09/2019

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
さよならジョルノ号。9月


新しいDAW環境でいろいろイジるが以前と勝手が違うのでなかなか面白くもちょっとずつ進める。

村上氏が良いマイクを何とくれたのでアコギや歌を録音して実験する。素晴らしくて楽しい。お試しなのでカバーアレンジなのだが、仕上がったら公開しよう。
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2ヶ月くらい前に「換気扇の“弱ボタン”が外れて二度と元のように付きません」という旨を管理会社に連絡し、とうとう今日直しにきた。“弱ボタン”をくっ付けてくれればそれで良いのだが、どういうわけか丸ごと全とっかえという大工事に。

「いいです、そんな大げさな。“弱ボタン”が吹っ飛んだだけですから。俺ごとき“強ボタン”だけで凌げますから」

「そうはいきません。オーナー様の意向でもあるんです」

たしかに、“強ボタン”で換気扇をつけると「ゴオオオオオ!」というフルレンジの爆音と共に親の仇の如く何もかもを吸いまくるというやりすぎ感はあるのだが、別に不便というわけではない。うるさいだけなのである。

“弱ボタン”が使えなくてもいけるっちゃいける。それにしても丸ごととは贅沢である。“弱ボタン”だけの部品なりがない。そういったわけで2019年製の最新の換気扇がキッチンに設置された。“弱ボタン”ではなく、こいつの仕入れに2ヶ月かかったのだろう。新・換気扇は意外とテンションが上がる。

これで湯を沸かすときなど、「ゴオオオオオ!」という轟音でキッチンのラジオの音がほぼ聴こえないという小さな小さなストレスは解消された。ボタンをくっ付けてくれればそれで良かった気もするが、真新しいものは気持ちが良い。今となってはあの情け容赦ない換気轟音が懐かしくもある。これからは、そよそよと、健やかな換気ライフが送れる。オーナーさん業者さんありがとうございます。
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宵っ張りについて。夜型とも言えるし、夜行性気質という半ば病名のような表現の仕方もある。

俺はこれにあたる。ただ、朝起きたくない、朝は鬱につきまとわれる、朝はしんどい、どれも確かに当てはまるが、もっとこう、根本的に「夜型の遺伝子である」と言われればそんな気もする。そうであってほしい。そういう仮説が俺にはある。

メンタリストDaiGoさんがYouTubeでこの件について高速でお喋りになられていた。内容は、俺の仮説と似ている部分が確かにあった。「夜型は夜型で、夜あたりにパフォーマンスが上がる性質だからむしろそれでいいんですよ」という、俺とは違い、あらゆる学術書などを参照したうえでそう論じていた。

確かに俺は夕方あたりまでは、だいたいややしんどい。朝から元気などという日は年に1回か2回である。その日は“突発的躁病”という扱いで、例外としている。

基本的には、夜の方が明らかに集中力などは高まる。DaiGoさんもそう仰っていたことだし、俺はもうそういう仕様の人間だということで「夜型」に対する若干の後ろめたさは消すことにした。

だからといって日を跨いでも仕事や作業をすると、キリがなくなる。そういうことで、机で真面目なことをするのは遅くとも0時までという手前ルールを今日から適用させることにした。

この「手前ルールを守る」というのは非常に難しいのだが、早めに酒が呑めると思えば容易に守れそうである。と言いつつ、現在時刻0:35という体たらく。だんだんとやっていこう。何事も、いきなり変えるよりも、ちょっとずつ進めるとだいたいうまく変われる。依存性を孕む行為・物質摂取を除いて。

「依存症」の治し方についてはほぼ逆で、その方法は、いつだったかここに書いたが、それは実証済みである。依存症をちょっとずつ治していくというのは不可能である。

「シャブの量を少しずつ減らして社会復帰しますか」という医師が存在しないくらい不可能である。いきなりヤメるか、「その日はしない」というのを一生繰り返すか、その2択な気がする。

そう考えたら、「真面目作業は0時まで」などというルール適用は比較的容易なはずである。締め切りや納期という命綱に関わる切迫状態下は除外。そうならない為に「時間を決めて集中し、効率的に仕事をする」という意図もある。なんて素敵な自己啓発であろう。守れるかな。
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昼に稿屋氏がうまいオニギリ持って訪れる。実に旨くありがたきめし。なんとなしにダラダラと仕事やらをしないように「遅くとも0時終了」という手前ルールを適用したところ、意外とちゃんと意識をする。

ゴールが見えていると逆算して何事もはかどる、というようなのは実に有効だと、大きなゴールをまず明確に決めると良しと、確か苫米地英人さんの著書に書いてあった。

そこまで大それたゴールというわけではないが、「ここまで」と決めるとそれまでにちゃんとやることやる風に動くわけである。

これを死に置き換えるとどうか。もしかしたら、手前はそこまでではないだけで、一般的には死ぬ時期から逆算して人生プランなどを立てているのだろうか。俺はどうもそういう意識が足りない節があるが、いつだったか「79歳で死ぬ」というやけにリアルな夢をみてから、少し考えるようになった。

そうでもなければ「業務は何時まで」などという縛りはしない。これがどれだけ有効かまだわからないが、しばらくやってみようと思う。現在23:58。今日はできた。
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わりと健やかな気分で起床し案件のために浜松町へ。実に秋口らしい涼しげな気候。そろそろ秋刀魚がピチピチとする時期である。

