10/2019

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
10月


溜まった原稿を1日中書くという1日。話し相手がいないと楽なようだが誰かと話したくともなるアンビバレンスな心理。人間特有の矛盾。

とか考えていたらそんな電波を受信したのか、夜、友人が高価そうな車で機材を預けに訪問。スッと帰ると思ったら色んな話をして3時間が経つ。

俺は友人が非常に少ないから、そんなちょっとした3時間が、人生のなかでどれだけ素敵なものであるかということに疑いを持たない。

話をしているうちに、俺も彼も、自分のなかで、対人関係において相当大事にしている点が一致していると初めて知った。それは、「個々の多様性を尊重する」という点だ。彼は「ダイバーシティ」と表現した。

自分目線だけではなく、相手の考えやスタンスを尊重し、認め合う、といったところだろうか。それがないと、必ずどちらかが、どちらかの支配下にあるような、個人的には最悪と思っている人間関係となる気がする。

組織ではこれは有効に機能する関係性かもしれない。親分と舎弟とか、そういった関係だろうか。しかし、そこに「アニキ凄えっす!」みたいなリスペクトがあれば良い感じなのだが、そうでなければただの無駄なパワハラである。パワハラは、友人、知人関係でも発生する。

俺も無自覚にそんなことをしていた時期があったと思う。今は、相当気をつけている。というか、ハラスメントできるほどの権力的パワーがあるかどうかと考えると、欲しいような要らないような。
_10/01

 

 


今日も溜まった原稿を1日中書くという日なのだが、昼下がりに友人が訪問する。彼は完全に俺の仕事部屋を「赤羽に来た際たまに寄る喫茶店」だと思っている。もちろん歓迎するから良いのだが。

珈琲を飲みながら3時間ほどトークをしつつ一緒に楽器で遊びつつと、一人デスクワークのみの1日であったら、こう豊かな日にはならなかったであろうと思いながらゆるやかほっこり楽しく過ごす。

しかし不思議なもので、昨日も今日も、俺が在宅中であることを知っているかのように友人が訪れる。やはり電波だろうか。俺は電波系は嫌いではない。むしろ必要だと思っている。何故ならば、それは直感とかそのへんのスピリチュアルな感覚だと認識しているからである。

俺が本気で忙しくてテンパっている時にカットインしてくるような輩は、そもそも電波が通じ合っていないのであろう。だから、「ウマが合う」とかそのへんの感覚の正体は電波だ。俺は電波を大事にしている。
_10/02

 

 


2つ目の案件後、先方の方に「ちょっと一杯行きますか?」と、お誘いいただき何となく普通に呑みに行く。渋谷。ホッピーをカラカラと呑んで過ごす。

初めて呑みに行く方、わりと歳上で地位のある方だが、なんとなくウマが合うというか、心地良く時間を共にする。

なんとなくイレギュラーな時間の過ごし方だったが、なんとなくウマが合う方とだったら、予定がちょっとズレても全然良しとなる。

対人においてのなんとなくは、「それは良い方向だ」と、直感が判断すればだいたい良い方向に向かう。そういえば、初対面の時も好感覚の方だった。やはり、初対面の印象と直感はだいたい合っている。
_10/03

 

 


やや二日酔いで昼イチ案件に向かう。夜の案件まで隙間時間が3時間強あったのでカッフェでカタカタと過ごす。

そのうちなんだか体調が変に良くなってきて、捗るわ捗るわのちょっとした躁状態に。若干前倒しで仕事が進んでいるときの感覚を俺は“確変”と呼んでいる。

その後も今日いっぱい確変は連チャンし、帰りの電車内でもMacを開いて原稿を書いて隙間時間の1分1秒を惜しむ始末である。明日も続いていれば良いのにと思う。

確変とは確率変動の略語で、ギャンブラーが使うスラングである。いつもより良い状態が継続することを指す。具体的に言うと、要はパチンコで当たる確率が高くなっている状態が継続しているモードである。

昨日酒をごちそうしてくれた先方の方に、「以前から平吉さんからは只者ならぬ“カイジ感”を感じていた」と言われた。

カイジとは、ギャンブル漫画の主人公の一番有名なキャラである。「失礼。博打は足を洗ったつもりが、まだカイジ感出ていますか」と、言ったら「悪い意味じゃあないですよ」とフォローされる。

