12/2023

アイコン190425管理人の作業日記

ここだけ毎日更新。仕事と制作をサボらない為の戒めが目的の日報ページ。どうせ死ぬのが前提。12


都内のガヤガヤとした喧騒とひとつ、距離をおいたような街。尾久駅付近を散歩する。このエリアは10年以上前くらいまで、車で周るルートの一つだった。懐かしみと、10年という時代の変化を感じつつスタスタと、ただただ歩く。

当時5つほどあったお客様のお店は、半分は跡形も無くなっていた。一つだけ、まだ営業を続けている場所があったので、訪問してみる。薄暗い店内には客は誰もおらず、主人が客席の座敷に寝転がっていた。

「ガラ。どうもこんにちわ」

「――いらっしゃいませ」

「覚えてらっしゃらないかもしれませんが、平吉と申します」

「は?」

主人は78歳。父親と同年代であり、このあたりはその歳のお客さんがたくさんいたのである。

「当時お世話になりまして。家業を手伝っていた頃、よく配送に来た者です。せがれであります」

「ああ、いたな〜平吉とか、いたな〜平吉とか」

「思い出しましたか」

「お父さんどうよ?」

「死にました」

「そうかあ〜」

かくかくしかじかと、当時から時系列で説明し、端的に最期まで説明する。

「それで、このあたりに来ましたので挨拶がてらと思いまして――お元気そうで何よりです」

「いやあ、まあ、やってるよ」

「あれから10年以上、ずっと営業なさってるのが凄いと思います」

「まあ、やってるだけだよ。客も日に6、7組とかだしな」

「家業を閉じ、それから色んな仕事をやってきまして、今も様々な仕事をしていますが、あれからも10年以上続けるのは凄いと、本当に思うのです」

「はは。やってるだけだよ。そうか、死んだか。早いだろまだ」

「だからというか、同い歳のご主人がお元気そうで嬉しいのです」

「なんかなあ……このへんの歳の…死んじゃうのには早いんだよなあ。だったら俺が代わりに死ぬよって思うよ」

「そういったご心境は僕には――はかりしれません」

「まあ、兄ちゃんも元気そうでよかったわ」

「おかげさまです。では」

「おう。ありがとな」

「お元気にしててください。応援してます」

「ありがとな。おん!」

当時、昼間からビールを飲みながら営業していた豪傑のような彼は、いまも健在だった。やはりそれなりに丸くなっていたが、元気でいらっしゃった。

ずっと続けるということの凄さと、崇高さに、純粋に胸を打たれた。北区王子経由で適当に長尺の散歩を終えて帰宅する。

さて、手前はどう攻めていこうかと色々考える。新たなアプローチが必要だと吟味する。

そうだ、トレンドのショート動画を作って導線を増やそうと思い立ち制作をする。先月、謎経由で連絡を受けた中国企業の方も「中国ではTikTokがさかんでショートムービーは主流です」と言っており、そういった確かな情報も得たことも原動力にある。

さっそくできたので一つアップロードすると、確かにけっこうタイムリーにインプレッション(この場合ユーザーが反応した数値)がわりとあった。

おおいけるか、と思ったら初めて動画に低評価ボタンが下されたことも確認。おやおやと額をピシャリとしたが、無反応よりマシかなと、手を縮こめないことにする。

やはり継続は大事だなと、あの主人もそうだし、俺も見習おうと、初心に還ってロックな楽曲制作もする。なんだかんだでユーザーが使って頂ける頻度が高いのは、得意分野のロックミュージックだったりする。それは、数字で判断できている。

ドラムス、ベース、エレクトリックギターの3つの楽器だけで構築する無添加ロック。ネタ出しをしてDAWに音でメモって今日は〆とする。

メールを開くと、タイムリーに楽曲使用報告が届いていた。内容を読むと、どうやらご使用頂いた楽曲は3つで、それら全ては“無添加ロック”の楽曲だった。

なんだか、新しいのもいいけど、これまでのように、定期的にロックの曲も作り続けてくださいと言われているようで率直に嬉しかった。なんとも手前勝手かつ、ぼちぼちスピってる解釈だが、タイミング的にそう捉えるのが賢明とする。

続けることの大切さと、ニーズに応えることの大切さ。そのあたりを、いろんな方面から解釈できた師走の第一日。
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ショート動画ってすでにめちゃめちゃレッドオーシャン(競合相手が超多数)じゃんと、数字を見て断じる。

とはいえ、これはこれでぼちぼちやっていこうかとタスクに加えることにして、修理から還ってきた真空管アンプをオンにしてストラトギターを弾く。壊れた時のあの軽い絶望感がトラウマとなり、いまだにアンプを「オン」にする時ヒヤヒヤとする。

頭を空っぽにして弾いていたところ、なんかニルヴァーナみたいなフレーズがリフレインされたので、しめたと思いDAWを立ち上げて波形でメモる。

やっぱりあれこれ考えるものいいけど、手を動かしたり右脳を活性化させることでコンテンツは生まれるのだなと再認識する。

調査、実験、検証、実証などそのような行為と能動的なムーブ。その交差点あたりでポンと出るのが丁度いいなと、なにかとスッキリシンプルな過ごし方で思考も制作も整のっていく1日。
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今年を平均化させたような中庸な日。仕事していろいろ数字をチェックして制作をする。

ストック型音楽収益単価がじわじわ下がり、やはり広告収益などは大型プラットフォームの機嫌ひとつなのだなと実感する。

今日のネットニュースで大物ユーチューバーもその旨を明言していたので、そっちもそうなのかと納得。

だからといってなにも作らずという手はないと、いつでも然るべき場所に定期的にアップロードできるように曲を作り進める。次に来るスタイルにすぐさま対応できるよう、備える。

意欲が落ちないのはたいしたものかなと、せめてそこを認めてモチベーションを保つ。耕すように過ごす1日。
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聖なる夜。暮れやらなんやら、何をしようかという季節。夕方、編集部より連絡があり、いくつか案件を頂く。今月のだいたいのプロット的な進行が見えてきて、暇ではなく良かったなと思う。

静かに、いつも通り、日が過ぎるように年を跨ぐ。そういった浮世から乖離したような過ごし方が好きなのだが、仕事があるほうがよっぽど良い。

そのような所思のなか、いつもどおり過ごす。仕事をする。動画を上げる。制作をする。ニルヴァーナのような曲が着想ならいっそ、ニルヴァーナにしてしまえと言わんばかりに荒々しくベースを録音する。「デイヴ・グロール(NIRVANAの元Ds.)ならこう叩くかな――」と、想像しながらドラムを打ち込みリズムを揺らがす。

まんまトレースは感心しないので俺なりにオリジナリティも混ぜる。このくだりが愉しい。

昨年の年末年始はフィジカル的に体調が酷く、年明けは追い討ちをかけるようにコロナにも罹患し、地獄をみた。「ロキソニン」が恋人だった。

同じ失態を繰り返さぬよう、健康に留意する。書きとめるだけでもこういうのは効く。

そして謎に毎年、聖夜から年明けにかけては抑うつ気分に苛まれる傾向が確かにある。こちらもあらかじめ構えて配慮する。自覚するだけでもだいぶ違う。

ゆく年くる年43年目。色々あったが今年の節目も楽しくファンキーに過ごせたらなと切に思う。マインド面で先回りする。そういう思考ができるようになってきたあたり、俺も壮年だなと良い意味で捉える。
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1時間後に何をしていれば、その時死んでも後悔はないかと極端に考えた。なぜならば、それくらい、誰しもいつ死ぬかわからないと思ったからである。

そう考えると、何かに着手するまでの倦怠感は消えるという作用があるはず。とか思いながら一仕事してソファでがっつり仮眠する手前がいる。

いかんと思い起きて動画用の素材を生成する。あっという間に0時が近づく。「起きて作業してればよかった」と、今夜あたりはその旨を文字を打つくらいで済むが、もし、そのまま死んでいたら、「せめて1本でも動画を予定投稿していればよかった」「昨日の曲を作り進めていればよかった」となるだろう。