やや陽が落ちるのが早くなったなと感じる夕方、宅に戻ってギターレッスンをして原稿と、たいへん真面目な1日。

本当に、手前の反社会的人格の部分が悲鳴をあげるほど、ここ最近真面目に生きているきらいがある。バランスがよろしくない。

しかし、世風がどんどんホワイトカラー寄りに流れていることを明らかに感じるので、これで良いのかもしれない。やさぐれたいことがあった時に、ほどほどやさぐれれば良かろうと思う。

法にギリ触れない程度のやさぐれかたは、色々知っているし、やろうと思えばいつでもできる。そのトリガーを壊さなければ、かつ、できるだけ弾かなければ良いのであろう。

「自身の中の矛盾するパーソナリティらをどちらかに決めつけるのはあまりよくない」と、今日案件先でそんなお話を1時間ほどしていてとてもほっこりとした。白い自分と黒い自分がいていいと思う。そうでない人は、心底俺は怖い。特に、完全ホワイトカラーの人間は、とても怖い。
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起きて散歩して原稿を書いて案件で出かけ、戻ってまた机仕事して1日が閉じる。そしてスマホでちょっと啓発系のYouTube観たりサイコ系のマンガ読んだりしながら酒を2発呑んで寝る。たぶん、ここ最近一番多い1日のパターン。健やかな普通の1日に感謝して寝くさろう。
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意識をしてもさっそく「遅くても0時までに業務完了ルール」をはみでる。とはいっても20分くらいであるが。

原因は途中で鍵盤を2時間くらい弾いて遊んでいたからである。なんとなくWANDSのデビュー曲の弾き語りの練習に熱が入ったからである。

こういうとき「なにしとんねん仕事せい」という上司やら同僚なりがいれば良かろうかもしれんが、今日は宅で1日中デスクワークである。時間やらそのへんが自由なぶん、気がそれると無制限に遊んでしまう。

そこで、「レンタル上司」なるサービスを展開するビジネスはどうかと思った。基本的に一人で仕事をするときに、側で圧をかけてもらって仕事を効率的にするというサービスである。

レンタル上司が来たら、その日のタスクとおおまかな業務時間・内容を伝え、理想的なパフォーマンスを促してもらう。時には応援してもらい、時には雑談に応じ、時にはマウント気味に叱られるという、仮想上司サービス(一万円/1日)というシステムだ。

そんなサービスは嫌だ。ちゃんと手前を律して仕事をしよう。
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またしてもはみでる。「遅くても0時までに業務完了ルール」。とはいっても30分くらいであるが。

というか、夜に案件があって早めに原稿を書いたりする必要がある日に限っては物理的に難しいことに気づく。“ルール”ではなく、限りなく規則に近い“目安”ということにしたくなってきた。

あまり決め事で自分をがんじがらめにしても良くない気がしてきた。他にも「博打は打たない」とか「一人宅呑みは2合まで」とか、色々決め事があるわけであるのだから。

誰しも自分の“決め事”というのはあると思われる。それを破りながら、自分の中の矛盾に悩みながら、苦悩しながら歳を重ねてきたのか、そうではなく無制限に生きているのか、みんなはどうなんだろう。“自分ルール”をさらけ出し合う呑み会とかやってみたい。
09/08

 

 


台風一過激暑天候。昼イチにひと案件、夜にひと案件という本日、スキマ時間が5時間ほど発生する。しかし出先は六本木周辺につき「一旦帰る」という選択肢は賢明ではない。

そんなときはカッフェでPCをクパァと開き、珈琲と煙草をお伴に原稿を書いていれば良い。それがベストである。

そう思い2案件目の白金台に向かうもカッフェがどこにも見当たらん。近しい憩い場所といったらファミレスが2件。そこしかなかった。

ファミレスでラップトップPCをカタカタ。これは風景として、なんとなくの心情としても粋ではない。しかし他に選択肢がなかったからバーミヤン的な所で天津飯をモリモリ食ってPCを開いてカタカタ。

夕飯時になると当然家族連れのお客さんが集まる。ファミリー・レストランなのだから必然である。もちろん、ちびっこがキャアキャアとはしゃぐ。ちびっこは騒いではしゃいでなんぼ、それが仕事である。そういった場所で押し黙って仕事をしている俺が場違いなのである。だから2時間弱で店を後にする。

次の案件の時間まであと2時間はある。カッフェは見当たらない。座って憩える場所が見当たらない。散歩でリラックスするような天候ではない。むし暑い。どうすれば良いか。

俺は日陰でストリート・コンピューティングを決行した。適当な駐車場の、邪魔にならんであろうスペースで座り込み、PCを開いてカタカタ。もうこれしかないのである。しかし全然落ち着かない。まだ、賑わうファミレスにいた方がマシであった。

俺は生業上、タイピング速度にはわりと自信があるほうなのだが、高速で動かしている指に、俺を嘲笑うようにして蚊が止まり容赦なく噛む。「お前のボールはハエが止まって見えるぜ」という、ピッチャーのアイデンティティを侮辱する野球漫画のセリフが頭をよぎった。作業をする環境ではないようだ。指がかゆい。

白金台という地は、なんだか高級感があるからカフェでも何でもあると侮っていたことを猛省。案件自体は無事完了し帰宅。今日も0時を過ぎた。

原因は、「白金台だからカッフェなどいっぱいある」という誤ったイメージである。ほとんどない。俺に9桁くらいの資金があれば白金台に昭和レトロなカッフェを作る。ブレンド珈琲一杯¥600也。
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逆算思考、0時までに今日やるべき仕事をキッチリ終わらせることを最初に意識する。13時に宅にて業務開始。今日のタスクは5つ。めし休憩は1時間(お昼寝込み)。計画通りにやってやる。