「只者ではないと感じていた」と言ってくれたらなんとなく俺は良い気分だったのだが、きっとそういう意味で言ってくれたと自分に言い聞かせる。こういうのは良い解釈で受けとった方が精神衛生上とても良い。

そういったわけで、俺は誰かをさりげなく褒めたり気分を良くしてもらうためのテクニックを一つ手に入れた。「〜さんって、なんか只者ではないと感じてたんですよね」と軽く眉をひそめて伝える。

直接褒めているわけでもなく、ヨイショしているわけでもないのに、これを言われた人はけっこう良い気分になると思う。なんともいやらしいアプローチな気もするが、これは使える。
_10/04

 

 


深夜、宅近所で、倒れこんでいる27歳くらいのスーツ姿の兄ちゃんを見かける。

金曜、深夜3時、「休日前に勤め人が呑みすぎて路上で寝た」と判断して間違いはないだろう。

「兄ちゃんいけるか?」と声をかけるが無反応。死んでるかもしれん。揺さぶってもビクともせん。

俺は飲み水を持っていたので、チョロっと頭にかけてみる。

「うひゃぁ…」と、反応があった。面白いので耳にもチョロっとかけてみる。

「うへへへぇ…」と、何だか気持ち悪いリアクションをするも起きん。近くにiPhoneが転がっており、LINEのポップアップ画面で「今日は楽しかったよ!」という通知が、「ゆかり」という女性っぽい方から来ていた。

「おい兄ちゃん、ゆかりちゃんが『今日は楽しかったね!』だとよ」と言うと、こいつはムクリと起きた。

「…ここはどこ、ですか?」

「赤羽だよ。君は呑み過ぎっぽいね。水を飲め」

「ありがとうございひゃ…ゴクゴクゴク」

こいつは俺が買ってきた水を全部飲みやがったうえに足りなそうな顔をしやがる。しょうがないからもう1本自販機で買ってめぐんでやる。それも飲み干しやがる。

「名前は?」

「うにゃららユウキです」

「ユウキ君よ、危ねえからここで寝ない方が。通りかかったのが俺でなくて不良外国人とかだったらそのiPhoneはパクられてたぞ」

「ああ…ゆかりちゃん…!」

「そのLINEのゆかりちゃんとよろしくやって呑み潰れたと?」

「えへへへ…」

「キモいな君は。仕事は何を?」

「ITの、社畜っすよ…ああ!」

「どうした?」

「入館証、社員証…あった!」

「それ無くしたらセキュリティ的にも立場的にもヤバかったやつな。良かったね」

「あぶな…あの、水とか、お礼を…」

「いらんよ。カバンとか財布とか大丈夫か?」

「財布! あった…お金を…へへ。諭吉がいっぱい〜」

ユウキ君の財布の中にはけっこうな額が入っていた。そして俺に礼として千円札を5枚くるめて渡してきた。

「いらんよ。水2本で200円なんだから」

「いや、こんな良い人、出会いに、乾杯をあっちで…」

「もうやめとけ馬鹿が。くれるならそっちの諭吉の方を5枚くれ」

「いいですよ。はい。ありがとうございました!」

「ユウキ君よ、君はあまり呑み過ぎない方が良いかもしれん。金がいくらあっても足りんよそれじゃあ。返すよ」

というわけで5千円、あるいは5万円取りこぼしたわけであるが、こんな酩酊状態になるまでラリるほど、IT企業の勤め人は大変なのだなと思った。

「帰れるかい? 家はどこ?」

「志茂っす」

「じゃあ歩いて10分圏内だな。気をつけてお帰りよ」

「あの、お名前は?」

「阿部寛だ」

「ありがとうございます阿部さん!」

「ゆかりちゃんによろしくな」

「阿部さん、今度会ってお礼を…!」

「そうね。いま名刺持ってないから酔いが醒めたら『阿部寛』で俺のことをググって調べてコンタクトしてくれ」

「わかりました! ありがとうございます!」

水をもう2本買って俺も帰る。5万円損した。
_10/05

 

 

 


