11/2020

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。ツイートばりの短文日記。
落とした財布から現金抜いた輩は7年殺し。11月


ホワイト企業向けの曲を作る。爽やかな感じで8ビートでハンドクラップが入っていて、アコギとかストリングスがキラキラしていて、そんな感じだろうか。そもそもホワイト企業とは。

定時に始まり定時に退勤。手厚い福利厚生に安定の給料。年に2回のボーナス。セクハラもパワハラもない温厚な人間関係。頑張れば昇給もある。同僚といつも仲良しこよし。たまには帰りに赤提灯。このあたりがホワイト企業の定義だろうか。

対するブラック企業とは。労働時間と拘束時間がやたらクソ長く、福利厚生は無いに等しく、アウトレイジみたいなツラをした上司に毎日こきつかわれ人格否定の暴言を吐かれ、給料は時給換算すると500円を切る。なお、退職の際は小指を詰める必要がある。そんなところだろうか。

そうなってくると、ホワイトではなくブラック企業向けの曲を作る方が俺は向いてそうだ。時間さえあればアルバムも作れそうな勢いでアイディアが湧く。

容赦なき音圧のビートにバキバキのシンセサウンド。ヒステリックに歪んだノイジーなギター。ネックが剥がれるかというくらいのスラッピングベース。恫喝に近いシャウトのサンプリング。サウンド的に黒い夢が広がる。

ホワイトとブラック、その間の企業とは。グレーな企業だろか。文字にするとこのグレー企業というのが一番ヤバそうである。どう考えても法に則ったシノギではなさ気。

謎の植物の栽培の管理、中身を知ってはいけない荷物の運搬。高齢者のみの個人情報が羅列された名簿をもとに電話をかけまくる。意図不明の見張り役。口座から口座へひたすら金を振り込んだり引き出したり。

グレーな企業向けの曲たるや。こう、イギリスはブリストル寄りの静かなビートにアンビエントなアナログシンセのサウンド。気が滅入りそうなギター・アルペジオ。やたらとサブベースの効いた低音が迫り来る。囁くような、悲鳴のような、断末魔のようなボーカル。

これらを合わせると、手前が最も好む音楽の種類と相成りそうである。不思議なものである。確かに、俺はホワイト企業は性に合わなかった。ブラック企業はというと、辞めてから気がついた。グレーはというと。その先はないか。

グレーの先、上を行く働き方はないか。それはもうプータローだろう。よっぽど暇ができたらプータローの唄でも作ろう。3コードとかでいいや。
_11/01

 

 


真面目に1日制作をする。

楽器を弾く行為などはある種の麻薬的な気持ち良さがある。よって長時間やっていても全然疲れない。正確に言うとドーパミンとエンドルフィンが分泌されるので疲れや痛みに気づかない。

それくらい没頭できていいじゃないかと思う。人間は、熱さと冷静さが合わさった状態で没頭している時、フロー状態とも言うらしいが、この塩梅の時が一番幸福を感じると何かに書いてあった。その通りだと思う。

幸福を噛み締めて酒を呑んで安らごう。もはや日課となってきたアニメ『美味しんぼ』のYouTubeチャンネル鑑賞を肴に寝るまで静かに過ごそう。

子供の頃、『美味しんぼ』が大好きだった兄貴は元気だろうか。兄貴はこの作品の主要登場人物、山岡士郎と海原雄山との親子の確執を自分に重ねていたのだろうか。そんな気がする。作品後半では彼らは和解した。そこも重ねればいいのに。
_11/02

 

 


わりと早起きして健やかに仕事をする。明日の案件の準備と制作。昨日同様宅でまるりと過ごす。

どうも腹が減ると思ったらまた夜めしを飛ばしている。DAWを開くと、どうしても作業を優先してめしを抜かす。けっこうよくあることが故によくないなと対策を考える。

「おい、めしの時間だよ」と、声をかけてくれる伴侶でもいれば強制的にめしタイムとなる。いない場合はどうすればよいか。伴侶を探すか自己管理するかの2択である。

たまには前者についてもう一歩踏み込んで考えてみる。四十路の独身野郎が伴侶を見つける最もスタンダードな方法はなんだろうと。

お見合い。昭和の発想。出会い系。平成をもってしてその呼び名は聞かなくなる。マッチング。令和はこの言い方らしい。言い方ひとつでイメージが全然異なる。

というかそれがスタンダードなのだろうか。どうせならもうちょいロマンティックなのがいい気がしないでもないがそれは贅沢というものだろうか。

ロマンあふれる男女のあれこれ。これにとんと疎い。恋愛映画くらい観たことがないのかと思い返すと『ローマの休日』くらいしか観た記憶がない。

あの映画は確か、姫様と記者のアバンチュール的な内容だった気がする。互いに気が合うのだろうが、立場が違い過ぎて成就せず。そんなところだったろうか。

恋愛というやつは、育ちや環境が違いすぎると比較的成就が容易ではない気がしてならない。

育った環境や家庭環境の近い人間。それでなければダメというわけでもないが、それだと多少なりともスムーズに行く気がする。

そうじゃなく、ローマあたりの姫様とも釣り合うくらいの漢になってやれと手前を奮いたたせよ。甘えを捨てろ。そう言い聞かせ、明日も張り切ろうぜと思う。

結論として、めしを飛ばす対策はというと、とりあえず何事においてもまずは余裕を持てといったところだろうか。

そのためには、今頂いている「やること」を、感謝の念を持って丁寧にやり、明るい未来を見据えることだろう。めしを抜いただけなのになぜ恋愛や自己啓発の思考が馳せめぐるのか。
_11/03

 

 


案件で外苑前へ。若い方々とお話をする。10代とか20歳ちょいとか若すぎてもう眩しい。フレッシュなエネルギーを持ち帰り原稿をやる。ちゃんと夜めしを食う。

制作をしてギターを拭いて1日が閉じる。最近ありがたくもたいへんいそいそとしているので明らかに疲労を感じるが、やることちゃんとやると清々しく疲労などはたいした問題ではないという気分になる。

しかし疲れきってなにか支障をきたしたらことなので湯船に浸かって回復しよう。たまには「バブ」でも放り込んでシュワシュワとふやけよう。数年ぶりに木枯らし一号が吹いたという寒き11月初旬。
_11/04

 

 


案件で六本木一丁目へ。早めに着いたので一服でもと思い、出口からすぐの位置にある喫煙所に行くとえらく混んでいる。界隈のオフィスビルのいくつかは全面禁煙となったのだろうか。コロナ禍以前はこんなギュウギュウではなかった。

特に不服もなく、居心地がよくないとも感じないが、非喫煙者からしたら異常な光景だろう。時期的に、密すぎてけしからんという思念が周囲から飛んできている気がしてならない。なぜ俺はそうまでして煙草を吸い続けるのであろう。

「習慣かつ依存症、そして楽してスッキリしたいから」というシンプルな理由である。どれも感心したものではない。なのになぜ、と思い続け数年、どこかのタイミングでやめるか、強情なまでに吸い続けるか、それすら決まっていないというか考えてすらいない。側から見たらアホと言われても反論できない。