順調に進んでいたところ、ブルルとスマートフォンが揺れたので出ると、順さんが宅に遊びに来るとの打診の着信であった。順さんとは俺のライター業の担当者でもあり編集部の偉い人でもあり、村上さんという。

正直、新居に越してきて1年強、やっと来てくれるのかと嬉しむ。そして、たいへんたいへん多忙な順さんにそういった時間的、心情的な余裕が今日はあるということも併せて嬉しむ。

スペシャルな珈琲を淹れ、先日スピッツの新譜試聴会で頂いたおみやげの上等なおやつを一緒に食べつつ、「お前の部屋はいい部屋だ」と、手前的にわりと気を遣っている仕事部屋へのお褒めの言葉に嬉しむ。

仕事の話しは一切しない。順さんは俺のストラトキャスターを弾く。彼は俺よりも腕が達者である。「弾きやすい」と言い、先ほど買ってきたという素敵な素敵な「ディレイ」という機材をイジりながらずっと弾いている。「いつも仕事が忙しくてちょっと骨休み」という情念がやや伝わってきたので俺は鍵盤で応戦する。

彼は音楽家でもある。音楽理論など俺よりも詳しい。だから、「順さん、キー“G”で」の一言で、延々と多種多彩な風味のセッションができる。DAWを立ち上げていたので同時録音もしていたのだが、公開したいくらい心地良きジャム・セッション。心が洗われる。

そうこうして2時間ほど遊んでいたら「やっと手が温まってきたなぁ」と、彼のギタリスト魂がそう言葉にした。面と向って言わなかったが、仕事をしているときの順さんの表情と、明らかに違う。別軸での活き活きとした良い表情。彼の中の音楽家人格がはしゃいでいるのがよくわかり、嬉しむ。人は、心底好きなことの“モード”に入っているとき実に美しく表情が輝く。

「長居し過ぎた。すまん」と、3時間半くらい経って彼はそう言い、「まずい、時間を気にするのは俺の方だった」と気づくが、全く悪い気はしない。最後に明日同行案件の打ち合わせを数分だけして順さんは宅を出た。

明らかに今日の業務ペースは大幅に押したわけであるが、不思議なことに、その後、全て滞りなく、余裕すらありつつ完了する。

簡潔に言うと、リフレッシュをしてモチベーションもテンションも上がって効率が超上がったというわけである。楽しい時間は圧縮されて感じ、その後にも良質なフィードバックとして伸びる。というわけで無事0時までに業務完了。順さんおつかれさまでした。ありがとうございます。
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不安定な天候が続く蒸し暑き東京。市ヶ谷で案件を2つまわって夕方宅に戻り、うまい中華弁当を食べてソファで斜めになったら眠りくさる。2時間。さいきん休日をもうけていないし疲れていたのであろうと、仕方なしと思う。

突然眠りこけるのは「あの世からのミーティング・タイム」という説をスピリチュアルな何かで聞いたことがある。確かに、色々と考えていたのが、起きるとスッキリしていた。俺はこういうのを半分ちょいくらい信じている。だから惰眠ではないと判断する。その後、やることはやったので良しとする。酒とミーティングして本寝しよう。
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今日をもってして秋。そう言い切れるほどのこのメランコリックな空気感。各種神経症の方やエンパス気質な方々に対し、抑鬱気分が容赦なく襲いかかる季節到来。程度に差はあるとは思われるが。到来しない人は全く到来しない。ただ、「涼しくなってきましたね」という対面挨拶が冒頭に増えるだけである。

懐かし死にしそうになったり、希死念慮にも似たタナトスが身体と精神と魂の真ん中からヌプププとせり上がってくるような、侵食されるような、喩えるなら現実空間が仮想空間で、夢の中で浮遊しながらサウンド・トラックが遠い距離から鳴っているような、そんな気分で今日1日張り切って仕事をして過ごした。

「季節の変わり目はご新規客が多い」

水商売界隈ではそんな暗黙の感覚があるそうな。俺はこれをメンタル的な解釈で言語化できる。そう思い込んでいる。

季節の変わり目、特に春や秋、加えて年末年始は、人の精神状態は変調をきたす。具体的に言うと、四季の気候の変化により、脳内伝達物質の分泌に変調が現れる。最近ではわりと耳に目にしやすくなったドーパミンやセロトニンやノルアドレナリンといった種類の、いわゆる各種脳汁のバランスが季節ごとに変わるのである。

しかし、これは俺の仮説である。だが、様々なメンヘラ本を読んだり、メンヘラ検定(個人的俗称。正式には『メンタルヘルスマネジメント検定』というまともな公的資格)を取得する際に学んだときに確信したことであるが故に、ちょいと参考にならんでもない気がする。

だから、仮説とはいえ馬鹿にはせんでほしいところだが、そんなものは個々の自由である。俺は、季節の変わり目は、脳内伝達物質のやりとりの変調により、人によっては情緒不安定になったりやけにテンションが下がったり上がったりすると考えている。そして、記憶を司る海馬という脳の部位でデフラグが行われるタイミングでもあると考えている。少なくとも、俺はそういう自覚が毎シーズンある。

言ってしまえば、メンヘラ的なところだと「うつ病」の原因がセロトニンの分泌やら再取り込みの不調という“仮説”のなかで、その脳汁に直結する薬物治療が精神科や心療内科で実際に行われているは事実である。