やけに調子良く起床する。原因は絶対に昨夜の焼肉である。新宿での案件後に、エンジニアの中島さんと、一緒にいた原田さんと“思い出横丁”で過ごす。

1時間ほど、次々と肉をがっついた挙句ビール2杯呑んで楽しく話をするほっこりした時間。たいへん豊かな時間。会計は原田さんがやっつけてくれる。なんとありがたいことだろう。溢れんばかりの僥倖。

この間も先方の方にごちそうしてもらったばかりである。奢られっぱなしはいかがなものか。もっと稼いでみんなに奢りたい。現金が欲しい。仕事をしよう。最近仕事ばかりしているがもっとしよう。もっと稼いでみんなにお酒を奢ってあげよう。原田さんごちそうさまでした。
_10/06

 

 


20年後のことを考えてみた。急激な右肩上がりの波を見せるテクノロジーの進化や、情報量の増加とか、そのへんを鑑みると、いまの常識は半分以上、非常識となっている気がする。

労働をしなくても生活ができる社会、いわゆるベーシックインカムが日本でも導入される確率はけっこう高い気がするし、タップひとつで相手の考えや気分が測れるデバイスなんかをみんなが体に装着しているかもしれない。

小学校の音楽室のバッハやモーツァルトの肖像に、ジョン・レノンやスティーヴィー・ワンダーの肖像が並んで飾られる気がする。

欲しい情報は自動的に、ダイレクトに、取捨選択されて手元に届く気がする。知識はタップひとつで直接脳に送り込まれて共有できるような恐ろしいシステムができる気がする。

ほとんどのことがオートメーションでできるものだから、逆にアナログなことが今以上に重宝される気がする。例えば、鉛筆でオリジナリティ溢れる絵を描ける人とか、楽器を生演奏できる人とか、漫才とかで人を笑わせることができる話術とか。

そういった文化的教養というか、人間くさいものは20年後もその後でも不朽なのかなと考えると、楽器練習とか文章を書くとか、アナログな習慣は断たないようにしようと強く思う。今後のためにも現在のためにも。
_10/07

 

 


外出予定なし。宅で作業のみの日。そうなってくると、最近本当にいそいそとしていた反動で理性は緩み、前夜は酒を3本呑む始末である。

「宅1人呑みは2本までルール」、アウトである。だが、たまにはいいのではないかと思う。

しかし、緩みすぎで起きたら正午過ぎ。体から牧草のような懐かしい匂いがする。疲れが完全にとれたのだろうか。人間、疲れがとれるとフレッシュな草の匂いが出るのか否かは知らん。

「今日でなくとも良いやつだが、仕事をせねば」という、正直、俺は嫌っているクソ真面目パーソナリティが張り切りだし、原稿を2本やって気が済む。嫌ってはいるが、今の俺には絶対に必要なフォワード的パーソナリティである。

俺が好いている反社パーソナリティは、「これから明日、休みにしようぜ。久々にピンレートのフリー雀荘行こうぜ。徒歩5分じゃないか。賭場のみんながお前の“復活”を待ってるぜ」と唆す。

しかし、クソ真面目も反社もフルシカトし、YouTubeでラファエルさんとかを観て2時間過ごす。休養という名の思考停止時間も少しは必要である。

人間、一つのことだけで頭をいっぱいにして猪突猛進するのも良いのだが、そこにはある種の思考停止状態も孕むと俺は思う。要するに色んなことにアンテナを張るためには気分転換が必要不可欠だと。そこから新しいことにトライする意欲も湧くと。

そういったわけで半休まったりと過ごした1日。悪魔的ささやきは緩急の“緩”のときにくる。ドラッグ依存もアル中も博打中毒も「スリップ」(再発)は、油断したところにドキッとするような波動を脳波に差し込んでくる。それに屈服しなければ良い。

各種依存症、仕組みさえ完全に理解していれば、恐れることはない。手前の中にいる各パーソナリティを認識したうえで上手くコントロールできていれば、恐れることはない。しかし酒は呑む。2本買ってこよう。
_10/08

 

 


