10/2023

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。 「自己探求やバランスの取り方」とAIは言う。10


案件で茅ヶ崎へ。手前の宅は東京のほぼほぼ北の方なので、距離的に出張クラスである。

そこは仕事であると同時に、この際、小旅行気分でもいようと楽しんで臨む。長距離移動恐怖症が心配だったが、本当に幸い、なんてことはなかった。

神奈川県茅ヶ崎市の駅に着き、地元の飯屋さんでごはんを食べて一服し、当該国民的バンドが如何にこの土地に愛されているかを方々から感じる。徒歩30分程度かけて現場に行き取材をする。

ライブが終わり、花火が上がった。ボスーンという音がすごく素敵だった。空を切るような光に胸を打たれた。気温的には、最後の花火に今年もなったなという気持ちだった。

帰宅して原稿を一気に書く。即出しではないので、明日、推敲して丁寧なレポートとして提出する予定。

茅ヶ崎が故郷のバンドのライブ。全体的に、帰郷という雰囲気があった。俺もまた、赤羽駅に着き、湘南新宿ライン5、6番線のエレカシの発車メロディーを聴いて「おかえり」と言われた気持ちになる。

手前は帰る実家がないので、こういう気持ちにさせてくれる興行や、現在住む場所に対しての慕情を実感させてくれたという感謝の気持ちでいっぱいである。もうめちゃめちゃ深夜だが、よい体験でスタートを切らせて頂けた10月の第一日。
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原稿を丁寧に仕上げて提出し、じっくり興行案件の練習をして、買い出しに行って戻ってまた練習してという流れで夜になる。

やることはやったが制作もしたいなとも思う。しかしわりと疲れたので、ネットで様々な情報を閲覧しつつ一休みする。

楽曲制作経由の収益が、明らかに落ちている。原因は、俺だけではなく世間的な意味で、ウェブにおいての広告収益全般の活気が落ちていることが一因として大きい。そうなってくると、やはりモチベーションも上がりはせず。

とはいえ次の一手を考えて行動することが望ましいと思いウンウン考える。何をすれば人様が喜ぶか。それをすればするほど、加えてマネタイズをきちんと整備すれば、シンプルに収益というのは伸びる。

今日は改めて、自分がいま何をするべきかとぐるぐる考えて勝手にヘコんでいた。一点突破がいいのか、並行してあれこれ行なうのがいいのか、振り切って革新的なことへのチャレンジがいいのか。

手前のスキルの棚卸し的な思考は、時に数字と照らし合わせるとダメージとなることもある。しかしそこはまごうことなき事実なので真摯に向き合う。

ビジネス思考にプラスした生き方の模索。お前はその歳でまだ迷っているのかと問われれば、「音楽とライティングという土台はあるが、もっと時代に合わせたポップなやり方でもっとピョーンといけるのではと手前なりに悩んでいるのである」と答える。

とりあえず今日あたりは、あれこれ考えるのもいいが、色々とちゃんと形にして、行動して、ストロークしまくるほか答えには近づけないという結論に及んだ。

彼岸花が全力で咲き、湿度も20%は下がり、襟シャツ一枚ではうすら寒い、完璧な秋の気配。そんな時に思い悩むのは悪くはないと自身をほどほどに鼓舞する。

あれこれ悩むと思考が渋滞を起こしてストップするので、「特に、俺が何をすれば人様が喜んでくれるか」の一点を軸にする。

結局、誰かに感謝されることでしか人は幸福にはなれないのかなと改めて思う一人の日。
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いつも通り仕事をして、なにかちょっと雰囲気が変わったかなと思いつつも、普段通りに帰宅する。

楽器の練習を小一時間して、制作をする。結局、やり続けることでしか活路は見出せないなと没頭する。

新たな展開が必要と考えつつも、やり続けると決めたことはやる。損切りも大事だが、止める明確な理由はないタスクはコツコツ積み重ねる。

こういう時は思い切った気分転換も必要と、泊まり旅行を企てる。茅ヶ崎まで普通に行って帰ってこれたので熱海あたりは余裕だろうという実感が、長距離移動しんどい病の寛解を示している。

今月は予定的にむつかしいので来月、今度こそ、実行に移したい。温泉入って悟りたい。ちょっとした楽しみができたので前向きな気分が復活してくる。人生、どこに答えがあるのかわからない。だからみんな旅に出るのだろうか。
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「それで桑原さん、その占い師に診てもらいたいのですよ」

「なにをですか? 恋愛運とかですかね、平吉さん」

「そういったことはどうでもよいのです。ご無礼。一点、『俺は何をしにこの世に来たのか』と、それにつきます」

「なんすかそれ? とりあえず伝えておきますので、生年月日いいですか?」

「はい。1980年7月21日です。ジョン・レノンさんが死んだ歳で、日は4桁の語呂にすると忘れられないでしょう」

「えっと『0721』ですよね? ははあ……!」

「そう。そんで、何をすべきかという使命的なことは大事ですよね? 村上さん!」

「平吉。お前のは簡単だ。さっき伴侶がどうのって話してたよな? それは欲しいって。じゃあとにかく、まず結婚だ」

「どうしてですの? 恋愛だのには人一倍関心がないとさっき言いましたよね? 伴侶は欲してますが……」

「馬鹿野郎。苗字だよ。苗字」

「そんなん、どうでもよくないですか?」

「俺の『村上』の苗字はめちゃめちゃいるだろ?」

「はあ。村上さん以外にも俺の知り合いにいますね」

「だろ? 一方で『平吉』は国内に210人しかいないんだ」

「なんすかそのニッチな知識……そういえば一時期、村上さんは、名前の由来についてめっちゃ調査してましたよね?」

「そう。いいか、平吉という苗字は絶滅危惧種なんだ」

「いやいや、210人ってけっこういるじゃないですか?」

「1億2千万人ぶんの210だぞ? 60万人弱に一人くらいだ」

「なんと。もっと珍しい苗字いるでしょうも? 例えば、知り合いに『百目鬼(どうめき)』という苗字の方がいます。もっと少ないっぽくないですか」

「その百目鬼さんは数千人いる」

「まじすか。詳しすぎてちょっと引くんですけど…」

「うるせえよ。だからお前はアイデンティティとかそのへん考えるよりも、結婚して『平吉』を絶やさないことに努めるのが正攻法だ」

「数字を出してくるとめっちゃ説得力ありますね……さすが編集者というか」

「だから『トキ』とか『イリオモテヤマネコ』とかが減ると悲しいのと同じくらい、『平吉』には減って欲しくないんだ。増えて欲しいんだ」

「俺がやるべきことは、シンプルに、子孫繁栄のための、おセックスということですか?」

「平たくいうとそうなるな。だからお前が苦しんだという、亡くなった親父さんとの関係あるだろ? あれはあれで、込み入ったことまでは踏み入らないが、平吉を育てて、お前が今ここにいることで、親父さんの人生にはもうすでにめちゃくちゃ価値があるんだ」

「その考え方どっから出てきたんですか?」

「とにかく、結婚とかシンプルに考えろ」

「ほかの人たちにもよく言われます」

「お前が何したって、お前の自由だが、俺的には平吉という珍しい苗字の人間を増やして欲しいんだよ」

「じゃあ、希少という点では、平吉という奴が功績を残すということに尽力するのもありでしょうか?」

「ありだな」

「平吉毅州さんという作曲家がいて、いまのところ、『平吉』界隈では彼が一番有名なのです」

「誰それ?」

「小学校のとき『気球にのってどこまでも』って曲、歌いませんでした? その作曲者です」

「ああ!」

「だから今のところ平吉の中で最強なのは彼なのです。彼を超えることをモチベーションにするのもありですか」

「無理だな」

「無理って言わないでください」

「まあ……じゃあそれもありだが、手っ取り早いのはお前が結婚して、一人でも『平吉』を増やすことが早いんじゃないか?」

「それも……視野に入れるべきでしょうね。とはいえ、平吉毅州さんを超えたら絶滅危惧種の中の『レア』になれるでしょうか」

「なんでレアになりたいの? 平吉っていう苗字がもうレアって言ったじゃん」

「やっぱ俺自身がこう……大花火を上げたいのです」

「それはお前の性格をよく知ってる俺からしたら、まあわかる。『自己顕示欲が強いんです!』とか言ってるしな。じゃあそれはそれで頑張ってくれ。とりあえず、お前の結婚が、いかにお前にとって、そして少ない苗字を絶やしたくない俺の想いも加えてプラスになるというのはわかるかな?」