仮説をもとにした薬物療法が一般的という現代が物語るように、それくらい人間の精神構造は科学的な解明が難しいのであろう。だから、例えば抗うつ剤で快方に向かう者もいれば、逆に、恐ろしいことに薬の副作用で自死する者もいるそうだ。これは、仮説ではなく事実である。ソースはアメリカ精神医学会による精神障害の診断と統計マニュアルやらのガチの書籍である。

「麻薬及び向精神薬取締法」とはよく定義づけられたものだと思う。個人的には、精神疾患に対する処方薬は、麻薬レベルだと感じている。それを言ったらアルコールとギャンブルも俺の中では麻薬指定しているのだが。ほどほどだと気持ち良いだけだが度が過ぎると破滅。

精神科医様を敵にまわすつもりは毛頭ないが、自身が知識ゼロで医師に処方された精神薬を服用し続けると、逆にメンヘラがブーストする可能性は低くないと思う。だから、せめて、主成分をググるくらいのことはしたほうが賢明な気がする。まともな精神科医は、訊けば全てを教えてくれる。

軽い感じで処方された睡眠薬の主成分が「つい最近個人輸入が法的に禁止されたエグい系」なんていうことはザラにある。代表的なところだと、ベンゾジアゼピンは医者の処方なしでの入手は不可能となった。これがここ1〜2年の話である。「デパス」という睡眠作用も含む抗不安薬が有名だろうか。これは今ではネットなどの、医療機関外での正規ルートでは買えない。国によって禁止された。

使用そのものがヤバいのではなく、依存や乱用を引き起こす可能性が高いと指摘され、そう判断されたとのことである。うまく使用すれば、人によっては快方に向かうよと、そのへんはドクターの判断に委ねるわけであるが、なにぶん“仮説”が混じっている診断もあるので、自身で調べる必要性もあるのでは、ということである。

何が言いたいかというと、人間の精神構造は複雑で、まだまだ謎が多く、効果的な向精神薬もあるが、そこには麻薬レベルのものもあるという事実である。そして、秋の入り口は俺的に危険という“仮説”があるということである。今日あたり謎に酒を一人で5合は呑んでやろうかという気分なのであるから。2合で寝るが。
_09/12

 

 


宅でずっと机仕事という静かな1日に肉が食いたくなり駅前へ。ステーキが食いたいが昼めしにステーキはぜいたくだ。いまはぜいたくをする理由がない。トンカツにしようと赤羽街1番地へ。トンカツだって俺にとってはぜいたく寄りのめしだがとにかく肉が食いたい。

幸運なことに「めし大盛り・特盛無料サービス」が展開中だったので、せっかくだからいったれと特盛でめしを待つ。すると、容赦なき特盛、アメフト部主将用クラスの盛りっぷりのめしが来た。たまげながらがつがつと美味しく頂く。

そういったわけで新米であろうめしを美味しくいただき張り切って仕事に戻る。特盛、意外とペロリと食える。
_09/13

 

 


特に意味もなく早起きする。気持ち良いが日中眠い。プラマイゼロな気もするがなんか得した気がするので良しとする。

涼しいのでどれだけぶりかにスーツを着て取材案件に行く。やっぱりスーツが一番肌に合う。仕事も普段着もスーツがいい。スーツ愛。高価なスーツが欲しい。俺がいま一番よく着ているやつは4万円とかだ。10万円クラスのスーツをバシッと一括で買うという些細な物欲も湧いてきたことだし明日も頑張ろうと思う。
_09/14

 

 


今日も宅でカタカタと過ごす。静かな1日。

また俺の原チャリの鍵口にイタズラされているのを発見する。とても悲しい。2度目である。これを直すのには14,000円かかる。

原チャリに乗るのは月に1度程度。正直、現状の住まい、立地だとなくても困りはしない。原チャリが好きだから所持しているだけという感もある。だが、これを機に、手放すことにした。廃車である。実に寂しい。

俺はこの歳になっても半ヘル(ヘルメットを後ろにズラして風を感じる)癖がとうとう治らなかったので、そろそろ危ないからヤメろという天からの報せかもしれん。確かに半ヘルで盛大にコケたら“死”まである。

あと、左ブレーキもかなり壊れているのも素で危険だ。旧車の修理は非常に高くつくからそのままにしてあったが、冷静に考えたら危なすぎる。

明日、業者が引き取りにくる。お葬式のようなものである。最後に良い写真を撮ってお別れをしよう。走行距離、約17,300km。かなりというか旧車にしては限界突破というくらい頑張った。

10代の頃の爽快感を思い出させてくれてありがとう。足立区鹿浜という交通不便極まりない前居での移動手段として大活躍してくれてありがとう。きっと、寿命を全うしてくれたことであろう。君は俺の中で殿堂入りした。ありがとうHONDAジョルノ。さようなら。
_09/15

 

 


原チャリのセレモニーも終え、遺影も撮影し、しょんぼりとする。原チャリ・ロス。3年間愛用したゴーグル付きのスタイリッシュなヘルメットを玄関に飾り、部屋でしんみりと仕事をする。

夕方、韓国帰りの白井さんがやって来る。旅立つ前に「おこづかい余ったら韓国海苔を買ってきてほしい」とつぶやいたのを覚えていてくれて、大量の韓国海苔と向こうの乾燥ラーメンと、今韓国で流行中というグミのお菓子をくれる。しょんぼりとした気分がいくぶん晴れる。グミから食ってみたがやたらと旨い。