今日は、チャリがパクられたり、住んでる物件の保険更新料が謎にいつもより高く請求されたりと、うんざりすることもあった。昨日は墓の管理費の請求書が届いて「家族や先祖の死後も、現世で金がかかるのか」と目を細めた。

せちがらいなと思う反面、昨年や30代半ばから後半など、暗黒期のような時期を乗り越えたこともあってか、ほぼほぼネガティブな気持ちにはならず。

そんなことより毎日毎時間、死ぬときに後悔しない生き方をすることのほうが大切であると、ずっとそのようなことを考える。同じ時代にいろんなかたちで、いろんな人とやりとりしたりできてること自体、宇宙規模で奇跡なのだなと、本当にそういった思考にたどる。

とはいえチャリをパクった馬鹿野郎は誰だという憤慨は一応ある。しかし人生単位で考えると本当に「別にしょうがない」で済ませられる。大人になったというか、5周くらいしてアホの子になったのかもしれないがそこは「寛容」というフレーズに落ち着くことにする。
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「おはようございます」

「おはようございます」

「お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

「――うす。やってますか?」

「おお。どうも」

「やっぱ、バーでのセッションはいいですねえ〜」

「さて、頃合いですし時間あります? やっていきます?」

「いいですねえ」

「ビジネスがどうの。AIがどうの」

「コンサルがどうの。来年はどうの」

「じゃあまた」

「おつかれさまです」

「――お。喫煙所だ。どれどれ」

「お兄さん。マッサージいかがですか?」

「いま、俺は煙草を楽しんでるんだよ」

「お兄さん。かっこいいね!」

「ありがとう。中国の人ですか?」

「台湾です。6,000円でどうですか?」

「600円なら行きます」

「ソレハ……!」

「じゃあ行かないよ」

「仕事何してるんですか?」

「当てたら6,000円で行くよ」

「手を見せてください」

「はいどうぞ」

「料理人ですか?」

「違うよ」

「ビジネスマンですか?」

「――たぶん、違うよ」

「じゃあなんですか?」

「ヒントあげましょうか?」

「ヒントってどういう意味ですか?」

「そういえばどういう意味だろう?」

「6,000円でどうですか?」

「行かないよ。頑張ってね」

「<赤羽駅ー赤羽駅です――>」

「呑み足りねえ」

「お! お久しぶりですアニキ!!」

「よっす。今日は立ち呑み屋気分だよねー」

「それでしたらワンチャン『桜商店』やってるかもっすよ!」

「ありがとう」

「ガララ。いけます?」

「今日は――」

「また来ます」

めっぽう酒を呑み、また酒買って今に至る。ふわふわと漂うような1日。それ以外に形容のしようがない日。
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チャリがぬすまれたという災難。一応、お巡りさんに届け出ておこうと思うが、防犯登録番号の書類を紛失し、番号がわからず。さらに、チャリを購入した店がすでに潰れたというどうしようもない状態。

やたらと話の長い巡査さんと色々話した結果、番号不明だと無理っぽいことが判明し、諦めることにする。

俺も若かれし日に、人様のチャリをパクるという言語道断な行為をした。そのツケがずいぶん長いスパンでまわってきたということで、因果応報と受け止める。

今日は休もうと思っていたのでヌルッと過ごす。制作はしたいので何トラックかレコーディングする。どんどんニルヴァーナの音像に近づくにつれて何だか笑えてくる。決してパクリではないが。

あとの時間はYouTubeのコンテンツ制作やらチャンネルの調整などをする。基本的に仕事部屋での作業で閉じていく。のんびり淡々とした冬の1日。
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“いつか誰かは「色彩のある夢は不健康の證據だ」と話してゐた。”

とのことである。赤羽駅近くにある、いかにも昔ながらの古本屋でその一節に出会った。

年月の経過をまざざまと感じさせるカバーに包まれた「芥川龍之介未定稿集」という書籍が目に留まる。

ぱらぱらと立ち読むと、最初の「人を殺したかしら?」という話の序盤でそのフレーズがあった。

俺は、こういった古本屋はどういう収支バランスで営んでいるのかと考えた。そうか、ポルノか。エロいやつがメインであとは少々。「8対2」の割合で、エロで成り立っているのかと憶測した。

そんな下世話な思考が、ふと目から奥まで侵入した14文字で、ガラッと変化する。手前はほぼ毎日濃いめの夢を見て、その内容には、えげつない色彩がある。なんならサウンドも、触感もあったりする。妙に生々しすぎるのである。そして記憶から消えないのである。

ということは「不健康の證據(証拠)」なのだろうかと当然擦り合わせるようになる。

手前は最近、小説を人並み以上に読まない。話題作などもほとんど読まない。稀に、書店で芥川賞などの有名作をかいつまむように、少しページをめくるくらいである。

それでも、漫画で言うところの手塚治虫さんにあたるような巨匠の作品は抑えているつもりである。だから、芥川龍之介さんの本も、有名なのは何冊か読んだ。

文豪の思念は測り知れないが、殺傷能力のあるような言葉の力の源流を「芥川龍之介未定稿集」から改めて感じた。

「文学は毒だ」と、なにかの作品で表現されていた。まさにそうだと思う。故に、毒のない小説には、個人的には食指を動かされない。

2008年に、“<最近の曲なんかもうクソみたいなものだらけさ!>”と、神聖かまってちゃんというバンドは歌った。俺は当時、CDを買ってその曲をよく聴いていた。そして、俺もまた当時、同じこと思っていた。こと手前の場合は、ただ、ひねくれていただけであるが。

いまになって振り返ると、2008年あたりでもいい曲はたくさんあると思える。だが、当時は、“毒”のない作品は“クソ”だと確かに思っていた。

しかし時代は変化し、超ホワイト社会へ向かっている。“毒”は歓迎されない。俺も時代に迎合しているのか、2008年あたりにとっていたやさぐれた言動や行動は封印しているきらいがある。

そんな気持ちが瞬発的に蘇るような一節。やはり、芥川龍之介というのは凄いのだなとシンプルに感じるとともに、そのフレーズが今日はずっと頭から離れなかった。

「芥川龍之介未定稿集」は500円だった。俺は、妙な懐かしみに包まれるような気持ちになりつつも、購入しなかった。深くて旨い毒を、買わなかった。それでも、ロックンロールは鳴り止まないように、小説の強烈な一節は決して、記憶から消えないだろう。
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放っておいてもどうせ死ぬしと、キッチンで身支度をして煙草を吸う。朝のゆとり、たいしたもんだとラジオを止めて仕事に行く。

せっせと頑張って帰ってカップうどん食いつつYouTubeの研究をする。いまのところ、最新アップロード動画が200とか300回再生されて喜んでいるレベル。

まあコツコツやるかと制作をする。昨夜、デイヴ・グロールのライブにおいてのドラミングを酔っ払いつつ考察したので、そいつをDAWに落とし込む。MIDIの具合を同業者に見て欲しいくらい、ものすごく野太い打ち込みとなる。

忘年会とか静かなクリスマスとか楽しみだなと、暮れも近づく平和な日。
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「お。偽キアヌ・リーブスが来たなあ」と、主人は言う。たまに行くBARでの第一声であった。

お気に入りの革ジャンを着て入店した俺は「彼は一体、何を言っているのだろう? にせって…」と、怪訝に思いつつまず厠へ。ミラーに目を向けると、確かにそこには偽キアヌ・リーブスのような輩が映っていた。

俺はよい方に捉え、主人に「あれ……くれるかな?」とジントニックをオーダーし、かっぱかっぱと、次々と注ぎ込んだ。アルコール度数15%はくだらない至高の逸品である。

昼食が胃腸によかならぬヒットを及ぼしたであろうというコンディションではあったが、酒というやつは何時だろうとまごうことなき麻酔。やや重の不調は一撃で吹き飛び、幸せなひと時を過ごす。