「はあ、イリオモテヤマネコに仔猫が生まれてみんなほっこりするイメージでしょうか? 飛躍しすぎですか?」

「村上といういっぱいいる苗字の俺にとってはそれくらいの喜びがあるんだ」

「まじか」

「だから平吉、お前、熱海に行きたいとか言ってるよな? その道中で何かあったら困るんだよ」

「そこまで考えてるんですか! なんすかその苗字愛!」

俺はここ数日、アイデンティティ・クライシス(自己同一性の危機。要は自分が何をすべきかで苦悩すること)でほぼほぼうつ状態であった。それを察し、数値化不明の角度から、村上順一氏は励ましてくれてくれるように思えた。

「村上さん。じゃあ俺、『平吉』のためにも頑張ります。平吉毅州さんより、というか、なにしろ人を喜ばせて、『平吉』のバリューを上げます」

「なんか俺的にはちょっと違うかもだけど――それもいいよね!――まあいいや(笑)――(励ましオーラ)とにかく――あ、駅だな、じゃあ」

「ありがとうございます。なんか元気でました」

「プアアアアァ(JR京浜東北線の声)」

そういったわけで自信を持って頑張ってください平吉さん。ちゃんと、おセックスへの関心も、おざなりにしないでください。ということで合ってますでしょうか村上さん。

自己愛はほどほどにという点と、こじらせずに利他をふまえた上でちゃんと認識することも大切だと、自分では気づけないビジョンを知る。桑原氏と村上氏からの愛を享受。ありがとうございます。
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透き通るような清涼。夜道を散歩していると、シャッターが閉じられた荒廃工場に囲まれる。恍惚感を伴う虚無と幽玄に包まれ、ふと数分、立ち止まる。

ああ、秋あるあるだなこれと、地味で誰かと共有しがたい悦を満喫して帰る。アブストラクトというジャンルの曲を作り進め、完成に向かっていく。

アブストラクトとは、抽象的、観念的という意味がある。絵画などのアートの世界でも用いられる種別である。要はちょっとわかりにくいやつである。

こと音楽だと、具体的には初期のDJシャドウやポストロック、ダークなエレクトロやHIP HOP、トリップ・ホップ、チルアウト含みのアーティストの楽曲によくみられる。国内では、メジャーシーンで聴くことはまずなかった。

俺はこの、鬱ソング的なテイストのアブストラクトミュージックが大好きなので、自作のアブストラクト楽曲を選りすぐったミックスリストをこのあいだYouTubeに上げた。そしてあんましウケていない。

そりゃそうかとも思ったが、懲りずに、好きなものかつそういう気分の時は制作して残しておく。この類の曲を作る時は、収益どうこうというよりも創作といった点に比重がおかれる。そういうのも大事かなと個人的には思う。

生きているうちに、あとどれくらい音楽を作って公開できて、文章を書いて掲載して頂けて、どれだけの人がそれを楽しんでくれるのかなと静かに思う。

子孫とまではいかないが、大なり小なり生きていた証明を残す行為はなんか射精に近い気もする。といって同感する人はいるのだろうか。
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では次はYouTubeでチルアウト・シリーズを展開しようと、季節的にもぴったりではないかと、動画を作る。

オルタナティブ・シリーズではチャンネル登録者数24人というたいへん小規模な途中経過となったが、このあいだまで20人だったが4人増えているではないかと、ちいさくでも前進しているのだと、なんとかモチベーションを保ち、積み重ねる。

最初のゴールはチャンネル登録者500人(前は1,000人を掲げたが、収益化の規定が緩和されたのでそれに準ずる)。そして生配信である。それまでに楽曲を動画コンテンツ化させて上げ続け、ネタを思いついたら何かを紹介して喋る動画も出していこうかなと。コツコツと行く。

トレンドとしてはショート動画を上げまくったほうが効率はよさげだが、とりあえず選りすぐりの楽曲を上げきってポートフォリオ(この場合は作品集的な意)の役割も担ってもらう。

そんな風に、何かを発信するために制作をしている時は没頭できて幸せだなとつくずく思う。できれば、アニメーションで本格的に作りたいのだがノウハウがゼロである。

DAWで音楽をつくるかのように、アニメーション制作ソフトでイメージが形になったら世界が広がるなと、また新たなスタイルへの関心が湧く。

なにかを始めるに年齢として遅すぎるなんてことはないと、けっこう上手くいって、ある種のロールモデルの一つにでもなれたら素敵だななどと、夢を見る。そういうのは大切だろうと、捉え方は肯定的。
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昨日と全く同じ時間軸で、全く同じ各タスクを行なう。明確な違いがあるとしたら、飲酒時、夜中2時くらいまでは記憶があったが気がついたら6時半にソファで「あれ」と目覚めたこと。

気絶寝はわりかし危ねえなと思いつつ、飲みかけの『寶焼酎ハイボール』を2口程飲んでオーラルケア後に寝室で本格的に臥床。もう3時間くらい寝る。

こう客観的に記すと落伍者そのものではないかとも思うが、午前に起きてきちんと仕事も楽器練習も制作もする。就寝前に堕落が一点集中しているのであろうか。

冷静に考えると、酒を呑まなければ生産性が上がることは明白。しかし、それでは俺の安堵たるやどこに見出せばよいのかと思い煩う。

俺にとってアルコールは「甘え」なのかと厳しめに精査する。答えは明白で、甘えどころか「ドラッグ」である。翌日ちゃんと仕事があるのに気絶させてくれるほどの破壊力を秘めている魔物と、一応認識はしている。

しかし、ほどよく付き合えば心の用心棒。よく言えばそうなる。このように、酒を呑む言い訳を30パターンくらいここに書いた気がするが、それでも止めない酒呑みの性。その奥底には、様々な根深い病理が潜んでいることもある。

わかってはいるが、美味しく呑んでいられるうちは楽しく付き合いたい。飲酒量がだんだん減ってきてはいるが、体と心と魂に対しての配慮は必須。

一人酒は呑んでも3合まで。昔は「2合まで」と書いていた気もするが。このようにアルコールは、脳の前頭前野あたりもグニャっとふやかす性質もありそうなので油断は禁物。

酒に対して「油断がどうの」などとわりと真剣に考える時点で、こと手前に関しては立派なアル中予備軍確定。今日はベッドでスヤスヤ眠ろう。
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確かな睡眠ぐっすりと、シャキリ目覚めて動き出す。だいたい昨日と同じ感じの生活グルーヴ。

「なんでだろう?」と思ったことは、興行案件練習のために各種ギター機材をオンにしてからすぐ、曲目とぜんぜん関係ない楽曲「マンピーのG★SPOT」のイントロを執拗に完コピしていたことだろうか。

