなストレスでイライラしているのかな、とか一応感じつつも、さほどソソらなかったので目の前のとんかつ定食に集中。部活帰りの中学生くらいのスピードでモリモリ食う。
その足で久しぶりにブックオフへなだれこむ。漫画ではないコーナーを物色し、『影響力の武器』という、探していた本が売っていたので即決。
この本は、1年半くらい前に、仕事で先方と本の話をしていた時にレコメンドされた名著らしき本。その20代前半の方は、大学で心理学を学んでいたとのことなので、「じゃあ読みます」と言いつつもずっと出会えなかった本である。赤羽図書館にもなかったから諦めていたのである。
しかしついに見つけたのですぐさま脇にかかえ、それ系の本を計3冊購入し、帰宅してソファでさっそく読む。本というやつは、出会うタイミングによっては名作にも凡作にもなりうると、とある漫画に書いてあり、それはとても感銘を受けるセリフであった。『影響力の武器』は、どうだろうか。
読み進めると、とても面白くも普遍的な内容という印象。そして、「これは、20代の頃に読んでおくべきだった」と、率直に感じた。今読んでも差し支えはないが、たぶん若い頃に読んだ方がグオォという感動は大きかっただろうという所感。
そんな感じでぬるりと過ごし、夜はいつものようにDAWを開いてせっせとギターを弾く。案件がない時は制作やらの作業にお勉強に読書、というのもいいじゃないかと思う反面、もっとアグレッシブに営業して仕事して現金でもかき集めろという自己批判も混じる。
どういった過ごし方が正解なのか、それは、先にならないと誰にもわからないという持論がある。1年前の夏前後の時期にやっていたことを振り返ると、現在においてよいフィードバックをもたらしている。
「俺は今、何をやっているのだろう。こんなことをしている場合か」という類の罪悪感を感じるか否か、そして、「今はこれをやるべきである」という感覚を信じきれるかというライン。
意外と、読書やお勉強やウェブサイト更新、制作など、ただちにギャランティがドスンと入るカラーのタスクではないことをして過ごす時期が続いても、「今はこれをやるべきである」と、胸を張って言えるくらいの心境の時は、まあいけるだろうと信じてやまない。
俺は人生ナメくさっている病的楽観主義者なのか、それともほどほどのポジティブ思考を持った健やかな精神の持ち主なのか、メンヘラをこじらせて3周くらいしてパーソナリティ自体が破損したのか、どれが正解なのか、わからないが、とりあえず今日も健やかな気持ちで過ごしていた。
なお、『影響力の武器』はまだ半分も読んでいない。名作が名作となりうるか。出会うべきタイミングだったのか、人生のあらゆる時期で何をして何と出会って何がどうなるか、タイミングで決まることもある。「その時期に何をするか」ということ自体の重要さという難しいことを考えがちな一日。
_08/23
蝉もすっかりおとなしくなり、鈴虫のコロコロとした鳴き声が秋を呼ぶ。あっという間に8月も下旬じゃねえかと過ぎ行く夏を惜しみつつ宅で作業。
喋る相手がいないから人恋しいような、そういった感覚もすっかり麻痺してきた昨今、ああだこうだ呟きながらサイト更新や制作をおこなう。ムキになって作業するうちに夜メシを飛ばす。今日は宅製冷やしおろし蕎麦しか口にしていない。
エンゲル係数が下がるからいいかとも家計を考慮するがさすがに腹がペコペコなので酒と肴で補完しようと目論む。体には、よくない。そのようにちいさな自問自答を繰り返し、今日も過ぎていく。
今夜はタコのスライスにオリーブオイルと塩をチョンとつけて食うカッコつけ肴にしようか。こうしてまたエンゲル係数が上がっていく。
_08/24
ネットニュースの閲覧とメールチェックは1回のみ、SNSはいっさい見ず、という制限をもうけた場合、仕事やらは捗るのかという実験をした。
結果、捗る。そして、単純に、時間がいつもより多く使えた。ああ、俺はなんとなしにインターネットに接続するだけで、わりとどうでもいいかもしれな時間を費やしていたのかもしれんと省みた。