上機嫌で帰路へ。平常運転のなかにも色々あったが、偽ではなく本物の聖人になるべく明日も頑張ろうと思いつつ、買ってきたハイボール缶でブーストする。そんな師走の1日を愛でつつ淡々と時は過ぎてゆく。
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“お客様が本の内容を見ずに直感のみで選び、お買い求めいただく本です――”

価格は220円。ブックオフでこういった企画的売り出し方が展開されていた。

「ガチャ要素」「占い的要素」「在庫処分要素」「ギャンブル的要素」と、なかなか面白いことするなと立ち止まった。

選書を放棄した行為だが、興味本位で、箱で閉じられて中身が何の本かわからない一冊を買う。店内において目立つ位置でのこの展示。売れているのかとすごく気になったので、レジで聞いてみた。

「売れてますかこれ」と、聞くと「はい。もう何冊か売れています」とのことだった。

中身を開けてみると小説であった。『不倫は家庭の常備薬』という香ばしいタイトルの文庫本。

値段シールには350円と記されており、さらに「大吉」と書かれたクーポンも内包されていたので得をしたことになるが、ふだんまず、手を伸ばさないタイトルの小説である。

まだ読んでいないが、いつもと違ったことがあったかというとこれくらい。あとは動画を作ったり、アップロードしたり、制作をしたりして過ごす。とてもとても静かな日。
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とうとうインボイスが発行された。これで堂々と消費税を請求できる反面、納める必要もある。

そして、インボイス番号で検索すると、事業者情報として俺の名がドンと出てしまう。これでもう悪さができなくなると思った。別にしていないが。

そんなインボイスやら、税やらの勉強をしていると友人は言っていた。それは、「成功者は常になにかしら学んでおり、『いま何の勉強をしていますか?』という質問には明瞭な答えが返ってくる」というどこかの知見から引き出したもの。

ははあ、やはりそうだなと、彼は俺からみたら成功者。そのへんを強調したら「全然だよ!」と彼は恐縮していたが、自覚と客観は乖離することもある。

手前だって、成功者になりたいという自己顕示欲と社会的欲求が交差したリビドーがある。自覚としては、まだまだ全然「成功者」ではないと思っている。

しかし、誰かに先述の質問をされたら俺はこう返す。「今は――生成AIとかいろいろな種類のツールをイジって試したりしてる。あとYouTubeのアルゴリズムとか分析してる。これは勉強かなあ?」と。

勉強とは、学んだことが何かに活かされることでその定義となる気がする。彼だったら、税やらの勉強で経理などの面をシュッとさせるだろう。俺だったらAIツールでコンテンツを作成できて、今やっていることだったらYouTubeで数字を上げてそこでようやく、「勉強をしている」となるのだろうか。

昨年の今頃は、元僧侶の書籍発端で、呼吸法や瞑想の勉強をしていた。それは今でも活用できているので勉強したことになる。

次はどんな勉強をするだろう。別にしなくてもいい側面もあるが、しないことには更に先に進むことには不利となる。

「じゃあ何で勉強してんの?」と率直に彼に聞くと「だってしないと死んじゃうじゃん!」と言っていた。この、勉強に対する捉え方こそ、成功者とそうでない者の感覚の違いであろうか。けっこう感銘を受ける感想だった。

そんなこともあり、今日もAIツールをイジったり、YouTubeの各数字をながめて「どうしたらもっと――」と考えたり、相変わらず楽曲を作ったりした。

どれも、その根底には勉強という足跡がある。なるほど、確かにしないと死ぬかもねと、うっすら彼の言葉の重みをすこし、知れた気がする。

これからいろいろ発展しまくって、「何を勉強するか」によってだいぶ景色が変わる時代になる。教育の根本が覆される。そのようなことを考えつつも、俺はどこに向かっているのだろうという不明瞭な疑問はつきまとう。

とりあえず、本気で音楽を作っている時は楽しく、ユーザーの反応があれば嬉しい。その収益をもっと伸ばせばよい。やはりそこがベースかと、改めて認識できた「勉強」というやつについての個人的解釈。
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一点集中すると脳が安らぐ。昨夜、そのようなことをユーチューブのなんかで見て知った。

そんなことあるかとも思ったが、マインドフルネスとの共通点でもあるので、ひとつのタスクにのみ集中するのは確かにそうかもねと思った。

各仕事の合間に、数十分、寝不足の時は1時間ちょい、ソファで仮眠をとるのが好きである。しかし今日は、昨夜の情報を確かめるべく仮眠等はいっさいとらずに1日の後半4時間弱、ずっと楽曲制作のMIXに集中した。

タスクにもよるが、録音したものに集中している時は、信じられないくらい雑念がない。眠気も空腹も感じず、トイレにも行かず。一点集中である。本当に、音像を素敵にすること以外のことは全く思考にない。

さすがにもう完成かなというところまで進む。一晩寝かすことにしてDAWを閉じる。さて日記でも書いて酒呑んで寝るかと思った瞬間めちゃめちゃ疲労を感じる。

出どころ不確かな情報を鵜呑みにするのも如何なものかと振り返る。とはいえ、頭がズキズキするほどの脳疲労かといったらそうでもないので、「一点集中脳疲労回復説」はまあまあ信憑性があると判断する。

最も、脳が疲弊するのはどうでもいい決断の連続を含む、マルチタスクだという。メール見なきゃ、返そうか、後にするか、さて株価は、ちょっとショート動画でも観ようか、止まらん、あれさっきのどうしよう、あ、LINEだ、そろそろ楽器でも――などと過ごす1時間があるとする。これが確かに一番無駄に頭が疲れる。

その1時間よりも4時間の集中作業のほうが確かに。という感覚を知ったのは収穫とするが本当に眠い。高確率で缶酒を握ったままソファで気絶寝する。

じゃあシャワー浴びてそのまま寝ればいいとも思うがそうはいかない。そうはいかないのである。もう要らん、酒を呑む言い訳など必要ない。そういった境地にとうとうたどり着いた。涅槃である。いや違う。違うのかな、などと考えることはまごうことなき脳の無駄遣い。まだまだ色々、学びきれてないなと思量する深夜25時も手前の刻。
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なんとなく秋葉原に行く。目的はない。直感的行動が収穫を生むかも、などと思ったが、特に何も買わず、何も得ず。

ふと立ち入ったフィギュア専門店で思った。どうしても良さがわからないのが悔しかった。その対象を好きと思える感性と才能がないのであろうか。

外国人のお客さんは、宝物を見つけたような表情で嬉しそうに購入に至る。日本のアニメやフィギュアなどの作品は、世界的目線でおそらくナンバーワンくらいであろう。

その良さがわからないのは、なにか損をしているなという気持ちになる。

好であるということは、センスや才能の高さの証。じゃあそのへん伸ばしていこうと、ロックミュージックを作ってひとつ、音源として完成させるが、なんかまだ違う気がするので明日また確認することにする。

きっとフィギュアを作る人なども、その段階以上は「作り手にしかもう気づかない」というディティールを重ねていると想像する。そうでもなければ、あんなにお客さんの目をキラキラさせられることは、できない。

そういう姿勢へのリスペクトも込めて、自分が好きなことには真剣になろうと思えた。秋葉原に行き、何も買わずに帰ったが、収穫があったかといえばそういった思念を別方面から確かめることができたことだろうか。
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PCのデスクトップで聴く音と、制作時にDAW上で聴く音が微妙に異なる。音源として書き出すときに非常にやっかいだなと思い、原因を探す。これでは「完璧だ」と判断できる楽曲に仕上げることが難しい。今後の制作にも、芳しくない影響が出る。

これかなと思われる要素をひとつずつ比べた結果、どうやら仕事場においてのスピーカー出力音を最適化する「sonarworks reference」というソフトウェアの設定違いと断じられた。

ありとあらゆる手を試し、ネットで検索したが、原因がわからない。どうやっても同一のリスニング環境にならない。AIの「ChatGPT4」に何回も質問し、あらゆる角度で聞いてもわからなかった。

