09/2020

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
逆「No Surprises」。9月


暫くエアコンはお休みでいいだろうという涼しげな秋の始まり。モロヘイヤスープをこしらえてゾゾと食い健やかな気分で過ごす。モロヘイヤあたりの謎に栄養価が高そうな葉っぱは積極的に摂るようにしている。

宅でデスクワークを、というフレーズをここ1年で何度書いたかというくらいのルーティン的な1日。静かでいいじゃないかと思う。

しかし世間的な風潮もあり、おとなしく時間に従うのがよかれという空気感だが俺だって暴れたい。アラフォーだってたまには無尽蔵に暴れたいのである。

ちょうどTwitterで好きなバンド名がトレンド入りしていたので、そのバンドの半コスプレをして一人で暴れているもようを投稿。

すっきりしたような虚しいような気分に包まれるが、「生存確認」というのを兼ねているというSNSというやつは、たまには更新したほうがいいと思っていたのでよしとする。

そこで、「1日ひと暴れ」というタスクを設けようかという案が出た。これは、リモートワークとデスクワークがメインの手前の状況的に、交感神経が活発になりヘルシーではないかと考える。

机にいつもノートを置き、日付を書き、そこにその日にやることを書いている。「原稿(何某の件)」やら「制作」だの「サイト更新」等。それらのタスクが済んだら文字に横線を引き、「よし、ちゃんとやった」と、一息つく。それは、“完了感”を得るためである。

そこに毎日、「ひと暴れ」というタスクを追加したとしよう。元気な時はいいが、ローテンションの時はげんなりするだろう。そして、「なぜこうなった」と、手前の思考回路を疑い精神はだんだん乖離し、秋らしく心の調子を崩しかねん。

棄却しよう。「1日ひと暴れ」案。でも、いつだって暴れたいという気概はアンチエイジングに繋がる。“アンチエイジング”というフレーズがスッと出てきている時点で、俺はわりと歳を気にしているのかもしれない。感覚的には常に27歳の精神年齢でやっているのだが。そこは手前を評価してやるべきであろうか。
_09/01

 

 


タスクを2つスムーズにこなし、定期健診へ。今日はとても体調がよい。その旨も含め、ドクターに報告する。

「おかげさまで今日あたりたいへん健やかなんです」

「よかったじゃないですか。それでね…こないだの血液検査なのですが……」

先生はいつも血液検査の結果を教えてくれる前、あたかもかなりよろしくない数値だったかのような声のトーンと“タメ”で俺を脅かす。もう慣れたが。

「うん。なにも問題ありません。とてもよい数値ですよ平吉さんはいつも」

「穢くないですか、僕の血は」

「ええ。健康診断だったら『A』ですよこれは。綺麗な血です(超笑顔)」

「よかったです。血が綺麗って安心しますよ。それで具合なのですが、緩やかにフラットな方向にと言いますか」

「なるほど」

「僕は30代中盤くらいまで鬱がデフォルトだったので、今が一番調子いいかもしれません」

「鬱がデフォ、ププッ! プークス。そうなんでしたか(笑)」

今日はなんだか先生はファンキーである。いつもの脚をぶらぶらさせる癖も今日は全く出ない。この間はややクレイジーな感じだった。

正直、客観的に見て、俺よりも先生の方が精神状態が不安定な気もするが、それは医師に向かって吐くセリフではないので嚥下。俺はいつもお世話になっているこの先生が人としてけっこう好きだ。

診察が終わり、でかいおにぎり2つと鯖の塩焼きを買って帰りキッチンで食う。立って食う。鯖の塩焼きに少々お高い(500円ちょい)ポン酢をかけて攻めると声が上がるほど美味しい。そして健やかな気分で制作をする。

このあいだのコンテストの件で手前の制作意欲はピカピカである。今日、選出された各楽曲が公開されており、「俺のは! 俺のは!」と思い、確認した。

昔作った曲と最近作った曲をエントリーしたのだったが、選出して頂いた楽曲はごく最近に制作した方の楽曲であった。これは嬉しい。逆に、昔に制作した曲が選ばれたとしたら、案外微妙な気分だったのかもしれない。

例えるなら、10枚アルバムをリリースしている20年選手のバンドマンが、ファンから「2ndアルバムが一番好きです!」と言われるような感じだろうか。それはそれで嬉しいのだろうが、やはり何かを作る人は最新作を評価されるのが最も嬉しいという心情が確かにあると思う。

とりあえず、どの位置に受賞したかというのも今日判明したので、これはもうSNSという開けた場で慎ましくお知らせしようと思う。

実績系というか、自分から発信するこういったお知らせは、ある種の自己ブランディングは、必要な行為だと色んな人は言う。

俺はこういった行為が苦手なので、他の方々はどうなのだろうと思いアーティストさんやクリエーターさんなどの様々なアカウントを参照した。

すると、わりとみなさん「やったぜ」ということは堂々と公開している。「なんで俺は怯んでいるんだ」と、首を傾げてしまうくらいであった。だが理由はすぐにわかった。「自慢」と捉えられるのが不本意だからであろう。

例えばユーチューバーさんが「チャンネル登録者数1万人突破しました!」とかSNSで発信していても「言ってろ。何をこいつは自慢してくさる」とは、俺は思わない。「よかったですねえ」くらいに思う。好きな人だったら笑顔で“いいね”である。

いやわからない。鬱がデフォルトの頃だったら「死ね」とか思い、わざわざそいつのYouTubeチャンネルへ行き一律低評価ボタンを連打するかもしれん。

ポジティブなことをネガティブに捉える人もいれば、その逆も然り、人間の精神構造は複雑だなと思う。いや、単純だろうか。わからん。それは精神というよりもむしろ心理学の分野だろう。

とにかく、実績や評価の公開は、仕事的な観点だと「営業」や「集客」にも繋がるというのが一般的とみて問題なさげである。俺はそのへんが長けていない気がするので見習おうと思った。
_09/02

 

 


2日で秋の空気は引っ込み再び猛暑に降雨とご乱心の空模様。宅で仕事だから別にいいやと思い、窓の外を横目にカタカタと慎ましく過ごす。

もはや「何日間誰と対面して会話をしていない」という感覚すら失せた。独りがデフォルト。そんな時期もあってよいではないかと植物たちに話しかける。

「おや、新しい芽がでてきたね」

「そうなの」

「部屋の居心地はいいかい?」

「なかなかいいわ。でも、ちょっと音がでかいわ」

「それは仕事の関係もあるから堪忍ね」

「わかったわ。ドレイクとかのHIP HOPは低音が凄まじいから新しいこの子に響くの」

「それはそれで、たくましくわんぱくに育つかと」

「そうね。でもこないだからあなたが聴き始めていたSlowdiveの曲、もっと聴きたいわ」

「シューゲーザーがお好きで。あれはいいよね」

独り言をして返事が返ってきたら病院へ。そういうラインがあるとこの間も記したが、これらの俺と植物たちとのやりとりは、返事が聞こえてきているわけではなく、植物たちの思念を受けているのだから、いち生物としてまこと正常である。

植物というのは、品種にもよるが、宅の子たちはサブベースの効いた低音がウリの音楽よりも高音域の倍音が豊かなオルタナ系が好きという。そのような思念を発しているように感じるだけだが。

そういったわけで今日もデスクワークと制作と、コツコツ過ごす。よきことをコツコツ続けていれば、いつかはとてもいいことが起きる。それは間違いない。こんなにシンプルな真理に、俺は20代で気づきたかった。コツコツとパチスロを擦っていた20代の手前に言ってやりたい。

しかし、さすがに未来からの思念は現在に届かないだろう。いや、まだその受容体的な部位が未発達だからなのかもしれない。未来からの思念を受けるにはどうすればよいか。現在を頑張る。それに尽きる。1日頑張って、酒を呑んで、また明日が来る。誰にとってもよき明日が来ますように。
_09/03

 

 


手のひらに湿疹が出て皮膚がちょっと裂傷するくらいまで発展する。そういった症状が年に数回くらい出たり出なかったりする。20歳くらいからずっとそうである。最近この症状が出て、今回のはしつこいので特効薬はと思い近所のドラッグ・ストアへ行く。