本場韓国海苔をアテに旨い酒2発呑んで寝よう。白井さんどうもありがとう。無事に帰ってきてよかった。
_09/16

 

 


案件先は原宿。クレープだのタピオカだのとたいへん賑やかである。取材を完了させたところで女性フォトグラファー・冨田さんが「タピオカ飲みたい」と言うので、同行者2名と俺とでタピオカをやることに。

流行りモノを食わず嫌いの否定目線で片付けるというスタンスは俺はもうしないことにしている。しかしこれだけ世間がタピオカタピオカタピオカ言っているにも関わらずまだ飲んだことがない。

初タピオカを飲んだ感想は、ニュルっとうまかった。そして、ちょっとした飯後くらいの満腹感すらあり、これはいいと思った。“飲んで食ってやった感”があった。これか、これが流行る理由か、とも思ったが真意は知らん。普通に旨かった。

仕事の話半分、世間話半分、賑やかな街の大通りのベンチに座りながら流行りモノをやりながら和やかに過ごすというスタンダードな幸福感にほっこり。
_09/17

 

 


見事なまでのアルツハイマーっぷりが進行していないかという確認も兼ね、父親の居る所へ赴く。もはや月イチちょいのルーティンである。

いつからだったか、会うと必ず「よう、賢治」と言っていたのが無くなった。手前のせがれの名前すら忘れてしまったのだろうか。

おそらく、「定期的におやつを持って遊びにくる気さくな男」くらいの認識なのかもしれない。あえて、俺は「あなたの次男ですよ」という説明はもうしない。もう面倒臭い。母親も生きていることにして話を合わせている。

事業でこさえた多額の借金のことなど1ミリも覚えていないもよう。記憶は、完全に手前の都合の良い方に圧縮されつつメルヘンな情報として包括されている。そう考えると、認知症というのは、どこかなんというか。

このあいだ撮った親子2ショット写真を現像したので、そいつを100円ショップの小さな額に入れて渡す。俺という存在が誰なのか、もうそのへんはいいから、縁の深い人間が1人だけ、自分を気にかけているということを、絵として何となく感じてはくれんものか。

往年の志村けん扮するひとみばあさんと田代まさし氏のコントのようなやりとりを地で交わしつつ、督促状的な封筒を3通おみやげに頂いて帰る。なんとかしてやりたいが、どうにもならんのかなということが、ある。

今日は半休日なのでわりとリフレッシュしたような気もするし、酒呑んで寝くさろう。
_09/18

 

 


きのう半分まったりしていたら今日は元気かと思いきや、なかなかだるい。ギアで言うところの1速から走り出すところが一番エネルギーが要る。PCの立ち上げもそうだし、エアコンも立ち上がりが最も電力を消費する。そういうことかと納得。

涼しげな気候の中、せっせと仕事して勤勉に過ごす。俺はもっと蓄えが欲しいと思った。現金の蓄えである。貯金。今はそんなにはない。とりあえず1,000万円もあればまずは満足であろうか。

そうしたら次は2,000万円欲しいと当然のようになるかもしれん。そして億へと。そのあたりまで行ったら投資とかに手をだすかもしれない。なんというか、金欲はキリがない。

でも、とりあえず何かがあって2年は働かなくてもセーフなくらいな蓄えが欲しいと考え出したのは賢明であろうが、俺もアラフォーになったものだとしんみり実感する。貯金ゼロでイキっていた20代のあの頃の無鉄砲さはどこへ行ったのであろう。いや、あの頃から蓄えておくべきであったのだろうか。わからん。
_09/19

 

 


やはり微妙に覇気が薄いのは秋の気候のせい。でも夕方過ぎからだんだん元気になってくる不思議。

先週くらいのインタビュー案件のときに、開始3分くらい録音ボタンを押し忘れた為イントロからもう一度…という失態をかましたことがあった。その場はみなさん優しく、ただの大笑いで済んだから良かったが、そのときの先方の担当さんと今日別件でお会いした。

取材後に担当さんは「今日はちゃんとボタン押せてましたかw」と、えもいえぬ笑顔で囁いてきた。笑いのネタになって良かったものだとつくづく思う。

業界によっては指一本いかれるかというヘタを打ったわけだが、こういうのを笑いで収めてくれる人間は本当に好きだ。というかその節は本当にすみませんでした。
_09/20

 

 


髪が中途半端に伸びてきたタイミングで、パーマネントをあてようかという発想が湧いて出る。

何となく、中年でも軽くパーマネントがあたっているヘアスタイルの方がちょいお洒落に見える気がする。俺だってお洒落がしたい。

そして、年々、心なしか髪のボリュームがちょっとずつおとなしくなってきているきらいを感じるが認めん。ハゲる傾向は断じて認めん。しかし、俺もそろそろ良い歳だし、薄毛予防なりパーマネントでボリュームを出しつつ誤魔化すという選択肢に迫られている。

怖いのは爆発である。失敗パーマネントである。「そんなにファンク色が強くなるとは思わなかった」と、後悔しながら散髪屋を後にするのはもってのほかである。

軽く浮くくらいのウェーヴィさがあればそれで良いのである。フワッとスタイリッシュにしたいだけだが、ちょっとした裁縫針くらいの太さの俺の髪質からすると、「ファンクに寄る」か「逆にほぼかからない」か、といったところであろう。