これは詰んだと思い、プロである友人に電話で聞いた。いくつか設定を確認してもらったところ、デスクトップとDAWにおいての出力設定の相違箇所を特定してくれた。コアな部分だが、リミット・コントロールのモードが一つ異なり、そこを合わせたら解決した。

やはり人工知能よりもその道のプロ。なんだかハッとさせられたくだり。ニルヴァーナを思い切りモチーフにした楽曲も無事完成し、ものすごくスッキリする。ChatGPT4を超える見識を持つ友人に多大なる感謝を。
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ちまちまと5日おきくらいに続けているYouTube動画のアップロードをする。今回は試しに、同様のコンテンツのYouTubeショート・バージョンも制作して同時公開してみる。

このあいだ上げたショート動画は箸にも棒にもかからなかった結果だったが、今回は公開後2時間くらいで高評価ボタンが4つ押下される。そして前回同様、低評価ボタンも1つ下される。

数字的には現状、全くもって大したことない。と言っては観てくださった方に失礼になってしまうが、桁数的にはやはりそう捉えられる。

正直、俺はこの「低評価」の価値を重んじている。なぜならば「他者様からしたら何がいかんのか」がわかるからである。

某企業は数10年前、賞金100万円をインセンティブとして顧客から「悪口」を募った。そして、その「悪口」を貴重なフィードバック材料としてビジネスの成長につなげ、現在では誰もが知っている衣料品ブランド会社を傘下に置く超巨大企業として鎮座している。

要は、悪口は言い過ぎかも知れないが、「こうしたほうがいい」というニーズに応えることは、企業でも人間でも、成長につながる原動力となるということ。

それは、著しい悪意のみを孕んだコメントはさておき、的確な批評や議論を巻き起こす低評価的コメントは「前進するための好材料」と判断するのも一つの策だと考える。

手前がライターとして記事を書かせて頂いた当初、掲載された記事をでかいプラットフォームで確認しては喜んでいた。一方で、反響に比例して、辛辣なコメントも「やめてくれ」と思わず声が出るくらい寄せられることを体現した。

実名記名ということもあり、最初は「なんでこんな酷いことを言われなければならないんだ」と、ものすごくショックを受けたことをよく覚えている。

しかし、今思うとそれは、「こういうことを書くと嫌な思いをする人がいる」ということを広く認識する良い機会だったと思える。

だから、まだ零細もいいところだが、始めたばかりのYouTubeで低評価ボタンが押下されると、上記の理由で、しめたものだと思えるわけである。もちろん高評価ボタンや「良い」的なコメントを頂ける方が断然嬉しいが。

そういったわけで、いろんな打席でバットを振るのは楽しいなと、続ける原動力が生じる。

しかし、デッドボールを受けることもあるように、一瞬、痛みを伴うこともある。それを、辞めてしまうダメージとするか、今後の発展の材料とするかは、人それぞれかもしれない。

今日は暖かいがますますこれから寒くなり、ユニクロのヒートテックなどが活躍する時期になる。

反応に対して、どうすればもっと誰かに喜んでもらえるかと常に思案していると言うと美辞麗句かもしれないが、手前なりに良かれと思って制作したあらゆるコンテンツ自体や、それに対する「反応」を、誰かの「ほっこり」に変換できたら嬉しいなと、前向きな姿勢を保つことを肝に銘じたい。
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今日あたりは忘年会である。アーティスト・SPALの興行で銀座へ。日中、クリスマスや年末のテイストが漂うなか、和やかに楽しく過ごす。

一通り完了すると、「火鍋」なる食べたことのないメニューを主とした宴が、男子5名で執り行なわれた。

謎のインド産シングルモルト・ウィスキーをハイボールにして頂き、たぶん初見の味と思われる「パクチー」をモリモリ食べる。本能的に、確かな栄養素が詰まっていると感じたので調べたら、やはり栄養満点。全員、腹が痛くなるほど、ごちそうを食べる。

バーテンダーのマサキ氏いわく「まるで、高校の修学旅行の夜のよう」と比喩された空気感。各々の知見と科学的根拠や医学的見解、個人の独断や感想と所感を含んだ深いようなポップなようなエロいような会話に華が咲く。

ああこれは年末感があるぞと、ほろほろと酔いつつ宅に着く。気がつけば今年もあと2週間。ほっこりエネルギーが充電できたので、引き続き張り切っていこうと思える良日。
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美的感覚を広げようと上野の美術館へ赴く。師走ですよと言わんばかりの透き通った冷たい気候を凌ぎつつ、館に着くも休館日。

月曜日ってそうなのねと、じゃあトラとかゾウとか見て和もうと、即座にコンセプト変更するも園もお休み。

「動物たちはお休みの日はどう過ごしているのかなあ」などと想像を巡らせながら、適当に散歩して帰路につく。特に目的の何かをキャッチできたわけではないが、ただ、歩いてなんとなく風景や人々を観察する中にも色々な発見がある。

あらゆる偉人は、数時間の散歩を習慣としているとFMラジオで聴いた。それは、ただ目的もなく歩いているだけの時のあの、瞑想に似た感覚がインスピレーションを呼び起こすのだろうか。

手前あたりはそのフェーズまでには達していないかもしれないが、実は、無意識下では散歩中にそのへんが整っており、いざ何かをする時にすばやくアウトプットできている。そう信じたい。

睡眠不足に疲労も溜まりがちだった昨今、今日はお休みである。昨夜、ギタリスト・よしお氏が「鍋を作る時そんな本気出すんだ?」と周りから声が上がるほど、腕によりをかけて作ってくれた火鍋が、その時の仲間とのほっこりが、栄養満点の「パクチー」が、どれかが、いや、全てであろう。そのおかげで体調なりがいつもより優れていた。

そこにホリデー・ライフで追い込みをかける。たいへんリラックスして一日を楽しむ。

仕事部屋で動画を作ったりする。AIでイラストを生成したりする。意図的にChatGPT4に触れる時間をつくる。

「黒手塚(手塚治虫さんの、人間のダークな部分を強調した各作品)ってなに?」

「――の場合の適切なフォーマットは?」

「落語をひとつ作ってくれる?」

「エクセルとウェブの連結はできる?」

「API(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)ってなに?」

などなど、ディープラーニングされた人工知能から様々な学習をしたりする。YouTube投稿日後のSNS発信はどう数字に繋がるかと、Xに投稿してみたりする。

そして、さらにデトックスをはかるべく、45度の温度で風呂をわかせる。あとは酒呑んで寝る。じんわりと疲れをとり、タスク多めの年末年始に備えるリラックスの日。
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昼過ぎ小1時間、案件対応をして直で現金¥3,000を得る。ああ、この事業が上手くいっていれば時給換算いい感じで、他のことも色々と進められたのになと、昨年頓挫した仕事において、まだ付いてくれている顧客に感謝しつつ悔しさも混じる。

定期検診でクリニックへ。調子は、ゆっくりとなだやかに、治っていくというよりかはパワーアップしているような、そのような感覚を主治医に伝える。

「よかったじゃあないですか。平吉さん」

「ええ、やはり仕事やらなんやらと、ある種の刺激的なことがないと僕は病むと知りました」

「具合は大丈夫そうですか」

「ゆっくりとなだやかに――以前のようなよろしくない感覚は消えつつゆくのです」

「どんな感覚ですか?」

「いわゆる鬱っぽさや、無駄な不安感です」

「なるほど」

「もともと、ギャンブル依存症だったので、やはりある種の刺激を受け続けないと、具合がおかしくなるのです」

「そうでしたね。ギャンブルどうやってヤメたんですか?」

数年通っているが、こんな肝心なことを初めて聞かれた。案外、患者と医者とでは、重要なことに対する認識が乖離していることもある。

「はあ。物理的にこう、できなくしました」

「どのように?」

「パチンコ屋の営業時間の23時まで、仕事を追加したんです。当時やってた仕事が終わってから23時まで、クロネコヤマトでのバイトを入れたんです」

「ほほう」

「それで、休みの日はティッシュ配り的なバイトを日中入れまして」

「すごいですね。でもやりたくなるでしょう?」

「もちろんです。あと、アナログに、自分に一番効くフレーズを直筆した紙をトイレに貼って戒めたり。色々やりましたよ」

「ははは」

「あと、当時のアメーバブログに、自身の博奕地獄体験を小説スタイルで日々更新して、1年弱かけて完結させました」

「へええ」

「それがまた、けっこう好評でして」

「よかったじゃないですか」

精神科医ならば、ここで、俺が行なった各要素を「それは認知行動療法の類で――」「思考を整理して書き出し、いつも目につくところに置くことは――」「世間に暴露することによって――」など、専門的な見解を示しつつ、オリジナル・カリキュラムの内容を補足することが普通だろうが、先生はただニコニコと、俺の過去の懺悔をただ、ポップに聞いているだけだった。