非常に快適な目覚めと文句なしの秋天候。消耗品の買い出しのついでにタワーレコードでCDを買う。どれだけぶりに盤を買っただろうか。

とはいえ、ビリー・アイリッシュはずっと気になっていたし、現代を表しているようなサウンドだから現金を出して買ってむしろ正解であろう。

歳を重ねるにつれて、自覚以上にサウンドに対するセンスが古くなっていると思う。信じたくないがそう思う。「最近の音楽はピンとこない」と思いたくない。

音楽でなくとも、各種の「昔の方が良かった」という感覚は、「今のセンスを受け入れられていない」とも置き換えられる。

とにかく時代が進むスピードが速すぎる。こないだ買った最新のPCなどもう新しいOSがリリースされている。速すぎる。

「ついていけん」となったら老いが早まる。それは嫌なので、2019年にリリースされた盤を買う。まだ封を開けていないあたり、既についていけてないのかもしれん。
_10/09

 

 


『良心をもたない人たち』という本を読む。換気扇の下で、たまにはアイコスではない煙草をゆっくりと吸いながら活字を追う。

この本はタイトル通り、“良心をもたない人たち”のパーソナリティについて紐解いた内容である。要はサイコパスに関する概要や事例がびっしり書かれた本である。

この間は『他人を支配したがる人たち』という本を読んだ。内容はやはりサイコパスに関する本。

別に俺はサイコパスでもなく、サイコパス・ファンでもない。ただ、ちゃんとサイコパスという性質を理解したいだけなのである。

サイコパスには「良心」が欠落しているとされているという。しかし、「良心」は、人によって違うと思った。俺が思っている「良心」は、サイコパスにとっては「良心」でもなんでもなく、ただのエゴだったりと。

逆に、サイコパスの持つ「良心」は、他者にはなかなか理解されない「良心」なのではないかという風に思う。

月並みな言い方だと「価値観の違い」というか、それが絶望的に一般的なテイストとは違う為、「サイコパス」という特殊なパーソナリティとして分別されるのではないかと思った。

「あいつはサイコパスだ」と思った人間の言動や行動に対して腹立たしく思っても、思い切り角度を変えて考えると、「奴なりの優しさなのかもしれん」と気づける時もある。

その「良心」が、法に触れるか、人の心を傷つけることに繋がるか、という点が大事だと思った。しかし、サイコパスは「人の心を傷つける」ということに対してほぼ感心がないそうな。そのかわりの賜物なのか、「目的達成能力」は超絶高い。

そうしたら、そこがロジック的にもエモーション的にも自分がきちんと理解できれば、きっとサイコパスと仲良くやっていける。

ある種、自分にサイコパス的な思考回路を増設すればいい。しかし、それは超絶難しい。だが、そういうのは好きだ。
_10/10

 

 


溜まっていた仕事がほぼ片付いた。今日の仕事時間残り3時間程度、なにをするか。3時間あればやれることはたくさんある。なるべく身になることをしたい。

BGM制作やウェブサイトの更新をして広告収益を増やす。これが第一選択肢なのだが、これは案件がない明日やることにする。だから今日は知識とか吸収しようかと思った。

まず、この間買ってきたビリー・アイリッシュのCDを頭からケツまで真剣に聴いた。

めちゃめちゃ良い。音数が少ないというか削ぎ落とされているというか洗練されているといか。ジャンルレスな感じもするが、最近のトレンドの音像がいくつかある中でのトップクラスと判断して間違いないと感じた。

あとは本をじっくり読む。面白そうな人のYouTubeチャンネルを観る。それで3時間が経った。

厳選して金を出して買った音楽、突き詰めたい分野の本、面白そうなユーチューバーのチャンネル、これらと真剣に向き合うことは、何というか自分の感性と知見の源泉となり、発信源のエネルギーとなる気がするので、仕事と同じくらい重要だと思っている。

空いた時間は、できれば雀荘に勝負しに行きたいのだが、禁止しているので行けない。これが非常に辛い。あれもなかなか社会勉強になるのだが。でかい台風が来るらしいので酒を明日の分と合わせて4本買いに行こう。
_10/11

 

 


台風が怖いので家でじっとしている。本を読みふける。仕事で外に行く日でなくて本当に良かった。

スマートフォンから聞いたことのない着信音がマナーモードを突破して5回は鳴る。避難警告である。北区の避難場所より鉄筋雑居ビル3.5階の自宅の方が安全そうなので無視する。