事前の手前調べによると「帯状疱疹」という病名の症状と完全に一致しているのでそれに効く薬は店にあるかとピンポイントで薬剤師に聞く。しかし、それは病院でしか処方されない薬だという。

代替品として勧められた薬を買って飲む。「抗ヒスタミン薬」というやつだ。俺はこれ系の薬は、全くといっていいほど耐性がないのですぐに効果があらわれた。

そして、副作用の眠気が半端ではなかった。この薬の「ジフェンヒドラミン」という主成分は、個人的にはベンゾジアゼピン系の薬よりも強く作用した。

正午あたりに服薬し、原稿をひとつやり提出し、夕方リモート案件をして、その原稿を少し書く。以上で今日は限界であった。

「抗ヒスタミン薬」をナメていた。そこまでの重程度ではない最近の疲労蓄積も相成り、ソファで横になったら2時間は落ちる。制作の時間を3〜4時間ほど予定していたが今日はできなかった。身体が率直に「あとは休め」と言っている感を確かに感じた。薬は効いたが、副作用の方が強く出るというイレギュラーな日。

それでも今日の必須タスクはやったわけだし、ちょうど休むきっかけにもなったし、これはこれで必然的な出来事だったと悪くは捉えない。

それにしても市販の「抗ヒスタミン薬」がこんなに効くとは。体と薬との相性というのは確実にあるとドクターに聞いたことがあるが、身をもって知った。

主成分の「ジフェンヒドラミン」の半減期(薬成分の血中濃度がピークを超える時間)は約9時間。覚えておこう。風邪薬や花粉症や鼻炎薬、皮膚炎の市販薬にも含まれるこの「ジフェンヒドラミン」は俺には強烈に効くということを。そういったわけで1/3くらいはお休みとなった日。明日は全力で張り切りたい。
_09/04

 

 


10時間寝る。どう考えてもジフェンヒドラミンのせいである。耐性のない薬をいきなり多めに飲むというのは暴挙であった。今後禁忌とする。

日中はやることもやり、飛び込みの案件も対応させて頂き、全力といえば全力で張り切った1日。めしを2つ飛ばしたくらいだからよく仕事をした方であろう。

けっこうつかれたのでゆっくり酒呑んで寝ようと思う。めしを食っていないぶん、肴を多めに摂り、漫画でも読んでリラックスして鋭気を養うべきだ。

今日頑張ったぶん、明日のタスクは軽めになった。そして、昼間は知人のお買い物に立ち会うというイベントもある。手前もフィーリングで何か買い物をしてしまいやしないだろうかと危惧するが、出会いがあればそこは現金を出してもいいと思う。

「いつまでもあると思うな親と金」という、居酒屋の厠に掲示してありがちな格言があるが、俺はこれをけっこう逆説的に捉えるのもよしとしている。

「ある時に使っておけ」と。金に関しては、ある時、出すべき時、本当に必要なもの、本当に欲しいものがある時は使えと。親に関しては、いるときにちゃんと家族愛を寄せておけと。

「いつまでもあると思うな。ある時に後悔しない使い方を、接し方を」という意味では、正直逆説的もクソもなく、言葉通りな気もする。いずれにせよ、「大切に」という解釈が最もシンプルだろう。

「何事かを大切に」これが意外と深い。使うのも大切だしケチるのも大切、愛をもって接するのも大切だし距離を置くのも大切。だんだん考えるのがめんどくさくなってきたから早く酒買いに行こう。大切に酒を呑もう。これが一番難しい。
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今日は半休でお買い物に御茶ノ水へ。この地は国内屈指の楽器店街である。駅を出て緩やかな坂を南に下れば右も左も楽器店。音楽に携わる者なら自然と奮起するであろう。

とはいえ手前の買い物ではなく、お世話になっている知人がギターを購入するのを見届けるというイベント的なもの。付き添いにはもう一人、いつもお世話になっている村上氏である。彼もまた、買い物目的ではなく、手前同様アテンド役である。

知人のターゲットはフェンダー・ストラトキャスターというギターである。これはエレクトリックギターの定番モデルであり、しっかりしたのを1本所有していれば人生が格段に豊かになるという漢の必須アイテム。

一行は3、4件と店をまわり、「定番のいいやつをまず弾き比べよう」という村上氏の案のもと、中古楽器店へ行きUSA製の高額のストラトを2本試奏。

それらは、エリック・クラプトン、スティーヴィー・レイボーンという各有名ギタリストが愛用するものであり、対比するキャラクターのモデル。ここで知人はキャラ別の理想のサウンドを認知し、いざ予算圏内のギターを探しに他店へ。

次の店でそれらしきストラトがこっちを向いている。俺的には直感で「彼にはこれがベストだ」と、思った。彼もまた、しげしげと興味を示す。色、モデル、材質、価格と、文句なしの一品である。まず“当たり”とみて間違い無いと俺的には感じた。

試奏。ここで対応される店員さんもまた“当たり”を引く。饒舌かつ知識もなかなか。そして肝心のストラトのサウンドもばっちり。俺と村上氏は「この姉ちゃんに任せておけば問題なかろう」ということで別フロアへ。

そこで村上氏はあろうことか30万円のテレキャスターがお気に召したもようで試奏。テレキャスターもまた1本は持っておきたい、実は玄人向けの漢のアイテム。

「めちゃめちゃいいですね」と、俺も弾かせてもらった感想を寄せ、「さあ、いっちゃいましょうや」と、購入心を煽る。すると、村上氏からは本気で買うオーラがモコモコと湧いてきている様子。他者が買い物をすると自分も買いたくなるというのが人の性。しかし、30万円の衝動買いというのは、むしろ止めるべきだろうかという真っ当な思いのもと、黙って見守ることに。

そして、知人は漢らしくストラト購入を決断。たいへん素敵な出会いではないかと、手前がよい物を買ったくらいのほっこり気分である。

ついでに俺はギター用の機材が見たかったので近辺の機材屋に付き合って頂く。5個ほど試奏した中に、なかなか珍しくもサウンドはよし、デザインも古屋兎丸先生タッチの人物が描かれており顔もよし、という逸品に出会う。

欲しい。だが、今日買う予定ではない。しかし予算はある。そして価格もお手頃かつ決して安すぎない。正直、アラフォーが本気で悩むほどの価格帯ではない。そして必要な種類の機材でもある。さらに安倍政権がくれた10万円はまだ半分以上残っている。要は余裕で買える。しかし、「金は大切に」とか昨日考えていた。その真理に則りたい。スマホで写真だけ撮り、購入は保留して退店。

昼飯。俺は「ステーキが食いたいです」と、率直に言った。すると知人は奢ってくれるという大盤振る舞い。この僥倖たるや遠慮なく受けようと、あつかましくも高いステーキと赤ワインまで頂く。本当に美味しいものをごちそうさまでした。

もうすこしぶらりと、ということで先ほどの機材屋へ戻ると俺は先ほどフロアに直行し、対応してくれた店員さんに「さっきのやつ……」と言うと、彼はマスク越しにニヤリと笑みを浮かべ「今在庫を確認します!」と、秒でバックヤードへ。

だがしかし在庫切れとのこと。「レア品なのかチクショウ」とか思うが、店頭展示品を買うこともできるという。じゃあと思い決断。「てことは、ちょっとお値引きできたりできなかったり……?」と、上目遣いでおねだりすると、これまた秒で「では10%!」と、トントン拍子。俺はこの出会いを成就させた。

別フロアにいた村上氏はこれまた30万円超えのギブソン・E335というモデルを試奏中。たいへんよいサウンドである。E335もまた、いぶし銀の漢の中の漢のアイテム。

村上氏はさっきより購入オーラをバキバキに出しており、買ってしまいそうな勢いである。出会いを感じたのだろうか。さすがに俺は一切煽らないことに。

最終的に分割払いなど具体的な話まで進んでいたが、一旦保留という、おそらく賢明であろう判断を下していた。

そういった訳で、『タモリ倶楽部』的な流れと気分での買い物を終えて帰宅。原稿をひとつ。ちょっと寝る。制作をする。購入した機材を差し込む。たいへんよろしい感じ。

なにしろ知人が最高の出会いを成就して本当によかったと思う。きっとあのストラトは彼と長年つきそうベスト・パートナーとなるだろう。それくらい素敵な品だった。

購入予定のものは吟味して買う。その日に買う予定ではなくとも、本当に必要なものかつ出会いがあったら購入する。恐ろしく高額な品は即決しない。3人が3人とも、別の形でお金を大切にしたことが垣間見れた良日であった。おかげさまで明日からも頑張って金を稼ごうぜという気になれる。
_09/06