それほど、茅ヶ崎でのサザンオールスターズのライブでの当該曲のプレイは壮烈だった。何度もサザンのライブを見てきたが、先週観たテイクが個人的には至大の一言。

人の心と行動にまで影響を及ぼすライブというのはいいなと、サザン最高だなと活気もついて、なんやかんやとシャープに過ごしているうちに夜も更ける。

あっという間だなと時間の流れを惜しむ。死ぬ間際もそう思うのだろうかと人生の配分にまでその思考は伸びていく。

そうか、マンピーは1995年の曲かと、やはりあっという間だなと当時をスローバック。ついこの間という気もするし、大昔という感覚もある。

すると、ありがたくも80代くらいまで生きた日には、今日あたりのことはついこの間の出来事のように思うのだろうか。生涯の真ん中くらいだったと回顧するのだろうか。

俺の人生にコンサルタントがいたとしたら、なんと言うだろうか。

「いや平吉さん、今はマンピー弾いてる場合じゃないです」

「そうかな? あの時の感動をちゃんと『弾ける』レベルまで落とし込むのは大事じゃないかな?」

「今はライブの曲の練習の時間です」

「わかるけど、そういう衝動って大事じゃん? 別に30分くらいしか使ってないし……」

「その30分の積み重ねは人生において、えらい差がでるのです」

「理屈ではわかるよ? とはいえ受けた感銘はちゃんと行動とか創作とか言動とかで魂に刻まないと来世で後悔すると思わない?」

「何いってるんですか」

「サザンのライブ見たことある?」

「ありますけど。まあ、よかったですよね。すごく」

「それだけで済ませていいの?」

「いや、元気になったしそれでいいじゃないですか」

「マンピー弾きたくならなかった?」

「いや、弾けたら気持ちいいでしょうけど……」

「そういうの大事じゃない?」

「間違いではないと思いますけど、合理性を考えると今は公演曲の練習をする時間じゃないですか」

「ちゃんとしたじゃん。そのあとにキッチリと決めた時間量ちゃんと使って」

「それでほら、ちょうど30分、今いつもより後ろ倒しになってるじゃないですか!」

「その30分でマンピーを身につけたんだよ? 価値があると思わないのかね君は?」

「なくはないですけど、立場上『OK』とは言えませんね」

「君にマンピーの何がわかるって言うんだよ」

「いや、かっこいい曲ですよね。ロックだし歌詞も強烈だし」

「それを魂に刻むことは非合理的なの?」

「はい。今は。スケジュール通りではないし」

「マンピー弾けることが何かに繋がるかもしれないじゃん?」

「はい、その『何かに繋がるかも』ということを明確にするのが私の役割でして……」

「君はわかってない。マンピーをわかってない」

「辞めさせてもらいますわ」

「まって。見捨てないで」

「来世で頑張ってください。請求書は月末に――」

「まって。見捨てないで」

“笑う人生にビジョンなんて およしなさいとアナタは言う”という当該曲の一節が頭をよぎる。

前提として、ライブの楽しみ方は人それぞれ。生き方も人それぞれ。サザンオールスターズは最高のバンド。コンサルタントは素晴らしい職業。そのへん、誤解を招きたくないのでChatGPTに本文の感想を乞うた。

【以下、ChatGPTからの感想文】

“この文章は、日常生活における感じや考え、音楽体験について独特の視点から描写されていて、読んでいて興味深いものです。

著者が確かな睡眠をとってシャキリと目覚め、毎日が同じように感じる日常を送っているところから始まり、特に興行案件練習と音楽に関する瞬間に焦点を当てています。

特に「マンピーのG★SPOT」のイントロを完コピしている場面における情熱や思考が鮮明に描かれており、音楽に対する深い愛情が感じられます。

また、文章の中で時間の経過についても触れられており、人生の中での大切な瞬間を逃さないことの意義についても考えさせられます。音楽を通じて感じた感銘や衝動を、行動や創造力に活かすことの重要性が示唆されています。

最後の対話部分では、主人公が自分の行動と合理性、情熱と義務、音楽の理解とスケジュールという葛藤に直面しています。これを通じて、何かに情熱を傾けることの意味やバランスについての深い考察が表現されています。

文章全体を通じて、人生や情熱、音楽との向き合い方について深く考えさせられ、読者にとっても自己探求やバランスの取り方について考えるきっかけとなる素晴らしい文章です。”

とのことである。なんか褒めてくれている気がして嬉しい一方で、戦慄にも似たテクノロジーの進化を感じずにはいられない。
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制作などをしてのどかに暮らす。最近ファ〜と休んでいなかったので、とてもよいタイム感でなんやかんやと進める。

思い切り散歩がしたかったが、冷たい雨が降っていたので近場のイトーヨーカドーの楽器屋で消耗品を買ったり、安いカツオの刺身を吟味したりしてリラックスする。

よく音楽を聴いたり、機材を組んだり、風呂に湯を溜めたりと、チルアウトミュージックがよく合う1日。

今年はなかなか香らないなと、公園で金木犀の木を確認しに行ったりもしたが、まだ橙色の花は準備中であった。

少しでもいいから、本格的な秋の匂いを欲する。あの実の芳しさは寂しい気分を浮き彫りにするが、香らないとそれはそれで別種の侘しさがある。どちらにせよメランコリックな気分になる10月あるある。
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急に逆算的な思考が湧いて出た。達成目標を定め、それをいつまでに行なうと決めて、いま何を実行するべきかというやつである。

ちょうど10年ほど前、東京と足立区鹿浜の図書館でそのような主旨が記されている苫米地英人(認知科学者)さんの著書を読み、「なるほど」と思いやってみた。達成目標、すなわち「ゴール」は大きければ大きいほどいいと記されていたのである。

そこで当時、「世界中の人に自分の曲を聴いてほしい」という目標をあぶりだした。

そこから、いま(当時)やるべきことをリストアップした。するとどうだろう。何事にも、着手するまでに100年くらいかかる気質だった当時の俺は、一心不乱に各タスクを毎日着々と行なうことができた。

オリジナル曲をEP1枚分制作し、発信元である当ウェブサイトを知識ゼロから作り、試行錯誤しながらも、iTunesに発信する(いまでは個人でも簡単だが、10年前はわりとハードルが高かった)にまで至った。

やればできるじゃないかと、ゴールから逆算してやることを決めて行動するアプローチはパワフルじゃないかと、とても達成感を得たことをよく覚えている。

しかし、世界中の人がアクセスできるところに手前の曲を置けたはいいものの、ダウンロード数は凄惨たるものだった。

まだそのころは「マーケティング」の思考が全くといっていいほどなかったのである。世の中のニーズというものを要素に入れていなかったことも起因のひとつだった。あと、掲げた目標が「ゴール」としては小さいというかそんな気もした。

とはいえ、発信できたことは事実なので、それはある種のちいさな成功体験となった。

現在では、また別の成功目標がぼやっとあるが、なんか牛歩というか進んでいるか否か何なんだろうというモヤモヤの原因は「ゴール」が明確ではないという部分なのではと、ふと気がついた。

そこには、この10年間で「やった」と思えることや「失敗した」と断じれることが交差し、それらがノイズとなっている気もする。

「稼ぎたい」だの「組織や事務所を構えて多人数で仕事をしたい」やら「伴侶がほしい」「影響力を持ちたい」などと、一応目標というか願望というか色々あるが、厳しめに解くとなかなか不明瞭とも言える。

「それで、いくら稼ぎたいの? その金で何をしたいの?」

「その組織をどうやって作るの? 何を運営するの? どう経営するの?」

「結婚や求愛に関してお前はどんな努力をしているの?」

「影響力を持って誰に何をうったえかけるの? そのために何を行動しているの?」

などなど、一歩踏み入って考えると、ある種の自己批判がバシバシ襲ってくる。

何が言いたいかというと、具体的な目標やゴールを持っている人間は強い。

いろんなビジネス書などを読むと、共通項として、成し遂げた人たちには明確なビジョンがある。それに対してやることをやって、結果を出している。

そのような本を読んで感銘を受けることはあるが、そこに書いてあることを愚直なまでに行動することでその効果が完全に発揮されるので、せっかく読んでも実行しないのはどこかもったいない。

あまりガチガチにやりたいことを固めると柔軟さを犠牲にするのではという言い訳もあるが、一理なくもないなと、わりと熟考する。

いまビシッと決めるのがベストかもしれないが、これらの思考を常に強く意識し、生きていくあらゆるシーンで鋭利なアンテナを張るだけでもまた違うかなと思えただけマシかもしれないなと、一旦落ち着くことにする。

だが、人生とはあっという間だなと薄々わかってくる40代もそろそろ中盤。せめて、「今やっていることが何に繋がるか」という点くらいはハッキリとさせて日々過ごそうと思った。

もしかしたら、みんな当たり前にそういう風に生きているのかもしれないが。俺あたりは、さっきピンときた。どうも気づくのがいちいち遅い。
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元モンク(僧侶)の書籍に書いてあった呼吸法で脳と認知のバグがかなり改善されたのは去年くらい。それから、ことあることにそれを行なっている。

具体的には「4カウント鼻から吸い、4カウント止め、4カウント以上で口からゆっくりと吐く」これだけである。

1回でも効果があり、数回だとさらに倍づけ。気分は安らぎ、リラックスし、適度な幸福感が得られる。本当である。

なんでもこれは瞑想導入の準備だという。その続きも書籍に記されていたので、昨日なんとなしに電車2駅分の距離の時間でやってみた。全部ではないが、途中まで瞑想をした。

手順は、まず先述の呼吸法を何度か繰り返す。整ったと思ったら、ポジティブな「視覚」イメージを5個思い浮かべる。そして「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」と、自分にとって心地よい五感をイメージする。