真面目に楽曲制作でもする。せっかくだから、台風の音もちょっと入ってしまう感じでアコースティックギターをマイク録音する。

楽しい曲を作ろうと思ったのに、妙に陰鬱でスピリチュアルな感じのが形作られた。台風に対する不安が反映したとすれば、貴重な一曲のような。

明日は夕方に野外で案件があるのだが大丈夫だろうか。とりあえず現在0時半、東京都北区あたりは小康状態となり雨も止んだ。しかし怖い台風だった。むしろ台風よりも各報道の注意喚起と避難警告の方が怖かったような。
_10/12

 

 


すっかり晴れる。今日は案件で日比谷野音に行くので本当に良かった。ふと仕事部屋の外を見ると、台風が洗ってくれたのか、窓が超キレイになっている。昨夜の暴風雨が嘘のようである。

そういえば、昨日から「目の前の物が急に爆発するのではないか」という変な感覚がある。

コーヒーのためにヤカンで湯を沸かしていると、「いまコンロが爆発したら高確率で俺は爆死する」とか考えてしまう。

仕事をしていると「いまこのMacが急に爆発したら仕事ができん」とか何かやけにリアルに考えてしまう。

ギターを弾いていて「急に弦が切れて角度的に目に刺さるかもしれん」などとおびえてしまう。

新種の不安神経症だ。負の妄想を超えて統合失調症かもしれん。これは大変だと思ったが、冷静に考える。

昨日は台風のエネルギーで何度「窓割れるって」とビビっていたことか。それがフィードバックしているだけだ。そう解釈した。そうしたらピタリと「突発性爆発恐怖症」は止んだ。

精神医学的にも、「心理状態のバイアス(偏り)を除き、何かを正確に認知することで症状を緩和する」という方法の治療法があるそうな。

例えば、何かの恐怖症だったら、ちょっとずつその対象に慣れていくことで、最終的に「全然大丈夫じゃん」という認知を得るというものである。

もっと具体的に言うと、病的なあがり症の場合、「5秒だけ人前で話す」「次は10秒」「5分」、というように「それなら大丈夫」というスパンをだんだん上げて慣らすことにより、「不安対象」を「大丈夫」という認識に書き換えるものである。これは何事にもスライドして使えるテクニックでもある。

「結婚して」

「いきなり無理です」

「じゃあ付き合って」

「急には…」

「友達になって」

「…」

「今日ご飯行くだけ、中華とかどうですか?」

「それならまあ…」

というのに似ている。いや違う。
_10/13

 

 


渋谷に行く。今日あたりスーツを着ていても寒い。冬が来るのかと思うともう年末というか今年も終わりが近いと感じる。

年々、「年月が経つのが早く感じる」というのはよく聞く話だが、言い換えると死ぬその時までのスピードが早く感じるということになる気がする。

本当に、2019年ほど「どうせ死ぬ」と考えた年は今までなかった。どうせ死ぬならやりたいことやり切って逝きたいものである。

「今日の予定は、明日死ぬとしても行うのか?」という自問を言葉にしたのは、確かiPhoneとかを世に送り出したスティーブ・ジョブズさんだったか。

まわりのみなさまのおかげで、俺はいまの仕事に対して大枠的な不満はない。しかし、やりたいことは他にだってある。そこで大事なのは時間となってくる。

しかし、どんな仕事でも時間は費やす。俺はけっこう費やしている。だが、仕事以外、あるいは仕事につながる新たなことをする時間もほしい。

不可能な話だが、過去に戻って手前にアドバイスするとしたらこう言ってひっぱたいてやりたい。「死ぬことと、時間が万人平等“有限”であることは絶対だ。気づけ」と。
_10/14

 

 


散歩をしているとバカみたいにキンモクセイが香ってくる。咲くのがあと2日後ろにズレていたら台風19号にやられて秋を十分に満喫できなかったことであろう。

俺は一度、キンモクセイの花をウォッカのロックに添えて呑ってみたいと思っている。“キンモクセイ割り”は、最高に美味いか全然たいしたことないかの2択な気がする。いや、かなりの確率で美味くないと思う。

なぜかというと、次から次へと新発売されるチューハイ系に種類に「キンモクセイ味」がまだないからである。いいや、逆に各メーカーさんがまだ気づいていないからかもしれない。