あまり深く考えず、案件の場所に赴き、南北線で帰宅。あとは昨日と同様の暮らし方。変わったことがあったとすれば、夜めしは意を決して「チャーシューメン」を食うというやや贅沢をしたことくらいである。チャーシューメンくらい迷わずオーダーできるくらい頑張れやと思いつつたいらげる。えらい美味い。アーケード内の「赤羽らーめん粋」という名店。

少しソファで仮眠をして制作をする。えらくシビアに録音する。最終的な音のクオリティを高めるために最も大切なのは「録り音」だと確信しているので、えらい怖いプロデューサーが後ろで見ているかというくらいのガチのテンションで録音する。

そうして「OK」が出た録音トラックはこう、どこか輝いている気がする。目に見えない思念と気合と情念をもトラックに込められていると思う。これは、俺は思い込みや勘違いではないと信じている。

綺麗な音で、カッコよい演奏で、リズムもよろしい。あと、「なんとなくいい。気持ちいい」。この最後者の感覚を聴き手に感じて頂くには、技術面と知識面は当然のことだが、精神論所以のエモーショナルが録音されているかどうかという部分にかかっていると思う。

「そこは必要ない」という方もけっこうおられるのだが、手前はここを最重要視している。数値化できない何か、目に見えない何か、説明不可能な何か。それが音などに表せた時、この上なく嬉しい。それが伝わると、もっと嬉しい。

その「何か」を無視して制作をした場合、制作時間は倍以上のスピードで進む。しかし、そうして完成したものは、全体的に「よい」のだが、グッとくる「何か」が足りない。この「何か」がなんなのか、いまだにわからない。

案件で色んなミュージシャンの方々とこういった話になったこともあったが、誰一人としてこの「何か」を明瞭に言語化する方は今の所いない。俺もわからない。「煙草は『ニコチン』が入っているから吸ったらスッキリする」というくらいの答えがないのである。

答えが出ないままのほうが、むしろそれがどれだけ素敵なものなのかということを物語っているようで腑に落ちる。

言葉で表すとして近いのは「グルーヴ」「バイブス」「恍惚感」「カタルシス」そのあたりだろうか。どれも、出すのは極めて難しい。でも、それが「ある」と判断できるまでの過程は、気持ちよくてたまらない。
_11/05

 

 


案件が19時からという日ということもあり、最近どうもありがたくも作業量が多いこと、睡眠が足りていないことから無尽蔵に寝てみる。起きたら15時。11時間は寝ていた計算になる。これが睡眠負債というやつか。これだけ寝れば返済できたであろうと思い、少しデスクワークをして鶯谷へ。

半年以上ぶりの現地でのライブレポート案件である。今後、コロナ禍がいつ収まるのか誰にもわからないだろうが、こういう時期にどのようにライブがおこなわれるのかを直で見るのは貴重かもしれない。

入場の際は消毒と検温を。基本的に公演中は発声はご遠慮を。席は間隔を空けてソーシャルディスタンスを保つ。こういった感じであった。

それでも、本日の公演はザ・リーサルウェポンズのライブなのでコール&レスポンスがないとなかなかつらいのではと思ったが、そのへんを配慮した演出の工夫はあまりにも素晴らしかった。声を出さずとも楽しめるようになっていたのである。実際、感染症対策徹底のもと、公演は大盛り上がりだった。

現状を鑑み、知恵と工夫と愛でなんとかなるものなのだなと感銘を受け、中華めしを食って帰宅。また寝る。どれだけ疲れていたのかと思い知る。しかし起きて原稿を書く。さすがに寝は十分なのでやたら捗る。ちゃんと寝るのは大切だ。

今日も80年代のアニメでもYouTubeで観てリラックスしてから寝よう。最近は『笑ゥせぇるすまん』がメインだ。主人公・喪黒福造の「ココロのスキマ、お埋めします」というあのフレーズ。普遍的だなと思う。

音楽もアニメも、80年代の普遍性のある作品は色あせずやはり感銘を受ける。音楽でも漫画でもアニメでも映画でも書籍でも、「作品」というやつは、心の隙間をうまい具合に埋めてくれる。
_11/06

 

 


椎名林檎さんが夢に出てくる。関連性は全くもってわからないが、お話をしたり文化についての感じ方などをほっこりとトークし合うというたいへん朗らかな気持ちになる夢。起きるとえもいえぬ多幸感に包まれフレッシュに覚醒。

仕事の合間にアコースティック・ギターを持って赤羽から池袋、そして丸ノ内線でサディスティックに御茶ノ水へ。

とはいえサディスティックな気持ちとは程遠い、手前の愛用楽器の健康診断が目的。俺なりにベストな調整をしたつもりのマイ・アコギだが、プロのリペアマンから見てどうなのか、その判断を仰ぐという目的である。

結果、「これ以上調整の必要はない」とのことだった。なんなら「人間で言ったらギブスが必要です」とか言われたらいたたまれないと思っていたが全然違った。

そうか、俺の愛用のアコギは健康なのか、そう安心して界隈をぶらつく。欲しいが今日は買わない高価なアコギを試奏して回るという冷やかしに耽る。

GUILDというブランドの最高レベルのモデルであろう「D55」というやつが欲しい。だが、品自体が店頭ではほぼない。だがしかし、今日やっと見つけたので試奏させてもらう。超欲しい。しかし、車が買えるほどの価格である。なんなら今買えなくもない。しかし、「今買うものなのか」という議題で脳内会議が始まる。結果、「今ではない」という結論のうえ棄却。

安倍政権がくれた10万円はまだ残っている。その残金を今日現ナマで持参している。今俺に必要な機材である、主にアコギ用途のプリアンプという品がある。それのベストなものを店員さんにチョイスして頂き吟味する。

脳内会議の結果、満場一致で可決。これでようやく10万円はほぼ使い切った。よい買い物をしたものである。こいつはベースのレコーディングにもかなり使えるという思いもよらなかった付加価値もあった。

必要かつベストな買い物をしてほっこりして帰宅。ギターを調整する金がまるまる浮き、そいつでマストアイテムを買う。最高の気分である。

開封の儀。一通りペロペロしただけで稼働はまださせない。こいつを使用する案件に着手する数日後までおあずけとする。

購入したCDや本を買っても当日には聴かない、読まない、それらによって期待汁という名のドーパミンを出し続けるという高等テクニック。それと同様である。そういったわけで起床から終日までハッピーな1日から滲むささやかな幸福論。
_11/07

 

 


「夢であってほしい」と、本気で思う時はガチでテンパっている状態。今日はそんなことがあって意気消沈した。

案件で渋谷へ。夕方、近場のハンバーガー屋で原稿を書く。ここまではいい。そして小一時間して厠へ。そこでどうも右尻のあたりが寂しいことに気がつく。財布がない。

「おおおおおおい!」と厠で叫びつつ血圧を200mmHgくらいまで上昇させていると、そのタイミングで固定電話の番号から着信。我ながら聞いたことのない手前の声のトーンで「ハイひらよしです…!」と、出てみたら渋谷駅からである。

「平吉賢治さんですか? お財布が届けられておりまして……」

「すぐ行きます!」

とりあえず、奮発して買ったちょい高価な財布自体は無事とみた。しかし、個人情報全開の身分証やらカード類はどうなのか。ふと厠の鏡を見て確認した手前の若干の蕎麦色の面のまま、井の頭線改札口隣の落し物回収コーナーへ走る。