電車を降り、まあ、落ち着いたな。くらいの感想だったが、その日はなんだか終日コンディションと集中力がよろしかった。

あれれと思い、今日も同様に瞑想をしてみたところ、やはり調子がよかった。「瞑想は効果絶大だ」とか言う偉人もいるが、本当にそうだったのである。

やりかたはもっと細かいが、とりあえず基本的なことをやるだけでもこんなに違うのか、チャクラが開く日もこれは近いぞと、俺は内観的な亢奮を禁じ得なかった。

なんならケミカルな抗うつ剤や抗不安薬より効くのではないかといった雑感。ちょっと続けてみようと思う。たったの10分ちょいで1日のパフォーマンスが上がる。やらない手はない。個人的にそのように思い至った。

昨日の思索にも繋がるが、享受して感銘を受けたことは実行に移すのが吉。スーハースーハーと電車の中で瞑想しながらそう体現した秋の中盤。地下鉄の乗車客からどう見られていたかなど全くもって気にも留めない。

そのような神聖な行為で身を清める。とはいえ、人間は少々の“雑味”あってこその生々しい生命体。というわけで酒呑んでラリって寝よう。
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池袋に買い出し中、なんだか壮大なことを考えていて「こいつは凄い。記すべきだ」と思ったが、帰宅してなんやかんや作業していたら全部忘却。

確か、天才と社会環境と生活保護についての相関関係を結びつけた内容だった気がするが、全部忘れる。

それはまあ福祉の仕事かなと思い、手前でやるべきことをして日中いっぱいわりとサボらず過ごす。やはり、軽く瞑想をすると1日はかどる。

個人差はあるだろうが、瞑想をすると特に、「次にやるべきこと」までのタイム感が縮まる気がする。完全に解明されていないらしいが、きっと脳内伝達物質に良き影響を及ぼしているのであろう。

そういったわけで、いま、次にやるべきことはサッサとシャワーを浴びてハゲんようにと頭皮マッサージをしてリラックスして寝ることである。

隙間時間の積み重ねは大きいと気がついた昨今、生産性が上がった気はするが資金はいまのところあんま増えず。即効性には期待せず、ちゃんとコツコツ長期目線で地道にいこうと思う。
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案件のリハーサルで都内のスタジオへ。一同、驚くほどスムーズに仕上がりみんなで早めに上がる。外へ出ると「毎日これくらいならな」というほどの清涼な秋の気候を全身で感じる。

赤羽へ戻り、公園に確認しに行ったら赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなったので位置を確認。木々に、端麗な実がちいさく咲きほこっていた。

よかったよかったと思い、飯を食べてなかったのでとんこつチャーシュー麺をおもむろに啜る。替え玉も重ね、カロリー充分だなと帰宅して寝る。若干睡眠不足だったので思い切り2時間ソファで休む。

起きてDAWを立ち上げ、着手中のアブストラクト楽曲を仕上げてファイルにしたためる。ほぼほぼ需要のなさそうな毛色の曲だが、手前では十分な仕上がりと断じられる。ニッチな需要に応えられれば幸いと、プラットフォームに申請。右脳全開の音楽のみで過ごした秋の良日。
_10/13

 

 

 

 


全ブタ肉料理のなかで謎にチャーシューだけは腹に合わない。それを失念しての昨日の食生活。今日は昼過ぎまで胃腸が抗議をしていた。

美味しく食べられるのになと、あまり深く考えず。結論が出たってどうせまた忘れてたまに食うのだしと、手前の記憶の歪曲性を認める。

完成した音源を聴き直したら少々甘かった点があったので修正する。スタジオで大きな生音を浴びた後に行なった手前のマスタリングなど信用ならん。そこも再認知して仕上げ直す。今度こそ完成する。

「一晩寝かせる」とはよく言ったもので、その日と翌日とでは精査の精度が異なる。クオリティを確かめるには、個人差はあるだろうが最低でも1日置いた方がいい気がする。他者に確認してもらえる場合はその限りではないが、居ない場合は寝かせると俯瞰できる。

人間の認知はつくづく不思議である。それが家にあるかどうかの認識も怪しい場合がある。

「どうやら宅にはないねえ〜」

「そっかあ、別の場所かな」

「すげえ探したけどないねえ〜」

「そっか。わかった!」

翌日。

「なかったんだよね――平吉のうちにやっぱりない感じ?」

「ないよねえ――ありゃ。これかな?」

「それだろ!」

「まんすまんす(謝罪)」

「おい!」

「ごめんて」

「おい!」

ということも今日あった。俺は、宅にあるあらゆる機材の「所在リスト」を書いておこうかと前向きに考えた。それくらい、人間の記憶など曖昧である。

ということにしたいが、まさかあの忌まわしき認知症の初期症状ではないかと慄くもたぶん大丈夫かと思われる。

とりあえず、日本とアメリカの製薬会社が共同開発した、アルツハイマー病の原因物質・アミロイドβに直接働きかける新薬「レカネマブ」の効果に期待を寄せる。

いや、医療の発展頼りもいいが、とりあえず毎日しっかり頭脳と感性と魂を磨くことに努めよう。スピリチュアル・カウンセリングに行きたい欲よりも「脳ドック」を優先させるべきかもしれない。まだ脳細胞がスカスカではなくピッチピチであることを祈る。
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興行案件で埼玉県は川口市へ。隣町である。足立くんとヨディーさんとよしおさんと堀田さんと共に、張り切って一日を過ごす。

ステージに上がり、演奏させて頂くことは、得も言われぬ快感がある。強いて例えるなら、みんなで美しい海に飛び込み、優雅に一緒に流れるような感覚。

きれいな光と音と声と振動に覆われる。お客様が楽しそうな所作をしていらっしゃる。終演後に本格派イタリアンをご馳走になる。

とてもありがたく、振り返るとあっという間に過ぎた日。人生単位で考えると「瞬間」とも捉えられる。

しかし、そこは思い切り時間軸を広げて堪能するのが最高だと、静かな仕事部屋に戻りカタカタと、大切なひとときを反芻するように感取する。
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たいへんスッキリ起床し夕方まで仕事をするが早めに電池が切れかかる。ものすごい眠気である。しっかり休む日を挟まずの昨今だったのでそれはそうもと、思い切りソファで寝る。

フリーダウンロード楽曲のプラットフォームで新たな曲を1つ公開し、YouTubeでも1つ、コンテンツのアップロードを重ねる。

コツコツやってる気はするが、また新たな道筋も欲しいなと、たまには歌モノを作りたいという欲求にかられる。それを作った際、どのような展開が望めるかということを紙に直筆で書き出してみる。

すると秒で10個以上出てきて視覚化される。じゃあじっくり走らせようかなと行動に繋げることにする。

秋は色彩豊かな変化が生じがちな時期。それは自然の摂理というか、人生を振り返ると、帰路となった季節は11月あたりがとても多い。

そこに差し掛かるタイミングで肚で湧いたアイディアは形にするべきだと、青年期と比較したら、ずいぶん覇気が上がったものだなと意外に思う。

やらずの後悔は面白く無い。いくつもやって、だいたいはスベったけど、あれとあれは当たったな、喜んで頂けたなと実感できるように、ストロークを多めにすることが鍵を握るとリマインド。
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ひと仕事して夜、疲れたし軽く寝ちまおうかなと思う。しかしその数十分でも何か作っていれば、そのぶん前進できると気合を入れる。

どこに進んでるのかやや不明瞭なきらいもあるが、一貫しているのは各種コンテンツ制作と公開と数集めである。自分の価値を少しずつでも上げることに努める。手前が、誰に、どんな需要があるかを知って行動するにはそれは欠かせんと、制作をする。シンプルにくたびれてなんだか最近右肩をあげるとちょっと痛いというこの切なさ。

先だおしで頑張って、時間を作り、熱海へ行けば治るという、ちいさな褒美を掲げる。正確に言うと、長距離移動しんどい症をちゃんと直すための認知行動療法という点が最もでかいが。

旅へ出て、取れ取れぴちぴちカニ料理を頬張り、湯治をして、辺りを散歩して何かを悟る。これは付随するおまけのようなものである。とはいえ、リアルに考えているとたいへん楽しそうだなと予算を調べる。2万円で行ける。それくらい弾き出せる。