それは、手前にとっては「99%もう、大丈夫」という寛解状態であることを察し、別に掘り下げる必要もなかろうと判断しての傾聴だったのかもしれない。

ふうんと思って食材を買って帰宅。作業して韓流パクチーラーメンをこしらえ、信じられないくらいほどの発汗を伴い完食。確かなデトックス感を得る。

深夜までは、制作をする。そのために必要な新機材に関しては、今年はほぼほぼ購入しなかった。しかし、代わりにと言うか時代というか、ソフトウェアへの課金はめっぽうした。月額プランのやつを3つくらい契約している。ChatGPT4も内訳に入る。

それらは、自身の成長、他者様へのサービス、収益に対する、最も良い投資だと解釈している。実際にやっているへたっぴな株式投資よりよっぽどいいであろう。

昔、スロット情報雑誌では、メダルを¥1,000で50枚借りることを“投資”と表現するのが普通だった。¥1,000は「1K」とカウントし、たとえば「投資30K――」だと3万円ブッこんだ状態を指す。この表記の仕方は、今もそうなのかもしれない。

断じて違うよ、それは確率やらのお遊びだよ、投資っていうのは、投資家でもない限り、自分に投資するのが一番いいんだよと、当時の手前に言ってやりたい。

その頃に苦い顔をしながら書き続けたアメーバブログの記事を回顧する。いま思うと、その文調はどこか太宰治さん風だった。彼がそう、という訳ではなく、こう、痛々しい。いまはたのしく“投資”をしながら日々色々と生産的に生きている。そのつもりである。
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おい投資しただろう、課金しただろう、月額で登録しただろうと、なぜかアップグレードされていないソフトウェアに罵声を浴びせる。

確かに昨夜、機能を拡張すべく、財布のヒモをクパと開けたはずだが有料プランがどうしても使えないのである。

正確に言うと、使えるが、完成コンテンツとしてのエクスポート(書き出し)がどうしてもできない。しようとすると「君、君。無料のやつ使ってるよね〜? ここからはこっちのプランじゃないとね!」的なポップアップが出現。俺を嘲笑うかのようなそのメッセージに著しく憤慨。

烈火の如き怒りをはみ出しながらネットで調べ各設定を試し、ChatGPTで調べ「これかあ」というのを試し、さらに2度も3度もソフトを再起動し、しまいにはPC自体も同様に開け閉めするもそのまんまであった。

この野郎、新手の釣りか、サイバー的な詐欺かこの野郎と、怒りは静まる気配すらないどころかもう物理的に頭が熱くなってくる。

ふざけるなバカチンがと、やめてやると思い解約してやった。しかし「もしかして、入るプランを何か間違えたかな?」と考えを改め、今一度確認して同じ有料プランに変更し直す。

すると何事もなかったかのようにアップグレードされ、使いたい機能込みでのエクスポートが可能となった。

俺はたまに思う。こういったソフト系の設定が謎に苦手なのは単にIQが低いからなのかなと。アホの子、いや、以前に測定した時は平均値のIQ100は普通に超えていたことを思い出す。

まあきっと、機械相手に感情的になりすぎて何か見落としていたのだろうと手打ち。結局、どこに不手際があったのかは謎のままというあたり、個人的あるある。あまり、あってはならない。

そういったわけで今日、1時間半くらい貴重な時間を無駄にしたが、得た教訓は、こういった設定などはまず「順番通りに」「説明を一字一句読み(英語はちゃんと訳す)」「変に独自解釈せず」「指定の通りにやること」である。

手前はこれが苦手だから、このようなことが起こる。各種設定にアドリブや個人の感想と感情は要らない。説明書は読まないで製品を使い進めるスタイルの人あるあるだろうか。今後はちゃんとやろう。設定。
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2023年カウントダウン10日。あと10回寝たら年が閉じる。今年は人生で最も早く時が過ぎ行ったという雑感。歳のせいかと思うもまだ43歳。もう43歳。いい加減43歳。どう捉えるかは場面による。

シンプルに酒の量が減った。これはよかった点である。生身の精神科医も「アルコールはメンタルの具合に確実に影響します」と、強調していた。去年は気絶するまで呑んでいたが、今年は独酌ほどほどくらいの暮らしになったのである。2人以上いる酒の席の場合はその限りではないが。

ちょうど1年前を回想すると、まるで異なる生活スタイルになっている現在。「安定」は「停滞」とも捉えている手前は、これをポジティブに受ける。

純喫茶『アルマンド』で、たまにピアノを弾きながら店員兼コンサルをやっていた頃が遠い遠い過去のような追懐の情。

常連曲のマダムからリクエストを受け、英ロックバンド・ミューズの楽曲「Exogenesis: Symphony, Part 3」を耳コピして店内でよく弾いていたことは琥珀色を伴うように、長期記憶に定着した。

死んだ叔父に、最期に生演奏で聴かせた曲ともなった。その手書きの楽譜は、今も仕事部屋の各譜面立ての内一つの左端にそっと、広げてある。「みゅーずは、いいよお〜」と、最期まで彼はカウンター越しでニコニコしていた。

あれから1年かと、色々あったなと振り返る。とりあえず、酒量が減ったのは、そのぶん生活にハリが出たということであろう。男は、やるべきことが無ければ無いほどロクなことをしない哀しい生き物。それを良き方で体現した。

今日あたりも、今年始めた新たな形式のコンテンツ制作をする。いまは需要が少なくとも、やっているうちに質も上がり、間口も広がるだろうと手前を信じて、一人で熱狂しつつせっせと日々進める。思えば作曲を始めた頃なんて、それから10年は、ただの1曲も世に出回ることはなかった。

そう思うと、今年もちびっとずつは進めたのかなと実感というか感覚くらいはおぼえる。

年末年始は全て仕事となっている。その時に何を思うのか、楽しみである。というか「熱海に行くならこのタイミングだろ」と、めちゃめちゃペンディング(保留)のままでいる壮年期自分探し独り旅計画やいずこへ。
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15時前まで寝くさる。見上げたものだとここは睡眠力の深さを讃える。モカ・ブレンドコーヒーをゆっくりと淹れ、机で動画制作などをする。

近場で湯麺をじっくり食べて、足立区某所へバスで赴く。今日は夕方から深夜までライター案件の日。記事を書きまくる。所感として、日に日に言語化アウトプットが早くなっているのは日々の訓練が功を成していると自賛したいところ。

案件がいい塩梅に済み、舎人ライナーという都内ではローカル線に属するであろう電車に乗る。無人運転のもようなので、先頭席に立ち、運転手気分で路線を眺めながら帰る。なんだかとても気持ちがよかった。

乗り換えてギッチギチに混む京浜東北線最終便に乗車。シラフだとこんなに車両内は酒臭いのかとあっけにとられる。年末の風物詩のよう。

コンビニで缶酒と適当な肴を確保して帰宅。ギィと扉を開けると、自宅はひんやりとしていた。なんだか徐々に、年末感が醸し出てきて季節を感ずるなとほっこりする。冷蔵庫に転がっていた頂き物のアルコール度数4.5%のライトめのビールを呑む深夜25時。