行くとすぐに駅員のお姉さまは財布を出してくれた。

「届けられた時にはもう……」

「もう!?」

「もう、中身は、一切合切……」ということであろう。財布をクパァと開くと、現金が全くない。小銭まで一律かっさらわれていたのである。金額はというと、わりといいスーツ一式が買えるくらいである。

その他、カードや免許証はというと、全て無事だった。届出をする手間が省けたのは、予備の名刺を財布に数枚忍ばせておいたのが功をなした。駅員のお姉さまはその名刺でわかる俺のケータイ番号にかけてくれたのである。

大激怒、という感情にはならなかった。こう、憔悴した。そして、財布本体とカード類が無事だったのは不幸中の幸いと捉えた。現金は、本気で痛いが、また稼げばよいと、手前に言い聞かせた。そもそも落とした俺がマヌケなのである。

一応、カードの預金残高を確認したが全て無事。要は、ネコババの被害的には現金のみである。財布も綺麗なままだった。

札が入っていたポケットに一枚のレシートがあった。それは、さっき居たハンバーガー屋のものであった。すなわち、俺が財布を落としたのはその店内であったことが確実となった。

18時から19時の間、あの店の3階フロアにいた客の誰かがネコババ犯。しかしそのへんを考えてもすでにどうにもならん。おそらく、着席してなんやかんやしている時に右尻から財布がずり落ち、作業中でそれに全く気付かず、誰ぞがそれをそっと拾って中身だけ抜いて届けたのであろうか。

いつもはそういう時は卓上に財布を置くのだが、今日はしなかった。そして、他に席はいくらでも空いているのに何故か通路側を背にした席にいた。これらが原因だろう。今後気をつけよう。

ネコババした輩、気持ちはわかる。例えば、俺がギャンブラー時代だったら同じことをするだろう。現金だけ抜いて、何なら足がつかないように財布は川とかに投げ込む。今だったら、いくら入っていようが届けるが。

ネコババした輩、拾得物横領罪という立派な犯罪により、検挙されずともバチがあたるであろう。とも言わない。ひとつだけ、その行為をするということは、今自分が地獄にいる状態だということに気づいてほしい。

現金なんぞまた稼げばよい。何より、再発行が超面倒なカード等、身分証、そして大切な財布。あと、20年近くいつも財布に忍ばせている母ちゃんの形見が無事でよかった。

ネコババした輩、その現金でしばらく凌げばいいと思う。そして、どこかで気づいてくれ。あなたは今、地獄にいるということを。

それにしても実にもったいない出来事だったが、また稼げばいいだけのこと。再度起こらぬよう対策をした上で、気持ちを切り替えて明日も頑張ろう。チクショウ。
_11/08

 

 


わりとフレッシュな気持ちで目覚め、ヨーグルトとサラダを食う。俺の起きがけのめしはいつだってダイエット女子ばりのヘルシーさでお腹にやさしい。

今日は明らかに普段より仕事をするモチベーションが高い。昨日ムダに現金を失った事実との因果関係は否めない。嫌なことが逆回転して「稼ごうぜ」という気持ちが高まっているのである。こういった手前のトリッキーな精神構造はもはや矜持。

なんやかんやとせっせと頑張り日が閉じる。金なんざやること真面目にやっていればいくらでもついてくる。俺は昨日ムダに現金を失ったことで「変に金に執着するなかれ」というマインドが芽生えた。

もちろん現金はある程度必要だが、「金のために」ではなく「やったことに対して金がついてくる」という考え方は大切だなと思った。

なにも、誰も、自分も、全ての対象が喜ばない行為で金が入るということは無意味だと、そう悟った。よっぽど悔しくて綺麗事を言っているわけではなく、本当に昨日の深夜にそういう心境が降りてきた。

対価なき行為で生じる金なんぞクソだと。自分のした行為に応じた報酬やら収益やら、そういう金こそが大事なのだと。

そうなってくると俺の大好きな、今はヤメているギャンブルを完全否定することになる。それでいいじゃないかと思うが、あれはあれでムダの極致、ムダと破滅の美学、タナトフィリアをこじらせた自慰行為、そういう遊戯なのだろう。ヤクザな文化なのである。否定はしたくない。それでも今はやらんが。

ムダに金を失うことで得られる気づきもある。どんなしくじりにも、必ずそこから学ぶことはあると思う。だから、決して枕を濡らさずスヤスヤ眠ろう。要は、まだちょっと悔しい。
_11/09

 

 


ブロッコリーと人参と鶏肉をオリーブオイルで炒めて食う。自炊の味は薄いくらいでちょうどいいと腹を落ち着かせ、原稿を書く。

夕方は半額タイムセールに参戦し、安い弁当と美味そうなさしみを買う。スーパーのさしみ程わかりやすいささやかな贅沢もないものだと思う。とはいえ、めしとさしみとワサビのチューブと酒2本で1,100円くらい。贅沢というかむしろ安い方だと思う。

制作をして深夜、あっという間に1日が過ぎる。今日もYouTubeでアニメを観つつ酒呑んで寝よう。最近のアニメ文化に追いつくために80年代から遡りつつ観ているが、『ブラック・ジャック』が面白すぎてなかなか前に進まない。

『新世紀エヴァンゲリオン』より後のアニメは詳しく知らない。話題の『鬼滅の刃』までたどり着くのにあとどれくらいかかるだろう。みんながみんないいという評判で大人気というものを敬遠する性質を少し緩和させたいのである。

でもやはり偏る。きっと『美味しんぼ』と『ブラック・ジャック』を一通り観たらまた『賭博黙示録カイジ』あたりで止まるだろう。こう、ブスリと本質を刺してくるような作品はとても面白い。『鬼滅の刃』というのもそうだから流行っているのだろうか。だとしたら楽しみである。

それとも、わかりやすくてキャッチーで、バランスのとられた作品なのだろうか。時代が経つにつれ、そういったものが特に受け入れられる風潮にどんどん寄っている気がしてならない。

それはそれでいいと思うが、こう、観たり聴いたりした後に死生観について深く考えさせられるようなやつが好きだ。そういったシリアスな内容のコンテンツがバズるのは90年代をもってして右肩下がりなのだろうか。だとしたらちと寂しい。

シリアスなところまで考えなくとも、想像せずとも、問題なく暮らせる時代なのだろうか。それとも、俺が物事を深く考えなくなってしまったのだろうか。わからないからやはり今夜あたりは『ホワッツ・マイケル』あたりを観て一回頭を柔らかくしよう。
_11/10

 

 


わりと早起きして昼寝もせずに完走という見上げた日。いや、普通はこんな感じなのだろうか。

とはいえ終日ずっと宅で仕事というのもなかなか疲れるはずだが、制作をしていると休憩を欲しなくなるから不思議だ。楽曲、音がだんだんよくなってくると麻薬摂取時のような疲労緩和感をおぼえる。麻薬食ったことはないが。