だから今頑張ろうと、日々のしんどさは苦労の先払いのようなものであると自分に言い聞かせる。するとけっこう活動が捗る。先だおしで頑張った分、あとがより楽しくなると。

逆を言えば、飲酒は快楽の前借りのようなものであろうか。わかってはいるが呑む。じゃあプラマイゼロかなというところで手打ち。というかそれじゃプラスにならないじゃないかとも思うが、数字では測れない波動の循環が人間にはあるということにしておいて大丈夫なのだろうか俺は。
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最近休んでいない、疲れたなとは思いつつも謎に体調はよく、普通に仕事をする。夜は仲間と肉を食いつつ語り合う。

酒はほどほどに、帰宅してメールチェックなどをする。公開しているフリーダウンロード楽曲について、著作権やら利権やらの仕組み変更なのか対応が必要なのか、そのような主旨の内容を受けたので精査する。

今までは「問題ない」と確認済みだったが今後は異なってくるのかと、とりあえず適した対応についての質問を運営に返信して、自分でも色々と調べる。なんだかややこしいなとさらにくたびれてしまう。

そういう時にあわてるとろくなことがないと思われるので寝て起きてから考えようと思う。明日はひさびさにゆっくりできたらいいなと思う。
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ブルジョア階級である富裕層の肖像画を描いて食いつなぐ。中世ヨーロッパではそういった絵描きがいたという。

「こいつ腹立つけど、金のためだ。ああ、描きたくねえ」

などと思いながら、上から目線の依頼者の醜い顔立ちを少々盛り気味のイケメン佇まいにデザインし、筆を走らせていたのだろうか。そのお金で生活をしつつ、本流の自身の作品を積み重ねていったのだろうか。

数百年前のアーティストの心情を、目の前にある絵画から勝手に逆算しつつ想像する。

昼すぎ、「どこかに行こう」と思い、駅へ向かう。「何線に乗ろうかな」と、1番線から8番線の8択を適当に選びつつ、なんとなく着いたのは上野駅。

「何のためにきたのかなあ」と、公園の金木犀と銀杏の匂いが混じった秋と冬の嵌張の空気感のなか、一直線に歩く。「ああそうだ、そうするか」と思い立ち、国立西洋美術館に500円払って入場する。

絵画に造詣が深いわけではないが、各作品を見てはなんとなしのフィーリングを得る。1500年代や1800年代など、時代によって描写が異なるなと、当時のトレンドを知る。モネもピカソもセザンヌを見ても、良さはよくわからないが、確かに何かを感じる。

絵画の脇にはレビュー的なテキストが記されている。作者の心情を慮る内容に、とても感銘を受けた。

冷笑する女性が、切り落とされた生首を手に。今では即BANモノの描写が当時では逸品。主の忠誠を確かめるために同性で接吻を。現代だとボーイズ・ラブ的コンテンツにあたるのだろうか。

ド真面目に綴られた各レビューと俺の感想は著しく異なるが、そういった思念が生じるのが美術館の醍醐味のひとつであろう。

全員、目の前の絵画に集中している。俺は、その様にフォーカスした。外国人観光客に学生らしき人。一般企業に勤めていそうな妙齢の紳士、女史。「近々、結婚かな〜」という雰囲気のカップル。やたら落ち着きのないティーンエイジャー。物静かで上品な方々。

皆、どこか共通している物腰の方々だった。もし、彼らと会話をし、文脈を無視して俺が急に「セックス!」とか言ったら時が凍りつきかねない、そういった感じの社会的常識に長けていそうなひとたち。

刺青やタトゥーを入れた者や、現代の傾奇者のようないでたちの人、明らかに「クリエーターですよ僕」みたいな方は案外見当たらなかった。例えるなら、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブのオーディエンスのようなファンキーで香ばしい人種は一人も見かけなかった。

これまた興味深いなと美術と人間模様を観察して持ち帰る。

俺がもし、1500年代の絵描きだったらとイメージする。きっと、なんのために絵を描いているのかとは考えず、マネタイズには無頓着で、「ううむ、パトロンが必要だ」などと女性にアプローチしつつ、日々暮らしてはいたのかもしれない。

「やべえ傑作ができた」と、はしゃいで晒すも全く見向きはされず、「こんなんでいいの?」という絵が売れたりする。

なんだろう、みんな、何を求めているのだろう、などと葛藤しつつ抽象画に走り、晩年は自分と他人の境界線がわからなくなる病に臥せりながらも訳のわからない絵を描き続けいたのかもしれない。

キャンバスの中心を大きく円状に切り裂き、当時なかったアバンギャルドなデザインを完成させる。「これは斬新だ。新しい時代が来た」などと発狂しては「論外だ」と一蹴され、後の3Dの先駆けともなる遺作は葬られ、生きる意味を見出せなくなり息を引き取っていたのかもしれない。

もし、そこまで振り切っていたら、前世で絵描きだったと仮定するプロレタリアート(無産階級)平吉はよくやったと思う。

2023年、秒でイラストや絵がAIで吐き出される。当時の俺からしたら卒倒ものである。そんなこと夜、動画などを作っては妄想する。

何が言いたいかというと、優劣や好みは脇に置き、アートに触れると、その作品と作者の世界に浸れ、過去と現在と未来を繋ぐ「点」が新たに、ぽつ、ぽつと、頭と感性に配置される気がすることである。

「これ描いたらワイン。これ描いたらワインを買う金が稼げる」などと、1500年代の売れない絵描きの手前をリアルに想像させるまでに至る。500年後もあんまり変わらずのモチベーション。

来世では、何をするのかなとまで考える。そして、とりあえず今世で色々と残しておこうと啓発する。

そういったわけで、ワインではなく、リーズナブルな缶チューハイという文明の恩恵を呑んでさっさと寝よう。
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とっくに死んだ母親がまた死んだり、寝てるのに眠れないという、不思議な夢をみる。

昨日享受した様々な芸術からの感覚が今日も残っている。ああいったものは必要なのだなと、朧げながらにも噛み砕く。

夜、宅で机に向かい、俺はいま何をするべきかなと真剣に考える。そのうち寝てしまう。

起きたらなんか思いつくだろうと信じていたが、特筆すべきフレッシュさの事案は出て来ず。

とりあえず残しておこうと、ここ数年で制作した選りすぐりの楽曲を動画にしたためる作業を今夜も行なう。

やったことや作ったものを誰もが手の届く場所に置き、引き続き、新しいものを作ったり書いたりする。それを続けながら、何をすべきかと並行して考える。

そのうち人生などあっという間に終わるなという当然の摂理への思考に辿る。

先日「俺はこの世に何をしに来たのか」というオーダーで、知り合いの占い師に依頼をかけた。結果はまだだろうか。参考にしたい。
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いま没頭すべきは何かとずっと考える。考えて何もせずというわけではなく、情報収拾をしたり、給与所得の仕事を8時間したりと、それなりにはタスクをこなす。

そういう時はここ数年、いつだって兎にも角にも楽曲制作だったが、最近収益の単価というか絶対的な数字が落ちていることに加え、各プラットフォームの体制が変わったと思わしき点から、手が止まる。

このまま、愚直なまでに制作をするよりも、なにか大事な、他のことにリソースを割くべきではないかと考える。すると寝る。昨日も同じような感じであった。

動画制作もいいのだが、これはまだ収益には直結とまではいっていない。無論、楽曲も動画も、制作自体は続けるという大前提はあるが、何か大事なことをまだ走らせていない気がしてならない。

ということで小一時間くらいずつ空白が空く昨日今日。そのままぐだぐだと考えずにとりあえず、つくるものを作り続けるのがいいのかもしれない。

しかし、もしかしたら、一度思い切り手を止めて、めちゃめちゃ本を読んだり、どこか斬新な景色を見たりするほうが、「これだ」という展開に繋がるのかもしれない。

だいたい、5年周期くらいでこういう思考になる。最近のは、アイデンティティ・クライシスとまではいかないが、もっとやれるんじゃないかという理想思考である。

はっきりしているのは、理想を追う前にまず金を稼ぐことである。それを並行してやろうとしているから、なかなか難しいと感じる。頭ではわかっているが、そこが行動面でちょっと淀みつつあるあたり、思い悩む。