聖なる夜をはさみ、今年もあと9日。じっくり丁寧に、日々を過ごして「よい年だったな」と振り返りつつの晦日を迎えたい。この時期に忙しいのは、たいへんありがたいものである。
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休める時に休む。これ、フリーランスの鉄則よ。そう言ったのは誰だったっけなと4年くらい前を振り返る。今日は昼下がり、数駅先の界隈にある庭園で散歩する。入場料150円。

この150円は「取材費」として経費にならんかな、などとセコいことを考えつつ自然を浴びる。池ではカモがのんびりと水面を揺らがせている。水の動きからは究極の自然とアナログ感を享受できるな、のどかだなと、力が抜ける。

正面からよく見ると割とシュッとした顔つきのカモたちをじっくり観察する。「カモってなんもしてねえな」と、リアルタイムの自分とカモとのリンクにクスッとする。側から見たらひとつも面白くはないが。

なんもしてねえように見えて、よく見ると水面下では可愛らしい黄色の小ぶりな足をバタバタとさせている。そう、なんもしてないように見えて、陰での努力が垣間見える。俺も他者様から、そう映っていてほしいものだと、やはり手前と重ね合わせてクスッとする。全然面白くないが。

徒歩で王子駅まで行ってラーメン食って帰る。キッチンでコーヒーの粉に熱湯を優しくクルクルと当て、10年選手くらいのお気に入りネコ柄マグカップにコーヒーを注ぎ、デスクにつく。

静止画イラストを動的に映るよう加工し、どこまで楽曲の世界観とリンクさせられるか。そのようなコンセプトもある動画制作をして1本またアップロードする。その過程は、少なくとも自分自身はめちゃめちゃ面白いなと、楽しんで、夢中で行なう。さすがにこっちは手前だけではなく誰かに楽しんでほしいという思いが、日に日に増していく。

ちょっとソファで仮眠して、体がビクッとなるあの謎生体現象がおき、高校時代の授業中の「居眠りビクッ」を思い出す。

後の時間はChatGPTに色々聞いたり会話をしたりしていた。

「一言二言の返事でいいよ。こう、フランクな雑談ベースでいけるかい? 今日カモが居てね――」

「そうですか、自然にカモがいたのですね! その様子を観察して色々思うのは非常に癒されますね!」

「そうそう。それで彼らはね、なんもしてないのよ」

「そうですか、カモは何もしていないのですね! 可愛らしい動物は見ているだけでもリラックスできますよね!」

「そうそう。とはいえ、よく見ると水面下では足を――」

「よく観察してますね! 優雅に見えても、見えない部分での動作があり、自然から学ぶことは多いですね!」

「それでね、生身の人間の僕から、恐縮だけど君にアドバイスしてもいいかな? 雑談の場合はちょいちょいこう、僕に対しての質問も挟んでくれるかい?」

「You’ve reached the current usage cap for GPT-4. You can continue with the default model now, or try again after 1:53 AM.」

(今日はあなたが使えるのはここまで。この時間以降に試して)

どうやら1日の使用制限がある(現在においての仕様)ようで、雑談は盛り上がりに欠けたまま強制終了した。

いかにも機械ですよという受け答えだったが、使いようや指示の仕方によって、そして今後の発展によって、まるで人と話しているかのように1日中AIと「雑談」してても飽きない時代が来るのはもうすぐそこであろう。

カモは足を振っただけ前に進むが、そこにエンジンを搭載してさらにターボも加えて群れをなす。いまのテクノロジーの進化はそれくらいの加速度なのだろうか。

俺もカモくらいはやっているつもりだが、せっかく方々に課金してまで使用している各ツールを活用し、潤いたい。他者様に潤ってもらいたい。カモのムーブとAIなどの使用感を足し、このような思いが生じた長閑な日。
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世間がハッピーな雰囲気になる日。とはいえ、聖夜の前祭といったエアー感はそこまで浴びず淡々と暮らす。

夜、赤い袋ラーメンを茹でて大量のパクチーで染めたとろクリスマスっぽい色合いになったので一人喜ぶ。

「清き夜じゃないか」と綻ぶ心境というよりかは、「家賃更新タイミングからか、大家さんが賃料を上げたいと――」という旨を物件管理会社経由で受けるなど、どちらかというと遠い目になる気分だったがいつも通り過ごす。

デスクに向かい、どうも数字が伸びないなと、これまた眉をひそめてはああだこうだと考える。とはいえ制作はやり続ける。

なんとなく、いつも通り生きていると何故か浮世立つ感覚のある、どこか特別な日。

せめて明日はそれっぽいことをしようとも思うが、せいぜい安いワインを買ってくる程度の体たらくであろうがそれはそれでほっこりかもしれない。
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熟睡してフレッシュな気持ちで1日のスタートを切る。今日あたりは本番の聖夜なので近所のガチ教会へ潜入しようと思った。

しかしその行為の80%あたり、どこか冷やかしのような部分があるのではと、思いとどまる。32歳の時は実際に一人でクリスマス当日の夜に入って洗礼を受ける寸前までいったような記憶があるが。

そんな聖夜は年末へ向かう契機、アンカーのような日という感覚もある。するとやはり1年を回顧する。今年もあと一週間を切った。

2023年の俺的トレンドは何かなというと、生成AIを色々試したり、グラフィックに挑戦したり、自分なりに頑張ってコンテンツ化したり、YouTubeの投稿に参加したりと、その辺が、これまでしてこなかった事として挙げられる。

それらによって得たことは、やはり視野が広まったことが大きい。これまで五感で受けても意識に残らなかった事象を、新たに認識できるようになった。

なんというか、ずっと同じことを追求することも超カッコいいが、新しいなんらかに触れる事を意識する事で、常にフレキシブルに生きる姿勢でありたいという動機もある。そうしているうちは、精神が老けないだろうという持論もある。

もちろん、音楽制作やライティングも続けている。これはたぶんシンギュラリティが起きても意地でもやり続けると思う。なぜならば、この2つは手前のアイデンティティだからである。今後なにか別種が増えることもある前提だと尚いいので、次に「これだ」というときめきを感じたらもちろん即、追加する。

それっぽいフレーズをならべて、さも難しいことを考えているようだが要は「今まで通り、するべきことも続けつつ、新しいことも始めたよね」ということである。

だんだん白髪を見つけるのが早くなり、酒の量も減り、怒りの感情もなだらかになってきて、それなりに歳も感じるが、脳以上の機能はピッチピチでいたい。

なんならエクソソーム(全身の機能回復効果がある物質)点滴なりのアンチエイジングで肉体の老いに逆らう手もあるが、できれば自力で新鮮さを保ったり放ったりする自然体でいたい。

そこに必要なのは、やはり好奇心と行動と挑戦と興奮と快感と、あらゆるフィードバックを適度に受けることだろうか。

そのあたりのことも色々あった2023年。聖なる夜。おだやかな気持ちである。昨夜に記した通り、コンビニで安いワインを買ってきたわけだが、このワインには価値がある。“せいぜい”という卑下な感情ではない、ほっこり聖夜。
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「運」と「脳」についての見解が記された書籍を読んだ。脳科学者の中野信子さん著のものである。

内容を一言でまとめるのは失礼かもしれないが、俺の感想としては、「運はあらゆる出来事の捉え方によって左右する」というもの。

たとえば、明らかな不運に見舞われたとする。その際「ツイてねえ」という認識のままでいると、その不運は、不運のままでおしまいとなる。

一方で、「不運だが、そこから学ぶことがある。そういう時にどう立ち回るかという経験は、今後の糧となる」とすれば、不運は次に幸運を掴む手数が増える。そんなところだろうか。