そういったわけで俺にとってパーマネントはおそらく得策ではないと判断し、もうちょい伸ばそう。ロンゲという言葉が絶滅して早15年。
_09/21

 

 

 


知人の提言により、俺は先月初めてクレジットカードなるものを作った。これがなかなか便利で、ポイントというおまけまでついている。

「カード」といったら俺の中では「借金ができる悪魔的なもの」という認識だった。理由は、20代の頃にギャンブル中毒の合併症による借金地獄というのをまずまず味わったからである。

簡単に言ったらサラ金、街金、今で言う消費者金融からつまみまくった借金に悶絶していたのである。当時の利息は年利上限29%とかそこらである。

これがなかなかの暴利で、どれくらいかと言ったら、例えば100万円借りていたら、年利29%計算だと、月々の支払いは利息だけで¥24,167である。毎月この金額だけ払っていても元金は全く減らない。

しかし、これはあんまりだと思ったのか、2009年あたりに改正法律が施行され、年利上限は18%となった。よって、18%を超える金利で営業している業者は違法ということになった。

そのタイミングで「過払い請求」というムーブメントが起きた。今でもCMなどで耳に目にすることがあるフレーズではないだろうか。

10年くらい前までの18%〜29%という金利は、“グレーゾーン”と呼ばれる隙間利息スペースであり、「実は29%はアウト」という判定がなされたのである。しかし、それまでほとんどの消費者金融はグレーゾーンマックスの金利29%で商売をしていた。

すなわち、その期間につまんでいた借金の利息の差額というか利息の差「業者によるが、約10%ぶんの金利」は、過去に遡って引き直し計算され、「払い過ぎた金利」ということで消費者金融各社へ「過払い請求」できるというわけである。

借金しまくっていた輩ほど、かなりの額の現金が戻ってくる。そういった、例え業者にゴネられても裁判で鉄板で勝てるという法の改正がされたのである。ちなみに、「武富士」という当時サラ金業界を席巻していたトップクラスの消費者金融はこのムーブメントにより事実上倒産した。

俺はこの法改正により、当時「過払い請求」をした。弁護士を通さなくても手前でできるということを当時の「2ch」などで情報収拾し、業者と和解というかたちでやりとりをし、現金を引き戻し、清算した。

もし、俺のように2009年までにガンガン借金していて今も現状変わらず月に数万円も利息を払っている、という方がいたら是非自分で調べてやってみたらどうかと思う。

順を追ってやれば必ず返ってくる現金である(過払い請求は基本的には10年で時効なので注意が要るが)。弁護士事務所に頼むのも手だが手数料は覚悟したほうが良いそうな。

そういったわけで、俺のクレジットカードには現金キャッシング枠をつけなかった。支払いもリボにはしなかった。

しかし、さっきカード会社のサイトで支払い金額を照合していたら「リボ払いへ変更」という悪魔の誘惑バナーを見つけた。

利息を調べたら、年利15%。現在の消費者金融の年利とほぼ変わらん。危ない。危なすぎる。しかもワンクリックくらいでリボへ変更可能のもよう。危ない。やっぱりカードは悪魔的。

だがしかし、絶対にキャッシングとリボさえ利用しなければ、クレジットカードは実に快適なアイテム。カードの分割払いで生じる“手数料”は、正確に言うと“金利”である。

“金利”には“複利”という恐ろしい側面もあり、それは、人を破滅に追いやることができるくらいの破壊力のあるシステム。それに何故20代の俺は気づけなかったのかというカイジ的なお話。
09/22

 

 


移動時間が3時間強、という日。電車での3時間の過ごし方、俺は読書が最も適していると思っている派なのだが、いま読んでいる本を持っていくのを忘れ悶絶。

次の選択肢としてはスマホをダラダラと見ること。これは、俺はあんまり好きではない。

昔、スマホに麻雀ゲームのアプリを入れて、電車移動中はそいつで戯れていたのだが、「金も賭さずの麻雀ゲーム、これほどまでに時間を無駄にする行為もない」と心底想い、最初ハマるも1ヶ月くらいでアンインストールした。ゲームを嗜むこと自体は、人によっては有意義である。でも俺には肌に合わんようである。

じゃあ、仕事してれば良い。3時間あれば原稿1本書ける。ラップトップPCもカバンの中に入っている。しかし、座れないとできない。じゃあスマホで仕事すれば良い。これが一番効率的である。

慣れていないだけで、こなせばスマホでもタイピングくらい速く文字が打てるようになると思う。そこで原稿の下書きくらいすれば良い。でもそうすると、ボーッと景色を眺めたりすることによる「脳内の閃き時間」的なものが一切なくなる。

俺は電車ではなくとも、このボーッと特定の何かをしないちょっとした時間は大切だと思っている。なにか新しいことを思いついたりするのはだいたいこういった空白の時間だからだ。

リラックスした空白の時間は、頭の中にある点の記憶を線で繋ぐような、大げさに言うとそういう時間でもあると思っている。意図的に数分くらい思考停止させることで新たな思考を活性化させるという俺の仮説は、間違っていないでほしい。それくらい、空白の数分くらいというのは、大事な気がする。
_09/23

 

 


渋谷センター街のマクドナルドで一息つく。2階で憩う席を探していたら10代であろう若者が席で堂々と横になって寝ていた。

周りを見渡すと、平均年齢20歳といったところだろうか、ここはやはりそういう街なのかと思いながら、あえて、その若者が寝ている横に着席して考える。

5年ぶりくらいに食うハンバーガーセットをつつきながら、「この子はナントカ難民とか、そういった類だろうか」と、勝手に同情する。住む家もなく、日雇いのバイトで凌ぎつつという、現代の地獄をさまよっているのだろうかと俺は心の中で嘆く。