下手をしたらキンモクセイ味市場はブルーオーシャンな気もしてきた。キンモクセイで一発当てられるかもしれない。

しかし、キンモクセイの枝や花をもいで家に持ち去るという行為は禁忌な気がしてならない。どこかのメーカーの企画部の新人がキンモクセイ味を開発しようと花をもぎ、そのまま還らぬ人となったという都市伝説でもあるのかもしれない。

そういったわけで、キンモクセイは遠くからうっすら香る鬱の匂いを楽しむだけが一番。
_10/15

 

 


うっすら気づいていたのだが、楽器演奏は体に良い。というか精神に良い影響を与える。

ここのところ隙間時間にDAWを開いてちょこちょこ楽器を弾きながら制作をするのだが、しない日よりも心が健やかである。

原因は、どうやらわりと科学的に証明されているらしく、「均等なリズムに乗って何かをする」ということは、脳内伝達物質であるドーパミンやセロトニンが上手い具合に整うという。

俺の場合は、宅で手前が作ったビートを走らせながらギターなりを弾いているだけでメンタルが健やかになるのである。

そういえば20代の頃、頭にきてキレそうな心境のとき、鍵盤を弾くと不思議と心が落ち着くことが多々あった。

楽器を弾くだけでなく、好きな音楽を聴いても同じような効果は得られるのだが、演奏をすると、その力は倍増する。

楽器を弾く習慣というのは、実に精神衛生上素晴らしい。そして人生が豊かになる。色鮮やかになる。そういうわけで平吉ギター塾生徒さん募集中。(初心者に限る)1レッスン毎に現金払い5,000円也。おいしいコーヒーとおやつ付き。
_10/16

 

 


曇り空のなか、案件で出向いた先で雨がポツリと降ってくる。

天気予報をチェックしておいて傘を準備しておけば何てことはないのだが、それを怠ったがために、その後ササササと強まる雨脚に、傘を買って移動しなければならないという状態に追いやられる。

そのまま帰宅できる日なら特に問題はないのだが、2案件目で横浜まで行く予定。電車移動とはいえ、道中の雨は凌げん。

コンビニで傘を買えば良いのだが、これほど無駄な出費もないと思う。実にセコイ話だが「持ってくるのを忘れたから傘を買う」という、金額以上に何だか腹立たしい買い物をどうしてもしたくないのは準備不足で金を失うという悔しみの情念由来のもの。

案件を終え、エントランスでやや眉を上げた表情で担当者様に「なんか雨が降ってきましたね」と呟いたところ、彼は「は! すいません! ちょっと待っててください!」と言い、わざわざエレベーターでオフィスの階まで行って帰ってきてくれて傘をくれる。

これである。この些細なようで、たいへんほっこりする気遣い。粋。あるいは俺の悔しみが如実に伝わったのか、担当者様は俺ごときに忖度をしてくれる。忖度という言葉の使い方が適切かどうかは置いておいて、とにかく、「ちょっとしたことだが、今の俺はけっこう嫌な気分でいる」ということを、彼は一瞬で払拭してくれた。

これがノータイムでやれる人間は、なんとも粋である。「雨が降ってきましたね」と言った瞬間に、俺が傘なしであることを察知し、さらにけっこう痛がっている感情を見抜き、「傘をお持ちではないのですか?」とも訊かずに秒で傘を用意してくれる。

些細なことかもしれないが、これのおかげで俺は終日たいへん良い気分で仕事に励めた。「粋」という概念は、正確には知らんが、「少し隠れ気味の相手の感情を察知したうえで気分を良くしてくれるもの」ではないだろうかという学びすら得た。寺澤様、どうもありがとうございました。
_10/17

 

 


どうやら秋は台風や秋雨前線の影響で梅雨時期なみに雨が降るそうだ。今日も雨。

数年前まで俺は雨天というだけで体調がすぐれないという貧弱っぷりだったのだが、最近はそうでもない。毎日飲んでいるビタミンCや亜鉛のサプリが効いているのだろうか。

サプリメントのみならず、「良かれと思って毎日」というのは、その実質的な影響よりも何しろメンタル面に非常に良い。筋トレもそうだし下手をしたら飲酒もそうかもしれない。もはや儀式である。

何かしらを信仰しての行為には“儀式”がつきものなので理にかなっていると思うわけなのでやはり今日もイニシエーションのために酒を買いに行こう。2本。
_10/18

 