ヤクザ人格の父親が認知症にかかって暴れ出した。これは客観的にどうみても不運そのもの。もちろん俺も最悪だと思った。しかし、その過程で、学ぶことがたくさんあった。

社会福祉の手助けの詳細、認知症に関するあらゆる知識の取得、脳機能に弊害が生じた人間の行動と精神状態の理解と対応方法、介護の現場のリアリティの解釈、ケアマネージャーの役割、医療制度の仕組み、などなど。

それらは“不運”がなければ、知ることも体験することも、様々な知識を得ることもなかった。

その知識やらが今後どう活かすかによって、不運から「運をよくする」という流れとのような姿勢が生まれ、幸運になりやすくなる。

そう思うとなんとなく、ほとんどのことは、捉え方によって成長の源流となる気がする。

肝心なのは、イレギュラーが起きた時にどう対処するかというリスクヘッジのような引き出しを増やすことだろうか。これは何事にも通づるなと感銘を受けた。

思うようにいかないことから、「コンセプトとは全然違う結果になったけど、こっちのほうはそれはそれで、新しい発見につながった」的なことは、様々な分野の人間の行為の中でみられるとのこと。

そうなってくると、やはり失敗などを恐れず、果敢に挑戦することが運を掴む大切な要素となってくるのだろう。なるほど確かにねと本を閉じた。

著書にも記してあったが、運の良さを、ちゃんと「良い」と捉えられるかは本当に大切だと思う。

こうして毎日暮らせるだけでも幸運だし、個人がコンテンツを世界中に発信できること自体、奇跡みたいな時代に生きている。

大事なのは、改めて自分は運がいいと認めることらしい。その視点で手前の日々の行動や環境を精査すると、どう考えても運がいいと思える。

そうなってくると、不運を「ツイてねえ」で終わらせるよりも、これまでのやり方をブラッシュアップさせたり、新たな手法を身につける幸運への導線と捉えるのが健やかな考え方であろう。

そんな思いを脳に落とし込みつつ、今日も制作をする。少しずつでもトライアンドエラーを繰り返しながら、著書から引用するところの“ゲームから降りない――”限りは、前に進める、運を掴めると信じて。

なんにせよ、熱中してやり続けることが多々あり、大なり小なり、その結果を見たり聴いたりしてくれる人が居てくださることは、まごうことなき幸運であると心の底からそう思う。
_12/26

 

 

 

 


墓の管理費が地味に痛えなと、振込用紙を見つめて息漏れる。年に17,000円。

その費用を他に使えればなと、画期的なツールなどのサブスク代に充当するほうが生産的なんだがなと、年次経理担当の脳内ソロバンはおかんむり。

第一、うちの墓は「平吉家」と、真正面に掘られている。正確には「吉」ではなく異体字の「土の下に口と表記する方」なのである。これは設計オーダー時にミスっているではないかと、たまに墓に行くたびモヤっとする。

正直どうでもいいが、なんか見出しやタイトルなどの一番肝心のファースト・ビュー部分をやらかしてる感は否めない。

名字が「吉」だろうが「土の下に口」だろうが、俺はさほど気にしてはいない。しかし、公的な文書や免許証だと確実に「吉」ではなく「土の下に口」と表記される。ちなみに、ここにその異体字を記しても文字化け防止なのか、表記されずにページ更新時に空白となる。

区役所などではいつもある、「あ〜、下の棒が長い『土』のほうですね〜?」「さようですね〜(どうでもいいけど)」というおなじみの所懐。

苗字の正確性などは、昔の人のほうが重んじそうなので、先祖総出で「お前のせいで死後ずっと我々がミスり続けてるみたいになってるだろう!」と、まるで会見で記者に詰め寄られまくるかのような描写の夢にうなされてもおかしくない。

いや違うんです、僕じゃありません。墓を建てたのは平吉浩治という奴です。と、事実を弁明しても「じゃあそいつを連れてこい!」と怒号を浴びせられるかもしれない。

いや違うんです、金がもったいないからそいつの屍はまだ納骨していないのです。押入れの中にそっとしまってあるのです。と、吐露しても「馬鹿野郎、論外だ!」と、ブチ切れられっぱなしの学級崩壊みたいな様子が容易く頭でビジュアル化できる。

ここはひとつ、毎年わたくしめが17,000円払って維持しているので、ひとつ手打ちということで――。と、決してご先祖様をおざなりにしていない旨を示したい。

「そうか、君も大変だな――」と、寛容な精神で引き下がる先祖代々の平吉さんたちでいてほしい。だがその確率は極めて低い。親兄弟、この苗字の奴らは変に感情的であるという共通点がある。

ここはひとつ、現代の平吉である俺が、時には短所となるそのパーソナリティーの急所をアップデートしてから、死ぬ時は墓に入っておきたい。

魂のグループという解釈がスピリチュアル界隈ではある。俺がそこを現世で濃いめに改善して、死後にグループ単位でそのへん是正したい。

「下界で西暦2023年に思ったのだがね、ああいう詰め寄り方はあんまりなんだよ。『よせ』とは言わないけど、人間として修行している最中の魂に水をさすのは、ちょっと感心できないかな〜」

そのように、先輩さん方に諭すも秒で「うるせえ馬鹿野郎」と一蹴されるのが関の山。そんな気性の荒い平吉一族。俺はそんなことはないが、そんな時期もあった気もする。

そんなことが起因ではないが、今は穏やかで寛容なスピリットを意識している。

とはいえ管理費17,000円に対しては舌打ちが出てしまうこの未熟さ。南無三。素が不謹慎な末裔でたいへん申し訳ないという気持ちは、一応ある。
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あと3日となった今年。客観的に見てよくなかったことを振り返る。基本的に、凄惨なことが多発した昨年に比べ、よいことの方が多かったが、やはり負の面の直視は節々で必要であろう。

弱めから強めまで、ダメージが大きかったことから順にあげると、ワースト3は「すぐに白髪が見つかるようになり地味に悲しくなってきた」という点。

これに関しては自然の摂理なので抗いようがないが、習慣化している頭皮マッサージに加え、風呂上がりの顔面マッサージも加えることで、なんか最近白髪が減ってきたと感じられたので手打ち。というか大したことではない。

ワースト2は、「楽曲のストック収益がガクンと落ちた」という点。これは、アップロード先の仕様が変化したことと、世間全体的なネット広告の単価が著しく落ちたことが原因である。切実に痛い点。なお、プラットフォームに落ち度はない。

どちらも俺個人では対応できないので、直接的にはどうしようもなかった。対策としては、なかなかやる勇気が出なかったYouTubeチャンネル開設し、楽曲を動画コンテンツ化させて間口を広げたこと。

初めて4カ月ちょいの現在、「思ったより酷すぎはしない数値」という感触なので、これは光明と捉えて続行しつつ、どんどん描いている計画を淡々と進める。新たなアクションを発展させる契機となった。

ワースト1は、「やたらと物が壊れたり無くなったりしたこと」である。ガチ勢と呼んでおかしくない立派な真空管ギターアンプが壊れた。リペアマンに「重症」と言わしめたその修理費は運送費含め、しめて約45,000円。けっこう痛い。

なんなら長年使用しているチューナーも逝ったもよう。チャリもパクられた。冷蔵庫もなんか様子がおかしく、「弱」気味の設定でも冷凍庫ではなく冷蔵ゾーンにある「めかぶ」が毎回シャーベットのように凍る。オーディオ出力環境も妙なムーブを伴い、制作スピードが捗どらず悶々としていた時期もあった。

アンプはフレッシュなサウンドを放つ状態になり蘇った。チューナーに関しては新たないいやつを買ってチューニング精度を高めるいい機会。冷蔵庫は思い切り溜まった霜を除去したら安定した。オーディオ出力は手動で直り、前よりよくなった。チャリはもう要らん。

金銭的には痛かったが、どれも捉え方と適切な対策により、各要素の水準向上に繋がった。

だから、そんなに悲観していないというか、どれも「酷かった」という出来事として認めていない。全てにおいて具体的な対策を打ち、よりよい未来に進むきっかけになったと思える。