とはいえ娯楽もほしいので合間にYouTubeを観る。ここでも今日は「動画一本しか観ない」という制限をもうけた。これは悩んだ。いつものようにラファエルさんのやつを観るか、ひろゆきさんの切り抜きチャンネルの気になるやつを観るか、凶暴な飼いネコの日常を収めたほっこりしたやつを観るか。
この時点でもう時間がもったいないと思ったので、おすすめに出てきた適当なやつでいいやと思い、「外国人が志村けんさんのコントを見て評価する」という内容の動画を観てけっこう笑って気が済んだ。
そういったわけでなにかと捗った一日だが、それはそれで疲れもしたので一概にネット閲覧やSNSの使用を制限するのがよき、というわけでもないという結論に至る。
「テレビをいっさい観ない」という人は年々増えており、手前もそのクチだが「インターネットにいっさい接続しない」という人はほぼいないだろう。これを試したいのだが、ナチュラルに村八分となりそうで即棄却。
_08/25
なんか5日くらいまともに人と会って喋ってねえなとか思いつつ「ケー」と発声すると「A=ラ」くらいの高音が出て「まだ大丈夫だな」などと謎基準の判断をしつつ机へ。ライター案件をひとつやる。
コンビニへ行って適当に漫画雑誌を立ち読み、なぜか「しらすおにぎり」だけが20%オフだったので訝しみつつも一つ買ってきてキムチと一緒にたいらげる。そしてこのあいだ買ってきた本を読み進める。
この、どこか「答え合わせ感」がある感触が、やはり20代の頃に読むべきだったなという所感にさせる『影響力の武器』という著書。そうはいっても学術的な感じがすごいので読んでるだけで賢くなってくるようなフィーリングはなかなか気持ちがよい。
それからYouTubeで志村けんさんの昔のTV番組のコントを観つつ、「マーシーと志村さんの組み合わせはやはり神がかっていたな」と、改めてその奇跡的かつ唯一無二のバラエティコンビネーションを堪能する。
あとはいつものように制作をする。めちゃめちゃ完成度を高めないと成立しない楽曲だということに気づき始め、悶絶しながらリードパートをつくる。
それにしても宅での作業ばかりではないか、これは精神衛生上いかなるものか、いけるのか、というメタ認知もあるので明日はひとつ、お買い物にでも行こうかと思う。
デパートで買いもしない品の説明を女性店員から詳しく聴取し、「なるほどなるほど」などと抜かしては小一時間過ごすという、営業妨害に近しい遊びでもしにいこうかと考えた。
しかしこれは明白な悪癖なのでやめておき、買う目的を決める。仲間の誕生日プレゼント選びにしようかと思う。とても健やかなお出かけとなりそうである。なお、雨天順延とする。
_08/26
最近の無駄にジワジワと燻っていた憂いは外出のしなさすぎだったのだろう。明らかにそう感じつつ、池袋周辺を数時間徘徊する。
デパートへ行くとなんやかんやと煌々とした品々が並んでおり、ああ、この国は実に豊かだなあと、買いもしないブランド品を眺める。
目的の品は、紆余曲折の末、これで申し分ない、あとは相手が喜んでくれるか、という所感を得て店舗を後にする。
構内をふらふらとしていたら血管年齢が測れるというサービスがあったので食いつく。ああ、どうせ酒やら煙草やらで俺の血管はボロボロだろうもという自己診断は杞憂であり、結果は手前の実感精神年齢と等しく27歳と出た。
なんだぜんぜんいけるじゃねえかと思い、豊富な品揃えの酒屋へ行ってベルモット酒を1本買って帰宅。
5時間も歩き回って帰ると逆に覇気が出て宅での制作も捗る。とはいえ楽曲自体が難しくて少ししか進まない。
そのような模様の健全な一日。夏も閉じようとしている8月も下旬。なんだか夏の終わり、秋っぽいといえばそんな感じもするベルモット酒をすすってよく眠ろう。
この「ノイリー・プラット」というドライ・ベルモット酒は各種ハーブ、薬草がおり混じり、なぜか個人的にはサイケデリックな酔い方をする銘酒。