しかし、しばらくするとその子の恋人らしき若い女性が現れて痴話喧嘩が始まる。PCをパタパタ打ちながら横耳をたてていると、普段は普通に生活しているっぽい若者であった。

「君、君、こんなところで横になるとはけしからん」などと言うつもりは毛頭ない。本当にない。むしろマナー違反は若者のうちにガンガンやっておいた方が立派な大人になる気がする。それには、ちゃんと叱る大人の存在が必要である。

その時でいう俺がその存在だったっぽいが、言わなかった。理由は、俺が逆の立場だったら「うるせえバカ」と言って大人の手元にあるラップトップPCを叩き割るからだ。

そんな輩も近年では減少傾向にあると聞くが、なんとなく「がんばれ令和を生きる若者」と勝手にエールを送って店を出る。俺も頑張ろう。
_09/24

 

 


毎日のように通る道に彼岸花が咲いていた。俺はこの花が大好きだ。好きすぎて花びらを顔に当てて吸うように愛でた。

彼岸花の何が良いかというと、昨日まで確かにそこになかったはずなのに、いきなり咲いていることで気づくという神出鬼没感と、どこか死を思わせるようなその雰囲気である。

なんでも彼岸花という植物は、ふつうの花木とは順番が逆で、まず咲いてから枯れて葉が生えてくるらしい。なんと耽美な生き様であろうか。しかし残念なことに、彼岸花の魅力について共有できる知人・友人がいない。「彼岸花が好き」という輩を知らない。

だから、彼岸花を見かけたら是非、近くでよく見てほしいと思った。えもいえぬスピリチュアルな魅力を確かに感じることができる。

しかし、彼岸花には毒がある。だがちょっと触れたくらで死に至るほどの強烈な毒性はないらしい。だから是非、彼岸花を見かけたら間近で吸うことを勧めたい。毒で具合が悪くなっても責任はとれないが、そのリスクに見合うくらいの言い表せないような魅力に溢れている。彼岸花。旬は今月下旬。
_09/25

 

 


“アイデンティティ・クライシス”という概念があることを知った。そのフレーズを口にして、題材として話をしたのは28歳の女性。

アイデンティティ・クライシスが何かというと、“アイデンティティ”は「自己同一性」とされ、要は「手前が何なのか」ということ。“クライシス”は直訳で「危機」、これらが合わさり「手前がこのままで良いのか、なんか焦る」という心理状態となる。

こいつはなんでも主に10代の若者に起こりがちで、アイデンティティ・クライシス由来の焦燥感から非行や奇行に走ったり、良い面ではあらゆる無謀なチャレンジに出るようである。それがそのままストレートに夢へと昇華されることもある。それは素晴らしい。

20代後半の女性にも起こりがちと聞いた。結婚や出産など、そういった人生の一大ステージの転機の一つのラインともなる時期だからだそうだ。確かに30代前後の女性のそういった葛藤を描いた作品は目にしたことがある。「東京タラレバ娘」なんかは正にそうだった気がする。あれは面白かった。

そして、男性では40代前後で起こりやすいらしい。確かに、転職や独立をする時期として最も多い年齢層であるという統計すらありそうな気がする。事実として、転職エージェントの広告などはあからさまにその年齢層をターゲットとしている。

そして、38歳のときに俺が感じていたモヤモヤ感は、この“アイデンティティ・クライシス”なのではないかと思った。というか間違いなさそうである。具合が悪くなるくらい悩んだものである。「手前が生きるスタンスとして、このままで良いのか」と。

結果、俺は周囲が止めにかかるくらいの行動をもってアイデンティティ・クライシスを一旦振り払ったが、考えてみたら、この概念はきっと、人によっては一生ついてまわる。

離婚なんかもこのアイデンティティ・クライシスによるものがあるのではないかと考える。「こいつとこのまま一緒でいかなるものか」と考えるのは、結局「手前的にこれで良いのか」ということなので、そうだと考えられる。

要するに、手前の“生き様”に疑問を持ったらそれは“アイデンティティ・クライシス”だという結論に落ち着いた。

手前の生き様に疑問を持たずにいるにはどうすれば良いか。そんや輩はいるのかと思った。

今は幸福だと思っていても、1年後、5年後も今と同一の生き方、暮らしをしていて人間満足なのだろうか。大多数は違うと思う。次々と新たな不満と欲求が湧いて出てくることであろう。どちらかというと無欲気味の俺ですら、5年前と今と生き様が同じだとしたら不満を覚えて具合が悪くなる。

綺麗めに言うと、「常に目標に向かって、新たなステップを突き進む」という感じであろうが、汚めに言うと「欲、欲、新たな欲、古い欲では不満」という感じかもしれない。

これの良し悪しがわからない。いつだって同じもの、環境で満足することは悪いことだろうか。カッコ悪いことだろうか。常に貪欲にチャレンジし続けることこそが素敵なことだろうか。

進化するか、安定を保ち続けるか、別にどっちもありだと思う。「自分はこのままじゃ終わらねえ」もカッコ良いし、「自分はこのスタイルで一生貫く」もカッコ良いと思う。

結論として、アイデンティティ・クライシスは、外部の何かに影響を受けたときに起こりうる心理状態なのではないかと思った。人と何かを比べたときに思う、「私はこのままでいいのか」という、わりと不幸寄りの心理ではないかと。