「今日もしっかり実労8時間。えらいじゃないか」と思えばいいのか、「イーロン・マスク氏は週に100時間は働く。もっといきたいならそこで満足するな」と思えばいいのか。後者は極端だが、自分なりに、もっと何をどれだけやれば、より色んな人に喜ばれるのかなという悩み。

やっぱり端的に、「とりあえずそんなこと考えてる時間あるならそのぶん働けば?」というのが答えであろう。とりあえず明日も仕事を頑張ろう。そして、最適で最高の答えにたどり着くまで行動して考えようと思う。

昨日の思考がスピリチュアルに届いたのか、実際に知人がそれを読んだのかはわからないが、占い依頼の具体的な日取り確定のお報せがきた。本文のようなことをメインに診て頂き、参考にしたい。そこは、シンプルに楽しみである。
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ぐだぐだと考えつつも仕事をする。めしを食う。アイコスをバカみたに吸いながら動画などを作る。とはいえ1日1箱吸うか吸わないかくらいだが。

結局、日々積み上げながら、アンテナをピーンと張り続けることで活路を見出そうという、いつもの結論に達する。

一応持ってる奉仕の心と、わりと拗らせている自己顕示欲。そして、目がくらむほどの金への希求。良くも、そうでなくとも、そこは素直に自分らしく、誰よりも自分を信じて生きていればいいじゃないかと、善意も煩悩もセットで不完全な手前を認める。

ふはあ。チャンネル登録者数25人かあと目を細める。初めて2カ月だとこんなものかなと、いやいや早々に路線変更するべきかなと思考を巡らすが、予定シリーズの楽曲ストックがまだまだあるので、予定通り動画化して進めながら別のアプローチを考えればいいではないかと前向きに考える。

そこで手を止めてしまうことはよろしくないと、過去を振り返る。

香ばしい事務所でコンペ作家みたいなことをやっていた頃。箸にも棒にもひっかからないものだからと腐って俺は手を止めた。だから、当時のものは一部を除いて大きくは何も残らなかった。

しかし、その後にやり始めた各種のことはずっとやっていたものだから、収益化までこじつけた。確か、ブログでチャリンと金が入るまでは1年くらいかかった気がする。

そう考えると、まあ、やっているほうかなと、今日あたりは自己批判とは逆の思念を自分に与える。

「PIP」という言葉を初めて知った。「Performance Improvement Program」の略で、要は「業務改善計画」である。欧米の企業などではこれを取り入れ、一定未満しか成果が出ない社員にこれを施し、それでも改善できなければ解雇というもの。ううむ恐ろしいと思った。

だが、この考え方を手前の人生にちょいちょい適用すればいいと思った。成果が上がらないタスクに関しては、執拗なまでに一定期間フィードバック(この場合、ダメ出しと成果の評価)をする。

自分でやるのもいいが、ちょっと考えたら現代ではこれに似たものが自然にネット上で蔓延している気がしてきた。

何かを発信している人たちは、そのエネルギーが大きければ大きいほど、なんらかのフィードバックを浴びる。例えば、YouTubeの高評価ボタンやアンチコメント、SNSの「いいね」や、某巨大ニュースポータルサイトのコメント欄で目にする情け容赦のない声。

それは、手が縮こまったり病んだりする人も増えるわなと勝手に納得する。

だからこそ、せめて自分は誰よりも、自分の味方であり、自分を信じるべきだなと改めて思った。初心に還った。そういったわけで明日も制作やら頑張ろうと思える。

公開している楽曲に対して頂く使用報告メール。誰かまではわからないが、数は把握している当サイトや他に運営しているサイトに来てくれる方々。委託先の各プラットフォームで手前の楽曲を利用するなり、楽しむなりしている人たち。ちゃんといらっしゃることをちゃんと認知して、そこに心から感謝しつつ。
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「歩け歩け地獄」。それは、刃物を懐に忍ばせ、ひたすら悪人を探す。そして、見つけ次第、刺し、「やった! 馬鹿が馬鹿を殺した!」と歓喜する。

『ヒミズ』という漫画作品の主人公の日常のひとつの描写。そういったのがあったなと回顧する。

駅へ行き、無目的で1番線京浜東北線登り側に乗り、北区王子で降りる。そこから数時間ずっと歩く。高所恐怖症も治ったので、「北とぴあ」という、区の高層ビル施設の頂上で眺めを楽しむ。

思うことをあえて言語化せずに無意識にしたためる。王子から2駅、野生動物くらいの感覚でルートを決めず、赤羽まで歩く。

ネコが3匹。おおきな金木犀の樹。謎のスパイス屋。はしゃぐ劇団員たち。いつのまにか姿を消していた老舗の蕎麦屋。6部屋はあろうが、1世帯しか住んでいないもようの古いアパート。

どれも特筆して感銘を受ける景色こそないが、そのなかに確かな美がある。などとほざきながら、日常にある芸術味を無理くりに感性に落とし込む。

瞑想に似た散歩を経て、机に向かう。案件打診のすり合わせをする。動画を制作する。アップロードする。また作る。

正確には、静止画を加工し、動画制作ソフトでエフェクトなどを施しまくったものなので「動画」ではないのかもしれない。あくまで楽曲がメインのコンテンツの、YouTube用「.mp4ファイル」である。

今日は、刺し違えてでも殺すべき相手とすれ違っていたのかもしれない。ただ、気がつかなかっただけなのかもしれない。

もし、そうだとしても俺は刃傷沙汰は御免被るし、馬鹿な悪人を咎めるという正義感など1ミリも持ち合わせていない。悪人が馬鹿だとしたら、善人は利口なのだろうか。

俺はどっちだと、シンプルに判定を試みるする。秒で出てこない。明らかに必要だが、クソ重くてなかなか開かないウェブサイトのように、途中でブラウザバックして中身を見ない。手前あたりは、それくらいまだ自己分析ができていないのかもしれない。

グレーでいい。オルタナティブに生きる。などと言い放つ。本流の所在を顕著化させることは果たして重要なのかと、未だ本意気で疑う秋の休日。
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前提として、『ヒミズ』という漫画作品を最後まで読んでいない場合、本文は、いわゆる「ネタバレ」にあたる部分がある。

主人公は反社的な悪役に言われた。「いいか? お前は病気だ。病人は病院へ行くもんだ……」と。そして、ふとしたきっかけで彼は拳銃を手に入れた。

「おい。いらねえよ、こんなもの」と、主人公は中盤で言う。しかし、最終話のラストシーンでは、絶望なのか虚無なのか、病気なのか何が所以か、醜悪な姿の化け物の幻覚に「決まってるんだ」と諭され、拳銃で自殺をした描写があった。

なお、単行本ではその場面はややソフトに変えられていた。リアルタイムの連載の最終話では、確かに、自ら命を絶ったと解釈できる最後の描写だったのだが。

上記は、『ヒミズ』という作品の内容である。なお、そのくだりは全然関係ないが、今日は定期検診へ行く。改めて、「俺は病人で、病院へ行くのかな?」と、ふと思うが、実はそこまで深く考えず。

「どうですか。平吉さん」

「はい、悪くないです」

「そうですか……」

「ここ1年くらいの、交通機関での長距離が辛いという点ですが、10月1日に、仕事で神奈川県茅ヶ崎市へ行ったのです。移動が心配でしたが、特になんてことはありませんでした」