 

 


今日のリモート案件の相手様はレディオヘッドにレッチリにエイフェックス・ツインらWarpレコーズのエレクトロ勢と、音楽の好みが手前とほぼ一致していてほっこり。今度は直接対面でお話したいものである。

夕方過ぎまで原稿などをやり、夜は17年連れ添うフェンダー・ジャガーで録音と、せっせせっせと稼ぎに精を出す。

白井さんがまた舞台をやっているというのでLINEで鑑賞打診をピモッと送る。開演期間中、唯一手前が空いている13日を希望し、返信を待つ。

最近その界隈の方々と会っていない時期が半年は過ぎるが皆様元気だろうかと思う。その確認がてら、という目的もあるので是非行きたいところ。

ライブや舞台などの公演は、その催しが好きな者同士が顔を合わせて親交を深めるコミュニティーのような役割もあるのかと、今更気がつく。

手前が属するコミュ二ティーというのはあるのかと考えると、意外と相当少ないことに気がつく。だからと言って自分と似たパーソナリティーの人間が集まるコミュニティーであるフリー雀荘に行くというのは禁忌としている。

不思議なもので、ああいったアウトローやろくでなしの吹き溜まりと言ったら失礼にあたるが的外れではないであろう表現をしたい博奕場には、手前とフィーリングが合致する者だらけである。博奕打ちと、博奕以外のディープな遊びがしたい。
_09/07

 

 


お前は遊んでいる場合ではないといわんばかりにトトトと案件を頂く。ありがたいなと思いながら整理しつつ机でせっせと仕事をしてあっという間に夜。

近所の日高屋に行き、タンメンに餃子をつけるという手前にしてはやや豪華気味の夕食を摂り帰宅して制作をする。

何かいつもと違うことがあった日かというと、数年ぶりに餃子を食べて「なかなか美味い」と再認識したことくらいであったという地味ながらも粛々とした涼しげな秋口。まあまあ静かな1日。
_09/08

 

 


コロナ禍で静かな日が続くのもいい加減飽きてきた昨今、だが仕方ないと、いつものように宅で仕事やらをするようになって早半年。

もしかしたらこれが永久に続くのではないかと仮定した場合、世紀の一大事の渦中にいることになる。

服を着て出かけるのが当たり前のようにマスク装着は当然となり、呑み屋でガヤガヤやるのは罪悪感がつきまとい、ライブハウスや舞台などは「かつては……」という空気感に覆われる。

そうなると、そうなって欲しくはないが、宅で過ごすのがメインというのに慣れるしかない。アラフォーの俺ですらまあまあ気が滅入るのだから、子供たちはきっともっと辛いだろう。かわいそうに。

毎日だと疲れるが、やはり週の半分以上くらいは人と接して過ごしたいという手前の本音がわかってくる。いくらなんでも巣篭もり過ぎである。仕方ない。我慢のしどころであろうと思いながら今日だって粛々と過ごす。

酒で紛らわす以外に何か方法はないものか。これをきっかけにゲーム機でも買おうか。しかし現在主流のゲーム機の種類自体が皆目わからんスーファミ世代。
_09/09

 

 


死んだのかというくらい眠る。なんやかんやとあくせく過ごす日々で疲れが溜まっていた身体と脳と精神からの抗議、俺は真摯に受け止め無尽蔵に寝る。

すると15時前というまさかの時間帯。1カ月ほど振り返ってみると何もせんと休んでいた日がほぼなかったのでそれは疲れも溜まるだろうと改めて休日の大切さを知る。

振り返っている場合ではなく、今日は17時からリモート案件がある。この時間帯なのに「寝坊」という言い訳などできるはずもなく、あたかも早朝から起きて活動していたかの如き面構えで臨もうと顔のリンパを強かに流し、シャキッと蕎麦を食って机に向かう。

それから0時過ぎまでせっせとワークをするのだが、流石に寝まくった甲斐あり調子がよろしい。何度書いたことかもはやわからないが、休息というのは人間の必須項目だ。張り切りまくっていればいるほどいいというわけでもない。来週あたり思い切って3日くらい休んで温泉にでも行こうか。

そういったバカンス計画を立てて実行したためしがないここ数年。今度こそ、と思う。秘境の白濁温泉に浸かり、舟盛りをオーダーし、盃で大吟醸酒をすする。「女将さんもどうですか」などと赤いツラでほざくほど酔いどれ、中居さんにマークされる。そんな秋があってもいいじゃないかと思う。草津。伊香保。熱海。鬼怒川。別府。
_09/10

 

 


高田馬場の老舗の雀荘。浮世離れした社会の離脱者共の巣窟。ティッシュの箱くらいのラジカセからはアメリカ同時多発テロのニュースがほぼリアルタイムで流れる。

その場にいる全員が「知らんがな」みたいな超他人事として捉えつつ、いや、他国とはいえ歴史的事件を有事として捉えようともせず麻雀牌を叩く。

そんな日々を送っていた19年前を回顧。もし当時の手前に会えるなら、50発くらい往復ビンタをくれてやりたいものである。

「お前はその手の悪癖をむこう10年以上引きずる。早めに目を覚ませ」と耳元で叱咤したい。しかし、そうしたところで「知らんがな」と、目も合わせずにいるだろう。

今日は仕事をするのがやけにつらい。文字を打つのがつらい。今日やるべきタスクは3つある。1つこなしたところで覇気が失せる。しかし、やると決めたその日のタスクメモ項目を横線で引いて「こなした」としないことには気持ちが悪い。

タイピングをして、手が止まる。煙草ばかり吸う。また文字を打つ。手が止まる。ふと、19年後くらいの手前が目の前に現れて横に来たと本気で想像した。すると、「今やらないでいつやるんだ。やれ。ビンタすんぞ。50発」と、聞こえた。

実際に聞こえたのではなく、気がつくと現在の手前がそう声に発していた。すると、やった。これはもう、領域的にはなかなか神々しいところまで近づいたのではと達成感に包まれたが、客観的にはやることをやっただけ。やると、気持ちいい。

「手前がやりたいことを案件として頂けていることに対して常に感謝しろ」。これは現在と未来の手前の両方からPAN(音の定位)モロ振りで聞こえた。

自分が「やる」と決めたことをことをやる。これはけっこうむつかしい。

「路上で芝居」というスタイルのパフォーマンスで生計を立てている亮介さんという役者がいる。

22時頃、彼がいま赤羽に来てパフォーマンスをしているということをTwitterでキャッチした。彼は、「やる」と決めたことをやり続けている人間だ。俺が知る限り、2年以上はやり続けている。

早速、パフォーマンス中という赤羽駅東口へ行く。彼はやり続けている姿を見せてくれた。投げ銭をして、15分くらいお話をした。

彼の芸がどうとかよりも、シンプルに「やる」ということを実行し続けているということはやはり大切だと、そう再認識させてくれた。それが、自分自身の肚の底から出た「やる」の場合は最高だと思う。

故・スティーブ・ジョブズさんの言葉だったか、「明日死ぬとしたら、今日やることはやるだろうか」と毎朝手前に問うということ。

確かけっこう前もここにそんなことを書いたが、これは本当に大切だと思った。最近は、明日死ぬとしても今日やったことを後悔しないという日々がありがたくも多く続く。

9.11のような出来事がいきなり明日起きても後悔しないように、自分の決めたやることをやるという行為。それができている幸福。できていないときの地獄。解放されたときの、なんだろうか。「無」だろう。「もうやることねえ」と、スッキリと無になって手前という人生を完了させるまで、やることやって頑張って生きていこうと今日あたりは特に思う。
_09/11

 

 