だがやはり作業を終えるとクタクタとなる。「今日はこのことを日記に記そう」と思ったことが日中あった気がしたが、それすら忘れた。それほど全力で今日を生きたということにしておこう。いや、実際そうなのだと言い切りたい。

「今日を頑張った者にのみ、明日が来る」とかいう説教じみた台詞を言い放ったのは何の漫画の何のキャラだったか。それすら記憶に霞がかかっているが、確か『ハンチョウ』だった気がする。地下の強制労働所で日々チンチロリンという博打で荒稼ぎしているあのキャラだった気がする。

地下に堕ちた者の言う台詞はなかなか的を得ているような。明日という名の今日も頑張っていこう。ようやく現金をネコババされた忌みじき情念がどこかへ行った。日々張り切っていられればそんなことどうでもいいじゃん、という気持ちになれる。
_11/11

 

 


この世とあの世の境目を行き来するような悪夢を見て、覚醒して、また悪夢の続きを見て、というのを5、6回繰り返すという質のよろしくない睡眠。だが起きてしまえばなんてことはない。それにしても定期的にみるあの世っぽい夢はなんなのだろう。

起きている時間はそんなことどうでもいいとか思い、仕事をする。久々のリモート案件がひとつ。なんでもコロナ第三波が来たとかどうというニュースを見かけ、本当にこの禍はいつ終わるのかと目も細くなる。

最悪、ずっとこのままという可能性もなくはない。「これをすればコロナウイルスは即死滅する」という方法が明日にも見つかり世界に普及する可能性もなくはない。

要は何が起こるかわからない。とりあえず現実でやることを一生懸命やるしかないなと真面目に奮起し今日も過ごす。明日という今日、何かしらいいことがあるといいなというポジティブな思念を持って寝よう。
_11/12

 

 


案件で外苑前へ。若き娘さん方とお話をする。若いのに立派だなと思う。現代の20歳前後の若者と、手前の世代のそれは明らかに違うと最近しみじみ感じる。

犯罪級のことはもちろんだが、シンプルに悪さをする若者が減った気がする。1990年代の若者、俺も10代だった頃はなにかというと地面にツバを吐いたりタバコをポイ捨てしたり「あぁんコラ?」とすぐに喧嘩をおっぱじめる輩が若者のスタンスとしてデフォルトだった気がする。

情報収拾という部分でここ20年で圧倒的な差が出来たからこそ、「こういった悪さをしたらいかん。カッコわるい」というのがあたりまえのように若いうちから知ることができるのだろうか。

20年くらい前までは「悪いのがカッコいい」という風潮が確かにあった。今は明らかに違う。悪は悪であり、正しいとする者が悪を徹底的に弾劾する。

それは当然であり、もちろん正しいことなのだが、悪いことをした人に対し「やらかしたなこの野郎」という正義感よりも、「よっぽどの理由があったんだろうも」という、妙な同情心の方が勝るのは90年代育ちだからだろうか。それとも、正義感が欠落しているのだろうか。

今日、クレジットカードを拾った。交番に届けた。落とした者がまだ気づいていないかもしれないので、そのクレカでスーパーやコンビニあたりで爆買いすることも可能だっただろう。そのあたりの形態の店では暗証番号入力なしにカードで買うことができる。

しかしそれはみっともない悪さかつ、何より気持ちのよい行為ではないので届けた。なんだ、手前にも正義感じみたものがあるではないかと安心する。

しかし、クレカあたりは落としても気づいてすぐにカード会社に連絡し、機能をストップさせ再発行すれればさほどダメージはない。

だから、交番に届けた時、「謝礼等は不要なのですが、持ち主が取りに来たらお巡りさんでいいので僕に連絡をください」と言ってケータイ番号と名前と住所を書類に書いた。このささいな正義感に意味があるのかどうか確認したいという理由である。

「正義感の意味とは」と、考えるも特に理由が出てこないあたり、やはり正義感というものに興味がないのかもしれない。どうか落とした者が交番で回収することを願う。そして俺に正義感というものを実感させてほしい。そういった身勝手な心境が拾得物届出というせっかくの親切心をポッキリ折る。
_11/13

 

 


仕事の合間に 所用で池袋へ。友達の興行に行くためである。その前に、まず調子を崩したアイコスの具合はいかなるものかとヤマダ電機総本店内のアイコス・ストア的なブースへ寄る。

結論、使えなくもないが故障なので買い換えた方がよいとのこと。これを機に禁煙という選択肢がどうしてもでてこない。故障したスティック部分だけ別売りだったので購入。

その流れで、キャンペーン中のもようの「ファイナンシャルプランナーに相談する」というお誘いがあった。店員の姉ちゃんはグイグイ押してくる。アメリカンギャルくらいのアタック感であった。これはインセンティブがあるとみた。だから率直に聞いてみた。

「あれですよね? これに僕が乗るとお姉さんの業績というか現金というか、獲得するわけだったり?」

「う〜ん! どうでしょう! えへへ。で、いかがですか!?」

一瞬、長嶋茂雄さんの口癖が脳内再生されたが、若い娘が「う〜ん! どうでしょう!」とタメ気味に口にするとなかなか味があるものだなという所感。

とりあえず、資産運用的なことは明らかに無頓着というか知識がなさすぎの上、「口座に入れているだけの金をなんとかうまくできんことか」と、最近考えていたことがある。

あれこれ手前で調べるより「ファイナンシャルプランナー」というプロに直接話しを聞く方が賢明ということもあるだろう。あと、ファイナンシャルプランナーという職業の人種はどんな人間性なのか、興味がある。だから、無料相談というキャンペーンの予約に乗った。

店員の姉ちゃんは乗りがよい感じの方で、気持ちのよい接客だった。それも決め手である。保険やらのことも一緒に相談してくれるということもあり、色々とセンシティブな個人情報を聞かれる。

「持病はありますか?」

「はあ、ありますね。メンヘラ的なやつです」

「さようですか! タトゥー等は入っておりますか……?」

「いいえ。入れたい願望はあるのですが、皮膚が弱めの体質でして……」

「お歳は20代ですか?」

「ぶははは!」

「じゃあ30代ですか。見えないですねえ。クスっ」

「そんな気を遣わせちまいまして。40歳です(小声)」

「ええ!」

店員の姉ちゃんはわりと本気のリアクションであった。実年齢よりえらく若く見積もられる。これがこんなに嬉しいことだということは、やはり手前は年齢を重ねたことをまあまあ気にしている動かぬ証拠である。

しかし、20代に見られたというだけでこんなに嬉しむなんて俺は女子か、妙齢のマダムか、とか思いながらも終日たいへん気分がよかった。

アラフォーではあるが「若い頃の方がよかった」とはあまり思わない。ここ数年は、実はこれまでの人生でもかなり充実している時期という肌感もある。この調子でいきたいものだと、そう思う。

とはいえ、鏡に向かいドライヤーを当てると白髪がけっこうすぐ見つかる昨今、「アラフォーか……」と、蚊のような声が漏れる40歳と4カ月という実年齢。
11/14

 

 


1日制作をして過ごす。あっという間に日が閉じる。昼めししか食っていないのでまた痩せんかと危惧するが、そこは酒のカロリーあたりで補充しよう。もう深夜である。今から本気のめしを食った方がなんか体によくなさそうである。