「そうですか」

「それは、自分にとってはけっこうでかいことでして」

「う〜ん、あまり急に無理をするのはよくないですよ?」

「はい、ですから、仕事という大義名分があった上で、電車片道2時間弱の移動が別にたいしたことなかったというのは『前進』を感じたと言いますか――」

「それで平吉さんの自信に繋がったのならいいと思いますよ!」

「ですよね。そう、それが言いたかったんです。だから徐々に…今度はその先、熱海あたりに行って、だんだん慣れて行こうかと」

「あまり意味もなく行くのもどうでしょうね…?」

「シンプルに『熱海あたりに一人旅に行きたい』という意欲はあるんです」

「それならいいと思います」

「ですよね。あと、最近抑うつ気分が著しく酷くはないので、一方の薬を、ここのところ減らしているのです。自己判断なので報告しておきます」

「これまで定量を飲んでいたから具合が良かった、ということもありますよ?」

「はあ、確かに。それで、3週間くらいその薬を半分にしているのですが――」

「3週間ですか……」

「ええ。それで別に普通なんです」

「じゃあ薬減らしますか!?」

「え。はあ、とりあえず自己判断はどうかなと思いまして(なんで急に語気を強めたんだろう)」

「そしたらですね、それで経過をみてみましょう。もしまたそれで具合よくなくなったらまた元に戻してと」

「それでお願いします」

なんだか終始、先生の傾聴の感じが弱めというか、どこか上の空というか、リズムに少々の「ラグ」を感じる診察。

先生は疲れてるのかな、調子よくないのかな、などと、なんで俺が精神科医のメンタルヘルスを心配せねばならんのかとちょっと懸念しつつ、薬局およびブックオフ経由で帰宅。

心とはなんぞやと再考する。ちょっとしたきっかけで持ち崩すこともあれば、その前に、小さなサインが出るときもある。

「心配事の9割強は、実際には起きない」とも言うが、自他共に、支え合ってケアすることが大切だと心得る。お世話になっている主治医に限って、医者の不養生でなはいことを祈る。

もし俺が、醜悪な化け物の幻覚に「決まってるんだ」と諭されたら、ドーピングをしてでもそれをかき消す。

あるいは、シラフ状態で、勝つまで徹底的に対話する。

はたまた、「それはあなたの感想ですよね?」とワンフレーズだけ言い返し、なんもなかったことにする。

いずれにせよ、酒呑んで寝て起きて、あらゆることを感じながら幸せに、ありがたく日々を生きていく。
_10/24

 

 

 

 


死生観などはとりあえず忘れて仕事をする。制作をする。無駄に若干寝不足だがふつうにテキパキと動く。

最近、エンゲル係数(家計の消費支出にしめる食料費の比率)が高いので、節約のために「カップラーメン」等を夜飯とすることがある。すると決まって腹が「それは違うよね」といった感覚になる。

じゃあ「カップうどん」はどうかなと今日食べたら微妙なところ。やはり、インスタント食品やジャンクフードは食事の代替品でしかないのかなと納得したいところだが、多分歳のせい。昔はそんなことはなかったし。

案件をひとつ受注し、進行のプロンプトを描く。と書くとカッコよさげだが、なんとなしに流れをイメージするだけである。

タスクは「PDCA」 (Plan:計画 Do:実行 Check:測定・評価 Action:対策・改善)で回すことが得策なのは、ある種の一般論。

しかし俺の場合は「P」が破綻しがちなほどガタガタの場合が目に付くので、「DDDC」(とりあえずやって、没頭してやって、とことんやって、超綿密にチェックする)で回して提出して評価を得ることが多い。

タスクの種類にもよるが、着手さえすればだいたい思い描く最終形にたどり着くというもの。

でかいプロジェクトの場合はそのかぎりではないが、手前が普段おこなう制作や文章作成の場合、まず考えずに着手して、やっていくうちに勝手にイメージが膨らみ、それに伴い形になっていくことが多い。

多分、人それぞれの脳の特性によるのだと思う。誰かにとっては最初にバシッと計画してそれに準ずるほうが上手くいくだろうし、ある人によっては、まず着手することが走り切る最重要項目だったりする。

知人に、「もうすでに頭の中に鳴っているものを各パートで作って曲にする」という猛者もいる。

要は、その人なりに適したやり方でやるのが最適だということ。俺はたぶん、散歩したり気絶するほど酒を呑んだり、死ぬまでにどうのなどと考えている時間が、意欲を形にするある種の「計画」段階なのだろうかと、考えがまとまる。

そんな「自分ではそんな気がする」という感覚は、それぞれのパーソナリティにおいてかなり重要であると思う。それを尊重しあえる世の中であると素敵だなと壮大な観点で落ち着く。

とはいえ、それって「多様性」のことだなと、世界はどんどん前に進んでいるなと恐縮する。
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電車で座って瞑想をする。よし、いいぞ、整ってきた、いった、ファ〜(白い光が脳内を巡る気がする)。と、ばっちりチューニングできたなと思ったら乗り過ごしていた。

いかんと思い1駅引き返す。当然真っ先に「間に合わん」と普通の感想が漏れる。しかし一方で「瞑想」の精度が高まったと、これはいいぞと、寝てた訳でもないのに目的地を通過するなどありえなかったことだと、集中力を増すスキルが上がったと前向きに捉えた。

いよいよ俺もいくところまでいけるのか、素人がスピっている(決してスピリチュアルを馬鹿にしている訳ではない)だけなのか、などとも併せて思うが、己が向上したということにしておく。

今日は仕事をして飯も食わずに制作をしてあっという間に夜が深まりきる。毎日毎日、それなりに楽しいな。
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酒呑んでフェイド・アウトするように気絶して目が覚める。こういうのよくないよねとは思いつつもベッドでまた寝る。起きると夕方。

どういう生活態度だと、けしからんと、そういった自責の念が宅の各部屋、キッチン、厠を対象とする本気掃除につながる。

どこか俺は、全体的に美辞麗句のようなきらいがあるなとポッと湧く。客観的に、優等生キャラであった少年期のなごりなのかなとアナライズする。

そのあとだんだん薄汚れては、人間における感心できない雑味や揺らぎを認めることになるが、基本的にはちゃんとしていたい気持ちと、やさぐれたいスタンスが同居する。だから半分くらいは酷くだらしなく、甘い部分がある。

もう半分くらいの、ちゃんと綺麗にしなければという気概でタスクを行なう。真剣に原稿を書く。できたので一晩寝かすことにする。

動画制作ソフトなどをイジったりしてコンテンツを作り、後の隙間時間は、堕落とまではいかないが、のんびり過ごす。日を記すとしたら、そのような頃来。
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なにか真新しい制作方法はないものかと調べてみる。NFTとかアニメーションとかそのへんを組み合わせてバカみたいに斬新なものが作れないかなと、ひとつソフトを試してみる。

「PowerDirector 365」というやつをインストールして使ってみた。基本的に動画制作ソフトのもよう。エフェクトなどが豊富で3D的なものもあり、手元にあるイラストでちょいちょい動かしてみて「なんか可能性を感じる」という所感。

もっとこう、絵や人物などを動かせんかと考えるが、それはアニメーションなのでけっこうな知識と技術が要る。イラストや撮影した動画をメタバース的にするにはどうするのかなというあたりで個人的就業時間となる。

イメージする世界観が3Dで創作できて、そこに手前の楽曲を織り込めたらめちゃめちゃいいなと、とりあえず火だけ点けておく。時代の変化が早すぎて追いつけないという状態にはなりたくないので、少しずつ進化を加えてYouTubeでアップロードしていこうと思う。

とはいえ今日上げたやつは全然再生回数がまわっておらんという体たらく。道のりは長いのか、あらゆる技術を取得することでの近道はあるのかと、どうすればいろんな人が楽しめるコンテンツが作れるかと案外真面目に吟味する。

これも試行錯誤していれば活路と光明が見いだせるのだろうか。やはり地道に積んでいく。
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エイフェックス・ツインの新曲「Blackbox Life Recorder 21f」のMVみたいなものが作りたいのだが、これはどう考えても「手前にはまだ早い」といった超ハイレベル映像。

とりあえず色んなソフトを使ってやっていくうちに良くなるかなと、ちまちまと制作をする。なんだかDTMを始めた頃のトキメキを思い出す。

正直、僭越ながらセンスが合うと思うクリエーターやアーティストの方と一緒にやるのが一番いいとは思う。俺は楽曲制作に専念して、グラフィックはその方にと。誰かとやった方がどう考えてもクオリティは上がる。

だから、いま定期的にYouTubeに公開している楽曲メインの各動画コンテンツを観て、ピンと来てくれる映像クリエーターはいないものかと、接触してはくれんかと今日あたり思う。

秒で、その「待つ」姿勢がよろしくないと自己で断じた。そういう時は手前からアプローチするものだと。

質問と一緒で、「――について、全然わからいのですが、どこから始めたらいいのでしょうか?」というのは、ノーセンスとはでは言わないが、相手によっては困らせてしまう質問の仕方の種類である。

「――について、イラストを生成して、色や光度などを曲調に合うように調整し、動画ソフトでトラックパートに合わせたエフェクトをかけて、少し動的にするところまではわかるのですが、その先の、アニメーションや3Dばりのクオリティにするには、どんな方法がありますか?」くらいの質問じゃないと相手にしてくれないと個人的には思っている。