早起きして原稿をトトとやる。そして午後から夜にかけては村上氏の仕事場へ赴き、1日仕事をするという出勤スタイルのここ最近では珍しいパターン。

8時間ほどせっせと過ごし、無事に終え、互いに「お疲れ様でした」というこの清涼感あふれる挨拶。ああ、これにだいぶ飢えていたのだなと、そう実感するくらいのスッキリ感。

たまには通勤スタイルもいいなと思った。会社員時代、特に後半は相当ウンザリしていたものであったが、やはり対面で仕事をする相手が常に居るということはでかい。なにしろ好きにサボれん。そしてなんとなしの雑談ができる。こういうのは意外とでかいのである。

このような感じで週に2、3日「通勤スタイル約8時間拘束案件」というのがあれば精神衛生上たいへんよろしいのになと考えながら最終電車に揺られ赤羽へ戻る。

南口の喫煙所では抱き合うカップルに喧嘩の真っ最中の御仁達、そしてポリスが4人というカオスな空間が生じていた。別にこの界隈では珍しくもないなとか思い、酒と小ぶりのさしみを買って帰宅。

明日は休日である。文句なしにひとつもタスクを設けていない日である。夕方は白井さんの舞台を観に行く予定だ。

帰りは赤提灯で知らない輩にクダでも巻いて過ごそうか。それとも、たまにはホリさんあたりをお誘いして近況を語りつつ呑み散らかそうか。夢は果てしなく広がる休日。いや、微妙に狭い。だがそんなことはない。幸福は半径数キロ圏内でもいくらでも転がっている。
_09/12

 

 


舞台へ行き、帰りがてら何して遊ぼうと考えたが特筆して愉しげな娯楽を思いつかないまま帰宅。結局今日やらんでもいい作業を2つくらい先だおしでやっていたら1日が終わる。

なんと地味な休日であろう。しかし出先で何人かの方と久しぶりにご挨拶できたからよしとする。それにしてもコロナ禍というのはざわざわしているようで静かだ。逆No Surprisesな心境だ。グロッケンの音が聴こえてくる。

こんな時こそ地道にコツコツと、というのも書き飽きた。しかし、大切なことには変わりないのでそこはブレずに明日も。明後日も。数年後に振り返り「逆によき時期だった」と回想できることを願う。

きっと、今の状況の時期は己を試されている時期なのだと、そう捉えよう。地道に積み上げよう。
_09/13

 

 


日常に刺激が少ない時によく見る夢がある。それは具体的にどういった内容というものではなく、色や立体感などの視覚、味覚、触覚など、かなり現実に近い感覚の夢。明晰夢とは異なるのだが、異世界にトリップしたような感覚である。

昨夜は、夢の中で足立区の鹿浜という俺が育った場所にいた。見事なツインコリダー型の団地の正面にいて、ベージュ色とあずき色のコントラストがノスタルジックな夕日の光に映える景色に見とれて圧倒されていた。

そして、そこに案内してくれた何かの係の人が俺に缶ジュースを奢ってくれた。はっきりとソーダ水の味がした。

団地の1階の部屋には、すっかり元気になった父親が住んでいた。病に罹る前よりも溌剌とした姿で、顔つきも声も50代くらいだった。

「仕事はできないけど今は……!」と、覇気のある団塊世代特有の大きな地声で俺に近況を語っていた。棚には煙草があった。

「また吸うようになったの?」と聞くと、「もういいだろ。最近の楽しみでいろいろあるから」と言われ、俺はセーラム・ライトという銘柄の煙草を吸った。

「軽いね」と、吸い応えを伝えると、「他にもある」と、シガリロや葉巻っぽい黄色のデザインの煙草を指した。箱には残り1本しか入っておらず、「ラスイチは悪いな」と思ってそれは吸わなかった。

部屋の畳を踏む感触、飲み物や煙草の味、親父の声のトーンまであまりにも明瞭に感じる夢だった。

起床し、「そういえばコロナの影響で面会謝絶だから親父と会ってないな」とか思った。そしてスマホを見ると、着信が1件。病院からだった。

親父が夢に出てきてなんともリアルな感覚のやりとりがあり、起きると病院から入電。

なんだか前も何度かあった。夢に親父が出演した翌日は、親父サイドから何かしらのアプローチがあるということを。これはもはや一種の予知能力な気もしてきた。

折り返してまず聞いた。「何か緊急のことでしょうか?」と。すると別にそうでもなく、面会ができないぶん「近況や病状を医師からお話が」とのことだった。

夢と現実の因果関係、相関関係だろうか、なにかしらあるんだなと思う。夢の中での景色や音というのはきっと誰でも覚えているかと思われるが、触覚や味覚や光加減など、そこまでリアルにというのはどうなのだろう。

別に困っているわけではないし、むしろサイケデリックな感じで面白いからいいのだが、これが異常なのか正常なのかがわからない。コロナ疲れでとうとう夢日記になってきた。
_09/14

 

 


ロックンロールな楽曲ができたので仕上げのマスタリングをする。四十路にしてロックンロールもないだろうと思いつつもそれは世間のパブリックイメージというもの。最近はフェンダーのギターがやたら売れていると聞く。実はみんなロックンロールが好きなのだきっと。

The Strokesと邦ロックを足して割ったような楽曲もできて満足。夕方、原稿をやる。めしはというと、このあいだ見つけた中華屋の弁当がやたらうまかったのでおかわりに行く。

前回その店の中国人の主人と20分くらい世間話したこともあって、「また来たアルよ」的な笑顔で迎え入れてくれた。

「こないだの弁当すごく美味しかったです。特に麻婆豆腐が」

「そうアルか!」

「またこの弁当ください」

「謝謝! お兄さんスナギモ好きアルか?」

「大好きです」

「これ、中華風味付けのスナギモよ! あげましょう」

「いや、お金払いますよ?」

「いいから! おまけアルよ」

「悪いですねえ。今度友達も連れてきますから」

「青島ビールとかもあるアル!」

実際は「謝謝」とも「〜アル」とも言ってはいないが、なかなかサービスがよく、そしてめっぽう美味しい店。定期的に来ようと思う。中国人は仕事に真面目と、その昔に日暮里の商社の社長さんに聞いたことがある。たぶん本当なのだろう。

帰宅して中華弁当プラス砂肝を食う。確かな満足。俺は毎食中華でもいける。夜は制作をする。たまには企業PR向け的なクリーンでホワイトな曲でもとアイディアを探りながらストラトを弾いていたらロックなフレーズが湧いてきたのでやはりロックンロールをもう1曲作る。

構成だけ決まり、楽譜に起こす。この時点でこの発想がボツになることはない。コード進行やリズムなど、骨組みを楽譜に起こした曲は必ず完成まで向かう。確かな満足。中華とロックンロール。四十路に中華は胃がもたれ、BPM200超えのロックンロールはちと速い。と思いきや、実際は全然そんなことないのだから俺はまだ自覚的に27歳である。
_09/15

 

 

 


腹が痛くなにかとままならぬ日。原因は昨夜食った値引き品のさしみだろうか。確か味が微妙だったが完食した。

会社に行く日とかだったとしたら休みを申し出るレベルだったが、夜になりだんだん回復。回復しきらないくらいまでいく。

しかしなんとか今日やる予定の原稿は書いて提出。制作もする予定だったが休む。ソファで横になってSlowdiveを聴く。体調不良ばかりは仕方がない。しんみりとした秋の小雨の日。
_09/16

 

 


公務員ばりの時間に起床。今日は父親の住民票やら介護保険やらの手続きで区をまたぎ4箇所に赴き事務手続きをする必要があるという罰ゲームみたいな予定の日。

行き先の足立区の西方面は交通の便が最悪なのでレンタカーを手配する。半日¥2,000前後という破格のレンタカー屋が近所にあるのだ。せっかくだから久しぶりの運転でルンルン気分で行こうじゃないかと思うが、乗ってみたらさも昨日も運転をしていたかのような感覚。全然新鮮ではなかった。

足立区で2箇所まわり、ついでに2年は行っていない墓へ。今日あたりは「墓参りとはなんのためにするのだろう」とか考える気分だが、母ちゃんが好きだったウメッシュを供えて瞑想。