ほどほどに、2杯だけ呑んで夏を振り返ろう。今夏は、人生でまだ味わっていない行事「BBQ」に行きたかったがどうやら叶わず。BBQをする若い衆が通報されるなどというニュースなどを見かけると、それはそうもなる。世間の状況的に、全力で青春を謳歌できない若者のメンタルが、わりと心配である。
_08/27
ドライ・ベルモット酒が謎にキマり二日酔い。朝、ボトルを見たら1/3ほど減っていた。ほどほどにするべきである。酒は日に2合までなら一生付き合えると、中島らもさんも言っていた。
今夜あたりもほぼすべてのバーあたりは酒場とはいえども酒の提供をどうするかと頭を抱える時期。こういった時期ばかりは一生は続いてほしくない。
小洒落たバーに最後に行ったのはいつだったろうか、10年前に行った新宿ゴールデン街のバーの前にいた大きな猫はまだ存命だろうかと、回顧したところで特に生産性に繋がらなかろうということが頭を巡る。要は今日はなかなかやる気がでない。
そんな日もあるのは人間の生理的に必然だが、何かをせねばとウェブサイトの更新を数時間して、タルタルソース付きの海苔弁(420円)の食事をとってソファで読書をしていたら沈む。ケツから睡眠へとなだれこむ。
今日はあれだ、主観的にも客観的にもなかなかのダメっぷりである。そう思いつつも半ば強引に奮起してDAWを開いてちょっとしたら編集部より入電があり、案件を賜る。そういった流れで一日が過ぎる。
ダラダラしている時間を減らすことは、死の直前に「もっと生きていたい」と感じる気持ちを稀釈してくれるのではないかと、そういった極論も頭を馳せ巡るくらい、ちょっとだらしなかったかなという自己批判で総括できてしまう1日。若者のメンタルの心配も結構だが手前の人生の心配もするべきであろう。
_08/28
連日の寝苦しい夜。起きて買い物に行っても現実なのか夢の中なのか、この世とあの世の境目があいまいに感じるあたり、俺はいよいよなのかと思うが冷やし蕎麦をつるんと食ってシャキッとする。
宅で制作を進めつつ、リモート案件をしつつ、待機時間もパラパラとあったためか、終日ほぼ机に座って過ごして気がつけば深夜。蕎麦と珈琲しか口にしていない。
ああ、俺はやはりいよいよなのかと思うが、何をもってしてそのように卑下した心境になるのかと考えたが、特に尖った問題もないなと冷静に認知して日を締める。
俺は今日、起きがけにまず考えた。あと30年もすれば手前は70代。死に対してリアルに慄く齢頃となるであろうと。
遡ること30年前、手前は小学生であり、ようやく「死とは」という観念が生まれた頃だった。しかし、考え方としてはまったくもってリアリティはなかった。
そしてあと30年もすれば嫌が応にも死のリアリティは滲む。はみ出る。漏れるであろう。
続けて、「あと30年か」と、仕事部屋のでかい窓から適度に雑多な赤羽の街の光景を眺めながら目を細めつつ、そのタイム感を脳内で測ると、30年間というのはたいへん長い時期であることに気がついた。
俺が70代まで人間を続けられたら、という前提ではあるが、30年もあったら相当いろんなことができるものだなと、なんだか心が軽くなった気がしたのである。
人によっては「もう40代、あとやれることは、気力や体力は――」と、考えるであろうが、細かいところは置いておいて、いけるならあと30年以上は人間として様々なことが体験できる。過ごせる。感じられる。
人生の必須科目的な解釈でいうところの「繁殖」がある。これについて、あと30年とかでどうしようかという発想について、さきほど電話でトークしたのだが、「お前はそのあたりの考えがどこか欠損している」という相手方の所感があるということを賜った。
「それは、もうしょうがないというか、若い頃からそういったきらいがあるので確かに欠損しているのかもしれませんね」と返した。要は、俺は手前の「子」という概念に対してのリアリティがどこか薄いのである。