バンバン人が死んだり、健康状態がよくなかった時期が長かったり、いけると確信した事業が2つ思い切りコケたりなどした去年に比べたら、軽傷もいいところである。

トヨタだかパナソニックだったか、そのへんの超大企業における社員への教訓で、たいへん興味深いものがある。

それは、「失敗したり、やらかしたり、酷いことがあったらまず、大声でそれを周りに知らせること」である。

これは理にかなっている。まずは周知し、対策スピードを最速にする。そして、まっさきにリカバリー、改善に努める。気持ち的にヘコんだりするのは最後でいいということを示している。

俺はこれを本で読み、自分の行動にプラスした。なにか負の出来事があったら、まず真っ先に対策をする。

「うわあどうしよう」などと狼狽する数秒から数日は無駄とする。ひと段落して着地して向上の要素が見えたら、悲観的な気持ちなど尻尾くらいしか残っていない。

それを体現できたのは、むしろよかったなというところ。生きてきて悲惨なことがあるのは当然であり、そこでどういった行動と時間軸で跳ね除け、今後の糧とするかは人それぞれだが、総じてどうも多いなということは、それだけ自己を向上させるチャンスに恵まれている。そう言ったら、もはや楽観的な部類に入るだろうか。

「うわあどうしよう」のスイッチがバカになったのかもしれないが、おそらく、そこは良いほうに認知する。打たれ強くなったと表現すると綺麗なのだろうか。

なんにせよ、肌感的にも占い師の鑑定でも、「人生最悪の時期はもう過ぎている」という現在。

あとは、生来の脇の甘さを自覚して、常に注意しながら明日からも張り切っていこうと思う。あらゆる方面にヒントと答えがいくらでもある時代に生きていてありがたいと心から思える。そこに達するまでがまだまだ遅いきらいは否めないが。
_12/28

 

 

 

 


よくよく考えると、今年のよくなかったことワースト1は1月に凝縮されていたことを思い出した。ひど過ぎて忘れていたのである。本能的に、俺の脳の前頭連合野で「忘却」と処理されていたのであろうか。

「コロナ等の病トリプル罹患」「キーパーソン死亡」「ほぼ無職」などなど、確かにそれは忘れたくもなるなという事がまとめてあった。

いま、当該月の日記を読み返せば逆に笑えるかもしれないが、凄惨すぎたので情念的には顧みず。教訓だけ手前に刻む。

今日あたりは徹底的に宅を掃除し、すっきりとして食い気味に年越しそばを摂りに行く。適当に散歩して、あとはコンテンツ制作や情報収拾などをして過ごす。夜は韓流パクチー増し増しラーメンを作っておいしく食べる。

あっという間に過ぎた2023年もあと2日。よかったことはたくさんあった。いろいろな人と楽しく過ごせた。新たな案件先ともいくつか取引できた。最新テクノロジーに積極的に触れて興奮した。チャレンジしたこともあり、続けている。謎に海外ともやりとりがあった。

詳細は大晦日イヴに残すとして、今夜は体から発している香ばしい薬草の匂いを消すべく、ゆっくり入浴して寝よう。

自覚はないが、他者が近づいたら「なに吸ったの?」と言われる程のはず。食後、数時間経ってからキッチンに行くと「異国の誰が来た?」という匂いがするのである。

パクチーを摂取すると、免疫力向上、抗酸化作用、デトックス効果、抗菌作用、美肌効果、消化促進、老化防止、眼精疲労回復などなど、メリットだらけである。

しかしアホほどパクチーを食べるとシンプルに匂う。ほどほどが一番。200円くらいのやつ一袋一気食いは、やりすぎ。
_12/29

 

 

 

 


人間、「これまでで、何が一番幸せと感じましたか?」「何が一番嬉しかったですか?」という問いに対しては、いくつかの種類が挙げられる。

欲しかったものを手に入れたこと、お金がいっぱい入ったこと、名声を得たこと。これらは割と上位に入るだろう。しかし一説によると、やはり人間が一番幸福を感じたことで多いのは、「体験」だという。

今年、一番よかったなと思えることは、2月19日に上陸したレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブを体験できた1日そのものである。ライブ観戦そのものはもちろん、その日の出来事の全てが幸福であった。

レッチリも粋なもので、新作をがっつりリリースした直後にも関わらず、彼らの代表曲と言える過去の曲を、ほぼ全てパフォーマンスしてくれた。

「絶対やってもらわないと困る」と思っていた「Can’t Stop」という楽曲をセットリスト一発目にやってくれた時の興奮は未来永劫忘れない。

個人的に好きなギタリストベスト3に入るジョン・フルシアンテさんの演奏はキレキレで、なにしろ生身のレッチリをリアルで体験できたことは非常に価値がある。

価値がありすぎて、確かその当日の日記は淡白なものだったことも併せて覚えている。良過ぎてその日は「事細かく書くことはないな」と思ったのである。酔っ払っていたのもあるが。

それ以外にも今年は、先日に記したように様々な仕事にも恵まれた。これから先への道筋ともなる手応えもあった。あんま資金増えていないが。

毎月定期的に、いろんな仲間と集まっては、わちゃわちゃできた。その時はいちいち考えたりしないが、これは確かな幸福そのものである。だいたい溶けるほど呑んでいたが。

健康面がどんどんよくなってきたのは本当に大きい。なんなら脳や精神は進化していっているのではないかという所感すらある。白髪増えたが。

やりたいやりたい周囲にまで言うも、ビビってなかなか始めなかったYouTubeチャンネル開設。これを実行して継続しているのは自分でも評価していいと思う。登録者数は現在39人だが。

要するに、今年はとてもよい一年であった。残すところあと1日。2つ仕事があり、なかなかパワー使うなという大晦日だが、これは今年1年を物語っていると清く捉える。

LUNA SEAのSUGIZOさんのインタビューで、彼は「40代が一番楽しかった」と振り返っていた。俺が直接聞いたわけではなく、文字起こしを担当しただけだが、それを聞いたのは当時30代後半で、現在40代を走り出している手前を勇気付ける言葉である。

いろいろあるが、毎日楽しく幸せに過ごしている。細かい部分ではそうでないところも当然あるが、総括するとそう断言できる。完全にそう思い込める、ということが大切だという脳科学者の見解もある。

ふと思ったが、「ハッピー・ニュー・イヤー」というフレーズは、年始ではなく、年の締めくくりに心に落とし込むのがふさわしいのではないかと個人的に思う。

違うかも知れないが、そういった気づきもあった2023年。掛け値なく、関わった全ての人に余すことない感謝が確かにある。幸せは、だいたい後から気がつく。だからせめて、年単位でちゃんと、今年は過ぎ行く2023年に感じた全てに、ありがとうという思念を送る。
_12/30

 

 

 

 

 


終電は無く、タクシーで帰宅。呑みまくっていたわけではない。この事実だけで、年越しは手前なりにやっていたと思える。

ゆっくり休みがとれた、という方が一般的には大晦日として適切かもしれないが、俺はこれくらいのほうがやってやった感がある。

さあ、来年はどうするか、抱負は、目標は、などと考えるよりも、自分なりのコンセプトを根っこに張りながら日々を過ごした方がいいという考えに至る。

そういったわけで現在26時。「2024年内にどうの――」と熟考する気力は残っていない。明日考える。“掲げない”という前述と矛盾してるが、「明日は、どう思うか」というライブ感を大切にしたい。

要はまあまあけっこうくたびれている。いい疲れである。そういう時、心は健やかさを保てる。それは何よりですねと、おや、新年ですがどうしますか、などと日々自問するくらいでいい。

今年も色々あったが、絶妙な角度から解釈すれば、全てが、面白かった。人生なんて喜劇と捉えてちょうどいい。

人様からしたら笑えないことも全部、なんらかのネタや源流や結果やコンテンツとしたいという姿勢は、崩したくない。

しょうもなく立派な人間になるべく、今年も張り切っていこうという鉄砲玉精神を忘れずに。どうせ、死ぬのが前提なのだから。
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