生きていれば80歳だろうか。60歳で逝くとは早い。暮石の横の文字を見ると、享年25歳という平吉光さんという方も墓に入っている。俺は40歳。よく生きている方だと感謝をする。

「お母さん。ご先祖様よ。手前の家族はというと、父は廃人のような状態、兄は某区でギリギリの暮らしをしていると聞いております。わたくしは、元気に過ごしております」

そう、念をもってスピリチュアルに報告し、目をあけるとフレキシブルな光に包まれた。これがいつも不思議に思う。きっと、俺が墓参りをするという行為は、なにかしらに喜ばれているのであろうと判断してよしとする。あと、俺以外この墓にはまず誰も来ていないのだから、手前は定期的に来る役割を担っているのであろう。

北区へ戻りもう2箇所、役所的な所に行って用事を済ませ夕方。半日を要した。やれやれと思いソファで少し休憩し、コロコロしたパンを2つ食べて制作をする。

またロックンロールを作る。なんだかブライアン・セッツァーとかブランキー・ジェット・シティーみたな感じになってきてカッコいい。気分がよくなってくる。いい感じのが出来たりするときが一番幸せだ。

死んで墓に入ったら幸も不幸もない。今のうちにやることやっておこう。そういうことを感じるために、人間は墓参りというのをするのかもしれない。
_09/17

 

 


皮膚科に行く。20歳くらいの時から頻発する掌の皮膚荒れの症状が2カ月ほど前から表れてそいつが足にまで及んだのでもう辛抱たまらん。

これはもう病院レベルと判断し、意を決して行く。そこまで深刻ではないのだが、歩くのすらしんどいく気が滅入るここ最近。もう、バサッと解決したい。

赤羽の近所の病院へ。死んだ母ちゃんにどこか似た女医に診察を受ける。定期的に発症しては数週間で治り、季節の変わり目によく出て酷い時はあかぎれまで引き起こす症状の病名が判明した。

「お見苦しいでしょうが見てくださいこれを。痒くて痛いんです」

「はい。『異汗性湿疹』ですね」

「え。『帯状疱疹』というやつかと思ったのですが」

「いえ、これは異汗性湿疹です。お薬出しときますね」

「先生、俺はこいつに20年くらい軽く悩まされてきたのです。原因は?」

「不明なのです」

「先生、子どもの頃アトピー性皮膚炎で悶絶していたのですが、その関係は?」

「ありますね。アトピーだった方によく出る症状です」

「ウイルス性とかではないのでしょうか?」

「ええ。違いますよ。人に感染ったりはしません」

「酒の呑み過ぎとか関係あります?」

「ないですね。でもお酒はほどほどにしたほうがいいですわよ」

「ですよね」

長年軽く悩まされた症状にはっきりと病名がつけられると人はどこか安心する。そして、処方された飲み薬と塗り薬、どっちが効いているのかわからないが、今までのはなんだったのかというくらい即、効いた。痛くも痒くもない。皮膚の荒れは時間が経てば治る的な空気をめっぽう感じる。

それもそのはず。処方された塗り薬は「ステロイド薬」という、副作用がキツくて有名なやつであった。

しかし、調べてみるとそれはステレオタイプなイメージの方が強いらしく、長期にわたり大量に服用しなければそんなことはないという。特に塗り薬に関してはそうでもないという。

俺は思いのほかハッピーな気分になり、帰宅して笑顔で制作にかかる。速いBPMの楽曲のギターをゴリゴリに弾いても左手が辛くない。これは嬉しい。そしてこの時期にしては、というくらい案件をトトトトと頂ける連絡が。今日はよい日である。

3つほど、市販の薬で散らそうとしたがどれも無駄であったが、病院に行ったところ即解決した。どこか不具合を感じたら自己診断せずにまずプロの方に診てもらうのが得策と学んだ。

そんなことは子供でも知っていることだが、なぜ大人になるとこういった変な遠回りをするのだろう。具合がおかしくなったら病院へ。ドクターありがとうございます。
_09/18

 

 


コンビニで婆さんに激しく絡まれる。俺はチョココロナみたいなおいしい菓子パンを買いに来ただけなのに。

「いきなり後ろに立たないでよ! クワッ!」

婆さんはそう俺にピーキーなトーンで言い放つ。全然気にしなければいいのだが、俺はその言葉というか、その言い方にたいへん不快感と共にむき出しの殺気を感じたので、思わず睨み返してしまった。

しかし相手は75歳くらいの老婆である。俺は1秒で「いかん」と思い、ほほえみで返した。すると老婆はさらにたいへんな剣幕で俺を威嚇する。

「警察を呼べばいいのよ! 住所と名前を紙に書いてアタシの家にちゃんと入れて!」

この支離滅裂なセリフを2回繰り返していた。そしてその顔つきたるや、俺の父親が認知症の初期の頃、凶暴さがまだ残っている時期のそれにそっくりだと気がついた。具体的に言うと、なんとも特有の色と深さを帯びた黒マグロのような目をしているのである。

ああ、このお婆さんは認知症の初期段階、普段できたことがだんだんできなくなり、不安と怒りに満ち溢れている状態なのだと判断した。俺は医師ではないので診断はできんが、超高確率でそうだと思った。あるいは、統合失調症やらの重度のメンヘラ的なやつであろう。

そういった人達が多数居る施設を10箇所は回って観察した俺の目に狂いはない。そう思ったが、この婆さんに俺がしてやれることは何一つない。

婆さんは店内に居た酔っ払い20代男性グループにも突っかかっていた。そして一人の兄ちゃんが笑顔でたしなめるように、おちょくるように、ゲラゲラ言いながら対応していた。その光景たるや、ある角度から捉えれば美しく、ある視点から見ればカオス。超高齢社会の淵。

俺はチョコとクリームが入った菓子パンを一つ買い、店を出た。同じく店を出た婆さんは道脇の草とかに傘をグサグサと刺しながらやさぐれていた。

あの婆さんはきっと、その怒りのエネルギーもだんだんとなくなっていき、家族に疎まがれ、施設なりにブチこまれ、何がなんだかわからなくなっていき、わけもわからないまま死ぬのだろう。

そう考えると悲しい気持ちになってきた。自分でも自分をどうしていいかわからなくなったら、自分というやつはまず他人に攻撃する。果ては犯罪。あるいは、自分を攻撃する。果ては自殺。

自分をどう、いつまで、どのようにして保つか。あの婆さんを見ていてつくづくそう考えた。キッチンで菓子パンを食い終わる頃には忘れかけていたのでちゃんと書いておこう。自分を保つことの大切さたるや。
_09/19

 

 


この世の終わりか大変革かというような景色と体験の夢を見る。五感がくっきりしている妙にリアルな夢。たまにあるこれは何なのであろう。季節の変わり目のせいということで手打ちとし起床、急に安くなったレタスをモリモリ食って机に向かう。

原稿をやって安い弁当を食ってちょっと寝て制作をする。コロナ禍となって半年、50%くらいの日はこういった感じで過ごしている。

資金面は大丈夫かと帳簿を見たり金勘定をしたりするが、「詰んだ」と思った4、5月あたりの最低売上額からだんだんと回復をみせている。こういった時期であっても案件を頂けることに対し、関係者のみなさまに対し、多大なる感謝の意は禁じ得ない。

この調子で資産を増やして近所にマンションを買ってネコを2頭は囲い、隙あらば伴侶を探して豊かに暮らしたい。「38歳あたりから俺の人生はV字回復し、その後は天井知らずであった――」と、60歳くらいの日記にそう記したい。
_09/20

 

 


今日はお休みである。しかし無駄に早起きをしたので先倒しの作業などをして昼、消耗品を買いに池袋へ行き14時、戻って秋の爽やかな湿度のなか日光浴にふけり地元駅前で16時。

今日は友達がわざわざ赤羽まで来てくれ、なんやかんやと近況やらをまぐわう予定。19時から宅でトークをし21時、ハンチョウの店へ呑みに行く。

ハンチョウの店とは「赤羽ホルモン焼御殿」という、俺が2002年前後の頃に「赤羽パーラー新世紀」というパチンコ店員時代の班長だった上司が主人を務める近場の名店である。