なにか、小さな頃からの成長の過程で、発達課題をひとつもふたつもやっていないまま、年齢的には大人となったのだろうか。だとしたら、いまからでも遅くはない、というのが「あと30年もあれば」という思考に繋がる。
愛する伴侶に出会えればすべてを覆すスタンスとなるのだろうか。だから、出会いや恋愛や家族と、そういったかけがえのないことを大切にするのがマジョリティなのだろうか。
30年前の手前にアドバイスができるとしたら、「君、君、『死』とかはとりあえずいいから、ちょっと『愛』について考えてみようか」と、大好きなポテチの袋を広げつつ悟す。
そのパラレルワールドにおいての現在の俺はというと、周りが引くほどの愛妻家で、ふんだんな植物に囲まれた庭で、やる気のない2匹の飼いネコをみつめながら、中学生の息子と娘の反抗期に悩まされつつ、酒ではなくハーブティーを飲みながら日曜日を過ごしているのかもしれない。しかし、それは俺であって俺でない気もする。
もしかしたら、今の俺が、俺であって俺でないのかもしれない。「じゃあ誰なんだ」という感覚がグニャリと扁桃体に染み渡って離人感でラリってしまわないうちにおとなしく寝よう。
愛する家族と子供たちとの日々、というのは、たぶん、今生において至上の体験だと思う。結婚できない男がそもそもそれをする気概があるのか問題。
_08/29
終日腹が痛かったのが夜やっと治る。原因は昨夜の肴のおつとめ品惣菜と断定。しばらく乾いたやつを食おうと思う。
日中はインタビューの文字起こしをひとつ一気にやって、読書を進め、制作をするという穏やかな日。出向案件がなさすぎてどうもなと、「コロナ禍が落ち着いたら――」と、先方はよく仰るが、そもそも落ち着くのかと危惧する昨今。また変異株の変異などという、もはやわけがわからない状況に。
落ち着いてほしいのはもちろんだが、一応リスクというか、俺あたりの年齢の人間が死ぬくらいまでこの状況が続くと想像してみる。されど手前がどうこうよりも国家レベルでやばい。
それはいかがなものかと思いながら現実逃避気味に高田純次さんがとにかく適当なことを言いまくる動画をYouTubeで観て落ち着く。
殺伐としたニュースばかり目に入ることに加え、とにかく一人で宅で仕事やらという日が続くと気も滅入るかもしれない。
世界レベルの出来事なのだからこれはもう仕方ないということで、こういった時期だからこそ集中できる制作をメインに、今日も明日も。たくさん作れていいのかもしれないが、やはり賑やかにみんなと過ごしたい欲は日に日に膨張する。
俺くらいの歳でもこうなのだから、大暴れしたくてしょうがないちびっこや青年はさぞかし辛かろうと想像する。やはり、若者のメンタルがとても心配。
_08/30
元気はつらつに起床して平たいパンともやしを食う。「今日をもってして夏終了」と言わんばかりの涼しさに、結局BBQも海もスイカも今年は縁がなかったなと、そういったサマーエンジョイ的欲求自体がなかったことにする。
机について原稿をやる。一気に7,000字近く書いて仕上げたらクラクラする。最近白髪が増えてきた気がするのはこういうところかもしれない。
とはいえワンアクションでタスク1つ完了というのは気持ちがよいなと、コンビニあさりパスタ(420円)をサラサラと食べて、妙に美味いなと、やはりもう秋だからかと、食欲も増すものかと、そのようにキッチンで呟きながら立ち食いしたのちに制作をする。手前が考えたパートなのにギターを弾くのが難しすぎてリードパートトラック完成ならず。明日に持ち越す。
ちょうど「案件フォルダ」が空になったところに別の依頼を頂く。こいつは幸先のいい秋口だぜと、夏はたのしい興行案件以外は引きこもりのような生活をしていたぶん跳ねっ返りできっと素敵な秋になるぜと、そのような所感の夏の終わり。
よくあるのが、9月上旬にめっきり涼しくなり、中旬にまた灼熱の気候に戻るという、あれはなんだったのか感。今年あたりはそういったトリッキーな戻り夏的アプローチは御免こうむりたい。「秋味(アルコール度数6%)」ビールでもすすって秋を歓迎しよう。
_08/31