さいきんは酒のつまみとして、「鮭とば」をライターで炙って食うのにハマっている。まだ未経験という方には是非ためして頂きたい食べ方。香ばしく、コクも出て、もの凄く美味しい。そして炙っている時の「バチ…パチ……」というサウンドがたまらない。

しかし、鮭とばはコンビニあたりでは小袋で400、500円くらいという、ちと高いつまみである。贅沢だから本当にたまにという感じにしている。そろそろ正月が来る。正月に鮭を一匹まるごと送るという風習がどこかの地域にあった気がする。あれを丸ごと鮭とばにしたい。誰か新年に鮭を一匹くれんかという期待感がある。

一体どういう関係性だったら鮭を一匹もらえるのだろう。全くもってわからん上にもらえる気がしないので、明日あたりは合間に業務スーパーに行ってコスパの高い鮭とば大袋探しの旅に出よう。それくらい「鮭とば」はライターで炙ると至高。
_11/15

 

 


宅で原稿をやって制作をして、韓国の袋ラーメンを食ってと静かに過ごす。特筆してなにか新しいことをした日かというと、制作でベースのスラッピングに挑戦したことくらいである。

スラッピングとはベーシストがアンサンブル内において華のある、やや派手気味なプレイ。弦を右手で叩いたり引っ張ったりするあれである。

これが俺は「できる」とは言えんが「できなくもないかもしれない」という感じなので、レッチリ風イメージの短いものを作曲し、ベースはスラッピングで挑んだ。

するとどうだろう。なんとなくできているが、なにかが足りない。とりあえずお手本として間違いないであろうレッチリのベーシストであるフリーがスラッピングをする時の姿を思い出した。

彼は上半身を揺らし、やばいくらい頭を前後に振り、体全体で弾いている。俺は「これか」と思い、フリーほどのファンキーな動きとまではいかないが、上半身をめちゃめちゃ揺らしながらスラッピングしてみた。するとけっこう上手い具合になった。

とはいえ、ガチのベーシストのそれにはまだまだ敵わないかもしれないが、フリーの動きの真似をしたら「足りない何か」がわりと補えたという発見。今日、個人的に真新しいことがあったとしたらそれくらいだろうか。形から入るというのに似た感じの、フィーリングを真似てみたらうまくいくというわかりやすい発見。
_11/16

 

 


ストローでエナジードリンクを飲むと捗るような、プラセボ効果のような。とりあえずモンスターという名のこのドリンクは美味しいからそれだけでもいいと思う。

プラセボとは“偽薬”という意味らしい。たとえば医師から「これを飲めば安心ですよ」とか言われて処方された薬が、実は小麦粉のみの成分でも患者には効いたりするというもの。

自身が「そうなんだ」と、認識し、「ある行為」をして、「それでよい」という思考が生まれる。すると、当人が望むかたちになる。

これをスライドさせると、よい方向に促すマインドコントロールや洗脳にも応用が効く。「自身がそう思える良識のある、とある行為」をしている間は「悪しき行為をしない」という思い込みを深層心理に植え付け、それを行動に伴わせる。

これは、AA(アルコホリック・アノニマス)というアル中克服集団や、GA(ギャンブラーズ・アノニマス)という博奕中毒制圧集団、NA(ナルコティクス・アノニマス)という薬物依存症の自助グループのカリキュラムにも応用されていると考えられる。

何でも、NAでは自助グループに入って1年が経つと「お誕生日おめでとう!」的な感じで皆に祝われるという。依存症をから立ち直り始めて1歳になった、ということだろう。前述の一連の流れと共通点がある。

そして、集団でおこなう各種の自助グループに、なぜ“アノニマス=匿名”と名が付くのか考えた。それは、依存症を克服したとしたら、それは他者のおかげさんではなく、自分自身で回復したと思い込ませるためではないかと思った。

そんな感じで「依存症というのは本当は死ぬまで治らない」という事実を、思い込みによって「やりたいが」でも「しない」という無限ループの思考回路を作り出すことにより、完治はしないものの、事実上「もう依存はしていない」という状態にする。プラセボ効果と酷似する偽りの思考。それを、プログラミングのように脳内に上書きする。

結局、医者では治せない各種の病的依存症は、根本的には手前でなんとかしないことにはどうにもならんということを物語っている気がする。ああこわい。
_11/17

 

 


リモート案件が減ってきたがコロナ禍はブーストしているという反比例状態、大丈夫かなと思いつつも案件で市ヶ谷へ。

先方は「リモートでのやりとりが増えたが、やはり対面してお話するほうがいい」と言う。俺もそう思う。なんというかエアー感含みのコミュニケーションの方が向いている気がするからである。

文章で言うと行間、お笑いで言うと“間”、音楽で言うと倍音のようなものが、リモートではおかしくなりがちだからどうもやりづらい。だが便利かつ時代に合っているから重宝するのだろうが、非言語コミュニケーションの要素がほぼバッサリ切られるリモートは得意ではない。

そんなことを考えながら帰宅して原稿やって制作と、まあまあよくある1日。こういった、よくある1日が半年前はガラッと違っていた。今後も短いスパンで変わるのだろうか。

環境に順応する者のみ生き残れる、というのは自然界の摂理らしい。リモートでも直でも、これから出てくるそれ以外でも、柔軟に対応していこうと思う。この柔軟さをもっと若い時期に身につけていれば、とか思うこの頃は頭が柔らかくなってきた方なのだろうか。
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南の方から生暖かい風。体感的に別国にいるような妙な風が強く吹く。その風は俺の洗濯物を一点吹き飛ばし、1階下のバルコニーへ叩き込んだ。

こともあろうか、吹っ飛んだのはいつぞやの副賞の爆笑問題さんのTシャツである。大事な記念品。主に寝る時に着ていることから、そんなに重宝していないのかなと手前を疑うが、大切な睡眠時に着衣しているというのは相当大事にしている証拠。

俺はエイブルさんに電話した。1階下のテナントは空き部屋のため、訪問して「すいません、洗濯物が。テヘヘッ」というわけにはいかないからである。

しかし、あろうことかエイブルさんが管理しているのは俺が住んでいる階だけだという。どういうことだろう。赤羽の駅近の2部屋で75,000円という相場より安すぎる家賃が物語っているのはやはり香ばしい事件が起きた部屋とかなのであろうか。

それはそれとして特に生活に問題はないので置いておき、大家さまに連携して頂く。ということは、未だ会ったことのない大家さんに会うということだろうか。大家さんはたまに俺の部屋の直上、すなわち屋上に設置されたプレハブの別荘的なお部屋にたまにいらしている様子だ。

これを機に大家さまから「君ねえ、音でかすぎ。あと、たまに全力で歌ってるよね? 感心しないねえ……!」とか言われんだろうか。

隣の部屋は防音工事が施され、下の階は空いている。それをいいことに俺は宅で爆音でミックス作業をしたりと音的には相当奔放に暮らしている。

「Tシャツはもういいですから、大家さんに連絡しないでいいですわ」とか、エイブルさんに電話し直そうか。いや、爆笑問題Tシャツを失いたくない。

先手を打って、明日は「いつもお世話になっており仕り候」的なことが伝わるよう、菓子折りでも買っておこうか。ひよこがギュッといっぱい並んで詰まっている定番のアレあたりにしようか。
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案件で原宿へ。某オルタナティブロックバンドのフロントマンの方とお話をする。「レディオヘッドが好き」「団地が好き」という、共通点のあるこの方とお話をするのはとても楽しみであった。