酒を交わし肉を焼き、「死ぬなら富士山付近の樹海で睡眠薬を一気飲みして逝く」だの、「河村隆一さんの歌い方はとにかく丁寧でよい」だの、「この牡蠣焼きの味わいをロック・ボーカリストに表すと浅井健一さんだ。いや、玉置浩二さんだ。へええ、意見が分かれたねえ」などと、話に花が咲く。

友達は終電で帰宅。俺はというと、今日はお休みなので羽を伸ばすべくそのまま店で一人呑む。すると女性2人組がさも他人という境界線は存在しないかのようなアタック感で絡んでくる。

「おいロックンロール。犬は好きかなあ?」

「ヒデアキ。ヒデアキよおコラ」

言っていることがそれぞれわけがわからない。しかし、酒は3杯ほど入っているが全然酔っ払っていない俺は右脳で理解した。

今日手前が着ていた浅井健一さん風のロック・ミュージシャン的なシャツを捉え「おいロックンロール」というアプローチが出た。そして、「ヒデアキ」呼ばわりされたのは、後に確認し正解と判明したが、伊藤英明さん風の面構え、と言ったら伊藤さんに失礼にあたるかもしれないが、インスピレーションがダイレクトに「ヒデアキよおコラ」と、言葉に出たのであろう。

「おい、ロックンロールか?」

「はい。ロックンローラーでお願いします」

「私はな、不動産屋だ。悪徳ではないわよのね。お前はロックなのか?」

「そりゃあもう。見てくださいこのシャツを」

「ワンワン!」

俺は暇だったので彼女らと小1時間共に酒を交わした。ヒデアキ呼ばわりしてきた女性方はベロベロであった。そして小さな犬を抱えていた。されど俺はなすがままに犬コロを胸に抱えさせられた。

「だめよ。ロックンローラーはネコのほうが好きなの」

「いえいえ。ネコも好きですが犬もなかなか。よーしよしよし」

犬コロは意外と懐いてくれた。抱えると俺の腕の谷間に顔を埋めてくる。眉毛が生えたかのような凛々しい顔、艶やかな毛並み、ちいさな手先、かわいいものである。

「おいヒデアキ。名前は何だ」

「はい。ひら……伊藤です」

「そうか。そうそう。それな。そういうことであってだな。ゲフッ」

といった感じで楽しく過ごし閉店時間。お会計をするもさほど酔っていない手前は近場で一人呑みができる店を探す0時。しかし赤羽は酔いどれの街とはいえ各店の引き際は早い。めぼしい店もなかったので缶酒を一つ買って帰宅。

たまに街へ出て呑むと楽しいのだが、そのぶん帰路はなかなか侘しくもある。今日あたりの乾いた秋の天候も相成り、そのメランコリックを引っさげ日記をカタカタとしていると腕から香る犬の匂いが気になってしょうがない。

嫌ではないが、じゃあ酔いどれの彼女が言う通り、やはり俺はネコのほうが好きなのであろうか。されど、手前はロックンローラーという認識でいいのであろうか。いずれにせよ悪い気はしない。楽しかったが、楽しみがブーストされればされるほど感ずる寂しさは秋の色。
_09/21

 

 


若干の二日酔い。昨夜は「にんにく酒」というにんにくの味しかしない鋭利な味わいの変わり種を呑み、翌日はさぞや香るであろうと危惧したが全然スッキリしたものである。心なしか下半身が熱い気がしなくもない。

デスクワークをして制作。指が疲労でやられるのではというくらいギターを弾いて録音する。昨日とはうって変わって日常的な1日。にんにく酒が効いたのか、指以外は全然疲れない。なんならこれから20時間くらい麻雀が打てそうなコンディションである。

昨日、友達と「ギャンブル依存症」について少々ディスカッションをした。彼もまた、好き者なのである。

俺は、今は博奕を打っていないが、いつあの熱が再燃するかわかったものではない。1日1日、打たないという日を積み重ねているだけである。

数日前に青木さやかさんが書いたネット記事にも同じような内容がしたためてあった。彼女もまた、ギャンブル依存症なのだという。「辞められたわけではない、今は打っていないだけだ」という点は全くもって共感できる。各種依存症というやつは、治るものではないと思う。

こういった内容を定期的に記すという行為も、再び依存症に陥る“スリップ”を食い止めている役割がある。書いておく、という行為は案外力強いのである。

そういったわけで宅でおとなしく酒を2杯くらい呑んで静かに過ごそう。昨日池袋で買ってきた「ノイリー・プラット」を呑もう。この、依存症と予備軍の間くらいのギリギリの関係性くらいがちょうどよい。
09/22

 

 


やはり酒は350mlで100円程度のジャンクな類ではなく、ベルモット酒のようなある種ちゃんとしたやつの方がよい。目覚めが違う。すっきり早起きして張り切る。

これを機に、「ボトルを宅に置く」という禁止事項を解禁してもよいのではないかと思う。なぜ禁止したかというと、バーボンのボトルでも置いておこうものなら一晩で半分とかそれ以上とか無尽蔵に呑んでしまうからである。フォア・ローゼズをよく呑み散らかしては翌朝後悔していた20代。

だが、俺もそろそろ「自制心」というものがようやく人並みくらいに働くようになった。ギャンブルを禁忌とし、自制心を司る前頭葉がもとに戻ったのであろうか。逆に言ったら、リアルカイジ時代の俺の前頭葉は完全に壊れていた。

今なら大丈夫な気がする。むしろボトルから2杯くらいの方が健やかな呑み方な気がする。安い缶酒も好きだが、やはりコスパがよいぶん、あらゆる謎添加物が入っているため、肝臓や胃腸以外によかならぬ影響があるという認識は見当違いではないと思う。

しかし、どんな酒であろうとアルコールが脳にまわれば各種の脳機能を低下、あるいは麻痺、ある種、精神を解放させる役割がある。

「酒を呑むと本性が出る」とはよく言ったものである。理性の壁がアルコールにより突破され、その人間性があわらになる。

「そいつが実はどんな奴か」というのは、一晩しっぽり共に呑んで判断するというのも一つの手段。

酒を呑んで本性が出る、すなわち、「酔っ払ったらどんな感じになるの?」という質問に対する答えである。

だいたいの人は、体感的に9割の人は、陽気、饒舌、といったところだろうか。たまに暗くなる人もいるがそれは少数。だいたいはファンキーな人格が明るみになる。みんな実は明るくて人恋しいのであろうか。

「酒乱」と呼ばれる人種は凶暴性が明るみに出る。酒を呑むと、ではなく、もともと凶暴な人格なのだろう。

手前はというと、健やかな精神状態の時に呑めば必ず明るく元気な欧米人くらいのテンションになる。そして知らない人によく絡む。実は俺には南米の血が流れているのかもしれない。いや、それはこのあいだ戸籍謄本で確認したが、先祖はわからん。

たまに外国人と接する機会があると、どういうわけか日本人と接している時よりもなんというかやりやすさを感じる。言葉があまり通じなくても、なんか波長が近い気がするのである。それはシラフの時も同様。

俺は近いうちに一度外国で一定期間過ごす必要がある。今まで知らなかった、この歳になっても認識していない何かがあると思う。年始あたりにとりあえず英語圏の国に行ってみようか。いや、この有事、お国のために自国でコツコツ頑張ろう。

ほとぼりがさめたら渡米なりして本場のバーボンを呑むというささやかな楽しみを作っておこう。いや、ラスベガスに行ってしまいそうなのでまずはインドとかにしとこう。そして悟ろう。チャクラを開こう。欧米はそれからだ。
_09/23

 

 


目の前で人が死んだり生き返ったりするサイコな夢を見る。手前の深層心理たるやどうなっているのだろうと思いながら起床。起きればそういったことはわりとどうでもよくなる。

いくつか仕事をして、最近お気に入りの駅東口付近の中華屋へ弁当を買いに行く。中国人が作った本格中華弁当が380円なのである。すっかりリピーターとなった俺は、主人に何も言わなくても「温めるアルよね?」とナチュラルに笑顔でサービスを受けるほどの以心伝心っぷりである。