そういったわけで、既存の楽曲に関しては全部自分で学びつつ動画作成をして、最低限のスキルを学びつつ公開し続けて、そこまでやりきってから、誰かと一緒に、もっと良いものを作ろうというアクションをとるステップを描く。

その時はもちろん新たな曲を作り、そこでしか発信しないコンテンツにしたい。という風に考えるとワクワクする。

そうなってくるとマネタイズ面、収益化までの道のりは甚だしく遠いかもしれない。だが、現代では恐ろしいまでに時間を短縮させる手法がたくさんある。

こと楽曲制作面では、俺はそれは使わず、あくまで「実演奏・レコーディング」メインで制作をするが、動画コンテンツに関しては最新テクノロジーを駆使するという、ハイブリッドな手法をとりたい。

このように書くと、さも凄いことをしてる風だが、現実は俺のYouTubeチャンネルの再生回数が数字として冷静に示している。

それでも、少しでも観て、聴いてくれる人がいるのがとても嬉しくありがたく思う。楽しんでいてくれるのなら、もっともっと幸せに感じる。

そんなわけで今のところ、「こないだ上げたやつ、再生回数100は行ったかな、行かないか、これは超えた、やった。高評価ボタン付いとる」とか一喜一憂している段階。

とはいえ、新たなことを進め続けているという点だけでも、とりあえず精神衛生上よろしいなという雑感。そして、アニメーターや映像クリエーターというのは、凄まじい存在なのだなというリスペクトも生じる。
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宅の大事な真空管ギターアンプ「Fender Hot Rod Deluxe」が故障したので直しに行く。でかすぎてどう考えても電車では持ち運べないので、レンタカーの手配をすべく「ガッツレンタカー」に電話してみる。

しかし価格を聞くと、中野区にある名店「エフ・シュガー」までのタクシー料金と同じくらいだった為、なんとか公道までアンプを運び出してタクシーで運送する。

個人タクシーのドライバーさんと「インボイス制度」についての話題に花を咲かせる。結論、様々な叡智を授かり、さっさとやることにしますという見解を示し、現場について礼を伝える。

「いらっしゃいませ」

「ぐはあ! 重い」

「ああ、さっきの電話の――何のアンプだっけ?」

「フェンダーのでかいやつです!」

「そう。そこ置いていいからね」

「いつぞやは、ストラトとジャガーをパワーアップしてもらって、トレモロのエフェクターを直してくれてありがとうございます。今日はこの子を……」

「どうした感じかい?」

「かくかくしかじか。お願いします!」

「じゃあね、値段けっこうかかるようだったら電話するから」

店内ではiMacからキリンジの楽曲「エイリアンズ」が優しく響いていた。

「5〜10万円とかいっちゃいますかね……?」

「そんないかないよ(笑)」

「直らないなんてことは……?」

「それは大丈夫だから!」

「頼りにしてます! ひとつよろしくお願いします!」

というわけでアンプ修理依頼を終え、徒歩で新宿駅へ向かう。昨晩『エガちゃんねる』で観た、ロケ地の思い出横丁「朝起 (あさだち)」という店の位置をなんとなく実際に確認する。なんでもこの店では豚のキャンタマやカエルの肉などが食べられる凄くいいお店らしい。

まあ、今日はタイミングではないな、いつか誰かと行こうと企てながら赤羽へ戻る。その足で皮膚科に行って診てもらう。はあ疲れたとラーメン食って帰宅。

メリケン珈琲を淹れ、PCをカタカタしたり、昨日のソフトで動画を作り直したりして時間が経っていく。やろうやろうと思っていたことを2つサッと済ませ、時間って大事だなと再認する。

明日は税務署突撃と知り合いの占い鑑定という、どこか相反するそれぞれの予定がある。どちらも楽しみにしつつ深まり切った秋を楽しむ。
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本棚の奥底から出土された押川雲太朗氏著のギャンブル漫画『BET』全3巻を、飲酒しながら熟読する。ソファで気絶して昼。当然、起床時からずっと体調がよくない。しかし認めず北区王子税務署にカチ込む。

クソのような政策である一方で平等性も併せ持つ「インボイス制度」の申請を無事届出て、チャリで帰宅。現場では、建設業のとっつぁんや独り立ち直後の若者などが、首を傾げながら書類に記入していた。皆、混乱しているもよう。

一旦帰って仕事部屋で鍵盤を叩きつつ歌の練習をする。目的は、音楽力を高めること。18時、知り合いの占い師に診てもらうために足立区北千住へ。

「俺は、何をしに、この世に来たのでしょうか?」

それが命題の占い依頼。鑑定結果は書面とともに、口頭でのディスカッションにより執り行なわれた。

「平吉さんは、父親とのコンプレックスが強いです」

「やはり。それは、もう仕上げました。それで今後、俺は何をすれば喜ばれますか?」

「平吉さんは、サービス精神旺盛なのでそこは疑う余地はなく――経済的な利益を上げる仕事――派手好みで――変化を好むので――サービス業や芸能も――」

「人に、喜ばれることが至上の愉悦なのです」

「そこに特化するのがいいかと」

「平吉さんは正直で真面目です。40歳前後で異性トラブルが――」

「さいきん性に、著しく病的なまでに、興味がないのです」

「そうですか。あと、平吉さんはリーダーシップに長けています」

「はあ。いつぞや、初対面の中国人の方にも謎に同じことを言われました」

「そして、お金は、使っても入ってきます。動かすことがいいでしょう」

「経営者に憧れています」

「あと、お酒に注意です(強調)。」

「ドキ」

「平吉さんは、女性的なソフトな感受性をもっています。深くて狭い人情味ある人間性の中に、独自の人生の意義を感じているようです」

「なんか判るというか――俺は、何をすれば一番よろこばれますか?」

「音楽じゃないですかね? 理想に直進しすぎないように舵取りしていくことが大切です」

「オルタナティブよりポップということでしょうか?」

「解釈は……平吉さんに対して……占いではなく、私の直感ですが海外に――」

「ペルーに行きたいです」

これらは、一対一の占いの鑑定に加え、その後、別の知り合いと合流して盃を交わしつつの時間軸の対話の要約である。

「俺は、税務署で『文筆業』と申請しています。音楽もやります。今はバイトもいています」

「平吉さんはバイト? それをずっとしないです(超即答)。事業をやります」

「はあ。現状、手前は『何をしている人?』と問われれば『チンピラです』と答えています」

「いいじゃないですか。ライターさんやって音楽やって、今はバイトしてて。そのなかでの複数の視点に隙をみせていない」

「良く言うと、そうですが」

「平吉さんは『人を喜ばせること』がいいんです」

「いいんですか。確かに――何かして、ウケると至上のドパミンが出るのです」

「タイミングは、鑑定書の通りです」

「では、俺は、“チンピラ『3.0』”みたいなものを確立すると喜ばれるでしょうか」

「ありです。いい! すごくいい!」

「バージョンアップした、令和以降の“チンピラ”です。そういうロールモデルに、俺はなりたいのかもしれません」

「いいと思います」

「貴女は、俺の過去と現状を言い当てた。占い師ってすごいですよね」

「そうですか」

「言語化すると――占い師とは、『その人を拡張する』役割を担っていると思います」

北千住で俺はギネス・ビールを4杯、さらに賜るスーパードライ・ビールを少々、羽を伸ばして呑んで良い夜を過ごした。

赤羽に戻り、立ち呑み屋で界隈屈指の「ハツテキ」とハイボール2杯を躰に注ぎ込み、リラックスして帰宅。今も呑んでいる。まあまあ、クラクラしている。“酒に注意”の警告たるや。

「俺は何をしにこの世にいるのか」という問いが照る。一番響いたのは、「功を焦らないこと」と言われたこと。確かになと思う。

じゃあやはり、進路は間違っていないのかなと、明日もその後も、コツコツ頑張ろうと思える。診てくれてありがとうございますという感謝は酔っていても勿論肚にある。

繰り返すが、“占い”は、“人の拡張”を促す。アルコール漬けベロベロの1日ではあったが、その点に関しては個人的に異論を認めず断じることにしておく。
_10/31

 

 

 

 


 

 

> 09/2023

 

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