レディオヘッド好きかつ団地愛好家というのは極めて少ない。俺が今まで接したことのある人ではこの方だけである。今日はなんだか前回よりも前々回よりも心のディスタンス的に開けた雰囲気を感じ、とても良い時間を過ごさせて頂く。

帰路、昨日の件で「ひよこ」を買う必要があったのだが忘れたまま宅に到着。しかし大家さまからの連絡はない。そういえば以前、換気扇の「弱ボタン」が吹っ飛んで管理会社へ連絡した時も永らく放置された記憶がある。

別にいいのだが、そうなると「ひよこ」を買うタイミングが難しい。賞味期限というものがあるからだ。なるべく新鮮な「ひよこ」をご賞味頂きたいので、もう少し経ってから買おうと判断。

帰宅した夕方あたりになっても、今日は体調が優れなかった。まさかコロナかと思い熱を測るも36度ジャスト。大丈夫かと思われる。

どうもコンディションが優れんかったのは昨日は睡眠不足だったにも関わらず「いいちこ(度数25%のほう)」を割らずに氷も入れずに直でガブガブいっていたのが原因であろう。

酒と共存しすぎて「二日酔い」という概念すら飛んだのをどう捉えるべきか。ほどほどにしよう。夜間の飲酒とこの時期の夜遊び。たまには健康的にレディオヘッドでも聴きながらの団地巡りの散歩に出かけよう。ほぼ無人の団地の風景に特に合うレディオヘッドの楽曲は「There, There」と「Everything in its right place」。
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原稿、採譜、原稿、制作、という1日。くたびれたので合間にいきつけの麺屋へ行き、ラーメンライスを食う。そして備え付けのニンニクと豆板醤と生姜を全てかけるというダイナミックな施しをして食う。めちゃめちゃ美味い。だが当然しょっぱい。

そんなにカロリーの高いものを食ったら眠くもなるのだが、昼寝せずに原稿をやり、制作ではレッチリ風味の楽曲をつくる。

レッチリのあのノリがどうしてもなかなか出ない。立って弾いて録音してみる。もう少し。ライブかのように体を揺らす。あとちょい。レッチリのベーシスト・フリーくらい、やばいくらい頭を振って弾く。近づいた。

トラック単体で聴くとひどく荒い演奏だが、ドラムとスラッピングベースとギター、それらを合わせるとえもいえぬノリ。これはもはやグルーヴと言っていいだろうと自賛したいがそれは聴き手、ユーザーの感じ方よりけり。

料理でも漫画でも小説でも音楽でも、作り手のこだわりというのがあると思う。今日作っていた曲のこだわりと言ったら、「立ってフリーくらい頭を振って演奏してクラクラした」という点。

まず、誰にも伝わらない俺なりのダイナミックな施しなのだが、こういうのがわりと大事と思っているのは合っているのだろうか。ジョン・フルシアンテ込みのレッチリの新譜はまだだろうか。
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なぜか筋肉痛を帯びる首をかしげながら案件で恵比寿へ。昼飯はさんざん迷ったあげくシンプルな牛丼に備え付けのバーベキューソースを馬鹿みたいにかけて食う。

「これは料理の作り手に対する冒涜だな」とか思いつつも、俺はこれ以上牛丼を美味しく食う方法を他に知らん。

宅に戻りなんやかんやとしているうちに深夜になる。今日は、「俺は毎日毎日、何をしているのだろう。何のために生きているのだろう」という思考が1日を通してあった。

手前がやったことが何になっているのか。とりあえずありがたくも報酬は頂け、その金で牛丼が食える。酒だって呑める。それでいいじゃないかというある種まともな声が聞こえる。脳内国会議事堂で定期的におこなわれる議会からの声である。

異論が聞こえた。「飯食って酒呑むために生きているだと? ほぼ動物じゃないか。感心せん」と。「同意。もっと他者のためになることに尽力せよ」とも。

俺が日々おこなっていることで他者のためになっていることとは何だろう。

60代の一見優しそうなタレ目の女性議員はこう唱えた。「彼が書いた原稿を読んで喜ぶ人もいるじゃないですか。彼が制作した音源を聴いて、使用して、ほっこりする方もおられるじゃないですか」と。

70代の田中角栄さんみたいなツラをした議員がこう反論した。「記事なんて他にいくらでも媒体があって溢れんばかりに日々発信されている。音源なんて他にもいくらでも替えある。笑止!」と、野太い声を放った。

30代の小泉進次郎によく似た精鋭議員はこう叫んだ。「しかし! 彼にしかできないものが! 彼があってこその彼と他者がおりまして!」と、熱意は素晴らしいが内容の掴みづらい発言をした。

40代の落ち着いたイケメン紳士的な議員はこう諭すように言う。「ちょっとよろしいですか? そもそも、自身の日々の行為に対して真剣に考えること自体、他者に対して何かしら『もっとあるのでは』と考えている前向きな心境であることの証明なのでは?」と、一同を静まらせた。

70代の角栄的議員は腕を組み肩を揺らし、首を後ろにのけぞらせながら大声でせせら笑う。「滑稽、滑稽ぃ!」と。

「うるせえ! ハゲてるじゃねえか手前コラ! 永田町歩けなくすんぞッラァ!」と、40代紳士は指差しをしながら激昂。わかりやすい癇癪持ちである。なお、角栄的議員はさほどハゲてはいなかった。

社会科見学で来ていた小学生は隣の友達にこう耳打ちした。「このケンカ、いつ終わるんだろうね? ほら、飽きちゃって寝てる人あんなにいるのに。あ、いまので起きたみたいだね……」と。

俺は脳内国会議事堂を火炎瓶1,000本投下および街宣車50台特攻をもって破壊することにした。頭の中がざわざわとうるさいのである。

するとどうだろう。僻地となった国会議事堂跡にはまたあらゆる人々が寄ってきて再建を企て、もう行動に移していた。そして議員はすぐに定員に達した。

何が言いたいのかというと、人間の葛藤というのは終わりがないのである。悩んで、壊して、また生まれて、さらにボコボコに破壊し、何度でも新たな議会が生まれる。

とりあえず、今日のところは30代の新鋭議員が叫んだ最もわけのわからない発言が一番アツくも手前を奮い立たせてくれたので、当面はそこを軸に頑張ろうと思う。人間、理路整然と何をどう判断せずとも、わけわからんくらいで丁度いい時だってある。
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父親が入院中の板橋区の病院より入電。彼の近況、病状はというと「危篤の、その手前です」と、サイコパス主治医から連絡があり早1カ月くらいだろうか。