今度、知り合いをたくさん連れて行ってこの名店に貢献しよう。そう思うくらい、ここの弁当は美味いのである。食べながら「確かな栄養を摂っている」という幸せな感覚に包まれるのである。

めしの余韻をひっさげながら制作をする。最近着手していたロックンロール楽曲を仕上げる。完成したものを聴けば聴くほどブライアン・セッツァーとブランキー・ジェット・シティを足した感じである。

要は速いテンポのマイナー調スウィング・ロックンロール。そういうコンセプト通りに仕上がったからむしろ喜ばしいのだが。「この曲をバンドでやりたいな」とか、「ストラトキャスターではなく、グレッチでこの曲を弾き倒したいな」などと、ある種の寂しさも覚えながらファイナライズ。

手前でも「カッコいいな」と思える楽曲が仕上がった時の確かな満足感たるや変えがたいものである。

めしだってそうである。きっと、あの中国人の主は、何度となく足を運んでくる奴に「美味しかったからまた来たよ」とまで言われて弁当を売ることに、きっと確かな満足感を得ているだろうと思われる。

自分と他人が満足し合っていれば争いやネガティブな人間関係は生まれないのになとか達観的な思いが体から漏れるような感覚の秋本番。涼しげな夜。
_09/24

 

 


リモート案件が2つ。片方は電波だかの具合がばっちりでスムーズだが、片方はラグがなかなか強かに生じまくり、もどかしくもあった。

Zoomのこのシュッとしている時とそうでない時の原因は何なのであろう。そう思いつつ、やはりアナログ気質なこともあり対面でそろそろ仕事がしたいなとも思う。

原稿をポポンとやり、めしを食って制作をする。何が喜ばれるかとウンウン唸っているうちに30分ほど寝る。

やはりデジタルが発達しまくっている昨今、むしろアナログ手法な感じのやつに需要があるという発想のもと、人間の手によってしかできないであろう音楽を作ろうと思う。

この先、AIが自動で作曲からマスタリングまでやってしまう時代が来たとしても、ロックンロールの人間くさいグルーヴやバンド感特有の味、生演奏の人間味は、人の直接的な手法でしかできないと思う。じゃあと思い、シューゲーザー的なやつを作ることにする。ソニック・ユースやSlowdiveみたいなシューゲ的な味はAIには出せないだろう。

そういったわけで楽器を持ちつつ机に向かいつつ、基礎的な部分ができてほっこりする。ベースのパートひとつとっても、機会的な打ち込みと手弾きの違い、えもいえぬ差が間違いなくある気がする。

そういった、数値化できない、目に見えない部分の要素に人間の琴線は揺さぶられるのだろうという持論のもとせっせと作る。

生演奏、生での対面、そういった、数値化できない味わいの人間味とは何なのだろう。最終的に人間はこれを求めていると俺は思う。

3年くらい前、死にかけの初見の老人と握手をした時「ああ、しあわせだあ」と、言われたことがある。その時、確信したのである。結局、あらゆるかたちで、生きた感覚に触れることによる幸福にかなうものはないのだと。

「生で触れる」ということがタブーとなった現在、本当に特殊な期間だとつくづく思う。せめて楽器は生でいこう。

とはいえ久しぶりにエイフェックス・ツインのようなデジタルの神みたいなやつを聴くとそれはそれで打ちのめされる。それでもエイフェックス・ツインはアナログシンセなども使いこなす。やっぱりバランスよくいこう。デジタルとアナログ。
_09/25

 

 


雨ばかりで散歩にいけない。運動不足も深刻なので鉄アレイで筋トレなりしてごまかす。

普段通り、原稿やら制作としめやかに宅で過ごす。一人で過ごしすぎているものだから、雑談に飢えている。ゆえに具体的な案ができた。

同じく一人での仕事がメインという方々を数名集め、事務所を借り、皆んなで出勤スタイルができるワークスペースを作ろうというものである。出勤退勤時間は各自の自由。

ラップトップ一枚あればできる仕事があればそのオフィスに行き、各々仕事をする。宅の機材などが必要な作業は戻ってやる。

数人集まれば、その者達で協力してできる新たなビジネス案も生まれるだろう。それもやって皆んなの利益とする。これは新しい仕事のスタイル、実に名案だと我ながら思う。すでにあるスタイルなのかもしれないが。

その場合家賃がかかるのでそこだけ懸念がある。それだったら各々の仕事を合体させて会社を創るというのもいいかもしれない。これは楽しそうである。

必要なのは人と資金だ。とりあえず、手前の現状の仕事で元手を稼ぎ、それから色んな方に声をかけるのもいいかもしれない。フリーランス業をやっている各々の、独立採算制メインの会社。面白そうである。

目的があると人は変わる。具体的に言うと、行動が変わる。この場合は、この案ないし目的がなければ会社設立やら都内オフィスの家賃やなんやらと調べることはないだろう。しかし、そういった目的がガチであれば、まず本屋なり図書館なりに行き、あるいはネットを駆使し、その手の情報を集めて勉強しだすだろう。

そういったわけで手元の案件と制作楽曲のストックが十分できたら、あるいは隙間時間にお勉強をしよう。まずは5年計画くらいでやってみる価値は十分あるだろう。5年後、手前は45歳。そう考えるとなかなか人生長く過ごしてきたなとつくづく思う昭和生まれ。
_09/26

 

 


フリーで仕事をしている仲間から一報。「コワーキングスペース」というものがあるらしい。昨日俺が考えた案そのものである。やはりすでにあったのかと調べると、それは、基本的には知らない人同士がワークスペースを共有するというもの。

なかなか魅力的だと思った。そして、直ちに情報を提供してくれた仲間に感謝申し上げたい。コワーキングスペースは、半分理想通りだが、半分はもうちょい欲しいところ。

というのも、俺の理想は「自身が受注した仕事をする仲間者同士がオフィスを共有する」というもの。加えて、「新たなアイディアが生まれたら秒で協力して行い、利益をあげる」というもの。

というわけで、俺がやりたいのは「コワーキングスペースでの作業」と「会社設立」の中間くらいのものである。たぶん、こういった概念もすでにあるだろうと思い、本屋へ行く。調べるという行動に移しているということは、手前的にガチめなのであろう。

本屋で会社設立のことが書いてありそうな本を少し読む。そうか、便宜上「有限会社」というのはもうないのか。別に「資本金」という名の実弾がなくとも会社は創れるのか。今は「取締役」というお偉いさんは最低一人でもいれば会社が成立するのか。など、基本的なことを初めて知る。知らな過ぎである。

だが、断片的な情報と事実を少しずつ蓄えていけば目的には近づくであろう。ボヤっとした「できたらいいな」に対し、具体的な情報に向かうにつれ、その気概の根源もわかってきた。俺はシンプルに、仕事仲間が欲しいだけというのが根っこであるということに今日気づいた。

イメージ的にはこうである。

「おはようございます」

「おす。遅いですね。今日は何やるんすか?」

「俺は夕方まで原稿をやります。あとは宅の仕事場で制作を。おたくは?」

「僕はこのコンサルの件でクライアントと打ち合わせする資料を作りつつの」

「へえ。彼は今何やってんですか?」

「ああ、あいつはこないだの件を広げて今3人でやってますよ。まだ人が足りないみたいですね」

「じゃあ俺も参加させてもらおうかな」

「いいんじゃないすか。喜ばれますよ。そういや平吉さん、YouTubeまだやんないんすか?」

「やりたいんですけど企画が思いつかなくて」

「あの若手が面白いこと言ってましたよ。ドッキリ系企画のかまされる役を探しているって。一緒にやってみたらどうすか?」

「それいいすね」

という感じでその場にいる全員の仕事が、資金が、モチベーションが、それら全てが枯れずに、昇り続けていくように、一緒に楽しく仕事をしようというものである。そこには上下関係もほとんどなく、少数精鋭につきドロドロとしがちな人間関係も生まれない。

供託金のように毎月、あるいは四半期に一度全員で売り上げの何パーセントかを組織名義で蓄え、誰かがピンチになったときはそこから補填する。誰も社会的に死なずに、各々が己のスキルに特化した仕事をやり続けられるというシステムである。