しかし、アイデンティティ・クライシスも使いようで、なんかステップアップしたい欲があるときは超有効だと思う。何事も考えようだろうか。

そのままでも良い部分もあり、変えた方が、進化させた方が良い部分も人間にはある、という考え方が最もバランスが良いだろうか。

そんなことを考えつつ、昨日と全く同じ銘柄の酒を飲んでも大満足の俺は、こと酒の呑み方に関してはアイデンティティ・クライシスはなかなか発動しない。そこは幸福である。乾杯。
_09/26

 

 


ここ数ヶ月買っていたミネラルウォーターが棚から姿を消した。それまでは宅での飲料水はウーロン茶とアクエリアスだったのだが、完全に水だけにしてからというもの、やや体調が良くなった気がする。

そして、酒がいっさい翌日に残らなくなった気もする。だから困る。お気に入りのミネラルウォーターがまさかの終売だと非常に困る。井戸水が枯れてしまったのだろうか。

図書館や公民館、免許センターなどでみかける、足でペダルを踏むと飲み水が出てくる“水飲み器”の水。あの水は何故かやたら美味い。ミニ冷蔵庫くらいのサイズのあの中でどんなことが起きているか知らんが、あの水は何故か美味い。

あれが欲しい。価格帯も発注先も全くわからない。宅に欲しい。そしてペダルを踏んで水を飲むスタイルの“水飲み器”の正式名称が知りたい。あそこから出る水は何故か本当に冷たくて美味い。
_09/27

 

 


JR埼京線の通勤ラッシュ・ピークに当たるくらいの早起きをして代官山へ向かう。そのままやたらオシャレなカッフェでMacをカタカタとする。

我ながら似合わんと思う。レトロな純喫茶で、100円を入れると脱衣麻雀ができるゲーム付きテーブルで原稿を鉛筆で書いてる方が俺にはしっくりくるような気がする。

渋谷に行ってザ・レディーバードさんのライブを観る。黒のスーツ&シャツで楽屋にご挨拶に行ったら久々に会ったプロデューサーの人に開口一番「反社」と言われた。まったくもって心外である。それにしてもみなさん元気そうでなにより。

演奏中のみなさんの写真を撮って帰って編集しているとなかなか楽しい。やはり音楽家は人前でプレイをしている時が最も輝く。

なんだか今日は仕事も1.5日ぶんくらいした気がするので酒も1.5倍呑んでやりたい。いいや、“呑む・打つ・買う”という漢の嗜みのどれであっても、度が過ぎると破滅に向かうが故、2杯にしとこう。

昭和の時代あたりはその3つの嗜みはどこか粋であるという風潮であった気もするが、時代の変化により令和からはむしろ下劣な行為の代名詞になりつつある気もする。しかし“呑む”だけは譲れん。俺はアル中にならないために、少しずつ呑む。この嗜み方たるや合っているのだろうか。
_09/28

 

 


昨日と同じくらいの早い時間に目が醒めたので、せっかくだから起きようかと体をキッチンまで持っていくと、時計が14時を指している。

「電池切れか」と思ったが、ラジオを付けたら日曜13時から始まる番組でクリス・ペプラーさんが喋っているのを聞き、ことに気づく。壊れていたのは寝室の時計で、俺は実質12時間くらい寝くさっていたことになる。

これは疲れが溜まっているのか精神がバグったのかの2択であるが、キッチンで時計を見たときに本気で「まだ14時ではない」と確信したのだから後者かもしれん。

いずれにせよ、ゆっくりやれやれ1日2日、というのが今月はなかった気がするので、頭も体も人間放棄するくらい休む日は必要なのだなと思った。

不思議なのは、4、5時間の誤差が生じただけで寝室の時計は今普通に動いているという点だ。そんなことが今までにあった記憶はない。

「お前は疲れているから、今日は必要なく無理に早起きせずにもっと休め」という神からの粋なおはからいで寝室の時計が壊れたということにしておこう。

というか今日は案件が17時台の日で遅刻とかにならずに良かった。起床時間がランダムなので、これからは決まった時間に起床するよう、ちょっとずつ改善しようと思う。14時まで寝ていたのはいつぶりだろうか。一応時計の電池を換えておこう。
_09/29

 

 


このごろ、「幸せを感じる瞬間」ベスト3に「なんとなくかなりフィーリングの合う人と話しをしているとき」というのが入ると強く感じている。

「もっとこの人と話をしたい」と感じる人物と出会えて、その瞬間だけでも心底ほっこりできるのは財産レベルで貴重だと思う。

相手に対する興味と共感が伴い、価値観の一致と相違を認めあえるような人物。なかなかいないと思うが、いたら幸福。という気がした。

少なくとも、「なんとなくかなりフィーリングの合う人と話しをしているとき」は、ちょっとしたことかもしれないが、実は相当貴重なのだと確信した。

水とコーヒーと酒。口にする飲料は基本的にこの3種類だけというスタンスで最近過ごしている。

今日会った人との会話中にその旨を挟んだら「私も一緒です」という方がいた。話していて「なんとなくフィーリングが合う」「もっとこの人と話をしたい」と感じたのはそれもあるのかもしれないと思った。相手様がどう思っていたかは知らないが。

普段の飲み物の好みの一致は、対人においてのキー的なものなのかもしれないという確信に近い仮説。検証を進めたい。
_09/30

 

 


 

 

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