 


手前にしてはかなり早起きをして案件へ。10時に新宿着。別にそんなに早くもないかもしれない。

夕方にもうひと案件行き、帰宅して原稿やらという1日。今日は8時台起床という早起きをした。明日も早起きをしてそいつを習慣づけて健やかな生活を送るヘルシー・チャンスである。

しかし、明日は15時過ぎに横浜に着けば良い。赤羽駅から1時間ちょいで着く。したがって、最悪昼過ぎまで寝ていても間に合う。

この思考がいけない。今日くらい早起きして一仕事デスクワークなりをして、ついでに筋トレもして、タスク前倒し完了スッキリね、という颯爽とした気分で案件に向かえば「よくやった」という、自己肯定感に浸れるばかりかクライアント様にとっても都合がいいであろうし、良いこと尽くめである。

現在0時半。いま、シャワーを浴びて即寝すれば可能である。しかし、酒も呑みたい。全身全霊がアルコール摂取を懇願している。

即寝をしたら今日は丸一日仕事しかしなかった日となる。これは、個人的にはあまり感心できない。手前は休日らしい休日をほとんど設定していないのだから、少なくとも1、2時間はフリーダムな自分時間を設けないことにはインプット行為やリラックス時間が皆無となる。それは健康で文化的な最低限度以上の生活とは言えない気がする。俺は健康で文化的でありたい。

酒呑んでYouTubeとか観たうえで、更に明日は今日ばりに早起きをしてバリバリと仕事をする。これがベストである。

しかし俺は睡眠時間4時間とかでバリバリ動けるようなマッスル実業家気質&体質でもない。結論、酒2杯呑んで普通に10時台起床を目指して寝くさろう。
_10/19

 

 


結局昼前まで寝くさる。若干の後悔の念も生じたが、なんというか仕方ない。昨日1.5日ぶんくらい仕事したのだからしょうがない。

実害を伴わない自責の念は鬱の芽だ。今日は今日とて張り切っていこうと鏡に向かって宣言をして1日がスタート。

ちょっとした小旅行的距離の横浜へ。旅行ではなく仕事。移動時間が長いので電車内でPCをカタカタする。

カタカタカタカタやかましかったのか、俺の隣に座っていた兄ちゃんが、降りるわけでもないのに席を立って対面の角席に移動した。

電車でカタカタはマナー違反だろうか。それとも俺が打っていた文面がよほど気色悪かったのだろうか。あるいは、単に居心地が良い角席に移動したかっただけなのか。

そういった細かいことにいちいち気を病んでいた時期もあった。しかし、些細な罪悪感は勘違いであることもあるし、何しろちょっと心がすり減る。これも鬱の芽である。だから俺はあくまでセルフィッシュに、カタカタと続けた。

でも、電車内でPCカタカタは、賛否あるのかすらわからないが、光景としてはあまり美しくない。しかし、俺は移動時間を作業時間にして効率を上げたかった。でもマナー違反は好かない。更に俺のタイピング音は自覚があるくらいパーカッシブでウザめだ。

電車内でのPCカタカタ行為はマナー違反、今風に言うとモラルハラスメントだろうか。それに該当するかという判断。どうなんだろう。移動時間で原稿半分書けたから俺は満足感に浸れたが、周囲にとってはどうなんだろう。

俺個人は、電車内で隣人が何をしてようと気にならないが、世の中的にどうなのかわからない。過剰なモラル向上運動的な社会風潮は逆に人の心を病ませている側面も孕んでいる気がちょっとする。いまどの程度のものなのかはわからないが。

モラハラにセクハラにパワハラ、はてはハラハラと、苦痛を回避させるための概念がどんどん生まれるが、要は「人に対して迷惑にあたるかどうか」という点なのだが、これは難しい。無意識でやって「ハラスメントだ!」と言われてしまえば例を挙げると枚挙にいとまがない。

電話がかかってきたとしよう。これは人によっては「いきなり俺の時間にカットインしてきやがって!」というハラスメントともとれる。実際に同様の理由で「ケータイの着信には受電しない主義」という方がおられるらしい。ちょっとわかる気もする。