電話口の方は主治医ではなく、やさしい物腰の担当看護師さんからであった。この時点で「危篤の、その手前から前進」という感じではないことは明白であった。

「どうしましたか? はい。ええ、いつもの二男でございます」

「お父様の病状なのですが、快方しまして!」

「確か、発熱が続き、肺がどうとか痰がどうとか。治っちゃったんですの?」

「ええ。熱もおさまりまして。大丈夫かと!」

通常、吉報と捉えるべき連絡なのだが、なにかと複雑な心境である。先月くらいに、端的に言うと「いつ死ぬかわからんから明日にでも面会に来い」と主治医に言われ病院に赴き、肌色の鰯の干物のような彼の姿を見て、「これは秒読みだな」と判断した。

そして、すでに葬式の段取りの手配の手段の調査や、死亡事実を連絡する人リストまで作成し準備万端だった。しかし、快方したという。

なにかと思うことはあるが、「やりたいこともなく、身動きもとれず、ただ、死に待ち」という解釈ではなく、俺は少し考え方を変えた。いや、加えた。

「生きているうちに、思うことはいくらかあるだろう。生きて、想う。そういった晩年であってもいいのではないか」と。認知症でも体が動かなくても、思念を発することはできるだろう。

生きている限り、あらゆる思念を発して、最期まで進めばいいのではないかと、そういった考え方を加えた。

人間が何のために生きているかなど、だれも答えは出せないだろう。その答えのための議論をするたびに脳内会議議員を解散させてはまた招集と、その繰り返しだからである。

生きているだけで、なにかしらの価値はある。「そんなものはないクズ野郎はいくらでもいる」と、言い放つ人は、その価値を知らないだけである。

正にクズ野郎と言いたい手前の父親ではあるが、こうして彼について想うことがあるということは、そういった価値があるからではないだろうか。

そうした高尚気味の発言をする議員がなぜ昨日はいなかったのか。破壊しておいてよかった。次に生まれる新たな議会に期待を寄せる。
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昼イチからシャンパンを呑みまくれるという僥倖案件で恵比寿へ。ドレスコードありの三ツ星レストランが現場である。

周りの方々は皆フォーマル。手前はというといつもほぼ黒スーツなので変わりはないが、裏カジノのディーラー的ベストと光沢のあるカラーの細ネクタイを加えたという点では、いつもより正装感および闇博徒感のあるいでたち。わりと精一杯のフォーマルである。

次々と運ばれてくる見たこともない輝きを放つ仏料理の数々。おもむろにシャンパンを継ぎ足し続けるしなやかな腕さばきのソムリエ。自身たっぷりにニコニコと料理の説明をする頼もしいフランス人シェフ。「俺はなぜここにいる」感が半端ではなかったが、シュッと「馴れてます感」をふんわりと出しつつ、ちゃんと仕事もする。

それにしてもキャビアやトリュフ、ミルクしか飲まずに育って間も無くの子牛のステーキと、出てくる品々はどれも贅の限りを尽くしている。東京都足立区というスラム街育ちの手前にとって、こういった高級料理を目前にするとファンタスティックを通り越し、なんだか恐ろしくなってくる。

シャンパンひとつとってもそうである。俺がよく呑む缶酒が200本以上は買えるほどの価格の泡酒が4種類も注がれる。「スパークリングワイン」ではなく「シャンパーニュ」なのである。後者の方がなんか偉い感は否めない。事実として、シャンパーニュはフランスのワインの法律(AOC法:原産地呼称管理法)に規定された条件を満たしたもののみが名乗れる名称。

俺は思った。こういった機会は滅多にないと。ボーナス案件だと。俺はいま確変の真っ只中にいると。しからばシャンパンを呑みまくるべきである。

しかし、夕方にはもう一案件あり、ベロベロになるわけはいかない。ドンペリより高価なシャンパンの数々を目の前に手前のペースを制御する、控えめに呑む。これがどれだけ俺を苦しめたか。

だがその苦悩は開始10分で解決した。「シャンパンを呑んだぶんだけ水で中和すればベロベロにはならん」という名案、酒呑みの正攻法を思い出し、それを即可決したからである。

とはいえ、本気でガブガブとは呑まず、「ほほう。こっちはロゼか…」とか呟きながら、こっそりわりと呑む。同量程度、水も飲む。そのペース配分たるや3時間で厠に3回行くほどであった。

その厠でさえ、扉の表記は「hommes」と「femmes」に分かれていた。漢の厠がどっちかわからん。「失礼、男子トイレはどちらでしょうか?」と係の方に聞いたら完全に負けだと思い、俺は確率50%のギャンブルに出て「hommes」に入り、ことなきをえた。

そして体感的にシャンパンのボトル1本呑み干したくらいの量を取り込みレストランを後にする。帰り際、シュッとした人がお土産袋をくれた。そこには本日振舞われたシャンパンそのものが1本と高価そうなお菓子が入っていた。俺は歓喜しながら次の案件へと表参道へ。

結果、酒はいい感じに溜まらず、全然普通に仕事をして帰宅。俺は冷静に計算した。今日の三つ星レストラン仏料理フルコースにシャンパンを現地でガブガブ約ボトル1本分。おみやにそのシャンパン1本と高いお菓子。そして即日提出掲載記事の原稿料。ざっと計算したら、こないだ財布を落としてネコババされた現金のことはチャラどころかプラスに上回ったという心境にも相成る。考え方として実にセコいかもわからない。

それはそれとして、この案件を頂いたこと、そして素敵なレストランの方々に対し感謝の意を禁じ得ない。もしかしたら、財布を落としたことを話した方に頂いた案件なので、「これは私が行けるやつだけど、こないだ悲惨な目にあった彼に振ってあげよう。ロクなものと酒を口にしていないだろうし」という編集部の愛所以の配慮だったのかもしれない。

だとしたら、いや、そういった愛もあるがゆえのボーナス案件を頂いたと解釈しよう。ありがとうございました。おかげさまで今日はずっとマスクからトリュフの香りがしておりました。
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「激レア」を探す遊びをした。それは電車内において、目視が可能な1両内で「1人しかその行為をしていない者を探す」というものだ。

案件が終わり京浜東北線の最終電車の1つ手前の時刻。手前が乗る車両内の総人数をまずカウントした。53人。とりあえず、こんな時間までみんな大変なのだなと思う。

「7割方、スマホをペロペロしているだろう」という目測。実際にカウントすると33名だった。

「疲れて、あるいは酔って寝ているだろう」という人は13人。

仲間であろうと思われる者達が会話しているのが5人。

2名は、目視の角度的に何をしているか判別し難かったが、首の角度からしてまず、スマホをいじっているであろうと判断するに差し支えはない。すなわち以下のような配分だった。

「スマホをペロペロ」:66%(35人)

「寝る」:25%(13人)

「会話」:9%(5人)

計:53人(100%)
なお、イヤホンをしている人は100%スマホなりタブレットをいじっていた。

結果、53人中、1人か2人しかその行為をしていないという「激レア」な人間は存在しなかった。外の景色見てボーッと考えに耽る、という者すらいなかった。本を読んでいるという者もいなかった。

唯一、スマホをいじりつつ「アサヒスーパードライ(ロング缶)」を呑っているとっつぁんがいたが、これは「スマホをペロペロ」に加算した。

検証機会として不十分かもしれないが、俺は驚いた。それは、これだけ人数がいる中、「そこでしていること」をたったの3種類にしかカテゴライズできないという点についてである。