この制度、あるいはスタイル。すでにあるのだろうか。会社に近いが少し違う。基本的に給料制ではないが、オフィスに出勤するという行為のみで月にいくらかは分配する。それは、供託金あるいは資本金から捻出される。全員に対しての救済処置を常に備えておく。これは社会保障に近い。

というわけで少しずつ勉強をしながら、みんなで楽しく自身の強みを仕事にすることを集団でやるオフィス作りという目的に向かってみよう。

言い出しっぺの俺がドンと実弾を用意すればきっと、乗ってくる同志はいると信じたい。実弾がなければどこか説得力がない。

はっと気づいた。「5年計画」という昨日のフレーズ。そして、6月に受けた「5年返済」という日本政策金融公庫からの借入金。そんな大した額ではないが、返し終えれば次に融資を受けやすくなると太鼓判を頂いたことを思い出した。

そうか、5年後、手元に実弾がなければ低金利で国からの借り入れで一勝負という超具体的な足場をすでに組んであるではないか。(できれば借入金ではない手前の実弾が理想的だが)これか、点と点を線で繋げとはこのことか。まだわからんが。

意外とフワッとしつつもどこか現実味を帯びているこの案。これはちょっと棄却したくない。とりあえず今は、当面は、長くて2年。頂ける案件をやりながら、永続的な所得に繋がる制作等に精を出そう。

具体的には、何もしなくても毎月最低10万円以上は入ってくる足場をガッチリ組もう。これは、頂ける案件をやらせて頂きながらでも、本気で頑張れば2年以内に達成できる数字である。

みんなが楽しく仕事ができるオフィス作り。素敵な目的だ。その場所での「今日はもう呑みに行っちゃおうぜ」という言葉は、たいへん感慨深いものとなるだろう。
_09/27

 

 


毎日1食は野菜を調理したなにかしらを摂っている。それは生活習慣病などの予防に繋がるから、というわけではなく、単に葉っぱを食うのが好きだからである。しかしそれが功を成しているのか、血液検査の結果はいつだって最高に健康である。

そんなことを考えながら、冷蔵庫の野菜室のストックを見つめる。「肉室」「魚室」というスペースが冷蔵庫にはないのに、なぜか「野菜室」だけ独立してある。これは野菜がいかに人間の食生活において重要かを物語っている。そう捉える。

そういったわけでプチトマト入りオニオンサラダを食って仕事をする。リモート案件が夕方ひとつ。先方がふいにビリー・アイリッシュの話をしたので、おもわず即時的に「ああ! 今日ビリー・アイリッシュが夢に出てきたんです!」と、たいへん個人的な発言をする。

別に弊害はなかったのだが、頭で繋がった思考を急に口にする癖は直した方がいいなとかなとちと思う。しかし相当自覚があるので、特に悪口というか相手の気分を害する類のものはかなり気をつけているつもりである。昔は止められなかったが。

夜はいつものように制作をする。せっせとストック収益に繋がるものを作ろう。こう、畑を耕している感覚に近い。

種を蒔き、葉っぱを生やし、実を摘み、蓄えよう。実や葉っぱを常に蓄えておこう。手前の野菜室を肥やしてみんなと共有できるくらいになろう。

そして肉や魚を手元に肥やしている人と手を取り合って繁栄しよう。みんなが楽しく仕事ができるオフィス作り。ここ数日考えているこの発想は、突発的な思いつきで終わらせたくないものである。こういうことに限っては、むしろすぐに口に出して言った方がいいことであろうと捉えよう。
_09/28

 

 


同じ内容のことを短期間で別の人間が3回以上言ったのを聞いたら、それは天とか神やらが手前に向けているメッセージと捉えた方がいい。というスピリチュアル的な思考がある。俺もいよいよだなと思う。

いや、スピリチュアルな感覚は決して否定していない。むしろ、「なんとなく」のセンスはわりと大切にしているところ。昨日までの数日で別の人たちから3回以上言われたことは、「頑張りすぎず休み休み。ずる賢い時があってもいい。ダメな時があっても大丈夫」というそれぞれの内容である。

直接俺にそうアドバイスをもらったわけではなく、「それくらいでいいんだよね」といった感じでマインドを示したのを聞いた、ということである。

概要をまとめると、時には思い切って休んで、時には本音を張らずにスルーすること、ギチギチに予定で自分を縛り頑なにならないこと、そういったところだろうか。

確かにここ最近数ヶ月、コロナ禍という時期でどこかに行ってどうこうという予定は減ったものの、自宅でやる案件や制作など、手前をみっちり縛って一人でくたびれていたきらいがある気がした。みっちりというとちょっと盛っているが。

そういったわけで今日は、別に明日でも明後日でも、なんなら3日後に提出しても特に問題がないタスクをひとつお休みした。すると3時間ほど時間がぽっかり空いた。

思い切りサボろう。そう思い、俺はとりあえず前から興味があった「イヌイット」の暮らしをYouTubeとかで観たり、北方領土の町並みやらがどうなっているのかを探ってみたり、旅行に行きたいので大阪や新潟、奄美大島、池島までの交通手段および費用を調べたりした。これは有益な時間の過ごし方と言えるだろうか。

そう思った時点で俺は気がついた。「時間は有益につかわなければいけない」という思考に囚われていると。

確かに時間は有益につかった方がよいが、それを10割キッチリとなるとくたびれる。それができる人はできるし、なかなかつらいという人もいる。俺はその中間くらいである。よって、8、9割くらい有益に過ごせればいいじゃないかというマインドを加えることにした。

その方がむしろ「有益な時間」というやつの「密度」が濃くなってむしろ賢明ではないかと思う。昨日話した方は似たことを言っていた。「休んだぶん、もっと前に進めるようになる」と。

イヌイットの暮らしをおおまかに把握したあと、本屋に行きリリースを待っていた渡辺潤先生の新作極道漫画を買った。ホームセンターで長方形の厚底トレイを買った。スーパーで安いワインとさしみを買った。帰宅してめしを食い、底がバカになり水がダダ漏れの洗濯機の底部にトレイを差し込み完璧な対策をした。そして1時間寝た。

この3時間で、かなり色々なことを考えた。たった3時間本気で力を抜くだけでこんなに違うとは。そうなると思い切って一週間とか休んで旅行とかに行ったら人が変わってしまうのではないだろうか。

ということで頑張らない時間を経て頭から煙がひとつ抜けたような感覚に包まれ、制作をする。とてつもなく捗る。

「24時間働けますか」というバブル期の頃のキャッチフレーズを今放ったら炎上必至である。むしろ「頑張り過ぎるなよ」という感じが今の時代には合っているのだろう。そんな今日、その旨を発信し世間から大きな共感を得た芸能人のツイートを目にし、「やっぱそうなのか」と思った。

自分を保つためには腹をみせて転がるくらいオフになることも必要、ということだろうか。何事も便利になった反面、メンタル面の工夫がかなり重要になってきたという実に興味深い時代。
_09/29

 

 


今日はサボっている場合ではなく、昼は原稿をやり、夕方からは村上氏の仕事場へ赴き共同作業で仕事をする。この、たまに出勤する感じはとても好きだ。週5だとたぶんへたれる。

深夜までやりおおし帰宅。侘しくも乾いた空気感に包まれながらすっかり秋だなとしみじみ。毎年秋にやってくる病的にメランコリーな気分、あいつは今年はお休みのようである。

こなければこないでちと寂しい。不思議なものだなと思うがまだ秋は中盤。来月あたりズドンとぬかるんだ鬱の触手に襲われるかもしれない。そうなったらそうなったでその時考えよう。

今月は何があったかと総括したい。そう思い、このページのド頭からざっと読み返してみる。第三者的な、客観的な目線で読むと、「こいつは真面目に日々を過ごしているのか毎日ふざけているのかわからん」と感じた。

時に真面目に過ごし、時にふざけ、時には悟ったようなことを抜かし、時にはサイコなことを綴り、だいたい毎日2杯は酒をあおり、日々を泳ぐように過ごす。

それくらいでいいと思う。
_09/30

 

 

 

 


 

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