例えば誰かがセックスをしている最中に電話で仕事の話をされたら「お前は空気を読めんのか」と言いたくもなるだろう。「いや、こんな時間にセックスしているお前がどうかしている」という、電話をかけた方の言い分も、セックス中の方の言い分も、決しておかしくはない。

というわけで、気にしすぎは良くないが、「これを今したら人は嫌がるだろうか」と、一呼吸置くのが大切だろうか。それってシンプルだけど、なんと難しいことであろうか。
_10/20

 

 


雨ばかり降って覇気がなくなる、というところまではいかないが、今日は悲しい気持ちになった。

『失踪日記』という、何度読み返したことかわからないほどの名作の著者・吾妻ひでおさんの訃報をニュースで見て、悲しい気持ちになった。

アルコール依存症や失踪など、ダウナーな方面の体験がポップに描かれた作品を読んでは、価値のあるものを描く方なのだなという尊敬の念が湧いた。

「暗い出来事を明るく表現する」というようなことを、言い回しは違うかもしれないが、作中にそのようなことが、ご本人のセリフとしてチラっと書かれていた。20代の頃だったか、俺はそれに深く、深く感銘を受けた。

『失踪日記』を読み返して寝よう。
_10/21

 

 


『失踪日記』がどこを探しても見つからなかったので古谷実さんの漫画を見て寝たらなかなか熟睡。すっきりとした気持ちで1日を過ごす。

ニュース案件でカメラを持ちながらパシャパシャという日だったのだが、隣にいた記者の方、60代半ばだろうか、微妙にずっと手が震えているのが気になって仕方がない。もしやアル中だろうか。身体からちょっと居酒屋チックな香りもしていたので可能性は高い。

アル中で手が震えるだなんてステレオタイプなイメージだろうと思いきや、実際にアルコール依存症の離脱症状として表れるらしい。

というか、人様をつかまえて「アル中かもしれん」という憶測は失礼である。しかし、俺は酒が大好きだから、ある日起きたら手が震えているという状況をやや恐れているからそう思ったのかもしれない。

何故ならば、吾妻ひでおさんの著書にも記されていたが、アル中になったら社会復帰するためには「断酒」という選択肢しかないそうだからだ。

依存症は何事もそうだが、「ちょっとづつ上手く付き合う」というのは無理らしい。きっぱりヤメるか深みにはまり続けるか、それしかないという。その中間があるとしたら、それは依存症ではなく「上手く嗜んでいる状態」と言えるだろう。

「上手く嗜むこと」をキープしたいから、今日だって3杯以上は呑まない。何にせよ、各種依存症は本当に恐ろしい。
_10/22

 

 


FXを昔少しやったことがあった。

友人に強く勧められて、何と言うかやや消極的に始めたのだが、結果、US 80$の損失でヤメた。当時のレートで8,000円ちょいである。確か3ヶ月間毎日やっていた。

何故ヤメたかというと、まずは真っ先に、ローソク足と呼ばれる値動きのグラフ的なやつが上下する時の一喜一憂のアツさが危険だと思ったからだ。

そして、本腰を入れて投資や経済の勉強してやるというリソースもなかったことに加え、「完全にギャンブル脳が興奮していた」ということ、そして直感的に「これは9割の人間が負ける世界だ」と察して、それを信じられたからだ。

「なんとなく雰囲気でやり続けたら100%食われる世界だ」と。

そんなFXを「専業でやる」と言って仕事を辞めた知人がいる。彼とは気が合い、わりと連絡を取り合ったりする仲だったのだが、先述のタイミングから右肩下がりにコンタクトの頻度が減った。むしろ現在では皆無に近い。

「負け続けていて人付き合いがおっくうになった」もしくは「勝ちまくってて本当に集中している」の2択だと思うのだが、前者でないことを願っている。

前者であった場合は、むしろ破産寸前まで負けまくって地獄の淵まで行って、そこから生還して、酒を酌み交わしながら悟りの心境を聞きたい。

なんとなく、マネーゲームやギャンブルで勝てる人間とそうでない人間はハッキリとわかれると思う。

「自分はどちらか」というのを見極めるためにも、行く所まで行くことは必要なことなのかもしれない。俺はもう見極めたから本腰を入れてそういったことはやらないが。でもフリー麻雀くらいたまにはやりたい。いや駄目だ。
_10/23

 

 


 

 

 

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