ちなみに、俺自身はその53人に加えていない。そうなると、車内で3種類にカテゴライズした行為をしていないのは俺だけだったという変な結果になった。

特に何も考えず、夜景を見てどうでもいいことを考える。「ちょっと検証してみるか」という不審な行為に走る。どうやら、そういったことをするのは一般的ではない、ということがわかった。

電車に乗っている時、スマホもいじらず、寝ず、本も読まず、ただキョロキョロと周りを見ている者、あるいは、外の景色を眺めている者。なんもせずにその環境でどうでもいいことを考えたり想像したり検証したりする者。いないとは思わなかった。

学級に1人はいたであろう。何もしていないのになんか“浮いている”というクラスメイトが。そういう者は、電車内でそういったフワッとした行為に走りがちである。

今日の終電間際に俺が乗車した車両内に限っては、そいつこそ手前だったが、ここまで考えて学生時代を回顧すると、確かに小中高と、どこか手前は浮いていたのかもしれないという自覚がいまさら芽生えた。

電車内で、何もせずボーッとしている者とは、俺は無条件で気が合うのではないかという新たな仮説が生まれた。これを検証するには肉弾的なナンパ行為が必要な上、検挙されるというリスクも伴う。もうそういうのはほどほどにしておこうか。
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ぐっすり寝すぎて昼過ぎ。そんなに疲れていたのだろうかとここ数日思い返すと、まあまあといったところ。昼寝をする時間がなかったというのはそういうことだろう。

今日あたりは原稿ひとつに制作を少々、あとは久しぶりの興行案件の準備。練習。粛々と過ごす。

あまりにも長時間寝ると、やることがバンバン進む。あまり寝ていないと捗らない。睡眠の多寡、使える時間量の差はあるものの、実質やることの量はさほど変わらないなと改めて思う。

もっと体力をつけて、酒も煙草も封印し、3食しっかり摂れば、毎日睡眠時間7時間でも十分なパフォーマンスが発揮できる上に生産性も上がるだろう。

しかし前述の3つ。さも当たり前のようなこの3つがなかなか難しい。せめて筋トレくらいはして寝よう。しかしその後に酒を呑むとあまり意味ない説。
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昼、案件で新宿へ。数時間で無事終わり、同行の方と界隈をぶらつく。「ブラック・ジャックが着ているようなコートがどうしてもほしいのです」と言うと、優しい彼は服屋に案内してくれる。

だが、惜しくも「これだ」というのは見つからず。はしごがてら近くにあった某有名家具屋をのぞく。どれもこれも秀逸な品々だがいちいち高価い。足が4本ついていてしっぽが生えているプリティな椅子が欲しかったが衝動買いも甚だしいので棄却。

一緒にめしを食う。ぶ厚いステーキである。300gのやつをいってやった。俺はステーキならいくらでも食えるという自負がある。

久々に会う人には8割の確率で「痩せました?」と言われるほど華奢な手前だが、なぜかステーキやらのわかりやすい肉はいくらでも腹に収まる。だが、その肉がなぜか体につかないという矛盾。基本的に内臓がやる気ないのだろう。

そういったわけで楽しく1日を過ごし、夜帰宅して原稿と制作を少しずつやる。俺のベース・スラッピング奏法録音デビュー曲がやっと完成したが、モチーフであるレッチリ的なテイストの楽曲には、ややおよばなかった。もはやこれは演奏やテクニック、音作りらよりも、体格やDNAの差だろうか。タトゥーバキバキの欧米人タフガイの出すサウンドを生み出したければ、まず肉体作りからであろう。

そういった意味でも今日は肉をたらふく食えて満悦。また機会があれば、今日ご同行した彼と肉をたっぷり食いに行こう。スラッピングをマスターするためにも肉をガンガン食う。これは合っているのだろうか。
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昨夜は遅くまで宅でホッピーを呑んでいたら若干の二日酔い。そんなに呑んではいないのだが、「甲類焼酎」はどうも残りやすい気がする。

出かける用もない日なので、宅で原稿を書いたり楽器の練習をしたりしてまるりと過ごす。たいへん静かな1日。

明日は賑やかで楽しい1日となるであろう。明日を楽しみにという実にまっとうかつ美しい感情。
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案件で新宿歌舞伎町へ。久しぶりの興行案件、さらにアコースティックライブという、あまりやったことのない要素も加わり新鮮な心境だった。

こういった特殊な時期にライブをやらせて頂けること自体が貴重な気がするのでさらに新鮮。

終わったあと、電車に揺られながら「明日締め切り」という案件が3つあった気がするのを思い出し、今月は本当にどういうわけか終始立て込んでいるということを実感。なによりそれは実にありがたいことである。

さすがに1日で、締め切りを迎えた案件を3つというのは精神的によろしくないと思い、帰宅して1つは今日中にやりおおす。すると25時半。やはり宵っ張りとなったが、そのぶん明日ゆとりができるということでよしとする。

新鮮な「いいちこ」でも呑んでグッスリ寝よう。頑張った気がするから奮発して鮭とばも食おうか。ジリジリとライターで炙るとたいへん美味という気づきを得た今月イチの宅肴を。
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なかなか早起きしておにぎりを食べて宅を掃除する。部屋の乱れは心の乱れ、整頓されてはいるものの、小さな塵芥がなかなか散見されるので掃除機で全て吸引。厠も飲食店くらいキレイにする。そして精神もスッキリして仕事をする。

昼に謎の炒め物を作ってガツガツと食い、またデスクワークをする。そして、昨日1つ前倒しでタスクをやった甲斐あり、時間にゆとりがある。しからばと思い、ブラック・フライデーたる安売り期間につき、このあいだホリ氏に勧められたギターアンプのソフトウェアを購入。このソフトはなかなかいいやつである。

「ファーストネーム」と「ラストネーム」の入力欄を間違えて、アカウントの氏名が「賢治 平吉」になったがご愛嬌。俺はこの購入したプラグインでレッチリ級の本物感のあるクランチサウンドを作り、制作がしたいのである。

クランチサウンドとは、エレクトリックギターにおける「ギャーン」と「キャラリ〜ン」の間くらいの音である。歪みでもクリーンでもない、いなたいグレーなトーン。「キャンキャンッ、ギョンギョン、ギャクッ」という感じの俺の一番好きなトーン。要はニルヴァーナのあの有名曲のイントロ最初の部分の感じのサウンドカラー。

いざDAWを開き、購入したプラグイン使ってみるとなかなかよい。それから数時間、特に目的もなくずっとギターを弾いていたということは、サウンドがいい感じであることを如実に物語っている。1曲アイディアを音と楽譜でメモって今日は仕舞いとする。

夢中になっていたので眠気を忘れていたが、どっと疲労感が押し寄せてきたので今日は安いワインでも呑んで寝よう。70ドルも使ったから節約しよう。とはいえ日本円にして7,000円強だから別に意を決しての買い物というわけでもない気もするが。

ブラック・フライデーたる世界規模の半額タイムセール的なものに乗り、「得をした気分で11月がキレイに締まるな」とか書いた刹那、今月は財布を落として現金をもっさりネコババされたことを思い出した。ネコババした輩は見つけ次第即射殺。
_11/30

 

 


 

 

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